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よしなしごと アーカイブ

2024年03月24日

ヒューストン再び

やっと今年最初の出張を作りました。水曜~金曜でヒューストンです。去年の4月以来で、たぶんヒューストンはこれで最後になると思う。
空港は、街の北のブッシュと南のホビーという二つがあって、去年は便が多いブッシュを使いましたが、南東にある仕事場まで結構遠かったので、今回はホビーを使ってみました。サウスウエスト航空というLCCしかないので不安でしたが、混雑する時期でもなく天気にも恵まれて行き帰りとも予定よりちょっと早いくらいの到着でした。快適。

レンタカーはいつもの通り、店長お任せの一番安いプラン。割り当てられたのはこれ。
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フォードのマスタングEV、2023年車。5000マイルくらいしか走ってない、すごい新しいやつでした。EVは人気ないのかね。
それも分かる気がします。ガソリン車といろいろ勝手が違って、ドアを開ける段階からして「レバーを引く」のではなく「ボタンを押す」だし、操作はタッチパネルだし、充電プラグを挿すところが車体左側の「前」だったりとか(いや前に電池積んでるからだろうけど)、そこいちいち変える必要ある?みたいな面倒くささを感じました。

なにより充電。今回は大都市の中を動き回っていただけですが、無料のチャージャーはいろんなところにあるものの、充電70%をちょっと切ったくらいの段階から「満充電に3時間半かかります」みたいな遅い設備が多い。お金払うから速いのがいい、といって探して行ってみると「アプリで登録しろ」、したらしたで「この機械は現在使えません」。離れたところにあるホテルの駐車場にある設備はカードが使えると思ったら「失敗しました」

ガソリンスタンドだったらそこら中にあって、到着してカード入れて給油してレシート受け取るまで5分でしょう。EVは所有して家で充電して会社との往復、くらいであれば静かだし便利で安いのかもしれないが、レンタカーは絶対嫌ですね。ましてや郊外に行くの怖すぎる。

車そのものは静かで、大きくて重いので安定してるし、パワーがあって加速にも無理がないので乗っていて快適ではありました。

仕事そのものはかなり楽しく内容も豊富でした。
ちょうど一緒になった他社の人と夕食2回。シーフード多めでした。
これは2日目の夜、エルサルバドル料理のお店。ものすごく中南米系なショッピングセンターの中にあって、スペイン語しか聞こえてこない感じのところ。
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こちら、エビのクレオール風。よくわかんないけどトマト味のエビ、ピラフともにおいしかったです。
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ヒューストン市内で見たい美術館とかチャペルがあったんだけど、ちょっと時間なく叶いませんでした。
最後はホビー空港で仕事をやっつけて、ひとり地元ビールで晩酌。
ポーボーイPo'Boyというルイジアナのサンドイッチです。揚げたエビが入ってる。またエビ。
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前来たときも思ったけど、ルイジアナ近いせいかそっちのお料理多いですね。
真夜中に帰って、東京とやりとりして2時に寝て3時に一度起こされてまた寝ました。

* * *

日曜はプエルトリカンを連れて、Loudoun郡のLocal Provisionsっていうレストランにお昼を食べに行きました。
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街中じゃないのですごく店内が広々していて、店員さんも愛想よし。この時点でかなりよい。
料理はいろいろとって2人で分けました。
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左上はラザニアスープ。あとはエッグサンドイッチ、チキンサンドイッチ。どれもうまかったけど、前菜に頼んだタコのグリルがスマッシュヒットでした。あとシナモンロールを最後に味見、とかいって追加注文したらめっちゃでかいのが出てきて2人でも食い切れず、テイクアウト。

プエルトリカンを送って自宅に戻るまでになんかすごく眠くなってしまい、頭痛もしてきたので、バファリン飲んで17時~20時に昼寝。で、今。あまり回復した感じがしない。早寝に戻しましょう。

* * *

◆山田参助『あれよ星屑(1~7巻)』KADOKAWA、2014~2018年

Kindleで1冊99円になっててまとめ買い。山田参助の漫画買うのは15年ぶりくらいか。
むちゃくちゃよかった。

2024年03月18日

花見24

最後の花見は原点回帰でタイダルベースンかな、と思っていましたが、どっかのサイトで紹介されていたダンバートン・オークスのお庭、ちょうどこの週末に今年の公開が始まった。
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おお、いいじゃん。
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どれが桜でどれがそうじゃないかがわからん。
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温室もある。
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起伏が大きいですがベンチいっぱい。
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時間制のチケットなので混みすぎてなくていいです。
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満足して帰りました。
夜まで仕事。

日曜は運動したり買い物したりして過ごしました。

* * *

月曜はちょっとイベント見に行って、夕方は19時過ぎに退勤。
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結構明るいな、と思ったけど夏時間で下駄履いてるから実質18時か。

金曜夜に地下鉄駅のエレベーターでひっくりこけた時にしこたま打った左の手のひら、今頃すごい青たんになった。尻はいま見たが何事もなかった。

2024年03月15日

さんがつ前半

あ、3月初めてか。

・今月はバス通勤試行。「NOT IN SERVICE」の表示のまま始発停留所から走り去る運行中のバス、停車リクエスト(窓の上に這わせてあるひもを引っ張る)を無視するバス、明らかに平均所得の低い客層、日本語の本を読んでたら日本人の奥さんがいる海軍の人に話しかけられるなど、まあいろいろありましたが楽しく通勤してます。地下鉄よりだいぶ時間がかかるので読書にはいいです

・夏時間移行。突然19時まで明るい世界になった

・職場ではわりと大きなイベントが5日と7日に立て続けにあったが早々に退散。それが本務の人たちはだいぶ疲れていた

・仕事先とランチ、前から一度行きたかったIron Gateというお店。
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中はうるさくて雰囲気もよし。暖かくなったら外もよさそう。

・朝4時起きと、朝7時起きでそのまま仕事になる日が2日あった。しかも寝付きが悪かったせいで疲れた。4時起きは翌日まで引きずってバファリン飲んだ

・木蓮。14日は26度までいった。
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・ウィラードホテルのCafe du Parcで帰任者のさよならランチ。
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意外とみんな帰ってしまう今年であるらしい

・金曜は1日遅れのホワイトデーということでBlue Duck Tavern。キッチンの見える席
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鴨うまかった。メインと数皿のサイドを頼んだらおなかいっぱい。結構高かった。
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けど、これは1人では来ないし、連れに払わせるのもあれなので、こういうプレゼントの形がよいのだ。
ちなみにホワイトデーがアメリカ人に通じてなくて話がかみ合わず、初めてホワイトデーが日本発祥・東アジア限定なことを知りました。「バレンタインは当日にチョコを交換するもの」とのこと。「でもホワイトデーっていいね」

雨。帰りに駅のエスカレーターでコケて週末になだれ込むのだ。

* * *

◆朱喜哲『NHK 100分de名著 2024年2月』NHK出版、2024年。
こういう奥付になってんだけど、ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』を読むシリーズです。ローティは卒論の中核だった。

2024年02月29日

貴金属と踊り

2月後半、にわかにアウトプットが増えて結構忙しかったです。
週末は友達とフロリダから来た友達の友達に頼まれて、ベセスダのMejuriというジュエリー店まで運転。
2015年設立の比較的新しいメーカーのようです。弊管理人は全然こういうところに縁がないのですごい面白い。客は大半が白人、金持ってそうなアジア人がちょっと。20-30代かなあ。すっきり軽い感じのデザイン。買い物を横で見たところでは、指輪2個とピアスで500ドルくらい?そんなに高くないのかな。客層によく合ってると推察しました。
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ネックレスとかピアスは全然興味ないけど、店内に置いてあった冊子にコンセプトがいっぱい書いてあり、サステナブルだのサプライチェーンを通じたガバナンスだの書いてあって興味深かった。なんか知らない人からみると汚そうな業界だし、こういうことがアピールポイントになるのだな。

そんで夜はノースイーストというわりと犯罪の多い地域にある、同じ人間関係の中の人の家にちょっとお邪魔して喋ったり飲んだりしてから、イースタンマーケットで催されたダンスのイベントに行きました。参加費はなく、運営のNPOに10ドル寄付。
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「ラインダンスの会」だそう。何それ?たぶんこれ。
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軽くですが踊り方も教えてもらえて楽しかったです。
夜のイースタンマーケットは初めて。
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バーに流れる人たちを車で送って帰りました。未明2時くらいにお礼のメッセージがきてた。相当飲んだな。

* * *

過日、かなりヒップな夜の街・アダムズモーガンのHimalayan Heritage Restaurantで3月末をもって帰国する人の送別会。うちのボスと3人ですが。
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水牛のモモ(餃子)とかカリフラワーのフライとか、いちいちおいしかった。マッコリみたいな味のする米のビールが結構効きました。また東京で。

翌日は中学の同級生が北米視察の最終目的地としてDCに漂着。牡蠣を食ってワイン飲んだのですが、上記ヒマラヤ料理の何かが前夜ものすごい覚醒効果を発揮して3時半まで眠れず、寝不足のまま仕事して飲んだためよく寝られました。
中学の人たちのその後をいろいろ情報交換。別のクラスでは病死してしまった人も出たそう。あの時は実はこうだったとか、誰が誰を好きだったとか。みんなその後は家業を継いだり中学の同級生と結婚したりで、ほんと延長線上で生きている。確かに小学校や高校、大学に比べてあの中学のことは極端に記憶が鮮明。エクストリームな環境だったのかもしれない。

* * *

ちょっとした山場みたいな行事に合わせてノースカロライナの現場に出張しようとしたら、当日は繁忙でいろいろ頼みたいからDCにいて、と言われてなしになりました。

この行事は職場の主流の人たちのもので、彼らがどういうアレンジをしているのか部外者の弊管理人からはよくわかりません。いつの間にか企画が乱立してるし、いつ何をやろうとしてるのか全然見えない。今回のことでちょっともういいやという感じになり、この行事への関与は最小限にして今年は自分の予定をいろいろ入れていこうと思いました。

2024年02月19日

プレジデンツデー

19日月曜は「大統領の日President's Day」で連邦の祝日です。ワシントンの誕生日に引っかけているらしいが誕生日は22日。某ジョーに「俺?俺?」と言わせたくないのか、「ワシントン誕生日」と呼んでる人が結構います。

3連休中日の日曜は夕方から連れ立って出掛ける日だと思っていたら、相手から朝に電話がかかってきて「夜がパーティーになって、ちょっとこぢんまりやる会らしい。(つまり君はパーティーには招かれないのでその代わりに)早めのランチにしない?」とのこと。ほんといつもプランBの必要な人だな。しかし、さすがにあちらも少しバツが悪そうだったのと、活動開始は早いほうがいいのでDCに行くことにしました。

夜の街・アダムス・モーガン地区の朝。
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予定変更に関してThanks for your flexibility.と言われました。これは使えそうなフレーズなので覚えておこう。あちらのお気に入りのダイナー、その名もThe Diner。そのまんま。
外は静かですが、中は混み混みでした。これは通された一番奥の席から。
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自分で作らないものが食べたい。つうことでエッグベネディクトを頼みます。
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夕方まで腹が減らなかった。本読んでたら夜になり、作り置きのキーマカレー食って仕事一つやってダラダラして寝ました。

* * *

祝日の月曜は一人遊びということが分かっていたので、起きてコーヒー飲んでから昼飯を求めて出掛けました。
わりと近所にある「チャーガ」。アラブ系、南アジア系のお店が並ぶ長屋の一角です。
笑顔ではないが明らかにできる感じのスキンヘッドのおにいさん(画像の奥、左のほう)に注文。
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パキスタンのタンドリーチキン?ことチャーガとビリヤニ、副菜としてサグ、飲み物がついて$12。安~
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そしてうま~。これは名店かもしれない。

天気がよくてそこそこ暖かいので、そのままラジオ聞きつつドライブ。
レストンという街のレイク・アン・プラザを見に行きました。
1960年代初頭にロバート・サイモンRobert E. Simonが手がけた人造湖のほとりの商店・住宅のコンプレックス。Mid-Century Modern Architecture Travel Guideという本の東海岸版に載っています。そもそもレストンRestonという地区名自体がサイモンの名前から取られている(たぶん頭文字のR.E.S.に、集落を表すtonがついた)というくらい人工的な街のようです。
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1階がレストランや小売、2階が住宅のよう。
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古めかしい感じ。こういう上から下まで窓っていう部屋は憧れる。
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先日、ハーマンミラーのオットマンつきの椅子を買って帰ろうかと画策しましたが、こういう家じゃないと似合わないわな。というか東京では多分スペースがない。
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水辺を散策しつつ少し歩くと、ヒッコリー・クラスターという集合住宅があります。
こちらも四角い長屋。Charles M. Goodman、1966年。
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別荘とか週末の家ではなくて、(人工的なものも含めて)自然の中に四角い常在空間を確保する暮らし方はいいな。
満足して帰りました。

* * *

このところ読んだ本。

◆岡本亮輔『創造論者vs.無神論者』講談社、2023年。
アメリカにいるとアメリカに関係した本をつい手に取ってしまいます。年末に新宿のブックファーストで出会って買いました。
この100年の科学と宗教の相克をストーリーとして見せてくれます。ドーキンスやフランシス・コリンズなど知ってる人の知らなかった側面も、もともと知らなかった人もいっぱい出てくる。とても読みやすく、かつ本から目を上げて周囲を見渡すと世の中を見るフィルターが1枚追加されているという、とてもいい本だったと思います。進化論はそうだろうなと分かるが、マルチバースも気に入らないというのは目から鱗だった。筆者は(多分)日本で生まれ育って日本で教えてる人なので、やはり創造論者を「変な人」とみている印象を受けた。でもこちらにいると、大事な部分に触れない限りはわりと良い人だったりする。それはどっち側も同じで。

◆多田将『核兵器入門』星海社、2023年。
ずっと前に見に行った渋谷のトークイベントでは枝葉の話に足を取られて時間配分に完全失敗しており、この人はライブはよしたほうがいいなと思ったものだった。しかし本になると変わらず鮮やかです。核兵器を支える物理>機構>戦略はつながっているので、一番基礎のところから説明してもらうと分かった感じになる。手頃な(ここ大事)類書がなかったがこれで向こう10年は大丈夫ではないか(何が

* * *

今月、定期を買わずに車通勤を増やしてみてますが、あかん。全然歩かなくなった。
来月からはちょっと工夫する。

2024年02月17日

ミュージアム

先週末は日記を書きませんでしたが、ちょっと出掛けてました。

銃規制に強力に反対でおなじみの全米ライフル協会がやってる「銃器博物館NRA National Firearms Museum」。わりに近所のフェアファックス郡にあるのは来た当初から知ってましたが、最初のうちは疫病対応で開いてなかったのと、そのうちなんとなく行く機会がなく2年余りたちました。
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NRAの本部の建物にあるのね。
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展示はとにかく拳銃やライフルがいっぱい、という感じなんだけど、それ以外だと

・銃器の歴史。火薬がいつからあったかは分からないとしつつ、846年のMarcus Graecusが書いたLiber Igniumに最初の記録を求める。火薬の爆発力で砲弾を飛ばす機構が持ち運びできるようになるのが1350年ごろのハンドキャノン。マッチロック(火縄銃)、ホイールロックときてスナップハンス、ドッグロック、ミケレット

・旧世界から新世界への持ち込み。最初の移住者が持ってきた荷物にも当然、銃があった。人や獣からの護身、狩猟(15世紀には既に散弾銃あり)。先住民への売却は禁止、しかし闇流通が増えたので法規制で限定的にされるようになった

・ボストンでの植民者と英国統治者の対立。マサチューセッツの民兵が「ミニットマン」。独立戦争の口火。憲法修正第2条「十分に統制された民兵は、自由な国家の安全にとって必要であり、人民が武器を保有し、携帯する権利を侵してはならない」ができる過程でどんな文言が提案されてきたか

・ゴールドラッシュでみんな拳銃を持って西へ。18-19世紀にはみんなライフル所有。ケンタッキーライフル、ミシシッピライフルなどご当地の名前がついたライフルも。新世界ではライフルがどんどん長くなっていったそうです。テキサス独立戦争1835-36年、そのあと米墨戦争はmanifest destinyとテキサス併合反対の抗争。45年にリオグランデの国境線が確定してテキサスは米国編入。まあそりゃテキサスは銃持つはずだ。南北戦争は銃器のイノベーションをもたらしたとか
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・そのあと映画、ハンティング、世界大戦(やっぱり日章旗はハーケンクロイツと並んじゃうよね→下の写真)、冷戦、ベトナム、子ども部屋に馴染むおもちゃの銃(結構リアル!)、警察、自警団Watch&Ward(ボストンやフィラデルフィア)
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とにかくアメリカ人の歴史と生活のすみずみまで銃が支えているんですよという展示。多分に傾斜はかかっているが、なるほどそういう説得の仕方をするんだなととても勉強になった。

一方、「モノとしての銃」を見せる側面も。
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「あ、刀狩りがなかった国の刀なのか」と妙に納得した。街に一つはガンショップがあって、装飾を施したずっしり重い銃をビロード敷きのケースから取り出すのって確かに男の子はうっとりしがちかもしれない。これ見た上だと、銃規制の話の中で「いやこれ文化なんですけど」と言われたら「そうね~」ってなる。

せっかくフェアファックスまで来たので、前に教えてもらったHangry Joe's Hot Chickenでサンドイッチを買いました。
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辛さが選べて、真ん中の「ノーマル」を選びましたが十分辛かったです。写真では分かりづらいですがすごいでかい(上に乗ってるのが普通の大きさのハンバーガーのバンズ)。そしてとてもおいしかった。で、翌朝腹痛になりました。

* * *

今週はというと、そこそこのアウトプットあり、そこそこのインプットありといったところ。あまり急がなくていい案件はあまり進みませんでした。つまり少しは進んだ。
インプットの一つで、DCのダウンタウンのちょっと北側にある「歴史的黒人大学(HBCU)」の一つ、ハワード大学に行きました。南北戦争が終わって奴隷解放になったあと、1867年に黒人の医師、教師、聖職者養成のために作られた大学です。今の副大統領の出身校でもある。
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仕事なのでここではこれだけ。そのうち形にしたい。

上記チキンサンドイッチの破壊力が月曜いっぱい続き、火曜日もなんとなくお腹が空かなかったり、ちょっとウォッチする案件があって寝るのが遅くなったり目が疲れたりして水曜に一瞬「風邪か?」という頭痛と怠さがきました。しかしよく寝たら治ったので疲れだったみたいです。

ベトナムの会社から来てる同業者に「ベトナム人にも受け入れられるDCのベトナム料理店ってどこ?」と聞いたら、ちょっと北のほうのViet Chopsticksというお店を教えてくれたので同僚と偵察に行きました。
バインセオとかバインミーとかいろいろそれっぽいものはあるが、お勧めを店員さんに聞いたら堅焼きそばだった。
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十分おいしかったです。

* * *

週前半は春のよう。郷里の伯母にLINEで「もう氷点下にはならなそうかな~」とメッセージを送ったら「そうはいっても三寒四温よ」と返ってきて、その言葉どおり金曜の夜から土曜の朝のどこかで雪が降ったようです。

DCのクリーガー美術館に行きました。日・月が休みなので、寝坊しがちな土曜日に行きそびれまくっていたところ。やっと普通の時間に起きる土曜日が訪れた。
絵を見たいというよりは建物なんですよね。フィリップ・ジョンソン設計、1963年築。
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金持ちのコレクター(デビッド・クリーガー)の私邸で絵のコレクションを見せびらかしてたところがそのまま美術館になったとのこと。うへえ。モネ、ゴッホ、ピカソ、カンディンスキーなど近現代の作品と、アフリカのお面など。
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DCの中でも高台にあるせいか、雪が残っていて散策するにもかなり寒かったです。
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しかし光線は確実に春。
買い物して家でキーマカレー作って昼飯にしました。

いろいろ行事だの自然現象だのあるたびに「来年はもういないしな」と思います。
とにかく東京を出た2020年1月からこっち、大阪、DCと環境が変わった上に全体的にせわしなかったせいか4年が嘘でしょ?っていうくらいあっという間、さらに自分の歳を忘れるくらい圧縮度が高いです。この分だと来年1月も瞬きしてるうちに来る気がする。

2024年02月04日

冬晴れドライブ

仕事したような、しないような、でもしたような、1週間。
2月は地下鉄の定期を買わないでみています。シフトの日は車通勤、そうじゃない日はなるべく在宅、に、してみようかと思いましたが、運動不足で死ぬ気がする。

金曜夜に日本人の集まりがありました。弊管理人より少し遅れて赴任した他社の人もいて、めちゃくちゃノリノリで喋っていたので、弊管理人はだいたい黙ってました。この人は来たころいろいろ日本と勝手が違うとか家のこととか?いろいろあって鬱っぽくなっていたのですが、経験を重ねて今や絶好調です。食ってるもののカス飛ばしながら喋るし、なんかすごく「俺できる感」を出すしでアレですが、元気なことはいいことです。10年前だったらdisったかもしれないけど、今は「うわ」くらいで済みます。

土曜、起きたら11:45。1回トイレに起きたのを差し引いても9時間くらい寝た。
よく晴れたのでドライブ。いつものようにバージニア北西部へ。今回はワーレントンWarrentonという街です。役所や裁判所があるところだというので結構でかい都市かな、と思ったら違った。
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いや、周辺の集落に比べたら大きいのかもしれないし、これ旧市街なので外側にもっとでかい街が広がっているのかもしれない。でもまあここはメインストリート(という名前の通り)に観光客向けっぽいカフェとか雑貨屋、ベーカリーなんかが並んでいるくらい。あと妙に教会が多い。雰囲気よさげなデリ屋さんでキッシュと蟹のスープを食べて、レモネードをテイクアウトして散歩して後にしました。

Mediterraneanという、ギリシアの旗が掲げてあるワイナリーに寄り道。
おねーさんが説明しながら7種類くらい次々とついでくれる飲み比べ$15ってのを頼んでみました。
白、赤、ポート。確かにボトルごとに全然表情が違って面白いしおいしい。「これ家に連れ帰って夜な夜な飲みたい~」というまでのものはなかった。
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バージニアはワイナリーがいっぱいあるわりに、ボトル買って持ち帰りたいというのは今までで1、2カ所ですかね。いや基本ピクニックに行くところっぽいので劇的にうまくなくていいのかもしれない。

韓国スーパーとドイツスーパーに寄って帰宅。
日曜はなんと一歩も家から出なかった。金曜に上着に油もの落としてシミになったので洗濯してみたが、取れなかった。残念。着るけど。

* * *

2月になり、本当に残り滞在が1年を切りました(といってまた自分で勝手に言ってるだけなんですけど、さすがに来年1月には帰るでしょ)。
去年9月くらいの「思い出作りモード」がいったん中止になって「4カ月延長なげーなー」と思っていたところ、4カ月はすぐだった。思い出作りモードが再起動したこの数日です。

2024年01月29日

おっきいくるま

1月中盤の寒さはどこへいったのか、というくらい暖かくて25度になってました。1月の最高記録だとか。人々は早速タンクトップ、短パンになっていたが1月ですよ。やはり夜はそこそこ冷えた。弊管理人はあまりいけてない週でした。

金曜、ナショナル響でチョ・ソンジンがソロのベト4と、ショスタコ5番をやるプログラムがあり、後者を聴きたいという同僚に応じてケネディセンターへ。
ソロイストのせいか売り切れ、ちょっと待ったら恐らく関係者席が開放されてボックス席が出た。しかしいつもの半額放出ではなく$120。同僚の押し切りで購入。たっか!でもまあ一度見ておきたかったのでいいか。アメリカ来て一番高いチケットだったかもしれん。

ベト4はだめでした。会場全体がダレており、全く印象にも残らず。ショパンコンクール勝った人、このところ全然面白くないと思うのだけどなんなのだろうか。
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しかし写真はいい角度で撮れたので上げておきます。ケネディセンターでは「演奏中の撮影はやめてね」というアナウンスがありますが、演奏してない時の注意は特にないので節度があればよいようです。かぶりつきの席に一眼女子がいた。ショスタコはよかったです。

いつものように土曜のワシントンポストに演奏会評が載りましたが、起きたこととトリビアしか書いてありませんでした。評価を避けるという評価だろうか。

* * *

土日はすごい寝た。弊管理人は乗ってる時は睡眠時間が6時間くらいまで短縮し、暗い気分のときは8-9時間寝るので、この週末は何か体が回復を図っていたのかも。

日曜、Monster Jamというおっきい車が跳んだり回ったりするやつを見に行きました。
もうすぐ本帰国する同僚カップルが「アメリカっぽいものを見ておきたい」と企画し、弊管理人もそれは見ておきたいと参加。一番高いところ(つまり安い席だと思う)で$45。そんな高いとは思わない。でも実はチケットは20何ドルで、手数料という謎のJunk Feeが相当割合を占めているのがちょっとな。
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MAGAみたいなオッサンが見に行くのかと思っていましたが、子連れ家族でした。考えてみればそりゃそうだ。ラティーノやや多め?

何をするのかと思ったら、8台でタイムアタックとか、2輪で立ったり、ぐるぐる回ったりするいくつかの種目をやって、観客に点をつけてもらって勝ちを決めるというゲーム。若いドライバーは元気がよくてスピード感のある走りやバック転で高得点をもらい、キャリアの長いおじさんは伸び悩んでいました。中継でも「オールドスクール」などと言われていた。昔はブンブン噴かしてぐるぐる回っていればよかったのかもしれないが、今はもっと派手なことをしないと受けないという悲哀を感じさせます。

このイベントで勝ったらなんなんだという気はしつつも、この国で脱炭素は無理だろうと思わせるでっかい車が逆立ちしたり転んだりし、MCがドライバーや観客「個人」にスポットを当て、得点競争で盛り上がり、ラティーノのドライバーが優勝して英語とスペイン語で喜びを語り、ポップコーンだのビールだのチキンウイングだのを持ち込んでのべつ飲み食いしながらワイワイやるというのは確かにアメリカっぽかったかもしれない。2回は行かないが。

国歌で始まり、MCが煽って、ミニ四駆みたいなののCMが入り、競技やって、マウンド均して、競技やって、中休みして、バイクが曲芸やって、オーロラビジョン?みたいのに観客映して、競技やって……と車が跳んでる時間は結構少ないながらに場をつなぐ工夫がされていました。しかし全体的に大音量で耳がおかしくなった。子どもはイヤーマフしてました。

* * *

耳がキンキンしたままバスに乗ってDCの友人宅へ。ターキーの挽き肉と玉ねぎ・インゲンの炒め物、あと12月に行った中華屋で買った冷凍小籠包を蒸して夕飯。「decent(あり合わせ)だけど」と謙遜してましたが、普段は多分こういうもの食べてるんだよね。十分だしおいしかったです。

あと、こういう調味料使うんだ~と見ていて興味深かった。料理酒はシェリーで、チリペーストはイタリア、醤油、オイスターソース、魚醤など。ニンニクはあらかじめ刻んだものの瓶詰め、生姜はパウダーで楽する。小籠包はどうやって蒸すのだろうと思ったら、揚げ物をとる網に冷凍のやつを乗っけて、お湯を沸かしたエアフライヤーの中に置いていた。完璧。

* * *

友人からあまり文脈もなく、「会ってすぐ『どんな仕事してるの?』と聞くのってDC Questionだよね」と言われました。出身のフロリダではそんなことなかった、ワシントンというコネがものをいう社会特有の仕草なのではないかとのことでした。あ、そうなんだ。確かによく聞かれるけどアメリカ自体がそういうもんなんだと思ってた。

* * *

帰ったらちょっと仕事が発生しており、寝るのが遅くなった。まあよし。今週は2月?少し巻き直そう……

2024年01月23日

雪雪雪

1年ほど前の日記を見たら帰省の直前くらいにマイナス12度になったという記述があり、しかし雪はどうも降らなかったようで、「2年ぶりの雪だ~」とみんなが言ってるのは正しいようです。そうそうおととしの暮れはモントリオールに行ってたから雪の印象があったんだな。

というわけでDCは1週間ほどの間に2回降雪があり、道路は塩まきまくりでした。
1回目の後、レストランウィークという「均一料金お試しメニューで普段行かないレストランに行ってみよう企画」があり、それをとらえてSushi Taroというお店で弊管理人+アメリカ人3人で夕飯を食べました。前に他社の人たちがテイクアウトで60ドル(9000円とあえて円換算)したとか言っていて、どないやねんと思っていたところです。同僚によると疫病前まではそこまで高級店という位置付けではなかったようなんですが。
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Sakeはアメリカ人にも知られているが、米焼酎のお湯割りを頼んだらしげしげ見られました。Hotだから気をつけてといって一口お裾分けしようとしたら「それはspicy hotかtemperature hotか」と聞かれました。そこはネイティブでもそういう明確化をしないと分からないのな。
寿司の味はよく分からないが、ちゃんとおいしかったと思います。「ただし日本には西友という素晴らしいスーパーマーケットがあり、そこで一番高い2000円のやつくらいおいしい」と言いかけましたがやめました。

帰り、むっちゃ寒かった。帰ってる途中から喉が痛くなってきたので「やばい、風邪か」と思いましたが、結局喉が痛いだけで熱は出ず。しかし喉は1週間以上たっても痛いです。何これ。

* * *

木曜、DCのケネディセンターでギル・シャハムがドボルザークのバイオリン協奏曲をやるというのでクラシック大好き同僚と見に行ってきました。19時開演なので、3メートル背後にいるのに17時に「今日行けますか」「OK」みたいな秘密のメッセージをやりとりして職場脱出。

ギル・シャハムはナマで聞くの初めて。結論からいうとすっごいよかった。最初の音で弊管理人と前の席のじいさんが同時にぶわーっとのけぞった。ちょっと形容しがたいが、すごい腰の強い音というか。

カップリングのシューベルト「ザ・グレート」は選曲ミスと思われる。シューベルトの交響曲は長すぎるよ。この人はとめどないおしゃべりみたいな曲が味なので、歌かピアノがいい。

そんで2人で中華街まで戻ってビール飲んで夕飯食って上機嫌で帰りましたとさ。くっそ寒かった。

* * *

2回目の雪のほうがこんこん降りました。
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しかしシフトなので地下鉄出勤。すいててよかったです。大半の同僚は天気が悪いからという理由で来ませんでした。
金曜夜はDCから北に行ったベセスダというところで日本人の寄り合いがあり、雪の中出掛けていきました。とても勉強になった。行ってよかったです。

土曜は1月末恒例の確定申告をやって、日曜は久しぶりにマナサスのヨークシャーレストランに朝飯を食いに行きました。前回は1人でしたが、今回はプエルトリカンと。
DCの街中とはだいぶ違ってちょっと田舎のあまりスタイリッシュじゃないが、汚いわけでもない人たちをヲチ。プエルトリカンは「知らない街に行くと、この人たちは何して暮らしてるのかなってよく考える」と言った。わっかる。
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前回に引き続きハムうまかった。強そうなおばちゃんがちょいちょい目配りしてはコーヒーをどぼどぼついでくれるので3杯飲んでしまいました。こういうサービスすき。
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プエルトリカンはソーセージグレービーとビスケットがお好みでなかったようです。弊管理人はそもそもそのほぼ全部が小麦粉でできた食べ物が好みでないので良し悪しは分かりません。
そのあとリースバーグでアウトレット冷やかして帰りました。

* * *

部屋の暖房を入れるという技を手に入れて(なぜ3シーズン目で……)室内では寒さをものともせず快適に過ごしていたのですが、湿度がえらい下がる。20%も切ろうというくらいの乾き方で、水まきしてるくらいの勢いで加湿器回してもだめだった。

今週はこれから暖かくなるようです。でも雨らしい。

2024年01月15日

レザーの週末

月曜がキング牧師記念日の祝日で3連休の週末Long Weekendです。なにやら実は毎年恒例らしいMid Atlantic Leather Weekendという行事があり、誘っていただきました。
DCのホテルを拠点にコスチューム系の展示やコンテストなどいろんなイベントが開催されるようですが、土曜は声かけはあったもののシフトだったため出られず。日曜にクラブにいってきました。

すっごい寒波がきていて、気候がマイルドと言われるDCでも昼前に雪が降りました。寒波が直撃している中西部に出張してる同僚にメッセージしたら「寒すぎて外は5分が限界」と返ってきました。

友人の友人宅に10数人集まって、そのうち2人の誕生会を兼ねたプレパーティー。
みんな30代だと思いますけど、大人になっても誕生会やるのな。そして誕生日の人たちが準備するのな。
中心部の少し北側、若干サブカル&ヒップな感じの地域です。たぶん100年ものみたいな建物のアパートにお邪魔しました。
台所から居間。
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振り返ると窓。いー感じの眺め。
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レザー、kinky、その他黒いものがドレスコードだというので、kinkyはどこまでやればいいのだろうかなど悩みつつ、いろいろ買って着込んでいきましたが、行ってみればそこそこ緩くてほっとするなど。

場所を移動して同じくDCのクラブです。週末の夜に通りかかると人がわさわさいるあたりだった。
IDチェックとボディチェックを受けて入ります。入場15ドルは日本より安いかも。
ガラス屋根の上階が会場。夏は天井が全開になると思われた。16時なので明るいうちから始まって、だんだん日が暮れてきます。
乗り方は一緒、というか日本へは輸入+拡散か。物色したりちちくりあったりとかも。あと日本にないところでは某草のタバコとかポッパー(popper、和名ラッシュ)が回ってきていたりした。
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DJブース、お立ち台。弊管理人の背後も少し段があって、頭一つ二つ上から見渡せるようになっています。会場はアジア人少なめで、弊管理人を除くと見かけたのは1-2人。DCの構成比(4%)からしても少ない。
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めちゃくちゃでかくて暗くてもくもくしてレーザー光が飛び交ってるような場所はまた別でしょうが、街中にあるこのクラブは適度な広さで淫猥な感じもなく、普通の人が回して普通の人が来ている感じ。まあDCだしな。

あと、大勢が全力で喋ってるとか、音楽がドンツクいってる場所で英語で話すのはまだまだきつい。特に聞き取るのがつらい。静かなところでサシで話していると9割くらいはスムーズにやりとりできるのが、周りが騒々しいと5-6割りに落ちます。なんとなく会話の輪に入っていても、いざ聞くぞと思って聞いてないと全然頭に入ってこない。

といってるうちに、誕生会の準備で朝から駆け回っていた誕生者(?)が「疲れた。帰りたい」とギブアップしたので、18時と極めてよい子ちゃんな時間に退散しました。ピザ食って帰路に。ふくらはぎなど普段使わない筋肉が疲れた弊管理人も22:30就寝!

* * *

でMLKデーの月曜は6:30に起きました。牛乳が切れていたので着込んで近所のスーパーへ。当地はどこも営業時間が長くて、6-23時とか普通にやってるんですよね。まだ暗い道にうっすら雪が積もってました。ホームレスのおじさんが寒そう。
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時差ぼけは治ったようです。

2024年01月09日

時計依然乱調

体内時計がいまだに崩壊しています。ずれているというより崩壊。

12月半ばにドバイから帰ってきてから、3時に目が覚めて17時に強烈に眠くなる、というサイクルが続いていたのはとりあえず終わったようです。

そのかわり日曜→月曜は(仕事があったため仕方なく)3時に寝て6時半くらいに一度トイレに起きて、また寝て11時半に目覚め。

月曜→火曜はシフトが終わって1時半くらいに寝て3時半に目が覚め、そのまま眠れず寝床にいたら朝5時過ぎに父からLINE電話。7時過ぎの電話会議は途中退席してから気を失って、目覚ましで起きたら13時でした。
睡眠時間としてはまあそこそこ行っているし、落ちるほど眠くなることはない。けどなんなんだこれ。

早朝に父から電話がきたとき、「とうとう何かあったか」とめっちゃ身構えて出たら特に何もないようだった。LINEでタダで電話ができるということを妹から聞いて最近知ったらしいがそのせいか。電話は歓迎だけどびっくりさせないで~

13時に目覚ましをかけてあったのは13時半から仕事があったからで、それを処理していたら出社のタイミングを逸しました。夕方に出るタイミングはあったけど、冬の嵐Nor'easterがきていたのでやめました。今月は定期買わないほうがよかったかな。元とれないかも。

* * *

このところ食べていたもの。

過日、Bistro du Coinの鹿クリーム煮。
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肉ほろっほろで、付け合わせのバターライスと最高に合った。

これも過日、友人とMeokja Meokja(「モチャモチャ」みたいな発音。「いただきます」を2回言っているらしい。スペルがめちゃめちゃ覚えにくい)で韓国焼き肉。
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薄切りの焼き肉ってこういうところじゃないと食べられないです。うま。そして2人で行って1人30ドルちょい。やす。

これは今日。
先週買った挽き肉、そろそろ消費しないとやばそうなのでハンバーグにしました。あと同様にやばくなってきたマッシュルームを刻んで入れた。日本でびくドン食えなかったので食べたかったんだと思う。
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自分で作るの3年ぶりくらいじゃないかな。チーズも入れたった。成功。

* * *

◆次田瞬『意味がわかるAI入門』筑摩書房、2023年。

タイトルね、
・読んでいるうちに「意味(理解)とは何か」が分かるAI入門の本
・「意味が分かる(=意味理解できる)AI」に入門する本
・「AIというものの意味」が分かる入門の本
どれだ。全部か。

年末に新宿のBook1stでパラ見して買った本。東京―長野往復のバスと、東京―DCの飛行機でほぼ読み終わりました。文系の(ちゃんとした)人らしいしつこいサーベイ、定義、思考実験。「記号主義」と「コネクショニズム」の2軸で歴史を整理されると見通しがきいてすごくいい。AIが分かってるとか分かってないとかいう「言葉の意味」についても「真理条件意味論」と「意味の使用説(その一種である分布意味論)」という二つの見方を導入することで議論が大いに追いかけやすい。
チューリングテストってまだ通用するの?という疑問についても取り上げてあるのが嬉しい。
ついでに、新興技術にびっくりしてあーだこーだと未来予想をする人たちが大抵外すということも肝に銘じたい。
ちょっと類書のなさそうな面白い本。筆者も面白い/意地の悪い人なのではないか。なんで弊管理人の視界に入らなかったのだろう。やっぱ時々でも本屋に行かないとあかん。

2024年01月06日

里帰り2324(2)

◆12/29-31

久しぶりに父、妹と伊東へ。
長野県南部から諏訪を経由して、直行しようとすると大月から下っていくのが早いのですが、身延を通って静岡へ下っていく道ができていたのでそちらを通って日本平に寄りました。
途中で父と運転を代わり、久しぶりの右ハンドルでウィンカーを出そうとしてワイパーを動かすというお約束をやらかすなど。

某どうする征夷大将軍のあれ、久能山東照宮。
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コントラストのきつい写真はiPhoneが圧倒的だな。コンデジだと屋根の下が真っ黒になります。
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日本平にできた隈研吾の「夢テラス」はお休み中。わざわざ一等地を占領して展望施設を作って閉鎖。
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でもまあ富士山は見えました。これは由比のあたり。
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30日は箱根。大涌谷は今日も元気。
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ケーブルカーからも、杓子峠からも富士山がきれいに見えました。「雪が少ないねえ」と言っていたら翌日には天気が崩れてかなり雪を被ってました。
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熱海まで降りてきてMOA美術館。
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めちゃくちゃマッシブな美術館でよかった。建築も展示(撮影可!!)も。
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31日は沼津港の丸天で海鮮丼。
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「にし与」のアジフライを狙ってたんだけど、年内の営業を終了していて残念。
でも海鮮丼もおいしかったです。父も目標を達成したもよう。
そのあと御坂みちを通って帰ってきました。

◆1/1は母方の祖母宅へ

いつもながら伯母(81)の料理。
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今年はおでん!
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耳が遠くなったので補聴器を買ったそうです。正しい。
しかし旭川で仕事をする孫を訪ねて9月に娘と北海道に行ったらしい。まだ元気なようでよかった。祖母は103歳、もう弊管理人への反応はなくなり、車いすに乗ったままになっていましたが、しかし長寿すごいな。
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実家に戻ったとたんに緊急地震速報。

夜はすき焼き。ちょっとヘビーな食事が続きすぎて疲れた。

◆1/2は夜に東京

バスは夜発。そろそろ出るか~と思ったタイミングで羽田で飛行機が燃えていた。
この2日間思ったが、みんなSNSで論評しなくてもいいことを論評しすぎではなかろうか。

父のおにぎりを車内で食べた。
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◆1/3はまた東京体育館で運動して、新宿で買い物して、また飲みに行って久しぶりの人に会えた。よかった。
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観光スポットも食べ物も大抵は逃げていかないが、人は会えるときに会っておかないとなというのが今回思ったこと。

あと、富士そばでも食うかと思ったら軒並み営業してなかった。そういう時代か~

◆1/4は全日空で帰る

羽田で朝ラーメン。鶏塩うま。
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機内食はユナイテッドがひどかったのでだいぶおいしく感じました。

そんで帰ってきました。
・残り1年だっていろんなところで意識した
・弊管理人の皮膚には日本の湿度が必要
・日本は人の元気、街並み、サービスなどいろんな面でしょぼく感じたが、人のつながりを考えるとやっぱりこっちで生きるべきと思った次第
・1カ月くらい体内時計がおかしいの、いい加減なんとかならんか

* * *

1/5は出社しましたが、夕方寝落ちしました。

2024年01月05日

里帰り2324(1)

年末年始の帰省は1年前より1日早く期間は一緒の12/25-1/4でした。

◆12/25

前日夜に「うおお」って感じの仕事をさっさかやって、貧民の乗り物・DCメトロでダレス空港へ。通常6ドルくらいかかるところ(それでも安いが)土曜なので2ドル。
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行きはユナイテッド航空で13時発。機内食が信じられないくらいまずい。14時間長い。
アメリカではサプリとして普通に売ってるメラトニンを飲んで眠ろうとしましたが、起きたときにぼんやりしたのであまり合わなかったかもしれない。

ほぼ1年ぶりの東京。夕方のせいか道が混んでて羽田から新宿までバスで1時間以上かかりました。
お届け物のために会社に寄って出身部の人たちとちょっと喋り、会社の資材庫からボールペンなどをくすねて退散。

DCの同じ職場に8月までいた同僚にもお使い事案があり、赤坂で焼き鳥を食べました。
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娘さんがちょうど帰国子女枠での中学受験をしていて、親のわれわれ世代と全然違う事情に「すごい面白い」と言っていました。

渋谷学園は激むず(「英検は準1級が最低ライン」!!)につきパス、その次で広尾学園と三田国際を受けたとのこと。三田国際は新興でこれから偏差値が上がっていくかなという位置付け。授業は英語。学校見学に行ったら楽しそうでよかった。留学できるが年700万笑。いずれも弊管理人は聞いたことない学校です。海外大学への進学も今は普通に選択肢になるそうです。へー。

戦術はいろいろあれど、あまり思い詰めずにやってるようでよかったよかった。お父さんはおっとり、お母さんも田舎の出身なのでそうなるんですかね。娘ちゃんもガツガツしない頭いい子との印象なので、無理せずうまくいきそうな気がします。

新宿のヴィアイン(JR西日本系)投宿。ここに限らず前年と比べても新宿のホテル料金は5割増し。そして室内清掃は希望があればやりますということでサービスは簡素化。加湿機能付きの空気清浄機が入ってたのは疫病の恩恵か?

弊管理人の大阪転勤と疫病挟んで4年ぶりの馴染みのお店に行きました。
札幌からちょうど来ていたおねえさまに邂逅。こちらは4年ぶりどころではない気がするがいつ以来でしょう。
この1年、同年代から少し上の人たちで物故者が相次ぎ、交友関係の広い人たちについてはSNSで知ってましたが、マスターからは弊管理人が把握していなかった、同い年で昔よく遊んだ友達が疫病で亡くなったことを聞かされ、地味に衝撃でした。

◆12/26、やはり早朝覚醒。
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朝飯にと入った近くの松屋は、番号ついて配膳口に取りに行く形式になっていた。キャッシュレスと人減らし(および一定の作業合理化)が進んでいる印象。メシはぐっちゃりしていてまずかった。

千駄ヶ谷の東京体育館に行ってちょっと運動しました。これは国立競技場。
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あと1年すると本帰国だと思うと特に今回頑張って行きたいところも食べたいものもなく、飛行機で座りっぱなしだったので運動して、ユニクロで下着買って、ニトリで台所用品買って、東急ハンズでちょっといい折りたたみ傘買って、宿のバスタブで入浴剤入れてお湯に浸かり、割れかけた銀行のカードの再発行手続き。

新宿行ったらびっくりドンキーでハンバーグ食うぞと息巻いていたのですが、お店がなくなってました。街の変化は2020年から2022年の暮れまでよりも、2023年のほうが大きくないですか?ポスト疫病に入って、それまで補助金をもらうために形ばかり続けてきたお店をたたみ始めたとか、建設がまたできるようになったとか、そんなのかもしれない。

新宿だからかもしれないが、なんか街も人も小汚いと思った。
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街に関しては建物の外側に装飾が少なくてプレハブみたいなせい。人に関してはたぶん、髪や髭を整えてない/肌をケアしてない/服が安っぽい、あたりが要因。まあ人のこと言えないんですが。

それから、こんなに人少なかったっけとも思った。歩きやすい道をあまり意識せずに選んでいたせいか、リモート化のせいか、なんだろう。子どもの頃に住んでいた家のあたりを後年歩いたときのように、記憶の中の新宿よりこぢんまりしていた。

接客全般、すごくローキーな印象を受けました。特に若い世代の店員さん。やることはやりますが、過剰に頑張るつもりはありません。イレギュラーなこと言わないでください。込み入った質問は攻撃開始と受け取ります。そんな感じで、それでもまあいいとは思うが、質が高いかというとそうは思わないな。

そんでまた夜は馴染みの飲み屋さんに行きました。また4年ぶりに会う人たちがちらほら。
と同時に、新しいお客さんも何人か。マスターと固定客が一緒に歳を取っていくのではなく、ある程度の新陳代謝があるのはいいな。

老けた人、変わらない人、太った人、いろいろ。4年前、「このまま恋人ができないまま終わるのかも」と悲観していた友達は、ずっと付き合いたかった年下とつがいになっていた。そして尽くすタイプとみた。

◆12/27

飲み屋で会う確率の低い友達に声かけて餃子でランチ。のちコーヒー飲みながらおしゃべり。
長いこと不倫状態だった人だが、同じ相手をそのままゲットしたとのこと。

この人は翻訳家で、同業の共通の友達はフリーから会社員になって事業展開の関係でベトナムと日本を往復する生活に入ったと教えてくれました。なんか2023年はいろんな人にいろんなことがあったのだな。

今回の新宿滞在では「来年(2025年)には帰ってくるからまた遊んでね」という話を随分しましたが、あまり言い過ぎると死亡フラグみたいでいかん。。。

バスタから夕方発で郷里へ向かいます。
車内で広げた夕飯はこれ。これはアメリカにはない。
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4時間の行程ですが、大半寝ていたらあっという間に着きました。体内時計が12月初めのドバイから迷子になりっぱなし。

◆12/28

田舎でダラダラ。父と駒ヶ根市の「しもん」で鶏南蛮定食。21年開店で人気があるようで、11:30過ぎにいったん満席になった。
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スーパーでフリーズドライの味噌汁などアメリカに持っていきたい食材を仕入れて帰りました。といってもアメリカでどうしても見つけられないもの、自分で作ってでも食べたいものというのはもはやあまりなく、意外と意識が「まあどうせあと1年の我慢だしな」というモードに入っていることを感じさせられました。ふりかけとか、小口の味の素とか、そんなこまごましたものばかり。

夕刻に妹が合流。父も妹もまあまだ大丈夫そうではあった。
妹は統合失調症で障害者手帳を取ったと言ってましたが、何か寄りかかるカテゴリーが欲しくて病名をゲットしただけで、本当は違うんじゃないかなという印象です。

つづく。

* * *

◆真木悠介『うつくしい道をしずかに歩く』河出書房新社、2023年。
機内で読了。

2023年12月22日

仕事納め

誰が決めるわけでもないので、自主的に仕事納めしました。
今週は来るメール来るメール、今年の振り返りなんですよね。もう世の中はまとめモード。

ホワイトハウスの某ジョーからクリスマスカードが届いた。
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去年は来てなかったのになぜ?と思いながら裏返したら、民主党の助成で出してますと書かれている。そうか、来年選挙イヤーだからだな。

ドバイから帰ってきてこっち、一向に体内時計が合わず、午前3時に起きては午後7時に強烈な眠気が来る、という状態のままでした。DC時間に合わせて生活しようとすると夕方以降が使い物にならないので、もう午前4時始動にして体が動かなくなってくる前にできるだけのことをするようにしていました。

といっているうちに24日から帰省するので、またタイムゾーンを飛び越えます。
当地では不眠用サプリとして売っているメラトニンを試してみることにしました。起きて16時間すると出てくる「寝ろよ」っていうホルモンです。機内で眠れるかな?

写真は20日、在宅仕事で全く歩かないのもよくないので、Clarendonという2駅先の街まで30分くらい歩いていってホールフーズ(右側の建物)でおかずと甘い物を買ったときの写真です。夕焼けがきれいでした。午後4時50分。冬至も過ぎてこれから春に向かうであろう。
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今日は会食の相手が発熱して予定がなくなったため、行こう行こうと思って行けていなかった洗車にとうとう行って、そのあと車体の傷の修繕や洗濯をしていました。あと、アパートの更新手続きもホリデー前に滑り込みで完遂。2025年1月までです。たぶんこの満了とともに日本に帰ることになると思う。

* * *

少し早いが今年のまとめ。

1月 スロースタートだったらしい。特段の記憶なし
2月 同僚とご飯屋開拓したり、ワイナリーでホットワイン飲んだりしていた
3月 咳がつらかった。あれはコロナの後遺症だったのかもしれない
4月 テキサスとコロラドにかなり強行軍の出張。実りには乏しいが気分は変わった
5月 健康診断でNY行ったり、KY出身Z世代ちゃんととっくり話し込んで面白かった
6月 ボストンで勉強、うっかりすごい日焼け、あとプエルトリコ君と友達に
7月 急にアメリカ人に遊んでもらうようになった。川遊びとキャンプ超楽しかった
8月 フロリダで久しぶりに宇宙の仕事、シカゴで建築巡りの夏休み
9月 ユタの砂漠で仕事。プール遊びにお呼ばれ。NYでの仕事は結構充実した
10月 フィラデルフィアに車で出張。新居お呼ばれで地元民の素敵生活を垣間見る
11月 なんかうまいものいっぱい食ってた。中華街でアメリカ人おしゃべりの会
12月 ドバイ!とその準備以外は何もしなかった。生活リズム乱れまくり

感想。

・今年は5月くらいから急に楽しくなりましたね
・アメリカ人サークルの中に入ったことにより、日本語のような感覚で英語を話すようになった(上手くはなってない。気持ち的な障壁の問題)
・運動するようになって体重が結構戻った気がする
・仕事は結構な負荷がかかるやつもストレスを感じずにやるようになって、何をやったかはよく覚えてないがアウトプットは結構豊かだった印象。自分の裁量でやれるものが多かったせいかもしれない
・しかし任期延長は複雑な気持ち。まあばたばた暮らしてるうちに時間は経ってしまうのだろうとは思うが、今の予定だと東京を離れて戻るまで、大阪とDCを合わせて5年いなくなる計算。5年て結構だよね。アメリカの生活が嫌ということはもう(ほぼ)なくなったけど、家族親族も老いるしな。数日後に東京で食べたいものをピックアップしていたけど、自分の持ってる情報がすっかり古くなり、なんだか懐かしい飲食店リストができてしまった
・来年は一つの巨大テーマに現職場を挙げてフルコミットする年。弊管理人は周縁にいるのでそんなに貢献するつもりもないが、仕事というのは中途半端に関わるのが最も難しいのだ

2023年12月16日

わたしはドバイにいる

仕事でアラブ首長国連邦はドバイにいってきました。
DCからエミレーツ航空の直行便があるのはいいのだけど、行き12時間(スペイン~よくわかんないごちゃごちゃしたあたりを通っていく)、帰り14時間(ロシア~スカンジナビア~グリーンランド経由)でむちゃくちゃ長かった。
エミレーツは「航空機内で集まらないこと」という注意があったが、謀議を気にしているのだろうか。ううむ。

どこだっけ。場所もふんわりとしか分からないけどイランの向かいでした。時差はDCから9時間先、そこから日本はさらに5時間先。飛行機は朝8時に着きますが、体内時計は17時。投宿したら疲れもあって覿面に眠くなりました。先に現地に入っていた若手ちゃん(そんな若くない)と合流、ちょっとだけ夕飯を食べて気絶。

今回は結構いいホテルで朝食付きなので、このロングラン会議の常で朝に一日の栄養の80%を摂取する戦略。6時半の朝食会場オープンとともに入って7時半発の会場行きシャトルバスに乗って、セキュリティチェックが混んでないうちにするっと入る、という生活でした。

幹線道路はこんな。
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それっぽいビル街。
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と、それを支える人たち。
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人口1000万人弱。南アジアからきてる外国人が7割近く、国籍持ってるのは1割。どこの国とも付かず離れずな外交。大統領(国家元首、アブダビ首長)は互選。選挙はないそうです。おおそういう国もあるのか。
メトロ(ゆりかもめみたいな自動運転のモノレール)が基幹部分を走っていて、空港、ホテル、会場を行き来できてすごい便利でした。公用語はアラビア語ですが、ホテルのお掃除の人を除いて大抵は英語が通じました。メトロで聞き耳を立てていると、アラブやアフリカっぽい顔立ちの人でもよく聞くと英語で話したりしています。

駅とかで写真撮ると怒られるっぽいのでやめておきましたが、入国審査から駅の警察までオイコラ的な感じはなく、注意するときも小声で「ちょっと君……」という感じ。乗ってる人たちも穏やか。電車で席が空くとさささと座るのが面白いくらいで、おにいさんたちは女の子に席を譲り、騒ぐ客はおらず、区間と時間によっては日本のマイルドなラッシュくらい混みますが整然と乗り降りしていて感心する。

会場は2020年万博(疫病で1年延期されたやつな)の会場で、面白い建物が多かったので普段の禁欲を破って少しだけ写真。
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オバQさんたちがそこかしこに。ちなみにこれは誰でも着てよく、しかも着ないのも自由だそうです。和服趣味みたいなもんだろうか。
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この会議と関連会合に行く仕事は2016年から5回目ですが、過去イチ施設がよかった。仮設の建物があまり多くなく、造りがしっかりしていて、なによりトイレがきれい。
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メシはいつも通りひどくて高かったが、これまでと違ってビリヤニやカレーがあったので泣かずに済んだ。あとは努めて普通の時間に帰るようにして、宿の近くで中華食べたりしてました。
これはチャイ、4.5ディルハム(たぶん200円くらい)。物価はアメリカよりちょっと安く、日本ととんとんかちょっと高めくらい。こういう国の常で、地元の人が買うものは極めて安い。
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そうそう、もう何でもカードで買える世界で、現金は割り勘でもらった分以外は使う機会がありませんでした。なぜかAMEXはどこでも使えなかった。手数料が高くて嫌われているんだろうか。

結局、会期はお約束で1日延長し、最終日はメインの仕事をやる東京からの若手ちゃん(そんなに若くもない)とナイロビから応援に来てくれている同僚には体力温存のため宿に帰ってもらい、弊管理人が会場に泊まりました。ほぼ徹夜で翌朝以降の準備をし、東京でもおにいさんがその整形などちょいちょい作業をしているうちに朝。そこからはトントン拍子で事が進み、16時過ぎに体力が限界に達したので帰りました。

若手ちゃん(そんな若くない)はこの手の仕事をあまりやったことがないとかで、もうちょい芸の幅を広げないと的に悩んでましたが、まあそうではあっても慣れの問題なので、時間はかかるの当然だし時間がたてばできるようになると思う。

一方のおじ(弊管理人)は今回わりとほいほい仕事をしたものの、4回目になると流れがだいたい分かってしまうせいでアウトプットが若干定型的に(≒つまらなく)なった気配はある。まあしかし世の中にインパクトを与える仕事でもなく、労力を浪費するかわりに他人のカネで海外旅行してるだけだと思えば、これはこれでいいか。

結局、体内時計はUAE時間に合うことはなく、午前3時に目が覚めて夕方強烈に眠くなるという、太平洋のどこかを迷子になってる感じのまま会議は終了。

2日間までは延長しても大丈夫な日程で帰りの飛行機をとってあったので、1日空きました。
ドバイの歴史保存地区みたいなところに行ってみましょう。
ここは完全に観光客に見せる用の地区だと思う。
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さすがに客引きがいるんだけど、「おにーさん見てかない?」「ニイハオ~」くらいで、マラケシュのベルベル人とかシャルムエルシェイクのぼったくりエジプト人みたいなガッツガツした感じはなし。出稼ぎ労働者は過酷なんだろうけど、地元人は優遇されるのでおっとり生きていけるのかもしれない。強権国家は安全というセオリーはここでも健在。
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開発の原点、ドバイクリーク。感覚としては浅草。
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服は基本、白か黒。あと水色の人がちょっといるくらいで色が地味です。女性はおしゃれできるのが足くらいなので靴屋が多いとかなんとか。
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3階の高さだとこう。近代的なビルも含め、全体的に耐震性が心配な建築が多い。
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保存地区じゃない街にも迷い込んでみます。
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たぶん完全に日常の中に入っているわけではないですが、上野くらいのとこ?
イギリスが旧宗主国なのもあるのか、普通の食堂の人くらいまで含めて英語は話せる人多いし、英語の看板も多いので、ほとんどコミュニケーションに困ることはありません。
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会議場のビリヤニ35ディルハム(1400円くらい?)、それでもホテルで食べるより安くてまあいいか、と思ってのですが、この地区のインド料理屋が「本日のスペシャル」としていた卵キーマカレーは7ディルハムって書いてあった。300円弱か。見間違いかな?でも地元民が食べるメシってそんなもんかもしれない。
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はい、なんか一応街を見た気がするので帰ります。

15時発で、首都アブダビのシェイク・ザイード・グランド・モスクに行ってくるだけのツアーを申し込んであったので、若手ちゃん(それほど若くない)と一緒にホテルでピックアップしてもらって出発。アブダビまでは車すっ飛ばして1時間半くらいです。
入口からしてでっかー。2007年築。
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新しくて白亜なせいだと思うんだけど、そこはかとなく漂うカルト感。
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花の細工はイタリア製さ!だそうです。
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青がきれい。ベドウィンの時代にできなかった贅沢をやり尽くしたいのかしら。戦後まだ貧しかった時代に育ったため、すき焼きに情熱を傾ける弊父っぽくもある。
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青色LEDをふんだんに使用しております。
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だんだん日が暮れてくる。
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遠近法なあ。
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シャンデリアその1。
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その2。「スワロフスキーで重さ8トンです」と。ムハンマドが重んじた質素はどこへ。
ちなみに天から幸福が降りてきているところを表現しているとか。量子コンピュータっぽい。
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世界一大きいという絨毯もすげー高そう……
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スワロフスキー8トンが三つ並んでた……
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お祈りはこぢんまりした部屋でやってました。
えっスワロフスキーのホールは何のためなのだ。
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金あんなー。ちなみに経済のドバイ、政治のアブダビではありますが、アブダビは石油マネーで潤っていて(ドバイはもう石油は生産してない)連邦予算の大半をアブダビが出し、国土の大半もアブダビだそうです。
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日もとっぷり暮れました。
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仲見世みたいなデパ地下みたいな商店街も併設です。ナツメを売ってるおにいさん方。
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堪能した。

宿に戻ってシャワー浴びて、23時前にチェックアウトして2:25発の飛行機で帰りました。
DC着は8時過ぎです。めっちゃくちゃ眠くて、同僚に誘っていただいた昼飯に行って帰ってきて、15時半から1時間のつもりで結局20時まで寝てしまいました。まだ寝られそう。体内時計ガチャガチャですがもう1週間すると帰省なんだよね。大丈夫だろうか。

* * *

今年の大物の仕事はこれで一区切り、のはず。
ドバイいってる間にわりと近くで不祥事が起きていたり、札幌時代に弊管理人をless than humanからギリ人間くらいまで引き上げてくれた方が50そこそこで急死したりしてざわざわしましたが、しかし忙しかったのであまり咀嚼している時間がありませんでした。

帰りは読みさしの本を2冊読み終わりました。

◆玉手慎太郎『公衆衛生の倫理学』筑摩書房、2022年。

◆三牧聖子『Z世代のアメリカ』NHK出版、2023年。

2023年12月01日

感謝祭しわす協奏曲

11月のうちにもう1本日記を、と思っていたらなぜだかびゅびゅん日がたって12月に入ってしまいました。

11月23日、サンクスギビング。ですが、都市部に住んでる若い人たちは友達同士で集まって「フレンズギビング」をするそうです。2000年代終盤にできて、2010年代に普及した言葉らしい。
去年は駐在日本人のお宅に招いていただいて七面鳥をいただきましたが、今年はアメリカ人の友人の友人のおうちにお呼ばれしました。ありがたい。
居間は弊管理人が新宿に持っていた部屋と同じくらいの大きさだけど、植物いっぱいでカウチとテレビ、食卓。なんかオサレね。
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失礼して、こちら寝室および書斎。
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このあいだのハウスウォーミングもそうなんだけど、誰かの家を初めて訪ねるとおうちツアーしてくれるのな。ここで仕事してるよとか、こっち見てみる?とか。弊管理人は見せるものがないし見られて困るものも満載なので見せないし、まずカウチがないのでアメリカ人が来ないという。
メキシコ移民だそうですが、アジアンテイストのお料理を振る舞ってくれました。見たことないアレンジもありつつ、トンポーローは八角が効いてて本格派だった。「来世は台湾人だね」と言ったら「それ最高に褒めてくれてるでしょ」と意外に喜ばれた。
集まった5人でゲームして、テレビみて、22時前くらいにバイバイしました。

* * *

11月26日の日曜は同僚の家にお呼ばれ。ビール!肉!サーモン!
同僚はママで、結構年上の旦那さんも同じ会社の人ですが、旦那さんは休職しようと思ったら定年退職扱いになるなど若干の誤算がありつつお子さん3人とフル家族で渡米。英国SOAS留学経験のあるママは通常2年コースの部署から来ているものの、粘って3年いたいらしい。でも旦那さんは海外派遣される部の人ではないのでホームシックになったとかならないとか。
お子さんは中1と小1の双子。みんな賢そうだった。

* * *

11月30日、ケネディセンターにブロンフマンがきました。ブラームスのピアノ協奏曲2番。
弊管理人はジム行って運動して切り干し大根を煮てシャワーを浴びて洗濯しているうちに出社のタイミングを逃し、家から出動。同僚も用事をやりくりして観覧にこぎ着けた。
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当日券をボックスで買うと半額になり、ほぼかぶりつきみたいな席が46ドル。お得よね。
手は見えないがピアノの蓋の前の席で、蓋に反射したハンマーが見え、ホールの反射を経由せずにタッチで奏でた音がそのまま聞こえてくる感じ。ブロンフマン65歳、体悪いのかな、と思うくらいおじいちゃんになっていて、2004年にサントリーホールでラフ3をやったときの驀進するような演奏ではなかったけれども、ドーンと重い低音はまだ生きていた。しかし「生きていた」という形容になってしまうのは少し悲しい。まあブラームスの2番は演奏効果と比べると不当に難しいと思っているのでこれで十分。同僚は感激していました。

カップリングのチャイコフスキー4番はいつもながらナショナル響お上手。合奏もソロもよく、破綻させようと作ってあるかのような曲を危なげなく乗り切った。アメリカ人じゃないみたい(失礼)。

* * *

アウトプットがそんなにあるわけではないのにすっごい忙しい感じがする。

* * *

◆東浩紀『訂正可能性の哲学』ゲンロン、2023年。

2023年11月19日

再始動かも

先週はそこそこ多産な週だったとは思うけど、そこここに小さな不調が多発して気分としては沈滞していた。

・右頬の筋肉?右の小鼻の隣あたり?歯茎の上?あたり、頬を引っ張ると突っ張る感じがある。「痛い」というほどではない。普通にしていると何ということもないが気にはなる

・口唇ヘルペスが出た。木曜夜だったか、家に帰ったらそれこそ分の単位で右の下唇の端あたりに小さな水泡が2,3個できて、すかさず備蓄のアクチビアで制圧を図った。2020年2月に帯状疱疹をやってるんだけど、どっちだっけと思って日記を手繰ったらやっぱり右だった。寒くなったのと、寝不足がいけなかった。上記の微妙な違和感も右なので、関連ではないかと思うが分からない

・仕事先の人と近場のハミルトンで昼飯。ハンバーガー。
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去年いろいろ教えてもらって、今年それが結構役に立ったので、来年に向けてまたいろいろ教えてくださいとお願いして来てもらいました。ためになりました。

・土曜は7時半起きで仕事。昼前に一応終了

・クリフトンという車で30分くらいのそれほど遠くない小さな集落に行って、そのあと近くのワイナリーでワインでも買って帰ろうかと思ったら駐車場で車をこすった。
こちらの車には大した傷はつかなかったが、先方は停めてある車で乗ってる人は呑んでいるのか暫く待っても姿は見えず、どうしようと思って検索、そして保険会社に電話してみた。

「そういう時は自分の名前と電話番号を書いてフロントガラスにでも残しておけばよい。連絡があったら自分の保険の情報を伝えるべし」とのことで、ネットの情報とも符合うるので、そうして帰った。

このところちょっとヒヤリハットが続いており、右ハンドルをおっかなびっくり運転していた初期と違って慢心してきたのではと気になっていたところ。人身とかやらないうちに一回物損で嫌な思いをしたことで、また気を引き締めるきっかけになればとは思う。「無理をしない」が基本。
ついでに、先週の定期点検から返ってきた車が妙に汚れており、しかもタイヤの空気圧が抜けてないのに空気圧ランプが点灯する現象が起きた。なんこれ?

いつもながらストレスが覿面に眠気に来る体質で、帰りは運転しながらすごい睡魔に襲われてやばかった。帰ったらもう日が傾いている時間だったが1時間昼寝、そのあとまた30分くらい足して、運動して、夕飯を食べて、シャワーを浴びて、ごそごそしていたらまた就寝は2時を回ってしまった。沈んだ気分でおしまい

・日曜は起きる理由も起きたい動機も全くなく、11時起床。ちょっと仕事の資料を読んでから、昨日こすった車の修理をどうDIYしてやろうかyoutubeを見て予習、必要そうな物品をアマゾンで探してから、地下の駐車場で実況見分。印象ほど大怪我ではなく、1階のスーパーで買えそうなもの、そうでないものを調べて注文することにした

おやつは土曜にクリフトンで買ったカヌレ。
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思い出はあまりよくなかったけど、カヌレはおいしかったです。
結構しっかりしたバターの味だった。

晩秋の晴れた土日をこんなふうに暗い気持ちで浪費するのもどうかという気はするが、なんとなくこの辺が底な感じもする。来年中盤に帰るつもりでいたのが、2025年1月までいることになりそうで、親族が亡くなるお年頃でもあり、友達と会えない時間も延び、自分も古くなっていくことを考えると、半年ほどであっても当地でよくしてくれる人たちができても延長は本当に嫌。そういう気分でここ半月?くらい暮らしてました。今も相変わらず嫌だが、諦めないといけないのかもなという気持ちが5%くらい出てきました。それもあってそろそろ再始動。今日の日記はそういうわけでそういうタイトルになっています。

くよくよした日記だったので、最後はおいしい思い出で締めたい。
DCにあるビストロ・ドゥ・コワンのパテ。横の黒い鍋はムール貝です。
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気取らない赤ワインとすごくよく合いました。
今週は楽しい気分でいられますように。

2023年11月12日

運動不足の週

11月は10月に比べてたくさんのシフトが入っており、夜勤だと帰る時間に地下鉄がもうないか、あまり乗りたくない時間帯になるため車で通勤することが多くなります。外仕事もあまりなく、1日は在宅してしまったので今週は本当に歩きませんでした。アパートの中にあるジムには行き、座りっぱなしの悪影響を少し帳消ししてみたものの、覿面に体が悪くなった感じがします。

食う量が少なくなり、そのわりには料理をしました。買ってあった野菜や肉がどんどん古くなるので追われるようにやってました。
ある日のお昼に古いほうれん草と古くなりかけの挽き肉でポパイ丼。あと古いナスと凍らせてあった豚肉で味噌炒めを作り、かっこんで出勤。
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どっちも若干しょっぱくできてしまった。うまいけど。

金曜は退役軍人記念日(土曜)の振替休日で連邦休日、のはず。ですが子持ちの人たちは「でも学校はあるの、なんでだろう」と言ってました。起きたら11時。でも眠い。雨。仕事でメモを作りながら読まないといけないものがあって読んでいたら夕方になってしまいました。
夕方、先日昇進した友人のお祝いでオッコクアンという街にあるレルミタージュというビストロに行ってみました。前から評判を聞いていたお店なのと、ずっと自炊で変化が欲しかったのでこちらを選ばせてもらいました。
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今週、動かなすぎて食が細くなっており、そこまで空腹でもなかったのですが、それでもわりとおいしかったので空腹だったらさらにうまかったことでしょう(ひどい感想)。

土曜はほぼ1日、家で資料読みと1本別の仕事をやってしまいました。このままではまずいとジムで運動をしました。

日曜は目覚めて布団の中で「なんか寒い?」と思ったら、最低気温が-1度だったようです。
アパートは中央管理で室温がほぼ20~22度で一定なのですが、寒いと頑張って室温を上げるせいか湿度が下がり、結果同じ温度でも寒く感じるようです。

職場でしかできない事務作業のため出社して2時間ほど作業、そのあと昼から中華街のフードコートっぽいところに集まって買い食いとおしゃべりの会。
白人1人、ヒスパニック1人、アジア系は弊管理人含め3人。
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アメリカ人は何を話すのだろうと聞いていたら、ときどき話を振られて焦った。
9月にプールに誘ってくれたおねーさんがレイオフに遭ったとのこと。でも今って経済絶好調だし失業率も歴史的な低さだから次も見つかるんでは?と言ったら「誰が言ってんだ~それ。今就職先見つけるのすっごい大変だよ」と。まじ?「ブルーカラーの職はいっぱいあるけどホワイトカラーは大変」だそうです。
一緒に食べてたアジア系のおねえさんの彼氏もレイオフにあったとか。なんか景気後退の前線がそろそろ頭上に差し掛かっているのかも。

あとはおいしいお店の情報交換、恋愛事情。それから、年末何する?という話と、来年の仕事の展望。弊管理人が「そういや大統領選あるね」と言ったら政治談義が始まった。「今回ばかりは棄権するかもしれない」との声あり。そんなにバイデン嫌ですかね。80にもなってあれだけプログレの言葉を理解するのってえらいと思うけど。まあ確かに3億3千万人いてなんで77歳と80歳の対決なんだというお気持ちは察します。選挙権がないお気楽な身につき「どっちがより嫌か、で投票すればいいんじゃない?」と言っておきました。

フードコートそのものはフライドチキン、中華、バブルティー(タピオカミルクティー)と選択肢は今ひとつだったものの、小籠包は思いのほかおいしかったです。だらだらできたのもよし。

2時間半くらい喋って、じゃあね~っつって解散しました。
来る週は出張者がたくさんいて、弊管理人はお留守番。遠出してカバーすべき案件が発生しそうだがちょっとこれは無理だろう。遠隔かな。
その次は感謝祭でホリデーシーズンに突入です。

2023年11月05日

冬時間

冬時間きました。忘れていて、朝起きて携帯と家中の時計が食い違っていたので気付きました。
時計を直すと同時に、加湿器始動。部屋の湿度が30%を切ってきました。来たなあこの季節が。

昼は友達筋と中華。そのあとワシントン大聖堂に行きました。DCの観光地の一つなんだけど、初めて。
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直近だとコリン・パウエルの葬式やってるのをテレビで見たかなあ。でかい聖堂ですが、すごい変な建物だねって言い合いながら見ました。いつの時代なのかよくわからない新ゴシック様式、現代英語で書かれたメッセージ。With God Nothing Shall Be Impossibleってナイキか。それ友達に言ったら「ご覧のスポンサーの提供で」って書いてなかった?って言われました。うまいな。
デュポンサークルの近くの友人宅までバスで戻ってバイバイしました。
昨日きょう、寒さが和らいで晴れてきれい。
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夕飯は、昼の中華で残ってテイクアウトしたご飯と豚バラと野菜でチャーハンにしました。
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いつになくおいしかった。豚バラが効いたな。

2023年11月03日

タイムゾーン迷子

先週土曜は出番の日。8時~24時のシフトって普通に人権侵害ではないか。ゆったりする時間もなく働いた。
お昼は持参。うずらの味付け卵。うずらはうまい。
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日曜も結局1日仕事した。たぶん2時寝くらい。

家の仕事机、こんな感じです。スクリーンが多い。右2枚は自分のデスクトップPCのモニタです。食卓を兼ねているのでタバスコやふりかけが置いてあります。
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1階のスーパーで最近、5ドルで買った掛け時計が予想外にいいです(壁に掛けるところがないので、メモを貼る用のコルクボードにピンを刺して掛けている)。時間が見やすい。日本から持ってきた電波時計は当地の電波を拾わず、夏時間→標準時に切り替わる時はSETボタンを押したまま長針が11周回るのを待つなどただただ面倒くさい。

100ドルくらいで買った10.1インチのタブレットは遅くて使い物にならず銭失いになりかけましたが、会社のノートPCのサブモニタ化することで活用の道が開けました。ホルダーは太いワイヤーで保持するタイプを仕入れました。

子ども病院に処方箋を取りに行くという友人を送っていきました。
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楽しげに見えますが、実際はなんか陰気なところです。まあ病院だしな。
そのあと、タイ料理屋で夕飯にしました。ガパオ。渡米後初だと思う。こんなに出会うのが難しい料理だっけ?
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「だめ連」の説明をアメリカ人にする事態になりました。counter-productive activists' association with no aggressive activismと言ってみた。わりとうまく言えつつ何か違う気がする。

夜更かしがどんどん込んできて、月曜だったか火曜か、夜9時台に寝てみたら朝4時前に起きてしまい、早出シフトで出社している最中に居眠りし、それでばっちり眠りが足りてまた3時半就寝などしていました。タイムゾーンが迷子になっています。

昼に仕事先と会食、DCの街中からちょっとだけ外れたあたりにあるグルジア料理Supra。「ジョージア」っていうと南部みたいなので「ユーロピアン・ジョージア」と言ってみた。通じた。
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シカゴのディープディッシュピザみたいな勢いでチーズが入っているパンが名物だそうです。昼からジョージアワイン。出身のスターリンが好きだったんだっけか?

免許更新、今年は1カ月ですんなりいきました。役所の窓口も空いていて過去2回が嘘のようです。でも相変わらず窓口係はクズみたいな労働力で、後で利用者満足度調査がきたので「タッチパネルのほうがまし」と回答しておきました。

辿り着いた週末。平日としては久しぶりに食料品の買い出しをして出社、ほどなく退社。ジョバンニは今日も優しかった。
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海鮮煮込み(右)は毎度食べているのに毎度深く感激する。音楽の話をさんざんして、やっと1週間が締まった感じがします。

今週は最低気温1度で「あっ寒い!!」と思う日がやっと到来しました。葉っぱも結構散ってきました。年末感が一気に高まるサンクスギビングの話がちらほら聞かれるようになってきています。

* * *

◆共生エネルギー社会実装研究所(編著)『最新図説 脱炭素の論点2023-2024』旬報社、2023年。

これすごい。気候科学から再エネ、電力システムまでトピックが一望できます。教科書くらいの字の大きさで1項目は長くても4ページ、リファレンスが厳選されていて超使える。安田陽氏のフェイスブックで知りましたが、安田氏が書いた部分だけ分かりにくかったです。

2023年10月23日

ハウスウォーミング

新しく家を買った人が友達を招いてお披露目するのをハウスウォーミングというそうでして、友人の友人宅に伺いました。土曜夜。
17時開始ですが、だいたい人が集まってきたのが18時。
1920年代か30年代築の長屋(タウンハウス?)の1区画をリフォームしたとのこと。なんというかむちゃくちゃセンスいいよね。深緑の壁とか、調度とか。
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赤白スパークリングのワインが振る舞われ、イチジクのジャムとクラッカー、ドライトマトがまぶされたチョウチョみたいな冷製パスタ、チーズ、オリーブとカッテージチーズの入ったサラダ、カップケーキ、クッキー。ちなみにベジタリアンのカップルなのでこういうラインナップです。あとピザがいっぱい来た(ベランダで喋ってて食べ逃した)。
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日本の米軍基地の建築デザインをやってるとかで結構日本に行くし、なんなら高校時代に交換留学で徳島(気の毒な)に行ってたというお兄さんがいてずっと喋ってました。日本もアメリカも女子高生は早口だが、日本の女子高生は口元を隠すのでさらに聞き取りづらいとのこと。ほほう。そうだっけか。

あと、ホストはDCの有名な学校の先生と確か弁護士?の30代前半カップル。ほかは科学団体のマネジメントでよく海外に行く人は「日本は清潔で最高。台湾も大好き。人はめちゃくちゃいいし食べ物は最高。チャイナに併合させちゃなんねえ。なんで見た目は同じなのにこんなに違うんだ」とか。返す刀で「広東料理は油べたべたでもたれる」とdis。建築デザイン氏は「ロシアいくと必ず1回は美女が近寄ってくる」。「東京はニューヨークとDCを合わせた感じ。大阪はシカゴに似てる」。こういうお仕事とか体験とかしてる人たちが多いのはDCならではだな。口の悪いオーストラリア人は弊管理人がネイティブじゃないと分かると優しくなりました。

で結局ひとしきり話して握手してハグしてバイバイ。不動産上がりまくりのDCで家買えるってすごいな。来てたお客さん(こちらも30代カップル)の中にも最近ハウスウォーミングした人がいた。

* * *

話は前後しますが金曜の夜、モロッコで盛大におなかを壊しながらも楽しく仕事して帰ってきた同僚とTAKOHACHIにGOしてSUSHI。
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いやまあ西友の何倍かって考えるとあれだがそれでもここは安いんです。
唐揚げとか揚げ出し豆腐とか食って大満足して帰りました。

2023年10月20日

ひろみ麻婆

上原ひろみさん。1994年にNHK教育の「ピアノで名曲を」で見たのが最初。
そのときの子だっていうのは2003年にAnother Mind買った時は気付いてたんだっけ?というかこのデビューも何をきっかけに知ったんだったか。
当時はよく通勤の車で聴いてた。ミニマルっぽいところがあったので助手席に乗った子が「頭がおかしくなりそう」と言っててうけた。
実はDCの職場の同僚が高校の軽音学部の先輩だったんだって!6月だったか、本人が来たときにメシ食ってるから一緒にどうって突然呼んでもらったんだけど、目を三角にして仕事してたところで行けなかった。そのとき同僚が弊管理人あてのサインをノートの切れ端にもらってくれて、それは額に入れて置いてあります。
で、初ライブ、ストラスモア!
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2時間あっという間でした。ヤマハっぽい破綻のないスタイルは20年維持したまま、迫力と複雑さが増していた。そしてプログラム作りうまいね。一人ひとりが見せ場を作って、最後は高テンションのドラムソロを呼吸が苦しくなるほど引っ張ったところでアンサンブルに戻って大団円に持っていった。ところで体格のいい殿方お好きなのかし。

* * *

アジアンスーパーで買った中国の麻婆豆腐の素で自炊。
こちらの豆腐は4段階くらい堅さがあって、一番上のHardを選んだら木綿よりなおしっかりしてました。でもこれくらいでも形が崩れなくていいかもしんない。
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あ、いける。四川。これは定番になりそう。油の多さを見ると一気食いはできない。

ついでに過日堪能したホールフーズのティラミス。
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* * *

先週後半からアウトプットが全然なく、じりじりと準備とかリサーチばかりしていたら気持ちが塞いできたので、ここ2日ほど意識的にアウトプットを取り戻すようにしていました。根本問題は解決していないが、仕事を形にすると精神衛生上よいのは確か。

2023年10月16日

ドイツから産炭地へ

先週は何かといけてなかった。というか、何かしてるようなしてないような感じで過ぎてしまった。それなのに妙に疲れていて、木曜は夕方に30分だけ寝ようと思って寝床に入ったら2時間寝る失態。それでも夜は夜で寝られた。

土曜は雨。やはり目が覚めても疲れていて、12時前にやっと起床。だらだらと仕事の残骸めいたものをやって、夕方また寝床でうとうとした気がする。頭痛がしてバファリン。
そのあと地下鉄で二駅ほどのところのホールフーズにティラミスを買いに行って、半分食べて、まただらだらして、残り物で夕飯にして寝ました。なんだったんだろう。

日曜には回復してました。DCの友人を拾って、メリーランド州の北の方のヘイガーズタウンまでひとっ走り。Schmankerl Stubeという読み方も意味も分からないドイツ料理店に行ってみました。ババリアンスタイル。ババリアンて何?バイエルン州らしい。

「予約してない」というと、ホールは予約でいっぱいだからとバーカウンターの横の狭いテーブルに通されました。トイレ行きすがら見たら、ホール以外にも遊んでるテーブルはあったし、後からきた白人の家族連れは(まあぽつんと1家族だけだったが)そこに通されていました。有色人種差別であろうな。こういうことはわりとある。負けじと「ホールのテーブルが空いたらそっちに移動させて」と頼んだら移動させてくれました(しかも食っちゃってたパンは補充してくれた)。なので許す。

2人前の盛り合わせ。結構な量です。
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友人はバックパッカーだった時にミュンヘンに行ったことがあるそうで、ここの盛り合わせは「ザワークラウトは歴代1位、とんかつ2位、ステーキ3位」とのこと。弊管理人にとっては全部おいしかったですが、確かにザワークラウトと、紫キャベツのあったかいの(名前不明)が出色と思いました。あと、ソーセージにつける蜂蜜&粒マスタードのソースがなんかすごく懐かしかった。なんでだ?
56ドル。うん全然いいんじゃない?ビールを1杯ずつ飲んで、はからずもオクトーバーフェストしてしまいました。

ヘイガーズタウンは人口4万3千人だそうで、このあたりでは決して小さい街ではないですが、ひとけは少なかったです。寒いしちょっと移動してお茶でも飲みますかということで、30分ほど走ってシェパーズタウンという街に行きました。ここはウエストバージニア州です。といっても産炭州どまんなかではなく、ミジンコの手の先みたいなところ。つまり突端でメリーランド州との境目です。
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それほど長くないメインの通り1本にちっちゃいお店が集中してる、よくある「キュートな田舎町」ですが、なんか妙にスピってる店が多かった。レメディだの、タロットだの、あとは極左みたいなアートの店だのと変な雰囲気です。後からウィキペディアを見たら幽霊が出るとかで有名なところらしい。なんだそれ。
で極めつけはフリーメイソンです。友人が教えてくれました。
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メイソニック・テンプル。集会所みたいなもんでしょう。初めて見た。

で、日も傾いてきたのでDCに戻ります。ヘイガーズタウンは曇り空だったのですが、南下してくるときれいに晴れでした。なだらかな丘陵地帯のドライブは景色がきれいで楽しい。途中で友人がトイレ休憩したいというので止まったのは、前に独りできたブルワリー。
コーヒーおごってもらいました。
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とうもろこし畑の迷路(とうもろこしはmaizeなので、同じ発音のmazeとかけているんだと思う、たぶん)が敷地内にあって、がきんちょが店番していたので「いくら?」と聞いたら10ドルでした。そんな値段でやるわけない。

あとはDCまで一気走り。なんとなくクサクサした1週間でしたが最後は晴れてよかったです。

* * *

先日の面談で「来年夏には帰りたい」みたいな意思を伝えたこともあり、来年のこの時期はもういないだろう。これから起きること全てにさようならだな~、旅の恥はかき捨てだな~、と思い出づくりモードに入り、やる気も下降中でした。

数日前にアパートの更新の案内がきて、さて何か月の契約にしよう?来年7月の終わりまででいいですかね?みたいなメールを東京の出身部のボスに投げたところ、電話がきた。そんで予想外の提示をされました。いや待って待って。いろんな心づもりが狂う。結構ショックなんですけど。えっ待って。

2023年10月09日

フィリーそしてワイン

月曜の早朝にいきなり仕事になってもいいように、と日曜のうちに荷物をまとめて寝たらやっぱし仕事でした。フィラデルフィアいくで!6:30に車で出発。

2年前のやはり早朝、ゲボ吐きそうになりながら、まだ家なき子だったのでホテルから出動したのを懐かしく思い出します(もう絶対御免だが)。その時、右も左も分からない弊管理人をプリンストンまではるばる車に乗っけてくれた他社の駐在の人に、今回は弊管理人から「乗ってきます?」と声を掛けて2人で出発。

2年前「運転してると寝そうだから話し相手がいてくれて助かる」と言っていた他社の人は、今回は弊管理人の車の助手席で二度寝でした。いいよいいよ。2年前の弊管理人は助手席でいろいろ重い気分になっていましたが、今回は移動も言葉も状況も何も心配はなく、他社の人がちっちゃいベーグルとカルピス(当地では「カルピコ」)の差し入れをくれて、空腹も感じず普通にドライブ気分。時の経過を感じます。交通集中のため一部速度が落ちたものの、ほぼ順調にいってDCから2時間半てとこでした。近くはないが、辛いほど遠くもない。

ついた。ペンシルベニア大学、の一部。
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仕事は実質20分!!えっまじで!?と思ったけど、1時間やられてもまとめるのが大変なので、まあこれはこれで。
とりあえず昼飯。
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そしてめちゃめちゃでかい生協(当地ではBookshopというとこういう施設に訪ね当たるということを学ぶ)でグッズとか物色。2階のスタバではほぼ全員がPC広げてなんかやっていたので、そこに混ざって作業してDCに帰りますよ。
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帰りしな、他社の人に教えてもらって、サービスエリアというものをおよそ見かけないアメリカのハイウェイで珍しいサービスエリアに止まりました。さすが基幹路線のI-95です。デラウェア州にあり、その名も「バイデン・ウエルカム・センター」。大統領の地元だもんね。
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中は清々しいほどチェーン店ばかりです。「1日運転してもらったから」といってドーナツおごってもらいました。いいのに。でもごちそうさまです。
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再び出発して、そろそろボルチモアかなみたいなくらいのところで運転中に東京のおにいさまから電話がかかってきて、フィラデルフィアから投げていた仕事のやりとりをしました。ハンズフリーなので車内ではやりとりが丸聞こえなんだけど、切ったあとで他社の人から「ああいう穏やかなやりとり、いいですね。同じ問い合わせをするにしても言い方ってありますよね」と言われました。ほんとそう思う。上の世代がどっかいって、前よりキチガイが減ってきたかもしれない、という話になりました。あちらの会社もそうらしい。ものの言い方は大事。

で夜に他社の人をDCの自宅前で下ろして、弊管理人も21時前くらいに帰着。ちょっと仕事の修正を東京にお願いして、シャワー浴びて寝ました。毎年この時期にある当該仕事には10年以上関わってきましたが(最初の孤発的な接触から数えると22年)、現場仕事は今回が最後だと思います。疲れたし、行かなければ行かないでオンラインでもできた仕事だったけど、行ってよかったと思う。

* * *

土曜日は出番。イスラエル界隈が大変なことになっており、こちらもばたばたと作業をしているうちに日が暮れました。

思ったこと。
・ミサイル防衛で命は助からない
・キチガイにロックオンされるとその時点で大損が確定するので、多層的に予防しないといけない
・正当化可能ではないが説明可能ということは十分あるので、そこを分けつつ両方しっかり踏まえたい
・世界のどこかがえらいことになってても、当事国以外は「それはそれ」で日常を続行するし、「応援はできる範囲でならやるよ」としかならない(たぶん同盟関係があったとしてもその閾を大きく超えて助けてくれるとは期待しないほうがいい)

* * *

日曜はワイナリー探訪。ミドルバーグという山のほうの街の手前にあるQuattro Goomba(イタリア語で「4人の仲間たち」みたいな意味らしい)というところを訪ねてみました。
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そういえば朝起きたときに7度という気温を見た。1桁って久しぶりかも。風もあって寒かったですが、前日が雨だったせいか空気はきれいです。
おっちゃんバンドが演奏していた。上記「それはそれ」の象徴。この国には「他国に国土を取られる恐れがない」という圧倒的なアドバンテージがあって、しかも空気や水のように、誰もそれを意識したことがないくらい当然のものになってる。
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試飲セット、4種類選んで14ドルは結構値打ち。弊管理人はワインはよくわかりませんが、このあたりでは珍しく「あ、おいしいかも」と思うものに当たりました。来週末だったか、友人筋の新居祝いに行くことになっているので、お土産の1本を購入。

もう1カ所、Canaという近隣のワイナリーも行ってみましたが、こちらはまあ普通。
そんで、ミドルバーグという小さな街に寄りました。
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100mくらいの目抜き通りに沿って(そこそこ観光を意識した)店舗が並んでいて、裏のほうも多少お店が点在していましたが、それだけ。人口700人。
素敵なお庭のあるタコススタンドで買い食い。
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「今日のおすすめ」という魚のタコスが8ドルくらいしたので3つ入りかな?と思ったら1つでした。高くない?
ということで帰りました。友人が夕飯食べたいというので焼き鳥食って、わりと疲れて就寝。

月曜は「コロンブスの日&先住民の日(←ポリコレ)」で祝日です。日本もスポーツの日の3連休だったようで。

* * *

Bowers & WilikinsというメーカーのPX7 S2というヘッドホンを衝動買いしてしまいました。いつもは$399で売られているのがアマゾンでウォッチしてると$329になることが時々あり、揺らいでいたところ、メーカー直販で$249での投げ売りが始まったためゲット。S2eというほとんど変わらないモデルが出たので在庫処分でしょう。

カナル型のイヤホンが手軽さからいって日常使いの第1選択だというのは変わりませんが、ノイズキャンセリングに関しては限界も感じるところ。飛行機で14時間、とかいう移動のときは耳全体を覆うのがあってもいいと思っていました。
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フライト中「隣のおばさんが寒さで倒れても分からないくらい周囲の音が聞こえなくなる」という同僚の謎コピーも決め手の一つであったので、12月の出張と一時帰国で試してみたいと思います。

* * *

半年に一度の仕事面談(海外につき音声のみ)があり、今まで一度も話したことのない管理職に査定されました。なんだこの制度。

弊管理人は部内部外者みたいな立場なので先方もどう遇していいのか分からないらしく、「今までは3年で交代だったんでしたっけ?」と聞かれたので「そうです。来年で3年です。しかし私の場合は9月下旬に来ていて、次の人がその時期に来るといきなり全力疾走でかわいそうなので、もうちょっと早く来させてあげたほうがと思ってます」と答えました。

それは出身部の部長が考えることだと思っていたんですが、違うのかな?
ともあれ考えは伝えたので、来年夏に帰ることになるでしょう。そう考えるとあと9カ月ちょっとですかね。まあ丁度良いと思う。
ちなみによくご飯を食べるおとうさん同僚(この人もまた違う部から来ていて部外者色がさらに濃い)は延長を勝ち取り、2025年の前半くらいまでいられそうだといって喜んでいました。よかったね。

2023年10月01日

9月から10月へ

今週何してたっけ?と思い返すと、前の日曜に結局一日みっちり働いたことで週明けのやる気がなくなり、月曜は歯医者で検診したらまたちっちゃい虫歯が見つかり、火曜は雨のなか国際会議的なものを見に行ったもののつまらなくて帰り、水曜は何してたっけくらいな感じで終わり、木曜はもう一回国際会議に行ってわりと面白く・そしてタダメシをテイクアウトして職場で食べました。

といいつつ、実は週初めに「今週やるべきこと」をリストアップして見えるようにしたら結構快調にリストが縮んでいき、今すぐには世に出ないが後々の負担が軽くなるようにできたので、実はイケてた1週間だったのかもしれません。

金曜日、周囲は新年度予算(のつなぎ予算)が連邦議会を通らずはらはらしていたところ、弊管理人は全然別のこまい案件で不愉快な気分になったこともあり、ぷいっと職場を出て、かねて約束していたアメリカ版青年海外協力隊のグループのバーベキューに行ってしまいました。
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DCの北西にあるロック・クリーク・パークというかなりでっかい公園で18時開始。半分くらいは7月に川遊びした人たち、半分は初めまして。おいしく肉を食べようとかではなく、たぶん仕事終わりに久しぶりに集まること自体が目的。ソーセージ焼いてホットドッグ、あとは持ち寄り(持っていくものはcontribution=貢献と呼んでた。なるほどな)のビールだバクラヴァだと何かとつまみつつ、20時くらいで「じゃあね~」といって中座しました。DCの中だというのに公園が巨大すぎて電波が弱く、電話がつながらなかったらしく、東京からチャットで呼びかけられました。

同行の友人が「夕飯食べ直そう」ということで、「だいぶ前に行ったことがあるレイオーシャンどう?」と提案してきました。レイオーシャン?Lay Ocean?何それ?ってよくよく聞いたらLaotianだった。ラオス料理な。アメリカっぽく発音しすぎだろうそれは。しかもLaosなのに形容詞になるとtになるのか。ううむ勉強になります。そんで日本では全然違う発音だよ(※)みたいな話から「日本では日本のことはニッポンまたはニホンと呼び、ジャパンではない」といったら「そうなの!?!?」って驚かれました。

※あとで調べたらLaosは「ラオス」という発音でいいらしい

ともあれお店の名前はThip Khaoです。コロンビア・ハイツというあまり行かない地域。ヒスパニックの人の多いところですが、大使館などもあるんだって。歴史的建造物や、小規模だけどヒップなレストランが並んでいて、歩くと楽しそうではある。
料理はやっぱりタイっぽい。
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のだけど、ちょっと違って、写真奥の麺はスープにとろみがあり、にんにくのチップとかパクチーとかが入っててとてもおいしい。このあと甘めにマリネして焼いた豚肉がきましたが、それもかなりよかった。酒飲みにくるところではないか?ひょっとして。

不愉快な一件について「こんな気分で週末に入れるか!」と思ってましたが、食べ終える頃には問題なく収束しており、そしてどうでもよくなり、ご飯もおいしかったので金曜夜から早々に週末に入れました。よかったっちゃ。

* * *

土曜はカレーを煮て食って、ちょっとアジアンスーパーに買い物に出て、午後はリストアップしてあった中の最後の仕事をごそごそやってました。途中、今季初めてブレーカーが落ちました。しかしUPSを噛ませてあったのでPCは落ちず!!すごいな!!(そのためのUPSだが)

そんでジムで運動して、夕飯食べて、仕事をまとめて、シャワー浴びて寝ました。
仕事はまだびしっとまとまった感じではないが、「その時」が来ても慌てない程度の準備はできたと思うのでよし。

* * *

日曜は友人と、今年中国に帰ってしまうワシントン動物園のパンダを見にいきました。
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paloozaって何だ?すっごい派手にやるパーティーのことだそうです。
実際は別にそういう感じでもなかった。ヤツはやっぱり食ってはもそもそ動いてました。
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パンダ初めて、なんならこの動物園も初めてという友人に「でも前回来たときよりは動いてた」と言ったところ、「パンダに厳しいヤツ(=弊管理人)が来たから頑張ったんちゃう」と言われました。いや、そんなことで頑張るようなタマではないと思う。

友人は動物園に入るとパンダのところに直行し、ちょっと見たらもう満足したようなので、地下鉄駅近くのレバノンレストランで昼飯にします。
いろいろちょっとずつ試せるレバノンのおばんざいプレートみたいなやつ。
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餃子(右下)とか柿の葉寿司(右)とか玉ねぎの天ぷら(下)みたいなやつとかがあり、全体的にはソースがやや酸っぱかったものの、どれもおいしく、そして意外に腹一杯になりました。満足。動物園の近くというだめそうなロケーションなのにいいな、ここは。

帰ってメシ食って、朝できなかったウンコしました。
今週は月火水と早起き週なので早寝したいところ。ちょうど今週はずっと眠く、早めに寝られる気がします。
そして大過なく終わりますように。

2023年09月25日

2年たった

アメリカにきて今日で2年です。最初の数ヶ月はむっちゃ帰りたく、1年過ぎてようやく調子が出てきたけれども人間関係はやっぱり日本に置いてきたので帰りたい、と思っていたところ、最近は人間関係までできてしまい、帰る先がなければまあいてもいいかなという境地になってきました。しかし現実的には来年の夏には帰る可能性が高いことは分かっており、それならそれで、というくらいの気持ち。そして帰ると、ここ20年ちょっとやってきたキャリアも終わります。本当は2018年に終わってたんだけど、DCで延長ミッションをやることになった。なので、それももはや勝手に終われば?くらい。

* * *

先週前半はニューヨークに出張してました。
初日だけ雨の予報が出ていることは知っていて、傘持って出ないと傘、と心の中で呟きながら傘を持たずに出掛けた。そしてしっかり降られた。
地下に潜ります。もわっと暖かく、小便と大麻の匂い。田舎から東京に出てきたときと似ている。新宿は小便より生ゴミの匂いだったですけどね。めちゃくちゃ混むことがあるし、金持ち以外は住環境よくないでしょ。

夕方、クイーンズの地下鉄駅を出てすぐのアイリッシュパブで雨宿りがてら夕飯を食べていたら、いっとき雨が止んだので、それっと外に出てホテルに向かった橋の上の空。
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仕事は国連とその周辺で、ほんとしょうもない会議と、危機感があるんだかないんだかみたいなイベントを見てました。なんかこう、市民運動もお国柄というのがあり、気候変動を気にしてるわりにはお菓子とコーヒー取り放題、立食パーティーでは酒飲んで。先進国の方は快適性優先ですねみたいな嫌味のひとつも言いたくなったところ、やはり「安楽椅子で気勢上げてんじゃねえよ」みたいなことを言って会場をひりつかせるイベント登壇者もおり、そこも含めて西側世界だなと思いました。
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国連本部のカフェテリアは魚とか肉とかのメインと野菜とご飯などを紙皿にとって、量り売りで1食だいたい10ドルでいけるというお手頃価格なのが気に入りました。3日間のニューヨーク滞在のうち、昼朝昼と3回食べちゃった。カトラリーも使い捨てだし、とにかく紙や木のごみを出すね、ここの人たち。食器を洗うより環境負荷が低いという計算だろうか。
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そこそこ楽しく働きました。弊社のニューヨークオフィスにも初めて立ち寄り、イランだのイギリスだのから来ていた久しぶりの同僚とも顔を合わせました。
何よりよかったのは去年お世話になった仕事先と夕飯が食えたことです。タイ料理に連れて行ってもらいました。
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なんとなく波長の合う人とは、数回しか会ってなくても1年ぶりでもキャッキャ言いながらメシが食えていいです。
最終日は夜9時の列車に乗って、DCに戻ったのはてっぺん過ぎ。結構疲れてた。でもDCに帰ってくるとほっとします。街に余裕があるんですよね。

ニューヨークもこれで最後かな。「仕事よりも思い出作り」というつもりで行ったら、ほんとにそのまんまそういう滞在でした。言い訳できる程度の仕事をして、あとは大半遊んでた。

* * *

雨の土曜日。ロックビルのBob's Shanghaiで友達とうひょうひょ言いながらメシを食っていたら、外で待っていたおばさん?が倒れて心停止、みたいな事態が起きました。
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・横のテーブルのおばさんと娘さんが飛び出していって心臓マッサージ。あとで聞いたらおばさんは学校の先生で、CPRの資格を持っていたらしい
・それを見た弊管理人の同行の友達は店の人に、横のテーブルの二人が食べてたメシ代は自分が出す。なぜなら二人の行動は素晴らしいから!と大興奮で決済した
・その様子に感激したらしい店主(中国系のおじさん)が、心臓マッサージに走ったおばさんと、弊管理人の同行者に100ドルのクーポンをくれた。サンキュー!素晴らしいことだ!と

これらのことが数分のうちに起き、そうこうしてるうちに救急隊がきて、心臓マッサージしてたおばさんたちは帰ってきて食事を再開し、友達は二人をめっちゃ讃え、弊管理人と友達は食べ終わって店を出ました。
友達はそのあとも興奮しまくっており、フロリダのお母さんにテレビ電話してすっごい勢いで今あったことをスペイン語と英語のちゃんぽんで報告。弊管理人も運転中なのになぜかお母さんに「ハーイ」とかいって挨拶した。

やっぱすごいなと思ったのは上記3点の登場人物たち(弊管理人除く)の瞬発力で、ぱっと人命救助に走る人、それを見て「このテーブルは俺が払うから!」という友達、意気に感じてクーポンくれる店主。いずれも弊管理人の行動リストにない(誰もいなければ心臓マッサージはしたとは思うが)。そりゃアメリカは強いわ。こんな人たちがざらにいたら。カッとなる人々のパワーが悪いほうに行かないことを願いたい。全然行きそうだが。

そのまま友達をIKEAに連れていき、ひとしきり買い物をしたりお茶飲んだりして帰りました。
いろんなことがありすぎて疲れました。

日曜はうっかり1日中仕事。なんか同じようなことを何度もやる仕事であった。冷蔵庫にあるもので3食。出費ゼロの日曜。

* * *

滞在開始から2年たった話の続き。来年夏に帰ると言いつつ、なんとなく25%くらいの確率で来年末までいる可能性もあるなとは思い始めてます。知らんけど。インシャラー。

2023年09月17日

マナサス

土曜は結局どこへも出掛けず、3度寝(朝2+夕1)しました。夏の疲れが出てる気がする。でもそんなにだるくありません。元気は元気。

週明けの出張と、その後の仕事をちょっと楽にするための準備をしてたらまた夜遅くなってしまった。

* * *

日曜は久しぶりに朝飯を手抜きして外食にしようということで、マナサスのヨークシャー・レストラン。なんか評判よさげだったので来てみました。滞在中ほぼずっと満席、次から次へ客が来て帰っていくみたいな繁盛店でした。
「カウンターでいい?」といって座ったのが厨房の出口付近で、ウーバーイーツか何かのあんちゃんは入れ替わり立ち替わり来るわ、下げた皿は横を通るわで落ち着かなかったので、別の席が空いたところで「あそこに移っていい?」と切り出して移りました。我慢はする必要なし、が段々板に付いてきた。

でもやっぱりおばはんたちがてきぱき配膳してますけどね。そもそもカウンター席がそういうところにある店なのでまあよろしい。頼んだのはコーヒーと、これ。
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ハム!卵!そしてホットケーキ2枚!!炭水化物と糖とタンパク質。
でもおいしかったです。ハムが厚くて幸せ。
こちらの人はワッフルでフライドチキンを挟んで食ったりしていて何事!?!?と思うこともあるのですが、確かにしょっぱいものを食べていると甘いものがあってもいいし、逆も真。ということでまんまとアメリカナイズされました。
家族経営のレストラン、オヤジはレジに陣取って客をサクサクさばき、おばはんたちはニコニコしてないがちゃんと客の様子を把握している(そういう店員を評価する言葉はattentive=よく気がつく、という)。
コーヒーは飲み放題が基本で、カップあいてるなーと思うとぱっとついでくれます。結局3杯飲んじゃった。チップは当てずっぽうで書いて、後から計算したら14%だった。ちょっと少なかったか?まあいいか。

そのあと、さらに30分くらいドライブして田舎の農家がやってるマーケットを冷やかし、アイスを食べました。
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本当は近所の予約制ワイナリーが作ったワインを1本買おうかなと思って寄ったものの、高かったのでやめました。よく考えたら弊管理人は別にワインが好きではない。
農場をちょっとだけ散歩。
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このあたり、南北戦争の激戦地だったはずです。こんなだだっ広くて平らなところを行軍してたら「何やってんのわし……」ってならなかっただろうか。

今日は夏以降の休日で初めて長袖を着ました。気温20度ちょっと。10日くらい前は35度くらいあったところから、急激に秋が来ました。

* * *

郷里の母方の伯母によると、父方の祖母が施設に入ったらしい。
父方の伯父が前に「ちょっとボケたみたい」と言っていました。そうなったか。
まあじいちゃん亡くなって結構たつもんね。7年?8年?
気がつくとばあちゃんも98のはず(ちょいちょいサバを読むのであやふや)なので、まあいつまでも独りで暮らせるわけでもないしな。

* * *

家に帰ってから、久しぶりに寝室の掃除をして、シーツやカバー類を全部洗濯して、マットレストッパーを新しくしました。完璧。
去年もこの時期にシーツ類を洗濯したんだよね。その直後、コロナに罹患しドロドロになったので、治ってからまた洗濯する羽目になった思い出。

2023年09月15日

2しゅうかんまとめ

特に何をしていたわけでもないのですが、うかうかと既に9月も半ばです。

なんだか誘われたり誘われなかったりして外食の多い半月でした。

まずDCのStellina Pizzeriaはダイナーみたいなたたずまいのピザ屋。
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イタリア人かな?というおねえさん店員が「ワッフルもあるのよ~私のせいじゃないけど」みたいな恥じらいとともにメニューを持ってきて笑いました。
ピザうまい。シーフードのイカスミパスタもこれまたうまい。ややアメリカナイズされたメニューと味(つまり濃い)ですが、料理はとても満足でした。
ただし、もともと結構割高なところに自動的に20%のチャージが上乗せされるのが気分よくない。あと黒人のおねーちゃん店員が食べ終えた皿を指さして「それとって」みたいな仕草をしやがった。友達かよ。
ちょっと前にメリーランドで食事をしたときも、店員がワインボトルの開け方を知らないということがありました。雇ったときに教育してないのか?
ネット上の評価やチップの額の多寡が質を上げるというのは一定以上の競争がある場合であって、人手不足の昨今「働いてやってるんだし、うるさいこと言うなら他いくよ」となってしまうため効果がない。自動チャージもサービスのインセンティブを奪うので本当に悪い仕組みだと思います。
親密な関係の中では持ち寄りとかプレゼントとかの互酬的で気前のよさが効くのですが、その外に出ると途端にやり逃げの砂漠みたいな世界になる。で、客もそういう社会に適応しているので基本自由だし、自分がサービス提供側になるとやっぱり少ない労力で多くを得ようとしているはず。ただしケチでノイローゼな日本もどうかという話。

同じくDCのラブ・マコト。なんだそれ。ビルの1フロア全部がレストランで、寿司屋、焼き肉屋、居酒屋、あとなんかフードコートみたいになっています。居酒屋にしました。
唐揚げと手羽。
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焼き鳥が意外とちゃんとおいしかったです。

ペンタゴンシティという、国防総省の近くにあるショッピングモールに入っているMarshall'sっていうイトーヨーカドーのさらにしょぼくれた感じの雑貨屋。ベルトが安かったので買いました。9.99ドル。いや実は日本から持ってきていたのがだいぶベロベロになっていて、普通のところで買うと20ドル30ドルするんだけどちょっと馬鹿馬鹿しいなと思って踏みとどまっていたところ、この値段なら全然OKだなということで。結果、QoLが爆上がりしました。
その帰り、夕飯でMattie and Eddie’sというアイリッシュパブに入りました。
フィッシュ&チップスが食べたかったんですよね。
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たぶん鱈。結構おいしかったです。いろんなディップが付いてきたのもよかった。
おなかいっぱい。

プエルトリカンと待ち合わせしてオサレ中華のChang Changで夕飯食べよう、ということになったのが木曜。最寄りの駅で待ってたら「ちょっとCVS(≒マツキヨ)に寄らないといけなくなった」と。落ち合ってみたら腕にヘタクソな包帯巻いてました。電動キックボードでこけたんだって!!先日も酔っ払って電動キックボードでこけてたが、今回はしらふ。
「夕飯キャンセルしようかとまで思ってたけど、こんなことで会食やめたら後悔すると考え直した」そうです。
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段々麺、鶏肉の甘酢炒め、にらとエビの餃子など。あと一杯ずつ酒飲んだら「気分よくなった」とのこと。よかったね。デュポンサークル(DCにいくつかあるでっかいラウンドアバウトのうちの一つです)の中にある公園のベンチで喋ってそれぞれ帰りました。

週の終わりは仕事で普段あまり行かないところへ。
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朝昼晩とご飯が提供される終日の寄り合いでしたが、見たいプログラムは昼だけだったのでお昼ご飯をいただいて中座しました。唐揚げ、焼き鮭、ひじき煮、たくあん、卵焼きという完璧に日本のスーパーの味がするお弁当。逆にどうやって出したのだ、この味。びびる。
本当はお抱えのシェフが腕を振るう夕飯の立食パーティーが魅力的だったんですけど、打ち合わせやら、来週月曜からの出張の準備やらで職場に出向くことにしました。まあ結果それでよかった。

* * *

また楽しそうなイベントに誘われていたのですが、出張日程の伸縮が読めず参加断念していました。結局行けば行けたことが判明したのは今週後半。残念。誘ってくれた人は「またの機会があるよ」と言っていましたがどうかな。とりあえず出張から帰ってきて遊ぶ予定が月末に一つ確保できました。それを楽しみに。

* * *

夏が完全に終わり、木曜の夜は肌寒いくらいになりました。最後の冬に向かいます。といっても本当に最後なのか?という疑問がよぎる今日この頃です。

来年はアメリカがビッグイベントの年で、早くも走り出す時期にさしかかっているようです。周囲の人たちはそのイベントが峠を越える2024年末ごろ、あるいは2025年までの任期延長が決まったか決まりそうな状態。

弊管理人とほぼ同時期にDCに来た人たちはかなり延長するのではないか。弊管理人はイベントにあまり関心がないし、後任が2024年後半になって来るといきなり全力疾走が求められて大変そうなので7月末には帰るつもりでいますが、いや7月末に来ても生活の立ち上げに2カ月かかったらどっちみち辛いのかも。しらんけど。
まあしかし、弊管理人の処遇を今から考えている人は誰もいないというのが最も有力。

* * *

何冊か本を読み終わって、メモを残しておこうと思っていたのにずるずると時間がたってしまいました。どれもすごくいい本でした。

◆エリカ・チェノウェス(小林綾子訳)『市民的抵抗』白水社、2023年。
抵抗運動(本書ではアウトカムの見やすさのため、体制変革という高い目標を掲げる運動に絞っている)が成功する条件に関するエビデンス集。よく組織され、持続性があり、広く支持される非暴力運動の成功率は結構高い。暴力的抵抗よりずっと高い。ただし権力側が利用できる監視技術の発展によって、近年は少々難しくなっているようでもある。なんでSEALDsがだめだったかとか、ハッシュタグ運動になんで見込みがないかが分かる気がする。

◆今井むつみ、秋田喜美『言語の本質』中央公論新社、2023年。
出発点としてのオノマトペ=記号接地、ブートストラッピングによる言語習得、そして創造・アブダクション。

◆坂牛卓『教養としての建築入門』中央公論新社、2023年。
建築の鑑賞/受注から完成まで(弊管理人は実務を全然知らないので、ここが新鮮だった)/社会と建築の相互作用。手軽でするする読める本だが、筆者の構成と図式化のうまさは飛び抜けていると思う。アメリカで教育を受けたからですかね。

2023年09月04日

夏の終わりの3連休

9月4日(月)のレイバーデー(勤労感謝の日)をもってアメリカの夏は終わるそうです。
なんか7月半ばくらい、南西部が地獄の業火に焼かれてたような気がしますが、あれがもう2カ月近く前だと思うと夏はまじであっちゅう間だったと思わざるを得ません。

【9/2】

土曜はアメリカ人の友達に連れられて、DCに家を買ったカップルを訪ねることになりました。
広大な裏庭と深緑に壁を塗ったリビング、主寝室と書斎と客用寝室、地下室もあってワインセラー作るんだ~みたいな素敵なおうちは1916年築とか言ってたかな。ベジタリアンの人たちが野菜の寿司を食ってる下を二匹の犬がちょこちょこ歩いては弊管理人が差し出した手をベロベロ舐めるという、何この豊かな生活、というお宅でした。

【9/3】

日曜はこのグループでワイナリーに行きましょうかね、という話がいつの間にかプールにしようということになっており、午後からカップル宅で会った姉妹の住んでるアパートの屋上のプールへ。
36度。9月なのにプール日和です。
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大きくはないけど、水に浸かったり、持ち込んだお酒を飲んだり、他のグループと喋ったり。持ち寄りのお酒の十数ドルしかかかってない。社会関係資本が豊かな人たちはこうやって互いに訪問しあい、ストックしてるお酒やらもらった飲み物やらを飲んで、噂話とか新顔いじったりとかしながら喋って喋って、安上がりに楽しく週末を過ごしてるんだな。

それとは対照的に、孤独な人は自分で頑張ってイベントを作り出し、割高な一人料金を支払い、アリバイみたいな写真を撮って何かした感じの休日を演出しなければならない。すごい格差、というか何の地獄なんだ、それは。

そんなこんなで14時過ぎからばらばらと集まって、18時過ぎにおいとましました。

友達が「腹減った」というのですぐ近くのユニオン・マーケットへ。友達は耐えきれず、半額セールをやっていたパック寿司をがっついた。
それで精神が少し落ち着いたというので、先日同僚と行ったSt.Anselmに入り、予約がなかったのでちょっと待って席に案内されました。人気店だな。

NYストリップとサラダと焼いたマッシュポテトを頼みました。
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ステーキは1人分は食べきれないのでシェアする、と言ったら最初から別々のお皿に分けて持ってきてくれた。サービスいいね。そしてステーキとソース、セロリやフルーツがかつてない清涼感を出してるサラダ、外こんがり・中もっちりのマッシュポテトとすべてがうまかった。この店すごいわ。そして注文の組み合わせも完璧だった。つまりわれわれの勝利でもある。

満ち足りて友達送って帰って寝た。

【9/4】

車を持ってない友達が買い出ししたいというのでDCのスーパーLIDLへ。同じビルに入ってるMarshallsというデパートにふらっと入った友達は化粧品が安いことを発見し、100ドル使ったらしい。

そしてLIDLでもおっそろしい量の食料を買い、安売りスーパーなのに100ドル使ってました。

「セロリがなかった」といってTrader Joe'sという別のちょっといいスーパーに転戦してセロリどころではない量の買い物で80ドル。「家に食べ物がなくてピザをとってしまった」と話していたかわいそうな状態の人をスーパーに連れていくとこうなります。しかし向こう2週間は食うに困らなかろう。知らんけど。
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自宅まで送ったら「寄ってく?」と言われましたが、明らかにお疲れの様子だったので、お邪魔してはならんパターンだと思い辞退しました。本人もちょっと安堵した感じ。大正解だったよう。つうかアメリカ人は社交辞令言わなくていいのよ笑

で、弊管理人はしめじとえのきを買い足しにアジアンスーパーへはしごして帰りました。

* * *

これで夏と夏休みはおしまいかな。というか自分がなぜアメリカにいるのかを忘れるくらい遊びほうけた夏でした。

9月はわりと今からいろんな仕事の予定が入っており、休み明けからどばっと勉強しないといけない感じ。10月初旬にちょっと面倒な仕事をこなしたら、いったん一息ついたのち全然気乗りのしない元同じ部署のパワハラ野郎からの頼まれ仕事に目鼻をつけて(今はもう立場上の繋がりはないので、面倒なことを言いだしたら断る気は満々です)、12月は長めの海外出張と一時帰国、というところまで走り抜けるのであります。たぶん。

2023年08月13日

ジャフィとオッピー

いつまであったか覚えてないのですけど、たぶん小学生の頃(1980年代)まであったロッテのジャフィっていうビスケットが大好きでした。ビスケットにマーマレードを載せてチョコをかけたようなやつ。大好きだったのに販売されなくなってしまって、ときどき「また食べたいなー」と思っていました。
何の気なしに土曜にLidl(発音はたぶんリドル)というスーパーに行ってお菓子のコーナーを見ていたら、似たようなのがある!!
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買って食べたらほぼそのままでした。Lidlのマークが箱にあるので、オリジナルかな。車輪の再発明!(意味がちがう)おいしいものは一旦滅びてもいつか誰かがまた発明するのだ。
というか30数年ぶりじゃないだろうか。今度こそ途絶えさせないでほしい。危なそうだが。

* * *

映画「オッペンハイマー」を見てきました。アメリカで映画館行ったの初めて。
第一には聴覚障害の人のためなのだろうけど、おそらく英語ネイティブじゃない人にも向けて、字幕(Closed Caption)を見せてくれる機器が無料で貸し出されていました。ありがてえ。
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いくつかタイプがあるようで、これはカップホルダーに根本を挿して、視界の下の方にディスプレイを持ってくるもの。眼鏡型もあります。どこかから受信しているようで、タイミングまで含めて普通に字幕でした。すごく助かった。難しい話だし、これがなかったらほとんど理解できなかったと思う。
ちなみにアメリカの映画でも字幕がつく曜日・時間帯も設定されているようです。

当時の有名な物理学者や、前に公文書を漁ったときに出てきた軍人も出てきて、核兵器の最初の一歩がどうやって記されたか、そのときの雰囲気がどうだったかというのが感じ取れて大変面白かったです。そしてこれはかなり強烈な反核映画で、しかし核廃絶は無理というシニシズムも同時に漂わせている。アメリカで描けるギリギリを探っているようでいて、かなり手前に踏みとどまったのだと思う。

バーベンハイマーのしょうもない騒ぎで日本導入がどうなるかみたいな話も耳にしましたが、これは絶対に日本でやるべき。強烈な感情、あるいは議論を喚起することができれば映画は成功といっていいし、その意味でこの映画は成功するはず。3時間は長くなかった。

ところでアメリカの映画館は椅子が一人がけのソファみたいで座り心地がいいです。上映開始時間から30分くらいは宣伝をやっており、上映開始時間を過ぎてやっと人が座り始めるあたりがさすが、時間通りに始まらない国。そして一抱えほどのポップコーンを買ってきて食う。それを席に残したまま帰る。エンドロールを最後まで見る人が誰もいない。終わって明るくなると掃除の人が入る。

* * *

分割夏休みの一発目が火曜から、で、何するか決めてなかったんですが、さんざん迷った挙げ句にシカゴに行くことにしました。

* * *

年末年始の帰省の特典航空券をとりました。燃油サーチャージ、去年は11万円かかったのが今年は6万円(400ドルちょい)でした。うーん、まだましか。

* * *

先週の仕事は、何かと手間暇かけて作ったものがそれなりに受けたようでよかった。

2023年08月06日

郷里と宴と酒

重要なお客様的存在であるところの郷里の新聞社の子ども記者ご一行がDCに来て、夕飯に同席せよとの下命があったもので、シフト勤務を抜けてボスと一緒にジョージタウンに出向きました。

あまり予算がないか、おいしい店の情報がないかかなという感じの、いかにも観光地の海鮮レストランで、ご一行が「アメリカのご飯はまずいと聞いた」「イギリスのメシもまずいと聞いた」「アメリカ人は折り紙が折れないから鶴を折って持ってきた」などとおっしゃるので「うまい店は住んでる弊管理人が知っている。観光客には探せないだけ」「折り紙は教えれば折れるだろ、しらんけど」などと腰を折り、「ワシントンに来た動機を教えてください!」と聞かれたため「ないよ!」と答え、「STEMについて知りたいんです」と言われたので「教育については興味ない」と言い放つなど散々。

最後の挨拶はボス、もう一人の来賓、弊管理人の順番となり、前2人が長かったので弊管理人は「日本はもうだめだと思うので、英語と中国語を習得し、理系の博士号を取って脱出してください。頑張ってね!!」とエールを送りました。ずしっと重いお土産をもらいました。東京―DCっていま航空券が往復40万とかするんですけど、これでよかったのでしょうか。。

帰る途中に見かけたホームレス氏。
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CASH APP HOMELESSとIDらしきものが書いてある。ホームレスもキャッシュレス時代。さすがアメリカ。

職場に戻ってお土産を開けたら、軽井沢のホテルのドレッシングやらジャムやらの詰め合わせでした。そりゃ瓶は重いわ。マーマレードを置き引きしました。ごちそうさまです(夕飯ともども)。

* * *

DC滞在が4年を超えた同期と、2年の任期を終えた1期下の同僚が日本に帰るというので、職場で送別会が催されました。今回の幹事はよく遊ぶおとうさん。いいとこの子(たぶん)で口がきれいだが揚げ物大好きというアンビバレンツな彼はTakohachiといううちの近くの日本料理屋が好きで、そこの寿司をオーダーしたいというので偵察かねて前日にちょっとメシを食いに行きました。
おしゅし~
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日本人がやってるんですよ。本番用には100ドルのパーティーセットがあったのでそれにしたら、でっかい桶二つに握り50巻と巻物30切れ。映えて好評でした。よかったよかった。

* * *

土曜は一日仕事。昼過ぎに抜け出して、DCの東のほうのHarris Teeterに食料品を買い出しに行きました。
日曜はワイナリー探訪。Walsh Family Wineryというところに行ってみました。
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グラス1杯だけ、と思って頼んだらオヤジがどっぼどぼついでくれて結構酩酊。というか捕まったら飲酒運転で強制送還の気配だったので、近くのマクドナルドでおやつにチーズバーガーとナゲット食って酔いを覚ましました。そのあと初めてのウォルマートで買い物してる間に回復、帰りました。

* * *

夏休みは8/21-30のつもりが、その日程の中に出張が2つ入ってズッタズタなので休みを2分割してずらして取ることにしました。まあ何も用意してなかったからいいか。

2023年07月30日

川を流れる遊び

浮き輪に載って川を流れる遊び(Tubing=チュービングと読む)に行きました。土日で一泊二日。
アパラチア山脈の懐、DCからはまっすぐ西といったところ。最寄りの街はリュレーLuray。
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画像はGoogle Mapsからいただいて加工しています(以前はリンクしていたのですが、古くなるとリンクが切れたりして使いにくいので)。
シェナンドー川は拡大するとこう。くねくね。
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朝7時半くらいに、今回誘ってくれたDCの友達をピックアップして、去年行ったスカイライン・ドライブの入口の街フロント・ローヤルまで1時間ちょっと。スーパーで買い物してガソリン入れて集合場所までもう1時間というところです。わりと近い印象。東京から清里いくくらいかな。
キャンプ場併設のチュービング屋(?)に車を停めて、払い下げのスクールバスでスタート地点に向かいます。てかアメリカ生まれじゃなければスクールバスに乗る機会ないよな。すごい珍しい機会かも。ガソリン食いそうな音して走ってました。これを電化するっつって今の政権が言ってたけど、まじ大事だと思う。
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バス降りて浮き輪借りて出発です。クーラーボックスを持ってる人が結構いて、どうするのかなと思っていたら、輪の中心部にちゃんと底がついてる浮き輪もあるのでした。
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前の日に夕立的な雨が降ったようですが水量は思ったほどでもなく、水温高めだし流れは歩くより全然遅いしでゆったりです。
ロープでグループの浮き輪をゆるく連結して流れていくので、「ビールとって」とか「空き缶をゴミ袋に入れてちょうだい~」とか声を掛けてはモノがリレーされていきます。一度昼ご飯のために川べりに上陸して、また流れる。
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弊一団は20人!そういや何の人たちだっけ?と思ったらPeace Corps(アメリカ版の青年海外協力隊)の同窓会的なやつらしい。しかもメンバーの知り合いで、特にPeace Corpsとは関係ないテキサスの同郷友達グループみたいのが連結され、さらに弊管理人のように友達の友達ですみたいな人も混じっており、おおかたは「だいたいの人は知ってるけど初めての人もちらほら」というちょうどいい会でした。
で、やることはやはり、ソファみたいに座り、飲み、喋る、に尽きる。
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途中いくつか上陸ポイントがあって、そこで待ってるとスクールバスが拾って出発地点まで戻してくれるシステムです。17時が最終だからねと再三念押しされていましたが、この一団は全然時間を気にする気配がない。

弊管理人を含め、一部「やばいのでは?」と思って頑張って川底に足をつけて引っ張ろうとした人がいたが、他は飲んでて全く手伝う気配がない。さらに他のグループと浅瀬で飲み始めちゃう人もでた。このあたり奴隷制(働く人/遊ぶ人の截然とした区分)を経験した国だなっていう気がする。頑張った人は頑張るのをやめてただ浮き輪で流れ始める。弊管理人も「しーらない」というモードに入って、ただ浮いてるだけの人になりました。
最終地点に着いたのは18:30とか。

しかしバスは待っており、普通に帰れました。
そうなんだよ。この人たち置いて営業終了しちゃっても帰れないし、それ分かって置いてくのはダメだと思うし、浮き輪も回収できないし、流れが緩やかすぎて少し前にも2グループくらいかなり遅れたところが出たしで、待ってないはずがないんですよね。「だってしょうがないじゃん」が前提の商品設計。世の中みんながルーズなので、スタンダードはルーズになる。これはこれで一つのあり方。2,3人だったらどうなってたか分からないけど、20人だしね。

かんかん照りの中、6時間くらい水の上でわーきゃーやった後なのに、帰りのスクールバスではメンバーむっちゃテンション高くて全力で喋っており、あースクールバスに乗る子どももこんな感じなのかなと思うようなネイティブ同士のはしゃぎ方が見られてよかったです。閉鎖空間でこれやったらそりゃ疫病は広まるわ。
本場の「ファックユー・メーン!」が聞けてすごい高揚した、と友達に言ったら笑われました。

グループには日系人も1人いました。サカモトさん。日本語の単語も「チョット」くらいしか知らなくて、話すところ聞いてたら完全にアメリカ人。とっくり話してみたかったけど浮き輪が遠くてなかなか機会がありませんでした。しかしルーツではあるが祖国とは思ってなさそうな国からきた人(=弊管理人)と会うってどういう感じなのかね。この人は土曜の夜にDCに帰るというので、みんなとハグしたりして挨拶してましたが、弊管理人には「あっどうしたらいいんだ、お辞儀?」みたいに立ちすくんでしまい、弊管理人もなぜか立ちすくんでしまい、「じゃ……」みたいな感じで別れてしまいました。

シャワー浴びて弊管理人はだいぶぐったりしていたところ、一部の人はぱきぱき準備をして(しかしやはり準備係以外は働かない)夕飯です。
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キャンプのならいでゲームが始まりました。Never Have I Everやったことある?って聞かれましたがないよ!何それ。飲みゲーらしい。手を開いて差し出して/順番がきた人は自分がやったことがないことを言い/他の人はそれをやったことがあれば指を折りたたんで一杯/誰かが0になったら終わり。よく分からないので飛ばしてもらいました。
次に鳥の声まねを回り番でやるというのが始まり、これはなんか鳩のまねをしてしのぐなど。
そして怪談。青年海外協力隊なのでアフリカで手に入れた仮面にまつわる怖い話などがいかにもで、それやってるうちに眠くなってきたので寝ました。

朝。わりと寝られた。アマゾンで買ったキャンプ用マットは優秀。あと念のためにと持ってきた長ズボンも重宝。さすがに山なので夜半は寒かった。
帰りはDCに住んでる二人を乗せて計4人になったのですが、「これどうすん……?」というくらいの量の荷物を、弊管理人のちっちゃいレクサスの後部だけじゃなくて4人全員の足元やら後部座席の真ん中やらに置いて奇跡的に詰め込みおおせました。

わりとサクサク片付けて、「フロント・ローヤルのダイナーにいこう」というので20人で押しかけました。Our Hometown Dinerというところ。結構小さいお店なので若干並びました。
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テーブルは弊管理人の車の4人。シナモンロール4つに切ってもらって分けて、コーヒーがぶ飲みして、ビスケットのグレービーがけのモーニングを食べました。
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同じテーブルの4人は駆け出し弁護士、国際機関勤務、コンサルにて政府系の仕事、ということでキャッキャ遊んでたわりには堅いな!そしてキャッキャしてたと思ったら「少子化の日本が外国人に門戸を広く開く可能性についてどう思う?」と突然ぶっこまれた。油断ならない。

そんで1時間ちょっと走ってDCのいいとこのマンソンで2人を降ろし、最後に友達を降ろし、洗車して帰宅。大お洗濯大会、疲れのせいか頭痛がしたので薬を飲んだら軽快、残り物で夕飯にして今に至ります。

それにしても、酒を用意する人、メシを用意する人、アレンジする人、など分担していたようで、弊管理人は酒代の40ドルくらいと川流れの20数ドルくらいを負担しただけ。あとは友達とのテント折半と寝るためのマットとかで数十ドルの世界で、現地人はこういうことして楽しんでるんだなというのが分かった。げに重要なのはつながり。
アメリカ人ばっかの中に英語のおぼつかない日本人が混じってどうかと思ったけど、まあ海外経験ある人たちばかりなのもあってか抵抗はないようであった。友人からは「知らない人ばっかのところに行ってどうなるかなと思ってたけど、sweetって言われてたよ!」教えてくれましたが、sweetって「良い人」という意味もあるが辞書みると(especially of something or someone small) pleasant and attractiveとあるぞ?Kawaii……?
ともあれ、今回だけでも初めてのことがいろいろあって貴重な機会でした。

春先までの状況だったら、昨日今日もなんとなく出掛けて一人でぼそぼそメシ食って、今週食べるものの買い溜めをして終わっていたことでしょう。後半にさしかかって急にこんな事態になるとは予想していなかったが、ありがたいことです。

世界は所によりえらいことになっているが、浮き輪に載ってダラダラと酒を飲む人たちもいるという話でもあるが、まあね。

* * *

そういえばベライゾンは今回のキャンプサイトとか川流れの最中ずっと圏外で、結局丸一日、音信不通になってしまっていた。Tモバイルの携帯持ってた人は電波が入っていた。ベライゾンあかん……

* * *

で仕事はというと、(出身部じゃないところが)うっざ、というかもうなんかフェードアウトしたいのに(だめだが)追いかけてくるのやめて?みたいな状態。いくら評判落としても諦めてくれるならそのほうが全然いいやと思っていたら、「なので仕事させてみよう」みたいになりかねないの危険。

あと、先週は眼精疲労する仕事が多かった。目をいたわっていきたいです。

* * *

◆清水亮『教養としての生成AI』幻冬舎、2023年
役立ちそう度でいうと60点くらい。。

2023年07月22日

先週は蒸し暑かったですが、今週は暑さが一服しました。
ジョージアのほうでは何やら荒天で被害が出ているようですが、それくらいの粗い印象でいろんなものが過ぎていった2週間。

このごろなかよしのプエルトリカン氏とメリーランドのワイナリーへ。
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あと、今週は高台のブルワリーへ。飲んでばっかだな。
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この人のいいところは、いいと思ったら褒めてくれるところで、やりがい爆上がりです。
こちらも褒めてまいりたいと思います。
日本語を使わない対人関係ができるのも貴重。

* * *

上記プエルトリカンがポケモンGOをやっているので「ポケットモンスターって英語だと卑猥なニュアンスがあるから名前変えたって聞いたことあるけど、そう?」と尋ねたら、ちょっと考えて「あーそうだね!」と。「でかいチ○コ」という意味になるそうです。

* * *

【今日の英語】
booはスラングで彼氏のこと。発音は「ブー」。彼氏も彼女も包含したジェンダーニュートラルな言葉はbaeだそうです。発音は「ベ」。全く知らなかった。これはジーニアス英和になかった。

* * *

PanasonicのBluetoothイヤホン、2年余り使って若干誤動作がみられるようになってきたのを機に、Jabra Elite 4というのに買い換えました。Panasonicのは2万円くらいしましたが、今度のはアマゾンで値引きになったタイミングで79ドルなので半額くらい。
・筐体がコンパクトなので、耳につけた時に飛び出さなくて見栄えがよい
・ノイズキャンセリングの性能が上がった感じがする
まだ使えるイヤホンの買い換えってどうなんと思いながら使い始めてみましたが、結構いい買い物だったと満足しています。

* * *

東京の出身部ではない某部署からなんか不快なメールがきたので抹消した。
必要性ではなく「やっといたほうがいいから」みたいな動機で物を言うノイローゼは近付くと損するので、残り任期はできるだけこちらの姿を見えないようにし、あちら部署との接触も最小限にする所存。

2023年07月09日

外で音楽

木曜、久しぶりに中規模の仕事が(予想通り)発生しましたが、準備してあったものを放出して弊管理人のパートは早々に収拾したので、そのまま「シーフード食べたい!!」という同僚と夕飯に出ました。今回は同僚の提案でデュポン・サークルから歩いて数分のHank's Oyster Bar。
あっ幸せ度の高い色合い。
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大粒の牡蠣ってこっち来て初めてかもしれない。幸せ。

同僚は東京にいたときは競争の激しい職場にいて、毎日仕事先と飲んで遅くに帰る生活だったそうなのだけど、こちらに来てからすっかり日本人と付き合わなくなり、代休もしっかり取って犬ちゃんや息子ちゃんとハイキングに出掛けたりしているそうです。

一方で仕事にはもはや希望はなく、それはアメリカ暮らしを「勝ち取る」という目標を達成したからとの自己分析だそうで(ついでに今の会社も小さい頃から入りたかたったんだそう。奇特だな!)、なんかちょっと方向性を失ってるのかもしれません。そのわりに同じ担当の同僚がこのところガツガツ仕事をしていることに焦りもあるようで、なんか難しいねえ。

弊管理人の見るところ、それは人生の目標喪失という深刻な事態ではなく、5月末から一時的に訪れた超繁忙状態が過ぎ去って、反動で結構力を抜いた状態がそろそろ長くなってきて、そわそわしてるというのが大きい気がします。まあ目標を達成しちゃって次がよくわからないというのもちょっとあると思いますけど。

上記とあまり関係ありませんが、40代中盤、会社的には自分の裁量とか我が儘の余地がでてくるところ、なんかこのステージでちょっとダメになっちゃう人、いるな。自分では手を動かさない代わりに頭でっかちになって、他人に自分の思い付きを実現させようとしたり、インプットを欠いた「ゴ指導」とか「大きな絵を描くこと」が仕事だと思ったり、他人を貶して自分のプライドを保とうとするロートルが有害だと思う。そしてそれは方向性が「変わった」のではなくて「強化された」状態であり、その原因は気力・体力が落ちてきたことなのだ。たぶん。

* * *

それはそうと、金曜は前からチケットを買ってあったコンサートに行ってきました。
会場はいつものケネディセンターではなく、バージニアの街外れにある国立公園・ウルフトラップ。確か唯一のパフォーミングアーツ用の国立公園じゃなかったかな。半野外のコンサートホールがあります。
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クーラーボックスを持ってきてなんか飲み食いしながら芝生で寛ぐ感じ。
ホールの横では酒とめしを売ってます。
屋根の下の座席から振り返ったところ。木造なん?結構マッシブです。
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どこまでやっていいのか分かりませんが、キャップかぶったままの客もいるし、演奏中も写真とったりしてるんですよね。ということで弊管理人も1枚失礼した。すごいいい席を確保したのが分かると思う。
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今回は明確な目的があって、モスクワ生まれの若手ピアニスト、マロフェーエフがソロを弾くラフマニノフの2番。3番の動画がyoutubeにあるのを教えてもらって、おおこれは一度ナマで見ておこうと思ったのでした。
テクニックはすごい安定していて、自分勝手な演奏をするのかと思ったら、打ち合わせの上でオケを思い切り走らせておいて飛び乗るという方式。実は指揮者をよく見ており、緩急や歌い方はとてもしっくり来た。超僭越だが「うまい弊管理人」。
会場の特性だろうけどピアノの音量はオケに負けており、脳内補完を相当しないと聞こえなかった。観客は立って拍手したけど、一度マロフェーエフが引っ込んだら拍手が止みかけ、若干つんのめり気味に出てきてアンコールを弾くという背筋の冷える場面も。

メインディッシュはホルストの惑星を、めっちゃでかいスクリーンで観測画像などを見ながら鑑賞するという企画。映像を弊管理人がもともと持っていた知識を使って見るという気散じをしてようやく聴ききった。このいかにもイギリス人が書いたヤマもオチもない退屈な組曲は、視覚情報がないとつらい。ナショナル響の演奏はよかったです。
帰りは予想通りクッソ渋滞。でもまあ急ぐ予定ではないのでゆっくり帰りました。

* * *

土曜は友人のZ世代とまたHan Palaceに点心食べに行っておしゃべり。

5月にケンタッキーのカレッジを卒業して、学位を取るための最後のステップとしてDCの都市農園やってるNPOでインターン中。地元で仲良しだった女の子とルームシェアしているが、8月にはいったんケンタッキーに帰ってお母さんの誕生日祝いがてら10月からのスペイン行きを準備する。スペイン南部の田舎町で英語の先生をやるけど、モロッコとかイタリアに旅行するのも楽しみなんだって。

お母さんはもと軍隊にいたことがあって(軍人かどうかは聞き忘れた)国外各地に住んだことがあるけど、それは彼が生まれた頃には退役してたので自身は中南米以外は国外旅行したことないと言っていた。「帰ってきたら故郷のケンタッキーじゃなくてDCに住むと思う」。親戚や友達もいるしねって。いろいろ自分で決められる年代だし、そういう社会だよね。

それにしても話は一貫してるし、世の中のいろんな仕組みについて一通りの理解と意見を持ってるし、23歳を感じさせないな。アメリカで中高過ごした友人(日本人)に言わせると「アメリカの大学出たくらいの子はほんとしっかりしてる」ということなので例外的ではないみたい。といって弊管理人自身の20代前半はどうだったかというと、いろんな滋養を純化した形で摂取してから日が経ってないせいか、それなりにいろいろ分かった感じの喋り方をしてたような気もするので、そんなに違いはないのかもしれないが、記憶を捏造している可能性もある。

彼の家に送ってから、おとといの夜に切れたフロアライトの電球を買いにBest Buy(ヤマダ電機みたいなチェーン店)に行ったがなかった。普通のより口金が一回り小さいE17、そんな珍しいっけ?Target(イトーヨーカドーみたいなチェーン店)にもなかった。結局、帰ってきてアマゾンで注文しました。

この際、うっかり傘を持たずに出たらスコール。今年の夏は去年より蒸し暑い気がする。エル・ニーニョ来てるしね。部屋の湿度も高め。冬の間は、前夜に洗ってカゴに入れておいた皿やグラスが朝には乾いていたのが、このところ乾いてない。

* * *

とか言ってるうちに7月上旬が終わるのびびる。

2023年07月04日

夏夏言う日記

最近とみに早起き。体が夏や。
ということで7月4日の独立記念日です。某所からお勧めがあったのでワシントンのお家であるマウント・ヴァーノンでイベントを見てきました。朝6時に目覚め。車で30分。9時開園。余裕。

ワシントンが独立宣言の読み上げを聞いていた。
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なんというかコスプレ会みたいでした。all men are created equalというフレーズが空々しいですね。
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しかしまあ豪華な立地と建物。
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名前の分からない奴隷の墓がいっぱい見つかったあたりにある碑。近くにあるワシントンのお墓には行列ができてましたがこっちは楽々アクセス。あと近くには「ここができた頃には先住民はほとんどいませんでした」(!)という説明書き。まあ奴隷制と虐殺でできた国だということを思ってしまうよね。
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アメリカに帰化する人たちの式典もやってました。その脇には「選挙人登録をしよう」というブースあり。
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植物園。
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この花が蜜蜂に異常に人気だった。
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帰りに売店見たら蜂蜜売ってました。アントレプレナーシップ……

暑かった。

夕方から、同業他社の人とご飯食べて、DCの花火を見に行くことになりました。
提案があった、デュポンサークル近くのBistro du Coinは前から行きたかったところ。やった!
中いい感じやん~
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029~
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でもって歩いて下っていくと、ナショナルモールには荷物検査だけですんなり入れてしまいました。すっごい人。
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去年はかなり離れたアーリントン墓地から見た花火ですが、今年は近くで見られました。予想外に迫力があって、夏・始まった!!っていう気分になりました。
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すごい人数が一斉に帰るのですが、雑踏警備ほとんどなし。でも押し合いにもならないし、地下鉄駅も混んでるけどするっと乗れて帰宅できました。60万都市の人口密度ね。とてもいいと思う。
疲れた。楽しい夏になってほしいです。

* * *

そういえば咳と鼻水は6月半ばにあらかた消えました。
部屋の湿度が冬の間は20%台まで落ちるところ、60%くらいをキープするようになったのが大きいのではないかと推測しますが、単純に時間による回復かもしれないし、気温が上がってきたせいかもしれません(暖かくなるタイミングからは遅れたが)。

5月に受けた健康診断の結果がきて、血液検査では好酸球が高かったことが分かりました。つまりアレルギーだ。コロナの持続感染とか臓器損傷による後遺症ではなさそうでちょっと安心。今年アメリカ人たちがやたらひどかったという花粉症だったか、何かのダストか。先日、カナダの山火事で空気が悪かった時にも咳がぶり返したので、なんかそういうものに反応しているような気もする。

2023年07月03日

しちがつ

7月一発目は写真もなく箇条書き。
→【追記】部屋の写真足しました。

・カナダの山火事の煙が流れてきてDC界隈の空気質が最悪だったので在宅多めだった
・仕事はわりとしていた

・アメリカ人の友達の家に行って映画見てカウチでピザ食べた。すごいアメリカっぽい
・一緒に映画見ながら食べたり飲んだりしようと思ってスナックとワインを持っていったが結局消費せずに置いて帰ってきてしまった。翌日「スナックありがとう!」といって食べてる写真が送られてきた。ま、これはこれでいいか

・ハーマンミラーのAeronていう椅子がきた。
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新品を買うと$1200超するが、ebayでニューヨークの業者から新古品(Open box)を$500ちょいで買ってみたもの。評判のいい椅子ではあるが、そこまでかな?という気はする。しかし初日はさらに違和感があり、それから日が経つほどしっくりきつつあるので、ひょっとしたら馴染む必要のある製品なのかもしれない
・なにより何度も書くが、足元のフットレストが秀逸です。ほんと姿勢が楽になった
・ソファがないのに椅子が3つになってしまった。でもデスクチェアをわざわざ電ピのところへ持っていって弾くのは面倒といえば面倒だったので、これはこれでよし

・焦がしネギのそばつけ汁を研究しており、わりといい線いっているのではないかということでラーメンへの応用を図っている。ラーメンが好きなわけではないが、そばが続くとさすがにちょっと変化が欲しくなってくるため

・先週末に外仕事でめたくそに焼けた頭が脱皮期に入り、ゴミが落ちてくる

・日曜は珍しく夕方に昼寝。30分後に目覚ましをかけたが案の定2時間寝た。でも寝られそう

・Kindle Unlimitedおためしで2ヶ月間、99円/月。ラインナップはいまひとついけてないものの、正規の990円/月でも雑誌を2冊読めば元が取れるのはまあいいといえばいい。更新するかどうかは微妙だが

・なんとなく仕事の予定の混み方が緩和した感じがするんだけど、ひょっとして世の中、夏休みモードに入りつつある??

* * *

今週いろいろと勉強になった英語。アメリカ人の遊び友達ができたのがでかい。

・JK =Just Kidding。テキストでjk, jkと言われた。「冗談冗談」ということね。

・sleep in 「いつもより遅くまで寝る」の意。
I'll sleep in tomorrow.で「明日は寝坊するんだ~」

・play it by ear 「臨機応変に」。これは全く知らなかったし意味も推測できなかった。ググってやっと分かった。
Hmm, I think I might be a little busy during the day Saturday but closer to the evening should work. We can play it by ear :) うーん、土曜の日中はちょい忙しいんだけど夕方近くならいけると思う。ま、空気で。

* * *

◆町田健『チョムスキー入門』光文社、2006年。

仕事上の都合でちょっと。アンリミテッドで読めるので加入した次第(フルで本代払いたいわけでもない読書だということ)。大学生のころ言語学どうかなと思って覗いて、結局あまり興味が沸かなかったのを思い出した。

2023年06月26日

酒・女・歌

2週間ぶりの日記。

前の土曜は、同僚および仕事先の人をDirt Farm Breweryに連れて行きました。
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二人とも喜んでくれたようでよかったよかった。

日曜は友人とタイソンズのHan Palaceで点心。
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あっここはよい!
車でここにくる途中に音楽かけてたらコルンゴルトのバイオリン協奏曲が流れてきて、友人が「これ何?」っていってスマホを近づけました。Shazamというアプリに聞かせると曲名を調べてくれるのだね。インストールしました。

この土曜は仕事でした。
ロー対ウェード転覆から1年。ユニオン駅の前の広場で中絶擁護の人たちと反対の人たちが集会と、最高裁までのデモ行進をやっていました。当然というか女性多いね。で、ご多分に漏れず集会の開始予定は30分以上遅れ、そのあと30分くらいで終わるかなと思っていた入れ替わり立ち替わりの3分スピーチは当たり前のように伸びて、一向にデモが始まらないことに一部の参加者はridiculous!!と激怒していました。弊管理人は途中から嫌になって日陰でうとうとしてました。朝が早かったので。
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古いフェミみたいな人たちが多かったですが、若い人もそこそこいました。DC周辺は中絶制限にあからさまに動いた州はそれほどないせいか「自分や周辺はまだ恵まれてるけど」といいつつ「全ての人の問題だから」とプラカードを掲げて最高裁を目指す人が多く、偉いなあと思いました。最高裁ではこれまた女性の中絶反対派がどんちゃんやっており、ドラム対メガホンで双方が応酬していて大変賑やかでした。

反対派は「中絶は殺人」「私の体は私のもの、ではない」。中絶の権利擁護派は「最高裁は身体に介入するな」「(女性のパンツはいた陰部のイラスト入りで)ここは私の土地」「統制すべきはペニスのほう」などとメッセージは激しめ。
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プラカードは両面にメッセージが書かれており、メガホンで叫ぶ女性たちを正面から撮影しても映り込むし、最高裁に向かって拳を振り上げている人たちを背後から撮影しても読めるようになっている。グループにより緑のスカーフやピンクのプラカードと色を統一しており、運動はとにかく静止画にせよ動画にせよ「撮影されて映えること」を必要としているのだと思いました。

雨は大丈夫かなくらいのつもりで帽子もサングラスも日焼け止めもなく丸腰で行ったらかんかん照りになってしまい、すごい焼けました。まずい。会社に帰ってからずっと氷をハンカチで巻いて冷やしてましたがどうなるかな。

そういえば原告のロー(仮名)はその後、中絶反対派になったのだと同僚に教えてもらいました。へー
そのあと24:40まで仕事して、結構疲れて寝ました。

明けて日曜は、両足首を痛めた友人を車で拾ってシャーリントンというちょっと南の街にあるCopperwood Tavernというレストランでブランチ。
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朝「めしくう?」という話をしたときには「出掛けてもいいけど家で出前でもいいよ」と言っていたのですが、絶対あなた先週部屋から出てないでしょと思って、車で連れ出すことにしました。
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スモークサーモンのエッグベネディクト。ブランチっぽ~い。
「犬と二人きりでちょっとおかしくなりそうだった」とのこと。ほらあ。外出てよかったでしょ。プエルトリコ出身、ラグビー経験者の巨漢なんですけど、もともと怪我しやすい片方の足首を庇ってたらもう片方もやってしまったとのこと。痩せたら……と言いかけたものの、見てるとご飯もちょっと残すくらい小食なので痩せる余地はないなと思い直したのだった。「それでどうやってその体を維持してるの」という問いかけに答えはなかった。

ほんで夕方からは同僚宅にお呼ばれ。もうすぐ帰国です。
「自分で飲むものとスナック2種類お願いします」と言われてその通りに持っていったら、他2組はすごいいろいろ持参していた。ぐぐぐ。
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バーベキューはメリーランド州ジャーマンタウンといういかにもな名前の街にあるアミッシュのお店から買ってきたお肉。伝統的な飼い方で育てた牛だとかで、ホスト同僚の奥さんは臭みがなくて好きだとおっしゃっていた。
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確かに激うまであった。

それにしてもベセスダという国際色豊かな地域の一戸建ては広かった。正面には4台くらい停められる車止めとガレージ、バルコニーに椅子を置いて夕涼み。裏庭もあり、家主が「ドールハウス」と呼ぶ子ども用の小さな離れが建っています。
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何度も書いたと思うが、アメリカはカネがあるなら楽しいところだろう。
弊管理人抜いて3世帯はお子さんも来ていたが、すぐに仲良くなってスイカ割りしたりゲームしたりしていた。これもアメリカの環境が影響してる部分がちょっとありそうだが、やはりケンタッキーから来た黒人のZ世代が言ってたように、概して崩壊してる教育制度の中でお金のある地域が特殊に輝いているだけなのかもしれない。

おなかいっぱいご飯をいただいて帰ってきました。
この週末はぎっしり詰まってた。月曜は暴風雨という不穏な予報が出ているので、そもそも会社に行くかどうかが怪しい。

* * *

しかしボストンから帰ってからの2週間が光の速さで過ぎた。何をやってたかというと大したことはしてないが、ぱたぱたしているうちに1日が終わっていく感じ。

* * *

自宅にフットレストを導入。椅子を高めにして前傾になるのを避け、前腕を机に置いて少しリラックスした姿勢になれるようにした。とてもよい。これはイノベーション。いや大袈裟ではなく。
その勢いでちょっといい椅子を注文してしまいました。届くのは来週。

* * *

給与改定。海外用の給料に通貨レートとインフレを加味した指数を乗じて算出するのですが、この指数が昨年より2割くらい上がっており、この円安の中でドル転しても2022年より受け取りが上がるくらい額面が増えました。しかも弊管理人は来年の帰国に向けて計画的に銀行のドル残高を減らしていくため、ドルでの受け取りをこの4月から減らしてるので、円で日本の口座に入る分が異常に多い。ちょっと引いた。

* * *

咳、回復度95%くらいまできました。たまに咳、ときどき痰(しかし体力を使わない咳払いを習得したので負担感はない)、生活が侵されている感じはほとんど消えました。
単に時間がたったからかもしれないし、冬の間、水まきをしてるのかくらい加湿器を回しても28-29%だった室内の湿度が50-60%になり、外も暖かいという季節要因という気もする。いずれにせよいったん回復したらその状態を体が覚えてくれるとありがたい。

* * *

トイレットペーパー、6個入りより18個入りのほうがだいぶ単価が安いのでそっちにしようかなと思って手に取ったのですが、1カ月に1個として帰国までに使い切らないかもなと6個のほうにしました。そういう時期。しかしまだ1年以上ある。また25日が過ぎていき、滞在21カ月目に入っています。

2023年06月11日

ボストンなど

先週は月曜だけDCにいて、あとは金曜までボストンでした。日本語は月曜の数時間と、あとは電話で数分くらいしか喋りませんでした。珍しいけど本来の駐在の姿ではある。

えっと駆け足で。
出掛ける前なのにとうもろこしご飯を炊いてしまった。
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月曜の昼に食べたほかは、おにぎり2個作って、火曜の朝飯と飛行機内での間食にしました。

で、ボストンです。火曜、アメリカン航空の9時DC発の便に乗ろうとしたら、ばたばたし始めて「無期限遅延」が言い渡されました。もうほんとに私前世で何かしました?っていうくらい毎度普通に飛行機が飛ばない。
しかし段々旅慣れてきているので「やれやれ」とか言いながらカスタマーサービスのカウンターに並びつつチャットで解決を求めたりしておりました。カウンターで「まだ飛ぶかもしれないから、次の便のスタンバイに名前入れつつちょっと待ってみたら」と言われて「飛ばねーだろうなー」と思いながら待っていたら飛びました。珍しい。

空港に着いたのが昼前でしたが、日光がオレンジ。そういや上空からもほとんど街が見えないくらいもやがかかっていた。後で知りますがカナダの山火事で東海岸の大気汚染がえらいことになっていたらしい。
これは夕方ですけど、ほんとにこんな色の太陽でした。
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今回は4日間の出張で、メインは後半2日。そこにちょうど行ってみたかった展示会2日間をくっつけてみたのでした。展示会場を歩いて歩いて、講演聴いて聴いて、で終わっていきました。街はこんなですが、あまり見てる時間はありませんでした。
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ボストンは宿が普通に1泊300ドルとか500ドルしていて死にそうでしたが、3泊のうち2泊は招聘元が取ってくれるという有り難いことになり、自分で確保する1泊は民泊みたいなところにしました。100ドル。やっす。空港の近くにあるヒスパニックとか貧しめの白人が多い地域の長屋の一室でしたが、特に危ないことはなく、近くの中華屋で焼きそばをテイクアウトして宿の共有の台所で食って快適に就寝。

後半2日はハーバード大学医学部で研修みたいな感じの仕事。
これがなんか一番象徴的なホールらしい。仕事は右側の建物です。
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缶詰で入れ替わり立ち替わり先生たちが来てくれて講義が続く2日間。結構なじみのある分野だったので質問もいっぱいした、つもり。同席したのは同業他社の人たち10人くらい。何を間違ったか外国人は弊管理人だけだった。学校自体はアジア人が多かったです。
この2日間はむちゃくちゃ勉強になったし充実感がありました。頑張って書類作って募集に応じてみてよかった。これを無料でやってくれる心意気に報いたいところです。

ところでキャンパス近くのブルックラインという街は低層の古い建物が多い、ええとこな感じの地域でした。日本スーパーもあった。そんなに日本人いるの?

夕飯食べたのはプレーリー・ファイアという原野火災みたいな名前のバー。
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ドン・フライ的ラウンド髭で強そうだがくりくり目がかわいいおっちゃんバーテンダーに「魚のグリル食べたいんだけど一人だと多いかな?」と聞いたら「夕飯に一皿だったらちょうどいいと思うよ~」と言われたのでプロセッコと一緒にいただきました。
大西洋オヒョウ!
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ほくほくの白身でむっちゃうまかったです。何回か書いた気がするけど、やっぱりアメリカ人てグリル料理が焼きも味付けも上手だと思う。

2日目が終了したときは帰りの飛行機の時間が結構厳しめだったので、ウーバー呼んで空港までまっしぐら。しかしよく渋滞する街です。そこそこ余裕で着いてよかったです。
嵐がくるという予報で、DCから来る飛行機が若干遅れましたが、そのころには天気が回復しており、なんと弊管理人が乗る便は定刻出発!!珍しい!!!
ちょっと会社寄って帰って寝ました。

* * *

土曜はメリーランド州ベセスダの「ワシントン日本語学校」でちょっとだけ午前中の仕事。
同僚のお子さんがいたり、奥さんがスタッフやってたり、仕事先の知ってる人が来客対応してたりでめちゃくちゃ狭い世界でしたが、子どものいない弊管理人はこんなことでもないと来る機会がないので楽しかったです。
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わりと盛り上がって昼前に現場がはけたので、知り合いと昼飯に行くことにしました。
15分くらい北に行って、ロックビルという街のBob's Shanghai 66という点心のお店。
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あ、小籠包も水餃子もちゃんとしてる。台湾留学経験のある同行者も満足してました。

* * *

日曜はDCのデュポンサークルでやってるファーマーズマーケットへ。
写真忘れた。桃を買いました。
プエルトリコ→フロリダ(このコースは典型的らしい)→DCときた友人とひとしきり物色し、近くのカフェでコーヒーとサンドイッチ買って食べて、家に寄せてもらって駄弁ってました。

うっかり「そういやアメリカの市民権持ってるの?」と聞いてしまった。大失敗。海外領土やっちゅうねん。しまった。でも「よくあるよくある」と笑われました。
親はフロリダにいて、コロナがひどかった期間は何か月か戻っていたそうです。フロリダといえばミニ・トランプの異名を取るデサンティスが知事。「いろいろ悪いことがあるだけに戻ろうかなという気にもなる。問題があればそっちに向かっていかないと解決しない」と言っていて、この友人は33歳ですが、先日のZ世代も含めちゃんと戦う気概があるの偉いなって思いました。

プエルトリコはスペイン語で、子どもの頃にフロリダに移ったので英語とスペイン語のバイリンガル。お母さんとはスペイン語と英語のちゃんぽん、お父さんとはスペイン語で喋るそうです。しかしスペイン語は自然に習得しすぎて、学校でとったスペイン語の授業は文法で躓いたんだって。ほほう。あとフランス語もできるそうです。

コンサル会社で仕様書なんかを書くテクニカルライティングをやっていて、出社は今でも月イチ。部屋は半地下ですが、外を歩く人たちの足が窓から見えて、これはこれで見ていて飽きないですね。たぶん結構お金もらっているはずで、海外旅行も結構行っているのだけど、住居費はそんなにかけない主義かな?今年はタイ、ロンドンとガツガツ歩きすぎたので次はメキシコに行ってゆっくりしたいんだって。スペイン語ができると西半球の行動範囲が広がっていいな。

午後早めに辞去してアパートのジムで運動してシャワーあびて豚キムチ作りました。成功!
しかし写真忘れた。今週は忙しく動きすぎて写真少なめ。

* * *

ということでアウトプットすべきものが結構たまってしまいました。コツコツいきましょう。

2023年06月04日

インタブーZ

Z世代をナンパして、フォーとベトナムコーヒーおごって話を聞くという土曜日。

・ケンタッキー州出身、23歳、黒人、183センチ125キロ
・先月カレッジを卒業したばかり。専攻は農業とスペイン語。ダブル学士を目指したがコロナで時間が足りなくなってどちらかだけを選ぶ事態に。結局、農学士を取った
・現在、DCの都市農園関連NPOでインターン中。作物は地域の低所得の人たちにあげたりする
・秋からスペインに渡り、英語の先生をやる。特別な資格はいらず、大学を出てればいい。そういうプログラムがあって(日本のJETみたいなやつでしょうな)、これからビザのこととか住むところのこととか調整するので忙しくなると思う
・車はKYの自宅に置いてきた。KYは車がないと生活できない。DCに親族がいるが、バージニアでアパートを借りて地下鉄通勤。駅までちょっとあるので自宅の近くでレンタサイクルを探すところから1日が始まる。バージニアはケンタッキーと景色が似てる(Q アパラチア山脈のあっちとこっちだもんね)あーそうね
・農学の勉強は経済、バイオなど最初のほうはいろいろ科目があって、学年が上がると理系っぽくなる
・農学を選んだのは、いつか農業で自活したいから。国際貢献みたいなのはあまり考えたことない
・テレビは時代劇を見る(番組名聞いたが失念)。ニュースはテレビで見ない。いまCNNとかMSNBCなんか見るのは50代以上じゃないか。自分たちはだいたいネット。Voxなど
・大資本のメディア、民主党、共和党もみんな同じような人たちが動かしてるので、どの党を選んでもあまり、って感じ。(Q そういえばアメリカの人ってコミュニティっていう言葉をよく使うよね)究極的には政府は信じられないと思っているから
・(Q アメリカの人って結構自分の先祖がどこから来たとか調べたりするじゃないですか。自分の家族の系譜とか調べたことある?)ancestry.comとかあるが、母親やばあちゃんについこの間聞いた(KYの地図を描いて説明)。父親はアラバマの方から来たとか。1865年より前のことはよくわからない
・(Q アメリカに来てチップが残ってるの不思議だった)奴隷制に根ざしてる(→New York Times 2021.2.5の記事「チップはもともとヨーロッパのノブレス・オブリージュに起源があり、貴族が目下の者に与えるボーナスであった。しかしアメリカに渡ったレストラン企業は、黒人に賃金を払いたくないために、チップを賃金の代わりにしたのである」)アメリカの経営者が正当な賃金を支払ってないだけ
・もともとが(先住民の)ジェノサイドと奴隷制でできてる国。企業は富を独占して政治も動かしていて、今も貧乏な人をしいたげて国が回っている。都会に住んでる白人で裕福だったらいい国だろうけど
・(Q でも同僚はアメリカの教育はいいと言ってた)本当にそう思う?(ここはかなり強い否定が入った)公的なカネが教育に入ってない。先生は十分に給料もらえないから集まらないし、子どもはストリートに出てる。ブッシュの時からずっと警察にカネ付けてきたけど治安はよくなっただろうか?自分は幸運にもハイスクールいって、コミュニティカレッジまで出られた(privilegetと言った!)けど

インスタを見せてもらったら、学費無料のコミュニティカレッジを5年かけて出たようです。Z的言説を再生してる部分はあるかもしれないけど、それにしても端々に的確な単語を使い、よく咀嚼していて知識も豊富だと思った。社会に対してかなり批判的ではあるが恨みがましいわけでもないところをみると、裕福な背景ではなく一流校に行ったわけでもないもののちゃんとした家庭で育った相当頭のいい子なんだろうと推測します。こちらの英語力をみてか、分かりやすい言葉で説明してくれていました。

てか2000年生まれ!サステナビリティもカレッジで勉強したという話から気候変動の話題に移って「君は22世紀を見るかもしれないしね」と言ったら、それは初めて気付いたようで「政治家は22世紀まで生きないからマジ考えてないよね」と言った。

ここの民主主義はニセモノ。
(Q でもどこに本物の民主主義があるんだろう)いいこと聞くね
(Q ユートピアはないよ)ない。でもだんだんよくしていくことはできるんじゃないかな

もうね、なんというか、いろいろ嫌なことはあると思うけど、彼はこれから何にでもなれるし、何かになれると思う。日の沈む国から来たキャリア終了間近のおじさんは見ていて眩しかった。
夕飯は家で冷蔵庫の残り物を食った。

* * *

日曜。西の方(アパラチア山脈方面)にブルワリーのロケハンに行きました。
最初はBear Chase Brewing Companyです。
眺めよい~
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子ども連れ歓迎ですって感じで檻に入れられた動物もおりました。
なんかくれるのれすか~
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ただ写真を撮られるだけと悟ると一瞬にして興味を喪失されました。
ちょうど昼時だったのでハンバーガー食うなど。
なんか複数家族が一緒に遊びにきている感じのグループが目に付きました。まあどこを見ても白人の遊びなんだなとは思うが。
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先週後半は日中30度くらいまで行き、スモッグみたいになってあちーなーという陽気だったのですが、日曜になるとやや気温が下がり、ブルワリーは山だったのもあってひんやり気持ちよかったです。

近くにもういっこあるブルワリーに転戦します。こちらはDirt Farm Brewingです。
さっきのBear Chaseよりもこぢんまりして静かな感じ。食べ物はフードトラックで調達しますが、さっきハンバーガーを食べたのでグラスビールのみ。
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どっちが好きかと言われたら意外とDirt Farmかもしれない。壁際に並んでる席の下にも斜面にテーブルが並んでいます。DC圏から50分くらい、これくらい離れるといいとこでも混み混みというわけでもなくていいです。

* * *

先月末に書き忘れていたが、まる20カ月が終わって21カ月目に入りました。あと14カ月。うーむ、半分過ぎたのでもう後は下り坂という気分になっていたが、14カ月と思うとまだ結構あるな(※来年7月に帰っていいとは誰も言ってない)。もうちょっと家具とか買うか……?

