« 夏は逝くかどうか | メイン | 昼カレーと本2冊 »

人種と科学

ぎゃー9月

* * *

新型コロナウイルスの研究プロジェクト立ち上げを報じるニュースの中で、「ウイルス感受性に対する人種差も調べる」といったフレーズにツイッタランドの人文クラスタがものすごく反応したのを見て、これはなんか1冊読んどかなね、と思って探し当てた本。前に読んだPhilosophy of Biologyや『交雑する人類』ともつながってます。

結構前に読み終わっていたのですが、いろいろなことにかまけていてメモを作るのが遅くなりました。自分の仕事にも関係しそうで、ある日突然飛んでくるボールを的確に打ち返せるかどうかは準備に懸かっているのだと思うとやっぱりね、こういうのには時々触れておかないと。

それから、この本を読んだ後にBLMの運動が盛り上がり、「黒人」という言葉を耳にして「えっ」と引っかかることが増えました。そのように世界の刺さり方が少し変わったということは、これはかなりいい読書だったのかもしれません。

■アンジェラ・サイニー(東郷えりか訳)『科学の人種主義とたたかう』作品社、2020年。

人を分類し、他の集団より自分たちが優れていることを証拠だてる手段として「科学」の装いがずっと利用されてきたことを明かにする。

【1】19世紀には、ヨーロッパ人のような生活を送らない人は、まだ人間としての潜在能力を充分に発揮していないのだと考えられていた。色の白さは、人類の近代性を目に見える形で表す尺度となった。

ウォルポフとソーンは人類の多地域進化説を唱えた。それぞれの集団を注意深く「人種race」ではなく「類型type」として説明したが、それでもこの説は「われわれみな人間」に対する根本的な挑戦であり、植民地主義と征服政策の影響を受けた考古学の残滓と受け止められた。ただしビリー・グリフィスによれば、オーストラリア先住民も「自分たちは初めからここにいる」という意味で多地域仮説を好むとされている。

近年の遺伝学で、ヨーロッパの集団にはネアンデルタール人の遺伝子の寄与が比較的大きい(それでも数%)とか、オーストラリア先住民はデニソワ人の遺伝子が比較的多く入っていることが分かってきているが、これがracializationに傾くことを警戒する向きもある。

一方、ネアンデルタール人はかつては軽蔑の対象で「低い知能」の象徴と見なされ、発見当初はオーストラリア先住民との類似性が盛んに研究されていた。だがヨーロッパ人に最も多くその遺伝的特徴が残っていることが分かると、「認知機能は現生人類と同等」「文化的行動をしていた」といった理想化を駆動するような研究成果が出始める。

2018年にはエリナー・シェリーらによってアフリカ大陸内の多地域進化説を提唱した。現生人類が持つさまざまな特徴は大陸内のモザイクから獲得されてきたという。

【2】raceという言葉の起源は16世紀で、初めは家族や部族のような共通の祖先を持つ集団を指す言葉だった。
18世紀の啓蒙の時代には、集団間の身体的な特徴の違いは環境の違いとして説明され、移住や改宗などでアイデンティティを変えることはできると考えられていた。
人種が固定され不変のものだという考えは啓蒙の科学からもたらされた。リンネは『自然の体系』(1758, 10th ed.)で人間の特色flavorを赤、白、黄、黒に分けている。ただ、人種が2つなのか10あるのかといったコンセンサスはなかった。

植民地主義の時代には、一部の人は他の人より劣っており、それが支配の根拠と考えられた。奴隷商人と奴隷は本質的に異なっているという理解。白人、黒人、大型類人猿を測り、比較する科学が必要とされた。

米国の医師サミュエル・カートライトは1851年、黒人奴隷に特有の精神状態(精神疾患)「ドラペトマニア」を提唱する。奴隷という自然状態を脱して逃亡しようという病気だ。普遍的な人間性の代わりに、奴隷を隷属した状態に置いておきたいという利己的な人間の物語が持ち出されている。科学は人種主義に知的な権威を与えていた。