8月は2人が異動するようです。

2023年05月27日

地下罪人と屋上博士

地下鉄降りて上りのエスカレーターに乗ったら、前の人の足首になんかついてるのが見えました。
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Heyクールじゃん何のアイテム?って聞きそうになりましたがGPSだなこれは。
軽犯罪か模範囚だと在宅での服役になるそうです。動き回っていいのかというと、地域社会での更正という意味合いもあるので、礼拝とか仕事とかは裁判所が認めれば行っていいらしい。ただし外すと即刻、管理者にアラートが行く。
で、これ付けたお兄は予想通り改札をジャンプし、無賃乗車して去っていきました。牢屋に戻りたまえ。

* * *

ちょっとした仕事のつもりでDC中心部のオサレなビルの屋上に誘われてみると、そこはただの立食レセプションであった。
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日本人と固まろうにも日本人が全くおらず、白ワインもらって目立たないように飲んでたら次々と話しかけられ、結局普通にパーティー参加者となってしまいました。

こういう流れが普通のようであった:
・お盆持ったスタッフから飲み物をもらったら適当なテーブルにたたずむ
・同じく飲み物受け取ってふらっと来た人と握手してファーストネームを名乗る
・自分が何をしてる人かとか一応ちょっと言って、あとは会話
・あまり一人を独占せずに、「じゃ」とかいって次のテーブルに「今きたんですけど僕」的な風情で寄ってを無限ループするのがいいっぽい

学術系の人が多かったのでまだ話しやすかった。パキスタンがフィールドの社会学者(統計屋)、細胞生物学から(静岡の遺伝研にもいたとか)足を洗って研究支援で世界を飛び回るおにいさん、世銀とかとつるんで途上国開発支援するコンサル、なーどなーど。
6~7割くらいしか聞けてないかもだけど、おしゃべりはできた。専門的な話のほうが分かりやすいし質問しやすいというのは相変わらずそう。
で、アウトプットには至りませんでした。

* * *

Capital Grilleというステーキのお店でお昼の仕事会食。
熟成肉の14oz(≒400g)骨付きニューヨークストリップ。柔らかめだがわりと噛み応えのある肉(ニューヨークストリップは肉の種類)で、ガーリックバターソースがよく使われるもよう。
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高級店のわりにはBBQっぽかったです。つまりガワがかなり焼けてた。ミディアムレアを指定したらちゃんと中は赤かった。また行くかと言われるとうーんだが、Yelpの評判はすごいいいんだよね。うーん

* * *

地下と屋上と高級店を巡って着地するのは自炊メシ。
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配置から盛り付けから雑すぎるが、ざるそばと鶏の塩だれ丼セット。なんか塩だれ食べたかったんですよ。初めてでにんにくを効かせすぎたきらいはあるが満足しました。

* * *

戦死者を追悼するメモリアルデーという祝日が月曜なので、この週末は3連休です。空の便が大混雑だとか、プール開きだとか、ビーチに向かう橋が混み始めましたとかニュースで言ってました。また1年の中で最初のセールの時期でもあるっぽい。

2023年05月21日

晴れ、涼しい

なんか過ごしやすい1週間でした。確か。もう覚えてないんだけど。

金曜は朝から家で仕事をしていて、夕方からメリーランド州ベセスダの国立衛生研究所の寄り合いに参加させていただきました。
せっかくの機会なのになんだか疲れており、懇親会に出ずに帰りました。午後7時。構内の木がやっと傾いてきた日に照らされていてきれいだったので1枚。
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そういえば週半ばはまた咳がひどくなって難儀しました。木曜の夜に酒を飲んで喋りまくったのがよくなかったような気がする。金曜の疲れはそれだな。

日付が変わる前に寝て、土曜は元気でした。起き抜けの咳も出ず。これ結局、体調を整えていれば平穏という話のよう。
土曜はお誘いいただいて4人でワイナリーに行きました。昼前にDC某所に集合。
寒い頃に一人で行ったWindridge。すごい賑わっていた。
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今回はボトル1本(30ドルくらい)買って、食べものは持ち寄り&持ち込みでピクニックです。
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ホストのおねいさんが車を出してくれた上にサンドイッチとかチーズ、サラミなど用意してくださり、お腹いっぱいになりました。弊管理人はブドウとポテチ持参。
「だいたい1日に2,3カ所はしごするんだよ」とのこと。他のグループもそうなのかは分かりませんが、結構出入りが激しかったです。以前も「日本人は1カ所でダラダラしすぎなのでは」と思ったことがありましたが、その予想が強まりました。
2カ所目が終わったところで17時。「雨降りそうですね」とそれとなく帰宅を促しましたが全くひっかからず3カ所目に移動。もともと目指していたところは18時終了で間に合わなそうだったので、わざわざ検索して20時までやっているところを見つけて、バージニアのちょっと北の方のEagletreeというこぢんまりしたところに入りました。
やっぱり雨が降り、上着を車に置いてきたので寒かったです。
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メンバーのうち1人がネットで見たあやふやな話などを延々と披露していてとても時間が長く感じた。寒いし酒が回って疲れてきたのもあり、最後のほうはちょっと辛かったです。
でも連れ回してもらったのはありがたく、昼間は燃えるような緑の中で日陰は風が涼しくて心地よかったのでいい土曜日でした。
人に車乗せてもらって遠出って久しぶりかも。20時、雨が上がりかけて、振り返ると夕焼けが見えました。
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* * *

日曜はDCの東南地区にあるアナコスティアというところの博物館へ。スミソニアンなんだ。へえ。
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黒い人多いな、と思ってwikiを見たら9割がアフリカ系。しかし1960年代までは白い人が多く、周辺の開発に伴って流出した結果こうなったらしい。意外と最近のことなのですね。博物館もそういう「困難と闘争」系がテーマのようです。
「女性と環境正義」に関する展示が始まったというので見に行きました。ネイルサロンでの健康被害、養殖業での低賃金労働など、おおそれも環境正義か、という驚きがあった。宗教の役割、経済、女性の権利、投票権は「全てつながっている」というまとめ。
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ほかに「Z世代がジェントリフィケーションについて考えてみた」というパネル展示(上の写真)がさすが。先日ユニオンマーケットに同僚と肉を食べに行ったとき、古い街と開発がせめぎ合ってますねみたいな話をしましたが、まさにあそこが最前線だった。

駐車場にはFeed the Fridgeの冷蔵庫があった。寄付金を元手にして近隣のレストランに料金を渡して料理をここに入れてもらい、必要な人に持っていってもらう試み。コロナ禍に始まったそうです。外食産業の危機と、子どもや高齢者の飢餓を緩和する一挙両得というわけね。
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* * *

【覚えた英語】
Godspeed! いってらっしゃい

* * *

今週はローキーだったのでこれくらい。

2023年05月17日

外仕事なにかと

いやしかし、そのまあ、なんだ、外仕事がわりと立て込むようになってきて、歩く機会が増えたのはいいことです。今週は全米科学アカデミー。天気いいですね。火曜は若干蒸し暑かったけど、水曜(今日)は涼しくて麗らかでした。
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1924年竣工。中の「グレートホール」はこれだったりする。アールデコなのか。ドームの高さは17メートル。講堂ができるまではここがイベントホールだったとのこと。
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やっぱりデニッシュとコーヒーが置いてあって、みんなもぐもぐしながらおしゃべりしていた。
ちょっと初めましてのセンセに挨拶しようと近寄っていったら「あっなんか頭いい博士2年みたいな顔してんね。いくつ?」と聞かれましたが、年齢を言ったら光速で流されました。結局1時間半話し込み、昼飯を食べないうちに昼休みが終わった次第。

お腹がすいたのでマクドに行ったらスパイシーナゲットがありました。
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からあげクン・レッドの勝ち。

* * *

Nokishitaのベーコン卵ほうれん草パスタが食べたいなと思って再現を試みました。
溶き卵に塩と粉チーズ入れておいて、ベーコンとほうれん草、あと余ってたマッシュルームを醤油やみりんで炒めてパスタ絡めたところでざっと入れてかき回した。卵の生食が勧められない国なので、若干だまだまになるくらい火を入れます。
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1回目はちょっと味が弱かったので2回目は醤油を増やしたらちょっと強かった。たぶん次は成功。朝ご飯ぽい味のNokishitaよりカルボナーラ寄りになったが、おいしかったです。

* * *

[sentences were deleted for security reasons]なんかさあ、弊管理人は違うけどみんな家に帰ればお父さんお母さんだったりするわけで、それが職場でいじめられて病んでるとか悲しすぎるでしょ。いい大人が何してんのと。ガキみたいなおっさんの多い会社にはいいところもあるが弊害もいろいろある。しかしまあユートピアはない。何の話だっけ。

* * *

7月、ちょっと会合でオランダに行きたい気がしたが、航空券代と宿代を見て萎えかけています。オンラインという選択肢もあるんですが、時差がきつい(大抵のことがDCの早朝に起きる)のと、オンラインなら見送っちゃえとか集中しないとかという問題。
一方、他の人たちはもっとすごいカネをかけて、弊管理人からするとそんなに行く必要ある?(※必要ないとは言ってない)みたいな出張をしており、あまり遠慮する必要もないかという気もし、せめぎ合っています。まあ行かないか。うーん。

2023年04月30日

寒い、肉、本

30度を超えたのはいつだったか週後半は肌寒く、日曜は最高17度、最低8度と出た。で雨。朝、目が覚めて雨の音がしてると安らぐほうです。

木曜、金曜と朝8時出勤、土曜は8時~24時40分勤務で早起きになり、日曜も当然のように8時前に目が覚め、cafe kindredという車で10数分のところに朝飯食べに行ってきました。
フレンチトーストとコーヒー。
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チップ込みで21ドル。別に高くない設定だと思うけど、日本円に直してはいけない。あと自炊だとだいたい週40ドルで収まるので、いかに人件費が高いかをあらためて痛感します。

してその効用は、手抜きしてがっつり食えるということが全て(味はだいたいどこも一緒)というのが現実。朝飯の探求もそろそろ終わりかもしれません。

* * *

瞬きしている間に週末、ではあるものの、週の前半を振り返ると遠い。
DC東側、黒い地域に食い込む開発の最前線。まだあまり入居してない真新しいアパートと、古い長屋の通りが隣り合うユニオンマーケット近くの、St.Anselmというお店です。
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同行者によると、農業団体が「結局DCの肉はここで決まり」と推していたとのことでわくわく。牛と羊を一皿ずつ頼み、あとはサイドで芽キャベツとポテト。
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正統派ド直球の牛ステーキもすごいが、ネギ塩?みたいな羊の「食べたことないけどすごくおいしい何か」感にやられた。アメリカのメシはまずいというのは旅人にとってはそうかもしれないが、住みながらディープダイブすれば、べらぼうな金額を出さなくてもうまいものは見つかるということ。

* * *

このところいい本に当たっていたし、それぞれ再訪する可能性はあるからポイントをまとめておきたいと思っていたけれども、時間がなく、あるいは無精のため付箋を付けたままここまで来てしまったので記して供養。

◆坪野吉孝『疫学―新型コロナ論文で学ぶ基礎と応用』勁草書房、2021年。
年始に新宿の紀伊國屋で仕入れた。臨床試験の論文は読んでると一定読めるようにはなるものの、プロがどこに感銘を受けるかというのは分からない。某疫病に臨んで業界が編み出した超スピード開発の手法がどんなものかも垣間見せてくれるいい本。もう1年早く出会っていてもよかったと思うが電子書籍になってないので仕方なし。そのうち再びざっと読みすべき。

◆杉山昌広『気候を操作する―温暖化対策の危険な「最終手段」』KADOKAWA、2021年。
温室効果ガス削減の2030年目標は達成不能なので、そろそろみんなCO2除去やら放射改変やらに(心理的な)逃げ道を本格的に求め始める時期だろうなと思って勉強。これはのちのち参照することが多そうなので、検索できる電子書籍で買ってよかった。

◆平野千果子『人種主義の歴史』岩波書店、2022年。
新書とはいえ人種主義で1冊もつのかしらと思って手に取った(これも新宿紀伊國屋で入手)ら、中身はほぼ「差別の近現代史」であった。世界が一つになっていく時代の包摂と排除の見取り図を、さまざまな地域・時代に飛びながら編み上げていく極めて濃厚な本。そこまで気にしてはいなかったが、なぜ白人を「コーカソイド」というのかとか、なぜナチが「アーリア人」にこだわったのかとかを遠い昔不思議に思った覚えがある。その辺の疑問が次々と解決されていった。これも頭に定着させるにはもう一回ざっと読みが必要。

* * *

SNSでときどき盛り上がる性格診断、そんなに乗るほうではないのだけど、ふと見かけた16Personalitiesというのをやってみました。

「性格特性の多くが相互に否定している」つまり内向的なのに社交的で、計画的だが変更を受け入れ、道理を重んじるわりに分析的、細部にこだわるが予定通りに作業が終わるとか、まあそういう感じ。

「そういう性格の類型がすでに同定されている」ということがポイント。非一貫性とか矛盾として問題化してもいいが、「どこをとってもアンビバレントという点で一貫している」というまとめ方もできるわけです。前者は若い理想、後者は老いの諦念――あるいは解決しない問題を解決しないまま消化/昇華する技法――ともいえる。

メタに立ってみれば「内向的なのに社交的に見えるのは、内面を他人に侵されないために一定の距離を取ったところで社交をこなす技術に長けているためである」という具合に共通の地面を見つけることはできるのだけど、階層を上がると実用性は落ちるものでもあり、必要な時にだけやればよろしい。たぶん。

* * *

日本は大型連休か。なんかみんな楽しそうね。
当地へは単身赴任で、今月頭に子どもの卒業式のため一時帰国した他社の人が「もう家庭に自分の居場所がないことが分かった」と言ってました。離婚はしないかもだが、もう離任まで帰ることはないだろうとかなんとか。

滞在20カ月目に入りました。
あと15カ月(※2024年7月に帰っていいとは誰も言っていない)。

2023年04月22日

テキサスからコロラド

ばたばたと出張でまたテキサスです。
今回は土曜夕方にDCからサンアントニオという空港に飛んで、そこで車を借りて一泊して……と思ったらユナイテッド航空が3時間半遅れ、サンアントニオのHertz(レンタカー屋)が24時までだったのに25時着。まあ一応もう閉まってることを確認しよう……と同行の人と一緒に行ってみたら店員さんがまだいて借りられました。アメリカにしては奇跡。車の予約時に搭乗便を登録していたので、到着遅れを知っていて延長してくれていたのだろうか。

空港近くのホテルに一泊して、翌朝から4時間半ほど車で南下。
法律事務所の広告もさすがワイルド。
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ほぼメキシコ、くらいのところにあるブラウンズビルという街に到着します。これがあるところです。
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これらの写真は誰でも入れるところから撮っています。と断っておく(誰に)。
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夜は地元でタコスを食べました。メニューがスペイン語のみ。店員さんも英語不自由。
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おいしかったです。メキシコ国境が近すぎて、携帯が勝手に国際ローミングを始めました。
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翌朝は3時半に起きて仕事。そして空振り。こちら側でタイミングが決められない再チャレンジは48時間後以降とのアナウンスがあり、しかし48時間で収まらない可能性もあると聞いて、同行の人と「河岸を変えるか」と急遽判断しました。

また4時間半かけてサンアントニオまで戻って、今度はコロラド州デンバー。
ここは移動距離がテキサスほどは長くないので、テスラを借りてみました。電気自動車、初めてです。
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・操作はタブレットで最初全然分からない。同行の人に教えてもらってやっとできた
・加速がすごい力強い
・アクセルペダルを離すとブレーキっぽく減速し、最初ちょっと驚く
・ブレーキペダルを踏むときは急停車くらい
・操作はタブレットで初めてだと分かりにくい
・やはり静か
・車体がでかくて、この横幅で京都は走れなくないかと思った
・充電スタンドを2回使ったが、給油なら数分のところが車内でぼーっと20分くらい待つのは不便ではある
・消費者からすればガソリンでも電気でも車は同じように走るわけで、高いだけのEVを買うインセンティブってあんましないなと思いました。電池がすごい安くならないと補助金漬けのままなのでは
なんかしかしロケットといいテスラといい、某金持ちの影がちらつく旅路だな。日本では分からない影響力の大きさを感じる。

コロラドスプリングスという1時間半くらいのところに投宿。Airbnbを初めて利用しました。
疲れすぎてて写真撮り忘れましたが、アメリカ人のお宅拝見で面白かったです。
仕事はリゾート。
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1日半ほど仕事をしてデンバーに戻ります。
高速に乗る前に、おしゃれ系コーヒー屋(スタバが2nd、ブルーボトルが3rdウェーブで、いま4thらしい)に寄りました。
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同行者がその場で淹れてもらうコーヒーを頼んでる横でレモネードにしました。

そんでデンバーに戻ってDC帰りますか……と思ったらデンバー空港のまわりだけ突然砂嵐がきて雪が降り(!)18時前発のユナイテッドの機体到着がまた遅れ、しかも21時ごろ飛行機は着いたから遅くなっても帰れるな、と思ったら「乗務員の労働時間が規定を超えたので明日の朝まで遅延です」と。ホテルを手配してもらうためのカスタマーセンターがパンクしており、結局空港の床で寝るという初体験。なぜ床に寝たかというと、ベンチはホームレス避けみたいな手すりがついていて横になれなかったからです。ホームレスの身にもなってみろ!
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ユナイテッドにクレームしたら15ドルの食事券を2枚で済まされました。だめな会社。

テキサスのほうの仕事は、われわれが飛行機に乗ってる間に展開して終わっており、DCに帰るのではなく無理してテキサスに戻れば戻って臨場できたのかなあという気もします。しかし今回の最低成功基準はそもそも仕事先に存在を認知されることであり、それは達成されたといえます。体力が限界に近かった中で、熟考した上でテキサスに戻らないことにしたのだし、テキサスに戻ろうとしたとしてもデンバー出発が遅延して辿り着けなかったかもなとも思います。

詰め込みすぎで二兎を追いつつ1.25兎くらいで終わりましたが、もともと日本ではあまり注目されてない仕事ではあり、まあいいかと整理をつけました。どうしても外せない仕事だったら、そもそもコロラドに転戦してなかったと思う。

コロラドの仕事は、テキサスのついでではなくそれ単独だったら行かなかっただろうなというものだったので、行く機会になってよかったです。それに、まだ知識がほとんどなかった去年でもなく、見たものを熟成させる時間のない来年でもなく、今年が最も適切なタイミングだった。

帰ってきた日は昼にダレス空港に着いて即刻帰宅し、シャワー浴びてメシ食って夜まで仕事をし、9時間ぐっすり寝ました。

今回の総括。
・やはり夜の航空便は遅れるリスクが高い(午後は天候が不安定になりやすい)
・アメリカはでかいので、移動が伴う仕事を詰め込みすぎない
・電話を含め、英語に抵抗がなくなってる。全部聞き取れてるわけでも流暢に話せるわけでもないが、英語話者に話しかける時のストレスがほぼない。諦めなのかもしれない

* * *

帰ってきた次の日はDCのLe Desalesでランチ会食。Steak Bentoだ。定食だなこれは。
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久しぶりに野菜もりもり食べた気がする。結構な量の経費精算を処理して、自宅のアパートの駐車場に不在中、清掃が入るため職場に避難させてあった車で帰宅。

* * *

年末に日本で散髪してから一度、襟足を刈ったくらいでだいぶ長髪になっていたため整えようとバリカンやったら失敗したので、また坊主になりました。

2023年04月13日

ヒューストン

実は今年最初の出張です。対面仕事は結構あったけど全部DCで、出掛けるのは久しぶり。
今回はテキサス州ヒューストンに1泊2日でした。

空港が北と南に2箇所あって、仕事は南のほうなんですけど、南の空港へは、DCからは年末に大混乱を起こしてがっつり株を落としたサウスウエスト航空しか飛んでいないので、ユナイテッド航空が飛んでる北のほうのジョージ・ブッシュ空港にしました。どっちなの?パパ?息子?

レンタカーはこちら。「店長の気まぐれ」的な安いプランにしたら、クライスラーのパシフィカというミニバンが来てしまった。気に入らなければ替えてもらえるんだけど、面白いのでこれに乗りました。
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ちょっと踏み込むと120km/hくらい出てしまうすごいパワーの車。ハイウェイには農業用一輪車が落ちており、みんな車間距離詰めてるくせにびゅんびゅん避けながら走ってました。ワイルドだな。

昼の飛行機だったので昼飯を食べるタイミングを外してしまい、ホテルまでもうすぐ、みたいなところでチャーチズ・チキンに入りました。
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職場の人が「好き」と言っていて、DCの外れにもあるんですが普段行かない地域なので、いつか……と思ってたんですよね。
2ピースと飲み物、マッシュポテトが付くセットで9ドルちょい。安いと思う。
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あー確かにうまい。衣を全部食ったら死ぬと思うけど、適宜剥がれ落ちるのでいいバランスになりました。あと甘いパン(コーンパンか?)が気に入った。

17時過ぎに投宿。他社の人も3キロくらい離れたホテルに着いたところで、「夕飯食べましょう」といって合流しました。弊管理人が車出しますよ、といって迎えに行ったら、車の大きさにちょー受けてました。わかるよ。
今回は弊管理人のチョイスでThe Famous Crabというところ。
西アフリカ+フランス+スペイン=ケイジャン料理です。本場はルイジアナだけどすぐ隣だからお店多いですね。
ザリガニも名物のようですが、二人とも「それはいいや」といってパス。
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何味と言われるとすごい困る。トマトとスパイスかなあ。濃い味でお酒に合います。弊管理人は酒を飲むと咳が悪くなるので(それ以前におまえ運転だろう)ノンアル。オレンジソーダでも十分気分が出ました。他社の人は地元のIPA。
そんで牡蠣と焼きめし。
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チキン食った後でもわりとがっつり食べられました。食が太くなり、アメリカ人サイズでも食えるようになってきた気がする。でもまだ大阪にいた時よりは大分細いけど。
満腹で帰りました。

翌日は朝仕事。
アメリカ人と、唯一の外国人である弊管理人の計7人のグループに現地の研究者が対応してくれるはずが、アメリカ人がどういうわけか全員時間を間違え、弊管理人ひとりで1時間もたせることになってしまいました。
でも専門的な話なので全然もちました。雑談より全然いける。

昼前にはけたら、午後の部に同じところで仕事を控えた他社の人から「お昼食べませんか」とLINEがきて合流。今度はフォーでした。
アウトプットがさっくり終わり、2時間ちょっと空いたのでジョンソン宇宙センターのビジターセンター(スペースセンター・ヒューストン)を見に行きました。
シャトルを運ぶ飛行機。
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ケネディ宇宙センターに比べると全然こぢんまりしてますが、まあ時間的には丁度良かった。
トラムに乗って回るツアーがあり、これを予約していくと大分もっといろんなものが見られるようですが、今回は仕事のついでなので仕方ない。
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ジョンソンは飛行士の訓練施設があるんですよね。センターの人が「ワカタさん話したことあるけどめっちゃラブリーやった」と言ってました。いい人なのね。
月の石に触れるコーナーがあった。
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こういうアセットがあるのってすごいよな。
なんかあの触ると御利益がある地蔵みたいにつるつるになってました。
アメリカ最初の宇宙ステーション、スカイラブにも入れます。
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堪能した。
帰りはまたぶんぶん運転して北のほうの空港まで戻りました。
メキシコと国境を接している州なのでヒスパニックの人やTexMexというタコス!ステーキ!ファヒータ!ワカモレ!みたいなお店が多い印象。
1年半いて思うのは、茶色い人のほうが接しやすい。白人の店員は働かず気が利かない(黒人は個人差が激しくダメなやつはほんとにダメ)が、ヒスパニックの人は表情があるし頼みごとをしても聞いてくれる。ついでにいうとアジア人(主に中国人)は愛想がないがやることはやる。つまり差別する側かされる側か、ではなく英語ネイティブかノンネイティブかというところで線が引けるような気がする。

閑話休題、
飛行機がひゅー・すとんとなったらやだなとかいう余計なことを考えましたが大きな問題もなく終えられてよかったです。
最後は空港の何かがおかしい日本グッズ店。
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* * *

選考が通れば6月にボストン、という案件があって、通ったという連絡がきょう来ました。
この案件単独だと2泊ですが、ちょうど別の行事が重なるので、これと繋げて4泊の出張にしようと画策しています。

2023年04月09日

クイック4月上旬

3月末に、日本から来た元DCの研究者が「ケンウッドの桜みてきた」と言っていたので、まだ見られるのかなと思って満開から1週間遅れた2日の日曜にタイダルベースンに桜を見に行ったら、ほぼ終了の状態でした。
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そのほか先週今週はあまり記憶なし。やっていたことは主に来週以降についてのアレンジと今のうちにできるだけのアウトプット準備。3月上旬にかけてどうしても申し込めなかった案件で、第2便の募集が急に始まって、当たるかどうかは分からないが申し込んだりしていました。
あとは、とてもいいお話が聞けたのだけど社内でもわりといろんな人が関心を持っているのでどう料理しようかなという案件を一つ抱えた。まあこれは勉強になるので負担とは思わないです。

食べてたものはだいたいこんな。
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昔からそうなんだけどキャベツって腸が元気になります。
しかし結構でかい玉を買ってしまったため、まだ結構余している。
大阪の「くりやん」のポパイ丼のレシピないかな、と思ったらあり、でも「覇王」か「中華あじ」がこちらにないので代用品ないかな、とググったら李錦記の鶏スープの素でいいらしいことを発見し、ちょうど余っていた挽き肉と冷凍していた茹でほうれん草でやってみたら結構再現できておいしかったというのが下の皿です。
あとシフトが多かったので弁当持参。
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韓国スーパーに辛子明太子があったので買ってみましたが普通にいけました。

* * *

咳の問題が解決せず、病院に行くのも億劫なので傾向と対策を探しています。

・朝が特にひどいが、早朝に咳で目覚めるのではなく、目が覚めてしばらくし、体が伸びを欲したり体温が上がってくるなど起動モードに入ってから出始める。起床すると収まるので、目が覚めたらさっさと寝床から出るのが吉
・朝、鼻が詰まっていることがよくない感じがする。鼻汁が刺激になるか、口呼吸になるせいで咳を誘発しているかもしれない(夜は鼻呼吸に努めて以降、軽減した)。目が覚めたらまず鼻をかむこと
・酒や夜更かしで増悪する。つまり全体的な体調を整えることが肝要と思われる
・CVSの錠剤はほとんど効かない。同じ成分(咳止めの デキストロメトルファンと去痰薬のグアイフェネシン)が同量入っているのに、バイエルの水に溶かして飲む薬がよく効く
・のど飴はあまり意味がなさそうなので、やはり下気道の問題っぽい
・大きな咳をすると体力が奪われるので、小さく刻んで痰を出すと楽
・熱なくSpO2も至って正常で、変動もない。感染症ではなくアレルギーか
2019年の日記を見ると、咳止めと去痰薬のほかに抗アレルギー薬を出されてますね。やはり何年かにいっぺん咳に悩まされる様子

* * *

夜勤上がりに、深夜まで働いたお兄と「カルイチ」(軽く一杯だけ、の意らしい初見の言葉)でOld Ebbitt Grillのバーカウンターに行きました。
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ポテトつまみながら弊管理人は1杯。お兄は2杯。すごい話す人なので永遠に話す勢いで、1時からだいぶ深い時間になってきたので「帰りましょう~~!!」と言って帰りました。二人で40ドルくらい。センベロとはいかないが全然許容だと思う。

話題は「この国は小金持ちでも生活水準がぱない」と「弊社の迷子っぷり」。このところどの同僚と話してもだいたい同じです。

お兄がこのあいだ求人見てたら(なんで見てたのか聞いたが失念)みんながよく使う中古車屋のスタッフの職が年8万ドルで出てたそうです。1ドル130円としても年収1040万円、で、たぶんこれ別にすごい高収入というわけでもない。

社内を何とかアップデートしようと頑張っていた中堅君が病気休職に入ったとの話が偏西風に乗って届いたところ、10年くらい前に「もうあかん」と何とかしたい系のことについて考えるのをやめた弊管理人は「弊社やばいよね」という話題で盛り上がることさえもう億劫になっちゃってます。なぜならそれをやってもどこにも逢着しないから。それより淡々と本を読み達人の話を聞き、何かそんなに高くなくておいしいものを食べながらお互いの知見で「へぇ~」とか言い合いながらしのげばいいじゃない。

* * *

今週気付いたことだが、バーもレストランも、こっちの人ってわりとぱっと食っていなくなりますね。料理もどんどん出てきてすぐ腹一杯になるし。隣のテーブルに後から来た人たちが自分たちより長く滞在してるのがまれ。夕飯は基本家族とだし、カップルは早々に家に帰って寛ぐし、仕事のディナー(それっぽいのをほぼ見かけないが)はそんなに長くやりたくないから、というのが仮説。

仕事上がりの日本人サラリーマンはだらだら長居しすぎなのかもしれない。

* * *

なぜ今更というのは置いといて、AAA(JAFみたいなやつ)に入りました。「自動車保険付帯のロードサービスは一生来ない」というもうほんとなんでなん?みたいな話を聞き、腐った屋根の上であれば屋上屋も必要よなと思って。「車」じゃなくて「人」につく独特の会員制度で、つまりレンタカーを運転していて何かあっても会員であれば来てくれるらしい。

年数十ドル。安心料としては手頃だと思う。夏休みはロードトリップ(アメリカ人の主要娯楽、車による長距離旅行)もありだなあと思い始めました。

* * *

今週はお出かけが確定1回、そのあとにもう1回あるかないか。

2023年03月27日

花、ぶた、コンサート

これは先週末のことですが、地元民には有名らしい桜の名所、メリーランド州ケンウッドを歩いてきました。公園とかではなく住宅街。
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たぶん1週間早かった。人が少なくてよかったですけど。
かなり立派な枝垂れ桜も。個人宅に。
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最寄りのベセスダ駅に戻る途中。電線の地中化してないのな。
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このあと去年行ったタイダルベースンにも足を伸ばしたが、やっぱり早かった。
この週末は、土曜はしとしと雨、夜にすごい霧、のあと日曜はピーカンだったので、満開の状態をあらためて見に行く手はあったが、「もういいかな」って気分になり、ドライブに行ってしまいました。

ドライブの先はバージニア北西部のウィンチェスターという街。うちからだと110km、1時間20分ってところです。
何があるわけでもないですが、ちょっと食べてみたかったBonnie Blueの南部料理プレート。
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プルドポーク(くたくたに煮た豚肉にバーベキューソース)、選べるサイド2種はマカロニ&チーズとサザンカラード。コーンブレッドは甘くておいしい。
もとESSOのガソリンスタンドだったそうで、店内は余裕がある。
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外はこんな感じ。
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旧市街を歩いてみました。
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なんつうこともなかった。ワシントンが4年ほど住んでたそうです。
こちらは手前が郵便局、奥は図書館らしい。
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とはいえ2万数千人の街では住んで面白いこともなかろう、などと。
まっすぐ帰るのもあれなので、ちょっとブルワリー&ワイナリーを覗きます。Bluemont Station Brewery & Winery。
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もちろん州法で飲酒運転にならない量にとどめてます。
天気がよかったこともあってお客はみんな外の席でだらだらしてました。

* * *

今週はコンサートに2回行ってしまいました。しかも平日夜と、翌日午前。
最初のは若手シリーズの一回らしい、バイオリンの外村理沙さん。いつものコンサートホールではなく、テラスシアターという小ホール。音響よかったです。
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しょっぱなのイザイのソナタ3番がよかった。プロコフィエフのソナタ1番、細川俊夫の悲歌、ショーソンの詩曲、サン=サーンスのイントロ&ロンド・カプリチオーソ。それぞれ弾く前に一言喋っていらした。英語上手。でもおのおのの曲に対する個人的な思い出ではなく、聞き所とか曲/作曲家のこと、プログラム編成の意図を解説したほうがよかった。イザイと関係が深かったからショーソンを持ってきたのではないか。細川俊夫は弊管理人も初めてだが多くの聴衆にとって初めてだったはずで、尺八っぽい表現(違うかもだが)をなんでバイオリンでやってるのかとか知りたかった。

翌日はなんと11:30から、ナショナル響とスティーブン・ハフでラフマニノフのピアノ協奏曲3番。前後の日は夜だったんですが、ほぼ完売だったため。
すごい高さの自称2階席はステージから結構遠く、オケの音はきれいに届いたもののピアノはちょっと負けていた。さらっと弾く人なので爆音は期待していなかったけど。さすがの余裕でただ楽譜をなぞる以上の工夫をいろいろしているとは思った。高校三年生を歌いすぎた舟木一夫まであとちょっと(ひどい)。

* * *

ほんとにしょうもないしなんで今までほったらかしてたんだと思うが、寝室に取り付けた遮光カーテンのポールと、その上にたくし上げてあるブラインドの間に細い隙間があって、朝になるとそこから光が射して若干まぶしかったんですよね。
で、ポールをもうちょっと上にずらして隙間をなくしたら朝の明るさが激的に軽減し、それによって眠りが足りる前に目が覚めることがなくなり、QoLが爆上がりした。なんでもっと早くやらなかった、弊管理人。

* * *

咳、またいっときひどくなったのでネットでいろいろ調べたところ、喘息の疑いは残るものの、仰向けに寝ていると鼻水が喉のほうに流れ、その刺激で咳が出ることがあると書かれていたので、うつぶせ寝に変えたらかなり軽減した。この一点が全てではないかもしれないが少し助かってます。

* * *

あっという間にまた25日を通り過ぎて、19カ月目に入った。

* * *

そういえば今週、ある店で同僚とご飯を食べてたとき、1時間半くらいだらだら食べながら喋ってたら最初は愛想がよかったウエイターがどんどん機嫌が悪くなってきて、追加注文しようとしたら「それは自由だけどな」みたいに不承不承だったのでデザートはやめて出てきたことがありました。人数が少し多かったので自動的に20%のチップ込みの値段を請求され、しかもそこにチップ追加additional tipという欄があったのでゼロにして出したら、われわれが帰る前にそれをチェックしてさらに不機嫌になった様子を同僚が見たそうです。

ていうかそういうところじゃん。ぶすっとした態度でサーブされてチップ追加するわけないだろう。
こっちが会話してるところに「なんか注文ある?」とちょいちょい割り込み、まだ食ってるのに「下げていい?」と小うるさく手を伸ばしてくるとか、食事の邪魔ばかりされて嫌なんですよね。フードコートでテイクアウトしてちゃちいテーブルで駄弁ってるほうが数倍楽しい。何につけポイント制の社会のわりに、ポイントとりにいく側がろくな教育されてないのってやばいと思うんですけど。逸失ポイントが大きそうで。そんなことないのかな。

2023年03月18日

歩く聞く書く

今週は珍しく月曜から木曜までDC市内のいろいろなところへ出掛け、仕事のアウトプットも結構しました。
月曜と木曜はセミナー的なものなんですけど、どちらも公的機関の関わるものなのに、お茶菓子refresherが出たり交流会的なものがあったりしました。
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ジュースやソーダ、コーヒー、紅茶が出されて、パウンドケーキやフルーツがつまめるようになっているのが基本。木曜のはちょっと豪勢で、ちっちゃいタルトやブラウニー、チーズも振る舞われました。
ほんとにのべつ幕無しに食い、そして喋るよね、ここの人たち。飛沫感染する疫病に弱い集団だとは思うけど、でもまあ疫病開けの喜びが一入なのは分かる。

* * *

そのわりに歯がきれいな社会であります。水曜は歯医者で半年ぶりのチェック。
隙を見ては治療を始めようとするのがこちらの歯医者であるところ、今回は「ちょっと染みはありますが、よく磨けてますね」との評価。レントゲンで見える詰め物の下の影が気になるらしいが、「様子見ますか?」と聞かれたので様子を見ることにしました。これ確か5000ドルとかかかるやつではなかったろうか。帰国してからにしたい。

それより、去年の秋くらいから左下の特定の歯間にやたらものが詰まるようになってて、そっちの相談をしました。
歯ではなく、歯の詰め物が欠けていたらしい。そこについては明らかに衛生が怪しいので、毎食後にフロスを通し、リステリンでの洗口も丹念にやっていましたが、虫歯にはなってないようでした。次回は4月に予約してそこをやることに。1回で済むそうです。よかった。その次は9月に歯科検診。
首都圏のちょっと北の方もだいぶ桜が開いてきた。
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急な予定が入り、もともと「行きますね」と言っていた行事に行けなかった。終了後に振る舞い酒があるので行きたかったんだけど、残念。

* * *

木曜は昼飯を食べ損ねたままセミナーに行ったので、帰りにちょうどあったホールフーズに寄ってデリのテイクアウトを初めてやってみました。箱に好きなおかずを好きなだけ入れて量り売りする形式。これもセルフレジを通れます。
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カレーとインゲンを持ち帰って職場のデスクで食べました。16時。ちょっとお腹を抑えたいときに至適ですね。7ドル弱、900円だと思うとううむ、しかしもはや円で考えるべきではない。

この日は結局、手を付けた作業を最後までやったことによって帰りが遅くなり、夕飯は遅い時間にエビチャーハンにしました。
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冷凍のエビ、古くなりかけたベーコン、残り物の玉ねぎ、冷蔵庫に入れ忘れて1日うっかり台所に置いてしまった冷や飯と最高にあり合わせ。

* * *

金曜は家で宿題をやって東京にぶん投げ、夕方出勤して夜勤。
弊管理人の席は壁に向かっているので全ての出来事は視界の外で起きるのですが、22時ごろから背後で酒盛りが始まりました。
そのうち、給湯室から「あっ!!!」と声。ボスが電子レンジで温めていたピザが燃えておりました。
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職場にもうもうと煙が充満。しかし警報器は鳴らず、大丈夫だろうかこのオフィスは。
最近わりと収まっていた咳がめっちゃひどくなったので、シフトの終了時間前でしたが「気管支が崩壊したので帰ります」と宣言して帰宅しました。

ボスからもらったバイエルのAlka-Seltzerという咳止め、なかなかよく効いたので箱で買ってきました。年齢確認が必要な製品だった。市販薬乱用の関係だろうか。
咳は長引いてます。適度に抑えていかないと喘息になりそうなので気をつけよう。

* * *

今週は2メートル背後の同僚はめっちゃ忙しく、でも水曜の夜だったか「1杯だけ飲んで後は仕事に打ち込みましょう」といって近くのパブに行ってしまいました。そのあと午前2時までやったらしい。お疲れ様です。というか今週は弊管理人もかなり働いた。どの案件も勉強になったので特に不満はないです。

2023年03月12日

夏時間がきた

金曜は冷たい雨。昼に仕事先の人たちと会食。夕方にはインターンの子が日本に帰るというので送別会的なものが職場であったのだけど、会食から直帰してぶっちしてしまいました。あまり思い入れのある相手でなかったのと、翌土曜日が朝から晩まで勤務なので早く寝たかったため。で22:30に就寝、土曜は6:45に起床。体調最高。早寝大事。

土曜の17時間シフトは、職場で平日は落ち着いてできないいろいろをこなしているうちに、ペアのお兄が夕方早々に引き揚げたので、本当は24時までなんだけど弊管理人もこっそり帰宅して在宅勤務に切り替えました。
夜に予定していた仕事はほいほい終えて就寝。起きたら夏時間が始まっていた。
日本との時差は13時間になった。家中の時計を1時間進めます。アナログ電波時計が多いんですが、進めるのはSETボタンを押し続けて針を進めるだけなので簡単に終わりました。逆に冬時間に入る時は11時間進めないといけないのでむちゃくちゃ面倒臭い。去年あたり時計買おうかなという思いもよぎったものの、この作業はもう4回目になり、残り2回なのでもういいやという気に。

日曜昼に買い物に出掛けると3度。雪が舞いました。
安い薄切り肉で頼りにしていたアジアンスーパーが牛のラインナップを改悪して価格もすごく上がってしまい悲しかったところ、かろうじて以前のまま残っている豚の薄切りを買ってきて丼用に煮てみようと思います。

* * *

水曜の昼、職場の人ら3人とSupreme Hot Potに火鍋を食べに行きました。
スープを選んで肉と野菜、豆腐ペーパー(湯葉だな)、うずらの卵を頼みます。手元の鉢には自分で付けダレを作ります。ごまだれは北京風らしい。
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すんごいうまかった。最後に麺を入れます。これはメニューにあるのを選ぶと乾麺になるが、連れてきてくれた中国語のできる助手さんが裏メニューの生麺を頼んでくれました。「牛肉麺に使う麺をくれ」と言うと出てくるのだそう。

* * *

木曜、帰ろうとすると、前夜からむちゃくちゃ忙しかったのが一段落ついた2m背後の同僚が「帰っちゃうんですか」とちっちゃい声。一杯いく?
ということで職場近くのパブへ。久しぶりだな。
揚げ物をつまみながらビール飲んで、同僚は軽く発生した作業のためPCを開き、最後に二人でパイを食べて帰りました。
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帰路もやっぱり寒かった気がする。今週はずっと寒かったのかも。

* * *

そういや火曜夜はボスと、共通の知り合いである仕事先の人とビールを飲みに行きました。
結構喋った。このところ「アメリカは中国恐怖症」と何人かの人に言ってみているのだけど、あまり賛同が得られてない。

2023年03月06日

無言歌

タイトルはこれを書きながらyoutubeで無言歌全曲を流し始めたというだけ。
しかしいい和訳ではないか。Lied ohne Worteを直訳してしまったSong without Wordsのように、「詞のない歌」としなかったのはいい。

このところ週末に書いていた日記が月曜の夜になりました。意外と時間が取れなかった。

ビール飲みに行ってしまいました。
ムール貝をさんざん食べつつ飲んでたら、試供品だとかでコーヒーマティーニが提供されました。
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うまー。というかコーヒーがうまい。

* * *

金曜からウォッチしていて深夜になっても終わらなかった会議は夜を徹して続き、しかし土曜はちょっと見たいイベントがあったので、日本の夜が更けた昼前、職場にインターンで来てる大学生を誘ってDC中心部のイベント会場に行きました。
インターンは13時になると「泊まってるところでお昼ご飯が出るので」といって帰っていた。うんまあつまんなかったかもしれんね。あまり好奇心がない人のように見えたがよくわかんない、というかあまり深入りしたいタイプではない。ボスからは期間中1度はどこかへ連れていってやってくれと職場全員に要請があったので、これでお役目は果たしたことにさせてもらう。

夕方前に帰ってアパートのジムに行って、風呂入ってメシ食ってくだんの会議をオンラインでチェックしたらまだやってる。2週間の会期の最終日が金曜だったんだけど、議長は金曜夜の段階で「犬が見えた……」と幻覚を報告しており相当疲れていた。
最終日(?)の会議が36時間に差し掛かった21時半、ようやく終了。東京に連絡して仕事を仕上げました。当該分野ではわりと画期的な決着のわりにウォッチしていたのは弊社だけだったようで、他社の動きにせかされることなく作業して寝ることができました。東京でも同僚が頑張って情報集めたり処理したりしてくださって有り難かったです。

* * *

日曜は夕方から、金曜にビールに行った同僚にお招きいただき、あわあわとケーキ買ってお宅へ。仲良しか。
弊日記によく出てくる、息子ちゃんラブすぎて永住を画策するお父さんです。
英国留学経験あり、クラシックファンでテニス上手。ハイソとしか思えない。
アパートは遠くアパラチア山脈まで見えるような高層階。まずキッチンのカウンターでヴーヴクリコ開けてチーズつまみつつシュニッツェル揚げて、牛肉の塊に焼き色を付けるわけです。お父さんが。
これですよ。うまー
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ワインはお父さんがこのあいだインドに出張したとき、帰りの経由地ドバイで仕入れたオーストラリアの赤。最初はイキったお兄さんみたいな味が、ちょっと置いておくと大人になるのね。
そしてあなたイタリア人?みたいなカルボナーラ。
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完全に自分を人間だと思っている犬ちゃんを指でなぶりつつ、地理の図鑑で難問のクイズを出してくる息子ちゃんとバトルしていたら夜が更けたので辞去しました。なんだろうこの絵に描いたような幸せな家族。
帰ってぐったりして寝て、月曜は一日中体調悪めでした。

* * *

地元駅のエスカレーター、ずっと工事していてやっと囲いが取れました。
首都圏地下鉄の運営主体がフェイスブックで「エスカレーターがぴっかぴかの新品になりました!!!」みたいな書き込みを公開した翌日くらいには信じられない状態で使用禁止になっていた。
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こんな国に半導体は作れない気がする。

* * *

咳は相変わらず朝の覚醒からしばらくするとひどくなり、起きると治り、しかし日中も時々ふと咳き込むことがある。後遺症かアレルギーか。それに加えてこのところ立て続けに白目が出血しており、なんか目まで不調。疲れ目だけではないのではと思っていたところ、きょうDC駐在経験のある東京の出身部のおねえさまから届いた封書の中にメッセージで「そちらはブタクサの花粉の最盛期でしょうか」と書いてあり、はたと気付いた。花粉症が体調全般に影響しているのでは?

* * *

日差しが強くなってきて、生き物は冬をしのぎきった喜びを横溢させているのですけど、動ける季節は動かなければいけない季節であり、動き出す周囲に動かされる季節でもあり、弊管理人はこの季節、春愁に囚われます。無言歌は長調の曲でも何かそういう憂いを抱えていると思う。

2023年02月26日

飛行船と空と宇宙

原則として仕事は1日1個のつもりでいたところ、週明けの火曜に5個やり、その後だらけた。

今週も2回ほど外食がありました。
1回は日本が祝日のためあーだこーだ言われるリスクの少ない水曜夜に、こちらの同業他社の人たちとタパス&ワイン。弊管理人がこの2カ月ほど停滞してる間にこの人たちは先に行っているのだろうかと動静を尋ねたら「すっごいゴルフしてた」「経費が厳しくて出張いってない」とのお答え。まあしかし他人と比べるマインドは自分の健康を損なってよくない。わかってます。

金曜は夜に同僚から夕飯に誘われて行ってみました、和食屋。
途中、おととし10月に今のアパートに入居する前、滞在していたホテルの前を通りました。
まだ移動の仕方も分からないのに、ここから緊急で夜明け前にえずきながら出張したな。フィラデルフィアに差し掛かったあたりで、弊管理人の赴任時期が遅れてこんな状態になった原因である当時の部長(物故)から「引きの強さを楽しんでください」とメールが来て、腹を立てて無視したものです。弊管理人は悪くないと思う……

で、久しぶりに見た。ししとう焼きとか焼き鳥とか。
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結局4人になり、24時を回って、この時間だとウーバーで3000円かなあと半分諦めつつ、でも途中から合流した同僚に最寄りの地下鉄駅に送ってもらったらまだ電車があったので定期で帰れました。

送ってくれた同僚は8月に帰国ですが、職場のお兄に苛まれて「生活だけならもっといてもいいけど、今の仕事の状況だったらもう帰ることに躊躇はない」と残り日数を指折り数えています。しかしお兄はたぶん同僚を明示的に嫌いなわけではなく、教育的配慮と性格と自分が詳しい分野だという事情のブレンドで歯車が狂っているのであり、同僚もお兄に関して仕事上的確なところが多いのは認めている。そのために単純に訣別できないだけ厄介という話ではあります。

ボスは職場を活性化させたいと思っているようなんだけど、弊管理人が傍流の立場から見たところ、残念ながら主流の人たちには疲労感が漂っていて、多分「それじゃない」みたいな施策が乗っかるだろうと予想しています。

会社の労働組合が「退職考えたことある?」アンケートをしてまとめを労組ニュースにしました。大半がイエスという予想通りな結果だった上に、自由記述欄もこれまた予想通り、40~50代への凄絶な嫌悪感に満ち、しかし多分それを書いてる20~30代には革命を起こすほどの気力はなく退路を探している感じ(弊管理人は老害側の40代だが図々しくも若い回答を書いた一人)。
現職場は最年少が40歳と老朽化しており、しかも全員男でもうバランス的にダメダメなので、給湯室で同僚に「30歳くらいのピチピチした若者を来させたほうが」と言ったところ「そんな元気な若者にこの仕事させたらかわいそうでしょ」ともっともな反駁をされました。

などというものの、一言「倦んでいる」で尽きそうです。

* * *

在宅で出番の土曜、起きてPC立ち上げてコーヒー飲んでたら窓の外がこうなった。
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週の半ばに26度とかまで行って、白人の人たちがほぼ半裸みたいになって歩いてたと思ったらこれ。マイナス1度だがハーパンの白人はいました。カリフォルニアあたりも吹雪になり、なんなら日本も寒かった様子。でも積もることもなく、時期的にも最後の雪と思われます。

土曜出番はわりとゆったりしていたので、先週くらいから成形しあぐねていた仕事をえいやでアウトプットしてしまいました。ま、すっきりはした。

* * *

日曜は先ごろ新装開店したDCの航空宇宙博物館へ。スミソニアンなのでタダ。ここは人気のせいか時間チケット制で、直前だと取れないので先週末に予約してあったのでした。そのことはすっかり忘れてたけど土曜に思い出した。

11年ぶりです。前回来たときはもちろん改装前。
ぶら下がってる大物の飛行機はたぶん一緒。
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天文のほうはアルテミス計画もあって結構アップデートされてるかな。
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プラネタリウム(9ドル)はよくできてました。宇宙背景放射は3Dで見ると意外な感慨が沸く。でも個人的には三鷹の国立天文台にある、退役プロがMITAKAという観測に基づいた星空ソフトを投影しながら解説してくれるプラネタリウムの勝ち。

外してはいけない原点。ライト兄弟が1903年に初飛行したときの飛行機はこの博物館にあるこれが本物なんだって。
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土産物屋がものすごく充実してました。3階に分かれてた。前回の日記でアメリカの土産Tシャツをクソミソに言いましたが、いいのがあったので買っちゃった。
外の芝生は緑になり始めました。
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腹が減ったのでマックでチキンサンド食って、地元駅のスーパーで買い物して帰りました。

* * *

なかなか反応のない相手に何度かメールしてみるというしょーもない作業を木金とやってましたが、これまだやんのかな。面倒なんですけど。

* * *

結局、自分でやった散髪はそのままにしてあります。
これまでは坊主→伸びる→坊主→伸びる、の繰り返しだったんですが、襟足と横を刈って頭頂部を伸ばしてみる方向にしたら、いろんな人から「髪切った?」と言われました。タモリか。失敗を指摘されているのかと思いましたがそうでもない様子。

* * *

アマゾンで、アジアンスーパーよりもかなり安く手に入って助かっていたお米が1月下旬から高騰してしまい不安になっていたところ、一時的に元の値段に戻ったので即ポチ。15kgで2500円くらい。って書くとすごい安いな。全然不満ないけど。何だろう。ちょっと欠品してただけとかならいいが。
3月半ばには届きそうで、ちょうど今あるのを食べきるくらいのタイミング。命がつながった(大袈裟)。

* * *

また25日がきて、滞在18カ月目に入りました。
2024年7月28日の離任(勝手に決めてる)へあと17カ月。折り返したのか。おお。
と一瞬目を上げたら、また足元に視線を落として心頭滅却する。

* * *

【2/27追記】
昨年秋から参加していたインフルエンザワクチンの効果に関する臨床試験が終了しました。
新薬ではなく、承認済みワクチンの効果を測定するためのもので、クリニック訪問も最初の1回なので気軽に参加でき、毎週体調に関するアンケートに答えていると、月の終わりごろにちょっとした小遣いをアマゾンギフトカードでもらえるのが楽しみでした。
インフルシーズンが終了したということですね。これも季節の移ろいを感じる出来事。

2023年02月20日

早春かもしれない

今週食べたものたち。

なぜか複数回そばを食った。
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それほど拾いものを期待しないで行った会食はベルギービールのお店。
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ところがとても面白かった。
で、激うまラムチョップで終わる。
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今週はどこかの日に、1.5m背後の同僚とハミルトンでビール飲んで終電で帰った気もする。

【追記】プレジデンツデーで祝日の月曜は、余してあった挽肉でミートソースを作りました。
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材料を炒めて、前に開けた赤ワインをぶちこんで一煮立ちさせ、ホールトマトを入れてから味をみながらいろいろ足していったら初めてにしては相当おいしくできました。Success!!
しかしマ・マーやセブンイレブンのミートソースが1缶200円くらいで買えることを思うとねえ。

* * *

土曜日、11時に起きてコーヒー飲んで、ツイッターのスペースで初めての方と喋って、昼飯食ったら頭が重くなり、15時半に横になったら20時半。バファリン飲んで軽減。
そのあと西海岸の友達とビデオチャットして、そば食って1時前に寝床に入り、たぶん2時ごろ入眠し、日曜は9時に起きました。
よくこんなに寝られたな。というか、この2週間くらい、ずっと遅寝遅起きで何かの負債がたまっていたんだと思う。眼精疲労もあったはず。

* * *

日曜はホワイトハウスの近くにあるRenwickという現代工芸美術館へ。
3.11の地震波?のインスタレーション。
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立体はたのしい。
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なんこれ。
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売店のグッズはダサめ。アメリカの土産物Tシャツはただ写真やロゴを全面にどんとプリントしただけで工夫がなく、かっこよくない。
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マクファーソン広場はホームレスのテントが撤去されていた。
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バスで黒い地域に。広告は「高卒資格とれるよ」という無料の大人用高等学校。
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ルドロワ・パークはゲートのところだけ桜が咲いていた。
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LeDroitなんですけどレドロイトって読むべき?わからん。
それはそうとこれ桜だよね?花びらに切れ込みがあるし。
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通りかかった近隣の家はガラスが割られて警察が来ていた。
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天気はよかった。

帰ってジム行って、昨年12月26日以来の散髪。今回は丸刈りではなく、ゴム紐を頭に巻いてエリア分けをしながらカットをしてみた。
うーん初めてにしてはわりとできたが絶対評価はギリギリ失敗。丸刈りにするかは明日考えよう。今日は久しぶりに睡眠が足りたせいか、とても体調がよかったです。あと、1月初めくらいから朝、寝床で咳が出て某疫病の後遺症かなと思っていたんですが、寝具を洗濯したら大幅に改善しました。後遺症はあるのかもしれないけど埃が増悪要因であった可能性は高いな。おわり。

2023年02月13日

雨、ワイン

土曜、洗いたてのシーツ!にいつ抱かれてもいいよう午後早めに風呂に入り、18時半くらいにちょっと眠くなったので歯を磨いて1時間後にタイマーをかけて布団にもぐったら2時間寝てしまい、結局寝付いたのは午前2時くらいだったと思われます。この週末は完全に体内時計の調整を失敗した。

日曜は朝から雨降り。気温もたぶん4度とか。
同僚カップルを誘って、先週行ったメリーランドのワイナリーにまたドライブしました。
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秋は外にたくさんあるベンチまで含めて席が埋まってしまうようなところらしいですが、さすがに寒い雨降りの日とあって、納屋の2階の暖房をきかせた席にするっと通してもらいました。
フードトラックで買ったタパス(ガーリックシュリンプとチーズなどおつまみ盛り合わせ)、弊管理人はまたホットワイン。同行の2人はテイスティングのセットを二つ買って飲み比べ。
いろいろ喋ってつまんでちびちび飲んで、わりとしっかり降る雨の中を帰ってきました。

DCで二人を降ろしたついでに二人のアパートの前のホールフーズでコーヒーと野菜とベーコンを買うことができ、この週末にやらなきゃと思っていた買い物はだいたい完了。
ちょっとだけ部屋にお邪魔してコーヒーとアイスクリームをご馳走になり、帰ってきました。

アパートのジムで運動して、作り置きしてあったトマトとツナのソースでパスタ食って、今週末はおしまい。夜に一瞬遭遇したゴミは下の欄に廃棄。1月からいろんなところに蒔いてきた石の回収はものすごく徐々に始まり、今週はちょいちょい外に出るかもな週です。3月4月にもうちょっと回収する感じ。

* * *

[Expletive]。

2023年02月11日

寝不足週

今週はちょっと巡り合わせで夜が遅くなる日が多く、寝るのが毎日、午前2時半とか3時とかになってつらかったです。

月曜日、某ヨーロッパの端というか中東の端の地震関係では午前2時までわちゃわちゃやって寝て、

火曜午前7時に起きたら自分の関係分が跡形もなく消えていたので、チェックする必要もなくなり二度寝。
そのあと、21時から始まる当地の一大イベントはいっちょ噛みくらいで済んだのでさっと職場を脱出。そしたら帰りの地下鉄に乗ってるところで電話がかかってきて、しょーもない案件に捕まって2時終業。

水曜は早出シフトにつき7時前に起きて、QPコーワゴールドをキメて出勤。テンション激低い状態でシフトを終え、参加費75ドルかかる会議に意を決して行ったら多分手違いでタダになったので有り難く聴講。戻って仕事に手を付けたら、前夜の仕事が長引いて徹夜した上に、昼からシフトに入って意識が朦朧としているお兄から「一杯だけ飲も」と誘いを受け、職場の近くのHamiltonというレストランへ。
チキンバーガーと、ほんとにビール1杯。
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レストランでハンバーガーどうやって食べるん?と疑問だったのですが、アメリカ暮らしのプロ・お兄によると別にどうやって食べてもいいそうです。ちなみにお兄はナイフで半分に切ってからかぶりつく派。弊管理人は最後までナイフとフォークで食べました。

ハンバーガーね。前から思ってたんですけど、なんでこんなに醜い顔しないと食べられないものが、しかも手で食うものが、こんなに普及しているのか。ハンバーグとパンと野菜の付け合わせをひと皿に並べておけば穏当に食べられるのに。
でも付け合わせのサラダも含め、うまかったです。

そんで職場に戻って一つ仕事を始めたところ、意外に悩ましい感じになり、23時過ぎに隙を見て帰宅してからもいろいろ迷いつつ一応の形となり、3時終業。

木曜はそんなわけで疲れており、しかも朝わりと頑張って行った会議の続きがあまり面白くなく、もとは「タダ飯もよくないしな」と辞退するつもりだったランチョンセミナーに「せめて飯食って帰ろう」と思い直して参加しました。
メニューは、アーモンドがいいアクセントになってたサラダ、鳥胸グリルとマッシュカボチャのメイン、あとティラミスにコーヒー、というちゃんとおいしいコースでした。
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テーブルは自由席だったので、直感でフレンドリーそうだと踏んだおばさんの横に腰掛けて挨拶して、家が近いそうなので近所のおいしいベーグル屋を教えてもらい、後から反対側の隣に座った研究者と日本の事情について話をしたりして何とかしのぎました。文法や言葉選びは怪しいが、なんかペラペラと会話はできた。特定業界の人ばかりが集まる会議で、自分にある程度知識があったためだと思われます。話すことがあれば話せるし、なければ話せない。日本語でもそう、という話。

それにしても疲れたので、17時台に職場を出て帰って、野菜と魚の健康的な夕飯を食べて22時に布団に入りましたが、結局2時まで眠れず体内時計の調整に失敗。でも翌日はなぜか元気になってました。

金曜は昼過ぎに出社してみるとまた職場内に案件が発生しているところで、その余の雑務を請け負いましょうかという意味で「猫の手いります?」とお兄に聞いたら、もろに本件に関わることになって結局午前1時まで。同じアパートに住んでる同僚に車に乗せてもらって帰りました。

今週の仕事はいずれも、来年の2月にこの日記を読んだら「何のことだっけ?」と思うくらいこまいやつがほとんどでしたが、まあ仕方ない。

本日土曜は一念発起してシーツと布団カバーを洗濯し(乾燥機のフィルターに引くくらいの埃が一度にたまった)、クイックルワイパーみたいなので床を掃除し(掃除機ぶちまけたかというくらいの埃が取れて引いた)、食料がカオスになっていた台所を整頓したら疲れ、さらにまた久しぶりにブレーカーが落ちたりしているうちに午後の深い時間になってきたのでお出かけを取りやめておやつに韓国の辛いラーメンを食べてしまいました。ちなみにUPSを導入していたため、デスクトップPCを安全にシャットダウンする時間がありました。ウェイ!

ふと外を見たら17時半でもまだ夕暮れ。本当に春はもうすぐなのかもしれない。

2023年02月04日

2月になだれ込む

半月くらい前のニュースで「春はもうすぐです」と言っていて、ああそういえば日も長くなってきたし上着の下はワイシャツ1枚でも全然いけるねえ、でも眩しいの嫌いなので目はちょっと辛いかもなあ、と思っていた、

ら、

金曜の夜はマイナス8度でした。布団に入った瞬間に電気毛布のスイッチ入れた。
当地では寒い季節に、気温と風速を考慮した体感温度(なんとなくではなくちゃんと算出する式がある)=wind chillというのを天気予報でよくやるのですが、ニューハンプシャー州のワシントン山で華氏マイナス109度(=摂氏マイナス78度)で全米新記録だと言ってました。しかし気象局でその統計が確認できなかったのが残念。

では振り返り。

日曜の夜、寝ようと思ったら職場の引き継ぎメールで月曜の早出が弊管理人であることに気付き、カレンダーへのシフトの転記をミスっていた自分が悪いのだが週明けから寝不足。

1月と2月が切り替わったあたりはあまり覚えてない。ただ夜中の仕事が多くて今週はずっと寝るのが2時過ぎだった。

木曜(2/2)は仕事がちょうど途切れたところでベアトリーチェ・ラナがソロを務めるシューマンのピアノ協奏曲を聴きにケネディ・センターに行きました。
平日の?当日券だと半額なんだって。1階中央やや後ろのめっちゃいい席が80ドルから40ドルになった。ありがてえ、ありがてえ。
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↑これはその後のドヴォルザーク交響曲6番が終わったあとのスタンディング・オベーション。
シューマンは超有名曲なわりにナマで聴いたことってあまりなかったかもしれない。
弊管理人はコンサートを楽しむために好きな曲は自分でピアノパートをさらっているのですが、この曲は全体的に指が喜ぶ系。特に3楽章は難しすぎない無窮動的なフレーズに満ちていて気持ちいいです。しかし8分音符の連続だと味付けは基本的にデュナーミクになると思うところ、ラナはそんなんお構いなしでコブシをきかせていました。練達かというとそんなことないけど自由なのは好き。何より前回のカヴァコスより7列くらい後ろの席に陣取ったら驚くほど響きがよかったので、次からはこのあたりで探そうと思います。

* * *

仕事関係会食。おととし当地に来てすぐに設けていただいた会食で使ったお店。久しぶり。前回は本当にまだ時差ぼけと疲れが抜けてなくて、食べてるそばから眠くなってきちゃったくらいなんですが、なんとなくおいしかった印象はあります。
中は立派な内装。安くはないが高っか!というほどでもない価格帯です。
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タパスから流していくのがよかろう。
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ジャガイモのオムレツ。うん、何か派手な工夫がしてあるわけでは決してないけどうまいわ。アヒージョも当然、エビとにんにくでまずいわけない。
オックステールのパエージャ。
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うめ。同行者は「すごいいいコンビーフみたい」と散々だが的確な表現で讃えてました。
このあと1品、ハムのコロッケを追加したんですが、これも秀逸で赤ワインと劇的に合った。そして満腹にて解散。次は種類豊富なタパス中心に攻めてみたい。

帰り道で1件、仕事が舞い込みましたが、家で25時過ぎまでかかって終えて東京に送って寝ました。発注元の部(出身部ではない)は目先のことばかりに忙しくて、しかもどんどんローテーションしていくシフト職場なので、今日どうしてもやらないといけない仕事以外の扱いが雑なんですよね。この仕事も送った先から一時よけとくような場所に転送されたきり誰かが触った形跡もなく、しばらくほっとかれるんじゃないかという気がします。まあ思い入れのある仕事は出身部に送ることにしてるからいいけどね。

* * *

ピーカンで激寒の土曜朝。でも晴れてるし出掛けないと勿体ない、
ということでメリーランドにワイナリーの偵察をしに行きました。

1カ所目、Windridge Vineyards。片側1車線のよく整備された道からすっと入ったところ。
おねえさんの愛想がよくて好感。
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ridge(尾根)だけに見晴らしいいですね。これは緑の季節になったら気持ちよかろう。
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水がぶ飲みして次へ。

こっちはRocklands Farm Wineryです。こちらはちょっと細い道を通っていく奥まった感じのところ。
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体が冷えてたのでホットワインをいただきました。
納屋の2階に独り陣取る。うま~
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裏庭にはにわとり。すごい体格よかった。
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いずれも誰か連れてくるのにいい感じでした。もうちょっと暖かくなったらかなー。

* * *

誰にもそんなことは言われてないが弊管理人は2024年7月28日に離任すると決めているので、1月が終わったところで滞在はあと1年半となりました(断言)。まだ結構長いな。

「後任は誰なんですか?」と昨年末から昨日までに3人から聞かれましたが、弊管理人は全く知りません。というかえらいひともまだ決めてないんちゃう?一応おじさん職位で来るポストなので、もうおじさん職位になって熱望してる人と、これからなってもおかしくなくて多分熱望してる人2、3人の顔は浮かびますが誰かねえ。そしてその次の人は4年半後か。着任時の年齢は弊管理人よりちょっと若いほうがいいと思うので、42くらいで来るとしていま37か38くらい?その歳の人いたっけ?ってかいま弊管理人は4年半後に50歳になってることに気付いてショックを受けたので風呂入って寝る。

2023年01月29日

1月下旬振り返り

月曜は某所で新年会的な集まり。日本人こんなにいたの?というくらい日本人がいっぱいいました。つまむものも出て、久しぶりに天むすや、鮭の西京焼きなどをいただきました。
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知り合い何人かに会いましたが、みな「知らない人ばかりだ……」と言いながら途方に暮れていましたとさ。

今週の平日は上記の月曜昼と、早出だった水曜の朝と昼以外、外食をしませんでした。
これはいつだっけ。いただきものの九州ラーメン。
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おいしかった。

金曜午後も日本関係の新年会があり、お寿司や日本酒が振る舞われていましたが、なんか人が多いわりに新しい知り合いができるようでもなかったので、早々に退散しました。やっぱり誰かに引き合わせてもらうのが一番いい気がする。そもそもそんなに日本人と幅広く知り合いになる必要もあるんだろうかとか。

土曜はいい天気でしたが、起きるのが11時を過ぎたので、買い物のみの外出でした。
韓国スーパー、Hマートの、いつも行くところよりちょっと遠いが大きなフェアファックス店。
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野菜、いろいろ種類があるんですけど、同じキャベツでも丸いグリーン(手前)と平べったいホワイト(奥)があって、アメリカ資本のスーパーにも置いてるグリーンはちょっと硬い。ホワイトが日本でおなじみのキャベツです。炒めるとしなっとなるやつ。ネギも韓国ネギと日本ネギがあったりします。しかしこういうアジアの野菜を作ってるところがちゃんとあるんですね。助かる。
帰ってきてジムで運動してから、かけそばとカレーで夕飯。ちょっと食べ過ぎたかも。
そのあとアメリカの確定申告の作業をしました。初めてだった去年はかなり面倒でしたが、今年は去年のデータが入力されたエクセルのシートを更新する作業だったのでかなり負担が軽減され、夜のうちにすっと終わりました。よいよい。

日曜はちょっとこのところ再訪したかったNorthside29へ行って朝飯。
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あいかわらずパンケーキがでかい。コンビーフハッシュもいいね。
コーヒーおかわりしながら食べました。地元や近隣の人たちが多いと思われ、とても賑わっていました。
雨の予報どおりに降ってました。
帰り道はターゲットというデパートに寄って机の上の整理用品と、なまくらで辟易していた台所のはさみの新しいやつ、あとはメモ用紙とほうれん草を買ってさっさと帰宅。あとはいろいろ作業しながら過ごしました。

この週末はゆったり過ごせてよかったです。

* * *

週が明けると2月です。
まだ「今年やること」を考えつつ、少しずつアレンジなどしています。

* * *

◆中屋敷均『遺伝子とは何か?』講談社、2022年。

2023年01月22日

ジョバンニ

平日4日の週。身が入らなかったけど、とりあえずやろうと思っていたことはやった(できた、とは言わない)。あとは流れのままに。

Giovanni's Trattu。
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どうも天国は魚介にあるらしい。とりあえずアサリの酒蒸し、くらいの感覚で頼んだムール貝でまず昇天。ガーリックトーストをお出汁に浸けて食べたら前菜なのに涅槃が見えた。写真にある魚介の煮込みは前回に続いて頼んでしまったが、既視感よりも鮮烈な味の印象が勝った。つまり痛いパンチは毎回痛い(例えが悪い)。
六道でいうと次に当たる人間界(例えに一貫性がない)がポルチーニ系で、前回はリゾット、今回は写真のラビオリ。おいしくないわけないだろうキノコが。ちなみにカルボナーラは意外なことに箸休めみたいな力の抜け方だった。めたくそに酔った。何を思ったか家の前でインスタライブをした記憶の痕跡がある。

翌朝は鼻水と喀痰でえらいことになりつつ、しかし平熱で血中の酸素濃度も普通だったので単なる二日酔いと判定。前週から引きずっていた仕事に区切りをつけて肩の荷を降ろし、水曜と同じ同僚と、こんどはケネディセンターにコンサート聞きに行きました。そして帰って早めに寝た。

金曜までに体調は全回復、というか今年一番体調がよかったかもしれない。
昼は残り物の材料消化で、大根とえのきとわかめの味噌汁、なめたけ、回鍋肉もどき。
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甜麺醤と豆板醤を2:1くらいで混ぜて炒めるとそれっぽい味になった、というくらい適当な料理ですがおいしかったです。

体調のよさに乗じて疫病の4回目接種(前3回のモデルナから変わって、今回はファイザー)をし、車で出勤して夜勤をやって同じ方向の同僚を送って帰宅。

土曜はものすごく怠惰に過ごした。1階のターゲット(イトーヨーカドーみたいな店)に行って食料品とゴミ袋を買ったのと、9階のジムで運動したくらいしか動かなかった。

日曜は断続的に雨。同僚と仕事先の人を車で拾って、フェアファックス郡にあるブルーオーシャンという日本料理屋まで行って昼飯。ここは弊管理人の前前任が通い詰めたお店だそうです。日本人がやってるだけあってすごく日本の味だった。
ついでに近くのTous les Joursというベーカリーを偵察。韓国資本らしい。
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あんパンとか、日本ぽい食パンやデニッシュ、ちゃんとしたケーキなどあり、やっぱり韓国わかってるやん、と思った。
同行の2人を送ったら、それぞれからお菓子をもらいました。帰ってちょっとうたた寝して運動してご飯食べて日曜終了。

* * *

・ちょっとだらけていますが、焦っても焦らなくてもまたしょうもない用事が入るでしょうから、今はとにかく手が空いているうちにずっと気にかかっていた雑用のたぐいをできるだけ処理しておこうと思います

・職場の主流の人たちに鬱憤がかなりたまっているらしいことを聞きました。しかし弊管理人は傍流なので、なるべくマグマからは距離をとって生きていきたいなと思うのみです(10年若かったら何か言ったと思うが、もうそういう世直し的な行動には関心がなくなった。聞かれたら言うけど)。別の傍流の人たちもそう言っていました

・4回目接種は結局、何の副反応もありませんでした。次は秋口だな

2023年01月16日

3連休

月曜がキング牧師記念日のため3連休でした。
どうしたかというと「3連休なにしようかな~」で終わりました。
日曜はダラダラしすぎて家から一歩も出なかったので、夕方から仕事を1本やって(←貧乏性)、アパートのジムに行って運動して寝ました。
日曜、月曜は11時を大きく回って起床。寝すぎ問題。しかし若干疲れてた気はする。

月曜、さすがにちょっと出掛けようと、以前もお茶を飲みにいった山のほうの街マーシャルへ。100km/hでぶっとばして45分くらいのドライブです。気分転換にちょうどいい時間ではある。
そこにもあるダイナー。15時くらいになってましたがちょいちょい地元民ぽい母子連れとかおじさんとか、若者グループ(固まって入ってくるのではなく1人が2人、3人とだんだん増える、いかにも地元っぽい人々)が来てなんか食ってました。しかしこの時間なのにおやつじゃなくて飯食ってるっぽい。ちなみに弊管理人以外全員白人。
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エッグベネディクトを頼んでみた。朝食メニューの定番ですが、こっち来て初めて。
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オランデーズソースを見慣れないのでどうしても脳がハインツのマスタードだと認識する。出来合いかなと思うけど一応オランデーズ。Yelp(食べログみたいなもの)のレビューを見たら「薄く広いメニューを提供する、小さな街にある典型的なダイナー」との評があった。他の街のダイナーは知らないがそうなんだろうなと思います。

いつものことだがむっちゃお腹にたまった。
マーシャルのメイン通りにあるパン屋Red Truckにお茶しにいきます。
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閉店が近いせいかほとんどパンが残ってなかった。
バーボンケーキとアイスコーヒー。
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すごいバーボン味。でもうまい。

ちょっと一回りして帰りました。
アマゾンで注文してたコーヒーミルが家に届いてました。日本で使ってたのとほぼ同じ形のが11ドルくらいで売られていたので即ポチした。
帰省したときに持って帰ってきたドリッパーとフィルター、それとこのあいだホールフーズで買った豆があるので、これでやっとインスタントじゃないコーヒーが家で飲めます。
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夜やると寝れなくなるのであすの朝ね。

* * *

母方の叔父がレビー小体型認知症でずっと介護が必要になっており、窮乏しているらしい叔母を援助するための匿名資金を伯母に渡したら、半分叔母に渡したものの、もう半分を弊管理人に返すというのでちゃんと渡すように頼みました。しかもいとこ(叔母の娘と息子)が叔母を助けないというので叔母に「育て方を間違えた」と指摘して泣かれたという。あの……うちの父と絶縁になったの、そういう気持ち先行で突っ走るところではなかったかしら。

しかし、いとこにしても叔母にしても伯母にしても父にしても(弊管理人自身も含め)、歳食うと何か言っても人は変わりません。とりあえず伯母には、叔母を責めるのはやめて高額療養費制度を適切に使っているかを検証するのを手伝ってあげてはどうかと言いました。そして、弊管理人からの援助だということを叔母に言いそうになっていたので「だめ」と念押し。甥っ子からお金出てるとか嫌でしょ。危うい。そしてこういうときに介入できない距離は不便。

2023年01月15日

20年

20年後の1月15日を、日本では15日ですらない場所で迎えるというのは予想してなかった。
結構具合の悪い母が今朝の夢に出てきました。文脈は覚えてません。前夜に伯母から20年だねというメールが来たためだと思われます。

軽く弊日記を辿ってみたところ、3年目はまだ記憶が新しそうでした。5年目、10年目、15年目はもう同じことで、意味を失った時間において無限のカウントアップをただ迎えては見送っているだけ。「急性期」は10年目ごろまでに越えたようです。弊管理人も環境もただ20年分古くなり、消耗しました。実家には10年前と同じ位置に写真があり、同じように仏壇に一口分のぼた餅などが供えてあります。そして、弊管理人とそのリーチが抱えている記憶は「外の世界」から完全に隔絶している。

起点となる日を持ったことの副産物として、成人後の20年という時間の感覚がだいたい掴めました。未婚男性の平均寿命まではこれをもう一回。やると思うとなかなか長いけど、やらないかもしれない。基本的にやることを想定しながらやらない可能性も意識する、くらいで行くんだと思います。年始の日記にも書いたけど、新たなスタートに倦むタイプ。

* * *

ところで14日の土曜は、よく会社の給湯室でOLトークをしている同僚のうち1人からお誘いをいただき、メリーランドのお家で夕飯をいただいてきました。
持っていったのはうちの近くにあるRandolfのケーキ。
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まともなケーキを探していて行き当たったお店で、今回初めて使ってみました。弊管理人が食べたのは右下の黒い塊。中はムース。若干重めとはいえ、砂糖がジャリジャリしてるようなやつと比べれば全然まともでした。1個6-7ドルなので高いこともない(円換算してもまあ今日び800円くらいのケーキはあるわな)。

奥様の手料理はタジンと、塩豚・白菜のスープ。うま……
1年ぶりに見た娘さん(小5)は、なんかおっきくなったなと思ったら背が12センチ伸びたそうです。英語の発音もすごいよくなってた。20数年にわたって5年生を担当しているベテランのいい先生に当たったとかで、勉強の環境も申し分ないそうです。おお素晴らしい、ライフステージに変化のある世界……

こちらの同僚は弊管理人より2カ月早く着任し、任期2年なので今年後半に帰国となりそう。娘さんは秋から中学に行きたかった(こちらは6年生=中学1年生)と残念そうですが、日本では帰国子女枠の中学受験が11月ごろだというので、それには間に合うもよう。お父さん(=同僚)がアメリカ国籍を持っているので、こちらに住んでいるうちに娘さんも取る手続きをするのだそうです。そんなことできるのね(というか本当は生まれたときにできるんだって)。そうするとこちらの大学に行く時にあほみたいに高い外国人の学費を払わなくて済むこともあり、また戻ってくるのでしょう。こうやって国際人は再生産されていく。

にしても2年だと短めだな。というか弊管理人が代わってあげたい。けど、同僚氏もわりともういいやっていう雰囲気なので、本人的にも娘さんの進路的にもちょうどいい時期なんだと思う。

* * *

14日は、同じ職場に弊管理人を含め3人いる同期のうち1人が帰国しました。

* * *

タイヤ修繕は先週後半に完了。フレームとタイヤの間のシール材が劣化して、微小な空気漏れが起きていたとのこと。たぶんこれで大丈夫だと思うと、また車で出掛けようという気が起きてきます。

* * *

時差ぼけは解消。

* * *

先週はやろうやろうと思っていたことが進まなかった。

2023年01月08日

旧年補遺とか

6日金曜にそろりと初出勤したらいきなり大きめの仕事に当たり、土曜朝になった東京とやりとりしているうちに「東京の担当者に家の用事があるので、東京で14時からのオンライン行事をそっちでカバーしてくれない?」と言われ「DC時間だと午前0時からなんですけど」と嫌オーラを出したら、当該案件に明るくない東京の出番の若者がやることになりました。いや弊管理人がやれば確実に話が早いんだけど、午前3時4時まで働きたくないじゃないですか。

実は東京側の相手は弊管理人のDC前任者で、在任時から「深夜に働かされるのは人権侵害」と主張していた人なので、それにありがたく乗っかった次第。そしてあっさり納得いただきました。

そんで土曜は出番だが出社拒否して在宅でやりました。
日本→アメリカの移動は時差ぼけがきついという印象ですが、今回は帰着日の帰宅が深夜になり、さらに片付けとかしていて疲労を上乗せした状態で未明に寝たせいか、夜寝て朝起きるサイクルにするっと入れています。ただ金曜、土曜とも20時ごろいったんすごい眠くなって、深夜にちょっと目が冴えかけつつもやっぱり寝る、いったん未明か早朝に目が覚めるけどまた寝る、ンコが朝飯後ではなく夕飯後に出る、という「体内時計が若干調整しきれていない感じ」が残ってます。

* * *

今年の身の振り方を考えながら、まずは自炊を再び軌道に乗せようと、日曜はアジアンスーパーを韓国→中国とはしご。
中国スーパーは旧暦の正月が近いとあって飾り(売り物?……と思ったが写真を見直したらやっぱり飾りか)がきらびやかでした。
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日本食の材料や調味料などはだいたい値段が3倍。アメリカは食品の持ち込みが厳しいと聞いていたので、今般日本から持ってくるのはお菓子メインで量も控えめにしたんですが、サンフランシスコの入管では「なんか申告するものある?」と聞かれただけだったので、もうちょっといろいろ買い込んできてもよかったかもしれない。まあお金出せば大抵のものはアメリカで買えるんですけどね。

あと、砥部焼のコーヒーカップを松本で見つけて、買おうかどうか迷っているうちに家族から「もう行くよー」と言われてやめたんですが、あれは買うべきだった。

* * *

そういえば、乗り継ぎにほぼ遅刻しつつダッシュして乗れたサンフランシスコで、CLEARというサービスが威力を発揮しました。
保安検査に並んでいる人たちの列をすっ飛ばして、いきなりX線検査の手前まで係員に連れていってもらえるものです。年200ドル近くして結構お高いのですが(ちなみにAMEXのプラチナカードだとこの費用が償還される)、去年、ものは試しで契約してみていました。

飛行機はそこそこ乗るのだけど、週末とか休暇シーズンにほとんど旅行をしないので、保安検査場にそこまで長大な列ができてるのに出くわすことはなく、まあちょっと時間短縮したかな、期限がきても継続するかどうかは微妙かも、くらいの印象でした。が、今回は帰省から戻るピークの時期に当たり、これがなかったら確実に乗り遅れてた。結局、預け入れ荷物が一つ後の便になったので乗り遅れても一緒だったんだけど、急ぐときには助かることもあることは分かりました。

それにしてもカネを払えばすいすい、払うのが嫌なら列に並べ、というのはいかにも当地なサービスです。大阪の某テーマパークもそうだとか聞いたけど。

* * *

まだちょっと日本の余韻を引きずってる。ファミマで買ったけど食べないままスーツケースに入れて持ってきたホワイトチョコがけの苺とか、セブンのレーズンサンドとかを消費しつくした頃には、だんだん記憶が薄れて元に戻っているかもしれない。

2023年01月06日

長野年越しと東京と所感

アメリカに戻ったので、大阪より後のことは圧縮して。

12/29-1/3は長野で年越し。
実家の朝飯。光り輝くお米。
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30-31日は松本。
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浅間温泉「菊之湯」に宿をとって父、妹と一泊しました。
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浅間温泉自体は特に見るところもないのだけど、他人が作った夕飯を食べて、風呂に入って寝るだけだっていいじゃない。古民家を生かした建物、民芸の宿、みたいなところで、食器もいい趣味だったと思います。
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22時に男女の風呂が入れ替えになるので、そうしたらもう一風呂と思っていたのに、21時前に寝てしまいました。朝飯も素敵。
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31日はチェックアウトしてからなぜか北に向かい、小布施と善光寺に行きました。
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南部にある両親の実家や今の父の家には住んだことがないので、3歳から高校を出るまで住んでいた長野市のほうが懐かしさはあるんですよね。
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日が傾いてから長野市を出発し、駒ケ根の回転寿司屋で夕飯食べて、実家に戻って紅白見て寝ました。

元日は母方の祖母宅へ。今回は右ハンドルの運転に父が懸念を示したため電車でGO。いや運動にもなるしそのほうがいいです。
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閑散とした駅前から生体反応のない飲み屋街という、普段通らない道を歩いてみました。
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昼ご飯は伯母のごちそう。今年も健在でよかった。
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耳が遠くなり補聴器を買ったとのこと。ずっとガラケーユーザーで「スマホの話などしないでおくれ」と拒んでいたのに、とうとうiPhoneに乗り換えて親戚や友達とLINEしてた。もう何十年も前に建てたきり、最近はほとんど住んでいなかった家を二束三文で売ったらしい。うーむ。でもまあ手元にお金は残ったようだし、本人がいいならいいか。
日本を発つときに最後かなあと思った祖母は、車いすから立てなくなっていましたが、102歳を迎えてもご飯をもりもり食べていました。

2日は父に車に乗せてもらって父方の祖母宅へ。
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こちらも96歳だって。祖父が作っていた梅や栗の木が「近在の人たちがボランティアで来た」とかでばっさり伐られていて、父が「まだ実がなってたのに。ボランティアというが炭焼きがしたかっただけだろう」と呆れたり怒ったりしていました。でもまあ祖母も手入れができるわけでなし、こちらも本人がいいならいいか。祖母は元気でした。跡取りの三男(父の弟。長男は独身、次男の父は婿養子なので三男が継いでいる)はちょっと離れた町に住んでいるが正月になっても来ないので、縁側でぼーっとしているのだそうです。ううむ。
夜はいつものソースカツ丼を食べにいきました。
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3日は高速バスで東京に移動。Uターンはピークのはずでしたが、小仏トンネルも含めて全く渋滞が起きておらず、予定通りに新宿に着きました。
大阪時代に知り合った看護師の若者が、保健師の資格を取りたくて関東某公立大の3年次編入試験を受けたら受かったというので、リクエストのあった焼肉でお祝い。ゴールデン街の近くにある「モンシリ」です。
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かなり久しぶりだけど、とてもおいしかった。若者は看護師ですが、ずっと現場は体力的にきつかな、というので保健師とって公務員を狙うそうです。そういうもんかあ。春から2年間の大学生活で、終わって資格を取ると34歳。そろそろ就職はぎりぎりの年代とのこと。「お勉強頑張ってね」といって別れました。

4日も早起きは続いており、朝8:30からバルト9で「すずめの戸締まり」を見てしまいました。何の予備知識もなく、そういや新作が公開になったとかどっかで見たなというだけで行きましたが、これは見てよかった。
それから紀伊国屋書店で本を物色。知らないうちに改装されてましたが、棚の配列に余裕ができた代わりに品揃えが悪くなったような。20冊くらい買って帰るぞと意気込んだものの、4フロア見て結局買ったのは5,6冊。あとはタイトルだけチェックしてキンドル。
夜は飲み友2人が来てくれて、ねぎしで夕飯。それから旧知の飲み屋さんに行きました。チェックしないで行ったら毒気の強い店主が店番の日で、若干もやもやとしながら辞去。街は三が日の営業が一服して閉じている店が多く、他に挨拶したかった人たちには会えないまま。3日と4日の予定を入れ替えたらよかったかな。でも開いてるお店を見つけてまたちょっと飲んで喋って帰ることができました。「アメリカナイズされてなくて見た目も振る舞いも全く変わってない」とのご指摘を複数いただきました。

5日は思い出横丁の岐阜屋でチャーハンを食べ、2020年の初めまで住んでいたあたりを散歩して帰路に就きました。

羽田→サンフランシスコが9時間、そこでの入国審査がめっちゃもたもたしており、通過して荷物を取ってもっかい預けて保安検査通ってダッシュ。11:00発の飛行機の搭乗橋に通じる通路が11:01ごろ着いたら当然閉まっていて、あー変更手続きかーと絶望していたら地上スタッフのおねーさんが仕事を終えて出てきたのに鉢合わせ、お互いキャーって言って乗ることができました。
しかし預けの荷物は間に合わず、2時間後の次の便に乗ったようなのでDCの空港に着いてからターンテーブルの前のいすで待機。使ったユナイテッド航空にぶつくさ言いがてら手続きの問い合わせをしたら15ドルの食事券をくれましたとさ。

いや、12日間で3地点回ったのも手伝って日本を満喫した。トーストやスパイスカレー、チャーハンとかネクターとか、完全に頭の外にあった食べ物を口にした瞬間に、味の記憶がじわーっとしみ出してくる経験を何度もしました。そして日本はやっぱりいい、と思った。

あと、これは前々からそうではあるんですが、「もうすぐゴール」感のある年末が終わって、また目の前に茫漠とした1年が現れる新年の「また頑張んなきゃいけないの……だる……」という感覚がいつもより強かったです。

では2021年5月に異動の打診を断って引き続き大阪支社の高齢者を心底軽蔑しながらしのぎ、22年前半に既定路線で東京の出身部に戻っていたらよかったかというと、それでもやっぱり茫漠とした生活を前にして「だる……」ってなっていたでしょう。今回のディスカバー日本がよかったのは1年3カ月分を10余日に圧縮した密度の高さによるものであり、さらに住所のない故国は「なつい」とは思ってもホームではなく、本質的に安定とホームを志向しているはずの弊管理人なのに、年々動けば動くほどそういうものから遠ざかっているのは一体どういうことなのだろうと思いました。

あとは雑感。
・日本は想像していたほど行き詰まった雰囲気ではなく、
・大阪や東京では若い人が働いていて感じがよく、
・テレビは同じ人たちが年だけ取って出続けており、
・俳優さんもアイドルの人たちも男はあらかた貧相で、
・おねーちゃんたちは引き続き他人恐怖症(雑踏の中にあって自分以外に人間がいるということを必死に否認しようとしている)かのような歩き方をしており、
・交通システムも行政手続きも相変わらず予測可能性が確保されており(つまりアメリカとは逆にサービスが没個人化しており)、
・弊管理人が唯一アメリカナイズされたのは道路を横切るときに左側を見てしまうことくらいであることに気づき、
・キャッシュレス化がずいぶん進んでおり、
・一部ハイブリッド化した軽自動車が移動手段としての優秀性を強めており、
・外でマスクをしていながら飲食店では外して会食をするという意味のないポリシーが高度に維持されており、
・朝の動き出しが遅く
・都会はよく歩くことが確認された

2022年12月31日

大阪でディスカバージャパン

【12/27】

DCから大阪に夜着いて寝たらやっぱり午前3時にぱっちりお目覚め。
午前7時に宿を出て、北浜駅近くのよく使ってたATMでほぼ2年ぶりに通帳記帳。
それから国際免許証をとるため、京阪に乗って門真の免許センターに行きました。
モーニング食べて、免許とって、そのあと郵便局で郵便物転送の継続手続き、あと髪切りました。
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所感。

<モーニング>
・日本のトーストはふかふかでうまい
・なんてことない喫茶店のコーヒーもうまい
・そして安い
<免許センター>
・客の流し方がシステマティックで手続きが明確。バージニアのうんこみたいな窓口係とは雲泥
<床屋>
・安い。丸刈りで1300円シャンプーつき
・営業ではあるんだけどフレンドリー。客が来ることを面倒だと思ってるかのようなアメリカの接客とは雲泥

あと、
・湿気のせいか、覿面に肌の調子がいい
・軽自動車素敵
・しばらく使ってなかったPASMO止まってなくてよかった。銀行カードも普通に使えてよかった

で、天満橋まで戻ってきてニトリと無印で雑貨を買い漁ったあと、会社の後輩ちゃんと昼飯。渡邊カリーでカツカレー。
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うま……
そのあとスタバで主に人の悪口ゆってバイバイしました。

少々午睡ののち、仕事外知人24歳と飛鳥で焼き鳥。
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弊管理人が大阪にいたときはコンビニでバイトしていたのですが、その後は工場に就職して、周囲がとても優しくていい職場とのことです。よかったねえ。

【12/28】

兵庫のおともだちとJR芦屋で待ち合わせ。
インデアンカリーでお昼。
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完成されてんな。

フランク・ロイド・ライト設計のヨドコウ迎賓館を見に行きました。
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もともと灘の酒造・山邑家の別邸として、帝国ホテル建設のため来日していたライトが依頼を受けて1918年に基本設計を完成、ライト帰国後に弟子の遠藤新と南信が実施設計と施工をしたというもの。1947年から淀川製鋼所の社長公邸となりました。
ばりっばりライトの客間。
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施主の希望で追加された日本間(ライトの設計にはなかったそう)。
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装飾的な食堂。
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撮られていた。
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食堂から外に出るとこの眺望。
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金持ちはこういうものを残すべきやね。こういう意匠は10月にタリアセン・ウエストで見た気がする。
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そんで元町へ行きました。
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南京町のお人形かわええ。
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最初に一緒に来て、老祥記の豚まん食べたのは2006年2月。
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うまかったです。
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お茶して三宮まで歩いて別れました。
阪急で大阪まで戻って、去年、営業自粛の中で挨拶できないままだったお店に顔を出しました。
しかしそれ以上は眠くて行動できず、ホテルに戻って就寝。

【12/29】

朝はやっぱり5時台に目が覚めたので、近くの松屋で納豆朝定をいただきました。
納豆も豚汁も渡米ぶり。
コンビニスイーツ買い食い。
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日本ではこれをやってたので太ったような気がする。会う人会う人に「痩せた」と言われました。アメリカで一度も体重を計ってなかったのですが、このあと行った温泉で計ったら出発時から6キロくらい落ちてました。うんまあ実感に合う。

チェックアウトしてから、新大阪―(新幹線)→名古屋―(バス)→実家と移動です。
名古屋では鈴波で定食を。
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結構並んだ。でもみりん粕漬けうまかった。こういう複雑な味はDCにはまずないんですよね。

大阪で「やっぱり日本いいな」と思ってしまいました。
しかしDCに行かなかったら幸せだったかというとそうではなく、行ったことの反動としてそう思っている。

山あいの郷里(といっても住んだことはない。父親の出身地)着。
ひところかなり不安定だった妹は仕事が順調なようで具合よさそう。
そのほか特にやばそうな点は当座見当たらずよかった。

22まとめ

1月 オミ禍で職場誰もおらず在宅仕事。3食のペースがまだ掴めてなかった様子
2月 オミ禍は和らいできたが悶々と生きていた様子。東欧の戦争の余波が多少
3月 車でよちよち近所お出かけ。フロリダ出張楽しかった。桜が咲いた
4月 電子ピアノ導入。ピッツバーグでブロンフマンよかった。ハーパーズフェリー遠足
5月 NYへ初の鉄道出張。ブルーリッジへハイキング。なんか春は随分頑張って出かけてた
6月 どんどん暑くなっていった。公文書館初体験。バージニア南部へ初の車出張
7月 ボルチモア出張。夏休みでアリゾナ・ネバダに行ったあたりから英語慣れしてきた(遅
8月 アポイントが入らなくてやきもきした末のベミジ出張は大団円。からのフロリダ
9月 またフロリダでだいぶ慣れた。豚の丸焼きは鮮烈だった。とうとう疫病罹患
10月 咳をやや引きずる。急に決めたアリゾナ出張は結構疲れたがまあ面白かった
11月 エジプト出張は結構充実。七面鳥お呼ばれ2連続、ありがたいことです
12月 カナダ出張以来、アウトプットが回復しないままクリパからの一時帰国

アメリカ2年目に入る手前から諦めがついたというか、もういろいろ交渉してだめならだめでしょうがない、という境地に入っていくらか見通しがきいてきたかも。あと何につけ「いちいちイライラしてもしょうがない」と鷹揚になってきた、たぶん。

しかし1年頑張ってみた後にやる気がなくなって回復しない。さらに日本に1年3カ月ぶりに来てみて「やっぱこっちやな」と思ってしまった。まあ年が明けて仕事が立ち上がってくればまた流されていくのでしょうが。月1で出張など何らかのイベントがあるくらいがちょうどよかったので、そういう塩梅で予定を入れていきたいです。

2022年12月26日

クリスなだれこむ末

モントリオール出張を1日短縮した影響でいろんな後始末をすることになり、エアカナダにイライラしたり、ユナイテッドと交渉してちょっとあちらがかわいそうになるくらいの処理をしてもらったり、ヒルトン(日本だと高級なイメージだがアメリカでは東急くらいなので出張によく使うのです)にはらはらさせられたりしつつ、最低限の落ち着きはしました。

てなことをやっている間にDCの気温はどんどん下がっていき、氷点下12度までいきました。ニューヨークは運転禁止、中西部はこんなもんじゃない低温になっていたようです。

で、24日は先日の感謝祭で七面鳥にお招きいただいた人たちにまた誘ってもらってクリパ。
プライムリブ。すげえ。
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次の日に一時帰国するので、早めの21時くらいにおいとましようと思っていたら、プレゼント交換のイベントが22時から始まり、ちょい遅くなりました。日本人と配偶者のアメリカ人で計14人。最後のほうは酔っ払いの理系おじさんらがけっこううざくなっており、ホストの家なのにコップひっくり返して氷を拾わなかったり、ゲームのパーツを汚したまま組み立てたりしていたので、騒ぎに紛れて「拭けや!」と注意しました。白髪頭にもなって大学1年みたいな飲み方すんなよ。
結局24時前に辞し、25時ごろ帰宅して洗濯、もろもろ準備して、4時間余りの睡眠で出発。

DCのメトロが11月、中心部から50kmくらい離れたダレス空港まで延伸したので、それ使ってみました。
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ウーバーだと6000円くらいかかるところ、土日の均一料金2ドルで済んでしまった。ちょっと時間はかかるので出張で使うかというと使わないけど、私用ならまあね。

ところでクリパで都市計画をやっている人から聞いたところだと、鉄道駅ができると土地の価値が上がって喜ばれる日本と違って、アメリカはバスや鉄道の路線が拡張されると低所得の人たちがコミュニティに運ばれてくるといって反対運動が起きることがあるそうです。もともと金持ちは車を持ってるから公共交通機関がなくてもどこにでも行けるわけだ。そうかあ。

全日空1便でワシントン→成田、14時間。読みさしの本を1冊終えて映画2本見て、うとうとしてたら着きました。後ろの席から搭乗させたり、客が適宜背後の客を通しながら頭上の荷物入れを取り扱ったりするおかげで、アメリカの飛行機よりもすいすい乗り降りしている気がする。後ろに目がある特殊民族、みんな忍者かと思わなくもない。しかしちょっと人のことを気にしすぎともいう。そのかわりクレームの反射神経は悪く、ひとしきり不利益を被った後で文句を言うよね。弊管理人も含めて。

成田からピーチで関空、そんでバスで梅田。車の左側通行に若干違和感を覚えたほかは、「ああニッポン~~!!」という感激はありませんでした。アメリカの1年3カ月の流れが速すぎて、長く空けていた感じがしないんではないか。

堂山の「にしやま」さん、月曜定休のはずが、「定休日ですよね?」とLINEしたら返ってこなかったので、もしやと思って行ってみたらやってました。26日で年内は終わろうかと思っていたそうです。

おばんざい万歳!!
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1年半前のようにレモンサワー飲んで、おでんと、じゃこめし食べました。
去年8月、デルタ禍で休業している間に弊管理人は引っ越してしまったのでさよならが言えてなかったんですよね。そしてその間に店主氏の相方さんが急に亡くなってしまっており、献杯も。

ホテルでお風呂入って23時過ぎに寝ました。そしてやっぱり3時前にぱっちりお目覚め。

* * *

◆都築響一『圏外編集者』筑摩書房、2022年。
よかった

2022年12月17日

しわす前半いろいろ

前回の3日からこっち何してたっけというと、ほとんど覚えていないくらいこまい仕事で時間がたってしまっていたような気がします。
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これは確か、DCの某シンクタンクへ行って職場に戻る途中になんとなく撮った写真。
公園を埋め尽くすほどのテントも見た。
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寒かろうと思うが、しかしみんなこのスタイルということはこれでも冬を越せるということなのだろうか。

* * *

結局、運転免許は10日の失効まであと5日というところでゲットしました。
免許センターで写真を撮るんだけど、シャッターが下りるタイミングを間違え、しょぼくれた感じになってしまいました。今よりずっと心身ともにきつくて体重も減ってたと思われる去年のこの時期の写真は、逆になぜか微笑かつ健康的に撮れていたのに、ぬぬぬ。でもまあ年内に片付いてよかった。

* * *

年末の一時帰国のアレンジをだいたい終えました。成田着でそのまま東京に行くか、国際免許をもっかい取りに大阪に行くか(必須ではないが、こう出張が多いと日米以外の国で運転する可能性もあるし、来年また更新ではらはらするの嫌だしという趣旨)迷ったものの、東京にそんなに長くいてもすることが多量にあるわけでない、ということで成田から乗り継ぎで大阪に行くことにしました。

そのあと長野に移動して年越し、東京に2泊して羽田から戻るという日程。わりと詰め詰めになってしまったかも。

しかしよく考えると、大阪近辺でやり残したこともそうなく、東京でやりたいこともそうない。そば食いたいなと思ってましたが、先日アジアンスーパーでセブンイレブンで売ってるような乾麺と「めんみ」を仕入れてモリ/カケをやってみたら満足したので、そば欲は満たされてしまいました。牛丼もできたし、あと自分でやる気がせず、店屋物もしょぼいのはとんかつと焼き魚(特に西京漬け、粕漬け。アメリカだとTERIYAKIになってしまう)くらいかなあ。

100均で買える雑貨が妙に高いので、そういう単価の安いものばかり仕入れることになるかもしれない。
それと、コーヒーのドリッパーおよびフィルター。カリタの300円くらいのプラスチックのでいいのに、これがどうも見つからない。アメリカ人はどうしてるのだろう?粉の入った小さいカップをセットして落とすコーヒーメーカーをよく見るけど、多くの人がそういうのを使ってるのだろうか。カップはスーパーで普通に売ってるしな。
前に職場の流しが詰まって、修理にきたでっかい黒人のおじさんに「なんで詰まったの?」と聞いたら「コーヒー流しすぎたんじゃね」と言ってたが、あれは液体のコーヒーではなくコーヒーの粉のことを言っていたのだろうか、そしてコーヒーの粉を流すような方法(ネルドリップとか?)で煎れているのだろうか。

閑話休題、買い物は本がメインで。20冊くらい買ってくと思う。

ほかは何より何人かの人に会うってことですね。

* * *

というか今、出張でカナダのモントリオールにいるのですが、来るときは直行便なら1時間40分のところ空港着からホテル着まで16時間という長旅になったこともあり、そして帰りにも若干の不安があることもあり、その話はDCに戻ってから。DCに戻ると2日出勤して冬休み・帰省です。

2022年12月03日

しわすでごわす

酒場でDABADAみたいだな。でももはや多くの人に通じない。

東京の非出身部から「(弊管理人)は力が有り余ってるから××をやらせてくれ」という余計で曖昧な指令が現職場の上の人に来たとのことですが、余計で曖昧だったのではいはいって言って無視しました。

Sfoglinaというイタリア料理店、仕事関係者と。
メニューからしてパスタ推しのお店。とりあえずラビオリとミートボールを頼みました。
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あ、うまい。ラビオリの中にヤギのチーズ。ミートボールも含めてハーブ使いが秀逸。
結構味が強かったので、軽い白ワインのボトルを頼んで正解でした。
追加でカーチョ・エ・ペペ。
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あみあみのパスタはスポンジみたいに使って、ソース全部こそげて食いたまえ、みたいな料理。カーチョはブルーチーズかな?「やりましたね」「ですね」と目配せしながらおいしくいただきました。
安くはないが「おいおい」みたいな値段ではないですね。仕事で使いたい。

* * *

すごい頑張るマンの同僚は、たぶん実態としては引き続き頑張ってるんだけど、いろいろ会社・仕事まわりのひとたちに幻滅し、気持ち的には生活を楽しむモードに移行したそうです。いいことだ。たぶん弊管理人と同時くらいに東京に戻りますが、そしたらどうにかして修士とって国際開発金融機関かどこかに就職して、愛しの息子ちゃんと一緒にアメリカ永住を狙うといってました。

* * *

エジプトから引きずった下痢が治ったあと、反動のように前より便が硬くなりました。野菜は食べてるけどな。腸内細菌が入れ替わったのだろうか。

* * *

金曜朝、早出シフトの前に職場近くのマクドナルドで朝飯を買おうとしたら、店員さんが他のオーダーの準備でレジを一顧もしないので暫く待っていました。すると後ろから黒人のおねえさんが「ちょっと!オーダーとってあげて!」と呼びかけてようやくレジ係登場。おねえさんも早く買い物を済ませたかったんだと思うけど、やっぱりアメリカは声出していかないとあかん。面倒臭い。

弊管理人含めて職場にいる3人のバージニア勢が、同時期に免許更新をしようとしています。アメリカ国籍の人は今時オンラインでできちゃうものの、外国人しかも変わったビザで入っているため、免許センター訪問後に連邦移民局でのバックグラウンドチェックに回されてしばらく待つことになります。

去年はそれが14営業日だったのに、今年は10月に更新手続きを始めた時点で35営業日、現在は50日近くに待機期間が伸びているようです。同僚1人はギリギリ更新完遂したものの、もう1人は今週とうとう待ってるうちに免許失効しました。弊管理人は来週35日目が来て、その直後くらいに失効します。35日で済むか?無理か?とやきもきしているところ。

州の免許センターは移民局のことはわからん、移民局は人手不足とかいってますが、どうせコーヒー飲みながらだらだら仕事して定時に帰り、普通に平日休みも取ってるはず。問い合わせしても回答が間違ってることもあり、詰めると不機嫌。窓口労働者はタッチパネルに置き換えて放逐したほうがいいと思う。

* * *

今週はこんなものを食べていました。
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ちょっと前に買ってあったすり胡麻をようやく開封してほうれん草の和え物。あとは、中国スーパーにエノキがあったのでなめたけを作ってみた。うまかった。1週間もつというのでちびちび食べています。ほんとに日本だったら買って済ますようなものを作るようになりました。
牛肉のしぐれ煮も常備菜としてよい。

あとはPalm Restaurantというところで仕事の会食1回。手頃なランチコースはエビのビスクと鮭焼いたやつとライムパイ。仕事なので写真は控えました。日中10度前後、12月ですがそんなに寒くなかったと思います。

10日ちょっとするとまた出張なので、いま諸々の仕事の準備ができる最後のチャンスかもしれないと勉強&書き物の書きため中です。アウトプットが減ってるように見えるが労働時間は減ってないので、ここで余計な茶々が入らないよう、なるべくうるさそうな人と接しないようにしています。心身の健康大事。

2022年11月27日

ターキーの夜

木曜は感謝祭で祝日。ここから世間は4連休の雰囲気、人によっては先立つ月~水も休みにして9連休にするそうです。
スーパーに行ったら七面鳥の死体いっぱい。
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夕方18時ごろ、時差ぼけがまだ抜けてなくて、ちょっと布団に入ろうかな~と思ったところで同僚からメッセージ。今から七面鳥食べるけど来ない?と。行きますうう!

家の近くのワイン屋が開いていたので飛び込む。
店員『お勧めしようか』
弊管理人「え……きょう何時閉店?」
『今』
「頼む」
で1本買って地下鉄に乗りました。

アーリントン郡のいいとこ、クラレンドンにあるアパートまで歩く途中、人影はほとんどありませんでした。日本だと正月1日の夜みたい。家族でディナーが正しい過ごし方。実家に帰った人が多いようで、弊管理人のアパート地下駐車場もガラガラでした。
女子3、そこへ弊管理人。「実は前日夜、ホストと同僚の頭にそれぞれ(弊管理人の)顔がよぎったが、都合どうかなーと思っているうちに今日になった」。でもありがたいことです。
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ホストは子どものころアメリカに住んでいた人で、「アメリカ人が典型的に食べるものを面倒臭がりのアメリカ人があまりかけない手間をかけて用意した」とのこと。すごい。
肉を柔らかくするためのブライン(塩とかワインとかの溶液だと思う)につけ込み、スタッフィング(詰め物。パンや栗、玉ねぎ、ハーブなど)を入れてオーブンへ。肉は鶏よりぱさつくのでクランベリーソースかグレービーソースで食べる。付け合わせはインゲン。
夜半までおしゃべりして、途中から合流したおにいさまに送ってもらって帰りました。

* * *

金曜はカレンダー上は平日で、早出シフトだったので出社しましたが、特段何もせず帰宅。
相変わらず体が時差調整しきれてなく、朝4時に起きたので夕方に強烈な睡魔が襲ってきました。あまりがっつり寝ないように、毛布をかぶってロッキングチェアに座ったまま目を閉じたら4時間が溶けていた。恐怖。

21:30に東京から電話がきて、「きょうは薄商いだから」という趣旨で微妙な案件の発注がきたので、ものすごく嫌オーラを出して引っ込めてもらった。埋め草がほしい、みたいなしょうもないことで夜中から仕事させようとかすんな。

* * *

土曜はエジプト出張前からお声がけをいただいていた七面鳥の会。こちらは日本人とアメリカ人、計10人くらいの集まりでした。メリーランド州のシルバースプリングというところ。家から車だと30分ちょっとですが、呑むので地下鉄で1時間かけて行きました。

付け合わせはインゲンのほか、クリームスピナッチ(ほうれん草)、トウモロコシ、マッシュポテト。ホストのおねえさまは米国人の旦那さんと結婚して在米20年とか。こちらもとてもおいしかったです。木曜も土曜もホストは「ま、七面鳥ってそこまでおいしくないんだけどね」と言った。淡泊な味で、上手に焼かないとパサつくそうです。
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スタッフィングを初めとして、各家庭に「うちのレシピとメニュー」があるっぽい。しかしケツから具を入れて首なし死体を丸焼きにするって、やはりちょっとぎょっとする。いや切り身だって死体だというのは分かってます。
そして、先住民に助けてもらっておいて(thanks-giving!)、ぶっ殺して土地を奪った黒歴史には申し訳程度の目配りをしつつ、それはそうとホリデーたのしいねが粛々と進行していく社会。

* * *

この1週間もいろんなインシデントで人は死んでおり、州内のウォルマートでは元従業員が銃を乱射して何人か死にました。その時のニュースでも聞いたし、大統領もよく使う表現がempty table/chair。必ずしも死んだ人だけでなく、在外の軍人みたいに出掛けてるだけの人にも使うよう。「親しい人の不在」は、特に家族が集まる時期の食卓で感じるのね。日本人にもすっと理解できる感覚ではあるけども、日本語表現だと食卓という物理的な場所ではなく「心」に「ぽっかり穴」があくわけだ。つまり欠如の感覚は状況に紐付いているのではなく、いつもそこにある。

* * *

ところで七面鳥って何、ってあまり意識したことはなかったけど、北米固有の鳥だった。短距離なら飛ぶが基本は歩く。「野生の七面鳥がその辺うろうろしてるわけですね」と参加者に聞いたら「たぶんそう」と。

なんでターキー(トルコ)なの?と思ったらこういうことだったらしい。

16世紀に最盛期を迎えたオスマントルコ帝国は、アジア、アフリカ、ヨーロッパにまたがる広大な領土を誇っていました。そのころ北アフリカの一部に生息していたホロホロ鳥が、トルコ経由でヨーロッパに輸入をされていました。

その当時ヨーロッパでは、トルコを含めイスラム圏から伝わったものには「ターキー」の名を付けることが多かったため、ヨーロッパの人々はホロホロ鳥をトルコ鶏(ターキーコック)と呼んでいました。
同じ時期に北中米に生息をしている七面鳥がスペイン人によってアメリカ大陸からヨーロッパに家畜としてもたらされていました。ホロホロ鳥と非常によく似ていた七面鳥もターキーと呼ばれるようになり、この名称が世界中に広がったのです。

ターキー(トルコ)=七面鳥という名称が世界中に広がったため、1990年ごろ、トルコ政府の高官によりトルコの正式な国名をトルコ語のTürkiyeに近いTurkiyeに変えようという要請が出たことがありますが、いまだに変更はされておりません。

* * *

エジプトからの下痢は結構長く引きずって、何か少しでも口にすると即座に腹が鳴って水便がシャーって出る状態が続きました。水曜夜がピークで、まだ腹になんか残ってたの?と思うくらい出てから、木曜に回復基調に入りました。七面鳥の時は実は恐る恐る食べてました。
結局、金曜は少しゆるいくらいのが朝に出てから土曜はお通じがなく、日曜朝に正常化。よかった。腹痛も発熱もないまま。疲れだったのだろうか。

2022年11月12日

1111

1が並んでいた。
そしてこれ1400個目のエントリーです。

特段の意味はないただの記録で、弊管理人の部屋。
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このほかに寝室一つ。アパートの広さはたぶん70数平米ある。
家賃はだいたい月40万円です。引くわ。

* * *

会食、Giovanni's Trattu。
コロナ禍の中でこの店がなくならないよう、常連がお金出して支えてたんだって。
そしたらその後なぜか長期休業し、気がついたら再開してた。イタリアン。
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ポルチーニ茸のリゾット、うまくないわけないでしょ。
そして謎の伏兵、「海鮮シチュー・ママの味」で悶絶した。パンもらってお出汁を全部すくって食べた。フランソワーズ・モレシャンがいいって言ってたもんね、とか言いながら。
そんでこちらはナスのチーズ焼き。
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家庭料理っぽくてとてもうまかった。といってもイタリアの家庭で何を食ってるかは知らない。ではなぜそう思うかというと、味が強くなくて完成されてるから、多分。
二人でワイン1本空けて128ドル。わりと手頃だと思う。

* * *

アメリカのお金は「スコア」
日本は「ポイント」
かなっていう感じがした。この違いをもうちょっと考えてみると面白いかもだが、そうでもないかもしれない。

* * *

ベテランズデーで休日でした。
でも朝から夕方までがっつり働いた。
あすからちょっと出掛けます。

2022年11月06日

冬に臨む

月イチの土曜出番は出社が面倒だったので在宅でやってしまいました。それにしても前回の土曜出番からもう1カ月たったの??というくらいの感覚です。

日曜未明に夏時間が終わりました。家じゅうの時計を1時間巻き戻しました。
朝方は雨が降ったらしいです。24度、暖かい。近くのイーデンセンターにちょっと買い物に出ました。中国本土の資本かな?と思っていたら職場の人によるとここは台湾系らしい。
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前に来たときは気に留めてなかったんですが、韓国系のHマートと比べるとちょい高いものが多い一方、野菜はかえって手頃。そして薄切りの冷凍肉が半パウンド(230gくらい)強から買えることに気付きました。牛肉を買ってみた。牛丼作ってみるか。

* * *

作った。ありだった。
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外食の動機は仕事と揚げ物と寿司飯くらいになってきたな。

* * *

月曜は仕事先の人と会食。ちょっとしたボーナス的な成果が出た。

火曜は遅めに出社して職場にいたら、背後(弊管理人の席は壁に向いているので、職場で起きていることは全て背後で起きています)で同僚とおじさん職位が険悪になってました。
帰ろうかなと思ったら、出口近くでたまたま顔を合わせたその同僚から「一杯いっちゃいますか」と冗談めかして言われたので、これは本当に行きたいんだろうと思って「行きましょ~」と承けて、深夜営業してる近所のレストランバーみたいなところに行きました。
仕事の密度、労働時間の無意味な長さ、そしてブルシットジョブの多さなどあり、いろいろ吐き出したかった様子。チキン食って、イカの揚げたの食って、ビールは一杯だけ飲んで、最後に「もし辞めたら建築を勉強したい」と言われ、「同じこと考えてた!」と応答して終了。ストレスがちょっとでも軽減したらよかったですよ。そして彼は辞めないと思う。

水曜は車で20分くらいのRestonという街のハイアットリージェンシーで会議を覗いてきました。
アメリカの会議って朝食から始まって午前のセッション、ネットワーキングを兼ねたコーヒー休憩が入って次のセッション、昼飯食いながら講演聴いて、午後のセッション、おやつ休憩、夕方の部、そんで夜の飲み会というのが定番みたいです。日本でも医学系の学会だとこんな感じではありますが、コーヒー休憩やおやつ休憩はこっちの特徴か。とにかくのべつ幕無しになんか食ってコーヒー飲んでますね。フロアからの質問が活発に出るのはいいと思う。

木曜は突然過密で、午前中に中古車屋さんに車検のため車を預け、近くの駅から地下鉄に乗ったら会社の手前で弁当を家に忘れてきたのを思い出して取りに戻り、そのまま家で一つオンライン会議を聞いて、出社して、オンライン面会して、電話会議聞いて、夕方から在米日本企業の人たちの寄り合いに行ってピザとビールで歓談して帰ってきました。

金曜は前日のオンライン面会の成果を形にしたあと夕方に車をとりに行き、そのまま出社して夜、次週に迫った中間選挙関連の仕事のリハーサルをやって遅くなり、近所に住んでる同僚(同期)を送ってから帰宅しました。

* * *

去年なぜか冬季に何回かブレーカーが落ち、この夏は全然だったのが、また落ちました。オイルヒーターが怪しい。あまりぶつぶつ電源が切れてるとデスクトップPC的にはよくないので、アマゾンでUPSを注文しました。

* * *

去年グラスゴーに見に行った会議が今年はエジプトのシナイ半島で始まりました。出張は次の日曜から。現地は去年と同じメンバーで、東京とナイロビから同僚がきます。リゾート地なんだけど過去にはテロも起きてるので、一帯は厳戒態勢らしい。ま、異邦人としてはそのほうが安全で有り難いです。6年前のモロッコも、もともと警察国家みたいなところなのでわりと安心して歩けましたし。

* * *

髪が伸びたので刈りました。

* * *

日本だと1日400kmくらいの運転はできるのに、なんでこっちは200kmも走ると疲れるんだろうと疑問でした。分かった。

(1)ハイウェイ走ってるとそこら中に穴ぼこがあいており、剥げたタイヤとか剪定ばさみとかのよくわかんないものも落ちているので、ずーっと注意して路面を見てないといけない。というか一人称視点のカーレースゲームをやってるようなもんだこれ

(2)田舎になると制限速度が時速75マイル(120キロ)や80マイル(129キロ)のところがあり、カーブがこわい。車には一定の速度でずっと走ってくれる機能がついてるのでアクセル踏みっぱなしでなくていいのは助かりますけどね

2022年10月30日

ウィーク食べるエンド

月曜ってまだアリゾナにいたんだっけ?というくらい時間感覚がおかしいですが、あさっては11月というのも引く。疫病罹患、とかいってたのがもう1カ月前。

前の週は遠出したので、この土日は家の近くで過ごします。
車で40分くらい、リースバーグLeesburgのアウトレットへ。
Vineyard Vinesというブランドのシャツを買いました。この夏、ちょっと小綺麗なお兄さんたちが着てるのをなぜか飛行機で何度か見て、生地が気持ちよさそうだなと気になってたんですよね。日本には来てないやつらしい。
半額セールってほんとかよと思いながら買ってみたら、確かに2枚で80ドルくらいのが40ドルになってました。しかし青いチェックのボタンダウンと空色のTシャツ。おっさんにはちょっと厳しいかもしれない。
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フードコートで中華頼んだらすごい量でびびった。でも食べた。

近くのMom's Apple Pieでパイ買って帰ってきてお茶。
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売ってる1スライスはこの倍あるんだけど、一度に食べるのはこれくらいが丁度よい。

夜はジュリアン・ラクリンがソロをやるチャイコフスキーのバイコンを聴きにケネディセンターに行ってきました。前回は疫病発症直前だったんでですよね……当時はマスク必須だったのに、この1カ月の間に任意になってた。ジジババばっかりなのに解除すんなよ……
席はかなり前のほう。
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ソロイストの楽器から直接音が聞こえる席でよかった。汗だくのノセダも見られたし。

日曜は事務作業してて暗くなりました。
夜はアパートのジムで運動してから、同じアパートに住んでる同僚と、近くに移転してきた日本料理店Takohachiへ。
寿司ネタのケースやカウンターがあってちゃんと日本の香りがするんだけど、お店にいるのが全員ヒスパニックか非日本アジア人さんたちで入店をためらった。でもちゃんと日本食が出てきた。
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天つゆをおもくそフィーチャーしてしまいましたが、料理はちゃんと食えました。そしてすごい量だった。居酒屋っぽく使える店な気がした。

* * *

◆イーフー・トゥアン(山本浩訳)『空間の経験』筑摩書房、1993年。

先日、著者が亡くなった時に本書のことをいろんな人が回顧してたんですよね。
人文地理学に心理学や文化人類学を吹き込んで面白くした人、ということでしょうか。
「空間」という均質な座標系の中に、「場所」という記憶に紐付いた特別な地点を次々と築いていくという人の営みについて。

生活というのは、生きられるものであって、パレードの行進のように道端から見学されるものではない。本当のものとは、呼吸のようにまったく目だつところのない、よく知っている日常のことであって、われわれの存在のすべて、われわれの感覚のすべてに関わっているのである。われわれは休暇で旅行に出かけているときには、いろいろな面倒事は背後に残しているのであるが、同時に自己の重要な部分も背後に残している。つまり、われわれは、何の苦労もなく、試しに生活している観光客という根なしの特別な存在になるのである。(p.259)
宗教は、民族を場所に縛りつける働きもすれば、場所から解放する働きもする。つまり、土着の神々を礼拝することは民族を場所に縛りつけることになり、逆に、普遍的な宗教は解放をもたらすのである。普遍的な宗教においては、全知全能の唯一の神がすべてを創造し、すべてを知っているのであるから、ある特定のところが他よりも神聖であるということはありえない。(p.270)
場所の感じは、人の筋肉と骨のなかに記録される。船員は、高波で揺れる甲板に順応する姿勢を身につけているので、一目でそれと分かる歩き方をする。[...]場所を知るというのは、右に述べたような意味で明らかに時間を要することであり、潜在意識で知ることなのである。時間が経過するうちに、われわれは、ある場所に馴染むようになる。(p.326)
歴史は奥行きをもっており、時間は価値をあたえる。おそらく、これは、長い時間をかけてつくったことが明らかな人工の物に囲まれて生活している人びとのあいだで発展しやすい考え方であろう。中世の巨大な司教座聖堂は、一世紀以上に渡って続行された建設の努力の結果である。大きな記念建造物が徐々に立ち上がっていくあいだに、いくつもの人間の世代が交代していくのであり、大きな記念建造物は時の推移を示す働きをするのである。そのような大きな記念建造物が存在する都市もまた、時代の奥行きをもっとり、それは、古木の年輪のように生長していく市壁に具体化されている。他方、中国では、大きな建物はもとより都市さえも建設には何年も要しない。中国人はすばやく建設し、形態の永遠性を除いては、永遠というものに眼を向けないのである。(pp.339-340)
都市計画家や都市デザイナーが行なう議論は、以下のような問いを論じるところまで拡大されるべきなのである。すなわち、空間の認識と、未来の時間という観念、目標という観念とのあいだにはどのような関係があるのか。身体の姿勢および個人の関係と、空間の諸価値および距離の関係とのあいだにはどのような関連があるのか。われわれは、人や場所に対して感じる「くつろぎの気持ち」である「親密性」をどのようにして描写するのか。どのような種類の親密な場所は設計することができ、どのようなものは設計することができないのか(少なくとも、非常に人間的な出会いが可能になるような設計はすることができる)。空間と場所は、某県と安全、開放性と限定性を求める人間の欲求が環境として現れたものなのだろうか。場所に対する永続的な愛着ができるにはどのくらいの時間がかかるのだろうか。場所の感覚は、場所に根ざしている状態(これは無意識でのことである)と、疎外されている状態(これは、いらだった意識をともなうものであり、ほとんど、もしくはもっぱら精神的なことであるので、いらだたしいのである)とのあいだに成立する認識なのだろうか。われわれは、際だった視覚的象徴をもたない、場所に根ざした共同体の可視性をどのようにして高めることができるのだろうか。どのようなことが、そのような可視性を高めることから生じる利得であり損失なのだろうか。(pp.359-360)

2022年10月26日

せいぶドライブ

西部・アリゾナ州に出張いってきました。
日曜は朝5時前に起床。ウーバーがつかまる気がしなかったのでレーガン空港の駐車場を予約してありました。家から15分くらいで到着。7時過ぎに離陸。4時間半くらい飛んで9時過ぎにフェニックスの空港に着きました。DCとの時差は3時間。

フェニックス(発音はフィーニックスだった)は砂漠の真ん中、24度とかだったと思う。
空港にあるハーツのレンタカーは、駐車場にいろんな車がずらっと並んでいて「好きなの乗ってって」という形式なので、何回か経験すると選ぶ楽しみというのができてきます。今回はジープを選んでみた。
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仕事は翌日なので、とりあえず朝マック食べて、30分くらい走ったところにあるタリアセン・ウエストTaliesin Westに向かいます。
フランク・ロイド・ライトとお弟子さんたちの冬の住居兼アトリエ。
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今までみたライト建築の中で一番でかいかも。
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中はやはりライト。いいねえ。
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光が降り注いでいた。
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鐘。この渦巻きのモチーフは入口にもあるんですよね。
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これは集会室。民主的運営も重視していたとのこと。
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サボテンだ~、と上がっていたが、フェニックスを出てしばらくはずっとこんな景色でした。
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ガイドつきツアーがいっぱいだったので、スマホにアプリを入れて聞きながら回る1時間くらいのコースを選びました。満足。天気もよかったし暑くも寒くもなかったです。
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普段は荷物になるからパンフ以外は買わないんだけど、今回は2泊でスーツケースにも余裕があったので、珍しく売店でグラスとコースターを買ってしまいました。

フェニックスから北へ230kmくらいのフラッグスタッフという街が今日の宿泊地です。
山道を縫って走るハイウェイでぐんぐん高度を上げていきます。途中、メキシカンのお店で買い食いしたり2度ほど道を間違えたりしつつ3時間くらいかかって到着。標高2000m。3度とかだった。さっむ!!!山の冠雪は急に気温が下がった前日だそうです。
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投宿して翌日の仕事の準備をし、近くに泊まっていた他社の人とインド料理店に夕飯を食べにいってきて寝ました。22時就寝、すごい早い感じがするけどDC時間では25時なので寝れるわけだ。

翌朝は-3度。さっむ!!!(2回目)
仕事はフラッグスタッフからさらに40分くらい走ったこんなとこ。
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内容は若干微妙でしたが、楽しくできたのでよし。
そんでまたフラッグスタッフに戻って、他社の人とカフェでちょっと作業してからフェニックスに戻りました。
すっかり夜。同僚に教えてもらった「フィッシュ&チップスのおいしい店」へ。
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市内何店舗かある中から閉店時間まで余裕のあるところを選んだら、工業団地みたいなところで店には鉄柵、まわりにはゾンビみたいにさまよう有色人種……となんかやばそげなところでした。
フィッシュ2枚とチップスで4.90ドル。安~~
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うん、やりきった気がする。帰りは同じ便になった他社の人と空港で合流し、二人とも疲れていたもののバーで1杯だけ飲み、23:49発の夜行の飛行機(特に西海岸を出るものを指すことが多いが、寝不足で目が充血するのでred-eye flightというそうじゃ)で帰ってきました。たぶん席に着いた瞬間に寝たはず。離陸した記憶がない。DC着は朝7時。家に帰ってシャワー浴びて歯を磨いて昼まで寝ました。そのあと夜勤。

今回はあまりプレッシャーのない、旅行みたいな出張でした。前回の日記に出てくる、DC独り暮らしの侘しさを語り合った在東京のパイセンに今回出張の楽しそうな成果物を発見されてしまい、「同情が霧散した」と言われました。

* * *

前回日記から10日あいて、この間いろいろあったので備忘録。

・10/18 朝からDCのシンクタンクでイベント。確か気温が10度を切っていたが短パン・サンダルという猛者がいてびびった

・10/19 11月のエジプト出張のためのビザができたので大使館に取りに行った。金属探知機があるが稼働していない大らかな大使館だった

・10/20 運転免許証の更新手続き。州の運輸局みたいなところでやるが、変なビザで入っているせいか弊管理人の周囲は全員が連邦政府のセキュリティ部門に身元照会され、余計な時間がかかる。去年は15営業日と言われたのが今年は35営業日に延びていた。先に手続きを始めた同僚からそれを聞いて、弊管理人は12/9まで期限はあるが慌てて行った次第。ほんとに役所がだめな国

・10/20 DC東部にあるジョージタウン大学の法学部に対談イベントみたいのを見に行った。人種を超えて大学生は若い(なんつう感想)。すぐに役には立たないが行ってよかった

・10/20 上記アリゾナ出張を急遽決めてばたばた準備

・10/20 同僚お気に入りのsoi38で4人でタイ料理
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・10/21 ものは試しで、今季はインフルエンザワクチン(承認済み)の効果に関する臨床研究に被験者として参加することになり、打ってきました。打ってから春にかけて毎週体調に関するアンケートに答え、症状が出たら鼻スワブ試料をフェデックスで送るというもの。接種、月ごとのアンケート回答、最後の調査のそれぞれでアマゾンのギフトがもらえて、全てやると200ドル近くになるはず。筋肉注射でぶっすり奥までいったためか次の日まで肩が痛かった

・10/25 1カ月前に車のタイヤの空気入れたんですけど、また警告が出た。うーむむむ。左後ろの空気圧が下がっていたようだ。ちょっとやだな

2022年10月16日

晴れている世界

月曜10日は祝日でした。
昼にDCのちょっとデカダンな14番通りで久しぶりの方とブランチ。生卵がNGなこちらに来てカルボナーラ初めて食べました。
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すごい太麺だったけど太麺好きなのでおいしくいただきました。

二つの記念日です。大統領コメントが出てます。

コロンブス・デー(10月第2月曜。今年は10月10日)

「1891年にニューオーリンズで起きた11人のイタリア系アメリカ人に対する反イタリア的な動機によるリンチ事件を受け、1892年にハリソン大統領によって創設されたものである。 第二次世界大戦中、イタリア系アメリカ人は敵性外国人として標的にされたこともあった。 しかし、あらゆる産業におけるイタリア系アメリカ人の勤勉さ、コミュニティへの献身、リーダーシップが、私たちの国をより強く、より繁栄させ、より活気のあるものにしているのです。」

「530年前のクリストファー・コロンブスの歴史的航海を記念して、議会は、1934年4月30日の共同決議と1968年の修正(36 U.S.C. 107)を経て、大統領に対し、毎年10月の第2月曜日を「コロンブスデー」と宣言するよう要請してきた。よって、私、アメリカ合衆国大統領JOSEPH R. BIDEN JR.は、2022年10月10日をコロンブス・デーとすることをここに宣言する」

イタリア系移民の日という意味合いがあるんですね。
そして同じ日にぶつけないといけないのが、

先住民の日
「何世紀もの間、先住民族は先祖代々の土地から強制的に追い出され、移住させられ、同化させられ、礼拝や多くの神聖な儀式を行うことを禁じられた。 しかし、今日、彼らは私たちの最も偉大な環境スチュワードの一人であり続けています。 彼らは今でも私たちの国の魂の糧となる強い宗教的信念を持ち続けています。 そして、他のどのグループよりも高い割合で、アメリカ軍への従軍を選択しています。 先住民は私たちに過去と向き合い、より良くするよう挑み、学術、法律、芸術、公共サービスなどにおける彼らの貢献は、私たちを前進させ続けているのです」

アメリカン・インディアン博物館の近くで集会があるというので見に行ってきましたが、期待してた感じではなかったので早々に退散。

* * *

今週は何してたかな、くらいで過ぎてしまった。
相変わらずちょっと痰が絡んでます。本調子から5%くらい悪い状態が続いてるの、これ後遺症なのかどうか微妙すぎて分かりません。

半年に一度の人事考課の面談、面談といっても電話がかかってくるだけで、しかも今期も相手は初任地の千葉で一緒だったパイセンなので雑談になってしまいました。特に顕著な仕事はなかったわりに手数はそこそこ多かったという評価の難しい半年かと思います。「今期の評価は『ふつう』でいいですよ」と言って切りました。

いろいろ言うことがあったかもしれないけど、なんか物を言う気がもうなくなっちゃったんですよね。10歳下の人たちは頑張って仕事環境をよくしようといろいろ画策してるけど、多分だめだと思う。いや、うまくいくといいなとは思うけど。おじさんも十数年前、いろんなことをいろんな人たちに働きかけたけど暖簾の手応えがなさすぎてもはや無関心というか、いろいろな問題は道路の穴ぼこみたいに「単に自然に避けるべき障害物」。心が動かない。

* * *

土曜。リースバーグLeesburgという街にパイを買いに行きました。
Mom's Apple Pieというお店。バージニアに3店舗あるようです。次々とお客が来ていた。アップルパイと、チェリーパイと、レモンケーキを買いました。
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家から40分くらいかかって来てるし、もう1カ所近場で買い物でも……と郊外を目指したところ、通りかかったダウンタウンは歴史的建造物みたいのが立ち並ぶいい感じの街で、しかも遠くないところに公共の駐車場があったので、予定を変更して散歩しました。
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コンパクトな市街地。だけど天気いいし、21度くらいでしょうか、ちょうどいい気温。
コーヒーショップに入ってバニラのジェラートをいただきました。
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山のほうは紅葉がピークにさしかかっているはず。来るときに結構アクセルを踏んだのでここも結構高いのかなと調べてみたら標高100mくらいでした。どの写真も光線が完全に秋やね。去年の10月はまだ車を持ってなかったし、いろいろ余裕がなかったので景色など見ていなかったか、見たけど覚えてない。

2022年10月09日

昼の朝飯

それはブランチだろうという気もしつつ、隣町・フォールズチャーチのLazy Mike's Delicatessenへ朝飯を食べに行きました。11:30くらい?お客さん続々、ゆったりオペレーション。
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前週は雨が続いたせいか、青空がきれいだった。
朝飯セットはどこでも「卵はどうしますか」と聞かれるので、これまではスクランブルを頼んでいました。今回はover, mediumと言ってみた。両面焼いてややトロトロ。今日は「肉はどうしますか」とも聞かれたが、「どんな選択肢があるん?」と聞いたら「ベーコン、ソーセージ、ステーキ、……とにかく肉なんでも」というよくわからない回答につきソーセージを選択。
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フレンチトーストはソースにリンゴが入ってたっぽくてうまかったです。

このあとアジアンスーパーに寄って結構買い込んで帰りました。道中、前の車が止まってなんだろうと思ったらシカが横断してました。

ホワイトハウスの庭園一般公開ツアーを土日でやっていましたが、土曜は仕事、日曜(本日)は飯を優先したので機会を逃しました。春と秋にやってるので、まただな。

* * *

土曜にやってみたら陰転していた。
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ま、もう画像がちょっと小さくなるくらいどうでもいいんだけど、ちゃんとウイルス排除できてるっぽいのが分かるのはいいな。そして冬を前にハイブリッド免疫ゲットだぜ。改良ワクチン接種は年明けに一時帰国から戻ってからか。
喉が完全に元に戻ってない感じがしますが、これはこのところの気温低下や乾燥のせいかもしれず、そうでもないかもしれず、よくわからない。

* * *

2年目のスタートの日が疫病スタートで、2週間ほぼその日暮らし感覚で過ごしているうちに何かがリセットされ、会社には律儀に行かなくても仕事はできるし、無理していろんな球を拾ってもしょうがないし、次の仕事のことをあれこれ考えてもその場しのぎでもそんなに変わらないな、みたいな気持ちになりました。肩の力を抜いて、面白くもない世の中で面白いことを一つ二つ見つけられたらいいなと思います。

日曜朝、日本の若くない若者から電話がきて喋ってたら、某おにいさまがメンタルで長期お休み中ということを聞かされました。ならなそうな人だったんだけど。

* * *

日本は3連休かあと思っていたら、こちらもそうだったことを土曜になって知るなど。

2022年10月01日

じうがつ

滞在2年目に入った当日から疫病にかかるという何かもうなんなんでしょうかという日記は9月の日付なので、ここでいったん区切って10月に突入したいと思います。

【10月1日15:00(day 6)】

・36.7度、98%、陽性継続
・朝から鼻の奥がジンとするような、ちょっと風邪の初期みたいな感じ。毎朝起きると違う経験をしていて、もはや罹患以前がどんな体調だったか思い出せない
・朝方の咳が少し気になった。水を飲むと収まる
・とはいえ体の重さ、頭の重さなどもろもろ勘案するともう普通に戻っていると思う。今日から自宅療養解除でよかろう(という気になった時点で大丈夫と確信する)。陽性だけど。運動不足ですごい衰えてる実感がある
・結局、3日の仕事は同僚にお願いしてしまった。ボスからは「【申し訳ないが】代打を頼みました、と(おじさん職位2人)にメール送っておいて」と言われ、申し訳ながらないといかんのだなと思いました。いや申し訳ないとは本当に思いますけど、それ人が決めること?何も悪意や悪感情がないことはわかるのだけど、本当に面白いくらい隅々まで感性が合わないのやばい
・仕事の代打をお願いした理由は潜在的な仕事相手が67歳なことで、日本・アメリカの両方の基準でも10日目まではハイリスク者と合わないようにとなっているのでこれは仕方ないと思う
・検査もそろそろやめるか
・それでいくと出社は6日解禁かしら

【10月2日14:00追記(day 7=日本基準で隔離最終日)】

・36.6度、98%、陽性継続
・鼻の奥の湿った感じ継続
・12時起床。ハリケーンの残骸が届いているのか昨日から雨降り。きょうの最低気温9度。急に秋が深まった。何かしよう/したいという気持ちが0で、気分が下がりすぎて飯の準備ができなくなりそうだった、が、した。そして寝具の洗濯と寝室の換気。今日やらないとやる時間がないかもなので
・げに不思議なのは、症状そのものの改善は早かったのにウイルス排除に意外と時間がかかっていること。弊管理人の免疫、大丈夫?しかし調べたことがないだけで風邪もこんなもんなのだろうか。インフルも解熱からの日数だけで出社再開していたし、確かに復帰時の検査を必須にする病気というのは多くない
・タブレットの動作が重くなったため一度クリーンアップしてアプリを入れ直した。ちょっと改善した

【10月3日17:30追記(day 8)】
・36.4度、98%、検査非実施
・2時間に1回くらい痰が絡むがまあそれくらい。鼻の奥の湿った感じは相変わらず。声は張って喋ると普通だが、小声で何か言おうとすると変になる
・早朝の仕事は結局何も起きず。ここから3日間これが続く
・事務作業のため午後に2時間ほど出社。マスク着用で行ったが、弊管理人を見た同僚がマスクを着用した。まあ無理もない
・家に戻って1本作業してから夕飯を買いに外に出たら、普通に寒い雨降りの冬の夜だった。9度。去年の今頃ってここまで寒くなかったと思うけど。という具合に「去年の今日」が存在するのが2周目というもの。去年の今日はまだこのアパートで暮らし始めていなかったが、今年は足元にオイルヒーター、寝床に電気敷布がある。暖かい

【10月4日23:00追記(day 9)】
・36.9度、97%、検査せず
・風呂上がりなのでこんなもんであろう
・朝起きたときに、前日までのように喉がいがらっぽくて「水、水」とならなかった。わずかながら改善したということだと思う
・また3時間ほど出社。コピー機を使いたかったからだが、なんか普段から出社する意味ってあんまないかもな。なんて考えていたら同僚氏が「(弊管理人)さん帰るなら僕もつまんないから帰っちゃおうかな~」と言いだし、出社する意味みっけた
・しかし午後3時過ぎには地元駅に戻ってスーパーで買い出しし、寿司買って帰ってフリーズドライの豚汁を戻して食べ(うまかた……)、家で1本仕事をして、夜はステーキを焼いて食べ、久しぶりにジムでちょっと運動した。走っても息切れしなかった。肺はやられてなさそう

【10月5日19:00追記(day 10)】
・36.4度、98%、検査せず
・3日連続の5時台起床終了。ねむ
・朝からエジプト大使館に行ってビザの申請。金属探知機はあるものの稼働せずスルー、書類出してさっくり終了。いい、この緩さ。そんで会社でちょっと仕事して帰った
・この3日くらいで思ったけど、会社はやっぱあまり行かなくていいな。在宅だと家事できるし、疲れ方が違う
・痰や咳出ず。喉も正常。ということで日米保健当局が揃って推奨する発症10日後までの注意・マスク着用期間を終えます

* * *

寝床で2冊読み終えた。

◆ジョージ・オーウェル(秋元孝文訳)『あなたと原爆』光文社、2020年。
オーウェルの評論集。とてもよい。
ナショナリズムに関する文章はもう一回立ち戻る気がする。

◆渡辺靖『アメリカとは何か』岩波書店、2022年。
毎日、断面を見ているだけでは分からない「構造」を教えてもらえる本。こういうのは買ったそばから読んだほうがいいだろうと取り寄せた甲斐あり。アマゾンの国際発送は包装が悪くて本が傷むことも分かってしまったが……

2022年09月25日

新しい年/罹患記

滞在2年目の初日ではありつつ、なにやらユダヤの新年(ロシュ・ハシャナRosh Hashanah)だそうで当地の大統領がおめでとうメッセージを出してました。春節でそんなん出してたか?と訝って調べたら出してた。えらい。

日の光がだいぶ秋らしくなりましたね。
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これはケネディセンターのテラスから。
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雑記。

・車で買い物に出てみたが空気圧の警告は出なかった。このままよろしくよ……
★左の鎖骨の首側が痛い。腱か?
★シーツと毛布カバーと掛け布団カバーと枕カバーを一気に洗濯した。えらい。乾燥機のフィルターに見たことない量の埃がついた
・またカレーを作った
・家の更新伺いが来た。家賃6%アップ。ちょい高い気がするが会社の家賃補助の範囲内なのでこのまま更新しよう

↑発症日=day 0

【26日朝追記(day 1)】

・鎖骨が痛くて眠りが浅かった
・朝、37.7度の熱があって喉もおかしかった
・バファリン+QPコーワのコンボで抑えた
・コロナ抗原検査は陰性
・鎖骨云々はリンパ節の腫れか何かだったのでは

風邪かな。ちょっと疲れてる感じ。しかしこのところ週末に体調崩すね。

【26日夜追記】

・38度台継続。これは2週間前のとは違う、ちゃんとした風邪っぽい
・視界が暗い。砂嵐みたいのが見える
・食欲が全くない

【27日12:00追記(day 2)】

アウチ。やっぱり抗原検査は複数回やることが重要だな
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・体温36.9度、SpO2は98%。喉がちょっといがらっぽい
・QPコーワゴールドを飲んだとたんに38度から下がったので、動ける機会にと検査、メシ、検温、飽和酸素濃度の計測をした
・鎖骨の痛みは改善。おとといの夜は寝返りや起き上がるのが辛いくらいだったが、そういう状態ではなくなった

【28日12:00追記(day 3)】

・体温36.7度(前の晩は37度くらいだった)、SpO2は98%で変化なし、嗅覚・味覚正常、痰が絡むせいで時々咳が出る。頭が痛くなるほどではない。鎖骨の痛みは触ると感じる程度まで軽減
・昨夜は熱が下がったせいか食欲が戻り、カレーとヨーグルトを食べた。若干仕事もした。寝たのは1時過ぎ。朝方いったん汗だくで目が覚めつつ、結局は都合で8時間くらいまどろんでいたはず。体はまだ回復途上なのはそうなんだろうが、疲労感は寝過ぎのせいかもしれないとも思えてきた
・CDCのガイドラインでは隔離は「最低5日間」、解除しても10日後まではマスクしてハイリスクの人には近寄らないという注意期間なのだけど、来週初めの出張仕事についてえらい人たちが「ま軽症そうだし大丈夫っしょ」的なメールを(弊管理人をccに入れつつだが)回していて、おいおいと思った。よく言えば天然。悪く言うと魂が汚れるような言葉が出てきちゃうので言わない。大丈夫かどうか判断するのは弊管理人です
・検査陽性をどこかに登録する必要はあるのかなと思って自治体のページを探したけどなかった。同じようにただ寝て治す人が相当数いるのではないか。感染者数の統計の怪しさがよくわかる
・しかしどこでもらったのだろうと考えても、これだというのが思いつかない。土曜のコンサートはみちみちに人が入ってたんだけど、クラシックなので観客は声を出さないしマスク着用も求められていた。金曜は昼に他社の人とお茶し、夜は同僚とご飯を食べたが、どちらも元気。木曜に外仕事があったが、人と対面で話したのは数分だと思う(なんとなくこの日かなという気もするが違う気もする)。ほかは職場でひたすら仕事してたんですよね。1日だけマスクを忘れて無防備で乗った通勤の地下鉄だとすると、特に大声で喋ってる人は近くにいなかっただけに結構こわい

【28日15:00追記】

熱下がったし、ひょっとしてウイルス排除した?と思ってやってみたら
わあくっきり~★
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【29日14:00追記(day 4)】

・相変わらず抗原検査陽性
・36.9度、98%、味覚・嗅覚正常、鎖骨の痛み消失、咳は少し改善した感じがする
・目を動かすと痛い。あと背中も。そして体が重い。しかしこれは寝過ぎか……
・来週月曜の出張はなんにせよ行くことになると予想するが、しかし人使いが荒いよね

【30日14:00追記(day 5=CDC基準で隔離最終日)】

・相変わらず抗原検査陽性(コンタミを疑ってみたがやはり陽性だった)
・36.5度、98%、味覚・嗅覚正常。咳はまれに、くらいになった
・また朝方汗だくになっていた。なぜ?
・自宅で早出シフト。頭がぼーっとしていたが昨日のような鈍痛というか不快感ではない。あと働いてるうちにちょっとよくなった
・昨日は結局、オレンジジュース1杯とヨーグルト1個とパン1枚とミルクコーヒー1杯しか摂取せず、14時に起きて18時にうたた寝し、20時にもう一回寝床に入るくらい活動性が低かった。なんであんなに起きてられなかったんだろう
・今日は昼にご飯を炊き、日曜に買ったままだったブロッコリーを茹でて、カレーの残りと、実家から送ってもらったフリーズドライの味噌汁を食べた。味噌汁がすごくおいしかった。味覚と嗅覚が残っていてよかった。あと久しぶりにお腹が空いてものを食べられてよかった
・陽性が続いていて、感染性の有無とは別なんだけど、遺憾ながら月曜の出張を同僚に頼むしかないかなと諦めの境地に入ってきた。自分ならやだもん、ウイルス排出してるかもしれない人が家に来るのとか
・秋の夕方の光線を自宅で見ていたら、むかし風邪を引いて学校を休んだ時のような気分になった。親もいなくて、世の中から取り残されたような感覚か。具体的にいつのことが思い出されたのかは分からない。そしてとても日本にいるような気分になった。ここ1、2日。しかし不安とか悲しいとかではなく、ほのかに懐かしかったというだけ。地理的にも時間的にも帰れないことが体で分かっているからだと思う。むかしほどものをおもはざりけり
・フロリダを直撃したハリケーン「イアン」の残りが北上していて空が曇っており、現在外は15度。寒い季節の風景になってきた

2022年09月24日

1周まわる

いや、台風きてるしさすがにやらんでしょ、という案件が予想通り日延べになって、日曜から予定していたフロリダ出張が飛んだので、得した気分になりながら起きた土曜です。

隣のフェアファックスFairfax郡のショッピングセンターにユニクロが新しくできたので行ってみました。隣なんだけど30kmくらいある……
で、予想以上にユニクロだった。
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パンツ2枚と部屋着を購入。100ドルちょい。1万5千円……いや換算してはならん。

家に戻る途中で、久しぶりにタイヤの空気圧低下の警告が出ました。気分下がるわ。
まともに動く空気入れ機のあるガソリンスタンドを探すのに一苦労です。家の近くで3カ所回ってやっと見つけました。一応規定の空気圧まで入れたけど大丈夫だろうか。気温が下がってきて空気の体積が減る秋口は警告が出ることが多いらしい。月1回点検を、と書いてあるサイトがありましたが9カ月ほっといたからだと思いたいです。釘踏んだとかでないといいなあ。

* * *

夜はケネディセンター。ナショナル響のシーズン入りでガラコンサートでした。
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満員。いきなり始まる星条旗。みんな起立して右手を胸に当てたっ。そして歌ってる人も。日本人はわりと引きます。ちなみに子供のころ住んでたとか高校で留学してた同僚は歌えてた。

目当てはトリフォノフで、演目はラフマニノフのパガニーニ狂詩曲です。曲はあまり面白いと思わないんだけど、99ドルでトリフォノフが見られると思えばね。
ちょうど数日前に友人と「ショパンコンクールからは超絶面白い人が出ない」という話をしており、まあその傍証とは言える。コンクールから解放されたのと同時に勉強はやめちゃったのだろうか、と思わなくもない独りよがり陶酔系という感じ。18変奏は解脱というより痴呆みたいな入り方で大丈夫かなと思ったら、そののち正気が戻ってよかった。
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ガラはなにやら全体にうきうきした雰囲気。NSOは92期だそうです。22-23シーズンはわりと興味を引かれるプログラムが多いです。がんばって行きたい。

* * *

今週は家を出る昼前15度、深夜に帰ろうとすると12度とかになって一気に秋の風情でした。夏は60%くらいだった室内の湿度がまた30%台に落ちてきたぞ。加湿器ってなんか不潔そうで嫌なんだけど導入必至だろうか。
1日に7本という多分過去最多の仕事をしたのが水曜で、さすがにやり過ぎたと思って木金は流し、金曜夜は同僚とタイ料理食ってまとまりました。

昨年9月25日に当地に着いたので、今日で1周走り終えました。1年あっという間に磨(す)ってしまったというのが感想。去年の今頃はもうちょっと暖かかったと思うけど、空気は当時を思い出す匂いになってきた。

アメリカのことを知らなすぎて新生児みたいな感覚になりながら試行錯誤し、面倒なことやアホクサと思うことも「まあ何事も経験」と1度はやってみているうちに、自分が予測したように物事が動かなくて当然という鷹揚さが身についてきたとは思います。あと英語に関しては7月ごろに質的な転化があって、急に聴いたり喋ったりすることにストレスを感じなくなりました(喋れているかというといないが、あの手この手で意図は伝える)。電話もなんかOKになりましたね。

世界人口の大半にとってましな国なんだろうなとは思うものの、それでは好きになったかというとそういうわけではなく、日本と比べてどっちがいいかといえばやっぱり日本です。人は酷薄だしネット弁慶がどうでもいいことで争っていて醜い(SNSの非知人に限らない)が、そのあたりをばっさり切って引きこもってダラダラ生きていくことができるところが好き。あと当地の仕事の85%がしょうもない(やってて賢くならない)というのもある。日本にいたらいたらでブツクサ言う、そういう性格なのですけど。

帰国は2024年7月だとしてあと1周半とちょっと、と思っておこう。ちなみに「これだけ人が行き来してるのにまともなマニュアルの一つもない」と激怒した勢いを1年間保持し、後任のために長大なマニュアルを作っています。

* * *

アマゾンで買ったおろし金、トラッキングを見てたらすごい長旅をしていて、どこから来るのかと思ったらキルギスタンだった。うーんグローバル。

2022年09月18日

いもチーズ

早起き(といっても8時前だが)が続いているなら日曜朝飯は外で食べたいよねっていうことで、車で20分くらいのThe Swiss Bakeryに行ってみました。
Berner Rostiというそうです。刻んだジャガイモと玉ねぎのお好み焼きみたいのにベーコンと卵が載ってます。でかい。
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これ1人分なのだろうか?という疑いがよぎったものの、数年前にベルリンで食べた朝飯もこの規模を超えるような量だったので1人分なのであろう。げふ。
お店はすごい流行ってます。デニッシュおいしそう。おいしそうなパンを久しぶりに見た。
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そしてまともそうなケーキを初めて見た。
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外ではオクトーバーフェストが始まってました。
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ニューヨークに行かないことにしたとたんに現地でのいろんな予定が明らかになって一瞬びびりましたが、よく見たらそれでもまあ行かなかったかなと思いました。日曜休めてよかったです。ちょっと元気出ました。

2022年09月17日

秋の日の朝と夜

土曜昼。職場から、車を置いてある向かいのビルに歩いていく途中で横を見たところ。
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木金土と早出シフトで朝7時台に出勤。気温は14度とか16度とかで、4カ月ぶりくらいに一枚羽織って出ました。日中は25度くらいになりますが、昼食くらいでしか外に出なかったのでほとんど実感なし。なんとなく去年こちらに来たころの匂いになってきました。少し湿気はありつつもうららかです。

ポストパンデミックの当地に新しく来たボスが「早出は原則出社」と言ったもんだから、在宅の時に比べて朝、意味もなく1時間早く起きるはめになって弊管理人はわりと怒ってます。「仕事上やっぱりみんなが集まったほうが効率的だから」といって出社に戻す企業が増えてはいますが、それは顔を合わせるから効果を発揮するんであって、シフト以外の人が昼ごろから出てくる(そして深夜まで働く)当職場では朝8時にいたって意味ないんだわ。

初回のミーティングでいきなり方針が出たので「やることは在宅と出勤で変わらんでしょ」と言ったら「じゃあ君は出てこなくていいよ」とむくれられたので、弊管理人はボスとはなるべく関わらないようにしています。前からちょっと「段取りのない人」だと思っていた。ヒアリングとかすればいいのに。
ま、地下鉄出勤は運動と読書の機会になるので毎日出社してます。けど意味なく疲れさすのは愚かだと知ってほしい。
今日の土曜出番は、昼から交代する相方のせむぱいが「私も在宅でやるし、在宅でいいよ」と言ってくださったので昼で帰ってきました。夕方にまた交代して、そのまま夜24:40の終業を迎えます。おかげで大お洗濯大会と夕飯の支度が終わった。だいちゅき。

* * *

先週日曜、豚の丸焼き会から帰ってきて前回の日記を書いたあと、急に38度の熱が出ました。QPコーワゴールドとバファリンをキメて20時に寝たところ、翌朝は平熱以下になりました。疲れてたところに古い煮物と古い炒め物を食べ、体が負けた感じがした(時々やる)。

月曜は朝8時半にボルチモアという朝早い行事があったものの「大事を取って」という大義名分でぶっち。

そのあと、週を通じて来週のニューヨーク出張の可能性を探る作業を延々とやっていたのですけど、金曜に「やめ!!」と決断してすっきりしました。当職場がほとんど総出でNYに行ってやる行事なので弊管理人も、となりかけたものの、
・主要な行事は同僚の手に委ねられ、弊管理人が行ってまでやらないといけなそうな案件がほとんど残っていなかった
・それ以外のものはオンラインで用が足りそう
・ビジネスホテルが1泊500ドルとかの狂った値段に到達しており気が引けた
・駐米他社の同分野の人が誰も行かない
・土曜日も仕事で日曜から出張はつらい
・ひょっとして初めましてできるかなと思っていたNYの人がエジプトに行ってしまっていた
と全ての要素が気の進まない方向に振れたので、直前まで「行く」と公言していたのに「やっぱ行きません」と職場内にメールして終了させました。「え~」的反応とともに「英断ですね!」という反応もいただきました。

水木の昼は外部の人と会食。どちらもそこそこ実りがあってよかった。
木曜夜は職場の人たちとサク飲み。

といった諸々の疲れと早起きで、木金は夕方に職場のソファで寝落ちしました。
あと眼精疲労からか肩こりが来たので、昨年持ってきたサロンパス開封。
土曜が昼で帰れたのはマジで助かる。

* * *

2台目のPCモニタをアマゾンで注文しました。21.5インチのLG。モデルはちょっと新しいが、サイズとメーカーは2017年に買った今のやつと一緒です。ストリーミングでテレビを見る用。
前任者からいただいた32インチのテレビはフルハイビジョンではなかったので、この機会に。

2022年09月10日

豚からポークへ

DC界隈の日本人が集まる豚の丸焼きの会に呼んでいただき、同じアパートに住んでいる同僚と行ってきました。3カ月くらい前にも別の用事で行ったメリーランド州某所。

家の庭先で豚がポークになっていた。
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この家の隣人氏が州内のアーミッシュの農家から仕入れてきて焼くところまでやってくれるそうです。眉間から何か流れている気がしますが……。
お尻のあたりのお肉をいただきました。ビネガーソースをかけて。ふかふか。

同僚が隣人氏に聞いたところでは、元海兵隊で日本駐在経験があり、日本大好きで(たぶん奥さんは日本人)数年後には移住するのだそうです。1983年ベイルートの海兵隊兵舎爆破事件(241人死亡)の負傷者の一人だって。まじ?
焼き鳥めちゃくちゃ上手だった。なんでそんな器財持ってるの?っていうかDCでお店やってほしい。仕事終わりに一杯飲みに行きたい。
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16時ごろ行ったのですが、20時半くらいまでだらだら食べたり喋ったりしてました。
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名札の色が「テニス」「ランニング」「知財・法務」「その他」と分かれており、なんかそういうサークルが重なり合う場だったようです。大使館、研究、国際機関、報道の人などいろいろいた。弊管理人のように3年くらいで帰るというよりはもっと長くいるつもりか、既に定住してる人が多かった印象です。新しい知り合いができました。

このあたりはわりと最近開発されたところで、広い庭の一戸建てが並ぶ住宅街です。他の家も大音量で音楽を流してパーティーしたり、卓球台を囲んで騒いだりしていました。そうか、週末はこうなのか。初めて見た。

* * *

意味はよくわからないが「へー」と思った言葉。
「ニューヨークも民族的には多様だが、ニューヨーカーとしての振る舞いが求められる。DCは外国人が外国人のままでいることが許容されている」

* * *

先週ってフロリダにいたっけ?というくらい時間感覚がなくなる1週間でした。月曜が祝日だったせいで平日が4日と短く、アウトプットもいろいろしたが主に仕込みの作業をしていて慌ただしく過ぎました。

結構寝たはずなんだけど疲れが出てる。

* * *

◆堀内進之介『データ管理は私たちを幸福にするか?』光文社、2022年。

2022年08月30日

ミネソタからのフロリダ

この2週間くらいえらいことになっており、まだ続いていますが、まあ8月も終わるしいったん記録。

9月あたまに仕上げないといけない仕事のアポイント、カリフォルニア出張を念頭に7月下旬に動き始めたものの一向に固まらず、8月2週になって「これはあかん」と代替手段の確保を開始。そのまま3週に突入し、寝ても覚めてもこの件について考えていてすごい疲弊した。弊管理人はストレスがたまると睡眠時間が長くなりますが、8月中旬はずっと9時間くらい寝てました。

そして職場の助手さんの圧倒的助力により、ようやく代替手段のほうで出張確定。「こういう時はガンガン催促したほうがいいですよ」と言われました。日本人、遠慮してしまっていた。なるほどなあ。

それがミネソタ州(真ん中の一番上)のベミジBemidjiというところです。21日(日)発。
人口1万4千人。田舎すぎて地域空港にはデルタ航空しか飛んでない。
DC→ミネアポリス→ベミジ。
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ミネアポリス往復だと500ドルくらいですが、ベミジまでいくと900ドルを超えました。まあ自分で払うんじゃないけど、ひーー
空港に降りると日曜はUberもLyftも町に1台しかないらしく、タクシーも出払っており、空港から歩いて行けるめちゃくちゃ低クオリティなQuality Innに飛び込みで泊まりました。当然近くに街はない。夕飯はバーガーキングを出前。初めてやったよ。17ドル。怖くて円に換算できない。
で、翌月曜にやっとレンタカー借りて仕事にいきます。
ビジターセンターにポール・バニヤンがいた。
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巨体で怪力の木こりさんですよね。むかしディズニー系のビデオで見た気がする。
ベイブ(横にいる青い牛)が病気になって悲しくて泣いたらソルトレークができたとか、なんかそういう国産み神話的なエピソードがあるらしい。
湖があって静かです。
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仕事はすっごい集中してやりました。
ビジターセンターでシャッター押してあげたおじいちゃんが空軍で1960年代に日本にいたとかで話してるうちに、「近くにミシシッピ川の水源があって、歩いてミシシッピ川が渡れるんだよ~」と教えてくれた。帰りの飛行機の時間を考えると、わりと余裕で行けるなと思ったので行ってみました。
これだ!!イタスカ湖。奥が湖で、手前に向かって水が流れ出ています。
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これが3700kmも流れてメキシコ湾までいくのか~すげ~~と感慨に浸っていたら、携帯がチーンとかいってテキストが入ってきた。

  ベミジ発の飛行機が遅れます
  (→乗り継ぎに失敗するのでDCに帰れません)

おい……。
いろいろ考えましたがベミジ空港まで戻り、カウンターでミネアポリス→DCの朝の便を取り直しました。デルタからはホテルに泊まれるクーポンが送られてきた。遅れの原因はスタッフ不足だそうです。深刻だな。

そんでミネアポリス空港に夜中に着くわけですけど、まずホテル行きのシャトルバスには同じ境遇の人たちが殺到して乗れない人が出ており、しかし弊管理人はもうこれ以上待つのは嫌なのでバスの助手席にちょこんと座ってまんまとホテルへ。

翌朝は4時前に起きてまたシャトルバスに乗ると、また人があふれて通路に人が立ったまま110キロでハイウェイをぶっとばすという地獄絵図。結局DCには朝10時に着き、ちょっと休んで夜勤に行きました。でもまあこの2週間ずっと悩まされてきた案件が終わって、あとはアウトプットすればいい段階まで来たので体は軽かった。

* * *

で、中2日(当然出勤)で25日(木)からフロリダ出張です。
オーランドの空港で初めてのAVISでレンタカー借りました。
ゼネラルモーターズのビュイックBuickというブランドだそうです。初めて見た。
アンコールEncoreという小型SUV。燃費は悪いが視点が高くて気持ちよかったです。
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ホテルは3月にも泊まったタイタスビルTitusvilleのベストウエスタンですが、やっぱちょっとモーテルみたいで質が低かった。エアコンがうるさいのと部屋がちょっとかび臭い(エアコンは寝るとき切ったのでよく寝られた)。戻ってきてからアンケートに答えろっていうメールがきたので正直に点を付けたら、宿から「期待に添えずすみません」というメールが来た。それで(いやそこまでじゃないんだけど)っつってまたちょっと凹んだ。

他社の人はココアビーチという外房みたいなところにAir BnBで部屋を取ってました。
ちょっと寄せてもらって作業。合間に浜辺へ。
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いいねえ。
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このあとものっすごい嵐がきた。
なんだかんだで地元の名物らしいロックシュリンプというエビを食べました(上の皿)。
味はロブスターだそうです。ロブスターの味よく知らない。
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4泊して最終日は徹夜したが、結局朝方になって、今回の出張では仕事が完成しないことが確定しました。
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最後は空港まで若干寝落ちしつつ運転して戻り、いっこ早い便に乗るべくウエイティングリストに登録したら最後の瞬間に乗れて夕方にDCに帰り着きました。疲れたのでステーキ焼いて食べて、23時から9時まで寝ました。

* * *

で、また週末にフロリダに戻ることになりそうです。

2022年08月14日

ルーズベルト島

今日の散歩はバージニアとDCの間、ポトマック川の中州、セオドア・ルーズベルト島。
地下鉄がまた駄目な感じになっていたのでバスでロズリン駅→歩いて10分くらいで橋に着きます。
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テディの像あり。楕円形に近い島の中心と周囲を巡るトレイルを歩いてみましたが、特に対岸が見えるわけではありません。
向かいのジョージタウンがヨーロッパっぽいのは橋の上から。
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弊日記は「報告report」「備忘memo」「治療therapy」のどれかなんですが、この土日は治療(気散じを含む)でした。

・気力と体力が下がってる
・年末年始はマイルで帰ろうかなと思って調べたら既にキャンセル待ち
・暑さが和らいだ
・うっかり夜が遅い
このあたりの複合だと思う。

森の中で停止

今週はいろいろだめで、それは何か失敗があったということではなく、職場の椅子で腑抜けていたのです。腑抜けていたという印象以外にあまり記憶がない。出したメールに返事がないというのも重なった。あと職場の冷房が強すぎて指先がかじかんだ。

返事があったメールの人と会えたのと、たまたまのお誘いをいただいて会った別の人が日本から7月に赴任したばかりの独り暮らしで「土日の食事に困っている」とかつての弊管理人のようなことを言っていて「ですよね分かります!!!」となったことあたりがハイライト。

そんななので土曜は朝から落ちており、しかしこのまま部屋にいると落ちすぎて死んでしまう、と思って昼ごろ出掛けました。

ロートンLortonという町にあるテキサス・ドーナツでドーナツ3つとアイスコーヒーを買って車内で1個消費。店番は恐らく中国系の3人。紙袋に入れるとき、チョコがかかったドーナツはチョコが他のとくっつかないように一番外に向けて入れてくれていた。こういうことってできる人とできない人がいると思う。そういえばアメリカの料理ってソースどばー、チーズぐちゃー、ハンバーガーのレタスぼろぼろぼろー、ポテトわさー、みたいにとにかく「はみ出す」「こぼれる」状態で出てくることが多いんですけど、あれは「そのように盛り付けるとおいしそうだと考えている」のか「盛り付けという概念がない」のか、どうなのか。

そのあと、Prince William Forest Parkというところに行きました。同僚が土曜(つまり今日)の朝6時半集合で仕事先の人とハイキングに行って昼には帰ってくると言っていて、弊管理人は金曜が夜勤だったのでその時間には起きられないが、なんかいいところと聞いたので行ってみた次第。

着いてみるとれっきとした国立公園で例のごとく20ドル取られましたが、公園としてはなかなか素敵です。木漏れ日の中を走るドライブルートと、たくさんのトレイル。説明を読んでもピンと来ないが、good viewというコースに混ざってexcellentというのがあったので、4kmくらいのそのコースを歩いてみました。
結果、突出して景色が素晴らしいわけではなく、くよくよといろんなことを考えながら(蜘蛛の巣が多かったので木の枝を拾ってぶんぶん振り回しつつ)歩いているうちに気持ちがどんどん塞いできました。
ビジターセンターの近くが居やすい木立になっていて、もらったパンフレットでベンチの落ち葉を払って腰掛けました。
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7月下旬から日中35度、夕方には雷が鳴って土砂降り、みたいな日々が続いていましたが、土曜に一服した感があります。25度の午後4時、湿気なし。暑くも寒くも暗くも眩しくもない、中性浮力みたいに完全なバランスの空気の中で暫く動けなくなりました。疲れているのかも。

森の中で考えていたのは(1)うまく入らないアポイントメントに端を発した面倒事の多さと(2)そろそろ本格的に倦んでいて仕事辞めたいみたいなあれこれ。なんか随分前からそんなことを時々言ってる気がしており、どこに行っても不満を言う性格なんだと解釈していたんですけど、多分、本当に合ってなくて(局面により速度は違えど)水位が上がり続けているんだと最近思ってます。仮にいま会社が早期退職を募集したら即刻応募すると思う。ただ、そういうきっかけはなかなかない。

帰ってから近所のスーパーで食料品の買い出しをして、豚肉焼いて食べました。成田に住んでたときに空港近くの「米倉食堂」で出していたすごいうまい(が、昼に食べると満腹と臭いで午後働くことができなくなる)ニンニク焼き肉定食に迫る味が出せそうになってきました。
20時を過ぎると日が落ちそうになってる。日差しの角度に秋の気配を感じます。

* * *

ジーニアス英和・和英のアプリ。42ドルくらいだったので、買って携帯に入れました。
大辞典と迷ったんだけど、発音してくれるのと、弊管理人の場合、知らない単語は専門用語よりむしろ日常的に使われるもののほうに多いので、学習辞典のほうが分かりやすくていいかなと。
ちょっと使ってみたらなかなかよい。

* * *

あ、日本は盆休みなのか。

2022年08月07日

ダメリカン運輸

先週後半はヒューストンに出張するはずだったのですが、なんと移動に失敗して行けませんでした。
まず主催者側には先週末に「移動の予定立てたいから始まりと終わりの時間教えて」と連絡したら「明日詳しい日程送るよ!」と返事がきて、じゃあ待つかと思って待ったら来ない。
結局、ウルトラショートノーティスなことに2日前に主催者側から日程が送られてきて「外国人は前日に手続き、当日は朝6時半集合ね」。電話して「前日入り無理なんですけど当日手続きでも大丈夫?」と聞いたら「全然OK!」という意味不明なポジティブ回答があり、行くことに決めました。

しかし前日、予約していた夕方のサウスウエスト航空が(恐らくヒューストンの雷雨により)昼過ぎにキャンセルになり、ギャーとかいってユナイテッド航空を取り直したところ、それも3回の遅れ通知が来た上に最終的に午後7時ごろキャンセルになりました。当日は午後からの合流という選択肢もなくはなかったのですが、朝発の便は既に埋まっており、詰み。
(ちなみに、弊管理人のより2時間早い経由便を取った他社の人は、遅れつつも到着したもよう。でも普通どっちがローリスクかと考えたら直行便なので、同じ状況にもう一回立っても少し遅い直行便をとったと思う)

前日の早い時間の便を取っていれば辿り着けたと思うのですが、昼から午後にかけて「無視しても惨事にはならないが気は引ける」くらいの案件が入っていました。これを家でこなしてから出掛けようという判断がまずかった気がします。

ということで教訓は
(1)実際に行かないと成立しない仕事を優先する
(2)上記のような仕事を脅かす些事は切るか後からやる
(3)夕方以降の航空便は夕立に弱く、遅延や欠航になるとリカバリー困難なため避ける
当たり前といえば当たり前のことです。

* * *

それが木曜で、目を三角にしながら些事と旅程の再構成を同時並行で進めた末に出張が詰んだ午後8時過ぎにはぐったりし、風呂にも入らず就寝。翌金曜日も想像以上に虚脱状態が続いており、週末から夏休みでるんるんの(?)同僚と夕方から飲みに行ってしまいました。

Busboys and Poetsふたたび。
今日はナマズ揚げ。鯉のような臭みはあるが、スパイスと戦わせ甲斐のある白身魚です。多分ソウルフードすかね。左のソースはピリ辛。
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このほかにもフライドチキンとエビカニコロッケみたいのを頼んで、ビールとサングリア。
さらにデザートにチョコレートケーキを2人で1個頼んでコーヒーまで飲みました。
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「decaf」のコーヒーを頼もうとしたところ発音が通じず、同僚が代わって注文を通してくれたことで若干またへこみました。

でもまあ全部うまかったし、憂さも晴れかかったよね。ということで地下鉄で帰ろうとしたらどっかで線路が1本閉まってるとかで20分くらい来ない。バスか……と思ったもののバスも次がなかなか来ず、結局隣の駅近くまでバスを求めて歩いてるうちに次の地下鉄が来る時間になったので隣の駅から乗りました。いつもながら駄目メトロ。

* * *

そんで土曜も出掛けようと思ったら乗るはずのバスが予定時間より早く!!目の前を通過していった。全体的にこの週末は交通機関との巡り合わせがだめでした。
キーマカレー再挑戦したら前回よりおいしくできました。それが救い。

* * *

日曜はこれも半年ぶりにグレンストーン。前回は2月で寒々しかった屋外の作品も今回はフルパワーで見ることができました。ただしすごい蒸し暑かった。
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しかしiPhoneの広角はどうなってるんだ。
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結局、クサクサした感じは時間薬で癒えてきました。
木曜、金曜とも9時間くらい寝たおかげで体調はよかったです。クサクサしてたけど。

* * *

ショパンの練習曲10-1は比較的単純な鬼アルペッジョの連続なのに、どこか壮大で、手を付けてみたい気持ちにさせるのはなんだろうとぼんやり感じていたのですが、wikiみてすとんと落ちた。コラール風の進行なんだな。

2022年07月31日

行く、来る、留まる

夏休み明けの月曜は職場の送別会。4年近く頑張った番長(たぶん同い年だが3期下)と任期がほとんど疫病下でいろいろ苦労したボス(税法上の何かのため海外で定年を迎えられないので2年と短めの滞在で交代→東京の出身部で再雇用)。番長はきょう日曜、さよならメッセージを投げて日本に向け出立していきました。ボスは8月半ばのようです。いいな……と思うけど、彼らの出身部は東京にいるより外国駐在のほうが圧倒的に楽しいところだそうなので、実際いいのかどうかは不明。

送別会にはちょうどDCに到着した、番長の後任氏(5期下・当然というか優秀の呼び声高い)が来てました。翌日から家探しし、早々に弊管理人と同じアパートに決めたとのことです。新婚・即・遠距離別居かつ嫁さんは同業他社のため同居予定なし!だとかで、週末一緒に買い物とかメシとか行けるだろうか。週末まで同僚と顔合わせるのはイヤかしら、弊管理人はすごいウエルカムだが一応先輩なのでガツガツ誘うのは憚られるし、とあれこれ。

後任氏はさっそく諸手続の分量にうへえとなってましたが、彼の前回の外国駐在はイランなので「そうはいっても先進国」というハードルの低さはあろうか。そんでまだホテル住まいなのに早速ニューヨークに出張していきました。働きますな。

* * *

スーパーの肉屋でパックではなく重さ指定で「半パウンド(227g)」買う、ということを今頃!初めてやりました。パックだとこの倍からなので、少量買えるっていいな。S&Bの赤缶でドライカレーですかね。
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隠し味程度に中濃ソースを入れたらわりと味を支配され、オムレツの具みたいになりました。まあうまいけど。もうちょっと辛味があってもよかったが何で出せばいいのだろう。
目玉焼きで映えようと思ったが、ひっくり返して両面焼いたら目玉が角膜の病気みたいになってしまった。

* * *

火曜、一日頑張って文献読んでアウトプットしたために午前3時ごろまで頭が冴えてしまって眠れず、翌日は8時前から仕事をしたら極度に疲れ、体調を取り戻しきれないまま金曜にまた朝の仕事をして、24時前に就寝し10時間くらい寝ました。

土曜は雨上がりできれいに晴れましたが、ちょっと弊管理人がやったほうがいい仕事だろうな、というのがあって在宅で2件ほどこなしました。ついでに消化すべき雑務もいろいろ進めているうちに夜になり、アパート内のジムで運動してパスタ煮て食べて寝ました。

日曜朝。ちょっとうまいパン食べたいじゃん?ということでマーシャルMarshallというちっちゃい街にあるRed Truck Rural Bakeryに行ってみました。知らなかったけどオバマもパイ食べにきたらしいで。
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アパラチア山脈に向かって車で40分。といっても都市部を出ると制限速度が時速112kmになるので距離にすると70kmあります。新宿から焼き菓子食いにっつって観音崎くらいかね……。ともあれ、ここは人口1500人。メインの通りを外れると途端に農村ですが、古い建物を流用した雰囲気よさげなお店がぽつぽつありました。
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あればいいなと思っていたチョコの入ったデニッシュがなく、アップルパイとコーヒーを頼んで、カウンターの近くの商品棚でふにゃい紙カップに飲み口のついたプラスチックの蓋を取り付けようと苦戦してたらカップを倒して3分の1くらいぶちまけました。
近くの席でお茶してたおっちゃんとおばちゃんが即座に紙ナプキンで拡散を防いでくれて、コーヒーをかぶった売り物のパイの箱をカウンターに持って申し出てくれたので再三お礼をいうと、おばちゃんから「あたしなんか毎日こぼしてるから大丈夫よー!!」と慰められました。
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めげずに窓際でパイを食べていると、二人が外からバイバイしながら帰っていたので弊管理人も頭を下げながらバイバイしました。なんなの。優しいな~。日曜も早よからわたわたしましたが、結果ほっこりした。

ベーカリーを出て数十歩のところに赤いバスが見えます。ジョニー・モナーク?
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フードトラックのでかいやつみたいだな、と写真を撮ったら、ちょうどバスの前の飲食スペースから出てきたじいちゃんが「ここうまいぜ~」と話しかけてきました。
「どれがうまいんですか」「全部だよ!あそこの白いシャツの男がジョニーさ」
ちうわけでステーキサンドイッチを頼んでみました。副菜1種類ついて22ドル。おおう結構だな。しかし犬の散歩をしていた老夫婦?も立ち寄ってこれ1個買ってました。まあ2人で分けると思えばね。
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でもアメリカ人てこういう鉄板焼き系は上手だと思う。牛肉と玉ねぎ、ピーマン。焼き加減も聞かれました。新商品として推された副菜のブロッコリーサラダは冷たくて意外でしたがさっぱりしたマリネでした。食ってるところにジョニーがきて「どうだい」と話しかけられたので「うまいれふ!」と言ったら「あ~口が一杯なところすまんね笑」と言いながら去っていきました。

しかしこのお店を激推ししたじいちゃんといい、フレンドリーだな。特に何があるわけでもないですが、なんかいい田舎の街でした。

写真が鈍色の空であることから分かるように午後から雷雨の予報が出ており、ぽつぽつ雨が当たってきたので帰りました。サンドイッチは半分残して持ち帰り、夕飯に回しました。冷めたら何か恐ろしくべっとりした油脂のようなものが用器に残ってましたが見なかったことにします。

* * *

「フリーズドライの味噌汁送る」と久しぶりに知らせをくれた実家の父とメール。年後半はこんな予定だよ、というのを書いてみて、毎月大物の仕事がどっかんどっかん入ってくることを改めて認識しゲンナリしました。滞在11カ月目に入ってます。

2022年07月24日

そして夏休みを終わる

夏休み最終日の日曜。ちょっとだけ外出ね。
何かといい評判が聞こえてくるテキサス・ドーナツ。店内飲食がだめだったので車内で1個、家に帰ってから1個いただきました。
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あ、なんか確かにふかふかしててうまい。香りがいいのはなんだろう。そして何がテキサスなのかはよくわからない。

そしてワイナリー。きょうはブルー・フロッグBleu Frog Vineyardsというところ。
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ブルーチーズなめなめ、ハーフグラスで白。その3倍くらい水飲んでしばらくステイで州法は大丈夫な計算です。ここの白は変な癖がなくておいしかったです。

そこから10分くらいのアウトレットに寄って、何も買わずに帰ってきました。
外は予報通り37度。暑かったです。

* * *

10日休んで換気できました。でも仕事が始まるのはやだな。
今年後半に向けて必要だと思ったこと。
・「できることを増やす」には終わりがないため、引き続き少しずつ「初めて」をやる
・やったほうがいいかなと思ったらとりあえず手を付ける
・食う・寝る・家事はペースを崩しすぎない
・楽をするためにお金を使う
・体は動かすべき
・人と比べない

* * *

■サン=テグジュペリ(河野万里子訳)『星の王子さま』新潮社、2017年。
そういや読んだことがなかったなといって。

■斎藤成也他『図解 人類の進化』講談社、2021年。
初版からもうちょっとアップデートしてもよかったんじゃないかとは思いましたが、全体としてはとても包括的かつ分かりやすかった。編集・校閲がちゃんとしてるんだと思う。

■小林雅一『ゼロからわかる量子コンピュータ』講談社、2022年。
すっばらしかった。

2022年07月10日

疲弊とメンテ

この1週間はなぜか寝付きが悪く、布団の中でゴロゴロしているうちに3時、次の日は8時前起床、寝不足で頭痛、でもその夜もなぜか寝付けず、てな具合。土曜は午前中と夜からの在宅仕事でしたが、午前中が終わりきらないうちに気怠さに勝てずPCと携帯を持って布団に入ってしまいました。まどろんでは携帯が鳴り、まどろんでは携帯が鳴り。それでも午前中の仕事が終わったあと2時間ほど寝て回復しました。

残り物で遅い昼食。買い物に行くか……と一瞬思ったものの、もう回復の日と決めて家から出ないことにしました。朝から雨だったのもあってか頭が重くて集中できず、長い文章が読めませんでした。気分もこのところないくらい落ちていました。

だらだらと過ごし、20時になりました。あまりお腹がすいてないので朝飯みたいな夕飯にしました。
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雨は夕方までに止みました。

* * *

日曜は朝だけ雲が残っていたものの、ちょっとドライブに行こう、ということでバージニアの北端くらいにあるハーベスト・ギャップ・ブルワリーへ。
こんなとこ。
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ウェブサイトによると退役軍人がやってるそうで、退役軍人用の駐車スペースがありました。ほお。
ストロベリーシードルとホットドッグ。
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飲酒運転にならないよう4割くらい捨てた上、このほかにルートビアフロート(つまりノンアル。バニラアイスをカップに落としてからルートビア注いでた……結果浮いたけど)をいただき、ベンチでだらだらしてました。14時くらいから流しのギター弾きみたいのが来て音楽ショーが始まりました。

ワイナリーやブルワリーは遠出したいわけではない休日にふらっと行くのにいいですね。ただ白人がほんと多いです。その次がアジア人で時々見るかどうかくらい。そしてこの人たちは大概、飲酒運転しているのではないだろうか。

* * *

夕方に近所に住んでるボスから「ビール飲まない?」とお誘いがあり、メキシコ料理で一杯やってきました。なんだかんだあって着地した。今週も息災でひとつ。

2022年07月04日

7月4日に生まれて

という映画が中学生のころに公開されてましたが、当地に来てみると、7月4日には「ハッピー・バースデー・アメリカ!」というお祝いの言葉が聞かれました。あのタイトルはアメリカという国家そのものも暗示してたのだろうか。

朝9時から国立公文書館に独立宣言の朗読を見に行こうかなと思いましたが、惰眠を選んでしまいました。タブレットで鑑賞。これ。
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しかしパレードは見にいこうということで昼前に出掛けました。えらい。
なぜかいつもパレードの進行方向右側から撮影してしまう弊管理人。
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マーチングバンド(たぶん中学か高校)の女の子が熱中症で倒れた。バンドは何事もなかったように進んでいった。それを見る強そうなおじさんのアンダーアーマーにはフリーダムと書いてあった。
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警察の手際が悪いので、沿道の人たちが助けに入って体に縛り付けてた太鼓を外し、日傘をさしかけ、木陰に引き入れて水を飲ませていました。なんだかんだワシントニアンは親切。このあいだタイ料理を一緒に食べた駐在日本人のおにいさんは「ミシガン大学に留学したときもミシガンは優しいよと言われてましたが、DCはさらに優しい」と評していました。
女の子はちょっとすると回復していました。
近隣だけではなくいろんな地域の高校からバンドがきてました。この「ジョンズボロJonesboro高校」は黒人の子ばかり。赤黒はかっこいいね。ジョージアかな。
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アジア系はなぜか風船使ってるグループが多かった。
         /⌒ヽ
   ⊂二二二( ^ω^)二⊃
        |    /       ブーン
         ( ヽノ
         ノ>ノ
     三  レレ
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ちなみに上の集団は法輪功です。この後にバンドが続きます。すごいきびきびしてました。
いま親玉がNYにいるんですよね確か。そりゃアメリカになじまないとな。中国に戻ったら殺されるし。
台湾チームもいました。そりゃアメリカに(以下略
ウクライナチームは声援がすごかった。ウクライナのテレビが沿道の人にインタビューしてました。母国で「アメリカが応援してるよ」っていって流すんでしょう。
首都圏チャイニーズ・アメリカンのチームは結構な大所帯だったが声援は少なめ。コミュニスト・チャイナとの距離感はあるだろうけどアメリカの仮想敵国出身。複雑だよな。
これは旗を売ってるおじさん。
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赤/青の服を着てる人も多かった。心置きなく国旗を振れるのは戦争に負けたことがない国ならではでもあり、国旗を振らないと分解してしまうほど他に軸がないからでもあり。
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日差しはきついものの、湿気がないのでちょっと日陰に入ると暑い思いをせず過ごせる昼間でした。確か31度とかそれくらい。
いったん帰宅。ニュースつけたらシカゴの近くでパレードの群衆に向けた無差別銃撃事件が起きてえらい騒ぎになっていました。

夜は花火を見に行きます。
地下鉄のロズリン駅で降りて、さてどちらに向かおうかと思ったところ、人々が同じ方向に歩いて行くのでついていったらアーリントン墓地でした。
この像の前に陣取ります。
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玉屋。
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21:09開始で30分くらい。日が落ちると涼しかったです。
バージニアンとしては橋を越えてDCに入ってしまうと帰るのが大変だろうとアーリントン墓地どまりにして正解。ちょっと歩いたらバスが来たので乗って思ったより早く帰れました。

ベタな7月4日を満喫した。

* * *

いろいろ迷走した夏休みの行き先をようやく固めました。5日間くらいの中西部ロードトリップを考えていたんですが、1人だとどうしても割高なのと、運転中は写真とったりできないのでツアーにしてしまいました。飛行機とツアーという大枠は押さえたので、あとは今週中考えます。なんか肩の荷が半分以上下りた感じがする。

2022年07月03日

スラムと中華と朝食と

水曜日は仕事でちょっくらボルチモア。DCからアムトラック(鉄道)で8ドル、40分。
オーケストラ持っててスポーツ観戦でもよく聞く都市で、医学やらAIやらで世界屈指のレベルを誇るジョンズホプキンズ大学のメインキャンパスがあるといったら落ち着いた地方都市かなって思うじゃないですか。

鉄道駅からJHUのほうへ行くのに無料バスが出ていて、市のサイトに「地元の方や観光客の足に」と書いてあったので喜んで載ったところ、荒廃した感じの車内にはやばい感じの人たちが乗っており、ジャケットなど着ているのは弊管理人ひとり。乗ってこようとしたちょっとアレな人を運転手がドアで挟んで追い出し、その運転手も途中でバスを停めて買い物に行き、そこに何をするでもなく路上に立ち尽くしている人々が虚ろな目を向けるみたいな素敵シティでした。大学病院に向かう路線だからかしら。

大学の中だけきれい。
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仕事がはけた後、お腹がすいたので一緒になった他社の人とレキシントン・マーケットに入っているFaidleyを目指しました。さっきのことがあったのでウーバーを使って正解。路上でカジュアルに道路工事の人となんかよくわかんないおにーさんが殴り合ってました。
某所で勧められたクラブケーキ。あと地元のビール「ナショナル・ボヘミアン」を昼間から飲んでしまいました。
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うん、おいしかったけどクラブケーキはもういいかな。

DCから来ていた仕事先の人たちは当然のように車でした。
そうなんだよね、お金があるとか時間がないとか仕事の人たちは車で「点から点」に移動することで危険地帯をスキップするのだけど、下の階級の人たちはその間の面(地べた)を埋めるように低速で動き回っているのでしょう。
という話を、木曜夕方に職場の会議室であったちょっとした送別会の飲みでしたら、ボスから「節約しなくていいから、いい交通手段使って!」と言われました。
だって知らなかったんだもん。

マーケットを出てウーバー待ってたら、やはり平日昼間から人がたまってる地帯でした。地下鉄の出入り口もあったんだけど、この地域の公共交通機関カードをわざわざ買うのは面倒だし、なにしろ雰囲気が怪しかったのでやめました。あとから鉄道ファンの同僚に聞いたところでは「あれはあまり使わないほうがいい」とのこと。ですよね~

アムトラック乗ってDC帰着。地下鉄に乗り換えて職場に向かっていたらまた挙動不審な黒い人が混んでる車内で「ブラック・ライブズ・マターだぜ、メーン(men!)」とか大声上げてましたが、「こっちのライブズもマターだからマスクつけて」というのが感想です。

* * *

7月は夏休みをとるので地下鉄の定期を買うかどうか迷っていました。どっちかというと買わないほうに傾いていたのですが、なぜか値下げになっており(元を取れる乗車日数が18日→16日になった)買ってしまいました。

* * *

金曜夜は「軽く夕飯いきましょ」と同僚を誘って中華、Sichuan Pavilion。
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豆腐の水を切ってあるちゃんとした麻婆豆腐だーーー!!
塩漬け魚のチャーハンも出色でした。ここはいい。

* * *

土曜は思い立ってDCの動物園へ。
パンダは大股広げて寝ていた。
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午後から雷雨注意報が出ていたので早めに帰りましたが、実際に来たのは21時でした。
ちょっと仕事で東京とやりとりをして就寝。

* * *

日曜は外で朝飯食べたいじゃん?と思い、西へ向かうハイウェイI-66で50km近く走ってNorthside 29という地元食通が話題にしていたお店に行きました。
あ、いい。このなんかロードサイドのレストラン感。
(しかし国道29号の南側にあるのになぜノースサイドなのかは聞き忘れた)
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店内も期待通り。家族連れがゆったり休日のブランチを楽しんでました。
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リストから4品選ぶブレークファスト、12.5ドル。感覚としてはだいたい800円。(いま円換算すると凹むのでしない)
パンケーキは遠くに写っているので分かりにくいが20cmくらいあり、熱いシロップをぶっかける。卵2個のスクランブルエッグ、「カナディアンベーコン」は厚切りハムだった。あとコンビーフハッシュ(コンビーフとジャガイモを和えてカリカリに焼いたもの)がおいしかったです。野菜はないが。
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おなかいっぱい。それにしても自分では作れなさそうなものが何一つないな。
直帰もなんなので、近くのマナッサスにある南北戦争の古戦場公園に寄りました。
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ビジターセンターでずいぶん長い映画を上映していて見たら、この原っぱで鉄砲撃ち合ってばたばた死んでた。外を歩き回ると誰がここで死んだとか負傷したみたいな説明書きがあちこちに立っていて、ここ一帯が事故物件だなと。いや古戦場だからそうなんだが。
こちらは南軍の有名な将軍らしいトーマス・ジャクソン(”ストーンウォール”・ジャクソン)。39歳没。むっちゃ逞しく造形されてます。歴史を知らないとちんぷんかんぷん。
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断片的に見聞きするいろいろでは南北戦争ってほんとアメリカ史のトラウマのようです。しかし部外者にはなんでそこまでやってん?とさっぱり分からない。そのうち簡単な本でも読んでみないとな。

* * *

いつも使ってる腕時計、年末に一時帰国した時にはまだ動いていても電池交換しておくか……と朝食を食べながら考えていて、マナッサスで映画を見ながらふと時計を見たらけさ11時過ぎの時間を指して止まっていました。今週どこかで時計屋に行ってこよう。

あす4日は独立記念日です。いつも仕事関係でチェックしているブログによると「祝日は4日(月曜)でこの日は多くの政府機関や商店が休みになります。多くの人は週いっぱい休みにすると思いますが、今週の予定は……」みたいなことが書いてありました。そうなのか。

2022年06月26日

頑張らない週末

平日が4日の週は瞬きをしているうちに過ぎてまた週末。
次の月曜は朝6時からの仕事があるのに、寝るのが午前2時半とかの日が続いてしまいいかんいかんと思っていたら、その仕事は日曜午前に消えました。正確にいうと次がいつなのか分からない日延べになりました。

時たま夕立など来つつ30度くらいの日が続いており、しかしべっとりと汗をかく気候でもないのが東京あたりと違ってよいですね。
今週末は特別なイベントを入れるのが億劫な気分になり、涼しい自室で大半を過ごしました。だから日記も昼下がりに書き始めています。

土曜はDCのモール(議会からポトマック川まで伸びてる、脇に博物館が並ぶ細長い芝生)でスミソニアンがUAEのイベントをやっていたので見に行きました
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が、日差しが強かったのでわりと早めに退散。そういえば弊管理人は強い光が苦手だったのを忘れていました。この季節の外出はサングラスがいるな。なぜこの写真を撮ったかというと、このフレーム内の世界が明るく美しかったからです。フレームの外では中絶がどうだとか、アジア人ヘイトがどうだとかいう叫び声が遠雷のように聞こえていました。

遅い昼飯を求めて中華街へ。今回は「富記」に入ってみた。
牛肉と野菜炒め・オン・ライス。
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店内ちょっと臭うものの、味はとてもまとも。
で、思い出した、というか思った。2012年にDCに来たときにワンタンメンを食べたのはここじゃなかったか。多分そうだよ。いやお久しぶり。よく生き残っておられた。同僚とまた来よう。

頑張らない週末2日目、日曜は朝から東京の職場とちょっとやりとりをして、パスタ茹でて食べて、バスに乗って西のフォールズチャーチにあるRare Bird Coffee Roastersにおやつを食べに行きました。
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先日行ったこの近所のNorthside Socialはほとんどアジア人がいなかったのだけど、こちらは韓国人ぽい人たちが結構いた。明るくて洒落た感じの店だからでしょうか。

さっくり帰って今週はおしまい。

* * *

滞在10カ月目に入りました。
東京を2020年1月に離れて大阪~DCと2年半ほど流れているうちに、そんなに親しいわけではないが知っていたくらいの人たちの名前がぱっと出てこなくなり始めています。
父方、母方ともに祖父は戦争に行って数年失っているんですけど、孫もなかなかの時間的損失を被ってます。いや祖父のが全然大変だっていうのは分かってます。

家族で来てる同僚はいずれも、数十カ国から人が集まっていてお金もある「いい地区」の学校にお子さんを通わせていて、そこの行事に顔を出すことでノンネイティブの気軽さがありつつ知り合いも増えるなど、良い地域生活を過ごしているようです。弊管理人は独りメシも独り遊びも苦じゃないのですが、楽しいかというと楽しくはないな。まあ性格のせいではある。

* * *

2021年度下半期(10-3月)の成績が通知され、「ちょっとだけよかったで賞」でした。夏のボーナスが2万円くらい?多いほかは「ふつうで賞」と違わない(※評価は7段階くらいあるが、ほとんどの人はこの真ん中の2賞というフラット度というか悪平等度の高い運用)ので、ちょっとだけありがとうございますという感じ。

会社からの一言コメントを見ると、11月下旬にやった頼まれ仕事が印象に残ったということらしい。座ったままできるやっつけなやつだったのですが……それかー、うーむ。
在外の人たちを評価する東京の部は弊管理人の出身部とは違っていて、それぞれ全く別の専門性を持っているので、評価者からはちょっと変わったスキルがあるように見えるのかも。

22年度上半期は9月までです。「ちょっとだけよかったで賞」はいらないので頼むから大過なく過ごさせて下さい(誰に言っているのか)。

* * *

夏至の日のニュースの論調は「夏の始まりです!」。「この後は冬に向けて転がり落ちる一方」と捉えていた弊管理人の陰キャ度よ。

2022年06月20日

食べ過ぎる夏至

奴隷解放記念日Juneteenthおよび父の日の日曜日は、朝から車で近所のパンケーキ屋にいそいそと出掛けました。フェイスブックでご近所(といっても車で1時間圏内くらい)の食べ物屋共有コミュニティに入ってみると何かと地元民のおすすめが流れてくるようになり、その一つでThe Original Pancake House。40分くらい待った。アメリカ人も待つのだな。
そんでこれだ。ブルーベリーパンケーキ。
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甘ったるくなくておいしかったですが、多いよ……。これ半分くらい持ち帰ればよかったかも。
ブルーベリーをタネに混ぜて焼いてるので、切ると打ち身の内出血みたいな色でした。
あと、FBでは「でもパンケーキなら家で作ればいいんじゃね」というコメントが結構ついており、確かにすごいうまい/まずい、という差が生まれる食べ物ではないのかもしれないと思いました。マクドナルドがこれ3枚で500円のセットを出してるのはえらい。

昼は回鍋肉っぽいものを作って食べました。キャベツ1玉食べるのに10日くらいかかってます。

夜は駐在日本人2人と近所のUncle Julio'sというメキシカン。というか「テクス・メクスTex-Mex」=アメリカ化されたメキシカンだそう。肉やチーズを多用するのが特徴らしいけど、そもそも本家を知らない。
40代2人と50代という3人なのに頼みすぎの疑い。
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しかし食べた。タコス、ファヒータ(鉄板焼き)、あと写ってないけどワカモレ、すなわちアボカドのペーストみたいなやつ。全部おいしかった。しかし食べ過ぎた。

前にちょっと散歩した黒人の多いハワード大学に近いDCのUストリートでは、奴隷解放記念日のお祝い行事で銃撃事件が起きてたようです。いちいち抵抗したり反抵抗したり交渉したり連絡したり問い合わせたり挨拶したり声を張ったり修辞を駆使したりしないといけないこの社会は、その水面下に精神衛生の大規模な危機が沈んでおり、元気に満ちているようでいながら極めて消耗し余裕がないように弊管理人には見受けられるのだけど、違うのかな。

* * *

月曜は振替休日です。
振替休日あるんだ~、と思って調べたところ、土曜に祝日が重なると金曜も休みになるそうです。いいねえ。

結局土曜、日曜と家でちょいちょい仕事をし(今日もこれからちょっとする)、そうはいってもちょっと出掛けようかなということで先日辿り着けなかったオッコクアンOccoquanへ。
お祭りを外したら普通に歩けるちっちゃい集落でした。
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クレープ食うです。
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見た目はわりに端正ですが、この中におっそろしい量のチョコレートソース(たぶんバターとチョコが魔融合したもの)が入っており、掻き出して食べました。
ぷは。
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街の裏は水辺であった。
気温26度。日陰でクレープ食べるのにちょうどいい陽気でした。

夏至は21日早朝なので、あすから日が短くなっていくのですね。今日の日没は20:40ごろ。
2022年前半が終了した感じ。びゅんびゅん過ぎたといえばびゅんびゅん過ぎたが、まだ3合目だと思うと先は長い。

* * *

あと夏休みの計画を立てないと。
同僚、仕事先には「アリゾナまで車で行く」というすっごいこと言ってる人がいました。何日かかるの……。緑の東半分と違う、赤や白の西半分を見たい気はするが、弊管理人の場合は独りなので黙って延々と運転するのはつらそう。

* * *

そういうわけで今週はウイークデーが4日。どこまでできるかな。

2022年06月18日

近場出張と行事

日曜夜に書くことの多い弊日記ですが、今週は土曜昼に。
何かと初めてのことがあったのでメモしておきます。初めてを生活の中に適度に(←ここ大事)ブレンドしようとしているのでそうなるんですが。

・水曜、木曜でバージニア州南部のハンプトンというところに出張してきました。「自分の車を運転して行く出張」というのが初めて

・金曜は初めて行く某所で在米の日本人研究者が集まる機会に顔を出しました

ではまず出張から。

そんなにすごい気合い入れて行く先ではないのですが、先方は外国人が来ることを想定していなかったらしく、すごい頑張って弊管理人を施設内に入れるための外国人用の面倒な手続きをしてくれたので行かないわけにはいかなくなってしまったという経緯。

北部バージニア(つまり首都圏)の自宅から車で300km弱、だいたい3時間です。
去年の10月、来たばかりでまだ動き回る手段もない頃に同じくらいの距離を他社の人に乗せてもらったことがあり、その時に「寝ないように話し相手が欲しかった」と言われました(言い方に気を遣う人ではないので本当にそうだったんだと思う)。今回は別に眠気の来る時間帯ではなかったが、話し相手が欲しいという気持ちは分かります。高速を走ってるうちに海が見えて~山が見えて~SAで一休みして~と変化がある日本とは違って、ハイウェイの両側はずっと森。給油や軽食やトイレはいったん降りてガソリンスタンドと併設のコンビニで用を足すので面倒なんですよね……

で、こんなとこ。
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仕事は研究施設を見せてもらうというもので、これどうやって形にしようかなあと悩ましい内容ではありましたが、オンラインよりずっとよかったです。あと英語は喋ってないと喋れるようにならないが、必要に迫られて喋ってるとどうにかこうにか会話は成立する。

夕方から東京とつないで別の仕事があったので、近くのウィリアムスバーグという街に投宿しました。
ザ・セダースThe CedarsというB&B。部屋はこんな感じ。テレビがないのがよい。
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東京とやりとりしつつ目鼻を付けて、夕飯に出掛けることにしました。
外観は結構メルヘンやね……
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昼飯がマックのハンバーガー1個だったので結構食べられる感じ。
街外れのタイ料理屋に行きました。タイはいつだって優しいもの。
「ガパオありますか?」と聞いたらあった。わーいこっち来て初めてかも。
しかし取り分けサイズだった。いや待て、しかしご飯は1杯来てるし、1人前なんだろうか。
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おいしくいただきました。
宿で提供してくれるチョコとデカフのコーヒー(こっちはデカフが普通にあって嬉しい)を部屋に持ち帰って夜のお茶にして寝ました。

冷房が寒くて体が冷えつつ起床。アメリカの宿はどこも寒いな。
B&Bの朝飯はこんな。
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イギリスと比べると控えめですが満足満足。
チェックアウトは特になく、朝食をサーブしてくれた黒人のおっちゃんに「鍵どうしたらいいの?」と聞いたら「そこのテーブルにおいといて~」で終わりました。
ウイリアムスバーグは歴史保存地区があるので、ちょっとだけ散歩しました。
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雷雲が断続的に通り過ぎる平日の朝、古風な格好をしたスタッフ?の人たちが手持ち無沙汰な感じで立ってました。説明要員なんだろうか。
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どうにも左右対称に造りますよね。
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馬。
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うん満足した。
帰路、ハイウエイで工事による渋滞などありつつ昼過ぎに帰宅。シャワー浴びて夜勤に行って疲れました。

* * *

その状態で翌朝8:30からすごいつまらない仕事。
目鼻がついたところで昼から出掛けました。某所でのシンポジウム聴講です。
33度。かんかん照り。帽子忘れた。
いきなり英語で自己紹介する機会が回ってきてしまった。しかもまわりはだいたい医者および理系博士。あちゃちゃ。でも知り合いが増えたので行ってよかった。
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こちらに来たばかりのポスドクさんから、もうすぐ帰る4年目、国立の研究機関に研究室を持ってる20年選手、最近大学にポストを得た助教、すんごいパワフル教授まで。

長くいる人は、当然かもしれないがアメリカ好きですね。つまんない同調圧力がない教育と、公立学校でも寄付を募って先生にスキルアップをさせるという「投資で環境を改善する」という発想。上級学校に行くほど勉強する(医)学生。「仕事くれ」じゃなくてとにかく姿を見せろ。権威ではなく評価で維持されるポジション。住民の9割はアホなので、アホにもできる製品や制度を作るという発想(そういえば説明書というものがほんとにない)。「出自が多様すぎて誰も出自を問わない」。あと、「医者ではないので、こちらに長くいると日本に帰ろうにもポストがない」との声も。

まあこの辺は東海岸、かつアカデミアの話なのかもしれない。でも、ニューカマーから手練れまで、この国の生活をどう抽象化しているのかを聞くのは結構面白いです。
立食でお寿司とか唐揚げとかをいただいて、職場に戻ってまた疲弊して帰宅しました。
今週は何かと眠かった。ときどきある、9時間寝るコース。

で、月曜は奴隷解放記念日につき世の中は3連休です。[←6/21注:日曜が記念日で月曜は振替休日でした]

2022年06月12日

プライドと送別

6月はプライド月間とのことで、由来となったストーンウォールのあるニューヨークに行くほどの思い入れはないものの、せっかくDCでパレードがあるというので見に行ってきました。たまたま午前と夕方以降の在宅シフトだったので、その間を縫って外出。
ワシントンポスト(WAPOと呼ばれているそうで)によりますと2020年、21年は疫病による縮小開催、今年は久しぶりのフルモードです。
14番通りの上のほうがスタート地点。人いっぱい。
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先頭はバイクの皆さん。
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何かと時間通りに始まらないアメリカにあって、予定通り15時ちょうどに始まった。
交通規制とかの関係でしょう。
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反セクマイデモも小さいのがあったようですが、特段のことはなかったようです。
アイダホでは白人ナショナリストが騒ごうとして31人逮捕される事案。DCは大使館だの企業だのいろいろあり、人口規模が大きくなくてごちゃ混ぜという珍しい構成なせいか「極端」が入り込む余地が少なく、ほのぼのした雰囲気のように思いました。
こちらラテン系の人たち。
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カナダ、EU、アジア・太平洋諸島、ウクライナの集団も。
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あとフェチ系の方々。意外と露出してる人は少なめでした。
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旗とかビーズのネックレスとか、お菓子、Tシャツなどがフロートから沿道の観衆にぶんぶん投げられてました。節分みたい。合い言葉は「ハッピープライド!」
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下のフロートは地元のフィットネスジムの提供。他にもエアバスとかヒルトンとか、なんとなく関係者に結構いそうな業種のフロートも出てました。商業化に懸念があるのは当地も日本も同じですが、上のリンクにあるWAPOの記事では「でも政府の支援がなかった頃から支えてくれてたのは企業だったんですよね」と。なるほどね。その点コーポレートイメージのために遅れて入ってきたのでは、と思われる日本とはちょっと違う感じはする。
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14~17番通り(DCは南北の通りが数字、東西がアルファベットの名前がついている)あたりはバーやクラブもあるらしく、なのでパレードはここを巡るんですね。
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あと、当地はDC市長や議員、今度選挙に出る候補者など政治家のフロートが複数出ていて、それなりに沿道から声がかかっているのが印象的でした。日本でやったら「うげえ」みたいな反応が結構ありそう。とはいえ大筋、日本のパレードは先行例を見てきた人たちがいろいろと取り入れてやってるんだろうなと感じました。
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沿道はアパートも結構あり、ベランダや屋上から応援する人たちもかなり。
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この日は銃規制を訴える集会が全国で起きていてDCも大きなのがあったんだけど、すいません、こっちのが楽しそうなのでこっちに来てしまいました。
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仕事のため18時には帰宅したく、16時過ぎにいそいそと最寄りの駅に向かったところ、道路の封鎖によって地下鉄駅に出るのに一工夫必要になっており、焦りました。結構疲れて地下鉄でちょっと寝そうになった。ちゃんと着いて仕事してシフトが終わったらすぐ布団に入りました。3度寝くらいして9時間後起床。この1週間、シフト詰め詰めでかなり疲れたんですよね。

日曜は春にさくら祭りをやってたペンシルベニア通りでプライドフェスがあったので、ちょっとだけ見てきました。
なんでこの通りでいろいろイベントをやるのかなと思ったのですが、これ多分、終点に議事堂があってどん詰まりなので交通規制しやすいのと、イベント側にとっても象徴的な建物の前でやるっていうのがDCっぽく、政治的な意味もあるということなんじゃないかと思いました。つまりこういう絵が撮れる。
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ざっと見て帰りの地下鉄に。1駅乗り過ごしてコーヒー飲みに行きました。ノースサイド・ソーシャルNorthside Socialでアイスコーヒーと、クランベリー&生姜のスコーン。
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うん、まとまった。金曜までは土日の天気予報は芳しくなかったけど、土曜の雨は昼で終わり、雷雨といわれていた日曜は日差しがきついくらいでした。

今週は若干の不確定性を孕んだまま始まります。平穏を希望。

* * *

前回の日記の追記で「は?」となったのは、東京の出身部の部長が急逝したとの報せでした。
55歳、脳出血とのこと。朝、ご家族に発見されたらしい。起きて布団を出ようとした形跡があったそうで「あ、やばい」と思うくらいはしたのでしょうか。会いに行った会社の人によると血色はよく、会社で居眠りしてた姿そのままだったそうです。

で1週間ですが、なんかもう遠すぎて実感がわきません。本人にとってはもはや意味がないしご家族はもちろん残念で大変だろうと思うのだけど、死に至る苦痛の量でいうといろんな亡くなり方の中で圧倒的に少なかったんじゃないかと想像します。

弊管理人が2009年に東京に転勤した頃におじさん職位になり、仙台に数年いってた他はほぼ同じ職場にいました。でもちょっと分野が離れていたことが多く、12年にストックホルムに行った時が一番密接に仕事したくらいかも。何よりボスになった途端に弊管理人をアメリカ送りにした張本人……。いやまあ別に打診を受け入れたのは弊管理人ですし、ご本人も弊管理人に(誤って)何かを期してのことだと思いますが。というくらいしか書くことないんだなあ。何も感じないということではなくて、繰り返しになりますが、いなくなった感じがしない。

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しばらく前から洗面所のパイプが詰まり気味で、歯磨きした後に吐き出した水がなかなか流れないのがストレスでした。詰まり(clog)を溶かすクリーナーは効かず、アマゾンで長細くて返しのついたプラスチックの掃除用具を買ってパイプの中にごしごし通してみたところ開通。心に一つの平穏が訪れました。ここに特記したいくらいすっきりした。

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最初に当地でクレジットカードを作ってから半年がたち、信用スコア(クレジットヒストリー。FICOスコアという)がたまったのでアメリカンエクスプレスのゴールドカードを作りました。なんかずしっと重いと思ったら金属カードなのな。
目的はポイントで、ANAのマイルに替えてタダで一時帰国したいということ。
他社の知り合いから招待してもらう形で作ったため、紹介特典で半年以内に4000ドル使うともらえるポイントが1.5倍に増えるようです。2回帰れるかな。どうだろう。

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40年ぶり級のインフレで物価がえらいことになっており、家賃がすごい上がったとか、家主に「今売りたいから」と契約更新を断られたとか各所で阿鼻叫喚エピソードを聞きます。昨年は1ドル109円で換算してもらっていた給料が、今年は121円になってドルの上で目減りし(物価上昇調整で日本円でもらう給料は増額されたのにだ)、これはもたんとボスが本社財務部に掛け合った結果、家賃補助の上限が上がることになりました。えらい!!

弊管理人の住んでるところは1LDKで月額30万円くらいするんですが、恐らく赴任中に2回の契約更新を迎えることになり、従来の補助上限だとギリギリ足が出るかどうか、くらいだったので、今回の上限引き上げで多分大丈夫だろうと安心しました。経済成長してる当地と停滞しまくっている母国の差は広がる一方です。あと海外駐在出すって会社にとってすごい&ますます負担なんだな。人材育成の場になってる地方のネットワークを削るんじゃなくて、海外を減らすほうが最適解じゃない?(危険発言)

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バッハのイタリア協奏曲に手を付けました。
指の動きが良くなってきました。
3月に電ピを買った時には「そんなに衰えてないかな」と思ったものですが、やっぱり衰えていたようです。

あと、20代前半のような「体力で弾く」感じの弾き方ができなくなりました。その代わりに、気長にゆっくりしたテンポで練習することで20代の時に弾けなかったり諦めたりした曲がそこそこ弾けるようになってます。
読書もそうで、30代半ばまでは「どれだけ速く多く読むか」が気になっていたのが、この数年は「わかる/流すを見極めるための最適な速さ」(難解な本はある程度の速さを保って2回読むといいとか)を探ることのほうが重要になってきて、月に何冊読むかはどうでもよくなりました。

残り時間が少なくなると将来の選択肢が狭まる分、焦ってザッピングするような生き方をしなくなり、今に集中することでかえって局地的な達成が可能になるということなのかもしれない。「未来『への』疎外」から脱するというか。

* * *

やっとアメリカが日常になったようだとの指摘を受け、確かにそうなのかもしれないんだけど、こういう時に穴に落ちそうなので気をつけようと思いました。
あと、秋冬になると免許更新とか家の契約更新、車検やら何やらでまた面倒が待ち受けており、仕事も込む時期に入ってくるので、夏まではなるべく楽しむほうに時間を振り向けたいです。

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今回のよく聞く英語は
xx is all about... =「xxは...が全て」。
例)It's all about international cooperation. 「この案件は国際協力が全てです」

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■若狭直道『最新量子技術の基本と仕組み』秀和システム、2020年。

量子技術を幅広く扱った本が少ないのであまり選択の余地なくこれを買いましたが、構成も文章もひどかった。

2022年06月05日

初夏の近場

暑い1週間でした。でも金曜に夕立が来て過剰な熱を取り去ってくれた感じ。
東京のちょっとアレなハンドリングのおかげで木曜深夜に仕事が始まってしまい、金曜はぼーっとしたまま完成に持っていくはめに。だから言ったでしょ。でもまあいっか、みんな忙しいし不完全な人間だしね、と思う程度には鈍感になりました。

土曜にちょっとはみ出した小さなタスクを昼にまとめてぶん投げて、議会図書館の見学へ。ジェファーソン・ビルディングです。イタリア・ルネサンス様式のホールはすごいキッチュ。大塚国際美術館を思い出します。
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10年前に一回来てるはずなんだけど全然既視感がありませんでした。前回は見学ではなく客として来たので通ったところが違ったのかもしれません。
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そんなんして撮らなくても天井は撮れると思うが。
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閲覧室です。文化史上の偉人の像が並んでたり、ステンドグラスが州章だったりと考えすぎな造りになっておりました。
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行き帰りの地下鉄がすごい混んでて、ポストコロナ&観光シーズン真っ盛りなんだなと思いました。マスクは3-4割といったところ。白人がジジババまで含めて特にしてない。
帰りしなスーパーに寄ったら牛肉が特売になっていたので予定外に買ってしまいまいした。
焼いて夕飯。先週買ったワインの当てにしました。
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ソースがようやくおいしくできた。バターと醤油だけじゃなくて酒を入れないといけなかったんだな。この3倍くらいの量で2.20ドルという値段がこわいので、残りも早く消費しようと思います。

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日曜は車で40分くらい南の方に行ったオッコクアンOccoquanの歴史地区を散歩しに行こうと出掛けたのですが、何かのフェスタに当たってしまい交通規制。駐車場探しに難儀して、結局車から降りないまま諦めて帰ってきました。
しかしまだ日が高かったので、近くのギリシャ正教会でやってるギリシャフェスに転戦。車は停めるところがなかったら嫌なのでバス!
むちゃ天気よし。1969年にできた教会だそうです。意外と最近ね。
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メシのブースが結構バラエティ豊かでした。お腹空いてたんで嬉しい。
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外はかんかん照りだったので体育館みたいなとこに陣取りました。ドーリア式?の柱があって笑った。柱としての用はなしてない装飾のようだったけど。
タラのソテーにほうれん草、インゲンのトマト煮、バターの香りがするピラフみたいなの、あとサラダ。おいしかった。そしてよく地中海料理について言われるように、健康的。
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ただしすっごいお腹にたまった。帰りはバスまで時間があったので「腹ごなしに」と40分くらい歩いて帰ったのですが、空きっ腹のところにガツガツ食ったこともあり、途中でちょっと具合悪くなりかけました。部屋のロッキングチェアでスカルラッティ聴きながら1時間くらいぐったりしたら治りました。食休み大切。
お菓子買って帰ってきました。左がバクラヴァBaklava、右がカタイフィKataifi。食事したときに同じテーブルにいたおじいちゃんとお菓子売り場でも鉢合わせ、「うまいよ~」と言われて買ったものです。
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バクラヴァは見た目アップルパイっぽくもあるのですが、薄い皮を重ねてナッツ挟んでシロップをかけたものでした。
カタイフィは見てくれから味が全く想像できませんでしたが、細い麺?の下はやはり甘ーいナッツで、シナモンの香りがします。これもすごい甘い。wikiを見たらファーティマ朝(10-12世紀)が起源だそう。アラブ世界のお菓子なんだな。いずれも食後にコーヒーとともにいただくと満足して締めくくれそうですが、指先くらいで十分です。

にしてもほんと各所で大小のフェスが開かれています。この土日も行こうかと思って調べたが行かなかったワイナリーもそう。確かにあの、外出する気にならない寒くて暗い冬が終わったら、次の寒くて暗い冬までにおもくそ遊んでおきたくなるわな。
植物もですね。北海道にいたとき、夏に緑が爆発するのに圧倒されたのを思い出します。こちらは北緯38度とそこまで北じゃないけど、うぉぉぉー葉っぱ出すぜーという気迫はある。

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そういえば今週は仕事でメリーランド州の国立公文書館に行ってきました。
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首都圏だとDC(国会図書館みたいな立地)とメリーランド(柏の葉みたいな立地)に公文書館があって、軍関係の資料はメリーランドです。なんだか日本人かな?と思う風体の利用者もちらほらいました。疫病でずっと閉まっていたのが、3月から開館し、今はかなり人数を絞った予約制になっているようです。コピーをとる人は全くおらず、貸し出しのスキャンスナップ(資料を傷めないよう非接触で置いた資料を上から撮るやつ)を使うか、携帯でがんがん撮影するのが普通のよう。確かに作業的には撮影が速い。後でPDFにしてOCRかけるというのもできそうですし。

行き帰り、地下鉄の最寄り駅との間はメリーランド大学の構内を通るバスに乗ります。広くてきれいなキャンパス。年度が終わったため閑散としていて、帰省するのか、寮からまくらとボストンバッグを抱えて乗ってくる学生さん?がいました。

* * *

職場は人替わりの時期が来て、今週おじさん職位1人が赴任し、交代で1人が日本に帰っていきました。7月にもう1人と管理職が交代、あと年末に2人で計5人かな。
それが終わると23年はそれほどメンバーが入れ替わらないはず。
24年に弊管理人含め4人がさようなら。しかし弊管理人の21年の着任は平素より遅い9月下旬だったので、次の人はもう少し早く来るとすると在任は実質2年半くらいになるかもしれないな。それか3年半。いやすぎるが。

* * *

[追記]という日記をアップして仕事のフォローしてたら「は?」という報せを見てしまった。ちょっと混乱してます。たぶんこのことは機会を改めて書くと思う。

2022年05月22日

アレクサンドリア

雨で10度と寒い中、シードルを飲みに行ったのが先々週。
この金曜土曜は35度になりました。なんだこれ。
地元民によると「もう季節は戻らない」そうです。夏か。夏がきたのか。

山のほうに行きたいなと思っていたところ、雷雨の予報が出ていたのでやめました。あと、金曜の夜に計画立てようとしたら想像以上に仕事の手離れが悪くて翌朝早朝の出発が現実的でもなかった。この1週間、前週と打って変わって予想外に忙しかったというので生活整えようかなと思ったのもあります。

土曜はアジアンスーパーで買い出しと2カ月ぶりの給油。
今年初めごろは1ガロン3ドルそこそこ(=当時のレートで1リットル95円くらい)だったのに、いま4.8(=円安も加味すると1リットル164円)とか。もう日本と変わんない。普段そんなに車を使わない弊管理人は結構びっくりしました。政権の支持率も落ちるわけだ。

そのあと夕方に勢いでがーっとやった仕事が東京―アメリカ間の連絡不行き届きで被ったことが分かり、でも先に「こういうのやりますよ」宣言したのは弊管理人だし、休みの日にやった仕事を撤回してゴミ箱に捨てるの癪だなっていう空気をすごい出したら譲っていただきました。んでもこちらがゴリ押しした的な理解になってるだろうな、ともやもやしながら就寝。

日曜は早起きするはずが10時半起床。
それでもどこかへ……と思ってバージニア側対岸にあるアレキサンドリアへ行きました。33度、半袖シャツと短パン姿で路線バス1時間の旅。
ポトマック川を挟んでDCの向かいにある港町です。
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すごく何かあるかというとないんだけど、水辺の木陰はそんなに暑くなくてよかった。
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Misha's Coffeeに入ってアイスコーヒーと、チーズ&ハムのキッシュを頼んで2階のテラス席へ。
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仏頂面のレジのおにいさんが運んでくれたのでThank you so much.って言ったらYou're very welcome.って言われました。veryがついてたので「単に仏頂面の良い人」認定した。味とか全然期待してなかったら、目玉焼きとかジャガイモとか、あと何かシーフードっぽいものまで入っていてどっこいおいしかった。おかげさまでチルい気持ちになりました。

駅に向かおうとすると、西の空に暗い色の雲が見えます。
そういや夕方から雷雨の予報だからっつって遠出やめたんじゃんね!
ちょっと早足+最後はランニングでグーグルが指示したのより1本早い地下鉄に間に合い、家に帰り着いて数分後、こうなりました。
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負けやむなし、と思いながら帰ったけど勝った。
斜めに雨の弾幕、ごく近い雷鳴。おねいさんたちの叫び声。
でも30分で止んだ。暑すぎるとちゃんと水が熱を取りにくる気象システムすごい。

* * *

書こう書こうと思って2回ほどすっ飛ばしましたが、誕生日のちょっと前に実家の父から段ボール1箱が届きました。
雑炊、にゅうめん、味噌かつ、味噌汁などフリーズドライの食料いっぱい。あと実家に転送された郵便物、パックご飯など重量のあるものが入っていたため送料13000円!!
パックご飯はこっちでもそんなに高くなく買えるし、休暇村のパンフレットなんか見ずに捨てるやつだよ。もー。と思ったけどプレゼントとはそういうものではない。ので、ありがたくいただいた旨、お礼メールを送っておきました。

その返信には「メールしたいけど時差で起こすといけないので」と書いてあり、それも「寝てる時間帯は通知こないようにしてるから」と返信しました。
お互い、言うべきことをあまり言わないスタイルなのでこういうことが起きる。でももうしょうがないので、気付いたら言うようにしよう、でやっていくことにしています。何かと食い違いがあっても「修正して次、次」という心持ちが大切だよね、というのはこちらに来てよく思うこと。

* * *

上にも書いた通り、先週は予想外に忙しかったです。アメリカにいなくてもできるような仕事が多いのは今に始まったことではないが、それでも若干のお褒めもいただいてよかった。
そのほか若手ちゃん(ちょっと薹が立っている)からよい話も聞けて報われる気持ちにもなりました。
しかしこういう時に浮かれると何かありそうで怖いので、慎ましく謙虚に生きていこうと思います。書くことによる戒め。

* * *

サラダボウルのわりにアジア人あまり見ないな、と調べてみたところ、2020年現在で
DCは白人40%、黒人43%、ヒスパニック10%、アジア4%
VAは白人62%、黒人19%、ヒスパニック10%、アジア7%(※たぶん韓国系が多い)
全体では白人60%、黒人12%、ヒスパニック19%、アジア6%。あと先住民1%

DCは黒人の比率が一番多いそうです。次はミシシッピ(38%)とかルイジアナ(32%)。
アジアはハワイ(38%)、まあこれはそうだわな。次いでカリフォルニア(15%)、ニュージャージー(12%)。NJはなんでだろう。
先住民はアラスカ(19%)、そりゃそうか。そしてオクラホマ(9%)、ノースダコタ(7%)。

* * *

夏休み、アイスランドは1人だとすごい割高なことが分かり急に気持ちが収縮。
寝台車で南部に行くのはどうかな。暑そうではあるけど。
涼を求めるなら車でナイアガラの滝とかは?意外と近い400マイル(640キロ)。
とかいっててまだ決まってません。ただ休まないと年後半もたないので休む。

* * *

同僚が土日は子どもと遊ぶのが楽しみみたいなことを言っており、海外赴任が許容できる条件は「家族が帯同するか、日本に友達がいない」なんじゃね、と思ってしまいました。
弊管理人は家族がおらず、日本に友達がいるのでいつまでたっても根っこが生えた感じがしないし、休みの楽しみ方もその都度考えるか、行きたいところを平素からブックマークして貯めておくという面倒がずっと続く。

一方、日本に出張する同僚から「なんか買ってきてほしいものありますか」と聞かれて特段思いつかなかったので、モノの面ではもう心配はほとんどなさそうではあります。
2017年に買ったPCの買い換え時期がこの赴任中にギリギリきそう、いや耐えきるか、くらい。まあどこで買ってもWindowsは多言語対応するだろうからいいとして(なんか日本で買うと安そうではあるが)、ATOKのパッケージ版がとうとうなくなってしまったのが痛い。うーむ。

* * *

また某疫病の接触通知がきた。先週の土日だそう。土日??土日ずっと一緒はおろか、誰かと一緒にいたことありませんけど。たぶんフィリップス・コレクションの客の中の誰かじゃないかな。誰とも喋ってないから大丈夫。

2022年05月15日

フィリップス・コレクション

土日に雨マークがついていたので遠出は無理だな~と思っていたのに、結局日曜は朝からどんどん晴れていき、午後には27度、ピーカン。
ということで近場に出掛けることにしました。
DCはデュポン・サークルの近くのフィリップス・コレクション。1921年に美術コレクターのダンカン・フィリップスが自宅で設立した私立美術館ですが、なんか聞いたことあるような、と思ったら日本でも展覧会やったことがあるんですよね。
昼頃ネットで時間指定チケットを取って地下鉄に乗って、フォギー・ボトム駅から歩いていくとすっかり初夏の陽気。
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大使館が並ぶマサチューセッツ通りを横切っていきます。要はいいとこの一角。
天気むっちゃよい。
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適度に混んでますがゆっくり見られます。「photography encouraged」って書いたステッカーが壁に貼ってあった。めちゃくちゃ太っ腹じゃないですか?
うわあルノワールの「舟遊びの昼食」だ。こんなでかい絵だったんですね。
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ちょうどピカソの〈青の時代〉の特集をやっていて、ピカソだらけでした。
このお兄さんはただ説明読んでるだけなんですけど、ポーズが芸術っぽかったので撮ってしまった。
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こちら、先日読んだ美術史の本に出てきたゴッホの「オーヴェールの家」。
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近付いて見るとなんだかよくわからないのに、遠くから眺めるとちゃんと脳が風景を構成する。混色を避けて明るさを保つ印象派の面白さ。
個人宅ってまじ?というくらい見応えがありました。
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満足した。
ぶらぶら地下鉄駅に向かいます。16時くらいになってお腹がすいたのでブリトー買って食べました。7ドルくらいで高くないのに巨大だった。中途半端な時間に満腹になってしまった。
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ということで日曜終了です。あとは勉強しよ。
とうとう日没が20時過ぎになり、「日があるうちは遊ぼう」と思っているとやるべきことに手を付けた頃には夜中になってしまうことが多く、これはこれでいかんなと思っています。

* * *

土曜はLidl(リードル)というスーパーに行ってみました。いつも行くアジアンスーパーと同じショッピングモールにあるんだけど入ってみたことがなかったんですよね。ユーチューブでコマーシャルがよく入ってました。調べてみるとドイツのディスカウントチェーンなんだそう。

自社ブランドのシリアルやコーヒー、缶詰なんかがすごい安い。肉も安い。野菜はまあまあ。魚はものによる。ベーカリーが手頃でおいしそう。その他のブランドは別に安いわけではないかな。店内は明るくて棚と棚の間も余裕があり、「商品の種類をちょっと絞ったイオン」て感じです。バスで行っちゃったので冷凍食品はやめ、何品か持てるだけ買って帰りました。

* * *

って書いてるうちに空がにわかにかき曇って雨が降ってきました。
アメリカの天気予報は2日後くらいまでは時間単位で結構当たるのがよく分かる。

部屋の湿度は50%くらいまでいってます。
気温は23度でちょうどいいくらい。これから湿気のほうを心配しないといけないのかな?

* * *

そういえば先週、45歳になりました。って書くと自分でびびるんですけど、そういう歳である自覚はないので、数字のたぐいからは目を背けて生きていきたいと思います。

* * *

夏休み、それなりの日数とろうと思いますが、どこへ行こうか。
南は暑そう。
西をドライブしてみたくはありますが、遠い。
で、唐突に「アイスランドどうかな」と思いつきました。飛行機だと6時間で、カリフォルニア行くのと同じくらいなんですよね。値段はむしろちょっと安いくらい。日本からだと乗り継ぎが必要で、16時間くらいかかって極めて遠いことを考えると、こういうとこに行っといてもいいのかも。まだ決めてませんが。

* * *

先週は同僚から「今夜一杯いきます?」というお誘いをいただいて(職場は慢性的に忙しいので、背後の席の人だが周囲を憚ってチャットでこういうのが来る)、エレファント&キャッスルというパブに行き、ビール1杯で酔っ払いつつフィッシュ&チップスやオニオンリングをつまんで上機嫌になりました。

だってさあ、こういうことしたいですよね。各人がそれぞれ独自の持ち場を守っている少人数職場なのと、弊管理人と職種の違うもう一人以外は家庭持ちなので、ちょっと誘いにくいというのはある。だけど飲みニケーションの古い会社なので多くの人は飲むのは好きなはず。そのあたりで揺れつつ、でもみんな弊管理人より忙しいしな、と思って結局は声をかけずに独りで地下鉄に乗って帰っちゃうので、たまにこういうことがあるといいのです。

同僚は「犬と息子(7)が幸せそうなので1日でも長くここにいたい。というか自分もいたい笑」と言いながらオニオンリングの2皿目を頼んでました。DC勤務は「掴み取った」と形容していた。うわあそうか、現状が既に一つの達成なのか、そして幸せなのか。すごいな。圧倒される。息子ちゃんは変な同調圧力みたいのがないことですごい伸び伸びしているんだそうです。それはあれだ、多分こっちの大学に行くんでしょうな。経済を受け持っている本人はアメリカ経済の頑丈さをこちらに来て心底実感したようです。

先月くらいまでむっちゃ働いていた同僚はいまアイドリング中だそう。
わかるよ、弊管理人もそうだよ。なんか余計な仕事いっぱいやりすぎたと思う時期と、まとまった仕事を出し終えた時期と、社会のモードが疫病から通常へと遷移する中で在宅が中心だった仕事のやり方を再構築しないといけない時期が重なって、方向感を失っていたのは事実。
しかし、ここ2週間くらい「仕事の必要性を吟味する」をやってたら瞬発力がちょっと落ちた気がした。アウトプットが次のアウトプットを作る面もあるので、高くはなくても一定のレベルで出力を保っていたほうがいいのかも。まあまた何かのプロジェクトを考えましょう。

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同じ部にいる同期が離職とのこと。
本人と話しても、どの程度ポジティブな離職なのかは今ひとつ推し量りがたい部分はあります。けど、弊管理人の勝手な感想は「いや~よく決断したよね~いいことあると思うよ~」なんですよね。「サバティカルがあればね」という点で弊管理人と本人は一致した。同じところに20年もいたらそりゃ澱むし、本人に澱んでるという自覚がない場合は老害化する。換気は大事。

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二重の虹が見えた。皆既月食は雲でだめだった。

2022年05月08日

シードルとチャイコ

金曜の朝から雨。なのでもともとあまり出社するつもりはなかったけど、昼過ぎの仕事が予想外に東京の反応を呼んでしまい、結局出社どころか部屋から一歩も出ずに終わってしまいました。夜半には雷雨になり、土曜も風強めの雨でした。10度。寒い。

土曜朝は在宅仕事のアポイントがあったのだけど、相手から連絡なくすっぽかしを食らいました。まあアメリカってこんなもんだろうと大して気に病まず過ごしていましたが、日曜朝に「体調不良で」と謝罪がありました。

今月は地下鉄の1カ月定期(90ドル、18日使うと元が取れる)を買ったので、昼過ぎから地下鉄でちょっとDCの北の方に出掛けました。
コロンビアハイツという地区にあるキャピトル・サイダー・ハウス。
お試し4種類で12ドル。
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昼がカップラーメンだったので、エンパナーダという具入りのパンも頼みました。
「エンパナーダって何?」と聞いたら「餃子みたいなやつ」と言われましたがその通りでした。中身はマルガリータ、ポーク、ビーフの3種類。
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サイダー(シードル)は辛口なリンゴのワインです。もちっと甘い方が好きかな。

夜はちょっと運動してシャワーを浴びてから、ベン・アンド・ジェリーズのピスタチオアイスをなめなめ(アイス本体は杏仁の香りがしつつ、ピスタチオにちょっと塩気があって大変うまい)、冷凍のナゲットをレンチンしてつまみつつ、先週買ったワインを飲むなど自堕落に過ごして寝ました。

* * *

日曜は昼にポークチャップを作って食べてから、北ベセスダのストラスモア・ホールに行ってアナポリス響。オルガ・カーンがソロを務めるチャイコフスキーのピアノ協奏曲1番でした。
アナポリスはメリーランド州の州都ですが、海軍と役所と港周辺の観光地がある以外は静かな街で、こんなところでオーケストラもてるんだろうかと多少不安でしたが、どっこい頑張ってました。あと、オルガ・カーンはまさかのパワフル技巧派で大変よかった。

夕飯はにわかに焼きそばが食べたくなり、近所の中華屋でローメンLo Meinをテイクアウト。
ビニール袋ぶら下げて帰る途中、20時のうち周辺がこんな感じです。中心部だけにある高いビルが夕陽に照らされてました。
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ちょっと食べ過ぎくらい食べて満足しました。

* * *

■加藤隆『旧約聖書―「一神教」の根源を見る』」NHK出版、2016年。
■池上英洋『西洋美術史入門』筑摩書房、2015年。

* * *

物価が順調に上がっていて、確かついこの間まで3.65ドルとかだったアイスとハムがそれぞれ4.99になっててびびりました。あと年末には1ガロン3ドルそこそこだったガソリンは4.39に。まああんまり車乗らないからそこまで痛くないけど、結構ですね。野菜はそこまででもない印象。イチゴは安く(450gのパックが安売りで1.99になってた)、あと季節のせいか甘くておいしくなったので、毎日食べてます。

円安が進んで、給料の換算基準が去年は109円だったのが今年121円になって目減りした!と怒っていたのも過去のこと、実際は130円なのでまだ得をしているくらいになっちゃってます。職場では「80円時代に赴任した人はよかっただろうな」と言ってます。弊管理人は1人なのでまだましですが、子どものいる家は大変そう。

* * *

部屋の湿度が冬の間は26%とかだったのが、暖かい季節になって集中暖房が弱められたせいか、30%半ばから40%超まできました。料理に三温糖みたいな茶色い砂糖を使っていて、湿度が30%を切ると容器の中でがっちがちに固まってしまいますが、それがましになりました。

朝、目を覚ますと、部屋の湿度でその日の外の気温がだいたい推測できます。できたからどうということはありません。

* * *

多分、次の日記を書く頃には45歳になってます。
四捨五入すると50(するな)。
30代に入る時にちょっとおっさんになるのやだなーと思ったくらいで、その後はもう加齢に関しては諦めがついたのと、結婚しておらず子どももいなくてライフステージが変わっていかないため淡々と歳を取っており、44が45になってもどうということはないと思います。

2022年05月03日

ニューヨーク

1泊出張を企画してニューヨークにいってきました。今回はアムトラック初体験。
出発はDCのユニオン駅。
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ネットで切符を買いました。改札はなし、座席指定もなし。発車後に検札があります。
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きれいじゃないけど飛行機に比べると広くて座り心地のいいシートなので、これなら3時間半の旅も悪くないかもねえ。
と思っていたら、ニュージャージーで電線が切れたとかで1時間半くらい遅れました。仕事先と約束の時間ギリギリに到着。昼飯を食べそこねましたが、夜は立食の懇親会だったので結構たくさんいただきました。近くにホテルをとって寝て起きて翌朝は早起き。
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帰りはスムーズに帰着。マンハッタンの建物や人の密度から解放されてDCに着くとちょっとほっとしますね。
昼は東京から来ていたシャチョさん(ほんとの社長)とDCの同僚・上司と会食。
Oceanaireというシーフードのいいレストランで、なんかすごいまともなものを食べました。
ぐちゃぐちゃしてますが、手前からクラブケーキ、えび、ほたて。
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そんでタラ。
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この1皿で6000円くらいですが、まあラーメン2000円の国なので……
会社にご馳走になりました。おいしかった。

5時起きで疲れたので、早めに引き揚げさせていただきました。
列車の旅もいいな。

* * *

きょうの英語。
Meanwhile, ~とかゆってる間に

2022年04月17日

復活したり過越したり

弊管理人はバレンタインとか関係なくチョコレートを食べるのですが、どうも3月くらいから店頭に卵形のチョコが増えてきて、いやハーシーズの卵とかおいしいので有り難く食べてましたが、何だろうと思ったらイースター/復活祭でした。

そういやニュージーランドに留学してた時も、あちらは3月に学期が始まるので、一通り授業に出てちょっと疲れた頃にイースター・ブレイクといって1週間くらい休みが入って助かったことがありました。当地も世間はイースターまでの1週間(聖週間)はお休み期間のようで、お子さんのいる同僚は交代で休んで家族サービスをし、金曜(聖金曜日=受難と死の記念日らしい)は役所の動きがぱったり止まり、からっと晴れた土日は多くの人がお出かけしていました。

ようやく到来した春を祝う機会であれば他の宗教でもお祭りがあるわけで、ユダヤ教は金曜の夜が過越の祭(英語だとPassover)だったようです。出エジプトの前にモーセとファラオが交渉してたら、エジプトに「十の災い」が起きて、そのうちの一つ「人と家畜の初子が死ぬ」に関しては子羊の血を家の入口に縫っておくと〈主〉の襲撃が過ぎ越すというやつ。

当地大統領は金曜と日曜に声明を出していました。政教分離どうなってるの?と思いがちですが、合衆国憲法修正第1条が「連邦議会は国教を樹立し、あるいは信教上の自由な実践を禁止する法律を制定してはならない」としていて、復活祭おめでとうと言うのは信教上の自由な実践なので憲法的にはオッケ、ということだそうです。フランスのライシテ、すなわち公的空間からの宗教色排除とは全く違う「政教分離」のあり方(下記・西山本)。

閑話休題、そういうタイミングだとは知らなかったのですが、今月初めに時間指定チケットを取ってあった、DCにある「ホロコースト博物館」を見てきました。
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どぎつい写真は載せませんが、エレベーターで4階に上がって降りてきながら見る展示は、扉が開いた瞬間からショッキングなパネルで始まり、ナチスの政権獲得から焚書、水晶の夜、周辺国への侵攻とそこでのユダヤ人虐殺、「最終解決」、解放、戦争裁判、その後のポグロムとイスラエル建設、そして「アメリカには何ができたはずか?」まで、映像と写真、物的資料を駆使して問いかける大変濃いものになっていました。
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現在「ジェノサイド」と名指された東欧事変の最中。1940年代初頭には既にドイツでやばいことが起きているという情報はもたらされていたのに、アメリカはもう戦争に関与しません、と言い切ってしまったルーズベルトの映像がバイデンに重なりました。

アウシュヴィッツのでかい模型もあります。
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かねて行きたいなと思っていたところですが、世界は疫病と戦争でそれどころではなくなってる。

ユダヤ人を運んだ車両。
スティーヴ・ライヒの「ディファレント・トレインズ」が脳内再生されます。
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ガス室の扉もあった。
展示品蒐集への執念を感じます。
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その辺の経緯をまとめた本が売店にあったけど買いませんでした。
そのかわり、すっごい重いわりに20ドルの図録を買いました。たぶんホロコーストに関する手近なリファレンスとしては決定版だと思う。いや来てよかった。

外は青空。芝生もいつの間にか緑になってた。
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今日(日曜)は日中でも12度とかで肌寒いんですけど、先週半ばは25度で上着いらずでした。夜は20時くらいまで真っ暗にならないくらい日が長くなりました。
日光に照らされた街が春っぽく香り、街に人が戻ったせいか他人の体臭を感じることも多くなって、嗅覚で社会が動き始めたことを知る今日この頃です。

* * *

食い物いくつか。
アジアンスーパーのあるショッピングモールで、ちょうど昼時だったのでポパイズ・ルイジアナ・キッチンというチェーンの店に入りました。
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チキンサンドうま。引っ越してきた当初に不動産屋さんと昼飯したの、確かここだったと思う。「私ここ好きなんですよ~」と言われて「ええおいしいですね~」と言いながら食べたけど、味はあまり覚えてなかった。多分、考えることがいっぱいありすぎたせい。
チキンサンドとコールスローと飲み物で10ドル。日本円で1260円と思うとおいおいっていう値段ですが、もはや換算しなくなってきた。換算し始めると何も買えないやと諦めたのと、他のものとの比較で値段を見定めるようになってきたためでしょう。
ちなみにセットで1000キロカロリーほど。こわい。

あと土曜の夜に、アジアンスーパーで買った日本のルーでカレーを煮ました。
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大阪で荷出ししてからだから少なくとも8カ月ぶりか。いや、9月に実家で食べたっけな。いずれにしてもめちゃくちゃ久しぶりです。懐かしくて食べ過ぎた。うまいんだけど、鍋を洗うときにすごい量の脂を食ってることを痛感します。タイカレーとかカレー粉で作るやつだと全然すっと洗えるのとは大違い。

あと、博物館から帰ってきて夕方小腹が空いたので、おやつとしてカーチョ・エ・ペペの偽物みたいなのを作りました。イタリアでも「真夜中のパスタ」として小腹が減ったときに食ってしまうやつらしい。パルミジャーノをすりおろして使うのが理想だが、そんないいものは今ないので代用。背徳感はトマトで軽減します。
うま。やっぱり背徳感はあった。
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ところで、冬の間寂しかったスーパーの棚が彩りを取り戻しました。供給網、そんなに外的要因でだめになったり大丈夫になったりするのでいいのかなあ。あと、東欧の事変からこっち、パスタが高くなった気がします。ついでにガソリンは露骨に高くなって政治問題になってますが、気の触れた隣人から攻め込まれてる人たちが聞いたら「こっちは生きるか死ぬかじゃ」とかいって呆れられるわな。

* * *

仕事の予定がやや疎な1週間だったため、この隙にと今までためてきた仕事を一気にほぼ完成形まで持っていきました。木、金あたりでちょっと寝不足になった。金曜夜は最近では極めて珍しいことに、日付が変わる前にQPキメてから寝たら大分回復した気がする。土曜にシフトが入っていてまた朝起きしないといけなかったからなんですが、実はシフトを作った人のミスで、本当は休みだったことが土曜昼前に判明。なんなら得した気分でだらだらしました。

毎日憂鬱な時期が冬とともに過ぎて、朝は特に何も考えずに起き、仕事に入れるようになっています。しかし息抜きすると足元を掬われる気がして(←心の安寧が訪れないタイプ)、次の方向性を模索しています。

* * *

■西山隆行『アメリカ政治講義』筑摩書房、2018年。
■千葉雅也『現代思想入門』講談社、2022年。

どっちもよかった。

2022年04月10日

休む週末

なぜかシフトが入っていない週。しかし仕事は詰め詰めで疲れました。全体的に沈滞した気分でした。こういうときは飯を食うのが面倒、という症状が現れます。ただ、こっちに来た頃のように、朝起きて「また一日が始まってしまった」と落ちるほどではない。

ぱっと終わるべき机の上の仕事が、横槍によって妙に手間のかかるものに化けました。これだったら出張して現場で対処する手もあった。でも出先でやるには調べ物が多かったのでDCにいてよかったという面もあります。つつがなくやり終えて振り返るに、やはりぱっと終えてよい仕事だった(当初の値踏みは正しかった)との思いを強くしました。

えいやで出掛ければ行けた出張に「行かない選択」をしたことに若干後悔したのもあり、金曜に学術方面で開かれた対面のフォーラムには無理矢理行って5年ぶりの人に挨拶し、あと新しい人と名刺交換してちょっと取り戻した気分になりました。

金曜深夜まで仕事をして、土曜は早起きして仕事フィニッシュ。ねむい。
でもこのまま土曜を終えるのも勿体ないので、ペンシルベニア通りというところでやってる恒例行事「桜祭り」を見に行きました。有料イベントらしいのですが、仕事先から招待券をいただいていました。
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桜はとうに散ったものの、そんなことはどうでもいいくらい人わんさかで、食べ物のブースには長蛇の列ができており、アニメと着物と侍、あと若干の高速鉄道、みたいな煮崩れ寸前のジャポニズムを目撃。ブースにいた招待券くれた方に挨拶してぐるっと回って会場を出ました。

ケネディセンターにエレーヌ・グリモーが来てラヴェルのピアコンをやるというのでそこそこ心が動きましたが、疲れてる感じがしたのでやめて帰宅。早めにシャワーを浴びてご飯を食べて、西海岸に最近引っ越してきた大学時代の友人と長話して寝ました。

当該友人、4年前まで西海岸に住んでいたので問題なく新生活に入っていると思っていたら、車のバンパーをさっそく凹ませたとか、何かの手続きが進まないとか、離婚後の養育費支払いと新しい彼女の経費でお金がないなどで若干落ちていたそうで意外でした。電話してきたのも日本語でおしゃべりしたかったかららしい。みんな何かしら背負ってんだね。

明けて日曜朝は、東京とつないで人事考課の面談です。
査定は形ばかりではあるものの、上司ととっくり話す半年に一度の機会でもあり、なんとなくそれなりに話したいことを用意して臨みます。今回の考課担当は最近管理職になった、弊管理人が初任地の千葉で最初についた先輩で、お互い「この組み合わせで面談とかウケますね」とか言いながら喋ってました。

DC赴任経験もある人なので、仕事迷子状態の弊管理人は「何が求められてるんですかね」的なことを随分聞かせてもらい、さすがというか「あ、なるほど」となるような示唆がいろいろ得られてよかったです。ま、ゆっくりでもいいからいろいろ考えながらやることにします。

休日よくやるブランチ。いつもはほうれん草で巣ごもり卵をやるんだけど、葉物を切らしていたため緑色に欠ける。
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日曜に至ってもまだ疲れを引きずっていたので、弊管理人の覚醒剤ことQPコーワゴールドをキメてからアジアンスーパー(家から近いエデンじゃなくて20km近く離れたH Martのほう)に買い出しに行ってきました。あとは諸々のメンテナンスをして、この週末は終了。

土日は日中10度ちょっとしかなくて肌寒かったです。このあと暖かくなるもよう。
この後はうって変わってシフトぎちぎちの1週間になります。ただし予定はそんなに入ってない。

* * *

大阪時代から気に入ってコーヒー飲むのに使っていた砥部焼の厚手の焼酎グラスにひびが入ってしまい残念。洗ってるときにお椀の上に落とした時だろうな。しかし捨てるに忍びなく、未練がましく戸棚の上のほうに置いてあります。

あと、海外給与の改定があって、インフレを反映して日本円での支給総額が若干上がったものの、円安によってドルでの受け取りが昨年より月$150くらい目減りしました。ファー!

* * *

当地、優秀な人は多分優秀なのだけど、飲食店とか小売、役所、郵便も、とにかく「人」が関わる仕組みが片っ端からだめで、ネットでできる商行為や手続きがまず信頼できると感じています。

テレビを見ていると、車のディーラーを訪ねたおねえさんが店舗に入っても誰からも目を向けられず、呼びかけても塩対応なのに辟易してネットで車を買う、というCMをやっていて、たぶん人が関与するサービスに対する不満は弊管理人のようなよそ者に限らないんでしょう。

日本にいるとなんとなくネットで全部進めるのは不安、店舗なりコールセンターなりで人と話してあれこれ聞きながらやりたいという気がしていたけど、それとは真逆で、今なら郵便で届いた本物かどうか分からない紙の請求書に対し、期日までに届くかどうか分からない郵便で小切手を送るより、証拠の残るカード決済のほうを選びます。
実際このところUSPSという郵便サービスで遅配や配達されない(!)というインシデントで支払いをしようとした人が遅延金を請求されるような事案が相次いだらしく、今使っている駐車場の会社から「できればカード払いに移行してください」という手紙が郵送で(!!)届きました。弊管理人は元よりカード払いなんですが……

AIが仕事を奪う、みたいな話があってもほんとかな?と若干眉に唾していましたが、情報技術に仕事を奪われるのは当地の労働者みたいな人たちだと思えば納得する。
話は違うけど、ゲイリブとか動物福祉とかもこっちにいると「あ、こういう概念が強烈に必要だったんだろうな」と思うことがあります。

* * *

大きな声で抑揚をつけてはっきり発話すると英語が通じることが多いので、声が大きくなってきたという自覚があります。大阪で話の通じないおじさんたちにこちらの考えを伝える必要があまりに多くて、小学校か塾の先生のような話し方になってきたのとほぼ同じ現象。

* * *

きょうの英語。
こちらの大統領が何かの質問に答えて「1点目は、2点目は、」というときにNumber one, ... Number two, ... とめっちゃ言うんですけど、それと同じかそれ以上によく使うのがbottom line です。Look, bottom line is this: (大切なことはですね、)とか。

これは日常会話ではあまり聞かないので、たぶん偉い人の演説とか政治方面の若干特殊な世界で使う言葉なのかも。

今月、政府を去る人が記者会見で、最後にいろんな人へのメッセージを述べたあと

  So bottom line, thank you.

と締めくくりました。そんな使い方するんだ。へえ。話を生真面目に要約する時のフレーズ
なのかと思っていましたが、そうじゃなくて、若干とっちらかってても強引にまとめに持っていく、「というわけで」みたいな言葉なんでしょうかね。

2022年04月03日

ピアノ

電子ピアノ、持ってくればよかったかもと思いながらこちらのアマゾンで物色し、結局買いました。大物の持ち物をあまり増やしたくなかったんだけど、この後も長いし。
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ものはカシオのCDP-S150。コンパクト、安い(にしても随分安いなと思ったら一時的に値引きになってたようで$349.99)。一応ウェイトつきのハンマーということで、これは数百ドル足しても著しく向上するものではないと判断し、余計な機能のないモデルを選びました。

去年の8月に大阪で荷出しをしてから7カ月余り鍵盤に触ってなかった。大学に入って実家を離れたときはピアノサークルに入ったし、就職したときも(確か)わりと早く電子ピアノを買ったので、これだけ空いたのは初めてかも。

タッチも音ももちろん本物とは大分違うが、鍵盤はつるつるのプラスチックではなく木の雰囲気を出そうとしているし、それなりの重さがあって満足してます。昔の日記を見たら、20年以上前の就職後に買ったヤマハのは10万円くらいしていたようで、弾いてみた感じそれには決して劣らないので、値段は随分下がったんだなと思いました。ちなみに日本に置いてきたローランドは2009年に買ったもので確か14万くらい。それともそんなに変わりません。

小曲の楽譜をいくつか印刷して少しずつさらっています。初日は破壊的にダメという感じでもなく、しかし細かい動きと正確な打鍵は相当弱っていました。が、6日目に入って指はだんだん動くようになってきました。家にいると時々鍵盤に触るので、やっぱり買ってよかったことにします。

* * *

これまで弊日記に登場していたアジアンスーパーはH Martという韓国系のところなんですが、近いといっても車で30分とかでそこそこの距離があります。
今週は、近所に住んでる上司に教えてもらったEden Center、エデンの中心は車で8分。
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  キャンユースピーク ベトナミーズ?

的な質問が飛び交うベトナム空間でした。フォーのお店とか、なんか甘そうなお茶のお店とかが並ぶショッピングモール。スーパーはH Martと違って入ると完全にアジアのにおい。
日本のものはそれほど多くない、インドのスパイスもそんなにないが、中国とか東南アジアの食材はすごいいっぱいある広いスーパーでした。ちょっと野菜が欲しい時とかはここかな。

* * *

なぜかベトナムづいており、
木曜日の午前中にDC市内で同僚とちょっと仕事をして出てきたら、ちょうどお昼の時間帯。
「時間あったらフォー食べません?」と言われ二つ返事で行きました。
引っ越してきたころからよく名前を聞いたアーリントンの「Pho75」。大/小とトッピングを選んで待つなり。
きた。
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肉充肉充。食後のアイスベトナムコーヒーもよい。

* * *

日曜は何度寝かした末にちょっとDCの博物館を見に行きましたが、やたら人が多かったのと、疲れている感じがしたので、あまり長居せずにマクドナルドで買い食いして帰ってきました。

* * *

夏時間のせいもあって19時過ぎまでほんのり明るく、疫病がひと落ち着きして職場周辺のオフィス街にはあからさまに人が増えました。出掛けられるということは出掛けないといけない、しかし出掛ける先は自分で企画しないといけない、それを面倒と思うタイプなので、よかったり悪かったり。というか有り体にいうとちょい悪い。

あと、例年の夏のように睡眠時間が短くなってきました。寝室は遮光カーテンだし、室温もほぼ一定なのにどうしてだろう。睡眠時間が短くなるときというのは体調がわりといいときなので、そっちが理由だろうか。というか体調がいいのだろうか。にわかに信じられないけど。

2022年03月27日

火の鳥やカレーなど

寒さがぶり返した週末、土曜は仕事で日曜は「休もう」との決意だけは固めたものの何をするかは決めてなく、昼前に布団を抜けてボルティモア響のページを見ていたら午後3時からストラヴィンスキーの「火の鳥」をやるというので、ネットでチケットを確保し地下鉄で北ベセスダ(東京=DCからみると川口ぐらいのところ。ただしいいとこのネイバーフッド)に行きました。歯医者と同じ駅でそれだけが嫌だったんだけど。雪がちらついてた。
ボルティモア響の拠点ホールは二つあって、ボルティモア(東京=DCからみると高崎くらい。ただし港町)とここらしい。ちょっと変わったところで、ステージの裏から見下ろす席を取りました。
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NAXOSでおなじみの地方交響楽団、財政難で何度も存続の危機を迎えているらしい。アットホームな感じだけど空席が目立っていました。合奏は思いのほか安定していて、管楽器の個人プレーも上手。22-23シーズンのパンフレットが出ていたので見てみると、超絶スターではないもののよく名の知られたソロイストを招いて協奏曲もやっているようで、えっなんか地元にあったら素敵な楽団じゃない?と思いました。でも杖ついてる老人ばっかだった。クラシックは若い世代の娯楽じゃないのかなあ。

* * *

アジアンスーパーで特にこれを作ろうというあてもなく買ってあったS&Bのカレー粉赤缶でドライカレーに挑戦。にんにく一かけとクミンシード(これはわざわざ買った)、冷蔵庫にあった巨大ピーマン半分、玉ねぎ半分、にんじん1本分くらい?と凍らせてあったトンカツ用くらいの豚肉1枚を適当に刻んで炒めて、カレー粉ぶっかけて塩で味をつけ、その辺にあったしょうがパウダーと醤油とケチャップと水をちょっと足してみた。
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ちょっとカレー粉が多かったみたいで苦みが出てしまった。「水を使わないカレー」信仰のせいで水が足りなかったかもしれない。もうちょっと水を入れて煮詰めるか、角切りトマトの缶を使ってみるか。あとは隠し味的にヨーグルトとか使いたいが、こちらのパッケージはでかいので迷う。
とはいえ初めてにしてはうまかった。3食分できました。これは仕事が立て込んで料理の時間が取りにくい平日の昼飯にいいかもしれない。次回はかなりいい線いくと思う。

* * *

3回接種の上、初回から3回目まで半年かかるため日本で打ち終わらなかったB型肝炎ワクチンの最終回を近所のスーパーの薬局で受けてきました。SARS-CoV-2はもちろん、インフルもこれも保険でカバーされて自己負担なし。職場の先輩によると息子さんのHPVワクチンもタダだったそうです。予約はネットで前日まで取れる。予防接種だけは(?)アメリカの完勝。

* * *

25日で渡米半年となりました。これをあと5回か……
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(これは前回行ったケネディセンターからバージニアのロズリン方向を撮ったもの)

* * *

鳥つながりで今日の英語。
I get a little bit of goose bumps. (ちょっと鳥肌立ってます)

2022年03月20日

桜2022

日本を出る前に、ワシントン勤務経験のある大阪の同僚から「タイダルベースンの桜きれいですよ」と言われていたので、見に行ってきました。たぶん週半ばくらいに満開を迎えて、次の週末だと若干盛りを過ぎるくらいかなあと思って、この機会に。

おおなんかちゃんと桜じゃないですか。奥のはジェファーソン記念堂。
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8-9分咲きくらいですかね。十分きれいでした。というか蕾が多少残ってるくらいの時期のほうが勢いがあって好き。
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樹種もソメイヨシノだけでなくて、もちっとピンクの濃いのもありました。エドヒガン?
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169mのワシントン記念塔も近くで見たのは初めてかもしれない。
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それにしてもなんか最近屹立してるものを撮影することが多いな。

こちらはバージニア方面です。
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ちょっと風が強くて寒めだったけど意外と普通にお花見できてよかったです。

* * *

話は前後しますが、土曜の夜にケネディセンター(宇宙じゃないやつ)にまたナショナル響を聞きに行ってきました。昼にネットでチケット買ってふらっと行けるのいいですね。しかも7000円くらいで1階ど真ん中のいい席が買えた。

ショパコン1番で、ソロはヤン・リシエツキJan Lisieckiという初めて聞くポーランド系カナダ人の若いピアニスト。演奏は当たりで、すごく個性的で独特のアゴーギグを唸らせるんだけど帳尻はしっかり合い、オーケストラもちゃんと見ているという「計算づくの変人」とみた。これ、主要コンクールから出てきた人じゃないだろうと思ってプロフィールを確かめたらやっぱりそう。楽器は違うがウート・ウーギの時もこんな印象だった。

最後は総立ちでソロイストを4回くらい呼び戻し、アンコールもあって、前回ここの聴衆は淡泊なのかなと思ったのはそうではなく、いいものはちゃんと褒める人たちらしいことは分かりました。

2022年03月12日

ヘビー春雪

金曜にふと見たら土曜の天気予報に雪マークが付いていて、えっ本当?と思っているうちに夜のニュースで「爆弾低気圧くるかも」というのを目にしました。金曜夜、帰宅するため職場を出てエレベーターで「L(ロビーの意)」ボタンを押す瞬間は心底ほっとします。これから数十時間は自分のものだと。しかも翌土曜日が荒天と分かっているので、今日はどこへ出掛けようかと考える必要もない。

寝て起きて、二度寝・三度寝して昼、外を見たらこれ。雪が3時20分の方向に飛んでいってます。
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巣ごもり卵とトマトとトーストとインスタントコーヒーでお腹を満たしたらあとは追いついてないあれやこれやを。その前にとりあえずセラピーとして、シューベルト晩年のソナタを聴きながら日記を書きます。――外は粉糖をぱっと振ったくらいの雪の積もり方だったのが、15時近くなって普通の雪景色になってきました。外は氷点下3度。

* * *

今週は職場にわりと人が多く、朝から晩までむちゃくちゃ忙しい同僚と会ったら「さすがにそろそろ休みたいですね」と漏らしていたのが印象的でした。2月の半ば、疫病にかかって高熱が出た当日に在宅で働き、翌日休んだあと翌々日からまた在宅で働き始めてこちら休んでないのだと。そういえば職場内のチャットで彼が感染報告をした時、直上の上司が「お大事に。家でできる仕事をしてください」みたいなメッセージを返していて、前からおかしいと思ってたけどこいつは本物の人格障害だなと戦慄したものです。

その疲れた彼から「たった2ページの資料が読んでも頭に入ってこないんですよ」と打ち明けられて、(それは後遺症なのでは)と思ったのですが憶測なので言いませんでした。それは措いても、疲労でそうなるだろうというのは分かる。弊管理人の業務量はとても彼の比じゃないけど、注意がすごく散漫になっているのを感じます。

何かを読もうと思ってウインドウを開け、気になる記述を別タブで開き、読み始めるとメールの受信音がするので緊急対応が必要なものでないかどうかチェックし、そのメールは後で処理が必要だなと判断すると見えるように置いておく、と作業しているうちにブラウザの上部にはタブがすごい数並び、お腹が減ってきて夕飯を食べ、また再開していろいろ読んでいるうちに夜が更けてきて、朝を迎えた日本からのメールがどかどか入り、(このあたりで出社した日は地下鉄か車で帰り)、メールやチャットでやりとりしているうちにシャワーを浴びそこねて2時に電池が切れるように寝る。起きるとまた80本くらいメールがたまっていて、寝床からタブレットでいらないものをとりあえずばしばし消してから体を起こす、というのが平日の常。

マルチタスクは効率が良くなく、頭への悪影響も明白です。
職場の優秀な同僚も、メールの多さに「頭がおかしくなりそう」と言っていました。東京は東京で疲労からミスが頻発したようで部長の檄が飛んでました。しかし解決策は「気をつけろ」「頑張れ」しかない。その部長も宿直室の利用者に名前があり、実際泊まっているのかは知らないが泊まり込みなのかもしれない。仕組みに余裕がなさすぎて、「人」(しかも頼れる人)に過重な負担がかかっているように思われます。なんだろうね、これは。

* * *

数年前に同じ部にいて、今はオーストリアの職場の先輩に用務でメールをしたら「お久しぶり。お元気ですか」と返ってきたので、「痩せて運動不足で悩みが深いですが、元気でないかと言われると元気でないほどではない」的なきちんとした分析を返信したのですが、多分そういうのは求められていない。

* * *

パーティションの向こうにいる同期は滞在がもうすぐ3年になるので、アパートの退去時にどの程度きれいにして出て行くものなのかなど聞いていたら「もう帰る時のことを考えてるの?」と言われました。確かに毎日十数分は帰ること/帰った時にやりたいことを考えてます。まだまだなのに。
といってるうちに、弊管理人より半年早く赴任し、年末に一緒に出掛けた他社の人はそろそろ滞在1年を迎えます。がちゃがちゃしているうちに時間が過ぎていってほしい。

* * *

野菜とハムか何かを炒めて茹でた麺を絡めれば1食になるという手軽さのため、ほぼ毎日作って食べているパスタですが、クリームベースのは使い切れないようなパッケージの生クリームを買うのが嫌で試していませんでした。しかしふとネットで見たレシピに「ほうれん草や玉ねぎに小麦粉をちょっとかけて炒めた上で牛乳とコンソメを足す」という方法が書かれていて、やってみたらちゃんとできました。1食に牛乳200mlと書いてあって、いやそんなたくさん?しゃばしゃばにならない?と思って減らして作ってみたら若干重めのソースになったので牛乳は結構入れていいようです。
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ただ今週は自炊が面倒になって何回か端折りました。2月の終わりに戦争が始まってから弊管理人の受け持ち分野以外のところにスポットが当たるようになり、アウトプットが減って気が抜けたのかもしれません。東京からちょっと救援を求められたときに若干塩対応した(でもアウトプットはした)ら声がかからなくなりました。そういう時だってあるじゃん、電話でのコミュニケーションって面倒だな。でもそれも思い過ごしの可能性はある。

* * *

日本から持ってきた小皿を一つ割ってしまった。
確か100円ショップで買ったやつなので大した損失じゃないんだけど残念。
今までお世話になりました。さようなら。

2022年03月06日

桜だ

桜かな?
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花びらに切れ込みが入ってるので多分桜だと思いますが、色の濃さからするとソメイヨシノではないし、ヤマザクラ?にしては葉っぱが出てないし。わからない。
クラレンドンClarendonというちょっといいとこの地域まで散歩していったら、ホールフーズというスーパーの脇に咲いてました。

ホールフーズは初めて行きましたが、デリもパンもケーキもなかなかおいしそう。家の近くのハリス・ティーターよりもいい感じ。アーリントン郡の自由が丘(というのもなんだが)みたいなところだからかもしれないけど。いいなあ。ちなみにうちのあたりはアーリントン郡の八王子だと思ってます。都市圏の西端かつ交通の拠点なので。

あと、コンテナストアという、自社ブランドじゃないんだけどどことなく無印っぽい雑貨店も冷やかしました。名前の通り収納用品が中心ですが、文房具も充実していました。ちょっと欲しいかなと思うものは写真を撮って帰宅。アマゾンのほうが格段に安かったです。これはあるある。

雲がやや厚く風もあり、雨が来そうな匂いがしていたものの、気温は25度まで上がり、白人の皆さんは半袖シャツに短パンという夏の装い。弊管理人も襟のある長袖シャツの袖をまくって歩いてました。
DCの桜の見頃までまだ3週間くらいあるとのことですが、もうちょっと早いかもしれない。

* * *

昼近くに起きて真っ暗にしている寝室から居間に出ると、ふわっと暖かい感じがしました。
気温そのものは真冬と1度くらいしか変わらないんだけど、湿度は冬の間26%とかだったのが44%になっていました。ようやく建物内の暖房が弱められる時期に入ったのか。

* * *

書き忘れていましたが、歯科は先週の通院でいったん区切りとなりました。
半年後にまたルーティンの検診を受けにいきます。なんとか口腔衛生を保って3年間逃げ切りたいです。

* * *

未婚男性の死亡年齢中央値が67歳なので、帰国したら残りは20年。
最後の数年は何らかの健康問題を抱えて動き回ることがままならないとすると、ざくっと15年をどう使うか。15年というと、何かを勉強して走り出してみるくらいの時間か。そう思うと間延びしなくてちょうどよく、何をするかを考える気にもなります。

2022年02月28日

冬を終える

金曜から持ち越した仕事を土曜の昼過ぎまでやって、本格的に日が傾く前にちょっと散歩、ということで家からわりと近いポトマック・オーバールック・リージョナル・パークに行きました。
ポトマック川を望める木立の中の散歩道、のはずでしたが特にスペクタクルなことはなく、犬を散歩させているおじさんなどに出会いつつ戻る。
たぶんその辺の住民がちょっと歩きに来るような公園で、小さな駐車場は車が次々に入れ替わっていました。
けがをした猛禽類が保護されてる小屋も。
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Red Shouldered Hawkはカタアカノスリ。
もう自然に帰しても生きていけないということでここで終生暮らすようです。
達観してますか。そうでもないですか。

林の中を歩きながらいろいろ考えていました。
というか、いまの生活の主要な毒はいろいろ考えることじゃないかという気がする。
一言でいうと「生き方の見当がつかない」なんだけど、書いてしまうとそれは当然で、20年近く死後の生を生きている、カウントダウンではなく永遠のカウントアップの中にいるようなものだから。朝が憂鬱なのもそういうことかもしれない。

土曜は結局夕方遅くに仕事が着地して、そのあと何をしたかよく覚えてないくらいうだうだして寝ました。

* * *

4月のどこかに入るかもと思っていた仕事がほぼ入らないことが確定したので、ピッツバーグであるコンサートのチケットを買ってしまいました。

その勢いで日曜はケネディセンターに行ってノセダ指揮のナショナル響でバッハ、ヴィラ=ロボス、そしてマーラー。
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みんなわりとカジュアルに立ち上がって拍手するわりには日本みたいにしつこくアンコールしない。演目終わったらさっさと帰って行きました。
ちなみにパイプオルガンのパイプの下にいるバラモスみたいな方は、マーラー4番の最後で出てくるソプラノです。

ケネディセンター、10年ぶりです。前回は2012年1月
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照らし合わせたわけではないけど、10年前とほぼ同じ場所の写真になってました。2カ月弱の差があることを考えると、たぶん時刻も同じくらい。
当時は「ひょっとしたらそのうちここに住むかもしれない」くらいは思ってたはず。
迂闊にもほんとに住んでしまった。この橋を渡って通勤するとは思ってなかった。

* * *

絵に描いたような戦争が始まってしまい、忙しい人たちは毎日忙しいです。しかし今日は背後で「これで戦争の当事国だったらこんなもんでは済まない」と話す声。なるほどな。

どんぴしゃではない弊管理人も少し噛んでいますし、手伝ってと言われればいくらでも手伝いますが、やっぱり専門性の壁というものはあり、餅屋でない人の作った餅はどうなのという気もするので、ちょっとここしばらくはお座敷の声がかからなければ、できればインプットを中心とする期間にさせていただきたいなと……

* * *

家の駐車場は3カ月の無料期間が終わり、有料化の手続きにうまく移行できなかったらしく出入り口のゲートを通れなくなってました。駐車場の管理会社に電話して支払い手続き。電話やだなーという気持ちももうあまりなくなり(諦めたともいう)幼児みたいな英語でも用が足せるようになってます。

* * *

しかし長期出張感は相変わらずであって、このところまた夢を見るようになってきましたが、日本にいる夢が多いです。朝は少し早く目覚め、2~3回は短編の夢を見て「えいや」と起きる感じ。大阪を出るとき、大半の家財をトランクルームに入れるべく引っ越し屋さんががしがし荷造りしているのを見ながら「まるで3年間冷凍保存するみたい」と思いました。今もそれは変わらりません。

そうこうしているうちに大学のサークルで一緒だった同級生がカリフォルニアにきました。数年前に一度、日本企業の研究者として西海岸に駐在して、いる間に転職して日本に戻り、今回また当地の某巨大IT企業に移り、ついでについてきたくないと言った妻子とは離別を選んでマンションもあげて移住した。アメリカが2回目のせいか元から要領がいいのか知らないが、さくさく家を決めてスーパーに行ったりレンタカー借りて動き回ったりしていて強い。そして嬉しそう。

あと、3月が始まりそう。

* * *

■Christian Reus-Smit, International Relations: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2020.

■古田徹也『いつもの言葉を哲学する』朝日新聞出版、2021年。

2022年02月16日

三寒四温

暖かい日と寒い日を行ったり来たりしていますが、暖かい日は確実に暖かくなっていて、昼間は20度に届くのではという日も出てきました。

これは雪が降って寒かった日曜日の会食。ペンクォーターというDC中心部の地区にあるスペイン料理屋さんJaleoでパエリアとかタパスとか。
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土曜に何をしたか全く思い出せません。たぶん何もしなかったんだと思う。なんで何もしなかったのかもよく分からないけど、たぶん疲れていたんだと思う。

* * *

パエリアおいしかったという日記書こう、と思いながら
日曜夜はだらだら過ごし、
月曜は忙しくて出勤する時間もなく、
火曜は出勤まではしたものの、うっかり手を付けた仕事で帰宅がてっぺん近くになり(しかも職場で牛丼のつゆをズボンにぶっかけるというアクシデント付き)、
水曜(今日)はほぼ一日中、外仕事でここに至りました。

今日は昼に仕事関係の会食をしてから、午後いっぱい、ようやく開かれた対面の会議へ。DCの会議場なんですけど、講演に登壇した人が「あああようやく対面の会議。Zoomの会議より全然いいですね」と言って会場が和みました。たぶん多くの人が同意したんだと思う。

DCでは、6月までは少なくとも出勤を大幅減にする役所があり、そこは一部のオフィスを手放してしまったそうで、「もう職場に人は戻ってこないのかもしれないですね」というような話が昼の会食で出ました。郊外に住んでる人は家から仕事ができちゃう便利さに気付いてしまったのだと。とはいうものの、オンライン会議って「初めまして」には向かないんですよね、どうしたもんですかねといって別れたところでした。

でも、少なくともネットワーキングの場として対面の会議や学会は戻ってくるのかもしれない、と午後の仕事を終えて思い直しました。今日の会議では、会場で知ってる人を見かけたり、小休止の時間に講師を捕まえて質問してる人を目にしたりして、そうそうこれはオンラインでは無理だ、と思い出したものです。人類に与えられた「一回休み」が2年を超えるに及んで、忘れてしまったことは多いのだけど、何かのきっかけで「やっぱりこっちのがいいや」と日常に戻っていくことはわりと多そう。

* * *

朝は1日が始まるのが億劫すぎて布団でウダウダし、夜はこれ以上いろいろ考えなくていい時間が愛おしくてなかなか寝ないので、遅寝遅起きのよくない生活がずっと続いています。

しかし、1日の始め方のコツが少し分かってきました。目覚めて15分はウダウダしてよいが、その後はわりと意識がはっきりしてくるので布団から出て、白湯を飲んで、凍らせてあったブリオッシュ(パッケージがでかいため)を焼いてインスタントコーヒーと一緒に食べたあたりで億劫感がだいたいなくなっています。布団から出るところで少し頑張って、後はルーティンに入ってしまうのがミソ。

* * *

しかし職場の人も含め、何が楽しうてここにいるのかなと思う日々は相変わらずです。
春が来たら少し分かるのだろうか。まあ渡米してから日が短くなり、寒くなる一方だったからね。でも春が来ても分からなかったりして。

2022年02月05日

北西さんぽ

東部悪天候の木曜、金曜は首都圏でも雨降り。なぜか10度を超える暖かい2日間で、室温は24度くらいまでいきました。湿度も普段は28%前後でかっさかさなのに34%くらいまでいった。館内の暖房を弱めたのか?

で、一転ピーカンの土曜日。気温は真っ昼間でも-1度。DC北西、LeDroit Park(ルドロワ・パーク。読み方は音で聞いたことがないので自信ない)に散歩に行きました。
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19世紀後半にワシントン郊外の白人用ゲーテッド・コミュニティとして始まった街区。南北戦争後に黒人の創設されたハワード大学に隣接していて、ワシントン中心部に抜けるために通らせろよ!みたいな揉め事から後に開かれ、上層黒人も住んだらしい。
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アメリカなのに(ってこともないか)ビクトリア様式の家が今でも残っていて、街歩きのためのコースも設定されています。看板を読みながら地区を回るのは面白いけど、何か盛り上がりどころがあるわけではなく、これは人を連れてくるにはちょっと厳しいかもしれん。ただこの下のやつはわりと有名な壁画だったらしい。
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ハワード大学には医学部があって、弊管理人の半年前に赴任した他社の知り合いがワクチン打って失神したときにここの大学病院に運ばれたそうです。
それはともかく、黒人の代表的な教育機関らしく、戦時中には黒人にサーブしないカフェテリアへの抵抗として座席を占拠する運動をしたり、オバマが卒業式に招かれたり、今の副大統領を輩出したりといろいろ。
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ぐるっと回ったあと西に向かって、先日チリドッグを食べたUストリートというこれまた黒い界隈を散歩し、ついでにハナマーケットという日本食材店を冷やかして(特に買いたい物はなかった)、DC中心部の地下鉄駅から帰ってきました。
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17ストリートというまっすぐな道を降りてきたら、横断歩道にレインボーな線が引いてあったり、BLM+トランスの標語が掲げてあったりした。ゲイバーが何軒かある界隈だそうです。そういえばルドロワ・パークの家も大半の家の窓にBLMっていう札が外に見えるように置いてあった。運動は今どうなってるんだろう。

* * *

アジアンスーパーに買い出しに行ったら、帰りにハイウェイを反対方向に走ってしまい思わぬドライブになった。行きは簡単なわりに、帰りはすんなり家に着けることがあまりないのでそのうち研究しよう。

* * *

それで今週はどうだったかというと、やはり座ったままの仕事でびゅんって過ぎてしまった1週間でした。中旬に出張入るかな?と思って準備や勉強が遅れているのに焦っていましたが、それは1カ月ほど先に延期になりました。なので、今月はまだ挨拶していない仕事先と飯を食う機会をちょっと入れたい。あと勉強。

部屋でスクワットしただけで筋肉痛になり、いよいよ血栓症で死ぬんじゃないかというくらい動いてない生活に危機感が高まってきました。今日、散歩に出たのもそれ。

* * *

今後の身の振り方をいろいろ考えていて、この方向はいいなというのが一つ思い浮かびました。でも何か前にもこんな生き方について考えたことがあるような、と思ったら学生時代に書きかけて完成してない小説の主人公だった。
大学2年のときに小説でちょっとした賞をもらって、その勢いで着手したやつ。確か。
ということで、なんかこう徹底して自分の外側に出ていけてないが、若書きの世界にひょっとして活路、という話かもしれん。

[追記]
で、HDDの奥深くにあった2000年のファイルを開いてみた。20世紀最後の夏の匂いが立ち上って、ナイーブで頭のいい子が周到に組み立てた物語が動き出した。そして書かれていたのはほとんど今の弊管理人を先取りしたような人物で、脈拍が上がった。これ極めて面白いけどなんで完成しなかったんだろう。そしてこの邂逅そのものが小説になりそうな気さえする。

* * *

近場のスーパーのセルフレジで、バーコードのついてない野菜や欲しい分だけ袋に入れるケーキなどは、自分で品名を検索して個数を入れればいいという買い方が分かったため、ドーナツ(1個99セント)を買いました。

甘い物欲求はこれで完全に満たせることが分かったので暫く活用すると思います。
甘くて脂っこいので半分に切ってお茶するという、さっちゃんな食べ方をしています。

2022年01月30日

ジョージタウン散歩

土曜が夜中までのシフトで、11時まで寝てた日曜。昼過ぎからDC西側、歴史的建造物がたくさん残ってるジョージタウンに行きました。中央省庁のキャリアさんがときどき行政学の修士やりに留学するジョージタウン大学があります。
この地域は多くの建物が地区200年以上。いいとこのネイバーフッドなんですかね。
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時間指定のチケット(無料)を取ってあったので、ダンバートン・オークス博物館に直行。
アメリカの外交官、ブリスが1920年に買い取って手を入れた建物(1801年築)と庭があります。1940年にハーバード大に寄贈され、ビザンチン文化とコロンブス以前の中南米文化研究の施設となったとのこと。
なんか聞いたことある名前だなと思ったら、あれだ。1944年に米英露が集まってやったダンバートン・オークス会議。国際連合設立の基礎になったやつ。山川の世界史用語集に出てくるマニアックな言葉だったような。
そんで、会場は音楽室になってるここだったらしい。
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解説によると、1920年代のスタインウェイのピアノが左下に写ってますが、この上にあったパデレフスキの写真はポーランド野郎だからということで会議の時は取っ払ったと。この場所はジョージタウンの中で一番高いところにあって、8月下旬からの会議にはちょうど涼しくていいというのが国務省に選定された理由の一つだそうです。夏そんな暑いの?

そんなに大きな博物館ではないですが、大学の施設だけあって展示は解説が丁寧でいいです。
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東ローマ帝国時代の緘印の変遷が特集されてましたが……そういうマニアックなの好きよ。
プレコロンビアンのほうも「産褥死は戦死と同等に扱われていた」など興味深い。
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思いがけず地中海世界、中南米への旅情をそそられました。

ちょっと歩いてゆっくり帰りましょう。たぶん氷点下で寒いけど。
なんか腹がオレンジ色のなかなかガタイのいい(体長25cmくらいありそう)野鳥が民家の庭にいっぱいいるけどなんだろうと思ったら、アメリカン・ロビン(コマツグミ)というそうです。
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ジョージタウンは食べ物とか服とかのお店がいっぱい並んでいます。
特に買うものもなくスルー。そういえばレーガン空港に向かう飛行機もDCの風景ですね。
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バージニアのロズリンに入っていく橋の上から。
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正面はウォーターゲート事件のウォーターゲートホテルです。先月の上旬に仕事でちょっと行ったんですけど、もう2カ月近くたつのか。暖かくなったらポトマック河畔を散歩したいです。

* * *

帰ってきて、ふとデカフのインスタントで砂糖入りミルクコーヒー淹れて飲みました。
おいしい……なんで今まで砂糖入れようと思わなかったんだ……

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そういえば先週末の降雪のとき、「あっ、これで『今日はどこへ行こうか』と考えないで済む」と心のかなり底からほっとしてしまい、相当だめだな弊管理人と思ったことを思い出しました。備忘。

* * *

東京の出身部では疫病にかかったおじさん職位2人が復帰。おじさん頭(かしら)のほうは中等症IIまでいったそうで、退院したけどしばらく在宅で仕事するそうです。というか他の部でも発熱や感染が続発し、会社全体がすこーし在宅方面にシフトした。ご無事で。
[追記:部内でもう若くない若者職位1人も感染して(弊管理人は知らなかった)さきほど復帰の知らせ。やっぱりこれまでの波とはわけが違うのな]

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週が明けるー
2月がくるー
やること色々あるのになんか進まないー

2022年01月29日

睦月は暮れていく

家でグリーンカレー。
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焼き鳥の缶詰くらいの小さな缶のペーストにココナツミルクを加えて延ばし、鶏肉やナス、ピーマンを入れて煮込んでできあがり。本場の缶なので結構辛くておいしいと思う。ただし加える油分の多さに引きました。量も結構すごい。この写真のが最近買った28cmの炒め鍋です。
もうちょっとしゃばしゃばでもいいんだけど、水を加えればいいんだろうか。シチューだと思えばこれでいいのか。

* * *

今週も何したっけなくらいの感じで過ぎてしまいました。
半分以上、在宅。しかも金曜は家から一歩も出なかった。いよいよ足腰がまずいのではないか。あと目も。あ、あと静脈の血栓とか心配。
情報をどんどん仕分けて濾過していくのに疲れて、ロッキングチェアでぐったりして、また机に戻るという一日。でアウトプットは何なのかというとまあ細かい話ばかりです。危機感はそのあたりに由来している。

でも今週は当地に来てから初めてのオンライン通話仕事をして、一応のアウトプットもした(まだ世に出てはいないが発射台に委ねた)ので、そこはよかったかなという気がする。Otterというディクテーションアプリを稼働させていたら、弊管理人の英語もほぼちゃんと書き起こされていて地味に嬉しかった。

動かないのでお腹が減らず、この数日で何食か抜きました。それでまた生活の起伏も意欲もなくなっていくのでよくない徴候です。便通もリズムを失いそうでこれもよくない。自分に3食食わせるということの面倒臭さが増してくるといろんなものが崩れていく音がします。

でまた土曜も座りっぱなしで仕事。外は-6度、東海岸に爆弾低気圧。しかし家のあたりはそこまででもなく昼から青空でした。17:30くらいまで暗くならないのも春遠からじでよい。

* * *

会社貸与のPCがUSBポートに何を挿しても認識しなくなって困ったなあと思っているうちに動作が固まってしまい、ご臨終かと思って強制的に電源を切って入れ直したら全て治りました。

* * *

とまあ、沈滞した状況ばかりのこのところの日記ですが、逆に言うとこれまで、その時々にどういう気持ちでいたかをあまり書いてこなかったと思うんですよね。
過去の日記にダイブしてみると、2012年くらいから17年くらいまでかなり沈んでいて、18年に回復し、19年後半にまた調子崩している様子は分かるのですけど、何によってどう沈滞していたかがよく分からなくなっています。19年くらいまでくると何があったかは覚えているのですが。なのでもう少しその時々思っていたことを書いてもよかろうと。

こうしてみると、11月にグラスゴーで久しぶりに一緒に仕事をした元同僚から「知り合って10年以上になるけど、楽しそうだったところを見たことがない」と言われたのもよくわかります。そして、5年くらい前の日記にも「ほっとくと何もしないので降ってくるタスクは避けないようにしている」的なことが書いてあり、この貧乏性が一貫して自分を傷めてきたことが窺えました。確かに芸は広がったけど、この何年かはそれが枯渇に向かわせている感じもあります。

その一方で、大阪の若手ちゃんから「(弊管理人)さん帰ってこないかなーって言われてますよ」と嬉しいメッセージをもらい、良くも悪くもハイテンションでばっさばさ仕事をさばいていた大阪時代の決算は黒字だったのかしら、上記のような自己評価はまだ早いのかもしれないという気になったりもします。でも、じゃあいつが適切なのか、というかこういう揺れが、うかうかと20年も同じ会社にいてしまった原因だろうな。

* * *

きょう知った英語は Nor'easter です。北米東海岸を襲う嵐のことで、典型的には9月~4月。North Easterを圧縮したもの。そんなに圧縮率よくないけど。この言葉がそのままNOAA(海洋大気局)からの注意報に出てきます。ニュースでは bomb cyclone という言葉も併用されています。爆弾低気圧はこれの直訳だそうです。こちらは気象用語ではなく、マスコミ用語。「ゲリラ豪雨」みたいですね。

2022年01月23日

夜遊び

土日は休みました。

わりと疲れていたらしく、昼近くまで9時間寝て起きた土曜の朝はかなりすっきり。
年末に遊んだ友達にLINEで「何してますか」と呼びかけたら夕飯を食べることになりました。彼が住んでいるDCのローガンサークル近くのちょっとした夜の街に出掛けると、目当ての中華料理屋が疫病により店内飲食をやめており、彷徨うことに。
辿り着いたのは黒い街区のUストリート、Ben's Chili Bowlでオバマが好きだというチリドックをいただきます。
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むちゃくちゃジャンク。しかし地元民はソーダではなくおっそろしく甘そうなシェイクをすすりながらこれを食っていた。チリはどこかでぴりっと辛くて美味、フレンチフライもうまいんだけど、深夜に至るまでお腹の中で膨張しつつ存在感を発揮していました。

ちょうど前にワシントンにいた東京のおにいさまからちょっとした仕事の電話がきて、チリドッグ食ってると伝えたら「いーなー、楽しそうだなー」と言われてしまった。

ちょっと一杯いきましょうか、ということで河岸を変えてBusboys and Poetsというお店でビールとサングリアを飲んだら結構回りました。写真忘れたけど、周囲を見てるとお料理の盛りもよさそうで、食事から飲みまでここで間に合うなと思いました。なのに22時終了というよい子営業。-4度の中、地下鉄に乗って帰って寝ました。初めてかもしれない、土曜の夜らしく遊んだの。なんかまた一つ、日本に置いてきたものを取り戻した感じがした。

* * *

日曜も結局寝坊して、雑用をいろいろやったあとアジアンスーパーに買い出しに行きました。タイヤの問題が解決したので、運転中の心配が一つ減ってよかったです。なんとなく右側通行にも馴染んできた。けど油断禁物。

・うちにあるフライパンは20cmのおままごとみたいなやつ一つで、ちょっと鍋を振ると中身がこぼれそうになるので、28cmのwok pan(炒め鍋。フライパンよりちょっと深い)を買いました。24cmのフライパンもあったんだけど、大は小を兼ねるということででかいほうにしたら、家に帰って台所に置いてみるとほんとにでかい。でもパスタ茹でて具と和える時にがちゃがちゃと混ぜても周りにこぼれたりしない安心感はありました。買ってよかった。$12.99(その辺のスーパーで買うと倍くらいする)

・あとは魚。またサバも芸がないかなと思ったら今日はSpanish Mackerelが安い。調べたら「サワラ」だそうです。煮付けと味噌漬けをやってみるか

・年末にお呼ばれでいただいたグリーンカレーが辛くておいしかったので、多分これだろうと思うグリーンカレーペーストの缶を買いました。$1.49。安い。ナスも確保。あとはココナッツミルクと鶏肉を家の下のスーパーで仕入れればできそうな気がする。こちらのナスは大ぶりなので、味噌炒めにも流用しよう

・パン粉も。そのうちですけど、やっぱり揚げ物食べたい。サケフライか何かがいいな。こちらは油はペットボトルにでも入れてゴミに出してしまえばいいらしいのでそこのところの処理の心配はない

* * *

ときどきキーワードを確認するということで、

■岡本裕一朗『アメリカ現代思想の教室』PHP研究所、2022年。

リベラリズム(ロールズ、1971『正義論』)=個人の自由+弱者救済
 ・個人が追求する「善」の間の「公平さ(公正)」が「正義」
 ・普遍性←カント
 *WWII後の「リベラル」=反共
 *アメリカは中央政府による福祉政策←ルーズベルト「欠乏からの自由」
  ←→ヨーロッパの自由放任的リベラリズム
リバタリアニズム(ノージック、1974『アナーキー・国家・ユートピア』)
 ・経済的自由を含めた個人の自由重視、最小国家
 ・「権原」正当に獲得したものに対する所有の正当性←ロック
 ・勤労収入への課税は強制労働(←→格差原理)
共通性
 ・個々人の生き方の多様性=選択主体としての「個人」重視

コミュニタリアニズム
 ・マッキンタイア、1981『美徳なき時代』:共同体の「共通善」←アリストテレス
 ・サンデル、1982『リベラリズムと正義の限界』:「負荷なき自己」批判
 ・テイラー、1985「アトミズム」:承認を通じた個人のアイデンティティ形成
  ・90年代の多文化主義:共同体間の承認(承認の政治、差異の政治)
  *「単一文化」を前提、共同体内の差異
  *リベラル・デモクラシーからも多文化主義は擁護可能

ネオ・プラグマティズム(ローティ)
 ・旧プラは経験、心、意識を語る/新プラは言語を語る(言語論的転回)
 ・合意としての真理
 ・リベラリズムへの接近(80s)、自文化中心主義からのロールズ再評価
 ・アイロニズム(反本質主義、可謬主義)
 ・文化左翼(ポストモダン、カルスタ、ポリコレ)批判(90s)と祖国アメリカ回帰
  ←経済的不平等への対処不能性

歴史の終わり
 ・フクヤマ:対立の解消(コジェーヴ、ヘーゲル的弁証法の終了)
  ←デリダ、ジジェクの批判、ただしオルタナティヴ提示不能
 ・ネオリベ(フリードマン~):福祉主義的介入批判
 ・グローバリゼーション:中間層の没落
  →国民国家の失墜→ネグリ、ハート『〈帝国〉』
  *↑ハズレ。cf.ブレクジット、トランプ
 ・ハンチントン「文明の衝突」
 ・ポストヒューマン(フクヤマ)→バイオ、情報技術。カーツワイル

新反動主義
 ・リバタリアニズムの3形態=
   ネオリベ(グローバリゼーション)
   カリフォルニアン・イデオロギー:ヒッピー、ハッカー、国家干渉の排除
   新反動主義、オルタナ右翼(内政):自由に基づく民主主義否定
    ティール:サイバースペース、宇宙、海上都市
     ヤーヴィン「新官房学Neocameralism」:経営体としての国家、効率性>平等
    ネオコン:小さな政府、経済的自由、自由貿易、グローバリゼーション
    ←→paleo-con:移民制限、保護貿易、孤立主義
    ランド「暗黒の啓蒙」民主主義=衆愚、平等、PC、融合、調和批判
    →「右派加速主義」遺伝子改変、徹底的分裂、人間の限界突破

社会主義
 ・ミレニアル世代、サンダース(実態は社会民主主義)支持
 ・根源的平等性radical equality:医療を含めた必要物へのアクセス(バトラー)
 ・ポスト資本主義:メイソン「シェアリング・エコノミー」、金融システム国有化
 ・スルニチェクとウィリアムズの左派加速主義:テクノロジー活用、労働解放、BI
 ・ハラリの疑念:テクノロジーは平等ではなく「無用者階級、劣等カースト」を生む
 ・ケリー「ミラーワールド」

2022年01月21日

ドーナツ

ドーナツ食べたかったんですよね。しかしこれまで機会がなく。
職場に人が戻り始める、その最初のあたりの日に出社したら独りでいた同僚に「コーヒー飲みにいきましょう、コーヒー」といって夕方の街に出たのですが、どこもあいてない。なんで?DC中心部がゴーストタウンみたいになってるの、あれか、疫病でみんな出社停止になっちゃったのか。
ということで手近なドーナツ屋でテイクアウトして、結局職場の給湯室でコーヒー淹れて飲みました。
なんだっけ、チョコレート・バースデーケーキみたいな名前のやつ。
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バタークリームみたいのが真ん中にでんとあって、1個で多分500kcalくらい。
久しぶりにうまかった。クリームは90%くらい捨てました。
もう一個、スタンダードな砂糖コーティングしたようなやつも買っておいて、それは翌日食べました。紙袋にみるみる油の染みができるようなドーナツ。満足した。

* * *

クリーニングと全体的なチェックのために歯医者にいったところ、歯周病や外見上のトラブルはなくてよくブラッシングできているという評価だったのに、レントゲンとったら詰め物の下が虫歯になっているということで、また通院することになってしまいました。

こちらで治療をすると金属ではなくレジン(白いプラスチックみたいなもの)を詰めることになり、それはいったん全額払って日本の健保に請求して通るか分からないしろもの。よりによってほぼ無保険みたいな状況でなんでこんなに治療継続するような事態になっちゃうんだ、と当日はえらい凹みました。早寝できちゃうくらい凹んだ。このところ淡々と生活できていたので油断してた。

しかし、健保に問い合わせたら3割負担が通る可能性が出てきたのと、口を開いたときに目立たない詰め物に変わるのも悪くないかというのと、どちらにせよ治療しないという選択肢はないという諦観により、段々回復してきています。

* * *

で次の日には車で出勤したらタイヤの空気圧低下のサインがまた出ました。
パンクか?ということで買ったお店(日系)の担当に電話。点検のためお店に預け、所要1~2時間というのでいったん歩いて帰宅したら、電話で「ステム(自転車のタイヤでいうとチューブの部分)に漏れがあってそれは簡単に直ったが、圧力センサーもおかしいのでディーラーに持っていく。1日預かる」との知らせ。通常は数百ドルかかるが、買って2週間ほどで最初の警告が出ていることを伝えてあったためか「初期不良ということで店側で負担します」と言ってもらえました。

もともと「買ったあとのことは自己責任」という契約書を作って買っている中古なので、もしアメリカ人だったら「自己負担で直せ」どころか「自分でディーラーに持ってけ」という対応もあり得たはず。若干割高という評はあるものの、こういうとき日系のお店は有り難い。お店としてもさほど大きくない日本人コミュニティにかなり支えられているので、悪評が回るような対応はしないということだと推測します。

* * *

昨年末にステージ3大腸がんの手術を受けた東京の友達とLINEで話しました。術後の化学療法が始まったとのこと。副作用もそんなになく、食べたり動いたりもできるそうです。
東京に住んでるとき、ちょっと頑張れば歩いて行けるくらいの距離に住んでいたので、よくご飯を一緒に食べてました。今回も「福しんのチャーハン食べたいな」とか、「しゃぶしゃぶ一緒に行きましょうね」とか、日本の食べ物の話ばかり。やりたいこと、会いたい人、食べたいものが日本にしかない。そりゃ一時帰国まで11カ月……とかいって指折り数えるわけだ。

しかし職場で一緒にドーナツを食べた同僚は、「仕事はアレですけど、まあこっちは生活が楽しいのがいいですよね」とのたまい、弊管理人は返す言葉に詰まりました。何が楽しいかというと、お子さんといっしょにバスケ見に行ったとかアメフト見に行ったとか。あーまあ家族ごと来ちゃうとそうか。

では家族外の人との付き合いはありうるかというと、DC首都圏にはゴルフ、ランニング、テニス、フットサルの日本人コミュニティがあって、ゴルフの人たちから熱烈にお誘いをもらっていますが、多分行かない。趣味については、そのうち電子ピアノを買って家で黙々と練習するという選択になると思います。って結局独り。

夜中(日本の昼下がり)に仕事のことで出身部の若い子ちゃんと通話していたら、その流れで外国赴任の話になり、散々ネガティブなことを言う弊管理人をよそに若い子ちゃんは「僕も行きたいんですよね~」。いやほんとそういう人が行けばいいと思うよ。聞けば弊管理人の「次」に行きたい人は犇めいているらしい。1年早く部長に熱烈アピールしてくれればみんな幸せ(少なくとも最悪回避)に落ち着いたのではなかったろうか……

* * *

先週末の3連休を働いてしまったら今週はほぼ在宅だったわりにけっこう息切れしたので、土日はなるべく仕事をしないようにしよう。

あと、中古車店との往来で外を片道30分くらいずつ歩いたら寒かったです。日中マイナス5度。体は歩いていると温まってくるけど、鼻が冷たくなる。鼻が冷たいのでマスクすると眼鏡が曇る。でも大寒が過ぎれば春に向かうことは知っているので、今はこんなもんだと割り切れます。ワクチン打った後に熱が出ても「だよね」くらいで淡々とバファリン飲むようなものですね。

とまあいろいろなことが起こり、時間とともに諦めたり解決したり、あまり減衰しないもやもやを抱えたりしながら生活は進んでいくようです。

* * *

今回の英語はcautiously optimisticです。
ニューヨーク州の知事が、疫病の感染カーブがだんだん寝てきたことに触れた上でこれを言うなど、「内心では良い方に向かうと思ってるけど、今ぬか喜びして後でだめだと格好悪いのでちょっと留保を付けとく」時のフレーズです。

公の場でも使われることが多く、仕事で結構出くわします。日本語に直すときに「注意深く楽観している」ではいかにもこなれないので、ひと工夫が必要です。
弊管理人の案は「期待しつつ注視している」。もちろん直訳ではないどころか、原文はcautiousではありながら結局はoptimisticなのでニュアンス的にも逆方向なのですが、もしこの気持ちを日本人の政治家なりが日本語で表現するとしたらこうだろう、ということであえて力点をcautiousのほうに若干寄せました。もっと思い切るなら「注視している」だけでも表現できるよね。結構いい線いった、はず。いやどうかな。

2022年01月17日

MLKデイ

きょう月曜日のキング牧師記念日を含めた3連休で、当地の人と話したら「週末が長いっていいよね~」と言われました。だよねー。日本の成人の日もそうなんだけど、年末年始の休み疲れを癒やすという、一年で最も有用な祝日ではないか。まあ弊管理人の年末年始は今般ちょっと変則的だったのですけど。

しかしながら土曜は起きたら南太平洋ですごい噴火が起きており、朝から若干働いて夜も3時まで働くことになり、日曜も勢いでぱたぱた働くことになり、月曜はもともと入っていた仕事で6時台起床と、なかなかな週末でした。せめて強制早起きで少し生活リズムが是正されるといいんですが。といっても日曜昼過ぎからほとんど予報通りの時間に雪が降り始め、夕方以降予報通りに吹雪きになってそのあと暴風雨になったので、仕事がなくてもどっちみち楽しくお出かけする感じではありませんでした。

月曜は曇りまで回復したのでDCの国立たてもの博物館へ。Museum of ArchitectureじゃなくてBuildingです。なぜだ。
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もと年金局で大統領の就任記念舞踏会なんかもやる建物だそうですが、何これ。外にあるべきものが中に入っちゃってる気がするんですけど、こういう形式ってある?(屋根は後からついたらしい)
いやまあいいです。「次に行きたいところ」探しでいろいろメモしながら回りました。
しかしこれ、
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アラバマ州にあるNational Memorial for Peace and Justice、またの名を国立リンチ記念館……。
人種テロ犠牲者の記念館っていうんだけど、どんだけ黒歴史抱えてるの、この国。
その他、世界貿易センターの写真展とか、銃犯罪死亡者の記念展とか、「国境って何だ?」とか、意外と重めの展示でした。でも国境のは万里の長城やハドリアヌスの長城からイスラエル、ロシア/ウクライナまで「国境の壁」を世界地図にプロットした展示が面白かったです。でもやっぱり「灼熱のアリゾナで国境を越えてきた人がこの辺でこれくらい死にました」というブラック展示が。
ホロコースト記念館はもうちょっと明るい季節になってから、と思って避けてたんですけど、意外なところでやられました。

* * *

それにしても、DCに出て日が傾いてきたころ、小腹が空いたらちょっと入ってご飯を食べる店というのが全く開拓できてない。最後の手段(last resortを「最後の楽園」だと思った会社のおにいさまを思い出した。すいません多分ここ見てますねすいません)としてマクドナルドは確保していて、今日はやっぱりハンバーガーだがもうちょっといいFive Guysという店を外から窺っていたらやっぱり黒人が寄ってきて「おごってくれ」と言われたのでゲンナリして「いや帰るから」っつって帰りました。おかしい人多い。

帰りしな、地元のシェイクシャックを調べたら日本より全然安い。あ、なんだ。すごい高い店なのかと思ってた。そのうちトライ。

* * *

母20回忌で、こういう状況なので弊管理人は何もしませんでしたが、伯母(母の姉)から「お墓に行ったら造花が飾ってあった」とメールがきました。父が行ったらしい。
「生きてたら喜寿なんだよね、想像できないけど」と返信。

伯母は60年近く付き合うことができたのに対して弊管理人は25年でお別れになってしまいました。こうしてみると知ってることが少ないともいえるし、じゃあ父とそんなに会ってるかというと今は年に数日。母はこちらでも夢に出るので、まあ両方とも安定して付き合い続けているといえるのかもしれない。父の夢にも出てると思います。死後の世界は信じてないが毎日仏壇にご飯をあげているようなので。しかしこの行動について聞いたとしたらどう説明するのだろう。ま、他人なら聞くけど親には聞かないな。

* * *

■マルティン・ブーバー(野口啓祐訳)『我と汝』講談社、2021年。

17年前に自殺した大学の同級生がしきりに言及していた本。(弊日記を始めるちょっと前だったので当時の日記は残ってない。3周忌の時のは残ってる)

〈われ〉と〈なんじ〉、〈われ〉と〈それ〉という二つの根源的な関係性について考察を深めるのだけれど、それがどういう倫理を導くのかというとよくわからない。もう一つの疑問は、なぜ彼があそこまで惹かれていたかということで、それは神について考えることで、少し答えに近づける気配があるものの、うまく言葉にできるほどではなかった。確定記述の束に還元できない剰余を抱えた存在であり、しかもどこか環境とも〈われ〉とも未分化なところのある〈なんじ〉。それを把握しようとすることの不可能性。

永山の病院で既に脳幹以外は機能廃絶していたと思われる彼を見たのは、じめじめと暑い日だった。奥さんによると1999年に生まれた息子さんは就活だって。写真を見ると結構彼に似ているが、そら似の他人にも思える。

2022年01月13日

煮染め

中国の干し椎茸1袋$1.99(まあ手頃だと思う)
袋売りのちっちゃい人参、結構な量で$1.8くらい(安い)
ささみのような鶏肉7本、たぶん400gくらいで$4ちょい(まあまあ)
冷凍で売られていた竹輪ことbaked fish cakes、セブンイレブンなら5本100円のところ$1.99(まあ手頃だと思う)
で、簡易お煮染め。
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うまくできた。さば味噌は3回目で味完璧、ただし皮に切れ込みを入れ忘れた。
しかし病院食っぽくないか。

* * *

きのう憂鬱になる話を書いたときに触れ忘れた2点。
・そもそも弊管理人は憂鬱な性格の人だということ
・歳いってから来すぎていて、新しいものに対する驚きに欠けること

1点目については思うところがあって、過去に一度壊れてそこから立ち直り、妙な強さを備えてる人が身近に何人かいるんですよね。あれは自分の脆弱さを痛感したからこそ、防御のためにいろんなことを「割りきった」姿だと思うのですけど、弊管理人の場合はなまじ我慢強くて体力があるので、憂鬱を常態化させたまま低空飛行を続けることができてしまう、そこがよくない。んじゃないかな。しらん。

* * *

疫病アップデート。
・東京の出身部で2人目の陽性
・当地では検査した同僚やボスが全員陰性で、職場に人が戻ってきているらしい。今日は仕事が込んでいて出社しようかなと思ったが行かなかった

* * *

持ってきたと思ってたのに見つからないので持ってきてなかったのかな、と思ってたマフラー、ありました。物置みたいにしてるクローゼットに。ほらね(誰に言うた)

* * *

きょうの英単語:
folks。「皆さん」という呼びかけ。大統領が「皆さん」と切り出す時にもFolks, と始まるし、CMに出てくるおじさんがHey folks!今日は俺のレシピを紹介するぜ!みたいなふうにも使う。

* * *

最近、寝るのが2時過ぎになる日が続いていてさすがにまずい。
早寝しよ……

ブースターその後

モデルナのワクチン2回目を日本で打ち終わったのが8月。
半年後だから追加は2月かー、と思っていたら急に間隔が5カ月になったので9日の日曜にモデルナの追加接種を受けてきました。
いまアメリカはファイザー、モデルナ、J&Jの3製品から追加接種を選べますが、ファイザーとモデルナはどっち打ってもほぼ一緒なので、すぐ予約が入れられるやつで。

副反応くるかな?くるかな?と思って構えていたのですが、次の日、その次の日も、接種部位がちょっと筋肉痛みたいになっただけで発熱は全くなし。倦怠感はいつも感じている程度で特段の増悪なし。水をいつもより多く飲んでよく寝てたせいか。用量が半分になったせいか。よくわからない。

* * *

同僚2人のお子さんが陽性、ボスが会食した相手が陽性。そして職場には誰もいなくなった。
お子さんが陽性になった同僚と先週金曜に接触したため月曜にPCR検査を受けましたが陰性。

* * *

世の中、平常運転といえば平常運転ですが、疫病の影響かスノーストームのせいかスーパーに生鮮食料品がない、水も高騰、などの噂を聞きつつアジアンスーパーに買い出しに出ると、普通にありました。しかしアパート1階の店にはありませんでした。当地インフレがすごいことになっているそうです。まだまだ何もかも高いと感じる時期なのでそれは気付かなかった。

在宅勤務が続いていて、朝から座りっぱなしで飯もちゃんと食べずにひたすら情報処理。日本が起きる宵の口から発注仕事がいっぱいきて深夜まで、という日が続き、ちょっと嫌になってきました。
朝起きると憂鬱、しばらく憂鬱、夜にかけて回復し、また朝憂鬱。

今日は昼過ぎに、先週金曜日にかなり長く立ち話をした後お子さんが陽性と分かって急遽帰宅した同僚(ご夫婦とも陰性だったそう)が電話をしてきて、「大変ご迷惑を」というので、ご迷惑なんて全然かかってないですけどと軽く流しつつ、延々おしゃべりしました。今日はそれで回復。つまりおしゃべりを欲していたのですね、弊管理人。

でもまたあすの朝には憂鬱になってると思う。
なぜかというと、アメリカにいることが「単に3年間のロス」と感じられるからだな。持ってるスキルを消費するだけで、いることが自分のためになってるという感じがない。

と、ネガティブを抱えつつ仕事上の必要で弊管理人より少し先に赴任した同僚に電話すると、「(もう2年以上アメリカにいる後輩)は大きな仕事をばりばりやってるのに、自分は細かい仕事に忙殺されていて……」とちらっと漏らされ、なんかわりと他の人も鬱屈してるね、と思ったところです。
これさあ、疫病の鬱屈効果でかいよね。在宅で塞ぐというのもあるし、思うように外仕事ができないということもある。そこで、鬱屈を見せ合って「やーねー」と言い合うことが必要。つまりもっとみんな出社しようよということだ。

あと、弊管理人の場合は日記を書くというセラピーも引き続き重要。

* * *

東京の出身部では、この2年あまり大変な仕事を一身に背負ってやってきたせむぱいが疫病感染。話すと息切れするというのでCTをとったら肺炎になってたとのことです。抗体医薬も体験、入院しているが助かりそうなので、これを機にたっぷり静養してほしいです。

んで、出身部でその周りにいた人たちがみんな在宅勤務を言い渡され、数少ない出勤者から写真が送られてきたので見ると、まるで早朝のように閑散としていました。うける。

* * *

駐在日本人の間で評判のいい「田牧米ゴールド」を買ってみました。2kgで1800円。たっか。
これまでアマゾンで700円くらいで買える「錦」というのを食べていましたが、これが終わったらどれくらい違うのか比べてみよう。

いま、雑穀を混ぜて炊いているので水加減が難しく、なかなかおいしくできないので、一度「錦」そのものの味を確かめてみようと白米だけで炊いてみたら、結構おいしく炊けてしまいました。違いは出るかなあ。

* * *

日本では湿度が50%を下回る部屋に住んだことがなかったのですけど、こちら現在コンスタントに30±1%となっており、そのせいか生まれて初めて「かかとがガッサガサ」になりました。ふと思い立って必殺・ニベアをべた塗りしたら1日でほぼ治りました。すごいなニベア。

2022年01月08日

年明けに雪が降ってから、氷点下の日が続いていて冬っぽいです。

DCのハーシュホーン美術館に行ってきました。
デュシャンの展示をやっていました。
モナリザの絵はがきにヒゲを描いてみたL.H.O.O.Qという作品(1919=ダヴィンチ生誕400年)。
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「男に見えるっしょ?」見えるねえ。
美術は手技ではなく、視覚だけでもなくアイディア、というアンチ。
例の便器あるかな?と思ったらありませんでした。
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というかオリジナルはどっかいっちゃってて、レプリカがいくつかあるんですよね。そういえば。
しかしモノとしては工業製品で、アイディア(イデア)が成り立たせる美術なのであれば、それがオリジナルかレプリカかというのは意味ないし、新しい便器を一個持ってきて据えてしまってもいいのかもしれない。

ローリー・アンダーソンの展示もやってました。
テーブルに肘をつくと骨伝導で何かの音が聞こえるの、やってみて!という作品ですが、
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それでやってみる人たちをまんまと作品の一部にしちゃうの、性格悪いよね。
そういえば小学生の頃、「巻き貝を耳に当てたときに聞こえるゴーっていう音は地球が回っている音なんだよ」といって母親を騙したのを思い出しました(すぐ「うそだよ」と言ったあたり、弊管理人のほうが性格いい)。

なかなか楽しかったです。展示が変わったらまた来よう。
良い天気。
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未来技術の展示をやってる建物を見ていたら、今年ちょっと仕事で課題になりそうなことを思い出して暗い気持ちになったので、マクドナルドに行っておやつにスパイシーチキンサンドイッチを買いました。
店でオーダーしようとしたら、席にいた黒人から「ソーダおごってくれよ」と言われたのですが、暗い気持ちだったし意味不明なので断って、サンドイッチはテイクアウトして近くの職場で食べて帰りました。

* * *

8月に職域接種でモデルナを打ってからこちらに来て、ブースターは6カ月後ということだったので2月か、と思っていたら今週5カ月に短縮されたので、早速CVSという薬局で日曜昼の予約を入れました。モデルナの枠が多くて便利だったのでモデルナ選択。人気ないのか、副反応が強いと言われているからなのか。モデルナのブースターは初めの2回の半量(それでもファイザーより多い)なので軽く済むんじゃないかと期待してますけど。

こちらの職場では、前回の日記で書いた同僚の奥さんは、迅速抗原検査でうっすら陽性の線が出たので陽性かな?となってPCRやってみたら陰性だったということでした(たぶん感染してると思うけど、詮無いので言わない)。代わりに別の同僚2人がお子さんそれぞれ陽性とのことで自宅隔離。いやほんとO株の勢いすごい。でもお子さんはいずれも鼻水出たとかのごく軽い症状のようで、同僚2人は特になんともないようです。

いつのまにかワクチンはインフルよろしく重症化予防になっていて、その効果が続く一方、感染予防はやっぱりすぐ落ちちゃうのなら、3回目のあとはしばらくお休みになるんかなあという予感もします。でもほんとこの病気は予測が役に立たないので分かんないですね。

* * *

毎日ルーティンワークをして過ごすことが多くなり、なんとなく街を歩き慣れて、いちいち視界に入るものに注意を向けたり先読みをしたりしなくてよくなってきているのはいいのですが、しかし「暫定的にここで暮らしている」感じというか、長期出張している感じ、根付いてない感じは抜けない、どころか毎日同じ強度で意識しています。

ピアノ置いてきちゃったなとか、マフラー持ってきたと思ってたけどないなとか、アジアンスーパーで買った干し椎茸を利用して煮染めを作って、それはおいしかったけど、煮物とか鍋のバラエティを広げたくてもゴボウとか長ネギとか春菊とかのエッセンシャル野菜がなかなかないな、といった、ちょっとした不便に目をつぶってるというのがある。あと、帰国したらあの人と遊ぼうとかあのお店に行こうとか、あの温泉宿に行こうとか、そういうこともよく考えてます。このご時世、仕事はオンライン主体でなかなか人に会えず、東京にいたって早起きとか夜更かしをすればできる程度のことしかしてないというのも一因かも。

まとめるとこういうことかもしれない:
(1)当地で暮らす必然性が感じられない
(2)当地で攻めたいスポットが少ない、遠くてなかなか行けないので暮らしに楽しい展望がない

(1)については、ちょうど昨日追い打ちをかけるようなこともありました。
日本の研究者によるアメリカ政治のセミナーにオンライン参加してみたらすごく俯瞰的なイメージができて面白かったんだけど、毎日間近に見てるものが全然整理されておらず、文脈にも位置づけられていなかったことにも気付かされました。つまり近すぎて木しか見えてない。飛んでくる球をとにかく打ち返すだけの現状のせいかもしれませんが、それだったらここにいる意味ある?なんか人の手を借りて見取り図を得るようなことをしないとだめだな、多分。

といいつつ、最初はとても苦労して「早めに帰してもらおうか」と真剣に思ったほどだったものの、3年目で開花したね!と周囲から評価された例(大阪で一緒だった同僚です)もあるので、現時点で「ここにいる意味……」みたいなことを考えるのは早計だということも頭の片隅に置いておこう。

* * *

今回の「そのうち使いたい英語」いくつか。

「文言」という意味でのlanguage。仕事の行きがかり上、役所の議論を見ているとよく出てきます。

「雑談」schmoozing。疫病下、オフィスはsocializingとschmoozingの場として必要とされているのではないかという記事に出てきました。たぶん結構硬い書き言葉なんではと思います。

「反乱」insurrection。昨年1月6日の連邦議会襲撃事件から1年だったので、ニュースできわめてよく聞かれました。でもCNNばかり見ていたからかもしれない。ちなみにトランプと大統領選の共和党代表を一時争ったテッド・クルーズ上院議員がうっかり「テロリスト」と発言してFOXニュースで激詰めされたようです。こわいなー、分極化した世界。

2022年01月05日

雪の日

冬休み最終日の2日はDCの国立美術館(タダ!)を見に行きました。午後の4時間では見きれなかったのと、アプリで案内を聞くのにイヤホンを持っていなかったのでまた。
なんかあったかいと思っていたら17度あったようです。
夜から吹雪の予報が出ていたの、ほんとかなあと思いながら近所の中華屋に注文した夕飯をテイクアウトしに行ったら寒くなってきていたので、ほんとっぽいなと思いながら就寝。

そんで仕事始めの3日、目が覚めると外が静か。あ、来た。と外を見たらこれ。
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住んでるところ分かっちゃうけどまあいいか。
でもようやく冬っぽくなった感じがする。出社はやめて(というか元からあまり出社するつもりはなかった)家で仕事をしました。10センチくらい積もったようで、首都機能がほぼ止まり、郊外ではハイウェイが詰まって車中泊した人もでたようです。雪に慣れてない都市は混乱し、雪に慣れてる地域の住民がツイッターで笑うという構図はどこも同じ。停電しなくてよかった。
予報は午後4時までということで、本当に午後になると晴れました。
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これはうちの屋上から。
結局食材は1階のスーパーで買い、ちょっと走っておこうと階上のジムに行っただけで、1日アパートの建物から出ませんでした。

4日は運動のために出社。午後ちょっと所属長が出てきただけでずっと独りでした。寒かった。マフラーはアメリカに1枚持ってきた気がしてたけど探したらなかった。地下鉄のダイヤが乱れていた気がする。
2日連続で日本から頼まれごとが舞い込んできて午前2時くらいまで寝られなかったのですが、そう手のかかる作業でもなかったので淡々とこなしました。
スーパーに行ったら生鮮食品がほとんどなかった。雪と疫病で物流が乱れているのか。

正月気分はどこに?というくらい正月感がない。街もそう。人が少ないのは天気のせいか、社会がまだ動き出していないのか、どうでしょう。
同僚とも2週間くらい会ってないところ、奥さんが発熱したとの連絡が回っていました。[追記:コロナ陽性だったそうです。お早い回復を]

* * *

仕事はちょぼちょぼとアウトプットをしているのですけど、独自性のあるものはまだ。
赴任からの3カ月は球拾いだとして、そろそろ何か企てないとと思いながら出力が上がってません。
意外と早寝とか、生活を整えることが必要なのかも。
と焦ってくると、前前任者が「やらかしても3年はそこにいるから。生活を楽しむだけでOK」と言っていたのを思い出します。バランスが難しいですね。

2022年01月01日

年明け

このエントリーから、投稿日時をアメリカ東部時間(UTC-5)に合わせました。

大晦日の夕方から仕事をしているうちに2022年に突入してしまい、CNNをつけていたらニューヨークでは紙吹雪(confettiという一語で表せるんだな)が舞って盛大に新年を祝っていました。外では花火のような音が聞こえた気がするが、事故だったかもしれない。いや花火か。あと短時間の停電もあった。部屋のブレーカーが落ちたのも含めると電源が落ちるの4回目なんですが、ノートはバッテリーがあるからいいとして、うちのデスクトップ、使用中にこんな何回も突然落とされてHDDとか大丈夫だろうか。

2時半に仕事が終わってそのまま寝て、昼前まで寝床にいました。元日は寝るのが一番贅沢な過ごし方です。一日じゅう暗くて霧雨が降ったり止んだりしていたので、「こんなに天気がいいのに家にいるなんて」という呵責もなくだらだらできました。昼は豚キムチ。正月っていう感じがしない。

就寝したときには既に元日だったので、朝までに見た夢が初夢とすると、なんかピアノ弾いてた気がするな。そしてそこそこ弾けていた。大阪の部屋に置いてあった電子ピアノは荷出しでトランクルームに行ってしまったため、もう4カ月以上弾いてない。急いで買うものではないのでしばらく様子を見ていたが、やっぱり買おうか……うーん。

* * *

大晦日、DC独り暮らしの知人とご飯を食べました。
この人は10月半ばに来て、まだ生活の立ち上げ中とのこと。欧州某語の専門で南米などにはいたことがあるが、英語圏の暮らしは初めて。やっぱり毎日の食事に苦労しているようです。
Ted's Bulletinというお店に入ってみました。
朝7時から終日頼める朝ごはん。
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カウンターもあって一人飯もいけるんじゃないかな。自分で作れそうだけど。
ここって多分、10年前にも来たはず。
17時前くらいに別れて、歩いて地下鉄駅まで戻りました。
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日没が最も早い時に比べて10分くらい遅くなってます。冬至の日のニュース記事で「あとは日が長くなるだけだ」と言われていてポジティブだなと思いました。弊管理人は今日に限らず長期的に元気が枯渇してるんだけど、たぶんどの国にいても元気はないのでどこにいても一緒といえば一緒かもしれない。

* * *

■石牟礼道子『椿の海の記』河出書房新社、2015年。

『苦海浄土』に続いて。エッセイとフィクション、人と自然と超自然のあいだ。

2021年12月25日

ひみつのくらぶ

O株がますますやばくなっていた水曜の夜、いつもお世話になっている年下の知人のつてで小規模な飲み会に寄せてもらうことになり、DCの中心部から少し離れたお店を指定されました。ウェブサイトを見ると「上着必須ね」みたいなことが書いてありました。

朝から自宅で仕事をしていて、なんとか午後3時過ぎに焼き鳥丼を作ってかっこみ仕事続行、飲み会キャンセルも一瞬よぎりましたが、いや仕事ごときで人と会う機会を飛ばすのは愚かだと思い、東京にぶん投げて電話でやりとりしながらウーバーで向かいました。また出社するタイミングを逸したので、家にあった礼服の上着だけ一応リュックに入れて。

ちょうど建物の前で鉢合わせた当日初めましての主催者に誘われて中に入ると、まあ素敵。
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会員制のクラブで、えらい人が来た時などにご飯を食べるところなんだそうです。
客は他におらず。おいしい前菜とステーキ、ワインをいただいてしまいました。
話題はゴルフ、自宅で作れるビールキット、あとはハイソな世界の裏話。基本的にここでサバイブしている人たちは優秀でパワフルでナイスガイです。そしてたぶん非常にしばしば自分のお金でご飯を食べてない。

ひとしきり喋ってお礼を言って帰りのウーバーに乗ると、運転手さんが「今日は寒いねえ。20度台らしいよ」と。華氏32度=摂氏0度なので氷点下か。寒いわけだ。お風呂に入って寝ました。

* * *

結局今週は月曜しか出社せず、あとは在宅でもりもり仕事をしていました。
月曜の出社も必要はなかったんだけど、少しは歩かないとという運動目的で。
しかし全体的に運動不足で、住んでいるアパートのジムに行けたのは木曜になってからでした。

* * *

常用していない携帯に入ってるLINEに、東京にいる6つ上の友人から「手術終わったけどまだお腹痛い」というメッセージが来ていて、何のことかと遡ったら「大腸がん3期で手術を受ける」という話で「えええええ」となりました。どうも会社の健診で再検査になって見つかったらしい。

いやまあ健康な体型ではないけどお酒もタバコもやらないし、まだそんな歳でもないし。ああでも肉は食う人だな。しかし結構衝撃です。老母が近くに住んでいて恋人もいるけど独身だし、本人はいろいろ大変だったことでしょう。しかしお見舞いに行けない。

* * *

そんな不便を感じつつ、渡米から3カ月になりました。
年内まだまだ断続的に仕事があるんですが、一応例年のようにまとめておきます。

1月 疫病の嵐が吹き荒れていて、週末のにしやまさんだけを頼りに仕事してた
2月 息抜きで行った加太の温泉と離島がよかった。あと東京からの友人と遊べた
3月 なんで松山や壱岐に行ったんだっけ?と思ったらA株の疫病が一服したのか
4月 大規模ミス、職場のえらい人を怒鳴りつける、人事考課の文書で悪態と荒れていた
5月 とうとう米国赴任の打診。つい乗ってしまった。あと木津川市の寺巡りよかった
6月 ビザだ引っ越し手配だと面倒だった気がする。D株ってそろそろだっけ?
7月 紀伊半島、若狭湾、大台ヶ原とすごい出掛けた。さよならモードだったか
8月 児島が最後のお出かけ。そして大阪で荷出しして家なき子になった
9月 東京2週間だけ勤務、渡航準備、帰省、渡航とどんよりした思い出……
10月 生活の立ち上げ、仕事がいきなり爆発、歯が折れるなど最高に弱っていた
11月 なぜか英国出張を機に開き直り、自炊が軌道に乗ってやや回復
12月 気がついたら年末。としか言いようがない。あ、車買った

1年の日記を振り返ってみると、9月以前のことをほぼ忘れてました。
いいとか悪いとかではなく、とにかくhectic、忙殺されてた。
身体的に疲れがたまっていると達観することもできなかったけれど、少し回復したところで「いま悩んでも仕方ないことに悩まない」というモードに少し入れた気がします。それは過去を悔やまないことでもあり、未来を案じないことでもあり。

* * *

弊管理人より少し早い7月に赴任した同僚が、藪から棒に「僕、朝ご飯食べると元気になるんですよ」と言いました。何?と聞き返すと、

「朝起きた瞬間って、ああ今日もあれやらないといけない、これもやらなきゃ、と思って気分が沈むんですけど、朝ご飯食べると元気になるんですよ」

すげーわかる。というか弊管理人の他にも同じことを感じてる人がいるんだなと思って勇気づけられました。まあ多分彼は奥さんが朝ご飯作ってくれるんだろうけど。お互い来年はもうちょっと元気だといいよね。

* * *

といって、5月に転勤を断っていたらどうだったかと空想すると、たぶん「ああ嫌だ嫌だ」と思いながら週末の小旅行を繰り返し、そろそろ東京の出身部に戻る日取りが決まって心ここにあらずな感じになっている頃。東京は友人がいっぱいいて、行きたい食堂も行きつけの飲み屋さんもあるけど、その先にフロンティアはあったかというとなかったと思う。

一方で「そんなフロンティア求めてたか?」という自問もある。9月、DCの前任者から引き継ぎを受けてるときに「(弊管理人が)3年前におじさん職位になる時、『実はもう現場仕事はやりきった気がしていて、二度といいかなと思ってる』と言ってたよね」と言われました。完全に忘れてたけど確かにそう思ってた。

大阪の仕事があまりに合わなかったせいで判断が歪んだ面は否めない。
しかし、大阪の時に抱えていたストレスは今どうかというと、そこまでではない。
まだ評価が収束しない今日この頃です。

* * *

こちらではHave a wonderful and safe Christmas!といういかにもご時世な挨拶が交わされています。

* * *

きょうの使いたい英語は

"[Expletive]!"

です。これは「ファ○ク!」を出版コードに触れないように書くやり方のようです。

2021年12月20日

暮れゆく

免許証が届きました。やった。10月半ばに手続きを始めて2カ月。長かった。
しかし日本の免許からのスイッチという特殊な免許なため、有効期限1年間。また来年これやるのか……

* * *

気がついたら暮れでした。当地「ハッピーホリデー!」という挨拶を聞かない日はなく、役所なども半分休みモードで行事ががたっと減り、それと某O株がマジでうつりやすそうだというので職場も出勤する人がいなくなって人と会わない日が続いています。

O株についてはニューヨークで爆発の兆候があるなと思っていたら、チェックしていた学会、弊管理人の住んでるアパートでも(株不明ながら)感染者が相次ぎ、DCの感染者は先週から倍になったとかでグラフを見ると確かにえらい上がり方をしており、こちらに来てから初めての「ただならぬ感じ」になっています。

しかしもうロックダウンなんて無理だよねというのがこの国のコンセンサスであり、至るところで爆発を起こしながらホリデーを過ごしたら、波はいつものように収束していくのでしょう。

もし、ちらほら言われているようにO株があまり重くない(少なくとも既接種者には重くない)ものであれば、デルタを駆逐した先に待望のエンデミック状態が訪れるのだろうかとも思うのですが、まだよくわかりません。

* * *

土曜は出番の合間を縫ってアジアンスーパーに買い物に行きました。
これから命を奪われるひとびとが、自分の行く末を見せられるという地獄。一番下の水槽の左端に戦慄してる方々がいますね。「夜鷹の星」みたいな気分になってしまう。
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kingfishというのは何だろうと思って調べたらヒラマサ、あるいはブリとのこと。年末年始に照り焼きにしてみようかな。郷里は年越しにブリの粕煮をやるんですよね。
とりあえずサバを買っていって味噌煮にしました。2回目で味が落ち着いてきました。よしよし。

* * *

日曜はぜいたくに寝坊して、昼食をとってから出掛けました。DCのスミソニアンシリーズ「アメリカン・インディアン博物館」。
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11月をNational Native American Heritage Monthとする、という大統領宣言があって、その中にTribal Nationsという言葉が出てきてなんこれ?となったのがきっかけ。
ヨーロッパから移ってきた白人が先住民と「条約」を結びながら土地を奪っていったのですけど、その300余に上る条約の存在は今も連邦を縛っており、条約だけに、結んだ相手はNationになるんですね。100万いた人口が25万まで落ちたというのがすごい。他国のジェノサイドをあげつらう民主国家・アメリカが永遠に向き合う黒歴史だけど、国立博物館にしてあるのはえらい。
その一方で、人口の1%に満たない先住民はロゴやキャラクターとして勇敢さ・荒々しさを表象し続けている。ハカを踊るNZのオール・ブラックスと似たところがあるかな。この立ち位置はまたアフリカン・アメリカンと違って面白いです。文化人類学がこの国に必要な訳が分かる。同族の中の微妙な差異ではなく、隣り合わせのなんかすごく違った人たちのスタディはやらざるをえんでしょう。

しかしまだ全体像がよくわからないので、ミュージアムショップに並んでいた本からよさそうなものをキンドルで買いました。すまん。でもキンドルだと知らない単語をすぐ調べられていいのよ。

連邦議事堂が近いので散歩。およそ10年前に来たときの写真があるという弊日記の歴史ね。
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16時過ぎでこの日暮れ感。そういえば忙しくて忘れてたけど冬至が近いですよね。
このところすごい暖かかったのですが、今日はこの時間6度、冬らしい寒さでした。
植え込みにあったふわふわした感じの実はなんだろう。
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→と画像から検索したらルロあるいはナランジラという南米のナス科のフルーツだそうです。へーーー!!

2021年12月13日

アーリオ・オリオ

中西部にえらい竜巻被害を出した天気が東に流れてきたのか、土曜の夜は風が強くなって心配でしたが、日曜は朝からピーカンでした。
しかし昼前にちょっと思い立って手を付けた仕事が意外と時間を食い、結局アパートの建物9階のジムに行ったあと、1階のスーパーでちょっと買い出しをしただけで、一歩も建物から出ないで一日が終わってしまいました。まあいいや。

アメリカっぽい景色が全然出てこず、なんてことない自炊の写真が並ぶ日記です。
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早く使い切りたい瓶ニンニク、そろそろやばいほうれん草、買ったまま放置してたハムと、土曜にアジア食材スーパーで買ったオリーブオイルでうそっこアーリオ・オリオ。てか具材があると名前が変わるんだったか?分かりません。まあいいや。おいしかった。サイゼリヤと互角以上だと思う。
ちなみに奥にあるのはにんじん甘煮。こちらは皮をむいたちっちゃいにんじんが500グラム200円くらいで売っていて使いやすそうだったので買ってみました。普通はどうやって使うんだろう?サラダ?いやこれは生では食べないよな?いや食べるの?馬なの?いやポトフ?

食事も含め多分大半のセクターでそうなんだけど、アメリカはクラフツマンシップがだめな上に人件費が高く、お金を払って人に何かしてもらっても満足度が低いためにDIYの文化になるのではないか。お前こんなんでチップ要求する?みたいな場面も多いですしね。
前前任者は「いちいち考えたくない」という理由でチップは一律18%にしていたそうですが、弊管理人はだいたい最低限で、ほんとに何かプラスアルファしてもらったと感じたら色を付けるという信賞必罰ポリシーにしています。

* * *

黒人さんがよく使うんですけど、暗証番号求められて入力したとか、ここに記入してと言われたところに必要事項を記入したとかいう些細なことをした時にPerfect!って言うのいいですね。OKよりドライブ感があっていい。弊管理人もどこかで使いたい。

* * *

気付くと12月中旬になっており、年末年始の休みの予定を早く立てるのと、その前に1月中旬にかけての仕事の仕掛けをしておかないといけなかったのですが、結局上記なんとなく始めちゃったやつに手をとられて全く進みませんでした。

そんななか、東京のおにいさまとチャットをしていたら「年に1回でいいからオリジナリティのある仕事ができるといいね」(大意)と激励?され、そうだな~と反省しました。
今いる職場では日々の出来事にいそいそと対応しており、企てらしい企てをしなくてもなんとなく「仕事した感じ」が積み重なっていくところが注意点だと思います。しかしどうやって抜け出すか。

2021年12月12日

あめりか師走

10月から続いてきた厄介な交渉ごとを含む案件は今週月曜にこじらせのピークに達し、しかし最終的には驚くほどうまい大団円を迎えました。そして夜は久しぶりにタイ料理でビールを飲み、冬の嵐の気配を感じながら地下鉄に乗って帰り、寝ました。

水曜は、なかなか進まない運転免許の手続きに業を煮やし、同僚から聞いた秘密の番号でDMV(免許センターと陸運局を合わせたような役所)に電話をしてようやく前に進めることができました。
弊管理人をはじめ職場の人たちはちょっと変わったビザで滞在しており、そのせいかほぼ全員が「地位確認ができない」といって一度手続きが止まります。そのかんにDMVは移民局みたいなところに問い合わせをし、15営業日待たされるのですが、15営業日きっかりで連絡が来ることはなかったりする。で、問い合わせ用の電話番号にかけると「只今の待ち時間は30分です」とかいって永遠につながらないといううんこ対応なのです。

それに怒った先達の同僚(帰国子女で英語ペラペラ)が市長公室か何かから手を回して直通電話の番号を手に入れて解決したらしく、それを教えてもらったという次第。というかこの同僚がいなかったら問題が解決しないまま年の瀬までじりじりしていたかと思うと恐ろしいです。

電話すると「あ、確認できてました」との回答と同時にそれを証明するメールが到着。翌日窓口に出向き、手数料(30ドル)を払って視力検査(こちらのはランドルト環ではなく、アルファベットを左から右に読んでいく方式)し、写真撮影します。そうすると仮の免許証が発行され、1週間で本免許が郵送されるので待ってろと言われて手続き終了です。ほんとに1週間で来るか不安は多少あるものの、やることはやりました。

あと、10月に折れた歯の治療がやはり水曜に終わりました。
ほぼ根本から折れていたので今後も硬いものをばりばり食べることはできませんが、芯を作ってそこにセラミックの人工歯をはめるというクラウン治療です。約1800ドル。でも支払ったらくよくよしても仕方ありません。周囲の歯と同じ色合いにしてもらったので見た目で人工歯とは分からず、噛み合わせで当たって負担がかからないような形に削られていてほぼ普通に食事ができています。

木曜は仕事で必要な身分証を取りに連邦議会へ。これ、既に身分証を持っている同僚の同伴が必要なのですが、「何かのついでがあったらついてきて」と頼んでおいたら、用事のない日にわざわざ車で連れて行ってくれました。今週は同僚(DMVの人も議会の人も同期)に助けられまくりました。ほんと感謝にたえません。

土曜は先週買った車のナンバープレートが発行されたというので取りに行き、その足でHマートというアジア食材店に買い出しに行きました。
サバが小さめ1匹分の身のパックが3ドルくらいと安かったので買ってきて味噌煮。
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サバ味噌って実は初めて作ったんですよね。日本ならやよい軒なんかで簡単に食べられるし、缶詰もあるしで、あえて自分で作ろうという気にならなかったので。
生姜が1個単位では買えなかったため、スパイスの棚にあったジンジャーパウダーで代用してみました。これはこれでよし。味はもう少しこっくりと甘くてもよかったかと思いましたが、方向性は分かった。

* * *

まとめると、
・10月に青天の霹靂のように始まった懸案が終わった
・免許の手続きが終わった(免許証の郵送待ち)
・仕事上取得するべき身分証が揃った
・ほぼ工事みたいな歯科治療が終了
・車のナンバープレートが手に入った(あとはETCみたいな機械の入手と、駐車場に登録したナンバーの変更手続きが必要)
と、いろいろなことが進んだ1週間でした。

そのかわり仕事のアウトプットはちょっと停滞し、日銭を稼ぐような感じになってしまいましたが、今週は許して。
母方の実家にいる伯母が、弊管理人の名前の入った仕事を見つけてはメールをくれます。

* * *

前に原宿で食べたベン&ジェリーズのアイスクリームが普通にスーパーで売っており、1パイント=473ミリリットル5ドルちょいのやつを買って夜な夜な少しずつ食べています。チェリーとチョコチップのやつ。うまい~

当地の大統領も酒は飲まない(飲めないのではなく、近親者にアルコール依存症者がいて、それを見てやめた由)代わりにチョコチップのアイスクリームが大好きだそうです。わかる、わかるよジョー。

それで、オバマ政権下で2期8年にわたって副大統領を務めた最後に、オバマから民間最高位の勲章をサプライズで授けられて泣いちゃうバイデンの映像があるのですが、1:30あたりにbromanceという言葉が出てくるんですよね。これが今週知った単語。オバマがやおいっぽいニュアンスを漂わせて、バイデンが「やだぁ~」みたいになるのを見て和みました。オバマの演説は13分くらい続きますが、うまいな。

オバマの言葉の中に、自分の任期を振り返ってamazing journeyという表現が出てきます。journeyだよね。アムトラックに乗って駅から駅に移動するのではない、次々と課題が現れ、寄り道を強いられる旅。

* * *

11月半ばにアマゾンで注文した電気毛布というか、電気mattress topperがようやく届きました。マットレスの上に敷くやつ。カナダを出てメリーランドの中継地点に届くまで10日くらいあったような。これが今話題のサプライチェーン問題?
なんにせよ暖かい……布団に入るときに暖かいと幸せ度が段違いです。

2021年12月06日

お呼ばれ

土曜はメリーランド州ベセスダに住んでいる同僚のお家に呼んでいただき、弊管理人と同じ郡に住んでいる同僚夫妻の車に乗せてもらって行ってきました。

ご夫婦と小4の娘さん。ベセスダはホワイトハウスが皇居だとすると赤羽の方角ですが、国際機関や大使館の人たちが住んでるいいとこのネイバーフッドです。地元の公立学校は80カ国から子どもが集まっているそうです。

同僚である旦那さんは家族の仕事の都合で滞在していたアメリカで生まれて米国籍を持っており、中学のころにイギリスに住んでいたという人。ですが奥さんと娘さんはもともと英語ができたわけではないようです。でも7月に引っ越してきてからそれぞれに学校や地域で友達を見つけ、買い物に行き、英語頑張って来年は一家で英検とるぞ(ニューヨークで受けられるそうです)と楽しそうでした。

家には本物のもみの木のクリスマスツリーが飾ってありました。売ってる農場があるんだって。「これ」と選んで切らせてもらい、機械で振動させて虫を落とし、コンパクトに縛ってもらって持って帰るそう。一戸建ての広いリビングにソファとおっきなテレビとツリー、ゆったりしたキッチンと台所。「休日は家のメンテナンスで終わっちゃう」といいつつこれは3年住むの楽しいでしょう。

すごい久しぶりにビールをいただいて、生ハムと、ブロッコリーのチーズ和えと、ほろほろのスペアリブ、あとお寿司。6人で深夜まで喋りました。ああ、これはいい。確かに家族がいれば何年か暮らしたい土地かもしれない。

そういえば先週、仕事先を交えて同僚とランチをしたのですが、同僚は「2期6年を狙ってます!!」と言ってました。そうかー。そういう境地になれるかな。

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とうとう車を買いまして、日曜は練習を兼ねてちょっと出掛けてきました。
バージニア州フェアファックスのバーク湖Burke Lake。いや貯水池で特に名勝というわけではないのかもですが、地図を見て近すぎず遠すぎず、な目的地を探して目についたのがここでした。
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片道30分強だったのですが、ハイウェイに入ったりして結構走った気がする。左ハンドルだと右側の車体感覚が今ひとつ掴みにくい。右側に余裕が欲しくてちょっとセンターライン寄りに走ってしまいがち。あと車の右側通行はやっぱりまだ慣れない。
iPhoneに入ってるグーグルマップをナビにしたのだけど、なぜか喋ってくれなくてすこーし難儀しました。

まだ免許の手続きが進んでないため、国際免許を持って運転してます。早く欲しいんだけどな。

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順調にいけば今週で今年の大物仕事がだいたい片付くと思われます。
がんばれー弊管理人。

2021年11月29日

ハヌカー

遮光カーテンは安かった(2枚で20ドル)わりに意外と遮光してくれたため、いつもより目覚めが遅くなりました。

で、なんとなくずるずると仕事にかかずらっている間に日が傾いてきたので、これはいかんと出掛けました。ホワイトハウスのちょっと下にある楕円広場で、メノラーMenorahの点灯イベント。
紀元前2世紀、シリアのギリシア人の支配下で抑圧されていたユダヤ人が反乱を起こし、エルサレム神殿を奪還した記念のお祭り「ハヌカーChanukah」。メノラーはその際に使う燭台。ハヌカーに使うものは特に「ハヌキラ」というのだそうです
でかい。
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無料のチケットをとって、荷物検査を受けて会場に入りました。
ステージに空軍の軍楽隊が並んで演奏し、セカンド・ジェントルマン(ハリス副大統領の旦那)が「初のセカンド・ジェントルマンであり、初の『ユダヤ人の』セカンド・ジェントルマンです」と挨拶して喝采を浴び、過去には副大統領時代のバイデンも「ユダヤの歴史、文化は私たちの一部」と述べ、そして燭台の向こうにはクリスマス飾りのついたホワイトハウスが見えるという、なんかいろいろ象徴した感じのイベント。自由を求めて米国に来て、こういうところと結びつきながら根を下ろしてきたということ、かな。

最初に真ん中とはしっこに点火し、そのあと1日1個ずつ火を付けていくそう。
「光の祭り」という異名があり、それとのつながりで油を使ったものを食べるそうです。
会場ではスフガニアというイチゴジャム入りのドーナツが配られており、えらい勢いで皆さんが群がっていました。
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クリスマスとは無関係だとのことですが、でも冬に行われる「光の祭り」であれば、古層では弱まる太陽・春待ちとどこかつながってるのではないか。
多神教の国から来た不可知論者で恐縮ですが、ゲットさせていただきました。
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すっごいカロリー高そうなので、朝飯にします。

ラビのおじさんが、若いユダヤ人の4割が自分をユダヤ教徒とは考えていない、とかいう近年の調査を引きながら「anti-semitismと戦うのはsemitismです!」と訴えていました。21世紀になってもそういうのと戦っているのですか……

* * *

オミクロンさんに絡んだ渡航制限のニュースでbuy timeというフレーズが結構出てきました。時間「稼ぎ」。これも英語から輸入された言葉?

* * *

世間は感謝祭の4連休で、こちらはのんべんだらりと働いたり休んだりしつつ、自炊でご飯がおいしく食べられました。先月あたり、休みは持て余して困ると思ってたのですが、そうでもなくなってきたかも。
そして、こっから2週間がわりときつきつな感じでやだなあ。

2021年11月28日

買い物

米国は1日9万数千人の感染者が出ていて、しかし死者は1日千人ほどで安定しており(いやこれもすごい話なのだが)「このままちょっとひどい風邪くらいになって受け入れられていくのかな~」という雰囲気もあったところ、オミクロンさんが出てきて俄然仕事が盛り上がってしまい、それでも今のところアフリカとヨーロッパの話だしな、と思っていたら、夜に東京から「あなた夜勤だよね!?!?」的な切羽詰まった電話がかかってきて(なんでワシントンのシフトを知ってるんだ)脊髄反射みたいな仕事をしているうちに寝るのが2時、頭がさえてしまい寝付いたのはたぶん3時。

起きて11時。みんなが騒ぎ出すと気持ちがさーっと引いてしまう性格にて、今日はオフとする。
ちょうど前日にアマゾンから届いたFodor's Bucket List USAというガイドブックをぱらぱらめくっていたら、DC東側のイースタン・マーケットが紹介されていたので行ってみました。
地下鉄駅を降りてすぐのところに市が立っています。背後の建物の中には肉屋やちょっとした食べ物屋が入っています。
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アップルサイダーは要は濃いリンゴジュースらしく、秋の味覚なので飲んでみたかったんだけど、ボトルで買うほどではないんですよね(と思ったら写真中央の銀色の容器は1杯売りのやつですね。飲んでおけばよかった)。アップルバターもおいしそうだったがパス。
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「やばい地域」と前前任者から教えられてきた南東地域なのですが、ここは観光地でもあり、そんなでもありませんでした。しかしこのあたり、地下鉄の車内に大麻みたいな匂いがしてるんですけど何。

日が傾いて5度くらいか、寒いので退散して、ついでにDC北部に回り、ベッド・バス&ビヨンドというニトリみたいな生活雑貨店にいきました。いろいろ見るのは楽しいんだけど、結局買ったのは家の近くのターゲットで欠品していた突っ張り棒だけ。

日本なら100均で買えるだろうみたいな台所用品が1000円とかするのは米国に来てびっくりしたことの一つです。ふきん2枚で500円だよ?もっと台所まわりのものをたくさん持ってくるんだったというのが反省。コップのたぐいに至っては大阪の職場で使っていた肉厚でお気に入りの砥部焼の焼酎グラス1個しか持ってきてないので不便でした。やっと2ドルのマグを見つけて買いました。

* * *

ブラックフライデーというのも何だろうと調べたら米国発祥の言葉だそうだ。
感謝祭が11月の第4木曜日固定で、金曜も休みになることが多いため、買い物をしてもらう日なのですね。Wikipediaを見ると、フィラデルフィアの警察が街頭に人が増えて仕事も増えるためブラックと呼んだのが始まりだとされていますが、起源が特定できてるってすごいね。

* * *

ちなみに突っ張り棒は寝室に遮光カーテンを付けるためのものでした。朝、明るくなると、寝不足でも目が覚めてしまうのです。
帰ってきて設置した時はもう外が暗かったので、あすの朝どれくらい暗いか確かめたいと思います。
ちなみに突っ張り棒は英語でtension rodです。どっちかがどっちかの直訳なの?