では、人種というものがあるとすれば、どうやって出現したのか。
1871年、ダーウィンは『人間の由来』で宗教による創世神話を一掃し、世界各地の人間の情動や表情の研究から「これだけの共通性が別々に獲得されるとは考えにくい」とした。二人の祖父イラズマス・ダーウィンとジョサイア・ウェッジウッドが奴隷制廃止論者だったことも影響したかもしれない。
ただし、進化上の序列があることは否定しなかった。ダーウィン主義は人種主義の否定とはならなかった。だが、都市住民と狩猟採集民の脳に進化上の段階の違いがなければならないのに、実際は差がないことが現在では分かっている。
人種という概念が生み出されたときには、既にsub-humanとして扱われていた集団はいた。人種概念はそれを勢いづけただけだった。なぜある集団は奴隷となり、ある社会は停滞するのか。それを説明する「人種」は常に政治と科学の交差点にあった。

【3】マックス・プランク協会の前身、カイザー・ヴィルヘルム協会がホロコーストに荷担していたことは最近になって公式に認められた。人類学・ヒト遺伝学・優生学研究所長のフェアシューアーは反ユダヤ主義者でナチスの人種関連専門家として人種政策の正当化に貢献していた。

フランシス・ゴルトン(ダーウィンのいとこ)は優生学を提唱した(1883年の造語)。1904年には優生記録書を設立(UCL)、のちゴルトン国民優生学研究所となった。

数学・統計学者カール・ピアソンは1911年にイギリス最初の優生学教授になった。「移民を制限しないとイギリス国民の安泰が脅かされる」と主張した。

1866年、メンデルがエンドウマメの実験を発表。ただ、この実験はどの世代でも安定して形質を表すエンドウマメの「純種」を作ってから行っていた。このことがこの実験結果の一般化可能性に関する20世紀初めの論争につながる。
遺伝について考えるときには、遺伝的背景と同じくらい環境要因・突然変異の存在を考えなければならないということに注意を向けさせようとしたのはラファエル・ウェルドンだった。乳がん遺伝子は100%発症につながるわけではないし、女王蜂はロイヤルゼリーを食べないと女王蜂にならないことは今日よく知られているが、ウェルドンの早世(1906年)によって本格的に取り上げられることはなくなり、遺伝子決定論が広がっていった。

ラッセルも「国家は不適切なタイプの人々が出産するのに罰金を科せば国民の健全性を改善させられるかもしれない」と述べたことがある。チャーチルは1912年の第1回国際優生学会議で副会長を務めている。

ただし、ヘンリー・モーズリーのように、特権や育ちのほうが一部の人の成功をよく説明することに気付いていた人もいた。ウォレスも「人々によい条件を与え、環境を改善すれば、誰もが最良の類型へ向かうだろう」と優生学を批判した。

優生学という言葉が聞かれなくなってきたのはようやく1960年代のこと。遺伝学の進展によって、美しい/賢い形質の遺伝はむしろ運任せだということが分かってきた。人間の品種改良が完璧にできるという考えの裏付けがなくなってきていた。知能のような複雑な特性は数個の遺伝子で左右されるようなものではなく、環境と養育の影響を大きく受ける。ただ、人種主義は科学の片隅で息づいている。

【4】1942年、アシュリー・モンタギューは「人種という言葉そのものが、人種主義なのだ」と述べた。
1950年7月、UNESCOが人種に関する最初の声明を出している。
1950年代にはpolitically correctな用語として集団populationやethnic groupが使われ始める。
1972年、リチャード・ルウォンティンは「遺伝的差異の90%は人種カテゴリー内にある」と書いた。
2002年にはノア・ローゼンバーグが差異の95%が主要な集団内にあるとした。
同じ人種であることは互いに遺伝的に似ていることを意味しない。
ホモ・サピエンスの遺伝的多様性が最も大きいのはアフリカ大陸内である。

それでもレジナルド・ラグルス・ゲイツのように人種科学を継続しようとする一団の研究者も依然として存在した。
1960年には雑誌「マンカインド・クォータリー」が発刊され、人種科学に資金を提供するパイオニア基金も存続している。2014年にはアルスター社会研究協会の研究者によって「オープン・ディファレンシャル・サイコロジー」が発刊された。