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家でご飯が炊けるようになるとますます外で食べる意欲が失せます。今日は鮭のムニエルにしてみました。
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アジアンスーパーでもないと切り身がパックで売られているということもなく、魚はさすがに暫くお預けかなと思っていたら、鮭のフィレが4枚入った冷凍のバッグが普通にターゲットにあったので買いました。しかも個包装なのがありがたい。11ドル(つまり1切300円)とちょっとしますが毎日食べるわけでなし、外で食べると平気で5倍しそうなのでありがたく利用させてもらいました。

ちなみに小麦粉は安いんだけど2キロとかの袋しかなく、そんなにあっても使えないので、Hマートという韓国系のスーパーに行ったときに手頃な袋(外袋を捨てちゃったが多分200gくらい?)で99セントというタイの唐揚げ粉みたいのを買って使っています。

にんにく焼き肉のためにチューブにんにくを探したがなかったので、李錦記のにんにく細切れ瓶を買いました。多分これガーリックシュリンプ作ったらおいしいと思う。そのうち。

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母が胃がんの手術をする前の2000年秋だったか、実家近くの公園で撮った家族写真があって、そこには一家4人が並んでいます。父の家の玄関に飾ってあり、実は弊管理人もカードケース→今は書類入れに入れて持ち歩いています。

米国出発前に車山に行ったとき、久しぶりに父、妹と3人並んで写真を撮りました。そのとき父が誰にともなく「4人が3人になって、今度は2人になっちゃうなー」と言ったので(ちょっとちょっと、死ぬわけでなし)と思ったのですが、まあ3年いなくなるというのはそういう感じなのかもしれない。

実は人事の打診を受けたときに父にも意見を聞いたのですが、「面白そうだし行ってみれば?」と軽い感じで返ってきたので、まあそういう感じならと受ける方向に動いたのでした。実際はもう2,3人の後押しもあったのですが、それでも熱望していたわけではなかったあのとき「やめときな」と言われたらやめてたかもしれません。

といいつつ現在のところ「どのみち3年いるわけだし」と淡々と目の前のタスクをこなしています。
1年の留学だったらが休日はがつがつ遊んでると思いますが、開拓行動はすごいゆっくりですね、今。寒いし。

2021年11月26日

感謝祭

米国東海岸は11/25の昼前です。サンクスギビングの祝日で外がいつもよりずっと静かなように思います。
キリスト教圏共通の何か?というくらいの理解でしたが、調べたら米国の行事でした。

1620年にメイフラワー号で渡ってきた100人余りが、途中で航路がずれたために北東部のマサチューセッツ州に到着したのが12月21日(それは寒かろう……)。最初の1年で半数が病死するほど厳しい環境の中で、ワンパノアグ族から漁撈や農業、狩りの知識を借りるなどしながら、次の年の秋には豊かな収穫を得ることができた。そこで先住民を招いて祝宴を開催したのがルーツだそうです。そして今時っぽい追記:

最近まで、多くの学校の教科書には、ピルグリムの物語として、すべての感謝祭の料理をピルグリムが作り、「より恵まれない」インディアンに与えたというように書かれていた。実際には祝宴は、今では私たちも知っているように、荒野で生き抜く方法や、食料の採集法や料理方法を教えてくれたインディアンに対する感謝の意味もあって計画されたものであった。インディアンたちがいなければ、最初の入植者たちは生存できなかったと思われる。

1864年にリンカーンが11月の最終木曜日を感謝祭とした後、1941年に連邦法定休日になったそうです。七面鳥、カボチャ、クランベリーソースなどを家族で食べる習わし。

なんかネット記事も「いろんなものに感謝しよう」的な優しいものが多い気がします。ハロウィンとクリスマスに挟まれた中途半端なホリデー、という評価も目にしましたが、ここから年末感が出てくるらしく何となくゆったりした雰囲気。近場のスーパーも25日は休みです。世間的には木曜から日曜までの実質4連休となり、各地の空港がめっちゃ混んでるというニュースをやっていました。

何か出掛けていって見るべき行事はないのか?と検索したら、メイシーズMacy'sというデパートがパレードをやるというのが当たったのですが、ニューヨークでした。仕方がないのでアジアンスーパーにみりんでも買いに行ってくるか。

* * *

アマゾンで買った米と炊飯器で、家で初めて白飯の夕食を。
米は80オンス(=2.3キロ)700円くらいで安いです。炊飯器は、2万円くらいするマイコンのではなく、とりあえず銭失いになってもいいやで5千円くらいのすごいコンパクトな象印3合炊きを選びました。大きさが分かるよう、少し引いた写真で。ガラスの蓋をかぶせてスイッチを押下してしばし待つだけです。3千円クラスで似たようなのもあるんですが、なんとなく象印なら丸い米をできるだけおいしく食べたい日本人の気持ちが分かってくれるような気がして。
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でも全然問題なく炊けました。粒が立って米がキラキラ光り、甘い匂いが立ちこめるわけではないが十分です。
スーパーで買った豚肉を細切りにして適当に炒めた。アジア系のスーパーではないがキムチもあったのでゲット。
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右下の黒い部分はエラーではなく味付け海苔です。これは昔お世話になった方が9月、弊管理人が送った転勤挨拶の葉書を見て送ってくれたものです。最初、既に荷出しをした大阪に送られ、それを東京に転送し、スーツケースに入れて日本~米国ホテル暮らしの間持ち歩くことになって「そんなんしてくれなくてもいいのに……」と思っていました。でも開けて食べたらしみじみおいしくて、すぐにお礼のSMSを送ってしまいました。

* * *

・1日1初めてシリーズは「手紙を出す」で、郵便局の自販機でフォーエバースタンプを買って投函しました。フォーエバースタンプとは、よく郵便料金が変わるので、一回買ったらその後値上げがあっても追加料金を払わずにいつまでも使える切手だそうです。いま$0.58。簡単だった。ちなみに送ったのは銀行の書類です。日本行きの葉書もやってみるか

・会社のビルの守衛のおねえさん(黒人)がHave a good one!と聞こえる挨拶をしてくれるので、何と言っているのかと思っていたが、このままで北米でよくある表現のようです。Thanks, you too!と言えばよいみたい

* * *

インフルの注射をしたとき、薬局のおねえさんが針を抜いたあと「どこ刺したっけ?」的な顔をしながらシールを貼ってくれたので、後で剥がしてみたらこうでした。ハズレではないがニーズが十分に満たされないところが米国っぽい。
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仕事で、ある行事に弊管理人がメールで参加登録をしたあと、加勢が必要だろうということで同期の同僚にも追加で登録してもらうことになったのですが、彼が「『(弊管理人)に加えて自分も』という書き方をすると勘違いされて追加じゃなく置換されてしまう恐れがあるので、単に『自分を登録してね』というメールを送っておく」と言っていて、そういうもんかと思いました。なるべくシンプルにしないとということ。「お世話になっております」「どうぞよろしくお願いいたします」的なメール、ないもんな。

2021年11月19日

よもやの歯

この陰鬱で無機質な場所がワシントン首都圏を走る地下鉄の中心駅、メトロセンター駅です。
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装飾が豪華で、駅ごとに趣が違うウズベキスタンと違って、各駅この通り。そして駅によってはもっと暗かったりする。ちょっと乗ると$2.50とかになるのに、それでもだいたいお金のなさそうな人たちが乗っていて、スマホからガシャガシャ音漏れさせながら音楽を聴いていたり、汚いズボンはいてぶつぶつ喋ったりしてたりする人たちと目を合わせないように見るともなしに見ていると、ロールズが「無知のヴェール」をかけてみようと思った気持ちが窺えた気がした。自分があいつだったかもしれないならば、どういう社会がいいだろうかと。日本だとみんなが同じ顔をしすぎていて、あいつと私の差をあまり感じないんだよね。

* * *

なんて考えながらレッドライン(日本の首都圏でいうと、足立区あたりから東京駅に入ってきてまた大宮のほうに抜けてく感じの線)に乗って歯医者に行ってきました。

10月に折れた歯は、セメントで応急的にくっつけてもらって英国出張も無事乗り切り、工夫してなるべく負担をかけないように食事できるようになっていたところ。今回はそれをまた外してクラウン(人工の歯を残ってる歯にかぶせる)治療をしました。何か芯のようなものを入れたそうで、仮歯をかぶせるところまで。次回に完成品をかぶせて終了だそうです。

もともと歯並びがあまりよくなく、その上いつだか顎を強打したときにダメージが行ってたんじゃないかなあ。さらにガツガツ食べるほうなので硬いサンドイッチをほおばった時に最後の一押しをしてしまったんだと思う。かなり根本からぼっきりいったので、クラウンはかぶせたとしても強度を考えればそういう食べ方はもうできなくなった。歳を取ると他の歯もだめになっていって、クラウンをかぶせた歯もそのうちまただめになって、体じゅうだめだめになって不健康な老人になるのでしょう。

歯医者の椅子で型を取るための固まるゼリーみたいのを噛みしめ、ピーカンの空を見ながらそんなことを考えてました。歯茎周辺をいじられて結構痛いのと、鼻くらいまで麻酔が効いていて変な感じ。ただ日本の歯医者と比べて対応が繊細だと感じた。なぜこの治療をするか、リスクは何か、術後の注意点は何か、といった説明文書と金額を先に紙で渡されてサインすると治療が始まるというのがいかにも当地っぽい。

夜には雨になりました。天気予報当たった。折りたたみ傘は常時携帯につき、鉄壁の守りで退勤しました。

* * *

前回の日記だったか、社会人になるための手続きだいたい終わりと書きましたが、免許の手続きは「immigration statusが即座に確認できなかった」とかで少し待つことになりました。これも「え~」と思ったけど、翌日にはいったん忘れつつ待つ諦めがつきました。

仕事先で会った他社のおじさんと話をしていて、その人は2回目のワシントン赴任だったのだけど、会社の周りに飯を食えるところがない、朝起きて食べるものがないとがっくりする、中古車でなかなかいいのがない、と大変そうで、みんなそうなんだな~、2回目でもそうなんだな~と思います。「この国に歓迎されてないことがよく分かる」とおっしゃっていて、それは本当にそうだなと。

* * *

2日連続、会社で夕方にうっかり瞼が閉まった。疲れてると思う。ちょっと早寝しよう。

2021年11月14日

部屋

とにかく早くホテル暮らしを終えて落ち着きたいからと急いで部屋を決めたのが9月末。
10月6日に前任者からいただいたベッドと子どもの勉強机、ライト、カラーボックスとスチール棚が届いて寝泊まりができるようになりました。
それから、変に広い部屋の隅っこでぽつんと暮らしていました。英国出張から帰ってきたら秋が深まっていて、足下がちょっと寒いのでアマゾンで小型のオイルヒーターを買ったのが11月7日。
そして、やはりアマゾンで買ったラグと安楽椅子、あと大きな机が昨日届いて、ようやく自分の部屋ができた感じ。
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あとは増えてもせいぜい電子ピアノを買うかどうかくらいです。
ロッキングチェアが意外とでかい。あと結構いい値段した。でももらったデスクチェアは背もたれが倒れないので、息抜きできる椅子が欲しかったんです。「一人で持てない家具は持たない」ポリシーは引き続き維持しているのでソファは回避。

机は自分のデスクトップPCのモニタの横に会社のノートPCを置いて仕事をすることがあるので、120×60cmの大きめのを新たに買いました。これくらい広いと片付けなくてもご飯が食べられてよい。日本で使っていた机は大阪の後任にあげたので、今回買ったものを持ち帰るつもりです。いつのことやらですが。

* * *

金曜は上記家具のほか、待っていた二つの書類が届きました。

(1)ソーシャルセキュリティカード。納税者番号みたいなものだと思いますが、銀行とか給料受け取りとかで必要なので。あと何よりクレジットヒストリーの構築に必須だということ。米国での信用ゼロの状態でもカードを作ってくれるANA CARD USAを1枚持ったあと、この番号を登録して使うことで初めて信用度が蓄積していき、別のカードを持つことができるようになるそうです。
10/15にDCの役所に面接に行ってきて「4週間待って」と言われ、期待しないで待っていましたが本当に4週間ぎりぎりで届きました(隣のメリーランド州に住んでいる同僚はなかなか届かず当局と激しくバトルしたそうです)。

(2)日本の免許証からの切り替え承認通知。バージニア州に住んでいると、日本の免許保持者は(やや面倒臭い手続きを踏めば)試験免除で免許が取れるのですが、その通知。DMVという当局にこれと必要書類を持っていき、写真を撮って手数料を払うと免許ゲットです。これも直近の手続きをした日本大使館から「2週間後」と言われて本当に2週間の手前で届きました。

免許の手続きが終わると、「米国で社会人になる」プロジェクトが一区切りです。渡航ひと月半、ほんと色々と面倒臭かった。まだ「車を持つ」というでかい買い物があるんですけど、それは別として役所手続き関係はたぶん落ち着いた。

2021年11月12日

ベテランズデー

祝日でした。退役軍人の日。第一次大戦終結の日に由来しているそうです。
朝、戦闘機が飛んでいくような轟音で起こされて、CNNをつけたら近所のアーリントン墓地に大統領がきてセレモニーをやっていました。

そういえば仕事上の必要もあって、職場と家でほとんどCNNを流しているのですけど、ものすごく内政偏重じゃないですか。世界で何が起きているかどころではなく、アメリカに関係ありそうな国外のニュースさえほとんどやってない。大統領がG20のためにイタリアに行ったときにやっとイタリアからの中継が入ったくらい。ひょっとしてCNNインターナショナル、みたいなチャンネルが他にあるのだろうか。

* * *

一言一句聞こえるわけではないものの、なんとなくこんなことを言ったかな?という予測で答えるとだいたい当たってる、くらいの会話ができるようになってきた感じ。
聞き取る能力は多分、買い物や荷物の受け取り、電話会議の入り方など「仕組みに関する知識」と一体で、生活のさまざまな場面を一度経験することがスムーズな会話を可能にしてくれるように思います。

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「カリオストロの城」のミートボールスパゲッティをちょっと特別な食べ物のように思っていたのですが、こちらに来ると普通でした。
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乾麺の値段は日本くらい。瓶入り(5食くらい)のパスタソースは200円前後で日本よりかなり安い印象。ミートボールは50個入りが500円くらい?でスーパーにありました。パルメザンチーズは日本のやつ数本分の量で300円とかなり割安。冷凍野菜も袋で2ドルとか。別にうまくないサンドイッチが1000円とかすることを考えると、早期に基本自炊の生活に移行するとQoLが上がりそうです。

スーパーはハリス・ティーターHarris TeeterとターゲットTarget、あと今日はトレーダー・ジョーTrader Joe'sを体験しました。
バナナは1本20円くらいで安い。野菜や果物は必要な分だけ袋に入れて量り売りなのが便利。リンゴは「ふじ」があって意外とおいしいです。小ぶりですが1個80円くらい。肉は1パックの量が多くてちょっとどうしようと思う。パンも1袋15切れくらいと多いですが、凍らせて1枚ずつ食べています。

日本からもっと持ってくればよかったものは台所用品と食器で、安いのあるだろうと思ったら意外と高かったりし、しかもバラであまり売ってない。車が使えるようになったらイケアとか百円ショップに行ってみるか。

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10日は朝からいろいろ読まないといけないものができてしまい、結局出社のタイミングを逃しました。弊管理人が参加したほうがよさそうな案件で職場から電話がきたものの、咄嗟にちょっと分からない旨の返答をしたらそれきりになりました。なんか乗っかっておくべきものに乗らなかった憾みが残った。が、そういう日もあるさと思って淡々と自分の仕事をして寝ました。こちらに来てから「サンクコストは気にしない」と割りきるようになりました。そうでないともたないことが多いというだけ。歯科治療費とかね!!

2021年11月09日

アフリカ系

日曜、昼間に家で軽く仕事をしたあと、ワシントンDCの「国立アフリカ系アメリカ人歴史文化博物館」に行ってきました。
食べる、踊る、装う、話す(スラング)など生活のさまざまな側面に「黒人特有」の何かを見いだす展示。
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400年前に遡る奴隷の歴史と、南北戦争後のReconstruction(この用語は今回初めて知った)、公民権運動、そしてオバマ。
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展示のコンセプトはこれまで読んできた本などを思い出して「こういうことかな」と分かることが多いですが、ファクトに関しては物量が多くて疲れました。前日の土曜に2カ月以上ぶりに運動したことによる筋肉痛もあって、最後は「続きはまた今度」と早足で通り過ぎてしまいました。

* * *

なぜそうなったのかよく分かりませんが、出張で英国に行ったときに元気が出たのがきっかけで、帰ってきてからもわりと元気が続いています。そうなると新しいことをしなくなるので、1日1回は新しいことをしようと思っています。そんなに大層なことではなく、冷凍のケーキを買ってきて食べるとか、それくらいです。しかし食後に甘い物を食べるのも久しぶりなので、食べたことで何か生活を取り戻した感じがします。20センチ角のケーキ、8等分して食べてくださいと箱に書いてありますが、甘いので18等分くらいのペースで食べています。

あとは、近所のレストランにオンラインでオーダーを出しておいて、取りに行って家で昼食や夕食にするというのをちょくちょくやっています。中華が多いです。歯のこともあって、硬いサンドイッチのように「噛みちぎる」ということをしなくてもいい米が有り難いんです。

2021年10月26日

歯が折れた

あまりにショックだったので書いておく。

硬いサンドイッチ食べてたら前歯(2番目)ぼっきり折れた。かなり昔、治療で神経取った歯ではなかったか?ちょっと前から舌で裏側を触ると何か欠けているような感じがしておかしいなと思っていたのですけど。
痛くないのが救いだがそれ以外の救いがない。歯科通院だけは発生しないように気をつけていたのに。会社の医療保険は歯科をカバーしてない。何それ。こっち来て本当にいいことがない。帰りたい。

2021年10月24日

近況つづき

日記に「メモ」と「報告」と「セラピー」の機能があるとすれば、いま確実にセラピーです。
雑事を大量にこなしているうちに1日が過ぎていて方向性が見えないというか、飛び立てる感じがしないのだけど、しかし飛びなよ、飛ぶよね?と言われているような。いや実際はそんなに言われてないのですけど、そういう気がしてしまう。

前前任者にちょっと用事があってメールをした時にうっかりそんなことを書いたのですけど、

  生活を楽しむだけでOKです。
  何か失敗しても3年はそこにいられます。
  すぐ慣れるよ。

と返ってきました。特異な人なのでその通りかはともかく、そうだと思いたいしありがたい。
前任者も東京に戻っているのにいろいろ助けてくださるのがありがたい。

* * *

それにしても20数年前の海外となんでこんなに楽しさが違うのかと。
考えてみましたが、前回は(1)寮が飯つきだった(2)寮で友達がすぐできた(3)妙に恐い物知らずだった(4)どこから矢が飛んでくるか分からない仕事ではなく自分でやることをコントロールできる環境だった(要は長い旅行みたいなもんだった)――というあたりか。

(2)は結構大きくて、今たぶん他愛ないおしゃべりを求めているんだと思う。20数年前は安くかけられるがそれでも高い国際通話のカードを買って実家と電話したり、持ってきたノートパソコンが途中で壊れたために、漢字が打てない学校のパソコンからローマ字で同級生とメールしたりしていたけど、結局一番助かったのは現地に四六時中友達がいたことだった。

(3)はそんなに精神的な体力が落ちたかなあという疑問はある。当時とて、いろんなものに守られていたせいで恐い物知らずな態度でいられただけだろう。

(4)が相当でかいが、それでも(それだからこそ?)「できるだけのことをするしかない」という境地に近づきつつある。
半年ほど先に赴任した、もともと知り合いの他社の人と話したとき、「そうはいっても東京に比べれば楽ですよ」と楽しそうなのが印象的だった。あのステージに早く行きたいですね。

* * *

自分で思うが弱ってないか。これ。

* * *

前の職場の若手ちゃんから、やりたいことをやるための退職の知らせ。
「理不尽・不合理なワンダーランドで生き延びた経験は、どこに行っても役立ちそうです」
とのこと。

そのころ、会社のポータルサイトには弊管理人と同期の20年勤続表彰のお知らせが掲示されていた。(どうでもいいけど中途で同じ年に入った人を除くと4月入社の同期は21人でした。30年表彰の人たちは67人。その上には100人時代があったはず)
「こんな面白い仕事はない」と言いながら働いている人を見たあと我が身を省みるに、単に愚図なのだろう、とまとめかけたところで、成田と東京の仕事が意外と面白く、札幌は生活が楽しかったせいだと思い直しました。それさえも本当かどうかはよくわからない。

それにしてもほんとに次々と若手ちゃん辞めますね。1年半余りいただけの大阪管内で既に6人。
一方、大阪時代にそそのかした若手ちゃんからは、弊管理人の出身部に異動希望を出したとの連絡。来年来るにはちょっと早いかもとは思いますが、どうかな。

2021年10月17日

近況

9月25日に渡米し、仕事と並行しながら生活の立ち上げ中です。
ようやく自分のPCを開梱しました。

・いきなり知らない国に赤ちゃんとして生まれ、「今から急いで社会人になってください」と言われたように、真っ白の状態から大量の手続きや覚えることが押し寄せてきて疲労困憊しました(時差ぼけが10日くらい続いたのもある)

・その間にヘビーな突発の仕事も入り、ルーティンのほか、さっそく迫ってくる出張の準備もあっていろいろ追いついていない毎日です

・一人で入れる定食屋のようなものがほぼなく、「3食食べる」ということがこんなに面倒に感じたことはありません。多分痩せました。当面は冷凍食品を活用しつつ、徐々に自炊に移行していくのが目標です

・先達からは「2カ月くらいは落ち着かないし思うように進まないのが普通だから、ゆっくりやればいいよ」と励まされました。それしかないかなと思っています

・いやもっと全然比べものにならないくらい大変な国に行ってる人もいるのは知ってますけど

* * *

自分用メモ。

【とりあえずやった】
・携帯電話を持つ(前任者のを引き継ぐだけ) 9/30
・住むところを探し入居する 10/6
・ネットや電気などインフラの契約をする 10/1
・銀行口座を作る 10/1
・クレジットカードを作る 10/13到着を知る
・小切手で給料をもらう 10/14
・地下鉄を使う 10/2
・uberを使う 10/6
・レストランでクレジットカードを使ってチップを払う 10/?

【手続に入った】
・運転免許証を作る 10/9
・社会保障番号を取得する 10/15

【まだこれから】
・車を買う
・レンタカーを使ってみる
・予防接種を受ける

2021年09月22日

車山とか

連休はラスト帰省でした。
台風が来ていたものの、天気図を見て大丈夫と判断、家族3人で諏訪の温泉宿に泊まった初日は雨もようでしたが、翌日は台風一過で晴れたので車山へ。
ほらね。左は八ケ岳、その隣にうっすら富士山。
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そういえば9月下旬という時期に帰省したことなかった。父宅は暑くもなく寒くもなく、夜もよく眠れました。
父方、母方ともにばあちゃんは不在で、伯母とさようならしてきました。
父と伯母とはLINEを交換しました。これで遠距離の通信も低コストでできるでしょう。

6年会ってない叔母(母の妹)からメールがきてじゃあねという話。
返信にも書いたんだけど、うちは母方の祖父はシベリアに抑留された上にウズベキスタンに移送されて劇場作らされたりし、父方の祖父は飛行機乗りで中国戦線に行っていたとかで、なんだかんだ仕事(?)で海外行かされることってあるよねと。

* * *

会社旧知のおねえさまとお茶、あと出身部のおにいさまがたとランチ。
札幌時代の上司に会ったら「来年定年だから、君が戻ってきた時にはいるかどうか分からないけどな」と言われて驚くなど。札幌時代、ちょうど今の弊管理人と同い年くらいだったんですね。人の仕事人生は短い。そして意外と漂うさようなら感。

* * *

朝は「今日も何かしないといけない今日が始まってしまった」とゲンナリしながら起き、昼はぎゅんぎゅん飛び交うメールやメッセージをチラ見しつつ諸準備し、夜はそれなりに勉強などしつつ床に就くという何やってんだかな生活もそろそろ終わりに近づいてきました。

* * *

■小泉宏之『人類がもっと遠い宇宙へ行くためのロケット入門』インプレス、2021年。

滑り込みゲット。してよかった~

2021年09月16日

多少の会食

研修的な勤務も終わり、転勤休に入りました。
しかし10月末の出張準備とか、新任地の仕事に向けた勉強、情報の整理などで結局寝るのはてっぺん回ってから、という状態が続いてます。

そうした中でも会食を催してくださる大先輩などあり、15日は少人数で築地さくっとお昼。
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携帯で撮ったらピントが思い切り後ろに行ったが、おいしかったので掲載。
弊管理人の流浪はほぼこの人の仕業なのですが、悪意ではなく何かを期してのことだと思いますし、それは措いても大好きなおじさまなのでありがたくご馳走になりました。なんだろうね、特に名刺代わりになる仕事もない弊管理人をなぜ送り出そうと思ったのだろう。

そのあと、今年定年になったものの旧所属で引き続き働いているおじさまにも会いに行きました。
弊管理人が最初に赴任した千葉時代の上司で、母があと1週間と宣告されたときに「けりがつくまで帰ってこなくていい」といって忙しい職場から実家に帰してくれた人です。
やはり、いつまでたっても何にもならない弊管理人に何かを期待し続けていた人です。職場で1時間以上、立ち話しました。「野心がないよな」と言われました。そうなんですよ。そこ。すいません。

* * *

夜、わりと強めに誘っていただいた先輩が「俺、マスク信じない派だから」といって顎マスクで現れ、「来週飛行機に乗る前にPCR検査するので陽性になれないんですよ」と着用を求めると「そしたら渡航遅らせりゃいいんでしょ?」と言い放ったので強めに詰ってしまい、30分で終了。あちらはそのあと飲みに行ったようです。

* * *

ちょっと大きめの懸案が赴任後に先送りとなった16日、いろいろ処理しているうちに午後になり、あああ出かけたい、となって15時を回ってから京急に乗りました。
逗子海岸。
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行きつけの飲み屋さんのみんなで何回か来た海。
暑くも寒くもない秋の穏やかな夕暮れを見てました。外人さん、ランニング、犬の散歩のほかに、この時期なのに裸で海に入っている人もちらほら。
それにしてもなんというか、つい2年前、動き回ることがこんなに面倒な世の中になると思ってなかった。当てにしてたお店がもうなく、海の家は立たず、欧米の行き来をするのに公的文書を読みまくらないといけなくなってる(上記懸案はそれ)。

暗くなっちゃった。ふと見つけた「つく志」で地魚フライ定食。
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アジ、カマス、カジキ。揚げたてほくほくでうまかった!

* * *

そういうわけで、もやもやしながら生活しています。

2021年09月12日

東京仮住まい

1日付で東京の部署に異動になって、会社の持ってる宿舎に住みながら短期間の研修的な勤務をしています。8月下旬からほとんど仕事らしい仕事をせず、しかし新しい任地に行ったあとの算段などいろいろあってぱーっと出かけられるわけでもなく、このご時世により夜にいろんな人と飲めるわけでもなく、悶々と暮らしています。

今日は20年前に初任地の千葉で一緒だった(そして今年初めまで大阪でも一緒だった)おにいさまと新宿でランチ。そしてたまたま二人とも甘味好きだったため、丸井に入ってるフタバフルーツパーラーで喋ってました。クリームあんみつ、うま。
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今いる部署とこれから行くところはウルトラ優秀な人たちばかりのところで、騒乱があると反射的にそちらに走ってしまう人、不確実性に対して積極的に働き掛けてしまう人は遺伝子レベルで何かが違う(つまりホルモン産生のパターンが違う)と思っている弊管理人にとっては「つらい」以外の展望がありません。

そんなネガティブなことや、いろんな人の消息について話しているうちに若干気が楽になって帰りました。まあおにいさまも元英国駐在で優秀な人なのですけど。
それでもたぶん今の弊管理人には他愛のないおしゃべりが必要なんだと思います。

* * *

米国転勤が決まってから、社内の先達に「いいな~いいな~」「僕もう一回行けって言われたら行きますよ」「休みの日はバーベキューだな」「好きな街だよ~」と声を掛けられましたが、これらのことを言った人たちは漏れなくウルトラ優秀勢です。ちなみに弊管理人と交代で帰ってくる前任者はいつもつらそうです。この落差は何……

と思って、今は福井のえらいひとになっている前任者の前任者(←この人は満喫派)に電話をしました。

「全体をフォローしようとするとつらい。必須の仕事は明らかに必須だから、『今日の仕事はこれ』と決め、それ以外は切るつもりでやるべし」

というのがお答えでした。
弊管理人は前任者(←つらい人)ほど緻密ではないものの、わりと全体を見ようとしてしまう性質で、つらいやり方をしてしまいそうです。しかしこの格言は心に留めておこうと思いました。前任者の前任者(←満喫派)からは最後に「俺ができたんだから大丈夫だよ」と励ましていただきました。えっそんな優しい人だったっけ(失礼)。

* * *

恐らく来年にはほぼ確実にアフリカ出張が見込まれるため、黄熱のワクチンを打ってきました。
東京駅近くの某クリニックに行ったら、既に公職は引退した80代の感染症の大家に問診されてびっくりした。なんでこんなとこにいるんですか。「アメリカの食い物は雑だから気を付けろ」とめっちゃ繰り返し言われました。
接種後に仕事してましたが、すごい眠かったです。

* * *

なにやら感染状況が落ち着いてきており、ううむ来週末に最後の帰省をするか……と迷っています

2021年08月31日

引っ越しと帰省

■27日、大阪で退去の立ち会いをやってから新大阪までタクシーで移動し(いつも地下鉄だったので初めて使った。1800円くらいで済んだ)、新幹線で東京。スーツケース引きずって会社に行って社宅の鍵をもらい、汗でどろどろになりながらようやく到着しました。
部屋はwifiがなくネットが有線だったので、いったん街に出て2000円くらいのポータブルルーターを買い、100円ショップで必要な雑貨を仕入れ、とやっていたら日はどっぷり暮れ、それでもシャワーを浴びて部屋のドラム式洗濯乾燥機で洗濯ができたところまでで満足して就寝。

■28日は朝一番で歯医者に行き、そのまま新宿に移動してバスで帰省しました。
新宿はかなり人が少なかった印象。
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弾丸で一泊した昨年末以来の実家です。弊管理人だけでなく父、本家の伯母、祖母、父方の祖母もワクチン接種を受け終えているというのが大きな違いです。さらにマスクを極力外さない、気休め程度の抗原検査、風下に立つ、手洗い、SpO2と体温を頻繁に計測、などできることの重畳によってリスク低減を図りましたが、それでも「自分は感染している可能性がある」との前提で2日間動くのはかなり気疲れしました。
夕飯はいつものソースカツ丼。
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おいしかったです。

29日は本家へ。たんすの防虫剤を入れ替え、伯母の手作りの昼食をごちそうになりました。
100歳になった祖母は弊管理人をギリギリ認識できたかどうか。3回、握手すると、祖母は自分の額にその手を当てて「元気でね」と。たぶん全員が「これ、最後かな」と思ったことでしょう。

そのあと、父の実家にいる祖母にも会いに行きました。
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縁側で祖母と話したあと、草刈りに来ていた叔父、叔母(義理)と4人でアイスを食べました。こちらはまだ最後ではないと思うけど、どうかなあ。でも90代になると分からないよね。

海外赴任は本人が若くてぴちぴちしてるほうがいいというのもあるけど、家族状況の面でも40代半ばはもうギリギリの時期かもしれない。国内にいてもお別れに立ち会えるかというとそうでもないが、弔いの場にさえいられない可能性があるのはね。それでも親世代は「面白そうだしいいんじゃない」的なことを言いました。どうなんだろう。

本家で食べきれなかった昼食を伯母に詰めてもらったものを実家に持ち帰ったら、父が「飯がない」といっておにぎりを2つ作ってくれました。
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帰りのバスで夕食にしました。恐らくもうコラボすることのない2人のコラボだなと思って撮影。6年くらい前だったか、2人が決裂して以来「PKO」と称して実家と本家を行き来してきましたが、祖母有事の際は弊管理人のいないところで弔いや相続などの諸手続に対処を迫られることでしょう。弊管理人のPKOは結局あまり意味がなかったのかもしれん。

そんなことでいつも以上に気持ちの晴れない帰省でした。

2021年08月26日

荷出し

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荷出ししました。このかん打ち合わせをやってきた運送会社のできそうな担当者の方に「できるだけトランクルームに入れていったほうが」と盛んに勧められているうち、「現地調達できないものとは一体なんだろう」と自問自答し、過適応したために現地に送るのは段ボールで航空便3箱、船便3箱にまで減ってしまいました。ちょっと余裕ある難民くらいか。違うか。そして結局全部航空便で送ってもらえることになりました。それはまあよかった。そしてこの数日ずっと悩んできた荷物の取捨選択が終わり、なんとなしに気分が軽くなりました。

後任が大阪に入って、うちから歩いて10分ほどのところに落ち着いたので、あげた家電の説明にちょっと行き、ふらっとその辺を歩きながら家に戻りました。1年7カ月はほとんど一瞬だったな~と思いました。家具がなくなった部屋に全く違和感がなかったのは、去年の1月の終わりに家具が運ばれてくるのを待ちながらこの角度から部屋を見た記憶がまだ新しいからでしょう。あと、めちゃくちゃ忙しかったというのもある。だとすると、次の赴任地に前任者と同じく3年いたとしても永遠ほどには感じられないのかもしれません。

しかしまあ人と話すこともなく9時5時の定常的な仕事だけして生きていきたいと常々思っているのに、なんでこう人に次々と絡まれる長時間労働から逃れられないのでしょう。

* * *

最終勤務日となった23日に、退職者を含め40人を超える人からのデジタル寄せ書きをもらいました。
ほとんどの人が「うるさいおじさんにブチ切れていた」「武闘派」などと物騒なイメージを語り、仕事が速いとの言及もいくつか。大まかにまとめると「迂闊でイラチ」となり、うんそれで失敗してきたよ、とすごい反省し、しかしよく観察していると感心もしました。

若手ちゃんの多い職場なせいか、こういう行事っぽいのやってくれるのありがたいねえ。記念品もらってスピーチさせられる恐ろしいセレモニーは回避しましたが、引き継ぎでちょっと寄った今夜(26日)は去り際に拍手で送り出されてしまいました(照)

* * *

奥歯の詰め物が外れるアクシデント。
これがあるから長期赴任は恐い。

2021年08月21日

いろいろ準備

大阪最後の宿直が終わりました。これでシフトは終了。出勤日はあと月曜の1日。
この職場は転勤者の最終出勤日に集まれる人が集まり、記念品を渡して送辞と答辞をやって拍手で送り出すという大仰な行事をやるのですが、弊管理人は「シャイなので」といって辞退しました。後任が引っ越してきたら引き継ぎのためにまた会社に姿を見せる予定なのでいつが最終日か分からないし、まあ何より普通にシャイなので。

「送り出しは辞退とのことです。(弊管理人)らしいですね」と書かれたえらいひと(←好きな人の言うことしか聞かない弊管理人がかなりの無理まで聞いちゃいたいと思ってるひと)のメールが部内に回った金曜夜、宿直で会社にいたら何人かの若手ちゃんたちが来てくれて乾杯し、26時半とかに携帯で記念写真撮って帰っていきました。ありがたいことです。

宿直明けの土曜は定時の14時に上がって、東京の同じ職場にいた眠り姫(5月から大阪に来ているがあまり職場で会う機会がない)と2時間くらいお茶しました。まあなんやかんやで今後も連絡すると思うけど確かに暫く会う機会はなさそうやね。君ひょっとして弊日記見てる?と思わせる言辞がありましたが不問。お元気で。

構造は最悪だが人はこれ以上望んではいけないくらいいい人たちが揃っている職場で、数限りない不愉快がありましたが救いは確かにあったと思います。

* * *

今回の宿直は仮眠が4時間を切ったので、帰宅してちょっと作業などし、横になったら2時間半寝て20時半。しかも冷房きかせたまま、布団の中ではなく上に寝てしまったので寒っ!温かいもの食べたっ!となった。

夜は最後かなあ、オステリア87。
フリットはえびが大きかった。サツマイモがうまかった。鮎が沁みた。
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ハム、パテも思い出。
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バターとセージのパスタにトリュフとかそんな。
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お昼はカップラーメンだったし許してほしい(何を)。
お酒も出すし、22時までやることに決めたそうです。まあ分かるわ。
がやがやしたお店じゃないし、お酒が出されても出されなくてもリスクは変わらないでしょ。

* * *

新型コロナ2回に加えて、A型肝炎、B型肝炎、狂犬病、成人三種混合(破傷風/ジフテリア/百日咳)、コレラ、髄膜炎菌、MMR(麻しん/おたふく/風しん)という予防接種オンパレードでなんか疲れました。引っ越し後にポリオ、腸チフス、黄熱が待ってます。

* * *

米国転勤が決まってから「ご栄転」と言われることが多く、そのたびに全く喜んでないことを伝えているのですが伝わっているのでしょうか。いや分かってもらう必要もないのですが。
それで、本当に喜んでないかと自問すると本当に喜んでないのですが、しかし放っておくと本当に何もしない弊管理人はこうやってお尻を叩かれ続けることで芸の幅を広げてもらってきたということは知っています。

2021年08月10日

あと2週間

北新地、フィナンシェ。
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これは今日ではなく、3日の午後にモデルナの2度目の接種を受けてから、副反応が出ないうちにといって職場の若手ちゃんと食べにいったデザートコースのしょっぱな。
ちなみに副反応は、当日はなんてことなかったものの翌日がっつり熱が出ました。そんなこともあろうかと予めシフトを入れない日にしてあったのでそのまま休み。熱は38.1度までは行きましたが、夜にイブクイックを一発キメたら2時間ですとんと解熱しました。もっと早く飲んでもよかったのかも。若手ちゃんは1度目から結構つらかったそうで本人は大層心配していたのですが、案の定2回目は直後から熱が出始め、数日引っ張ったそうだ。ご愁傷様。

* * *

当地での勤務もあと2週間となりました。たぶんむっちゃすぐだと思う。

・「ものを増やさない」のが基本の中で、しかし引っ越し先になさそうなものを厳選して買っていくというミッション。調べてみるとニトリと無印はワシントンDCから遠いが、市内には百均(dollar store)とユニクロはあるので、細かい日用品と服のたぐいはほぼ大丈夫だろう。床掃除のあれ――棒の先におそうじシートだかモップだかを取り付けるやつ――は買ってしまった。あとは洗濯物を干す、枠にピンチがいっぱいついたやつ。ありそうな気はするんだけど大味な予感がして買った

・とかなんとかやっているうちに、本当に日本から持っていかないといけないものなんて実はほとんどないのではないかと思い始める。PCと書きやすいボールペンがあれば最低限なんとかなりそうじゃない?

・あと本ですが、電子書籍になってるものは現地からVPNに入ればキンドルで買えそう。頻繁に開くものはやはり紙だろうということで、持っていくのは数冊の仕事関連資料かなと

・荷造りしなくていいというのが救いです

* * *

9月の渡航直前にちょっとだけ家族旅行するつもり。その計画も立てないとな

2021年08月01日

わたわた

今いる職場では概ね月に1度3日間、その期間の全仕事を見渡さなければならない役割が回ってきます。他部署との連絡調整や支社上層部のマイクロマネジメントなど、とにかく不愉快を煮こごりにしたような3日間ですが、その最終回が木曜~土曜で終わりました。
モデルナの職域接種の2回目が木曜から受けられたはずなのに、3日間ほぼ身動きが取れないのと、副反応がひどかった場合に耐えられないため8月第1週に延ばしました。こういう不便まで含めてむかつきますが、まあとにかく終わった。あとは知らない。まだ宿直などその余のシフトは残ってますけどね。

* * *

日曜は大お洗濯大会と、さまざまな手続きで進められるものを進めていました。
午後に、友人が来た時に置いていったものを返しに尼崎へ、ついでにさようならを。
あと異動したとたんに出張しないといけないUK北部の宿を予約してました。

* * *

その他このかんやっていたこと:

・門真の運転免許試験場にて免許の期間前更新。2018年に更新して2023年が次の更新なのですが、帰って来られない可能性があるので期間前更新をしました。今年2021年の誕生日はもう来ているため、ここから5年延びて2026年まで有効になりました
・併せて、国際免許証の取得。米国では実技で免許を取ることになるのでどれくらい使うか分かりませんが一応。上記の更新作業が09:45開始、国際免許証受け取り12:45。長かった

・22年前に留学するときに支払い等のために作ったシティバンクの口座は、その後シティが日本から撤退したため三井住友信託のプレスティアというブランドに引き継がれています。口座に米ドルを入れておくと米国のATMでも手数料がかからず引き出せるというので使う気満々でいたのですが、バンクカードについてるVISAのクレジットと共通の暗証番号が思い出せず、試しに使ってみたクレジット支払いの場面で4回間違え、「あと1回間違えたらカード使用差し止め&再発行かも」と危機を察知して一度撤退しました
・家で申込時の書類を漁ると、手元控えの紙にメモってあった!!その4桁の番号は「お前なんでこんなもん使ったの?」と当時の自分に問いただしたいくらい「?」な番号でした。試しに職場近くのパン屋で300円余の決済にクレジット使って正解。肝を冷やした

・引っ越し業者に相見積もりをしてもらうのと、荷物の取捨選択
・船便は某疫病のせいで混載コンテナが滞っており、到着まで3~3.5月とのこと。「到着は年末でもいい家財」ってなんだよ。夏物の服とすぐ読まない本と、あとは歯ブラシ(いま赴任してる人から「絶対買い込んできたほうがいい」と言われた)や肌ラボ、今治タオルの予備くらいか。あと航空便はすっげえ高いことが分かった
・それでamazon.comでいろいろ調べてみると、考えてみれば当然だが大抵のものは現地調達できるな~と思った。風呂で使うカスチールソープは日本で買うより安い

* * *

緊急事態宣言で、馴染みのお店が閉まったままさようならになってしまいました。
にしやまさんのおばんざいは最後に食べたかったが仕方ありません。

2021年07月11日

なつやすみ振り返り

1週間の夏休みでした。職場で一番乗り。というか今年は早く取ったほうがいいと思うよ。オリンピックとかコロナとかあるんで。

■5日(月)
知人と昼飯、それから羽曳野の「延羽の湯」に行ってだらだらした。
帰りになぜか2人して餃子が食べたくなり、藤井寺駅前の王将で食べた。楽しかった。

■6日(火)
米国大使館でのビザ面接の前乗りで東京。8カ月ぶりか。
歯医者で歯のチェック、今回も問題なかったよう。
なんかこのころ山陰で大雨になっていたようだけど記憶があいまい。
夕飯は大学の時の同期と。なぜか四谷の「時短営業要請を無視してる焼き肉屋」に。焼き肉すっごい久しぶりでおいしかったんだけど、とにかくハイリスクだった。周囲がバカ騒ぎしているので、必然的にこちらも大声で話さないと会話が成り立たない。そうかこうやって「大声・長時間の会食」の場が成立するのな。

■7日(水)
ビザ面接は8:15集合。ちょっと早く入構が始まって、書類をチェック→指紋とって→面接。あんた誰?みたいな人に所属とポジションと勤続年数と何年いくの?みたいなことを聞かれた。前に並んでいたANAのおねいさんたちは勤続年数だけ聞かれて「じゃあ後でパスポート送るからね~」くらいで済んでいたのだが、弊管理人はなんかすごい楽しくなさそうに質問が重ねられた。いやまあ分からないでもないが。そんで門を出たのが8:40。あっちゅう間。

職場にちょっとだけ顔を出して、新橋の富士そばでミニカツ丼セットを食べて、あとは新宿のオッシュマンズを物色したが買うほどのものもなく、伊勢丹でレモンケーキ買おうと思ったら列が一向に進まない(=店員の要領が悪い)ので鈴懸でおしるこ買って新幹線で食べながら帰った。
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熱海のトンネルで減速したので出たところで山側を見たら、救助活動が続いていた。

■8日(木)
後半どこ行こうかな~と思いながら1日が過ぎた。というかすごい雨だった気がする。
堂島のジュンク堂に行って物色。

■9日(金)
結局、雨雲レーダーを見つつ、影響が少なそうな南紀を目指すことにした。
和歌山市駅の近くでレンタカーを借りて12時出発。びゅーんと高速で御坊まで行って「はし長」で昼飯にしたが、ツーリングマップルにはよさげなことが書いてあったわりに定食はケチくさい感じの量だったのでぱっと食って退散。

白浜の「﨑の湯」は波しぶきをかぶるような露天風呂でロケーション最高、お湯もよかったけれど撮影禁止。しわいな。
ということで白良浜へ。
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ちょうど休み前に仕事で扱ったんですよね。うんきれいきれい。
そして雨雲からは完全に逃げることに成功したな。

そこからひたすら運転して潮岬まで行ってしまった。
18時。当然というか灯台は閉まっており、回遊してくる鯨を見張る「鯨山見」という突端部分でちらっと海を見るだけとなった。まあ岬というのは一番先まで行ってしまうと面白いことはあまりない。
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気分的にもこれくらいの色合い。

串本の街の中でカレー食って、高台にある大和ハウスがやってるホテルに到着。
7000いくらのわりにはお風呂が大きくて気持ちよく、ビュッフェ形式の朝食も鰹や鯛しゃぶ、梅の翡翠煮など地元のものがいろいろあってかなりよかった。

■10日(土)
9時前に出発して、「古座川の一枚岩」へ。マグマが冷え固まったものが隆起→川が浸食→屏風状の岩になっているというもの。でかい。
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いや、社会理論の常套句で「一枚岩ではない」というのがあるので、「いいえ一枚岩です」というネタに使いたいというだけで写真を撮りに行ったのだが、使う場面があるかは知らない。

そんでまた海に出て太地町。
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車だと本当にすぐ通り過ぎてしまって、なんかちっちゃくない?と思ってWikiをみたら5.81平方キロしかないんだそう。町立の博物館があるんだけど、イルカショーが見たいわけではないのでスルー……
そして道の駅でイルカのすき焼きを食べました。
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オーストラリアの人とかすげー怒りそうですけど、あまりおいしくありませんでした。獣臭いのを葱とか生姜とかで一生懸命消そうとしてる感じ。
港のあたりはこんなところ。
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ディープエコロジストみたいな人たちがわんさか来たあたりすかね。
那智勝浦を北上。
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道の駅Nazi、なんつって西側を怒らせていくスタイル。
三重県まで入ってみました。
ウミガメのいる道の駅、というので寄ってみたら結構いた。
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これは混獲か何かで保護されたアオウミガメの子どもで、そのうち海に帰すそうです。カメはあまり群れないんだって。
その先の道の駅「パーク七里御浜」。
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ほほう……
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なんかすごい柑橘推しだった。みかんジュースおいしかった。
で、新宮に戻って神倉神社。
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分かりにくいかもしれないが、すごい急な石段が続いており、これを汗だくで登り切ると絶景の神社が待っているというわけ。
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ということで海辺はおしまいにして、あとはひたすら内陸へ。
奈良県の面積の1/5を占めるという十津川村はずっとこんな感じ。
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郷土料理の「めはり寿司」を買いました。高菜で巻いてあるらしい。
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熊野本宮大社に寄った。
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特段の感想はなし。金剛峯寺と合わせてお遍路コンプですかな。しらんけど。
今日の宿は神湯荘。国道から外れて林道みたいなほっそい道を6キロくらい上がったところです。
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安いかわりにトイレなしの別館みたいなところの部屋、というプランを選んだのだけど、空いてたとかでトイレのついた本館の部屋をあてがってもらいました。ありがたい。
秘湯を守る会の会員宿とかで、貸し切り2カ所と大浴場、ほかにちょっと離れたところの川縁の浴場がある温泉自慢のお宿らしい。
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これは素敵な貸し切り湯その1。源泉70度とかで加水して温度を下げているそうですが、それでもちょっと熱かった。でもいいお湯です。
夕飯は川魚中心でなかなか豪華。ご飯は源泉で炊いているそう。
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イノシシのしゃぶしゃぶもおいしかった。これも確か源泉。
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基本のお膳らしいんだけど、十分満腹になりました。

■11日(日)
朝飯はニジマスの甘露煮などこれまたおいしく。
そんで貸し切り露天その2。
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堪能した。出発。
熊野古道、いろんなところに入り口があるんだけど歩いてないなということで果無(はてなし)集落へ。
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ほんときれい。ミニマルミュージックみたいな鳥の歌を聴きながら散歩しました。
それにしても「この週末も大気が大変不安定で」という警告をテレビで繰り返していましたが、関西全域そういうわけでもないだろうよ、この空で。脅してばかりいると本当の危機に人は動かないと思う。
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満足した。
あとは谷瀬の吊り橋。
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五條市に出てcafeこもれびの絶景テラス席でピザ食って帰りました。
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うん、まあまあいい夏休みだった。
とにかく山道をやたら運転した。
あと、歩いてると体調いい。このところのなんか体がおかしい感じは、座りっぱなしの仕事のせいだったようです。
今回は大台ヶ原があまりに遠くて断念しましたが、梅雨も明けるようなので近く再チャレンジを。

2021年06月27日

ひょうご

気象庁の天気予報は全然だめで、週の半ばに「週末雨」といっていて降らない、ということが続いており、この週末も案の定ほとんど降りませんでした。
有馬温泉の有馬ロイヤルホテルというところが、たぶん観光バスの運転手さん用の2畳くらいの部屋を安く出していて、風呂入りたいだけだしそこでいいやと予約したら普通に8畳の部屋をあてがわれました。
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風呂は消毒臭かった。でも部屋で読書が進んだ。割引使って6千数百円なのでいいけど、例え豪華な飯が付いたとしても2万、3万出す宿ではないな。有馬は街も別に面白くないので、セブンイレブンでレモンサワー買って部屋に持ち込んで飲んで寝ました。

* * *

翌朝はガラガラの路線バスで新神戸に出ました。
この路線、途中で高速道路を走るんだけどシートベルトないの、いいのだろうか。
新神戸から三宮のほうに降りていく広い道の一本裏、LE BOOZY。
ブランチメニューでパンケーキがあります。
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胡椒とベーコンとほの甘いパンケーキ、うまいよね。メープルシロップもちょこっと。
10時半くらいに食べたんですが、結局昼飯をスキップしてしまいました。

* * *

特に何があったわけではありませんが、天気のせいかあまり気分の晴れない週末でした。

2021年06月21日

延羽羽曳野

延羽の湯、羽曳野本店。
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鶴橋より広く、人口密度は低くてなかなかよかった。
自宅からだいたい26km。行きは高速ですぐだったけど、帰りは22時過ぎ発だったので、混んでない下道をゆっくり戻って1時間。大阪郊外ってマクドナルドのドライブスルーがすごい多いですね。
今度は誰かと行きますか。

緊急事態宣言が解除になって、またいろんなところに人が溢れると思うとあーあという気分になります。既に大阪の感染状況は再拡大期の入り口に立った気配があり、土日の梅田はおっそろしく混んでおり、あかんわこれ、と思うのですが、しかし一息入れないと続かないよな。きれい好きな金持ちのエートスだけでは回らないのです。たぶん。

* * *

土日は休みでしたが、遠出せずに終えてしまいました。
日曜は朝から在宅で仕事。しかしこれは弊管理人本来の持ち場の仕事で、こういうのは楽しいからよし。現場に出た若手ちゃんもノリよくやってくれて、それがなんとなくアウトプットが楽しげになったことに反映されていました。

先週は東京からうんこみたいな発注仕事がいっぱい降ってきて、直撃した同僚が本当に辟易して「こんなもん本当にいるんですか」と発注元に問うたものの「いや決まってるから」とすげない対応をされて怒ってました。
しかし思えば発注元って昔、花形職場みたいなところでメンタルやって今の雑用職場に来てたんじゃなかったっけ。この人に感じるある種の無痛覚・無感情・無慈悲な感じは防衛か抑圧によるものなのではないかと思うと、彼個人とともに構造というものの終わってる感を深刻に感じます。

* * *

ま、私いなくなるからもう知らんけど。
というフレーズがいろんな感想に付くようになってきた。
ビザ申請の手続きがいろいろ面倒くさくて遅々として進まないのと、引っ越しの際に荷物がそんなにたくさん送れないっぽいことが分かるなど「めんどくせぇ~」という思いを添えて(こじゃれた料理っぽい)

* * *

そういや夏至はいつだ?と思ったら今日(21日)だった。

2021年06月15日

次のこと

曾根崎、タイ・ヤ・タイ。この辺で当てにしていたお店がやっていなかったので入りました。
あの、なんかね、たぶんここはタイ。まず調味料の匂いと、それからスタッフさんが本式、それから来てる日本人も何かちょっとタイにいそうで笑える。
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シーフードカレーも、あ、うん、こうだよな。というカレー。
なんかすごいタイ。もちろんおいしかったです。

* * *

9月の終わりくらいに米国に赴任することになりました。
一度として希望したことはない任地でプル要因はほとんどないのですが、強力なプッシュ要因が大阪の職場です。在大阪でなければ断っていたかもしれない。というか結構な確率で断ってたと思う。

5月上旬に出身部署の部長から電話がかかってきて「来週決めて」ということになったときに何人かに意見を聞きました。経験者は「行くべき。ていうかもう一回行けるなら自分が行く」と口を揃え、これは強力な後押しになりました。一方、弊管理人と交代してもうすぐ日本に帰ってくる現地の先輩はそこまでハッピーそうではなかったものの、弊管理人が行くことについては否定的ではなく、それならまあ、ということで行くという返事をしました。自分がない。

洗濯機や冷蔵庫どうすんだとか、ビザが~とか銀行口座が~とか面倒だし、何よりなんで母国語じゃない言葉で暮らさなきゃいけないんだとかは思うし、テンション高そうな職場なのも老体に厳しいだろうから嫌。一言で言うと気は進まない。

ただ、今までもほっとくと何もしない弊管理人は、状況に流され続けることによってできることが増えてきたとは感じます。なので、今回も芸の肥やしとする機会と捉えるべきなのかもしれない。あと、なんとなく救いは同期(穏やかでいい人が多い)が2人いることか。社内で人事が公示されたら早速、もう何年も会ってない1人から「待ってるよ」的なメールが来ました。ありがたい。

などといいつつ青天の霹靂だったかというとそんなことはなく、おととしの末に出身部の前の部長が弊管理人を大阪にやることを決めたとき、「(普通は2~3年行くところ)1年で外国に出そうと思ってる」と言っていたので、いずれ選択を迫られることは知っていました。だからこの1年余、ハイペースで西日本各地を回っていたんですよね。なべて起きると思ったことは大体起きる。

なんというかこう、涼しい森の中のおうちでロッキングチェアを揺らしながら日がなラジオを聞いて時間を浪費するような生活がしたいのですが、なんで次から次へとやることが増えるのか。

* * *

■ケン・プラマー(赤川学監訳)『21世紀を生きるための社会学の教科書』筑摩書房、2021年。

フィニッシュできなかった。ごめん。これは1人で読むのきつかった。

■奥井智之『宗教社会学』東京大学出版会、2021年。

一方、こちらはフィニッシュした。「神、それは社会である」という副題が既に答えを言っちゃってる。さらに1章で「社会学的に見れば宗教は、一つの信仰と儀礼のシステムである。人々の生活のなかで宗教は、二つの重要な機能を果たしている。一つは不確実性に満ちた世界のなかで、人々に生の指針を提示することである。いま一つは教団の活動を通じて、人々を社会的・集団的に統合することである」(pp.26-27)という主題を提示し、政治、経済、芸術、スポーツ、セクシュアリティ(←これは挑戦的だったが成功しているかどうか)などの中に宗教性を見いだしていくという変奏曲みたいな構成で、後ろに行くほど疲れてきた。『ホモ・ルーデンス』を意識していて確かにそれっぽいのだけど、なんで疲れたのだろう。主題がwell-definedすぎて「またその話?」ってなったのだろうか。

2021年06月05日

京都、泉佐野

この半月は特筆すべきことはなし。
腹の調子が優れずビオフェルミン飲んでました。あと倦怠感や階段上ったときの息切れなど。かるーく某疫病にかかって治ったりしたのかなとも思ったが、これは単に仕事がやだなっていうだけな気はする。あと座ってる時間が長すぎて体力が落ちたというのもでかそう。

* * *

詰め詰めかなーと思っていた週にぽっかり休めそうな日ができたので、3日(木)はズザーっと休日にしました。朝、京都の友人に連絡したら、河原町近辺でお昼を食べることになりました。
「きみや」さんのランチ。
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麺+丼のセットか、定食かを選べます。今回はハンバーグとエビフライ。
すっごい盛りがいい。そしてうま。え、1000円!?

友人が新しくお店を出そうと思って上七軒(北野天満宮のほう)に借りた住所兼店舗を見に行き、そのあとそこでダラダラしてから、夕闇を待ってホタルを見に行きました。
といっても小雨が降ってきて肌寒い夜だったのでわりと難儀し、最終的には知恩院前のバス停脇の川で見ることができました。あれ、まさかナマでホタル見たの初めてでは?

* * *

そんで5日(土)はふと思い立って南海で泉佐野駅まで行ってカーシェアを借り、犬鳴山温泉に向かいました。山乃湯というところ。駅からは30分かからないんだけど、修験道の霊場とかで秘境感がありすぎ。一度分岐を入り損ねて和歌山県に踏み込んでしまいましたが、戻ってなんとか到着。やってる……よね?
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やってました。客は弊管理人ひとりだったのでちょっと失礼して写真を。なんか建物傾いでない?
ぬるぬるで昆布だしみたいな香りのするいいお湯でした。
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早々に戻って南海で寝てる間に終点の難波に着いてしまった。ラーメン食って帰宅しました。

* * *

8月末で大阪から追放というふわっとした予定は仄聞したものの、これまだ本決まりじゃないよな……と思っているうちに意外といろんな人が既に弊管理人の行く末をざっくり知っててびびった。弊管理人どうなるの。

2021年05月04日

かび

いま住んでいる部屋は振り分け式の1LDKなんですが、南向きのLDKにベッドも机も入れてほとんどの時間を過ごしており、北向きで隣接の建物があるためあまり明るくない部屋には、電子ピアノとその時期に着ない衣類と開いてない段ボールを置いて、ほぼ倉庫のようにしていました。

おとといの昼間、何気なくメガネをかけて北向きの部屋に入ったとき、ピアノの足下に置いた何も入れてない帆布のブックスタンドが変な色になっていることに気付きました。よく見てみると緑と白のカビに覆われている。そしてピアノの下に置いたラグも緑色になっている!
もしや、と思ってクローゼット(湿気がこもるかと思い、扉は開けっ放しにしていた)の服を見ると、礼服に白カビ。衣類ケースは緑になってました。少し離れたところにあるトートバッグもアウト。あえて法則を探すと(1)帆布のような素材のものが総じてアウト(2)ホコリをかぶっていたものがアウト。

断捨離大会の開始です。新宿、その前の江戸川、一部はその前から持っていたが着ることのなかった服を大半捨てました。襟の黄ばんだシャツもこの際すべて廃棄。礼服は高かったのと、使うときにないと困るのでクリーニングへ。クローゼットの中やピアノ、段ボールの表面、本などをを拭き、まだ着る数枚のシャツやカーテンを洗濯し、換気します。湿度計を置くと、窓を閉めた状態で湿度が70%くらいになることが分かりました。冬の間ずっと締め切っていたらこうなるのか。ひえーここまでのは初めて。

思い出の服、もらいもの、いろいろあったけど、この5年着なかったものは全部、目をつぶって捨てました。やけっぱちな気持ちになったのがちょうどよかったかもしれません。弊管理人はもはや、1Rや1Kに入る以上の荷物を持つ必要はないなと思いました。仕事用のシャツ3枚、ズボン2枚、そのほかに夏と冬に着る数枚と上着があればいい。本も読み返すものはとても限られます(そうそう読み返さないだろうと思うから弊日記にメモしている)。布団も自分のだけにしよう。次に動くときは6~8畳に収まる程度までモノを減らそうと思いました。

とかなんとか大掃除をやっているうちに連休も終盤になり、晴れは今日までのようなので四天王寺に散歩に行ってきました。
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ほんとは木津川とか奈良とか、ちょっと行きたいところがあったのだけど、それは来週や再来週でいいか。

* * *

そういえば鼻の頭がしわしわになって休んだあと、心身はほぼ安定しました。
面倒で長期にわたる案件を弊管理人に任せきりにするという体制が見直されたということが大きい。

2021年04月25日

一回休み

金土日と、職場が最も忙しい3日間に休養させてもらいました。
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弊管理人は体調が悪くなると鼻の頭がしわしわになるのですが、それが先週くらいから来てました。管理職を怒鳴ったころはまだ苛々したり爆発したりするパワーがありました。しかし先週は靄の中を漂っている感じで、何か言い始めては何を言おうとしたか忘れる、見聞きしたことがそのままするっと頭から抜けていくなど出がらしのようになっていて、端から見ると穏やかだったろうと思います。出ようと思ったら出られたと思うけど、多分休んでよかった。

日曜は大阪が緊急事態でつまらなそうだったので、和歌山のフード・ハンター・パークに行ってきました。
和歌山産にこだわった物産とめし。
昼飯の時間にちょっと遅れたらあまり残っていませんでしたが、サバの灰干し定食うまかった!
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外の公園ではっさくジュース飲みました。ナンバリングがしてある。
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写実を突き詰めると写真になってしまうように、ジュースの極致は果物ではないだろうか。
とか思いながらぼーっとして帰りました。天気よくて爽やかでした。

2021年04月18日

連日の

土曜は23時半に寝て、日曜は二度寝して9時半に目が覚めました。
夢では、桟橋から十数分歩けば突端の神社に行けるくらいの小さな島に東京の友達数人と訪れていました。夕暮れ時になって帰りの船がもうすぐ出るという時に、島の休憩所に荷物を忘れてきたことに気付いて走って取りに向かったものの、間に合わなそうになり、「もういい、面倒、疲れた。夢おしまい!」と思って覚醒しました。弊管理人は自殺するほどパワーのある人ではないと思っていますが、意外と前後不覚になったら現世からも脱出してしまうのかもしれない。

晴れるかと思ったら雨が降り、夕方に晴れるという土曜と同じパターン。あと寒い。
にしやまさんがやはり日曜も来週も開けることにしたようなので、ご厄介になってきました。
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椎茸のチーズ焼き、カニ湯葉、牛すじ大根、わかめと干しエビの何か。
どうもゲストは弊管理人1人だったみたいです。危なかった。
まともなものを食べると正気に戻ります。しかし辛いものを食べると腹が警告してくる感じがします。内臓が弱ってる、多分。

* * *

■宮下紘『プライバシーという権利』岩波書店、2021年。

2021年04月17日

たそ・かれ

宿直明け、またシフトが終わったのにいつまで経っても帰れないことにむくれつつ、しかしそれでえらいひとに謝られて反省したりなどしつつ、疲れ切って帰宅。
未明から降り始めた雨が上がった午後6時40分。世の中はまだ明るかった。
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ひょっとして夏至に近づいてます?
そして2週間ぶりのにしやまさん。
まんぼう明けるまで休むかもとのこと。残念だけどこんな状況じゃあね。
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このところ王将かカレーかコンビニ弁当かパンか、という生活だったので、こういうのが沁みた。手前右のブロッコリーのアンチョビ炒めと、手前左のマグロのオイル焼きと、奥左の筍木の芽和えと、奥右の干しエビとわかめの和え物がおいしかった。って全部か。

* * *

前回の日記に書いた「えらいひとシャウト」のあと、意外と「(弊管理人)が疲れてる」ということが認知されて来週後半に数日休むことになりました。すぐじゃなくて来週後半になるあたりが、いかにも余裕のない職場っぽい。

弊管理人に限らず職場でわりと深刻なミスがかつてない頻度で発生しており、弊管理人の見るところ、これもまた前回の日記に書いた(1)一つの仕事にかけられる時間が少なすぎる(2)無意味な仕事を漫然とやらせている、という職場環境が影響しています。大阪のえらいひとワールドでもそれは感じられていて、しかしそれをアピールしても「この機に乗じて人員要求か」と本社からの風当たりが強くなるだけだから、今は言うのをやめておこう、という話になったようです。なんてこったい。

* * *

■西浦博『新型コロナからいのちを守れ!』中央公論新社、2020年。

結構前にいただいた本。です。はい。

2021年04月14日

マッサージ

人事考課の季節で、3月の終わりに自己申告書を書く機会があったので
(1)一つの仕事にかけられる時間が少なすぎる
(2)無意味な仕事を漫然とやらせている
(3)マイクロマネジメントがうざい
(4)要はこの職場に合ってない
という趣旨のことを書いたのが一つ一つ問題として具現化し、(1)の影響で客がわりと怒るミスをしたと思ったら、昨日は(3)のうざいえらいひと(隣部署)に「うるせーぞ馬鹿野郎」とフルスロットルの剣幕で怒鳴ることになって、喉を痛めた上に疲れたので今日は休みました。今日は今日で弊管理人の受け持ち案件があったのですが、旧知の先輩が「休んで休んで」と言ってくださり、さらに旧知の後輩が「僕がやりますから」と言ってくださったのでかたじけなくも甘えて。

大阪支社のえらいひとたちを全く「何か尊重すべきところがある人」として見ることができていないのでこういうルードな態度に出るのでしょうが、恐らく最大の要因は高ストレス状態による情緒不安定なのです。疲労感には「忙しい」だけでなく「自己効力感が低い」「協力的な雰囲気がない」といった要素が絡むといいますが、その通りで、今いる職場の場合は「自己効力感が低い」が突出していて、無意味に耐えるスキルの低い弊管理人には無理度が高い。昨日のシャウトをもって「弊管理人君がいよいよおかしいぞ」となって休まされるか飛ばされるかしたい(4)のですが、なんか人的余裕もなさそうだし、どっか本人の与り知らないところで評価にバッテンがついて終わるのでしょう。

と、いうわけでマッサージいってきました。
揉まれるのもいいんだけど、穏やかに話したり触れられたりすることを必要としたのだと思う。19で初めて独り暮らしをして、野菜不足になったときにそれまで嫌いだったトマトが「食べたい」と思った時のような導かれ感。
何となく多少の換気ができた気がする。

2021年04月03日

語りえぬもの

■野矢茂樹『語りえぬものを語る』講談社、2020年。

『探究』と古田本を読んだらいよいよここいってもいいでしょう、ということで。
500ページあるが、とっつきがよくて濃いので、毎晩寝床で読むのが楽しみでした。
ウィトゲンシュタインを乗り+越えつつ、弊管理人が「ひょっとして可能では?」とちらりと思った人類学や言語学、科学論への接続をやってみせてくれた。
あと決定論批判、どういうことなのかやっと掴めた気がします。

ただ、動物にも嫉妬や忖度があるというような近年のニュースに触れるにつけ、言語を持たない(これ自体も本当かどうか)動物が文節化された世界に住んでいないというのは本当なのか、比較認知科学の成果をもうちょっと参照しつつ検討してもいいのかなとは思いました。それで人間の話が大幅改定を迫られるかというとそうでもない、脇の話かもしれませんけど。

内容は膨大なので、以下は付箋を貼ったところのみメモ。

・『論考』で導入された「論理空間」はおよそ考え得る(語りうる)ことのすべて。だが、この内外をもう少し段階分けして次のような区分が導入されている(巻末の解説と応答)
 ①ふつうに語りうるもの(行為空間の中。言語ゲームで使える)
 ②語りにくいもの(行為空間の外で論理空間内):クワス、グルー、クリーニャー
 ③いまの私には語りえないもの(論理空間の外、勉強すれば中に来る)
  :アクチン、ミオシン
 ④永遠に語りえないもの(論理空間の外、示されるだけ):倫理、論理
   *だが著者は永遠に語りえない(真偽が言えない)かには懐疑的

・デイヴィッドソンへの反論のため導入された二つの「他者」(193-194)
 ①論理空間の他者:概念枠の不共有、翻訳不能だが習得可能性はある
  →習得できた場合、振り返って発見される他者
 ②行為空間の他者:翻訳できるが深い理解はできない

・論理空間はわれわれの経験に依存するので有限
 そこで無限をどう扱うか?→操作の反復とする(「以下同様」、可能無限)
・『論考』の道具立ては論理空間と操作、これですべてと言ってよい(229)
・→後期の「規則のパラドックス」で崩壊する危険が胚胎していた(218-219)
・「(言語実践を生む)語られない自然」+社会(303)

・非言語的体験が言語を触発する(ex.「ミドリ」)
 →発声されて公共的に流通し、適切性を評価される
 →意味を与えられ、文節化された世界が成立する
・言語化された体験を圧倒的に豊かな非言語的体験が取り巻いている(329)
・文節化された言語を持たない動物は、反事実的了解を持たない(393)

・相貌。あるものをある概念のもとに近くすることである(402)
・相貌を知覚するとは、その概念のもとに開ける典型的な物語を込めて知覚すること
 (ex.犬を見ること)
・相貌の物語とは
 ①過去―現在―未来という時間の流れの中にある
 ②反事実的な想像(今あるコーヒーカップを倒すとコーヒーがこぼれる)
 ③無数の荒唐無稽な可能性(カップが自発的に移動する)を排除している
・個別の犬は相貌をはるかに超えたディテールを持っている
 典型から逸脱するような性質や振る舞いをする
・典型的な物語の世界はあくまでスタートであり、実在性に突き動かされて新たな物語に進む(404)
・隠喩:新たな相貌の生成(418-)

・決定論(25,26回)
・世界は厳格な法則からずれている(462)
 完全に均質な弾性体はないので、フックの法則は近似的にしか満たされない
・法則は世界のあり方を描写したものではなく、探究の指針である(463)
 規範性(「べき」)を帯びた物語。沿わない経験的事実は疑えとの指針(470)
・科学が世界を語り尽くせないのは、科学の限界のゆえではなく、世界はそもそも語り尽くせない(465)

* * *

今週は、不手際に対してたまたま最もうるさい客先がタコ怒りしたという些末な理由で火が大きくなり、そこにむっちゃ忙しい仕事と宿直からの30時間勤務がぶつかってへとへとでした。いやマジ疲れた。土曜の今日は今まで一歩も外に出る気が起きず、現実を見る気もせず、おかげで上記読書は500ページ中150ページくらいを今日読み通してフィニッシュし、メモ作りまで進み、たまっていた冷凍食品もそこそこ処理できてしまいました。

不手際というのは、優秀だから大丈夫だろうと思っていた若手ちゃんの想像を絶するミスをちょうど多忙だった弊管理人が手間を省いたために看過し、回復処理も遅れて爆死、というものですが、いろんなツッコミポイントのある経緯が一つの飲み込みやすい「報告」という物語に収斂し、本質とはだいぶ違う部分で庇ってもらったり反省を求められたりしており、なんか奇妙だなと思いましたがまあそのストーリーで納得されるならそれでいいや。こちらもまた別の意味で語られえぬもの。

2021年02月25日

舞台裏と確定申告

堺市におととしオープンした芸術文化ホール「フェニーチェ堺」の裏側を見るツアーというのに参加してきました。
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2000人収容の大ホールの舞台に立った景色がこれ。ほかにも機材庫、奈落、ピアノ庫、オーケストラピットや4階バルコニー席(めちゃ高くてこわい)などを回っていろいろ見せてもらいました。楽しかったです。

疫病によって学会がオンラインになり、えらい人もそうでない人も自宅や研究室から発表している様子をワイプで見るという体験をしました。これまで、医学系だとパシフィコ横浜とか東京国際フォーラムみたいなハコを借り、プレナリーやシンポジウムに出てくる発表者はいっちゃんでかいホールの舞台に立ってライトを浴びながら巨大スクリーンにスライドを映して話すのですけど、その装置によって「なんかすごい感」が醸されていたのだなあと気付きました。こういうことでヒエラルキーがちょっとフラットになったら面白い。しらんけど。

* * *

はじめての!確定申告!やりました!
昨年、転勤になったので東京の部屋を売ったら売却益が出てしまい、ふるさと納税と合わせての申告。どうやるんだ~と不安だったのですが、意を決してオンラインでやってみたら、わりと簡単にできました。
部屋を買ったり売ったりしたときの契約書などの書類は求められなかったんだけど、それで正確に申告してるかどうか分かるのか?とか、年末調整していることとか全くスルーだったんだけど、マイナンバー使ってるからそうなるのか?とかいろいろ不思議なまま。合ってるかは分からないけど、とりあえず印刷して徒歩圏にある税務署に持ち込んで一区切りだ。

通ってたバーのマスターたち、年明けしばらくしてだんだん表情が暗くなり、申告が終わるとすっきりした顔になるの、あれの気持ちの数十分の1くらい分かりました。

家で昼過ぎまでこの作業をして、あとは仕事のメッセージのやりとりなんかをそのままやっていたら夕方になったので、今日はテレワークだったってことで。

2021年02月22日

牡蠣、大原

宿直明け、友人来たりて大阪城。
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梅林梅林。
そして池田市、「かき峰」。
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11月から3月までしかやっていないお店で、「行きたい」とつぶやいたら行くことになりました。酢がき、白味噌の鍋、カキフライ、そしてかき飯。
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海苔にわさびを載せて出汁をかけるうううああああああ
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次の日は大原に行きました。三千院、久しぶりだけどこんなに懐深かったっけ?というくらい広くて見所がありました。
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2006年の2月に来たときは雪がこんもり積もっていて極めて寒かったのだけど、今回は暖かくて春のようでした。
宝泉院。血天井(!)の下でお茶とお菓子をいただきます。
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そして勝林院。木彫りの装飾がきれかった。
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そんでなんと嵐山に行って、祇園に戻ってきて「いづう」で寿司つまんで解散しました。
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喜んでいただけたようでよかったです。
えっぐい花粉症でました。

* * *

■國分功一郎『はじめてのスピノザ』講談社、2020年。

■宇野重規『民主主義とは何か』講談社、2020年。

2021年02月07日

この週末も京都

土曜はやはり仕事で、しかも来週ちょっとした山場みたいのが来そうでもあり、どうにかして取り返したい気分になって普段は日曜にご厄介になるにしやまさん。
ローストビーフがあった。
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後ろにある濁ったのは会津の宮泉です。久しぶりに飲んだし濁りは初めて。さざえ堂を見に行ってからもう2年もたつのね。

23時台に寝たら3時半に目が覚め、もう一回寝るのに若干難儀した。
起きて朝飯食べたところで札幌の友人から間違い電話が入り、そのまま2時間くらい話してしまったために和歌山の温泉に行こうと思っていたのが行けなくなった。
ので、昼飯食いがてら京都です。また。

京阪は一番前に陣取った。
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七条で降りて京都国立博物館へ。
メジロちゃんがいました。
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昼飯食おうと思ったらレストランが休業中、自販機も水とかお茶とかの腹の足しにもならないものばかりで使えねえなと思いながら回りました。展示はまあまあよかったですが、奈良博を見てしまうと物量的に足りない印象です。
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にしてもなんか食べたい。
と思い、親子丼を求めて祇園「ひさご」まで歩いて行ったら休業中の張り紙。
自分とこのウェブサイト持ってるなら書いとけ、ぼけ。
で「いづ重」入ったら「今日はもうありません!」と追い出された。なんなの。
「景気わりーな」と気を揉む八坂神社のお犬様。
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緊急事態宣言下の京都は「すいてる」という利点はあるものの、客の減少に合わせた商売になるので飲食はつまんないということがよく分かった。大阪のがまだ全然やってるよね。
いづう、どうかな……と思ったらやってた!!
鯖寿司と小鯛の寿司の盛り合わせをいただきました。うめ~
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軽食のつもりが結構ずしんときた。
喫茶スマートでフレンチトースト食べようかなと思ったのですが、そこまで空腹でなかったのと、待ちが出ていたのでやめて帰りました。
北浜から歩いてたら「とんかつ真」があいてたので滑り込みセーフ。
上ひれです。ふつくしい。
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やっとこ納得いった。週末。あー

* * *

正月休みが含まれるはずの1月に普段の月ほども休みが取れず、2月も相変わらずなので、3月に1週間くらい休みを取ったろうかなと思いました。

2021年01月27日

マラソンはつづく

ボタニカリー。
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ちょっとスパイスカレーに飽きてきたところですが、これはうまかった。
「歯触り」が楽しめたのと、チーズや卵のピクルスなどで最後まで味が変わっていくのが素晴らしかったです。
それとお店のおにいさんの接客!

* * *

辛来飯のカレー、青空blueのうどんもうまかった。

* * *

左手の握力がおかしいんだけど何?

* * *

引き続きマラソン的な仕事です。やりがいは0なんだけど。

2021年01月17日

むつき中旬

気が滅入るので、昨年春にリニューアルして開館した京都市京セラ美術館へ。
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音声ガイドが携帯電話みたいに耳に当てるタイプで、それだけでも面倒なのに「音漏れが……」といって注意された。イヤホンで聴くやつにされたらいいのでは。
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江之浦測候所の人の茶室。小田原より先にこっちを見てしまった。
結局一番きれいだったのは三条駅近くのなんてことない夕暮れ。
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土日は暖かくて、午後4時台の空気に春の匂いを嗅ぎました。
もう一段寒くなることはなるんだろうけど、冬が終わっていく感じはする。

で、いつものにしやまさんで牡蠣の卵とじって何かなと思ったらこれでした!!
滋賀のお酒、笑四季(えみしき)SENSATION半合と一緒に。
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* * *

疫病はなかなか収まらず、この状態がニューノーマルな気がしてきた今日この頃、弊管理人も、その周りの人たちも、とうとう「直接の知り合いがかかった」という状態。
感染対策しっかりやったほうがいいし、やるのは偉いけど、隙を突かれてかかった人を見下しそうな雰囲気を纏った人もいてちょっとね。

* * *

12月からずっと、二度寝、三度寝をしながら9時間くらい寝る日が続いています。
快調な時って6時間で目が覚めるのですが、これは疲れているというよりは朝が来ていることを否認したいんだと思う。
前々から行きたいと思っている定型的で残業の少なそうな職場に、パワハラをした人が行くことになりました。弊管理人も若手をいびって休職させたら行けるのかな。行きたいな。

2021年01月15日

18年

最近は忘れていて、過ぎてから「あっ」となる年も多いですが、今年は忙中なぜか思い出しました。母の命日です。
……と書いて、ちゃんと当日に日記を書いたのはいつかと辿ってみると2018年、2015年、2013年。忘れがち。

本家で100歳の祖母と暮らしている伯母が78歳になっているということは、母は76歳なのですが、正直76歳になった母というのは想像できない。先日、久しぶりに夢に出てきましたが50代の見た目でした。そりゃそうか。いずれにせよいつもあまり明るい夢ではない。

去年、高知の職場にいる3年目なのに姉御的な若手のお父さんが亡くなって「忌引きします」という連絡を受けた時に、弊管理人も入社2年目の終わりに親を亡くした話をしたら意外と話し込むことになり(1)弔いが終わると疲れが出て体調崩すので気をつけて(2)喪失感は10年続くと思って付き合って、という定型的なアドバイスをしました。
高知の職場の所属長のおじさんは面倒見の良い人で、若手3人と毎日のように飲み歩いているようなのですが、たぶん理由の一部にはちょっと不安定になりそうな姉御を一人にしないという配慮があるのではないかと拝察しています(大部分はただ飲みたいだけだろうけど)。

人とあまり付き合いたくない弊管理人も、振り返ってみれば意外といろんな人に構われて気が紛れていたようです。

* * *

忙中というのは目下の疫病で、医療関係者でもないのになぜか忙しくなっています。なんなの。今夜は甘ーいワインで晩酌しながらチーかまと崎陽軒のシウマイを食べてしまいました。許されるよね。

2020年12月31日

蔓延下の帰省

■年末年始は家にいろとか、帰省するのはアホだとか、まあそういう世の中ですけれども、29-30日に帰省しました

■理由
・今年帰ってないんですよね
・父方の祖母(95)、母方の祖母(100)と伯母(78)、父(68)がそれぞれ弊管理人の帰省の意向を拒否しなかった(それどころか歓迎していた)こと
・祖母宅にはネットが通っておらずオンライン帰省ができないこと。電話でいいやんと思う向きもあろうが、電話は用事があってするものというのがうちなので、全然違う
・カレンダーを届ける、PCのデータを届けるなどの雑用がたまっていたこと

■対策と考察(★は特にあっと思ったこと)
(0)原則は「ゼロリスク(帰らない)を捨てた以上、不完全な対策でも重畳させることでリスクをできるだけ低減する」

(1)帰省前のハイリスク行動の手控え
 ・そもそも会食はほとんどしない(独りメシ大好き)
 ・ほぼ会社と家の往復しかしてない(=限られた人としか接していない)
→しかし直前にやむを得ず4人で酒の入らない会食をし、これが若干の心配要素になった

(2)体調チェック
 ・体調に不安があれば直前でも取りやめるつもりにしていた
 ・体温とSpO2のモニタを当日までやった
→6月からの測定により、朝と夕方で数値が変動することを把握していたため、時間ごとに異常値でないかどうかを判断することができた
→しかし監視項目がこれでよかったのかは分からない
→無症状の人からの感染が問題になるウイルスだが、感染性のある人の多くには「ちょっとした変調」はあるのではないかと思う。自分の体調が本当に大丈夫かどうか疑い深くなることには結構大きな意味があるのではないか

(3)飛沫感染対策=マスクとディスタンス
 ・実家でも祖母(父方、母方)の家でもマスクしっぱなし
 ・祖母の家ではお茶とお茶菓子だけいただいた。飲むときだけマスクをずらす形
 ・実家は夕方~翌朝のショートステイで1泊だけ
 ・実家では夕飯は外食。朝飯は起きた順にさみだれ(これはいつもそう)
 ・話すときは正対しない(マスクをしてると飛沫の直進性はキャンセルされそうだがな)
→★田舎は感染が極めて少ないため訪問先の警戒感が薄い(「都会からの移入に敏感」というイメージとは逆の事態もあるのだ)。ばあちゃんも伯母も父もマスクしてなかった!
→★家が寒いのは密閉性が高くないからだが、寒いだけに換気がしにくいのは不利と思った
→こたつ暮らしだと、弊管理人がこたつに入らないとそのことを訪問先が気にするので入らざるを得ないなど、「相手の落ち着き感のために距離を妥協しなければならない事態」というのが現実にはあることに思い至らなかった
→大きな飛沫とマイクロ飛沫がそれぞれ感染にどれくらい寄与するのかが分かっていない現状では、マスクで大きくリスクを下げているだろうなという曖昧な思い込み以上のものがないのが寂しい

(4)接触感染対策
 ・ホテルに泊まる
→これは実家から受け入れられず実現しなかった
 ・小まめな手洗い
→★しかし、実家に泊まってしまうと接触感染対策を万全にするのはかなり難しいと感じた。手拭き、風呂、トイレとか蛇口とか、とにかくいろんなものを共有するため

■終えてみて
・やってみて気付くことは多い
・計画していてもリアルワールドでその通りにいかないことも多い
・かなり気を遣った。頭では分かっていても、自分が万一感染していて老人にうつした場合の後悔のでかさについては滞在中かなり考えた
・★秋に帰っておいて、条件の厳しい冬は避けるべきだった。これが次に向けた最大の反省
・しかし、VOC202012/1など感染力が増した変異ウイルスが今後優勢になった場合、来年の暖かい時期を待っても事態はより悪くなっているかもしれないとも思う
・偽陰性はあることは承知した上で、数千円で検査を受けられる世の中になれば受けて帰ると安心だろうな
・そうでなければ、帰省10日前くらいからテレワークできればほぼ安心だろうと思う(できないが)
・まあ神経質な人、無頓着な人、縛られてる人、縛られてない人、それぞれに事情があるってこった

ぼんやり霞んで暗いところが郷里の冬っぽい。いろんな人が年を取り、衰え、独居しているのを目の当たりにし、弊管理人の気分もだいたいこの写真のようでした。
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実家で「昼にすき焼きをする」と言っていたところ、午前中に帰ると言ったら朝飯に1人分が出てきた!
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今回の移動ルートは
・大阪→名古屋を新幹線
・名古屋→多治見を在来線
・多治見→中央道で長野県南部はカーシェア
でした。ドアtoドアでは東京からバスで行くより早いくらい。しかし割高ではあった。
帰りは近鉄の新しい特急「ひのとり」でゆっくり帰ってきました。
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しかし面白いのは四日市の工業地帯くらいまでで、あとはぼーっと空を見ているだけ。
京都の飲み屋さんでお重をいただきました。「すず菜」さん、カキフライも有名なお店なんだって。いってみよ
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さあて大晦日は宿直。

2020年12月28日

暮れていく

関西出身で東京在住の友人が帰省途中に大阪に立ち寄り、計4人でランチしました。
そのあと、カーシェアで旭区の「角屋」まで行ってアイスモナカ、80円。
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中はすっきりめのソフトクリームみたいでとてもおいしい。
車の中で寝てしまうなど、ちょっと疲労感があって何だろうと思いましたが、家に帰ってから体温とSpO2を計ってもごく普通だったので、たぶん12月の疲れが出ただけでしょう。

* * *

帰省前、最後のランチは……と思いついたのが渡邊カリー。
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羊のキーマがうまかった……

* * *

前の日記に書き忘れてましたが、今年はそういえば弊日記を始めて15年になりました。
10年のときにはいろいろまとめたのですが、15年はうっかり年末に気付くという体たらく。

2020年12月26日

年末なだれこみ

12/24はアラサー若手ちゃん(女)と若頭級ちゃん(男)とともに宿直で、アラサー若手ちゃんから「ケーキ食べたい」と言われたのでオカシセカイヤンでクリスマスケーキを買っていきました。
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マスターが「気が狂ったようにイチゴを入れました」と言っていたとおり、なんかもうイチゴをおいしく食べるみたいなフレジエ。シフトで遅くまで残っていたデザイナーちゃん(女)、永遠に働くワーカホリックちゃん(男)などともシェアしておいしがっていただいたのでよかったよかった。

* * *

宿直明けの25日をもって仕事納めのはずが、これがまあ納まらない。夕方までかかってほぼ逃亡状態で帰宅し、それでも襲ってくるメッセンジャーに応答しながら21時くらいに仕事収めました。26日も結局働いた。

年初に高尾山で引いたおみくじは大吉の次にいい吉で、「始めは苦心するが後はよい。工夫して先手を打ってね」と書かれていましたが、まあ「よい」までは行かなかったが慣れたは慣れた。先手を打てというのは「休む時にはあらかじめ休む宣言をすべし」という形でその通りではあった。大阪の生活について思うところは繰り返し書いたので特にあらためて言うこともなし。10年ちょっとぶりに地方に出ましたが、おお若手の世界はこんなことになっていたかということばかりでした。それにしても時間が飛ぶように過ぎた。

* * *

・具体的には計算してないが、今年は食事にすっごいお金使った気がする
・でも飲み代が激減したので行ってこいかも
・今年最後の給与明細に年額が表示されていて引いた

* * *

来年はもうちっとゆったりしたい、に尽きます。

2020年11月03日

9カ月後の東京

大阪の職場で今年最大と思われる盛り上がりを見せた仕事が1日にあって、しかし弊管理人は宿直明けに当たっていたので特にお役は割り振られず、中核近くで関与している同僚に「翌日、シフト表では休み入れてるんですけど休んじゃって大丈夫ですかね」と聞いたら「いいんちゃう?」とのことだったので、東京に行くことにしました。(余談ですが、この仕事の帰趨が決した1日深夜には、弊管理人は既に寝ていて結果は翌朝知ることになりました。ほんとに今回は終始関与が薄かった)

出発前日にJR東海ツアーズの新幹線+1泊パックを探したら、GoTo使って14000円。片道の新幹線代くらいで済んでしまう。そんで3000円の地域限定クーポンがついています。何それ。ほんと税金取り返すつもりで出かけないと損だなこれは。

ここ10年かかっていた歯医者で年3回受けていた定期チェックは引っ越し前の昨年12月が最後になっていて、9月下旬くらいに「そろそろ来ない?」と電話がきたため重い腰を上げたのでした。
ついでに何か用事ないかなと考えていたものの、結局1カ月費やして思いついたのは期限が切れた千代田区図書館の貸し出しカード更新/大阪の店はラインナップがしょぼいので新宿オッシュマンズで服を見る/紀伊国屋で棚を見る/アメ横で運動着探す/新宿のあるでん亭でカルボナーラ、くらい。あと「書き味が好きだが大阪にはない、仕事で頻用するボールペンを東京本社の資材庫からパクってくる」というのもあったのですが、本社で誰かに会っても嫌なのでやめました。
いずれも別にやらなければやらないでいいくらいの用事で、こなしはしましたが、ほんと東京に用事がないなと実感しました。本と服はいいのを見つけて、あとでアマゾンで買うことにしました。本は重いし、服はアマゾンのが全然安いのでね……

東京は2月ぶりですが、すっかり様子は変わっていて、外は別に着けなくてもいいような状況でみんなマスクを着けて歩いており、しかし夜の居酒屋はしっかり席が埋まって快調に食って喋っているという転倒。馴染みの飲み屋さんに1軒だけ行きましたが、対策を怠ってクラスターを出し、しかもその処理も悪かったといって相当叩かれた近隣の友好店の話が大阪にどう伝わっているかなど関心高く尋ねられたり、「今やっと2月ぶりくらいのお客が来たりしてるし、半分くらいはまだ戻ってない」と厳しいお話。休前日ですがお客は弊管理人ともう1、2人でした。

それにしても暫く大阪を見てからついこの間まで住んでた新宿界隈に来ると、なんとなしに殺伐としてるし、「周囲に人がひしめいてるのに、必死に他人を見ないことにして歩いてる人たち」がみっちみちに満ちていて、ここには群集があるだけで社会はないのかもしれんと思いました。これは海外含めてこれまで見たことのある大都市ともかなり違ってる気がする。あとなんか小汚い格好してる人多いよね。他人のことは言えないが。

大阪は「横目で他人を見ている」くらいの意識の仕方が(うるさいと思う人もいるだろうけど)弊管理人は好きかもしれない。そして大阪に行ってからの遊び方を省みるに、大阪は自分にとって旅先なのです。これは2009年に札幌を出るときにも感じたことです。といって東京がホームかというと単に長くいたから歩き慣れただけで、ホームではないか。そしてホームなのかどうかと問うてしまう場所は多分ホームではない。

今回は富士そばのカツ丼と福しんの回鍋肉定食を食べ、東京駅八重洲口の穴場(?)ドトールでお茶飲んで帰るくらい、食べるものに頓着しない外出でした。

ちなみに、3000円の地域限定クーポンで買ったものは、崎陽軒の真空パックシウマイ2箱と、無印のパスタソースとレトルトカレー、ほうれん草カレーキットです。

2020年10月18日

2人来たりて

東京から友人2人が来て、土日遊びました。
もともと関ヶ原で落ち合って伊吹山に行ってから琵琶湖周辺を回ろうという計画だったのですが、雨なので大きく予定を変更、屋根があって面白いところということで、万博記念公園で太陽の塔の胎内巡りをしてから、民博に行きました。
太陽の塔は以前と違って1階の写真が撮れるようになっていました。
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しかし、急ごしらえの疫病対応が最悪で、スタッフによる解説が省かれ、そのかわりとなる冊子も「勝手に取ってって」というていでその存在もアナウンスせず、前の人たちとの間隔を取るために無意味にところどころで待たされ、しかも待たされてる人たちのディスタンスが損なわれるという……
もともと知らない人同士は放っておいてもそんなに近づかないのだから、客は人数を絞って入れて、そのかわりグループ数は多くして、説明者はマスクをした上で拡声器を使うなどして説明すればよい。やってる感だけで観覧者の視点を検証してなさそうな運用で、本当にだめだなと思いました。

* * *

日曜。
大阪土着の人に「琵琶湖いってきます」と言ったら「なんで???」と言われるくらい客人を連れて行くところではないようですが、「京都いってUSJいって」というのはまあそのうち勝手にやるでしょ。ということで比叡山。ちょうど西塔釈迦堂の内陣(普段坊さんしか入れないところ)や、信長の焼き討ちから唯一免れた瑠璃堂の中が見えるようになっていて得した。しかも訪れたときにお寺の方が上手な解説をしているところに出くわして、一通り勉強させてもらいました。よかった。
峰道レストランからの琵琶湖。
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このあいだ来たときは、バスの乗り継ぎがタイトでここに行けなかったんですよね。
コーヒーフロート頼んだら、それ飲みながらいつまででも景色に見とれていられそうだった。

こちらもとうとう来た、ラ・コリーナ近江八幡。
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食い物屋のくせに、めちゃ混みで何も食えないというブラックジョーク。
客をさばく以上のことはできてないし、多くの人にはそれさえもしてくれない。
まあ「映え」以上の期待をしてはいけないな、ここは。

とまあいろいろありつつ、夕暮れの琵琶湖はきれいでした。
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そして2人も楽しんでくれたようでよかったよかった。

* * *

行き始めたころはそのたびに弊管理人しか客がいなかった北浜のカーサビアッタが次第に人気店になってしまい、仕事の区切りにふらっと店の前まで行って覗くたびにカウンターに人がいて夕飯を食いそびれることが増えてきました。いいの、それは。だってすっごいおいしくてフレンドリーだから人気出るの当然だもの。

でも新しくふらっと行けるお店を探さないととなって、昼しか行ったことのなかったオステリア87にとうとう夜、挑戦しました。
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「野菜と、あとちょっと肉とかなんかつまめるものが欲しいです。夕飯です」と言ったら鳥胸のサラダと前菜盛りとリゾット、それからサンマのグリルを提案して下さって、これが全部うまかったです。あ、なんか幸せ……

2020年10月12日

ひとくぎり

昨年この時期のQoLを下げた「自分の努力とは関係なく10月で終わるか12月中旬まで引っ張るかが決まるクソ仕事」が今年は10月で終わることが先週前半、決まりました!!
嬉しい~嬉しすぎる。

そのまま、週後半は毎月回ってくる「忙しい番」に入り、乗り切って終了。
土曜の勤務を終えてから楽しいイベントになだれ込んで週末をコンプリートしました。

ああやっとまともな秋が来た。
なんかちょっと秋にしては暑いけど、夜は室温が25度と丁度良いし、部屋の窓を開けてると気持ちいいし、で今この最高感を書き留めておかなければと思った。

* * *

宿直は夕方からなので、平日のみのランチ天丼を食べに、普段は行けない北新地「天富」で。
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えびがでかかった。香りもいいです。

* * *

東京にある出身母体の部長が「(弊管理人)は来年、大阪にいないぞ」と口走ったと風の噂で。
やっぱりか~。散々お世話になったぶっちょさんはもうすぐ交代されるので本当にそうなるかは分かりませんが、そのつもりで西日本を遊びまわっとこ。

2020年09月13日

土日だけ楽しい

月いちで回ってくる忙しいシフトが土曜で終わり、カーサビアッタでひとりお疲れ夕飯。
キャロットラペでいつものように始まったものの、ライスコロッケ2つで暴走開始。
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「旨み爆弾」と言われためちゃくちゃ食べ応えのある円筒パスタ。ワタリガニを砕いて煮込んだソースがガツンときて、さらにホタテとえびが凝集したガツンをもう一回やり、そこへセロリの葉が休息をくれる感じ。
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最後にちょっと甘味食べます?と言われてヌガーの散ったムースみたいなやつ(名前失念)をいただいていて、「これってお酒合わたりしませんか?」と聞いてみたら、「そういう人はほとんどいないですが、グラッパなんかいいかも」とのことで出していただきました。
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ブドウの絞りかすの蒸留酒ですが、強力な香りが甘味と混ざって火炎旋風みたいになってうまかった。
「今日は最初のラペ以外、終始攻めまくってましたね」と。なんかそういう憂さ晴らしみたいな気分だったのだと思います。めちゃくちゃうまかったです。

* * *

日曜は某初めての体験のために出掛け、才能豊かな先生役の方に優しく手ほどきを受けて楽しく入門することができました。
大阪駅前第3ビルの「旨んまーいステーキ」でほんとに安くてうんまーいステーキと牡蠣のガーリックソース焼きで昇天、あとはホワイティのドリップエックスカフェでかき氷。
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先生と別れてからヨドバシに行って、電池交換の終わったMONDAINEを引き取ってきました。
あー……いい日曜だった。

* * *

前にちょっと書いた奈良の職場の困ったちゃんは会社を辞めることになったそうです。うん、当人を含む全員のためになる選択だと思う。もっと早く決断してもよかったくらい。

当人と(話したくないんですが職務上しょうがないので)電話したときに「あーこれまだオープンになってないんですけど~」と言われ、極めてどうでもいいので「あ、そうですか。引き継ぎちゃんとね」で流しました。そしてどうでもよすぎて大阪の職場では誰とも話題にしてません。

2020年08月30日

夏は逝くかどうか

昼過ぎにお腹が空いてご飯を食べに出掛け、家を出たところでサングラスを忘れたといって戻り、ついでに日焼け止めを塗った時に耳につけていたイヤホンを外し、洗面所に置き忘れてまた戻る(しかもマスクを家に落としていたことに気付く)、という何だか物事がスムーズにいかない予感のする日。

結局またナーガカリーでカレーを食べ、頼んでから大盛りや辛さ増しがオーダーできることに気付いたりし。

そのまま散歩がてら、黒崎町の商店街からちょっと外れたところにあるハイクコーヒーロースターズへ。
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中国・雲南省の豆ですっきりした味のアイスコーヒーをいただきつつ、ちょうど豆が切れるところだったので100g買ってきました。

まだ37度とかになっているのだけど、太陽の弱まり方、風を涼しく感じるところなど、あるところでは秋に突入しつつあります。
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帰宅して、洗濯したら日没前に奈良の観光道路を走りにいこうかな、と思っていたところ、ティッシュをポケットに入れたまま洗ってしまい、汗だくで洗濯物についたくずと格闘しているうちに出掛ける気が失せました。

そうしたら警報が出るくらいの夕立がきて、そのまま暗くなりました。

子どもの頃から挑戦しかけてはやめていたスクリャービンのエチュードOp.42-5の楽譜を(何度目かに)印刷して練習し始めました。うーん、なんだか今度こそできる気がする。

20代の自分より劣るのは、酒が弱くなったことと睡眠時間が足りてないと動けないところくらいで、ものは知っているし、気持ちは安定しているし、勉強の仕方は改善しているし、ピアノのような身体運動でさえ勝てると思ってます。それは「自分の体の動かし方をモニタリングしつつ制御する」という技を知ったからです。ただ、これは成熟した大人になったからではなく、40代にしてようやく大人になってきたからなんじゃないかな。こういうの、大抵の人は高校から大学くらいの時期にできるようになってるのでは。

* * *

夏休み終了後の1週間は自分でも驚くほど穏やかな気持ちで仕事ができました。
休み前に大声出したり怒ったりしていたのが嘘のよう。休まないとだめね。

2020年08月10日

のみすぎです

久しぶりに酔っ払いました。といってもそんなに量は飲んでなくて、いつもの「にしやま」さんでご飯食べたんですけど、こちらの凍結生レモンサワーがおいしいのはいいがめっちゃ酔うのです。で、そこからちょっと酒場に行って、わりとよい子な時間に寝たものの、起きても回復途上だったため琵琶湖に遊びに行く予定はやめ。
16時にふらふらとご飯を探しに外に出たら暑すぎて。
でもナーガカリーが開いてるのを発見!
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元気でた。で、北浜ポート焙煎所でコーヒー豆買って帰りました。今回が2度目です。ちょい高いけど前回買ったやつがうまかったんだよね。目の前で焙煎してくれます。すごく良い匂い。
まあたまにはなんもしない休日もいいか。

* * *

NHKオンデマンド(月額990円)をやめて、ラジコのタイムフリー(同385円)にしました。
NHKはBSの番組も見られるのはいいんだけど、セレクトされた番組しか見られない(つまり膨大なアーカイブの中で見られるのはごく一部)のと、家事とかしていて画面をずっと見ていられないので、結局あまり見ませんでした。
ラジオはなぜか東京のほうが面白いんですよね。エリアフリーで東京の局に合わせると、なんだか新宿の家に戻った気分になります。東京住まいは早くも懐かしい過去になってしまった様子。

* * *

先週の仕事は忙しい役が回ってきたこともあり、
・何度か職場で声を荒げたり
・電話をガチャ切りしたり
・「細かい仕事は試しにサボってみて、怒られたらやるようにすればいい。怒られなければ以後もやる必要はない」と若手を唆したり
・隣接部署からのどーでもいい打診を「面倒だからやりません」というあけすけな理由で突っぱねたり
・くだらない仕事を「でもリクエストがあるかもしれないから」で準備しておくのではなく放置しておいたり(結局リクエストはなかった。勝利)
しました。

他人からいいように自分の時間を侵食される前に「あの人はブチギレる」というイメージを作っておいたほうがいいかと思い、あまりリミッターをかけずにキレるキャンペーン中です。そのかわり、他の人の手助けができる時はできるだけして、互酬性の網の中には留まろうとしています。仕事環境の整備ですね。

* * *

わりと頻繁に夕飯を食べに行っていた西天満の「レストレ」は、いろいろ載るはずのトッピングが全くないカレーを「今日は素カレーみたいなんですけどw」とかいって出された上に普通の料金を支払わされたので、行くのをやめました。

いっぱい飲み食いする客ではなかったので「もう来ないで」というメッセージだったのかもしれないし、見くびられたのかもしれないが、どちらにせよ「もう行かない」という選択しかしようがないですね。さようなら。

2020年07月12日

自堕落な土曜

起きてパン焼いて食ってジム行って帰ってきてそば茹でて食ったら睡魔が襲ってきて、昼寝して起きたら日が暮れていた。なんか食べたい。近所で。

ということでたまたま見つけた天満、「酒や肴 よしむら」。
ビブグルマンに載ってるんですね。知らなかった。
また「飲食店の方ですか?」と聞かれましたが違います。
カウンターのお客さんからも「職人さんかと思った」と。なんなん。

お任せでいろいろ作っていただきました。
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白えびさん。
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揚げたての厚揚げ。なんとサービスしていただいてしまいました。一見なのに。
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お酒も肴も全部おいしかったです。
マスターがすっごい喋る方で、カウンターの他のお客さんとお話しながらおいしそうなお店の名前がぽんぽん出てくるので、手元の形態で検索してはスクリーンショットとってたら、カウンターの人に「あっ検索してる!」と指摘されてバレました。以後がんばって暗記してました。行くでえ

* * *

高麗橋、Casa Biatta delle Marchesine。ワインバーです、たぶん。
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会社を抜けてちょっと夕飯を食べに入ったのですが、3杯飲んでべろべろ。
食後酒にデザートみたいなチーズをいただいているところ。
おつまみ、パスタ、デザートいずれもすごくおいしいしサービスもパーソナルで暖かくていいのに、あまり知られてなさそう。大丈夫か。

今これを書こうとして「あのお店なんていうんだっけ」と名前を調べようとして気付いたんだけど、食べログに出てこないせいか探しにくい。Google Mapsで「北浜 ワイン」といって引いても出てこない。店名の読み方も分からない。
人気が出すぎて混み合うと弊管理人のように一人でぼそぼそメシを食う人は入りにくくなるので嫌なのだけど、なくなってもらうと困るんですよ。うーむ

* * *

この週末は市中感染が今一番やばい東京新宿・夜の街でイベントに行くことにしていた(ついでに歯のチェックのために馴染みの歯科医に行こうとしていた)のですが、本格的にやばそうなのでギリギリまで悩んでやめました。前日にものの分かっている会社の先輩(在東京)から「やめときなさい」と言われたのが決め手。でも前々から楽しみにしていたのでとても残念。

個人レベルでは、この病気に関しては「他人にうつすリスク」まで勘案すると何もできなくなるので、そこは自分がマスクをすることで「義務は十分果たした、あとは自衛してくんろ」と割り切るとして、あとはどこまで自分がかかるリスクを許容するかが問題だと思っています。

数日熱が出てつらい程度ならまあいいが(よくないけど)、味覚や嗅覚の障害が遷延するという話を聞くと「おいしいものが楽しめないのは困る」とハザードの評価がかなり上がります。はっきり言ってワクチンには期待していないが、重症化を防ぐ薬はできてほしい。それ持って海外旅行に行けるようになればと思うけど何年後かなあ。

* * *

職場の若者に誘われて3:30まで飲んだら翌日ばかりか翌々日まで疲れが残り、しかもちょっと用事で休みの日なのに会社に行ったらそのままくだらない仕事で夜までのフルタイム労働になりました。今週の教訓は二つ。
(1)会社の人と飲まない
(2)必要な時以外は会社に行かない

2020年06月21日

そして下旬

宿直明けに和 とがわさんでランチ。ほんと全部うまい。
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カメラをCanonのPowershot G5X mark IIにしました。撮るものは変わりません。
コンパクトデジカメ、すっごい高くなりましたね。カメラのキタムラで状態のいい中古を見つけたので少し安く買いました。さらに去年の初め、伊東駅のそば屋でつゆを盛大にぶっかけたG7Xがなんと1万円以上で下取りしてもらえた(ストロボのポップアップレバーがめんつゆがしみたせいで戻らなくなってるのとか気付いてないんじゃ……)のでもすこし安くなってよかったです。

そのあとちょっと寝てから夜は再開したバーに酒を飲みに行ってしまい、翌日は夕方にどうしようもなく疲れて10時間くらい寝ました。

で、日曜は京橋の「やまや」でお友達とランチして帰って、仕事が発生するかな?と思って待機していたらせず、ジム行って堂山の「にしやま」さんで夕飯食って無事に収まりました。
野菜重要。あと凍結生レモンサワーのほのかな甘みが素晴らしい。
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5月の健康診断はロックダウンで酒を飲んでいないにもかかわらずLDLコレステロールが高くて立腹していたら、同い年で少し年次が下のふくよかな同僚が「大丈夫ですよ!僕なんて入社時からあらゆる数値が引っかかってるけど生きてますから!!」と言い放って元気が出た。

* * *

■東浩紀『新対話篇』ゲンロン、2020年。

2020年06月03日

民主主義とおなか

■ヤン=ヴェルナー・ミュラー(板橋拓己、田口晃監訳)『試される民主主義(上・下)』岩波書店、2019年。
Jan-Werner Müller, Contesting Democracy: Political Ideas in Twentieth-Century Europe, Yale University Press, 2011

ハイエクの流れでこちら。
20世紀東西ヨーロッパの政治思想史。この時代・この地域がいかに思想に駆動され、そしてされ得なくなったかを見せてくれます。「映像の世紀」のもっとすごいやつ。
contestingなのに「試される」なのは、監訳者の一人が北海道でずっと教鞭をとっていられたために「試される大地」に引きずられたのでしょうか。いや全然この訳でいいと思うけど。

* * *

と、雑な文章なのは、いま体調激悪だからです。
日曜の午後に急に怠くなり、月曜からは夕方に38度台の発熱を繰り返しつつ下痢継続中。いま「ポカリスエットを流すだけの筒」みたいな生き物になってます。もともと小風邪をひいたところ、月曜の昼に食ったテイクアウトに中ったとの疑いを持ってますが、火曜の朝に近所のクリニックで言われたのは「細菌感染による腸炎」。口に入れたものがただただ全部下から出て行くので、今週は出社できてません。

2020年05月31日

ランチと人権と

北浜、職場の近くのリルチェンテでランチ。
魚とパスタがありますが、魚(1200円)のほう。まず前菜盛りが出てきます。
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左の黄色いのはカボチャとベシャメルソースを混ぜて焼いたものだそうです。香りからカボチャにウニかなんか混ぜた……?と思いましたが違いました。
ど真ん中のはナスを素揚げしてワインビネガーと何かで何かしたやつ(お店の方に聞いたら名前まで教えて下さったんですが失念)だそうです。味からナスと梅……?と思いましたが違いました。
ていうかさあ、全部がおいしいです。外国の食堂で食べてる感じの味。スパークリングワインがあれば飲みたい。
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で、真鯛の焼いたやつ。これもシンプルですけどつくづくうまい。
食後にコーヒーつきます。べたべたしないがフレンドリーなお店の方も素晴らしい。
ああもうこんなランチができたら午後も頑張れちゃうじゃないか。そのうち夜も来てみよう。

* * *

宿直明けに。老松通り、森元でランチのカレー(レギュラー合いがけ)。
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レストレのお兄さんに教えてもらって来ました。
レギュラーのルー2種類を2回までおかわりできます。
つまり、日替わりの合いがけを頼むと、レギュラー2種類と合わせて4種類食えるんですけど。すごくない?どういうこと???
おなかいっぱい。深夜までお腹の中で存在感を放っていました。最近、宿直明けは仮眠しないことにしてるので眠かったんですけど。

* * *

大阪府市から補助金を打ち切られ、市からは土地明け渡しの裁判も起こされて移転する「大阪人権博物館(リバティおおさか)」、前々から行こうと思っていたのですが、コロナでずっと閉まっていてそのまま5月いっぱいで終了、移転再開は2022年を目指す、なんてことを言っていたのでもう見る機会はないかなと思っていたら、最後の1週間に特別開館するというので行ってきました!!
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中は撮影禁止(内容を考えればそりゃそうだな)。大阪と公害、HIV/AIDS、障害者、部落、難病、女性、福祉、労働、沖縄、在日コリアンなど情報量が多くて、これから行きたい史跡や博物館、お祭りなどがいっぱいできました。ポリコレ大全みたいな図録が欲しかったのですが、もう売り切れとのことでした。これはまあ元首長が嫌いなやつだろうし、それだけに(?)頑張って再開してほしい。
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この辺りは旧渡辺村、皮革と太鼓の街だったそうです。

それで歩いて日本橋まで行き、たまたま通りかかった一味禅で天丼。
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甘めのタレ、うまー。てんやの2段階いいやつって感じ。
トウモロコシや餅の天ぷらが載ってるのが珍しい。

* * *

・COVIDは、それまでめちゃくちゃに動き、働き、作り、消費し、出会っていた人たちに「一回落ち着け」という強制休養をさせたのだと思います。でもこれが「社会を大きく変える」かというとそこまでかなあという気はします。オンライン化って結局「見知った人を訪ねていくのの代わり」にはなるとしても「新しい出会い」はもたらしにくいと思う。「できるものはできるだけ対面」にまた戻っていくんじゃないか

・余談で、Zoomって自分の映りが気になっちゃって疲れません?オンライン飲み会したら、弊管理人はちょっとネタとして面白いことを聞いたときに口がぐにゃって曲がってニヤリとするの、結構感じ悪いなあと思ってしまいました。我が振り直す機会かもしれんけど

* * *

今の職場の中核的な分野で大きな案件があって、関わっている本流の人たちがそれに集中できるよう弊管理人はそのほかの雑務をやる、くらいの位置取りだったのですが、もう本当にあーーーーーー10年前に東京に行く前は「こんな仕事はもう一生やりたくない」と思った仕事ってこういうのだったこういうのだった、という懐かしさの混じった嫌あな気持ちになりました。みんな自分で自分の生き方を決めることができないで構造にいじめられ、そしてそれぞれが互いを恨み、蔑み、陰口を言うという状態。

* * *

キレキャラ問題児がユーザーの方を見ていない仕事を送ってきて、あまつさえそれをゴリ押ししようとしたので電話でお小言を言い、双方エキサイトしてきたところで電話が切れたので、そのまま勝手にあちらの現業仕事の相手に電話をし、仕事を完成させて突き返しました。少しクールダウンした若者から電話がかかってきて「(弊管理人)さんもキレやすいんですね」と言われたのでハァ?と思って事情聴取しました。

「思い入れのある仕事は精密にやるが、どうでもいい仕事に手をかけたくない」「私は上司の電話も切ったりする」「職場の後輩にうるさいこと言うので疎まれている」「東京には多分行けない」「職場でお局みたいになっている」「間違いたくないから仕事先の言った通りにしかしない」「転職サイトの登録を増やした」と。要は「無精をプライドで糊塗し、ユーザーより自分を優先する」ということなんだけど、弊管理人もそっちに流れがちなので、それだけに危うさ(ネガティブ態度はネガティブ結果を招くということ)もなんとなく想像がつくのです。

弊管理人は幸いにして辛抱強く暖かい上司に恵まれ、いろんなところに頭をぶつけながらも、うかうかと20年近く過ごすことだけはできました。今の立場になって上司に「あのときはすみませんでした」と謝ったら「そんなことあったっけ~?」と応じられて、もうね。しかしこの方はどうなるのでしょうか。弊管理人はたぶん見てるだけですが。

* * *

「想像力がない」という批判の仕方は、たまたま自分にそれについての知識があるだけだという想像力を欠いている。単に「こう考えればよい」と提案してやればいいだけ。それで分からない人に想像力批判をするほうが響かない。特に、それなりに能力が高いわりに「自分などまだまだです」と結構本気で思っている人は「そんな自分でも知っている/想像できるくらいのことになぜ気付かないのか」といらつきがちなので注意。

2020年04月29日

ザギン

29日は2週間ぶりに休みだったので散歩に出ました。

ザギンでシースー
ではありません。
座銀でラーメン。鶏白湯、もともと好きだというのもあるけど、うまー
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そのあと、靱公園(うつぼこうえん)。どうしても読めない。むかし海産物の市場があったそうです。北浜は生鮮、こちらは干した魚とか。
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密だけど、家族で固まってるだけならいいじゃんね。
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散歩して帰りました。

* * *

・人を殺して刑務所に入った夢を見まして、うーん模範囚でも数年か、不便、でもまあもう色関係もそんなにないししょうがないか、と思って寝て起きたら、朝食がわりといいビュッフェで、若干取り過ぎたなと思って食べようとしたところで目覚めました(4/29)

・いま、田舎がひどい手段で他地方や都会の人を排除するほど、いざ移動制限が緩和されて「観光にきてね~」と言い出したときに軽蔑される度合いは高まるよな。だから受け入れろ、ではなく正しいことするときにも礼節って大事よねという話

・ところでAIってこの事態に何か役立ってんの?

2020年04月12日

とんかつ、雨、午睡

西天満、とんかつ「真」。
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いつもは昼の12:30に通るともう「準備中」になってるというスパルタン。
今日は12:45でセーフでした。
上ロース定食1150円。目の前で揚げてくれました。
あーーうんいい香り。噛んでるときに口腔から鼻に甘い香りが上ってくる。

* * *

早春くらいに戻ったような、寒い雨の一日でした。
しかし昨夜寝る前に聞いていたラジオで寒いことを知ったため、弱く電気毛布を入れて寝ました。
1時過ぎに寝て今朝は12時起き。とんかつ食って、無料公開になっていた荒川修作の「死なない子供」を見て、16時くらいにまた布団に入って窓の外の雨を見ていたら寝てしまった。で18時。

いつぶり?というくらい久しぶりにシフトの入ってない土日、すごい働いてる人はどうも出勤しているらしいのですが、弊管理人は呼ばれなかったので休みました。「あの人来ないね」と言われているかもしれないが、そこはもういいよ。シフトの手に負えなければ呼んでくれれば全然出ますが、「様子見に」では出勤しない。職場は管理職に頼んでようやくビルの管理者がかけていた窓の鍵が開いた、しかし依然として2密で危ないし。

* * *

近視眼的な毎日、家の中で数十センチ先のものしか見てないという意味でも、今日を境に前後数日のことしか考えられないという意味でも近視眼的な生活にあって、上記「死なない子供」は大いに解毒作用があった。
三鷹、養老、奈義という荒川・ギンズ作品の体験を思い出します。あらゆるものを身体(もっと極端にいえば脳)の中の現象としてきた哲学と科学を反転させ、自分というものはそもそも肉体の外に広がっているのだと感得すること。

* * *

とにかく死なないために社会を麻酔にかけているのが今。
その間に考えておきたいと思う。近所のおいしいご飯屋さん、弊管理人の30代を彩ってくれたバー、そしてジムやコンサートホールにどうやって再開してもらうか。また国内各地や海外に遊びに行けるようになるには。

2020年04月11日

桜納め

桜はそろそろ終わり。一日巣ごもりもなんなので、毛馬桜ノ宮公園を歩いてきました。
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雀がいっぱいいました。
今年って冬がそんなに寒くなかった代わりに春が暖かくなくない?

昼飯は家の近くでカレー。
大将はきつそうでした。でも緊急事態宣言が出て見通しがついたとも。
飲食関係はなべてきついでしょう。そしてバーの皆さんは多分もっと。

途中から長電話して帰りました。

でもなんか、こういう時間を無駄に使ってる感じも悪くない。
本読めるなー、と思いながら読まないし。
お腹が空くまでご飯食べないし。
40分くらい風呂に入って、ほろ酔い飲んでるし。
10年前だったらちょっと罪悪感があったと思うんだけど。
ポテチ買ってこよ。

* * *

■鶴岡真弓編『芸術人類学講義』筑摩書房、2020年

2020年04月05日

桜など

1時に寝て7時前にいったん目が覚め、3度寝までして10時半。
大阪城公園に桜を見に行きました。
1年前も大阪に旅行に来て、中津あたりのなんてことない公園で桜の写真を撮ったんだけど、まさか住むとは思わなかったよね。
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道すがら仕事のメールが入り、大阪城公園に着いたとたんに「今日、呼び出すかも」という電話が来たので、お堀を半周して引き返しました。休みなのに落ち着かないな。
桜はきれいでした。
2011年の今頃は何してたっけ。

【16:40追記】
呼び出しはなさそうな情勢になりました。

【19:40追記】
風呂で久しぶりに湯船に浸かっていたら仕事電話が何本か来て、体を洗わずに上がってPCいじってたら体が冷えました。さむ……

【23:20追記】
それで悔しい気持ちで行きつけの料理屋さんに行っておいしいものたくさん食べたら気分が持ち直しました。うぇい

まあこんな日曜です。

* * *

北浜、コロンビア8。
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* * *

先週は宿直明けの日の仕事が結局宵の口までかかり、へっとへとでした。
やることが多すぎてちょっと爆発してしまった。
やな仕事。シフトワークならシフト通りに終わってほしい。
11時間寝て元気になったけど。

* * *

・前回から今回までの間に、ウイルスや病気そのものについてはっとするような新しい知識はあまり得ていない。が、感染がかなり増えてきた段階ではsocial distancingを強力にやるほうに注力して伝播を強力に抑え、成功したらまた3密クラスター対策をに軸を戻す、という2モード作戦でもたせていくという考え方が示されていて、これはなるほどと思った。しかしまさに最もホットな大都市圏は、人の気質や暮らし方からして強制によらないsocial distancingで接触80%減はできない気がする。あと家族同居の場合は……

・人工呼吸器が足りない場合の優先順位付けに関する議論が国内から出てきて、ああとうとうelephant in the roomに言及したかと弊管理人も思ったし、それなりに多くの人も思ったはず。この手の問題は緊急時にはじっくり議論する時間がないし、平時にはインテンシブに議論する機運にならない。結局いざという時にはなし崩しに「うーん……早い者勝ち」になると予想する

・というか、「軽症者は病院外療養」の決定が既に、急変対応の一部を諦める(ある時点で軽症だった人の一部は急速に重症化するが、病院外療養による受診遅れで手遅れになるのはやむを得ないと割り切る)施策に見えるが、そうじゃないのだろうか

・自分もあれだが、実家や親戚筋でなんかあった時にどうするか考えておかないとな

・若者最強説が相変わらず本当か、それとも嘘だったのか、もうちょっと見極めが必要なのだけど、何につけても今回必要なのは「分かってきたことに従って躊躇なく進路変更する」という態度なのかなと思っている。これは多分、「科学的な態度」とされるものの一部で、「おま、前は違うこと言ってたやんけ」といって従前のレールに縛り付けようとする声をまず自分に向けない(そして他人にも向けない)ことをこそ不変の原理にしたほうがいいんだろうな

・それにしても(1)次第に悪化していく状況に合わせて慣れる(2)それはそれとしてやらざるを得ないことは続行する、という両面から、日常というものは強力に進行するんだなと思う。この「日常への固執」は恐らく人の本質的なドライブの一つではあるんだけど、しかしその「日常」を支えているのは「人と人のつながり」で、まさにこの「人と人のつながり」こそがウイルス伝播の媒体だというのが難しい

・なんだかんだ言って国際会議はやはり「人が集まって」開かれ、海外旅行をして「肌感覚として」他の国を経験し、非公式なコミュニケーションが公式的な商売の世界を形作ってきた流れがいきなり断ち切られ、鎖国どころか「鎖人」し、そのかわりオンラインでなんとかするよう求められる。しばらくの間、従来の蓄積を食いつぶしながら「緊急避難的にオンライン」を続けた果てには、どういう商売と娯楽とintimacyの形式が生まれるのだろうか

・ところでパルスオキシメーター導入して「おお99%」「97%か……」など一喜一憂しております←ばか

2020年03月29日

レストレといつもの

西天満、レストレ。
宿直明けで昼飯を求めながら歩いていたら通りがかり、「悪魔の白いカレー」をいただきました。
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やや酸味のある白いカレー。春巻きみたいのはすり身かな。そこそこお値段しそうなフレンチのお店で1000円のランチなのですが、サラダもついててボリュームもあって(うっかりご飯の大盛りを頼んでしまい、最後はかなり頑張って食べた)満足度かなり高かったです。深夜までやっているようなので、次は是非遅くなった日に。

* * *

・コロナは「どうやら長くなる」ということがようやく膾炙してきた感がある。コロナの存在が「前提」になるとすれば、そろそろ「塾に行かないと勉強できなかった人はテレワークに向かない」「パーティー界隈の業種は廃業」「飲みニケーションで情報収集が難しくなる(少人数なら大丈夫だろうがそもそもリラクタントな雰囲気になるだろうな)」「足で稼ぐ営業が成立しない」「バスケやレスリングは競技消滅」などの構造的な問題に向き合わないといけなくなってくる。しかし人はそんなに生き方をほいほい変えられないのがつらい

・巣ごもり生活もいろんな蓄積を取り崩していったらそのうちどうなるんだろう。NHK-FMの「ベストオブクラシック」とかってコンサート録音のストック使い果たしたら選集ばっかになるのだろうか(いや卑近すぎた、これは)。他にはフィールド系の学者が今持ってるデータをアウトプットしたら次が書けなくなったりしないんだろうか。プロ野球や大相撲このままできる?あと学会もいつまでもオンライン会議でもつ?ていうか今までみんなほんとたくさん生産し、蓄積し、浪費してきたのだな

・近々「COVID鬱」「COVIDフレイル」来るんでわ

・2009年の新型インフルエンザが季節性として定着したように、有効なワクチンもできずにSARS-CoV-2が定着し、しかも免疫が1シーズンしかもたないような最悪の場合、人口の高齢化や地球温暖化が緩和し、人は広い世界があることを知りながらも交通が激減し、知識や資本が偏在する世界の中で短く貧しい(慎ましいというと綺麗だが)一生を送るようになるのかね

・買い占めや外出規制、休業補償もそうなんだけど、全般的に「ざくっとイメージした大衆」に対する信頼感がないので「法で規制せよ」という話に容易になったり、「不正受給の恐れがある/線引きが難しいからしない」という判断になっているような気がする

・先週から若干体に「?」と思うところがあり、朝の検温と記録を開始。今週は興味本位でパルスオキシメーター(5000円くらい)を買ったので、酸素飽和濃度もモニタしてみます

・それにしても「こうしたらいい」と言うばかりでやってくれない人の多いことよ

* * *

ときどき回ってくる「むっちゃ忙しい3日間」が終わりました。3月の過勤は久しぶりに(前回はそれこそ2011~12年じゃないか)100時間超えそう。でも2月と違って決然と休んだ日もあったのでまあまあ、まあまあ。で、給料は東京にいる時より1割ちょっと上がった。お金より休みが欲しいです。

3日間の3日目、仕事で上の人に軽くキレて、持っていたペンと紙束を机上に投げてぷんすかしまい、後で反省。「大人げなくてすみませんでした」「いやいやw」というやりとりで片付きました。客はあほだが、客を忖度せざるを得ない上の人もまた悲しい立場のいい人なのだ。そこまで含めて嗚呼という話。

2020年03月21日

引き続きコロナ思いつき

・15日の日記では「健康への負荷は風邪~インフル程度でしょ、という割り切り方はあ」るとしたが、ヨーロッパの状況や臨床やった人たちの話がぽろぽろ出てきているのを見ると、もっとひどいようだ。なんか、医療態勢に余力がある時期にさっさとかかって治ったほうがお得な感じがするな

・あと同じ日の日記で、「いまの対策は感染拡大のペースを落とすもので、医療が逼迫して人が余計に死ぬのを避けるため(つまり早かれ遅かれ一定死ぬことは織り込んでいる)。そして終着点は、大半の人が一度かかって免疫を獲得することなのではないか」とも書いたが、若干違う。「毎日の新規感染0を目指しつつ十分低いレベルに抑える」のが目標で、その帰結は「ワクチンができてみんなで打って終了」「治療薬ができてみんなかかって治って比較的早く終了」「相当長い時間をかけてだいたいみんなかかる」のどれかになるということだと理解した

・今週にわかに流行ったキーワード「オーバーシュート(感染爆発)」。その火種となる「見えないクラスター」があると思われているようだが、これをどう見つけたらいいのかということを1日ほど考えていた。で、「無理して見つけなくていい」に傾いている。定点観測的な検査をやるとか、地域まるごと検査をやるとかすると見えるだろうが、感染者の半分を捕まえ損なっているとしても全国に2、3千人といったところで、これだけスパースに散らばってる人たちを見つけようとすると検査リソースを無駄遣いするだけかもしれない

・ということで、結局淡々と「密閉、密集、会話高唱、不特定多数、大規模」を避けた上で接触感染対策の手洗いをしてクラスター発生を防いでいくのが近道な気がしてきた。その上でどこかで偶発的な感染が起きたとしても、先の条件が揃っていなければ基本的にはうつしてせいぜい1、2人なので、見つかった患者の周囲を調べてそれ以上広がらないよう壁を立てる、でよいのではないか

・ちなみに、避けるべき条件にはもう一つ「呼吸が荒くなる」があるような気がする。高唱しかり、フィットネスもそうだし、卓球、飲み会も。それは、ジムにいる人たちはそんなに喋らないのにクラスターができたのはなんでだろう?と考えていて思ったことなのだけど(あれは接触感染なのかしら)。それでいうと屋内スポーツは大体だめになっちゃってつらいところ

・「どういう場でクラスターができやすいか」という環境条件がある程度分かったら、次は「どういう人がクラスターを作りやすいか」あるいは「どういう人が他人にうつしやすいか」という条件を明らかにしてほしい。それは行動かもしれないが、何かの生物学的な特徴かもしれない

・子どもがサイレントなまま感染を広げているってほんとかな。クラスター発生の場に子どもがいたことってあった?一斉休校前に子どもの感染者は何人か見つかっているが、校内感染てそんなにあったっけ?ACE2受容体の数が違うなどで、ごく軽症だったり無症状だったりするから見えないのではなく「ほんとにあまりかかってない」可能性があるんではないか

・話題変わって、「人前に出るときはマスクをする」がニューノーマルになって、マスクをしてない人にざわっとしたり、マスクを忘れて集まりの場に行ったら主催者から渡されたりということが出てきている。先日の寄り合いでは広い会議室が割り当てられ、おのおの1m以上離れてやった

・テクノロジー(電話とかネットが駆動して、みたいな)ではなく規範による遮断と隔離が長期化すると、人間のマインドや文化はどう変わっていくのかな

・例えば他人の息がかかること自体を忌避するようになると、排外的な気持ちになったりしないだろうか(思想的立場と病気嫌いが関連することを示した研究もあったはず)。「このあとちょっとご飯どうですか」から親しくなったり、非公式情報が手に入ったりということがウェブ会議では起こりにくくなりそう。横のつながりが分断されて権力や権威と1対1で向き合うようになると、ピアに軌道修正してもらえる契機が失われて(ますます)単純になるような気がする

・あと、モニタ上で話してる人の話ってほとんど真面目に聞かないので、コミュニケーションの効率が落ちたりしそう。口元で感情表現していたアメリカとかの人たちは、マスクが着用が恒常化すると日本人のように目で話すようになるのだろうか。いやマスクしてないか

・医療現場や役所で1月から働きづめの人たち、相当体力があるグループでも相当疲れる頃じゃね

* * *

でもっておなかがすいたので「くりやん」のポパイ丼を食べてしまった。げふ
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先日食べたelicafeのリンゴパンケーキ。
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やれやれ。

2020年03月15日

引き続きコロナ

弊日記には珍しく時事的なメモを引き続き。合ってるかは知らない。
非専門家なので、ああだこうだと考えること自体を楽しんでいるだけです。

・いまの対策は感染拡大のペースを落とすもので、医療が逼迫して人が余計に死ぬのを避けるため(つまり早かれ遅かれ一定死ぬことは織り込んでいる)。そして終着点は、大半の人が一度かかって免疫を獲得することなのではないか(全員でなくていい。かかってない人がかかったことのある人に囲まれると、かかったことのある人が壁になってウイルスは入ってこない)。時間稼ぎをしている途中でワクチンができれば、それで大半の人が免疫を獲得できるので最高

・感染拡大のペースを落とすと必然的に対策は長期化する。1年を超えてひょっとして2、3年とか。そのうちたぶん、経済停滞と病気のどちらがたくさん人を殺すかという議論になる。で問題の軸は、どの年代が死にやすいかという病気の特性から、どの階層が死にやすいかという社会的格差に移るし、そうなるべき。健康への負荷は風邪~インフル程度でしょ、という割り切り方はあり、それを考慮して社会的・経済的な負荷と比較考量してもいい

・その場合、1人が次の人にうつし→その人がまた次の人にうつし→…、というタイプ(仮に「連鎖型」、和歌山の病院)は拡大ペースが遅いので、ある程度許容していいかもしれない。まずいのは密閉&密集の空間に1人が飛び込んで一気に多数にうつすタイプ(仮に「爆発型」、ライブハウスや屋形船)で、こちらを重点的に回避するというのが基本になるのではないか。密閉&密集という環境にならないジャンルを再開していくと、クラブでウェイは年単位で無理かもしれない。陸上競技はいいけどバスケはダメ、4人の飲み会はいいけど50人の歓送迎会はダメ、とかの線引き問題も出てくる

・中国が強烈な対策でピークアウトしたらしいから、数ヶ月頑張れば封じ込めは可能じゃないのという見方もあると思う。けど、無症状の感染者が一定うつしているというのと、うつすペースが速い(serial intervalが短い)らしいと聞くと、罹患ゼロに持ち込むのは極めて難しい気がする。今の国内対策がこれを目指していて、科学的には可能だとしても、社会的・経済的な負荷に耐えられなくて諦めないといけない時がわりとすぐ来るのではないか

・仮にゼロにできたとして、それで制限解除したら流行再燃しないかな。たぶん無症状の感染者が世界中を動き回ってるし、清浄国(地域)とそうでない国(地域)を分けて交通というのはどこまで効果的か。世界中で終息しないと正常には戻らなそう

・なんか「政府に縛ってもらうの好き」かつ「強制的に縛られない部分は緩い」よねという印象。「うちは諸事情とデータ勘案してこうやることにします」と考えて個別にルール設定をしていったほうが、医学と社会の両方に折り合いをつけた落としどころに行けそうだし、今のところ制度的にはそれができる状態なんだけど。例えば、学校に関してはまだ感染者の出てない県教委が授業続行していて、ああいうのをもっと小さい単位でもできたらという気はする

・もっともこれは自由な社会を前提にした話で、最も効率的に押さえ込めるのは全体主義の社会なのかもしれない。と一瞬思ったが、そう単純ではないな。たぶん全体主義の社会にもアングラレイヤーがあって、そっちのが危ないか。いやどうかな

2020年03月09日

回復を試みる

帯状疱疹は7日間、抗ウイルス薬と痛み止めを飲むことになり、1日飲んだところでまず痛みがなくなり、7日目で触って分かる水疱がなくなりました。このかん髪が切れなかったのでそろそろ。

先週は始業時間を問わず終業が24時を回り、土曜も普通にシフトでかなり疲弊したので、日曜は思い切って仕事をシフトの人にお願いして、よほど困った場合でなければ完全休養させていただくことにしました。

日曜は8時間くらい寝て起きて、ジムに行って帰って、ひらすの粕漬けを焼いて昼食にし、バスクリン風呂に浸かり、風呂場で使うbluetoothスピーカーと美術手帖を買いに梅田に出たもののなぜかユニクロでパンツと特売の半パンを買ってもともとの目的のものはアマゾンで済ますことにし、おばんざいのお店でようやくまともな食事をし、ちょっと飲んで帰ってきました。
堂山町の「にしやま」。山椒と牡蠣が好きな弊管理人をメロメロにする両者の組み合わせ。
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つまり、全力で回復を図ったわけです。

あすからまた忙しい見込み。

* * *

父(68)が4月から市役所の臨時職員として働くことになったそう。
しばらく炬燵の番をしていたとのこと。やることができたのはいいことです。

* * *

人がコロナコロナで引きこもっていられるのは1週間から10日とみた。そもそもアフリカのどこかで誕生してミクロネシアまで行っちゃった現生人類がそんなにじっとしていられるわけがありません。強制力を持った引きこもり政策を無理に進めると、疫病を超える弊害が出る気がします。

2020年03月05日

コロナ

弊管理人が契約しているジムはローカルな小規模チェーンのせいか、コロナ禍の中でも「対策強化してます」「ビジター利用は当面やめます」とした上で――特に後者の対策は意味がよくわからないが――営業継続しており、弊管理人も引き続き行っているのだけど、それは
(1)スタジオもなくそれほど混み合ってない施設の状況、自分の年齢や健康状態などから推定できる感染と重症化のリスク、自分の周囲にハイリスク者が見当たらないこと、行かない健康リスク(いま大半が座り仕事なので)を一応勘案した
というのとともに、
(2)「規則バカうっせ」という気持ち
もあったりする。

(2)については公衆衛生全体主義みたいなものに対するスケールの大きな・正面からのアンチ、つまり「そういう社会、そういう施策はいけない」といういまどき筋の悪い思想ではなく、「著しい他害が見込まれないならそんなに我慢はしません」というミクロな自分勝手である(つまり主観的には抵抗ではない)。

「みんながそのように振る舞い始めたらどうする」という批判はありうるが、マクロレベルで困ったらマクロな手を追加で打てばよいだけ。「おまーの行動によりその地域のリスクが上がったように見えて私が迷惑を被る」に至っては、そんな間接的な効果を気にしていたら何も行動できないぞという話。いずれも強迫的なマインドの人が言いそうなことで、そもそもそういう人とは距離を取るのが吉だと思う。

ちなみに上記とは特に矛盾せず、仮に弊管理人が厚生労働省の担当部局に勤めていたら、やはり「密閉空間に集まらないで」という施策を推進する。

公式ルールは知りつつ自分の生活世界とは違う層のものだと知ること、なんでおまーはいつのまにか為政者視点に立っとんねん、なによりわしの暮らしもよく知らんくせに何を偉そうにと自他にツッコむことは、なんとなしに圧迫され沈んだ気分にならないために案外大切です。もうほんと行こうと思ってたところが軒並みお休みに入っててねえ。

2020年02月28日

あと補遺的な記録

11日以来休みがなく、26時までの仕事→翌日高松日帰り、さらに弊管理人の仕事をよく調べずにストップかけられたことがありストレス爆発→宿直→明けも夜まで→ホテル泊まりで3日連続全く動けない仕事、とかやってたら後頭部の右半分だけ水ぶくれみたいのができ、首元のリンパ節が腫れて痛い……と思いながらシフト詰め詰めで受診できず、寝るときに枕が当たると痛いので左を向いたりうつぶせになったりしていました。

で、やっと皮膚科を受診したら帯状疱疹でした。わかる、わかるよ。疲れてたよ。
ドクターによると「髪の中なのでわかりにくいですがポツポツと赤いのが出る典型的な帯状疱疹です。顔に出なかったのはラッキーパターンですよ」とのこと。んもう不幸中の幸い。「体の神経は左右で担当が違うので、左右のどっちかだけに出るんです」へー。っていうかそんな生物学的な説明してくれるんやね。今週やたら帯状疱疹の診断が多かったようです。

隣の薬局でステロイドの塗り薬と飲む抗ウイルス薬、痛み止め+胃薬を買いました。薬剤師のおねいさんから「薬は飲みきって!お酒は1週間禁止!意外と怖い病気ですからね!!」と指導いただきました。いい、こういう親身なの。

弊管理人がいなくても仕事は回ることが分かってきたので、3月は指弾されない程度に手を抜きます。

* * *

東京へ行ったらみんなマスクしながら満員電車に乗ってた。
なんかね……

家を売った

昨年11月の中旬に異動の打診を受けて、持っていた部屋を売りました。
結論からいうと、仲介手数料を引いても若干の利益が出るくらいの値段で売れました。5年間タダで住めて、おまけまでもらった形になってしまった。

以下その記録。主に胡散臭い不動産屋の説明と、それに対する感想です。

* * *

【11/22】不動産業者大手2社に連絡、実地を見ての査定予定を2件入れる

【11/23】M社の売却担当と賃貸担当が訪問

・マンションの査定は、その物件の特徴を点数化したものと、近隣の成約状況を一定の計算式に当てはめて行う
・直近この建物だと5階の向かい側がリフォームした上でxxxx万(値段伏せます)で売られている
・少し離れたところで6月に売れた部屋もxxxx万、そこよりここは立地がいいのでこれより高くは売れるはず
・この部屋は向きがいいのでxxxx万くらい。言い値で売り出すがxxxx万くらいかと
・居住用のマンションを売却する場合、利益(売却費用から購入費用などを引いたもの)3000万の特別控除があるので税金はかからないはず。手数料などが引かれた金額が手元に残る
・転勤後は空室になるので鍵を預けてもらえば内見には業者で対応する
・手続き上、本人がいる必要があるのは残金決済の時と売買契約の時のみ
・業者との契約は3種類の形態があるが、1社との契約を勧める
・契約すると広告を出して浸透まで2週間くらい。媒介は3ヶ月が1クール。それで売れないと価格を見直そうかという検討に入る
・物件が動くのは例年年明け~3月。それ以降は厳しい
・端数を負けることがほとんど慣習になっていて(xx80万ならxx00万で売る)、それを織り込んだ価格設定をする。つまり「実際はこれくらいが妥当」と思った価格に80万か180万乗せて売り出すことが多い
・セールストークになるが、先日フラット35で「居住用として買ったものを賃貸に出している」という問題が発覚してローン審査が厳しくなっている。これからさらに厳しくなる可能性があるので売却は早いほうがいいと思う
・マンションの値段は3.11後から上がり続けて、ここ2-3年は高止まりが続いている。2020年の五輪後に下がるかというと下がらないと思う。ただし物件は時間がたつほど古くなっていくことは考慮が必要

・賃貸はどうかというと、査定したところ月xx-xx万。ここから5%+振り込み手数料を引いた額が月々の振込額になる
・売却と違って築年数はほとんど関係ない。駅に近いというのが大きい
・いかに空室の期間を短くするかが焦点。通常2-3週間で契約に至る
・初期投資もかかる。例えばガス給湯器が古ければ使用中の故障は問題になるので先に替えるなど。エアコンは10年がめど
・壁紙は6年で価値が0になる

【11/27】D社の担当氏来訪

・長期譲渡 税率は利益の20.315%。次にローンを組む予定がなければ3000万の特別控除が受けられる。現に住んでいる状態から3年以内だと受けられる。3年以内にまた買うと住宅ローン控除(築25年以内、50平米以上の場合)が受けられない
・1~3月、特に1月中旬から3月初旬は物件が動く時期。探す人が多い。探す人は既に11月中旬~12月下旬にかけて物件を探している。この時期動く人は計画的なので実際に買う人が多い
・昨年12月に同じ建物でxx00万が出ている。年内はxx80万くらいで出したらどうか。xxxx万を超えると探す層が変わる(算定の根拠は示さなかった)
・視点:今近隣で売り出している物件で極端に安いものはあるか?→競合しそうな価格帯はない(1件あるが定期借地権)。タワーは別に考える。タワーというだけで上がるし、売れなくてもいいからゆっくり売るという発想で出している物件が多い
→適切な価格で出せば売れる
・売る形態は3種類(専属専任、専任、一般)。割合は専属専任が多い。一般は手数料が確実に取れないので広告に載りづらい、ネットで複数社から広告が出ていると見る側に「高いから?売れてないから?」と警戒心を抱かせる
・2000年代初頭くらいのマンションは今の新築より設備がいい。1000万で室内を作れたところが、今は1300万くらいになっている。バルコニーの壁にタイルを貼っていないなど経費削減で対応している。不動産屋自身も新築を買う人はほとんどいない

【12/7】専任媒介契約と写真撮影

・一通りの手続きが終わったあとで最後に「xxxx万はチャレンジ価格。下げるならがくっと下げたほうがいい」と言い出して疑問を持った。D社が「(高い値段を示した業者には)売る気あるのかと思う」と言っていたのに対して電話では「売る気しかありません」と威勢が良かったのでM社に傾いたのだが
・電話では「少し前に新宿御苑でここより狭い物件がxxxx万で売れたので現実的な価格だ」とも。こうなるとその見立ても妥当かどうか
・ということで再度電話した。「チャレンジ価格と言ったのはそこから値引き交渉があるという意味。伝え方が悪かった。xxxx万で売れたのは新宿御苑のxxx(伏せる)、31.58平米、2014年築。さきほど示しかけた見積もりは前の契約案件で違う話」と弁解あり。しかし「チャレンジ価格」ってそういう意味じゃないだろうよ
・あと、3000万の特別控除を受けるのに手続きは必要ないんですね?と確認すると「税理士に確認したら必要だった。来年引き渡しした場合は再来年の確定申告で、それは大阪でやればいいとのこと」との回答。これも話が違った。この担当氏、かなりテキトー。要警戒
・しかし契約はしたので、D社に断りの電話を入れる

【12/20】M社から買い手について連絡

・これまでに個人から1件問い合わせがあったが、資料送付後に連絡がつかなくなったとのこと
・それとは別に法人から1件の申し込みがあり、xxxx万を提示された。瑕疵担保責任を問わない、つまり売ったらそれでおしまいで、後から「風呂が」とか「水道が」とか言われないという良い条件つき。
・選択肢は「蹴る」「受ける」「交渉する」で、50万上げられるかどうかと聞いたら「10-20万では」との答えだったので、20万で交渉してもらう。ただし相手が「xxxx万以上なら断る」とならないようにという条件を付けた
・というのも、実は何件か「この値段なら」という打診があり、ほとんどがxxxx万台後半からということでこちらには知らせないでいたとのこと。xxxx万はD社の上限を超えていることもあり、実際のところこれくらいならという気がしたのでここで決めたいという気はした

【12/21】

・買主となる会社から担当の方が内見に来訪。エアコンと洗濯機は置いていっていいとのこと。中はきれいで問題ないとの評価
・不動産を仕入れて売ったりしている会社で、今年の仕入れが若干足りていないため今年中に契約したいとのこと。過去に取引実績があるかと聞いたら「ある」。信頼性のある会社ではあるそう
・契約は「社印が持ち出せないので会社に来てほしい」だそうでM社の最終営業日の23日に行くことになった
・ちなみに、12月末契約、引き渡しは2月末を希望された。いいんだけど、この日程の場合確定申告はいつやればいいのかという問いに「2021年でよい」との答えだったが、また訂正が入った。税理士に確認し、2020年と2021年が選べるとのこと。つまり、契約時をとるなら2020年だが、全額を手にして引き渡した時をとるなら2021年で、どちらと解釈してもよいということ。どうも知らないことをぱっと答えてしまう危うさのある担当者だと思った

【12/23】

・買い手の会社に行って売買契約。出がけに通帳記入したら手付けが入っていた
・2時間と案内されていたが30分で終了。M社の担当氏が契約書類の説明をばんばん飛ばすので「読まなくて大丈夫?」と聞いたら書類を2つ忘れてきていることが判明。「あとでレターパックで送るので、サインと捺印して直接買主さんに送って下さい」ほら出たよ……
・大丈夫かなと思いつつ第一段階は終了。引き渡しの2/28に東京に来ることになった

【2/28】

・2月後半はむちゃくちゃ仕事したが、決然と大阪から東京へ。M社の担当氏から当日朝になって「行けなくなったので別の人間が立ち会う」と連絡。もう驚かないけどな

・代わりの担当氏と待ち時間に立ち話
・M社は物件やネットワークがいろいろあるので、取引のあった法人にも「こういう物件が出た」という通知をする。今回はそれで、わりと高く買ってくれる傾向のある会社が手を挙げたという次第(もちろん満足して契約しているが、しかし、それでもあの調子のいい担当者が出した見積もりより若干低かった。つまり相当盛っていたのだ。媒介契約を取るためだろう)
・例年物件がかなり動く時期だが、新型コロナでかなり鈍い。外国人が行き来できなくなっている影響がある。このところの物件値上がりは外国人によるところが多かったので
・正直、これで五輪を迎えるとどうなるかは分からない。どーんと下がることはないと思うがじりじり下がっていくのかもしれない
・偶然ではあるが、いい時期に売却されたと思う、とのこと。弊管理人もそう思います

・で、手続きは司法書士に登記の委任をし、引き渡しの書類にハンコをついて、鍵を渡して、買主さんからの振り込みをその場で携帯で確認して40分ほどでおしまい。
・で、新幹線に乗って帰ってたらM社の担当氏から電話が来て「レターボックスの開け方を聞くの忘れたので教えて」と。「新幹線なのでメールする」と伝えて回線断。で、メールしたら返信で「宅配ボックスの開け方は……」ほんと最後まですんなり行かないな、この人
・新宿の部屋は2014年11月に買って5年ちょっと。とても便利な立地なのと、廊下がほとんどない合理的な間取りが好きな部屋でした。もっと住みたかったんだけどね。さようなら

2020年02月20日

2月中旬あれこれ

・むちゃ忙しい。忙しいというか、慌ただしい
・なのでこういう断片みたいな日記になる
・「お作法」や「文化」の習得にまだまだかかりそうで、ぽろぽろ反省点が出ている
・ちなみに今はこれでも恐らく平常時で、突発事案があったら一体どうなるのと思っている

・とはいえ、大阪の職場は本社に比べて空気がいいというのは同時に異動してきた方と概ね意見が一致した
・野菜があまり食えてないのが課題

・家はやっと「自分の部屋」になってきた感覚がある
・近所にいい焼き鳥屋さん発見

・昔、実家の車がコロナだった(1991-2006)ので、新型コロナと言われると車が一瞬よぎる
・いろんなイベントが中止になってるんだけど、街が空くのは悪くないと思う
・あと、東京のイベントでウェブ中継に変更されたため見られるようになったものがあり、むしろお得感
・あとなんだっけ

2020年02月09日

オーサカ所感

2週間の感想。

【食】
・カレーの皿が楕円
・「粉もんばっかだよ」と言われるが、実際たこ焼きはスナックなので口にしないし、お好み焼きは一人であまり食べないのでそうでもなく、むしろ注意しないとカレーや揚げ物ばかり食べてしまう
・食べ物は安くてそれなりだが、おいしいものはやはり探さないとなかなかない

【衣】
・ピチピチのスウェットはいてる人が多い
・半袖の下に長袖を着る人が目に付く

【風土】
・大阪駅周辺以外はわりと空いてる
・周辺の都市、地図上近く見えるけど結構遠くない?
・京都、奈良が近いって贅沢
・平野が広くない(わりとどこでも山がチラチラ見える)
・意外と空がきれいかも

【人】
・動線が交錯した際など、目線は合わせないまでも会釈する人が多い
・知らない人同士でも挨拶ついでに一言交わす、ということが結構ある。Howzitにあまり考えて回答しなくてよいように、こういう挨拶の場面でも頭を使わなくていいのではないかと推測している
・仕事先に軽い気持ちでコンタクトすると「アテンドしましょか」「スライドいりますか」とオファーが返ってくる
・乱暴な人は乱暴な人とやりあっていて、あまりこちらにスピルオーバーしてこない印象

【職場】
・無駄口メールが飛び交ってなくてよい

【職場の若者職位】
・若者職位の人たちが軒並み若く、みんなから「さん」付けで呼ばれている若手の頭級の人でも自分より10期も下だったりしてびびる(若干の例外あり。ちなみに旧職場は若者職位の最若手が30歳、おじさん職位は弊管理人が最年少であとは40代後半~50過ぎであった)
・若者職位に明らかに女性が多いなと思った(弊管理人の同期は女性2割。最近は4割を超えているらしい。そういえば某総務シニアおじさんが「成績順に採ると女性ばっかになっちゃう」と言っていたが、本当ならコトですぞ)
・若者職位にやる気を感じる人がそこそこいてびびる
・おじさん職位に投げてくる成果物は85%くらい「これ要らなくない?」と言いたくなるものだが、そうは言えない(1回言ってしまったが「前からやってるんですけど」と反論されたのであまり言わないことにする)

【職場のおじさん職位】
・現職場は旧職場のようにおじさん職位がブチギレたり若者職位をいびったりしてなくてびびる
・うだうだとご託を並べて降ってくる仕事を蹴ったり、論評するが手は動かさないみたいな旧職場の文化と違って、わりと何でもぱきぱき処理するので、旧職場の感覚でものを言ってると「あの人……」と言われそうで危ないので気をつけることにした
・現職場のおじさん職位の中では、弊管理人は出身母体的にめっちゃマイノリティなので輪から外れていられるのだが、マジョリティの人たちの男子っぽい感じにびびる
・おじさん職位におばさんが1人たりともおらず、ものすごいジェンダー不均衡。もっと上には1人だけいる。これは旧職場と同じ
・10年ぶりにやったけど宿直って眠い。4時間寝られたらよさげだが、こんなんだと翌日のパフォーマンスがすごい落ちるし、脳に老廃物がたまるし、寿命が縮む

といったところがベースラインです。
飲み屋文化に徐々に入り込み、プライベートの知り合いもできてきました。

あと、この数日すっごい寒いです。今日は雪がちらついてました。

2020年01月30日

離任と引っ越し

ようやく大阪での営巣が落ち着きました。

それにしても、周りがみんな大阪弁を喋っていて、「ノンネイティブスピーカーとして生活する」という体験を留学以来20年ぶりにしている、という実感が意外とでかいです。
イントネーションによって「よその人やな?」という顔をされることが時々あるのが気になるのと、「えっ今なんて?」と自分の喋りが聞き取ってもらえないことが結構ある。まあ後者はもともと弊管理人の喋りが聞き取りづらい上に、あまり日常会話に出てこない語彙を話し言葉で使う癖があるためかもしれん。

さようならから引っ越しまでは以下。

■21日は旧職場の人3人と最後の夕飯。神谷町にあるベラルーシ料理「ミンスクの台所」。
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このとき、部内の仕事が風雲急を告げていて、このお店を予約してくれた人がもろにその担当で、来れるかな、来れないかな、みたいな状況でした。結局遅れて来ることはできたのですが、その後がえらいことになっており、今(30日)もますますえらいことになっています。

■22日は弊管理人の最終出勤日で、夜勤に当たったため送り出される事態は避けられました。
机の上をきれいにして、午前2時前に一人で職場を後に。

■23日は転勤休を利用して最後の片付けと、区役所で転出届。
夕飯は呑み友と中野坂上で魚。

■24日は引っ越しです。
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アート引越センターから来たのはおねえさん1人とドライバーさんで、すっごい手際で大物を梱包して運び出して終了。そのまま新幹線で大阪に行きました。

■25日は朝から荷受け、ガス開栓、洗濯機搬入(東京の家はビルトインのドラム式だったのでハイアールのやっすいやつを購入した)、ネット開通、で、なんとか大物家具を配置し寝床だけ作って寝た。

■26日は大阪の前任者と会って引き継ぎ。そのあとニトリに行ったり片付けしたり。
27-29日を使ってだいたいの段ボールを開いた。

・結局、1LDKのリビングにベッドも机もテレビも入れて1部屋で暮らせるようにしてしまい、洋間は電子ピアノを置いただけ。あと、本やCDも段ボール箱も洋間に置いたままにして、必要が生じるまで箱から出さないことにした

・クローゼットが小さいため、「たぶん大阪在任中は着ない」と思った背広とバイク用のジャケットは箱詰め。普段着るもののバリエーションがものすごくないわりに、ほんとに服が多い。なぜなのだ

・東京で聞いていたラジオ番組のいくつかが大阪で放送されておらず、残念ながら聴取断念。あと、建物のせいなのか立地のせいなのか、感度がかなり悪いのが極めて不満

・ブルーレイ・HDDレコーダが電源を切っていても高周波の小さな音を発していることに気付き、寝るときうるさいのでコンセントを外すことにした。これでさらに東京では録画していたいくつかの番組を見なくなる

・一方、ベランダが広くて(たぶん面積にして東京の2倍以上)布団が干しやすいのと、風呂場に窓があるのはよい(←これはこの部屋に決めた要因の一つ)。カーテンは無精なので使い回してしまった

■29日はちょっと出掛けたくなって、仁徳天皇陵古墳と堺市博物館に行ってきました。
俯瞰して見られる高い建物がないんだけど、前方後円墳って形が分かんないと面白くないでしょう。観光地としてはガッカリだと思う。
ただ博物館は古墳群から行基から秀吉から、堺市の歴史的資源の豊富さが圧倒的でよかった。

■30日、ちょっと仕事めいた用事で阪大へ。
そのあと岡山に遊びに行こうとしたら、新大阪に地下鉄の御堂筋線で出るはずが、間違えて堺筋線に乗ってしまい、やる気が失せて、カレー食べて一杯飲んで帰ってきた

2020年01月19日

近美と、呑み友送別会

引っ越しが今週に迫りました。冷蔵庫の食品の処理をしつつ段ボールに囲まれて生活していると気分がどうも上向かないものです。

で、竹橋の東京国立近代美術館に行ってきました。目当ては「窓展」だったのですが、常設展の解説がなかなか面白くて、むしろそちらを楽しみました。ちょうど先日読んだ『現代美術史』にあったあった!こういうのだったのか!というワードや資料がちらほら。

ちょうどギャラリートークをやっていたので参加しました。講師は東京学芸大の名誉教授、増田金吾さん(美術教育史)。テーマは「児童画」。
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【児童画の歴史】

・明治~大正半ばまでは、図画の授業は「臨画」が中心。臨画とは手本を真似ること。漢字の「書き方」のように、線1本1本の順番と描く方向が指示された手本に従って絵画の技術を習得する、実用的で拘束性の強い授業だった。文化アイデンティティの確立を目指していた時期と軌を一にしていた

・これに対して、山本鼎はお手本を廃し、特に風景を見たまま写生させる「自由画教育」を推進。1919(大正8)年には長野の上田で最初の自由画展覧会。大正デモクラシーと新教育運動が背景。ただし、一人一人の個性を重視するため、教授の方法論は難しかった

・岸田劉生は1925年「図画教育論」で(1)自由画法(2)見学法=鑑賞教育(3)手法教授=技術指導(4)装飾法(バランスやリズム)―の方法論を示した。美的な面を重視し、臨画も一定認めた

・第二次大戦後、社会や教育界が抑圧から解放される。前衛が復活。1950年代には美術教育団体ができた。
(1)美術評論家の久保貞次郎、画家の北川民次ら幅広い立場の人たちが集まり、クリエイティブであることを重視する創造主義の「創造美育協会」
(2)戦前の「想画」(生活画)が源流とされ、風景の写生よりも実生活の細密な描写を重んずる生活主義の「新しい絵の会」
(3)造形を重視する造形主義の「造形教育センター」など

・児童画はGHQの中にあった民間情報教育局によるアメリカの児童画紹介、毎日・朝日が始めた児童画コンクールなどで隆盛。「アトリエ」など大人向け美術雑誌も児童画の発展を後押し

・「日本アンデパンダン展」では大人と子どもの作品が区別なく展示された。1950年代にはクロード岡本という天才少年が現れ、絵画教室に子どもを通わせる親が続出。児童画教育がテーマの開高健『裸の王様』が芥川賞、創美の映画「絵を描く子どもたち」が一般映画館で上映され、児童画ブームも。近美でも1954年に「世界の児童画」展。当時は「作品」扱いだった。現在は「資料」扱いになっているとのこと

・1960年代の教育法について質問したところ、創造主義は現在も生きている思想だとのお答えでした。元をたどると、絵についての直接の言及はないものの、ルソーやペスタロッチ、フレーベルなどまで戻る。ただし指導する立場を考えると、先生も創造的でないとできない立場ではある。教員養成ではこういう考え方があるとは紹介した上で、どれがいい/悪いという教え方はしていない、らしい

・終了後、立ち話で「子どもポスターコンクールとかってどういう視点で優劣つけるんですか」と聞いてみました。芸大の先生は(目を引く表現があるかといった)芸術的視点、学芸大の先生は(メッセージ性があるか、バランスはどうかといった)媒体としての成立性、教育的視点で見てしまうことが多いが、それぞれ、とのことでした。ちなみに講師の先生は美術館に収蔵されるときの扱いは「作品」ではなく「資料」でよいとの立場だそうです。スポーツにおける甲子園みたいね

・いろいろ聞きすぎて「あの、失礼ですがどういうバックグラウンドの方で?」と聞かれてしまいました。通りすがりのおじさんです。すみませんでした

【児童画と発達段階】

・ローウェンフェルドの分類を紹介された

(1)なぐりがき期(2-4歳。年齢は大体。以下同じ):手の運動の延長。ぶわーっと線が描かれているが何が描かれているか分からないような絵を描く時期

(2)前図式期(4-7歳):「図式」を獲得する前段階。何らかのイメージに基づいて形を描いていることは分かる。例えば「人」であることは分かる程度の形は描くが、色は白だったりと現実を反映していない。丸い頭からいきなり2本の足が生えている「頭足人」を描いたりする(←これは国を問わず子どもが描くらしい)。大切なものを大きく描く

(3)図式期(7-9歳):自分が知っているものを図式的に描く。人はみんな同じような形、顔はどの人物も同じような顔で描かれる。「空は上のほうにあり、青いもの」という概念に従って、画面上部に青い帯を描いたりする。「太陽は赤いもの」という概念を獲得すると太陽を赤い丸にする。手は「5本の指を持つ」という概念を表現するが、親指だけ方向が違うなどの現実を反映しない。見えないはずの木の根を描いたりする(レントゲン描法)

ここまでが「知っているものを描く」という段階。この後、「見えたものを描く」という転換が起きる。

(4)写実の芽生え期(9-11歳):「立体と平面が混ざったキュビズムのような構成」など図式期の名残がある時期だが、「俯瞰視点で描ける」「人や動物などのオブジェクトが奥行きを持って重なって描ける」といった写実性がみられる(図式期だと、例えば運動会の絵では多数の人間が並んで仰向けに倒れているような絵を描く)

(5)擬写実期(11-13歳):自然主義的態度。劇画の愛好。三次元表現の強化、遠近法の使用

(6)決定期(13-17歳)

・恐らく作文や音楽創作においても似たような発達段階分類の仕方があるのだろうと思いますが、先生は「多分あるけど知らない」とのことでした

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初めて触る分野だったので面白かったです。
窓展や、ちょっと離れたところにある工芸館も充実してました。

* * *

呑み友であり、この数年、休日に東京と近県のいろんな温泉に行きまくった30-40代の友達5人が新宿三丁目のトリキで送別会をやってくれました。といっても、いつも通りに喋りながらメシを食うだけなんですけど。

5人のうち誰が参加するかはそのたび変わりましたが、日曜の昼過ぎにLINEで「風呂行く?」「茶する?」「なんか食う?」から始まって深夜まで風呂とラーメンや焼肉に行くのが通例。まあよく喋った。何を喋ったか覚えてないくらいどーでもいいことばかりだったと思いますが、確か世界の出来事から老い、エロ、噂話などいろいろ。

これまでの「たぶん行ったきり、さようなら」な異動と違って、今回は元いた東京に戻ってくる可能性もあるのだけど、それでも今この時間、定例の呑みや風呂の記憶はどんどん遠くなっていくのかもしれない。40代というのも、「次会うときに今とあまり変わらずにいられるかどうか」という疑問を突きつけてくる年頃です。

ラストオーダー後にカメラを取り出そうとしたらあっさり散会してしまったので、できるだけ思い出せるよう、記して栞だけ挟んでおこう。きょう来てくれたのは、しんちゃん、ルパン、トンガちゃん、ひろちゃん、たかしくん。

* * *

新居でのガス、電気、水道開通、郵便物の転送はあっさりネットで手続きができました。いつからそうなん?
懸案だったネットは先週木曜の申込み時「2-3週間かかります」と言われて暫くネットなし生活か?と思っていたところ、きょう開通工事の調整をしたときに、荷受けの日に開通できることが分かりました。やった。

2020年01月12日

正月上旬

うっかりしてるうちに正月上旬も終わってしまいました。

元日が仕事だったので、2日から帰省。
新名所らしい「天竜峡大橋」に行ってきました。三遠南信道の下を歩けるんだって。
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天竜峡と飯田線が真上から見られるのはいいかも。
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母方の家にも行きました。あいかわらず伯母の料理は豪華。
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伯母77歳、祖母99歳。家はきれいにしてあってまだ大丈夫だなと思いました。
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父方の祖母のところに行ったら留守でした。2020年、田舎の施錠はこれくらい。
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父によると、祖父が亡くなってから山は荒れ気味だそうです。自然の力すごい。
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実家。久しぶりに食べ過ぎた帰省だったかも。晴れて暖かい年末年始でした。
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* * *

厄が明けた(節分まで説は認めない)ので友人らと高尾山にお札を返しに行きました。
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来年来られるか分からないので、今年は新しいお札は買いませんでした。
おみくじを初めて引いてみたら「吉」。大吉の次。まずまず。「始めは苦心するが後はよい。工夫して先手を打ってね」とのこと。うん、まずまず。

* * *

世の中が仕事始めになったのをとらえて、大阪の家を決めてきました。
大阪の支社にも顔を出しました。ここの評価について現役、経験者多数に聴取した結果はだいたい同じで、
(1)仕事は忙しい
(2)しかし若者とキャッキャやるのは楽しいといえば楽しい(本社は擦れたロートルばかりだから)
とのことです。(1)が嫌。渡された手引き書を見ると「これ20世紀?」みたいな旧態依然とした職場の香りが立ち上ってきてオエってなりました。
いうて弊管理人はアニキ体質ではないので(2)も別に救いではない。

* * *

見送りラッシュ?が続いておりまして、上司、旧知のおねえさま、旧知のおじさまと一緒に虎ノ門「つくね」。
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サラダ、焼き鳥、鍋のコース。うまぁ。最後のおじやとお新香に至るまでうまい。
旧知のおじさまは弊管理人が千葉で新人だった時に初めてついたおじさん職位(=つまり今の弊管理人の立場)で、あと1年半で定年だそうです。千葉に来たときのおじさまは今の弊管理人より2コくらい下だったんですけど。びびる。まじで。
初めて気付いたけど、弊管理人が大阪から帰ってくると(帰ってくるかは知らないが)おじさまは退役してるはず。というわけで、なんかおじさまの送別会っぽくなりました。

* * *

あと、元上司で今は総務にいるえらいひとにもおしゅしをご馳走になりました。いろいろお世話になったひとです。
「おじさん職位になるときの研修カリキュラムがめっちゃひどいので直して」と頼んでおきました。

* * *

一緒に仕事をしたことはないのだけど、社内でよく顔を合わせる多分えらくなるおにいさまからも「送別呑みを」とオファーをいただきましたが、さすがに体がきついので「お気持ちだけありがたく」。

* * *

インド帰りの同期からは「夕方1時間限定で立ち飲み」とのお話をいただいて、これは本当に1時間で終わらせられそうなのでOK。

* * *

家の地震・火災保険の解約手続きをしたら、返戻金が結構発生。
最初いくら払ったのか全然覚えてない。
あとは水道、ガス、電気、郵便の手続き、ネット申し込み(久しぶりながらたけーな)、洗濯機購入(今はビルトインなのです)など淡々とやってました。

2020年01月01日

新年

年が明けて厄を抜けました。
大晦日は何年か(それこそ10年とかでは?)ぶりで東京にいたので、馴染みの飲み屋さんに行って年越しをしました。さっと行ってぱっと帰ろうと思っていたら、一見のインバウンドさんが振る舞い酒を始めて弊管理人も被弾し、結構酔って久しぶりにペラペラ喋るモードに入ってしまい、就寝が3時過ぎに。楽しかったので後悔はしてません。

一年の刑は元旦にありってことで元日から仕事。開いてるお店が少なかろうと、弁当を作って出勤しました。そして裂けるチーズ(スモーク)を肴にほろ酔いを飲んでしまいました。

* * *

■藤井啓祐『驚異の量子コンピュータ』岩波書店、2019年。

知識の乏しい人が「最近話題のアレってなんなん」というくらいの動機で読んでいい本ではなかった。いわばキーワード集だが、そうだとしても説明が足りないし、初出の部分でどう説明されていたかな、と戻って確認したくても索引がなくて不便。「当時」が多用されるものの、何年のことなのか分からない部分が多い。ただし情報は新しくてよい。

・最初のアイディア:ファインマン(量子系のシミュレーションには量子力学で動くコンピュータが必要)、ドイッチュ(量子版チューリングマシンの定式化)(p.39)
・確率振幅:重ね合わせの度合いを示す。確率より根本的な量(?)で、測定すると確率としての意味を持つようになる(p.46)
・エンタングルメント(EPR状態):局所性(ある所で起きたことが遠く離れた所の現象に影響を及ぼさない)と実在性(結果があらかじめ確定している)が成立しない
→これはアインシュタインが受け入れなかった。EPRのパラドクス(p.58)
→ベルの不等式:一見ランダムな測定結果があらかじめ未知の変数によって与えられていると仮定すると満たされる不等式。量子力学はこの不等式を満たさない
→これを実験的に検証したのがアスペ(1982)。ベルの不等式から派生したCHSH不等式が破れていることを実証した。ただし隠れた変数を完全に排除できてはいなかった
→最近(いつだよ)より精密な測定でベルの不等式・CHSH不等式の破れが検証されている
・量子テレポーテーション:もつれた双子粒子を分有して、片方に転送したい粒子をぶつける→もう片方に測定結果を伝える→量子状態が遠くに転送できる。測定するまで神様にも結果が分からない=盗聴不能な量子暗号
・量子ビット(pp.63-72)
 ・核スピン:IBMがやった最初の原理実証試験
 ・超電導:中村+蔡(1999)。磁束量子、トランズモン。グーグル、IBM、リゲッティなど
 ・イオントラップ:IonQ(米、モンローら)
 ・半導体:量子ドット
 ・光:カナダのXanadu
・可能性を打ち消したり、強めたりする操作で正答の可能性を高める
・アダマール、CNOT、位相回転演算を組み合わせることでどんな計算もできる
→ゲート型、あるいは回路型QC(p.85)
・ショアのアルゴリズム:素因数分解がQCで簡単に解けることを示す+チューリングマシンを超えるコンピュータが可能であることを示す(拡張チャーチ=チューリングのテーゼに対する反証)(p.90)
・デジタルコンピュータのエラー訂正
 ・ノイマンによる古典コンピュータの誤り耐性理論(1954)
  →現在のNAND多重化
 ・デジタルコンピュータでは閾値以下のノイズを0/1の離散的な値にまとめてしまえる
 ・デジタルだと1を111のように3ビットのコピーを使って表現し、ロバストにできる
 ・しかし量子ビットはコピーできない
・アナログビットの解決案
 ・ショア(1995):環境(ノイズの原因)より強いもつれをqbit同士で作ってしまう
 →エラーが起きるともつれが解消する
 →これを検出して元の情報を復元する(pp.101-102)
 ・閾値定理:ノイズが一定以下なら計算結果の精度はいくらでも上がる
 ・ラウッセンドルフ:誤り耐性一方向QC(pp.108-111)
・IBM Q(2016):5qbit
・NP問題:検算が簡単、P問題:正答を効率的に発見。P≠NPかは未解決問題(p.136)
・NISQ:数十~数百qbit。誤り訂正はない→計算ステップ数が限られる
 ・エネルギー計算やパラメータ更新などは古典が受け持つハイブリッドアルゴリズムで
 ・AI。藤井らの量子機械学習アルゴリズム(2018)
 *p.146の図28にまとめ
・汎用QCの用途
 ・原子レベルで設計した物質の物性を調べる。高温~常温超電導物質の探索など
 ・太陽電池、LED、人工光合成など量子効果が重要な材料
 ・触媒、創薬=原子、電子が集まった物質の性質や化学反応を知る。高精度シミュ
 ・仮想通貨、セキュリティ、量子重力理論の実験

2019年12月31日

スキャン

引っ越し準備でクローゼットの荷物を整理しておりまして、中学~大学時代の荷物が段ボール2箱あったのを1箱に圧縮しました。どうやったかというと、ドキュメントスキャナで高校時代の絵日記(ノート10冊)、中高のころに入っていた/主宰していたアニメサークルの会誌などを一気に電子化しました。積むと1m近く。結構時間がかかりました。

それで気付いたのですが、中3のどこかで少し、また高2の初めくらいにもう一段、文章と絵が上手くなってます。
なんとなく文章は借り物感が少なくなるとともに、やたら難しい漢字を頑張って使わなくなります。絵は線の流れが制御され、「一枚絵」としての収まり=デザイン性みたいなものを意識するようになった様子。特に高2以降は線が極めて細かくなった。
字は高2段階で今の筆跡にかなり近くなっていました。ついでに成績もその頃から上がってた。どうもこの辺で大人に近づいたみたいです。

いずれにせよ、他人に見られてはいけないものばかりでした。
卒業文集がアレなのと合わせ、暴露を恐れて悪を為せない人生です。

* * *

そして本とCDを3箱分、ドナドナすることにしました。
前の引っ越しでも結構処分したんだけどな。
「本を捨ててはならん」というのが父の教えですが、「この本は時間の経過に耐えられない」というやつもあるんです。

* * *

レーザープリンタも捨てました。プリントはコンビニできれいにできるご時世。というか、そもそも仕事以外でプリントすることがほぼなくなった。カーシェアなんか典型的にそうですが「サービスを利用すればよく、所有するほどではない」ものになった。

* * *

持ち物のスリム化とは関係ありませんが、60Hz圏に引っ越すため、50Hz仕様だった1999年製の電子レンジをとうとう捨てまして、フラットテーブルかつヘルツフリーの新しい単機能レンジを仕入れました。快調。単機能なのはトースターを買ってオーブン機能が完全に必要なくなったため。

* * *

室内作業が多かったので、お若い友人と「赤坂うまや」でランチ。そのあとオーバーオールが買いたいという奇特な友人の付き添いでルミネエストに行きました。

2019年12月28日

カキとまとめ

「かつれつ四谷たけだ」
10-4月のカキバター定食。11:30に並んで一歩遅れたか、と思ったものの1時間で入れました。
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んも~~~めっちゃうまい。うまみが~~~
カニコロ追加、ご飯を大盛りにしてちょいがけカレー。こちらもああああああ
年末をカキで締めると幸せ度高いです。

* * *

いやまあこれから仕事なんですけど、とりあえず。

1月 友達3人での伊豆旅行よかった。しかしカメラにそばつゆぶっかけたの痛恨
2月 会津ほんとによかった。ご飯もお酒もおいしかった
3月 職場で怪メールが回ってわろた
4月 今年も京都・原谷苑のお花見に参加できた
5月 宮古島、大変休まった
6月 ちょっといい仲になった人と南房旅行(その後ブロックされた)
7月 喉いためた。なんか今年よく喉やった気がする
8月 函館行ったり日光の川で遊んだりした
9月 暗黒
10月 暗黒
11月 暗黒と転勤決定
12月 暗黒から抜けて宮崎旅行で喉が回復して肌の調子が良くなった

暗黒が長かったですが、それでも職場のサポートは厚く(手間が増えるだけの容喙もあったが)、アウトプットには特に文句もつかなかったようで、最後はふわりと着地できた感。
初夏にシベリアに行きたかったのにタイミングを失して行けなかったのが残念でした。
「これ読んでよかった」と印象に残る本があまりなかったのもちょっと。

SNSはほぼ見るだけにし、ミュートを駆使していらいらしてる人がなるべく視界に入らないようにしたのはよかった。
依然いらいらしてる人たちに関しては「ようやるね」と思いますが、それ以上踏み込んでも損した気分になるだけなので踏み込まない。そうしてるうちに気にもならなくなります。
リアルでも「この人やばい」という人とはなるべく距離を取り、味方してくれる人と仲良くするに限ります。やばい人は滑稽でもあるので思わず何か言ってしまいそうになるけれど、まあ結果いいことはないわな。万一冒険に出る時は、出るつもりで出ること。
まとめると基本、努めてご機嫌でいるのが健康の秘訣だと思いました。

あの人が定年、あの人は管理職になれるかどうかの瀬戸際の年齢、などと聞いては驚いていましたが、全然ヤングだと思っていた自分が40代も3年目になってるくらいなので、上はそりゃあもっと先がないわけだ。しかしおじさんだということは理解しつつ、ヤング気分が抜けないままもうしばらく行きそうな気配です。

* * *

弊管理人が2月に転勤になるという偉い人会議の報告を意外と多くの人が見たらしく(当人が見てないのに、というか人事ってそんな気になる?)、「壮行会を」的なお誘いをたくさんいただきました。
これまでは「別に会社かわるわけでもなし」くらいの感覚でいたのですが、「行く前に一杯」が重なるにつれて「えっこれってお別れなの?そうなの?」と思われてきました。できるだけお断りしていこうと思います。

* * *

■ジョージ・オーウェル(山形浩生訳)『動物農場』早川書房、2017年。

■石田英敬、東浩紀『新記号論』ゲンロン、2019年。

2019年12月11日

おわた

【6日】
喉、回復の兆し。咳によって疲労と恐らく荒れが進むので咳止めを飲むのがよいらしい。
【7日】
限局された違和感があるものの、かなり回復。痰を出すのにあまり力まないようにしている。

【8~9日】
声戻る。

【10日】
咳は残っている。

* * *

で、8月から弊管理人の心身および社会関係を蝕んできた仕事が、大きくこけることなく大体終わりました。
まあいろいろ勉強にはなったがよかったかというとよくはない。
緩やかだが明確にライフステージが変わっていくことを感じる後厄後半です。

* * *

■宮口幸治『ケーキの切れない非行少年たち』新潮社、2019年。

久しぶりに会社の図書室的なところからかっさらってきた本。
見逃されがちな境界的な知的障害と非行との関連&どうすればいいかという話。著者は医療少年院での勤務経験のある精神科医で立命館大教授。

「少年院の非行少年の中にもいました。少年院で教官の先生から注意や指導を受けると、『僕は褒められて伸びるタイプなのに』と泣きながら言い訳をしたりする少年が。きっと親からそう言われてきたのでしょうが、その結果が少年院です。」(p.123)

「もしその受刑者の中の一人でも健全な納税者に変えられたなら、大きな経済効果があります。…いかに犯罪者を減らすことが日本の国力を上げるために重要か、お分かり頂けるかと思います。」(p。179)

など、ざわっとする表現が随所に。

2019年12月02日

また喉

今年3回目、また喉をやりました。
今回は熱はなく、声が潰れ、倦怠感あり。
倦怠感は9月からずっとなので混ざっただけっぽい。

今回は自宅近くのクリニックで
・カロナール(解熱鎮痛)
・トラネキサム酸(消炎)
・アズノールといううがい薬
・トローチ
を出してもらいました。つまり、特異的な治療はないよっちゅうことか。
うがい薬、正直どうなのかねえという気はしていましたが、初めて出されたアズノールは意外にも良い感じです。声は戻ってこないけど痛みは一晩でだいぶ引きました。

あと、11月初めくらいにちんこの雁下のあたりに痼りみたいのができ、ギャアと言って泌尿器科に行ったら「前立腺炎でリンパが鬱滞しているのであろう」との見立てでセルニルトンという薬を出されました。「ずっと座りっぱなしだったり、自転車に長い時間乗ったりしてない?」はい前者です。たぶん総合的な体調悪化と相俟って現れた症状でありましょう。

薬、飲んでますがすこーしずつ良くなってます。2回目受診したら「1ヶ月分の薬を出しておくので、その間に良くなったらもう来なくていい」とのことでした。そして性病は検査で否定されました。まあそうだろう。

ということで薬漬けです。後厄も押し詰まって総決算でいろいろ来てると思うと納得も行くというもの(発想の転倒)。

2019年11月25日

ナショナルと生活

■アントニー・スミス(庄司信訳)『ナショナリズムとは何か』筑摩書房、2018年。

原書は2010年刊の入門書。去年1回読んだんですけど、本棚の「これから読む段」にまた入れてあった。去年の日記にはタイトルしか書いてなかったので、何かがあってメモを付けてなかったのでしょう。
だいたい次を頭に入れると3回目はびゅんびゅん読める気がする。

▽ナショナリズム
・「自分たちは現実の、あるいは潜在的な「ネイション」を構成していると思っている成員が存在する集団において、その自治と統一とアイデンティティを確立し維持することをめざすイデオロギー的運動」(p.28)
・その中核的教義:世界はさまざまなネイションに分割され、それぞれが独自の性格、歴史、運命を持っている/ネイションは政治権力の唯一の源泉である/ネイションへの忠誠はそれ以外への忠誠に優越する/自由であるためには誰もがネイションに属さなければならない/あらゆるネイションは十全な自己表現と自治を必要とする/平和と正義のためには自治権を持つネイションからなる世界が必要(p.57)
※世俗的文化なだけでなく、政治的宗教(宗教についてはデュルケムの定義:「神聖なもの、つまり別格扱いされ馴れ馴れしく扱ってはならないものに関する諸々の信念と実践の統一された体系であり、そうした信念と実践は、それらを信奉する者たち全員を、教団と呼ばれる単一の精神的共同体に結束させる」)に近い(pp.82-83) cf.戦没者追悼
・近代主義/永続主義/原始主義/エスノ象徴主義(←スミスはこれ。「近代のネイションの起源を、近代以前の集団の文化的アイデンティティという背景のなかに位置づけることが必要」(p.182))/ポストモダン(各主義はp.130の表にまとめあり)

▽ネイション
・「わが郷土と認知されたところに住み、誰もが知っている神話と共有された歴史、独自の公共文化、すべての成員に妥当する慣習法と風習を持つ、特定の名前で呼ばれる人々の共同体」(p.36)
※「国家(=制度化された活動)」でも「エスニック共同体(=政治的合意、公共文化、領土が不可欠ではない)」でもない。エスニック共同体とは結構かぶるけど(pp.33-34)
※「郷土」はルーツであり、政治的に請求されるものであり、祖先から受け継いだ土地であり、歴史を負った土地である。「風景」が重要な要素で、成員の自己理解に絶大な影響を与えている(pp.75-77)

▽エトニー(=エスニック共同体)
・「郷土とつながっていて、祖先についての誰もが知っている神話、共有された記憶、若干の共有文化、そして少なくともエリートたちの間では一定の連帯感を有する、特定の名前で呼ばれる人々の共同体」(p.36)
※「エトニーはより一般的、ネイションはより特殊な概念」(p.38)

▽ネイション国家/ナショナル国家
・「ナショナリズムの諸原則によって正統化される国家であり、その成員は一定のナショナルな統一と統合を保持している(が、文化的均質性まで保持しているわけではない)」(p.43)

▽ナショナル・アイデンティティ
・「ナショナルな共同体の成員による、ネイション独自の伝統を構成する象徴、価値観、神話、記憶、しきたりなどに表された模範の継続的な再生産と再解釈であり、そのような伝統とその文化的諸要素による個々の成員の可変的な自己確認である」(pp.48-49)

* * *

ちょっと聞きたい講演があって、20年ぶりくらいに出身大学の学園祭に行きました。
というか、在学中からほとんどまともに見たことなかったんですが、結構ちゃんとしていました。少なくとも先週見たサイエンスアゴラよりいけてた。
人の気質は随分変わったのではないかと推測しますが、それでも学園祭という体裁は継続するんだなというのが感想の一つ。あと、生真面目に展示を作っているのも恐らく当世気質なのではないかというのがもう一つ。

講演は23年前の1年生のときに受けた初めてのゼミ形式の授業の担当だった政治思想史の森政稔さん。当時は助教授になってちょっと経ったくらいの37歳だったのに、今60歳の老教授(いや当時比でほとんど老けてないんだけど)。「ここで28年教えていますが、学園祭で呼ばれたのは初めて」と。っていうかこの23年前だの60歳だのという数字にいちいちびびる。
民主主義に関する1時間の講演と1時間の討論だったんですけど、昔こんなに時事問題に言及するスタイルだったっけ?というくらい印象が違いました。

・ポピュリズム(感情を媒介にした動員、反エリート主義、代表されなかった層の代表)の評価は、実は政治学者の間では否定的なばかりではなく、水島治郎もポジティブな側面を取り上げているが、それだと1930年代のナチを否定できなくなりかねない。ミュラーの『ポピュリズムとは何か』では定義の中に「排除的性格」を含めた上で危険視していて、自分はそちらの立場に近い

・師匠の佐々木毅は2大政党制推しだったが、現実は必須要件である「強い内閣」と「政権交代可能性」のうち後者がすっぽ抜けてこの通り。政治学者の中には2009年の民主党政権を応援した人が多かったが、今はそこに触れたくないのか総括はあまりされていない

・(若者の政治参加意識が低いのは「現状変革の可能性が信じられない」「シルバー民主主義への絶望感がある」のが理由ではという質問に対して)若年層のほうが自民党支持率が高いので、若年層が選挙に行ったほうが自民党は盤石になるのでは。あとシルバー民主主義という言葉はよくないと思っていて、年寄りの中にも若年層の中にも格差があり、むしろ格差の問題が見えなくなる危険がある

・選挙制度面での手当てとしては比例代表分を増やすのがいいのではと思っている。あと院生で「くじ引きで決める議席を入れる」という古代ギリシアみたいな制度の提案をしている人がいて、最初は何を言ってるんだと思ったが、聞いてみるとよく理論的に検討されていた。選挙民の意思やその地域の利害から切り離されることにはメリットもデメリットもあると思うが

・天皇制は民主主義と相容れないかというとイギリスなど見ればそうでもなく、日本もむしろ廃止のほうのデメリットが大きいのではないか(何かあったときに廃止派が敵認定され「こいつらのせいで」といった攻撃が起きるようなことを想定したらしい)

・アメリカでは「表現の自由」に経済的自由など他の自由と比べて極めて強い立場を与えていたが、近年ヘイトの問題などで本当にそれでいいのかと問う議論もある

・日本国憲法には主権在民を掲げつつ、一方で三権分立の中の「司法」は司法試験を通ったけど国民から選ばれたわけではない法曹が違憲立法審査権を行使する。民主主義を制限するメカニズムが織り込んである

というあたりが印象に残りました。ペンを忘れていってしまったので系統的にメモがとれず、しかも上記思い出しメモには結構解釈が入ってるはずなのでそれなりのものということで。
それにしても討論では玉石交ざったいろんな質問がフロアから飛んだのですが、全部に「面白い回答」をしていて、ううむすごい、こういうところで一度オーバーホールしたいなあと感心したのでした。

* * *

2010年代前半にわりとよく遊び、そのころお父さんの介護のために郷里に帰った友人(男、独身、40代後半)から突然連絡があり、用務で東京に来ているのでご飯を食べようという。

つい先だっての10月にお父さんが亡くなったそう。認知症で大変だという話をさんざん聞いていたので「肩の荷が下りたでしょう」くらいのテンションで話してしまったが、それでもやはり親が死ぬというのは結構ダメージが来るものだそうです。まあそうだな。

経鼻栄養補給か胃瘻造設か、それとも点滴だけで3ヶ月以内の死を待つかという選択肢を示された時、「でもやはり経鼻栄養……」と言うと、医療者から「あなたにとってそこまで大切な人ですか?」と問いかけられた。それは、経鼻栄養補給でも続けるとここからまた長期にわたって生き続けることになるが、その覚悟はあるか?という意思確認だったと受け止めたらしい。お父さんの死後に「財産をよこせ」という伯母が登場したこともあって、まだいろいろ整理がついていないようです。

しかしそれも落ち着いた後は、一人っ子かつお母さんはもう亡くなっているので、いよいよ天涯孤独の余生。どうするのかな。

* * *

まだ本決まりではないんだけどほぼ本決まりな感じで、久しぶりにまた身辺ばたばたしそうです。
今年後半はフェーズがいろいろ変わり始めた気がした。前厄、本厄と大したことがなかっただけに、「おおお最後になってなんか来たな」と身構えています。

2019年10月30日

月末

特に巨大な何があってというわけではないのですが、一山越えた後に一度よくなった調子がまたこの数日悪くなって困っています。
日中ぼーっとしていて意欲がわかず、時々いらいらし、帰ると少し頭が冴えて、しかしわりと速やかに寝付き、早朝に仕事の夢を見て胸がどきどきしながら目を覚まして「休まったのだろうか」と思いながら30分くらいのうたた寝を繰り返しつつ2、3時間布団の中にいて、出勤する日が続いています。通勤は足が勝手に体を運び(そういえば電車の中で本が読めなくなった)、仕事も取りかかると終えることはできるのでそれほど支障は出ていないと思うのですが、職場にいる間じゅう頭と体が重い。視覚的・聴覚的な刺激がきつく感じる、視界に見えているものを見ていない、何かしようとして何をしようとしていたか忘れる。体が目的を持って感覚と思考を鈍磨させている気もします。なんでしょうか。疲れているのかというと日中の眠気はないのでちょっと違う気もするけど。とりあえず記録ということでここに。まあ文章が書けてるんだから何ということもないのでしょうというのと、書くことで進行方向が変わる可能性もあるなという一歩引いた感想とともに。

2019年10月22日

交雑する

■デイヴィッド・ライク(日向やよい訳)『交雑する人類』NHK出版、2018年。

国立遺伝学研究所の講演会を覗きに行ったらこれが紹介されていまして。
David ReichのWho We Are and How We Got Hereの訳書で、英米で原書が出版されたその年のうちに出すという偉業。

数十万年前にまで及ぶ古い人骨からDNAを抽出して塩基配列を決定することが2010年ごろからできるようになっていて、それが形態や遺物などに頼っていた従来の人類進化、移動、交雑の歴史に関する研究を変えているのだそうです。著者は、現役のハーバード大遺伝学教授。「古代DNA革命」は、放射性元素を使った年代測定法の開発以来の、第2の革命だという。

本書にはもちろん含まれていませんが、今年は別のチームから、メチル化が起きているシトシンと起きてないシトシンを見分ける方法を見つけてエピゲノム解析にまで踏み込み、まだシベリアとチベットで骨の断片しか発見されていないデニソワ人の骨格の特徴を推定したとの研究まで発表されています。いやもうまじで?という世界。

古代DNAの解析(と、考古学、言語学などとの協働)で分かってきたことはタイトルの通りで、人類の諸集団は一つの太い幹から枝分かれした結果なのではなく、いろんな集団があちこちで出会っては交雑しまくってできてきたということ。今ある地域にいる集団はずっと昔にそこにいた人たちと同じ遺伝的特徴を持った子孫ではないということ。消えてしまった祖先たち「ゴースト集団」がいたこと。人間集団の移動はいろんな方向に(時にはUターンも)起き、時には同じコースで何度も起きて先発の集団を塗り替えたりしていること。

今後の課題は、ヨーロッパに比べて解析が進んでいないアジアや、出アフリカ以降の時代のアフリカなどの解析を進めることが一つ。また、これまで対象にしてきた時代よりも新しい「ここ数千年」の移動・交雑史を、これまでと違った手法で明らかにすることがもう一つ。

にしても、日本であまりそういう研究がガンガンやられているという話は聞かないなと思ったら、やはり遅れている地域の一つなのだと書かれている。

あとは、アメリカ先住民の歴史的な被害感情と、米大陸に残された骨を使った研究のやりにくさの関係についての記述が印象に残りました。「先住民とつながりのある骨を収集、貯蔵、研究する」ということへの反発があるのは彼の地だけではないですよね。

そして、こうした研究はイデオロギーと無縁でいられないという指摘も重かったです。
20世紀ドイツでみられた民族の起源とその優越性に関する議論は、実はDNA解析が明らかにした移動史で打ち砕いてしまうことができる。一方、インドへの民族集団流入に関する研究は、いまだにインド人の研究者にとっては非常にセンシティブらしい。

また、従前「集団内の多様性は集団間の多様性より大きいので人種概念は無意味」という主張が”正しい”とされてきたところ、実は複数の遺伝的特徴を組み合わせてみると、ある程度どの集団か予測できてしまうという。そのことに目をつぶっていることは早晩できなくなるし、といってそれを優劣の議論に利用するのも誤りである、その隘路をどうやって進むか。

著者の立場上仕方ないのですが、特に先住民が古人骨をコントロールすることについては「科学の進歩を感情で止めちゃだめだよね」という結論に傾きがちな印象を受けました。そしてまあこれも仕方ないのですが、ゲノミクスとにかくすげえから、という雰囲気。しかし倫理的にも技術的にも落とし穴はやはりいっぱいあるような気がする。

* * *

日常が実にゆっくりと戻ってきています。

まずコーヒーが飲めるようになり、眠りが10時間から7時間弱へと短くなり、体を動かす気力が戻ってきて、ラジオで聞こえてくる話が頭に入ってき始め、着る服を選び、髪の毛を刈り、家でご飯を炊きました。日差しがまぶしくなくなりました。金木犀が香っています。多分もう少しすると、仕事とは関係ない友人と「おしゃべり」ができるようになるでしょう。まだピアノに触ってないが、これは椅子の上に布団が置いてあるから。

仕事に関して全くストレスがない人だと思っていた、と何人かに言われたのですが、全然そんなことはありません。特に、忙しさよりも、裁量を感じられない時にストレスを感じるタイプのようです。

回復途上、たまたま北海道から東京を訪れていて数年ぶりに会った友人に「老けた」を連発されました。まあそれも分かる。実は本人にあまり自覚はないけど。

* * *

・この1週間でようやくエアコンを使わなくなりました
・秋冬用の布団を掛け始めました
・即位の礼はテレビを横目で見たくらい。「マイク使うんだ」と思った

2019年10月14日

区切れつつ続く

結局仕事は先週で区切れたものの終わらず(終了か継続かは弊管理人の力が及ばないところで決まる)、12月半ばまで続くことになりました。

9日は職場の人たちの多大な協力をいただきながら26:30に仕事を終えて会社に泊まり、翌朝は6:20に起きて、また不甲斐なくも各方面から多大な協力をいただきながら夜まで。

10日はシフトで7:00出社。前の晩に食事がてら一杯飲んだのですけど、弊管理人が「明日早いから」といって早めに切り上げようとしている横で、同じく10日に早く出ることになっていた人がホッピーをかぱかぱ飲み(結果、弊管理人の睡眠時間も短縮し)、そして10日朝はシフトに遅刻してきた。そんなことってある?

11日は頭がぼーっとしたままラジオで話をしたらぐだぐだに。

12日は台風が近づく中、16:00からのシフトのため、風雨が少し弱まったタイミングで家を出ました。普段使っている駅ではなく、家から最も近い地下道の入り口を目指したら、そちらのほうが地下を歩く距離は長いけれど全然楽で、カッパを買ってありましたが傘で大丈夫でした。
JR、私鉄各社が計画運休していましたが、弊管理人は便利なところに住んでいるので地下鉄で普通に通勤できました。普段の土曜なら人いっぱいのはずの車内は始発より空いてるくらい。
赤坂見附もこう。
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20-21時くらいが暴風雨で、25:45に車で帰った時はすっかり「ちょっと風の強い日」くらいになってました。

13日は台風一過で快晴。職場では前日の台風のあおりで仕事が発生しており、「来られる人は来て」という号令がかかったので連絡しましたが「昨日遅かったから来なくていい」。お言葉に甘えて出社は控えました。
2週間ぶりくらいにジムに行ったら、廃用症候群かっていうくらい体が弱っていました。なまってるとかじゃなくて。弱ってました。
夕方、図書館に本を返しにいく道すがら友人2人と出くわしたので、返却ポストに投げ込んでそのまま居酒屋へ。ハイボールとレモンハイ。そのあと3人で久しぶりの飲み屋さんに転戦しましたが、1杯飲みきらないうちに限界が見えてきたので21時過ぎに辞去。

23時に寝て14日は8時覚醒、9時起床で今に至ります。肌寒い小雨の朝で、季節が一気に回転した感じがします。

ぼんやりしていた視界がはっきりした(目のピント調節機能が回復した)ところをみると、体は徐々に元に戻りつつあるようです。普段なら難なくできる会話が頭が回らなくてできないという、このところの現象はどうなっただろうか。

これから2ヶ月、また長い案件が始まります。できるだけオンとオフを切り替えて乗り切りたいです。

今回、心身の健康とか人間関係の一部とか、時間とか、いろんなものを仕事に蝕まれて、「もうこんなの嫌」と久しぶりにかなり本気で思いました。しかし代わりの人もいないのでまた12月まで仕事をし、乗り切れば「うーんしかしまあ学ぶものもあったかな」といって片付けてしまうのでしょう。

2019年10月05日

ふわふわ

(比喩的な意味で)視野が狭くなって考えるのが遅くなる状態がふわふわと続いたまま土曜に入りました。

午前中から在宅で仕事をしました。会社のPCを家の大きなモニタに繋ぐことで会社の作業環境をほぼ再現できています。

15時前、一区切りつけて外に出ました。昼飯……と思いながら新宿を西へ歩いていると、青梅街道に入ってこのまま青梅まででも歩けてしまいそうなくらい体が勝手に歩いてしまいます。歩きながら中野の友人にLINEをしてお茶の約束を取り付け、青梅街道から左に折れ、住宅街を抜けて中野富士見町のモスバーガーで落ち合い、遅い昼飯にありつきました。

彼はそろそろ50歳が見えてきた勤め人で、わりとストレスとそのマネジメントに関しては経験豊富とお見受けしたので、最近のあれこれを話しました。

「必要なのはオン/オフの切り替えだ」というお言葉。そこは弊管理人のかなり本質的なところで、それだけにどう切り替えてよいかと考え込んでしまうところでもあります。

水彩画は薄い色を何度も塗りながら描いていく子供でした。頭の中にあるものを少し出しては眺め、また少し出しては眺め、を繰り返していくと全体に均整の取れた色合いにはなっていくのですが、作業がいつまでも終わらない。どかん、どかんと絵の具を置いていき、画面がすべて絵の具で埋まった瞬間が完成、とはいかないのです。

ずーっと一つのものを抱えながら、期限が来るまでちょこちょこと直す。帰りの地下鉄で、半分起きた布団の中で、「あそこをああしたら」という考えが訪れる。弊管理人の作る文書はバージョンがものすごく増えます。で、ずば抜けたものができるかというと、そうでもない。それだと、オフを作ってしまえば水準に達しないまま期限を迎えるのではないか。どこかでそう思っているのかもしれません。しかし、オフを作らない性質をこのままにして続くのだろうかとも。

モスの友人は洗濯の途中で出てきたというので45分間で話を切り上げ、また歩いて家に帰りました。やはり体は勝手に歩き、知覚には「いま微妙に上り坂」「風が吹いている」と平素ないような入力があります。いまだに部屋ではエアコンを冷房で入れ、外では汗でシャツが濡れるくらい暑いのに、いつの間にか日が短くなっていたことに驚きます。つまり、朝と深夜以外に外を歩かなくなっていたのでした。17時に家に帰ると疲れと眠気が来て、また45分間横になりました。しかし眠ってはいません。

それでまた仕事をし、20時前に再度出掛けて、十二社の「ふくろう」で冷たい鶏そばを食べました。3回目ですが、これまで2回は風邪っぴきだったので今日はやっと味が分かりました。
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ここを知るきっかけの人が勧めてくれた「あおさのり」のトッピングも、今回初めて失念せずに頼めました。確かに一瞬目が覚めるくらい風味がよい。

シューマンのピアノ協奏曲の第3楽章は無窮動めいた、ロ長調なのに弊管理人からみると明るいどころか非常に強迫的というか、精神的に参ってる曲なのですが、躁が高まったあたりで一度ふと正気を取り戻すような10数小節があります。外界と交流できるチャンネルが少しの間だけ開き、そしてまたすぐに狂っていくような。
何の話かというと、あおさのりの効果がその10数小節みたいだった、という例え。

覚えている限りでは2007年10月、2012年10月、2016年11月と大変嫌な仕事があった(なぜいつも秋なのだろう)はずですが、そのとき自分が何を体験し、何を考えていたか、弊日記にちゃんと書いてないのですね。思い出す手がかりになるような日記は書いてあるのですが。仕事のことはあまり書かないという自分ルールに従うと生活における不快の大半を書かないことになってしまうのか、書く元気がなかったのか。

2019年10月03日

じうがつはじめ記

喉痛がぶり返しそうな気配があり、37度に届くか、またぐかどうかくらいの微熱がありましたが、これはもう来週の山を越えないと回復することはない(山を越えたら一度派手に体調を崩しそうな気がするが)と割り切りました。

24~25時に床に就くとスムーズに入眠し、8時台に一度目覚め、また目をつぶると9時半、思い切って起きて椅子に座るとやっと数十分後に動く気力が上がってくるという、発熱前のサイクルが戻ってきました。これも来週まで続くと思われます。

そんな状態でインフルエンザの予防接種を受けるかどうか。町医者によると今年は例年より2ヶ月くらい流行が早い感じ、とのことなのでとりあえず打ってしまいました。打つリスクと打たないリスクではギリ後者が勝つかなと考えもしましたが、これはまあ、えいやで。

あとは、10月中旬以降の予定をぽつぽつと入れ始めています。行けたら行く、くらいのやつばかりですが。また「今この状態で判断しないほうがいいこと」について判断をするよう、10月中旬のカレンダーに書いて未来の自分に申し送りました。

* * *

■佐藤健太郎『すごい分子 世界は六角形でできている』講談社、2019年。
これは満足度高かった。研究から出てきたライターはほんと貴重。

2019年09月28日

体調崩すなど

三連休真ん中の日曜の仕事を午前2時前に終えて帰って、普段ならぱたっと寝るところなかなか寝付けず、あれ?と思って寝て起きた休日月曜に発熱。喉痛い。

熱は38度前後をうろうろ、しかしこの体温にしては動くのが辛く、食欲もほぼ0で、24時間のうち21時間くらい寝ているかうとうとしていました。残薬の葛根湯は効かず、頑張って近くのドラッグストアで買ってきた「熱、喉痛」集中攻撃用の薬が結構効いた。

連休明け火曜の昼くらいまで外に出る気力が沸かず、しかしえいやで出社し、会社の地下の内科で薬をいっぱい出してもらう。扁桃炎。しかしまあ依然辛い。熱もやっぱりあり。職場の人によると「明らかに元気がなかった」

水曜、ようやく上向いてフルに仕事。ご飯も食べられるようになってきた。しかし今度は夜寝られない。前2日の寝過ぎのせいか。

木曜、平熱に戻り、フルに仕事。依然、寝られない。

金曜、寝不足ふらふらでお客様対応的な仕事をし、「ようやく寝られそう」な疲労度合いになって午前1時就寝。

土曜、変な夢で午前6時台に一度起きからの午前10時半起床、喉の違和感は消失、今ここ。これから午前2時前までの仕事。

所感:
・マラソン的案件の追い込みの時期にこれはつらかった
・発熱以前はむしろ寝過ぎくらいなのに疲れ取れず、という状況だったのに、発熱後はショートスリープかつハイテンション、朝に落ちる、というパターンに「体のフェーズ」のようなものが変わった気がする
・『風邪の効用』にも似た記述があった気がするが、体調を1回派手に崩すというのは、溜まった澱を清算する機会なのかもしれん
・平素忘れがちなんだけど、弊管理人は継続案件があると寝ても覚めてもどこかでそのことを考えてしまう性質で、マラソン的案件があると生活がほんとそれだけになる
(……ということを部内の30年選手にぽろっと漏らしたところ、「私もそう。自分がゴールキーパー、みたいな意識のある人はそうなる」(大意)と言われ、なんとなく気分が和らいだ)
・ただただ再来週末に「ともあれ一息つく」ことのみを頼りに過ごしている
・housekeeping issues(家事に限らず広い意味なので英語で)を分け持ってくれる人がいない、という独身かつ単身の脆弱性をわりと感じたかもしれない。これは歳のファクターが大きいか
・そういや例年9月はどうしていたのだろうと弊日記を遡ってみると、ここ3年くらいずっと疲弊していて(2015年までいくと楽しそうだった)、人生これでいいのだろうかと思わなくもない

* * *

そういうわけでもういつのことだったか、というくらい前に感じる発熱直前の先週土曜。
歌舞伎町のちょっと北の方にある「サーティーンカフェ」でカラスガレイの干物定食。
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うまかった。周囲は高坏に載ったプリンだのバスクチーズケーキだのでキャッキャしてましたけど。公共施設みたいな味気ないビルの4階にひっそりあるわりには人が入っていたので、何かで知られているところなのかも。

* * *

■戸谷友則『宇宙の「果て」になにがあるのか』講談社、2018年。
どっこい結構難しかった。

2019年09月18日

9月いろいろ

元上司が弊管理人のデスクにゆらりと現れて「今日、飯どう?」とのたまったので、これはただならぬことでは、と仕事を切り上げて行きました。本郷・赤門向かいのちょっと奥まったところ、「浅瀬川」のちゃんこ。
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ネットで有象無象に叩かれたとかでダメージを受けたようで、有名人は大変だなあと思いました。わざわざ見に行かなくてもね……。
ところで、弊管理人は馴れ合い用のツイッターアカウントはミュートの駆使とフォロー調整で世の中の揉め事がほぼTLに入ってこないようにチューニングし、フェイスブックはイラついてる人を中心に大半のフォローを解除して、ときどき能動的にまとめて見に行く(過去のイライラは見ても悪影響がないことを発見した)ことにしてからストレスがなくなりました。

いずれにせよ、ちゃんこと、あと具がぎっしりのさつま揚げ、どちらもとてもおいしかったです。ご馳走になってしまいました。

* * *

立川、「ぎょうざ天国」。
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めちゃでかい。一皿700~950円と結構なお値段ですが、中身はぎっしりです。ほたて、にんにく、チーズ、ポテトを頼みました。大食いの友人に大半食ってもらいました。でもおいしいです。にんにくは何片入ってるんだろうくらい入っていて、翌朝まで臭かったです。

* * *

3連休は中日に三崎へ。「まるいち食堂」。
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めちゃくちゃ待たせますが、それは客の集中というより店の収容力の低さ(1人席1つとテーブル3つくらいしかない)、あと手際の悪さのせいではないかと思いました。

城ヶ島って学生時代以来20年以上ぶりかもしれない。しかも前回は夜だったような。
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なんか三崎、城ヶ島とも、客あしらいが拙くて粗かった。

帰りは車を借りた京急久里浜までがすごく混雑していましたが、国道からずっと海が見えていて、少し日常から離れられた気がしてよかったです。
京急に乗ったまま東銀座に行ってナイルレストランで夕飯食べて帰りました。

* * *

いつかの中秋。
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* * *

そういえばiPod Touchを買い換えました。
5年前に買った16GBの第5世代(2012)は、wifiを切ったままにしておけば、音楽を聴くぶんには問題なくバッテリーがもつことが分かったため、結構長く使うことになりました。
とはいえ、そろそろ動作の速い新機種にしてもいいかなと思ったのと、記憶容量の余裕がもう少し欲しかったので、勢いで第7世代(2019)を買ってしまいました。会社携帯が極めて不安定で頼りにならないので、ネットや地図といった少し負荷の大きいことをしたい時はテザリングでiPodに頑張ってもらおうと思います。

2019年09月09日

上旬あれこれ

一日中机、という日が続いていて心身に悪いです。

それでも週に1日は休む、というのを鉄則にして、日曜は友人と稲城の温泉「季乃彩」(ときのいろどり、と読む)に行きました。

道すがら「そういや尻から血が出て内視鏡検査受けたんだけど、尻は痔で、そのほかに大腸にポリープがあり、さらに胃がピロリ菌感染してて崩れた山みたいのがあった」と聞かされ、うーむ(1)便潜血は本当に痔だろうか(2)崩れた山は大丈夫なやつだろうか、と心配になりました。すごいデブ、ニコチン中毒、野菜食べない、ラーメン大好き、遅寝のショートスリーパー、というリスク要因の展覧会みたいな人なので、特に。
ポリープと崩れた山の病理検査の結果はそのうち出るそうです。

* * *

で、風呂から上がって稲城でやっぱりラーメン食って帰ってばっちり22:30に寝たら、月曜の午前4時ごろ(眠りが足りたのと)風の音で目が覚めました。台風。びゅごーーーって。
7時出社の日で、地下鉄が動いていることは分かったので、いつもよりちょっと早めの6時前、葉っぱとか枝とか飛んでる中、走って駅まで行って普通に動いてるつおい地下鉄に乗って出社しました。
午前中に台風はさっさと通り過ぎ、36度くらいまで上がったらしい(缶詰だったので外の暑さが分からなかった)。会社からきれいに富士山が見えました。そんでまだ若干暑い夜になって帰ってきました。

* * *

酒場で別の友人が「日本って立憲君主制?」みたいな話をしていて、たまたま同席していた法学部の先生から「ほんとにそうかな?考えてごらん?」と言われたそう。

いや実はすごい面白い問題だというのは分かる(天皇は君主か元首かそれ以外か/共和制な気もするが法制局答弁で立憲君主制を肯定したことがあるらしい)。けどもうちょっと教えてあげようよ。酒場でも先生づらかよ、とはまあ思った。

* * *

■共同通信ロンドン支局取材班『ノーベル賞の舞台裏』筑摩書房、2017年。

■福田京平『電池のすべてが一番分かる』技術評論社、2013年。

■森弘之『2つの粒子で世界がわかる』講談社、2019年。

2019年08月20日

夏の帰省19

台風がのろのろと近づいてきていてどうなるかな、と思っていましたが、それほど荒れることなく、いつもの伊豆に家族で行ってきました。
今回はあまり誘導しないでみようと父妹に任せてみたら、伊東―(北へ)→熱海、しかしほとんど観光せず―(南へ)→熱川でバナナワニ園―(北へ)→昼食とりそびれ伊東、と非効率な移動になりました。いいけど。

バナナワニ園。オールドファッションな動植物園って感じです。
レッサーパンダにまるでやる気がない。
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ワニも動かない。
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ま、楽しく動き回る理由もないか。とはいえ、熱帯植物園の物量はかなり豊富なので、ちゃんと見れば結構楽しめると思います。

行きに御殿場で「さわやか」のげんこつハンバーグを食べようと思ったら「4時間待ち」といわれて諦めたので、帰りはもう少し空いていそうな富士鷹岡に寄りました。
順番待ちのチケットをとって、90分の空きを活かして富士山世界遺産センターへ。
坂茂の建築が見たかっただけなんですけど。
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約200mのスロープを展示を見ながら上っていくと登頂できる。外は池になっていて、そこにこの不安定な構造物が映ると富士山の形になるのですね。逆さの逆さ富士。
ハンバーグは意外と早く順番が来ちゃって焦ったものの、ちゃんと食べられました。やっぱうまい。

身延山を回って南信州の実家に帰りました。
「夕飯はカツ丼にすっか」と父が言うので「ハンバーグでお腹いっぱいなので無理」と主張したところ、そうめんになりました。
家に植えてるシソと、玉ねぎなどでかきあげ天つき。なんか上達してた。うまかった。
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休みの直前、長野のラジオで少し話す機会があって、「夏に帰ったら食べるものはありますか?」と想定外の質問が来たので咄嗟に「おまんじゅうの天ぷらですかねえ」と真っ赤なウソをついた(確かに県内スーパーで売られる季節商品だが弊管理人は特に好んで食べない)、という話を父にしたら、まんじゅうも天ぷらにされていて予言が成就しました。

これはまあ些細な例かもしれませんが、咄嗟にウソをついてしまう癖が弊管理人にはあるのかもしれない、と思うと極めて怖い。気をつけよう。

* * *

いつも通り父実家、母実家をまわって東京に戻ります。
父実家は祖母が引き続き元気。
母実家は伯母による恒例のご馳走。
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祖母はもうすぐ99。かなり弱ってきている感じがしました。
お店をやっているいとこが配達途中に寄ってくれて、顔を見ることができました。
いろいろ話しました。

叔父がレビー小体病になって介護が大変な叔母一家の中が案外もめたりしている話、意外と甲状腺の病気をやっている女性陣、母実家の懐事情、古くなっていくまま更新されない家族とモノ、手入れの追いつかない墓、お弔いは近いかもしれないにもかかわらず断絶したままの父―伯母、といった何かと構えの必要な地平線上のあれこれに、弊管理人自身が抱えた秋以降の仕事の気の重さが重なって、近年ないくらい落ちた帰省でした。そういう素振りは見せないけど。

* * *

で、さらに悪くしたことに、東京に戻った日にうっかり痛飲し、その次の日から深夜までの勤務が2日続くという生活マネジメントの失敗もあり、休み明け早々かなり疲れています。

* * *

■柴田元幸『柴田元幸ベスト・エッセイ』筑摩書房、2018年。

東大の先生だった人が書いた90~00年代の文章を集めた本に、90年代の東大の匂いがする文章だったという感想を書く意味があるかというと、たぶんある。

2019年07月28日

短い週末記

土日は職場の人たち7人で富士山に登るはずだったのですが、台風6号が直撃しそうだということで2日前にキャンセルし、土曜夜に水道橋の居酒屋「富士山」で残念会をしてきました。

そのあと一人で久しぶりにいっぱい酒を飲み、3時半就寝。

日曜はなんだか何に関してもやる気が起きず、洗濯した以外は特に何もせず過ごしてしまいました。残り物とベーコンエッグで昼飯にし、夕飯は吉牛という手抜き。
年に1度のマンションの配管清掃が部屋に入るのが今日で、富士山に行っていたらパスになってしまっていたところ、中止になったおかげでできたのだけが、この週末の収穫だったかも。

8月あたまにとってある短い夏休み、うかうかしたまま、まだ何をするか決めていないのと、その後に秋まで続く面倒な仕事のことなどあり、気分が上向かないのだと思います。

* * *

少し前に友人と話していて、自分のことをまだ「若い」と捉えていることに気付いていなかったことに気付かされたことがありました。
それで、おととしの春、20年近くぶりに会う大学1,2年時の同級生たちとお花見をしたとき、子持ちも含めて驚くほどみんなおっさん/おばさんになってないことに強い印象を受けたことを思い出しました。あの界隈の人たちはひょっとしたら歳を取るのが遅いのかもしれません。

なぜなのかは想像ですが、みんないまだに「別の生き方なんて今からだってできる」とどこかで思っているんじゃないか。もうちょっというと、現状を当座生きながら、しかしそのほとんどを「そういうもんだ」と心底受け入れてはいないというか。で実際、わりと本気になればいつでも現状を脱ぎ捨ててしまえる知識と知恵がある人たちなので、そういう態度を持ち続けられている気がする。

2019年07月18日

週末いろいろ

土曜、中近傍より友人来たりて、高田馬場のラミティエ。
夜は初めてです。2800円のコース一択。前菜とメインを1品ずつ選ぶのはランチと同じ。
前菜はキッシュいきます。
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そんでメインに鴨のコンフィ。
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追加でデザート。ミルクとフランボワーズのアイス。
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友人は前菜がハム、サラミ、パテとリエットの盛り合わせ、メインは牛ほほ肉の煮込みで、シェアしながらいただきました。どれもうまかった。おなかいっぱい。

* * *

しかるのち、「天気の子」を見ました。

* * *

明けて日曜は天気予報を見て、なんとかもちそうということで横須賀・猿島へ。
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夏は初めて。むちゃくちゃ湿度が高くて、むちゃくちゃ暑かったです。
海が汚くて対岸が霞んだ感じ、写真にするとマレー半島近くのどっかの島って感じ。

おいしかったのは、よこすかポートマーケットのジェラート屋。
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2フレーバー(400円)を選ぶ際、スイカと海軍コーヒーという取り合わせにしてしまうセンスのなさ。
でもそれぞれはおいしかったです。
加えて、フードコートが涼しいというのが素晴らしい。

* * *

思い出せないくらい前(少なくとも15年)から使っていたデスクチェア、しばらく前からずいぶん背もたれのリクライニングが大きくなったなと思っていたら、とうとうバキバキっと180度開いてお亡くなりになりました。

後継者はアマゾンで12000円。ロッキングの可否がレバーで決められるのがなかなかよい。
しかし、6000円ほどのでもそんなに変わらない気はします。
一方、コクヨとかのメーカー品だと数万円。いまひとつ機能と値段の関係がよくわからないカテゴリーです。
とにかく早く着くことを重視して買ったので、若干高いものになってしまいました。注文してからヨドバシのほうが安いやつが速く来ることに気付いたものの、既にキャンセル不能になっていてアウト。まあいいけど。

* * *

■イ・サンヒ、ユン・シンヨン(松井信彦訳)『人類との遭遇』早川書房、2018年。

借り物。とても読みやすかったです。
・人類史の描写はどんどん変わってる
・ゲノム革命の影響甚大。にしても、やっぱりいろんなことが推測で議論されてる印象
・人種や性役割など「その時代時代の研究者が見たいものを投影してしまう」という危険といつも隣り合わせだな
・それでいうと、女性、アジア人の視点から見たこの本て実は貴重かも

2019年07月16日

ケナー

ケヴィン・ケナーが1990年のショパンコンクールで1位なしの2位になって、次の年だったか、英語の自由作文の授業で彼のことを書いたんですよね。ああいうピアノ弾けたらいいなって。
その後しばらく聞く機会がなかったところ、去年の秋、NHK-FMの「ベストオブクラシック」でケナーのピアノ、チョン・キョンファのバイオリンでフォーレとやフランクのソナタをやっていたのを聞いて、ケナーがナマで聞きたいと検索してたどり着いたのが日曜のコンサートでした。

IMCミュージックという興行主が同じ6月のナモラーゼに続いて、また東京文化会館の小ホール。ナモラーゼのときは空席が目立っていたが、今回はさすがにパンパンでした。
曲目は:

・ショパン(ケナー&ドンベク編曲)の室内楽版・ピアノ協奏曲第1番
・ノヴァコフスキのピアノ五重奏曲

ショパンはルイサダの室内楽版の録音を含め、ほんと何回聞きましたかねっていうくらいよく聞いた曲です。でも今回の編曲を聞いてみて、この曲の本来の姿は室内楽だなと確信しました。オーケストラの分厚い音であの伴奏をやるべき?と思ったことがあったのですが、その疑いは正しかった。弦とピアノが落ち着いて掛け合いできるのはこの規模だよ。それはパンフにも書いてあった通り。

それにしても、ケナーはよく指の回るピアニストではありますが、華やかさもちゃんと出ていて、とてもいいんですね。ワルシャワのホールで演奏されるような若々しさとスケールを感じました。一方、緩徐楽章ではこぶしを効かせるようなディレイをかけた場面もあって面白かった。で、華やかな部分は初めて聞いたノヴァコフスキでもさらに発揮されていて、長い曲ですが全く飽きませんでした。楽章ごとに表情が違うのも楽しかった。

特筆すべきは弦のワルシャワ・ソロイスツです。バイオリンは一部不安定なところがあってヒヤヒヤしたけど、チェロと、コントラバスの山崎裕幸さん(ブレーメンフィルの首席なんだそう)が低音からがっつり下支えして合奏を豊かにしていました。特にバスがとても表情に富んでいるのに突出しないの、すごくない?そう、ネーミングからしてソロイストの集まりなんだと気付くべきでした。溶け合うのではなく、個性的なままに調和しているのだ。

なんかもう近年ないくらい楽しみました。(近年ないくらい考えさせられた、のは去年のポゴレリチ)

* * *

そんで上野から戻った夕方、仕事を終えた2人+自営の1人+弊管理人の「連休なのに働く友の会」(弊管理人もなかびに14時間シフトをやった)で埼玉の「雅楽の湯」に行きました。
1580円でビュッフェつくの、納得感高い。
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むっちゃ食ったあと、1時間半くらいお湯につかって喋って、東京に帰り着いたのは24:30でした。
2人は飲みに行き、弊管理人も行こうかと思ったものの、雨だったのですたこら帰りました。

今年はずっと曇ってて、まぶしいのがだめな弊管理人はとても助かってます。あと7月にしては寒い日ばかりなのでよく寝れて疲れも少ないのでした。

2019年07月06日

安定の咳

エアコンのコントロールが悪かったか喉をいためてしまい、夜間に咳で起きるくらいになったので、会社のビルの地下にあるクリニックで薬をもらってきました。

毎食後:ロキソプロフェン(消炎)、デキストロメトルファン(咳止め)
夕食後:アンブロキソール(たん排出促進)、アジスロマイシン(抗生物質)
寝る前:エンペラシン(アレルギー改善)
頓服:リン酸コデイン(強い咳止め)、トローチ

「あそこは薬漬け」「頼めばシャブも出てくるのでは」と評判のクリニック。医師は循環器内科で、上司は降圧薬によって最高血圧100と強力に管理されているそうです(余談)。いやもうほんと。しかしこれって何を疑われたんだろう。気管支炎?
一晩寝たらだいたい軽快しました。寝る前の薬が結構強く効いたのか、朝ちょっとぼーっとしてました。

日記を見返すと、2015年、16年にもこの時期に喉をやられていた様子。ただしそのときは鼻も一緒だったっぽいですが、今回は鼻はちゃんときいてますのでご飯はおいしいです。

* * *

■北條芳隆編『考古学講義』筑摩書房、2019年。

14人14講。可読性の低い文章が多いと思ったのは、こちらが筆者の想定する読者ではなかったからだろうか。でも古墳=ポトラッチという見方とか、使いやすさでは日本海>瀬戸内海だとか、うーん面白いと思うくだりはいくつかありました。

* * *

先週かっとなって書いた日記の件は結局、若者職位の当人とお話する機会があり、まあこれで雨降って地固まる感じになったらいいなという収束の仕方をしました。梅雨だけに。とかいうてますが、まあ一度雨が降る必要はあったものの、弊管理人もいいだけ大人げなかったと思うので、あちらから話す機会をもちかけてくれたことはありがたかったです。

2019年05月05日

帰省

世間の連休後半、ようやく連休になったので帰省しました。

父と中津川インター近く「ちこり村」で野菜ビュッフェ。
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昼は11時から。9時にはEPARKで順番待ちをしないと入れないくらい混んでました。
もやしのメーカーがやってる施設のせいか、色合いは全体的に緑と茶色。チコリ推しですが他の野菜もいろいろ。味もちゃんと変化がつけてあってよい。写真のような列が5列くらいある。1580円。いいんじゃない、いいんじゃない?

でもって多治見に行ってモザイクタイルミュージアムに寄りました。
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一つの目的はこの建物だったんですけど。「屋上になんか生えてる使いづらそうな建物はだいたい藤森照信」と言い放った父、正解。どこで覚えた。

おじさん2人でモザイク制作体験。ちっちゃいタイルのパーツを好きなだけもらってきて、フォトフレームだのハンガーだのにボンドで貼り付けていくものです。
意外と難しい。意外とかわいい色使いをする父(上)と、はみ出しまくる弊管理人のひどいセンス(下)。ちなみに弊管理人は、たべほの盛り付けもこんな感じになります。
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最上階も大穴があいていて変な造り。
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風呂桶とか流し台とか。そういえば本家(1960年代初頭築)の流し台や風呂場ってタイル張りだったぞ。トイレはどうだったかなあ。
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多治見は美濃焼からの流れでモザイクタイル生産で日本一だそうです。
タイルっぽいものの普及の最初は鎌倉時代に入ってきた床材「敷瓦」ですが、木造家屋の水回りや壁を覆う今のタイルの始まりは幕末に西洋文化とともに輸入されたもの。「衛生思想」にそぐう白を基調としたものだったようです。また洋館建築に使われ、装飾的になったものも。
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太平洋戦争中は「非国策品」とされて物品税(奢侈税)が課され、戦後はGHQ施設の需要、アジア輸出で栄えたものの相変わらず物品税は最高50%、廃止運動が実ったのは1959年とのこと。60年代には貿易摩擦により北米向け輸出を自主規制し廃業も相次いだそうです。
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広い2階を家具屋のショールームみたいにしちゃっているなど、展示で見るべきものは思ったほど多くなく、もう一つかな。でも建築込みで面白かったです。父も「意外とよかった」との評でした。

ついでに磯崎新の「セラミックパークMINO」も。
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でっかい施設で、これは茶室周辺です。ダムみたい。

あとは永保寺と
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道の駅どんぶり会館。
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どんぶり推し推しで、中の食堂ではどんぶりソフト400円(+フルーツソース80円)。器がもらえます。
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味はなんてことない。働いてる人もダラダラしていますが、田舎の職業意識ってこれくらいかなと思うのでまあいいです。

家に戻って、松川町の「EAT」でソースカツ丼食べました。
帰省のたびに行きますが、いつも実家でいっぱい食べて行くのでお腹があまり空いてない状態で食べることが多いところです。しかし今回は昼がほぼ野菜だったので腹が減っていて、こんなにおいしかったっけと思いながらいただきました。罰当たり。

* * *

あとは定点観測案件で、父実家。
独居の祖母は畑で草刈りをしていました。弊管理人らが行くと家に戻ってお茶を入れてくれました。写真中央ちょっと右下に写っているのが家に降りていく後ろ姿。
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桜は食用に出荷するはずのものですが、祖母はもう自分では摘めないので満開にさせてしまったとのこと。
ちょうど叔父(父の実弟)も来て、庭先でタケノコを茹でるところ。
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父方は男3人兄弟で、長男は独身、次男(父)は婿養子に出ており、写真の叔父が継いでます。父は「もう口は出さないし実家に行く回数も減らす」と言いつつ結構祖母の面倒を見ている様子。耳の遠い祖母と喋ってるうちに怒鳴り声になっていって実際に怒り出すのがどうしちゃったのという感じ。

* * *

父の寄りつかなくなった母方実家。
98歳の祖母には大きな変化はなし。面倒をみている伯母によると、時々失敗するがトイレはできており、外面がいいので外泊も「手がかからない」と歓迎されているそう。
伯母の手料理は健在です。
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「もうすぐ喜寿よ」という伯母に、特急に乗るため40キロ弱離れた岡谷駅まで車で送ってもらってしまいました。もともと運転が好きな伯母ではありますが、口ぶりを聞いていると運転してちょっと遠くへ行くのが気分転換になる様子。祖母をデイケアに預けて松本まで行って買い物とランチして帰ってきたとか、永平寺まで友達と車で写真を撮りに行ってきたとか。

和菓子屋のいとこが「配達途中に寄った」と言って会いに来てくれました。
何年ぶり?いとこが中学に上がる時から覚えているので、50歳とか信じられない。

レビー小体型認知症を長く患っている叔父(母の妹の旦那)は胃瘻造設し生きながらえているとのこと。2つ下のいとこが結婚していたことを今頃知った。ここの家はいろいろ大変らしい。

妹は今回すれ違いで会いませんでしたが、去年の夏くらいに正社員として就職した会社がわりとホワイトだとかいって続いている様子。よいよい。年俸制で給料が少ないということでしたが、手取りを父から聞いたら暮らせないような額ではなかったのでこちらは心配なし。

* * *

そういえば前回の出勤時、札幌時代の同僚(歳は1こ上だが社歴は下)が肝臓がんになって手術で取れたというのを、同じく札幌時代の同僚から聞いて聞いてひゃーーってなった。

2019年04月28日

美術館とか食べたもの

府中市美術館でやっている「へそまがり日本美術」展を見てきました。
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描き方がへそまがり、描く対象がへそまがり、へたうま。
徳川家光の木菟(みみずく)図がかわえかった。
あとは、長沢蘆雪のイッヌがかわえかった。

* * *

上司に連れて行っていただくおでん第2弾、新橋「お多幸」。
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新宿にもあるんですが、行こう行こうと思っているうちに新橋に先に。
真蛸が秀逸です。他ももちろん優秀。
こちらもおいしかった。豆腐と半熟卵が載ってる「とうめしと半熟めしのハーフ&ハーフ」。
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今シーズンのおでんはこれで終わりかな。ごちそうさまでした。

* * *

結局、面倒な仕事は、現業若者が厄介な人よりは弊管理人とやりたいと言ったためにやる羽目になりました。何日かかけて一応の形にはなったが、「これで大丈夫」という実感がわかないところはやはり、面倒な仕事。

* * *

連休初日は群馬から来た友人と上野の「梅酒まつり」へ。
その後、「みはし」であんみつを食べてから吉祥寺の「いせや」で焼き鳥、UPLINKで映画を見て、新宿で酒を飲んで帰りました。

2日目は新宿ルミネ1の「THE PIE HOLE」でミートパイのブランチ。ロサンゼルスから来たお店だそうです。マッシュポテトとミンチの二段構成でかなりうまかった。お昼の時間まっただ中に入ったけどそんなに混んでないのがいいですね。多分高い(パイ420円とか)から。あと写真撮り忘れ。

連休は前半に2日、仕事が挟まることもあって、あまり大型感がありません。

* * *

無印の脚付きマットレスを買い、これを機に寝床がシングル→セミダブルになりました。
横幅が100cm→120cmになっただけですが意外と広い。しかしでかくて45kgと重い。1人で運べない家具は持たない、という方針の範囲内ではほぼ限界かも。これを独力で建物の入り口まで運んで粗大ゴミとして捨てるのは相当骨だな。

2019年04月17日

おじさん職位記・春

久しぶりにおじさん職位の振り返り。
発令から8ヶ月経ちましたが、まだまだ初めてのことばかりです。

・4月に入り、準備が必要な仕事を10日間くらいやっていました。最終盤でいろんなツッコミが入りました。有用な意見、混乱させるだけのもの、いろいろありました
・そこで難しかったのは、最終盤(つまり、あまり時間のない中)で入ったツッコミの取捨選択をどうすべきかということ
・弊管理人は基本、何か言われるといったんすべて「一理あるはずだ」と思って受け止めてしまう性格なので、いろんなツッコミが入ると全部吟味し、時間を使います。今回もちょっと時間的にはショートしました

・今回の経験から導いた当座の方針は
(1)具体的かつ部分的なツッコミを優先して吟味する。漠然としていて全般的なツッコミは一度ざっと見して、ピンと来なければ無視する
(2)岡目八目的な立場からの意見はできるだけ容れる。逆に、自分と近い立場の人からの「こだわり」的な意見は一度受け止めてピンと来なければ無視する
(3)追加の仕事への要望は、反射的に突っぱねる前に一度「考えてみます」と引き取る
ということ

・理由は、
(1)何日か考えてあまり迷いのないところまで辿り着いた仕事に関しては、概ね正しい方向だと考えられるだけに、最終盤で方向性そのものを変えようとすると構築物が崩れてあちこち直さないといけなくなるリスクがある
(2)ピアと一緒にディテールにはまるより、ユーザーに近い人からの意見を気にするほうが向上しうる幅が大きい
(3)頭を冷やしてちょっと考えたり手をかければできることが結構多い

・あほが茶々入れてくるなら斥ければいいので簡単なのですが、どの人も一考が必要なことを言ってくるところに困難があるのだなあ、という贅沢な悩みでした

* * *

・もう一つ、今月の仕事に限らないことで。現業の若者に対しては、おじさん職位であることだけで十分に権力的であるとの自覚が必要。これ、すごい大事

・現業若者の仕事に手を入れて「これでいい?」と聞くのですけれど、それは弊管理人的にはほとんど常に「うーんちょっと、というところがあったら言って下さい」という意味なのに、言われたほうは「これでいいでしょ?納得して?」という意味にとってるだろうな、という場面を何度か経験しました
・例えば「この(弊管理人が)加えた部分、自信がなければ削除するのも可能ですけど?」と現業若者に水を向けてやっと「では削除を……」と切り出されるようなことがあると、危ない橋を渡る製品ができてしまっていたかもしれないと思い、どきっとします

・弊管理人は現業若者時代、わりと仮借なくおじさん職位が入れた修正に再修正を加えていたのですが、そういう弊管理人だからこそ、現業若者の「じゃあもういいです」的な妥協に敏感にならないといけない
・ということで、中々着地しなくても、いらいらしたり、「めんどくさ」という素振りを見せてはだめだなと思いました。これは心がけてはいても、まだ改善の余地あり

・仕事を頼む時も、「これお願いできます?」は「必ずやれ」という意味に取られがちなので、温度感というか、テンションがどれくらいかを合わせて伝えないといけないようです。「必ずアウトプットしてほしい、というほどではない」「是非やってほしい」「他にやりたいことがあるなら、この件は劣後させてもいい」など、言葉をたくさん使うのが吉、たぶん

* * *

人事考課の季節で、弊管理人も上司の面接を受けました。
猫の手くらいには思っていただいているようで、有り難いことです。

・「自分でやったほうが速いと思ってるでしょ」―いや、最近そうでもないつもりなんですけど……
・「君に仕事が集中してない?」―ノックの本数は少なくはないかなと思いますが、継続案件がそれほどないのと、お手伝い/下働きはそんなに責任感もなくできるので、あまり負担感はありません
・現業若者の仕事を解体しすぎる人だと思われていないか聞いてみましたが、そういう苦情は出てないようです
・さて、あとどれくらい東京にいるのでしょう……

* * *

・よく、自分の思いつきを他人に実現させようとする人から思いつきを振られ、内容を聞く前にほとんど脊髄反射で「自分でやったらどうですか」的なことを言ってしまいました

・まあ内容が弊管理人の受け持ち分野なので多少(5%くらい)の反省はありますが、とはいえ引き受けたら絶対厄介なので、結果もし回避が成立していれば(←まだ分からない)そのほうが絶対幸せ度は高いとなお思っています

・それにしても本当にこの人に関わりたくないんだなと自分でも驚きました。前に「もうこの人は懲り懲り」と思った人から手を伸ばされた時に、思わずさっと身を躱してしまったことを思い出します。心から嫌いなものと社交ができない体なのでしょう

* * *

・いろいろありつつ、モラルの高い職場らしいという信頼感は維持されております

・書くセラピー終わり

2019年03月31日

熊谷など

友人と熊谷の川堤で桜を見ました。
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七分咲きかなっていうところですが、きれいでした。

こども食堂をやってる喫茶店??でお茶を飲んだら、フライというご当地グルメのお裾分けをいただきました。
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お好み焼き+チヂミ÷2って感じかな。いいスナック。

「花湯の森」で風呂に入って熊谷駅でさよならしました。
新幹線で通る熊谷駅ですが、よく考えたら使ったの初めてかも。

* * *

友人と深夜に夕飯を食べることになり、新宿、プレゴプレゴ。
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白ワインをデカンタで頼み、前菜5種、羊とごぼうのリングイネ、リゾット、白身魚のポワレ、スペアリブと流したのは正解でした。結構ボリューミーだったので、スペアリブはなくてもよかったくらい。

* * *

■キース・デブリン(冨永星訳)『数学的に考える』筑摩書房、2018年。

数学史をひゅるりっとさらいながら高校と大学の数学の違いを説明した第1章が面白かった。あとは記号論理学と整数論みたいな話がそよそよっと。

2019年03月09日

おしごとばなし

今週は

月 普通出勤
火 夜勤(16-26時、ただし実際はもうちょい早く出勤)
水 普通出勤(のあと夕食兼ねた深夜までの打ち合わせ)
木 夜勤
金 夜勤
土 休み(しかし朝から仕事メール)
日 日勤(12-26時)

と結構きつめ。他部の人から「部内で賎民なの?」と聞かれました。なんという形容。みんな忙しいんですよ。

* * *

先日、職場にばらまかれた怪文書というか匿名メール、相当数の人が弊管理人のことを出元だと思っていたことが判明し、ちゃんと違うことは違うと言わないといかんなと思いました。

内容がいかにも弊管理人が言いそうなことだというのもあるのですが、何より弊管理人が不定期に限られた人に向けて送っていた情報メールのタイトル形式と匿名メールのそれが似ており、「確信していた」という声が。いやちょっとまってほんと。

過去数日、誰が出元かについていろんな人の見立てを聞きました。特に若手世代はほぼ間違いなく弊管理人だと思っていたようです。一方、おじさん世代は「実は結構上の世代なのでは?」と感じた人もいたそう。部内の問題を幅広く何点も指摘するメールを見て、それなりに視点の高い人が書いたものだという印象を受けたらしい。

背景知識の違い(必ずしも多寡だけではない、視点の違いも含め)でも見え方が随分違います。あの人が普段からこういうことを言っていた、こういう態度を見せていた、そもそもこういう人、といった知識でそれぞれがストーリーを組み立てていて面白かったです。弊管理人は当初、若者世代の一番上くらいかなと予想しましたが、違ったみたいで、今はもっと上の人という説に乗り換えました。ただ、「弊管理人が普段一部に送っている情報メールの形式と似ているものの、弊管理人は自分より上の職位の人にはその情報メールを送っていない」という、でっかくて若干気持ち悪い謎が一つ残ってはいるのですが。

それにしても、若者からおじさんへ、という(通過儀礼はそんなにないが)立場=職位の移動を経てみると、おじさんの世界には若者に入手しがたい情報がばんばん飛び交っていることに気付きます。特におじさん各位が程度の差はあれど相互・あるいは若者をシビア&身勝手に評価し、しかもその評価が会社内のセクションを超えた「おじさん世界」内で交換されている。もちろん若者世界に情報がこぼれてきて若者世界内を巡回するということもありますが、あくまで一部だと思います。こういう情報の差が集団の違いを生産しているといってもいいかもしれない。今回の匿名メールの出元プロファイリングに関してはですが、おじさんたちのほうが「それっぽい」ストーリーを組み立ているように見受けました。

かくのごとく楽しく見守れる程度にはいい職場、という唐突な小括。

2019年03月04日

瀬音の湯

雨の日曜日。
友人と高田馬場「カオタイ」においてタイ料理のたべほで昼飯。980円。値段なり。
夕方からもう1人と合流して、あきる野市の「瀬音の湯」に行ってきました。
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23区西側から1時間ちょっとですが、高速を降りてから少し距離があるので、マイフェイバリットであるところの埼玉の百観音温泉より若干遠い感覚があります。
行きはナビに従っていったら八王子ICを通り過ぎて圏央道に入り、八王子西ICで降りることになりました。遠回りしたなーとも思う反面、夕方の時間帯は八王子からあきる野の奥地まで下道で行くとかなり時間を取られたかもしれないとも。
自然豊かなところだけあって、ちょっとコンビニでトイレしてお茶を買おうと車を止めて降りると森の香りがして気持ちよいです。

お湯はつるつるのアルカリ。肌すべすべになります。かなり好き。着いたら真っ暗になっていましたが、夕方なら周りの森を見ながら入浴できてもっと気持ちよかったでしょう。
同行の2人も満足してくれたようでした。

そんで、あきる野市内の五ノ神精肉店へ。
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豚骨。メンマ、チャーシュー、キャベツなど具の一つ一つが丁寧に味付けされていてすごいと思いました。おいしかったです。

帰りはなかなか帰りたくない2人に遠回りを頼まれ、運転時間が2時間を超えて結構疲れました。前の日が夜勤だったのもあったかもしれない。

今週はシフトが多くてちょっときつそうです。
土曜の休みを楽しみにしてやり過ごしたいところです。

2019年03月02日

徳島など

徳島の客先を訪れる1泊の研修に行ってきました。
とりあえず徳島ラーメンですかね、と「いのたに」。
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地元の人が「俺は『銀座一福』が好き」と言っていたので帰る直前にワンタンメンを食べました。そちらもうまかったです。「1月1杯の原則を破ってしまった」と思ったのですが、月が変わっていたのでOKでした。と思ったら2月はもう1杯食べてた

研修がはねてから、カーシェアを使って、鳴門にある米津なにがしさんが紅白で使った「大塚国際美術館」にも行きました。lemonには「粗悪品」という意味があるようですが、ばかでかい建物を贋作で満たしたこの美術館もまさにlemonで、NHKにすごく性格の悪い人がいるのではないかと思いました。

鳴門の渦潮をフルに楽しむには半月くらいずれていたようで、疲れたのもあってさっさと徳島市内に戻りました。ちらっと見えた海はきれいでした。「水の都だな~」と思った以外は、眉山ロープウェーも運休中で特に何ということもない徳島市。でもなんかゆったりしてていいところっぽい雰囲気はあった。阿波おどりも含めて諸々次回に。

* * *

あと近場で最近おいしかったものとして、新宿三丁目、彗富運(スプーン)。
「もう何を食べたらいいか分からない」となぜか嘆く友人と、まずワインを1本頼んで、前菜盛り。
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このあと、グラタンとラムチョップと、トマト炊き込みご飯&ビーフシチュー(あと何かもう一品頼んだけど何だっけ)。
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全部うまかった。そしておなかいっぱいになった。1人5000円くらい。

* * *

土曜朝に職場のメーリングリストで匿名の提言文が飛び、目が覚めました。

内容はほぼ全面同意。提言文のポイントはいくつかあり、中でも「忙しい人に積極的に手をさしのべるべき」というのは弊管理人も最近少し思い当たることがあり、反省です。自分の興味・受け持ち範囲以外に関して手を出さない人たちが目に付く職場だなと10年前に来た時から思っていましたが、弊管理人自身もだんだんそうなってきていたかもしれません。「何かあったら言って下さい」は言い訳、「これやりますよ」と奪っていくくらいで丁度いいというつもりで、もう少し頑張りましょう。

あと、メーリングリストのトラフィックが多すぎ、という指摘もあり、これも至極ごもっとも。特に休日に「こんなもん数十人に送る必要ある??!!?!?」みたいなメール見たくねえよな。弊管理人は口に出すほど嫌なわけではなかったが、腹に据えかねる人もいたということですね。

* * *

アドバイスにもとりあえず一言もの申す系の人に当たると損した気分になる。

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■古澤明『光の量子コンピューター』集英社インターナショナル、2019年。

量子論を言葉で分かるように説明するのは無理だという断念があり、しかしそこから出発して行けるところまで行くという思い切りのよい本。

2019年02月01日

ある研究者さんに仕事でご縁があったのをいいことに、特に頼んで脳の解剖(ブレイン・カッティング)を見せていただいてきました。この日は脳梗塞で亡くなった高齢の方の脳です。写真もメモも残しておらず、仕事でアウトプットしない見学なので、今回は「仕事の時間に見聞きしたものは極力ここに書かない」という自分ルールを破って、記憶を記録。

・白衣を借りて、研究者さんと病院の地下へ。解剖室の前室でゴムの手袋をしたあと、白い長靴に履き替えて入ります
・広さは12畳とか広めのリビングくらい?人1人横たわれるくらいのステンレスの解剖台が置いてあります。あとは肉屋にあるような吊してある計り、流し台、パソコン、標本撮影用のカメラ台、などなど。器具はきれいにしてあって鱗汚れなどほとんどなく、匂いはほとんど気になりません
・見学に来ていた医療系の学生さん(3人)と付き添いの先生、解剖をする医学部さん(2人)に挨拶。この日は9人で解剖台を囲みました
・ホルマリン固定した脳を解剖台の上の湿らせたキッチンペーパーみたいののに置いて黙祷
・パソコン画面でMRIの画像を見ながら、脳の持ち主の病気の説明を受けます。抗血小板薬を飲んでいたら腸で出血したので薬を止めたところ、血栓が脳に飛んで梗塞を起こしてしまったとのこと(薬は難しいんだなあ)

・まず、取り出してあった脳の血管を見ます。硬さや、断面がどれくらいふさがっているかを調べます
・脳を覆っている硬膜が取り外されて横に置いてあります。見た目は水泳のシリコンキャップみたいですが、伸縮性はありません。強度の高い湯葉、って感じの見た目
・続いて、脳を触らせてもらいます。クリーム色の実質に黒~紫の血管が入っている塊。梗塞が起きたところはぶよぶよです。水分が多くなるかららしい。でも新鮮な状態の脳の硬さはまさにこのぶよぶよくらいだそう
・持ってみます。「何グラムあるでしょう?」と聞かれて、人間の脳はだいたい1500ccというのは知っていたのですが、1kgの砂糖の袋を思い出しながら「800g」と言ってみました。正解は1300gでしたw
・頭頂方向から見たり、ひっくり返して脳幹のほうから見たりして、左右の脳の大きさの違いなど、気付いたことを医学部さんたちがクリップボードに挟んだ紙に書いていきます。研究者さんが「脳の腫脹によってここの骨が圧迫されたのでは?」など助言

・中を見るために、脳をカットします
・最初に、30センチくらいの長いナイフで頭頂から前後に2分します。キャベツをざくっと切る感じ
・半分を脇に置いて、もう半分を透明アクリル板の上に断面を下にして置いて、厚さ7ミリのアクリルの四角柱の棒で手前と奥をはさみ、その棒に沿ってナイフをすべらせると7ミリの厚さに脳を切ることができます(あの居酒屋で出てくるアンキモのでっかいやつみたい。切りくずが出たりして、手作業感)
・これで1枚切るごとに黒いフェルトっぽい布に乗せてデジカメで撮影し、大きなバットに並べていきます
・もう半球も同じ要領。あと小脳と脳幹も別に同じように切っていきます

・観察の時間。切片を見ると、脳溝の深いところに赤い点々が多数あります。出血性の脳梗塞。反対側にも昔の脳梗塞のあとがあります。出血性のものだと色が沈着して残っているはずですが、ないので出血のない梗塞だった様子。古いとそこの組織が脱落して空白になります
・亡くなる前の最も新しい脳梗塞は全球に影響したはずなのに、なぜ片方にだけ出血が集中的かつ広汎に起きているのでしょうか?というクエスチョン。「その考察と写真と画像を披露するだけで学会でケースレポートが1回できるので、是非してください」と研究者さんが医学部さんに
・小脳はブロッコリーの小さい塊を切った感じ、木みたい。幹の部分が硬い。脳幹はよく煮たゴボウくらいの硬さかな
・気付いたことを書いていきます。色は?硬さは?空間の大きさは?などを目視と触覚で確かめながら見ます。研究者さんは「所見と考察は分けて」と強調していました。つまり、どう見えるかということが所見であって、そこで何があったと考えられるかはまた別の話
・これでだいたい2時間。「見学者がいるとちょっと長いですね」と研究者さん。このあと、特によく見たいところを決めて、顕微鏡で調べるためのプレパラートを作成するそうです

・研究者さんとお部屋に戻って話し込みました。
・特にALSなど厳しい難病の患者さんからは「自分を死後に解剖して研究に使って」というオファーがあること
・画像診断やマーカーが発展しているといっても、精神・神経疾患はまだまだ臨床でつけた診断の間違いが相当ある、特に認知症はアルツハイマー型やレビー小体型などさまざまな類型が「混ざって」いることが多く、最終的には死後脳で「答え合わせ」をしないと正解不正解は分からないこと
・それだけ間違いが多いのに、薬の臨床試験などをやってもそりゃまあいい結果は出ないだろうということ
・責任遺伝子探しが2000年代からずっとされているが、単一遺伝子疾患ならこういう手法は有効でも、関連する遺伝子がいっぱいあって相互作用している場合は関連解析してもいい結果は出ないだろう、ましてある遺伝子を変異を持たせたモデル動物で試してうまくいったからといって人に持ち込んでもだめだろうなということ
・じゃあどうすりゃいいんでしょうね、で二人で考え込みました。「生活習慣見直しましょう」が終着点では?と言ってみましたが、「それはそれでいいでしょうけど……」

・いやそれにしても、図録などでいっぱい脳の写真は見ましたが、実際見ると「あっ海馬!下垂体!あーーー思ってたより大きい!」などと感心します。柔らかさというのも写真じゃわからないしね
・どこから刃を入れて、どう切るか、観察記録は何からつけていくか(正常な部位から異常に進むとか、皮質から中へ進むとか)などは、教科書に書いていないノウハウのように見受けられました。「こうやったほうがうまくいく」という現場の知識がいっぱいあるのでしょう
・画像や診療記録を見て「この人は結局何によって死んだのか」を何人かが議論していましたが、それもクリアに見えないことがあるんだなと思いました。当然だけど。腸も脳も出血してて、あそこもここもおかしくて、という
・以前、尿路結石でCTをとったとき、自分の中にも臓器が詰まってる!と当たり前のことで驚いた記憶がありますが、今回も「このキャベツくらいの塊に80年以上の経験が詰まっていたのか~」と妙に感心しました
・そして淡々と切り、観察し、ちょっと脳に白衣が触れそうになりながら乗り出して作業し、「どうかな~?」「おーこれ珍しい」などと普通なトーンで議論する人たちの前において、脳はかなり純粋にモノであった

2019年01月24日

伊豆など

伊東にある会社の保養所を飲み友人2人が見たいというので、連れて泊まってきました。
熱海で早咲きの桜見て~、あそこで飯食って大室山登って、なんなら西伊豆まですっ飛んで~、といろいろ計画していたのですが、それぞれ思いつきであれがしたいこれが食いたいと言い出したためほとんど実現せず。まあやりたいことがあるならいいです、それで。

家族と行ったときには全く寄りつかなかったシャボテン公園。
割引でも2000円でハァ??と思いつつ友人の希望で入ったのですが、なかなかどうして動物との距離が異常に近くて楽しかったです。
ストーブにまとわりつくカピバラ。
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伊東駅の駅そばが3月で閉店するというので「きざみそば」を食べようと思ったら、手が滑って丼を落とし、カメラにそばつゆをかなり大量にぶっかけてしまいました。
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電源入れたときにレンズカバーが開くのがすごくゆっくりになってしまい、悲しい。

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元上司が本を出し、アマゾンのレビューでサクラをやったお礼に?ふぐをご馳走していただきました。6刷まで行ってるそうなので呵責なく、しかしありがたく。

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札幌友人が沖縄から札幌に帰ろうとしたら新千歳の悪天候で羽田に着いてしまったとのことで、図らずも1年ぶりくらいの面会かない、昼飯を食べました。
新宿「あるでん亭」でアリタリア。クリームベースだがミートソースがかかってます。
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おいしかった!!

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いつ以来か、亡母が夢に出てきて、しかも家族+αくらいで延々バンみたいな車で旅行する結構な長さの夢でした。既にかなり体力が落ちた頃のようで、弊管理人は「いずれ薄れてしまう記憶、流れ去ってしまう今をどこかにとどめることはできないだろうか」と思い、しかし次の瞬間には「今のシェイクスピアみたいなフレーズ、いいね」とメタに行ってしまう。これはいまだに近親者の死とまともに向き合うことさえできていないということなのでしょう。

それを3度寝くらいしながら見ていたら9時間近い睡眠時間になっており、そのあとジムに行ってから出勤したのに、深夜に至るまで全く疲れを感じず、体調最高でした。

* * *

■伊達聖伸『ライシテから読む現代フランス』岩波書店、2018年。

2019年01月14日

連休補遺

厳寒期という言葉が似合う、この数日。
寒いの好きですが、体は壊れるという。

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前々からマークしつつ行ってなかった、代々木の「曽さんの店」。
上司から「餃子まじうまい。餃子以外はどうでもいい」と聞いていたのに、台湾ラーメンと餃子のセットを頼んでみました。
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上司正解。皮もっちもち。ご飯とのセットもあるけど、これはご飯と食べるのは違う気がする。ビールセットがありますね。大人はそれでいいかもしれない。弊管理人としては何だろう。もう一品おかずを付けてやっぱりご飯か……

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■黒田亘編『ウィトゲンシュタイン・セレクション』平凡社、2000年。

いちがつにしゅう

【水】数日なぜか朝早く目が覚め、しかも喉が痛くて、火曜深夜(というか水曜未明)の仕事を終えて車で家まで送ってもらう途中には初めて寝落ち。「疲れてるのかな」と思っていたら水曜仕事中に体調がだんだん悪くなってきました。

会社のビルに入っているクリニックで検温、37.5度。インフル検査を受けると陰性。抗生物質と解熱剤などもらって帰りました。
薬を飲んで寝ていると体温どんどん上昇、かなり頑張って着込み、タクシーでターミナル駅まで行き、駅ビルに入っている夜中までやっているクリニックで体温を測ると39.5度。でもインフルまた陰性。薬は特に出ず帰ってきました。

翌朝までに緩やかに解熱、この様子について弊管理人を直接診てない友達の医者は「インフルじゃないの。検査の感度は高くないし」とのこと。検査で2回陰性だけどねえ。確かに熱がどばーっと出てすーっと引くのはインフルっぽい(頭がぼーっとしていて解熱剤があるのに気付かず飲んでなかったが、結局1日で熱は引いた)。でも薬飲んでから喉の痛みも徐々に引いたので、扁桃炎になってたところにインフルが加わったってことはありそう。

普段ぱたっと寝られる日々だったのですが、週内はなぜか寝てもずっと半分起きているような感じで休まりませんでした。日曜にようやく寝られた。

【金】病み上がりつつ、若者の接待で歌舞伎町「米新」でしっぽりとすき焼き。特上でも2250円。
写真とる欲が一時的に減退しておりますが、十分おいしくておすすめです。
でもそのあとお腹が負けた。

【土】友人と毎年の高尾山参り、今年は周囲に厄の人たち(つまり1学年下の男の子たち)が多いので、ちょっと声をかけたら総勢8人で行くことになりました。

護摩ライブを見て、団子食って、今年は初めて高尾山口駅横の温泉に入りました。スーパー銭湯としてはこぢんまりした施設です。でもなかなかどうして気持ちよい。20日間続いた晴天のあと、いきなり雪の予報が出た日だったせいか、山も温泉も空いていて動きやすかったです。

夕方にまた熱が上がってきそうだったので残っていた解熱剤で蓋をして就寝。

【日】久しぶりに運動。そのあと初台のInterCommunicationCenterにイン・ア・ゲームスケープ展を見に行ってきました。中の人の友人に招待券をいただいてしまい恐縮。テレビゲームの中の世界を、コチラの世界と微妙な影響を与え合い、コチラの世界観を少し変化させる自律した「世界」と見るとどうでしょうかね、という問いかけだったと思います。初台まで家から全然歩けることが判明。

前の日に高尾山に行った友人の一人と合流して、復活した笹塚「ロビン」で夕食。17:30過ぎに入ったのに、まもなく待ちの列ができていました。相変わらず人気のようで。

ようやく体力が回復してきたので、外で一杯飲んで寝ました。

* * *

・4年以上使っているiPad miniのホームボタンが陥没して戻ってこなくなって焦りましたが、Assistive Touchという、画面上に仮想のホームボタンを表示させる機能を使うことで解決しました。修理すると「万円」の桁に届くらしい。納得いかなすぎ
・メモ代わりにスリープボタン+ホームボタン同時押しでスクリーンショットをよく撮っていたのはどうしようと思ったら、Assistive Touchの2回タップに機能を割り当てられることが分かり、これも解決。すごい

2019年01月03日

帰省

最近は毎年、家族で伊豆に行ってから郷里に戻っていましたが、今回は久しぶりに田舎の年末年始。ふらっとケーキを食べに出たついでに、父の提案で陣馬形山に行きました。一番上まで車で行くことができ、キャンプ場もあるとても見晴らしのいい山です。
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いやきれい。川の両側が切り立った「田切地形」もよくわかります。
写真の山脈は中央アルプス。撮影者の背後に南アルプスがあります。つまり東から西を見ています。羽田から九州に行くときなど、ここからもうちょっと南を通っていくので、進行方向右側の窓側に座るとこのあたりがきれいに見えます。

お年取りは例年通り、父(と、ついでに妹)が全く寄りつかなくなった本家にて。
昨年、弊管理人と同じ業界に就職したいとこの子とすっごい久しぶりに行き会いました。というか前回会ったときは幼児だったような気がしますけど。いやそんな前じゃなかったか。あれ?
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安定、伯母の豪華おせち。大晦日の夜に食べます。
んで、元日朝はお雑煮、昼はそば。
実家に戻って、今度は父方の祖母のところに行って、なんとなくミッションコンプリート。

あとは細かいこと。
・仕事をころころ変える妹は今度は出版社の正社員になっていた。しかしすごいね。もう40も近いのにさくっと正社員になれるのか
・それにしてもしじゅうムスッとしていて、父方の祖母の家に行っても車から降りもせず
・さらに父からもらった誕生日のプレゼントを「荷物になるからいらない」と却けよった(弊管理人がもらってきた)。ほんとだめだな君は、と思ったけどもう言わない、というかほとんど話さなかった

・母方の伯母も76で、だいぶ歳とった印象。これだけお料理できるのでまだまだ大丈夫だと思うけど、「外で灯油をストーブのタンクに入れながら別のことをしていたら溢れて、買い置いていた80リットルほぼ全部流してしまった」などの危ない失敗談を聞くと若干心配
・父はなにやら高齢者施設?の送迎など手伝っているらしい。まあやることがあるのはよいこと。地元は知り合いが多いおかげで遊ぶ人も多いよう。家の中もきれいでこちらもまだまだ大丈夫であろう
・父は「もう働く気が起きない」と。ほおそういう境地になるのか。あと、40年にわたって一つの職場に勤めた人が、定年後は2年くらいごとに仕事を(かわらなくていいのに)かわってるのを見ると、「辞め癖」ってのがつくものかもしれないと思った
・レビー小体型認知症と診断されて長い母方の叔父は胃瘻造設したとのこと。たぶん10年とか会ってない
・いずれにせよ、弊管理人としては深くコミットする気概はないために、認識しつつも認識するまでで止めていることどもでした

2018年12月30日

年末まとめ

1月 長岡出張そこそこ面白く、山谷・吉原街歩きとても面白く
2月 大阪出張楽しく(食うのが)、内之浦出張もなかなか味わい深く
3月 日高旅行。つい北海道に行っちゃうのはよくないな
4月 京都お花見楽しかった。フィンランド出張、年内に成果出ず痛恨
5月 出張ついでに出雲大社。ていうかよく出張してるね振り返ると
6月 おじさん職位研修。ほとんど記憶喪失
7月 また北海道(道東)行った。どこか行きたかったんだよね、わかる
8月 ウズベクしみじみよかった。海もなんだかんだで遊んだ感
9月 右上の歯の問題で混迷。最終的には久しぶりに噛めるようになった
10月 意外と休めなかった秋。大阪出張は羽伸ばせたが成果はやっつけ……
11月 お友達に会いに大阪と静岡。一方で平素の人間関係の一部に倦み始めた
12月 なんかあっちゅう間に年末きた。福島出張。方向感喪失

・こうやって見ると意外と出かけたな。でも行ったことのあるところが多く反省
・うまいもの欲がほぼ消えた。出かける先が同じ問題と合わせ、やや好ましくない
・12月に階段で足を軽くひねった他はわりと健康な本厄だった
・でもなんか心臓やばい感じの時ない?とりあえず様子見
・ちゃらけたことを言ったらマジレスされて損した気分になることが多かった
・週末に人と遊ぶこと多し
・午前7時と午後4時始まりのシフトがごちゃまぜで来る生活だったけど、体のリズムをそこまで乱さないやり方は見いだしつつある。座りっぱなしにならない工夫は必要
・とかやってるうちにびゅんびゅん時間が過ぎたので、来年は少し楽しいことを見つけたい(と最近毎年思ってるような)

* * *

本は昨日今日読んだこれで今年はたぶんおしまい。年明けにちょっと書き足すかも。

■前川啓治他『ワードマップ 21世紀の文化人類学』新曜社、2018年。

■多田将『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』イースト・プレス、2015年。

2018年12月26日

つごもり反省

LDLコレステロール高値で、酒を控めにしつつ食べ物も若干いつもより気を遣う生活をしていたのですけど、12/24のやっとまともに寒い夜、「ニンニク入りのラーメン食べたい」と思い立って今月のラーメンを挙行しました。品川の「元祖ニュータンタンメン本舗」。
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上司と先輩のお勧め。すっごいジャンキー&これはもうタンタン麺ではない。

* * *

録音していたラジオをプレイヤーでぼーっと聴きながら地下鉄駅の階段を降りていたら、最後の段を踏み損なって(つまり、その前の段で降りきったつもりになってしまった)左足をぐりっと外側に捻りました。
痛って!痛って!!
と思いながらとりあえず地下鉄に乗って帰りました。そんなに大事ではないような感じですが、2晩しても痛いです。
ほんと怪我って突然なので気をつけようがないので怖い。
一方で、左足を完璧に捻っているのに転倒はせず、咄嗟に左足の膝をつきつつ右足を踏ん張って堪えたのが我ながらすごいと思いました。これ運動音痴や高齢の人だと、体ごとごろんと左に転がっちゃっていたところだろうと。加齢と瞬発力の拮抗。これからこのバランスが崩れていくのか。嫌だなー

* * *

おじさん稼業は相変わらず手探りです。

今般は時間制限がわりと厳しい中で、若者がいったん据えた見立てを完無視して材料から組み立てたが、格好がつかないまま終わった。

反省(1)若者の見立てを早々に棄却して別方向に走ったが、もともとの見立ての方向で走る余地がないか、もう少し若者に聞くべきだった。「その見立てをもう少し精緻化・具体化する材料はないか」をまず追求すべきだった。

反省(2)若者が集めてきた材料のインプリケーションがうまくつかめていなかった。「この材料は結局、何を言うために集めたのか?」を最初に問うべきだった

つまり「この道は悪路だ」という判断をあまり性急にしないこと、というのが今回の教訓。原案を作った人の中には一応一貫した何らかのコンセプトがあるはずだからね。

* * *

持ってるクレジットカードのうち1枚に不正使用があったということでカード会社から連絡があり、番号を変えた上で再発行となりました。不正使用は11月半ばに起きていて、海外のアマゾンのマーケットプレイスで、5000円ほどの買い物をしたよう。

カード会社に聞くと、情報流出ではなく、カード番号+有効期限の総当たりがたまたま当たってしまったケースのようだとのこと。ショップによっては名義を求めないようなところもあるそう。いや確かにメインで使っているカードではなく、もっぱらある1店舗の決済に使っていただけのもので「なんでこのカードが?」と思ったんですよね。若干気持ち悪かった話。

2018年12月08日

ポゴレリチ、久しぶりに

2010年の連休にえらいこっちゃな演奏を聴いてからもう8年余り経過したという、このね、なんというか。ポゴレリチです。その後、長い心の患いから回復したらしい。正直、チケットを買ったときは「あれをもう1回聴く必要があるのかな」とちらっと思った。でも点が二つあれば方向は分かる。何が患いのせいで、何が個性をなすものかも判別できるだろう、そんなつもりで。
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8年前と同じサントリーホールでした。前回は春、今回は冬。演奏者背後の2階席から見ると、空席が目立ちました。開場後に練習する人だったんだっけ。ちっちゃい音でリストをさらっていました。

曲目はモーツァルトのアダージョK.540、リストのソナタ。ここで休憩が入って、シューマンの交響的練習曲(遺作変奏付き)。アンコールはなし。

リストのソナタは弊管理人の好きな曲で、黒い海に沈潜していくような音階や論争めいた高速のパッセージ、中年のロマンスみたいなw旋律と次々と面相を変えながら前半生を総括する重厚さを楽しんでいます。(すごいまとめ感なんだけど、リストは作曲時にまだ40歳前後なんですよね)

ポゴレリチの演奏は、伴奏とメロディに分かれた2本の線が進んでいく一般的なやり方ではなくて、もやもやしたガスの中に凝結核を投げ込みながら主題を出現させるような独特のものでした。音の強弱よりも、ペダリングと、ハンマーが弦を叩く音を出すかどうかで色の違いを出していたように感じます。

(もちろん「キーを押してぎりぎり音が出るか出ないか」というレベルの弱音から体重を乗せた爆音まで、ピアノというメカの可能性を余さず使って見せる凄みもあるのですけど)

このやり方は、ピアノを起点に音楽を射出するのではなく、環境中に音が満ちている感覚、演奏者が頭の中で歌う音楽の中を浮遊している感覚を与えるものでした。また、脇に置いたメトロノームや速度記号のように外部から強いられた「1,2,3,4……と刻む客観的な時間」に支配されずに、時間の経過を忘却して「見ていたい風景の見ていたい部分を見ていたいだけ見る」曲の味わい方が、あの解体的に聞こえてしまう解釈の正体だったのではないかと思います。

そう考えながら聴くと、重度に解体していた8年前に比べて、今回はずいぶん統一感を回復したなあという印象を持ってしまいます。音、音、音、という要素たちの凝視から一歩引いた(「フツーに戻った」)パターン認識のレベルへ。そういっていいなら、「音の束として聞かせたほうがいいものは、そのように聞かせる」という割り切り。ポゴレリチの世界に聴衆が浸るというスタイルは変わらないけれども、ポゴレリチの知覚の中には前より多くのもの(多分聴衆も)が映っているように思いました。

19時に始まって、終わると21時半でした。
「浸るスタイル」と書いておいてそれと反するようですが、「なんだこれ」とずっと考えさせられていて、なんかとても疲れました。

* * *

昼飯は西新宿のFISHで限定の牡蠣カレーとキーマをあいがけで。
今季そういえば牡蠣を食べていなかったところ、思いがけず賞味できてすごい満足だった。

演奏会後はおつきあいのお酒などあり、土曜はやけにいろんな人と会う日になってしまいました。

* * *

ここ3,4年、大学の試験期間前くらいになると弊日記へどっかの大学からのアクセスが増えるんですが、今年も迷い込んでこられたようです。有斐閣アルマ、教科書として人気なんですかね。あと、今年は初めて、オックスフォード大学のドメインから文化人類学の英語教科書のメモに飛んでこられた方がいました。わからんでしょうに。

忘れっぽい弊管理人は安心して忘れ・そして後から見て思い出しやすいように、箇条書きでも比較的文章っぽく書いているのでまだましかもしれないけど、他人のレジメって基本読む気がしないし、レジメを作るプロセスそのものが勉強になるんじゃないのかな。

高校のころ、友人と二人で「小室総研」という非公然組織を作って(小室哲哉全盛期だったためだが命名は弊管理人ではない)英語のリーダーの全訳を作ったり、解説をすっとばしがちだった数研出版の問題集の詳しい解法を載っけた解説書を作ったりして配布していました。1学年400人のうちそれなりの数の手に渡り、しかし結局それを使った誰よりも点取ってたのは弊管理人でした。当然ですわな。

大学ではもっとシステマティックに、クラスで試験対策のプリントを手分けして用意し共有していたようですが、もらっても質はいろいろでね……

どうでもいいけど、そんなことを思い出しました。

2018年12月03日

北から南から

12月朔日の土曜は、腹に据えかねることがあった友人に朝から呼び出されて落合某所のドトールで2時間半の大相談会、その足で午後は埼玉やや奥地の仕事へ。

昼飯食べ損ねたので、17時過ぎに富士見市・鶴瀬駅近くの「とかち村・白樺」で豚丼。
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ごく普通ですが、普通にうまかったとも言える。

別に誰に求められた仕事でもないのですが、たまに現業っぽいことをやってないと精神的な根腐れみたいになるかなあと思って。そして結構面白かったです。

帰ってきてジムに行って帰宅後に浴槽に浸かってちょっとお酒。
運動して初めてその日の体調が分かるのですが、この日はほとんど絶好調といっていい体調だったことが分かりました。ただただ面倒くさかった正月用の仕事を週半ばに一つぶん投げたのも一因かな。

* * *

日曜の昼は渋谷に「核兵器の物理学」というトークショーを聞きに行ってきました。
これもまあ仕事といえば仕事。自腹だけど。

夜は結局、寝酒のためにちょっとだけ出掛けました。
沖縄の多良間村というところから研修で東京に来ている人と隣席になって、ウォッカを飲んでいたグラスに泡盛をついでいただきながら(笑)話していたのですが、本島(糸満)出身のマスターでも分からない多良間の言葉というのがあるそうで、とても興味深かったです。

「イ゜」という発音があるそう(村サイト動画)。「L」みたいに舌を上の歯の裏に付けているように見える。でもなんか違うらしい。「R」と言われたけどよくわかりませんでした。
しかもこの「イ゜」が「飯」という重要語なので、できないと基本的な会話が成立しない。

多良間島は宮古島と石垣島の間にあって、むしろ石垣のほうに近いのですが、ご本人は「宮古島の奥の方から来ました」と言ったところをみると宮古のほうにくっついているらしい。宮古島から飛行機で20分!「船で行ってもいいですねえ」というと「船~?すごい揺れるよ」と言われました。飛行機が足なのね。へー。旧暦の8月にお祭りがあるらしいので、来年行ってみようかな。宮古島もずっと行きたいところの一つなんですよね。

ヤギ、小学生のころに父親から言われて潰したそうです。頸動脈を切ったと。素早く血を出さないと臭くなってしまうから。
「あの感覚は忘れないね~、R指定にしたほうがいいと思うよ!ヤギはくせぇから嫌い、山羊汁は食べないし、外出ないから色白だし(※そこまで白くない)で島では非国民、非島民だよ!ガハハ!」

2018年11月25日

連休なかび

文京区にある印刷博物館の「天文学と印刷」展を見に行ってきました。(ほんとどうでもいいけど樺山紘一さんが館長なんですね)
活版印刷がマインツから始まったのが1454年、そのあとコペルニクスの『天球の回転について』がニュルンベルクで出版され、(画家としてしか知らなかったが)デューラーが初の天球図を印刷。その後は研究において出版は前提になり、神に由来する宇宙の調和を信じたケプラー、ティコ・ブラーエ、ガリレオ、天と地の法則を統一したニュートン。あとは渋川春海と日本の暦……
まあつまりは近代天文学史なんですが、レギオモンタヌス、アピアヌスなど15~16世紀の天文学者は「印刷者」も兼ねていたというのは初めて知りました。
常設展も浮世絵からミクロ印刷技術まで、社会的な背景も絡めた解説も結構あって楽しめました。

直接関係ないですが、アリストテレス「天界について」

かくして宇宙は今現在、一つより多くはないし、過去にも多くはなかったし、多くの宇宙が生じることもできない
思弁的宇宙論は一転マルチバースに……

* * *

夕飯、十条にあるクルド料理「メソポタミア」に行ってきました。
3人だったので色々食べられました。なす、いんげん、おくらのプレート。
あとは単品でジャガイモのスープと、羊のピザ、肉団子のアメリカンドッグみたいなやつ。これは「ブルグル包み揚げ」と書いてあったので「ブルグルって何ですか」と聞いたが、おかーさんは答えられなかった(知らないはずはなく、日本語表現力の問題)。ウィキによると、小麦を挽いて湯通しして乾かしたものだそうです。
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ウズベキスタンで食べたごはんと結構似てます。サラダが必ずつくのと、野菜のスープが特に。
あと面白かったのはデザートのオスマンコーヒー。カルダモン、カカオ、シナモンなどのスパイスが入ってました。同行友人は「土っぽい」と(笑)。それとレワニというゴマとクルミのケーキ。これはサバランみたいにしっとりしたもの。でも含んでいるのは洋酒ではない。
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ごちそうさまでした。

* * *

そのあと新宿で日頃お世話になっている人たちのパーティに行きました。
お客さんも一緒になってつくるイベントですが、多士済々。3時半就寝。

2018年11月12日

にちよう徒然

土曜は未明までの仕事を終えて、そのまま飲みに行っちゃって朝方帰宅。
日曜は昼前に起きて、同じくらいの時間に起きた友人と東中野の「ピッツェリア チーロ」で昼飯。グラタンコロッケ、レタスのシーザーサラダ、4種のピザが1枚にのっかったやつ。全部すごくうまかった。
そのあとミスドで暗くなってくるまでだべって1回解散。
夜は約束があったのだけど、相手が風邪ということで流れました。
で、さっき別れた友人が音楽の練習を終えるのを待って再集合し、別の友人も連れてカーシェアで「おふろの王様 志木」へ。
そのあと、和光の「くるまやラーメン」で味噌バターコーンラーメンを食しました。
バイパス沿いとかにあるイメージのお店で、今回一緒に食べた福島、宮城、長野出身のメンバーが「なつい」で一致した。そして全員が深く満足した。
この時点で23時、背徳の味が沁みるわけです。
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東京中心部で見かけないのでいつ以来だろうと思ったら、たぶん15年前。田舎で母親が亡くなった夜、妹と二人で自宅の近くのくるまやで夕飯食べたんでした。父は確か病院で夜を明かしたはず。

* * *

■三橋順子『新宿 「性なる街」の歴史地理』朝日新聞出版、2018年。

甲州街道に新設された宿場から遊郭へ、戦後の赤線へ、そして1960年代ごろから性的マイノリティの街へと変貌してきた新宿「あの辺」の歴史。新宿で寝起きし、食べ、遊んでいる弊管理人は脳内ストリートビューを再生し「そこがあれだったかーーーー!!」と興奮しながら読みました。

土日休みの強気なパスタ屋のちょい先にあった遊郭の境界、ゴールデン街の煮干ラーメン屋の建物の由来、二丁目ほぼど真ん中の半地下の中華料理屋のあたりは赤線じゃなくて青線だったらしい、そしてタリーズの裏の不思議な路地。内藤新宿の「内藤」は母方の田舎とつながっていたのも初めて知った。

そのほか、東京の性産業の歴史にも話が及んでいて勉強になります。1月に友人に誘っていただき街歩きした吉原、前に住んでいた新小岩、ラーメンや「すた丼」食べに行っていた亀戸(食べる話ばっかりだな)、何かご縁がありますね。今の地理を知ってると4倍楽しい。

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おじさん職掌見習い日記もまだまだ続きます。

若者が作った文章を商品に仕立てる役のおじさんですが、まあ相変わらず結構な大工事を繰り返しています。あまりに完成度の低いものが若者から送られてくることに腹を立てる同僚おじさんはちらほら見受けられ、弊管理人も血圧が10くらい上がることがなくもないのですが、最近ひとつの理解に達しました。若者の仕事は「できそこないの完成品」ではなく「そもそもからして素材」だと考えるべきだということ。

初心者かベテランかを問わず、一人で書いた文章には――程度の差はあっても――穴があるものです。だから、おじさんが一から書いたら完成品ができるかというとそういうものでもありません。まずは若者が書きたいものを形にし、それを客観的に見ることのできるおじさんが素材として受け止めて加除をし、それを投げ返してチェックを重ねる、というようなキャッチボールは不可欠なプロセスなのです。おじさんは検品係ではなく、ライン下流にいる組み立て担当者なのです。

若者時代、弊管理人は自分の投げた仕事がおじさん(おばさんもいるんですけど、ほとんど不満に思ったことがないので、おじさん)の恣意によって作り変えられると「おじさんの頭の中に正解があって、それに合わせて作り変えるだけなら最初から自分で作ればいいのに」と思っていたものです。でもそれはそうではなく、大枠はやはり現場を知っている若者が作るべきで、それがあって初めておじさんも改良の方向性を見いだすことができる。そう考えることで、おじさんの立ち位置がやっと正当化できました。

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ぶつくさ言う用のツイッターアカウントを閉じてみて、ちょっとぶつくさ言いたい時に吐き出す先がないなあとは感じるのですが、それは持続しないので、今のところ特にぶつくさ用のアカウントをあらためて作ろうという気になってません。

ぶつくさ言うことはかえってその対象への執着を増すようでもあり、周囲も「うわ……」と思うだけであれば、誰得なのかという。今となっては。

2018年10月22日

ミーちゃんなど

金曜夜勤、そのまま会社に泊まって土曜は朝から仕事。
夜は音楽イベントに行ってかなり夜更かししました。お久しぶりな人たちがたくさん。

日曜は明治大学の米沢図書館でやってる魔夜峰央展を見に行ったら本人が来てました。
その流れで友人2人とトークイベントへ。
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インタビュアーもフロアからの質問も関心がディテールかつ断片的で、そうそうファンってそうだねと思った。

そのあと新宿でギョウザで一杯やって満足して週末を終えました。

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月曜は朝7時出勤、夜7時に食欲が暴発。
東中野、大盛軒。
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そのあと、大久保の茶咖匠で黒糖ごまタピオカミルクティー。
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満たされた。

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■小泉宏之『宇宙はどこまで行けるか』中央公論新社、2018年。

理学ではなく工学の視点から宇宙探査を扱った一般向けの本って珍しいかも。

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おじさんの立場で若者に何か仕事を頼んだとき、「やりまーす」じゃなくて「確約はできませんね」とか言われることがあります。
このフレーズは若者の立場からすると「100%の確率ではできないかもしれない」というくらいの意味で使っているのかもしれませんが、発注側のおじさんからすると「成否について多分に不確定性がある」と思わず受け取ってしまいます。

弊管理人は仕事で「確約できないじゃねーんだよ、やるんだよ」といって不確定性の圧縮を相手に委ねるのではなく、「いつまで待てばいいか分からないし、できないリスクもあるなら自分で準備してしまおう」と思ってさっさと不確定性を0にすることを選びます。

で、若者が「結局できました~」といって仕事を送ってくるころにはすっかり醒めていて、「もう一応のものがあるからいらねーや」といくばくかを自分の準備に補っておしまいにします。嫌がられてもやらせて対処法を習得してもらう、というほどの優しさがないんでしょうな。でしょうな、っていうかないんだわ。

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人事考課の季節、面談で現業に戻って海外赴任する意向はないかと聞かれて「見てて全然楽しくなさそうなんです」「現業離れてみて、やっぱりあの仕事はそんなに好きじゃなかったなと振り返ってます」と答えたら上司が若干表情を曇らせたように見えました。

海外って花形の職場なんだろうと思うんですけど。自分は終わったもの、手に入らないものへの手切れが結構いいほうで、わりと早く関心がなくなっちゃう。「まあそうはいっても3年後の話だから気が変わるかもしれないしな」と言われ、そんな気もすることはするし、周りに流されないと本当に何もしない人なので、流されたほうがいいのかもしれない。

でもほかに「行きたい」と言ってる人がいますし、その邪魔をするのも……
と言ったら「そういうこと言う奴だということは知ってる」と言われました。
いやあいつも上司に恵まれてます。ひょっとしたら本当に、この休日だけ当てにして一週間を過ごす生活に意外と早く倦むかもしれない気もしてきた。

2018年10月09日

上旬までのあれこれ

会社のインターンシップなるもので講師をやれと言われてやってきました。
弊管理人の来歴を45分喋り、60分質疑応答して、その結果を文章にまとめさせるという誰も得をしn(略

5年ほど前に会社説明会で「辞めたくなった話」をして暫くそういうところには呼ばれなかったのですが、人事も人が変わって申し送りもなかったのでしょう。また辞めたくなった話をしたら、人事の人があとで「焦った」と言っていました。弊管理人としてはここがどういう場なのかも告げられず「会社人生を語れ」と言われただけなので……禁止事項があるなら先に言えばいいのにね。

先般、これとは別の機会に入社試験の作文を採点させられまして、「部活で頑張りました」みたいな社会との接続がうかがわれない日記とか「スポーツに体罰はやむを得ない」的な根拠を示さない逆張りに「なんじゃこれ」と思いながら最低点をつけていった経験からして、インターンの文章もおっそろしいのが来るだろうと思っていました。

しかし、質問は60分途切れず来るし、書いてもらった文章も上位層はすごく上手かった。ちゃんとアイキャッチ→内容総覧→オチ、と流れが作れていて、印象的な言葉は「」内に収め・話したことをそのまま書くと冗長になる部分は自分の表現で要約してあります。1文が無駄に長くなく、テンポもよい。弊管理人が喋るというのでニヤニヤしながら会場に現れた上司も舌を巻くくらいでした。聞けば既に一定のセレクションを経た学生さんたちで、弊社内でバイトしている人も何人か入っているそうで、情報量の多寡って大事なんだね大変だねと思いました。

一方、後から聞いたところでは昨今、人材獲得する側も(のほうが?)競争は熾烈で、同業各社では優秀な学生に「あそこの社では深みのある仕事はできない」とか吹き込んで断念させるなどの工作も行われているとのこと。そういう中で、会社からすれば絶対欲しい人たちに希望を失わせるような話を聞かせて申し訳ない。

ただ学生さんたちには、この仕事に就いた自身が凡庸なサラリーマンであったという最もありそうな場合、どういう時間を過ごしうるかということをできるだけ一覧性をもって伝えたつもりです。今は人事にいる元上司からは「すごく誠実に喋ってたけど、文章にまとめる素材としては高難度ですごく意地悪だった」との評をいただきました。褒められた?褒められてないよね?悪いけどもっとスターみたいな職員を呼ぶべきだったのではないでしょうか。ていうかもう弊管理人は呼ばないで。

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9月後半から暦の上での3連休が3回ありましたが、いずれも仕事が入って3連休になりませんでした。
うち2回は、最終日の夕方からカーシェアをとって、失われた連休を取り戻すため友達3人で埼玉の温泉に行ってきました。
「雅楽の湯」は風呂とたべほ(結構おいしい)が両方楽しめてよい。
「百観音温泉」はお湯がよくてぬるいので、1時間以上湯船でおしゃべりしました。
尻たぶがすべっすべになったので、帰ってからずっと触ってました。

ほんとは10月初めの3連休は札幌に行くはずだったのに、3日前に全日空から「台風が近づいていてスケジュール変更の可能性があるよ」というお知らせが届いたため、びびってやめてしまいました。結果、全然行けた。非常に残念。
んで行った場合のホテル代くらい飲んでしまいました。それはそれですごく実り多かったのでいいけど。

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10月に入っても、主に湿気取りのためではありますがエアコン使ってます。
寝るのもまだ毛布1枚。

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職場で若者筆頭だったときには、目にする同僚の仕事は大抵既に多くの人の手が入って整形されたものだったのですが、整形仕事を担うおじさん末席になってみると、まだだいぶドロドロしてる原液みたいな仕事をいっぱい見て、個人間の力量の差というのが相当あることに気付かされます。小規模な手直しで形になるもの、直しをどう指示していいか分からないくらい形をなしていないもの。

そして現場を見渡すおじさんの世界では「あの世代は不作」「あの人はごちゃごちゃ言ってばかり」など、それぞれの人についてかなりあけすけな比較と評価をしていることが分かりました。現業各部署ばかりか総務までまたいだ情報の流れが見え、一応役名がついたためか(弊管理人はまだ管理職ではないが)管理職の側もその世界をチラ見させてくるようになり、組織の姿が少しイメージされ始め、これはこれで面白いかもと思っています。ま、物珍しい最初だけでしょうが。

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3代前の上司が9月に57歳で亡くなりました。
お別れ会があるようですが、死者と向き合うのは個人でやりたいのと、集まった人たちほど濃ゆい思い出も提供できなさそうなので、行かないつもりです。

2018年09月09日

9月上旬のあれこれ

・なんとなく疲れつつ1週間
・生ゴミのマネジメント(といっても袋の口を縛るというだけ)をしっかり行ったおかげで、今年の夏は「小バエの発生で心が折れて自炊を中断する」ということが起きなかった。とてもえらい

・若者が上げてくる作品に不満があると、いったん解体し、本来は若者がやるべき不足材料の調達も自分でやった上で一から組み上げて商品にするというような仕事をしていたら、大先輩から「それはやっちゃダメ。いつまでたっても若者が上手くならない」と言われて反省

・それにしても
(1)「自分の仕事の範囲を勝手に決めてる若者」
(2)「納得したのか分からない返事をする若者」
(3)「上げてくるものの構成はめちゃくちゃだが必要な材料は一通り持ってる若者」
(4)「いろいろ不満はあろうがとりあえずトライはする若者」
などいろいろいることが分かって、年を食うということは見渡す立場になるということだなと思う昨今です。
(2)はこちらが「ほんとにいいの?」と念押しすれば本音を言ってくれるので問題なし。
(3)は一見「どひゃー」と思うが、構造を抽出する腕力がもう一歩なだけで手間は惜しんでいないため、少しの手助けできちんと商品になる。
(4)は(3)の逆で、時々必要な材料がすっぽり抜けていることがあるものの、「買ってきて」と言えばそれで完成品ができるので手がかからない。
(1)が弊管理人と合わないタイプです。もっと押しの強い上司と組めば、無理矢理走らせることができるのでしょう。
弊管理人の若者時代は、仕事の出来不出来を自分で判断することはできないのでしませんが、「嫌なことはあからさまに嫌がる」タイプだったので、さぞかし扱いづらかったでしょう。すいません

以上、今週所感。

【月曜】
・旅行明けの1日は7時から始まる早出シフトでしたが、目が覚めて時計を見たら7時でした。会社に「7時半には出勤します!!!!!」と電話してタクシー出勤したら本当に7時半に着きました

【木曜】
・起きたら北海道がえらいことになっており、わたわた仕事。午前2時前に終業

【金曜】
・ニュージーランド留学時代に同じ寮で仲の良かった友人が香港から観光来日。19年ぶりに会った感想は「やっぱちょい太るよね」ですが、それはお互い様なので「変わらないね~」と言い合って旧交を温めつつ台場へ
・チームラボなんたらの展示を見ました。メディアアート界のスーパー玉出だなと思いました
・1日おつきあいするつもりが、前日から仕事の状況がわさわさしていたため夕方にバイバイして出勤。ところが職場はそんなにわさわさしていませんでした。アー

【土曜】
・辛いもの好きの友人と激辛料理のフェスに行きました。いっぱい食べなくてもお腹が閉店します。そのあとジョナサンで口直しのぶどうパフェ。1口目で「パナップ……?」となるものの、おいしくフィニッシュ
・夜は2時過ぎまでお酒を飲んでしまいました。でも酒量は大したことなく、楽しくおしゃべりして飲みました

【日曜】
・前夜、酒を飲んだ上で限界まで起きていたせいか、普段ならありえない7時間連続睡眠を完遂して体調が全回復
・香港友人と夕飯食べて、接待を完遂した気分になりました。めでたし

2018年08月20日

三鷹とmitaka

よく行く飲み屋で知り合った若者が三鷹在住で、「インスタレーションとかやってます」などというので「三鷹といえば天命反転住宅ではないか」と水を向けたが行ったことがないと。
ちょうど見学会に空きがあったので友人と3人で行ってきました。
荒川修作+マドリン・ギンズの正式名称「三鷹天命反転住宅 イン メモリー オブ ヘレン・ケラー」。見学会の最後にもらえるパンフレットによると

この住宅は、ヘレン・ケラーが身体を使い、自然と環境・人間の関係を知ったように、あなたの身体のもつ大いなる希望を見つけ、生命の無限の力を体験できる、まったく新しい住宅であり、命の器なのです。

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ウェブサイトから申し込んだときに、代金2700円を「お釣りのないように」払うようにとの注意書きがきて、カードも使えず丁度払いを要求するとはと憤り、嫌がらせのため全部100円玉で持っていったのですが、受付で聞いたところでは一応のお願い程度だったとのこと。係の人が硬貨を取り落としたりしながら数えているうちに後ろには列ができてしまいました。ゴメンネ(てへ)

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・2005年築。現在、一般にアクセスできる荒川+ギンズの建築は岐阜の養老天命反転地(2012年に行った)と岡山の奈義町現代美術館内の作品ですが、ここの特徴は「住む」ことができる点
・9世帯あって、5部屋が住まい用。ショートステイ用の部屋もあり
・床は凹凸のあるざらざらしたコンクリート造り。「最も安全なのは裸足です」とのこと。人は自然と凸部が土踏まずに当たるように歩くようになる。床が人間に使い方を教えている
・床と天井には傾斜がついていて、どこに立つかによって空間の感じ方が変わる。高いところに立って話していると、なんとなく「上から目線」な感じがする。中央の台所は一段低くなっておりアンフィシアターのよう。説明の方はそこに立って話すのが好きだと言っていた
・収納らしい収納は畳の間の下にある抽斗だけ。あとは天井に取り付けられたリングにS字フックをつり下げるなどして荷物をかける。こうしているうちに「空間の使用感」が発生する
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・色について。14色使っており、色の専門家の見学も多いが、補色を隣り合わせに使うなど、彼らのセオリーのようには配色されていないのだという
・荒川に色使いのコンセプトを尋ねたところ「どこから見ても6色以上見えるように」という明快な答えが返ってきた。多色がいっぺんに目に入ると、人は色数を数えずに「カラフル」ととらえるようになる
・その意味は2つで、色ひとつひとつに(「ビタミンカラー」など)意味を持たせないこと。また、自然がまさに多色でできているカラフルなもので、それに近いということ
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でもそういう身体性みたいな話って、いま現在から考えるとちょっと時代を感じるというか、2005年時点でもそれ最先端だったのでしょうか……などと考えてしまいました。素人としては部屋のいろんな仕掛けはとても面白いですし、説明の方もお上手だったので十分ですけどね。

説明の方が「建物の前にuglyなアパートができて、外から全景が見られなくなった」とお嘆きでした。確かにつまんない建物と電柱に遮られてます。

見学者の中には、養老に行ったことのある人がちらほら。奈義町の経験者もいて、今度はそこに行かなきゃなと思いました。あと、荒川に触れたきっかけは『意味のメカニズム』だというマニアがいて、それ読んでみようとアマゾンを検索しましたが、中古15000円で断念。

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上記が昼ちょっと過ぎくらいまでの見学会で、近くのマックで飯を食ってから、今度は国立天文台に足を伸ばしました。徒歩10分くらい。
14時くらいまで太陽観測やってる日だと思って行ったら、7~8月は正午までなんだって。うへえ
ということで若干残念な気分で構内を彷徨っていると、ちょうど4D2Uシアターの空きが3人分あったので、どんなもんかなと思いながら入ることにしました。

3D眼鏡をかけて、観測的事実と科学的推定に基づいて再現された宇宙の中をぐるんぐるん動き回る「旅するプラネタリウム」みたいな感じです。無料なのにすごいクオリティ。説明のおじさんは継続雇用の方でしょうか、ちゃんと最新の情報まで話していて勉強になりました。同行者は「ちょっと速くて難しかった」ということで、すこーしアドバンスかな。

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ちなみに出掛けた土曜の気温は確か29度で、最高に過ごしやすい夏の日でした。これ37度とかだったら見学は辛かったろうし、天文台まで歩こうという気にもならなかったかもしれない。
いろいろと偶然に助けられて満足度の高い週末の1日になりました。

2018年08月11日

金魚、鰻、そしてピアノ

平塚市美術館でやっている深堀隆介展を見に行ってきました。
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ラウンドアバウト、あるいは連休の新座料金所感。
樹脂の上にアクリルで絵を描き、その上にまた樹脂を重ねて立体感を出した作品が多いです。
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きれいなんですけど、3Dプリンタで作った金魚が埋まってるような勝手なイメージを持っていったもので、実際は樹脂上の平面にリアルな金魚を書いているのを見て「意外と平面的……」と思ってしまいました。これ、最もきれいに見えるのは写真に撮ったときではないだろうか。
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あと、作品は桶とか枡とか抽斗とか、いろんなところに水たまりを作って金魚を泳がせるというものから、普通のドローイングなどいろいろ。とてもデザインぽかった。
非常に狭い枠の中で、桶なら円形の動きをし、金魚すくいのように四角い場所なら角に寄るなど、枠に合わせた生き方をしているように描かれている。それが愛玩のしやすさでもあり、窮屈でもあり。

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平塚まで来たので「川万」で鰻重を食べました。
ほんと、食うとうまいけど、ちょっと食えばいいな、鰻って。
絶滅危惧種、おいちかったです。

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午前2時までの夜勤明け、9時に起きて昼過ぎには平塚の用事が終了したので、その足でルーテル市ヶ谷へアマチュアのピアノ愛好家たちによる演奏会を見に行きました。
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20年ほど前に入っていた大学のピアノサークルの人たちが何人か、今も演奏会に参加しています。技量がだいぶ衰えている人が少しと、相変わらずあまり知られていない作曲家を発掘してくるマニアックな人が少し。弊管理人を覚えている人はいないと踏んで、さっと入ってさっと出てきました。

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最近おいしかったもの、新宿御苑前「will」のハンバーグ。
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値段が手頃だと思う。プリフィクスのコースにするといろいろ考えなくていい。

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お呼びがかかって、若者と東中野の「大盛亭」という、まあそのまんまな食堂でがっつりご飯食べてきました。これもおいしかった。
予定外に充実した盆休み1日目でした。

2018年07月16日

そして、縄文

↑前川清っぽくなった。

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「遺伝人類学」の続きで、東京国立博物館で始まった「縄文―1万年の美の鼓動」を見に行ってきました。(特別展は↓これともう1点のみ撮影可だった)
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縄文時代って歴史の授業であまり興味を持ったことがありません。新学期にしゃらっと通り過ぎてしまうだけ。だいぶ後になって、岡本太郎が縄文式土器にぞっこんだったと聞いて「へえ」くらいは思った程度。

・この特別展では、縄文時代(草創期)の始まりをBC11000、終わりをBC400としていました。
・その前は旧石器時代。土器が出てきて新石器時代=(土器の特徴から名付けられた)縄文時代。稲作や金属器が出てきて弥生時代に移行するということですね。
・縄文時代の気候は温暖で、海面が上昇し、四季ができて、だいたい今の日本の風景になった。
・もう一つの特徴が定住。縄文時代は高台で日当たりがいいという、今と似たような土地が好まれたそうですが、弥生時代になると農業をやるため低い土地に移ってきた。適地を巡る争いも起きたとのことです。音声ガイドの説明では、縄文をのほほんとした時代かのように語っていたように思います。

・縄文式土器は、さまざまな方向に縄を押しつけて作った「文様」の前期→うどんを貼り付けたような「立体的な造形」の中期→文様のあるところとないところを分けて意匠をはっきりさせたような「構図」の後期と変遷している。
・前期の展示で、漆がこの時期から既に使われていたことを発見しました。
・中期の有名な土器が「火焰式土器」という、炎のような把手がついた大型化した土器で、岡本太郎が「すげえ」と言ったのもこの時代のものだったらしい。渦巻き模様も激しさを感じさせる。確かに順に見ていくと、中期は前期とも後期とも違う、何か一度とても異常なほとばしり方をした時期だなと思いました。
・中期は、自然環境が安定して遺跡も大規模になった時期だったようです。そうね、芸術というか「遊び」が生まれちゃうのってそういう余裕のある時なのでしょう。
・後期は前期を洗練させた「工芸品」ぽくなっていった印象です。
・ちなみに土器の用途は煮炊き、貯蔵など。つまり「お料理」が発展した時期だったといってよいのでは。あとは死んだ子を入れたりとかもしたよう。

・作り手は女性たちだったと聞こえた気がします(うっかり聞き流した)。メソポタミアの同時期(2000-3000年前)で土器が専門家の工房で作られていたのと対照的です。
・そう、展示は同じ時期の世界の土器にもスコープを広げていました。エジプトでは所有者を示すマークが彫り込まれているのが面白いと思った。レヴァントでは文様を「描いて」いたのですね。縄文のように凹凸をつけるのではなくて。

・土偶も縄文時代でした、そういえば。
・「合掌土偶」というのがありました。体育座りして胸の前で手を合わせているような姿勢です。祈りかもしれないが、お産のシーンではないかとの説も。「座産」という言葉があるのを初めて知りました。前近代の一般的なお産の姿勢だという。
・前期の土偶はとてもちっちゃい。中期になると大きくなってポーズをとりだす。晩期は有名な遮光器土偶。遮光器土偶は不思議なフォルムですが、目をデフォルメしたものではないかとの説明でした。それにしても変なの。宇宙人ぽい。
・土偶はだいたい女性で、じゃあ男性は何かというと「石棒」だったそう。石棒はもうほぼ見たまんまチンコです。巨根の。
・弥生時代になると土偶は下火になって、顔のついた骨壺などになっていったとのこと。
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・このほか、土面(顔に装着できるようにはなっていないが、何かを「演じる」ときに使ったのではないか)、カエルやイノシシ、キノコや巻き貝をかたどった土製品、弓矢や熊?の土製品も展示されていました。
・獲物が小さく、狩りの道具が大きく作られているのは、両者の力関係を大きさで表していたからではないかと。

・この特別展、すっごい満足しました。

* * *

国立博物館に来ようと思ったのは、法隆寺宝物館の建築も見たかったためでもあります。
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それこそ10年単位で久しぶりだったような気がするけど、前に来たときのことをほとんど覚えてない。知識と目的意識がなかったからでしょうか。いや1999年竣工だというから、ひょっとしたら見てもいないかもしれない。
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ほかに本館と東洋館。とにかくちゃんと見ると1日かかります。
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仏教関係の彫刻はところによってその土地の人の顔になりますね。
こちらはギリシア文明の影響を受けたガンダーラ。
they say it was in India? いえパキスタンだそうです。
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そんで中国になるとこう。
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なんでこんなものが日本にあるのだろう、というひょっとして怖い疑問。

お腹がすいたので日暮里駅前まで出て「馬賊」(これもアジアっぽい)で担々麺食べて帰りました。
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この三連休、死人が出るほど暑かったので、大半は家でぐだぐだしていました。

2018年07月14日

ジュニアおじさん手習い

会社では研修が終わり、「若者の筆頭」から変わって「ジュニアおじさんの末席」としての仕事が始まりました。といっても「シニアおじさん」の世界の綾で発令は8月ということになり、肩書きはもう半月ほど若者なんですけど。半月分のお手当、損してるんですけど。

とまれ、若者が上げてきた仕事を検査・成形して商品にする仕事です。
少しメタなところに立つので、自分が受け持った仕事の作者以外の若者、本社他部署や地方、海外拠点もチラ見しながら仕事を進め、お客からきた問い合わせにも答えます。

早速、今週受け持った若者の仕事について、お客から「京都から出ている別の若者の仕事と、どちらが重要性において上か」という問い合わせを受けました。

・弊管理人が受け持った若者の仕事は、巨大プロジェクトだしやってることのレベルも高く新規性もあるが、生活に密着した即物的なテーマではない
・京都の仕事は、今まで少しずつ改良されてきた既知のものがワンステップ進んだだけだが、まあまあ大きなワンステップだしテーマ的には社会性がある

ので、まあ全然違う分野でもあり甲乙付けがたいが、強いて商業的にどっちが上かと問われれば京都じゃないですか、と答えました。
それを聞いて、弊管理人が受け持った若者がちょっと残念そうな顔をしました。
それを見て、弊管理人は「まずかったかな」と思いました。咄嗟に身内を贔屓できない。

別件ですが、すでに「若者が作って提出してきた密度の低いものを全解体し、自分で分量半分・密度2倍に組み直して送り出す」「若者が作って提出してきたものを180度ひっくり返して送り出す」といったことをやらかしています。いずれも作者了解の上ですが、面倒な仕事だなと思っています。
あと、1日が過ぎるのが速くなったわりに自分が何かした感じがあんまりしない。
中年なお老いやすく……

2018年06月09日

ひつじをめぐる研修

東京は今週梅雨入り、したもののドカンと暑い土曜の朝。
友人から「腹減った!」と連絡がきたので高円寺のカレーを提案したらあっさり却下され、新宿駅で待ち合わせて「うどん 慎」に向かったものの行列でどん引き、で、きました、「ビストロひつじや」。
ランチのシシカバブ2+スペアリブ2、サラダ、スープ、パン、ごはんついて670円。
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そこにチコリのコーヒーと温バナナ・ココナッツアイスのせで140円。
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安すぎませんか。満腹。そしてこれ夜にまた来るべきだと思う。

* * *

7月くらいから現場を離れてジュニアおじさん職位になるため、3週間の研修が始まりました。

本社のジュニア&シニアおじさんセクション数カ所をラウンドしつつ見習いをしているのですが、現職場の管理職とか昔から知ってる他部署のおじさんとかが入れ替わり立ち替わり弊管理人を見にきて、ニヤニヤしながら「君ももうこっちか~人生短いな~」などといじって去っていきます。

受け入れ側の偉いおじさんから「なんかお父さんがいっぱいいるな、好かれてるねえ~」と言われました。ありがたいことです??

「にしても君、もうジュニアおじさん職位になるの?え、41!じゃあ不思議はないか。見た目、若くね?」
と言われました。まだ実年齢に見た目が追いついていなかったか……

* * *

研修の一環で若者の仕事を見る、というのがあって、少し前に関係したことのある若者とやりとりをしていたら「あれ[弊管理人]さん、現場離れるんですか。うわー時代が変わりますね」みたいなお声をいただきました。

うむ、不精で失敗の多い弊管理人が外れて新しい人たちがその後を埋めてくれれば、ようやくこの分野も上向くのではないか。

「向かんわ」と思っていた現職位から離れることには正直、ほぼ寂しさがありません。今後も時間を作れば細々と真似事はできるようなので、またやる気がたまってきたら手を出せばいいかと思ってます。

* * *

で、弊管理人の知らないうちに、職位変更に合わせて大阪異動の話が出て消えたことを事後に聞かされました。うーんまあ大阪でもよかったかも。東京に長くいすぎた感じはする。

転校、進学、就職、転勤で3年ごとに環境が変わる人生だったせいか、3年を超えて同じことをしてるとなんかどよーんとしちゃうんですよね。逆にずっと東京にいたい/これ一筋、という人にあまり共感できない。結婚しても多分3年で「一生これじゃ嫌だな」と思い始めるはずなのでしない。

2018年05月25日

昔のいけないあれ

むかし同じ職場にいて、いまは他部署にいる女性の後輩が弊管理人の席に来ておしゃべりをしているうちに、セクハラについて仕事で扱っているという話が出たので、ついでで申し訳ないが15年以上前のいけない発言について謝りました。
服装に関する冗談だったのですが、それを言ったあと彼女は着替えてきた。当時「しまった」と思ったものの、「ごめんね」を切り出す機会がなくてずっと腹の底に澱みたいにたまってたのでした。
本人は全く覚えておらず、当時あげつらった服について解説したら「そんなの着てたのが恥ずかしい。全然いいからむしろ思い出さないで」と念押しして去って行きました。

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■共同通信社原発事故取材班、高橋秀樹(編著)『全電源喪失の記憶』新潮社, 2018年.

いただきもの。いや、すばらしい。

2018年05月21日

読めてない

■新井紀子『AI vs. 教科書が読めない子どもたち』東洋経済新報社, 2018年.

会社の図書室の新着棚からかっさらってきたもの。
前半は今のAIでできることとできないことの整理をしていて、それはそれで参考になる。
バズワードで火照った頭を冷やすパート。

で、後半は、AIでできない仕事を担うための基盤となる読解力が本当に人間にあるのか?というお話。筋はほぼここに書いてあります。
それを試すテストの例題がいくつか紹介されているのですけど、弊管理人もしっかり間違えてショックを受けました。
上記記事では、「文章を読んでいるようで、実はちゃんと読んでいない。キーワードをポンポンポンと拾っている」という読み方を「AI読み」と呼んでいますが、思い当たる。大量の文章を急いでざーっと読んで大体何が書いてあるかを把握する、という仕事でよくやる読み方が習い性になっていて、それ以外の場面でも理解しながら読んでないのかもしれん。
むしろ、そうはいってもアウトプットをするときにはしっかり読み直すことが必要な仕事より、ざっと流しても怒られない個人的な読書のほうでこそ、AI読みをやっている恐れもある。

また、結構頭が痛くなったのは次の問題。

 「エベレストは世界で最も高い山である」

が正しいとき、次の文は正しいか

 「エルブルス山はエベレストより低い」

(1)正しい(2)間違っている(3)これだけからは判断できない

正解は(1)なんだそうですが、エルブルス山(5642m、ロシア連邦最高峰なんだって)を知らなかった弊管理人は(3)を選んでしまいました。

ぱっと問題文を見たとき、頭には「エルブルス山が架空の山である可能性(ある意味、世界の中にないので比較ができない)」、「エルブルス山が実在するとしても、エベレストと同じ高さである可能性(エベレストは最も高いが、エルブルス山が1位タイだとエベレスト「より低い」とはいえない)」が浮かび、少なくとも両方の山の高さが示されないと判断ができないと考えてしまったのです。思考の領域をうまく限定できないAI脳(?)なのか。いやまあ作問が甘いのかもしれないけど。

寝床で寝る前に読んでいたのに、目がさえて寝られなくなりました。

* * *

前回の日記以降に誕生日を迎えました。
当日のディナーはひとり松屋だったりしてほぼ忘れつつ過ごしました。

・なんかすごく酒に弱くなった(飲んで疲れやすくなった)
・早寝すると体調がよい
・覿面に頭が回らなくなってる気がする
・仕事が遅くなった

一部(特に頭)は疲れのせいな気がします。
このところ酒を控えるようにしています。

* * *

20日の日曜はからっと晴れて涼しく、今年1番爽やかな日になるはずだと思いました。

2018年05月09日

連休後半

連休明けの予定がわりと詰まっているので、5月1,2日はそれ関連の仕事を頑張って終わらせて休みに入ろう、と思ったら終わりませんでした。
3日に「終わったかなー」と思ってチェックしたら同僚の仕事とだだかぶりしていたことが判明し、飲んでふて寝。
4日にひとり機嫌悪く、しかし別方向から攻めて一応の形にしたところでお仕事終わりということにしました。
仕事してると食べたり風呂に入ったりがおろそかになっていけないですね。生活のリズムは崩れてないのにQoL(生活/人生の質)が落ちました。やりたい気持ちのあまりない仕事だけに、それで休みが2日食われたことも残念。

5日はおともだち2人と、半年前に申し込んでいた羽田のJAL整備工場見学に。
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空港で働いてたことあるしなあ、とあまり期待しないで行ったのですけど、意外と気分が上がりました。おっきいものを鑑賞するのはいいですね。
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17時には蒲田に出て「歓迎」で餃子食べまくり。
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餃子にはニンニクが入ってないのに、炒め物はニンニクづくし。
満腹まで飲んで食って3500円。やっと休んだ気になりました。

6日は出張で島根県・出雲。
空港から出雲大社へのバスに乗ったら、運転手さんが「築地松(ついじまつ)」を紹介してくれました。
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出雲平野は西風が強いので、西側に防風林を作っているということらしい。

出雲大社をちょっと見ました。山がすぐ後ろまで迫ってるんですね。
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賽銭箱やたらあるな、というのが感想。
おみくじ引いたら悪いことばっか書いてあったので、腹が立ってもう一度引いたらいいことばっか書いてありました。一貫性ないな。いや1万回引いたら「真の運」に近づいていくのかもしれないが。

隣の島根県立古代出雲歴史博物館は、ちらっと見て……くらいのつもりが、物量が多くてかなり堪能しました。昔の大社はこうだったっぽい、というやつ。こないだ森美術館でやってる「建築の日本展」で見ました見ました。
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笑ってない恵比寿さんがなんかおもろかった。
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銅鐸、みたみた教科書でこんなの。
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福岡市の博物館見たときも思ったけど、西日本て歴史的な資産が豊かですね。

雨降りだったのでさっさと出雲市駅前に投宿してメシ。
「割子そば」が名物らしいので、駅前の「一福」で奥出雲そば。
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薬味とつゆをかけて食べるそう。舞茸の天ぷらもおいしかったです。
実はもちっと有名なお店とか探して歩いたんですが、連休最終日の日曜なせいか生体反応がありませんでした。

その他名物であるかに飯、あご野焼き、漬け物(名前失念)、のどぐろ、しじみ汁はドーミーインの朝食で食えてしまった。
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ので、空港ではエビピラフ食って帰りました。

あんまり巡ってないけどいいところだと思った。弊管理人の田舎とちょっと風景が似てるかもしんない。田舎に海はないけど。
仕事はもう本当に皆さんに助けられて大変に充実して勉強になって疲れました。一方で答えのない重要な反省点もあり、どっぷりと一人反省会をしているうちに帰りの便が離陸し、気圧が下がったので意識がシャットダウンしました。

2018年04月29日

建築とカレー

若者につきあってもらい、森美術館で始まった「建築の日本展」行ってきました。
連休のわりには混んでなかったです。
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行きたいところがいっぱい増えました。特に会津さざえ堂/江之浦測候所/牧野富太郎記念館/旧閑谷学校/弥山展望台あたり。
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日が暮れてお腹が空いたので、西新宿のコチンニヴァースにお邪魔します。
われわれが入った後のお客さんは満席で断られていました。運が良かった~
ランチ以来、何年かぶり。今回はいろいろ頼んでみました。
おつまみとして頼んだタマネギのかき揚げからしてスパイス効いてていろんな味がする。
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チキンのビリヤニもうまあああ
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ほうれん草のチャーハン、ラムとなすのカレー、フィッシュカレー(ココナッツ入ってる)、全部悶絶。
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おなかいっぱいで帰りました。

* * *

連休開始の28,29日はよく晴れて暖かい2日間でした。
フィンランドから帰ってきたら花粉が収まっていたので久しぶりに布団を干しました。
洗濯物も乾く乾く。
気温も初夏っぽかった(ただし夜間は涼しい)ので、半パンを履きました。

2018年04月19日

魚真など

昨年秋に1ヶ月ほど一緒に仕事をした3人で飲みました。銀座の「魚真」。
そこそこリーズナブルで魚介類がおいしかったです。
出色、あら煮100円。
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かに!
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えびって頭とったり皮剥いたりしないで食べるものなんだって。まじ?
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* * *

会社に入って17年ちょい、夏ごろには仕事の一線から退くことになりそうです。
正直、ずっと「向かない」と思っていたし、3年同じことをやってるとダレるような性格なので、寂しさとか全くないのですけど。
私生活を充実させる方法でも考えよっと。
ただ当面は、余計な出張を入れたり、他人が考えた余計な仕事が降ってきたりしているため、忙しいです。

2018年03月28日

日比谷公園の桜

極寒の冬が夢だったかのようにぶっつり終わり、取り急ぎな風情で桜が咲きました。
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経済産業省のはす向かい、日比谷公園の入り口のところがもっさり咲いてきれいなんですよね。シートを敷いてお花見をするような場所ではなく、信号待ちのときに見とれるくらいの。
用務でこのあたりに来たら、スーツの人たちがまんまと桜に写真を撮らされていました。

2018年01月31日

皆既月食

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みえました。2007年8月にもそんな日記書いてますやね。

このところ忙しい~
会社にいるとろくでもない案件が次々降ってきて、やろうと思ってた仕事ができないっす。

2018年01月15日

15年

母が亡くなって15年です(ということをあと1時間を残して思い出した)。

夢に見ることもめっきり減り、絶筆となった手紙を見せられても「あー……」くらいで受け止められるようになりました。10年くらいが区切りだったかなあと思って2013年の日記を手繰ると、確かにそんな感じ

2015年の13回忌もまあ、思い出を一つ書いて終わってる。

生きていればもうすぐ74歳というのも想像しがたいですね。
実家では、死後の世界なんてちゃんちゃら信じてないようなことを言う(そして多分、頭では本当に信じていない)父が、いまだに仏壇にご飯を供えています。

2018年01月09日

迎賓館など

この3連休はあまり予定を入れていなかったのに、いろんな人と遊びました。

・金曜、疲れて帰って20:30にちょっとのつもりで横になったら寝入ってしまい、22:15にいったん目を覚まして歯を磨き、0:54に震度4で起こされてもいっかい眠り、5:00起き。

・土曜、友人と新宿駅で待ち合わせて、最近の年中行事となった高尾山でお昼に厄払い。そば食って帰ろうかなと思ったら「夜、焼肉食べませんか」とのお誘いをいただいたので、帰ってちょっと運動してから、歌舞伎町の「清江苑」で食べ放題。90分の制限時間よりだいぶ前から急かされます、随分。でも去年から焼肉食べたいと思っていたので大変満足。そして意外と深夜までお酒を飲んでしまいました。

・日曜、二日酔い気味でした。が、昼過ぎに起きたご近所の友人とお茶しながら3時間喋りました。そのあとまた別の友人からLINEがきて、近所のタイ料理屋で夕飯。21時から予約していた音楽練習室で久しぶりにピアノを触って、そのあとまたちょっと飲酒……

・月曜、昼前に通販で買った小さな家電が届いたので、置き場を求めて部屋の整理を始めたら、完遂しないまま出掛ける時間になりました。友人と4人で四谷の迎賓館赤坂離宮の見学。そのあと16時から居酒屋で飲み、さらに2軒はしごして終了。だいぶ疲れて帰りましたが、部屋の整理はやり終えました。えらい。

2018年01月03日

年末年始17-18

結局今回も年末は伊豆に。

29日、大月で父親と合流して吉田のうどん。なんで「の」が入ってるのだろう。「吉田うどん」は商標だったりするんだろうか。
「くれちうどん」で肉つけ。
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コシと薬味「すりだね」が特徴だそうです。切り方が荒々しい。
父曰く「俺が作るとなるやつ」

そんでいつもと同じように箱根から伊豆スカイラインを通って行きました。
滝知山展望台では初めて止まったけど、熱海の街も富士山もよく見えていいですね。
今回はあんまり頑張らない。16時前には宿に入ってだらだらする。

翌30日は久しぶりに大室山に登りました。
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あと稲取でミカン狩り。
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1人600円は手頃だけど、ミカンを600円分食うのは容易ではないな……
ポンカンが甘くておいしかったです。今季のミカンは不作だそうで。

河津から天城街道に入って、「かどや」でわさび丼を食べました。
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わさび1本と鮫肌を渡されて一生懸命すった後、それを鰹節ごはんに載せて醤油をかけ、少しずつ崩しながら食べます。言うほど辛くないし風味もいい。父「ベースがねこまんまなんだからうまくないわけがないだろう」そういうこと言わないでー
ループ橋、天城トンネルなど通って帰ってきました。

31日は伊東で干物を買って、長野に帰ります。B級グルメとして名高い富士宮やきそばを途中で食べましたが、父の心には響かなかったようです。

父、妹は実家へ。弊管理人はいつものように年越しは本家で。
北海道が好きな伯母にJR北海道のカレンダーを届けるのもいつものミッションです。札幌在任中に職場に届いたカレンダーを持って行ったのが始まりなのですけど、東京に転勤してからは東京駅や神保町の書店で買ったものを持参しています。もう10年になります。

伯母の料理は2017年もすごかった。
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いとこのところの3人兄弟は最後の子が推薦で某国立大に受かったそうです。
いま推薦なんてあるのな。それにしてもこれで3人とも国立。親孝行ではないか。
物理をとってないのに気象学をやりたいというのはどうかと思うけど。

祖母(97)は2本杖をやめて歩行器を使ってトイレに行ったりしていました。ときどき失敗することもあるそうですが、排泄の世話がないというのは老老介護では重要なのではないか。
亡母が生前に書いた手紙が出てきたといって見せられました。なんかこれ見たことあるかもと思いつつ写メ→PDFで保存。もうすぐ15年。早いなー

1日は初日の出を見ず8時起床。
朝に雑煮、昼にかきあげそばをいただいて、電車で実家に戻り、父方の祖母に会いに行きました。
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こちらの祖母は頭がはっきりしていて、腰が曲がりつつも一人で動き回っているようです。月曜はデイサービスに行き、タクシーとって帰ってきたり。しかしもう畑は作ってないとのこと。それにしてもタクシーとかバスとかの運送業界はこれからも仕事に困らなそうです。

家の裏の柿の木(写真)が150年くらいのもので、半分は腐って倒れてしまったが、相変わらず残った部分で実をつけている。亡祖父が子供の頃に近所の子と登り比べをしていたという話を聞きながら、「そういえばここっていつから住んでるの」と聞いてみました。
祖父が18代目で、いまの家自体が祖父が子供のころからあったので最低でも築100年とのことです。そうなん?

妹は相変わらず住まいも職も落ち着かず不平ばかり言っていますし、むすっとしていて自分から動かないのですが、以前に友人に意見を求めたところ「もともと鬱々とした人」という見立てで、確かにそうだなと思うところが多いので、あまり気にしないことにしました。家を買う選択肢とか転職活動のタイミングなどについてちょいちょい聞かれるのですが、「自分の現状を説明せずに質問だけするので答えようがない」と言ったところ「答えが欲しいわけではない」とのたまったのも確信を増す要素となりました。要は注意を惹きたいのでしょう。10月にいろいろ考えて提案したことも、一つも行動に移していなさそうです。弊管理人に部屋を買ってもらって住みたい的な空気を出しつつ年収や貯金額を聞いてきたので、「秘密~」といって躱しました。

父は無線LANのルーターを買い換えたり、いい布団を買ったり、iPadで遊んだりと身の回りを順調に改善しており、食事制限めいたこともないようですし、とりあえず心配なさそうです。

1日夜の高速バスで帰ってきました。
2日は伊東の道の駅で買った桜エビの炊き込みご飯の素でご飯を炊いてみました。思いの外うまかったんだけど、家中が香ばしい匂いに。
冬の東京は空がきれいだなー

2017年12月31日

2017年まとめ

今年まとめ。

1月 初夢で叫ぶ。カーシェアリングで温泉など何回か
2月 尿路結石で救急搬送。痛かった
3月 猿島だの岡本太郎だの小さなおでかけを繰り返していた様子
4月 京都・原谷苑での花見と大阪の民博が楽しかった
5月 ドイツ出張で前担当一区切り。QOLが向上
6月 帰省、佐原・香取、モスクといろいろ出かけた
7月 札幌、福岡といろいろ出かけた。1年前から読んでた本を読了
8月 王が頭ホテル、横須賀美術館、種子島といろいろ出かけた
9月 迷走の結果、夏休みは潜伏キリシタン巡り。次回は早めに計画しよう
10月 駆り出された仕事で終わった
11月 金沢に行ったほかはなんとなくペースを取り戻せず終わった気がする
12月 台北、清里でフィニッシュ。最後に体調崩したけど1日で回復

仕事は5月まで高ストレスだったので、後半は流してしまいました。来年はもちっと。
前厄でしたが、体調はそこまで悪くなかったですかね。尿路結石はたぶんストレス。
友人とのお出かけで楽しい週末が多かったです。
飲食店の探究欲は薄くなったかな。

来年は結構楽しかった今年よりもっと楽しく過ごしたいと思います。
あと何か1個2個、新しいことをしたい。

2017年12月26日

パソコン買い換え

2012年に買ったVAIOの調子にむらが出てきたので、PCを買い換えました。
10年ぶりくらいにデスクトップ。Lenovoのideacentre510S(90GB0046JP)ってやつです。第7世代Core-i5、8GBで52888円。それとLGのモニタ22MP48HQ-Pを11980円で、前のノートと同じくらいの値段になりました。

デスクトップにした理由は主に2つ。

(1)机上のスペースを広くするため。PCを置いてある勉強机で飯を食ったり会社ノートを置いて仕事をしたりしていると、ノート置きっ放しは狭い。フットプリントはモニタの台のほうがはるかに小さいし、デスクトップのキーボードは邪魔なときは寄せておけます

(2)大きいモニタが欲しかった。大きいといっても21.5インチですけど。ちっちゃい画面はだんだん目がつらくなってきたのと、複数の画面を並べて作業するのって楽だなと会社の23インチを見ながら思っていたため

で、やっとWindows7→10になりました。そんなに難しいことはしないので特に困りません。
あと、無線LANを使い続けようと思ってUSB接続の子機アダプタ(ELECOM, WDC-867SU3S)を1490円で買いましたが、速度は40Mbpsくらいだし、高頻度で切れる。5mのケーブル(MCOのカテゴリ6A、ビックカメラで510円)でつなぐと90Mbpsくらい出で、当然切断もありません。本体の動作も相当軽くなりました。USBポートを通信に使うのはかなりの負担になっていたのかな?

モニタは画面が時々若干暗くなるんだけど、これは付属のHDMIケーブルの問題か、馴染み(?)の問題か……と思っていたら、エネルギーセーブ機能のせいでした。気になるので解除。

音は引き続きFMトランスミッターで飛ばしてコンポから聞いてます。
まあこれは当面このままでいいか。

* * *

25日の昼飯後、急に体調が悪くなり、帰宅してから深夜まで3回吐き、熱も出ました。
27日から鹿児島に出張することになっていたところ、この体調だとマジヤバイと思っていましたが、その出張案件が1月以降に延期になりました。奇跡が起きた。
先方から「ホントすみません」とお電話をいただいたのですが、「いえ万全を期してのことですから」と答えた声が弾みすぎていたのは否めない。

疲れがたまっていたところに、質の悪い鶏肉を食べたせいではないかと疑っています。2008年の12月末にも、やはり食べ過ぎで急性胃腸炎になってる。腹も身のうち。

* * *

■岡田匡『糖尿病とウジ虫治療―マゴットセラピーとは何か』岩波書店、2013年。

2017年12月10日

高原の忘年会

恐らく今年最初で最後の忘年会に土日で行ってきました。
場所は、山梨の清里。
メンバーは、今年いろんなところに出かけた気の置けない人たち、計7人。
(あ、いや、1人は今までよく知らなかったこともあってちょっと敬遠気味だったのだけど、2日間一緒にいてみたらとてもいい人でした)
前日、東京は雨、当地は雪が降ったようですが、土日とも快晴で山がはっきり見え、最高でした。

清泉寮というところで、暖炉のついたコテージを借りて自炊。
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行き当たりばったりで道すがらスーパーに寄ったのですが、結局シチューとか焼き肉とかに落ち着きました。
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シチューと暖炉ってすごく合うね!
深夜まで飲酒しました。
お風呂も広くて、星空がきれいで、遠くに街の灯りも見えてきれいでした。

朝は富士山と日の出を見ました。日の出は6時半頃ですが、山の上に出るのは7時前。
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平沢峠の駐車場から見た八ヶ岳は壮観そのもの。
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国立天文台の野辺山電波観測所の見学もさせていただきました。
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45mの電波望遠鏡は圧巻です。
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正面からは大きすぎてフレームに収まりません。
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そのあとシャトレーゼの工場を見て、これまた景色のいいサントリー登美の丘ワイナリーを見て、
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昇仙峡、ほったらかし温泉を堪能して帰ってきました。
宿以外はほぼノープランで出かけたのですが、終わってみると遊び倒した2日間でした。
冬の八ヶ岳ってどうなのかなー、冬季閉鎖の道も多いしスキー場はまだだし、と思っていましたが、天気にさえ恵まれればどちらを向いても絶景です。

途中で仕事関係でなんかやな感じのメールが入ったのを見てしまいましたが、休日に仕事のことを考えたくないので、以後メールを見るのはやめました。

楽しかった。

2017年11月30日

下旬まとめ

駒込で昼過ぎの仕事があったついでに寄った「きなり」。
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盛り付けがアレであまりおいしそうに見えないのですが、実際は芯の強い白醤油がとてもおいしく、一緒に頼んだ生姜の香りが効いてる炊き込みご飯に寄り道してから戻ってくるとスープが際立って、さらに満足しました。

* * *

金沢に1泊で出張してきました。
長野以遠の北陸新幹線も、金沢も初めて。

21世紀美術館は特に面白くなかった。

「ノーサイド」っていうところで食べたハントンライス。
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オムライスと白身魚のフライが何のシナジーも起こしてない。
むしろ「針の上で天使が何人踊れるか」的な空想を喚起する。(しない。)

「GOEN」ってところのおでんとお寿司。
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まず寿司だけ出てきて飲み物が来ないし、おねーさんはレジ操作も接客の仕方も把握できてないし、お通し400円とかで会計の2割を占めてるしで、素材はいいけど人と仕組みが全然だめだった。

新幹線で食べながら帰った中田屋のきんつばは謙抑的な甘さで好きでした。

仕事はあまり気が進まない感じで行きましたが、行ったら行ったで勉強になりました。

* * *

■ダニエル・ソロブ(大島義則他訳)『プライバシーなんていらない!?―情報社会における自由と安全』勁草書房、2017年

■都甲潔、中本高道『においと味を可視化する―化学感覚を扱う科学技術の最前線』フレグランスジャーナル社、2017年

2017年10月31日

10月補遺

1999年に利用させていただいた大学の短期留学プログラムが発展的に解消する?とのことで、記念の同窓会的シンポがありました。同じプログラムを利用した人たちがわーわーいうやつ。
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普段、ふつーの会社員生活をしてると忘れてしまいますが、なんかハイスペックな人たちの経歴ってすげえね。大学教員、国際機関の職員、キャリア官僚、商社、EU勤務、うんたら、かんたら。実は当初、弊管理人にパネリストの依頼があり、いったん引き受けたのですが、仕事の都合でお断りしてしまっていたのでした。いや、壇上で一人、おちゃらけたこと言う事態にならなくてよかった。

ということでシンポは途中で失礼して仕事に向かいました。
そのあとの懇親会ではマグカップやアラムナイの名簿など記念品が配られたんだって。チクショ

* * *

そんで別の嵐の夜には、中学時代の同級生のうち在京メンバー+上京おひさしぶり氏でミニ同級会が開かれたのでした。最も長く会ってなかったおひさしぶり氏は中学卒業以来なので25年ぶり。それぞれ記憶を持ち寄り、穴を埋めました。

弊管理人に関しては「髪型以外は変わってない」とのご評価でした。それは結構結構。
その他、しばらく会ってない人たちに関して噂話・近況など聞きましたが、
・横領でクビ
・ぎらぎらして気持ち悪くなった
・1ミリも変わってない
・激太り
・アニメに生きている
・19歳できちゃった婚
・芸人3年
・フリースクール主宰
・評判のいい医師になったが嫁がクソ
などバラエティ豊かでした。
25年たつと人なんて別人になりますし、それでいいと思うのですけど、変わらない人は変わらない。なぜ変わらないのか。環境に恵まれ変わらなくてよかったからだろう、たぶん。

* * *

10月はお酒飲みすぎでした。
あと、深夜に2回、からあげクンを食べてしまいました。

懺悔おしまい。

2017年09月23日

3連休のあれこれ

ちょっと足を伸ばして厚木のZUND-BARに行ってきました。
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あら炊きの塩。スープだけ、スープ+麺、スープ+麺+葱、でそれぞれ風味が変わります。頬張らずにじわっと楽しむべき出汁の味。「チーズダッカルビ好きっす」みたいな人には物足りないかもしれないが、老境の弊管理人は好きでした。

そんで温泉入ってさっさと帰ってきました。

* * *

放送大学のFMラジオ放送が2018年9月で終わり、受講してない人が聴けるのはBS放送だけになってしまいます。今はラジオをタイマー録音して持ち歩き、外回りや通勤時に聴いているのですが、さてどうしたらいいのでしょうか。

暫く考えていましたが、これだけのことだった。
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やってみたらできました。
・集合住宅の場合、BSはアンテナ端子とテレビのBSアンテナ端子を結べば普通に見られること
・録画機能のない普通のテレビにも、設定した時間に音声(と映像)を送り出す機能があること
これに気付いてなかったんですね、今まで。

* * *

暑さがましになってきたので、自炊再開しました。
昼はハンバーグ。6月から使ってない古い米と油と醤油をさっさと処理しなければ。

* * *

■Williams, H., Death, C., Global Justice: The Basics, Routledge, 2017.

グローバルジャスティスってなんやねんという疑問がここ暫くあって、丁度良く入門書が出たので手を付けてみました。
出発点はロールズで、それを踏み台にしたベイツやポッゲを経由し、セン、フレイザー、ヤングとかからポストモダニズムやラディカル・エコロジー、緑の国家まで多士済々駆け抜ける、大学初年度の学生さん向けの「リーダーとともに」読む概説って感じ。つまり本書だけだと、主要人物たちの布置は分かるが言ってることの内容はあまり分かった気にならない(語彙もノンネイティブには若干難しい)。でも弊管理人はおじさんなので、名前の羅列を見るとなんとなく何がしたい分野なのかが想像できました。

前半は思想小史。後半はアクティビズムの展開を紹介していて、去年たまたま仕事で絡んだ気候変動に重点を置いてあったので、後半のほうがサクサク読めました。そして、出会った国際NGOの人たちとか外交官とかがなんでああいう発言や行動をしていたか、やっと分かってきた。これは予想外の収穫。

この分野は理論と実践が両方大事というか、切り離せないよねというのは著者の言うとおり。ということはあまり「誰が何を言った」に偏らず、これ以降は具体的な国際問題を扱った文章に目を向けていったほうが楽しそうではあるね。

* * *

■仲正昌樹『NHK 100分 de 名著 2017年9月』NHK出版,2017年.

NHK教育でやってる「100分de名著」の9月はアーレントの『全体主義の起原』。初めてテキストを買って読みました。みすず書房から出てる本は高い上に3巻構成なので二の足を踏んでいましたが、この紹介を読むと面白そうかもと思えます。

2017年09月08日

天草

【9/7】

熊本駅近くのレンタカー屋で車を借りて、8時過ぎに出発。目的地は天草の崎津地区です。

たっぷり2時間半かかりました。
教会は珍しい畳敷き。祭壇は、ちょうど旧庄屋宅で踏み絵をさせていた場所にあるそうです。
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崎津は「潜伏キリシタン」関連遺産の登録が目指されている場所の一つです。禁教下でも集落の人口の7割がキリシタンだったとされています。神社もお寺もあり、残り3割の非キリシタンと共存していたというのが不思議なところです。(もっとも、集落内、時には家族内でキリシタンと非キリシタンが混ざっているのは他でもある普通のことだそう)
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「みなと屋」という古い旅館を改装した資料館で、丸山さんという方にいろいろお話を聞きました。史料が豊富にあるわけではないので分からないが、村の一体性を重視した結果ではないかとのこと。また、地理的な遠さから、島原天草一揆に参加しなかったことも強い弾圧を免れた一因かもしれないとおっしゃっていました。
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一方、宣教師がいないところで250年もなぜ信仰が続いたのかは不思議です。旅行に持っていった大橋幸泰『潜伏キリシタン―江戸時代の禁教政策と民衆』(講談社, 2014年)では、信仰共同体としての「コンフラリア」と、村の共同体の一員としてのアイデンティティがうまくバランスしていたことに原因を求めています。つまり、キリシタンであることはその人の唯一のアイデンティティではなくて、村の社会の中に埋没し、時にはお寺や神社の行事に参加したり踏絵をしたりしていたのだという。
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明治になって崎津の「潜伏キリシタン」は「キリスト教」に改宗したのですが、隣の今富という地区ではキリスト教が黙認されるようになっても改宗をせず、仏教徒のままキリシタンであり続ける「隠れキリシタン」の道を選んだそうです。水方(洗礼を授ける役)の一人を修験者がこなすなど、250年の間に仏教や修験道の要素が加わってオリジナルからはずいぶん形が変わっており、「本来はこういう感じ」という正解を見せられても納得ができなかったことが原因ではとのこと。
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なんでそもそもキリスト教がウケたのでしょうか。それも丸山さんに聞いてみましたが、ここに入ってきた宣教師が医者で、いろいろ困りごとを助けたことに恩義を感じたところから入ったのではないか、との説明でした。きっかけとしてはそうでしょうが、禁じられつつ250年も保持できるほどの動機は別のところにあったと思います。いろんなパンフレットを見ても、意外とここが触れられてないなあと。
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長崎の教会群に比べて、天草は圧倒的に展示や説明がしっかりしてました。
世界遺産になるのがいいかは分かりませんが、なりたいならなれるといいなと思います。

あとは、苓北町で「おっぱい岩」見て、
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カレー食って熊本に戻り、最終の飛行機で熊本空港から東京に戻りました。

2017年07月30日

観蓮会

先週のことですが、田無にある東大の農場で開かれた観蓮会に行ってきました。
休日限定の早朝覚醒により、朝7時のオープンに合わせて楽々現着。
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曇りで少し風がありました。でもかんかん照りだと体が辛いのでこれくらいがよい。
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蓮は、光があまり強くないほうがきれいに写る気がします。
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それぞれのピンクが夢のような発色でした。種はぞっとするんだけど。
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行く前はなんとなく池にいっぱい蓮が植わってるイメージを持っていましたが、実際は鉢や生け簀みたいのにさまざまな品種が入って並んでおり、「だよねえ」と思い直した次第。
ひまわりの迷路もありました。
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昔はそんなことを思ったことなかったのに、何か一斉にこっちを見ているようで気味が悪かったです。
駅前の松屋で朝飯食って帰りました。

* * *

この土日は寝たり起きたりしており、合間にいろんな人と会って、あっという間に過ぎていってしまいました。実家から桃が箱で届いたので朝に夕に食べてます。食物繊維が豊富で(皆まで言わない)

* * *

■加藤秀一『はじめてのジェンダー論』有斐閣, 2017年.

傷つけたり傷つけられたりしないために知識を仕入れ、関心を維持し、こういうじめじめ怒ってる人たちの世界になるべく踏み込まないで生きていきたいなと思わせてくれる筆致でした。説明が食い足りなく「なんで?」と思うところも少しありますが、見取り図として有用で、読みやすさもピカイチでした。

2017年05月28日

5月後半あれこれ

ドイツから戻ってこっち、1日休みがあったものの時差ぼけ調整できたようなできないような感じで、そのあとは離着任の挨拶回りと新旧職場の通常業務が同時並行で入ってきてばたばた過ぎていきました。どっかで1日休みたいなと思ったものの、休めず。遺憾。

* * *

おいしかったものは、大久保駅近く「瀧元」の鱈豆腐。
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おだしに豆腐と鱈が浸ってます。おいしい。
立地と店構えは大衆的ですが、値段は大衆的じゃないです。

それから、新橋「駿」のランチに汁なし担々麺があったので賞味。
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屹立した何かはないけど、食べてよかったランチでした。
しかしやはりこのお店は水炊きを食べるべき。

* * *

土曜、仕事上がりに飲んでたお店で弊管理人が帰ったあとに暴力事件があったようで、疲弊したスタッフ&居合わせたお客さんと計4人で日曜夕方から慰労を兼ねて温泉にいってきました。
埼玉県杉戸町にある「雅楽の湯」。虫取り網を持った少年が田んぼわきを歩いているような、絵に描いて逆さに吊したような郊外だけあって、造りはゆったりしていて、人が多かったはずなのにゆっくりできました。

新宿に帰ってきてサイゼリヤで飲み。ワイン飲んでお腹いっぱい食べて1人2100円(震)。
「なんか、やっとお休みの日としてまとまった気がしたね」と言い合って別れましたとさ。

* * *

今年のクーラー初日は5月22日だった。
ちなみにGWから掛け布団なしの毛布のみで寝ている。

* * *

■岡本太郎『日本再発見 芸術風土記』KADOKAWA, 2015年.

岡本太郎の生き方は当然ながら弊管理人とは全然違うが、いいと思うものはかなり近いのではないかと思っています。そしてこの文章は本当に好き。『沖縄文化論』、これときて、次は『神秘日本』にいこうじゃないか。

■大澤真幸『〈わたし〉と〈みんな〉の社会学』左右社, 2017年.

『まなざしの地獄』に解説を書いた2008年ごろから、大澤真幸は見田宗介がもうすぐいなくなると考え、その仕事を組み直して同時代の人たちへのアクセス性をよくしようとしているのではないかと勘ぐっています。対談ですがほとんどゼミで先生に喋らされてる学生みたい。

■プルースト, マルセル『失われた時を求めて』イースト・プレス, 2009年.

大学生のころ、フランス語の授業でさわりだけ読んだ作品を「まんがで読破」シリーズで。『宇宙皇子』と本作は読み通しても達成感以外何もなかろうと思ったので漫画で済まさせていただいた。必要十分であった。ドイツに行く途中の飛行機で読了。

2017年05月06日

連休【追記】

■1日

ぱたぱたと仕事。

■2日

いそいそと仕事。
終わっていったん帰宅し、友人と連れ立ってクラブ的なところへ。
これはこれで面白かった。結局夜更かしして3時半就寝。

■3日

友人と夕方に新宿三丁目で合流、4月30日に予告したとおりモモタイで小皿料理とシンハービールをいただいて、日本橋へ。
玉川太福(浪曲)、神田松之丞(講談)の二人会です。
浪曲、初めて聴きましたがすごい音圧、そして楽しい。声を出して笑いました。
・労務者2人がお弁当のおかずを交換しそうでしない
・19:43発新栃木行きの電車に乗りそうで乗らない
という2席でしたが、これはひょっとして極北だったのか……
あと貫禄のある太福さんが年下だったことをさきほどウィキペディアで知ってショック。

そのまま友人と酒場へ、しかし頑張って帰って1時半就寝。
いつも新しい体験にお導きをいただけてありがたい。

■4日

また別の友人2人を誘って、カーシェア使って秩父へ。

高 速 激 混 み。

もうちょっとで群馬、みたいなところにある「白寿の湯」で風呂に入って帰ってきました。
そこではゆっくりできたものの、結局友人らを長時間、車中で過ごさせてしまい、若干遺憾。

東中野で1人拾って、4人で居酒屋に行きました。
いや弊管理人としてはとても楽しい1日だったんだけど。

■5日

終日、在宅で仕事してました。
休日潰してもどうせ報われないんだろうなと思うとやる気が少しも起きない。

久しぶりにノンアルコールな1日でした。

* * *

振り返ると日替わりでいろんな人と遊んでるな。

-----ここから7日追記-----

■6日

夕方から友人と2人で深大寺の湯守の里へ。
しかるのち「カウボーイ家族」でハンバーグとサラダバーを喰らい、帰宅。
ちょっとだけ、と思って酒場に行き、ちょっとだけ飲んで帰宅、寝る。

■7日

今度は別の友人がカーシェアの車を出してくれて、また夕方から4人で戸田の七福の湯へ。
新宿に戻ってサイゼ飲みしようとしたら行列していたので、待ち時間のないトリキに転戦。
くっちゃべりながら30分かかる釜飯まで平らげて帰宅。
結局、ほぼ毎日酒を飲んだ。
出費は例年並みか例年より少なかったような気がする。なんとなく。

* * *

(1) 大型連休って、「楽しい思い出」をゲットするための技術・技量を集中的に試されてる気がしてしんどい
(2) (1)のように感じる人と感じない(=自然に遊びの予定が入る)人の格差も露わになってしんどい
(3) 弊管理人は(1)も(2)も半分分かるけど、基本的に休みは嬉しいのでそんなにしんどくない

* * *

人と遊ぶと、その人が写った写真をアップするわけにいかないため、日記が文字ばっかになることを発見しました。
これまで如何に独り遊びが多かったことか。

2017年04月30日

連休もどき前半

新宿三丁目、モモタイ。
朝7時から夕方6時までやっていて、夜はガールズバーだそうです。
むかしこの店舗、港屋をパクったような蕎麦を出してましたっけね。
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よくあるタイ料理とひと味違った香り。
これは小皿料理も食べにまた来なければなるまい。

* * *

嫌すぎる出張が控えていて準備を少ししなければならないのもあり、また遊ぶ気分にならないのもあり、この連休は帰省するのはやめて6月に先送りし、東京で過ごすことにしました。
土曜は在宅で仕事と読書、日曜は昼ごろ中野のホームセンターに行って材木を買い、ベッドサイドの棚を作りました。そんで上記タイラーメンを食べて帰宅。

* * *

日曜早朝、何の夢だか忘れたけれども叫んで目が覚めました。
正月以来です。
そのあとは平和に二度寝。

* * *

昨年6月に就いた担当から、来月下旬をもって外れることになりました。
本来は2年はやることになっていたところ、「どうにも合わない」と1月下旬くらいから管理職にかけあっていたのが実ったようです。
良くも悪くもさまざま勉強になったのは事実ですが、無理する理由もないかなと。

* * *

そんな余裕あるんかいと自分にツッコみつつ、何年かぶりにリバーシブームを到来させてしまった。

* * *

■一ノ瀬正樹『英米哲学史講義』筑摩書房, 2016年.

放送大学の教科書が下敷きになっているだけあって、力一杯わかりやすく書かれていると感じました。英米哲学の基本文献の邦訳につける訳者解説をまとめたような本なので、まだ読んでいないものを読んだらまたここに戻ってきたいと思います。
・留学中に授業で原書をつまみ食いした『アナーキー・国家・ユートピア』はやはり通読しないといけない気がひしひしした。しかし5500円……
・「生物学の哲学」は字面から想像してたのとちょっと違った。そのうち一冊読もう
・古本で買ったままになってる『人間知性研究』もいい加減手を付けないと
・あと『哲学探究』もなあ
・ベイズ主義に至ってはどう入っていけばよいやら……

2017年04月25日

うどん、肉

土曜の昼は、高田馬場で「大地のうどん」。
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透き通ったうどん。出汁は昆布、鰹、そして鯖なんだって。
いや、別にうどん好きじゃないんですけど、なんとなく。
いや、かなりうまかったですけど。

* * *

午後、炊飯器のタイマーを入れたものの、なんか味気ないと思って。
友人を誘い、カーシェア予約して、雨の中、調布の温泉に行ってしまいました。
そんで「カウボーイ家族」で150gのハンバーグと150gのステーキで夕飯。
そういえば、独りで肉充ってしないかも。
と思うくらい、久しぶりな感じのする肉での満腹感でした。

そのあと車を返して、そのまま友人と中野で飲んで、歩いて帰ってきました。

* * *

日曜は、住んでるところの管理組合の総会がありました。
引っ越してきてから初めての出席です。理事になってしまいました。
終了後はちょっと仕事(いけてなかった)。

そしてやっぱり飲みに行く。
行こうと思っていたイベントの招待券をいただきました。

* * *

連日3時寝とかでしたが、そういうわけで、この週末は勝利感がありました。
それにしても、なぜこんなに週末に何かしなければいけない強迫に苛まれているのだろう。

* * *

タイマー入れたままのご飯は、翌朝まで14時間保温されてました。
半分食べて、あと半分はまだ残ってます。
チャーハンにでもしようか……

2017年04月01日

とうとう春が

寒い雨の土曜。朝起きたら、窓際に置いた睡蓮木の花が咲いていました。
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何かしかし蕾にも咲きっぷりにも馴染みのない感じがあるなあ、と思って調べたら、南アフリカ原産でした。
日系ペルー人の知人が、見た目は全く日本人なのに表情が何か違う、みたいな感じか。違うか。

* * *

昼間、八王子の京王片倉近くにある「竜泉寺の湯」ってところに行きましたが、塩素くさくてあまり心地よくなかったです。

で、夜。
ローテンション同志であるところの友人と夕飯を食べることになり、この友人が交際している中国の子に教えてもらったという、池袋の「四川麻辣湯」に連れて行ってもらいました。
ロサ会館の近くにこんなのあったっけ、と思うくらい知らないと入らない雰囲気。路面店なのに。そして入ったとたんに外国の中華街の匂い!!
スープと麺の基本料金480円。そこに入れたい具(1個100円)を棚から好きなだけとってカゴに入れ、レジで会計します。麺はラーメンみたいのや、細い春雨、平べったい春雨(弊管理人はこれを選択)が選べます。スープの辛さもちょい辛から大辛まで。弊管理人は初心者なのでちょい辛にしました。
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ちょっと待つと、こういうのが来る。
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うめえあああ!
中辛を選んだ友人のスープもちょっと飲ませてもらいましたが、ちょっと痺れが足されるくらいですね。こっちでも大丈夫かも。
いいところを教えてもらいました。

* * *

明けて日曜は晴れてそこそこ暖かくなりました。
大学時代の同級生とお花見。
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母校のキャンパスの野球場にも春が降ってきていました。
ここの桜の枝ぶり、好きです。
満開まではもうちょっと。

そういえば大学の入学式は4月12日でしたが、会場近くの千鳥ヶ淵の桜が満開かちょっと盛りを過ぎたくらいの勢いで当時の写真にうつっています。
きょう、同級生とその話をしたら「その年は特に寒くて、だいぶ遅くまで雪が残ってたはず」と言っていました。そうだったか。

[4月3日追記:これまでの開花日と満開日をみると、確かに1996年の4月7日満開は前年と並んでこの四半世紀で最も遅いですが、顕著に遅いわけでもありませんでした。ちなみに定義は「さくらの開花とは、標本木のつぼみのうち、5~6輪の花が咲いた状態をいいます。満開は、全体の花芽の80%以上の花が咲いた状態をいいます」(金沢地方気象台)]

さすがに20年たつとみんな古くはなっているが、基本線は変わらない。
人文系の人たちのせいか、妙にすれた感じにもなってないところに安心感があります。
「ニュージーランドへの交換留学派遣を決めるための面接で、西洋古典学の先生から『ニュージーランドは西洋だと思うか』と聞かれて『西洋だ』と答えたが、今思うにそれは蛮勇だった」「俺はロックとバーリンで書いた卒論の口頭試問で『君が日本に生まれたことと自由の関係をどう思うか』と聞かれたので『覚悟を決めて生きたいと思います』と答えたら褒められた」といった艶っぽい昔話をしたり、「メルロ=ポンティって今時の学生も読んでるの?」とかきゃあきゃあおしゃべりできるというのは貴重なことです。

* * *

お花見中に職場から電話がかかってきて、やっぱり5月はドイツに行けという話になりました。
くう……(でも実は半分以上諦めていた)

* * *

■加藤周一『二〇世紀の自画像』筑摩書房, 2005年.

古い友人に「目指すところは全然違うが歩き方が(弊管理人と)似ている」と加藤周一を薦められたため、適当な古本を買って読んでみました。
が、半分ちょっとくらいまで頑張ったものの「もうええわ」となってしまいました。それ一つ一つが本1冊になるようなテーマをばさばさ整理しながら20世紀をまとめる対談のようなものを、今更食べる気にはなりませんでした。

2017年03月26日

3月は去りそう

3連休明けて火曜から1週間が始まると、せわしないけど息切れせずに走れていいですね。

土曜日は南青山の岡本太郎記念館に行ってきました。
新宿西口の渋谷餃子で餃子ランチを食べて餃子欲求を満たしてから、JRで原宿まで行って、てくてく歩きます。ものすげえ人人人。

ちょっと落ち着いたところで、表参道のベン&ジェリーズにて買い食い。
ケースの前で迷っていると、おねいさんが「試食できますよ」と声をかけてくださいました。
ちっちゃいスプーンで一口分、渡してくれます。いいサービスですね。3種類食べて↓これにしました(なんだっけ、ベリーっぽいやつ)。
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スプーンの上にはさらに「新発売の桃です」と別の味のアイスをのっけてくれてます。
結構甘いけど、中にホワイトチョコなんかも入ってて楽しい。

記念館は太郎氏のアトリエです。
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あっどうも。
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全館撮影可なのがよい。
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去年『沖縄文化論』で久高島に行くきっかけになったし、もう1冊、紀行文を読もうかな。
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詳しい解説もないし、物量は多くないので、岡本太郎をよく知らない人は先に川崎市岡本太郎美術館(リンク先は去年の日記)に行ったほうがいいと思います。
100円のコミュニティバスに乗って赤坂見附まで出て、定期で帰ってきました。

* * *

日曜は朝から寒い雨の日だったので、昼から深大寺の「湯守の里」に風呂に入りに行ってきました。調布駅前から送迎バスに乗車。アクセスは悪めでしたが、わりと空いてるし、露天風呂のあるお庭は鬱蒼として幽玄といえば幽玄だしで気に入りました。あまりかんかん照りでない昼間に来た方がいいな、ここは。

帰りは時間の関係で武蔵境駅行きの送迎バスに乗り、東中野で降りて昼飯食って帰りました。
なんか最近、電車やバスに乗ったり、長い距離歩くのが好きらしいです。

* * *

懸案が懸案を生んでるのだけど、もうあの、困り果てたなあ、という気持ち。

* * *

■ジョナサン・ウルフ『「正しい政策」がないならどうすべきか』(大澤津, 原田健二朗訳) 勁草書房, 2016年.
Wolff, Jonathan, Ethics and Public Policy: A Philosophical Inquiry, Routledge, 2011. の全訳。(書誌情報、どう書くのがいいのか……)

このところ、イギリスの大学の修士課程の導入科目で参考書になっている本の中から面白そうなのがないか探しています。で、この本は確かLSEのコース案内で見つけて、アマゾンで原書を買いかけたのですが、邦訳が最近出ていて、かつあまり原書より高くないことを知って、楽をしてしまいました。

でも、結果として邦訳のほうを買ってよかったと思います。哲学の研究者が政策立案に関与するというのはどういうことなのか、特にそういう実践がずいぶん進んでいる英国ではどうやっているのかといった、まとめと背景説明を訳者解説が引き受けてくれていて、とても助かりました。英国の研究者が英国の読者に向けて書いている本文だけではちょっと見えにくいので。

日本では各省庁の審議会に哲学の人が出てくることはまれだし、先端研究を扱う生命倫理専門調査会でもなんか今ひとつな議論ばかり。そのあたりと引き比べながら読みました。もちろん動物実験の是非や刑罰、保険制度など個別の議論も面白かったです。

2017年03月22日

3連休とその前後

金曜は不安定になったとみえる友人から夕食の誘いがあり、久しぶりに夏目坂の「高七」で天ぷらを食べました。夜は初めてですが、リーズナブルですね。
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天ぷら定食、かき揚げ丼つきというヘビーなメニューを頼んでしまいました。
「天ぷらは蒸し料理」というコンセプトは大いに共感するところです。
おいしかった。そして弊管理人的おすすめの一番はやはり上天丼であったことを確認。

とても控えめに飲んで帰りました。

* * *

土曜日はずっと不義理をしていた仕事先の集まりが東大本郷であったのでちょっと顔を出して、でもあまり面白くなかったので中座して、上野を散歩して帰りました。

ちょっと運動してから、とても控えめに飲んで帰りました。

* * *

日曜日は散歩がてら新中野のうどん屋「花は咲く」へ。
とり天ぶっかけ冷。
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弊管理人はうどんリテラシーがないと思うけど、つゆ、麺、とり天、全部おいしかった。
ピーク時間帯は結構並ぶんでしょうね。13:30くらいに行ったらほとんど待たなかったけど。
中野の島忠で睡蓮木の盆栽を買って帰宅、昼寝をしました。

ちょっとおつきあいで夜遊びして、3時半就寝。
すごい久しぶりにこんな時間まで遊びました。
懐かしい感じ。でももういいかな。

* * *

月曜日は久しぶりの友人が遊びに来ました。
6時間にわたっておしゃべりしましたが、弊管理人を駆動しているのは「怨念」の力だ、と喝破されて深く納得してしまいました。
あとは、「加藤周一とゴールは全く違うが考え方が似ているから、著作を読むと面白いと思う」と勧められたので、アマゾンで1円の古本を注文しました。
友人は弊管理人お勧めの文庫やら新書やらを棚から何冊か持って帰っていきました。もちろん自分で持っていたいけれども、じゃあもう一度読み通すかというと多分それはない。弊日記にメモは保存してありますしね。それなら面白く読んでくれる人にもらわれていくのも悪くないか、と思いました。

で、運動して、いつもにも増して控えめに飲んで、就寝。
飲んでばっかり、でも意外と普段話さない人たちといっぱい話した連休でした。

* * *

憂鬱な連休明けの火曜は、やはり体が重く、朝一番の用事を忘れてすっぽかし、しかもなんとパソコンを忘れて出勤するというあり得ないミスをし、滞在20分くらいで帰宅して、そのまま1日在宅で働きました。電話とパソコンがあれば大抵の用事は足りるもので、しこしこ仕事をしているうちに体調は普通くらいまで回復しました。

寒い雨の日でしたが、東京の桜はきょう21日に開花宣言が出ました。
とうとう春が来てしまった。来なくていいんだけど。
この冬は「すっごい寒い」と震える日がなかった気がします。
無印の裏ボアのブルゾンと、アマゾンで買った裏ボアのスウェットのおかげで、来客のあった1日以外は全くエアコンを使うことなく、暖かく過ごせてしまいました。

* * *

■足達英一郎他『投資家と企業のためのESG読本』日経BP社, 2016年.