【5】1994年、チャールズ・マリーとリチャード・ハーンスタインが『ザ・ベルカーブ』を発表。黒人は白人やアジア系より知的でないと示唆した。批判を受けながらも、マリーは各地のキャンパスに講演に招かれていた。

【6】「人間の生物多様性」が表面的な差異のことではなく、集団間の深い違いを表すのに使われてしまったように、科学研究は人種主義に利用される危険をいつもはらんでいる。

ルイジ・ルーカ・カヴァッリ=スフォルツァら集団遺伝学はもともと人種主義や優生学に反対する人たちの学問だった。人間の集団間には確固とした区別はないが、グループ内での婚姻が比較的厳密に守られていた集団では遺伝子頻度に特徴がある。それを手がかりに、統計的手法によって人類の移動史を解明できるのではないかと考えた。
1991年には「ヒトゲノム多様性プロジェクト」を提案する。ただ、populationやhuman variationという言葉を使っていても、19世紀であれば人種科学と言われたようなものではないか?と訝る向きもあった。
サンプル採取にも障害があった。搾取と、孤立度の高い集団から得られた知見が生む利益がその集団に還元されないことを懸念した活動家たちがサンプル採取への抵抗活動を組織していた。
なにより、この研究は地球をメッシュに区切ってサンプルを採取するのではなく、そもそも何らかの基準で分類された人間集団を恣意的に発見した上で採取していた。善意の科学者であっても素朴で、歴史や政治の影響からはうまく免れていなかった。

集団内が均一だとは想定しなくても、平均値に基づいた分類を試みる「統計学的人種主義」の根は深い。そもそも人類を分割したいというところに問題がある。
23andmeのようなDTC遺伝子検査サービス、尺度を変えればどのようにでも人類を分類できる。悪意のない科学研究の結果は常に流用の危険に晒されている。

【7】2010年代の古代DNA研究によって、英国最古の人骨「チェダーマン」の肌の色が濃かったことが分かり、混乱した。白い顔の復元がされたこともあったが、白い肌をもたらしたのはその後に東方から入ってきた農耕民だったらしい。
昔、世界各地に生きていた人たちは今の人たちと同じ見た目ではなかったことが明らかになってきている。明るい色の肌の遺伝子は出アフリカ前に既に出現しており、人種に関しては何も固定的なことがないことも示している。肌の色は実際の集団間の遺伝的な差異に比べて過大評価されやすい。実際は肌の色で人種を分けることには意味がない。

デイヴィッド・ライクは、遺伝子に基づいた人類の移動史研究に取り組む。現在いる集団は絶えざる移動と交雑の結果だった。「世界の大多数の人々は、すべてではないにせよ、遠い過去にその同じ場所に住んでいた人とは直接つながっていない」
一方で数千年も遡れば、その時代に生きていた人たちは(子孫を残していれば)今日生きているすべての人の祖先か、(子孫を残していなければ)誰の祖先でもないことになる。ただしライクは、米国の黒人と白人の間には外見上の違い以上の違いがある可能性は留保している。

【8】ソリュトレ仮説は1970年代に登場した。考古学や人類学で、ヨーロッパ人は人類進歩の究極的な担い手だとする考え方だ。23000~18000年前にフランス、スペインの一部に存在したソリュトレ分文化は細長い薄片から石刃を作る手法を持っていて、ニューメキシコ州のクローヴィス文化(13000年前)の手法と似ているので、ソリュトレ人が最初に米大陸に伝えたのではないかという仮説だ。エクセター大のブルース・ブラッドリーらが主張した。
これは、ヨーロッパ人は17世紀より相当以前にアメリカ大陸を占領しており、ヨーロッパ人が米大陸に最初から権利を有しているという主張にもつながる。19世紀の「マニフェスト・デスティニー」の変種とも見ることができる。しかし現在は、最初のアメリカ人はベーリング海峡に15000年前以降に出現した陸橋で西から移動したと考えられており、これと真っ向対立する。アメリカ先住民はほぼすべてがシベリア東部に共通の祖先を持つことが近年の遺伝学的証拠から示されている。

過去を探る研究は、人種主義的な動機から科学研究の成果がイデオロギーのためにいいとこ取りされ、歪曲される事態にネイチャーも2018年には懸念を示したことがある。

【9】カースト。互いに閉じた婚姻関係を形成し、職能も異なる集団は遺伝的にも独特な2集団になるのかもしれない。たとえば素潜り漁をする集団は農民に比べて脾臓が長く血中酸素濃度を保ちやすいなど。では認知能力はどうだろうか?