必要があって、この4日で読みました。

2017年03月11日

石その後

救急搬送当日のCT画像を持って泌尿器科を受診。
いたよ。
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矢印の先の白い点が石だって。確かにこれは、見る人が見れば一発な感じは漂ってる。
2~3mmとかなり小さいですが、右の腎臓(写真では左側)が若干腫れているようにも見えるそうです。腎臓の出口すぐくらいのところで詰まった可能性があるそう。こんなんであんなに痛いのなら、センチメートルの世界の人たちの痛みはいかばかりか!!

あらためて尿検査をしましたが、pH6.5で正常、血尿もありませんでした。
若干酸性(つまり望ましくない方向)ですが、病気の人はpH5くらいが続いていて、それを6にするのが目標になるので、全然問題ないということです。
「最初の病院では尿についてどう言ってました?」と聞かれましたが、当該病院では「尿路結石です」って言われただけだよ。

石が落ちてくるとおしっこが溜まっていなくても尿意が生じて頻尿になるというのですが、そういうことはありません。弊管理人くらいの大きさでも出れば分かるというのでまだ出てないのでしょうが、でももしかしたら最初のほうで出たかもしれないと。

薬は中止して、1カ月後にまた超音波と尿検査で様子を見ることになりました。
食事も特に制限はなし。水は引き続き飲みますけど。
尿路結石以外の可能性も一応排除されたようです。

ちなみにもうちょっと下の方にはでっかい白丸があって「わ!!」となりましたが、
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これは「全然病的なものではない、静脈などにできた石灰質のもの。非常によくあることです」と説明を受けました。そうなん?

2017年03月04日

痛い話(2)

右下腹部の痛みで搬送されてみたら尿路結石と言われた話の続き。

結局、痛みは1日で大体収まり、「でも、なんかいる感じ」とともに1週間過ごしました。
石の排出を促すという薬を毎食後に飲んでいますが排出はされず、「なんかいる感じ」の場所も特に動いていません。いろいろ知りたいこともありますが、救急で当たった消化器内科医は心許ないので、泌尿器科学会の専門医がいる医療機関を近場で探し、家と職場の間にあるクリニックに出向きました。

問診でこの間の経過を説明すると、超音波で背中から中の様子を見てもらうことになりました。
尿管が詰まったために尿が出ていかず、腎臓に負荷がかかる「水腎症」になっていないかをチェックしてもらいましたが、それは大丈夫のよう。その周りにも特に石らしきものは見えませんでした。
次に尿検査をしましたが、血は出ておらず、PHは7.5と弱いアルカリ性で「いいおしっこ」だとのことでした。これも結石の存在、あるいは少なくとも存在して悪さをしていることを支持するものではなかったようです。

Q ではまあ結石が存在するとして、なぜ痛かったのか?
聞いてみると、弊管理人のように腎臓そのものに目立った異常がない場合でも、石が尿管に引っかかった際に痙攣のようなことが起きて痛みが出るということのようです。

Q 今後の見通しは?
自然に排出される場合はいったん膀胱に石が落ちる。その時には膀胱が刺激されて、尿が出ないのに出したい感じになったり、残尿感があったりするかもしれないとのこと。出るまでの期間は人によりまちまちで、早い人はすっと出るが、遅いと数カ月かかることもあるそうです。

Q とりあえず最初に出た1週間分の薬はもうすぐ飲みきるが、その後はどうすべきか?
泌尿器科医の反応は「うーん」という感じで、実際そんなに効くのかね、と疑っているようでしたが、次に相談する1週間後までの薬は結局、処方されました。もともと植物由来の民間薬として使われていた薬で、飲んでいたってそう悪いこともないだろうという判断だったのでしょう。来週の診療では中止になるかもしれません。

Q 食事にいろいろ気をつけることがあるようだが……
「今の時点で特に気にしなくていい」とのことでした。シュウ酸が悪いとか、カルシウムがいいとかは言われているが、まあ水をこれまでの倍くらい飲むように気をつければいいんでない?という感じ。泌尿器科学会が公開している(太っ腹)2013年版のガイドラインにも同様の記述がありました(pp.93-94)。
なお、上記ガイドラインの再発予防に関するあたりを読んでみましたが、紅茶や緑茶は必要がなければやめといたほうがいいしやめられるものの、葉物や魚(プリン体)はそれなりに食べないわけにはいかない、脂質や塩分、糖分、アルコールは過剰にとらない、といったところ。まとめりゃあ「生活習慣病予防を意識した食生活をしようね+水飲もうね」つうことだと解釈しています。

Q でも画像所見が何もないとすると、別の病気の可能性もありまよね
「ありますね」ぞっ……
でもまあ、さまざまな状況証拠(腹痛に至るまでの生活や、痛くなり方など)を考えれば結石の軽いやつだろうという気はします。CTの画像をもらってきて、次の診療のときに検討しましょうということでしたので、早速もらってきました。CD-ROMで1080円、自費。

弊管理人の腹部です。ふええ初めて見た。なんか尻たぶのラインとか恥ずかしいね。
腰のところが変にくびれているのはスウェットのゴムのせいか。
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ついでに面白かったので輪切り画像に現れたチンコと玉。
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こんなん見て病変部が発見できるってのはすごいと思うけど、超音波で調べた泌尿器科医は「やっぱりCTが確実」と言ってました。

* * *

ほっとくと何もしない性質の弊管理人は、そういう自分を分かっているだけに「無理してでも出力を上げて滋養にする」というのを心がけて、仕事上、嫌なことにもいろいろ手をつけてきたのですが、これからはそこに持続可能性への考慮を入れていかないとなと思ったものです。

また、11月のいやーな出張から解放されてからこっち、痛飲して帰ってつまみ食いしてそのまま寝る×週2~3など生活が乱れまくっていたところ、「待て待て待て」と体が警告を発したと思うことにします。実は酒が好きかというと好きではないし、酒場に通いたいかというと最早そこまででもないような気がしてくる。おつきあいの飲み会とか、惰性でやっていたことを少し整理していきたいものです(早速1個断った)。

* * *

それじゃあまあってんで、大久保の護摩龍で担々麺を食べてしまいました。
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シュウ酸たっぷりほうれん草が載っててちょっと引いた。
太めの麺も濃厚なゴマのスープも好みでしたけど。今月のラーメンはこれでおしまい。

2017年02月28日

痛い話

月曜の朝、目が覚めて「起き上がろうかな」と思ったら、右下腹部が痛くなりました。
足が攣ったときのようにぎゅーーーっと内臓が締め付けられる感じ。なんか変な体勢で寝て筋でも傷めたかと思いましたが、姿勢を変えても痛いし、待っても痛さが変化しない。
ちょっと一人では病院に行けないかも、というかいろいろ考える余裕がない、ということで#7119に電話して問答していたら、そのまま救急車派遣となりました。

腰の曲がったおばあちゃんみたいな姿勢で家の鍵をあけ、保険証と財布と携帯を手に持って床にうずくまっていると、救急隊到着。つかの間、痛みが和らいだので「これだったらタクシーで病院いけたかも」とちょっと大ごとになって恥ずかしいという思いとともに歩いて1階まで行って、ストレッチャーに乗って車内に運び込まれると、また痛みが襲ってきました。

車内では血圧と脈拍と体温を測られ、「激しいスポーツしてました?スポーツ心臓と言われたことは?」と聞かれました。なんか徐脈らしい(48bpmと聞こえたような。確かに脈拍は遅い)ですが、目下の問題はそっちではありません。電話番号と名前の字解、(弊管理人の名字を知っている人にしか分からないが)「く」か「ぐ」か、みたいな細かいことを確認され、(いいから出発してくれ~)と思いながら答えていました。結局、入院用のベッドはあいてないので、入院という判断になったら転院してもらう、という条件に承諾した上で、救急をやっている近くの病院に入りました。

病院に着くと、現れた消化器内科医が痛いあたりを圧したりしてから「尿路結石じゃないかなあ」と言いながらいったん姿を消しました。弊管理人はすぐに地下のCT室に運び込まれました。
バンザイの姿勢で息を止めているうちに撮影終了。また地上に戻ってストレッチャーから降り、トイレで採尿して診察室に入ってベッドに横たわっていると、さきほどの消化器内科医が戻ってきました。
「尿路結石です。座薬で鎮痛して、あとは水をいっぱい飲んで自然に石が出るのを待ちましょう。痛み止めを出しておきます。ほうれん草とかキャベツとか、シュウ酸が多い食べ物はネットに出てますので調べて、あまり多く食べないようにして下さい」
と言って出ていきました。

こちらも痛くて聞く余裕がなかったけど、何ミリくらいの石がどこに詰まっているのか、なんで痛いのかなどは教えてくれなかった。CTの映像も見られなかった。たぶん自然に出るのを待つと言われたところをみると小さいのだろうけど。尿検査もPHとか血とかを見たと思われますが、何をどうやって診断に至ったかが全く分かりませんでした。

弊管理人の症状はまだ軽いほうらしく、「ほかの方だとホント、のたうち回る方多いんですよー」と看護師さんから言われながら座薬を入れてもらい、20分ほど休んで、あまり効いてない段階で会計。痛みがそのままだったので、右側だけ伸びをしたような変な姿勢で椅子に座っていましたが、だんだん頭がぼーっとしてきて、痛みも少し和らいできました。そのまま会計をして、近くの薬局で頓服の痛み止めと座薬と、石の排出を促す薬(ウロカルン)を買って帰りました。近所なので歩いてしまいましたが、上着を着てこなかったので寒かったです。

家に着くとエレベーターが点検中だったので外階段から自室の階まで上がり、帰宅。トイレに座ると座薬が出てしまったので、痛み止めを飲んでベッドに横たわりました。悶えていて疲れたのか、このところ睡眠があまりとれていなかったせいか、3時間くらい寝ました。

午後。鈍痛は続いていたものの、外すと後が面倒そうな仕事に出かけ、また痛みが増してきたところを変な格好で耐え、帰宅。でも、「なぜ痛いのか」が分かっただけで相当、気分的にはマシです。(友人から「あそこはヤブ」と聞いていた病院だったので、ほんとに尿路結石でいいのかね、という疑いは頭の隅にあるのですが)
寒い中を歩いたせいか熱も出てきたので、上司と同僚に「明日は完全休養にします」と一方的に宣言して寝ました。

そのあたりの連絡を兼ねて結石の話をしたら、何人かの同僚や友人から「私も20代のときに」「父が」など激痛話と同情が返ってきたので、結構経験者がいるようです。

* * *

「ネットで調べて下さい」といわれて「尿路結石」と調べてみても、出てくるのは本当かどうか怪しいサイトばかり。ac.jpとかgo.jpという検索語をつけて調べてみました。
だいたい共通するのは
・30-60代の男性に多い(男性の場合は一生のうち10人前後に1人が経験)
・再発しやすい(数年~10年以内に半数とか6割とかいう情報が多かった)
・予防として水はたくさんとれ
・運動しろ
・特に汗をかいたあと、飲酒のあと、寝る前には水をとれ
・夕飯食ったら4時間は寝るな
・清涼飲料、炭酸飲料、ほうれん草、竹の子、コーヒー、紅茶はダメ。塩分、脂肪も控える
・野菜や果物(カルシウムとクエン酸)は適量摂取
・ほかに、ビタミンCの過剰摂取を控えるとか、水分は煎茶でなく番茶や水でとれと書いてあるところもありました。「ストレス」を原因に挙げるところも多少
つまり、「水を飲む」ほかは生活習慣病予防になるようなバランスのとれた食生活をしましょうね、ということらしい。

確かに弊管理人の水分摂取は足りてなかったと思います。食事をしてるときに「よく水を飲むね」と思う相手が多かったということは、自分はあまり飲まないほうだったのでしょう。
それを除くと、生活習慣、ストレス含め、問題の大半が仕事由来だと感じます。これまでの健康診断の結果からすると、ストレスが強いときは尿酸値が上がる体質っぽいので、腎臓の保護から考えても今の環境は健康によくない。早く職場を移りたい。

2017年02月26日

2月は逃げる

東高円寺、川中屋。
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このところ焼き鳥が大変お好みで、先週、先々週と鳥貴族に行ったのですが、こちらの焼き鳥はトリキよりもお安いうえ量も多く、そしてポテトサラダ、たたき、鳥スープごはん(九州出身の同行者によると「鶏飯(けいはん)」というのに近いそう)など他のメニューもとてもおいしくて満足でした。日曜日でもやってるのがえらい。でも混み混みでした。予約が安全。

* * *

2月をほぼ空費してしまった気の進まない仕事に、ようやく出口が見えてきたような感じ。
しかし「この方向性は間違っていると思う」と今でも思っている方へまとまるという……
問題にならないといいけど。

* * *

花粉が目にきはじめた!
・アレルゲンを粘膜に触れさせない
・体調を整える
で乗り切りたいと思います。しばらく寝具を外に干せないのが痛い。

2017年02月19日

フレンチと桜

友人と高田馬場のビストロ、ラミティエでお昼を食べました。
2品選びます。テリーヌ。
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アッシパルマンティエ。チーズの下はマッシュポテトと挽肉です。
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友人の選んだ鴨のコンフィもかなりのボリュームでした。
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洋梨のタルトまでうまかった。
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どれもうまかったので無闇に写真が増えました。
周囲を見てみたところでは、鉄板は「キッシュ」と「鴨のコンフィ」かなと思いました。

そんで、3.11の直後以来かと思うけど、新宿御苑。
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寒桜が咲いていました。
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河津桜も盛りです。
染井吉野はまだ小さな蕾がついたくらい。
温室は初めて見ましたが、よくできていました。200円で十分楽しい。
それにしても梅も咲いているというのに、なんとなしに影が薄いな。

お茶飲んで、ゴーゴーカレー食って、ばいばいしました。

* * *

■フット, P. 『人間にとって善とは何か』(高橋久一郎監訳)筑摩書房, 2014年.

20世紀の終わり、英語圏で倫理学の授業をとったとき、いかにも「普通に基本ですからねこれね」といった風情で「Virtue Ethics」というのが出てきて「何何何これ」と思ったのが思い出されます。

* * *

父が65歳の誕生日を迎えました。
「おめっと」と携帯でメッセージを送ったら「めでたくもないが、バスの無料券もらった」と返ってきました。

* * *

先日、6-7年ぶりくらいに会う人とひょんなことからお酒を飲むことになりまして、その酒席で、実は昔、弊管理人に好意を寄せていた人に対して周囲が「あの人(=弊管理人)は難しいからやめておけ」と止めた、ということを聞かされました。

「まあもう昔のことですから気にしませんけどねえ。ちなみに誰が言ったの、それ」とか柔らかい感じで追及してみると、意外と仲が良い気がしていた人、弊管理人に好意を寄せていた人に好意を寄せていた人(物故)など名前が挙がり、若干のバイアスは窺われるものの、一見平穏な人間関係の裏でそう思われていたか、と結構衝撃を受けました。

そして内容は「タバコがものすごく嫌い」(今でも嫌い)、「遅刻に怒った」(怒るわ)、「見下されていそう」(表情に乏しいせいか。あるいは面白いものをクスクス笑う癖は確かにある)など、うーんまあそれは失礼しました、でも我慢しておつきあいしても長持ちはしなさそうやねというものが主だったよう。

当時、それ以前に比べれば改善されてはいたものの、なお今よりも怒りっぽかった&怒るポイントがおかしい部分があった&いろいろ周囲と話が合わない部分があったことは認めます。今般の酒席では「顔つきが優しくなった」と言われました。今ならもう少しましな対処ができるのかなとは思います。遅刻→リスケジュールをさっくり決然としたりとか、微笑みを絶やさないとか。しかし滋養にはなるが面倒だな、人付き合い。

2017年01月29日

一月は暮れる

仕事で八重洲に出たついでに、「京橋屋カレー」。
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右側が鶏・キャベツ・えびの「ときえカレー」。辛くないです。香りが面白いし、full of taste。
左は辛口の鶏カレーですが、いやこれがまた、辛いもの結構好きな弊管理人でもいったん引くくらいスパイシーでした。しばらく置いて冷めてきてやっと食べられた。でもスパイスにはトゲだけではない深さがある。
1600円てちょっと高いですけど、「今日は特別」って日にまた食べに来たい。味わって食べてたら次の予定に遅刻しちゃった。
価格のせいか知りませんが、昼時なのに小ぶりな店内の席が満席になることはありませんでした。

* * *

ところで1月24~25日にかけて、突然アクセス数がいつもの倍以上になったんですけど、なんですかね。
有斐閣の『現代政治理論』のメモのエントリーから入ってる人が多かったようなので、どっかの学生さんの期末テスト対策に使われたりしたのでしょうか。

書いたのはもう2年前で、まだ結構断片的な書き方をしていた頃なので、あまり参考にならなかったでしょう。どうもすみません(誰に言っている)。でもいい本ですよね(誰に言っている)。

* * *

土曜夜、久しぶりに「アカシヤ」でロールキャベツを、と思ったらえらい行列ができていました。何があったのだ。
ということで若干彷徨ったところで新宿の老舗「ラ・ベルデ」。
カルボナーラを頼んでみました。
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ベーコンがバルキーなのが最大の特徴といった感じだけど、盛りがいい(ちなみにピザもでかい)ので、誰かと一緒にいて、困ったときに頼りになるはず。
日曜は償いの少食&野菜多めにいたしました。

* * *

月曜日が来るのやだなって思って一杯飲みに出たら、余計嫌になっちゃった。誤算。

2017年01月22日

1月後半のつれづれ

ちょっと年上の商社の方と新宿3丁目「鼎」で晩飯→ワインバー。

なんといいますか、体育会系会社員の人って新鮮です。
ああクラッチバッグ持つんですねとか(弊管理人はリュックか手ぶら)
手練手管で60億円のものを売りつけてる話とか(弊管理人は特にそういう派手な仕事ではない)
スーツは仕立ててもらうんですねとか(弊管理人はそもそもスーツを着ない)
海外駐在の時はお手伝いさん雇うんですねとか(弊管理人は努めてドメスティックです)
サプリメント飲んでるんですねとか(弊管理人は痛飲したときにビタミンC飲むくらい)
皇室に近いお知り合いがいるとか(弊管理人は自分と誰が知り合いなのかよく把握してない)
いろいろ勉強になります。

普段周りにいるのは寝癖ついてる公務員とか、無精髭・童顔の学者とか、
大体が頭がよくて500円の飯を食ってる人たちなので、だいぶ感じが違った。

* * *

帰ってきてから、残り物の挽肉と、残り物の人参と、ストックしてた玉葱と、近所で買ったジャガイモで、肉じゃがを作りました。煮詰めるのが吉でんな。うまい。

* * *

もう先週のことですが、カーシェア修行2回目。
寒い日曜の夜、友人と笹塚駅前、ロビンへ。
ハンバーグ&ピラフ、すなわち「ハンピラ」。
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うまかった。もっと食えた。街の洋食屋さん。

そのあと武蔵小山の「清水湯」へ。
混みすぎ。ロッカー足りてねえ。
お湯を楽しむとかの前に、この設備と管理はだめだわ。×

* * *

新橋の肉そば「ごん」。
味濃すぎで割高。
ちょっとなあ。ということで画像なし。

* * *

暖かいスウェットを探す際のキーワードは「裏起毛」ではなく「裏ボア」だった。
今頃何をって話ですが、それに気付いたことで、今シーズンは足元のオイルヒーター以外使わずに快適に過ごせています。

* * *

汚い話なので最後に置きますけど、

食物アレルギーはないのですが、「食い合わせ」で弱いものがあるらしく、
  ・油っこいもの+メロン
  ・油っこいもの+ライチ
という危険な組み合わせがこれまでの急激な嘔吐経験で判明しています。

これに加えてこの週末に疑いを持ったのが、
  ・牛乳+辛いもの
こちらは下痢です。あまりに急激だったので、食中毒ではなくアナフィラキシーショックみたいなものだろうなと思いました。実際、出し切ってしまうとけろりと大丈夫になり、そのあと何かを食べても特に腹痛や下痢が起こらないことで確信を強めました。

2017年01月13日

1月上旬つれづれ

週明けから口腔内が荒れている感じがしていました。
リステリンでうがいすると痛い。
肩こりみたいのが併発。
熱は36.0度前後。
今は緩和。
何だ。

* * *

「年末は好きなんですけど、年始って大嫌いですよ。折角いろいろ納めたのにまた始まっちゃって。終わりはまた見えないくらい遠くになっちゃって」と言ったら多くの賛同が得られました。そんなに人生が楽しめてない人が周りに多い環境はよくないな。本気で言ってないかもだけど。

* * *

何年か前、脊髄損傷で首から下が動かせない患者さんにお話を聞く機会がありました。
時々側についてる方が患者さんの体をゆするので「どうされたんですか」と尋ねると、患者さんが「あなた気付かないかもしれないけど、人は常にちょっと伸びをしたり体をゆすったりしてるんだよ。じっとしてると何か気持ち悪くならない?」とおっしゃって、あっそうかと思ったことがありました。

冬は厚着なので、地下鉄のシートに座っていると、両側から圧されて身動きがとりづらくなります。
そうすると脇腹とか背中のあたりを動かしたくなってきてもぞもぞしてしまう。今日は体が疲れているのか、動けないと結構ストレスなくらい怠さがたまってきて辛かったです。そのときに上記エピソードを思い出しました。

* * *

・千葉都市モノレールでひとり『辺見えみり』と繰り返し呟いている子(←音が面白いのであろう)のマネ
・「日本軍が南京を蹂躙したってね」「まさかー(massacre)!」

など、持ちネタとしていた不謹慎モノマネや不謹慎トークを順次封印しています。
時代は流れているなあ。あるいはライフステージが遷移したせいだろうか。たぶん両方。
倫理に普遍はなく、ただ「場所柄」「時節柄」があるだけだと近頃は思っているのですが、なればこそ危機管理としてのインプットが怠れないのは疲れる。

* * *

■岸政彦『断片的なものの社会学』朝日出版社,2015年.

古本購入。

 ずっと前に、ネットで見かけた短い文章に感嘆したことがある。こう問いかける書き込みがあった。カネより大事なものはない。あれば教えてほしい。これに対し、こう答えたものがいた。カネより大事なものがないんだったら、それで何も買えないだろ。
 おお、これが「論破」というものか、と思った。(p.195)

この部分の意味が何度読んでも全く分からなくて、その間に何駅も過ぎてしまった。
帰宅してその短い文章とされるものをググってみたら、その原典と思われる2ちゃんねるの記述が出てきた。
「カネが一番大事だとすると、カネを使うことができない(最も大事なものを手放す意味がない)」ということだったらしい。ああそうか。一つでも反証があればいいのか。

そういえば、既に別人になってしまった母方の祖母がしっかりしていた時分、父(=婿養子)が何回かに分けて祖母のライフヒストリーを聞き取っていました。あれ、何のためにやっていたのだろう。そしてその成果はどこに。

2016年12月25日

年の瀬2016

メリクリ的なあれに際して、西荻窪の「もぐもぐ」で2年ぶりにソーセージとベーコンを買ってきて家で食べました。うまかった。
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* * *

11月に受けた健康診断の結果がきました。

何年も高止まりしていたコレステロールが正常値内に改善。体重、腹囲とも減らした去年は改善しなかったが、今年は「酒かな?」と思って飲みを控えていたところ。どうも原因は本当に酒だったよう。

かわりに尿酸値悪化。ストレスだろう、これは。大変だったアフリカ出張の直後だったので。

* * *

このあとどうなるか分からないので、ちょっと早いが今年まとめ。

1月 ドイツ出張+観光楽しかった
2月 牡蠣鍋うまかった。祖父大往生
3月 祖父葬式。なんかもうすごい前のような気がする
4月 あんまり印象ないけどぱたぱた働いていたような
5月 伊豆旅行よかった
6月 スウェーデン出張ちょい消化不良だった。沖縄旅行。とうとうエアコン買い換え
7月 あんまり遊ばなかった気がする
8月 鹿児島旅行よかった。夏休み明けから仕事が段々辛くなってきた
9月 石垣島出張疲れた。仕事はますます忙しくなった
10月 オーストラリア出張めちゃ疲れた。仕事は輪を掛けて忙しくなった
11月 モロッコ出張大変辛かった。月末の忘年会はしみじみ楽しかった
12月 何してたっけ

なんか今年は国内外ずいぶん飛び回りましたが、これをやった!という仕事はそんなになかった気がします。わりあい等閑に付していた部分のトレーニングを遅ればせながらする、みたいな年だったのかも。
身になる本をあまり読めなかったのが遺憾です。
ちゃんと数えてないが、日記も例年より書けてないはず。

久しぶりに東京に戻ってきた職場のおにいさまに「最近ストレスフルで」と言ったところ、「君は最近に限らずずっとストレスフルに見えるよwww」と言われたので、今後も何らかの理由で常にストレスフルなのでしょう。

今年は、亡くなった同僚の名を小惑星に付ける案件と、とある法案の成立にかかわる裏方ボランティアでunsung hero役ができました。エンドロールのどこにも名前は出てこないが、1人2人の方から結構感謝されたので満足です。

今年は掃除機、冷蔵庫、エアコン、温水洗浄便座をはじめ、いろんな買い物をしました。
腕時計はSEIKOの自動巻の狂いが大きすぎて、MONDAINEに戻ってしまいました。
やり残したのは給湯器ですが、さしあたり困ってはいないので、そのうち。

* * *

来年、前厄です。
というか既に今年、いろいろ嫌なことがあったので、少し割引してほしいくらいなんですけど。
なんにせよ人の都合も考えずに3年間も厄とか、ホントやめてほしい。
(ちなみに中国は自分の生まれ干支、英国は4のつく年(男性)とのこと)

* * *

いや、1年早かった。

2016年11月03日

その日暮らし

■小川さやか『「その日暮らし」の人類学』光文社,2016年.

「本書は、Living for Today――その日その日を生きる――人びととそこに在る社会のしくみを論じることを通じて、わたしたちの生き方と、わたしたちが在る社会を再考することを目的としている」(p.7)

未来の予測可能性を追求し、明日や1カ月先や10年先を構想して、その目的に奉仕する現在を生きる――そんなわたしたちの単線的な時間感覚と、生活様式と、その周囲をがっちり固める制度を外から眺めてみる。

眺める。どこから?

コピー商品の行商と国をまたいだ仕入れの旅、日雇い、携帯電話を使った小銭の貸し借りまで駆使しながら生きつなぐタンザニアの「インフォーマル経済」の中からである。インフォーマル経済とは、政府の雇用統計に載らない、零細な自営業や日雇労働のことだそうだ。
騙されることも失敗することもある、失業もある、困難ではある、しかし人びとは知人や親族と、複雑に助けられ―助ける関係の中に浸されていて、日々をなんとか無事に生きている。「この雇用が切られたらおしまい」「この金を使ったら後がない」という不安はそこにない。

弊管理人はときどき、こういう「自分をロックイン状態から引きはがす」力を持った文章を求めてしまいます。日常を解毒する力といってもいいかもしれない。フィールド体験記かなと思って手に取ったら、かなり分析的な内容でしたが、解毒作用はちゃんとありました。
もちろん、地下鉄で読み終わったあと駅に降り立てば、「しかしこうしたタフで落ち着かないインフォーマル経済の世界に、自分は移住したいだろうか」と少しずつ醒めていくのですが。

* * *

そうして駅から帰宅して寝て起きると、予定と準備への執着に満ちた仕事界隈ではマラソンの日々はまだ続いていて、しかもところどころで「この100mくらいなぜ全力疾走できないのか」と叱咤されることもあり、毒は溜まり続けています(しかし溜まっていることから目を背けられるようになってはきた)。

フェイスブックもいよいよ居心地が悪くなってきたので、アカウントは残しつつ、用事や他の方の意見が聞きたい案件がない限り、見に行かないことにしました。

2016年10月16日

休日というだけの休日

オーストラリアから帰ってきて、次の日からまた余裕なくばたばた働いて、土曜も朝から晩まで働いて、ようやく休みが取れました。

* * *

ずっと毛布1枚で寝ていて、そろそろ寒くなってきたので掛け布団を出しました。(+4点)

* * *

8月終わりくらい?から髪を切っていなかったら頭の横と後ろの髪の毛がうるさくなってきたので、床屋に行きました。2004年2月から坊主で、札幌在任時代には床屋に行ったことはあるがバリカンしてもらうだけのためで、いったいいつぶりにハサミで髪を切ってもらったか分かりません。

床屋で何が起きるかを結構忘れているという自覚はあったため、「横と後ろを刈り上げずに切って下さい」というセリフは口の中で復唱しながら準備していき、うまく言えましたが、

  「もみあげ、どうしますか」

と準備してないことを聞かれて

  「えっ、どうしましょう……」

と慌ててしまいました。
床屋に行かなかったこの10年余り、どれだけこういうことを考えずに楽をしていられたことでしょう。

ともあれ、横と後ろがすっきりしました。 (+3点)

* * *

確か夏の初めくらいに買ったオリーブの鉢植え、葉っぱが全部枯れてしまったので、枝をおおかた切って葉っぱが全然ない状態でベランダのエアコン室外機の上に放置していました。そのうち処分かなと思いながら。
そうしたら、いつの間にかまた葉っぱが出てきていました。
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これから冬なんですけどね、地中海の植物は耐えられるのか。 (+3点)

* * *

オーストラリアに一緒に行った若い同僚が熱烈に押していた「君の名は」を見てきました。
こそこそ仕事のメールを返しながらでしたが、現実を2時間ほど忘れられました。
半分弱はうちの近所で物語が展開してました。 (+2点)

* * *

明日は月曜日です。 (-50点)

2016年09月25日

9月後半まとめ

たぶん9月の日記はこれでおしまい。
月に2回しか書かなかったのは2011年6月以来。
ぼーっとしながら過ごしてしまった感じ。
シルバーウィークの使い方は失敗しました。飲酒→夜更かし→翌日辛い。

あと、仕事面では方向感を喪失しました。
内容および人に馴染むのに結構時間がかかりそうなのに、追い立てられている感覚。気が重い。
そこへ「休日に呻吟しながら働いたのに報われない」事案があり、アホクサ、という気になってます。
受け持ちの分野そのものが嫌いになってきた。
少なくとも11月下旬まではこの状況はあまり好転しないと思う。

* * *

六本木、会期終了間際の「土木展」に行ってきました。
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civil engineering=土木、と知ったのはわりと最近のことだったと思います。
ダム、道路、港湾、地下鉄……という現場を思い浮かべると、「インフラ/公共事業」と、そのための工学、というイメージが固まってきます。
そしてその受け持ちは、その上=建築とは違うし、もっと下=地盤とは微妙に別らしい、という認識ができたのも、多分最近。
原発事故からこっち、「養生」「工程表(「行程表」や「ロードマップ」ではない)」「ピット」「開度」「立坑」「物揚場」など、土木っぽい用語をいっぱい聞くようになってはいたのですけど。
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そこは、これまでちょいちょい仕事でおつきあいすることのあった生命科学の業界とは違って、物理学が支配する「ものづくり世界観」があるように思えました。
さらに、コミュニティをつくる、みたいな社会科学系に向かう触手と、審美性に向かう触手がのびている。
んで、設計、財務、人事、渉外などと現業の文化が全然違いそう。
あと、工学だけあって「知る」が「使う」に奉仕するという関係性がより強そうですね。
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メカニクス萌えって、弊管理人はそこそこ分かる気がします。

* * *

土木展からの帰り、「MALINS」で一緒に行った友人とフィッシュ&チップスを食べてみました。
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オーストラリアやNZで食べたのと随分違う気がします。
英国帰りの友人も「違う」と言っていたので違うのでしょう。
弊管理人の知ってるやつは、もちっとがっつりした感じ。
こちらは天丼に載っかってるキス天みたいだった。

* * *

冷房を使うシーズンの終わりに、暖房&送風運転でエアコンの中を乾かしました。
その間に、中野まで出て「シャリデス」のカレー。
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あっこれ、おいしいやつ。スパイス食ってる感じがする。

* * *

仕事上の必要があって、ダイビングが趣味でもないのにマスク、シュノーケル、フィンとラッシュガードを買うことになり、手近な新宿の用品店に行ったのですけど、店員が高いもの高いものに誘導しようとしてきて大変嫌でした。道具をちょっと買ったところで、店では用具選びの視点だけ聞くようにして、安い通販で買う方法に切り替えました。

マスクの関連で、後頭部のバンドを覆うパッドを勧められたとき、「これ必須なんですかね」と聞いたら「嫌ならいいんですよ、バンドに締め付けられて頭が痛いだけだから」と言われて「うわ、もう話したくねえ」と思いました。これまで潜った中でそのパッド使ったことないですけど、頭が痛くなったことはないです。

* * *

とネガティブ優勢になるので、夏からあまり日記書かなくてよかったのかもしれない。

2016年08月28日

8月まとめ

もはや記憶が薄れてきている帰省は12-14日。

長野県大鹿村の中央構造線博物館に行きました。
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あと、いつものように母方の本家に行って伯母さん作のごちそう。
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祖母(95)は弊管理人が名乗ると認識するという状態は相変わらずで、健康状態もよさそうでした。
世話をしている伯母(74)は「100まで行かれたら私もきついけど行っちゃうかも」と。
写真が趣味の伯母はとうとう時代の流れに抗しきれなくなってデジカメに乗り換えましたが、まだPCを持っていません。せめて大画面で見られるようにと、テレビにつなげるHDMIケーブルをあげてきました。

父方の本家では3月に亡くなった祖父の新盆。
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坊主が忙しいとかで来ないというのに驚きました。しかし、ままあることらしい。

父(64)は3月で再就職した仕事も終了し、よこすメールでは「起きてずっとぼーっとしてる生活」などと言っていて弊管理人は若干心配していたのですが、ちゃんと職安に行って仕事を見つけてきたとのことでした。こういうところ、さすがというか。

* * *

15日から出勤しました。でも世の中はまだだらっとお盆が続いている感じの1週間。
やらなくてもいい仕事を、勉強を兼ねて1本こなしてこの週はおしまい。

* * *

その次の週は行事関係を忙しく回りつつ、1日は伊豆の海に潜ってきました。仕事というか、仕事の準備的なダイビングでした。
大学生のときにオーストラリアでオープンウォーターの免許をとって、そこから間に1、2回潜っただけで、ほとんど素人の状態です。2本潜ったうちの1本目は水中でうまく静止するのに難儀しましたが、2本目でわりと勘を取り戻しました。

すっごい疲れて寝たら翌日は5:30に目が覚めてしまい、疲れを2日引きずることになりました。

* * *

心頭滅却しているうちに8月が終わりそう。
9月以降ことし一杯は生活がちゃんと成り立たなさそうだなーと予測していますが、まあ仕方ない。ここ2年アイドリングさせてもらったので。
むかしはものをおもひけり。

* * *

本はちょこちょこ読んでました。

■小西雅子『地球温暖化は解決できるのか』岩波書店,2016年.

昨年12月に新しい地球温暖化対策の枠組みであるパリ協定が採択されてから、恐らく初の本じゃないでしょうか。ジュニア新書ということで、著者は表現を噛み砕くのに多大な苦労をされたようです。それでも「です・ます」調を「である」調に直せばそのまま大人用の新書になるくらいのレベルと感じました。
中身はほんと参考になります。

ちょっと仕事上の必要があって環境問題について知りたいなーと思って、ワンストップでいろいろ教えてくれる本を探していると、結局「環境法」と「環境科学」と「環境政治」などが共通のベースを持ちつつも、入口がかなり違っていることに気付かされました。特に国際交渉の情報は毎年更新されるので、ついていくのが大変。

■西岡秀三, 宮崎忠國, 村野健太郎『改訂新版 地球環境がわかる』技術評論社, 2015年.

それでこちらは「環境省入門」という感じ。あからさまにそういう本ではないんですけど、地球環境、国内の環境対策、廃棄物・リサイクル、水・大気・土壌の汚染、生物多様性など、環境省にある部局がそれぞれどの分野を受け持っているかに緩やかに対応したような章立てに見えました。
一般向けで俯瞰する本なので解説は最低限ですが、キーワードがきちんと盛り込まれていて、要約としてもなかなかいいと感じました。

■良永知義『食卓からマグロが消える日』飛鳥新社,2009年.

いただきもの。著者(魚病学)はこのタイトルがものすごく気に入らないようです。
養殖のことってほとんど知りません。勉強になりました。

2016年07月31日

グッバイ7月

三連休だったか、西新宿の「肉そば家 笑梟(ふくろう)」に行きました。
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肉は鶏肉です。結構おいしかったはず。
はず、というのは、鼻が通常時の3割くらいしか効かなくなってきて、味がよくわからなかったためです。
思えば三連休はなんかものすごく疲れがたまった感じで過ぎていったのですが、あれは風邪だったのかもしれません。去年も同じころに体調を崩していました。痛めたのも同じく喉と鼻。クーラーを本格的に使い始める時期のせいかな。
そして、三連休明けの1週間はかなりつらかった。

* * *

体調はそのあと順調に回復して、おいしいものをおいしいと思えるようになりました。
ので、新宿ニューマンに入った「ベーカリー&レストラン沢村」のモーニングを試しに。
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パンはもちろんおいしいです。あとベーコンとコーヒーもなかなか。1080円はまあ、そうかなという。
いやあの、コスパを求めるなら松屋のソーセージエッグ朝定一択ですから、これはしょうがない。
でもコーヒーがぬるい。これ、わざと?
弊管理人は猫舌なのでこれでもいいんですが、隣のおっさんはクレーム入れて熱いのを出し直させてました。

* * *

7月最後の日曜日は、飲み友の皆さんとさいたま市の沼影市民プールに行ってきました。
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430円の公共施設なのに、流れるプールがあるのはすごい。
あとウォータースライダーをキャッキャ言いながら楽しみました。

土曜は錦糸町のヴェヌスにカレーを食べに行ったところ、路地裏(業平一丁目付近)で隅田川の花火大会も目撃することができました。
この週末は、夏っぽいことができて大変満足でしたとさ。

2016年07月18日

明日館

目白駅から7分ほど歩いたところにある、自由学園明日館の見学に行ってきました。
ガイドツアーに参加させてもらい、いろいろ聞いてきたので、メモを。
(※細部間違っているかもしれません。ご容赦かご指摘下さい)

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新聞記者出身で「家庭之友」(のち「婦人之友」)を創刊した羽仁吉一・もと子夫妻(もと子さんは初の女性新聞記者らしい)が女学校として1921年に設立したのが自由学園です。生徒には活動的な女性になるよう、着物ではなく動きやすい洋服の着用を求めたそう。その後、学園は小学校も始めるなどして手狭になったため、13年後の1934年に東久留米市へ移転しています。

校舎の設計は夫妻の友人の建築家・後藤新と、その師匠で帝国ホテルの設計のため来日していたフランク・ロイド・ライトです。夫妻から、詰め込み教育ではなく、学校生活がそのまま教育になるような私立学校を作りたいとの構想を聞かされて共鳴し、多忙のなか校舎の設計を引き受けました。

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現在、日本に残っているライトの四つの建築のうち一つがこの校舎。移転後は卒業生のさまざまな活動に使われてきたそうです。ドイツ・バウハウスの講師だったヨハネス・イッテンによる美術・デザイン学校「イッテン・シューレ」などに学んだ女性たちによる「工芸研究所」もここに置かれました。

建物は関東大震災も戦争もくぐり抜けましたが、老朽化が激しくなりました。一時は学園の経営のために売り払おうかという話も出かけましたが、卒業生や建築家らが保存運動を展開。1997年に残すことが決定され、重要文化財の指定を受けました。オリジナルをどう生かすか、調査などを経て2001年に国や都などのお金計8億円をかけた修復事業が完了しました。

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こちらは食堂。ライトの設計の特徴の一つが幾何学的な装飾だとされています。シカゴでルイス・サリヴァンらの事務所にいたとき、フリーハンドの天才とされたサリヴァンにはいつまでたっても追いつけないと悟り、「自分は定規とコンパスでデザインをする」と決めたとのこと。

もう一つは、軒高を低く抑えて水平に広く展開した「プレーリーハウス(草原様式)」で、実際に敷地に立ってみると、そのコンパクトさと、意外な軽やかさに気付きます。入口の扉を隔てた中と外で床の高さも材質も同じです。しかし、乾燥した米国中部と違って湿気とシロアリの出る日本にこの様式を適用したため、建物の傷みを促す一因となってしまったとのことです。今は下にアスファルトを敷いたり、防虫剤を床材に塗ったりして対策しているそうです。

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教室にはもともと照明はなかったそうです。現代とは明るさの感覚が違ったのでしょうか。
造りは骨組みではなく壁で屋根を支える「バルーンフレーム」という、現在のツーバイフォーの先祖に当たるような方式。中は木と漆喰の質素な印象です。

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毎朝の礼拝が行われていたホールは、入ると頭上にロフトの床が大きくせり出していて、圧迫感があります。大きな窓も全体を見ることができません。しかし、

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窓のほうへ歩み出ると、それまでの圧迫感の反動のように、俄然その空間が大きく感じられます。これはライトが他の建物にも使う方法なのだそうです。

振り返ると暖炉があります。これは団欒を重んじたライトのこだわりでもあったようですが、木造の重要文化財で火をたくのは容易ではないようです。
火をたいてもいい場合がいくつかあります。(1)寺の中で使うような宗教の火である(2)人が住んでいる建物で日常使わなければならない火である(3)申請しチェックを受けた上での使用である―の三つがあり、ここでは(3)として、冬期の夜間見学や、ここで結婚式を挙げた人たちを招いて開くクリスマスディナーの際に使っているそうです。

ここは建物を会議や会食、式典などに使いながら文化的価値を保とうとする「動態保存」を行っています。今日もある部屋で、なんと卒業生である107歳の女性の誕生会をやっていました。

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そういえば、銅板の軽い屋根ですが、何やら瓦ぶきみたいな模様というか形をしているのに気付きました。説明をして下さった館長さんに聞いてみましたが、「よく聞かれるが、なぜなのか、ここだけの特徴か分からない」とおっしゃっていました。

もう一つ、部屋のドアノブが結構高いところにあります。アメリカ人の体のサイズに合わせたのかと思いましたが、ライトが担当した部分よりも、遠藤が作ったところのほうがなお高いそうで、これも理由はよくわからないとのことでした。

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バルコニーからホールを見下ろしたところです。見学は500円ですが、100円足すとコーヒーまたは紅茶と、クッキーかケーキがつきます。おいしくいただいて辞しました。

なお、道をはさんだところにある講堂は耐震補強中で見られませんでした。建てたときは5カ月という速さで普請したものの、壁の補強をするところが壁面がほとんど窓になっており、ほぼ解体しつつ補強することになったため、2年半の工期を見込んでいるとのことです。秋に補強中の講堂を公開するそうなので、もし覚えていたら見に行ってみようと思います。

遠藤はライトに「息子」と呼ばれるほど大切にされた弟子で、一生ライト風の建築からは離れなかったそうです。一方、土浦やレーモンドのようにコルビュジエに接近していった弟子もいたのだとか。折しもコルビュジエが設計した国立西洋美術館などが世界文化遺産になることが決まり、あえてのライト(笑)を見に行く形になってしまいました。

* * *

そのまま池袋まで歩いて、ロサ会館に入ってる「チェック」でオムライスを食べました。
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大学2、3年の時にこの辺に住んでいて、その時以来なので18年ぶりくらいだと思う。
紙ナプキンにおじさんの顔が描いてあるのも当時からだった気がする。
おじさんも大分古くなってるけどたぶんこの人だったはず。
完成された味でおいしいです。今900円だけど当時いくらだったかなあ。
悶々としていた学生時代が蘇ってきて、くらくらしました。
ずっと来ることのなかった池袋西口の駅前は、抱いていた印象の70%くらいの大きさでした。

* * *

で、さらに歩いて当時住んでいた家を見に行ってしまいました。
毎月家賃を渡していたおばさんがちょうど外にいたので話しかけてしまい、話し声を聞いて出てきた娘さんともどもに怪しまれました(そりゃそうだ)が、大学名と時期を言うと、なんとなくそんな学生がいたということを思い出されたようでした。

何百回と通った路地を歩きながら、いやもう、当時はまったく想像しなかったような10数年を過ごしてしまったと思った次第です。しかし次の瞬間、それは当時から将来のことを考えていなかったからだろうと思い直しました。

2016年05月29日

5月終盤あれこれ

わりと考えさせられたお台場での仕事を終えて、新宿駅の「ベルク」で16時に遅い昼食。
ホットドッグブランチ、ホットコーヒーをアイスに換えて+50で550円。
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特に期待していたことはないのだけど、じわっとおいしかった。

* * *

大学時代の同級生2人と「悲情城市」を見てきました。

* * *

眠れる時間が延びてきた。
なんでだろう。

* * *

■江守正多『異常気象と人類の選択』角川マガジンズ,2013年.

弊管理人が今後、仕事でこの分野にかかわることになったことを知った同僚が貸してくれた本。
エッセイ(随想+試論)だった。でも、いくつかの言葉を新しく知ることができた。

2016年05月15日

5月前半あれこれ

連休最後の日、午前中に新しい冷蔵庫が届いてご機嫌です。
広い。静か。

午後からは、久しぶりの友人と川崎の「ラクスパ」に行って岩盤浴。
ものすごく汗をかいたあと数日間、鼻の頭が乾いたのだけど、なんだろう。

「芝浦食堂」に連れていっていただき、ホルモン食って帰ってきました。
案の定、翌日は体調がすこぶる良好でした。

* * *

某誕生日は断続的に雨が降る福島に出張でした。
すぐには形にならないけど、とても興味深い話がいっぱい聞けた1泊2日でした。
いわき湯本温泉のお湯がよかったです。

* * *

5時間~5時間半寝るとぱっちり目が覚めてしまう現象は続いており、
しかし午前1時までに寝れば日中特に眠くなることもなく、
じゃあもうこれでいいかと思った次第です。
今年特に気付いた変化は
・夢を見る頻度が激減した
・二度寝できなくなった

連休最終日から掛け布団をやめて、毛布一枚で寝ています。
去年も同時期にそうしましたが、一度、寒くて掛け布団を再び出した記憶があります。

* * *

代々木公園のタイフェスティバルに今年も行きました。
ゲウチャイのガパオ、
ジャスミンタイのパッタイ、
どちらも美味でした。
っていうか知ってるお店でしか食べなかった。

ついでに今年も「白一」でソフトクリーム。
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今回は甘い珈琲に浸かってるやつにしました。
合う合う。シャリシャリ。あっさり。好き。

帰路、同行の友人から、そのまた友人(この人は直接知らない)の早世と、共通の知人の不治の病について教えられ、どすんと落ちて帰りました。なんかそういうのがぽつぽつ出る年代に入ったということなのかね。予測不可能なところに人生の面白さがあるというのは分かるが、思うに任せない無念というのもあるものです。

そういえば福島出張では5年ぶりの人に会いましたが、白髪がすごく増えていました。
本当に人の一生は短い。それが感じられるようになってくるのは、だいたい30年という年月の長さがどれくらいかを実体験したころだったかと思います。これまで生きてきた期間をもう1回繰り返すくらいで働く生活が終わる。40になると、生まれてここまでをもう一回で大体さようなら。ひょっとすると残りはそれより全然短いかもしれない。
といって、これを若い人に話してもその人は実感しないだろうし、老いた人に話しても何に活かせるわけでもない。思いの外バラエティに富んだ人の生は、それぞれ中から見れば反復のないサンプル数1のトライアル(つまり統計的にものが言えない)であって、特に子供や弟子のいない弊管理人のような人は伝えるべき相手もない。そう考えると、かえって深刻な気持ちから脱して軽やかになれる気がしてくるような気がしてきます。

* * *

土日とも、風が涼しくてからっと晴れて、最高に気持ちよい日でした。

* * *

実は今日のやつが弊日記の1000個目のエントリーです。
なんてことなく過ぎてしまいますけど。

2016年05月05日

連休中盤

中盤です。6日(金)は出勤しますが、ちょっと職場の様子を見に行く、くらいのつもりです。
といっても、休みの間にもやることを思いつくたびカレンダーに書き込んでいたら結構な数になったので、それなりに忙しくしそうな気がします。来客も1件あります。

* * *

学生時代から使っていた冷蔵庫をとうとう買い換えることにしました。
今は亡きSANYOの86リットル。いや、まだ動くんですが、さすがに自炊してると小さいのと、動作音が結構気になってきたためです。
新しいのは、AQUAというブランドの157リットルのやつです。中国の企業に買われたSANYOの人たちが作っているそう。国内メーカー(といっても作ってるのは東南アジアだけど)も含め、同じくらいのクラスでいろいろ検討しましたが、設置スペースと容量と値段でいずれも秀でていたため、これにしました。スペースに関しては奥行きをあまり取りたくなかったので。

ところで、4人家族とかで使う400リットル級のやつって、ちっちゃい冷蔵庫の半分くらいの電気代で済むようです。へえ。

7日の搬入を控えて、慌てて冷蔵庫の中のものを処分してます。
古い冷凍エビ
古い冷凍ほうれん草
古い玉葱
古いチーズ
古いバター
古いソーセージ
古い小麦粉
古いパン粉
と、かろうじて賞味期限内の牛乳
を使ってグラタンを作りました。
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なんとか腹痛を起こさずに消費できたもようです。勝った。
あと、グラタンは作り慣れてきて、味が落ち着いた。

* * *

伊東で父が大量に買い込んで持たせてくれた干物も、食べ続けてます。
アジ、カマス、サバみりん。ほくほくしててうまい。

* * *

だらだら練習していた幻想ポロネーズが次第に指についてきてうれしい。

* * *

あまりに天気がよかったので、小田急線向ヶ丘遊園駅からちょっと歩いたところの生田緑地に行ってきました。目当ては「岡本太郎美術館」です。
というか、ミュージアムカフェで出してる「太陽のパルフェ」。
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ふざけてます?
味は普通だった。つってもあまり革新性は期待できないか……

展示は、意外と面白かったです。これは唯一撮影可能だったエリア。
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ピアノをむちゃくちゃに弾いて「芸術は、爆発だ!」と叫ぶマクセルのテープのコマーシャルを確かリアルタイムで見たのと、渋谷駅にあるでっかい「明日の神話」と、あとは断片的なエピソードくらいしか知りませんでした。まとまった数の作品を見たのは初めて。絵は筆運びがよく分かるもので、書道みたいだった。

生前受けたインタビューの映像を延々流しているコーナーがあって、見入ってしまいました。
自然そのままも、抽象も、だめだと思う。その間を行く、「何だこれは!」(キーワードな)と見る人に抱かせ、格闘させる、イベントを喚起する、そういう作品が芸術だと思う。そういう一節が印象的でした。今も生きていたら、たぶん、商売上手なあの有名画家とか、変人や変人に憧れただけの学生みたいなあれとかこれとかは否定しただろう。
「個性的なものが普遍性を持つのだ」とか、キャッチーで的確だよ、いちいち。なんだろうと思ったら、フランスで民族学を勉強した人なのだという。本をいっぱい読んでいたようだし、音楽にも親しんでいたらしい。モーツァルトがいいというのだけは分かり合えないけど、他はすとんと落ちた。

今やってる企画展は、岡本太郎と沖縄がテーマでした。
木や、御嶽の特に何もない空間が持つ聖性にインスピレーションを得たこと、久高島で「イザイホー」という今は途絶えてしまった12年に1度の儀礼をレポートしたこと、一方で風葬にされた遺体の写真を撮影し、東京で週刊誌にそれを発表したことで大いに批判されたことも紹介されていました。

今後の旅行先の選定のため、イザベラ・バードを読もうかなと思っていたところでしたが、もうちょっと最近のところで、岡本の紀行文に当たったほうが面白いかもしれないと考え直しました。うまくしたら6月に2泊で沖縄に行くつもりでいるので、その予習も兼ねて。

都心は27度になったようですが、生田緑地、なんか涼しくて素敵な森でした。
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バラ苑が12日からだったのが残念。企画展が入れ替わったころ、また来てもいいかなー

2016年05月03日

連休前半

■4/29

父・妹と、昨年末も行った、伊豆にある会社の保養所に行くことにしました。
関東組の弊管理人と妹は中央線特急で、父は中央高速で大月集合です。
で、山中湖方面に向かう途中に見えたこのお姿が、今回のベスト富士でした(早い)。
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この写真で、富士山の左側は雲がかかっていますが、まさにその辺に当たる須走~伊豆・箱根あたりは眺望がよくなかったので、なぜか「黒たまご」というキーワードに食い付いた父の発案で仙石原方面に逸れて黒たまごを食べに行きました。
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立ち入り規制がかかっている大涌谷で作ったやつを持ってきて売る形式で、ちょうど前日から販売再開したとのこと。執念だな。
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熱海に降りて、海沿いの道を伊東まで走って到着。
風呂に入ってメシ食って寝ました。

■4/30

伊豆半島一周してみようということで、9時ごろ出発しました。
弊管理人が強く提案した「大室山」(580m)。
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伊豆に入ったころから、こんもりした緑プリンが目に入ってきます。「何これ」って思って行ってみたくなるでしょう。
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往復500円のリフトに乗って6分。粘度の低いマグマでできた「スコリア丘」だそうで、外輪に立つと周りに高いものがないので見晴らしがすごくいいです。
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火口ではなぜかアーチェリーができるとのこと。噴火は約4000年前って、結構最近のように思えます。
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このあたりの地形がそれでできたというので、意外に重要な山なのでは。
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いや実際すごく満足度高かったです。
仕事上、独特の地形をもった地域を認定する「ジオパーク」というのがあるというのは前々から知っていて、しかし悪いけどあまり気にも留めていなかったのですが、ジオパークをテーマに旅行に行くのもありかなって思い直しました。
逆に街歩きがそーでもなかった今回、古本で買った「ことりっぷ」はあまり役立ちませんでした。
道の駅で配っていた東西南北版に分かれたドライブマップは、展望地や気安い食堂、お土産などが絞り込んだ形で載っていて、結構参考になりました。

海もきれい。
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下田のあたりにある「ごん太」で「いけんだ煮味噌」定食、1000円。
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漁師料理だそうです。結構お腹にたまりました。
父は金目鯛定食1200円の金目鯛が「小さな切り身だった」と不満げでしたが、一匹の煮付けって数千円しますしねえ。
下田は楽しみどころがよく分からず、さっさと退散。
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ペリーもこんな辺鄙なところじゃなくて、もうちょっと都会がいいと思ったであろう。
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最南端の石廊崎は船に乗って海から眺めました。

西側はわりと駆け抜ける感じで、西伊豆スカイラインも割愛してしまいました。
残念でしたが、次のお楽しみということで。

■5/1

どこを通って帰るかは悩ましいところでしたが、富士山見えるかも、ということで年末にも通った伊豆スカイラインと芦ノ湖スカイラインに再チャレンジしました。
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見えた!けど薄い!(笑)肉眼ではもうちょっと見えた気がします。
でもまあ、もう十分というくらい見たので満足しました。

忍野八海も見ましたが、しょぼめ。
しょぼいということが分かったのが収穫と素直に思います。

大月に戻って帰ろうとすると、父なぜか信玄餅の桔梗屋本社工場の見学を提案。
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信玄餅の味の本質を「黒蜜」と「きなこ」と捉え、プリンやソフトクリームなどさまざまな商品に応用していますが、いずれも意外といけました。というか「餅」じゃなくていいのだな。
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女工さんが6秒に1個のペースで包んでいるというのは意外であった。日産10万個だって。ひー

実家に帰って近所でソースカツ丼食って寝ました。

■5/2

母方、父方の実家を訪ねる日。

母方は父がもう行かないことにしているらしいので、弊管理人独りで電車に乗って行きました。
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伯母(73)がご馳走を用意してくれていた。
祖母(95)はちょっと寝ている時間が長くなったかな。
食欲は相変わらずよくあるよう。
昨年秋に転んだか何かで左手を骨折したそうですが、わりときれいにくっついたそうです。

父方は祖父の他界後、祖母はどうしているかなあと思っていましたが、見たところまだ大丈夫そう。
跡取りの叔父(うちの父は養子に出ているので跡取りではない。伯父は跡取りしない宣言済)が時々訪ねてくるようですが、腰の曲がった祖母が山間の一軒家に住んでいるのは何かと不便そうでした。

* * *

いろいろ少しずつ古びて、老病死のさまざまなケースを考えないといけない時期に入ったようです。
弊管理人が直接関わるべき課題は父、ですが、まだもう少し頑張っていただきたいと。
あと、母方の祖母がいなくなったあとの家の処分は部分的に被さってくるかもしれない。
他は基本、それぞれによろしくという感じかなあ。

連休後半はあまり予定を詰めてません。
意外と疲れを感じながら目覚めたので、今日3日はちょっとゆっくりしよう……

2016年04月20日

最近のいろいろ

熊本の地震はいろいろ意外な展開があって、弊管理人の仕事も影響を受けています。

東日本大震災のときに、知り合いの災害とは無関係な農林系公務員が「同僚が被災地対応に持って行かれた。年度末の忙しい時なのに迷惑」みたいなことをぐちゃぐちゃ言っていて、「この人無理」と思ったことを思い出しました。例外的な状況で、ある程度の諦めができないのはだめだよ。
って言ってると「一億総火の玉」を肯定してしまいそうだが、そこは事の内容により個別判断で。

* * *

忙中ちょっと仕事を抜けて、昨年9月に不慮の事故で亡くなった同僚の名前が火星と木星の間にある小惑星についた(弊管理人は少しお手伝いをした)ということで、記念にデータなどを額装したものを奥さんのところに届けにいってきました。

いろいろお話を伺っている中で、

・知人の税理士に「人が亡くなったあとの整理をしていると、いろいろ嫌なものを見ることになりますよ」と言われた
・実際まあいろいろ出てきた
・死亡を友人知人にお知らせするため、携帯を販売店に持ち込んで、死亡診断書などの書類を揃えて何とかロックを解除できた
・でもマックは、アップルストアに持っていってもガチガチにプロテクトがかかっていてデータが取り出せなかった(普通より相当ガチガチにしてあったらしい。スタッフにも「この人すごいですね」と言われたそう)

というのを聞いて、およそ10年更新していない遺書をそろそろ新しくしなきゃ、と思いました。

* * *

アマゾンのタイムセールを利用した断続的な買い物、今般はwifiのルーターを更新しました(3980円)。
従来のは確か2009年くらいに導入したものです。
「ひょっとして……」くらいの期待で買いましたが、ぶつぶつ切れていたiPadの通信が正常化し、さらにすんごく体感速度が向上しました。PCは変わらなかったけど。でもよかった。

* * *

忙中のほうが、のんべんだらりとしている期間よりいろんなことができることに気付きました。
1年半ぶり(!)の風呂掃除、wifiのルーター更新、ポロシャツ購入、掃除機導入、大物のゴミ捨て、書類整理。

* * *

■飯田高『法と社会科学をつなぐ』有斐閣,2016年.

法学って社会科学じゃなかったっけと思いながら、面白そうなので本来買おうと思っていた本を買わずに買った本。

・よい意思決定のためには、それまでにつぎ込んで戻ってこない資源・労力・時間は「サンクコスト(埋没費用)」として考慮すべきでない

・パレート効率性の改良型?としての「カルドア=ヒックス効率性」。状態AからBへの移行で得をする人が損をする人に補償をしても、なお利益が出るなら移行するのがよい

・公共財ゲームは、多くの人が「条件付き協力者」であることと、合理的な計算ではなく感情が人々の行動を支えていることを示す。他人が協力するなら自分もするが、自分だけ損をするのは嫌。と思う人が
多いなら、多くの人が協力している環境の下で協力行動が持続的になる

・いろいろなゲーム(モデルとしての)は、実はいくつかの社会状況が似ていても違ったものだったり、違ったように見えても実は似たものだったりするという鑑別を助けてくれる

・ある方向への収斂(カスケード)によって大損害がもたらされるのを防ぐ機構:正確な情報提供、秘密
投票、株価の値幅制限、メンバーの多様性、発言順に関するルール、など

・義憤→処罰行動→線条体の活性化(=満足感の期待)

・ハンドの定式。事故回避のための費用<事故の発生確率×重大性、なら事故を防げる立場にあった人に過失が認定できる

・いろんなバイアスはウィキペディアののlist of cognitive biasesに

あたりが「へー」と思ったこと。雑誌連載をまとめたもののため、本そのものはカタログ的だけど、企てはとても面白いと思う。
どうでもいいけど、この著者は「しうる」とか「なりうる」とか、よく言いますね。

2016年04月10日

そして回復

金曜の昼間は帝国ホテルで(あまり面白くない)仕事があったので、そのまま銀座に出て「デリー」でランチしました。
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1000円でタンドリーチキンとカレーともろもろが食べられて十分にお腹にたまった。満足です。

夜、ちょっと無理してお酒飲んで、しかし快調に喋って、家に帰ってばったり倒れて寝て起きたら、咳とだるさは95%なくなっていました。

この週末は自炊主体で体の修復に努めました。
あと、ようやく花粉の季節が去ったようなので、久しぶりに布団を干しました。

* * *

日が長くなってきたせいか、いよいよ体力がなくなってきたのか、ショートスリーパー度がさらに増してきて、5時間半くらい寝ると起きてしまうようになりました。

で、起きるたびに「あーもう起きてしまった」と残念がっていたのですが、それも気分が悪いので、もう起きてしまったら諦めてさっさと床を出て、昼寝の時間をできるだけ作って補うことにしました。

* * *

今週、新しくうちに導入されたもの。

(1)サイクロン式掃除機 FREED2

13年使った紙パック式の掃除機、壊れたわけではないのですが、寝室から持ってきてコンセントつないで……というのがちょっと面倒だったのです。
少し前からコードレスの掃除機を物色していたところ、たまたま「いいかも」と思った機種がアマゾンのタイムセールに出ていたので買ってしまいました。
ひょいっと持って使えるのが楽です。そして吸い取ったホコリの量を見てぞぞぞ。
これは買ってよかったかも。

(2)浄水器

どうも水道水がまずいのでミネラルウォーターを買っていました。
毎日料理をするわけでもないし、ストックしていれば非常用の備蓄にもなるし、このままでいいか、と思っていました。が、昨秋泊まりにきた友人に「浄水器にしたら?」と言われたのは頭の片隅にあり、とうとう「お試し」のつもりで4000円くらいのを買って取り付けてみました。

その過程で、うちの蛇口の出口の部分が取り外せることを知りました。それ外してみると、ちょっとヤバイ色の錆のようなものがたまっており……
それを外すと特に水がまずいわけでもなく、うーむ浄水器を買うほどでもなかったか、という気も。
でも買わなければこの原因に気付くこともなかったし、まあいいか。
暫く使ってみようと思います。

2016年04月03日

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桜の開花宣言が3月21日に出て、その週末にあまり咲いてない靖国の桜の下で花見をしました。
開花のあと、しばらく寒い日が続いたせいか、その後のろのろと桜が咲いた感じがします。
で、今日は満開の下でもう一度同じグループで夜桜を見ました。
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先週はPCの画面を見ている時間が長くて桜をゆっくり見る時間もなかった。
土曜は仕事を一個片付けていたら夜に。
本日、日曜のこの花見でやっと世間に追いついた感。

生き物が冬を越すのは大変です。
周囲でも何人かが花を見ることなくいなくなってしまった。

2016年03月16日

歓迎

京橋にて午後いちの仕事だったので、早番を早めに抜けて「歓迎(ホアンヨン)」でランチしました。
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蒲田に本店がある餃子のお店。皮モチモチ系。ニンニクを使ってないそうです。
使ってあるほうが弊管理人好みですが、それでも結構おいしかったです。
それより、セットになってたそぼろご飯がとても中国っぽくて良い。
(写真はピントがずれていたので割愛)

* * *

長めのスパンでやる仕事もまあぼちぼちやりつつ、誰かがやらねばならない細かい仕事を結構な数こなしてきたと思うのですが、先週末に「細かい仕事はいいから、心に残ることをしなよ」と言われ、俄然やる気がなくなりました。じゃあやりませんよ。でも誰かがやらなならんのと違いますか。

* * *

職場に咳テロリストが増えて、ますます環境が悪いです。

* * *

といった諸々と疲れもあり、今日はうっかり16時に仕事を切り上げて家に帰って寝てしまいました。

2016年03月04日

名古屋とお弔い

日帰り名古屋出張でお相手をしていただいたのは、弊管理人よりいっこ下の研究者さん。
あちらの専門の話だからなのかもしれないけど、的確にこちらの聞きたいことに答えてくれるなあと感心しながらお話してました。先日の高齢大御所氏はあまり深まらなかったのとはだいぶ違って、短時間だけど来てよかった感のあるお仕事になりました。

で、名古屋駅の「味仙」で台湾ラーメン。
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うまい!
けどかっら!!

* * *

祖父のお弔いに行ってきました。
納棺師に来てもらったらしく、顔はずいぶんきれいにしてありました。
1月に見た姿とも変わっておらず、お疲れ様でしたという感じ。
父は祖父が亡くなる2日前に病院に顔を見に行ったそうですが、普通に会話してたそうです。
去年の5月に入院したのは肺炎だと思っていたら、心臓だったらしい。死因も心不全とのことですが、それは単に心臓が止まったというだけで、要は何かの病気というよりは体力が尽きましたということなのでしょう。
あと、93歳だと思っていたら94歳でした。

軽トラで散々走ったであろう天竜川への道を、黒い車で下っていく。
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焼き場で1時間。ばあちゃんが「こんな粉になっちまった」と呟いたのが辛かった。
ちなみに1981年に曾祖母が亡くなったときは土葬でした。幼稚園を休んで葬式に行った4歳の弊管理人は、大人たちが畑の一角にある墓地まで棺桶を担いでいくのを見たのを覚えています。

祖父は旧陸軍の少年飛行兵だったそうです。
「大酒飲み」「優秀」までは知ってたけど、「ユニーク」という評はお葬式で初めて聞いた。おもろいところは見たことがなかったが、ちょっと独特という意味なのかもしれん。
あと、従軍慰安婦について思うところを書いた文書が残っていると聞かされました。内容は「要は当時は何でもありだった」というようなものらしいのだけど、ばあちゃんが「そんなもん公表するもんじゃねえ」と言って丸めて離れに放り込んであるそうなので、そのうち漁らねばなるまい。何かとものを書く性格は祖父、父、そして弊管理人に伝わっている気がする。

ところで、お葬式で弟さんに初めて会ったけど、こちらは海軍で特攻隊だったんだって。
8月11日に出撃して死ぬ予定だったが、上官の田英夫が「様子がおかしいからちょっと待て」といって止めたまま終戦を迎えて生き残ったとのこと。ある程度のレベルまで終戦が近いことを知ってたんでしょうか。
その他、名前だけは知っている人たちをたくさん見ました。
周囲は高齢者ばかり。弊管理人は最後に「お店をたたむ役」を果たすことになりそうです。
健康に気をつけないと。

2016年02月28日

祖父

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今日、父方の祖父が亡くなりました。
いくつだっけ。多分93歳とかそれくらい。

戦争中は飛行機乗りで、中国に出掛けていたということは聞きました。
終戦のあとは南信州の山間に戻ってずっと畑を作っていました。
若い頃はお酒で荒れることが結構あり、伯父はそれが嫌いだったそう。
軽トラか軽バンで2度ほど谷に落ちたものの、戦時中の訓練のおかげで助かったという伝説も父から聞いた。
弊管理人がリアルで知っているのは60代で幅跳び3m以上跳んでるすごいところとか、
テレビを見ながら高校野球にダメ出ししてるところとか、
梅を摘んでるところとか、
弊管理人に結婚相手を紹介しようと電話に手を伸ばしては弊管理人に止められるとか、
そんな姿くらいです。
盆正月に毎年会っていたので結構話もしたはずなんだけど。
あ、指で宙に字を書きながら喋る癖もありました。

ここに書いたとおり、昨年の5月、肺炎で入院したときに体が弱って動けなくなってしまい、そのまま療養病棟に入って、ときどき家に帰ったりしていたのでした。
この間の1月に会いに行ったとき、かすれた声で「頑張れよ」と言われたのが最後。
いやとても最後の言葉っぽいよね。お互い最後かなあと思っていたのかもしれない。

写真は2011年の正月、「遺影を撮ってくれ」と言われたときのもの。
目をつぶってしまった1枚目のNGショットです。
わりと家族に似ていない弊管理人が一番似ていると言われたのがこの祖父でした。

ということで、葬式のために今週ちょっと帰省します。

2016年02月13日

福岡とインフル

今週水曜、北九州に出張しました。
北九州空港よりも、福岡空港+特急のほうが安くて便利そうなので、そうしました。

ものすごく余裕を持って行きの飛行機をとっておいたら、前日になって「機材繰りのため1時間25分遅れます」との案内がきました。それでやっと丁度いいくらいの時間で、しかも早起きしなくてよくなったので、かえって有り難かったです。「迷惑料」とかで飛行機に乗るときに1000円いただきました。いいのに。

ただ、福岡空港から天神に直行して昼飯、という時間はなくなり、かわりに仕事先の最寄りの折尾駅近くで「かしわうどん」をいただきました。
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かしわなの?でも甘く煮た肉も、だしもとてもおいしかったです。360円!
横のはかしわおにぎり、100円。うどんに至極あう。

仕事を終えて博多に戻り、友人に教えてもらった住吉の「釣りバカ 小福」を訪ねました。
18時に入った時は弊管理人一人でしたが、すぐに地元民と思われる人たちで満員に。
真鯛、500円!
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めんたい茶漬けでおなかいっぱい。
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どうも写真が左に傾く癖があるね。

カウンターで隣になったおとーさんと話し込みました。
「出張?友達に聞いてここ来たの?その人、通だわー」とのこと。ですよねえ。食べ物は人に聞くのが一番です。

* * *

12月から公私ともにとにかくいろんなところに行く用事が目白押しで、この北九州出張で一落ち着きでした。「絶対体調崩せない」という気でいたためか、クソ寒いベルリンも札幌も元気にこなしていて、どこかで「これ終わったら疲れが出そうだなー」と思っていました。

案の定、福岡から帰ってくる飛行機の中で「あれ……喉おかしい?」となり、木曜深夜の仕事はトランス状態でやり、金曜午後になるとどんどん体調が悪くなって「やばい、これ」と会社の建物に入ってるクリニックに行ったら、インフルA型陽性。わあ初めてかもしれない、インフルエンザ。
イナビルという吸入薬を薬局で使って治療終了です。タミフルみたいに何日か飲む必要はないんですね。これ便利だな。

職場に戻って頼まれ仕事を仕上げるや否や、上司に「帰ります!」といって風のように立ち去り、帰って布団に直行です。医者が「今夜はもっと熱が出て、明日の夜までには収まりますんで」と言っていたとおり、夜半に血がぐらぐら煮える音が聞こえるくらい熱が出て、朝には微熱くらいまで下がりました。

解熱から2日はウイルスの排出があるので、月曜まで会社を休みます。こうやって体をリセットする機会もたまには必要なのでしょうな。

2016年01月03日

年末年始15-16

2015年から恒例化しつつある家族でお出かけ第3弾は、30-31日に伊豆。
長野から来る父と、東京を出る弊管理人および妹は甲府で合流し、富士山の横を通って富士市に出ました。
晴れていましたが、富士山は雲がかかっていて惜しい感じ。
これが一番見えた瞬間。
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「さわやか」でハンバーグ食って伊東に向かい、会社の健保の保養所に泊まりました。
15年勤めていて初めての利用でしたが、こ、こんないい施設があるなんて……という所でした。

翌大晦日は伊豆スカイラインを通って芦ノ湖、そこから河口湖の脇を通って「不動」でほうとう食って、中央道から長野に帰省しました。
父と、本家で祖母の世話をしている母方の伯母がもめたので、今年の年越しは弊管理人だけがPKFとして駐在することにしました。
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毎年のことだけど、ご馳走だなー。

明けて元日は、昼にそばを食べてからJR飯田線で父の家に戻ります。
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車窓はこんな風景です。
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そこまで寒くもなく、中央アルプスもよく見えて、穏やかな新年でした。
父方の祖父母にも会ってきました。
祖父はもう体が動かなくなって療養病棟にいます。
祖母は一人で山の中の家にいます。

気付いたこと。

・母方(=本家)の祖母は95歳、特にヒントがなくても弊管理人を認識しました。自分と周囲の状況をある程度分かっているが、記憶がうまくいかないという状態に見えます。「パーになっちゃった」と言っていましたが、体はそれなりに元気そうです。伯母がボケ老人のように扱うのを、耳が遠いようで実は聞いていて、イライラしているようです。

・伯母もちょっと認知が弱くなってきていないか?と心配になりました。よくものをぶつけたり、ちょっとその判断はどうなのかなと思うような様子が見えたり。もうすぐ後期高齢者だとこんなもんなのかな。しかし、趣味の写真は続けていて、とうとうフィルムカメラに加えてデジタル一眼を買っていました。ウォーキングとかして、向こう20年くらいは頑張ってほしいです。

・叔母の夫はレビー小体型認知症を発症して何年か経ちます。ずっと譫妄が出たり暴れたりして家族を悩ませていましたが、とうとう鉄格子付きの病棟に入院となったそう。本人はかわいそうな気もするが、周囲の大変さを思うとそれが最善だったように思います。

・父方の祖父(93か94歳)は、体のほうは長くはないかもしれませんが、頭ははっきりしています(これは周囲の意見が一致するところ)。さすが戦中世代は違う。親族の中で、弊管理人と一番顔が似ているのが祖父なので、祖父が寝たきりになっている様子を見ると、自分の最期もこんな感じなのかなあと思いました。

・祖母も90代(92?)ですが、おかしくなってないところを見ると、父方の血は精神・神経系に関しては大丈夫なのかも。

・父はまあ暫く大丈夫か。運転は、何年も前に違反で痛い目にあってからスピードは控えめになっていたのが、また昔のスピード癖が戻っているように見えたので、釘を刺しておきました。

・妹は風邪っぴきだったけど、わりとメンタルのほうは落ち着いているように見えました。

・ということで、段々いろいろ押し詰まってきた感があり、まず弊管理人は自分のコンディションを整えてさまざまな事態に備えておくべきだなと思いました。

* * *

元日の最終の高速バスは、渋滞もなくすいすいと中央道を走り抜けて、定刻より40分ほど早く新宿に到着しました。

2日は洗濯機を2度回して、運動して、買い物して、ちょっとお酒を飲んで、寝ました。

* * *

3日は友人が高尾山に「護摩をいただきにいく」と言うので、意味もよく分からないまま同行しました。
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一番安い3000円コースは、お札と、お土産っぽいお茶のパックのほかに、この木片をもらいます。木片は何やら「悪いところを撫でるといいやつ」らしいので、空港の係員が持ってる金属探知機みたいに全身をスキャンして置いてきました。
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タダで参拝しようという人たちはすごい列をなしていますが、境内に入る有料コースのわれわれは横からすいっと入ります。
真言宗の護摩祈祷は初めて見ました。坊さんがいっぱい出てきてホラ貝吹いたり太鼓叩いたりしてご唱和。なんか屋内でぼーぼー火を燃やしてるし、リズミカルだし、いいライブです。
「信心がないから行かない」のではない、それは対象を避けようとしながら囚われてしまっている。従って「信心がないからこそ行って観察する」。これが正しい。

しかし、お札を貰ってしまいました。来年また返しに来なければなりません。
こんなコミットメントを作るとは、うまいな。

ついでに20分くらい歩いて山頂に行きました。
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富士山みえたああああ160103takao4.jpg
入ってるのが稗、粟、黍、アマランサスなど10穀=10具=テング=天狗という苦しい名前のお団子(クルミみそ付き。団子自体がちょっと甘くしてあって意外とおいしい)食って、ラーメン食って帰ってきました。

* * *

今年は、今後5年、できれば10年くらい楽しめることを探したいと思っています。
ここ3年ほどふてくされていましたが、そろそろ再起動かなという気分になってきました。
人には「やること」が必要です。しみじみ思います。

2015年12月27日

年末

昼飯は新宿御苑駅の近くの「カロッツァ」。
前菜3品とサラダ、パン、コーヒーか紅茶が付くパスタのランチが1200円(前菜つかないやつは900円)。
おじやに見えますが、ホタテとほうれん草が入った、つぶつぶのパスタです。
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なんか手の込んだものが食べたい気分の時によいです。
内容的にもなかなか値打ちなのでは。
近くにあるwillという有名なハンバーグ屋は長蛇の列でした。一方こちらは食べログの評価が高くないのでゆったり飯が食えます。

* * *

昨日の夢は卒業した小学校が舞台で、核爆弾が破裂して火傷するというお話でした。なんだそれ。
今、原子力関係の本を急いで読んでいるので、そのせいでしょうな。

今日の夢は、久しぶりに亡母が登場。既に療養中の場面でした。でも結構元気でした。

* * *

クリスマスが過ぎると急に年末になるのを忘れてました。

2015年12月19日

お弔いなど

4月の日記に書いた友人が今週、亡くなりました。享年32。

がんの再発が分かってから入院して薬物治療を受け、しかし夏にはそれも終了し、退院して自宅療養になっていたようです。だいたい亡くなる3カ月前が投薬をやめる判断の時期だという腫瘍内科医の意見を聞いたことがあります。ひょっとしたらそのころ、余命がついていたのでしょう(余命は当たらないことも多いのですが)。

ちょうどその前後に病院にお見舞いに行き、退院後も、経営している飲食店に本人が短時間顔を出したところに鉢合わせたりもしました。ツイッターは亡くなる3日前まではやっていた形跡がありますし、LINEもわりと最近まで会話に混ざったりしていたので、ご無沙汰だったところに突然の訃報、というタイミングではありません。頭のどこかで「いつかは」と思い続けていたことがとうとう訪れたという感じ。
最後はお店の関係者や恋人が駆けつけて、彼はそれらの人々の顔を見てから息を引き取ったそうです。

本人については当然、極度に切ないです。しかし、仕事を抜けて行ったお通夜で、初めて見る彼のお母さんが棺桶をのぞき込んだシーンが、弊管理人には最もきつかったです。こぢんまりした斎場には友人たちが入りきれず、外に列が伸びていました。誰もショックがでかかったようです。それはそうだろう。健康とか気にせず食って飲んで、10年後、20年後のことを普通に案じることもできる年代でまさか、というね。

一方で、周囲からのケアと励ましに包まれて最後の数カ月を過ごせたことはいかにも幸せだった、といってはいけないでしょうか。弊管理人も棺桶を覗きましたが、うまく顔を作ってあったであろうことを差し引いても、安らかな表情に見えました。180センチ強、120キロ強の巨漢でしたが、闘病闘病でやつれた感じでもなく、「顔を近くで見るのは久しぶりだけど、相変わらずでかいね……」とちらりと思ってしまいました。

* * *

お弔いのあと、コミュ障仲間のお友達と、門前仲町の斎場の裏にある「ディデアン」に行きました。
結構前から行きたいリストに入っていたのですが、門仲に来る用事がなかなかなくて。
正調のマルゲリータ。
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うんめ!

なぜかカレーはインドカレーっぽい外見のタイカレー風味。
これも大変おいしかった。ケフィアがつきました。

* * *

別の日のランチは東京駅近くの東京ビルに入ってるタンメン「トナリ」で。
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太麺と濃いめのスープがグーーーー。
これまで、このビルはほぼインデアンカレー一択(つるとんたんは毎度行列していて入れない)でした。選択肢が増えた。よいことだ。

2015年12月06日

エリックサウス

大阪に住んでいる大学時代の友人から、仕事で東京に来ると連絡があったので、東京駅で待ち合わせして、八重洲地下街のカレー屋「エリックサウス」でランチをしました。
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うーん、おいしいし、おなかいっぱいになります。近くにあるダクシンは休日のランチがかなりの強気価格なのですが、こちらは1000円ちょいで収まるのでいいと思う。あと、地下街のかなり外れのほう(日本橋寄り)にあるせいか、あまり無意味に混んでないところも有り難いです。
このお店の名前はずっと知っていて、行きたいと思っていました。一体誰に教えてもらったんだっけな。

友人は仕事で画像認識関連のことをやっているので、今年随分盛り上がった人工知能について聞いてみると「言われてるほど新しくないんだよ」と。いわく、新しい分野は

 ・英語で本が出たらピークアウトの兆候
 ・日本語で本が出る頃には、おいしいところはもうやり尽くされてる
 ・ブルーバックスが出たら、まとめ

とのこと。ははあ、このメルクマールは分かりやすい。
それで思い出しましたが、一昨年だったか、物性物理をやっている大学時代の別の友人(私大准教授)に、日本人がノーベル賞とるかなって騒がれている分野のことを聞いたら、

 「あれはもう先がないことがはっきりしたよ」

とバッサリいかれたことがありました。
仲間以外を褒めない人種だと思っているので割り引いて聞いてはいます。でも、こういうことは雑談ベースでインサイダーに聞かないとわからんです。

食べながら話していると、友人は「最近、友達が減ってきてる気がする」とこぼしました。
大学のときの友人たちと疎遠になっているということのようでした。このランチも旧交を温める機会の一つだったのでしょう。
そういえば弊管理人もここ2~3年、ずっと会ってなかった学生時代の人たちと会ったり、留学中の仲良しと会ったり、よくしてました。なんかそういう「暫く会ってないし、折角なら」と思う時期なのかね。

* * *

11月下旬のことですが、おいしかったものいろいろ。
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実家から送られてきたリンゴ、今年は当たりでした。
甘みと酸味のバランス、歯触り、すべてハイレベル。

友人からのお裾分けで「治一郎」のバウムクーヘンも良。

片面が黒い焼き芋用アルミホイルを使って、トースターで安納芋を焼いて食べてます。
この冬はこれで焼き芋を楽しみます。

* * *

割れた顎は結局、膿んだりすることもなく1週間後に糸を抜きました。
患部が自分で見えないので何針縫ったのかは分からないのですが、パチン(糸切った)スー(抜いた)を数えていたら3回でした。多分3針。ということにしておく。

さらにその後の1週間でかさぶたが一部できて、指で触っても大丈夫になってきました。
肉がまだ硬くなっている?感じがします。

そうしたら昨夜、今度は酔っぱらって歩いていて、路上に倒れていた自転車に躓いて膝から流血しました。懲りない。
絆創膏を貼るくらいしか必要なさそうな怪我です。顎も骨や関節には特に影響なかったようで、いずれも不幸中の幸いといえるでしょう。
しかしこれはハインリッヒの法則でいうところの「軽微な事故」相当なので、この流れで大けがをしないように注意しようと思いました。


* * *

細かい仕事にちょこちょこと手を着けすぎて、わりと疲弊した1週間でした。
しかしやることを箇条書きにして大体さばき、懸案だった大きめの案件は「お断り」することでリストから抹消し、週後半には一息。土曜に入れてしまっていた朝からの仕事も、金曜の夜の仕事が未明に及ぶことが分かった時点で果敢にキャンセルして正解でした。午後には新しい仕事を入れちゃったけど。

2015年11月21日

顎割れる

大変くだらない事情により顎を家の床で打ち、1cmくらい割れました。
炒めていて破れたソーセージのように肉ごとぱくっといっていたので結構引きました。
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ぶつけた瞬間は歯を心配したのですが、そちらはどうも大丈夫らしく、しかし血がぼたぼた垂れてラグや椅子も汚れたので掃除して、とりあえずティッシュで押さえたまま開いてた近くの病院へ。
土曜日の午後、結構混んでるなあと思いながら1時間半くらい待っていました。
「縫います」ということで診察室のベッドで麻酔をして縫ってもらいました。
あと、怖いから一応ということで破傷風のワクチンも接種。家の中なんだけどな。
薬は抗菌薬の飲み薬と塗り薬、それから痛み止めを3日分。
診察と手術、予防接種で2千数百円、薬はすべてジェネリックにできて600円。皆保険て素晴らしいな。
シャワーは明日から浴びていいとのこと。あとは絆創膏を毎日換えるようにと。
他に異常がなければ1週間後に糸を抜いておしまいだそうです。
お酒飲めない。残念。
それにしても何があるかわからん。寝不足(忙しいのではなく、長く眠れない)が祟ったような気がする。
いてて。

* * *

それはそうと、今週は霞ヶ関での仕事のあと、同僚と虎ノ門のニルワナムのランチカレーバイキング(1200円)に行きました。
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盛りつけの才能がないので何となく汚いですが、かなりおいしかったです。
錦糸町にあったアキンボのマスターに、かなり前に教えていただいたまま行けないでいたお店です。
結構食べたので、夜までお腹が空きませんでした。

* * *

5月の健康診断でコレステロールが高かったことに発憤し、
・野菜>魚>鶏肉>赤肉
・走る
という2本柱でゆるーいダイエットをしていました。
秋の健診では、腹囲-4cm、体重-2kgとかなりいい感じ。
あとは血液検査値が少し改善しているといいのですが。

2015年10月25日

レトロとカメラ

新宿・戸山で勉強を兼ねた仕事があって、近くのLe Cafe RETROでお昼を食べました。
休日メニューのライスプレートとかで、今日は「スモークチキンとカボチャのリゾット」780円。
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カボチャは天ぷらにするようなスライスのがのっかっているのかと思ったら、ご飯に混ざってました。
先日も牡蠣と卵のカレーに感心したけど、これも「よく思いついたよね」と思う素敵な組み合わせでした。天晴れ、うまいよ。そして早稲田大学の向かいだけあって結構安い(自分が学生だったらちょっと躊躇する値段ではあるが)。
オムライスで名前を聞くお店だったので、次は是非そちらで。
その手があったかと思える食べ物にはまだまだ出会う余地があるのだな。

* * *

カメラを買ってしまいました。
2012年1月か2011年末に買ったPowershot S100は3年半以上お世話になった優秀な子でしたが、ここらで新しくしておいてもいいかなということで、Powershot G7Xに。
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もともとかなり安くなっていた値段から、機種を問わない下取りでさらに5000円引きになり、中古より安い値段で買うことができました。ちょっと重くなったけど、許容。センサーが1/1.7から1インチに大きくなったのと、エンジンが1世代新しくなったのがどう影響するか。

会社から持たされたSONYのXPERIAという携帯のカメラは、これまで弊管理人が持ったことのある携帯のカメラと比べものにならないくらい良い画像を吐き出してくれます。もうコンパクトカメラなんて持たなくてもいいんじゃないかと思えてきます。
しかし、それでも
・ズームができない
・シャッター音が(普通は)消せない
・そうはいってもぼかしたりはやりにくい
という不満はまだあります。

静かな飲食店内などでシャッター音させるやつは滅びろと思うたちですし、人を撮るときに携帯もねえ、ということで当面デジカメは持つことになりそうです。ただ、レンズ交換式ほどの大きさのものを持ち歩く気は全く起きません。

では、携帯には絶対無理な10倍以上のズームができるコンパクト機はどうか。これも検討しましたが、画質がね。逆にセンサーの大きさを取ろうとすると筐体が大きくなってしまいます。多分弊管理人はカメラを新しくしながら画質が落ちるのには納得できないので、ズームはS100より少し落ちるくらいで妥協しました。

Powershot Gシリーズは最近新しい機種が発表されましたが、今回買ったG7Xにファインダーをつけたため大きくなっちゃったやつと、小さいけどズーム倍率も落ちてしまったやつという惜しいラインナップだったので、もういいやということで少し古い型ですがこれにしました。次の弊日記から使うと思います。

2015年10月01日

弊日記10周年

2005年9月に始めた弊日記が、まる10年続きました。
別に何も大変なことではなく、その前にも大学1年から9年にわたってホームページをやっていたし、それ以前も中学のときに日記を書く癖をつけさせられてから紙の日記を結構書いていました。それらももし機会があったら弊日記に再録しようと思っています。そして、たぶん今後も淡々と書き続けるはずです。

・弊管理人は記憶の捏造をよくやるので(これ自体、日記を見返していて気付いた)、こういう備忘録は重要です
・最初のころ、日記を見た人に「『死にたい』という叫びに満ちている」と評されてハァ?と思ったことがあります。でもまあ確かに元気はないな。そして地に足が着いてない。自意識が気持ち悪い
・10年ほど前までは、自分は同年代よりちょっと早熟かなくらいに思っていたのですが、この10年で自覚したのは、実は同年代より1周以上遅れているらしいということです。いま現在は、だいたいまともな大学3年生の水準まで来たかなって思っています
・初めてやることはほぼできず、練習すると急激に上手になるけど、伸びなくなるのも早いというのは相変わらずのようです
・それでも毎年、前年の自分には負けてないと思えるのがまだ救いです
・それは、物事を丁寧にやることが段々できるようになってきたことに支えられているように思います
・スパムコメントが嫌で大分前にコメント欄を閉鎖しましたが、まあこれで当面いいかなと思っています。ツイッターとかフェイスブックで友人や仕事先といった顔の見える人とつながってしまうと、そこではいろいろ気を遣ってものを書かないといけなくなり、かえって匿名&全世界公開(=誰が見てるとか関係ない)&コメントいりません、という弊日記のほうが自由に書けているためです

* * *

10年でエントリーは950件を超えました。

* * *

読んだものは300くらい。とにかく俯瞰したい、という思いでいろんな新書に助けてもらったのだけど、ここでは特にじっくり読んで面白かったものを:

・2013年、ナショナリズムが自分の中でブームになって読んだアンダーソンの『想像の共同体』は、なんでもっと早く手を付けなかったのかと悔やまれた。実は弊管理人が普段関心を持っていることとはそこまで関係ないのだけど、読み物としての面白さはピカイチ

・ドーキンスの『利己的な遺伝子』は2010年、ダーウィンの『種の起源』はそれより後の2012年に読んだ。『利己的な遺伝子』のほうが数段、読み物として引き込まれるので、この順番でよかったと思う。そして当然、両方読むべき。『種の起源』は時間を忘れて読む本ではないが、先見性にびびる

・スピノザの『神学・政治論』&『エチカ』はまだ消化できてない。けど何か忘れられない

・結局弊管理人が興味があるのは社会思想みたいなものらしい。そこから1冊ならルソーの『社会契約論』。教科書に書いてあるエッセンスだけ知っててもほんとはだめなんだぜっていうのに、もう15年早く気付けていたらと

・ヤングの『後期近代の眩暈』は排除の社会学っておもしれえと思ったきっかけ。その後の読書が続いてないんだけど。過食症の喩えは今でも時々使わせてもらってます

・入不二基義の『相対主義の極北』は弊管理人が(恥ずかしい)卒論を書きながら考えていた2つのことのうち1つを考えた本。そうそうこういうことが考えたかった、と思いながら読んだ。しかし、これくらい言語化が難しいことを1年そこそこで書くものの柱にしようと企てるべきではなかった

2010年には「分け方」に興味を持って、それ関連で面白い本を探したことがある。センの『不平等の再検討』は2009年4月だから、それより少し早いが、すごく楽しく読んだ

・見田宗介/真木悠介は弊日記を始めるより前に、切実な思いで読んだ。それは家族にがんによる死が迫ってくるというきっついカウントダウンに直面するためのヒントを、『時間の比較社会学』に求めたことによる。その後は肩の力を抜いて玉手箱のような社会解読を楽しんだ。それで1冊を選ぶとすれば大澤真幸による解説つきの『まなざしの地獄』かなと

前にも書きましたが、信用のおけない1940~50年代生まれの日本人の書き手がだんだんメインから外れていって、60年代以降生まれの人たちが書く本を手に取るようになり、読んで(一応)分かるし面白いものに当たるようになったかなとの印象です。
なぜか本は食べ物と違って、紹介したりされたりしてもいいことがあった経験は少なく、結局自分で選んで自分で読むのが一番だなと思っています。
あと、そんなに冊数こなせないなら解説より古典を読んどけという、当たり前のことが漸く骨身にしみた10年でした。
中学・高校のころって全く本を読まない子どもだったのですが……不思議なもんです。

* * *

食ったもののエントリは250強。

・ごく最近のだが、銀座・LAZYのリゾットは近年ないヒット。もちろんパングラタンもおいしかったけど

・札幌のカラバトカリーは忘れられない味。車がないとアクセスできないので引っ越してから行けてないですが

・同じく札幌・RHAPSODYのチョコケーキも思い出だが、もうないお店なのが残念。なんかどこかで食べられるとの情報もありますけど

・錦糸町にあったカレーのアキンボももうない。佐賀に移転してしまった。3.11から暫く、ずっと仕事が忙しくて支給の弁当ばかり食べていて、カレーがどうしても食べたくなり、近所で探して当たったのが出会いでした

・新宿・夏目坂の「天七」の天丼(上)は目が覚めた

・ラーメンはおいしいのがいっぱいあって絞れませんが、あえて一つなら新宿の風雲児かな

・IVOのパスタもやっぱり好きです

グルメではないのでうるさいことは言いません。というか、友達と鳥貴族で駄弁ったりするのでも十分楽しいし、何より誰かから教わったり、たまたま入ってみたりして見つけたおいしいお店を、また誰かに教えて「うまいでしょ?」と言うのが一番の楽しみだったりします。つまり弊管理人にとっては食べ物はほとんど専らコミュニケーションのためのツールです。多分、自分一人なら、おおかた何食ってもそんなに喜びも悲しみもしないんだと思います。

2015年09月22日

ほおずき

秋の5連休には、やっぱり慣れません。次は2026年だそうです。
わりと周囲も持て余しているようで、少しは安心しますけれど。
昨日から今日にかけて山登りの筋肉痛が残りまくっていました。
しかし、そんなことで行動を制限されるのは癪に障るので、ジムに行きました。
走ったら少し緩和した気がします。

* * *

昨日今日は麦飯を炊いて野菜を結構食べたので、ちょっと不摂生してもよかろう。
と思って、担々麺を食べに中野の「ほおずき」に行ってきました。
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桜エビとザーサイが入ってるのが特徴か。
辛さが選べて、上から2番目の「大辛」を選びました。これでだいたい辛めの担々麺くらい。
うん、いいね。あと、汐留「潮夢来」のレベルが高いことを確認しました。

* * *

夕方、携帯にメールが入ったので、また仕事の関係だろうと思ってちょっと放っておいたのですが、成田時代に同じ職場にいて、最近も時々一緒に仕事をしていた他部署の先輩の訃報でした。52歳。びっくりしすぎてびっくりできなかった。昨日、ダイビング中に体調が急変して、今日になって搬送先で亡くなったそうです。
ちょうど昼間、40代、50代をどう過ごそうかという話をtwitter別アカウントでしていたところでした。しかし人生などいつ終わるか分かりません。すぐには終わらないかもしれないから人は先のことを考えるのですが、しかし5年、10年先のことを案じるのは能天気、あるいは驕慢でさえあるのかもしれません。

2015年09月13日

土日のわたし

土曜はまたちょっとネタ探しで働いてしまいました。
何も期待してなかったけど、意外とへえと思いました。

* * *

そのあと私用でいろいろあり、多大な反省点と教訓を抱えながら一杯飲んで寝ようと思ったら、そのまま深酒にはまりこんでしまいました。
旅行からこっち、コレステロール管理が疎かです。よくないよくない。

* * *

弱った感じは日曜朝まで引きずりましたが、錦糸町でタンメン食って回復しました。
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「しゃきしゃき」のタンメン+餃子セット、1000円。極太の麺が好もしい。
一方、費用対効果を考えると日高屋(700円くらいだっけ?)が相当健闘していることが分かります。もともと炒め野菜と塩味のスープと麺、というシンプルなお料理でびっくりさせるのは難しいかなとは思うけど。餃子は具がみっしり詰まっていておいしかったです。

* * *

錦糸町への道すがら、久しく顔を合わせていなかった友人にばったり会いました。
しかしカップルでおられたので、弊管理人は頭を下げてそのまま立ち去ってしまいました。
(1)水入らずのところ話しかけても悪かろう(2)雑談をどうしていいか分からない
と体が脊髄反射レベルのスピードで判断するというコミュ障ぶり。

* * *

錦糸町に出たのは、西友LIVINで枕カバーとシーツを買うためでした。
いま1セットしかないので、洗濯すると乾くまで寝られないのです。
ついでに無印良品で眼鏡拭き85円14枚入りを3袋。重宝しています。
あとは風呂で使うタオル。
休みの日やジムに行くときに履く踝までの靴下。今回は5本指にしてみました。
厚手の綿のシーツなど気に入って使っている製品が、いま住んでいる辺りでどこにあるか分からず、引っ越し前に買っていたお店に戻ってしまいました。

* * *

茨城あたりで堤防が壊れて水浸しになったニュースを見て、うちの本家も何かあったらやばいよなーと思いました。
前々から消防に「耐震性ないです、この家」と言われているらしく、しかしばあちゃんの後には住む人も多分いないので、お金かけて直すのもなあ、ということで騙し騙し住んでいる状態です。こんな家、いっぱいあるはず。

2015年08月16日

盆休み2015

12日から3泊で出掛けてました。

4月になんとなく始まった家族旅行シリーズで、弊管理人と妹が東京からバスに乗り(意外と混んでいて2時間遅れ)、松本で父と合流して白馬へ。
白馬八方スキー場の近くにある「しろうま荘」に投宿しました。
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早速温泉に入ります。強アルカリのお湯。
夕飯はこちら。
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地元の豚、米、山菜を使った、派手ではないけどとてもおいしい食事でした。
このほかに青豆と玉葱の天ぷらも出ました。
夜7時には父親が寝付き、弊管理人も11時には寝ました。
翌朝のごはん。
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お米がおいしい。もちろんおかずも。
そば粉のガレットが印象に残りました!
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あまり天気がよくなかったのですが、ざあざあ降りにはならないだろうと踏んで、栂池の自然園に行きました。
ゴンドラとロープウェイを乗り継ぐと、すぐ着きます。
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標高2000メートル前後の高層湿原周辺は、木道が整備されていてかなり歩きやすいです。
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トリカブト。
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ワタスゲ。
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チングルマ(の花が終わったあと)。
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最も晴れた瞬間でこれくらいでした。
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展望湿原(2010m)に着いたときも視界はよくありませんでしたが、ちょっと待っていると雪渓がチラ見できました。
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結局6kmくらい歩きました。
ヒュッテに戻って「サルナシ」のソフトクリーム300円。
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マタタビの仲間で、品種改良したのがキウイフルーツだとのこと。
下山して、小谷村の道の駅で一休み。
そのあと、13日の宿である「雨飾荘」に向かいました。チョイスは父。
小谷村にある雨飾山にある宿です。今はとてもしっかりした建物ですが、20年以上?前に父が泊まりにきたときには普通の山荘だったとのこと。
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脇には妙高に抜ける林道もありますが、昨年11月の地震で損傷したらしく、通行止めになっていました。
宿の脇には、森の中の露天風呂もあります。
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ロケーションはとてもいい。アブが多いけど。
宿のお部屋はとても広くて、窓の外は山!
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夕飯はすっごい気取ったコースですが、いちいちおいしいです。
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イワナの刺身、初めて食べました。
内風呂はこちらもアルカリ泉。
糸魚川はすぐそこ。明けて14日の朝飯にはノドグロの開きが出ました。
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近くの鎌沼は、紅葉の季節に訪れるといいようです。この日は霧で何も見えませんでした。
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というわけで、さっさと白馬~中条を通って長野市に出ました。
ななな長野駅が新しくなってる!
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1500円のそばもいいのですが、県庁勤めだった父が「安くてうまい」と勧める藤の家で700円のざるそば大盛り。父と妹は880円のそば定食でした。うまい~
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そのあと、なんとなく30年前に住んでいた家と、20年前に住んでいた家を見に行きました。
父は結構行き方を忘れていて、弊管理人がナビをすることになりました。
こんなに狭い道だったかなあ、と父。
まだ残ってた。一同しばし見入りました。今は人の家なんだけど。
そして弊管理人の原風景はやはりリンゴ畑だと再認識。
そのまま小布施に出て、もと魚屋のパティスリー「ロント」でおやつを食いました。
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わあなにこれすっごいおいしい。
というか父、なんでこんなとこ知ってるの。

というわけで小布施のスマートICから高速に乗って実家に帰りました。
天気は今ひとつだったけど、家族で旅行することに意味があるのです。ほんとにそう思う。

* * *

5月の連休は祖父母に会わなかったので、15日に父から車を借りて、独りでぐるっと回ってきました。

・父方の祖父母
祖父(93だっけ)が5月に肺炎になって1週間ほど入院して以来、体が弱ってしまってほぼ寝たきり状態で療養病棟に入っているとのこと。これ典型的な廃用症候群だろうな。
祖母が山の中の家に独りでいて、近くにいる父と叔父が交代で病院への送り迎えなどをしているそうです。
もう農業もやっていないのかなと思いきや、売り物にしているわけではないがトウモロコシやスイカを作っているそうで、少しご馳走になりました。
いらちな父の運転で来ると、せかせか訪れてせかせか帰っていくことになるのですが、久しぶりにゆっくり祖母と話すことができました。
祖父は入院初期、病院は嫌だから家に帰りたいと言っていたものの、祖母がよたよたしながら世話をしているのを見て「やっぱり病院でいい」と言って戻ったそうです。祖母によると、祖父は体はもうほとんど動かないけれど頭ははっきりしていて「それがかえってかわいそう」とも。
このあと父に病院に連れていってもらい、祖父にも会えました。うーん確かに結構弱ってる。
90過ぎて胃がんが見つかったとき、手術をするかどうか散々迷った挙げ句に手術をすることにし、しかしそれを契機に衰弱が始まってしまったのかなと思います。
90を過ぎると結構な割合の人が手術をしないという選択をします。しかし弊管理人は当時、意見を求められていろいろ考えた末に「する」ほうに一票投じてしまったため、後悔しています。

・母方の祖母
5月の法事をめぐって父と伯母が決裂したらしく、父は伯母がよく出入りしている母方の実家には「もう行かない」というので……。まあ合わない人達はいつかこうなるのでしょう。弊管理人は大人なので別にその辺はあまり気にせずご飯を食べに行くのです。
祖母は、弊管理人が名乗ると名前を認識しましたが、しばらくすると「誰?」となってしまいます。アルツハイマー型認知症の薬(アリセプト)を3年飲んでいるそうですが、こうなっちゃったらもういらないんじゃないかな。進行を遅らせるだけですし、怒りっぽくなるなどの副作用があるので。
伯母に薬を見せてもらうと、抗うつ薬と高血圧の薬を他に飲んでいました。
抗うつ薬ももういいだろう。ていうかこれが認知症を悪化させてるような気がする。
精神関係の薬は「止める」ということを目標に飲まなければならないと思います。
しかし、循環器だの消化器だのが専門の町医者が戦略的に処方してくれることは、ほぼ望めない。
あと、10年以上ぶりくらいにいとこの子と会いました。子供の10年って劇的に変わりますね。当たり前だけど。
恒例の、伯母の手料理(と、祖母)。
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・ついでに、妹のこと
結構長く不安障害のようなものがあるらしく、引っ越しを繰り返したり精神科に行ったりしているようです。ちょいちょい自分の”病状”とか”こんなに大変”的なことを口にします。
しかし「問題は環境ではなく、環境の受け取り方のほうにあるので、引っ越しは無駄」と言っておきました。本人もそれは思い当たるようです。認知行動療法を試してみてはどうかというのも伝えました。
これは多分、投薬では治らないと思います(むしろ有害かもしれない)。文脈とかあまり関係なしに自分のことを語ったり、周囲の人や環境をdisったりというのは、「大変ねー」と労ってほしいとか、自分のことを世話してほしいとか、そういう欲求のはけ口を求めての行動だと睨んでいます。そしてそのはけ口が現在、精神科医療になっているだけ。それへの対処は、バランスのよい食事をし、早めに寝て、笑顔を作るなど、フィジカルな面を無理矢理に立て直すことだと思うのですが、それは言い忘れました。また正月にでも。

とはいえ、いずれのケースについても弊管理人は専門知識がないので、実際に何かの決断をする際には医者の意見を大いに参考にするしかありません。問題はその医者が本当に専門家なのか、誠実に仕事をしてくれるかがしばしば怪しいということ。ということでこちらに続く↓

* * *

弊管理人の扁桃炎は、帰省する前に耳鼻咽喉科で抗生物質を出してもらって3日飲んだとたんに全快しました。10日ほど前、トローチで抑えましょと言った医者をヤブ認定。

貴重な夏の半分を体調不良で過ごしてしまったのは遺憾です。
それを押して結構遊んだような気もするが。

* * *

8月は6日の広島,9日の長崎,12日の御巣鷹山,15日の玉音と3日ごとに国民的暗い行事が続く異空間に入ったようになって、それが終わると夏ももう終わり、という気分になります。
戦後70年、個人的にはもうほとんど代わり映えのない「証言」系の情報に関心がなくなっていて、しかし戦後が終わった様子はなく(たぶん次の戦争までは終わらんだろう)、一方で今年は特に親族関係が結構弱っており、ふわっとした沈滞感の中でこの期間を過ごしました。

2015年08月08日

ジビエなど

今週はいろいろ食いました。

接待する同僚にのっかって行ったにもかかわらず「あ、ちょっと食べるの待って下さい」とかいいながら写真撮ってた新橋の「焼ジビエ 罠 炭打」。
鹿、猪、猪豚などいろいろ食べました。写真は結局、何がどれだか分からなくなったので1枚だけ。
こちらはウズラの下半身だったと思います。
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うまかった。とても。

* * *

上記同僚は奥様がややこを連れて避暑に出掛けており、家に帰ってもゲームしているだけだというので、別の日にも夕飯をご一緒しました。
天丼を食べようと日本橋の金子半之助に行ったのですが、営業終了まで1時間半を残して品切れ。ぎぎぎ……と悔しがりつつ、近隣にある「天ぷらめし 金子半之助」に転戦。
結果、大満足。写真はあまりフォトジェニックでもなかったので割愛。

* * *

土曜、友人より北海道旅行のミソを教えてほしいとの連絡があり、一緒にランチしました。
歌舞伎町の、なんだっけ、台湾美食。
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うん、ありあり。

* * *

摂生、引き続きしてます。
為念。

* * *

今週はちょっと体調が低空飛行でした。
喉がちくちく痛いので耳鼻咽喉科に行くと「扁桃炎」との診断でした。
それってなんかただの現象論ですよねえ。原因への洞察ゼロ。
2007年2月に扁桃炎になったときは高熱が何日も続きました。今回は平熱。なんだろう。
トローチもらっておしまい。
口の中が痛いのと、なんだか臭い気がして、元気出ませんでした。

新しい部屋で迎える初めての夏で、寝るときにエアコンの切/入タイマーの設定の仕方がうまくいっていなかったため、妙に喉が渇いたり体が冷えたりしていたのかもしれません。
タイマー設定のポイントは今週後半にだいたい掴んだのですけど。

* * *

都心の猛暑日が金曜まで8日続いたそうで、人も結構死にました。
東京の夏は札幌から戻って7回目、「夏は暑いのが当たり前」と思ってもいたのですが、さすがに百葉箱気温で37度になった金曜は、キンキンに冷えた建物内から仕事を終えて出てきたときに「やばいこれやばい」と体が警告を発しました。

2015年07月26日

週末充実

土曜は、まあここで書くほどのことではありませんが、今まで自分は向いてない、できないだろうなと思っていたことが、先達の丁寧なインストラクションのおかげでできるようになった日でありました。

日曜は、逗子の海に行ってきました。
とある集まりで、弊管理人は3年ぶりに参加です。(→前回
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海の家でタコライス食って、ちょっとだけ海に浸かって、一足先においとましました。

家に帰り着くころ某友人から連絡あり、北海道の黄色いメロンをいただきました。
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食いかけでやっと撮影に及んだところから、いかにがっついていたかが窺われます。
夕方になっても灼熱のお外に友人を見送ったあと、睡魔が襲ってきて40分ほど昼寝。
起きて、猛烈に食べたくなった餃子のために散歩に出ました。
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この週末は諸氏のおかげで完全勝利。

* * *

4年くらい前から仕事中の移動時間に聴いてる放送大学(単位は取らない)、1学期の放送が終わりました。
今期聴いていた科目の中では、「貧困と社会」(西澤晃彦)が頭一つ抜けて面白かった。貧困と排除の社会学です。テキスト棒読みではなく、ちゃんと語っていたので頭に入ってきます。
(余計なことですが、頭に入ってこない話し方をする講師は法学と理系に多い気がします)
事例が豊富ですが、どういう方法を使って迫っているかがかなりはっきり分かるように構成してると思います。近々もう一回聴いちゃうかもしれない。

ほかに聴いてたのは以下の各科目でした:
・環境と社会(植田和弘ほか)
・グローバル化と私たちの社会(原田順子ほか)
・公衆衛生(田城孝雄ほか)
・ロシアの政治と外交(横手慎二)

* * *

2個前の日記で「ぼけたかも」と書きましたが、先週はわりとくっきりしながら過ごしました。
弊日記はセラピーとして書いてる面があるので、書くことで収束に向かっていたのかもしれん。

* * *

夏の休日には極力仕事を入れない。
がポリシーにもかかわらず、来週末は仕事を入れてしまいました。不覚。

2015年07月20日

連休メモ

3連休だということに直前まで気付かないまま突入しました。

金曜は深夜まで仕事して、それからちょっと寝酒を、と思ったらうっかり午前3時。

土曜は人助け的な活動。
あと、生活リズムが狂ってつらかった。

日曜は梅雨明け。すっごい暑かった。
普通の時間に寝て普通の時間に起きたので、とても元気になりました。
15年ぶりくらいに和田堀公園のプールへ独りで行きました。
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正午くらいに行ったのに、既に水が相当汚かった。
あと、独りでプールに行っても、やることはがしがし泳ぐことくらいしかありません。
結果、がしがし泳いでしまい、余計暑くなりました。

月曜はちょっと面談がありまして、自宅近くでスパゲッチ食べながら話してました。
暫く喉が痛かったのがやっと治ってきたのですが、喋りすぎていがらっぽい。

ほんとは日曜か月曜に山へ行こうと思っていたのですが、前後に人に会う予定を優先させたため延期にしました。暑いしね。
梅雨明けから盆までを夏とすると、夏など1カ月くらいしかありません。計画的に遊ばないと。

* * *

■蓼沼宏一『幸せのための経済学』岩波書店, 2011年.

■白井聡『永続敗戦論』太田出版,2013年.

* * *

連休は毎日洗濯した。
汗ばむ季節です。

* * *

物忘れというか、気付くべき事に気付けない、話が出てこない、そういう焦りが最近増しています。

先週は、出掛けようとして建物のエントランスまで行ったときに傘を持ってない!と思って傘を取りに戻ったのですが、「ゴミを捨てなきゃ」と思い出してゴミ袋を持ち、結局傘は持たずに外出し、傘を買うことになりました。本当にやばい。

ほんの4年前だったら数日思い悩んでいたことや、ずっと怒っていたことも、数十分から数時間しか持続しなくなりました。その点有り難いのですが、以前なら意識しなくてもできていたことが、「ぬん!」と頑張って意識するというか、自分にリマインドを出さないとできなくなりました。以前からちょっとそうでしたが、何かいつも頭がぼーっとしているんですよね。

これは病的な状態なんでしょうか。それとも40手前になるとこんなものなの?
カレンダーやメモや予習を活用しまくりながらではあっても仕事には支障が出ていないところをみると、ものすごく選択的に日常生活用の頭が悪くなっているのかもしれないです。それならまだいいんだけど。

2015年07月03日

摂生しています

コレステロール対策というか、もはや中年を独りで生き抜くための習い性づくりとして立てたルールはこんなところです。

・野菜>魚介>鶏肉>赤肉
・糖分をできるだけとらない
・間食を極限まで減らす
・酒はベロベロになるまで飲まない
・面倒がらず歩く、ジムで走る

ただし、当面はあまり「我慢」をしないことにしました。
3度のご飯はおいしくいただく。

今週は神田に行ったので揚子江菜館。
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魚介エキスのタレがうまああい。
遠方から来た友人を連れて行くかというとそんなことないけど、近くに寄る用があったら4回に1回くらい立ち寄る味です。
周囲は元祖冷やし中華を頼んでましたが、弊管理人は冷えたラーメンにそこまでの興味はありません。

あと、昨日は朝から八重洲でした。
東京駅の地下街にある千疋屋でモーニング、600円。
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このほかにドリンクがつきます。
いや、全然いいと思うけど。さすがというか、メロンがすげえうまかった。
安いメロンが食えない弊管理人ですが、これはうまかった。
ちなみにこのお店では、ミカン1個540円でした。どういう設定なの。

* * *

札幌勤務時代、ある担当の責任者をやらされることになって、その時入ってきた新人の女の子が今年から東京の職場に来ています。早くない?と思ったらもう入社9年目だって(弊管理人が東京に来たのも9年目)。そら歳取りますな、弊管理人も。

別の同僚を交えて昔話をしていたのですが、弊管理人はその子を完全に放任していてほとんど構わなかったつもりだったのに、あちらは「結構怒られた」と証言。怒るほどちゃんと自分がその子を見ていたことに驚愕しました。全然覚えてません。どこで恨みを買ってるかわからんものです(当該その子には恨まれてまではいないもよう)。

* * *

木曜は朝から夜まで働いて、すっごい疲れて床についたのに、今朝は4時半に起きてしまいました。なんだなんだ。

2015年06月28日

多数決、谷崎、脂質

■坂井豊貴『多数決を疑う』岩波書店,2015年.

一番いいと思う候補(者)に1票入れて、最も票を集めたら勝ち、というのが多数決。みんなで決めるから民主的だし、結果すなわち民意である――。多数決が当たり前に執行されている中では、こういうことを疑おうとも思わない。賛成/反対が社会を分断するのは致し方ないし、少数派にも開票結果は黙ってのんでもらおう。

それを疑う。多数決よりもっといい決め方があるのではないかということを、できるだけ「誰が考えてもそうなってしまう」仕方で考えてみたい。そういう本。

まず、多数決には「票割れ」という問題がある。2者が票を争っているときに、1番人気と近い第3の選択肢が出てくると、漁夫の利を得た2番人気が結果として勝ってしまう現象だ。2000年の米国大統領選挙で実際に起きた。もしブッシュではなくゴアが勝っていたら、その後の世界は大分ましだったかもしれない。ではもっと人々の意見を集約するのにいいルールはないものか。

まず紹介されるのは「ボルダルール」と呼ばれる集約ルールだ。18世紀フランスの科学者ボルダが提案したもので、選択肢が3個なら1位に3点、2位に2点、3位に1点と等差の点数を付ける。このルールは、それぞれの選択肢が1対1で対決したときに他の選択肢のいずれにも負けてしまう「ペア敗者」が1位になる事態を避けられるという利点がある。スロヴェニア共和国では、国会議員の選挙に一部採用されている。

日本の最高裁判事の国民審査のように、それぞれの候補にマルバツを付ける「是認投票」も、候補者が多い時には有権者一人ひとりができる意思表示の量が増えるのでなかなかいい。ただし、組織力の高い政党が定員ギリギリの数の候補(クローン候補)を立てて、彼らに全てマルをつけ、他にバツをつけて議席を独占するような「クローン問題」が起きる危険性はある。

別の選択肢は、ボルダの同時代人であるコンドルセが考案し、後年英国のペイトン・ヤングが修正した「コンドルセ・ヤングの最尤法」だ。コンドルセのアイディアでは、有権者は候補たちに順位をつけ、それぞれの候補たちを1対1で対決させてどちらが支持されているかを判断する。X>Y、Y>Z、Z>Xというジャンケンのような循環が発生することがあるが、最も僅差だった組み合わせを「有権者全体の意向が現れている可能性が最も低いもの」として棄却してしまうことで順位を確定させる。選択肢が4個以上になった時にはこの方法が使えない場合が出てくるが、データから統計的に「背後にある有権者全体の選好」を推定すればいいという考えでヤングが補正を加えた。この強みは、1対1対決でなら他の全ての候補に勝つ「ペア勝者」がきちんと選ばれるということにある。

このほか、自民党の党首選などで使われる「多数決+決選投票」、オリンピックの候補地を選ぶ際の「繰り返し最下位消去ルール」もある。コンドルセ、ボルダ、多数決も含め、同じデータを使っても、用いる集約ルールによって結果がばらばらということも起こりうる。「民意」というものが本当にあるのか、疑わしくなってくる。民意など存在せず、ある選び方を選んだ結果があるだけなのではないか。

では、どのルールがいいのだろう。筆者は、ボルダルールがペア敗者を1位にせず、ペア勝者が少なくともビリにはならないという「それなりの強み」に加えて「分かりやすさ」を持っているという点から、このルールを押す。特に議席1の小選挙区制や自治体の首長選挙に適しているという。

「民意」の存在が揺らいでしまった。今や「民主的」という言葉も再考を迫られている。

「陪審定理」というのがある。十分な情報を与えられ、個々人が独立して判断できる場合には、判断する人が多いほど、多数決の結果が正しい確率は1に近づいていくというもの。逆に少数派になったということは、間違っている可能性が高いということだ。ルソーの「一般意志」に引きつけていえば、少数派が多数派に従わされているのではなく、少数派も多数派も一般意志(というか、それが書き出された「法」)に従うことになる。
ただ、こうした判断は個別の利害関心から離れたトピックについてしか下せない。少数者の抑圧に直結するようなものは投票で決めてはいけないことにも注意が要る。多数決による権利侵害を回避する方策には(1)多数決より上位の審級を設ける=違憲立法審査権(2)複数機関で検討する=二院制(3)ハードルを50%より高くする――などが考えられる。

また、直接制と代表制の判断が食い違うことも「オルトロゴルスキーのパラドックス」として知られている。直接制のほうがみんなの意見が反映されるような気もするが、しかし膨大な人口を擁するコミュニティでは、直接制は時間的、コスト的にかなり無理筋な制度ではないだろうか。理想的な形ではないが、代表制には「議場で熟議が実現する」という可能性をメリットとして持っている。よく話し合うことで意見が収斂していくし、それでも意見の差が解消しないとき、その差が何によって生じているかも分かってくる。
満場一致は望ましいが、それができないとき、どれくらいの賛成を基準に物事を決めればいいのだろうか。過半数でいいのだろうか。3つの選択肢があるとして、X>Y、Y>Z、Z>Xという循環を排除し、多数意見が正当性を確保できるような基準は、計算により約63.2%だという。
ただし、これは直接制か代表制か、という二択の話ではない。筆者は最後に都道328号線問題という問題を紹介し、特殊利益を扱う場合に使える直接制的な考え方も紹介している。

とにかくいろいろなことが書いてあるが、筆者が一貫して試みているのは「現在通用している制度が、天から与えられたもののように動かせない」という考え方(あるいは「自明性の罠」)から読者を引きはがすことだと思う。しかも「多数決多数決というけど、少数者を尊重することだって大切だろう?」と観念的な説得を試みるのではなく、数理的な議論でかなりのところまで「別のやり方」の候補たちの利点と限界を示し、比較できることを示している。その方法は恐らく最も広く共有できる基盤の上に立っていて、それだけに強い。

そんなパキパキした議論を読んだあとに当たっちゃったのが

■谷崎潤一郎『陰翳礼賛』KADOKAWA, 2014年.

明るくて、一様で、かっちりして、のっぺりしてるのってなんかやーね、日本のぼやーんとした感じがいいやね、というおじさんの言いたい放題。
「しかしまあ事実関係のレベルで結構怪しいですけどね、西洋趣味に流れすぎる時代にあっての逆張りだと思えば仕方ないか。それにしては売れちゃったけど」という井上章一の解説がなんとも。

* * *

5月の健康診断でLDLコレステロールが限界を突破したので、摂生することにしました。
なんか身体に悪いかな、と思いながら漫然と続けていた生活習慣を改善するいい機会と捉えることにします。あまり無理をするつもりはないけれども、健康的な食事と運動が習い性になるように当面は気をつけつつ、様子を見る予定。
それにしても再検査と医者の問診を受けにいったけど、目も合わせずに「食事と運動、気をつけて下さいねーはーい」とまあ役にも立たないようなことしか言わない上にさっさと切り上げようとしたので、いろいろ質問してみたが、要領を得ませんでした。こんなのを1人1億もかけて養成してるというのはね。

2015年06月22日

6月前半のあれこれ

先日、日本橋で仕事を終えて出てきたら、目の前に「つじ田」があったので夕飯。
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うん。いいと思う。

そばとうどんは冷たいほうが好きなんですが、なぜかつけ麺ってあんまり……です。
おそらく、熱い汁がどんどん冷めていくと興も冷めるのでしょう。

* * *

この土日は自炊と昼寝で過ごしました。
あと、固定資産税を払いました。
寝床で読む用に高い本を買いましたが、校正の甘さに激おこです。

* * *

5月24日の日記に出てきた厄介な仕事は、先週なかばにひとまずの区切りを迎えました。
先の日記の時点でだいぶ嫌になっている様子でしたが、その面倒臭い状況は続いたまま、しかし大御所とは結局かなりのコミュニケーションを重ね、社内外の思いつく限りの人達に意見を求めた末、ハードランディングはとりあえず避けられた様子です。問題は残りましたが、問題が残ったことに後悔を感じない程度には頑張れたと思います。

ただ、ほぼラストミニッツくらいのタイミングで迫られた社内調整で、いろいろいちゃもんを付けてきた某管理職(直属の上司ではない)に「ばか」と言ってしまったのが残念です。
自分だってばかなのに、人のことをばかと言うのはよくありません。
結局その某管理職が修正を求め、弊管理人は「修正しなくても大丈夫」と思いつつどこかもやもやしていた当該箇所、それがもやもやしていた理由には、今朝(日曜朝)になって自力で辿り着きました。それを某管理職は言語化できていなかったのですが、弊管理人はもう少し早く気付けたかもしれなかった。

でもまあ、ぶつかる人とはいつかぶつかるのでしょう。
次、次。

* * *

Facebookで、お仕事関係で知り合った方々から立て続けに友達リクエストをいただきました。
これからは、あちらは少し内容・表現に気をつけて書き込みをするようにしようと思います。

もともとFacebookでは、主に中学、高校、大学時代の友人と繋がっていたのですが、安心して昔と同じように軽口を叩いていたら(「ともだちんこ」とかそんな内容)意外と大人になってた相手に下品だと怒られちゃったりして、なんかもう面倒だしやめようかなと思っていたところでした。
考えてみれば、実名・顔の見える範囲でやってるSNSこそが、見苦しいことを書くべきでない「公共の場」なのかもしれません。

* * *

なんだかんだ言いつつ、淡々と生活しています。

2015年06月07日

銀龍など

散歩がてら、新中野の銀龍まで。
も、ほんとに街の中華屋さん。チャーハン650円。
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いや、これでいいんですよ。
どうたらこうたら蘊蓄たれながら高いチャーハン売ってるところもありますが、弊管理人はこれで十分です。というか、好き。もうちょっと近かったら通う。

* * *

今週は平日に1日休みをいただき、上野へ大英博物館展を見に行ってきました。
同行友人に連れて行っていただいた肉の大山で、メンチカツバーガー。
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アハーン、うまい。あと、夕方までサワー半額の160円でした。立ち飲み。
そこから大統領に流れ、19時には沈没。

* * *

話は前後しますが、昨日土曜は趣味:仕事=7:3くらいの気分で東大先端研のキャンパス公開を見にいきました。工業デザイナーの山中俊治氏の研究室が3Dプリンティング技術を使ったスポーツ用義足の展示をやっていて、それを見るのが一番の目的。もちろんこちらもお仕事の下心込み。
ちょうど、ソニーエンジニアリングでJust earという個々人の耳の形に合わせたイヤホンのプロジェクトをやった松尾伴大氏と山中氏のトークイベントをやっていたので、聞いてきました。
以下、記憶頼りなので不正確かもしれないメモ。

3Dプリンティングを使ったスポーツ用義足は、足の形をデジタル計測してデータに落として作るので、個々人の足に合った義足を比較的簡単に作れるだろう。しかも美しさを伴わせたい。そういうプロジェクトで、現在はナイロン製の試作品ができた段階だが、これからアスリートの疾走に耐えられるくらいの強度を出すなど、改良をしていく予定のようです。
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Just earも発想が似ていて、耳の形がどうも既製品のイヤーピースに合わない人が結構いるらしい、そういう人達に向けた高い装着性のあるテイラーメイドのヘッドホンとして開発されたそうです。
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それで思い出したのですけど、うちの父も「カナル型のヘッドホンは耳にはめてもぽろっと取れちゃう」といって古ーいやつをずっと使っていたのでした。山中氏も合わないほうの人らしいです。

耳の形はほんとに色々、しかし製品はだいたい標準的なところを狙ってデザインされているために、合わない人がそれなりに出る。弊管理人はSONYのヘッドホンを使っていますが、製品に付いてくる大中小のイヤーピースのまさに「中」がぴったりはまる非常に標準的な耳(?)をしているため、全くこういう問題に気付かなかったのでした。しかも実際合ってない人が身内にいるっていうのにね。

Just earは型をとって職人が成型して、と結構な手間をかけるため30万円とかするらしいのですが、3Dプリンター方面のものづくりは今後、もっと安価になるのではないでしょうか。似通ってはいるけれども多様な形をした人間集団を前にして、しかし一応これが標準的だろうという層を狙って作り、あとの「不適合な人達」には製品の形のほうに体を合わせてもらう、というちょっと無理のある製品作りから、一人ひとりに合った製品作りへ、という流れが加速すればいいねと思いました。

そしてこういう取り組みは、マイノリティとマジョリティの関係を変えていくことになるんではないでしょうか。
マイノリティがそもそも不可視だった段階から、「合わない人がいるのは分かるんだけどなかなかね」との諦めを経て、現在は「合わない人にもできるだけ対応しようぜ」というくらいまで来ているような気がする。
でもこれではまだ、気を遣われるマイノリティ/気を遣うマジョリティ、という二分法から脱出できていない。
もし技術的な困難によって先に進めていないのだったら、今後カスタムメイドが容易になって、個人間の微細な差に対応できるようになれば、「みんなそれなりに違う」という考え方が浸透して二分法が解体し、やがて差異そのものが意識されなくなっていくんじゃないかと夢想します。

フロアとの質疑応答は時間がなくて1人だけだったのですが、それが非常にいい質問でした。
つまり、カスタムカスタムというが、人の体は日々変わっていく。子供は育つし、筋トレすれば膨れるし、使わなければ退化する。カスタムメイドはある一時点の人の体に合わせたもので、その一時点を過ぎれば次第に合わなくなるのではないか。むしろ、高さを変えられる机や椅子のように「アジャスタブル」な製品のほうに分があるのではないか。そんな質問。

松尾氏の回答は、カスタムを暫くやることで形の多様性に関するデータを積み上げる、それが将来的なアジャスタブル製品の開発に活かせるのではないかという回答。
山中氏はまさに義足でその課題を意識しているところで、しかし当面は「身体が変化したら変化した結果に合わせてガンガン製品を作る」という対応ができるんではないかというもの。

弊管理人は、スーツに吊し/イージーオーダー/フルオーダーがあるように、標準品/アジャスタブル/カスタムメイドは、お値段と使い勝手のバランスを考えて各人が選ぶべきカテゴリーとして併存していくんじゃないかな、と思いました。松尾回答はアジャスタブルをもっと使いやすくするためのアイディア、山中回答はカスタムをどうやって使っていくべきかというアイディアを語ったように思います。ただぱっと聞いた限り、なんとなくアジャスタブルが一番便利そうな印象を持ちました。もっとも、製品によってアジャスタブルに適したものとそうでないものがありそうですが。

* * *

仕事は忙しいわりにアウトプット低調。
かかってる手間のほとんどが「調整」という脇筋のことなのが悲しいところです。

2015年05月11日

レイジー

銀座の「レイジー」、前回はキャーキャー言いながら写真が撮れなかったので。
おいしかったものは次の通り。

パングラタン
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ゴルゴンゾーラを撒いて焼いた料理。これはシンプリシティの美だと思う。

フォアグラとポルチーニのリゾット
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一方、こちらは自分で再現できそうな気がしない凄味があります。
弊管理人および同行者はいずれも口に入れたまま「んー!!んー!!!」と叫んだ。

ほか、ニンニクと豚と野菜の炒め物、生ウニのオムレツやトマトの冷製パスタを頼みました。
それぞれおいしかったけど、「これ食ったことない!」という衝撃があったのは上の2品でした。

* * *

38歳になりました。

最近の実感としては:
・両こめかみのあたりにシミができておっさん度が増した
・連続して眠れる時間が6時間前後と短くなった
・遅く寝ても6~7時台にいったんは目が覚めるようになった
・忘れていたことを目の前に呈示されても「これを一度は知っていた」という確信を持てないことが時々ある
・半面、頭にかかった靄のおかげで来し方行く末のことを考える時間が減り、現在に傾注できるようになった
・手間を惜しまない、ということが段々できるようになってきた
・快便が続いている

* * *

4月の終わりに、ONKYOのCR-N765というCDレシーバーを買いました。

2001年発売のFR-X9という機種のCDトレーが暫く前から挙動不審で、それがとうとう開かなくなったためです。LANケーブルをつないでネットラジオを聴けるようになったので、クラシック専門のOTTAVAをかけっぱなしにしています。暫く離れていたクラシックにまた親しむようになりました。

週に1時間程度、予約録画してある番組を見るほかは、テレビを全く見ない生活が続いています。

買い換えた当初はなんとなく音がぼやっとしていて広がりがなく感じたため、スピーカーを買い換えようか迷っていましたが、数日すると輪郭がはっきりしてきました。慣れただけ?それとも使っていると何かが変わってくるのか?

2015年05月05日

夜と霧と法事

■フランクル, V.E.(池田香代子訳)『夜と霧 新版』みすず書房, 2002年.

ナチス強制収容所を体験した精神科医・心理学者の回想。著者はフロイトとアドラーの弟子なんだそうです。へーへー。

世紀転換期から20世紀中盤くらいまでの著作には「個人の心のダイナミズム」への関心が色濃く出ているものが特に多いのかなと思っています。外界と、インターフェイスとしての感覚器官と心に生じる像とかいったメカニカルな心の理論は昔からあったけれども、無意識の発見によって心はブラックボックスの度合いを深めたように見えます。その最大最悪のフィールドが収容所であり、その経験の読解に戦後のヨーロッパはほぼ全ての知力を費やしたのではないでしょうか。今なら経済合理性とか集団の行動パターンに力点を置いた分析がいっぱい出そうかなと思ったりして。

『夜と霧』は初版が1947年、この新版は1977年に出ています。初版を読んでいないので間違っているかも知れませんが、お仕事柄なのか、時間のせいなのか、ストレスマネジメントとしてそうなってしまったのか(多分これだと思うけど)、ルポルタージュというよりは、どこか体験を突き放した記述との印象を受けました。
しかしそれだけに、学校、職場、通勤電車を現代にも存在する「小さなアウシュヴィッツ」のように思い出しながら読むことが許されるように思えます。野蛮な消費行動だと非難されても、なお少し許されながら。

「ユーモアも自分を見失わないための魂の武器だ」(p.71)

東北を津波が襲ったあとに現地入りしたテレビ局のクルーがキャッキャ騒いでいたことがサイバースペースで批難されているのを見ましたが、たぶん弊管理人が行ったとしても、ものすごくテンション上げていっぱい意味のないことを周囲と喋りあったと思いますね。(→と書きながらそういえば、と日記を探ったら2011年3月14日にやっぱりそんなことを書いていた)

…凡庸なわたしたちには、ビスマルクのこんな警告があてはまった。 「人生は歯医者の椅子に座っているようなものだ。さあこれからが本番だ、と思っているうちに終わってしまう」 これは、こう言い換えられるだろう。 「強制収容所ではたいていの人が、今に見ていろ、わたしの真価を発揮できるときがくる、と信じていた」 けれども現実には、人間の真価は収容所生活でこそ発揮されたのだ。(p.122)
…生きる目的を見いだせず、生きる内実を失い、生きていてもなにもならないと考え、自分が存在することの意味をなくすとともに、がんばり抜く意味も見失った人は痛ましいかぎりだった。そのような人びとはよりどころを一切失って、あっというまに崩れていった。(p.129)
自分を待っている仕事や愛する人間にたいする責任を自覚した人間は、生きることから降りられない。まさに、自分が「なぜ」存在するかを知っているので、ほとんどあらゆる「どのように」にも耐えられるのだ。(p.134)

対照的に、のんべんだらりと過ぎていく日常という檻のない牢獄は、目的の喪失による離脱というフェイズを発生させない。

この世にはふたつの人間の種族がいる、いや、ふたつの種族しかいない、まともな人間とまともではない人間と、ということを。このふたつの「種族」はどこにでもいる。どんな集団にも入りこみ、紛れこんでいる。まともな人間だけの集団も、まともではない人間だけの集団もない。したがって、どんな集団も「純血」ではない。監視者のなかにも、まともな人間はいたのだから。(pp.144-145)

こうした区分に『イェルサレムのアイヒマン』(1963)が付けた大きな疑問符を、著者はどう受け取ったのでしょう。個性(フランクル)/環境(アレント)の区分もまたはっきりできなそうですが。

* * *

母と祖父の13回忌のため、ちょっと帰省していました。
無意味なお経、無意味な長時間の正座、無意味なばかりか事実関係がおかしい法話。
もうこういうの、いいんじゃないの。程度の差はあれ、たぶん一同そう思ったと思う。
「死んだらおしまい」と言っている父は毎日仏壇にご飯をあげている、そんな追想、追想じゃないな、同居の継続。そのほうが全然実質的なんだけど。

2015年03月26日

3月後半のつれづれ

3月後半も休みはなく、あまり内発的動機のない仕事に時間をとられていました。

ある日のランチは新宿・天府舫。
本郷にある栄児とご関係があるようです。
麻婆豆腐のランチは、味玉と餃子が食べ放題なんだそうです。
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栄児と同じ味。
しびれる!!!!!
多分ときどき行ってしまう!!!!

* * *

本は新書2冊でした。
いずれも楽しかったけど、いま体力がないので要約は見送り。

■廣野由美子『批評理論入門』中央公論新社, 2005年.

フランケンシュタインを読みながら、批評の手法をだーーーっと「やってみせる」本。
なんか見取り図としてとてもよくできてると思いました。先日読んだ某・法哲学の本とは逆で。
ポスコロとかフェミとかもまた「こんな切り口ありますよ」というご提案の一つだと思えば、うっかり当たっちゃってもそんなに損した気分にもならないわけで。

■小山慶太『入門 現代物理学』中央公論新社, 2014年.

ヒッグス粒子がとうとう発見された!と騒がれた時に、「真空はとても賑やか」という謎のフレーズが弊管理人の耳を通り過ぎていきました。でもエーテルなんてないんでしょ?と思いつつ気になっていた、その辺の歴史と現在がやっと分かった~

* * *

また京都に行ってきました。今日が本番。
お仕事先とお話しするのはとても楽しかったのだけど、そのあと社内的な処理でまたいつものようにどっぷり疲れた。おいしそう、と思うといろんな人が手をつっこんできて結局ごちゃごちゃする。
京都駅→タクシー→現地→タクシー→京都駅。
タクシーの窓から桜が咲いているように見えた、というくらいの花見度。

* * *

それはそうと今朝、新幹線に乗るために某線で東京駅に向かっていたら、乗った駅で扉にはさまれたかばんの肩掛けひもが東京駅まで取れず(そちら側の扉が結局一度も開かなかった)、しかも東京駅からの折り返しが意外とすぐだったため、ひもをかばんから外して脱出。

ホームの駅員に事情を話して
「出てきたら回収して連絡ほしいんですけど」
「出てきたら回収でいいんですね?」
「出てこなければ回収できないでしょう」
みたいなバカな話をして名前と連絡先を伝えたのだけど、それをメモ帳に書いてる様子を見て直感した。こいつ一応言われたことを書いてるだけで、絶対回収を試みる気ない。クレーマーをいなす感じの振る舞い、弊管理人もよくやるので。

* * *

今日は弊管理人が京都にいってる間に東京で仕事に穴があいたらしく、しかし職場ではそれが弊管理人の持ち場だと思い込んでいたらしく、問い合わせがこちらに来ました。
それ、いつも時間が合うからやってただけで、アサインされた覚えとか全くないんですよね。
ということで謝る必要がないので謝りませんでした。貧乏ってやーね。

* * *

先週末は土曜の仕事が終わった後、うっかり酒を混ぜ呑みしてしまい、夜中の早い時間に死亡。
翌日曜は10時に一ツ橋、13時に霞ヶ関で仕事だったのですが、一ツ橋はすっ飛ばしてしまいました。
ほんとは霞ヶ関もすっ飛ばしそうなくらい悪魔が囁いていたものの、気力で出勤、そして18時ごろ蘇生。
死と再生を経てちょっとリフレッシュしました。そうなんですよ。そういうリフレッシュもあるんですよ。

2015年03月14日

3月のつれづれ

3月に入ってわたわたしているうちに半ばになってしまいました。

このかん、特に重要な仕事をしていたわけではありませんが、内発的な動機に乏しい仕事の準備をとぼとぼとし、あとは都度の頼まれ仕事をびやっとこなし、しかし何人かの人と楽しいおしゃべりをし、今までちょっと偉そうで恐そうだなーと思っていた人と意外に打ち解けることができるなどしていました。
毎年同じな気がするけど、なんとなく3月は落ち着かない。

今日は日帰りで京都出張。
10時半に東京を出て17時半には京都を出るというとんぼ返り(現在は岐阜のあたりを通過中)。
食えたものといえばこの
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お茶味のぶよぶよした甘味。
別にお茶の味の菓子って好きじゃないんですよね。

* * *

月初めに、渋谷に行く用事があって「おまかせ亭」でオムライス食いました。
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なんか女子ばっかだった。
ランチ1200円ですが、サラダとコーヒーとデザート(この日はココアのロールケーキだった)がつくので、結構満足度高いです。オムライスも酸味が強いソースに香草やスパイスでアクセントをつけてあって、おいしくいただきました。

* * *

今年前半はブックガイドとして入門書をいくつか読みましょうねと思ってまして、
馴染みのなかったハート、ドゥオーキン、ウォルツァーとかをざざっと見渡せそうかなということで手に取ったこれ、

■森村進『法哲学講義』筑摩書房,2015年.

いや確かにタイトルは「講義」であって「入門」なんて書いてないんですけど、
 ・その「○○的××主義」「△△論」「□□説」ってつまり何ですか
 ・なんかイメージできないんで例え話してもらえませんか
 ・なんでそんなこと考える必要があるんですか
といった疑問をいろんなところで抱く本でした。

ある程度知識を持ってる人が、先生の話を聞きながら考えを整理する、的な使い方にはいいかも。と思ったのは、正義論やメタ倫理学を扱った後半の章にさしかかるとぐっと頭に入りやすくなったからです。
でも英語の教科書だったら、普通 xxxism is ...といってさくっと一言でこれから扱う主題をまとめてから説明に入るよな。

* * *

職場で「あ、そうだ」と思ってすたたたと小走りで階下に向かったが、階段の踊り場で完全に用事が頭から抜け、どこに向かっていたか、何を「あ、そうだ」と思ったか、そのまま全く思い出せなくなる、という出来事がありました。ちょっと人の名前が出てこないとかではない、やばい感じの抜け方。

* * *

現在の部屋に引っ越して3カ月。間取りは1LD・Kなのに11.7畳のリビングにベッドを入れてワンルーム生活をしていたのを一念発起して改め、洋室にベッドを運び込んで、ようやく普通の家具配置になりました。

5.5畳の洋室にベッドと衣類と電子ピアノを入れたので結構ぎゅうぎゅうです。しかし、洋室は最初から寝室想定で作られているのか、窓の防音がリビングよりいいので静かで、たまたま買った遮光カーテンも優秀なので、ゆっくり寝られます。早くこうすればよかったな。

かわりにリビングがPC机とこたつとコンポだけになったのでがらんとしています。
「生活感はあるんだけど、あまりに必要最低限のものがきっちり配置されすぎていて遊びがない」と友人の評。
そういわれても特に何かで満たす気もありません。

2015年01月25日

週末のことども

東大駒場の表象文化論の先生、小林康夫さんが退官するそうで、土曜日にシンポジウムを見に行ってきました(最終講義は別途3月23日にやるそうです)。
ちょっと用事があり最初のパートしか見られなかったのですが、やんややんやで面白かった。
船曳建夫、高田康成といった懐かしいおじさまたちも客席に来ていて、囲む会というか同窓会のよう。マイク来てないのに喋るし、「ちょっといいすか」といって時間が来てるのに喋るし。なんというか、近年、仕事絡みのシンポで見ている「確認質問でございますけれども」みたいなどうでもいい質疑じゃなくて、「それの何が面白いんだ」「実存はビッグバンから始まるんじゃないのか」「学会発表みたいな引用と解釈やり始めたら退場だかんな」「本性/実存じゃなくて、本性/運命/実存じゃないの」と、かき回しながら外へ外へと出て行く駆動力を感じさせるやりとりに触れて、なんかちゃんと勉強しなきゃなという気持ちが2年ぶりくらいに戻ってきました。

* * *

シャルリ-・エブド襲撃については、自分が最も興味のあることにかかわっているので、かえって考えがぐるぐるしながらまだ考えています。
日本人人質事件については、いま急いで本を読み中。
とりあえずちゃんと発信する専門家は事実の記述においても分析においても新聞より全然面白い。

知人が声をひそめて「本当は捕まってるという2人とイスラム国はグルでカネを取ろうとしてるんでしょ?」と聞いてきたので「そう思う根拠は?」と聞いたら黙りました。なんなの。

* * *

16日から暴れていた喉はようやく回復。
耳がおかしくなっていて(たぶんどこかが腫脹していたため)、耳抜きができなくなっていたので、職場のエレベーターの上下が結構きつかったです。あと、聞こえが3割くらい悪くなっていました。これも今夜、左耳だけ開通。途端に音がよく聞こえるようになってびっくりしました。
耳の聞こえが悪くなっていた間、話している相手に「え?」と聞き返すことは多くなりましたが、「え?」と聞き返されることも普段通りありました。弊管理人は耳が悪くなっても声は大きくならないっぽいです。

* * *

夜、空腹のあまり、吉牛の大盛りを食ってしまいました。550円。結構上がった感じがしますね、値段。
高校生のころ(1990年代半ば)は吉牛って結構頑張って買うもの(並盛り400円)で、「早いのうまいの安いのー」というキン肉マンの歌は今ひとつぴんと来ていなかったのですが、2001年に280円になった時には「ほんとにこれでいいんだろうか」と思ったものです。大学の学食でも時々牛丼メニューが出てましたが、これより高かったもんね。現在並盛り380円。まあ本来こんなもんか。

そのあと立ち寄ったお店でウイスキーソーダをすすっていると、マスターが「4月から結構な値上げになるらしいんだよね」とぼそり。そうかー。

* * *

札幌のおじさまからコーヒー豆1kg届く。おいしそう。ごちそうさまです。
ミルを買い、お裾分け先を探す。

2015年01月15日

ひとり13回忌

まにあった。今日は母の13回忌です。
滑り込みでお線香あげました。
でも生まれ変わりは49日でできちゃって、あとは「偲ぶ」機会みたい。本人というよりは生きている側のためにやるものなのかね。

日頃、食ったものばかり上げている弊日記ですので、食い物の話。
母が作った料理を最初に食べた記憶はありませんが、最後の料理は多分これ、というのを覚えています。まんまるのコロッケです。
2002年の11月に佐渡に少し長い出張をして、その帰りに実家に寄って、千葉にあった自宅に戻る時に持たせてくれた弁当、あるいは帰って食べる用のコロッケだったと思います。
どうも秋に入ってから調子がよくないようで、「ひょっとしてこれが最後かも」と思いながら食べたような気がします。本当にそれが最後になったので記憶に残っているのでしょう。

写真を撮ったはず、と思って古いフォルダを探りましたが、でてきたのは母が亡くなる直前に帰省した時、千葉に帰る自分に父が持たせた父手製の弁当の画像でした。
本当に弊管理人の記憶は当てにならないものです。今日、画像の勘違いでそう思いました。コロッケが最後だったかどうかも自信がなくなってきています。多分そうだと思うんだけど。

次に手作りのコロッケを食べたのは、札幌勤務中の2008年12月28日に、仕事先のおねえさま(だいぶおねえさま)にお呼ばれしてご馳走になったもの。こちらはちゃんと写真があります。
これ。
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多分、雑談の中で「母親の手料理で最後に食べたのがコロッケ」とかそんな話をしたから作ってくれたのだったと思います。実はかなり味が似ていました。でもいっぱい食べすぎて腹を下したような……

思い出を共有していた相手がいなくなってしまうと、それが正しかったかどうか確かめる術がありません。その相手の代わりをしてくれるのがカメラやICレコーダーといった記録用の機器、そしてこの日記であるようです。

2015年01月04日

年末年始と戦後70年

30日から2日まで帰省しました。

大晦日は毎年恒例の、本家で伯母さんのお料理。
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毎年ちょっとずつ献立を変えているそうです。確かに確かに。

夏、弊管理人を認識しなくなっていた母方(=本家)の祖母は、名乗ると弊管理人の愛称を呼びました。
そして、元日の朝にお雑煮を食べ、昼に山菜そばを食べて本家を辞する時には、握手を求めてきて、弊管理人は握手をして別れました。認知症状が出る前にはなかったことです。
祖母はよく食べ、声もしっかり出ていて、話しかけると笑い、しばらく大丈夫そうです。
元日は雪が強まって、山奥にいる父方の祖父母には会いに行けませんでした。

2006年の正月に携帯の機種変更という非常につまらない案件をめぐってもめて以来あまり喋らなくなっていた弊管理人と妹は、元日にかけて多少喋りました。
しかし、またつまらないことで喋らなくなりました。
暖房を入れている部屋の戸を弊管理人がちゃんと閉めないとかそういう正しい指摘を受け、「はいはい正しい正しい。その調子で友達百人作ってくれ」と弊管理人が言ったのが最後。
またちゃんと喋るのは数年後かもしれませんが、この兄妹はそういう距離感が合っているようです。

平素独居の父はベッドでiPadをいじり、音楽やyoutubeを鑑賞しながら「そのうち動けなくなって、ここでクソにまみれて死ぬ気がする」と言ったので、「その前に帰ってくるから」と言っておきました。これは結構本気です。が、もうちょっと頑張っておいてほしいとは思います。
「子供の世話にはならない」とずっと言っていた父ですが、そんな考えは老いの中で簡単に霧消するでしょう。

紙焼きの写真を貼り付けた大昔からのアルバムをスキャンするという次回のタスクができました。
はがしてドキュメントスキャナ、というのは可能だろうか?
貼ったままハンディスキャナ、が無難か?
春の連休までに考えようと思います。

* * *

この年越しに読んでいた本が、これ。

■佐藤卓己『増補 八月十五日の神話』筑摩書房、2014年。

連合国に対するポツダム宣言受諾の通達と終戦詔書の日付は1945年8月14日、
玉音放送で国民が知ったのは8月15日、
大本営からの陸海軍に対する停戦命令は8月16日、
降伏文書の調印は9月2日、
サンフランシスコ講和条約が発効して占領が終わったのが1952年4月28日。
8月15日が終戦記念日と定められたのが1963年(5月14日の全国戦没者追悼式実施要項、第2次池田勇人内閣)、
「戦没者を追悼し平和を祈念する日」は1982年(4月13日閣議決定、鈴木善幸内閣)。

8月15日=終戦記念日、のイコールは意外に意義が乏しく国際的にもほとんど通用していないし、この等式が制度化されたのも結構最近だった。実は戦後10年までは玉音放送の記憶は薄れてかけてさえいたらしい。

でも、読む前の弊管理人を含めて多くの人はいま、8月15日=終戦記念日ということを疑っていない。
「お盆」という畑に蒔かれた玉音の種、丸山真男(8月15日没!ちなみに石原莞爾もらしい)の「8・15革命」論や『世界』誌の8・15特集シリーズ、高校野球、メディアの戦後x年企画、教科書、そして国内政治、それに影響される国際政治。いろんなものを吸い込み、そして生み出した言説によってさらに強化されていく8月15日の神話、その成立の過程が描かれています。
情報量が多くてついていくのがちょっと大変ですが、疑っていなかったものの神話性が暴かれていく読書体験はとてもスリリングでした。

戦後60年の2005年に新書で出された本書を読みそびれていてアマゾンで探していました。しばらく前から絶版になってる……と残念がっていたら年末に増補、文庫化されました。わー超うれしいけどなんで?と思ったら戦後70年だった。
情緒=追悼の日・8月15日と、政治=平和の日・9月2日を分けるべきだ、という著者の提言つきであります。これも含めて、今年の春や夏に向けて考えを走らせるには十分な時期の出版だったと思う。
スクリャービン没後100年は記念であって喪ではないが、戦後70年はいまだ喪中っぽい。

2014年12月30日

今年のまとめ

1月 四国楽しかった
2月 台湾がちょー楽しかった、というか素晴らしく楽しかった
3月 結構本読んだ。わちゃわちゃした仕事が開始
4月 これくらいまで確か忙しかった気がする
5月 滋賀県が意外といいところだった。
6月 エチカが意外と面白かった。江ノ島むふふ旅行
7月 ええとなんだっけ
8月 東京サマーランドと茨城の海が死ぬほど楽しかった
  ばあちゃんが弊管理人を認識できなくなっていてちょっと悲しかった
9月 北海道2泊楽しかった。もうちょっと長く行けばよかった
10月 がしがし仕事したけど一気に疲れが出て体調不良
11月 いづもやの鰻がおいしかった
12月 新しいおうちに引っ越した。仕事は最終の金曜にピークが来た

* * *

とても辛かった2012年と13年が終わって、年度が替わって、職場に若い人が一人増えて、そちら方面に仕事が結構流れていくようになったため一息つけた、そんな年だったような気がします。逆に言うと、今年はそんなに「これやったー」という仕事がなかった気がする。手広く楽しく手がけた気はしますが、手を抜いてしまったものもありました。

10月に部屋を買うことを決めるまでは、結構な時間をネットでの物件チェックに取られていました。買うことを決めてからは、諸々の手続きと手配と後始末に忙殺された感があります。しかし、今日までに大体それも終わりました。
なんだか残された時間があまりないということをよく感じました。しかし、これは新しい何かを始めることで乗り越える必要がある感覚だと思います。習い事でもいいし、テーマを決めた勉強でもいいし、旅でもいいかもしれない。何か澱みを撹拌するもの。

8月に扱った案件は非線形物理の方面で、「モデル」というものの基本的な考え方に気付かせてもらえて、個人的にもとても役立った仕事となりました。
モデルはリアリティを多少犠牲にすることで、いろいろな事象を見渡せる、見通しをよくする、新しいデータをどう扱うかの方向付けを助けてくれるもの。逆に言うと、モデルを現実にそのまま適用できるとは限らない。成形して使わなければならないということ。
これを分かっておくと、現実がモデル通りでないということでイライラしなくて済みますし、抽象論も尊重できるようになります。そんなん当たり前やんけと思わなくもないけれど、意外とはっきり言ってくれる人が周囲にいなかったので……

読書では、learn and unlearn の有用さを(再)認識したことです。今年読んだうちの2冊に出てきたはず。本での意味とは多少違うんだけど。
ツイッターでもリアルでもそうですが、周囲からなんやこいつという人や考え方がちょっかい出してきます。それを受け止め、その上でうっちゃる。海綿のように、ずおーっと吸い込み、濾し取って、あとはどばーっと流し去る。
自分が可謬であるということはだいぶ前から大切にしている認識なのですが、それだけだとわりと自己嫌悪ばかりの辛いほうに傾くので、learn and unlearnをセットで持っておいたほうがいい。これも分かってる人には今更ですが、今年はっきり分かったことでした。
あと、頼まれてもいないのに自分の属性を代表しないというのも大切です。

あとはゆっくり噛んで食べる(舌噛んで流血して思い知った)、野菜を努めて食べる(秋に体調崩して思い知った)、といったことかしら。

このようにプラクティカルなことばかりに価値を見た今年でした。
つまり、自分という実在は意外と不確定なものを含んでいなくて、環境の調節によって操作できるということ。
この傾向が今後変わるかどうか分かりません。変わんない気がします。

2014年12月29日

シメの忘年会

夜に持ち寄りの忘年会があるということで、西荻窪に買い出しに行きました。
昼飯として、「シタル」でカレー。いいお味。でも写真撮ろうとしたらカメラにメモリーカードが入ってなかった。

で、「もぐもぐ」でハムだのソーセージだのを買い込む。
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このハム、成田在勤時代から大好きです。

忘年会は18時から。
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1枚1万円のステーキとか、北海道の友人漁師から送ってきたホタテとか、強者揃いでした。
でも弊管理人の持っていったハムとソーセージ、手前味噌だけど、健闘したと思う。
「ハーブのソーセージおいしい~」という声が背後から聞こえて安堵しました。

今年知り合った面々ですが、今年楽しかったことの相当部分をもたらしてくれた人達です。
一時期、弊日記の存在に気付いた一人にヲチされていましたが、携帯を落としたことでURLが分からなくなったそうです。ということで心置きなくひそかに感謝しておくのだ。

* * *

洋室に置いてあった段ボールは今日、ほぼ片付けました。
リビングで暮らしていますが、足元が寒いのでコタツを久しぶりに使うことにしました。
中敷きと布団を捨ててしまっていたようで、あったのはフリース地みたいな中掛けのみ。アラス。早く上掛けを買おう。
あと、ずっとテーブルとしてだけ使っていたコタツは、確認してみると1995年製でした。大学に入った時に買ってもらったやつだ。で、コタツとして使うのも10年ぶりくらい。熱を使う器具なので、ちょっと恐る恐る使ってます。場合によっては買い換えてもいいかなあ。使えてはいるし、暖かくていいんだけど。

2014年12月28日

戒め

23日、クリスマスイブイブディナーとして、シングル2人で天丼を食べてきました。
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日本橋の「金子半之助」は880円→950円に値上がりしてましたが、それでもすんごいボリューム。ごま油の香りも、ちょっと甘めのたれも好きだし、穴子、半熟卵、いかなどの種もおいしいんです。

いつも長い行列ができているお店です。19時20分から寒空の下、1時間強待ちました。
そして通された相席は、向かいがカップル。
食べ終わってるのにニチャニチャと生姜を噛みながら「1500円の価値はあるぜ、この天丼」などという微妙な感想をドヤ顔で語るおにーちゃん。
一杯飲んで帰るべよ、と地下鉄に乗ると、またしても向かいの席に見目よろしくないカップルがいて、しかし握りしめた相手の手をつんつんしたり、話しかけられてもちょっと無視したようなそぶりをしてじらしたり。

  「でも僕ら、あいつら以下なんですよね」

と血の涙を流すわれわれアラフォー男二人。
この経験は戒めである。雪ぐのは来年!と誓い合う遊びでした。

イブと当日はふつーに仕事。

* * *

発注していた棚が届いたので、ようやくテレビをアンテナにつなぎました。
つけてみたけど、特に面白いことはない。
引き続き、部屋ではラジオを聞いています。

* * *

部屋、だんだん住み慣れてきました。
すなわち、自分の手足のリーチを考慮して家具の配置を微調整し、一方で例えばベッドの脚に足の指をぶつけたり、高いところにある棚の扉を開けたままにして頭をぶつけたりないよう、体が慣れてきたということ。
それにしても、自分の持ち物だと思うと、こまめに汚したところを拭き、散らかったものを片付けるようになります。

持ち物が入った段ボールの開梱は、書類を除いてほぼ終わりました。
書類はできるだけスキャンして捨てようと思っています。この作業がまだ少しかかりそう。

2014年12月20日

ラグがきた

いろいろと思うところのある仕事を終えた昨晩は、ラーメンが食べたくなったので、西新宿のえびそば「一幻」に入ってみました。
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新千歳空港で「何食おうかなー」と思いながらうろついていると、毎度目に入るのです。
食べたことなかったけど、わりと香りと味のバランスがとれていて、おいしいと思う。えび要素を加減できて、ちょっと減らし目にすると弊管理人にはちょうどいい感じになりました。

ちなみに今朝5時台に腹痛で目が覚め、ンコして軽快しましたが、たぶんラーメンのせいではない。記憶の痕跡によればお腹出して寝てたような気がする。

* * *

冷たい雨の土曜はお洗濯大会。

午前中に注文してあった2畳ほどの大きさのラグが届いて、やっと部屋が落ち着きました。
フローリング生活も掃除がしやすくていいんですが、足元が冷たくて。

あと、台所とリビングの間に吊す暖簾も到着。
カーテンと布団の色が地味なので、強い色合い(紺の地に朱色の唐傘がいっぱい飛んでる柄)がメリハリになってよいのでは?と自賛しています。

* * *

本の整理もしていました。
結局、ここに住んでいても本はまた増えていくだろうから、今ある棚への収納は抑えめにして、クローゼットにある程度しまっておくことにしました。

段ボールから、OUPが出してる1998年版のA Dictionary of Sociologyが出てきました。
留学先で買ったやつ。ペーパーバックで軽くて持ちやすくていいんです。
Amazonで調べてみたら2014年版も2000円ちょいで買えるんだ!
(Kindleだと1000円とかだけど、電子書籍は所有できないから信用してない)
古いし捨てちゃってもいいかなーと思って一度はゴミ袋に(!)入れたのですが、気がとがめて取り出して久しぶりに読んでみたら、とてもいいので救済しました。
入門書とかリファレンスのたぐいは和書で当たりが少ないのと、それらのジャンルは英語が平易なので、もういっそ英語で勉強しちゃえばいいんだと思うのです。

* * *

昼飯は富士そば。
ミニひれかつ丼ともりそばのセット(550円)にほうれん草のおひたし(100円)をプラスすると、650円という超高級ランチになります。
しかし、ここで100円を払って野菜を食べるのが大人というものなのだ。
どうにかこうにかでも仕事をし、お給金をもらえるというのは貴重なことであります。

2014年12月16日

新居と暗黒物質

引っ越しから1週間経ちました。まだあまり住み慣れた感じがしません。
本とCDの段ボールがほぼそのまま残っているからか。
文庫を並べられる小さめの軽い本棚を買ってみました。しかし、期待したほど収納できないうちに一杯になってしまいました。これまで大半を押し入れにしまっていたけど、今そこまで収納に余裕があるわけでもないんだよな。

間取りは1LDKですが、結局リビングのキッチン寄りに勉強机、奥にパイプベッドを置いてワンルーム生活を始めてしまいました。部屋にいるときはほとんど机に就いていますし、メシも机で食うので、スペースそんなにいらないんですよね。

考えてみれば先週初めまで住んでいた部屋は14畳(収納別)+キッチンという広さがあったのに、実際生活していたのは6畳のじゅうたんの上でした。
学生時代から1~3年に一度は引っ越しをしていたので、ソファもダイニングテーブルも持ったことがないし、家具も軽いものばかりのモバイル生活です。ここ5年は1カ所にいたけど、引っ越す可能性は今後もあります。引き続き重い家具を持つことはないかも。

* * *

化粧水がそろそろ切れるので買わなきゃ、とドラッグストアで買ったのを忘れて、アマゾンでもう1本買ってしまいました。ドラッグストアで買ったのを通勤かばんの中から発見して「ええええ!」となった。同じものを二つ買ったのは初めて。40代の扉を開けてしまった感じ。いやもっと深刻か。

* * *

■鈴木洋一郎『暗黒物質とは何か』幻冬舎、2013年。

暗黒物質とは何か、を説明している部分はそう多くありません。まあまだ見つかってないしね。
Unidentified Flying Objectと一緒で、なんやようわからんものを仮にそう呼んでいる。
それを見つけるためのXMASSという実験を岐阜県の神岡鉱山跡でやっている人です。
UFOと並べると怪しくなっちゃうけど、こちらはちゃんとした科学実験(たぶん)。

・宇宙の組成
普通の物質=4.9%
暗黒物質=26.8%
暗黒エネルギー=68.3%

・候補物質
(1)MACHO。質量の小さな目に見えない天体。存在はするが、COBEやWMAPで観測された物質のゆらぎが説明できない。量も少なすぎる。
(2)ニュートリノ。確かに大量にあるが、質量が少なすぎる。光速に近い速さで移動しているので、現在あるような物質の濃淡を作れない(すぐに一様に広がってしまう)。
(3)WIMP。質量が大きいが、他の物質とほとんど相互作用しない。現在最も有力なのがこれ。未発見の超対称性粒子のうち、ゲージーノ(光子、Zボソン)、ヒグシーノが候補。

・XMASS
暗黒物質に蹴飛ばされたキセノンの原子核から出たエネルギーが周囲のキセノンが紫外線を出す。それを光電子増倍管でキャッチする。

2014年12月09日

部屋を買うの記

わりと便利めな場所に小さなお部屋を中古で買い、引っ越しを済ませました。

今年の7月に会社の家賃補助が切れることが分かっていたので、2年近く前からゆるーりと中古物件を探していました。ちょうど2012年に留学の企てが潰えたあとで、じゃあもう動き回る生活はいいかー、と思った(笑)のもあったかもしれません。家賃補助が切れた時にいろいろ面倒くさい手続きと理不尽を強いられた今年の夏以降は、もう不動産業者とこれ以上接したくない、という思いも加わりました。

さて探し方。まず、次のような基本的考え方を設定しました。

・基本は独り住まい、時々遊びに来た家族や友人をちょっと泊められるくらいの広さ

・自分の資力で無理なく買えるものがいい

・子供を育てるわけではないので、環境<利便

・1981年の新耐震基準以降の建物

上の考え方をもとに希望の価格帯、最寄り駅、築年数を絞り込み、SUUMOをはじめとしたいくつかの仲介業者のサイトをブックマークして定点観測していました。
この2年弱で内見したのは4-5件だったでしょうか。
実は今振り返ってみると、2013年1月に最初に内見し、決まりかけるところまでいった物件がかなりよかったと思います。この時期を底として、中古物件の価格はすごく上がったという実感があります。

今年4月には、再び「これは」という物件があって購入申し込みをしましたが、弊管理人より少し早く申し込みをした人に持って行かれてしまいました。

そんな中で思ったこと、学んだこと。

・ネットで自分がいいなと思った物件は他人もいいなと思っているので、とにかく日を置かず見学の申し込みをすること

・しかし、よほどピンと来たものでなければ「今(あるいは明朝)決めてほしい」という業者に乗ってはいけない。大抵ブラフである

・そんなこんなで数を見ればだんだん目が肥えてくる

・新築も視野には入れていたが、広告費とかいろいろ乗っかってる値段を考えると、結局は10~15年落ちの中古が出るのを待つのがいいのかな、と弊管理人は思った

・ちなみに、2000年代初頭の物件は売出時の価格がそもそも安かったものが多いようです

・それにしても仲介手数料というのは、それで得られるサービスを考えると見合わない。特にネットで探していると掘り出し物を見つけてくれるのは業者ではなく自分だろうという思いを強くする

・仲介手数料無料の業者もあり、大手でも時々自社物件を仲介手数料無料で売ったりするが、これでいいものに当たる確率は結構低い

・相続とか結婚とかといった売主側のライフイベントに伴って「早めに処分したい」という思いで売りに出された物件はわりと買い得なものが多そう

・気にしだすと気になる人は、ワンオーナーの中古か新築にこだわったほうがいいかもしれない。あまり過去のことになると、何があったかは調べても出てこない

・駅徒歩10分は結構遠い

・築25年はかなり古い

・リフォーム済みの物件はかなり割高。定点観測していると、ちょっと安め・古めの1LDK物件がいったんサイトから消えたと思うと、フルリフォームされて500万~1000万くらい高くなってまた売り出されるケースをいくつか見かける。多分これは自分で見積もり取って必要なことだけやったほうが安い

・内装や引っ越しは面倒でも合見積を取るべき。これらは個別性が高すぎて「相場」というのが非常に見えにくいと感じた

・譲っていいラインははっきりさせ、それ以上は妥協しない。検討すべき物件の数ばかり増えるが、そこに「これだ」というものは入ってこない

・とはいえ、賃貸には賃貸の良さがある(設備を自分で更新しなくてよい、長持ちさせようというマインドがなくてよい、必要な保険にさえ入れば天変地異が気にならない、転居するときに面倒でない)ので、比較考量が必要です

-----------------ここからはこのかんの日記です

【10月25日】内見→購入決定

ネットで見つけた物件の内見。

○40平米弱という数字の印象と比べて居室が広い(間取りが合理的な)のに好感
○売り主さんは10年ちょっと前に建った時に買って、それ以来住んでいる
○売り主さん話したが、丁寧に使っておられる印象を持った
○眺望は良いというほどではないが、室内は日が入って明るい
○かなり便利な立地。のわりに静か
○値段は自分にとって適正と思えた

△自転車、バイクが置けない
△収納がちょっと少ないかな

ということで、購入申し込みをした。
この段階では(業者には迷惑だが)キャンセルに伴う負担は全く発生しないので、とりあえず家に帰って、つらつらと悪い点がないか検討したが、結局大きなものは見つからなかったので購入の意思は変わらなかった。
結局、弊管理人を含めて3組が購入申し込みした。他は投資用とセカンドハウス目的だったということで、売り主さんは自分が住む用にと考えていた弊管理人を選んだとのこと。

【10月28日】契約

前の晩、突然どう転ぶか不安な仕事が飛び込んだものの、なんとか早朝に収束し、契約へ。
大手仲介業者の事務所で約2時間、諸々の説明を受け、契約書類を作成。
契約は物件価格の1割を現金で支払い。近隣の銀行で下ろして持っていくのドキドキした。
会社に行ってちょっと仕事して、そのまま1泊出張。疲れた。

【11月7日】引っ越し準備開始。押し入れ総ざらえ

引っ越して5年、中身を見ていなかった押し入れの段ボールを開いて、ものの多さに愕然。
シンプルな暮らしをしているつもりだったが、全くそんなことはなかった。
自己イメージが完全に転覆。
いらなくなったものを都度捨てないずぼらな性格がこういう事態を招く。

ある程度やってから出勤したら仕事が思いの外遅くなって、午前3時就寝。へっとへと。

【11月8日】押し入れ総ざらえの続き、と、引っ越しの手配

ちょうど古布回収の日だったので、両手にパンパンの大袋を二つ下げて古着をリサイクルに出した。

電気製品の空き箱がいっぱい。これはすべて廃棄。
それから、本が多い。とにかく多い。
ブックオフの回収サービスを利用して60冊くらい処分することにした。
本は捨ててはならない、というのが父の教えだが、これは読んだけど持っててもしょうがない、というものが結構あるので許していただきたい。昔買ったものほどそういうものが多い。時の流れに耐える作品ではないようなものばかり買っていたということ。

引っ越しの見積もり依頼をネットで2社に送ったら、1社はすぐに担当者が来訪し、内見をし、「今決めてくれたらこの値段でやる」というのを出してきた。なんとなくその値段でいいような気がしたし、面倒なので即決。数十分後には段ボール30枚が届いた。すごい、この生き馬の目を抜く感。

【11月9日】鍵交換の相談

仲介業者の系列のリフォーム会社と電話し、鍵交換の相談。
当初35000円くらいという見積もりだったが、結局25000円弱でできるとのこと。
ただし40日かかるという。住み始めてからの交換になりますね。
ちょっと迷って回答保留したものの、まあ交換しておくかという気分になりつつある。

【11月10日】服や本を引き続き整理しつつ、新居内装の日取りを決定

棚や引き出しの中にあるものを総点検。
「捨てられない思い出の品」だけは小さなプラスチックの箱にまとめ、あとはばさばさ捨てる袋へ。

リフォーム会社の見積もり2社目。1社目より安くできそうなのでこちらに決めた。
壁紙を替えてハウスクリーニングするだけだが、予備日を入れて計4日を要する。
12月9日想定の引っ越しに間に合う日取りを押さえられたので、あとはうまくやってもらえることを願うのみ。
週末、最初に日程を訪ねたときは「今契約しないと年内厳しいかも」というトーンだったのに、見積もりを取り、さて比べるかという段では「日程取れそう」という。これまで内見した際の不動産屋もそうだったが、人を急かすために適当なことを言う対応はホントに腹立つ。
部屋を買ったときの仲介業者さんが、工事にあたって建物の管理組合との仲立ちをしてくれるというので、それをお願いする。

引っ越し時に上下左右の部屋に挨拶が必要か訪ねたところ「やっておいたほうが」とのアドバイスもいただいたので、それもやることにする。

【11月11日】資源ゴミを出してから、水回りを片付けた

前夜に10年前の仕事の資料をうっかりゴミに出し、やっぱりこれは会社のシュレッダーで……と思い直して朝、外を見たら回収済み。第三者に掠め取られたらちょっと事かなあとへこむ。こういうところの気が利かない。

ジャムの瓶、変色したジップコンテナ、その他、今日も「よくまあこれを捨てずにいた」というものが続々。
一番強烈だったのは2007年が賞味期限のみかん缶。ぱんぱんに膨れており、缶切りで穴を開けるとシュールストレミングか五社英雄かというくらい汁が噴き出した。
ほかにも数年たってると思われる缶詰がいくつか。

あと、洗面台周辺は使わないのにとってあるホテルや航空機の歯ブラシがたくさんで、全て廃棄。
試供品をときどきもらうボディソープやらシャンプーのたぐいも多いが、これは使いでがあるので未開封のものはとっておくことにした。

【11月14~16日】鍵発注、洗濯機決定、本とCDと衣類と布団と水回りの整理

9日に保留にした鍵は、結局発注することにした。気分の問題ではあるが、まあ。

ビルトインの洗濯機は乾燥機能が壊れたということで、売り主さんが新しい洗濯機をつけておいてくれることになった。
その機種が「これ」ということでメールで送られてきたが、定価で30万もするもの。
今のスペースに置き場を作って3万くらいのやつを付けてくれればそれでいいんですけど、と伝えていたものの、負担としては変わらないのだとか。
そんないい家電いらないのだけど。でも有り難く使わせていただくことにしよう。
いま使っている洗濯機は1999年製(確か妹が大学に入ったときに買ったやつのお下がり)なので、どちらにせよ買い換えのタイミングだった。

本に加えて、CDを整理。
ブックオフ引き取り(第3便)を出すことにした。本20冊くらいと、CDを20枚くらい?
CDは容易に手に入らないもの以外は手放すことにした。信じられないが、このメディアがもう自分にとってほとんど必要でないことに気付く。
本も断腸の思いで相当整理したが、それでも結構残った。これはまだ電子書籍あるいは自炊に頼るには心許ない。

布団は客用を1組残すことにした。引っ越し先での置き場を工夫しないといけないが。
座布団は捨てる。座椅子は残す。こたつ布団はこたつとともに持っていく。

ベッドの下の衣類ケースを5年ぶりに引き出して整理。
5年見なかったということは必要ないのだ、と決心して結構捨てた。3ケースが1ケースにまとまった。

それにしても不要なものをたくさん持っている。
札幌を出る時にも相当捨てた気がするが、結局会社の負担でやる引っ越しだということで整理に甘さがあったのだろうか。
それから、食料品を中心に、買ったけれども賞味期限を迎えたものが結構多い。猛省。

【11月22~24日】リスト化したものをいろいろこなす

電気、ガス、水道の引っ越し手続き。
あと、懸案だった鉢植えの、大きな鉢への植え替え。
借りていたCD、職場に置いておく本を職場に持っていった。

【11月27日】売買手続き終了

あらかじめ夜勤を入れておいたので、午前10時から仲介業者の事務所で残金支払いと登記の手続き。
これまで買った最も高いものは車だったが、桁を更新した。
立ち会った司法書士から「権利書がそのうち送られてきますが、なくさないで下さいね」と注意。こ、これがよくドラマなんかで持って行かれるやつか……

午前中で手続きはすべて終了。売り主さんと一緒に部屋に行き、さまざまな機器の使い方、注意事項などを教わる。おととい荷出しをしたあと、かなりいろいろ掃除をしてくれたとのこと。きれいです。どうも。
それにしても家具が置かれていると部屋って実際より広く見えるのですね。

壁紙の張り替えとハウスクリーニングを頼む予定の業者さんが来て室内を点検。「クリーニング……しなくていいくらいきれいですね」と。それでも気分の問題もあるので、ということで一通りやってもらうことにしつつ、すこーし値引きをしてもらった。
あとはガスの開栓手続きをして今日の作業は終了。

【11月29日】新居にちょっと行く

壁紙を貼り替える業者が「灯りがいる」というので、照明器具をつけに行った。
ついでにリビングのカーテンレールの詳細調査を実施。
カーテンレールがカーブしていて長いというちょっと特殊な窓だが、前の居住者(=売り主さん。売買が終わったので改称)が2列のうち1例を外して処分した上、ブラインドを取り付けていたので、ちょっと細工が必要になった。DIYでやるつもり。巻き尺とカメラで念入りにサイズと位置関係を記録し、作戦を練る。

【11月30日】普段使いのものを片付け開始

週末自炊生活だが、引っ越し直前の土日はもう自炊しないことにして、その前の日曜に当たる今日は冷蔵庫の中を初め、食器、机上などにある普段使いの雑貨の箱詰めを始めた。

引っ越し先の近所にいる友人に連絡。
「遊びに行く~」と言われて実感がわいてくる。

【12月1~8日】最終の作業いろいろ

3~5日は壁紙の張り替え、6日はハウスクリーニングで新居の準備は整いました。
旧居では最後に日常使うものをパッキング。新居には据え付けの洗濯機があるので、15年ものの洗濯機を処分。それにしても最後のパッキングといいつつ、モノはまだまだ出てくる。

【12月9日】引っ越し

午後遅い時間になるかも(その分、安いというプラン)といっていた引っ越しが、空きが出たとかで朝からできることになり、午前中に引っ越し完了。前の日が夜勤で就寝が2時ごろ、起床は6時半。眠い。
某サカイを使ったが、手際よし。隣戸へ「音が出ますけど」という挨拶もやってくれるんですね。

ということで午後ちょっと仕事関係の集まりを覗き、途中で抜けて旧居へ退去の確認手続き(破損などがないかどうか)に行って、これですべておしまい。旧居に住んだ5年はかなり短く感じた。

夕飯を挟んでのろのろと荷解きをしていたが、頭痛がするほど疲れてきたので頭痛薬とビタミン剤を飲んで就寝。

2014年11月15日

本とかいろいろ

■Dodds, K., Geopolitics: A Very Short Introduction (2nd ed.), Oxford: Oxford University Press, 2014.

地政学。領土と資源。ナチによる利用によって汚れたこの言葉は冷戦下のアメリカで復活する。
しかし、あえて歴史学や社会学、あるいは国際政治学とは違った一つの領域として存在する必要があるのだろうか、と読んで疑問は深まったのでした。

■池上英洋『西洋美術史入門〈実践編〉』筑摩書房, 2014年.

もらいものの本。

絵の読み方。
・いつ、どこで、誰が、どのように、何を描いたかを特定する(1次調査)
・1次調査に使った史料を使って、誰が、いくらで、どういう意図で注文したか、作者がどこに所属し、それ以前にどんな絵を描いていたか、当時の評価はどうだったかを調べる
・その当時、その地域では、政治、経済、宗教、疫病などがどんな状況だったか調べる
といった方法を、いくつかの題材を使ってやって見せてくれるのですが、これがもうすごい。面白い。
キリスト教を、西洋史を、絵画の技法を知っていると、その絵の中にいつも「見えて」いるのに「見て」いなかった情報が次から次へと顕現する。

* * *

社内に鰻の専門家がいるのですが、その方が勧めてくれた日本橋「いづもや」で鰻重を食べました。
鰻のうまいまずいはよく分かんないんだけどな、と思っていましたが、うまかった!(そして高かった)
自称「鰻中毒」のお仕事相手と、「鰻すっごい好き」という上司ともに「うまい」と言ってました。
このように仕事絡みだったので写真撮れず。
晴れの日にまた行こう。

* * *

10月から悪かった体調が回復。
甘いもの我慢して、自炊で野菜食べて、よく寝て暖かくしてようねって話でした。

* * *

睡眠についてのレクチャーを聞くことがありました。
・寝酒はダメ(晩酌はよい)
・昼寝は午後早めに10分
・眠くないのに無理して床につかなくてよい
・寝付きがよくなる条件は各人で見つけましょう
というあたりが「へえ」でした。
健康づくりのための睡眠指針2014」よくできてます。ちゃんと根拠となる文献を示しています。

2014年09月08日

北海道など

8月の終わりに遅めの夏休みをと思っていたら仕事が込んじゃって、結局できたのは2泊の北海道旅行。
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今回は前日に行くことを決めたので、お安いLCCバニラエアを使いました。

とりあえず札幌に出て、和食のお店に入ってうに豆腐。
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んで、新サンマ食いますよね。
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その後、現地友人と落ち合って超クラシカル喫茶「赤い館」で深夜のカツカレー(小)
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遠近法を加味しても奥のナポリタンと比較したサイズ感がおかしいと思いませんか。

翌日は白老町に向かいました。
札幌駅のバスターミナルから中央バスを利用し、室蘭本線に乗り継ぐはずが、平気で遅れて回復運転もしないので、乗り継ぐ駅を急遽変えて、JR竹浦駅までダッシュするはめに。くそが。
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で、白老駅まで行ってアイヌ民族博物館へ。
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古式舞踊。鶴の親御さんが子どもに羽ばたき方を教えてるんだって。
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ムックリ(竹製の民族楽器)
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オハウ定食をいただきました。オハウは野菜や魚を煮た汁。鮭うめーなー
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博物館はざっと見。この紋様好き。Tシャツほしい
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お宿は虎杖浜の民宿500マイル。
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この太平洋を望む露天風呂に入りたかったのだ。
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お茶菓子代わりに出てくる毛ガニw
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ご飯の豪華さでも知られたお宿です。
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たらこで有名な土地ですのでたらこ、いくら、お刺身にいかの陶板、たこのマリネ、えびとかにの入った玉子豆腐、ツブ貝、かに汁。まあ弊管理人はあまりナマモノを食べないのですが(笑)
夜は持ち込んだ仕事に勤しんでしまうという。

翌朝、チェックアウトしてぶらぶら。北海道っぽい町並みを楽しんで戻りました。
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北海道は2泊でもいいけど、ちょっと短いね。

* * *

この週末は土曜仕事→夜遊び→朝6時半までクラブ遊び的な何かと飲酒→日曜仕事→うっかり飲酒→月曜仕事をキューピーコーワゴールドアルファプラスのドーピングで乗り切りました。

最近悟ったことですが、休みの日というのはぐったりしていても回復しない。
徹底的に疲れて死と再生を経ると結構回復する。

刑場に引かれていく死刑囚には、道ばたの花がかつてなく美しく見えたという。
人生の有限さへの認識が「今・ここ」を輝かせるのだ。
夏から遊びすぎてるアラフォー(弊管理人)の心象風景w

2014年08月10日

最近のつれづれ

とりあえず食い物の話。
ほっともっとのガパオが健闘している!
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* * *

この20日ほどの間に、実はいろいろ読んでいた。

■藤田大雪『ソクラテスの弁明』叢書ムーセイオン刊行会,2013年.

道理で押して説得に失敗した最古の記録か。
死刑が出たあと、裁判員に向かって「おまえら後悔するぞ、ばーかばーか」と言うジジイが痛い。

それはいいとして、
死というものが死後の世界への移動だとすれば、そこはこんなクソ現世よりいいところだと思うし、
死すなわち無だとしても、それはクソ現世よりいい状態かもしれない。
そうソクラテスがとらえているのが面白いと思いました。

ちょうど先週、過去いっしょに仕事をしたことのある人が、(おそらく)ここ最近置かれていた辛い立場に耐えかねて自殺してしまったという報せに触れて、同じようなことを考えたからです。つまり、死ぬほど辛い思いをしたというのは大変な不幸ですが、自殺はそういうクソなシチュエーションから逃れる手段の一つとして正当化されると思う。
知らない人の自殺には「死なないで説明責任を果たすべきだった」とか「遺された人たちの悲しさを考えると死ぬべきではなかった」などと本人の社会的な立場に関連したつまんない論評を加えるのが人の常です。しかし知っている人だと、そういう論評も頭には浮かぶものの、そのほかに本人の主観について慮ってしまったりするもの。

本とは関係ありませんが、意識が混濁しているような状態だと、自殺のような重大事でも、しない、と、する、の間にある壁を越えてしまうことはありうるな、と思ったこの週末でした(半覚醒の状態で、普段なら送らないけど送りたい気もしていた内容のメールを送った、という程度のことがあった)。

■宇野重規『民主主義のつくり方』筑摩書房,2013年.

(前半)教科書を書いてほしい感じ(→と思って調べたら有斐閣アルマ書いておられた)
(後半)希望学方面の文章は読んでも頭に残らないのってなぜなのだろう

■東浩紀『弱いつながり』幻冬舎,2014年.

・凝り固まった日常を攪乱するのは物理的な移動。ネットを持って旅に出よう
・「現地の生活者目線でものを見るのが正しい」みたいな「ほんとうの旅」像に囚われるのはやめよう
と、軽やかに観光旅行に送り出してくれる本。夏休みの予定考えないとな。
ところで、上の宇野本にも「弱いつながり」が出てきてました。

* * *

実家の父から箱で送られてきた桃(16玉入り)を、すごい勢いで食べているところです。
うまいね、桃。うまいよ。大好き。

2014年08月05日

プール

金曜は会食→深酒を楽しくこなして就寝。
土曜は酒(の疲れ)が残ったままゾンビ状態で仕事。
日曜は友人ら10人と東京サマーランドに行ってきました。
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↑この写真は屋内のプールで、波が発生する1時間に1度だけこの剣幕で混みます。
あとは流れるプールで半日流れてました。
めちゃんこ楽しかったです。
浮き輪で浮いていると肩がある程度焼けるだろうと日焼け止めを塗っていたのですが、頭皮を忘れてた!
痛い。
それにしても、こういう集まりに誘っていただけるというのは果報者だな。
つとに「海やプールが似合わない」と言われていた弊管理人ですが。

2014年07月21日

溺れる/救われる

■レーヴィ, P. 『溺れるものと救われるもの』(竹山博英訳)朝日新聞出版,2014年.

アウシュヴィッツから生還し、その後40年余を生き続けて1987年に自殺したプリーモ・レーヴィが死の前年に出版した本です。日本では2000年に翻訳が出て、今般選書に入りました。
ラーゲル(強制収容所)の記憶と、時代を下るとともに現れる記憶の歪み、そして人々の認知の歪みに向き合い、その体験をいくつかの主題に結実させ、それをエピソードとともに差し出した。誰にも、いつの時代にも起こり得ることとして。

ユダヤ人を抹殺するとともに、その記録と記憶を抹殺しようとしていたさなかでも、完璧にそれを遂行することはできていなかった。とすれば、同時代のドイツにラーゲルの実態が広く共有されなかったのは、SSだけではなく、目と耳と口を塞いだ多くの一般人の責任でもある。戦後40年の間に、その事実は振り返ることが可能になる程度に蓄積したが、同時に直接の経験者は次々と世を去り、共有された記憶もまた砂のようにこぼれ落ちていく。(序文)

虐待者の記憶は時間が経つほどに構築される。命令された、仕方なかった。そして被虐待者の記憶も時間とともに薄れ、あいまいになる。それどころか、事が起きている最中にも認知は曲がる―「戦争はもうすぐ終わる」「ポーランドのパルチザンが収容所を解放し始めている」(1 虐待の記憶)

ラーゲルに存在したのは迫害者と犠牲者の単純な分割ではなかった。そこには「灰色の領域」があった。到着したばかりの「新入り」を殴るのは古参の仲間=生き残るために特権を求め、それを得た囚人=当局への協力者で、ラーゲルの中には複雑な構造があった。それは全体主義社会の縮図だった。その極北が「特別部隊(ゾンダーコマンドス)」として選抜されたユダヤ人を中心とする囚人たちで、十分な食事を与えるかわりに死体の髪を切り、金歯を抜き、荷物をより分け、死体を焼く任務を遂行した。しかしその秘密を外に持ち出さないよう、彼ら自身も数ヶ月のうちに殺された。任務を分有しながら犠牲者となる、灰色の領域の住人。彼らが置かれた状態こそが真正の「命令による強制の状態」であり、ナチが法廷で主張した「命令された」という言辞のぬるさをあぶり出すのだ。ポーランドはウーチのゲットーで議長として君臨し、ドイツに取り入り、やはりガス室に消えたハイム・ルムコフスキもまた灰色の領域の人だった。しかし「自らのもろい部分を権力に絡め取られることはない」と確信することなど、私たちのうちの誰にできるのだろうか?(2 灰色の領域)

戦争の終わり、隷属状態からの解放。しかし、それが苦痛からの解放となるとは限らない。生き残った中には「恥辱感」を抱いた人がいた。収容所の中では動物のように暮らしており、動物は自殺をしなかった。生きることに忙しかった。しかし解放後には耐え難い反省の時期が訪れた。命と引き替えにではあったが、できたはずの抵抗をせず、仲間との連帯を放棄し、自分の生存に集中した。誰かの犠牲と引き替えに今、生きているのかもしれない。不可逆的に消耗した「回教徒(ムーゼルマン)」という隠語で呼ばれた人たちも、抵抗の闘士も、生き残って語るべき人たちこそが帰ってこなかった。(3 恥辱)

収容所には、ドイツ語を知らないイタリアのユダヤ人がいた。ドイツ語で発せられるSSの命令が理解できない、生きる糧をどうやって得たらいいか分からない、殴られないように知っておくべき規則を理解できない。したがって、どこから危険が降ってくるかも予測できない。意思疎通ができないことは、生命維持にとってはマイナスに働いた。隠語、イディッシュ語、ゲーテのとは違った卑俗なドイツ語が飛び交い、収容所ごとに言葉の体系ができていた。収容所と別の収容所の間は隔てられ、群島のようだった。そして、その外にいる家族や祖国からは切り離されていた。既にそれらが存在しない人もいた。(4 意思疎通)

侵略や戦争といった目的達成のための暴力と違う、「無益な暴力」が収容所を支配していた。老人、病人を問わず詰め込み、水も便所も供給しないまま行われた鉄道移送。人間から尊厳を奪い、獣に変身させる排泄の強制や禁止、剃毛、スプーンを使わずスープを「なめさせる」こと、病人や死人までも整列させて行う点呼、入れ墨、科学的に意味のない人体実験。できるだけ大きな苦痛と卑しめを伴った死を強制する。その遺灰や遺髪は産業利用に供される。(5 無益な暴力)

「理解しようとするな」というラーゲルの教えと、理解しようとする教養の齟齬。信仰を持つ者の強靱さと、ラーゲルの邪悪さを目の当たりにして無信仰を強めた著者および哲学者のジャン・アメリー。(6 アウシュヴィッツの知識人)

アウシュヴィッツを生き延び、そのことを語る者に、いつも問いかけられること。
「なぜ脱走しなかったのですか」――しかし戦争捕虜と違って、寒さと飢えと病気と暴力によって体力を奪われ、灰色の領域の住人たちや一人の逃亡で引き起こされる混乱を恐れた同輩たちからの監視の中にあり、脱走して匿われる場所もないのに?
「なぜ反乱を起こさなかったのですか」――実際に反乱は起き、そしてほとんど成功しなかった。また、多くの人たちは究極的な抑圧の中で消耗しきっており、反乱を起こすことができなかった。
「なぜラーゲルに連れてこられるような事態になる前に逃げなかったのですか」――当時のヨーロッパは現在と違い、外国は遠いところであり、移住には費用やつてが必要だった。そしてヨーロッパのユダヤ主義は定住的で、家庭的な道徳律を持っていた。何より、不安な推測は現実になるまでできないものである。今だって核爆弾と第三次世界大戦の危機はないといえるだろうか。なぜ影響の及ばなそうな南太平洋の国々にあらかじめ私たちは逃げ出さないのだろうか?(7 ステレオタイプ)

1947年に出版した『アウシュヴィッツは終わらない』のドイツ語訳に対して、40通ほどの手紙が寄せられた。命令されたから仕方なく従った、一部の指導者が引き起こしたことだ。しかし、その政権は投票によって選ばれており、「鬼畜なやつら」と「騙されたわれわれ」の区別はできない。迫害を実行したのは「悪い教育」を受けただけの普通の人々だった。そして暴力はその後も常に世界のここかしこにある。何世代かを経て、マイナーチェンジを施したアドルフ・ヒトラーが現れる可能性はある。警戒は続けなければならない。(8 ドイツ人からの手紙、結論)

* * *

■町田康『パンク侍、斬られて候』角川書店,2006年.

職場の人に貸してもらった本。
風刺と見ることもできるけど、そんなことは気にせず酸鼻などんちゃん騒ぎを楽しめばいいんだと思う!

* * *

最近の買い物、二つ。

(1)ソニーのノイズキャンセリングイヤホン、MDR-NWBT20N。
2年ほど使った先代が断線したので買いました。通勤電車に地下部分があるので、ノイズキャンセリング機能は必須なのです。Bluetoothを搭載していて、しかも手許で再生/停止、早送り/巻き戻しができるので、iPodをカバンの中に入れたままにできるのが、使ってみて気付いた大変便利な点です。

(2)東京西川の敷き布団AIR 01。
いつからか覚えてないくらい昔から使っていた敷き布団を何となく取り替えたくなって、どうせならということで、ちょっと高いやつを買ってみました。
ウレタンでできてます。なんかぼこぼこ山がいっぱいついてるスポンジの上に寝てる感じ。ネットの口コミでは[腰痛が治った」「途中で起きなくなった」など絶賛が相次いでいますが、そういえば弊管理人はもともとそんなに運動器や睡眠に問題を抱えていたわけではないので、あまり実感はないかも。
それより今は体が慣れようとしている段階と感じます。ウレタンの臭いも気になるといえば気になる。評価はもうちょっと経ってからかなあ。

* * *

3連休は真ん中の日に働いてしまい、連休ではなくなりました。
その内容についてはいろいろ言いたいこともありますが、言ってもしょうがないので沈黙。
それより、そろそろ夏休みのことを考えるのだ。

2014年06月22日

本を読む

弊管理人と本とのおつきあいを、自分用メモを兼ねて書いておきたいと思います。

【なぜ読むか、何を読むか】

弊管理人はもともと本を読む習慣はありませんでした。中学の時にはあまりに本を読まなすぎて国語の成績を下げられたほどです。親は結構活字を読む人なのですが、どうしたことでしょう。

それでもするっと大学に入りました。ところが、周囲の、特に東京の私立・中高一貫校から来たような同級生たちが、入学直後の自己紹介で「好きな作家はジェイムス・ジョイスです」「ポスト構造主義に興味があります」などと意味の分からないことを言っていたのに衝撃を受けました。

文献を読んで発表をする練習となる必修の授業でも
  せんせ「では感想をどうぞ」
  弊管理人「えっと、難しかったです……」
  せんせ「あ、はい。次の方」
  次の方「この議論にはマイノリティという視点が欠けていると思います。云々」
という教養とお作法の差を経験し、とりあえずいろんな本を手に取るようになりました。

しかしそれで最終的に追いついたかといえばそんなこともなく、放任気味な大学生活の中で勉強やアウトプットの仕方を習得せず、必読書とされるものをきちんと読まないままテキトーな卒論を書いて卒業してしまいました。
結果、不足感とか、やるべきことをやらないで通過してしまった後悔が残った。それが今に至るまでなんとなくページをめくっている動機かなと思っています(追記:動機「の一部」です、たぶん、反芻してみると)。でもま、それでも本好きというほどの読み方ではないんですけど。

在学中や就職してしばらくは、次の理由から、新書や新進の著者の本をよく読んでいました。
・新しい本は、古い本を踏まえて書いてあるのだから、新しい本のほうによりよいことが書いてあると思った
・概説書は、必読書を要約して書いてあるのだから、概説書を読むほうが効率がいいと思った

これはこれで速効性の利益はあったのですが、しかしどうも自分のものになってない感じもしていたように思います。特に日本語の本には碌な要約がなかった。

で、わりと最近になってやっと、古典は古典でちゃんと読もうという「忘れ物回収プロジェクト」を始めました。就職してから、何か情報を得るのに又聞きは危ない、本人に直接聞いたほうがいいという経験が重なったせいもあるのかも。何年続くか分かりませんが、
・特に分野を限らないで、ある本を読みながら「次はあれかな」と思った本を渡り歩いていく
・いい解説、いい訳、値段がお手頃、あたりをゆるく優先する
・でも偶然勧められた本やその時々に話題になった本との浮気を恥じない
・ついでに、ちょっと人に見せたい本棚を作るつもりで本を選ぶ
・焦らない、早く読むことを偉いと思わない
・ただし、一語一語にあまり拘泥せず、それなりのスピードで進むことも理解のためには大切
・どーしようもない本に当たってしまった時も、半分くらいまでは頑張ってページをめくる
というのを基本線にして進めています。

【本を1日どれくらいの時間、読むか】

生来まったく本の虫ではないので、手持ち無沙汰の時にしか読みません。
平日は通勤電車に乗っている間(20分×往復)が標準で、面白く読んでいる本なら仕事中にちょっとできた待機の間にも読みます。
休日はどこかに出掛けようと電車に乗った時に読みます。ただし初めての土地の場合は車窓の風景に見入ってしまうので読みません。電車以外ではあまり読みませんが、ときどき喫茶店に入って読むこともあります。

通勤電車のペースに慣れたせいか、1回読み始めて注意が持続するのは20分くらいです。
それ以上読む時間がある場合でも、ちょっとツイッターを見たりとか、別のことをしてから再開します。

読むのも結構遅いほうではないでしょうか。文庫本の場合、電車の片道20分で10~15ページくらいです。

【どうやって読むか】

弊管理人が本を読む機会は大抵メモが取りにくい(電車の中とか、ふとできた時間とか)ので、妥協して次のような手順を取るようになりました。ほんとはメモがいいんですけどね。

1 助走として、解説、あとがきを先に読む
2 本文を読み始める
3 この際、付箋を鋏で縦に3等分し、裏表紙の前のページにまとめて貼り付けておく
4 大切だと思ったところ、変だと思ったところに付箋を貼りながら読む(3、4は下の写真参照)
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5 頭の中にポンチ絵を描きながら読む。読み進めながらポンチ絵に修正を施す
6 解説、あとがきをもう一度読む。解説が役に立たない場合、手頃な解説書を別途1冊読む
7 弊サイトの管理画面を立ち上げる
8 ポストイットを貼った箇所に注意しながらを最初からもう一度ざっと読み、エントリを書く
9 書く内容は:本をどう理解したか(ポンチ絵を字にする)、どこが面白かったか、どこにイライラしたか、これまでに読んだ本と何か関連することがあったかどうか
10 本棚にしまって次の本を通勤カバンに入れる

この方法には、話の筋とその時の心境をざくっと掴み、それを記憶として固定し、後でもうちょっとちゃんと参照したくなった時に辿る、という作業がしやすい利点があるかなと思っています。
弊管理人は、1冊に深く関わるより、浅い読書を重ねながらイメージをだんだん濃くしていくタイプの理解をする癖があるようなので、こういうスタイルになったのかもしれません。1冊1冊について弊サイトに書きつける作業はインデックス作りのようなものと考えています。

ただし仕事用に読む本や書類はこの限りではありません。大抵の場合は厳密さとスピードが求められるので、頭の中ではなく、デスクでお絵描きし、シソーラスのようなものを作りながら読みます。あと、分かってる人と話して確認するという作業も結構やります。

弊管理人は「小説もビジネス書もほとんど読まない」「目的を持って読んでいない」「いつもぼっちで読んでいる」と、本とは結構特殊なつきあい方をしているので、誰かの役に立つとも思えませんが、一応こんなところです。ここ改善するといいよ、というような助言がありましたら是非教えて下さい。

* * *

2010年の終わりから3年半にわたって弊管理人のさまざまな悪事の片棒を担いできたiPod Touch、先週アスファルトに落とした際に画面にいっぱいひびが走ったのを機に引退となりました。実のところOSのアップデートが重なったせいか動作はかなり遅くなっていましたし、バッテリーもへたっていたので、いいきっかけだったのかもしれません。

後継は現行の第5世代iPod Touch。第6世代がもうすぐ出るんちゃうかという思いはありながらも、アップルのウェブストアで整備済み品(外装とバッテリーを交換した中古)が安く出ていたので買ってしまいました。深センから3日かけて来るのな。へー。
これで引き続き外でのメールもネットもiPodでできるので、ガラケーユーザーは当面継続です。iPodが軽い動作、ちゃんと1日もつバッテリーに変わって新たな悪事に手を染めることになりそうです。

* * *

夏至の土曜と今日は静かに過ごしました。
雨の朝だと明るくならないので長めに寝られていいっすね。

2014年05月10日

37

37ちゃいになりました。
この数字、結構な後半ぽさがある。

* * *

新橋「駿」の水炊きラーメン。
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飲み屋さんですが、昼の部はラーメン、焼き鳥丼、そぼろ丼があるようで。
あっさりしていて非常にうまい。

2014年04月20日

特に何もない

特に書くほどのことはないのですが、最近のあれこれ。

■コメント欄閉めました

スパムコメントがすごい数来ていて、いただいたコメントとの区別ができなくなっているため。
Movable Typeをアップデートすると解決しそうな気もしますが、めんどくて。
右カラムの自己紹介のところに追記しましたが、@amebontanでツイッターをやっていますので、何か言いたいことがありましたらそちらへお願いいたします。

■食ったものとか

錦糸町「佐市」のえびつけ麺。
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このお店ではやはり、牡蠣ラーメンを頼んでいればいいというのが結論です。

家ですぱげっち食おうとしたら悲しいことが起きたりしていました。
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汚いシンクはこのあと、使い終えた歯ブラシを使って掃除されました。
すぱげっちは悔悟の上、廃棄されました。

■京都に出張しました

丸太町駅からちょっと歩いたところにあるCafe Bibliotic Hello!でケーキ食って帰りました。
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しかしbiblioticってなんなんだろう。
図書館だったらbibliothequeだし、筆跡鑑定学ならbiblioticsと複数形になるはず。
図書館というほど本もないが、長居はできそう。
あまり行かない地域なこともあり、フードメニューを試す機会はもうなかろうかなと。

* * *

ほんとにどうでもいいことをついでに。
学生時代に取り組んでいた問題集だと「基礎/応用」って「簡単/難しい」というイメージだったのですが、basic/appliedってそれとだいぶ違う意味ありますやんね。
基礎法学とか基礎生物学って難しいこといっぱいやってますし、応用倫理学や応用物理学がそれらより難しいってわけでもないようですし、むしろ志向の違いというか。
というのはここ1、2カ月、弊管理人の精気を吸い取っている仕事で「simple/easyは別物である」ということが論点の一つになっていたので、まあ、ちょっと、連想で。

2014年03月31日

花見

今年も靖国神社の夜桜を見てきました。
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2013年3月31日2010年3月28日と同じ場所ですが、この写真は反対側を向いて撮ったものです。
朝から気温は高いのに嵐のような天気だったものの、午後には雨が上がって風もほぼ止み、この集まりでは初めて「暖かい中で」「満開の」桜を楽しむことができました。お酒を飲みながらぼーっと上を見ていました。
来年は桜が見られるだろうか?と根拠のない疑問がわいた今年でした。

* * *

■黒岩麻里『消えゆくY染色体と男たちの運命:オトコの生物学』学研メディカル秀潤社、2014年。

遺伝子と性ホルモンの作用によって男、女がどう作られていくのか、イクメンやらイケメンやらはどの程度生物学的に説明できるのかといったことをチラ見させてくれる本です。「男」をつくるY染色体は退化を続けていて、いずれ消滅してしまうといわれていますが、既に消滅しながら男が生まれ続けている動物種もあり、そこにどんな裏技があるのかについても紹介されています。

このあいだ読んだバトラー本を思い出しつつ読むと、「精子を作るのがオス、卵子を作るのがメス」とばっさり定義づけてさっさと話を始めるのが妙に印象に残ります。これを踏み台にすると、性染色体をXXで持っているのに、性決定遺伝子が乗ったY染色体の一部がX染色体にくっついているために体がオスになっている状態を「性分化疾患」と名付けることができる。「疾患」もまたもっともらしい定義ができるはずで、いずれにしても言葉によって現実にまとまりが与えられていく。そう指摘したところで「はあ。そうですね。それで?」という感じがしてしまうこちら(生物学)の世界。隔たった二つの世界というよりは、ぴったりくっついた二つのレイヤーのよう。

2014年03月09日

久々に休んだ感じ

9時間寝て起きて、客用布団を干して、洗濯して、いろいろこなしてだらだらしてたら夕方。
半月ぶりにスポーツクラブに行って、錦糸町のアキンボで夕飯にしました。

夜のメニューは前菜3種とカレーのセットです。
奥からツブ貝(だっけ?)、豆、ピクルス。
ピクルスはキンカンとパプリカです。キンカンは最初「プチトマト?」と思って口に入れると、甘酸っぱいので驚きます。店主氏、してやったりのお顔。
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カレーは定番のチキンとラムキーマと週替わりから選びます。
今夜は、週替わりのサバカレー(大盛)にしました。直感が囁きました、絶対おいしいはずだと。
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あーーーーーーーー、大げさでなく、魂が浄化されるーーーーーーー。
さらさらのチキンカレーと違ってちょっとどろどろ感があって、しかも結構存在感のある甘みがあったんだけど、あれはなんだろう。玉葱だけで出る味じゃないよね。果物のチャツネのような……
幸せな気分で、なおかつ一口ひとくちを惜しみながらいただきました。
弊管理人が最も敬愛してやまないお店です。

* * *

いとこの子が大学に受かったそうです。
けっこういい国立の文学部。「センター試験で(多少)しくった」とのことで、当初狙っていた大学から少しレベルを落として2次で受けようと思っている何校かをピックアップしたところで伯母(当該受験生から見るとおばあちゃん)から弊管理人に相談があり、最も暮らしやすそうな都市を選んで「ここがいいんじゃない」と言っておきました。まあ足切りにさえ遭わなければ第1志望を諦める必要はないだろうとは思いましたけどね。

そのアドバイスのせいばかりではないでしょうが、その都市の大学を受けて桜が咲いたもよう。
いーなー、これから大学生か。専攻にかかわらず外国語、しっかりやってね。とおっちゃんは思います。

* * *

■Sen, Amartya, A Wish a Day for a Week, Penguin, 2014.

今年1月のジャイプール・フェスティバル(Jaipur Literature Festival)での基調講演です。

講演で何を喋ろう、と悩んでいたセン。だが、インドがGSAT-14通信衛星の打ち上げに成功し、「世界のエリート・クラブ入りした」とのニュースに触れ、想像力が飛翔する。そして上空にて女神the Goddess of Medium Things (略してGMT!!)に出会い、7つのお願いをするのだ。

インドにおいて人文学の教育を再興してほしい。右派にしっかりしてほしい。左派にもしっかりしてほしい。メディアには最も貧しい人たちのことをもっと取り上げてほしい(電力に対する補助金もいいが、電力が届いていない人たちへのケアの何と少ないことか)。根強い貧困の克服のため、子供への教育や予防接種を施し、女性を男性と平等に扱い、トイレのある家を与え、質の良い高等教育と持続可能な環境を与えてほしい。最近出てしまった同性愛禁止という、個人の自由に干渉するような司法判断をひっくり返してほしい。議論好きの国民性を活かして、さまざまな社会問題に注意が向くようにしてほしい―。

センのお願いを聞いたGMTは「それって全部、インドが自分でできることじゃん」と言う。「どうすりゃいいんでしょう」センは聞き返す。「ソーシャルメディアを使いなさい。それから、とにかく本を読むことです。つうことでそろそろ時間です。ジャイプール・フェスティバルにいってらっしゃい!」とGMTに送り出されたセンが演壇に降り立つ。「そんなわけで皆さんようこそ!」基調講演が結ばれる。
GMT=the Goddess of Medium Things=本という媒体medium、中庸、中範囲、中くらいなるものの化身との対話形式を借りた真摯な風刺と、颯爽とした言葉運びで駆け抜ける素敵なスクリプト!

2014年02月16日

クリトン

■プラトン『クリトン』(藤田大雪訳)叢書ムーセイオン刊行会、2013年。

学生時代に英語の授業で読んだ気がしますが、よく覚えてません。
死刑を言い渡されて明日にも執行、という状態で牢屋にいるソクラテスのもとへ来たお友達のクリトンが、脱獄を勧めるシーンから始まる対話篇です。「正義に反する仕打ちを受けたんだからこっちだって仕返ししてやればいいんだ。逃げる先は確保できるし、親に死なれたら小さい子供は辛いでしょうよ」

これに対してソクラテスはイタコ芸(違)によって国法を呼び出し、仮想の対話を始めます。
国法に従って婚姻した両親から生まれ、国法に従って養育され、アテナイが大好きであまり外国旅行にも行かず、仮にこの国が嫌いになれば出て行く自由だって保証されていて、裁判で「国外追放か死刑か」を選ばされたときにも死刑を選んだのに、明日死ぬかもとなったら脱獄って……何言っちゃってんのキミ?と国法は詰る。「自分は正しくないと思うから」とか言って気ままに契約を破るようなヤツは他の国に逃げたって軽蔑されるし、あの世にいったってあの世の法が許しやしませんよと。
「こう言われたら何と言い返そう」とソクラテスから投げかけられたクリトンは言葉を失ってしまう。

「悪法も法」だという主張だ、としばしばまとめられますが、ソクラテスはそう言ってません。独裁や圧政の下に暮らしているなら自由も責任も生じる余地があまりないけれど、アテナイでは留まる自由も去る自由も、おかしな法を説得=ロゴスの力によって改善する機会も与えられている。自由な国の政治に参加する市民は、自らの行動の結果に対する責任が最も厳格に問われるというわけだ。おかしな法がまかり通るようなら、それを許した市民がその責めを負う。大衆が悪いだの制度が悪いだのというのは自由な国の成員が言っていいセリフではないという。

プラトンはどんな思いでこれを記していたんでしょうね。市井の変わったおっさんとして排斥されたソクラテスを見て、「こりゃあ、やっぱり哲学者も統治者側に行っとかないとだめだわな」と思ったのでは、なんて想像してます。

* * *

上記の本の訳者の名前を承けたわけではありませんが、金曜もまたえらい雪でした。
早々に帰宅するように、と会社の総務からお達しが来ていたのですが、大学時代の同級生2人と夜、渋谷で予定していた飲み会を敢行してしまいました。22時前に切り上げれば帰れるだろうと踏んだところ、運よくつつがなく帰宅して寝ることができました。

翌土曜日は築地で昼過ぎから仕事があったため、少し遅めに起きたらなんだか寝てる間に世の中が大混乱だったようです。築地で会った方は「昨日は中央線の電車内で1泊した」と疲れた様子だったので、タイミングと利用する線によっては弊管理人も大変な目に遭っていたかもしれなかった。

まあ大雪が降る時に不要不急の外出をしてはだめですね。特に人口密集地では一カ所がスタックすると、その周辺に人がいることによって、さらに被害が大きくなる方向に転がるように思います。

* * *

その同級生2人は部活の同輩で、某工学部准教授(既婚、昨年3人目の子が生まれた)と、某企業研究所ユニットリーダー(既婚、子持ち)になっていました。
2人は学生とか部下とかのメンタル対応が大変だという話で意気投合していました。わー、そんなこと気にしなきゃいけないの?大変だ。いやあ行き先分かれりゃ分かれるもんですね、と相変わらず独身ヒラ社員の弊管理人は思いました。あと准教授氏が「おれ最近右傾化してて、タモガミ支持なんだよね」と言ってたのがウケタ。

ちなみに10日の日記に書いた、16年前の大雪のときに部活終わってからキャッキャいいながら雪合戦とかやっていたのが彼ら。その話をしたら「あー、そんなことあったような、なかったような」くらいの反応でした。
運動部の慣習で、彼らとだけは呼び捨てしあいます。弊管理人は普段、人には必ず敬称をつけて呼ぶのですが、その例外です。

2014年02月10日

今週のつれづれ

先週のいつか忘れたけど、新橋にある、愛媛・香川のアンテナショップのレストラン「かおりひめ」で遅い昼食をとりました。
今治のB級グルメらしい焼豚玉子丼と、うどんのセット。
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うまくないわけないじゃないの、こんな組み合わせ。
なんかずっと悲しい気分だったのが、案の定これで霧散した。
寒い、ひもじい、眠いを解決すると、落ちてる状態はあらかた克服される。

* * *

土曜の東京は吹雪に。
昼間にちょっとスポーツクラブに行ってきましたが、夜にかけて風雪は強まり、ちょっと出掛けて一杯……というのは全く無理な天候になってしまいました。
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翌朝はこんな感じ。
最終的には何十年ぶりみたいな積雪になりました。ニュースでは16年前の東京の大雪への言及もあったようです。確かに大学2年の冬、雪がこんもり積もった体育館前の広場で部活の友人とキャッキャいいながら遊んだ記憶があります。成人式が大変だったと思い出す同級生の声もありましたが、弊管理人は成人式に出ていないのでそういう覚えはないです。それ以前はそもそも東京にいないのでわかんない。

* * *

■清水哲郎『生命と環境の倫理』放送大学教育振興会、2010年。

古本で買った放送大学の教科書。
生命、環境、死生学のミニ事典として使いそうな気がするので、会社のデスクに置いておこうと思ってます。
応用倫理はまだまだ知らないことばかりです。環境倫理のところにパーフィット、シンガー、ヨナスの簡単な紹介が載っていて、やっと「おお、こういうところにいた人たちなの?」と。

* * *

東京都知事選があった。
弊管理人は自分の想定していた投票先と情勢を勘案し、自分が投票をしたとしても結果に影響を与える可能性はないと判断して投票せず、他人事な感じを楽しみながらテレビ見たり(仕事先で)、「投票しよう!」みたいな友人の正義ツイートにイヤミツイートを返したりしながら過ごしました。

感想。
(1)やっぱり極端より普通がいいと思うわな。
(2)主要候補者の立ち位置にかぶりが少なかったため、右のほうの人とかネットの人とかがどれくらい都内に存在するかの悉皆調査っぽくなっててためになった。

* * *

KFCの復活したフライドフィッシュを食べてみた。
むかーし「フィッシュフライ」という名前で売ってなかったっけ。
記憶が美化されているだけかもしれないが、なんか味、ボリュームとも期待したほどではなかった。
ニュージーランドの田舎町で食べた豪快なフィッシェンチャーップス(なまった)また食いたい。

2014年01月26日

春か

土曜の夜、早めの時間からごはんも食べずにウォッカを流し込んでいたところ、当然酩酊してしまい、終電で帰宅し、それでもしっかり歯を磨いて布団で気絶しました。

日曜の10時ごろ起きて、コーヒーとバナナとリンゴの煮たやつ(ようやく実家から12月に送られてきたリンゴを処理しきった)で朝ご飯にして、昼過ぎに錦糸町の「アキンボ」にカレーを食べに行きました。
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ラムキーマと豆カレーの2種盛り。ちょっと前から出しているメニューだそうです。
混ぜて食べる。ほんとにうまい。ラムとパクチーと生姜に豆が加わることで、厚みのある味になってます。
マスターは弛まず研究を続けているようで、時間を置いて訪ねると少しメニューが変わっています。そしていつも、じわっと幸せになれる味を提供しています。以前の日記でも書きましたが、最も信頼しているカレー店です。

日中、晴れて14.5度。ぽかぽか陽気でした。
が、夕方に帰宅するころには北風が強まり、この2日の暖かい空気をどこかに持ち去ってしまいました。
土曜に布団を干し、シーツを新調し、洗濯と掃除をしたのでこの週末は勝利とします。

2014年01月06日

年末年始

年末年始は、30日夜~元日夜の帰省でした。

大晦日はいつものように、本家で年越し。
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あいかわらずおばさんの料理は豪華です。

ばあちゃん93歳、弊管理人でも分かるほど、認知症状が進んでいる感じです。
というか、ちょっと鬱っぽい。表情がないんですよね。
これが今回気付いた一番の変化でした。
しかし、父の持っているiPadを使ってYouTubeで鶴田浩二を見せていたら、「鶴田浩二好きだったのー」ととたんに嬉しそうに話し始めました(ちなみに弊管理人は、ばあちゃんが鶴田浩二を好きなことは故母から聞いて知っていました)。要はインプットに乏しい生活が悪いのではないか。しかし自分がずっとついていて刺激を与え続けることもできない。困ったものです。

大晦日の夜は、父はさっさと寝て、妹は2階に上がって民放を見て、弊管理人とおばさんは居間で紅白を見る、という例年通りの過ごし方でした。

* * *

父は妹にと、名入りのiPad miniを用意していたのですが、妹は「使わないのに……」と喜ばない。「要らないならもらっちゃおうかな~」と言ってけしかけたものの、ちょっと揺らいだくらいで動かず、本当にもらって帰ってくることになってしまいました。
自分なりの考えがあるのかもしれないが、弊管理人に言わせればプレゼントを流産させるなんてダメダメもいいところだ。よしんば特に欲しいと思っていなかったものだったとしても、プレゼントを用意していた人の気持ちを汲んで笑顔で受け取るくらいするべきだし、第一、使ってみたら何か新しい世界が開けるかもしれない。予定外のチャンスに乗っかってみるのって必要なことだよ。
と言ったとしてもお小言にしかならないし、言っても響かないだろう。もっとも、たまに顔を合わせるだけの間柄だから、お小言のフォローもできませんけど。自分の名前入りの品をかっさらわれるというまさかの事態を少しは惜しく思ってくれるとよいのですが。
それはともかく、こちらは有り難くいただいてきて、保護シートを画面に貼って、セットアップしたところです。Retinaディスプレイはきれいだな。ここしばらく検討していたkindle paperwhiteの購入は見合わせることにしました。

* * *

年賀状は、もう会わない人と、いつも会う人を除いた十数人に出しました。
近況報告をぎっしり詰め込む文字だけの年賀状です。
去年は仕事のことばかり書きましたが、今年は全く仕事のことを書きませんでした。
ま、そういう気分だったということ。
宮古島と四国と台湾に行ったことがないので行きたい、と書きました。
つづく。

2013年12月31日

2013年まとめ

わあまとめてる時間がない。
簡単に。

【よかった】
いい本にたくさん当たった。
初めてのことを体験するように努め、いくつかできた。
ハイキングに行った。

【悪かった】
思い出す力が落ちた。
休みにゴロゴロしすぎた。
春~夏、厄介な仕事にやられた。
夏が暑かった。

【来年の抱負】
いっぱい出かける。

2013年12月09日

つれづれ

神保町の岩波ホールで「ハンナ・アーレント」を観てきた。
正午ごろ、のそのそとチケットを買いに現地に行ったら、14:30からの回があと4人で売り切れるところだった。「開場は13:45ごろです」と告げられたので、その辺の本屋をぶらぶらする(1冊買ってしまった)。

13:45ごろホールに行くと、10階の階段踊り場から6階まで入場待ちの列ができていた。
なんか年齢層が高い。あと本読んでいそう。

内容は『イェルサレムのアイヒマン』のメイキングです、みたいな感じ。
ナチの役人に悪の凡庸さを発見することが当時どれくらい反発を招いたかという温度感は分かった。
悪の一翼を業務として担った(おそらく時代状況からして担わざるを得なかった)一つの歯車がなぜ責任を問われるのかについては、「思考停止したから」で終わってしまった。ちょっと食い足りない。
思考停止してるとかいって他人を詰りたい人たちの引用を待っている作品(と言った瞬間にその背後を取られるのだ)。

では、あの時代のあの社会に参入したとして、そして少なくとも良心は起動したとして、縛り首を回避するためにどんな手段が取れたろう。
多分抵抗は実を結ばない。
無能な人として隅っこに追いやられるのが一つの解ではないかな。
これは程度は違っても、無理筋なミッションを果たそうとするどの組織にも通用する気がする。

* * *

早くも目の血はだいたい引きました。
まだ引いてない部分はまぶたの下に隠れてます。

2013年12月04日

目血

3日、起きて鏡を見たら、左目が出血してた。
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ぎゃーって言って眼科へ。
結膜下出血というらしい。
「朝、鏡を見て、ぎゃーって言って眼科へ来る方、多いんです」と眼科医。
殴られたとか何かがぶつかったといった、明らかな原因があると眼球の異常が心配されるが、そうでなくて強くこすっちゃったとか、原因がよくわからないとかの場合は心配ないらしい。
消えるまで2週間くらい、しかも、別に薬があるわけでもないという。
テンション下がる。

* * *

4日は京都へ日帰り出張。
京都勤務の同僚に「なんかうまいもの」と意見を求めたら
「このあいだ食った親子丼」とここを紹介されました。
京大病院の近く、「京のつくね家」で親子丼1365円(!)。
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親子丼に山椒ってのは手だね。850円ならまた来たであろう(反実仮想)。
今度なか卯からテイクアウトしてやってみるか。

人づてに聞いてちょっと気になっていたフルーツサンドも攻めようっていうことで。
四条大宮、ヤオイソでフルーツサンドのセット、735円。
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完成された古き良きスイーツです。というか、見たままの味。
それよりミックスジュースがおいしかったよ!

けさ7時45分起きなのに、昨晩は2時半まで電話してしまい、さらに新幹線で来週末に就活始めたばかりの皆さんに対して嘘八百並べる(嘘)のに使うスライドを作っていたら頭がぼんやりした。

2013年11月10日

週末記

なんだか週記くらいのペース。

* * *

通っていた大学から、今度立ち上げる国際化室(←まだ設立前なので違う名称を使っています)の記念シンポジウムに登壇してくれないかと依頼が来ました。
学部時代、大学が持っていたプログラムによって非常に廉価に交換留学させてもらったことには感謝していて、できる協力はしたいと思っているのですが、「グローバルに活躍している人」をスピーカーとして想定していると聞かされ、ちょっと考え込んでしまいました。
仕事はそんなにグローバルでもないし活躍してもいないし、第一、夢のある話が一つもできない性分なので(何年か前に会社説明会の講師になって嘘八百を並べてみたが、やはり合わなかった)、30分ほど悩んで、お断りしました。仕事上のお願いを断られると結構寂しい、というのは弊管理人も時たま経験するので心苦しくはあったのですが、どう考えてもスピーカーとしては不適当なので仕方ない。
他の登壇者が夢いっぱいの人だったら自分は暗くて貧乏くさい話をしてもいいかなと思わなくはなかったものの、そこは他に誰が来るのか分からないわけですし。

* * *

土曜、サイエンスアゴラを覗いてきました。展示あり、講演あり、科学と科学コミュニケーションの文化祭です。なかば趣味、なかば実益のため一度見てみようと思っていたイベントでした。
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ビッグサイトとかパシフィコとかで大学や企業がやる巨大展示会が規模・内容ともに砕けた感じ。
出展側の人たちはやりたくてやってるのかな、これ。
巨人の肩から見える風景を一見さんに分かってもらうって難しい、というのが印象。

* * *

うちの近くの吉野家で、店舗限定の「牛すき鍋膳」(590円)というのを出していたので先日試してみましたが、くず肉とくず野菜が割り下の中で煮えているというしろもの。
牛丼屋では牛丼を食えというのが結論です。

それはそうと、この汚辱を雪ぐべく、土曜の夜は自宅でやってみました。
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雪がれましたw
葉物や茸は煮ると小さくなっちゃう。もっと多くてもよかったというのが反省点。

2013年10月27日

一週間つれづれ

金、土と大阪出張してました。
天満にある「梨花食堂」というカレー屋を教えてもらって、仕事が終わったら行こうと思っていました。
しかし、頭痛と腹痛が辛かったため、さっさと帰京。
ちなみに体調は新幹線に乗ったとたんにけろっと戻りました。
ということで、ご当地らしいものといえばこれくらい。
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そのあと職場で荷物を下ろしてから帰宅し、酒場へ。
用事含みだったのでさっと済ませ、お酒はちょっとにして帰って寝よう、と思ったらうっかり痛飲してしまいました。早い時間に崩壊したので終電前の電車に滑り込み、しかし乗り換えで席を確保する自信がなかったので途中駅からタクシーで1時ごろ帰宅、歯も磨かずにベッドで死亡。
朝方いったん目を覚まして歯を磨いたのを挟んで11時間寝て起きると、アルコール代謝がほぼ完了していたもよう。室内を点検しましたが、財布もちゃんとあるし、飲む前に買って裸で持ってた本もなくさずに持ち帰っていました。玄関の床の上に靴が載っていた以外に異常はありませんでした。
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タクシー使うほど酔ったのは昨年5月5日以来か。
きょう1日がかりで酩酊してる間の記憶を少しずつ掘り出していく作業をしました。普段、自分が何を抑えつけて生きているかが分かってしまって嫌なものです。が、過去いくつかの失敗を経て、その噴出の仕方は制御できるようになりつつあるらしいことも確認。
酒による死と再生は痛みを伴う経験であって、そんなにしたいものでもないけれど、再生の日の夕暮れごろには不思議な浄化/やりきった感があるのも事実……

* * *

霞ヶ関で16時に昼食、というパターンが最近ちょくちょくある。
解決は霞ヶ関コモンゲートにある「のぶや」がそこそこ。
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歯ごたえのある田舎そばにのり、ごま、天かす、卵は新橋の「港屋」ほぼそのまんまですが、ひとけのない店内と座って食べられるのがよい。

■ゲーテ(池内紀訳)『ファウスト 第一部』集英社、2004年。

「読みたい」よりも「読んどいたほうがいいだろう」で手を付けた作品です。
お話はメンドクサイおやじとメンドクサイおねーちゃんの絡み。
でも最後についてた訳者解説が、短いけれどとても面白かった。
いろいろ思うところがありました。第二部を読んでからまとめて。

2013年09月29日

PASA

先週、雨の日に仕事前のランチを、根津、PASA(パサ)で。
ネパール料理のお店のようです。
ダルバート(定食)の評判がネットにけっこう上がっていましたが、キーマカレーを頼みました。キーマカレー大好きです。
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辛さは5段階の4(現地並み)でお願いしました。でも、そんなに辛くないです。しゃばしゃばではない、ペースト状のカレー。コクがあってとてもおいしい。ごはんをお代わりしてしまいました。お腹いっぱい。

食後にフェンネル(消化を助けるらしい)と氷砂糖、チョコレートを出していただきました。
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時間があまりなかったので最後はぱたぱたと出てきてしまいました。
この辺に来ることは多くないのですが、次の機会があれば定食だな。

* * *

4月の中頃と並んで、一年のうちで最も過ごしやすい時期です。
先週は仕事用の半袖シャツをクリーニングに出し、この週末は掛け布団を押し入れから出してカバーを洗濯、本体を干して寒い季節の準備をしました。

先々週くらいから喉の調子が悪いです。
薬用ドロップで対応。これはあまり心配してません。例年この時期はこうなので。

今日、蚤の市でシャツを安く買いました。
こういう場での買い物はめったにしないのですが、小柄・太めのシャレオツ知人が出店していたので覗きに行った次第。
結構派手な和柄、サイズはぴったりでお互い驚きました(弊管理人は自分がチビデブのカテゴリーだということに気付いてしまった)。
弊管理人は普段、ほぼ黒紺白の単色かせいぜいチェック、くらいの彩りのない服ばかり着ているので、別の世界をもたらしてくれるこういうお手軽なスワップは大歓迎です。市場における取引は双方にとってうれしい、ということをこんなところで実感するとは。とか言ってないで来週末に着よっと。

2013年09月20日

脳とセミコン

■池谷裕二『単純な脳、複雑な「私」』講談社、2013年。
職場に転がっていたブルーバックスです。
脳科学の研究者が出身高校でやった講義を書き起こしたもの。

脳(というか意識)は体の隅々まで統括するリーダーではなく、頭蓋骨の中の暗い部屋で感覚器から上がってくる情報をモニタで確認しながら、外で起こっていることをうだうだ想像してはストーリーにまとめる孤独なアームチェア文筆家のようなものらしい。経験の蓄積に基づいて素早く反応を返すような直感的な作業は隣室の秘書「無意識さん」がこちらに相談もせずぱきぱきと片付けてくれる。自分は暗闇で悶々と考えている。世界というのはそうやって作り上げたストーリーのことであって、それ以上ではない。でもそんな仕事ぶりだから、結構間違えたり騙されたりする、そんな愛らしいうかつさも持っている。

脳から見た世界ってどんなものなのか?脳を外から見るとどんななのか?それを実験を通じて明らかにしていくと、これまで数千年にわたって優秀な脳たちが考えてきたいろんなアイディアを考え直すきっかけになる。
自分が正しいと過信しないで、すべては誤っている可能性があるという前提を受け入れよと求める可謬主義も、まあなんか道路の速度規制みたいなもんかと思っていた。けれども、記憶や信念というものがかなり捏造されやすかったり、外部からの入力に引きずられたりしがちなことが実験的にも示されてしまうと、もっと大事にせないかんなと思ったりする。
ヒュームも、脳に与える刺激を工夫すれば感覚から情動から幽体離脱まで作れてしまうことを知ったらドヤ顔して見せるかもしれん。
行動しようとする意志より先に、実は脳が行動の準備を始めてしまっているとなると、自由意志を再定義しなくちゃいけなくなる(実際、本の中ではそれを試みている)。
入力された信号が一定の強さを超えると出力する、そんな単純なデバイスであるニューロンと、それらのネットワークと、たまに生じる入力信号のノイズ。それだけの集積がかくも複雑な「心」を形づくっているとしたら、逆にベンサムが夢見たような「幸福」の測定だってできるような気がしてはこないか。

いや、著者は全然そんなこと言ってませんけど、読みながらいろいろ空想してました。
ひさびさに通勤時間が飛ぶように過ぎる、おもろい本でした。

たまたま今日、某所で理研脳センターの宮脇敦史さんの講演を聴きました。光るタンパク質を使った生体のイメージングをやっている方で、生物の発生の過程や脳の深部の探検など、動画をガンガン使い、アングルをぐるんぐるん変えて見せながら聴衆を引き込んでいく、魅力的な講演でした。
わりと高齢の理系出身者が多い会場でしたが、最後のQ&Aセッションで質問に立ったじいちゃんが「この講演を学生のときに聴けていたら……」と切り出していたのが印象的でした。社交辞令じゃなくて、たぶん本当にそう思ったんだろう、そういう口ぶりだった。
研究に没頭して新しい知識を作り出すのも大切だけど、学生でもじいちゃんでも、誰かの心にイベントを起こすことも意義深い仕事。できる人はやろうぜ、アウトリーチ。そんなことを思いました。

■西久保靖彦『最新 半導体のしくみ』ナツメ社、2010年。
ちょっと必要がありまして一気読み。
半導体って言葉がいっぱい出てきて難しいなあと思っていたのがうまく整理されました。
恥ずかしながら発光ダイオードがどうして光るか、やっと分かった。
本当は「more Moore/ more than Moore/ beyond CMOSって何?」というのが知りたくて手に取ったんですが、そこは特に言及なし。でもま、いいか。

* * *

北海道の3泊4日で食生活が荒れてンコの量が減り、色が黒くなり、水に沈むようになってしまっていたため、帰ってきてすぐに普段より野菜をいっぱい食べて2日半ほどで元に戻しました。緑黄色野菜も大切だけど、キャベツの威力がすごいな。

2013年09月08日

久しぶりの友人と

1999年に交換留学でニュージーランドの大学に行かせてもらったとき、行き先の大学から派遣されていた友人が台湾からいらしていて、つながりのある同級生+後輩とともに計4人で昼ご飯を食べてきました。

弟さんが建築の仕事をしている関係で代官山の蔦屋書店を訪れたかったそうで、そこが集合場所。
なんかオサレ建物で有名らしいですが、弊管理人は知りませんでした。
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こんなの。
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中は丸の内の丸善にあった「松丸本舗」くらい。
渋谷駅から徒歩10分ちょっとです。いかにもお金持ちの住区みたいなところをいかにもお金持ちみたいな人たちが歩いてました。

で、近くのハワイアンな感じのお店で昼食。
ガーリックシュリンプを。
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ハワイで食べたのはもっとギットギトでどぎついニンニク臭で危険なおいしさでしたが、こちらはお上品。

台湾友人、後輩と別れたあと、同級生と喫茶店で駄弁って帰りました。
お互い齢36。立場は違うが、年齢なりのいろいろあり方は通ずるものがあるようで。
仕事ではもはや若手じゃなくなったねとか、家族を持つかどうかとか、親はまだ大丈夫だろうかとか、まあそんなことですけれども。

* * *

まだ動くと汗がじわりと出るものの、9月も上旬が終わろうというここ数日は、さすがに暑さが少し和らぎました。日が落ちるのもめっきり早くなった。ハーパンの季節も終わりか。

* * *

周囲に虚言癖の人が絶えないんですが、こんなもんなんでしょうか。話がどうも変、という人に対して、実害が及ばない限り全くつっこまないという弊管理人の性分が招いているような気もしています。

* * *

■アーネスト・ゲルナー(加藤節監訳)『民族とナショナリズム』岩波書店、2000年。

・ナショナリズムとは「政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である」。一つの国家の中に複数民族がいる場合、それらの民族には一つずつ国家が与えられなければいけない、という。
・狩猟採集社会→農耕社会→産業社会のうち、ナショナリズムが起きるのは産業社会だけ。
・ナショナリズムは近代世界に特有の(つまりそれ以前には存在しなかった)条件下で支配的になる一種の愛国主義。
・その条件とは:読み書き能力を基礎にした文化。それを同世代に遍く供給し、かつ世代を超えて確実に受け継がせる教育システムの存在。その教育が生み出す人々の均質性。そして、その教育を修了した上でなら、高度に分化した専門のどれにでも就けるような、職業選択の流動性。こうした文化に対して、宗教やローカルな文化を介さないでばらばらの個人が抱く忠誠と、その見返りに文化が個人に与えるアイデンティティ。
・この文化が自然なものとして現象し、かつそれが維持されるために必要なもの、それが国家なのだ、という構成らしい。
(・ただし、あらゆる民族がすべてナショナリズムを宿すわけではないし、宿したとしてそれを達成するわけでもない。メインの国家に同化する場合もあれば、そこまで盛り上がる勢いを持たずにしぼんで終わる場合もある。)

『想像の共同体』が面白かったので、同じくナショナリズムが近代の所産だという本をもういっちょと。
くどい文章(というか訳文)ですが、言っていることは意外とシンプル。
こういう文章は、一言一言を味読するより、できるだけ勢いをつけて駆け抜けるほうが頭に入るという発見もございました。
原著は1983年刊。東欧とか、マルクス主義なんかへの目配りが時代を感じさせます。

2013年09月02日

新宿ゴールデン街、凪。
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店内は10席くらいか。食券を買った上で、建物と建物の間で並んで待たされます。場所により、頭上にエアコンの室外機があって暑い。やっと呼ばれて席に着くときに「あ、やっぱり大盛りに……」と言っても手遅れです、出来上がるころに呼ばれるから。これでもお客さん少ないタイミングに行ったらしい。

もちっとラーメンへのアクセスがいいといいんですけどね。

* * *

週末、暑かった。

2013年08月15日

盆休み備忘

■14日、周囲で何かと話題の『風立ちぬ』を見た

インテリ飛行機設計技師のあんちゃんと、結核もちのセレブおねーちゃんがドラマチックな出会いと別離から何年かして再会した避暑地で恋に落ちて、最後はおねーちゃんが死ぬメロドラマ。

一歩引いてしまうとそれだけです。「生きねば」というメッセージもうざベタい。だけどとにもかくにも、よく描き込まれた絵物語に2時間体を浸すのが、正しい享受の仕方。原作もたぶん知らなくていい。夢が現実に、現実が夢にすっと入り込みながら淡々と話が進んでいく、ふわふわした全体がそのように提案している気がします。
そう思って見るといい映画なんだと思う。鑑賞後、こんなふうに何か言いたくなりますしね。

大正~昭和初期ごろの結核がどんな病気だったかとか、先進工業国としてのドイツと「20年遅れた」日本の関係など、前提知識がけっこうないと難しい。席の両側は母娘(とみられる2人)2組で、いずれも40がらみのおかーさんはぐすぐす泣き、娘さんらは「わかんない」とむくれていました。ついでに前にいた20代くらいのカップルは「難しいね……」とぼそり、後ろのヲタと思われる男性は「庵野の声が……」。まあそうなるわな。

喫煙のシーンが多いことに文句が出ているそうですが、「あほか」以上の感想はありません。あほか以上に何か言おうとするとすっごい長くなりそうなので。

それにしても実に6年ぶりに映画館で映画を見ました。この、現実からちょっとの間切り離される体験もいいなあ。映画ももっと見よう。

■その他

帰省して見た田舎の状況は、春の連休よりはもう少し、次の問題が迫っていたように感じました。

上記、久しぶりの映画と、山と、ほかにちょっとここに書くほどでもないことなどによって、先週末までまことにギリギリと締まっていた心を弛める機会にすることができました。
(今日出勤して、一時停止していた時間の流れが再開しちゃったんですけど)

■理化学研究所脳科学総合研究センター『脳科学の教科書 こころ編』岩波書店、2013年。

前読んだこれの姉妹書で、出るのを結構待っていた本。
相変わらず優れた見取り図です。索引が欲しかったなー

2013年07月07日

夏入り

夕飯にナポリタン。
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乾麺140gは作りすぎだった。

* * *

昨日、梅雨が明けたようだとのこと。早い。
今日は猛暑日だった。
夕立もあったよう。その時間帯、地下を通って入った本屋にいたので気付かなかったけど。

* * *

何となくここの日記を読み直していて、「ですが、」で繋いでる文が多いことに気付きました。
減らそう。

* * *

夏以降の予定が立たない日々。
厄介な案件、なんとか軟着陸してほしいのだけれど。

* * *

結局、同僚氏の私費留学に伴う休職は会社に認められました。
壁を突破する気迫の差だな、弊管理人と進路を分けたのは。

* * *

沈黙は金。

2013年06月13日

人間不平等起源論

■ルソー(中山元訳)『人間不平等起源論』光文社古典新訳文庫、2008年。

2年前、震災対応の中で『社会契約論』を読みました。かの本が「今とこれから」についてだったとすれば、本書は「始めから今まで」といったところか。

ルソーの場合、自然状態の人間は、森の中で、互いに交流を持つこともなく、自然からの恵みによって自給自足し、自立できるだけの身体的な頑強さを持って生きている。
その自然状態から社会状態への移行が、「人間が環境に働きかけながら生活を改善していく力」を媒介にして、あるいは何か外部的な障害への直面を契機として、しかし長い長い時間をかけて、起きてくる。
まずはゆるやかな集団が形成され、そして家族が形成され、言語を操る社会ができ、鉄と小麦を利用した労働と所有の時代が到来し、国家ができ、国家同士の戦争状態が出現する。ルソーが主題にしている「不平等」の起源がここ(この不平等は、身体的な強さや弱さなどから生じる不平等ではなく、制度から生まれる不平等のこと)。
自由で平和だった自然状態から、隷属と戦争の社会状態へ。ここで財産を持っている人々は、自分の持っているものを守るために、同じく財産を持っている他人に働きかけ、「協同して財産を守る」ことを始める。これが社会と法の起源だという。
ということは、統治機構というのは、財産を持っている人たちが自分のために設立した管理組合であって、設立者たちの財布に恣意的に手を突っ込んでいいものでは全くないわけだ。設立者たちの手を離れて暴走を始めた管理組合は、その瞬間に正統性を失うことになる。
で、『社会契約論』では、そのへんを詳しく展開するわけですね。

とても丁寧な訳者解説がついていて、この論文がなぜ書かれなければならなかったのか、この論文は何と戦っていたのかを明らかにしてくれます。自らものを決める権利を人々から次第に剥奪し、服従を求める当時のジュネーブ政府の論拠の一つが、「惨めな自然状態から脱するために、自由を政府に委ねて庇護してもらう方式」の社会契約論だったこと。このあたりの背景を知らないで本文を読むと、見てきたような作り話を延々と語ってるように見えてしまってイライラするので注意が必要と思います。

よい社会の原理を見つけるために「後天的なもの」を次々と剥ぎ取って「最初の最初」に立ち返ってみようという思考実験。この手つきは200年余り後に登場する「無知のヴェール」の方法になめらかにつながっている気がします。

* * *

ひとつ前の日記に出てきた私費(←ここ大事)留学志望の同僚については職場で会議が開かれて、メンバーひとりひとりに意見が求められました。
出た意見はだいたい、「長期的には社業のためになりそうだしOK」「いやまて、人繰りの厳しい職場に穴があくってどうよ」といったところ。自分のカネで行くんだから楽しみに行ってくりゃいいじゃん(どうせ1年のTaught Masterは200万円ほど払って知識とモラトリアムを買うようなところだし)と思うんですが、現実には賛成も反対も同じ、組織の論理に基づいていて厳しい。

それから今週は、いまどき超高い組織率を誇る労働組合の大会があり、覗いてきました。
みんな仕事に対して真剣で、正しいと思うことに対して誠実で、くらくら。
自分がこの瞬間この場にいることに特段の疑問を感じないで済んでいるとお見受けした。羨ましい。

そんなことが立て続けにあったせいもあり、会社にいながらどこにいるのかよくわからない、ぼやーんとした靄の中で昼間から夜中まで過ごし、帰ってきて寝てまた出かけるこの頃です。

2013年06月09日

神座

歌舞伎町、どうとんぼり神座(かむくら)。
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なんだっけ、煮卵と葱の載ったラーメン、850円。
白菜が入っていて、いっぱいの葱とあわせてザクザクとした歯触りをずっと楽しめます。そういうの大好きなので、かなり満足度高いです。
スープは醤油ベースだと思いますが、ちょっと甘めの珍しい味。弊管理人はよく豚肉と玉葱を出汁、白ワイン、砂糖、塩、生姜、味醂、醤油で甘めに煮ておかずにするんですが、その汁みたい。最初は葱と白菜、次にテーブルに用意してある韮、最後に同じくテーブルにあるおろし大蒜を少し入れて、少しずつ違った味を楽しんでいる間に食べきれます。

とろとろ叉焼とか、どこどこの塩だとか、いわくつきの小麦から作った太麺とか、そんな猪口才なラーメンではありません。特別版の支那そば。好きかも。というか飲み帰りに寄ってしまいそう。もう一回行ってみる。

* * *

年下の同僚がイギリスの大学院のオファーを取ってきて、再来月、旅立ちたいと希望しているのだそうです。去年の自分を思い出します。
でも去年の自分と違うのは「会社からダメと言われたら辞めてでも行く」という勢いだということ。
わりとキツキツで回している職場だけに、反応はさまざまですが、弊管理人は応援したい気持ちでいます。去年は自分のことを――特に大事なことについて――自分で決めることができなかったので。

2013年05月06日

連休後半

3日は結局、クラブ的なところに行って終電を逃してしまい、朝帰り、やや後悔。
4日、やや寝不足のまま帰省いたしました。

実家は相変わらずで、父は定年後再雇用・最長3年の2年目に入ったところなので生活に大きな変化はない様子。夕飯は二人で鍋をつつきました。
朝は食べきれないほどご飯がでてくるのもいつも通り。
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山奥にある父方の祖父母の家へ。筍を掘って灰汁抜きをしているところ。
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3-4時間煮て、1日置く。
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八重桜。花を出荷するらしい。
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木曽山脈も相変わらず。
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帰りはUターンラッシュでバスが遅れそうだったので電車で帰ることにしましたが、指定席をとっていた特急に乗り遅れ、東京行き最終に乗ることになりました。
ホームの向かい側に、たまたま病院帰りの叔母がいて挨拶。叔父が何ヶ月か前にレビー小体型認知症という厄介な病気と診断されたのは聞いていたのですが、こんな夜遅くまで付き添っていたのでしょうか。

今年の連休は天気がよくて、少し涼しめでした。
どういうわけか、記憶を喚起させられるような匂いをよく嗅いだ気がします。何か特定のものではなくて、春の空気とか、人いきれとか、そんな環境に漂う匂い。

2013年05月03日

スカイデッキ

「ほらあ、バカとなんとかは高いところが好きって言うじゃないですか」と伏せどころを間違えて発言、しかし効力としては何ら変わらなかったようでよかったよかった。

よく晴れた大型連休後半の初日、なぜかむらむらと高いところに行きたくなりまして、六本木ヒルズのスカイデッキに行ってきました。
森タワー52階の屋内部分はこんな感じ。
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1000円くらいあれば余裕で寛げそうな、見晴らしのいい喫茶処などありました。

その上のスカイデッキに出ると、こんな感じ。
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新宿方面は青山墓地と新宿御苑の緑が映えていいですね。
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反対側。
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52階までで1500円、デッキに出るとプラス500円。なんかねえ。
ということで年間パス(5250円だが、ファミマで買うと4750円)買ってしまいました。
これで1年間、高いところに加え、森美術館にも何度でも入れるらしい。

夜遅くまでやっているようなので、夜景や、靄の日など、いろんな表情を見たい。
職場からわりと近いので、辛くなったらここに来ようと思います(わらい)

2013年03月31日

もういっちょ花見

昨日に引き続いてお花見です。
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今日は靖国神社で夜桜。
ほとんど葉桜でしたね。
3年前に同じ集まりで行ったときの日記がこちら。このときも寒かったですが、今日はごく弱い霧雨の一日だったこともあって、輪をかけて寒かったように思います。ただし万全の対策をして行ったので大丈夫でした。
一昨年は3.11のあとで各花見が中止になり、かつ仕事も忙しかったので、独り花見をしたのでした。
去年は4月に入っての花見だったみたい。

ということで2012年度もおしまいです。
いや、年度で仕事してないので特段の感想はないんですが。

2013年03月30日

花見と般゜若

大学に入って2年間の教養課程を同じクラスで過ごした友人たちとフェイスブックで再びつながり、今日はそのキャンパスで花見。10数人集まり、全員と16年ぶりの再会となりました。この大学の学部には2つキャンパスがあって、ほとんどの人は学部の後半は別のキャンパスに通うのですが、弊管理人は最初のキャンパスに4年間居残ったため会う機会がなく、さらに留学で1年卒業が遅れたため卒業式でも会ってなかったのですね。
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12時開始予定。でも12時ちょっと過ぎに着いた弊管理人が一番乗りという。想像通りでしたけど。

当時つきあっていたカップルがそのまま結婚してお子さんができていたり、イケメンの子がイケメンだったり、哲学を選んだ友人がいまだ落ち着いていなかったり、雰囲気が全く変わらないまま顔にシミができていたり、全体的に栄達を重ねている感じでもなかったり(いやそれぞれ優秀なんだけど、がつがつ出世を志向するタイプでもなかったように思いまして)と、意外性のなさに妙に納得しました。中間採点したらおおむね正答だった、みたいな?

今年の桜は開花が早く、花のピークは先週末だったものの、先週末まで仕事がたいへん込んでいたので、今日という日取りは参加しやすく助かりました。曇天で寒い中、持ち寄った梅酒やワインを飲んでいたらちょっとましに。あと、断熱材(あれだ、観光地なんかで冷凍の魚を買ったときに入れてもらう銀色のふかふかした袋みたいなやつ)を貸してもらって尻に敷くと効果絶大でした。

途中、警備員さんが回ってきて「キャンパス内はお酒は禁止です。学校なんですから」と注意し去っていきましたが、「彼はそう注意することが職務だから言っているだけなのである」と一同納得した上で粛々と宴を続けるあたり、大人になったなあとしみじみ思います(笑)

3時間ほど飲んで中座して野暮用、そして下北沢へ。普段はまず行かない場所です。花見の場所から近かったので今日なら寄れるかなと。

Cafe 般゜若 (←超打ちにくい)のカツカレー、1575円。
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たっぷりのタマネギとスパイスで作ったスープ状のカレー。ひりひりと辛いわけではないものの、スパイスの存在感が結構際立ってます。スープカレーがダメな弊管理人も、これはいけました。細切りのカツもうまい。スプーンの上にごはん、カレー、カツという小世界を作って口に運びやすいという作業上の配慮がある気がした。
近くにあったら月1くらいで行くんですけどね。

2013年01月28日

大阪・神戸出張

日曜に神戸で仕事があったので、土曜に前乗りして大阪へ。
午後から現地・非仕事関係の方たちと計6人で通天閣にのぼったあと、たこやきで軽く腹を抑え、徒歩で西成区の飛田新地(遊郭)に連れて行っていただきました(→こういうところ)。これはすごーい

裏日本では大雪だそうで、大阪も風がとても冷たかったです。
夕飯は、お友達のお友達くらいの距離の方のマンションに6人で押しかけて、そのまま鍋をごちそうになりました。2LDK+Sくらいの間取りで、とてもいい部屋です。そこで絶品のカレー・トマト鍋をいただいて、お茶も出してもらい、23時くらいまでとりとめもない話を楽しみました。

気付いたのですが、47階のホテルディナーよりも、数万円のふぐよりも贅沢な飯というのはホームパーティなのですね。親しい人たちを招くダイニングテーブルと椅子とくつろぐためのソファ、そのスペースに招く親しい人たち。1人1000円ほどの食材を煮込む食べきれないほどの鍋、それにちょっとしたつまみのセンスと、軽妙で気取らないおしゃべりと、帰りがけに交わす「ありがとうねー」という挨拶。こんな関係性が支えてくれる人生なら冒険を恐れることなどないだろう。

* * *

日曜は昼から仕事へ。
腹ごしらえのため阪急で三宮に出て、友人から教えていただいた「シャミアナ」でカレー。
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キーマカレーとサフランライス、サラダとチャイで960円。完成度高いです。
サモサやデザートがついてくるもうちょっと大きめのコースもありましたが、これは次に。

* * *

でもって今はバレンボイムのメンデルスゾーン「無言歌集」を一気聴きしてます。
日曜の夜に聞き流すのに好適(ほめてます)。

2013年01月15日

10年

母が亡くなって10年になりました。
2006年、08年、10年と、この日記で命日にエントリを作ったことがあって、それを読み返してみましたが、今日、特に新しく加えることはありません。

12日からの連休、浜松~名古屋近辺で新年会などいろいろ行事があった上、昨14日は東京に大雪が降ったおかげで東京駅に着いてから帰宅するまで4時間かかった。その疲れで、昨夜は21時半に寝て今朝は4時半過ぎには目が覚めていました。布団の中で、ここに何を書こうかなと考えていたのですが、何も新しいことが思い浮かびませんでした。ということ自体を書いておけばいいのかなと思いました。

それは喪う体験というものが乗り越えられたり忘却されたり折り合いをつけられたりしたということではなく、逆に血肉となって弊管理人の考え方を、あまりそれと意識されずに形づくるようになったということだと考えています。この日記の端々にそれが顔を覗かせている。急性期が7年ほど続き、それからは長いおつきあいをする局面に入っているような感じとも言えそうです。

2013年01月06日

いちかつ

両国、いちかつ。
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JR両国駅のガード下で、ファストフード店などとの並びにあるので「どんなもんかなー」と思いながら入ってみましたが。
ロースカツ定食690円はご覧の通り厚切りのとんかつと堆(うずたか)いキャベツ、ごはん、漬け物、しじみ汁。何このコスパ。次はミックスかカキフライ定食(ともに790円)かな。
あと特筆すべきこととして、接客がとてもフレンドリーです。これも食後感に大いに関係するのですよ。

* * *

このところのできごと。

・MONDAINEの腕時計を床に落としたら壊れたので修理に出しました。購入したヨドバシに持ち込んだところ、2カ月くらいかかるかもしれないとのこと。昨年初め、米国出張の最中に先代がイカレたのに続く故障。文字盤の見やすいデザインはとても気に入っているのですが、耐久性もサポートもあまりよくない。MONDAINEの入院中は、休眠していた光充電+電波のCASIOに戻し、快調に使用しております。次に買うとき、どうしようか。(3日)

・仕事始め。今年の目標は、なるべく会社にいないこと、なるべく会社(not 仕事)と関わらないこと。あと、愚痴は結局周囲にはウザイとしか思われないのであまり言わないこと。(4日)

・香川出身のマスターがやっている飲み屋さんで、釜玉うどん(汁なしのうどん+生卵+牡蠣しょうゆ)をいただく。うまい。というか構成上はほぼ卵かけごはん。
・6000円の会計を1000円札で払ったつもりが、5000円札が1枚混じっていたとマスターから指摘。忙しく立ち回っている中でもきちんと確認し、かつ曖昧にしないことに感じ入った。いや、当たり前なんですけど、でもねえ。(4日)

2013年01月03日

新年2013

31~2日は郷里で過ごしました。

伯母さんのお料理を食べながら紅白を見るという恒例の年越し。
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もう何年ぶりかというくらいの初日の出。特別な場所に行ったわけではなく、うちの玄関を出たところで見て、寒いのですぐに引っ込むというだけ。
長野市の日の出は6時59分だが、当地は赤石山脈の向こうから出てくる太陽を見るため、7時30分ごろに。
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今年の年初は天気がよく、景色がきれいでした。
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・ばったり倒れながら投げ出した手でようやくゴールラインに到達したような2012年でしたが、ここの日記だけ見てみるとなんか楽しそうな1年だったなと反省できる程度には突き放すことができているようです。今年はほんとにいい年にしたい(なってほしい)。ということで、元旦から早起きをして朝日を見るなどがつがつと動く年明けでした。

・事前情報からすると、郷里の諸々が古びてきて、そろそろまた一族の加齢や病による心配事と直面しなければならないかと思いながら帰省しましたが、そうでもありませんでした。というか、まだ大丈夫でほっとしたという感じ。

・伯母、母方祖母、父方祖父母にお年玉をあげてお土産に代える。

・珍しく旧年中に9枚の年賀状を出しましたが、郷里からうちに戻ってみると、出してない方からいただいた年賀状が6枚。近所のコンビニで追加購入。

・年男の年始は結婚せよ圧力が意外と高まっており、父方祖父が弊管理人の顔を見るなり電話を取って意中の見合い相手に連絡を取ろうとしたのを大声で阻止。ここから40くらいまでがピークか。「勝手なことをするなら今後帰省しない」と脅しておきました。

・すんごい喰っちゃ寝状態を続けてしまった(半ば確信犯)。

・高速バスで往復しましたが、いずれも乗務員や発券窓口の人の機転で最後列を独占しゴロゴロしながら4時間ほどの乗車時間を過ごせました。ここの窓口の人はなぜか、行きで降りるバス停と帰りに乗るバス停が違っても「乗り越し精算すればいいので、安くなる往復券で出しておきますね」などとやたら気が利く。ルーティンで客をさばく以外のことができる窓口の人って貴重でありがたいです。

2012年12月30日

燈郎と2012年まとめ

新小岩、燈籠のつけめん+味玉=880円。
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連休明けから自炊をして、雑穀米だ魚だ海藻だと食べていたら体が「なんか濃ゆいもの食べたい」と言ったので、濃ゆいラーメンに。
1年ちょい前に行ったときにはあまり良い印象がなかったのですが、「それは量の問題だったのではないか」と思い直して再訪。がっつり系のお店なので、麺は普通盛りに抑えてみると、ほぼちょうどよかったです。オエッてならないし、スープがいよいよ冷えてしまう前に食べきれる。ミニでもいいくらいですけど。

それで、それからちょっとお酒を飲みに行って、うっかり終電を見送って始発で帰宅。今ちょっと頭いため。

* * *

今年は1月のアメリカ(3週間)、7月の鹿児島、12月のスウェーデン(2週間)のほかに関西方面にちょこちょこ出張があったり、7月に休暇で沖縄に1週間行ったりと、結構いろんなところに出かけていて、振り返るとかなり派手で楽しそうな1年に見えます、我ながら。

しかし、2月に合格をもらった英国の大学院に社内的な事情などが絡んで結局行けないことが6月に確定し、10月には会社の嫌な面をこれでもかと見せられ、その他いろいろと仕事が込んでいて、調子の狂う1年だったような気がしています。自分の生活の質を落としている原因の大半が今いる会社だということを痛感しました。と同時に、楽しいかもしれないことを素直に楽しめない自分の性質がこういった環境要因と噛み合い、ぐるぐる落ちていく状況を作ってしまったようにも思います。11月に会社のエレベーターの中の鏡で、白髪が増えているのに気づいたときはショックだったなあ。

反省点をいくつか考えました。

・「とりあえず間に合わせるみたいにして両手いっぱいのタスクをぼんぼんこなす」というスタイルを少し見直して、じっくり考えることを基本に据えて、その上で例外的に単発の仕事を右から左へ流すような方向に持っていくこと(間に合わせでやった仕事には間違いが起きやすく、またフォローアップの必要が生じ、却って手間が増えることがあるから)。

・あまり押し黙ったり持って回った言い方をせずに、ストレートにものを言うようにすること(ストレスマネジメントとして。また弊管理人の物言いは分かりにくいようなので)。

・机に就いている時間を減らすこと(机上で考えられることには限度があるから。また、机に就いていると新しい仕事が降ってきやすいから)。

・力が及ばないことをあまり悔やまないこと(これは10代からの継続課題ですw)。

* * *

今年の春に父親が60歳になり、定年を迎えました。
父親が今の弊管理人と同じ35歳だった25年前、弊管理人は10歳だったので、その時分の父親の姿はばっちり記憶にあります。その当時から今までの25年という時間の長さの感覚もだいたい分かります。
10歳から20歳までの10年と、25歳から35歳までの10年では、後者のほうが圧倒的にさっさと過ぎた感じがあるので、そんなことを加味した上で、現在から未来方向へ25年という時間を投影してみると、人生の短さというのが(もちろん仮にですが)感覚できるような気がします。
どちらかというと何かが始まったときに「いつまで続くんだ、これ」とゲンナリするタイプなので、飛び去るほど早くはないが永遠というほどでもない時間制限のことを考えるのも悪くありません。
一方、健康でいないと面白いものも面白くないので、健康に気をつけようと思います。というか、運動不足が生活の質を落とすということも今年特に痛感したことの一つでした(産業医とおしゃべりしていて言われたことでもあります)。

* * *

今年はわりと目の前のことを知るために本や文章を読むことが多かったので、来年は少し、目の前のことの向こう側を読む機会を増やす方向に戻りたいと思います。今年なんとなく手に取っていた確率のことを書いた本の読書も、そういう方向に持って行きたい。

* * *

ネットやってる時間も減らしましょうね。なんて。

2012年11月08日

VAIO 14P

新しいパソコンを買いました。

これまで使っていのは2008年6月に買った東芝のdynabook TX/65Fで、当時の日記にそのときのことが書いてあります。
当時もそれまで使っていたhpのパソコンが4年あまりの使用期間だったことから、次の買い換えは4年くらい後であろうということ、そのとき自分は35歳になっているということが「遠い目」で書き残されていました。来るときは来るもんですね、4年後って。

さて、今回は機能面で使いづらくなったということはほとんどないのですが、Windows立ち上げの際にちょっと工夫をしないと止まってしまうという症状が見られるようになっており、いろんなところのクリーンナップでも回復しないため、大事をとっての買い換えとしました。もうちょっともってもよかったと思わなくもないんですが。会社で前に導入していた東芝機もよく壊れたし、たぶん今後はよほどの事情がないと買わないだろうな。

今回買ったのがこれ、VAIOの14Pというモデル(画像はSONYのサイトに直リン)。

CPUはCorei5、メモリ4GB。ブルーレイディスクドライブ。あと、画面を14インチ、1600×900ピクセルにしてみました。選択の理由はほぼ値段だけで、56800円。OSはWindows7。

ちょうどWindows8が出たばかりの時期で、その少し前からWin7機が投げ売り状態になっていたため、かなり安く買えたと思います(前2代は10~12万していた)。タブレットを愛用しているわけでもないし、まだまだ家で据え置きのまま使うのでキーボードがあれば十分、Twitterもこれまで通り専用ソフト入れて見るからいいです、ということで突然15000円くらい高くなるWin8機を選ぶほどのこともないと判断しました。スピード感は特にCore2Duo、2GBのこれまで使っていたPCと変わらず、Photoshop ElementsとかOfficeの立ち上がりが若干早くなったかな、くらい。これは会社のPCの使用感から予想していたことなので驚きません。

画面が広いといいだろうかと思って解像度のちょっと高いオプションを選んでみました。これが今回の一番の変化ですが、デフォルトでは字が思いのほか細かくて読みにくく、結局ブラウザは少し字を大きく表示させるようにして対応。写真なんかを見るときは画面が広くてけっこうよかったかも、ということで一長一短。ただし慣れの問題かもしれない。

あと内蔵スピーカーはHarman/Kandonを搭載した先代の東芝の圧勝。ただし、家に置いてあるONKYOのコンポにつないだときの音のクリアさはなぜかSONYの勝ち。これはソフトウェアの進歩なんだろうか。というわけで今はコンポにつないでラジオなんかを聞いています。

2012年09月23日

かぜひいて

木曜日からかなあ、喉が痛くて体がだるくなりました。熱は最高で37.5度と低め、そのかわりずーっと36.8~37.0度程度の微熱が続いてます。普段に増して何かをやる意欲が減退した上、30代のトラウマソング「かぜひいてねんね」をyoutubeで見てしまったりして、気分は下がりめ。

のど飴と、ビタミンCの錠剤と、がんばんなきゃいけないときの感冒薬が主食のなか、錦糸町のアキンボさんへ。
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ラムのキーマカレー。
食べ始めて分かったんですが、鼻が4割くらい効いてない。でもおいしいということは相当おいしいのだ、このカレーは。
マスターは今月、メニュー改変に向けて勉強中だそうです。同じものばかり作っていても飽きてしまうからと。ううむ素晴らしい。

よく遊び、あまり寝なかった今夏の決算と思って気長に療養しましょう(仕事は休めない)。今朝くらいから、鼻から白血球の死骸がいっぱい出つつあるので、そろそろ回復に向かってるとは思うのだけど。

2012年09月11日

よしなし

■五反田でふと入った本屋(店名見なかったがGoogle Mapsで見ると「あゆみbooks」というらしい)、書棚の一段に弊管理人の持ってる本が数冊ずつあるようなシンクロぶり。そしてその余の本もけっこう面白そうだったり、買おうと思って買ってないものだったり。近くにあったら絶対毎週通う。
■規模とあまり関係なく、本屋との相性ってありませんか。何か目的の本があって行くなら棚にあってくれさえすればいいんですが、面白そうな本ないかな、と思って行く場合は好みが合わないとなかなか出会いがありません。新宿の紀伊国屋でいうと、本店はどうも合わない。南口のほうが意外と合う。それにしてもジュンク堂がなくなってしまったのは残念。

■仕事が好きだということは全くないのですが、仕事が込んでいると元気になっちゃったりして困ります。

■だいたいの警告は手遅れ状態で発見されると思います。だいたいの悩みはその人しか解決できないように思います。

■本を読んだあと、ここに印象を書き付けることがある関係で、著者の方がエゴサーチで辿り着かれたらしいことを時々エゴサーチサーチで発見するのですが、いらっしゃる方って不思議とおじさま世代が多いです。ご訪問ありがとうございます。これからも頑張って下さい。

2012年08月26日

懲りないIELTS

ちょっと学生に戻る計画が6月にするりと手の中から逃げてしまってから、ちょっと元気を取り戻すのに約1カ月かかり、その時点で、8月になってもしもっと元気になっていたら必要になるだろうと思ってIELTSを申し込んでいました。去年の1回目2回目に続いて3回目。

結果、あまり元気ではありませんが、昨日今日とまた試験を受けてきました。

  聴く:ちょっと集中力が途切れた瞬間があった
  読む:まあそこそこか
  書く:例によってゴミみたいな文章をいっぱい書いた
  話す:これまで以上にバカなことをぺらぺら喋った

というわけで、あまりよくはなさそう。結果は9月7日。
点が取れていたら、今年も出願に向けて書類を作ろうと思います。
どこかの時点でくじけたら、それで終わりという踏ん切りが今回はつく気がします。

【9/7追記】
聞く=7.5
読む=8.5
書く=6.0
話す=6.5
全体=7.0
出願基準には達しました。でも去年から下がってていけてない。
ちょっとくじけそう。

* * *

ところで、「話す」の面接試験をしていて思いましたが、弊管理人は咄嗟に・その場のトピックに応じておしゃべりをするのが絶望的にヘタです。上がり症か頭の中のネットワークがちょっとおかしいかのどちらかだと思うのですが、アクロバティックで意味のない言葉遊びならいくらでもできるものの、何かを相手が分かるように説明したり、お話を起承転結のようにきちんと構成して話すことができないんです。
なので、予めネタを作成しておいて、そのワンセットを頭に放り込んでおいて、会話中に適切なタイミングが訪れると、それを引っ張り出してきて喋るわけです。
何かを食べたり、どこかへ行ったり、ある本を読んだり、ちょっとしたことを思いついたりして、そのことを誰かに喋る機会があるなと思うと、すぐにここで日記を書いているのはそのためです。実際、自分でも驚くほど、ここに書いてあることをそのまま人に喋っています。

以上のことも、今日思い至ったのでここに書き付けている次第。

* * *

試験が全部終わった昼過ぎに、ありがたくも友人からお誘いがあって、夕方から池上本門寺であったコンサートに行ってきました。
いろんな人が出てくるやつですが、一青窈さんはかろうじて分かりましたが、オリジナルラブさんはステージ上の誰がオリジナルラブさんか分からないくらい、今時の?音楽に疎い弊管理人です。周囲が総立ちで手拍子などをする中、ひとりぼうっと週末の終わりを惜しんでいました。
会場で帽子を無くしました。ううう悲しい。

2012年06月30日

6月補遺

手短に言いますと、

・結局腐りっぱなしで、職場でずっとイライラしてます。クソ忙しいというのもあり。
・私生活に関しては元気が回復してきました。
・小バエと格闘してました。途中から導入したホイホイの威力がはんぱないことを確認しました。
・群馬県日帰り出張とかしてました。
・大学のときの部活の友達と久しぶりに飲みました。5人中、弊管理人を除く4人は子持ちになっており、しかし全く老けておらず、ロン毛から坊主に・スリムから小デブになっていた弊管理人が一番変貌していましたとさ。
・ごっつぁんチケットでサントリーホールにてスロバキア響。ありがたや

■ドミニク・カルドン『インターネット・デモクラシー』トランスビュー、2012年。
ネットは平板なようでいて、明るいところと薄暗いところがあって、弊サイトのようなところは薄暗闇でぶつぶつ言っているというわけでございます。まあまあ面白い。

■中嶋彰『現代素粒子物語』講談社、2012年。
いや、よくここまで噛み砕きながら書き上げたと思う。そして情報が新しい。

2012年06月20日

渡英という目標が上旬に消滅してしまってから、本を読む気も、ものを考える気もなくなっています。ピアノには触ってないし、料理したくない。運動したくもなくなったし、服を見に行こうと思うこともありません。仕事をする気もありません(しないと迷惑を被る人が多いので最低限やっていますし、オファーがあれば請け負っていますが、本当は全てやりたくないです)。会社に向かう電車に乗るのも嫌ですが、今日、休みを取ってみても何もやることはありませんでした。常に具体的でない何かに対して怒っており、先の計画を立てるのがばかばかしくなり、これ以上日々を過ごすのが嫌になっています。かといって代わりに何をというのもありません。こういうの、困るんだけど。いつまで続くのかなあ。

(本エントリーに関してはレスポンス謝絶)

2012年05月18日

NDLカレー

国会図書館のカレー、500円。
新宿中村屋とコラボしたそう。
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意外とうまいw

加藤紘一先生発見。
プリンスがひとりめし。さびしい。

2012年05月05日

おつきみ

スーパームーンだって。
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コンパクトデジカメでもわりと撮れるねえ。
ちなみに、日の丸みたいにトリミングしようとしたら、うっかり国旗国歌法の特例(附則3)のほうのサイズにしてしまった。ちょっと丸がでかいんですよね。

きょうは2年ぶりに、東京国際フォーラムでやってるラ・フォル・ジュルネに行ってラフ3を聞いてきました。
もちろんこの曲は弾ききるだけで拍手ですが、無難で一本調子。語るほどの演奏でもなかった。この曲が持つカタルシスを引き出すなら最後に減速しちゃだめだよ。
あと、いっぱい人が来るイベントだからしょうがないけど、お金の匂いとかオーガナイズの悪さとかで元気なくなります。たぶん弊管理人はこのイベント嫌いなんだと思う。

【翌日追記】

このあと、吐くまで飲みました。
6日の予定をいっこキャンセルしました。

2012年05月01日

連休前半

休みは始まりが楽しい。

■初日の土曜日(28日)はちょっと仕事をし、そのまま酒場へ。

■日曜、月曜と田舎に帰ってきました。
↓筍を探しに行く父方のばあちゃん。
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じいちゃんに初期の胃がんが見つかり、5月中旬に手術の予定だそうです。90歳なので体力的にどうかという懸念はあるが、しかし切って治るなら切ってしまってもいい気もする。
父はおばあがちょっとおかしくなってきたかもと言っていましたが、弊管理人が見る限りはそうでもないなあという感じ。

↓母方の実家でおばさんの手料理と寿司。3月に父が定年を迎えたのでお疲れさん会とのこと。
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おばさんによると、91歳のばあちゃんが「いよいよダメになってきた」というのですが、弊管理人が見る限りはそんなに変わってないんじゃないかなあ、という感じ。
10数年前、ご飯を食べたこの部屋には3家族12人が集まって入り乱れながらわいわいと食事をしていたのですが、鬼籍に入る人、遠くに住む人などが出て半分以下に減りました。しかし、新たに参入する若い人というのがいなくて、平均年齢がそのまま+10数年になりました。
ほぼ最後に残るのは弊管理人だろうと思います。どうソフトランディングする(=あまりあわあわしないで死ぬ)かが課題です。

■そういえば以前、看取りビジネスというのを考えたことがあります。看取ってくれる人のいない人から、必要経費+遺産を報酬としていただくかわりに臨死期と死後の身辺整理をするというもの(医療や介護のサービスとは別)。病院なら死亡宣告に立ち会い、自宅で亡くなったら医者を呼んで死亡確認をしてもらい、役所の手続きをし、生前に作ったリストに従って通知したい相手に死亡を知らせ、遺体の骨を拾ってお寺に納める(跡形を残さないため散骨をデフォルトにする手もある)。あとは家財の処分。

このあたりは生前に、手取り足取り指導をしながら詳細に遺書を書いてもらうとか、お棺に入れてほしいものと処分していいものを分別するなどの準備をしてもらっておけばできるでしょう。

よくわかんない業者がやるとネコババや契約違反などが恐いという思いはあるでしょうから、実績のある大手葬祭業者がやるか、法律事務所が下請けを使ってやるかの形がいいと思う。まあこの人たちだって大丈夫というわけじゃないので、外部の目をどこかに組み込まないといけないんでしょうけれども。

ちょうど、男性の2割以上が生涯未婚、というニュースをけさ目にしました。

■twitterで、完全友達づきあい用アカウントを開いてみました。
これまでの、開くたびに人の攻撃性みたいなものが充ち満ちていて気の重くなる情報収集用アカウントとは全然風景が違って、楽しい。

2012年04月09日

だめ押しの桜

新宿中央公園

下から
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上から
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2012年02月07日

センとふくしま

1999年8月、滞在中のニュージーランドはオークランドにジャック・デリダが来てレクチャーをしました。イベント名は「Derrida Downunder」……当時オークランド大学で「20世紀フランスの思想」という授業をやっていたRobert Wicks先生「(Downunderはオーストラリアやニュージーランドを指す言葉なので)そのまんまやないけ、というお声もありましょうが、これは物事の深層down underに深く入っていくということでもありまして……」と変な弁解?をしておられたのが楽しく思い出されます。当然ミーハー学生だったので、なんと2000人近く集まったタウンホールに見に行きましたけど(確か切符は10ドル=550円くらいだったかなあ)。

でまあ、変わらずミーハーでして、今日はこちら、行ってきました。
録画はここ

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アマルティア・センの講演。

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2012年01月03日

正月休みの終わり

暮れの12月27日から早々と休みに入り、本日3日でこの正月休みもおしまいです。
いや、今週は5日にシフトが入っているだけで明日4日は強いて何時に職場にいるべきということもないのですが、まあ色々の片付け作業もありそうだし出たほうがいいよね、ということで出社します。

元日、2日は都内待機要員だったのですが、元日の夜に入った仕事を在宅で処理したほかはだらだらと過ごすことができ、結局8日間にもわたる(昨年の夏休みよりも)長いお休みになりました。

「飛び抜けておいしいものに出会った」ということはなかったけれども、昨日煮たキャベツとジャガイモの味噌汁は懐かしい味になったし、帰省中に父が用意してくれた朝食のニラ玉には時間を一気に15年巻き戻されました。

本を何冊か読みました。人生がひっくり返るほどではないが、いずれも面白かった。
元日のスポーツクラブはおおむね気持ちよかったのですが、前日の深酒のせいか意識が遠のく瞬間が2度ほどあり、ちょっと焦りました。

今日は、久しぶりに会って話したい人に約束を取り付けて、お茶を喫みながらゆったりと2時間以上話せました。
まえに酔った上でちょっとひどいことをしてしまい、あちらはそう怒っていなかったようではありますが、弊管理人は後日謝ったものの深く反省してしばらくお誘いを控えていた人でした。そういうわけなので、今日はあらためてそのときの話などはしませんでしたが、普通に他愛もない話ができたことで安堵しました。

東京は期間中だいたい晴れていて、昼間は日が当たればそう寒くないですが、夜は厳しく冷える日ばかりでした。
昨日はバイクで15分ちょっとのところのスーパー銭湯に行って体を温めてきました。
今日はちょっと耳が熱いので、大事を取って葛根湯でも飲んで寝ようかと思っています。ここ数年1、2月あたりに一度、大きな風邪を引きます。それくらいの頻度なら風邪は体をリセットするチャンスだからと歓迎しなくもないのですが、今年の場合は週末から少し長く家を空けるので、その用事が終わってからにしてほしいなあと願っています。

日差しはいつの間にか春を窺わせるものになっていました。これが唯一あまり好きではないものでした。折角走りきったあとに、また次の長いタスクが始まってしまったことに立ちすくんでしまいます。

2011年12月27日

答え合わせ2011

今年ああだこうだと書いたこと、結局どうだったか。

1月23日

で、きのう、とうとうバイクにETCをつけました。 夏に、支払い用にポケットに入れていた1000円札が高速走行中に飛んでいってしまい悔しい思いをした時から、取り付けを考え始めていました。年末には高速道路料金に関する国交省案が出ましたが、どうも一律無料とか一律料金とかに完全にはならないために、曜日や車種による複雑な判断を避けるとの名目で引き続きETCは割り引きを受けるために必要そうな雰囲気だったことに背中を押された気もする。 「とうとう」というのは、バイクの場合はETCの機械に耐振動とか耐水とかの機能が必要になるのと、おそらくマーケットが小さいために、取り付けにかかる費用が四輪の倍以上(3万-4万弱)になるため、それなりの決断がいるからですw

↑結局高速無料とかは絵に描いた餅になってしまい、ETC導入の経済的メリットはあまりなかった。しかしちょいちょい財布を出さなくていいのは楽なので、まあつけてよかったかなと。

2月24日

・日本でこんなことがあったら、個人情報保護がうんちゃらとか言って死者・行方不明者の情報が出てこず、安否確認が進まないんじゃないかとちょっと不安。

↑ニュージーランド・クライストチャーチの地震についてこんなことを言ってましたが、そのすぐ後にあった東日本大震災では個人情報保護どころではなかったですね。

4月18日

空気を読む力が自分にどれだけあるのかはかってみるため予測をここに書いておきますが、 今回の原発事故を経ても、日本はすぐに脱原発をすることはできない気がします。

↑さあて、今年一番の問題作。

・現時点では汚水をだらだら流しながらではあるが、水を原子炉に注入して徐々に炉を冷やすことができている。想定外の事故でポカが続いても、それでも一定の対処ができることは示されてしまった(電源喪失が長く続いても、指をくわえてメルトダウンを待つことにはならなかった)

↑メルトダウンの可能性は地震の翌日にはもう言われているので、たぶん上記日記は勘違いしてる。ただ手が付けられない状況→首都移転、みたいな状況の回避は確かにできたね。1基で格納容器爆発あるいは燃料プール瓦解で近づけなくなる→そのために他号機での作業もできなくなり、連鎖的に手が着けられなくなる→首都移転、みたいな「最悪の中でも最悪の状態」への分岐点はいろいろあったが、そこまでにはなってない。

・どうやら津波という一つの要因で複数の非常対応システムがイカレてしまったようなので、逆にいうと津波の対策をしっかりやればより安全だという論理が通ると思う。

↑推進の役所と事業者は結局、全くもってこの通りのことを言った。

・事故の検証は求められているしそのうち始まるだろうが、当然役所がその場を設定するので、「だからもうやめとこう」という結論ではなく「ここを改善すれば安全性が高まります」って話になるに決まっている。

↑確かに政府事故調はまさに「政府」が場を設定したものの、実務を担ったのは司法官僚だったので、出てきた中間報告書は刑事事件の冒頭陳述さながらの「そこまでいうか」的な後知恵による批判のオンパレードでした。弊管理人の見方が甘かったといえるが、しかし期待以上のものはでてきたともいえる。

・そのうち絶対誰かが「一人の命も奪われないまま得られたこの貴重な経験によって、原発の安全対策はさらに完璧に近づいたと、私はあえて非難を恐れず言おう」って言う。

↑おおっぴらにではないが、ある学者が言った。

・脱原発がいくつかの国で進むと、新エネルギーを利用できるほどの基盤整備ができてない国はとりあえず原油や石炭の争奪合戦に走るので、不安になって「やっぱり原子力」っていう合意は(一応役所と事業者をスケープゴートにしつつ)形成されやすくなる。

↑再生可能エネルギーのポテンシャルをやや侮ってた感はありますな。でも石油依存の度は、展望のないまま上がってるのが現状。経済界はもちろん、被災地から遠いところへ行くと「そうはいっても原子力」って言う立地自治体首長もいますね。

・福島第1はいま冷温停止の5、6号機まで含めてジ・エンド、だが福島第2はヘタすると再稼働(知事をどう説得するかが鍵)。5年以内の動きは、西日本はあまり危機感を共有していなさそうなのでいくつかの新規建設は話が進む。一方、東日本では新規建設はたぶん話題にもできない(作らない、のではなく予定地の心情的要因で無理)。でも動いてるのを止める話にはならない。

↑かなりハズレ(恥)。福島の知事が県内全原発の廃止を言った。「こんなことがあってまだ原発を容認する県」というイメージが復興の妨げになるという考え方はなるほどだ。新規建設はもう無理。動いてた中でも、浜岡が政治の力で止まった。ほかも順調に定検停止してますが、ストレステストを経た来年の再起動がどうなるか。

・ついでに、暮らしはちょっと地味になるかもしれないが、大きな社会変動が起きるかについても弊管理人は懐疑的です。あいかわらず各セクターのお金くれコールで今年度並みの規模の予算が来年できたら「ムリ」が確信になります。

↑悲観的だねー。この日の日記は全体的に悲観的すぎたけど、予算規模をみると現実のものになる気がする。東京の夜はすっかり明るくなってしまい、その周辺にまだ残る灯りのなさが見えなくなってきている。

9月25日

9月に入って、たいへん調子が悪い。 こういうときに大事な案件の意思決定をしたり、頭を使う仕事を引き受けたりするのはとても危険。でもあまり先延ばしにもできないことが多いので、早く脱することができればと思っています

↑11月くらいまであまり調子が出なかったけど、そのあと回復した。「できなけりゃできませんでいいわな、時には」と思えることが大事と。

■10月31日

昨夜9時半からけさ8時半まで11時間寝た。 天気よし。

  も の す ご く 体 調 が 良 い 。

↑全体的に元気に過ごした今年の中でも、飛び抜けて快調だった日wwwww

12月4日

■東浩紀『一般意志2.0―ルソー、フロイト、グーグル』講談社、2011年。

ついこのあいだ、ラジオで鈴木謙介さんが「この本は、政策立案などを担う少数の人たちが、内輪ウケではなく外部の他者の目に耐えうる議論をしているのかどうかを、”一般意志”に晒されることでテストしてみろや、と主張しているものと思って読んだ(大意)」と話しているのを聞いて、うまいと思った。そう、ローティに触れてる部分で明確にそう言ってましたよね。
この本を読んでから、ナイーブに「熟議」を称揚する本をするっと読めなくなった。なんか物知りな人からは「へっ」って鼻で笑われそうですが、それでもやっぱり重要な本だと言っておく。

■全体的に

「あれ食った」「ここ行った」ばっかですな。
意識的にそうしてたんですけど。
なぜかというと、弊管理人が独りであれこれ考えてることって大体当たってないので、そんなこといっぱい書いといてもしょうがないからですw

2011年12月24日

草枕と年末

新宿3丁目、カレーの「草枕」。
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タマネギ1個と、いろんなスパイスでできたカレー。インド風。スープカレーほどしゃばしゃばしてない。
今日は「海老とプチトマト」4辛(1~10まである。いわゆる辛口よりちょっと辛いくらいらしい)、ごはん大盛り(+0円)。930円。

    うまい、これ!!!!

トマトと、海老と、福神漬けと。どれと合わせて食べるかで味がけっこう変わります。飽きずに食べきれる。ごはん大盛りでちょうどルーと合うくらいの量。おなかいっぱい。しあわせ。

今年の冬休みは12月27~31日。休み前の26日は今年の総決算みたいなてんやわんやの一日になりそうな感じもしますが、この、なんというか、毎年のことですが、年末のどんどん差し迫ってくる感じは嫌いじゃないです。むしろ年が明けて急に間延びした感じには茫然としてしまう。

もう言うまでもなく3月をもって自分の環境も世の中も全然変わっちゃった年でした。1年の過ぎるのが猛烈に早かった気がする。
いっぱい嫌な思いもし、11月くらいにはかなり気分が落ちたりとかしていましたが、いろいろ勉強もした(させられた)し、いっぱい仕事もした(納得いくものは少ないけど評価されたものはそれなりにあった)ので、今日現在で振り返れば今年の総合評価は100点満点で74点。

何回か書いた気もしますが、自分でいろいろ課題を見つけて解いていくタイプではないが、課題をこなすのは嫌いではないほうなので、今のように、ある程度のお金を与えられながら勉強や苦労の機会がどんどん降ってくる人生はそう悪くないのかもしれません。しかし相変わらず、そのレールから脱線したときの生き方というものもあれこれ考えた1年だったように思います。来年、答えは出るかな?出ないか。迷うのが趣味みたいな人だしね。まあいいや。

たぶんまだ年内に何回か日記書きます。

2011年11月27日

バランス

既に記憶は薄れはじめているが、けさ起きるまで見ていた夢。

友人・家族何人かと車で外出して、神社のようなところへ行った。
友人の一人が弊管理人の顔を見て「お祓いしてもらったほうがいいよ」という。
場所が場所だけに手近に申し込めるところがあり、お祓いを申し込むが、始めるまでに20分ほど時間がかかるという。
その間、みるみるうちに体のだるさが襲ってきて「死にそうな感じ」に包まれる。
ふと事務所の奥の方から、郷里の母方のおばあちゃんが出てくる。
弊管理人の体を触って「死ぬよ」という。
うそー、やっぱり!?という恐怖と、あがく気持ちでいっぱいになる。
視界にテレビ放映終了後の砂嵐のようなものが重なり、気が遠くなっていく。

ここで目が覚めてみると、両手を頭の下に敷いて仰向けに寝ており、手から腕のほうまでびっしり痺れている。目覚める少し前から「これは夢で、起きれば助かるはずだ」と思っていたので、目覚めて一度ほっとしたものの、どっぷりと疲れた朝になった。

前夜に少し嫌なものを見、そのあと酒場でいつも以上に楽しく飲んで、まあ今日の収支はプラスだったかなと思うことにして帰る途中、また嫌なものを思い出してちょっと投げやりな気分になっていたのだった。
こういうとき、逃走体質の弊管理人はこの世を含めたすべてから降りたい気持ちになりがちなのだが、体はすかさず、こうして自らが持っている生への執着をまざまざと上映して見せ、バランスを回復させる。

20代の初めの学生時代に文科系の簡単な本を読み始めた弊管理人だが、学校を出て就職した会社では、理科系の人が仕事相手になるセクションを選んだ。このところは、出勤日の多くと休日の一部を理科系の言葉を投げ付けられながら過ごすなかで、理科系の環境を中和する=反理科の方向に振る力として、文科系の本を求める気持ちが維持されているような気がする(最近、だんだん買ったけど読んでない本がたまってきている)。

閑話
生きると死ぬは連続、理科と文科の区別は無意味という突っ込みはあり。
しかし、多くの人がある連続したものをいくつかに分けて語るときは、分けるに足る何かがあるはずだ。虹を3色に分けようが7色に分けようが構わないが、3にも7にも分けられるということは、分けることに意味がないということには結び付かない。そんなことで、暫定的にではあるが区別を引き続き使おうと思う。
休題

いくつかの極のうち一つに向かうと、それを引き戻す力が無意識か、意識ぎりぎりくらいのところで立ち上がって働く。そのため、ある極に近づいていくことと、その極に達することにはものすごいギャップがあるように感じている。自殺をしないのも、信仰に存在を差し出さないのも、ひとつのことを究めないのも、そのためだと考えている。

「極端から逃げる力」も、「極端に到達しないことができている」と「極端に到達することができない」の2通りの言い方ができる、と一度は思った。たとえば自由が、束縛からの解放/紐帯の喪失というプラス/マイナスの2面を持つというようなことが頭にあったせいか。しかしこれは違う話で、逃げる力は作動させようと思って作動させていないので、実情は「極端に到達できるけれどしない」のではなく「単に到達できない」に過ぎないようだ。極から逃げているのではなく、逃げさせられているだけだという不自由が明らかになる、そこで逃避から逃避したい気分さえ喚起される。面倒で貧乏くさい力だ。お世話にはなっているけれど。

2011年10月31日

10月晦日

昨夜9時半からけさ8時半まで11時間寝た。
天気よし。

  も の す ご く 体 調 が 良 い 。

頭は働くし、やることはサクサクこなせるし、時間は有効に使えてるし、2時間半の会議をまんじりともせず乗り切った。
やはり人間は(少なくとも弊管理人は)夜寝ないとだめだな。
といって絶不調で幕を開けた10月を締めるのだった。

2011年10月10日

秋の帰省

弊管理人は今年、5月の連休も夏休みも帰っていなかったので、この連休でえいやと長野に帰省しました。
目的は(1)本家に一人住まいのばあちゃんの寝室のテレビを地デジ化する(2)父が買った家を見る―の二つです。

去年のエントリーに終の棲家(?)を探す父の話を書きましたが、定年まであと半年余りとなった今年の夏、父はとうとう長年の借家暮らしを終えて自分の家を持ちました。弊管理人が生まれてから9カ所目(あ、10か?)でゴールインといった感じです。

親戚筋の持ち物だった中古物件を直接購入して多少のリフォームを施したとのこと。造りが変だとか庭がほとんどないとか階段が急だとかいろいろとこぼしてはいましたが、風呂もトイレも台所も分譲マンションのそれのようになっていて、あとは大きな冷蔵庫だのLEDテレビだのドラム式洗濯機だのを新調して、かなり暮らしやすい室内になっている印象です。

8畳の居間の隣の6畳は洋室に改造した上で書斎にし、壁一面に本棚を造ってありました。放送大学の学士課程もあと1年ちょっとのようで、だいぶいろんなジャンルの本が並んできてます。終わったら当然のようにスクーリング+通信の院とかに行きそうな気がしますが、どうなんだろう。追い越し歓迎、仕事やめた途端に萎まないでいただきたい。男未亡人はリスク大きそうなので特に心配です。弊管理人が郷に帰るのはまだ数十年先だよー

さて、父方の祖父母の家にも顔を出しました。
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同じ町内ですが、河岸段丘のあっちとこっちの関係。川を越えて海抜700mまで登坂。すっかり秋。
弊管理人が来るというのを聞いて、ばあちゃんがいろいろ用意してくれていました。
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そのへんに落ちていた栗、手製のこんにゃくとちくわの煮物、ささげのごまあえ、など。
手製のこんにゃくは、なぜか味の染みがよくて、とてもおいしい。
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それから今年は少し出るのが遅かったようですが、山で取れた松茸をもらってきました。
こんなに食べられないよー、というわけで母方の家に半分置いて3本ほど東京に持ち帰りました。明日は炊き込みごはんとお吸い物だな……

2011年10月02日

10月のつれづれ

きのう、ちょっと街に出て友人とお茶をして、そのあと帰りしなに行きつけの飲み屋さんに行った

まではよかったのですが

夕飯食べずにお酒を呑み始めてしまい、しかもその一発目が

   居合わせた人になぜかごちそうになったテキーラ一気
   そのお返しで自分も含めテキーラ一気
   からの
   ウォッカ責め

で、泥酔。
弊管理人は、自分で知っていますが、泥酔すると、普段はおおむね押し込めていられている汚い+キモチ悪い部分がいっぱい出ます。
だから、あまり仕事関係では呑まないのです。

そんな中でも、「マインドB」(超自我みたいなやつ)が頑張ってコントロールし、ちょっとうるさくてちょっと迷惑でだいぶ陽気な酔っぱらい、くらいで済んだのではないかと思います。

マンガかコントの酔った人みたいになって、コンビニでウコンを買って飲み(さっきかばんの中を見たら、濃いほうの製品の空き缶が入っていた)、終電で帰り(さっき携帯見たら、どう辿り着いたのかわからない終電検索の画面になっていた)、トイレでしばらくうずくまって(吐くかと思ったら吐かなかった)、歯も磨かずに寝ました(初めてかも)。

記憶がまだらに残っています。クレジットカードのキャッシングでまだお金を引き出して呑もうとしていた形跡があり、どうも失敗したため終電で帰ったようです。ほんとうに拒否ってくれたATM(複数)に感謝しています。

一日して、脳はかなりやられてる(耳の聞こえが悪いのと、視力の低下)感じはありますが、内臓はウコン服用と、相性の悪い焼酎を避けたおかげで無事でした。かぼちゃを煮て、生姜焼きを作って、納豆や漬け物と雑穀ご飯で昼飯。ハンパに壮健です。午後はちょっと調べもので品川に行ってきました。

最近、痛飲は自分なりの自傷行為なのではないかと思います。何を攻撃しているのか、何を罰しているのか。これはちょっと勉強してみてもいい、わりと面白い題材かもしれない、とマインドBが言っております。

休日は嬉しいが、危険でやっかいな自分に直面する。むしろ仕事をしている時間にこそ、睡眠と同じで、やっかいさと向き合わないで済んでいるのかもしれません。

2011年07月29日

浮上するかどうか

実は弊管理人の7月はアイドリングを決め込んでいました。

ひとつは環境的な要因で、震災発生以来続いていた日々に追われる情勢が少し落ち着いてきて、月あたまのちょっと大きな仕事を過ぎてからは少しメインの仕事からのフェイドアウトが可能な状況になっていたこと。

もうひとつは身体的な要因で、ほぼ同じことなのですが、震災発生以来続いていた日々に追われる情勢が少し落ち着いてくるのと同調してか、考え疲れた頭が考えるのを拒否するようになっていたこと。

で、ここへきて8月になったら少しまた浮上しようかなと思い始めました。
3日から9日まで夏休みをとってあるのですが、まだどこに行くかは決めてない。というか、どこかへ行かなければいけない気がずっとしている状態がなんか嫌。いっそ近辺で浮上に向けた情報収集でもしていようかしらと思っているくらい。さてどうしよう。なんとなく、今のご時世そこを訪れないとものを言うことが許されない的な空気のある東北へ向かうのもありかもという気も。

2011年07月01日

あわわわ7月だ

どうもここ5年の様子を見ていると、6月のエントリが少ない。
なんでしょうね。
今年の6月は、生まれて初めての福岡に出張で行けたり、新しいことを知れる仕事があったりと、それなりに楽しく過ごしていたのですが、日記を書こうという意欲があんまり湧きませんでした。

* * *

最近、お話をうかがっていた化学の方が「フラスコで反応を回しているときに……」という表現をされました。
以前、よく知ってる社会科学の方が「SPSS(統計解析のソフト)回して……」という表現をしていたのを思い出しました。
何かが動くって、回転するイメージになりやすいんでしょうかね。

* * *

ちかごろ、いくつかイヤなことがありましたが、記憶力を落とすことで対処。「意図的に頭の中にもやをかける」という技術を最近習得しつつあります。
一方、ちょっといいこともありまして、それを反芻しながら楽しんでます。
でもちょっとまだイヤなことを封じるやり方が完璧ではない。

2011年04月26日

絶唱

キャンディーズが解散した年に生まれたのでスーちゃんに対する40-50代の思い入れは共有できない(というか3人の誰が誰だかわからない)のですが、葬儀で流された1カ月前のボイスメッセージはこたえた。以下全文を。

 こんにちは。田中好子です。今日は3月29日。東日本大震災から2週間たちました。被災された皆さまのことを思うと、心が破裂するように痛み、ただただ亡くなられた方々のご冥福をお祈りするばかりです。/私も一生懸命、病気と闘ってきましたが、もしかすると負けてしまうかもしれません。でもその時は必ず天国で、被災された方のお役に立ちたいと思います。それが私の務めと思っています。/今日お集まりいただいている皆さまにお礼を伝えたくて、このテープを託します。キャンディーズでデビューして以来、本当に長い間お世話になりました。幸せな、幸せな人生でした。心の底から感謝しています。/特にランさん、ミキさん、ありがとう。2人が大好きでした。/映画にもっと出たかった。テレビでもっと演じたかった。もっともっと女優を続けたかった。/お礼の言葉をいつまでもいつまでも皆さまに伝えたいのですが、息苦しくなってきました。/いつの日か、妹の夏目雅子のように、支えてくださった皆さまに、社会に、少しでも恩返しができるように復活したいと思っています。かずさん、よろしくね。その日までさようなら。

こたえたというのは、もう8年も前になる近親者の死の前後の記憶に重なり、最近はおかげさまで思い出すことも少なくなった、あの一瞬にして腰から下の力が全部抜けるような感覚が蘇ったからです。

ポイントの第1は、この文面からはわからないが、死の床にある人の声色です。
わりと死に際まで人にあったりビデオメッセージを残したりする有名人は多いのですが、本当の最期にさしかかると発声がこの世のものとは異質になって、音が出るぎりぎりの風量で吹いた笛のようなかなしい音になります。それを聞くことはそう多くないです(あ、でも医療関係の仕事の人だとよく聞くかもしれない)。

第2は、「もしかすると負けてしまうかも」というくだりです。まさに死の4週間前に電話をかけて話したとき、それまでなら「どうよ?」と聞いて「まあぼちぼち」的に返すやりとりだった相手が「だめかも……」と答えたときのざわめき。それまでもときどき顔を出していたフレーズが主旋律となって現れる、終楽章の始まり。

第3は、「映画にもっと出たかった」。未練を残さずにさっぱりと逝くことのできない死にゆく人の現実。それが葬式で再生されることを知っていてなお、未練を伝えずにおれない、虚勢を張る隙さえない、その切迫した現実感。

もしも死ぬなら、という想定は生きているうちのいつだって可能で、用意をしておくこともいつだって可能なのですが、備えるのと臨むのはえらい違いです。人間の死亡率は100%だのメメント・モリだの言っている人も、余命宣告を受けたときに突然、人が変わるかもしれない。それくらいの強いインパクトをときどき垣間見て、しかし朝方の夢のようにすぐにさっぱりと忘れて仕事に出掛け、軽口を叩く。でも何かがこびりつくよね、こびりつく。今朝は。

2011年04月18日

鳥与志ふたたび

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久しぶりの虎ノ門ランチで、鳥与志の焼き鳥丼。
鳥モツと正肉とつみれを焼いたの、それにそぼろが載っています。香ばしくてうまいです。色合いが悪いのはしょうがない。店内もちょっと暗めなのでレタッチでなんとか見えるようにしてます。前にもエントリー作りましたが、そのときは携帯カメラだったので今回はちゃんと。

地震以来、本や旅行や音楽の感想がほとんどなくて、なんかつぶやきみたいなものと食べ物の話ばかりになってしまいました。ひとえにここ一月の生活のせいだと思います。

突然、それまで全く触ったことのなかった分野の仕事を主にやることになってしまい、それ関係のものすごい量の資料を読む毎日だったので、それ以外の字を読む気が起きなかったのですね。
地震の前は通勤電車で本を読んでいることが多かったんだけれども、今はpodcastやプレーヤーに入ってる音楽を聴くばかり。旅行については当然できてません。

* * * * *

空気を読む力が自分にどれだけあるのかはかってみるため予測をここに書いておきますが、
今回の原発事故を経ても、日本はすぐに脱原発をすることはできない気がします。

・現時点では汚水をだらだら流しながらではあるが、水を原子炉に注入して徐々に炉を冷やすことができている。想定外の事故でポカが続いても、それでも一定の対処ができることは示されてしまった(電源喪失が長く続いても、指をくわえてメルトダウンを待つことにはならなかった)。

・どうやら津波という一つの要因で複数の非常対応システムがイカレてしまったようなので、逆にいうと津波の対策をしっかりやればより安全だという論理が通ると思う。

・事故の検証は求められているしそのうち始まるだろうが、当然役所がその場を設定するので、「だからもうやめとこう」という結論ではなく「ここを改善すれば安全性が高まります」って話になるに決まっている。

・そのうち絶対誰かが「一人の命も奪われないまま得られたこの貴重な経験によって、原発の安全対策はさらに完璧に近づいたと、私はあえて非難を恐れず言おう」って言う。

・脱原発がいくつかの国で進むと、新エネルギーを利用できるほどの基盤整備ができてない国はとりあえず原油や石炭の争奪合戦に走るので、不安になって「やっぱり原子力」っていう合意は(一応役所と事業者をスケープゴートにしつつ)形成されやすくなる。

・福島第1はいま冷温停止の5、6号機まで含めてジ・エンド、だが福島第2はヘタすると再稼働(知事をどう説得するかが鍵)。5年以内の動きは、西日本はあまり危機感を共有していなさそうなのでいくつかの新規建設は話が進む。一方、東日本では新規建設はたぶん話題にもできない(作らない、のではなく予定地の心情的要因で無理)。でも動いてるのを止める話にはならない。

・ついでに、暮らしはちょっと地味になるかもしれないが、大きな社会変動が起きるかについても弊管理人は懐疑的です。あいかわらず各セクターのお金くれコールで今年度並みの規模の予算が来年できたら「ムリ」が確信になります。

* * * * *

で、今日は昼にあれだけ鳥を食べたのに、夜、唐揚げと焼き鳥を買って帰ってしまいました。どうしたの、弊管理人。

2011年04月04日

勤続10年

3月末で今の会社での(といっても新卒で入ってそのまんま居座ってるんだけど)勤続がまる10年に達したということで、14日間の休日と、記念品代名目で数万円いただきました。

先日来書いているように地震があってからというもの、弊管理人が現在所属している普段はおじさんが多くて比較的のどかなセクションが鬼のように・しかもいまだ出口の見えない忙しさになっていて、全国から何人もの若手に応援に来てもらったりしているのですが、若さが現前するとなんか圧倒されますね。遠くまで来てしまった(笑)

振り返ると、
1-2年目は仕事を覚えるので過ぎていった。怖いもの知らず時代。
3-5年目は最も野心的に仕事をした。環境にも恵まれて楽しかった。
6-8年目は私生活は楽しんだ。仕事は方向性を喪失した。(ここから30代)
9-10年目は忙しくなったので走りながら考える毎日。楽しいこともそれなり、なにより勉強になることが多い。

ひとを使って仕事をするなんてもってのほか、チームの一員として仕事をするのも苦手だというのは当初から全く変わっていません。では完全にフリーな立場に置かれれば勝手に仕事をとってくるタイプの仕事ぶりかというとそうでもなく、一定の枠をはめられることで(その枠への反発も原動力の一部としながら)課題発見とリサーチと加工とアウトプットを行えるようになるタイプなのだなと感じています。
そんな性質なので、ちょっとゆるい・わりと大きな組織で、ルーティンワークと自由課題がブレンドされて迫ってくるという環境から抜け出せないまま、うかうかと10年過ごしてしまったのでしょう。この組織によってさらにそういう人に成形された面も否めないけど。

まあ現下の情勢では14日間の休みを使うあてはないですけど、会社側からは「この休みは勤続20年の前日まで有効なので、どっかで使えばいいじゃん」と言われました。ゆるいねー

* * * * *

今日は休みでした。
布団を干して掃除をしてシャツにアイロンをかけて、
布団を取り込んで寝床を作って2時間ほど寝て、
友達と夕飯を食べてちょっとお酒を飲んで帰ってきました。

2011年03月31日

tukareta(翌日追記)

なんでこのタイミングなのかよくわからないが、体がやばいやばいと言い出したので、今日は職場から早く帰ってきました(っつっても20時上がり)。たぶん疲れがたまったため。

症状は首こりと体の重だるさ。眠いかも。
葛根湯飲んで寝ます。
さよならいろいろ大変だった2010年度。

【翌日追記】
葛根湯のドリンク飲んで布団に入ると、1-2時間はがたがた震えていたのですが、しばらくすると体が温かくなってきて翌朝(11時間後)にはほとんど復活できました。
正月にもこんなことがあり、やはり電気毛布を最高にしても震えが来る39度の熱が一晩で微熱くらいまで抑えられました。ほんと葛根湯は自分に合ってる感じがする。
ちなみにこの薬は中程度以上の体力がある人向けで、治る力を助ける、そんな効能なのだそうです。

2011年03月28日

ひとり花見

24日に休みをもらったものの外せない予定で午後から出勤したら、今月まだ1日しか休んでいないことになっていたらしく、労務管理上の問題があるとして上司から「強制休養」が言い渡されたため、今日は休みになりました。

そういえばそろそろお花見の季節じゃない?と思っていたら、今日は東京で桜の開花宣言が出ました。
新宿御苑でひとり花見してきました。
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今日はよく晴れていて、早めに咲いた桜のほか、ボケも花をつけていました。
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缶コーヒーを買って歩いていたら、メールでちょっとした問題が入ってきたので、ベンチでしばらく電話。そうこうしているうちに、もう閉園の放送が鳴り始めたので退散。

そのあと、明るいうちから酒場で5時間くらいお酒を飲んで帰ってきました。
布団を干せばよかったな。
まあいいや。
1日休んでしまうと、仕事のモチベーションがうなぎ下がりします。

2011年03月13日

3.11の記録(随時追記)

【23日】
・会社での配給は今日でおしまいだったようです(他部署は昨日でおしまいだった様子)。

・ところで原発の危機に関して医学、工学系の研究者がわんさかメディアに登場している。この人達が表向きどう言っているかとともに、みんなが見てないところでどう言っているかも少し知っているのだが、このたび自分がその知識において何か言ってくれと頼まれているというのは「降ってきた(←→選び取った)機会」なのにもかかわらず、とても自分が発言することに対して使命感を持っており、限られた時間で調べてわかることは調べ、調べても今の時点では分からないことはせめて一般論からの類推でなんとか見通しを与えようという意志を感じた。「自分は正しい知識を持っています」という理系っぽい自負がいい形で現れるとこうなる。

・葉っぱものと牛乳と現地飲み水の問題に続いて、今日はトーキョー水パニックとか赤ちゃん内部被曝マップとかが出てきて明日からまた大変な世の中なんだろう(子持ちの同僚はエビアン箱買いして担いで帰って行った)。しかし100mSv/年でがんのリスクが+0.5%とか聞くと、いいから牛乳とかほうれん草とか被曝量の情報付きでとりあえず出荷して、買う方に判断させてくんないかな、と思う。リスクのわずかな上昇とモノ不足を天秤にかけるなら前者を選ぶよ、とりあえず。

・弊管理人は地震からこっち通しで働いてきたが、明日は1日休むのでこのエントリはここで一区切り。つまり終わる。

(24日1:10追記)

【22日】
・11時近くに起床、12時出勤のはずが社員証忘れて戻って30分遅刻。
・知らないことを勉強しつつ1日の終わりにはアウトプットしなければいけないのはいつもの通り。いつもテストの答案を提出したあとのような、「あれでよかったのかね」というもやっとした疑念がある。

・今回の一撃で、最初のころに熱にうかされたようになった(→被害を受けなかった)人たちが予期したマクロな変化というのは、ひょっとしたら訪れるのかもしれないが、しかし急には来ないと思う。
・前よりも使う電力を3割減らしなさいと言われたときに、それが受け入れられるかどうかがひとつの関門だと思うのだけれど、事業者が憎い政府が悪い自治体が力不足日本のマスコミはまったくといった怨嗟の声を聞くにつけ、相変わらず依存しながら批判しながら自分は変わらないという型は健在で堅固だという印象を持ちます。
・9.11のときにも世界が一変してしまう気がし、そして実際にある面では変わったのですが、やはり日常生活は早晩訪れたことを思い出します。環境が変わる→適応する、の永久機関。

・毎日職場で配給の食事。おなかを空かせている被災地の方々に申し訳ないほど有り難いことです。でもカレー食べたい。あとアジの塩焼き(開きじゃないやつ)。
・今年上半期の流行語はシーベルトではないかと。

・「東日本大震災」という名前が一部でついた(←ちなみにこれは地震による災害の名前。地震の名前は気象庁がつけてます)ものの、東北は北日本ではないかという気も。いいけど。

(22日23:30追記)

【21日】
・朝4時まで働いて、ホテルに泊まって、8時に起きて、一日働いて、帰る。
・帰りに新橋駅の地下のスーパーで久しぶりに牛乳目撃。
・で、じゃあ地元の24時間営業スーパーにもあるかな?と思って帰ったら閉まってるし。
・自宅には米もトイレットペーパーもある。まあ当面暮らすお金もある。意外とバッファの大きい自分の生活であった。
・そういえばずっと書き忘れてたけど、地震当初から「世界一高い建物を建てようとした国って、なんかよくないこと起こるよね」と思っていた。

(21日22時10分追記)

【19日】
・職場泊まり明けですたこら帰る。
・10日ぶりくらいにスポーツクラブ行ってしまいました。

・久しぶりに昼間の街を歩いた。パン屋に行列。コージーコーナーに全く生菓子がない(牛乳が手に入らないためのもよう)。でもなぜか個人営業のケーキ屋にはケーキがあった(ので買って帰って食べた)。スーパーには納豆までない。なぜだ。
・いつもカップラーメン79円とかで売ってる激安の店が139円につり上げていた(多分、賞味期限切れ間近、みたいな安く売れるものが尽きたのだろう)。

・原発は事態がだんだん良くなっていると言われているが、まだカタストロフの可能性はけっこうあると思っている。しかし、悪条件が重なればとんでもないカタストロフの起こる可能性なんて、地震の起こる前からこの社会に充ち満ちていたのではなかったか。

・いろいろと社会が動いてない今週が終わろうとしているけれど、足下ばかり見ていた視線をちょっと上げると、今回の災厄は後片付けが大変そうだ。収入がないばかりか支出を多大に強いられた企業がいっぱいある。税収は当然減りそう。一方で国の出費は増やせないとすると、誰かの命を助ければ別の誰かの命を犠牲にするという厳しいぶんどり合戦の予算作りが6月に待っている気がする。

(19日22:00追記)

【17日】
・職場に泊まらなくていい日が続いてますが、朝出て深夜帰宅する生活は却って疲れる。
・地震当初、なんか妙にヒロイックな感じで高揚して「今こそ助け合うとき」とか「何もできない自分が悔しいです」とか「デマはだめだ、正確な情報に基づいて冷静な行動を」とか言ってた人たちがそろそろ飽きてきた感がありますな。
・電車の本数は少ないし、夜の首都高の灯火は全部消えてるし、店の中は薄暗いし、24時間営業の某ジーンズ○イトはとうとう24時間営業じゃなくなったけど、別にそんなに困らない。これくらいでもよかったのだし、これくらいで停電が回避できるならずっとこれくらいでもいいのではという気がする。
・「コンクリートから人へ」が急旋回して、復興の、コンクリートの時代がまた来そうですね。76円=1$の超円高で、商社は海外で建材を大量に買い付けているのでは。
・それにしてもそろそろ牛乳飲みたい。
・で、ものはいいようで、危機を乗り切った暁には「それでもCO2対策を考えたら原子力」「日本は資源の少ない国で」「今回を教訓とすることで原発の安全対策はより強固になる」とか言い出しそう。脱原発したら幸せになれるのかと。
・職場で配給される弁当が残っているのが勿体なくて、今日は4食摂ってしまいました(うち2食は弁当の残り)

(18日1:50追記)

【15日】
・また11時間寝て昼前に出社。
・会社最寄りの駅についたら、街頭テレビで枝野会見中継。今度は4号機か。寝て目覚めるたびに事態が悪化してる。でも駅でかき揚げ天そばを食う。
・今日は出先ではなく本社で仕事。何も知らなかった分野。一回ミスった。付け焼き刃はほんとうにこわい。でもやらざるをえない。
・幕の内弁当っておかずの種類が多いけど変化がない。食べられるだけいいけど。
・それにしても店に牛乳が見あたらない。
・会社の下のコンビニには箱ティッシュも見あたらない。これまで貯めに貯めたポケットティッシュで鼻水を処理。
・今日は深夜に帰れた。明日は午前出社予定。ねよっと。

(16日 1:20追記)

【14日】
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・午前3時半、会議室の椅子を並べて横になり、2時間ほど寝てむっくり起き出す。
・職場が揺れてももはやあまり気にしなくなっている。非日常が日常になりつつある。
・しかし、同僚とハイになってマシンガンのように不謹慎な軽口を飛ばしあいながら働いていないと、真面目に深刻に現実を受け止めないで仕事をしないと、たぶん平衡を保てないのだ。

・だらだらと弄べるのりしろがなくなった生活の中で、さまざまなノイズが消えているように思える。党派争いのノイズ、放蕩のノイズ、無関心のノイズ、吝嗇のノイズ、些末へのこだわりのノイズ。永遠の日常で蓄えた脂肪が削がれて、生活がスリムになった。そして、それでも何とかやっていけるのではないかと思えてくる。たとえば真昼のようなコンビニの照明、自動販売機、食品廃棄物がなかったとしても。
・しかしこうした生活を「みんなが」試行してみることは、平常時にはできないことだった。足並みをそろえて歩いている百人の集団を止めることは、その中の数人程度が立ち止まってみてもできない。ものすごいデマゴギーか、ほぼ全員を足止めするような大きな一撃にしかできない。

・タクシーは特需、ジーンズ屋は閑古鳥。米は売り切れ、菓子は在庫。必需のものと、そうでもないものが、こういうときに過剰に明らかになる。
・夕方帰る。次にいつ食べるか分からないので、ちょっとずつだけ自炊をすることにする。弁当ばかりだと体がおかしくなってくるので。

(14日17:20追記)

【13日】
・緊急地震速報に途中起こされつつ、11時間寝た。何度か揺れたがもう無視するようになってしまった。
・ふくらはぎ筋肉痛。19階まで階段上ったせい。
・家を出る。地元商店街ではおまつり。普通の日曜に見えるが、耳に入ってくる会話は地震のことばかり。
・ここ2日、野菜をほとんど食べていなかったので、野菜たっぷりタンメン食って昼、出社。
・お使いを頼まれたらそのお使い先でそのまま仕事になった。
・行方不明者「万単位」になっている。予想はしていたが
・計画停電は月曜から数週間の可能性。長いね。

(13日22:45エントリー作成)

【12日】
・夜明け。三陸海岸の街街が残骸になっている映像。こういうとき、むしろモニタの前に集まった人たちは互いにテンションをあげてわーわー言うしかない、消化のために。
・買い込んだパンを朝餉に。
・朝刊の見出し、文字が大きい。テレビ欄がスカスカ。
・眠すぎて仕事をしながら何度か寝落ち。
・昼に同僚と神田方面に歩く。首都高が開いてなかったので街が静かすぎる。スタバでキャラメルマキアート。静かすぎる午後。
・午後4時から1時間、椅子を並べて横になる。すきっと目が覚める。
・午後6時に会社にもどり、11時に退社。
・ようやく動いたJR、ガラガラ。日曜深夜のよう。土曜夜なのに。
・帰宅。心配だったバイクとテレビは倒れていなかった!小物がいくつか落下、風呂場の物入れが転倒。調理用ワインの瓶が流し台に。
・足がクサイ。シャワー!と思ったらお湯出ない。初めての復帰手続き。
・ツイッターを見てみたが心のささくれるTLだったのでシャットダウン。ねる。

【11日】
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・14:46は顔を出す予定だった社外の会議の開始前。ビル9階の会場に入ろうとすると揺れが始まり、女性らの悲鳴。警備室からのアナウンス、要るものだけ持っていたそのときの荷物を持ったまま建物外へ。ぞろぞろと近場の公園に向かう人々。タクシーをつかまえて会社へ。いつもはすっとエレベーターで上がる職場までは階段。まだ揺れている階段室でふと9.11の脱出再現映像を思い出す。このまま上がっていいものかと一瞬迷う。職場の指示で災害対応のため別の建物へ。そのまま32時間勤務。

・眠気のせいもあるが、余震が多すぎて自分が揺れているのか世界が揺れているのかわからない。
・東京中心部、コンビニの商品棚が新規オープン前のようにからっぽ。帰宅難民の列。渋滞。しかし耐えている。
・友人らがtwitterやmixiでつぶやく。愚痴ったり励まし合ったりしている。つながっている。

・会社の階段室で擦れ違った同僚が車で東北に向かった。
・気象庁の記者会見は理路整然としている。歴史地震なんてものがあることを知る。5世紀から今までの巨大地震が地図にプロットされている。
・夜半。東京湾岸のコンビナートが燃えている。気仙沼の街が山火事のように燃えている。
・仙台で200-300人の遺体と報道。災害の被害程度は最初、とても控えめに明らかになる。そのとば口がやけに大きい。
・11日は26時に一度仕事に区切りをつけた。本震から少し時間が経って、余震が減って、世界が少し治っていないものかと思って、椅子に座って目を閉じた。2時間後、長野北部の震度6強。起きた。世界は治っていなかった。夜明け前の長野にメールをした。すぐに「だいじょぶ」と返ってきた。

2011年03月01日

よしなしごと

・母が亡くなった2003年以来、夢に見るときはいつも癌の手術をしたあとの痩せた姿で出てきていたのですが、今日を含め今年に入って2回のご登場はいずれもそれ以前と思われる元気な姿になっています。今日の夢は、小学校高学年から中学卒業まで住んでいた広い広い一戸建ての住宅で、引っ越しか何かで荷物の総ざらえをすることになっているという設定。大量のマンガを少し捨てたらどうかと言う弊管理人とマンガの所有者である妹が険悪になるという、とてもありがちなシチュエーションでした(ちなみにリアルでも妹とはつまらない諍いがあって以来ここ5年ほど絶縁状態が続いており、先方が何をしていてどこに住んでいるかなど一切知りませんw)。母は登場しつつも特段の役割はありませんでした。喪の期間が終わりつつあるのでしょうか、それとも喪のフェーズが変わりつつあるのでしょうか。

・などと平穏に二度寝している状態から、宅配便の配達の方が鳴らしたインターフォンの音で一気に覚醒したため、体が起ききることができず、まっすぐ立てないような状態で印鑑を引っ張り出し、荷物を何とか受け取って呆然としていました。布団もいつもと反対の側から抜け出た形跡が。そしてすでに10時……フレックスだからいいんですけど……

・仕事は超低空飛行だった先週から少し上昇して、低空飛行くらいになりました。嫌なことがあったとかではなく、ただ低空飛行なんです。いいえたぶん春だから。

・3月だ。はえーなー。貪欲に遊ばないと。

2011年02月27日

東京水辺ライン

札幌から友人がいらしたので、午後からちょっと東京観光。

自分も好きなのでよくチョイスする、両国―お台場間の東京水辺ライン。
といっても、両国から乗るのは初めてです。いつもはお台場からの帰りに利用するので。
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東京東側をざっとお手軽に見られるコースだと思います。
両国、清澄、越中島の下町を見て、築地市場、浜離宮恩賜公園という観光スポットの裏口を見ているうちに東京湾に出ます。レインボーブリッジをくぐって、台場が見えてきたところでフジテレビをぼーっと見ながら着岸。
で、そのあとはちょっと何かお腹に入れてからパレットタウンに向かい、観覧車に乗る。
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ちょうど夕暮れの時間帯でした。
今日は雨が降るかもとの予報で、どう歩こうか迷っていたのですが、結果としては十分に晴れて暖かい一日になりました。一昨日から出始めた花粉アレルギーが悩ましかったけど。

ゆりかもめで新橋に出て夕飯を食べて、そのあとお茶を飲みながら自分が去ったあとの札幌の話をしたり、アラフォー(←これ、もともとはこの年代の女性を指すんだって?)に向けたもろもろの設計について語ったりしてバイバイしました。

* * *

水辺ラインに乗りながら、友人と家を買うべきかどうかという話をしていたんですが、そういえば自分がそろそろ部屋を所有したいと思った理由をよくよく思い出してみると、少し広めのベッドと、ソファが欲しい(これらは転居のたびに持って歩くのがしんどそうで持ってない)というかなり些末なもので、しかも友人から「職場の人からは『どうしても必要じゃなければ買わなくていいんじゃない』と言われた」という話を聞いて、まあまだ急いで決めることはないかなー、と思いながら佃島の高層マンション群を眺めていたのでした。

2011年02月24日

CHCの地震

大学4年次の1999年2月から11月まで、交換留学でニュージーランドの大学に通ってました。
大学は北島だったのですが、7月の冬休みを利用して日本人と香港人の友達といっしょに南島を回りました。
クライストチャーチは、実はあんまりたっぷりと観光してません。今回の地震で崩れてしまった大聖堂の前で写真撮ったのは覚えてます。夏はお花がいっぱいできれいらしいんですが、冬は寒かった印象しかないです。
街の観光のかわりに、バスに乗ってクライストチャーチの街を含むカンタベリー平野を見下ろす素敵なスキー場に行って、スキーをしました。これはほんとうにきれいだった。山からまっすぐに平野に落ちていくようなゲレンデ。そのむこうには海が青々と見えたのを覚えています。まだリフトに混じってTバー(Tの字をした金具を掴んで、滑りながら上に引っ張っていってもらう)がありましたが、今でもそうなんだろうか。

さて、いつものことですが自然災害は時間が経つとともに被害の大きさが分かってきます。
いつでも明るくてパワフルなKiwiの皆さんのことだから、すごい勢いで立ち直ってくれるのではないかと期待しています。

あとは、いろいろと考えたこと。

・自分が訪れたり暮らしたりしたことがある、親しんだことがある土地の被災って、そうでないところの災害よりずっと心が動かされます。そのこと自体は批判されるべきなのかもしれませんが、一方で仕方ないことだとすると、やっぱりいろんなところに行けるだけ行っておいたほうがいいのかも、と思った。

・東京に直下型地震が来たらと思うと、ゾッとしますな。

・日本でこんなことがあったら、個人情報保護がうんちゃらとか言って死者・行方不明者の情報が出てこず、安否確認が進まないんじゃないかとちょっと不安。

・あ、向こうはそういや夏時間なのな(JST+4)。

・またオセアニアに行きたくなった。

2011年02月05日

おっさんを感じる土曜日

・最近、バッハを聴き続けられるようになったり、冷たいそばより温かいそばを食べるようになったり、近所に出掛けるとき自転車より歩きで行くようになったり、朝ご飯をちゃんと食べるようになったりしてきました。

・とうとうマンションギャラリーを見に行ってしまいました。なんか近くにモデルルームが開いていたので予約もせずにふらっと入ってみました。
・生まれてこのかた(つまり、実家暮らしも含めて)賃貸以外に住んだことがなかったのですが、設備って全然違うんだね。広いバルコニーとか広いキッチンとかミストサウナとかコンシェルジェとかカーシェアリングとか図書室とかはいらないので、もう少し安いといいんですけど。
・一方、固定資産税、35年ローンという仕組みとその月々負担、管理組合、30年間で3倍になる修繕積立金、マンション→資産形成という考え方、申込金は10万円・手付け金は1割です、物件のプロモーションビデオ、年収・貯金・現在の家賃を尋ねるアンケート、あなたが死んだらそれ以降の支払いが免除される制度(笑)、など、超面倒くさそうな初めての物事がいっぱい攻めてきてキャアってなりましたw(↑ちなみに今まで割賦で買った経験は携帯電話のみ)
・ほんとにおうちって買うべきものなのかね。との疑念を深くしつつそのうち買っちゃう気もしつつ立ち去る。

・お酒飲みに行ったら自分が店で一番年上。
・一回り下の巳年生まれが合法的にお酒飲んでる……

・バイクの点検に行ってきました。ハザードランプがつかない(ウインカーなら大丈夫)ことが判明。
・股引とズボンを一緒に脱いで、そのまま洗ってしまいました。なんかいまいちきれいになった気がしない……

・最近ひどかった肩こり、湿布して寝るを3日続けたらかなり緩和してウレシイ。
・肩こりは、短期記憶の崩壊と並んで、今の職場環境の弊害です。

・一つのことがだいたいできるようになったり分かってきたと思えてくると次のことに移ってみる性質が、自分の最も悪いところだ(つまり自分が自分について最も嫌いなところだ)ということは20年も前から分かっていたのですが、自分が人から褒めてもらえる数少ない機会もほぼこの性質に因るらしいことも最近分かってきて、これはいよいよ諦めておつきあいしないといけないのかなと思えてきました。

2011年01月25日

記憶の糸

札幌時代に仲良くしてもらった三つ上の友人が日曜に急死しました。
経緯は詳しく聞いていませんが、昼間に空港で倒れてそのまま逝ったとのこと。旅行業界の人だったので、仕事中だったのかな。昨日未明から朝にかけて、現地の友人らから何本も連絡の電話をもらいました。
今日がお通夜で、明日が葬儀の由。悩みましたが、出席する一人に香典を持っていってくれるよう頼み、自分は行かないことにしました。そこには既に彼はいないしね。

弊管理人が転勤で札幌を出てからは、SNSでときどき交流はあったものの直接会って話すことはとんとなかったため、彼とのチャンネルが永遠に閉ざされたことはまだ実感がありません。会おうと思えば会えるけれども、会っていない日々が引き続き流れている感じ。

5年も前にもらったメールを読み返すと、覚えていたつもりになっていた言い回しと微妙に違っていたことに気付く。友人夫婦も交えて仕事でもらった日高のサケを食ったよね。でも、あのでかいアイス食った小樽の店ってどうやって行くのだったかよく覚えてない。仕事先から土産にと買ってきてくれたキーホルダーって、あれどこの土産だったっけ。
われわれが二人でその端と端を握っていた記憶の糸の束は、いまはこちらの手からだらんと垂れ下がっている。「永遠の不在」が迫ってくる局面の一つは、記憶(≠記録)を共有をしてくれる人がもはやいないこと、もはや自分の記憶違いを正してくれる人がいないこと、記憶を支える基盤がひどく頼りないものになってしまったことに気付く瞬間であると思ってます。

2011年01月08日

お世話になりました

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永田町に行ったら、古い参院議員会館が取り壊される途中でした(後ろにあるのが新しいやつ)。
お別れはいつも寂しいものです。

2011年01月03日

お年始上がったり下がったり

あけました。

・元日、祖父母にお年玉あげた(一度やらなくてはいかんと思いながらこの歳までやってなかった)。泣かれた挙げ句に仏前に供えられた。供えてないで使って下さい(笑)

・元日朝から倦怠感。寝不足かと思ったら発熱(平熱35度台半ば→37.9度)、夕方には動けなくなる。父親の備蓄していた葛根湯のドリンク剤飲んで寝たら夜のうちに熱が下がった。(1)漢方すげえ。(2)父曰く「葛根湯、水、白がゆの備蓄でひきはじめの風邪はしのげる」。うえー具合悪いー薬買ってきてーメシ作ってー、ができない還暦前の男やもめ。独りで生きるとはこういうことなのだなあとしみじみ。

・2日、田舎から帰宅。詳しくは書かないが、ぎゃあああああ!ということがあって激しくうろたえる。

・3日、立ち直……れてない。

・それはそうと弊blogはますますどうでもいいことが書き込まれる予感。本年も元気にまいりたいものです。

2010年12月27日

年末っぽい

先週はずっとデスクに積んであった懸案をすごい勢いで処理。
クリスマスイブは家で弁当食って湯船に浸かって就寝。当日は飲み明かして終わったので、これは自分的にはやり切った感があります(久しぶりに朝帰り)。
今年はなんだか年末が年末っぽい。
曜日の配列のせいですかねえ。
というわけで珍しく総括のエントリー。

なんか仕事面ではいろいろと反省点も多いながらよく働いた一年ではあった。知ってることも浅く広く増えた。
ただ、おそらくあまり動き回らず頭ばかり悩ませるこの環境のせいで(1)記憶力が落ちた(2)血液検査の結果が悪くなった、という2つの大きな問題が生じた。
(1)はこの週末、自分の住んでる建物のエントランスのナンバーキーで間違いを連発してから危機感が一気に高まり、
(2)は野菜をよく食べ、しっかり走る生活の重要性と、缶コーヒーはやっぱり飲むのをやめるべきだとの認識をあらためて得るきっかけに。
健康面では、10-11月は3年ぶりの歯科、大工事で辛かった。3カ月にいっぺんのクリーニングは30代の義務だと痛感。

今年いろいろ考えさせられたのは、パイが大きくならない時代の「分け方」の問題。
社内で組合の役員をやっていた一昨年から感じていたことではありましたが、今年はより迫るものがあった。「私のところに、もっと金を」という声を一年通して聞いた年だったせいだと思いますが。
がんのように致死的な病の領域に国が使うお金は、病態の解明とか薬の開発みたいなことに向けるのはもうやめて、静かで苦しくない死に方をするためのケアにほとんどすべて注ぎこむべきじゃないのかとか、ベーシックインカム+出来高みたいな制度ってできないのかなあとか、しかしその原資って一体どうするんだとか、まあそんなことを考えながらいろいろな文章を読んだ年だったかなと思います。
あと、毎年の課題ですが、もうちょっと古典読まないとね(八重山諸島にもってったヒュームもまだ読み終わってない)。

それから、もっと旅をするべきだった。出掛けなさすぎた。
ていうか、そろそろサバティカルが欲しくなった(笑)。
後段についてはいろいろ準備しているところもあるのですが、期限のあることではないのでゆっくり考えてます。

今年練習したピアノの曲は技術的にはやさしめ、演奏時間短めの曲が多かったですね。
2-3月はメンデルスゾーンの無言歌Op.67-2。寒い冬+新しい持ち場で仕事が辛い時期だったこともあり、これ弾くと目の前が暗くなります。
5月は生涯最高金額(笑)払って行ったポゴレリチのコンサートで触発されたショパンの夜想曲Op.62-2。緑がきれいだった。
夏はなんだっけ。ドビュッシーの「レントより遅く」とかやってたような。
秋は前々から手を付けようと思っていたスクリャービンの練習曲Op8-12。これはけっこう弾けるようになってきてうれしい。
あと、出し物用にカプースチンを2、3復習してます。
札幌時代のように先生につこうと思ってつけなかったのが残念。

今年買って満足度が高かったもの。
リンゴの軍門に降って悔しかったが超便利、これってもう音楽プレーヤーというよりPDA「iPod Touch」、防水+コンパクトで結局Powershotにかわって普段持ち歩くデジカメになった「DSC-TX5」、通勤電車の中でポッドキャストを聞けるようにしてくれたノイズキャンセリングイヤホン「MDR-NC33」。

だんだんと形を取り始めたいろいろな不安もありますが、一方でそれはそれとやり過ごせる諦念も身に着いてきたようでオトナになってきたっぽい。だんだん周りに年下が増えてきたし。そんなことで今後は振り返るばかりではなく少し開き直って新規/更新に勤しめたらと思っております。

2010年12月05日

子連れ結婚式

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学生時代に同じ部活の同期だった友人の結婚式に行ってきました。
同期7人(全員男)のうち4人目。なんと今回は子連れ。
弊管理人の行き遅れ感が増してきました。

毎度思うけど、この華々しいセレモニー、親はうれしいわな。
うちの親には申し訳ないけど、これは自分には無理。背負えません。

それにしても普通の人が褒めちぎられるのって、生まれたときと披露宴と葬式くらいかもしれん。と思うと、生まれたときと葬式は本人は褒められてるのがわからないので、披露宴を経験しないということは何か重大な機会を失っているような気がするものである(そこか)。

2010年12月03日

近況数題

列島を嵐が通過。
気持ち悪いくらい暖かくて汗だく。
12月です。
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久しぶりにカレンダーを買いました。別用で立ち寄った丸善にカレンダー売り場が設けられていて、その品揃えがなかなかよかったもので。
画像手前は今年使ったカレンダーで、HTBという北海道のテレビ局の方にもらったもの。当月と前月、次の月、その次の月という4か月が一覧できるものでお気に入りです。
来年のは、当月と来月が大きく、2月先と3月先が小さく刷られている卓上型です。早くも来年4月のカレンダーが見えています。あっと思って5月を見てみると、来年は5月2日に仕事を休んでしまうと10連休になるという恐ろしいGWです。

なんて先のことを考えていると思い出すのですが、最近、1年とか先のことが構想できなくなっています。なんだろう。死ぬのかね。

あ、あと郷里で局地的に評判のいいJR北海道のカレンダーをお土産用に買いました。実は東京と大阪でも少数の書店で買えます。

- - - - -

・食べ物の好みが違う人と食事をする
・知人を飯に連れて行ったが「別にうまくも」的な反応
・知っている店に連れていって支払いまでしたのに「話し足りなかった」と不満顔でサヨナラ
・待ち合わせで30分待つ

といったことがここ2週間ほどの間に立て続けにあり、人疲れしました。
しばらく独り飯でいいです。ていうか、しばらく人と飯食いたくない。

- - - - -

予算がいろいろ動く時期の最後のほうでして、いろんな立場の人がいろんなところで「自分のところに金を」という話ばかりしてます。特に、「いのちを、守りたい」という平田オリザさん作の演説で政権が幕を開けたものだから、この解釈の幅の広い言葉の尻をとらえてみんなが「俺の命を守れ」と言い出した。
パイの大きくならない時代、取れるうちに取れるだけ取っておけ、というドライブがかかるのも当然で、そんななか声上げないといらないと思われちゃうのだろうからこうなるのも仕方ないんでしょう。でも聞いてるほうはゲンナリします。

- - - - -

と、胸いっぱいの毒を吐き出したので、明日から少し好きにやらせてもらいますわ。

2010年11月28日

科博

ツーポイントフレームのメガネって割れやすいので気をつけてくださいね、
って買うたびに言われるのですが、そのとおり割れやがった。
レンズじゃなくて、つるが。

というわけで、今日は円高還元セールで商品が10%引きになっている有楽町の無印良品でメガネを作り(ツーポイントなのに即日できた。えらい)、寒くなる季節の通勤に備えてキルトジャケットを買い、そのあと

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上野の国立科学博物館に行ってきました。
15時を過ぎての入館だったので、日本館ひとおとりと、地球館を3割くらい駆け足で見たところで時間切れ。残念、また行こう(日曜日なので、奏楽堂の無料コンサートもコースに含めたいところだった。これもまた残念)。

いろんな標本や図解を使って魅力的に展示が作ってあるので「わあきれい」といいながら見て回るのももちろん楽しいのですが、どうせなら地質学、地理学、遺伝学、機能形態学、古生物学の人が書いた新書なんかを読んで臨みたいものです。日本人が北から来たのか南から来たのかに関する説明書きひとつ、トリケラトプスの前足が向いている方向ひとつにも、それこそここ2、3年のうちに出てきた研究成果が反映されているので、大人は大人で「これかー!!」という感激とともに展示に触れることができるのがいいところです。

それにしても、特にイベントのあるわけでない普通の日曜日でしたが、閉館時間まですごい人でした。
あと、入館料600円ですが、年間パスって1000円なのな。
これは買いでしょう!
買わなかったけど。

2010年11月21日

名古屋出張

名古屋近郊に出張してきました。
仕事先は近郊ですが、投宿は名古屋の中心部で。
そういえば名古屋駅を出たのって生まれて初めてな気がします。
これまで通過ばかりでした。

食べたもの。

「コンパル」のモーニング。
ホットサンドは普通にうまかった。アイスコーヒーは熱いのをグラスの氷に自分でぶっかけて作ります。これもまあまあ。
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「蓬莱軒」が激込みだったので諦めて「しら河」で食べたひつまぶし。
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個人的にはお茶漬け(第3段階)よりドライ薬味(第2段階)のが好みでしたw
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朝に名古屋を出て隔離されたところで働いて、昼は現地でシャビーなごはん、夜に名古屋に戻ってなんとかご当地もの、というコース。
現地の人には「新幹線ホームのきしめんがリーズナブルなわりに意外とうまい」と教えてもらったのですが、弊管理人はおそばの国の人なので、きしめんにはさほど思い入れもなくパス。
ちなみに手羽先も独りで食べるものではないとの認識につきパス。ていうか今や「山ちゃん」はありがたみがないくらい各地にあります。
帰りの新幹線、改札を入る前に天むすと味噌カツ串を買って食いながら戻りました。
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天むすの味は、まあおにぎりと天ぷらを一緒に食べたような味。味噌カツは想像よりやや甘かった。
ジョージアの缶コーヒーまでしゃちほこ仕様なのですね。

それにしても名古屋のご当地ごはんって野菜が摂れなくない?

仕事は


つまんなかった。

2010年11月15日

おうちをさがす(長文)

この中途半端な時期の土日に、ちょっと実家に帰ってました。
夏の帰省の際のエントリにもちょっと書きましたが、田舎の公務員宿舎に独り暮らししている父が1年半後にひかえた退職後に住む家を探しています。で、父の高校の先輩かつ役所の先輩(既に退職)が住んでいる北アルプスのふもとの町にいくつか斡旋できる土地があるので息子と一緒に見に来ないかと誘われたそうで、お呼びがかかった次第。

父は亡母の側の籍に入っている婿養子です。もともとは将来、母方の実家に夫婦で入って暮らす心づもりはあったのではないかと思いますが、しかし予定外なことに母は故人になってしまい、そのうえ、母方の実家に独り暮らしのばあちゃんを見によく母の姉(弊管理人から見て伯母)が訪ねてくるのが嫌で寄りつきたくない気分になっている(ただ弊管理人が見るところ、まだ現役で働いている父の職場は母方の実家からは離れたところに住んでいるので、伯母はばあちゃんの様子を見てくれるのは有り難いこと。父はたぶん伯母と根本的にフィーリングが合わない)。

父は高校を出て大学に入ろうと東京に出てきたものの、新聞奨学生をやってる間に体をこわして郷里に戻り、19で就職して23で結婚、25で長男(弊管理人)を設けて50前に手が離れ、50過ぎてやもめになるという駆け足の人生イベントをこなしきり、ここ数年でまだある収入の使い先ががくんと減って貯金もできたらしく、退職金もあてこみつつ、退職で宿舎を追われたあとの住み処を探していました。やれあちらの物件はどうかこちらはどうかという話はここ何年かメールや電話で聞かされていましたが、弊管理人と同じ、意外と気のつくAB型の父がこちらの仕事中に電話をかけてきて「一緒に見に行こう」なんて話をするものだから、今度はかなり本気度高いぞ、とこちらも身構えました。

まず、弊管理人は結婚する予定もする気もないので今後家族が増える可能性は相当低いこと、仕事は在東京あるいは全国転勤なので郷里に定住するとしてもおそらく30年後であること(老老介護がひたひたと……)、知り合いがいないなどデメリットはあるもののその気があれば退職後に東京で同居の選択肢もあること、母方の実家ももう一度検討すべきであることなど、焦って決めないよう諭すことも含めて弊管理人が数年来思って断片的に口にしてきたことをまとめてメールしておきました。

そしてわりと温かい土曜、山脈の麓の町でいくつかの土地を見ながら父の先輩の話をいろいろ聞きました。
近年、東京から移住してくる人らが増えて中学校がひとつ新設された、頭はいいんだろうが口ばっかりで地域の仕事をやらない、幼稚園でも役場でも要求が過多で困っているという新住民評。でもまあ、一方の土着民のおつむのレベルも低いと返す刀でばっさり。あそこの3軒、右端と真ん中はいい人だが左は意地悪。標高が低いこの辺は災害もないし雪も降らないからいいが、もっと山のほうにある温泉地のほうの別荘街は雪は積もるし、農業やっても猿が全部持っていってしまう。熊も出る。でも温泉の権利とかの絡みで地元不動産はまず山のほうを勧める。住んでみたけど合わなくて、あるいはローンが払えなくて空き家がけっこうある。など、など。リトリートっていざやるとなると大変ですねと思いながら、まあ世話焼きで時々うるさいかもしれないけど、こういう知り合いがいる土地なら買ったっていいんじゃない、という気にもなってました。

その町を辞して父と宿舎に戻るともう夜。動けなくなっていくことを考えれば市街地がよかろう、畑がやりたいなら通えばよかろう、どうせ畑に通えなくなるくらい弱れば耕作もできなくなっているだろう。でもまあ、あの土地を買うのもアリっちゃアリ。そんなことをいろいろ話しているうちに「まあ年金がフルに出るまでの5年くらいは息子のところに転がり込んでもいいかなー」「諦めて今ある家(母方実家)もありかも」などと言い始めたのが意外でした。
誰にも頼らないと意地をはって高い金出して家を買って生活費を案ずるより、息子を頼ったり伯母対策をした上で母方実家に住んだり、買うとしても中古の安い家にするなりして、お金をソフト面の消費に回したほうがQOL高いんちゃうか、という話もしましたが、そのあたり少し沁みてきたのかもしれない。

そうこうしているうちに秋が深まり、冬が過ぎて早春にはタイムリミットは1年になります。来年末あたりには2LDKに引っ越しかなー。

2010年11月06日

障害の社会モデル

東京財団仮想制度研究所(VCASI)の研究会「障害の社会モデルから見た政策的インプリケーション~法学,障害学,社会福 祉学,経済学の対話」というのを覗かせていただいてきました。
以下、発表者(川越敏司さん―はこだて未来大、川島聡さん―東大、中根成寿さん―京都府立大)の話をちゃんぽんにしたメモ。障害研究って今までまったく触ったことがない弊管理人は完全素人です。よってまとめの正確さは保証できません。今日配布された報告書はまだネットに上がってないようですが、そのうちこのあたりで見られるのではないかなと思います。

2006年12月に国連総会で採択され、日本も07年9月に署名した「障害者権利条約」。批准すれば国内にある関連制度をある程度見直す必要性が出てくるかもしれない。そのときに、どういう視点で何について考えたらよいのでしょうね、ということを議論するプロジェクトだったようです。

・大前提として、「障害」の発生原因を、身体的・知的・精神的な機能不全=インペアメントに求める(だから”治してあげれば”障害はなくなるという)「医学モデル」ではなく、インペアメントのために参加が阻害されるような社会的要因に求める「社会モデル」を採用する。
・ということは、社会の側が合理的配慮をしていない、つまり過重な負担とならない範囲内の措置さえとっていない場合、それは差別ととらえていいんではないか。
・以上が、社会の側にある制度を見直す動機。法学、障害学、社会福祉学(社会学)、経済学の知恵を持ち寄って考えてみた。

・まずダイレクトペイメント。サービス提供側があれこれ計画をたててあげるのではなく、障害当事者に、使途を限定しつつ現金で給付する。当事者が自分の必要に応じたサービスの購入ができる。家族をヘルパーとして雇用することも可能で、”支払われない、でもケアから降りられない”家族による介助を市場の中に引き入れる(=家族がやるなら無償、市場から調達すれば有償、という非対称性を解消する)こともできる。障害当事者の自律。英国ではもう制度化され、札幌でも今年から試行されている。ケアマネジメントのコストがなくなるので事業者にとっては厳しいが、行政は出費を増やさずに受益者の満足を向上できる。経済的により望ましい。
・アファーマティブアクション。一定率の障害者の雇用を企業に義務づける政策。生産性の低い労働者を雇用することは社会的コストが増えるという批判がある←が、必ずしも効率性が犠牲になるわけではないという実験結果あり。
・障害者自立支援法では、障害当事者も利用料に応じた負担するべきとの「応益負担」導入。←これに対して、課税前所得と課税後所得の効用の差はどの所得階層でも一緒であるべきであるというミルの「平等な犠牲」を援用すれば、累進課税(応能負担)が正当化できるはず。
・ベーシックインカム。すべての個人に対する一定額・無条件の基本所得給付。←でも、働かなくても一応暮らしていける場合、労働量が減って結局給付の原資が確保できない可能性が実験から示唆。負の所得税のほうがいいのかも?