行動遺伝学。KCLのロバート・プロミンら。知能遺伝子の探索。ナチの双子研究とnature/nurtureの割合推定の系譜。
しかし、知能とは何か、どうやってそれを計測するかはまだ確立していない。また遺伝率は誰でも同じではない、環境の違う人たちを比べることの困難さがある。知能に関係するとみられる遺伝子は「あるだろう」、しかも相当あるだろうというくらいしか言えないのが現状。IQの差はすべて社会経済的要因で説明がつくとする研究もある。

ジェームス・フリン(オタゴ大)の「フリン効果」(1984)。アメリカ人のIQは30年で上昇を続けているとの研究。文化的な時代の流れによる恩恵、知能の柔軟性を示すものだ。

アメリカでアフリカ系とされた人のうち、系統的にアフリカ系な人は非常に少ないということも知られるべきだ。ロバート・スタッカート(1976)はアメリカの国勢調査データから、白人として登録された人の1/4にはアフリカ人の祖先がおり、黒人の80%に非アフリカ系祖先がいた可能性があるとした。ヨーロッパ系の要素が多いアフリカ系アメリカ人は知能がその分だけ高いのか?1986年の研究では、養子のIQの違いは、入った先の家庭によることが示されている。

イギリスではGCSEのテスト成績で最も低いのは白人の労働者階級男子、次いで女子だが、「低い知能は白人性に根ざしている」という議論は起きていない。

2018年4月、インドでアファーマティブアクション後の役人のカースト別の働きぶりを比較した研究では、カースト別の差異はなかったことが報告された。

【10】医薬品の「人種差」。アメリカの黒人に高血圧が多いのは、奴隷船で旅をするのに体内に塩分をためておける人が選択されたからだと説明されたことがあるが、食生活、ストレス、ライフスタイルの問題が見過ごされていた。人種的な説明は社会的説明より受け入れられやすい上、奴隷制を巡る悲しいストーリーと結びつきやすかった。
だがハーバード大公衆衛生大学院の研究で、教育年数と血圧の関係が見いだされた。

2005年には、資金不足から黒人だけを対象に治験を行った高血圧症治療薬バイディルがFDAに承認された。ゲノムに基づいた個別化医療が高価だからと、怪しいが分かりやすい「人種化医薬」が使われる。実際は「人種」を生物学的に定義するのは極めて難しいと知られていてもだ。

カウフマンとクーパーの研究では、ACE治療薬やCa拮抗薬のように人種差があるとされた薬への反応の差異は、人種内での個人の反応の差異に比べて小さいことが分かっている。白人に多いとされている嚢胞性線維症の診断をなかなか受けられなかった黒人の事例もある。

NIHは1993年から、助成する臨床試験に助成やマイノリティグループを含めること、データを「人種」ごとに集めるように求める方針を掲げてきたが、これは医学研究に幅広い集団を含めることが目的であって、違いを探すためではない。

今日の不健康が黒人の体の内因性のものであれば誰の責任でもなくなるが、社会の不平等や不公正、差別のせいではないということと同じでもある。

イギリスのカリブ海系統の黒人が白人よりも多く発症するのが統合失調症で、「黒人の病気」とも言われているが、これまでに原因とみられる遺伝子領域がいくつか見つかっても、最大で発症リスクを0.25%高めるだけだった。しかも、この遺伝子変異は患者の27%に見つかったが、健康な人も22%が持っている。実際には生活環境や移民であることにまつわる危険因子、子どもの頃の逆境が重要なことが分かってきた。しかもナチの科学者フェアシューアーは「ユダヤ人によく見られる」と書いていた。

About

2020年09月01日 00:47に投稿されたエントリーのページです。

ひとつ前の投稿は「夏は逝くかどうか」です。

次の投稿は「昼カレーと本2冊」です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35