などなど。最初に書いたように、「障害」の話って、自分にとっては、かすったことはあるけど一度もまともに衝突したことがなかった(なんかこわそうな+なんか込み入ってそうな)ものだったのですが、今日の話はなんだかとても面白かったので、なんとか咀嚼して、これらの議論を参照点として、これからいろいろと考えていけるといいなと思います(、が、自信、は、ない)。

2010年11月03日

スカイツリーを見に行く

通勤電車から東京スカイツリーが見えます。今年は年初からどんどん伸びて、いっとき展望台工事でちょっと伸長が止まって、また伸びだして、そろそろもいっこ上の展望台工事に入るかな?というところへきています。
今日の高さは497m。
秋晴れ。
春に浅草から眺めたものの、まえまえから、一度は建設サイトの間近で見たいと思っていました。今日はきれいに見えるだろう。というわけで錦糸町駅で降りて、押上方面に向かいます。

低層の住宅街に巨大タワーがそびえている図はもう異様。
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上のほうはがんばってズームで撮ってみた。作業が続いてます。
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ふもとには人がいっぱい。みんな上向いてます。
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近くで見るとさすがにごちゃごちゃしている。
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これが真正面のパノラマ撮影。ずおおおお!
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実際下まで行ってみると、この巨大建造物の迫力を感じます。今しか見られないという意味では、建設中のシーンって貴重だと思います。バベルからドバイまで、どうも世界最高のタワーを建てようとした人たちってその後けっこうな没落ぶりを見せるので、なんかわれわれの行く末もふと案じられてしまうのですが……

ところで、帰ってくる途中、錦糸町駅近くにタイ料理「ゲウチャイ」を発見しました!
成田に住んでいたころ、よくお世話になっていた同名のお店の系列です。わりといろんなところでタイ料理を食べてますが、個人的には成田のゲウチャイを越えるお店に出会ってません。
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Aランチ、997円。満腹です。コストパフォーマンス高し。
店に入ったときに漂っている匂い、料理の香りで、2004年暮れから05年正月にかけて出張したプーケットの思い出が蘇ります。この江東橋店も同じくうまかった!駅から徒歩5分弱と近いしね、またお世話になります。

2010年11月01日

魔法の箱のはなし

閑話。

amazonて昔(成田に住んでいた4~6年前)、頼んだ次の日に着いたりしてて「すげえ」と思ったものだけれど、久しぶりに関東圏に戻ってきてみると、注文してから3日くらいかかったりするの、これなんで?本当はさっさと発送できるのにお急ぎ便と差別化を図っているのかしら。それとも気のせい?

閑話休題。

また審議会の話なんですが、学校教育って、そこにいろんな問題を投げ込むと解決する魔法の箱のように扱われることが多くて面白い。

臓器移植について学校で教えるべきだ(じつは保健体育で教えることはできるらしい)
予防接種について学校で教えるべきだ(教えた子が親になって自分の子どもに打つまで覚えてないだろうという気が……)
感染症について学校で教えるべきだ(よく知らない。でも性感染症は教えてるっぽくない?)
リスクコミュニケーションを学校で教えるべきだ(教えるほう、大丈夫かなー)
メディアリテラシーを学校で教えるべきだ(やってそうだけど、大学でよくねえか)
うんぬん、かんぬん。

だいたい何の話してても、人口に膾炙しないときの言い訳として「メディアの伝え方が悪い」と「学校で教えないのはけしからん」というのは出てきますね。大人になっちゃうと一堂に集めて教え込むというのはなかなかできないので、その中でもまだ大人が曝露することの多いマスメディアが思うようなトーンでニュースなどを作らないとイライラするというのはわかる。さらに大人になっちゃう前に教えときゃ効率がよかろうというお気持ちもよくわかる。

しかしま、新聞紙面もテレビの放送時間も読者や視聴者の時間も意外と限られてますし、日々の出来事も盛り込まないといけません。その点、雑誌ってこってり上手に一つの問題を扱うのに適しているんだけれど、「みんなが読む月刊誌とか週刊誌」って意外にないのが難点。あと、「メディアがメディアが」という批判の仕方は、応答責任を負う人がいないので、実は誰にも届いていない(「日本人てやつぁ」と言われてもムッとはしても国民を代表して応答する権限はないようなものです)。逆に、反論が来ないので手軽に溜飲が下がっていいかもしれませんが。

相対的にまだ言うこと聞いてくれそうな教育のほうを見ても、しかしメディアの場合と同じようなキャパシティ面での理由と、同じような代表者の不在の問題によって、教育という箱に向かっていろいろ投げてもなかなか入らないなー、というのが見ていて思うことです。文科省でやってる会議でないと、文科省の人が同席していることがそもそもほとんどないですしねえ。

ではどうしたらいいか、なんですが、よくわかんない。そもそもざくっといって過半数の国民が知ってることってそんなに多くないよな。
それはおいておいても、テレビコマーシャルはまだアリかなという気はします。予算のない中でやるならACジャパン(前の公共広告機構)の枠が取れると強いみたい。HIV/AIDSの分野は、これがなくなったせいで検査が伸びなくて悩んでいるという話もあります(ほんとかね)。特にHIVや結核など、状況が少しずつよくなってる(とともに、ハイリスクグループが特定されて社会全体の問題といえなくなってきている)案件で、大変だ、何とかしなきゃ、と思ってくれる人を開拓するのは本当に大変だと思う。
逆に、昨シーズンの新型インフルエンザのように、なんか(空騒ぎであってもいいから)大騒ぎする機会があると、意外にいろんなものが進んだりする(ワクチンの小児用量見直し、妊婦への予防接種推奨、国内ワクチン産業育成の必要性、感染症発生監視態勢の強化など)。
教育に取り入れられて何か進んだ例ってあるだろうか。思いつかないな。ええと、ええと、首痛い(まだ痛い)。

2010年10月29日

御用学者の肖像とその枠

中央省庁が専門家や利害関係者なんかを呼んでいろいろ討議してもらう審議会、検討会、懇談会のたぐいをよく見るようになって1年ほど経ちます。
仕事のことをそのまま私的な日記に書くのはまあちょっと気が引けるので、ぼやかしたりところどころ改変しながら行きます。寓話と思って読んで下さいませ。

* * *

今日の舞台は、自治体が責任主体となってやっているある事業のあり方を根本的に見直そうとしてある省の政務官の肝煎りで始まり、これまで頻回に開かれている審議会。会は今後どうしたらいいかを省側から諮問され、議論を経て提言をまとめる。その提言を参考にしながら省側は現行法の改正案を作り、国会に出す予定。

登場人物。
委員として参加しているのは、医学の研究者である「座長」、ほかにも医学や法学の研究者、法実務の人、現場の医者、自治体、職能団体、マスコミ出身の人。それから省側は、責任者である局長、実務をやる事務局次長、ほか課長、室長、担当官など。

この審議会はもう十数回開かれているが、最初期からわりと激しいやりとりが続いた。
弥縫策ではだめだ、根本的に制度を直すべきだ、原理原則をまず打ち立てるんだと大きな話をするジャーナリスト委員を座長は「はい、次の方」と受け流し事務局(役所)案を次々と承認していく。ジャーナリスト委員は「座長の進行は横暴だ」と反発。

もともと審議会は「これってどう考えたらいいでしょうか」という役所側からの諮問を受けて委員の間で自由に討論し、意見をまとめて打ち返すものなのだが、議事の中で座長は委員から意見が出るたびに「どうでしょうか、事務局」と役所側の見解を求めながら進行していく。

研究者委員はちょっと気付いたこと、先行研究、時にはかなり根っこにかかわる意見を思い思いに出しながら、しかしそれを具体的にどう政策に落とすべきかは言わない。
自治体、職能団体委員は自分らに負担がおっかぶさってこないよう、理念的な話や、それにもとづいて実現しようとすると莫大なお金のかかる意見を繰り返す。
外部から有識者を招いて何度もプレゼンをしてもらい、外国の例や、政策の経済性の計り方、制度の歴史などを勉強する機会も持たれたが、では、それを受けて今問題になっている制度をどう変えるかの詳細は委員の口からあまり出てこない。

そんなことを何度かやって、論点整理の日を迎えた。ということは次の会議はもう、今日の議論をもとに委員が合意した論点を文章に落とした「提言案」を役所側の事務局が示し、細かい詰めの作業をするという最終段階に達する。
ところが、内容が財源や関係者間の負担割合の話に及ぶと、やはりこれまで大きな話や理想論を言い続けてきた委員たちがまた自説を繰り返した。自治体が責任と出費を負っていたこれまでのやり方ではなく、全国統一実施、国が全額負担せよ、自治体間格差を作るなと。
おそらくこれまで事務局と打ち合わせを重ねてきた座長は思わず発言する。

  「全部国が持てと言うだけなら言える。しかし実現可能な提言を作りたい。現実離れした提言を出しても突き返されるようなものではなく」

これに職能団体委員がかみついた。

  「座長の言葉にがっかりした。根本的に変えるんじゃなかったのか」

これまで発言の少なかった法学委員が座長をフォローする。

  「2つの考え方がある。理想だけ追求したが実現可能性が低くてまるまる無視される答申を作るか、妥協を許容しながらも受け入れられる改革案を作るか。われわれに諮問してきた省だけでなく、カネのことをやる財務省、地方のことをやる総務省も含めて向こうに回すには準備がなさすぎる。私は後者の考え方をとる」

このあと、医療者委員が「カネのことをわれわれに考えさせるな。われわれは必要だと思うことを言う。あとは事務方が財務省からカネを取ってこれるよう頑張ればいい」と言ったころからもう場は散らかった感じになり、この問題は先送りになった。

* * *

だれも好きこのんで役所案を大概追認するだけの仕事を(1回2時間の審議会に遅刻したり早退したりしてもいいから出席するだけで2万円もらえたとしても)意義のあるものとは捉えないだろうと思うけれど、大抵そうなる。
たとえば新しい組織を作るべきだと主張した委員は、規模に言及するとしても「アメリカにある同様な組織には数万人いる」という参考にもならない参考例を挙げるだけ。日本に新設する場合、どういう部門に何人の管理者とスタッフが必要で、トップは誰がやり、その法的位置づけと責任の範囲をどうするべきか、年に何回、どんなトピックを検討するべきかといった「制度を動かす」のに必要なこと=ディテールの集積としてのシステムを提案することをしていない。
大きな話はできても、それを分解して政策の言葉に組み直すことができない委員はカッコイイ(けれど影響力のない)反対者として、現実路線の委員は妥協の後押しをしながら、ともに、座長を御用学者に仕立てていく。御用学者という人ははじめからはいない。審議会の力学の中で形成されながら、そうなっているように見える。

* * *

しかしまた、なりやすい人というのもいるんだと思う。
フレームにとらわれやすい(やわらかアタマじゃない)人というか、議論されていることの外に出てみることができにくい=議論されていることの前提が見えにくい傾向のある人は、どうしても「しょうがない」的な結論に行きやすい。フレームが狭いほど、つまり現状を規定している関係者が多かったり、時間や財政などの条件が多いほど、フレームの中で検討し直せる項目というのは少ないので、結局こまごまといじってみても「やっぱり難しいやね」と諦めてしまうわけだ(実は上記の審議会の場合は、12月中に目鼻をつけて来年の通常国会で法改正をやりたい、という時間的制約がかなり議論を拙速にしてしまっていると感じている。法改正はもうちょっと先になるが、半年延ばすことはひとつの突破策だと思う)。

対処として、考えるお作法を勉強するのもいいが、時間はかかる。もっと手っ取り早いのは違う分野の人(自分が医学の人なら法学の人、自治体の人など)の意見を聞くこと、さらに相手に曖昧な大掴みの意見で終わることを許さず、質問を重ねて具体的に詰めていくことだと思う。

* * *

というわけで、肖像と、そのまわりの枠のお話でした。
審議会行政は批判されているらしいけれど、その出口が弊管理人にはいまひとつ思い描けない。専門家とか当事者の話を聞いて政策を作ること自体はいいと思うので、審議会をなんとか改善できないものかなあ、と傍聴しながら考え、つつ、今日は湿布しても首が痛い首が痛いと苦しんでいたのでした。最近うなだれてばかりだからか。

2010年10月09日

さっぽろ

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6日深夜から急な仕事で札幌に行き、2泊してきました。
ちゃんと歩くのは約1年ぶり、しかしあれ食ってこれ食ってという時間は全くなく、朝:セイコーマートのソーセージパン、昼:ローソンの弁当、ときて夕飯にやっとナシゴレンぽい何かを食べて……という感じ。ご当地ものは東京に帰る直前に新千歳空港で食べた夕張メロンソフトくらいでした。

東京への転勤前、直近の勤務地が札幌だったということで自分が行くことになりました。いやあ確かに、現地の職場の人たちにいちいち道を尋ねたり随行をお願いしなくても最短距離で動き回れるというのは便利ですね、お互い。地点間の移動時間も全部分かっているので時間のロスもないし。

久しぶりの札幌を歩く。ちぎってまたくっつけた一塊の粘土のように、あるいはちょっとだけディテールが違った平行世界のように、馴染みではあるけれども一体ではない感覚。
あいかわらず空と空気はきれいでした。

2010年10月05日

ちっちゃい

テレビに映った自分の姿を見る機会があったのですが、
ちっちゃい。わたくし。

中2にして成長が止まるまではわりとおっきいほうだったので、そのときまでに自分の中に形成された「自分の大きさ観」が「三つ子の魂」的に影響しているのではないかというのが1案。
ふだんあまり写真を撮られない、のと、撮られても比較対照されるべき人たちとあまり写真に写らない(つまりほとんどが証明写真)せいで正確に自分の大きさを把握していないというのが2案。
顔がわりかし小さいので体が小さくても小さい人に見えにくいというのが3案。
自意識が大きいが4案。

全部だな、全部。

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2003年4月の『バカの壁』以降、タイトルに「バカ」のついた本がどれくらい出たのか、それ以後今年までの7年とそれ以前の7年を比べてみようとふと思いついたのですが、どのツールを使って調べたらいいのでしょうか。国会図書館のOPACやamazonでは、単に「バカ」で検索しただけでは余計なものまでいろいろ出るので。

いや、なんかタイトルが安易だと中身まで安易な本だと思われる(ばれる)からやめたほうがいいと思っただけなんですけど。

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twitterに限らず、でも特にそこではそうだと思うんですけど、こういうプラットフォームの中での書き込みって「好きなように言い散らす」とは逆の方向にそのうち収斂していくような気がします。

知らない人にけなされるくらい世上に影響力のある人の場合、意外と自分の名前や書き物のことなんかに触れた書き込み(つぶやき、レビュー、なんやかや)を検索して見つけて反応してきますよね。
思い込みや調べもの不足や見識の欠落などによって生半可な批判を公開した場合、かえってその道に通じた相手から辛辣な反論を受けて町内(むろんサイバースペースでの距離感でこれくらい、ということですが)で笑いものになるということがあるので、それに備えて(1)それなりの調べものをするようになったり(2)少なくとも相手と対面しているときのように礼儀をわきまえたりして書き込みをすることになるんじゃないかと思います。

もちろん何かしでかしたらアカウントを閉じてトンズラして再起すればいいんですが、それも骨ですし、信頼も結びつき(フォロワー、マイミク、なんやかや)も蓄積しないので、長期的にみたら少し口に気をつけてものを言うようになるほうが為になるでしょう。

というわけで、不特定多数に向けて穏やかに語りかけるコミュニケーションがそのうち大半を占める/現に占めつつある、というのは楽観的すぎますですかね。

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「思います」を「おもいます」とか、平仮名遣いにこだわりのある人って難しそうでヒク。

2010年09月23日

平櫛田中彫刻美術館

友人に連れられ、東京・小平市の「平櫛田中彫刻美術館」に行ってまいりました。

平櫛田中(ひらくし・でんちゅう)は1872年生まれの彫刻家で、高村光雲などに師事、東京藝大の教授を経て、1979年に107歳(!)で没する直前まで創作を続けた人だそうです。
一橋大学のキャンパス脇、なんとかいう建築家(失念)が建てた平櫛宅の敷地にある平櫛美術館では、ちょうど日本彫刻会関連の企画展をやっていて、なんとそのせいで肝心の平櫛の作品の多くが見られないという大惨事!でしたが、それでも展示されていたいくつかの平櫛作品と、平櫛宅の建築を堪能しました。

初めて見た平櫛の作品。故事や仏教説話に着想を得た作品が多いのですが、とにかく豊かな肉感(デブだという意味ではない)が印象的でした。なんといえばいいのか、素材の塊から服ごと人物を彫り出すのではなくて、木なりブロンズなりでできた裸体に同じ素材でできた服を着せたような実在感を放っている。ところが不思議なのは、そのリアリティが写実ではなく「人間をよくとらえたディフォルメ」から滲出している感じもするんですね。「そうそう、これってそんな感じ」と思わせる似顔絵のように、あるいは男や女の体を色っぽく描いたイラストのように、しわや、凹凸や、照りが、象徴的、効果的に配置されている。ブロンズではありましたが「法堂二笑」という作品で特にそんなことを感じました。100歳近くなった平櫛氏が半裸で制作している写真も展示されていましたが、それが目を見張る若々しさで、よくあることですが、やはり作者が自身を分与しながら作品を生んでいったのではないか、そう思わされました。
ま、文章にしてもわかんないやね。行ってみて下さい。

昨日・一昨日と東京都心は30度を超えて、一夏の真夏日の日数が過去最多を更新したそうです。うってかわって今日は冷たい雨が叩き付けるさんざんなお天気。Tシャツに七分丈のネルシャツを重ね着していったのですが、寒かったです。ジーンズもびっしょびしょ。

2010年09月15日

夏の思い出

日曜に夏が終わって、月曜から秋が始まっているようなので備忘録。

今年の夏は暑かった。確か7月初めから暑かった。35度とか36度になって、ひるま外に出るとちょっと体がやばい感じになった。休日もなるべく室内にいるようにした。通勤で朝のホームにいると、みんな視覚障害者用のブロックの前ではなくホームの屋根の影に最前列を合わせて並んでいた。東京の夏は臭い。セミが夜でも鳴いていた。一日に何度もシャワーを浴びることがあった。初めて沖縄に行った。プールには行かなかった。アイスコーヒーをたくさん飲んだ。甘いものを控えめにして麦茶を飲むようにした。仕事がすごく忙しかった(4、5月はそうでもなかった。8、9月は週末呼び出しが多かった)。一日中室内の仕事が多かった。タクシーで何度か深夜帰宅した。恥ずべき仕事はあんまりなかった。平日はあまりサボれなかった。でも週末はけっこうよく遊んだ。朝帰りはあまりしなかった。体調はよかった。去年は腰にあせもができたが今年はできなかった。睡眠は少なかった。でもクーラーのタイマーのセットの仕方をつかんだのであまり暑くて起きたりしなかった。大きな買い物はしなかった。でもけっこうお金は使った。仕事用の半袖シャツを2枚買った。今年は実家から送ってもらった桃を腐らせずに全部食べた。後半はあまり自炊しなかった。来年留学するかどうか7月の末からまだ迷っている(いま持ってる荷物の保管とかの手配など、いろいろめんどくさい)。

2010年09月02日

140字より少し長く

午後ずっと外で仕事をしていて、夜に職場(といっても本社から歩いて30分弱ほどのところにある駐在先のようなところ)に戻るや否や卓上の電話がプルルル。

上司「忙しい?」
わたくし「いいえー」
上司「会社の人間とメシを食う[註:=部内有志で夕飯に行く]のは嫌い?」
わたくし「……わりと」
上司「嫌い?」
わたくし「はい」
上司「わかりました」(回線断)

淡々としたやりとりなんだけども、これだけでどすんと気分が落ちますw
この上司、平素よりとてもお世話になっていて、この人の下にいてよかったと思うような人で、こういうことで腹を立てたりするタイプの人ではないんですけれども、それだけにこういう形でお断りするのは心苦しい。
でもねー、会社の人と夜にメシを食うのはほんとに年に1、2回でも十分すぎるくらいなんですよ。理由は簡単で、普通にメシを食う時間をかなり上回る時間がかかるから。そして帰りたくなっても状況的に帰れないから(そういう理由なので、自ずと時間制限のある昼飯は全然普通に連れ立って行きます)。実はそのことも既に社内で公言して、ここ4年ほどはほとんど全ての飲み会に欠席してますが、それでもお誘いをいただいて断るのは有り難くも申し訳ない。

さらに、今日は午前中にも「ちょっと言い過ぎた」案件がひとつあったせいもあり、ややダメージが深かった。

というわけで、スポーツクラブで走って、シャワーあびて、ごはん食べて帰宅、というこの都合2時間で復活です。
体を温め、腹を満たす。これ、もう方法論として確立したな。
あと、やっぱりおうちはいい!www

2010年08月24日

新潟出張

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忙しい。
結果、粗製濫造。
その現状にぐわああってなるが、
時間もないのでさっさと忘れて次の粗製濫造。

そんな仕事の延長で日帰り新潟出張。
8年ぶりです。しかも前回は新潟市は素通りで佐渡2週間とかでしたし。
今回はいろいろ食べようと思ったのですが、
自分に課していた「イタリアン」「笹だんご」「タレカツ丼」「おかき」のうち、
果たしたのは上記タレカツ丼だけでした。現地でも忙しくてねー。

わたくし、ソースカツ丼の国の人(高校まで卵とじカツ丼を食べたことがなかった)なので、甘辛タレにくぐらせたカツはなかなかおいしくいただきましたが、やっぱりソースカツ丼が一番です。ええ。

2010年08月15日

帰省

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さて今年も夏の帰省をしてきました。
写真は本家の夕飯。つい10年ほど前までは奥に写っている居間までテーブルを継ぎ足して、3-4家族が集まってわいわいとご飯を食べていたものです。

ポスト団塊ジュニアとしてはやや遅ればせながら、父が定年まであと1年半ほどとなっており、来年前半くらいまでに「その後」を決めておく必要がはっきり認識された点が、今回の特徴でありました。

子どもが東京で仕事をしているという現状を前提にすると、親は「東京・夫妻健在・親持ち家」ならスープの冷めない距離に住むというのがおそらくもっともいい解なのですが、うちの場合は「田舎・婿養子のうえ妻物故・借家」ときているので悩ましいところです。いや、もっとも母実家(上記本家)は持ち家なのでここに引っ込めばいいのですが、父本人はかなり気が進まない様子で、その気持ちも分かるので難しい(本家は、いま独りで住んでいる祖母が健康を損なうと、形だけ相続するか売り払うことになる)。

今年父は積年の転勤の果てに自分の出た高校のある地方都市に赴任になり、暮らしてみると知り合いが周囲に多くて意外と居心地がよいようで、立地的にも本家からもそこまで遠くはないため、この市に家をいっこ買うというのが父の意向のようです。それなら、こちらから金銭的な援助も十分しうるのでそれもありかなという気はしています(あとは「子どもに頼らない」というポリシーにどう風穴を開けるかだが)。まあ、本家に引っ込むのが一番シンプルなんですけどねー。そこは心情的なものがあろうからねー。

さらに、ここに今後、介護とかUターン要求などが絡んでくると問題は格段に深刻になります。
根のない生活は解放であり喪失であることだ、
なんて悠長な感慨を抱いている局面は過ぎ、実務の季節が近づきつつあります(笑)

2010年08月07日

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実はあまり知られていないがフルーツの郷にある実家から今年も桃が届きました。
例年、盆の帰省の直前くらいの時期に来るので、盆を挟んで食べきれずに1、2個腐らせてしまっていました(懺悔)。
今年はなんとしても計画的に全部食べるため、冷蔵庫に早めにいくつかしまって長持ちさせつつ、箱に残って熟れていくものから消費しております。

幹細胞医学が見る夢

近所の船堀で開かれている第49回日本SF大会と、慶応GCOE「幹細胞医学のための教育研究拠点」のジョイント企画・市民公開講座「幹細胞医学が見る夢」を見てきました。
(主に自分用備忘録)

慶大から八代嘉美さんが司会、講演は『パラサイト・イヴ』の瀬名秀明さん、慶大からiPS細胞研究のリーダーのひとり岡野栄之教授、ブレイン・マシン・インターフェース(BMI)研究の牛場潤一講師。後半は東浩紀さんが加わってパネルディスカッションを行いました。

■牛場講演

足を動かそうとか手を動かそうとかするとき、脳の特定の部分で電気信号の流れに変化が起きます。それを頭の表面につけた電極で読み取り、その情報を使って、事故や病気などで動かなくなった体のかわりに仮想空間のアバターやモーター駆動の人工手足を動かす、というシステムを紹介されました。

思えば、動く。それがBMI。
ひとつの用途はよくあるように、重度の運動障害を持った人の機能を補完すること。たとえば仮想空間のアバターを使ってそこで人と交流したり、ネットショッピングをしたり。
もうひとつは、↑の発展形として、機能回復を助けるリハビリの機械としてのBMI。「手を動かそう」と思うと、自分の意志では動かなくなった手に取り付けたモーターの駆動によって手を動かす機械に慣れていくうちに、筋活動が自分の意志でできる=機能回復していくことがあるのだそうです。

■岡野講演

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幹細胞研究の歴史のおさらいと展望。
幹細胞は、筋肉や骨、脂肪、神経など機能をもった細胞に分化する「もと」の細胞。これを使った再生医療とは、心筋梗塞になった場合に心筋細胞を幹細胞から作って、悪くなったところに植えてあげれば治る!みたいなことをやろうとしているのですね。

分化しきった細胞を大人とすれば、胚性幹細胞(ES細胞)はまだ赤ちゃんに相当し、これから何にでもなれるような細胞。20世紀の最後に作られたこの幹細胞の研究は今でも進んでいますが、生殖補助医療で作ったけれどいらなくなった受精胚を壊して作るため、ふたつの大きな問題が存在します。
ひとつは技術的な問題で、細胞移植される側からみれば「他者」の細胞を植え込むため、拒絶反応をどうするかという問題。異物を排除しようとする免疫システムを薬で抑制することで対応しますが、感染症のリスクも大きくなる。自分の分身=クローン胚を作ればこの問題は解決しますが、まだできていない。
もうひとつは生命の萌芽を壊すことの倫理問題。

それに対して、2007年にヒトで樹立された人工多能性幹細胞(iPS細胞)は、本人の体細胞(皮膚などの細胞)を”リセット”してES細胞のようにさまざまな細胞になれる幹細胞にしてしまったというもの。これで上のような問題はおおむね回避されますが、確実に狙った細胞に分化させたり、植えた細胞が腫瘍にならない方法を確立したりといった技術的な課題がまだまだ残っています。

岡野さんの研究では、脊髄損傷したマウスの下肢に移植して機能回復させたものが有名。ほかの使いでとしては、薬の効果や副作用を見る研究に使ったり、生殖細胞(精子や卵子)を作る研究さえされているということです。

先端技術の研究では「問題の発掘」「仮説の設定」「検証」が重要ですが、SFの想像力は「問題の発掘」に貢献しうるのではないかとおっしゃってました。

■ディスカッション

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今回登壇したなかで唯一文系出身の東さんがだいぶ呻吟しながら、それでも架橋役としてはかなり拡がりのありそうな論点をひねり出していられたように思います。
SFと生命科学の関係について。いろいろと話し合われたのですが、「たとえ男性であっても、iPS細胞から精子も卵子も作れるので、男性同士の子どもが作れる」みたいな、これまでの人間観とか家族観、身体観からはみ出るような話は、SF(エンタメ)よりも純文学と認識されるのでは、という東さんの指摘。
実は管理人はSFをほとんど読まないのでSF/純文学の違いがストンと落ちないんですが、つまり、SFはわりと「社会のお約束」のようなものを土台にして技術に関する側面から展開していかないととても書きにくい(ストーリーを立てにくい)ので、むしろそうしたものの外部に出て、社会そのもの・人間そのものみたいなものを考え直すのを主眼にしようとすると純文学の領域に入るのだろうという。ほほう。

それを聞きながらぐだぐだ考えていたのですが、(文理を分離して考えることの是非はあると思うけれども、)先端的な生命科学は既に、男性×男性の子どもを作れたり、女性の生殖可能年齢の制限がなくなったり、霊長類進化の過程を人工的に再現できたり、新しい生物を創造したりといった可能性が視野(の、遠くのほう)に入ってくるという迫力と発想力でもって既にフィクションを追い越してしまっていて、それが人文学に影響を与えることはあったとしても、逆方向の影響関係(思想や小説のぶっとんだ発想が自然科学の研究テーマに接続していくこと)は難しいのかなあ。どうなんだろう。
その意味でか、正確な引用ではないですが、東さんが「20世紀後半は社会の変動が大きくて、思想はそれについていくのが精一杯だった」「身体を考えるにしても、メルロ=ポンティ以降になんかあったっけかな」というようなことを言っていたのが印象に残った。

ついでにいうと生命科学側(牛場、岡野)はそうした「このことが開く新しい意味合い」的発想には――目配りはしつつ根本においては――とても対照的な考え方を話していられて、情念とか、障害のイメージがどうのはなく、QOL向上や選択肢の拡大を目指しているという。とても実用志向で、おそらくそれによる「人間概念の拡張」とかの問題は副産物という位置づけなのでしょう。もちろんこれは良い悪いというものではなくて、習い性となっている着眼の仕方の違いだと思う。
文科省や厚労省の審議会で議論される幹細胞研究のルール作りの場に出てくるのは、研究現場の人と法学や実務家の人という組み合わせが典型的です。それは研究の自由をどの局面で制限する必要が出てきて、それは誰の権利を守ることか、という喫緊の課題を片付けるため(で、だいたいそれより根源的な問題はせいぜい提起で終わる)。生命科学側が求めたり、その視界に通常入ってくる「文系」というのは、そうした”課題対処のための”知恵なんではないか。

と、(SF・文学と生命科学の交差点を探る前提としての)両者の遠さが目についた議論でした。
当然そういう話ばっかりしてたわけではないので、他の人は全然違う感想を持つかもしれませんが。

えっと、あとは、牛場さんと岡野さんが提供したり補足していた話題で、脳の柔軟さみたいな話が面白かったです。いわく「脳は体という容れ物に合うように機能を作っているので、容れ物が変われば新しい機能を付与するのではないかと言われている」とのこと。つまり、BMIを応用して体のどこかに人工の「第3の腕」をこしらえてしまったりすると、それを「(異物だが)動かそうとする→動く」という経験を重ねて慣れていくにつれて「自分の体の一部が動く」と認識するようになっていく、みたいな。また、モニターの中の自分の分身も、それを意のままに操っているうちに、自分自身を動かすのと同じような信号を脳が発し始めるというようなお話。「わたしの身体と捉えられる範囲」が拡張する、というのが一体どこまで可能なのか。2次元まで?文字情報まで?とても興味あります。そしてこの問題ってわりと解明できそうな気がする。

2010年07月30日

ホーム迷子

ちょっと所用ありまして、むかし通ってた学校に。
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卒業以来かと一瞬思ったがそうでもなく、2003年ごろまでときどきイギリス哲学の先生と本を読むために行っていたため7年ぶりくらいかと思われます。
どうやらその後大きくキャンパスが変わったらしく、図書館だったところには管理部門の建物が建っており、サークルの部室があったプレハブはなくなって、そのまわりを囲んでいた森にもベンチが置かれたりしている。
どうみても学生じゃない人たちが住んでいた古い寮はカフェや購買部になっていて、クーラーもなく薄暗い語学教授たちの研究棟は「よくある新しい大学の建物」になっていた。
銀杏並樹を通ってむかしは時々立ち寄っていた建物の最上階から、こそっとテラスに通じる窓のロックを外して撮ったのが上の写真です。
印象では風景の4割くらいが置き換わった感じがする。
今となっては赤面するばかりの記憶がそこかしこで発火していました。

渋谷駅で
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おおお、ここにあったか!岡本太郎「明日の神話」。こんなオフィシャルサイトが見つかりましたが、糸井重里氏が噛んでるのね……うーむ

2010年07月09日

レトロスペクティヴ

一昨日、床に就いたあとにいろいろ考え事をしていたら思い当たるところがあって、押し入れの荷物をあさり、高校3年間につけていた日記(大学ノート10冊)をぱらぱら読んで夜更かししてしまいました。

考えてることとかが幼いというか材料が足りてない感じで、そこは微笑ましくもあり、まだ勝ってる感じがしたのはよかったのですが、一方、いろいろと先のことをぐだぐだ案じたり、そうかと思うと目先のことに節操なく一喜一憂したりする気質など、性格的なところは実は全然変わってないということがわかりました。そりゃま、そうなんだけど。ていうか、それから15年以上経ってちょっとスレたのと、ものを考える体力みたいなものが衰えてるぶんだけ、今のほうがみすぼらしいのが悲しい。

あと、全っっっっ然覚えていなかったのですが、高校2年の秋くらいに「進路相談の場で将来就きたいと思っている仕事を聞かれて、深い考えもなしにとりつくろって答えた」として記してあった職業が、なんと今の職業だったこともなんだかショックでした。こわーい。

ここ最近の日記にこのようなretrospective(後ろ向き)基調が続いているのはたぶん、いまの職場と生活がそれぞれ自分一人で計画、実行、評価を行うことが多い環境にあるからではないかと思います。自分の中の評価軸にいまひとつ信用がないので、リーチにあるいろんな資料(つまり記憶なり記録だ)を援用しながら都度の評価を下しており、しかしそれでは足りてない、というのが現状なのかと。
そしてこれ、ひょっとしたらのちのち展開する現状分析なのではないか。そう思わせぶり(の宛先さえ自分自信なんだが)に終わる。

2010年06月27日

冬を乗り切れば

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札幌に引っ越したときに買った観葉植物(名前忘れた)なので、もう4年になりますか。
当初15cmくらいだった草丈が60cmくらいになってます。こういう「育つ植物」ってわりと好きなのですが、去年の暑くなるころだったか、成長点が腐り、成長が止まってしまいました。
しばらく放っておいたものの、どうせそのままにしても葉っぱが落ちていって死んでしまうならと、友人のアドバイスに従って思い切って腐った茎の先端をハサミで切り落としました。
冬のあいだはその断面に樹液のようなものが溜まって白くなったままになっていました。それが暑くなってきたこのごろ、その脇から立て続けに3枚の葉がでてきて、日に日に伸びてきています。それも、そのうち2枚の葉の付け根のあたりを見ると茎にあるようなフシがついているので、うまくすればまた成長を始めてくれるのかもしれません。

(比喩的な意味ではなく)冬を乗り切ると、生きてさえいれば生物はふたたび生を営んでいけるのだなあという感を強くしています。裏返せば、冬というのはいかに危険な季節かという実感。
と同時に、茎の先端が腐ったとき、もう死ぬしかないと思われたこの植物の最期の日々を看取るべき自分自身というのを、思い出しています。
早晩、無に帰してしまうその存在を背にして毎朝出勤すると、なんとなく街の花屋で「次」を探している。「死にゆくもの」が「すでに死んだもの」へ向けて急激に接近していく。死にゆくものの一瞬一瞬を濃密に共有することから逃避する、目を背ける。こだわることのスイッチを切る。

さまざまなタイプの人たちを見かけるなかでも、事情が差し迫ればそれを打開するために他人に害をなし、仕方がなかったのだと自分を納得させ、夜には焼肉を食べて床に就ける人とはお近づきになりたくないと思い続けていた最近ですが、どうやら、おそらく、その嫌悪の一番典型的な対象は、実は自分だったのだろうと思っています。

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と、最近更新してなかったのでなんか書いとこうと思っただけの文章が、またメンドクサイものになりましたw

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まったくもって本読むペースが戻りません。
理由はかなり明白ですがそれはまた。

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生活そのものは結構順調に楽しくやってるんですけどねー。

2010年06月16日

雑記

いやあなんか余裕がない。

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クミンシードを熱するところから始める無印良品のインドカレーキット、脂っこくなくてとても好きだったのですが、今年前半かな、店頭から消えて、ああラインナップからなくなってしまったんだと悲しんでいました。
が、どうもリニューアルして再登場した様子。
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鶏とジャガイモとタマネギで作る。ハーブや野菜のたぐいはこんどは全部混ざってペースト状になってました。仕上げにフィッシュソースを混ぜて、うむ良い匂い。
別添のスパイスで辛さ調整ですが、どばっと全部入れたらお腹がしくしくするくらい辛かったので、今度は気をつけます。全然入れなくてもおいしい気がする。

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土曜日に東大の死生学GCOEが催した「生命の資源化の現在」というシンポジウムを見てきました。
生命の資源化といっても臓器移植や脳バンクなどは登場せず、生殖補助医療(代理母出産)のお話が大半だったように思います。勉強になりましたけど。面倒なので内容はここでは割愛。
しかし生命倫理系のイベント見てると、よく会う人って出てきますね。
あと、なんか学部時代以来10数年ぶりに見かけた人とか、いました。

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日、月は久しぶりに遠くで仕事でホテルとか泊まってウキウキでした。

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最近とみに、ちゃんと勉強しときゃよかったと思う。

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暑い・寒い・蒸し蒸しなど不快な気候だと、体が危険を感じて活性化するためか元気になる私。

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『パンセ』ってツイートっぽいが、パンセっぽいツイートはウザい。

2010年05月30日

丸善

今年の初めから通勤の際の乗換駅が東京駅になっているため、よく立ち寄るようになったのが丸の内のoazoというビルです。丸善や文具、メガネ売り場、レストランなどが入っています。
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このあいだは、いつものごとく仕事に行きたくなくて正午ごろまでうろうろしていたら(!)ここに入っている某団体に仕事に来ていた同僚に捕捉されてしまい、いっしょに1Fのカフェでランチして、そのまま(ノーネクタイだったのに)全然馴染みのないかれの仕事先に一緒に顔出すなど、ナメきったことをしてしまい、多少反省し、しかし多少反省したくらいでは仕事に人生を捧げる気合いは入らず、やはり相変わらずこのあたりをぶらぶらしている5月でした(おお、晦日を控えた日記っぽい)。

大人になってひととそんな話をしたこともなく、さらに本人も忘れていたのですが、そういえば小学校低学年のころも学校行きたくない病を何年か患って、朝は始業後の時間に通学路をぶらぶら歩いたり寄り道をしたりしながら学校に滞在する時間をなるだけ少なくしようとしていた記憶があります。
低学年のころ通っていた学校までは家から2kmくらいあって、途中はりんご畑、踏切、私鉄駅、路地、田んぼ、盲学校、農協と、わりと変化に富んだ通学路だったですね。

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で、あれだ。今日は日曜だったのですが、ちょっと本とメガネを見にまたoazoに行ってしまいました。
なぜかあまり探検したことのなかった4Fを攻めることに。

今使っているメガネの、明るい色のプラスチックでできたツルが黄ばんできてしまったので、そろそろ次のを探そうと思ってます。
前々から、フレームがレンズの下についているやつだとちょっと目先が変わって面白そうだと探していたのですが、「逆ナイロール」という名前を先週まで知らなかったのでとにかくいろんなメガネ屋に足を運ぶしかなかったわけです。
うーん、ちょっと高いね、なんて思いながら、とりあえずいいと思ったやつの型番を記憶して、ネットに安いのがないかどうかあとで調べようと、丸善のメガネ売り場から立ち去る私。

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同じ4F、洋書のコーナーをちらちら見たあと、松岡正剛氏プロデュースの『松丸本舗』へ。
迷路のように置かれた本棚。棚には、立てて並んだ本の上にも本が横たえられていて、やや雑然とした感じで本が並んでいます。たとえばエロ、フェチ、男と女、そんな独特のテーマ別に、マンガから学術書までが集められ置かれています。歩き回ってみれば、まるで本の虫の頭の中をさまよっているような印象。5万冊あるそうです。面白いわ、これ。

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話変わって、昨日は鶏そぼろを作りました。
酒半カップに醤油大2、砂糖大1を混ぜて一回煮立てて、鶏ひき肉200g弱を入れてほぐし、汁が絡んで肉の色が変わったら生姜のしぼり汁を投入。あとは水気がなくなるまで心を無にしながら(しなくてもいいけど)かき混ぜつつ炒り煮にするだけです。ご飯にかけてウマウマ。

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今月、GWが終わってからはなんだか気の抜けた日記ばかりだったなー
なるべく心静かに生きるために外部からの刺激を遮断(環境をチューニングして、入ってこないようにする+意識をチューニングして、入ってきたものを処理しないようにする)していると、必要なものまで入ってこなくなったせいな気がします。
拒絶反応を抑えようと免疫抑制剤を打ったら日和見感染してしまったり、
共同体の軛から解放されたら孤独になってしまったり、
まあ大抵の処置には副作用が伴いますでな。
しかし弊管理人の圧倒的な飽きっぽさはたぶん健在なので、1-2か月ほどを経て刺激の遮断に飽きれば、また元に戻るのではないかと思っています。

2010年05月26日

雑記

ええとショパンのノクターン(Op.62-2)に手を付けてます。
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これね。1846年の曲だというから、死ぬ3年前、晩年といっても36歳。
速度はレントの指定なので、とても遅い曲ということになります。録音を聞いていると眠くなるかもしれないけれども、ライブなら大丈夫な気がする。ましてや弾いているほうはかなり気持ちいいです。
リストが交響曲をピアノに落とした人だとすれば、ショパンは歌曲をピアノで再現した人だという対比を思い出します。旋律はほんとうに心の中でいっしょに歌いながら弾きたい、平易だが美しいもの。この繊細なラインをぼんやりとした光彩に沈めるのは左手の伴奏です。
ダイナミクスやテンポ、ペダリング次第でほんとうに弾く人の個性を引き出せる奥深さがあると思います。しかしそこには同時に、収斂していくイメージのようなものもある。到達点というか、ひとの最期を暗示するというか、そんなものが。

* * *

全然話は飛びますが、7月のTOEFL、申し込んでしまいました。あーあ。
何度か目の英語ブラッシュアップですが、これまでで最も点が取れる感じがしません。

12年前(!!!)、留学のために受けたときはPaper Based Testで、どっかの大きなホールでペーパーテストを受けたものです(580点)。次受けたのは4年前、このときはComputer Based Testになっていて、読む聞く書くをPCに向かってやりました。作文を手書きしなくていいのは有り難かったが、作文の評点は全然10年で伸びていないという悲しい結果に(270点)。
今回はInternet Based Testとまた形式が変わっていて、今度は「話す」が加わってます。さらに苦手な作文がひとつのセクションを構成していて比重がかなりでかい。

話せるわけねーだろ!日本語でも言いよどむのに!
とキレても仕方がない。とにもかくにも期日が決まらないと本腰入れて勉強しないので、申し込むだけ申し込んで、対策始めてます。
どうも書く・話すともに型があって(さらにその2つはかなり共通しており)、話の展開のしかたと表現のバリエーションをいくつか貯め込んでおくという方法が有効な気がする。

それにしても高いねー、いまTOEFLは$200です。円高じゃなかったら2万超えだ。なんなんだ。ネット導入って普通はコストは下がるもんじゃないのか。

* * *

ここのところ続いている「ものを読むのに身が入らない症候群」は、買ってみたもののあまりわくわくしない本が溜まっているのと、職場が暑くて頭がぼーっとしたまま一日過ごすことが多いのと、必要があってものを読んでいることが少ないことあたりが原因なのではないかと思っています。

語学なんて所詮道具だろうよ、もっと勉強することあんだろという意見もありましょうが、お高い試験に申し込んでしまったことで、自分の中の強制勉強モードを立ち上げて事態の打開を図れればよいと思います。いまや参考書以外読む気になりませんが、毎日このままではまずいまずいと思いながら勉強する時間を作ってこせこせと読んだり書いたりしているので、だんだん頭がちゃんとしてきた感じがする。

* * *

今夏の風邪は喉に来るらしいんですけど、今月初めからなんとなく調子悪かった喉が先週から悪化。来たな、これ。咳と痰。マスク出動。
でも体調は悪くないです。たぶん仕事が忙しいから。思えば去年の夏に転勤してきてから2、3度、風邪引いたという自覚はあるんですが、風邪引いてる場合じゃない忙しさが続いているので体が頑張ってくれて、高熱→休業には至ってません。

弊管理人の体は人目を気にするヤツで、休んでも代わりがいないとか、職場で下っ端のため人にピンチヒッターを頼めないといったシチュエーションでは風邪が悪化しなかったり、トイレに行く時間もないくらい忙しい日は便意が来なかったりと自動的に体面を保ってくれるのです。いや、ありがたいんですけど、なんか痛々しいね。

2010年05月08日

東工大+コメダ

横浜市にある東工大すずかけ台キャンパスの学園祭に行ってきました。まあ個人的興味半分、仕事に繋がるといいなという期待半分。

研究室をいくつか見て回りましたが、お祭り!という雰囲気というほどでもなく(一画では模擬店など出ていましたが)、発表会を淡々とやっている感じ。ポスターを見ている人がいると学生さんたちが寄ってきて説明してくれました。それこそ生命、材料、情報といろいろ集まっているので研究内容も多彩でした。当たり前だけど、こうした細かい発見を積み重ねて科学ってできているんだね……

こちらも遠慮なく質問できる機会なので幹細胞だの水素だの暗号だの細菌だのについていろいろ聞かせていただきました。研究内容そのもののほか、研究の背景とか、この分野の情勢ってどうなっているかとか、ここのオリジナルなところはどこかとかいったことを、坊主頭にメッシュキャップ・半袖シャツ・半ズボンの変なオッサンが質問していると先方も訝しく思うらしく、どこでもこんな会話に↓

学生「どこの大学の……」
私「いや大学の者じゃないです、サラリーマンで」
学「あ、じゃあ理系の企業ですか」
私「いえ全然そんなのでは」
学「???」

混乱させて申し訳ないw

今日はとても爽やかに晴れてそよ風も吹いておりました。キャンパスを歩き回ったら喉が渇いたので、帰りしな長津田で降りてちょっと歩いたところにある「コメダ珈琲店」に。
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初コメダでした。アイスコーヒーと名物シロノワール(デニッシュの上にソフトクリームが乗っていて、メイプルシロップをかけて食べる甘ーいデザート)のちっちゃいの。
コメダが普通にある東海地方の人から見ると、千葉県における「サイゼリヤ」、札幌市における「みよしの」くらいありがたみがないのかもしれませんが、いいんです。関東には少ないから。

2010年05月03日

連休3日目(水辺)

友人が「水が見たい」などと逆狂犬病みたいなことをのたまったので、今日は東京ウォーターフロントおとなの休日、グルメと史跡の旅(プw)。

昼に築地で待ち合わせてメシを、と思ったものの、祝日にあまりお店が開いているとも思えないので、汐留に変更して、シティセンターのてっぺんから和食を食いながら東京湾を見下ろしてまずは1水辺。

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それから浜離宮へ。ちょうど14時からのガイドツアーに間に合ったので参加して、いろいろとこの公園に関するうんちくを聞きながら歩き回ります。
初めて来たけど広いね。そして、江戸時代のお庭の外に高層ビル群が建ち並んでいる風景もたいへん面白い。
座って寛げそうなところが何カ所かあったので、今度はお弁当でも持って来たいところです。秋に紅葉がきれいだろうと思われるスポットもいくつかありました。2水辺。

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ゆりかもめでお台場に移動してちょっと一杯飲んでから、日の高いうちに水上バス(東京水辺ライン)で隅田川を上り、両国へ。スカイツリーは368m。下町の風景がかわりますなあ。3水辺。

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両国の「天亀八」で特上かき揚げ丼で夕飯。
どんぶりのフタからはみ出るかき揚げがテンション上がりますね。えび、いか、貝柱。ぷりぷりでおいしいです。しっとりめですがしつこくなくて、胃にどすーんと来ないのがいい。2400円出すかといわれると微妙。1500円なら通う。でも8ヶ月くらいしたらまた来るかもしれないな。

とまあ、外国人か熟年の東京見物みたいな一日でしたとさ。

2010年05月02日

連休2日目(熱狂の日)

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ラ・フォル・ジュルネ・オ・ジャポン(熱狂の日2010)という音楽祭が東京国際フォーラムで開かれています。
1回当たり45分という短さで、しかし1500円から3000円程度の安価な値段で見られるコンサートがたくさん、それからCDやグッズの販売、マスタークラスなどのイベントをやっています。
今年のテーマは生誕200年を迎えたショパン。

ボリス・ベレゾフスキーの夜の公演のチケットをとっていたので、夕方に友人と待ち合わせてぶらぶら。
まずはピアノのマスタークラスを見に行って、それから山野楽器がやっていた楽器体験コーナーでチェロを弾かせてもらい(気分だけロストロポーヴィチ)、隣のTOKIAビルで夕飯を食らったあと会場に戻ってコンサートへ。

リストのピアノソナタは、同行した友人には「なし!」と不評でしたが、私としては「あり」。ベレゾ氏の通し練習拝見、という感じで、あまり溜めのないいそいそとした演奏でしたが、ダイナミクスには華があった。とくに少ない音で歌う旋律や音の鳴っていない空白を、高圧の空気で満たすという芸当は、ライブならではのなかなかなものだったと思います。短いコンサートなのに2回もアンコールやってくれました。

もともと音楽をやるための施設ではないので、会議室みたいなところでスタインウェイを使ったマスタークラスを聞いたり、講演会場みたいなホールでコンサートを聞いたりで変な感じ。でも人出はすごいもので、お祭りの熱気は大いに体験することができました。それにしても今GWは天気がよくて暖かいね。

2010年05月01日

連休1日目(おにぎり)

曜日配列のせいか、今年は正月にがっつり正月気分を味わった感じがしなかったのですが(ほとんど仕事だったし)、ゴールデンウィークは世間的にものすごく連休の雰囲気が盛り上がっているように思えます。なんでだろう。

晴れましたしね。お昼に炊き込みご飯をつくって、おにぎりにして九十九里浜に行ってきました。
みんなGO WEST!(古い)なせいか、西の方の高速道路は激混みだったようですが、東に向かう京葉道路と千葉東金道路はスキスキスー(古い)でした。1時間ちょっとで到着。
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風が強い。
バイクで砂に踏み込むと滑る滑る。あぶない。
九十九里の空の色はいつも、水に溶いた「そらいろ」のように淡いのはなぜでしょうか。
そしてそこから下ると、南房のつややかな緑と競い合うように濃くなっていくのも。
4年以上前まで千葉に住んでいましたが、ここそこに思い出の場所があって、いろんなことを想起させられます。というより、バイクで走っていると、記憶をたどったりいろんなことを考えたりする以外にすることがないですからね。まとまることも、拡散することもあります。

そんなわけで「連休だしお出かけしなきゃ」的な焦りは払拭されたので、あとは淡々と遊ぶってものでしょうかね。うむうむ。

2010年04月18日

1週間もろもろ

前回の日記を書いてからしばらく、きちんとまとめて書くほどでもないことがあれこれ起きたり浮かんだりしていたので、まとめて。順不同に見えますがそうでもないです(笑)

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数年前、会社をやめた同期が法曹になったと聞きました。
新人研修以来会わないままだったものの、聞き及ぶ評判と9年前の印象を総合すると、まっすぐで正義感の強い彼だったので、新しい仕事のほうが適職だったのではないかと。
自分はしかし、法曹って向かなそうだなー。自営・手に職・定年なしというのは魅力ですが、性格的にはクライアントに是々非々で臨みたくて・しかしそういうわけにもいかなくて悶えそう。

数年前、会社をやめた先輩格が仕事先に再就職していて、仕事先でばったり→名刺交換。あれあれこんなところに。

札幌で一緒に仕事をした後輩が月末で会社をやめるそうです。医学部目指すのだとか。ううむそれはいい選択だ。けど時間かかるよね……あと君、奥さんと子供いるよね……

今走っているトラックから降りるという判断は、理路整然と詰めて行う種類の判断ではないのではと推測しています。えいやっと跳ぶ、そういう瞬間をもたらすものは、ほんとうにちょっとした後押しの力なのかもしれない。

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金曜、新宿三越アルコットに入っているジュンク堂をぶらぶら歩いていました。ここは本棚が高く、平積みの台が少ないため棚と棚の谷間の通路が狭く、一列に並んでいる棚の数が多い(通路の奥が深い)ところが多い。同じ新宿の紀伊国屋や東京駅前の丸善など他の多くの大規模書店と違って、本の森を歩いているような感覚を強くします。

森を歩いているとよく出会うのは幽霊ですよね(?)
そこに並んでいるのは読めたはずの本、勉強できたはずのテーマ、練習できたはずの技術、選べたはずの進路。何年、何十年と時間を過ごすなかで無数の選択をしてきているわけですけれども、そこで選択されなかった選択肢たちが幽霊となり、ちょっとしたこと―たとえば昔、一瞬気を引かれた本を書店の本棚に見かけること―をきっかけに顕現する。

時間を過ごすことをどうイメージするか、いま二つの仕方を思い浮かべています。時間を過ごすほどに世界が広がっていくというイメージ、もうひとつは時間を過ごすほどに自分の歩く道が狭まってくるというイメージ。後者のイメージで道ばたを埋め尽くしているのが幽霊なのですね。

幽霊を恐れる=後者のイメージで時間をとらえる人がえてして採ってしまうのが、できるだけ何者にもならないという方略なのかもしれません。おそらくそれで幽霊が見えなくなってくれることはないのですが―むしろ幽霊が見えなくなるのはさっさと何かに没入して前者のイメージに移行することではないか。

何かにお金を使って、得たものを愛好するのではなく、お金の可能性=「何でも買える性」を愛好する(裏返せば、何か買う物を選択することによって「ほかに買いえたもの」=幽霊が発生することを恐れる)人がどうも安心できない感じに見えることが多いのと似た印象を受けるのですが。

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アイロンかけなきゃいけないシャツがだいぶ溜まってきた。
というか今、部屋の中の至る所に衣服が散らばっておるぞ。

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あれはちょっとまずかったな、と思う仕事がひとつあって(ま、全然問題化したりしてはいないのですが)、週後半にまたずどーんと落ちていました。土曜出勤が終わった昨日夕方から全力で遊んで対処。最近のストレスマネージメントはputting asideがメインで、非常に距離のメタファがしっくりくるようなやり方で、ストレッサーを「遠くへ追いやる」感じになってます。

その一番手っ取り早い手段がなんと酒なのです。酒に頼って何かを解決しようという考え方は採らない人間だと自分のことを考えていたのですが、そうでもないね、どうやら。あるいは、そうでもないというよりは、自分の体質がゆっくり変わってきたのかもしれない。思い起こせば2007年ごろから、それまでの自分の傾向と対策がだんだん当てはまらなくなってきたような気もします。

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昼にナポリタンを作りましたがピーマンがまだ余っていたので、夜は挽肉を買ってきてピーマンの肉詰めにしました。うまかった。けど、ハンバーグに焼いたピーマンをのっけて食べるのと変わらないなこれは。

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私の中に「私A」と「私B」というものを持っていて、Aが喋ったり動いたりしているのをしばしばBが俯瞰視点からトレースしている、そんな自己認識を持っている人というのは少なからずいるのではないかと思います。

自分もそのくちであろうと長く思っていたのですが、最近ちょっとそのモデルから外れているのではないかと気づきはじめました。

A(実行役)をBが高いところから把握・監視している、というのを自意識の「縦置きモデル」とでも名付けるとすれば、自分の場合はA(実行役)を同じ地べたでBが後ろから追いかけ・しかし追いつかない・把握できていない「横置きモデル」とでもいえるようなもののような気がします。

Aの言動の傾向・癖・原則、そういうものをわりとBがよく分かっている縦置きモデルの場合は自分の一体感というか、自分というものの構成がよく信頼できる、ソリッドなものとして立ち上がるのではないかと思います。一方で横置きモデルの場合は、Aはかなりの頻度で予想外な言動をするのでBは常にAに関する理論の再編成をしなければならない。縦置きモデルにおけるBを透明性の比較的高い組織のマネージャーに喩えるなら、横置きモデルでのBは天変地異に対処する預言者のようなものでしょうか。

とても個人的な感覚なので他の人の理解が得られるかわかりませんが、本サイトに書かれているのはAの言動、その書き手はB、そんなイメージです。

しかし、AとBが分裂していることが分かるということはその二者を見渡すところにCが立っているわけですかな。と嫌な予感がしたところで、続く。

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土曜夜から酒におぼれて朝帰り、昼に起きて上記ナポリタンを食べてから、ふと思い立って国立西洋美術館に行ってきました。
かなりしばらくぶりです。下手したら仕事始めてから行ってないんじゃないか?

(1)今見ると絵画って歴史と宗教と哲学の織物であり、音楽や政治とも密接にくっついて時代という構造物を構成しているのですね。一枚の絵の中にものすごい情報が詰まっていてとても面白かったです。

(2)ちょうどボランティアの方が美術館ツアーをやっている時間帯で、それにくっついて説明を興味深く聞きながら館内を回っていました。さらにiPhoneやiPod touchのアプリで館内をガイドしてくれるシステムが始まっているようで、何人かが利用していました。欲しくなってきたぞ、iPod touch(32GBのやつ)。

(3)常設展420円て、安くね?

(4)えっ、常設展て写真撮っていいの?(と思ってカメラ取り出したらメモリーカード入れ忘れてますた)

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入浴剤、白元の「バスキング」と花王の「バブ」を試しましたが、バスキングは防虫剤メーカー謹製だけあってなんか殺傷力高い感じの香りがします(笑)。今夜はバブでハーブ風呂だな。るんるん

2010年04月03日

取り急ぎ春を探しに

ふつう、というほど多数ではないが看過できない程度の数の人が、人生というものを、関門を次々とクリアするゲームのように生きて〈しまう〉種類の人なのではないかと思っています。

やりたいことがあるから試験をパスするのではなく、そこに試験があるからパスする。特定の人と継続的に一緒にいたいから交際をするのではなく、交際という関門をクリアするために誰かを好きになってみる。内発的な動機のように見えるのは、「これをしたい」ではなく「これをしたほうがいい」というドライブであり、その基準は外から(あるいは、自分の中に形成された他人から)与えられているのにすぎない。

からからに渇いた根っこではとても支えきれないがらんどうの自尊心を、関門クリアゲームの支柱でどうにか倒れないようにしている。だから常に無軌道に自分のポテンシャルを確かめようといろいろなことに手を出してみる。ただしその営みは同時に、ふっと姿を見せては消える不安の淵源でもある。そんなことは分かっている、知っている、しかし、やめられない。檻のない牢獄。

解放されるためにはどうするべきか?檻のない牢獄を脱して、檻に入ればいいわけだ。目的も手段も外から与えられる、しっかりと評価方法が作り込まれた制度の中へ。その窮屈さにぶつぶつ文句を言うことだって、檻が可能にしてくれるささいな贅沢だろう――檻のない牢獄の不安に比べたら。

閑話休題(笑)、

ちょっくら桜を見に、激混みの隅田公園にいってきました。
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春のうららの隅田川、と、その向こうで着々と建設が進むスカイツリーを見る人たち。数日前に「日本一高い建造物」になりましたね。3月29日現在で338mだって。
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まだこの倍まで伸びるのかー
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新東京タワーと、ソメイヨシノ。
2関門いっぺんにクリアです(←だめなひと)

2010年03月28日

さくら(2)

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夜中の海中で光を差し向けると、プランクトンだのゴミだのが顕在化して、さくらの花びらのように見えるものです。

いや逆。靖國の夜桜はまるでマリンスノー。
今季一発目のお花見は体の芯から冷えるような寒さの中でした。

2010年03月23日

さくら

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東京ではきのう、さくらの開花宣言が出されました。
けさの外務省の桜です。先週から既にぽつぽつとつぼみがほころんでいたのですが、連休が明けて重い体(太ったのではない)をひきずりながら霞ケ関を歩いていたら満開状態になっていました。

どこぞのラジオで「もう咲いてるさくらもまだまだのもあるのに、お役所に花のことを決められたくない」とかおっしゃっていましたが、気象庁は気候の把握手段の一つとして生物観測を利用しているので毎年同じ標準木で観測を行っているのであって(いたずらされると困るので、どの木かは公表されていません)、てまえさまのお花見スケジュールを調節することを第一義としているのではないのですね。
いや、それにしてもradikoはすばらしい(余談)。

それにしても、さくらを撮るのは難しいです。

2010年03月21日

風の強い春分の日

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最近、毎週末は疲労困憊で迎えることが多いのですが、この金曜は特にへっとへとのどろっどろ。土曜はデトックス(早寝早起き、朝湯、自炊)でなんとか回復し、ごうごう鳴る風の音を聞きながら就寝しました。

明けて今日も特にどこに行くということもなくダラダラしていました。風も強いし、なんだか黄砂もきていたようで窓の外も靄がかかったようでしたが、午後になって晴れ空も気持ちよさげだったので、ちょっと海と飛行機を見に湾岸地域をバイクで走ってきました。

最高気温20度とかになった昨日今日ですが、日が落ちると寒いですね。
さて明日はどうしよう。

2010年03月13日

景色をチューニングする

一度かなり早い時期に登録したまま放置→アカウント削除したついったをふたたび始めてちょっと経ちます。

どこで聞いたか覚えていませんが、とりあえず100人フォローすると面白くなるというので、有名人とか、よく読む本の著者をフォローし、さらにその人たちがフォローしている人たちの中から面白そうな人たちをフォローして、50人くらいまでいったところでタイムラインがわりといつもゆっくり流れるくらいのスピードになったので、しばらく観察していました。

興味に近いところから芋づる式にフォローを拡げていったので、いきおい流れるつぶやきはその関係のイベントや外部ブログの書き込みへのリンクなどが多くなってきて、とても便利です。といってもお知らせばかりではなく、雑多な思いや衣食住の話、ネタ的ないろいろ、さらにちょっと興味関心外だった意外に面白い話なんかも入ってくるので、あまりがちっと情報の傾向が決まらないところもよい点だと思います。

反面、負の感情から書き込まれるつぶやきも多くて、他人事でもけっこう気分が沈むためフォローを外した人もいます。特に(もちろんフォローしている人たちの中でですが)わりと弊管理人の環境はtwitterで叩かれやすいところにあるので、自分の周辺にそれが及んでくるとさらに重い気分になります。
当初は見たくないものを全く見ないというのもなあ、というのと、叩いている人もときどき有益なことをつぶやいてくれるのでそのままにしていたのですが、毒の蓄積もあってかだんだん沈みっぱなしになってきたので、思い切って10人ほどフォローを外しました。

自分の場合は、つぶやきはここでやっていれば十分で、twitterではもっぱら他の人のつぶやきを見ているせいかもしれませんが、twitterは自分の好みの方向に穿たれた窓みたいなもののように感じています。外界の一部を切り取って、見たいものだけ見られるようにしてくれるという。
そして、これは自分の性格によるのかもしれませんが、だんだん窓から見えていない別方向の景色に考えが向かなくなって、窓の外に見える暴動やお祭りに異常な重みを感じてくる。ここでもよく書いているように、そういう視野狭窄は弊管理人の場合、精神衛生上とても悪い。(他の人のつぶやきのなかにも、自分のタイムラインの中で流行っていることが世の中で広く流行っていると思い込んでいる様子や、twitterをやってないとはけしからん的な考え方、ちょっとした言葉の行き違いに起因するうかつな激情の表出なんかも見られるので、弊管理人の感じ方はそう特殊でもないかなとも思うのですが)

そこでフォロー数とか相手の調整をしてみました。つまり、「見たいものが見られる度」を少し下げて、「見たくないものを見なくていい度」を少し上げる。また、「見たいとは思っていなかったが見ればおもしろいものが飛び込んでくる度」はできるだけ残しておく。そんな感じで、いくつかの変数をたてて景色をチューニングする。これでまたもう少し様子を見てみようと思います。

2010年03月06日

日本的未成熟をめぐって

(2010.3.7ちょこちょこ修正)

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冷たい雨の土曜日、大岡山の東工大で開かれた国際シンポジウム「クール・ジャパノロジーの可能性」の2日目、「日本的未成熟をめぐって」を見てきました。
なんか文系のシンポは久しぶり。観客は思想に興味のある学生さんが多い感じ。黒縁セルフレームのメガネかけてニヤニヤしながら喉を使ったけっこう通る声で早口で小難しい言葉を使ってダベってる人がけっこういました(笑)

あ、さて、企画の意図は、会場で配られたパンフレットから引用させていただきます。

美術作家の村上隆、映画監督の黒沢清両氏を招き、日米の研究者が対話するシンポジウムです。 マンガ、アニメ、ゲーム、アイドルなど、現代日本文化の中心には「未成熟」、あるいは成熟拒否(去勢不安)のモチーフがしばしば現れます。現実の描写から乖離したファンタジー、「かわいい」女性キャラクター、怪獣やロボットなどのだつ人間的な立体造形、幼児的な暴力表現……。それらはしばしば国内では「子どもっぽい」ものとして忌避されてきましたが、他方でその特徴こそがいま世界的に欲望されています。このシンポジウムでは、そのような「日本的未成熟」のもつ文化的、社会的な意味を、グローバルな受容状況を鏡として考えたいと思います。

司会は東浩紀さん、登壇者は上記2者のほか宮台真司さん、ボストン大助教授のキース・ヴィンセントさん。

ヴィンセントさんは、日本の未成熟の原点を原爆と占領(「精神年齢は12歳」!)に設定してみせました。大江健三郎、江藤淳などその未成熟を批判的にとらえた戦後の作家に対して、村上、黒沢はそうした「未成熟・対・成熟」という二項対立に窮屈さを見出し、風刺などの別戦略で乗り越えているのではないかと分析しました。

続く村上さんはあるロリコンのアーティストをアート業界に認めさせ、経済的成功を得させる過程を紹介。それは、西洋のアート業界にまず受け入れられやすい方法で侵入してから、本当に描きたいもの=ロリコンを飛散させる方法といえそう。「クール・ジャパン(村上さんはそんな言い方やめろと言ってましたが)の可能性」実践編ともいえるお話でした。芸術(霊感)と経済(戦術)を両にらみすることの意義。

黒沢さんは、自身の作品のアクションやホラーのシーンが、意図する効果が海外の批評家たちに対してもたらせなかったと振り返りました。アニメや文学のように一つ一つのシーンや言葉に全て意図を込めて相手にメッセージを送り届けようとするのではなく、ある程度のところで観る側にもメッセージ伝達の作業を共有してもらおうという姿勢が「未成熟」といえるのではないかと指摘。

宮台さんは、「かわいい」が60年代以降の日本で果たした機能の変遷を解説。ビートたけしも「かわいい」、街のおっさんも「かわいい」と、自分の周りのさまざまな毒性を解除していき、それによって不安な「わたし」が社会に漕ぎ出していくことを可能にする機能は、ひょっとしたら今まさに複雑化、不透明化する社会を迎えた国で「かわいい」が受け入れられるカギになるのではというお話。

4者4様に「未成熟」と向かい合っていたという印象で、これに横串を刺す力は私にはありませんが、各人の発表のあとにあった討論もかなりいろいろな論点を含んでいて考えさせられました。

司会の東さんのつぶやきによると、書籍化したい(ほど本人的にもよかった)そうなので、本になったら手にとってみられるといいと思います。このエントリーの拙い要約を読むよりやはり通しで見たほうがいいと思います。村上さんが「かわいいとは死である」というかなり緊迫したテーゼを次回作に盛り込むという話とか、黒沢さんのアバター一刀両断(笑)とか、要約に盛り込むとちょっと枝が広がりすぎるので外した興味深い話なんかもありましたので。
終了時の会場の拍手はかなり熱気のこもったものだったように思います。

以下もちっと詳しい備忘録。↓こっち読むともうちょっと伝わるかも。
長いので折りたたんでおきます。

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2010年02月28日

工人舎 PM

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原則、何かを買うときは「欲しいと思って10日待ってまだ欲しかったら真剣に検討する」ことにしているのですが、今回はもっと長いスパンで軽いパソコンを探していたので、安いものが見つかったところで買ってしまいました。

工人舎という会社の出しているPMというちっちゃいPCです。写真手前のやつです。奥にあるのは15.4インチのノートPC、左にあるのは携帯です。これでWindows XPが動いています。重さは340gほど(携帯電話3つ分弱)。

仕事で持ち歩いているのはLet'sNOTEの1kgくらいのものなのですが、書類とかカメラ、本などと一緒に持つとやっぱり鞄はけっこう重くなります。今回、「持ち歩く気になる」軽めのガジェットを求めながら、いくつかの選択肢を検討しました。

まずKING JIMの「ポメラ」DM20です。

純粋にメモをとることに特化した機械です。amazonで23000円ほど。
キーボードは申し分なく、話す早さでタイプすることが可能です。単4乾電池2本で20時間駆動、ボタンを押すとすぐに起動するところがかなり魅力的です。しかし、通信機能がまったくついていないので、出先から打ち込んだ文章をどこかに送る必要ができた時はほぼアウトです。(文章をQRコードに変換して携帯で読み込めるようにする機能がありますが、自分の場合、扱う文章がけっこう長いのでちょっと実用にはならなそう)

そこで、SONYのVAIO type Pはどうか。

ポメラ級の大きさの打ちやすいキーボードがついたちっちゃPC。オークションではそこそこと思われる程度の中古が45000円程度、新品で求めようとすると6-7万くらいからでしょうか。
これも打ち込みやすさではピカイチ。WindowsPCなので通信、ソフトウェア上の制限を考える必要がありません。ただし、バッテリーはおそらく満充電からの持ちが標準バッテリーで3時間くらいと少々短め(大容量バッテリーだと重くなって意味がない)、あと軽いには違いないですが、重さが600グラムを超えてくる点が気になります。

一応検討したのがSHARPのNetwalkerです。

電子辞書サイズのPDAです。amazonで34000円前後、軽いのと安価なのが魅力です。しかしながらここまで小さくなるとキーボードはかなり打ちにくい。また、OSがWindowsではないので、使える通信機材やソフトウェアが限られるというのもちょっと気になる。普段は有線・無線LAN、年に何回か周囲にネット環境がない辺鄙なところからFOMAの携帯をUSBケーブルで繋いでちょっとだけ通信する必要がある、というちょっと特殊な使い方をするのでそれには応えられなさそう。

といった具合にそれぞれ長所・短所があって悩んでいましたが、入力のしやすさと使い慣れたWindows機であることからVAIOにかなり傾いていたところで、たまたま見た工人舎のページにアウトレットで安いのが出ていたので、結局PMを買ってしまいました。
想像以上に筐体も画面も小さいです。さらにキーも豆粒サイズです。ただこれは慣れの問題のような気もする。画面はアイコンや文字を大きく設定し、キーは人差し指・中指・薬指を使った変則タッチタイプでなんとか乗り切りたいと思います。バッテリーは7時間持つというので、まあ8がけで5時間ちょっととみても持ち歩くには十分です。非力さは否めませんが、動画を見たりゲームをしたりといったヘビーな使い方はあまりするつもりはない(たぶんポメラにメーラーがついていたら100%買っていたくらい)ので問題ありません。

これで職場、家に加えて持ち歩き用、という3つのPCを使うことになりましたが、Google Docsやカレンダーを使ってデータはできるだけどこからでも取り出せるようにしながら活用と棲み分けをしていきたいと思います。

2010年02月14日

友愛シンポ

ひょんなことから、っていうか以前本の感想を書いたエントリに著者からコメントがついたのが縁で、著者ご出演のシンポジウムを見に行ってきました。

鳩山首相が「いのちを、守りたい」と裏声も使って絶叫した施政方針演説を支える「友愛」と「新しい公共」をめぐって、政府や学界などからスピーカーが集まってああだこうだいう集まりです。
動画配信するそうで、そのうちここにでもアップされるのではないかと思うので、とりあえず管理人の印象から構成できる範囲で超簡単にメモっときます。

・失業した人、在留外国人、福祉を受けている人、薬物中毒者など、社会的に孤立しがちな人たちを排除や隔離するのではなく、さまざまな仕方で社会の中に戻ってもらう/踏みとどまってもらうこと(鳩山演説では「居場所と出番のある、新しい共同体のあり方」)、つまりよく公共政策論などで出てくる「社会的包摂social inclusion」が「友愛」の顕現するところであり、
・政や官は仕事の一部を、教育・就労支援などさまざまな分野で社会的包摂に向けて主体的に活動する民間の結社(典型的にはNGO/NPOか)を援助する/邪魔しないことに振り向けていくことが「新しい公共」の一つのプロセスだといえる。
・そしてこうした考え方は国の外にも適用できるもので、それは貧困や迫害など困難な状況にある人たちへの援助や環境保護など、国境を越えた活動に取り組む非政府組織や国際機関に対して、国の仕事や資源の一部を割譲していくということなんじゃないかと受け取りました。

で、個人的には「友愛」じゃなくて正面きって「社会的包摂」と言ったほうが、
・語感的に少しは気持ち悪くない
・英国などでのsocial inclusionの試行例から、実施方法と顛末と注意点を学び取りやすい
・単に「誰にでも優しくしよう」みたいな情緒的・道徳的な話ではなくて、社会の安定化のための手段なんだという実利的な(より広く受け入れられそうな)訴えがしやすい
点でいいんじゃないかと思いました。

実際のところ、受け入れがたい他者(場合によっては包摂を拒絶する遠い遠い他者さえ)をも包摂しようとするのはかなりパワーがいることだと思います。また、民間に「官に頼らず自分たちでできることをやってもらう」ことを政策的にどう誘導していくのかも容易にイメージしにくい課題だと思います。

久しぶりに制度設計者視点の議論をたくさん聴いたので疲れました。
貧困、ジェノサイド、そして弱者の視点を、みたいな話を聞くだけ聞いて会場の東大医科研を抜け出すと、そこは白金台。スポカジ姿で犬の散歩をするおじさん、ランチ3600円の張り紙、山の手の住宅街の平穏な夕暮れに軽い眩暈を感じながら、とぼとぼと目黒駅に向かいましたとさ。

2010年02月07日

六本木彷徨

ドラゴンクエストとのおつきあいはMSXというパソコンでやった「1」から始まり、小4のとき(1987)に初めてうちに来た(同級生の中ではかなり遅いほうだったと記憶してます)ファミコンで「2」から「4」、スーパーファミコンで「5」「6」(1995.12発売だが、受験生だったのでたぶん大学に行ってからやったはず)くらいまでやって、あとは就職直前?くらいに実家に戻っていたとき妹のプレステで「7」をやったきりです。あれから10年経ちますが、このかん新しく出たのは「8」「9」だけなんですね。知らなかった。

「ルイーダの酒場」というのがあります。これは一緒に冒険をするメンバーを選べるシステムが導入された「3」に登場した施設で、ここに寄っていろんな職業の男女をハントしたりお払い箱にしたりするわけです。

で、メーカーのスクウェア・エニックスがカラオケ屋のパセラとコラボして、リアル「ルイーダの酒場」を六本木に作ったというので「9」をやっている友人に誘われていってきました。
寒い日曜午前10時に列に並んで(社会現象になった「3」のときでさえ列には並ばなかったような……)整理券ゲット、75分入れ替え制で、15:30からの入場を許されました。ううむ、ここまでして……

5時間も時間を潰すことになったので、六本木ヒルズを歩き回り、HARBSでBLTサンドのランチ(お茶とケーキついて1300円。ボリュームもなかなかありうまかった)。さらに国立新美術館に行って文化庁メディア芸術祭をざっと見てようやく時間に。

寒い風がぴーぷー吹く外に並んだ人たちが入っていきます。
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中はこんな。まあカラオケ屋さんで出てくるような質の飲み物と食べ物。名前は登場キャラクターとか呪文の名前とかにひっかけてつけてありますが。
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私が唯一ウケたスライム蒸し。
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ニンテンドーDSで出ている「9」は無線通信を使って近くにいるプレイヤーとやりとりができるそうで、皆さんいろいろ食べながらDSをずっと操作してます。ここでしか手に入らないアイテムとかもあるようでしたが、そもそもDSを持っていない私は手持ちぶさたそのものでした。当然だ。DS買うか?つうか面白いのか?

2010年01月24日

命の認識

東京大学総合研究博物館でやっている「命の認識」という展示を見に行ってきました。
12月から始まってはいたのですが、今日は監修している遠藤先生による「遺体解剖見学会」というイベントがあるので、それに合わせて。

博物館の奥まった部屋におびただしい数の動物の骨が並べて置いてあります。
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それだけです。説明書きは何もありません(というのは建前で、何の骨かを書いたシートがひっそり一角に置かれた机の上にあります)。
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つまり、それを見て何を感じるか/考えるかは見る者に対してオープンになっている。
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しかし当たり前のことですが、企画が見る者に対して孤独な認識の作業を課すというのは非常に難しいことです。現に「命の認識」ホームページでは見る者に下駄を預けるための口上としては饒舌すぎるくらい監修者の意図が説明されていますし、たとえそれを読まずにたまたま訪れた人がこれを見たとしても、それを見て何かを感じるときにはやはりなにがしかの先行する人々の言葉に温かく助けられながら感じるしかない。
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とはいえ、それはまあ言いがかりなのかもしれません。監修者としてもそこまで「純粋に見る」ということにアプローチしようとは思っていないでしょう、このしつらえからして。自分は先日、仕事でいろいろお話をうかがった「内臓の重さを支えるものとしての4足歩行動物の肋骨」とか「草をすりつぶす歯とあごの構造」とか「脳の入っている穴」などいろんなものを思い出しながら「これかー」と楽しく拝見しました。そう、むしろ認識をする個人・個性というのは、こういう先行者の言葉の組み合わせのユニークさのことなんでしょう。
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それよりも、14時から(のはずが、ものすごく人が集まったのでちょっと早めに)始まった遺体解剖見学会。展示室では鶏の手羽先(スーパーのパックから取り出してやってましたw)、講義室では去年死んだハシビロコウと11年前に死んだコアラ(こちらは動物園提供のためとかで撮影禁止だった)の遺体を前に、体の構造や機能についてレクチャーがありました(展示とはうってかわって豊かな言葉で満たされていたが、普通に面白かった)。講義室に立ちこめる遺体の匂いは、ノンバーバルな情報としては最も鮮やかに脳に”来る”感じがしますね。死というネガからの反照として得られる、命の認識。

2010年01月15日

7年目の夜更けに

このあいだの雨が降って寒い日、久しぶりにメシを食う約束をしていた年下の友人から、待ち合わせの1時間くらい前になって電話がきました。「雨だし寒いし、気が進まないんじゃないですか?」なんて切り出すものだから、いくら鈍い自分でもピンと来て「それは君がそうなんだろ」と聞き返すと、最初は「そんなことないですよ」などと言っていたものの、最後には観念して「そうでした」という。
それをきっかけに、これまた久しぶりにカッときて「自分がしたい土壇場キャンセルの責任を、姑息な言い回しでこっちに押しつけようとするな」と自分にしては激しい口調で説教を垂れ、相手はいちおう反省の様子になり、電話を切り、またしばらく彼とは没交渉としようなんて思っていました。

しかしそのしばらくが過ぎればまた何気なく電話がきて、メシでも食いますかなんて話をする気がします。許すのも許されるのも、許したり許されたり今はしていなくてもその可能性はあるというのも、すべて生きているから、続きがあるからです。

このところ、ある人が死ぬということは、その人にしてしまった嫌なことが清算されたということなのか、永遠に清算できなくなったということなのか問うことがありました。対極的な二つの可能性ですが、どちらをとっても成り立つように思えて、しかし本当はどちらが正しいのかしばらく考えてみたい気になっています。

7年前のこの時期、母親の遺体が火葬されるのを待つ間、父親と妹と、母親の姉と妹(つまり自分のおばさん2人)で焼き場の横にある畳敷きの待合室でとりとめもない話をしていました。
前の年の7月に癌の再発が見つかって、11月から容態が明らかに悪くなってから、7年前の今日に最期の日を迎えるまで、ほとんど在宅で面倒を見てきた父が明かすには、母が自力で起き上がれなくなってしばらくしたある日、おむつを嫌がった母が布団にもらしてしまい、「そらみろ」と厳しく叱ったところ、声を上げる体力のない母は顔をしかめ、手を合わせて拝むように謝ったそうです。
「病人を叱るもんじゃないなあ」と言い終わらないうちに、父がはじめて堰を切ったように泣きました。

そのとき、母が死んだということは父にとってその申し訳ない感じが清算されたのではなく、逆に永遠の後悔として固定するように現象したのではないかと思っています。しかしそうした死と清算の関係は、時間が経つにつれ変化するのかもしれません。何年か経つうちに、がらりと切り替わることはないにしても、あれは清算だったの「かもしれない」と思う瞬間が訪れるような気もします。

ここまで、ずるいことに父の体験を引いてつらつら書いてきましたが、自分こそ実はひとつやらかしています。それは今年の段階ではまだ書く気になれません。ちなみに最近死と清算の関係を問い始めたというのは、自分にとっては最近、あれが清算だったのかもしれないと思う瞬間が訪れたからです。
しかしまだその程度だともいえ、したがっていまだに近親者の死を経ても自分が生きつづけていることを称揚するような境地には達していない。この自分が経験している長いプロセスは、ずっと観察し続ける気になる非常に興味深いものではありますけれども、それは別の話、ですよね。

2010年01月07日

冬休みまとめ

12月30日、高速バスで新宿→飯田(中央道ガラガラ)、父宅泊
12月31日、父実家に寄って本家に移動(※婿養子につき)、泊
1月1日、高速バスで駒ケ根→新宿(中央道混んでなかった。2日はひどかったらしい)

坂を転がり落ちるようにばらばらにそれぞれ大変だった家族の10年が、なんとなく一区切りつきつつあるような感じがしました。といっても反転上昇することはもうなく、ちょっとした踊り場みたいなところでひと息つくのが許されたような感じですけど。

という謎めいた記述は自分メモなのでよいとして。

29―3日の年末年始休みのうち、29、30、31、2、3と在宅で仕事するハメになりましたw
小型ノートPCとVPNって超余計超便利!
お年玉(=呼び出し手当)計6000円ゲットです。

特に3日は、
・ちょっとお酒を飲みに出て深夜帰宅したところ家の鍵を紛失
・飲んでた店は電話しても出ず
・マンション入り口に掲示してある管理会社の携帯電話に電話するとなんか全然関係ない人が出て「番号間違えてませんか」w
・手掛かりを求め管理会社に出向いてみると「新年は7日から営業します」ww
・とりあえず4日未明、地元カプセルホテルに避難、軽い無宿者状態
・4日は仕事のアポイントを入れてあったので内心かなり焦る
・朝がた、メールしてあったお店の人から「落ちてたよ」と返信
・現地に出向き、受け渡し
・おかげさまで午前9時半には自宅侵入(?)に成功
・即、出勤w
で久しぶりに眠気でクラクラしながら夜まで仕事しました。

曜日配列の関係で世間的にも短い冬休みになったようですが、私も個人的にのんびり正月休みをとった感じがしませんでした。

2009年12月28日

S君が死んだ

なにか感傷的になって文章を書くとき、どっかの詩を引き写して、短い言葉で改行を繰り返して行数を稼ぐ、つまり他人の言葉で空白を埋めるのは、なんとなく安直で美しくない行いだと思います。

まあそれはそれとして。
札幌にいたときに新人で入ってきた後輩のS君が休暇中の今日、交通事故で死にました。自分がハンドルを握って高速道路を走っていて、同乗していたお兄さんともども亡くなってしまった。

いま振り返って彼を形容するのはまことに難しい。志は高いが、孤高というよりは少し辷っている。不器用ではあるが、愚直というよりはもうちょっと浅はかな感じもある。言動がけっこうカッコつけているけれど、そこには不思議ちゃん的な匂いがある。
自分が当時の担当の頭をやっていて、そこに一番下の担当者としてついた彼だけれども、なんというか、あまり魂のレベルで交流をした印象もない、むしろちょっと自分とは世界が違うような気がしていた。追悼の言葉をと問われれば、さらりと「あのさー、それって違くない?」と言うしかない。

自分の中をよく覗いてみて掴みだして来られる言葉はそんなものなのだけれど、それとは別の、身体のレベルで、今日は朝、それこそ彼が700km彼方で死んでから2時間経たないうちに報せを聞いてから一日、あえて数字にするなら普段より10%くらい、高揚していた。
その原因はおそらく、自分より4つ若い28歳でも世界から消滅することがあるということが一つ。また、生きているということは代謝することだと考えている(余談だが、だから現時点で脳死は死だと考えない)ので、その象徴的な場面である「食事」をしている最中ずっと自分が生きているということが強く迫ってきたということが一つ。さらに、これも普段から考えていることだが、家族を持つということはリスクだということ(今回は同乗者として、特に遺族として)の一面が垣間見えたということ。このあたりかなと思いたいが、ひょっとしたら、ここで冷静でいることはとりあえず人としてよくない、という打算だったかもしれない。

結局彼は自分にとってはあまり心理的には近くない存在で、しかし距離的には近くにいたことのあるよく見知った存在だったので、その訃報に接して、「彼が」もはや不在であることから流れ出てくる冷たく湿った悲しみに浸されるというよりは、「不在」ということのほうから発射された一発の乾いた熱風を浴びたような圧倒のされかたをしたのかもしれない。

だいぶ定時から遅刻して席に着いて、この週末に目鼻がついた仕事を片付けて同僚と昼食を摂って、信濃町まで行って喫茶店の外のデッキでアイスコーヒーを飲んで、約束の時間に仕事をして、また職場に戻って仕事を片付け、ノートPCを持って退社してちょっと飲みに行って談笑して帰ってくる。そんな仕事納めの一日でした。

2009年11月15日

ぶらいだる☆bridal

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(↑これくらいのサイズにすれば顔はわかるまい。許せ)

ほんとうに、ほんとうにうっかり「行く」と言ってしまったため、今年も披露宴に出席してしまいました。こんどは後輩です。
札幌に赴任したときに新人として入ってきた子で、当初はなんか押しが弱くて思考もネガティヴ(酒乱なところ以外はわりと私に近い)な感じで大丈夫かねと思っていたのですが、2年目から安定感が出てきて早くもことし4年目。

奇しくもお互い今年首都圏に転勤したためか宴に呼ばれて行ってみると、同じテーブルは部長だの次長だのばかりで「息子が浪人したら学資保険が1年でなくなった」「悪いグループとつきあい始めてどうしよう」「娘が学校やめちゃってさあ」などと言い合い、あげく私に「次は君の披露宴だな」とか申し向けるので「このテーブルにいると家族を持つことに希望が持てなくなりますね」とにっこり微笑んで言ってやりました。

毎度思うけれど、友人知人から泣きながら「辛いことも乗り越えて幸せな家庭を」と挨拶されたり、生い立ちから今までをまとめたビデオを上映されたり、テーブルごとにキャンドルに火をつけて回ったり、ご両親に「今までありがとう」と手紙を読まされたり、集まった人たちの前で永遠の愛を誓わされたりと、ほんとうにこのなんというか、イベントの二度とやりたくない性を最高潮に高めることでパフォーマティヴに関係性の永続を実現してしまうのだね。無理だわー。最近思うが、特に私は意外と自分の言動で自分を縛るタイプだから、離婚とかするときは結婚の日の誓約を思い出して苛まれる気がする。

帰る頃には右の眼球が痛みだしました。ストレスか。地元商店街の王将でギョウザとチャーハン食って自分を取り戻した気になりました。銀座ブロッサムの飯はけっこううまかったけどね。

2009年10月12日

30代おひとりさま

091012heya.jpg「酒で1週間をリセットできるかプロジェクト」を2週間にわたって展開してみましたが、どうやら(1)ヴォートカをしこたま飲むとリセットできる(2)でも飲み明かしてはだめ[=どんなに楽しくても終電で帰れ]ということのようです(挨拶)。

で、昨日は(2)を破戒して始発を千葉県内まで乗り過ごしたりしながら這々の体で帰り着いて気絶、昼頃起きて洗濯、掃除、自炊昼飯(鮭の西京漬けうますぎ)、そして15時過ぎに干した布団を取り込んだらそのまま午睡に誘われてしまい、18時に郵便屋さんが来て起こされました。

西友に米と麦を買いに行ったついでにロースカツを一枚求め、卵とじにして半分だけご飯にのっけて食べて久しぶりに浴槽にお湯を張って入浴してさて寝るべ、と思ったら意外に頭が冴えてしまい、なんとなくのそのそスピーカーと棚の位置を変えたりしておりました。結局1時過ぎには寝たけど。

わたくし写真のような部屋に住んでおりまして。
写っているカーペットの大きさが6畳です。
机に着いてPCいじっていると窓の外の眺望(この部屋はそこそこ高いところにある)が視界のほとんどを占めて生活感がけっこう消える。テレビの両脇に置いてあったスピーカーの一個を机の端に持ってきたため、部屋のどこにいてもわりと音がよく感じられるようになりました。
布団に入っていてもテレビも見られるし音楽も聴けるとあって、なんだかまたこれで外に出掛ける必要のない居心地のいいお部屋になってしまいました。

机に向かって右側はベランダ、左は台所のほか、ダイニングテーブルが置ける2畳くらいのスペースがあり、そっちにもベランダがありますが利用してません。
30代男子おひとりさま、持ち物は昔から少ないほうだと思うのですがいかが。
そういやこの歳になるとあまり人様のお部屋拝見することないな。

2009年10月03日

明るくグレている

昨日、ここ数日ものすごいエネルギーと時間をかけてやった仕事が派手にコケて社内的に袋叩きだったので、今日は予定の仕事に行くのをやめてゆっくり休むことにしました。

といっても仕事相手の社外の人には迷惑をかけていない(こういうことが起こるのが不思議な職種だ)のと、社内でこれに関わった人は責任回避をするといった教訓を多く得られたのと、仕事のプロセスにはほとんど「もうちょっと頑張っておけば……」的なところを残していなかったことでむしろすがすがしく、「はいはい全部私が悪いです」と引き受けて後処理して、脳内の「忘却箱」に放り込んで昨日中に完全終了です。

ちなみにこれだけ叩かれている案件で、さらにその関連で「来週ちょっと続きやらない?」みたいな空気読まない仕事依頼をしてきた大先輩を「やりません!」と撥ねつけたのもまたすがすがし。

8月の異動以来、土日もわりと仕事に振り向けていろんなことに手を出してきましたが、ここでちょっと肩の力が抜けた感じ。まあタイミング的にもこんなことがあってもいいかもね。9時間寝て何かを取り戻した。食料買ってこよう~

---以下2時間後の追記

という文章を書いてから出掛けて、近所の王将で餃子食いながら思ったんですけど、↑こういうふうにストレスフルなことを文章化する=外部化する=ストレスフルな自分から一歩引く、ということ、これ自体がストレスマネージメントですよね。上の文章からはすごいストレスを感じます(笑)

おそらく極度にストレスに弱いのにストレスを受けている自分自身を、まるで脱皮するように脱ぎ捨てて観察する位置に立つことでストレスをかわす。虐待を受けている子供に起こる人格の分裂(お父さんにぶたれている自分は自分ではない)というか、まあそんなに深刻じゃないけど、そんなもののようです。「(自覚された)離人症的ストレスマネージメント」とでもいうべきか。

そしてこういう逃避(否・解決)機構は、暴飲暴食にも自殺にも繋がらない、もっともマイルドなストレスマネージメントなのかもしれません。いったいどういう条件をもっている人に、こういう機構が具わるんだろう?

2009年09月20日

秋の帰省(2)

090920fudo.jpg帰省中、1日は父親が日中仕事だったので、うちの車を借りてちょっと温泉に行ってきました。
阿智村の不動温泉というところです。
日帰り入浴800円。窓からの緑が美しい内風呂と、建物の外を流れる沢や、その向こうの国道を行き交う車なんかを見ながら入れる露天風呂がいい感じでした(国道は遠いので人の視線を気にする必要はないです)。

露天風呂は大きくはありませんが、湯量が豊富でぬるめなので、沢を下る水や鳥のさえずる音を聴きながらずっと入っていられます。

連休のわりには人が少なく、穴場なのかもしれません。

阿智というと昼神温泉郷が有名ですが、ここもなかなかでした。
建物も落ち着いていて緑が豊富なので、一度泊まってみたいかも、と思いました。

2009年09月19日

秋の帰省(1)

そこの卒業生ではないばかりか縁もゆかりもない、神戸にある某超進学校の先生から、何ステップかのつてを経て、うちの父親に子どもの教育に関するアンケートが来て、弊管理人のことをいろいろ聞かれていました。

さすが超進学校だけあって「ご両親の職業は?」の数少ない選択肢に「地方公務員」「国家公務員」「会社員」などに混じって「医師」「大学教員」が入っていたり、「年収」の一番上の選択肢が「2000万以上」だったり、「ご両親の最終学歴は?」の質問では選択肢が「大学院」「東大」「医学部」「国公立大」「私立大」などと分かれているもののそもそも「高校」がない(うちは父母とも高卒なので「その他」になった)とか、「英語の早期教育として何をやっていましたか」(うちは「特になし」)とか、「ご両親の愛読書は」(うちは「特になし」w)とか、塾に関する質問群(塾は行かなかったので回答は「なし」の羅列)とかいった独特の質問や選択肢が並んでおり、うちの父の回答はほとんどが「その他」「特になし」となってしまっており、その外れ値っぷりに吹きました。

そんな噴飯アンケート自体はまあいいのですが、質問の中に「子どもが初めて言葉を喋ったのはいつですか?」という質問があって、そこには「1歳未満」にマルがついていました。

まさかあ、と思って父親に聞いてみると、確かに自分が言葉を話し始めたのはかなり早かったらしく、しかも初めて発した言葉は

  「ひどい!畜生!」

独り暮らしをする前、よく父が変な口調でこの言葉を言っていたのを聞いていたのですが、私はただ父がふざけてその言葉を繰り返しているだけだと思っており、その起源は知りませんでした。

1歳にならないころ、両親が、自分を祖父母にちょっと預けて遊びに行こうかと相談していたとき、傍らにいた自分が発して仰天したそうです。ということはシチュエーション的にも正しい発話だったわけですが、しかし人生で初めて、世の中に投げ出した言葉が

  「ひどい!畜生!」wwwww

出生後、パパママボクの核家族でど田舎に住んでいたため、ほとんど親族や他の家族と接する機会はなかったものの、どういうわけか両親は幼児語を使わず普通の会話文で自分に話し掛けていたそうで、それが早くて変に子どもっぽくない発話に何か影響していたのではと父は振り返っておりました。その分析が正しいかどうかは知りません。

帰省の際のささいなエピソードでございました。
ちなみに高卒の父は、知らないうちに放送大学の学生になっておりました。がんばれ~

2009年08月15日

窓ふき

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お盆ですけれども、働く人は働いてます。
窓をよく磨くと隣のビルや空が映りこんで、そこに世界のコピーが現れる。

2009年08月14日

平日の休み

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世間は盆休みになって、自分は仕事に出るのは全然構わないけど仕事先がつかまらない!というわけで今日は休みをいただいてしまいました。

といってもどこへ行くでもなし、近所のスポーツクラブに行って、トンカツ食って、帰って転勤挨拶のはがき書いて、東京駅まで出て4年ぶりくらいでインデアンカレー食べて、ボタンダウンの半袖シャツ買って、地元駅のコージーコーナーでエクレア買って食ってこの時間ですわ。

2009年07月31日

おわかれ後からよろしく前まで

結局なんとなくバタバタしたまま3日間連続の送別セレモニーというか飲みで生活乱れました。
特に最後は「で、札幌で結局何人とやったの?」と聞いてくる他社の知人(年上)のしつこさに「もういいよ、あんた」と半ギレで険悪になりかけたものの主催者介入で事なきを得る、みたいな幕切れでぐったり。

29日は朝から引っ越し作業でしたが、どういうわけか友人連中が集まってくれ、土壇場で昼食とお茶を駆け足で一緒に摂ることができました。果報者だあ。
そのあと鍵の引き渡しをして、そのままバイクで苫小牧港へ。
フェリーに乗り込んでマッハで湯浴みとバイキングの夕食を済ませ、それからは買い込んだ新書を深夜まで延々と読んでおりました。

千葉、成田、札幌と転勤してきましたが、札幌では一番友達ができたし、仕事関係でも深いおつきあいができたと思っています。一つはお土地柄(内輪に入りさえすれば気の置けない関係が結びやすい)もあるのかもしれませんし、また段々人付き合いに余裕がでてくる30代になったせいかもしれません(特に仕事では20代前半が40代とかを相手にしてると、関係が「教えていただく―教えてやる」的に非対称になることが多いと思う)。
海上でときどき携帯が電波を捕まえるたびに、ほうぼうから「また会えるよね」的メールが次々に飛び込んできて感慨一入でした。

30日。どんづまりの「津軽海峡冬景色」が短調の暗ぁい雰囲気なのに対して、海を渡ってしまうと「函館の女」がヨナ抜きの底抜けに明るい曲になるように(いや今回は方向逆ですが)、いざ大洗に着いてしまえばそこは始まりであって、ばびゅーんと常磐道→首都高で東京に入ると低層住宅の屋根屋根が海原をなし、なんとなく懐かしい、もやっとした空が出迎えてくれるわけです。
とりあえず新居の掃除をして、カプセルホテルへ。

31日朝から荷受けをして一日かけて荷ほどきをし、腰いたい腰いたいとか言いながらもネット開通にまでこぎつけて現在に至ります。
ま、週明けから始まる仕事は全然希望に満ちたりとかしてないですが、あんまり落ち込まない程度に頑張ろうかなあなんて思っているのでした。

2009年05月20日

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辛くて空を見上げたわけではありません。
見上げると太陽に暈(かさ、halo)がかかっていました。初めて見た。
まんまるい虹。
天気が悪くなる前兆だそうですが、全然そんな感じしません。
今日の札幌の空はべた塗りに青く、緑はとんでもなく鮮やかで、ライラックが香ってます。

2009年05月11日

水溶き片栗粉

バリウム飲んだんですよ、バリウム。初めて。
会社の定期健康診断に胃のエックス線検査入れてみたもんだから。

正午。
まず「胃の働きを止める注射」なるものを打つ。
これ「視力が一時的に落ちることがある」注射だって。怖!

それから胃をふくらますためといことで顆粒の炭酸飲料?を飲む。

それからバリウム溶液200cc!コップ重い!まずい!
何回も「オエッ」てなりながらちびちび飲みました。

台に寝て「胃の中に行き渡らせるために」とかで寝返りを何回か打たされ、それから縦になったり横になったり体をねじったりしながら放射能浴びまくりました。

終わってから口をゆすいで下剤を2錠。
「ご飯と水、たくさん取って下さい」というのでラーメン&チャーハン!

午後3時。
ちょっと文献を探しに訪れたジュンク堂書店で不意の便意、トイレに飛び込んで……
水溶き片栗粉みたいのがブファーって。ブファー!!
この検査って体に悪いんじゃねえの?

【追記】
翌朝、自宅でウンコしたら(構造的に問題があるのか?)バリウムだけ流れずに便器の底に固着してるし、何だこれーもうー(泣)

* * *

一昨年、同じ受け持ちで働いていた他社の方が、くも膜下出血で意識不明だと聞かされました。42歳、子供2人。今年初めの健康診断では何事もなかったんだって。

2009年05月10日

31→32

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ありがたくも思いの外多くの人たちから祝っていただきました。
なんだか30になった時より、31になった時よりも、32になった今日のほうが歳食った感じがしました。
とはいえ、昨日はけっこう遅くまで酒を飲み、今日は眠りが足りないまま起きて出掛けたりしていて疲れを引きずったまままた飲みになり、かなりグロッキーで帰ってきた状態のため、この日にあたって何か思うことを書き付ける気力がありません。
明朝は健康診断です……

2009年03月16日

きつね色2題

カテゴリー選択上、どちらの写真を前に出そうかと思いましたが、
勝ったのはこちら。
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十勝に出張して朝6時前から原野で仕事してました。
その仕事内容とは全く関係なく、ひょっこりと藪から現れ、われわれの前を横切っていったキタキツネさん。
イワゴーこと私、ベストショットを狙いましたが「なんだテメーやんのか」と睨まれました。

そして帰りしな、帯広でかねて寄ってみたかった豚丼「とん田」(tontaと読む)。
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バラ肉の豚丼680円。
うまい。が、ちょっと自分には甘ったるかったなー

2009年02月23日

伊達

月曜、火曜と休みをとって知床に行こうと思ったらものすごい悪天候に見舞われ、やめました。
そこでグレまして、カメラと新書を持って山に逃げ込むことにしました。

北海道伊達市大滝区の「北湯沢温泉」。

大きな地図で見る
(Googleの道案内、所要時間までわかって便利だねー)

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雪深い山の中にある「ホロホロ山荘」というお宿。
施設は古い。大浴場は巨大なサンルームみたいです。巨石がごろごろ。
熱いの苦手な自分はぬるめの温泉気に入りました。3回入浴、さらに岩盤浴。
食事は朝夕ともビュッフェ。
そしてひたすら本を読む。
そんな30代負け犬OLのような休日(いやまあそうなんだけど)。
久しぶりに和式便器でウンコしました。

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伊達の街に出て、有名店「そば順」でたこ天そば850円。
北海道洞爺湖サミットのときに応援で入ってきたうちの職員たちをうならせた一品。
タコの頭の破片が天ぷらになって入ってます。
そばは田舎そば。もちっとしていてうまいです。

ピーカンの太平洋岸を帰ります。
室蘭のチキウ岬。
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これで「まだ攻略してなかった北海道」3つコンプリートです。
あとひとつ、うっかり忘れてたポイントがありますが、これは後日リベンジするかどうか。

札幌に戻ったらあいかわらず雪でした。
さぶさぶ……

2008年11月24日

ひとのふりみる接待

ひとのふりみてわがふり直したい話。

北海道にいると友達がけっこう遊びに来まして、飯を食ったりどこかへ連れていったりするんですが、「また来てねー」という相手と「もう接待したくないな」という相手、「一日連れ回して堪能してもらおう」という相手と「会食だけで勘弁」という相手がいますね。

○やっぱり喜んでくれるのが一番です。やりがいありますね。
×目や舌が勝手に肥えてるのは結構ですが、それなりかなと思って連れて行った店で「油が悪いね」とか言われると気分が落ちます。

○事前にある程度リサーチして「これが見たい」「これが食べたい」とざっくりでもいいので希望を言ってくれるほうがこちらも楽ですし、これまで行ったことのないスポットに行くきっかけになることもあるので自分としてもうれしい。
×逆に「何か希望ある?」と聞いて「おまかせ」とかいうのは最悪ですね。おまえが考えて楽しませろ、みたいな傲岸さに出掛ける気も失せますです。

○だいたい自分が運転しますが、助手席で寝られるのは別に全然構いません。もともとトーカティヴな人間ではないし自分も結構助手席で寝ることがあるので(笑)

×程度にもよりますがタバコ。あの「ちょっと一服」でこちらは手持ちぶさたなまま待たされるのは、たまにはいいですが何度もにもなるとねえ。

最近ちょっとひどめのお客さんが来て思うところがあったので、気持ちが新鮮なうちに(笑)書き残しておきました。

2008年11月12日

そして何度目かの選択

いまいる会社は全都道府県に出先があって、新卒で入ると10年を標準として地方を2-3年の周期で転々とし、最後に東京の本社に「上がり」、そこで専門を持って数年過ごすと、また一格上がって地方に出たり東京で管理職になったりしていく、という比較的単純な経路を辿ります。

自分の場合はちょっと早いのですがそろそろ東京行きを考えるように言われており、そうすると専門を選んでそこに志望書を出し、あとは人事のお沙汰を待つということになります。
その志望書をさっき書き終えました。

専門。あるいは「やりたいこと」。

18の春に決まらずとりあえず総合大学を選び、20の夏(大学は教養課程を2年やったあと、専門に移るため)にも決まらずいろんなことをやる学科を選び、22の冬(1年留学したので卒業が遅れた)にも決まらず漂泊しながらいろんなことをやる仕事を選び、そして4年くらい前からは「東京で何がやりたいんだ」と毎年聞かれてきたが決まらないまま。去年は「別にもういいです」的な答えをしたもののそれは見なかったことにされた(笑)ので今年は決断主義的に「これだー!」と決め、あとから理由をくっつけました。
そして志望書は10分で書き終わった(笑)。

あれですね、分かったことは、決めないでいるといつも「決めろ」と追い立てられてかえって手間がかかるということ。生来のlazyさにはこれはツライ。決まらないことそれ自体をアイデンティティとしよう、というのは事実上無理です、自分には。

そこで転換を図った。選択は適当、あとは流される。これが終わらないモラトリアムの中をいまより少し手間をかけずにたゆたっていく技術ではないかと、思うのであります。

2008年11月05日

黄色い悪魔

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夕飯の支度をしているとき、買ってきた卵をパックからこぼして3つ割った。
いやなことのあった日だったら膝から崩れ落ちていたかもしれない。
とりあえず写真を撮ったあと、甘甘とろとろオムレツにして食べました。

空腹が満たされ、満足した。
そして世界に開かれたこの私的空間に公開する。

危機への対処は、自分的には既にほぼマニュアル化されており、以上のように
(1:物理的対応)食う、寝る、暖まる=身体を安全な方向へ持って行く
(2:心理的対応)文章にする、人に話す=ネタとして加工し外へ出す
を併用することで経験上は大概大丈夫です。
今回の卵は対人関係ではないですが、たぶん対人関係のいろいろにも通じる対処方法ではないかと思います。

このことの含む意味は、
・問題自体の解決が難しい場合でもなんとか辛さをしのぐことができる場合がある
・酒で忘れるのは賢くない(1)のと、体にもよくない
・じっと耐えるのは賢くない(2)
・辛い、という抽象的なことだけを口にすることにあまり効果はない(とはいえ外に出すことではあるので一定の効果はあるかもしれないが、聞く方が辟易する)
・そもそも対処法を持っているということ自体が安心を与える
といったあたりでしょうか。

で、メインのおかずは回鍋肉でした。李錦記のソースは安いけど捨てたもんじゃないね。でも同じ出来合いならやっぱりCook Doに軍配。

2008年11月04日

初雪

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宿直明けの朝。初雪が降っていました。
札幌は夜が明けてもしばらく気温が下がり続け、昼前に職場を出たときも街中の温度計は2度を示していました。

雪を撮るのは難しい。
ポイントはシャッタースピードを速くすること、黒っぽいものをバックに撮ることではなかろうか。
と、思いながら寒いので何コマも撮らずに帰ってきてしまいました。

2008年09月08日

水出しコーヒー

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アイスコーヒー大好きでよく飲むのですが、缶コーヒーだとブラックは味がきつくて飲めないし甘いのだと糖分でぶくぶく太る。喫茶店で毎日飲んでると煙草吸いくらい金がかかる。

で、自分で淹れることにしました。
ハリオの水出しコーヒーポット(定価1260円)がいいというので探します。
amazonで、しかも少し値引きされてるやつがさっくり見つかったのですが、思い立ったが吉日(=気が短い)タイプなのでどこかのお店で手に入らないかと市内を探しました。

デパート2軒にはなし。こういうのありますか、と聞くとno timeでテーブルに就かされ「お取り寄せになりますが」というので「では要りません」と言ってまた放浪の旅に。デパートってちゃんと訪れたの久しぶり(地下のデリカで安くなった弁当を買ったりはする)でしたが、ひょっとして買いたい物があって訪れるべきところではなかったの?ハイソな世界はよくわからんです。
結局、東急ハンズではちょっと高い類似品しかなかったのでパス、LOFTでゲットです。

コーヒーには軟水がいいらしく、奥尻の水を使おうかと思ったのですが扱っている店がまだ開いていなかったため、スーパーで南アルプスの天然水を仕入れてさっそく試してみました。

中細挽きの粉50gをストレーナーに入れてドリップ。冷蔵庫に8時間しまって出来上がりです。
味はすごくいい。苦さとか酸っぱさが口に当たる感じのコーヒーってあまり好きではないのですが、これは「コーヒーってお茶の一種だわな」という感じでとても飲みやすい。さらに湯温が高いほど溶けやすいカフェインが水出しだとあまり出ていないせいか、夜飲んでも眠れました。

というわけで飽きるまで飲んでみようと思います。

2008年07月19日

凹むの馴化

東京から帰ってきてからどっと疲れが出て、今日は久しぶりにゆっくり寝て起きた(でも起床は9時)あと、飯を食って車でスポーツクラブに行って運動してシャワー浴びてるんるんで帰ってくる途中、こっちが直進してるのに対向車が右折してきて「危なーい!」と思いながらクラクション鳴らして通り過ぎたんですけど、

こちらうっかり 右 折 の 方 向 指 示 器 出 し た ま ま でした。

そりゃあまあ対向車は右折しようとするわな。
がっつり凹んで飯食ってこれ書いてます。

たぶん立ち直るまであと25分くらいかかります。

* * *

30年も生きているうち、ズボンのポケットにティッシュ入れたまま洗濯機回したとかから家族の死まで、いろんな凹みを経験しましたが、最近、だいたい凹みの初期状態で「これは立ち直るのに○日かかるな……」とわかるようになってきました。

身体の傷と同じで、時間による治癒というのが心の場合にもある。古傷が残ることも、あとになって疼くことも、ある。
凹んでいる時に辛いのは、まるでそれがずっと続くかのように感じるからではないか。
終わりのわからないモヤモヤ、その不確定さがさらにモヤモヤを強めているような気がする。

ということで、このところ実験的に、周囲で凹んでいる人に対して、凹んだ出来事に言及するのではなく「その落ち込みはあと○日で終わる」と声をかけてみています。効くかな?

とか書いたり電話を受けたりしているうちに25分。
凹って字がトルコ椅子に見えてきたということは立ち直ってきたのか。

2008年07月15日

東京漫遊

12日に会社同期の結婚式、15-16日に会社の行事が、いずれも東京であるため、間の2日を休みにして久しぶりの東京滞在です。

■結婚式
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明治記念館で挙式、披露宴。
そういえば結婚式なんて出たの、中3のときのいとこ以来だ。

・家どうしの結びつきとして進むこの儀式は当事者に後戻りを許さないプレッシャーでいっぱい
・新郎新婦の生い立ちとか人物評がビデオ上映されとても恥ずかしい
・いろんな人たちに酒をついで回ったり記念写真撮ったりでとても面倒くさい
・そうした極度に濃ゆい情念にあてられて自分までどっと疲れた

で、結局そのあと繁華街で朝4時まで飲むのだった。

■心の旅
明けて13日は、札幌からたまたま東京入りしていた友人らと新宿で昼飯を食い、そのあとひとりでなんとなく池袋へ。
97-98年に住んでいた集合住宅に行ってみました。
池袋じたいがたぶん10年ぶり。田舎から出てきて2年目に住んだときはおっきな駅だなあとか、人がいっぱいだなあとか、そんなことを思ったはずなのに、なんとなく当時より道も街もせまく感じる。
よく飯を食った「松屋」とかいかがわしげなロサ会館とかを目印に、かなり入り組んだ住宅街にあるその当時のすみかには迷うことなくたどりつくことができました。
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建物の前から、当時さんざん家に呼んで議論をした友人に電話。ことしの冬にはパパになるらしい。こちらの郷愁はほとんど伝わらなかったもよう。だけど近況など話しつつ、池袋駅に戻った。

学生時代からの友人と飯を食い、ひとしきりおしゃべり。

■かっぱ橋
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14日は浅草・かっぱ橋道具街へ別の学生時代からの友人と。
すげー歩いた。そして汗だく。旅の身でなければ買いたいものがいくつか。

深夜、顔見知りの飲み屋に挨拶に行って、12時すぎには就寝です。

東京は暑い。
東京は人が多い。
東京は、なんか臭い。
東京はなんてことない店でも行列している。
東京は顔つきがヤバイ人もたくさん歩いている。
東京は人ごみでも歩きやすい(札幌の人は、周りを見て歩いてないし、よけない)。

2008年06月27日

北大逍遙

仕事で北海道大学へ。

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四季のいつ来ても美しいキャンパスです。

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15時半、学食で遅い昼飯を食いました。
カフェテリアスタイルで、カレーシチュー、クリームコロッケ、野菜炒め、ごはんで451円。学生だったのはもう8年前ですが、相場はあんまり変わってないね。いや北大出たわけじゃないですけど。

わたくし年齢よりかなり若く見られるほうですが、大学のキャンパス歩いてると、大学生にはさすがにかなわないと思う(笑)
なんというか顔に無敵っぽさが出るよね。
約束すっぽかしたりできそう。
イラッとしたからとかいってバイト辞めたりできそう。
いやいい意味で。
いやほんと。

2008年06月25日

会議中内職エントリ

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東京湾に浮かんでました。これ何?

* * *

いまいる会社には、いまどきあり得ないほど高い組織率を誇る労働組合がありまして、その寄り合いで東京に来てます。
もっか「裁量労働制」の導入をめぐって延々話し合いをしてます。

裁量労働制っつうのは、専門性の高い仕事なんかをしている人が、工場労働者と違って時間配分やペースを自分の「裁量」で決められるために、従来の残業代に当たる手当を時間払いではなく定額払いでやったろうというシステムです。
時間払いのように、残業時間が増える→賃金の支払いが増える→会社が残業を抑制する、というサイクルが働かないため、働き過ぎが常態化するのではないかということがよく指摘されます。
今回の寄り合いでもそんな話がたくさん出ましたが、それを語る語り方が気になりました。

「仕事の質を維持しようという思いがみんなにあり、残業して一生懸命やっているのに、それが賃金に反映しないのは納得できない」という意見がけっこう出るんですね。「定額払いをいいことに、会社が仕事をどんどん増やそうとするんじゃないか」というのではなく。
まずもって良い仕事をしたいとみんなが思っている、という社員像を、経営側の理想としてではなく、ある程度の数の組合員が持っているというのはけっこう衝撃でした。

おまえ仕事に自己実現を全く懸けていないのか、と言われるとまあそうとまでは言い切れないにせよ、まるで経営側が聞いたら小躍りして利用しようとするような前提を口外できるというのはすごい[戦略性のなさだ]なあ。というのがひとつ。
そして、おまんまのために働いているという域をほとんど出ない自分自身を省みて、このヤル気集団の中で居たたまれない感じがした、というのがひとつ。

2008年06月15日

新しいPC

新しいPC買いました。4年近くなるhpのnx9010(Celeron 2.8GHz, 512MB)ですが、最近遅くて。そしてファンの音がうるさくてうるさくて。吸排気口まわりの掃除をしたものの改善せず、とうとう買い換えの決意をいたしました。

で、結論。
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東芝のdynabook TX/65F。

・CPUはぜったいCore2Duo
・メモリはぜったい2GB以上
・できれば画面14インチか15インチ
・静かなこと

こういう条件だとだいたい12万前後になってくるんですが、当初は別のメーカーを考えていました。
安いということだとDELL。しかしなんか掲示板界隈では評判が悪い。
hpはどうか。いいなと思う機種は画面13.3インチとちょっと小さめなんですよね。
というところで決めかねながらヨドバシを歩いていたところ、高いという印象のあった国産メーカーでもわりあい安い値段で売っているということに気づき、日曜特売で買ってしまいました。ポイントも20%ついたしね。

感想。
・今の機種はファン、静かだね~
・ネットの体感速度が飛躍的に速くなった!
・スカイプしながら別のことができるって素敵
・画面が横に広い(15.4ワイド)ことは別に便利じゃないな
・スピーカーがいいので外付けの出番が減るかも

つまりかなーり満足です。
会社で個人貸与されているパソコン、会社に入った当初ダイナブックを使っていて発熱と処理の遅さにイライラしたほか、その後も周囲で故障が相次いだせいで、東芝にはものすごい警戒感を抱いていましたが、総合判断で東芝になってしまいました。
4年くらいもつかな?どうかな?

4年……35歳か……(遠い目

2008年05月28日

においのこと

アトピーと、慢性鼻炎。
思春期に治りました。

で、鼻詰まりが治って以来、年を追うごとに嗅覚が五感の中で占めるウエイトが少しずつ大きくなっているように感じます。

季節の移り変わりを街の匂いで知るというのはけっこう前からあったことなのですが、最近気づいたのは、人の発する匂いが、自分のその人に対する好悪とある程度連動しているということ。

匂いと、フィーリングが合う/合わない。どっちがどっちの原因になっているのかは判然としません。
(1)たまたま同席したよく知らない人の体臭(使っている香水の影響がある場合もある)を嗅いで「あ、いい人かも」と思った場合、のちのちその人と仲良くなるってことも結構あります。あるいは(2)好もしい人だと体臭まで好もしく思える、というだけなのかもしれません。

(1)はこれだけだとあまりにオカルトなのでもう少し勘ぐると、(1-1)身体的特徴(太ってるとか痩せてるとか、汗かきだとかそうでないとか)が性格とある程度連動していて(→クレッチマーの性格-体型分類)、特定の身体的特徴の人が纏いやすい体臭というのがあるとすると、それが無意識のうちに合う性格/合わない性格のシグナルになっているとも考えられる。
(1-2)派手めな香水、控えめな香水、スーッとする香り、甘い香り、などが好きかどうかが、性格が外向的か内向的か、などと関係あるのではないか。辛いものが好き、肉が好き、などの食生活(=体臭の素)と性格は関係あるのではないか。雑然とした部屋に暮らしているとか、整然とした部屋に香を焚いたりするきっちりとした暮らしをしているとか、が身に纏う服の匂いに表れているのではないか。
そんな個人個人の生活のあり方が匂いによって表現されていて、それと自分の生活のあり方が合うかどうかが判断されているのかもしれません。

わたくし仕事でいろんな職業、いろんなバックグラウンド、いろんな地位の人に会うのですが、涼しい顔して会話しながら、実は、匂い嗅いでます。そんな話(笑)

2008年05月25日

機甲師団とかあれこれ

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千歳市にある陸上自衛隊第七師団の創隊記念行事に行ってきました。

なんてったって唯一の機甲師団です。ほかの師団や旅団では普通科連隊(歩兵)が3つあるところ、ここは戦車連隊が3つあります。パレードも戦車や自走式榴弾砲、装甲戦闘車など車両ばかり。音楽隊のBGMもすっごいアップテンポ。模擬戦闘では現役の人たちが「あんな密度でやるの?」と驚くほどたくさんの車両を使ってドンパチやってました。

ソ連が現実的脅威だったころは、北海道が本土防衛の最前線だったため、着上陸侵攻に備え、陸自の戦力は必然的に北海道に集まることになりました。
冷戦終結後はそうした役割は薄れたものの、北朝鮮、中国、台湾と不安定要素は西に移動しつつあるとされています。北海道は有事の際に戦力を供給する武器庫として、また広大な演習場を抱えた訓練の場として、新しい役割を与えられているようです。

現行の90式戦車は3人乗り組み。車長、砲手、操縦手でワンセット。最高で時速70kmくらいまで出るとのこと。敵の情報を聞き、進むか戻るか、撃つかやめるかをスピーディに判断しなければならない瞬間の連続だそうです。疲れそう。「戦車乗り」が言うには、すごくせっかちになるんだって。

* * *

北海道にいると公私ともに自衛隊さんと知り合いになる機会があるんですけど、やっぱ大変だわ、あのお仕事。結婚してないとある程度の階級にならない限り駐屯地の外で暮らせないとか、旅行にもいろいろ制限があるとか、仕事仲間とはウマが合う合わないにかかわらずいつも一緒だとか、3日間寝ないで訓練とか、1週間雨に降られっぱなしで訓練とか、怪我したりとか、ちょっと処分食らうと公表とか。

資料集めと称して紀伊国屋へ、器材調べと称してヨドバシへ、人に会うと称して喫茶店へ、シフトを外れた日は朝10時までうっかり確信犯で寝たりとか、そんな仕事っぷりの自分には無理です。そんなわけで彼らはスゴイと思うし頑張ってほしいしかなり好きだったりするわけです。(余談だが、同じ肉体労働系公務員でも、仕事柄ねじ曲がってる人の多いKS官は、大変だとは思うがそれ以上の感情は沸いてこないな)

2008年05月13日

あうあう

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瞬間風速的にすげえ忙しい。(画像は本文と関係ありません)

恐ろしいことを考えている。
自分は忙しいほうが元気なのではないかと。
仕事嫌いなのに。

2008年05月06日

ぼくのGW

しばらく更新してませんでしたが、死んだり臥褥していたり悲しかったりしていたわけではありません。

ほんと、書くほどのことがなくて。

4月28-29日:宿直
30日:持ち場が変わるので挨拶回り
5月1-2日:東京出張
3-4日:宿直、仕事先とメシ
5日:仕事先とお茶
6日:家でぐずぐず
(ほぼ全期間寝不足)

こんなんで、どんなアヴァンチュールを表現せよと。
でもまあ、あれですね。この時期出掛けてもどこも混んでますし、近場でときどきなじみのお店に顔を出したりとかして過ごしていられればそれでいい気もしてきました。血液型のサイト見たら、AB型は元来出不精なんだって。あー、あたってるかも。

まあ近々代休取りますけどね(にやり

2008年03月29日

クリップ

今週の札幌は百何年ぶりに5日連続の気温10度超えをしたと思えば、今朝は雪がちらつくという具合に激しく天候が変化しました。

今日はお休みだったのですが、土日も稼働してる仕事先に差し入れのお団子を持っていったら変わったクリップをいただきました。
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グー・チョキ・パーと、動物の形のもの。
文房具大好きですが、これは知らなかったなあ。ちなみにじゃんけん型は30個で税抜き550円です。けっこういいお値段しますね。マジメな書類をこれで綴じて上司に提出したいと思います。

2008年02月16日

びっくりした

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朝、ヒーターのスイッチを入れたらエラー。
いやーな予感がしてカーテンを開けると、ベランダが!!!!!
当然、排気口は雪の下。
昨シーズンも排気口が埋まったことはあったが、ここまで積もったのは初めてだなあ。
半狂乱で排気口付近(だけ)と車の雪払いをして図書館に行ってきました。

来年度も札幌勤務が決まったようです。今年は何して遊ぼうかな。

2008年01月24日

雪やこんこ

未明から、吹雪でもないのに前が見えないほどの雪。
ビル街の歩道も足を取られる積雪。
カートを引っ張りながらえっちら歩くヤクルトレディ。
働いてお金もらうって大変だわなあ。

ビル清掃とかヤクルトとか、体使って働くおばちゃんに弱いです、なぜか。
これが強健なクロネコのあんちゃんとかだったりすると「おおお大変だねえ」くらいなんですけど、なんかおばちゃんっていろんなもの背負ってそうじゃないですか。
ま、それだけの数の人を集められるだけの、時間的融通とかそれなりの賃金とかいった労働条件があるんでしょうけど。

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25日、写真追加。うちのベランダ。雪かきする気も殺がれる現状。

2008年01月15日

5年

6回目の命日を迎えました。
自宅でひとりで終末期の母の看病を続けていた父の気力・体力が限界に来て、母を入院させたのが2003年1月14日。5年前のこの時間は、父がひとり居間で久しぶりに深く眠っていたはずです。ここから14時間余で臨終となったので、最後の数小節が静かに奏でられていた時間帯ということになるでしょうか。

無目的に「それからというもの」的時間が積み重なってきた5年。25歳が30歳になっても、自分はそれほど変わっていないと感じます。相変わらずemptyで、まるで時間を過ごすこと自体が目的化しているかのよう。

先日、帰省したときに伯母が、母の夢を見るかと聞いてきました。伯母は、実家に母が「ただいま」と帰ってくる夢を見るとのことです。自分は小学校~中学のころ住んでいた長野市の一軒家にいる夢をよく見ますが、そこに登場する母は2001年の手術後の設定です。5年の間、断続的に何度も夢は見ましたが、癌の発見から最期に至るまで、おしゃれを好んだ母が枯れ木のようになるまで衰弱していく様子を目撃したせいか、あまり明るいシチュエーションの夢は見ません。
母の癌が発覚してから死後しばらくまでの2年余、詳細につけていた日記はいまだにまともに読み返していないので、当時の記憶はそれなりに薄れつつあります。しかし記憶の痕跡は脳にべっとりとこびりついていて、それがほとんど当時あったことと符合しない夢を見させているのかもしれません。

近親者の死後を生きる作法が、まだよくわからない。区切りの意味もない区切りの日に。

2008年01月13日

青い光

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札幌・すすきの地区で、青い光の街路灯が設置され始めています。
オレンジや白に比べて青色に精神的な鎮静効果があるんではないかということで、犯罪防止のために治安の悪い地区に設置して効果を確かめようとしているようですね。
英国・スコットランドで何年か前から設置されているとのことですが、ネットで調べた限りではその効果がどうであったかについては明らかになっていない様子。
これで本当に犯罪が(近年刑法犯が減っている以上のペースで)減ればすごいんだけども。
手持ちのコンパクトカメラでわりときれいな画が撮れたのでアップしてみました。

2007年12月30日

帰省

28日に東京に一泊して、29日は新宿から高速バスに乗り、いまは長野県南部に帰省。
田舎はわりと暖かいです。
↓山で獲れたというマムシの焼酎漬け。
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↓シイタケの煮物やゴボウのきんぴら、栗、汁粉など。父親の実家にて。
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ブラウザとメーラーはUSBメモリに入れて持ち歩いているので、家とほぼ変わらない調子でネットできてます。先日買い換えたというCore2Duo、メモリ2GBの実家PCは、回線が12MのADSLのくせにやたら快適。悔しい。うちも買い換えようかな~。

2007年12月24日

クリスマス

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連休はスタートから風邪っぴき、今日はなんか徒労感いっぱいなメールのやりとりをやっていたら午後に……

こんなんで連休終わっては遺憾、と友人2人を誘ってケーキを食いにいきました。札幌・澄川の「ろまん亭」。普段はカフェもやってますが今日はクリスマス営業ということで持ち帰りのみ。友人投宿中のホテルの部屋に持ち込んで食い、さらに合流した別の友人を札幌のはずれまで送っていきがてらチキンを食べ、茶を喫んで帰ってきました。

友人を乗せて運転しながらいろいろ考えごと。
今年は心身の調子が崩れたり人との巡り合わせが悪かったりと何かとよくないことが多かったような気がしてました。けれども、それらはまた、7年続けてきてどうも幸せじゃない今の自分の仕事上のコースの変更に向けて一歩を踏み出すきっかけとなったのであり、自分のことを好いてくれているかどうか判然としなかった相手と「やっぱり恋人ではなく友達」であるということが確定した出来事であり、トラブルの種となっていた人間関係を無に帰すチャンスであり、自分の体の弱点とどうつきあっていくかを再確認することであるという、次の数年に向けての仕切直しの契機だったのではないかという気がしてきていました。周囲の同年代を見ても、ポスト団塊ジュニアの厄年は30歳なんちゃうかと思うくらい、自分と同じように悩みや心機一転を経験している人たちが多かった気がする。

願わくは、今年いっぺんに浮上した諸課題に対して、来年からゆるやかにでもいいから解決を与えられるよう。そして目標となる魅力的な人びとにもっと出会えるよう。
と、総括的なことを書きましたが、今月はあと何回更新できるかな。

2007年12月01日

痛い 腰が 痛い

土曜というのに朝から仕事で、仕事先に挨拶して「それじゃよろしくお願いしまーす」っつってお辞儀した、瞬間。体の中で何かがパキッていって腰に激痛。

きた。2年前、4年前に続き急性の腰痛。
必要最小限の仕事だけこなして職場に戻ったところ、後輩が用事をすませに出勤してきて「夕方までいますから帰っていいですよ」と言ってくれるので今日ばかりはお言葉に甘え這うようにして帰宅。

過去、整形外科を受診してわかっていたことだが、なんか背骨だか腰骨だかに一本あるべき骨がないらしく、ウイークポイントであるとのこと。どうせまた病院に行っても湿布と「安静に」だけなので、今日は初めてカイロプラクティックに頼ってみようと友人から勧められた「クマカイロ」へ。

ごきっ、とか、ぼきっ、とかいいながら施術してもらうといくぶん楽に。
「全部ずれてました」って。マジデ?
あー、折角の週末が。
これは週明けも休まないとやってられん(笑

2007年11月22日

寒い

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人事とは関係なく雪は降るし、気温は下がる。
しかし人事もまた思うに任せないね。

2007年10月27日

戦い済んで日が暮れて

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今週は週半ばに4か月もかかった懸案が一応の終息をみました。 本当にほんとうにやり甲斐がないわりにイヤなことの多い仕事で、寝不足とあらゆる疲労が頂点を迎えたその日、床について12時間睡眠、翌朝起きるとそれらがほとんど現実にあったことが信じられないくらい遠くに流れ去っていて、前日までもやはり普通に目にしていたはずの晩秋の札幌の風景が不思議に自分のなかに浸透してくるような新しさで迫ってきました。

今日は最初の週末。7時間足らず寝たところで起きてしまい、9時を待って図書館や買い物に出ました。朝はシリアル、昼はラーメン、それでもなにか腹が満たされず、16時に定食屋で串カツ定食を、19時に麻婆丼を作って食べ、やっと満腹に。
1週間くらいは心のデトックス期間としようと思ってます。スーパー銭湯行こうかな……

2007年10月06日

ニセコ

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そろそろ北海道はバイクのシーズンも終わりかな、ということでニセコ方面を走ってきました。

日が出てるとまだ暖かいけれど、峠や日陰はかなり寒いですね。
それでもライダーとたくさんすれ違いました。みんな札幌ナンバー。さすがに道外や道内遠方からは来ていない様子。

家から国道230号を南下して定山渓、中山峠を抜け、羊蹄山のまわりを廻る道道66号へ。そこから「ニセコパノラマライン」へ入るとだいぶ紅葉・黄葉が進んでいました。
岩内の海の手前からふたたび山のほうに入り、赤井川~朝里から札樽道を使って帰ってきました。

2007年09月28日

身体と世界の声を聴け

いやまあ約ひと月ぶりにジムに行ったってだけなんですけど。

何にというわけでもなくかまけていて、身体はなまり眠りの質は落ちる。風呂上がりに姿見に映った自分の身体に違和感、それを裏付けるのはきつくなったズボン。
今日は何かに背中を押されるように少し早めに職場を出てさっさと帰宅し、着替えてジムに向かいました。ひと月運動しないとトレッドミルで走り始めてすぐ膝が痛くなってくるし、この程度の回数で上がらなくなるの?っていうほど衰えている。自宅でときどきダンベルをいじっているくらいではやはり加齢には勝てませんね。

今日この日、突き動かされるように運動に向かったのは、たまりにたまった運動不足が遂に閾値を超えたということでしょう。一人暮らしを始めた1996年、自炊生活のなかで野菜不足が高じて、それまで食べられなかったトマトを思わず久我山のスーパーで求め、アパートに着くやサラダにして食べたあのときのように、身体の中から沸き上がる声を聞いたからにほかならない。

それともうひとつ、気の合わない(そしてどうでもいいが多分先方はそう思ってない)仕事先のおっさんから「太ったよね」と言われたのも今日。いつもお世話になっている別の仕事先の姉御に「丸くなったよね」と言われたのと併せてふたつめの指摘だ。
二人以上から勧められたらその本を読む。二人以上から指摘された欠点はなんとかする。誰かひとりの特異な感じ方ではない、複数人が一致したその意見=世界の声、もまた行動の基準としている(なんとかならないことも多い)。

自分が何をするべきかについて、あまり計算力に自信がないせいか、身体(自分の中の他者)や世界(自分を取り巻く他者)の声に委ねる、わりとそんな生き方をしているような気がします。

いやだからまあ約ひと月ぶりにジムに行ったってだけなんですけど。

2007年08月28日

皆既月食

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昨日に続いて空の写真。皆既月食です。薄い雲の間に赤い月がぼんやり見えていました。

2007年08月27日

夕方の空

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何の変哲もない夕方の空がきれいだったので撮ってみました。それだけ。

2007年08月21日

お年頃

40を不惑というなら、30は惑うお年頃なのでありましょう。
ひとつは、仕事で一通りのことを体験して周りが見えてくるということ。もうひとつは、転職サイトなんか見ているとそろそろコース変更のタイムリミットにさしかかってきているということ。
周囲を見回せば、既に30という年齢を過ぎた人たちは「ああ、そういう年頃だよね」と振り返っており、会社の同年代はここへきてポロポロと転職者が出始めています。
ということは昨今のもやもやは自分一人の問題ではなく、そして今完全解決を目指して達成できるというものでもなく、誰かに相談してブレイクスルーが訪れるというわけでもないので、しばらく頭を低くしてじっとしていれば光は見えてくるのではないかと思い始めました。
そんなわけで、このところあまり呵責なくうかうかとしてます。ただぼうっとしているのではなく、12歳、15歳、18歳、22歳のときのように、何かになりたいわけではないが何かになるための訓練でもするべかな、とぼんやり考えつつ。

2007年07月30日

漬け物の鉢

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テーブルに置こうと思ったらひっくり返してしまった……

2007年07月14日

夕張とんぼ返り

日ごろお世話になっているあの方へ、旬の「夕張メロン」を。
デパートで送ることもできるけれど、やっぱり夕張市農協から発送するってもんじゃないでしょうか。
というわけで午後も晩くなってから夕張へ、片道75キロ、バイクの旅。

農協がやってるメロンドームという、昨年も使った施設で注文。
上から秀、優、良。農協のおばさまによると「良でも十分おいしいですよ」と夢のないコメント。でもまあ、字面で優の2玉入りにしました。6号2玉で3900円。うーんこれは贈られでもしなければ買わない値段であるなあ。ちなみに見本として展示されていた5号玉の「秀」はひと玉で3300円。何が違うのか!(→外の模様と、糖度だそうです)
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ハウスの中はこのように。
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そして本人は200円の夕張メロンソフトを食う……

本州では7月としては最大級との呼び声高い台風4号が猛威をふるっておるようですが、北海道は多少風は強かったものの晴れてツーリング日和でしたとさ。

2007年07月05日

3周忌

きのうは、一昨年自殺した大学時代の友達の3周忌だった。
……というのも、スカイプで繋がっている奥さんから聞いて初めて気付いたのだけれども。
病苦と、いろいろなことが重なって薬を大量に呑み、重体に陥った彼を永山の病院まで見に行った。それから何日かして心臓が止まったときも、棺に納められた彼を見に、やはり当時住んでいた成田から2時間くらいかけて行ったのだった。いまわの際にかけてくれと彼が頼んだという「G線上のアリア」がパソコンにつながれた小さなスピーカーから流れていたことを思い出す。蒸し暑い夜だった気がするけれど、最寄りの駅からてくてく歩いて安置場所まで行ったからかもしれない。

2年経って昨日、同い年の奥さんと彼の思い出話をしていて、当たり前だけど自分が知らなくて彼女が知っていること、彼女が知らなくて自分が知っていること、そのギャップから来る彼についての見方の違い、そういうものがずいぶんあることに気付いた。
彼は結局そのギャップについてと、それからギャップがあること自体におそらく気付かないまま物故した(はずだ)。
ま、だからどうだというわけではないけれども、そういう「自分が知らない世界の秘密」がぶよぶよと伸縮しながら自分の背後に広がっているんだなあと、ここ何年か意識しながら暮らしてるわけです。
意味不明。すんません。

2007年07月02日

7月だ

070701bar.jpg7月になっちゃいました。なお このかん、色々と初体験なことなどありまして、―コチラの更新は滞っているように見えますが―実は公開してないエントリをいくつか書いてました。ひととおりことが済んだらまとめて公開しますんで。

今日の札幌はピーカン。しかし風は寒いくらいに涼しく、たぶん今年これ以上の気持ちの良い日はないのではないかと思うくらい気持ちの良い日でした。

久しぶりに自炊をして、これまた久しぶりにジムに行って、夜にはいつものメンバーとまちなかのショットバーで梅酒ロックを飲んだというわけ。

2007年06月02日

いしかり

海上自衛隊大湊地方隊の護衛艦「いしかり」に乗せていただく機会がありました。1981年就役、今年の秋ごろには退役になるそうです。そのあとは砲撃の目標として使われる見込みとのこと。なんか勿体ないですね。
今日の石狩湾新港は快晴。約200人が試乗。ラッパの吹奏展示も。思ったより速い。艦内はよく掃除されててきれい。冬の宗谷を航行すると氷の塊みたいになるそうです。想像するだけで寒い。隊員のみなさんフレンドリーでした。
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2007年05月31日

やる気をめぐって

もともと情熱的に仕事に取り組んだ記憶はあまりないが、今年度任された仕事は自分がもっとも嫌いで・これまで忌避してもきた仕事だった。しかも忌避してる間に歳を食ったため、このほど責任者的な立場で任されることになってしまった。

折しも転職適齢期の晩期を迎え、同期が一人そして二人と会社を去ったと聞いた。残った同期と「置いていかれたねえ」と話しながら、独りになったときに転職サイトを眺めるこのところ。
世の同世代よりもいい給金をもらっている。そこを脱出した先にそうそうユートピアもなかろう。そんな気もするが、今月末に退職する同期に言わせれば「それと自由とどちらを取るか」なんだそうだ。

そこではたと省みれば、「やりたくないこと」はあっても「やりたいこと」のないのが自分自身で、脱出して自由を得たとしても、そこにhappinessがあるかはかなり怪しい。
やりたいこと、生き続ける動機。人たるものそれが備わっていることを前提によのなかの部分部分は造られており、たしかにそういう資質を多くの人が持っていないと総体的・実利的にはよろしくない。んだけれどもそれがない人が感じる窮屈さが少し和らぐようなシェルターはどこかにないのかな、と甘えてもみる。

以上、やる気について(on)。以下、やる気をめぐって(about)。

鬱には薬。なんとなればこれは化学的な現象だから。
というのは鬱持ちの上司。

無理矢理食べて、さっさと寝る。そんな対症療法で乗り切りながら鬱々と、そしてうかうかと仕事も7年目に入った。結局は物質的な存在。なんですね。
弊社は新人研修がひと月ある関係で人事が5月1日にあり、従って五月病はひと月遅れで来るという5月つごもりのおはなし。

2007年05月20日

twitter

巷間にて(どこでだ)鬼アツイらしいtwitterに登録してみました。
twitterって何だとか、参加方法についてはこちらなどを見ると細かいことがわかるようになってます。
要は自分が今何をしているかをごく短いメッセージとして書き込み、仲間内や全体に公開するというもの。それに反応した人たちがまた関連するメッセージや返答を掲載し、コミュニケーションが始まったりするんだそうです。

mixiが閉鎖的なブログだとすれば、twitterは開放的なチャットといった感じかな。
ブログにまとめて書くほどではない程度の近況をちょこちょこっと公開する。
このページのタイトル下に―自分の最新の書き込みのみですが―表示されるようにしてみました。
飽きたらやめます。飽きなかったら追って続報。

[5月24日追記:やめました。]

2007年05月13日

少しいじりました

・Movable Type のバージョンを従来の 3.171 から 3.35 にアップグレードしました。
入り口はここ、やり方はこれ、だけどいろいろ混乱して午後いっぱい使ってしまった。あー

手順は、旧バージョンの「書き出し」機能で内容のバックアップをとり→さらに念のため全データをFTP転送でHDDに保存→ダウンロード→インストール→最初にとったバックアップを「読み込み」機能で取り込み→再構築、でおしまい。

・それに伴ってレイアウトが多少変わってます。また少ーしずついじろうと思います。

2007年05月10日

30歳になった

30歳になった。ハタチのときの日記を引っ張り出してきて晒そうと思ったけれども、押入をちょこっと探してもなかったのでやめた。ここんとこ綱渡りみたいな仕事で朝から夜まで働いて、明日も朝出勤(当たり前か)なので探す時間も長くかける気にならないなんていう30代最初の日。

といって、だいたい覚えているんだな。大学2年の春、池袋の借間で「やばい、何もしないうちにハタチになった」と大学ノートに書き付けたはずだ、たしか。
そしていまだに何も知らないし、何も分かっていないし、何も成し遂げていない。
でも、ま。いろいろあったかといえばいろいろあった20代でした。何も成し遂げてないどころか、あるときから生きる時間が全部余生になっちゃったような。ところがどっこい明るく生きてますけど。

今夜はC.V.アルカンの大ソナタ「四つの時代」を第一楽章「二十代」から聞きながら床に就こうと思います。ちょっと乙じゃない?第二楽章「三十代」に入るまでに寝付いちゃうかな?ちなみに「四十代」「五十代」まであります。よろしければそちらさまも。

2007年03月23日

LazyBird

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会社のひと(直属の上司ではない、先輩というにはだいぶ年上の)の導きにより、札幌市営地下鉄・南北線北24条駅を降りて徒歩2分、LazyBirdでjazzの演奏を聴いてきました。

2007年03月05日

もらうの苦手。


物をもらうのが苦手。
必要なものは大抵もらう前に自分で買いますし、必要でないものは使わない。「あっ、これっていいかも!」という気の利いたもらいものはごく希。
というわけでうちには「いただきもの箱」というのがあって、いただいたお土産などは感謝と一緒にこの段ボール箱に直行です。トートバッグ、模型、マグカップ、CD、などなど。
まだ救われるのは食い物と金券(笑)。完全な例外は手紙。手紙は大事に取ってあります。人からもらったメモ書きのたぐいも同じ。要は極端に個性のないもの(消費しきっちゃえるもの)か、極端に個性のあるもの(存在感がありすぎてなおざりにできない)のみが手の中に収まるんですね。

★★
そんな自分なのでひとに物をあげることは多くありません。
欲しいと言われれば別ですけども。

あと、借りを作るのがイヤなので、おごられたりしたらねちっこく機会を窺って何らかの形で仕返しをすることが多いです。

★★★
先日、腕時計をプレゼントしました。
おそらくこれまで人にあげたものの中で最高額だと思う(といっても上記のようにあまり人にものをあげないので最高額といってもびっくりするような額ではない)。
その時計を「欲しい」と言ったとき相手は泥酔していて、翌日一緒に見に行ったときにはまったく覚えていなかったらしく、ガラスケースを開けてサイズを確認するまで怪訝そうな顔をしていました。
「欲しいって言ったから来てんじゃないの」と言ったときの先方の狼狽と、それを押し切ってプレゼントしたときから何度も腕時計を触って「ウレシイ」と呟く先方を見て、おおこれは最高に成功したプレゼントだなあと思ったわけです。

2007年03月01日

XnView

画像の整理・閲覧に永らくVixを使っていたわたくしですが、最近XnViewを見つけて一瞬で乗り換えたわたくしでもあります。

対応画像形式が多いことと、使い勝手がよいこと、それから画像ファイル以外もエクスプローラのようにして扱えることが条件でしたが、最後の条件でPicasaなんかは外れるわけで。

XnViewはその点かなり好きです。
難点は外国製ソフトだけあって日本語モードも用意されているがかなり怪しい日本語。
ただそれを補って余りあるのが、こんな機能欲しいでしょう、というのがだいたい備わっている点。
おすすめです。Windows用。

2007年02月25日

ひどい話ー

ぜんぶ愚痴です……。

年明けから1週間の地元勤務、2週間の東京出張、1週間の地元、1週間の東京、戻って宿直、と、休みもあまりなく落ち着かない動きをして得た1週間のお休み。

店屋物ばっかりの食事だったので野菜たっぷりの自炊でデトックスして、スポーツクラブ行って、札幌国際で気持ちよくスキーして、プールで泳いでー、と3日間過ごして、さて残りで小旅行しようとした先週木曜日、扁桃腺大暴れ。

38-39度の熱がここまで4日間、びた一文下がる気配がなく、悪寒とぐるぐる回る世界にうなされながらベッドで寝てました。
まだ熱は下がらないんですけども、なんかもうどうでもよくなりまして。
明日は会社行く前に咽喉科いって最終手段?の抗生物質出してもらおうかなと思ってます。
それにしてもこの仕打ち。数々の悪行への報いか。

2007年02月12日

20世紀美術探検

六本木に先月オープンした国立新美術館に行ってきました。

黒川紀章氏の設計になるという建物の内外では田吾作どもがこぞって写真撮影。
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そしてワタクシも。

開館記念展「20世紀美術探検―アーティストたちの三つの冒険物語―」を見ることにしました。

20世紀を「モノ」の世紀と位置付け、「モノ」をめぐる諸相をけっこうな物量の展示でたどってます。絵画ばかりでなく、映像や立体などの作品も多くて楽しめました。

むかーし読んでたポストモダン系の本でよく言及のあったデュシャンの「泉」を初めて見て、あ、そうか、便器は寝そべっていたのか、と今更な発見。それから、リキテンシュタインのデザインは、スクリーントーンとかにありそうな模様をちゃんと手書きしているのに感心。
あとは、石が床に並べてある作品とか、七色に塗ったガラクタが床にちりばめてある作品は、これって並べ方の仕様書とかがあるのかしらんと興味深かった。250トンの重さでプレスした食器などの銀製品が床から10センチほどのところに吊られている作品(コーネリア・パーカー)はなんかきれいで好きでした。

 それにしてもなんで静物っていうと瓶ばっかなのかね。まあいいけど。

「モノ」がキーワードになったのは、記念展の会場に入ってすぐ目につく挨拶文にもあるように、この新美術館が独自に美術品(=「モノ」)を持たない美術館であるということと深く関わっている。友人はまさにその点について、「田吾作に美術品を見せるのが美術館の主目的ではない。自館の収蔵品の保存・修復によって文化遺産を守ることが美術館の存在意義なのに、なんなんだ金かけてこの”ハコモノ”は」と嘆いて見せた。正しいと思う。

2007年02月11日

決算

ふと思い出したことを。

正月に父親と、祖母のところを訪ねたとき。父は大学ノートを取り出して、祖母に何か聞き始めた。家系図みたいなものを書きながら、曾祖母がどこから嫁に来たとか、きょうだいがそれぞれどうなったかとか、そういったことを聞いていた。

父親はいま、阿南町という長野県の南の果てにある町に住んでいる。祖母のところを訪ねた次の日、父親の居宅から二人で車に乗ってさらに南下し新野(にいの)という集落にある道の駅へ五平もちを食いにいった。
途中、おっそろしい山の中で「このへんが、ひいばあちゃん[これは僕から見てのこと]の実家があったところらしい」という。ふうんと言いながら通り過ぎたが、それは30年近くの生活のなかで一度も聞いたことのない名前の集落だった。

祖母のところで一緒になった伯母が僕に「(祖母は)あまり長くないかも」と耳打ちした。特別病気を抱えたりぼけたりしているわけではないが、祖父が亡くなって3年ちょっとでけっこう弱ってしまったらしい。
一族の記憶が失われるまえにそれを記録に留めておこうという意図が父親にあるのかどうかは不明だ。けれども自分だったら、聞くことが祖母の人生の決算をさっさか済ませるような感じがして、必要だけれども心理的にはやりにくい作業だなあと思う。

いや、決算は心理的にはやりにくいけれども必要な作業だと思う。

遺言とか自分史とかは、本人が自発的にやるのが一番いいが、それが何かの理由でかなわないときの次善の策として、近しい人が決算してあげる。なくても後進は生きていけるが、あればそのぶん記憶が厚くなる。そういうものとして。

2007年01月24日

夢1/24

3本立てで1本目は忘れた。

(2)なぜか今の姿のままで、本家のある駒ケ根市の小学校に通うことになった。転校生としてあいさつをすることに。午前10時を指定されたがちょっと早く着いた。小学生の教室の隣に中学生の教室があったので、そちらでひとしきり世間話してから小学生の教室へ。普通にスピーチして終わったところでレム睡眠終了。

*当該の小学校と中学校は外観だけ知っているが、建物が隣り合っているだけで教室が隣り合っているわけではない。そもそもなんで30近いオッサンが小学校に児童として通うことになったのか?よくわからん。

(3)どうも韓国らしいんだが、プールみたいな巨大な露天温泉を温泉好きの友人から勧められて行ってみた。確かに巨大で、その友人もちょうど入っていた。脱衣所などなく財布は大丈夫かなあと思いながら脱いだ物をプールサイドみたいな縁に置いて入浴、というか遊泳開始。
いつしか本当のプールになっていて、小学校高学年くらいの知らない男の子と400m個人メドレーの勝負が始まっていた。バタフライやるところを間違えて平泳ぎやっちゃったり50m多く泳いだりして負けちゃうんだが、泳ぎ自体はすごくガシガシ泳げて気持ち良かった。泳ぎ終えたところでなぜか大学の友人のM氏が着物で登場。挨拶したところで終了。

*夢っていつも満足することって多くないんですが、今日の泳ぎは異常に上手だったので気持ち良かった。泳ぎたくなった(笑

2007年01月07日

帰省

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田舎に帰省。家族親族が次々と物故していった狂乱はもう4年前に。静かだけれど静かなりに時間の流れも感じる正月でした。
アルバムを開けばもういない人たちが笑っている。
けどもよく考えれば写真に収められた笑顔はどれも過去。成長/衰退、生存/死亡にかかわらず変化を続けるぼくら全てが写真に収められた人物ではもはやない。全ての写真が遺影だと気付かされる。
並んで写っている兄妹も今やそれぞれモンスターに変貌して大変です。

2006年12月26日

来たよこの歳だよ

父親からメールがあり、田舎の祖父が「正月に来たら見合いせんか」とゆっているそうな。
いやそういう歳(あと半年で30)になったのだなあと感慨深くはあるものの、

・次世代をこの情勢の中に産み落とすのは酷だと思う
・身内に厳しい性格なので身内を増やしたくない
・なんかいろいろ面倒くさそう

というわけで、結婚はおろか見合いもしません!残念!

2006年12月10日

サッポロテイネ

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きのう、勢いでスキー一式買ったので、
今日はうちから車で40分のサッポロテイネへ。

99年にニュージーランドで滑って以来。
体もスキーを忘れてたし、必要な知識も忘れてました。

天気は雪雪雪。高速リフトに乗ったとたん顔に吹き付けてきて「無理無理無理」。

初心者コースで慣らし……と思ったら大回転のコースに迷い込み(しかも3回)ひっくりこけまくり。

コケてゴーグルがずれたら雪が入って溶けて凍って何も見えなくなり。

仕方なくゴーグルせずに滑ってたらまつげが凍り。

まあ気温が低い分、雪はよかったですけど。
しかし子供はうまいね……

ところで、リフトに乗ってるとき、柱に書いてある数字(現在通過本数/全体本数。6/18とか)を約分たり小数にしてみたりとか、しません?しないか。

折角買ったので、周辺のスキー場にいろいろ出掛けてみようと思っちょります。

2006年11月28日

(夢)

さきほどまで見ていた夢。
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・小学校高学年から中学卒業まで住んでいた長野市柳町の一軒家の公務員宿舎(今はもうない)。
・2階の、自分の部屋のベッドで目覚める。薄明(たぶん早朝)。
・隣の部屋に寝ているはずの妹は巨大な何か(蒲団のような)の塊に。
・薄暗くて急な階段を音を立てないように降りる(家族を起こさないため)。
・1階の一番奥、両親が寝起きしている部屋からゴソゴソと音が聞こえ。
・母親(故人)がふらふら出てきて台所へ。
・朝飯が遅れたことを弁解するように「なんかクラっと来ちゃって」と。
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ここではっきりと目が覚めちゃって、04:30。
今日は出張のため早起きの日なんだけど、アラームをかけていた時間よりも2時間早く起きてしまった。

2006年11月15日

ダリ回顧展

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に、行ってきました。東京出張のついでに。だってホテルは10時のチェックアウトだというのに会議は13時からだというんだもの。
上野の森美術館は朝10時半だというのにむちゃ混み!

しゅーるれありずむ。奇抜で写実的ですげえなあと思っていたものです。
でもなんか、実際に見た絵はいまだったらPCで作れそうなグラフィックデザインて感じ。
夢とか無意識とか、相対性理論とか原子物理学とかいった、20世紀初頭~前半の学問的成果に触発されて、そのイメージをカンバスに落とした、一種の時事漫画なのかもしらん。そういう元ネタが分かると実はあんまり面白くない。まるで伏線が見え見えのサスペンスを見せられているかのような。
立体視や騙し絵的な手法も革新的だったんでしょうが、今ならべつにもっとよくできたものが沢山ある。

いやもちろん、「当時それをやったのがスゴイ」というのは分かりますが。
なんかちょっと拍子抜けしながら外へ出ました。

あ、そうそう。もう一発侮辱しとくとですね。
いしいひさいちの『現代思想の遭難者たち』って漫画、面白いですよ。

2006年10月09日

連休の終わりに(※)

不思議なことに、コミュニケーション不全が起きた場合、ほぼ100%の確率で自分に非がある[と感じる]のだ。
というわけで特にハタチを大きく超えてからだが、「知人」以上のレベルで近しく関わる人たちにかんして、愚痴を言うことがあまりなかったりする[気がする]。
なぜか「それ違うんじゃねえか」と思ったことは、詰めてみるとほぼすべて自分の側の情報・経験不足あるいは単純ミスからくる思い違いだ。

客観的に自分が相当アホなのか、自分自身の心の中の何らかのメカニズムによって「私が相当アホ」という以外の部分が無意識的に捨象されているのかはよくわからない。が、まあとにかくここのところ「どうもいつも自分が悪いなあ」と思うことが多い。

正確に言うと、こういうとき愚痴は「言わない」のではなく「言えない」わけだ。別に悪くないと思っている他人をあしざまに言うのは自分に対する欺瞞だし、自分が悪いことを滔々と誰かに話しても救われないからだ。

そんな、はけ口のないストレスに対するマネージメントの一番は、ストレス源と向き合うことではなく、体調が整ったり、単純に時間とともにそのストレス源以外の情報が次々と飛び込んでくること。具体的な処方箋は「とりあえず寝る」と「仕事する」。

「論理の世界の中でとにかく何とかすること」というルールが予めあるようなゲーム(机に就いての論争などですかね)でなければ、案外「寝る」「食う」「遊ぶ」など「外にある手段を使っての対処」が有効なことって多いと思う次第。

というわけでおやすみなさい。今週も頑張りましょう。

※ちなみにワタクシに連休はありませんでした(笑泣)

2006年09月30日

Sleipnir


タブブラウザ Sleipnir 公式ページ(上級者向け)

遅まきながら、ブラウザをFirefoxからSleipnirに変更してみました。

■よかった
・Firefoxが使っている描画エンジンGeckoでは見られないサイトがなくなった。デファクトスタンダードのIEエンジンを使っているため。しかもGeckoにもワンクリックで切り替えられる。
・ホント嫌になるほど仕込まれている「新しいウインドウを開く」にハマることがなくなった。全てタブで開いてくれるため。
・いろいろカスタマイズできる。まだあんまりやってないけど。
・プロキシの使い分けがすごく簡単。社貸与のノートPCはLANに繋いだり外で繋いだりするので楽でいい。

■ちょい不満
・なんとなく表示でまごつく局面がある気がする
・「お気に入り」に入っているURLのアタマについているはずの小さいアイコンが表示されないのはなぜ?

「上級者向け」とありますが、いじりたい人にはいじり甲斐がある、そうでもない人はそれなりにいじれる、という意味で、おじいちゃん級の初心者でない限りは使ってよかったと思えるブラウザではないかと思いますです。

*2006.10.15追記

なんか動作が滞るのと、タブの扱いや検索などが馴染まないのでFirefoxに戻しました

2006年09月27日

瑣末で気になること

安倍晋三内閣の発足で、昨日はずいぶんテレビで安倍節を聞いたのですが、この人やたら「しっかり」って言うのね。むちゃくちゃ気になります(と、これを読んだ人もこれから気になりだす危険性が高いのだどうだ思い知ったか)。
どれくらい気になるかというと、食事してるとき、ひとがものを噛む音くらい気になります。

「しっかり」がこんなに多用された文章を見るのってたぶん小学校のころの文集くらい。この言葉は
(1)敢えて使わなくてもよい[例:しっかり進めていく→進めていく でOK]
(2)曖昧[和英辞書にやたら沢山の訳例が載ってる]
(3)音に勢いがある
という、けむに巻く語。だからこの政権はあいまいな言葉で実態を隠蔽しながら国を右旋回に導く危ない政権だとか言う気はありませんけど、特に話し言葉の中では割り切れない印象でいいイメージ持たれないと思うのでやめたほうがいいし、個人的にも気になるからやめてほしいなあと思ったのでありました。

2006年09月21日

アシリチェプノミ

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アイヌの「新しい鮭を迎える儀式」アシリチェプノミを見てきました。これについては素人の私の解説よりもこちらを参照。

天候はあいにくの雨。

2006年09月02日

高僧が斬る自殺

気の重い仕事を抜けて紀伊国屋に行くと、新書のコーナーにやけに「自殺」という言葉がタイトルに入ってる本が沢山並べてあってますます気が重くなった次第ですが。

それはいいとして、3年ほど前、ダライ・ラマが日本に来たときに仕事で面会したことを思い出しまして。まあ自分は握手してあいさつして、あとは聞いていただけですが、別の人が雑談の中で「日本では今、年に3万人もの人たちが自殺をしておりまして」と話すと、爺様はカッカッカと哄笑し「日本人は元気過ぎるのだなあ」とひと言、そして次の話題に移ってしまったのでした。

当時は、チベット紛争で夥しい人たちの死に接してきた爺様にとってはたいしたことではないのか、それとも別に輪廻のサイクルに乗っかって別のところで生まれ変わるからたいしたことではないのか、なんて思っていましたが、それは別に「元気である」こととは関係ない。今日は紀伊国屋の新書コーナーでなんでだろうかと考えてました。

自分の生に意味とか意義とかを見いださない人は敢えて生きる必要も感じないのでしょうが、それは裏返せば敢えて死ぬ必要も感じない、今生きているから生き続けるというエネルギーと振幅の小さい人なんだと思います。
反対に、生に執着があって、ことあるごとに意味や意義を追いながら生きている人は、その意義が失われたときに、まさにそれまで蓄えていた位置エネルギーの高さによって自死まで落下してしまうということなんじゃないでしょうか。

どっちが良いとか悪いとかではない、が。成長の時代の勢いをいま持て余している人だけじゃなくて、シニシズムのあとに来たベッタベタのイデオロギーを生きている人も危なくねえか、とか思うのであります。まあこれは余計なこと。

2006年08月30日

往く時間

ヌルくてワケワカラン話なので読み飛ばして下さいw

(1)
大人になったということ。パターナリズムやいろいろな子ども用の制度による庇護から外に出されて、いろいろな種類の「致命的なこと」「取り返しのつかないこと」へのリスクに晒されるという事実。

(一般的にどうなのかということは全く分からないのでとりあえず思い付くままに)

途方もない金額の損。後遺障害が残るようなけがや不治の病。修復不能な人間関係、誰かの命を危険にさらしたり、逆に自分が殺されかけたり。二度と会えない人にかける言葉を間違えたり。さらにそうした諸々の危機に際して自動的に対処、先導してくれる機構=庇護がもはやないこと。

いろいろと小さな失敗はあるが、致命的なことにはならないものだという信仰を、前世紀の終わりごろまでは確かに持っていて、それは甘い幻想に過ぎないと言われるであろうことは承知しているが、しかし当時は本当にそう思っていた。

坂を上りきったときに初めて見わたせた風景があまりきれいでなかったとしても、しかし目前に道が続いていて、「歩き続けない理由がない」という理由がある以上は下り坂を思わず歩き続けてしまう。

(2)
位牌も遺骨も何もないが、部屋に母親の遺影と、その前に皿だけ置いていて、ときどきスズランの香りがする線香を焚いている。

2003年の初め―「あと1週間」との報せを受け、仕事を長く休んで実家に戻り、しかし手持ちぶさたで写真の整理などしていたとき、ふと見つけてスキャンしたもの。たしか葬式が終わってからプリンタで打ち出して、ヨドバシカメラで写真スタンドを買って入れたもの。上田市にある前山寺の石段に二人で立ったシーン。遺影として選んだときからなんかヘンだなと思っていた。しかしなんとなくだ。

先週のある日、今更・しかし突然その意味が頭に響いた。遺影に写っている二人は二人とも、もう死んだ人なのだ。ほんとうに今更な気づきですけどね。

死に向かう生はカウントダウンの時間を生きる(あと何年何月何日何時間何分何秒)。
死んだあとの時間は永遠にうつろに積み重なる(「その時」から何年何月何日何時間何分何秒)。

ちなみに父親が暮らす山あいの職員宿舎の部屋には、家族がまだ全員揃っていて一塊で、その直後に始まるどうしようもない瓦解なんか空想もしないころの家族写真が飾ってある。自分は密かに、あれも遺影の一種だと思っている。

2006年06月28日

語るの振り子

「そういう考え方もあるが、一方こういうことにも注意しなければいけないと思う」という具合に、言葉を紡ぎながら、同時にその言葉を注意深く眺めて、その言葉では言い尽くせないことをさらに補足していくような話し方/書き方を、学生だったころはしたいと思って試みていたように思う。

とはいえアタマもそんなによくないので、大抵は「あれもこれも」な、何を擁護したくて何を擁護したくないのかがわからないような文章になって徒労感を感じるというオチだった。前世紀の終わり頃の話です。

学校を出てからごく最近までの5年間は、そんな言葉の紡ぎ方をちょっと変えてみようとしていた。
なるべくストレートに、細かい修飾を排除して、誤解や不正確さを恐れずに、とにかく大振りな感じに荒っぽくぶつける。相手がそれを首尾良くキャッチしてくれたらそれでよし。齟齬が生じたら対話を通じて必要なかぎりの修正を加えていく。
最初からいろんな可能性を想定して注意深く糸を渡していくやり方に比べて、こういうのは楽というか、まあ無精なやり方ですよね。重箱の隅をつつくような細かい注釈なんてイミない、大体あってればコミュニケーションはとれる、という気分はあったに違いない。歯切れのいい、蛮勇な感じの物言いがカッコイイ気がしていたというのはもっと自覚的にあった。

で、今ふたたび、言葉を使うのにもっと気を遣っていこうと思ってます。
どうも最近、楽をしすぎていて細かいことを考える体力がなくなってきたとか、という危機感がある。それから蛮勇な感じの物言いにも飽きてきたというのもかなり大きい。あと、まずドーンと相手にぶつかって、こっち向いてもらっていっしょにお話しましょうよ、というつもりが単に気分を害されちゃっただけ、ということもあった。

なんて書き出してみるとどうも数年周期で自分自身の語り口に飽きてるだけっぽい。というわけで暫く口数を抑えて、そのぶんよく考えて言葉を発したいと思います。

※そのうち、昔やってたホームページに書いた恥ずかしい文章を気ままにアップしてみようと思ってます。日付が極端に昔のやつが上がってたら、それです……

2006年06月25日

野天ジンギスカン

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職場の企画で昼食にBBQやってきました。ここ北海道でBBQというとジンギスカンのことだそうなんですけど。

場所は札幌市中央区の宮の森ガーデン。天気は久しぶりに弩ピーカンでした。野外で夏の太陽を浴びながら、くっさい焼肉です。うまいねー

やり方は簡単。
・脂を鍋のてっぺんに置く(適当に溶け出したら鍋全体に塗りたくって取り出す)
・モヤシと玉葱中心の野菜を鍋のへりに敷き詰める
・上の方で肉を焼く
これが正統かどうか知りませんけど、みんなこうやってました。

2006年06月14日

まさに近況

すっかりエントリの間が空いてしまいまして。
まあ何というほどでもない日々が続いていたわけですけど。

転勤前の職場での仕事っぷりを上司が知ってか知らずか(たぶん知ってる)「こいつは自由放任にしておけばよかろう」ととてもフリーに動けるポジションにつけてくれたんですね。

しかしその実、前の職場でやっていたことはカッチリした受け持ちがあって、そこで仕事をしながらそこからの派生物の処理もしていたら一定の成果になったというだけのこと。
完全フリーの状態から何事かの仕事を見つけてくるってのは得意じゃないんです。
元来とくに何に興味があるわけでもないので、仕事全体を規定する「枠」がないと何していいかわかんなくなっちゃう。

で、先月半ばからいろいろと模索してたんですけどね。
まだ答えは見つかってませんが、ま、焦らずやっていってもいいかな、と思い始めたこのごろです。

いやあ管理人が何者か知らない方には意味不明なエントリでしたね。
呟きでした。

2006年05月14日

やめときゃいいのに

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宿直明けで昼飯食いに入った喫茶店のメニューなんですけども。

まずライスがliceになってんの。これはシラミlouseの複数形です。何食わせるのかこの店は。
と思っていたらグラタンgratinはgratanに、ピラフpilafはpilafeになってる。
オムライスはちょっと難易度高い。日本発祥の洋食なのでomelette riceとかなんとか苦し紛れな表記しかなさそうだけど、これもomliceというアクロバット。

さらに画像には出てませんがハンバーグhamburg steakはhumburg、鶏肉chickenはchikenにと、ほぼ全ての英訳に間違いがあるという芸術的なメニューに見入ってしまい、注文が届くまでの時間を感じさせませんでした。

わかんないなら調べろよ!

2006年04月28日

あたらしい生活

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ここで。ここから。

2006年04月26日

bye bye

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引っ越しを済ませて、いちど実家に引っ込みました。
札幌に移ると「ちょっくら」では帰れなくなるので、狭い範囲に固まって住んでいる親戚を訪ねてから発とうというわけ。

車は実家に置いていくことにしました。
さっそく松本の運輸局に行ってナンバーをつけかえたので、もう自分の車ではありません。3年で42000km。結構走ったな。bye bye.
長野県南部は比較的温かいとはいえ、寒冷地仕様じゃないこの車は冬を越せるだろうか?ちょっと不安もあるけど、まあ最近の車だから大丈夫でしょう……

実家でいままで使っていた車は91年のコロナです。この15年、入学・卒業・引っ越し・離別と家族のいろんな局面を乗せて走った車。自分が今回実家を発ったあとに廃車になります。だからこちらにもbye bye、というかこちらにこそbye bye。

出発は中部国際空港から。

2006年04月22日

変な夢日記。

掃除機のフィルタが破れているのに使い続け、環境を汚染したということで書類送検されました(容疑は不明w)。なぜか学校の教室に顔見知りの警察の人たちが来て容疑事実を述べてたんですけども、まあ超感じ悪かったな。

まず犯意を立証するために「フィルタが破れれば音が変わり、使い続けていればそれは気付くのが当然」というので「掃除機使うのなんか月1回だ!気付くか!」と反論しようとしたが機会は与えられなかった(自分の名誉のために言っておくと、確かに月1回くらいしか使わないが、もっと頻繁にフローリングワイパーで埃とってますから)。

さらに「掃除機の排気が汚いといっても軽微で、被害者が存在しない。何の法律違反なのかもよくわからない」などと言おうと思っていたが送検の手続きが済んでしまっていそうだったので意味がなかった。

********

さて、掃除機のフィルタくらいで送検されることは実際まずないにしても、いちゃもんみたいな容疑事実で司法のプロセスに乗せられるという一般的な可能性はあります。

警察が疑いを持った相手が逃げたり、証拠を隠滅するおそれがあると判断すると、裁判所から逮捕令状をとってきて身柄を拘束(逮捕)、48時間以内に検察官に身柄を送致します(めったにないけど、送検しないで釈放することも警察の裁量)。
もうひとつのルートは書類だけを検察官に送って判断を待つ(被疑者の身体は自由)もので、これが「書類送検」。

いずれにせよ検察官は起訴(裁判所に判断を仰ぐ)するか不起訴にするか決めます。不起訴になっても、例えば「起訴できるけど、初犯だし反省してるからしないでおいてやるか」という検察官の裁量で終わるパターン(起訴猶予)が多いようです。

今回の夢でも行き着く先は不起訴でしょうが、しかし「書類送検された」「不起訴だったけどその内実は起訴猶予だった」は世間的には不名誉なタイトルとして残ります。一方、司法のプロセスで持つ意味は単に「罪を犯した疑いがあった」「けど、まあ検討したら裁判にはならなかったっつうことやね」という中立的なものでしかなく、そこに不服を申し立てて「あなた清廉潔白」と言ってもらえる手続きはない。

まあ別に特別なことがない限り、こういう仕組みを利用した公安当局などによって「嫌がらせのためだけに司法プロセスに乗せられる」ということはないわけですけども……

2006年04月21日

秋空?

060421sora.jpg
●朝
家を出るときに見た空は、晴れているのに遠くの雲のお尻が黒くて珍しいなあと思った。

●午後2時
空が真っ暗になり、雷鳴が轟いて、雹(ひょう)が降ってきました。外に置いていた車のワイパーに氷の塊がたくさん積み重なっていました。

●午後4時
ひんやりとしたいい匂いの清浄な空気が入って空が高くなり、傾きかけた日の光がまるで秋の空のようでした。写真は午後5時ごろ、仕事先の近くにある牧場。なんか南半球に来たみたい。

2006年04月09日

一番楽しみだった送別会

(札幌日記の続き)
羽田に戻って、その足でバイクの友人たちが催してくれた飲み会に行ってきました。神田にある「世界の山ちゃん」で手羽先を食って、駅前でカラオケして、そのまま8人ほどで友人宅へ。午前3時までおしゃべりして、グースカ眠って、日曜午後から山梨の「ほったらかし温泉」に連れて行ってもらいました。

山の上から盆地が一望できる気持ちのいい露天風呂で、かつてはツーリングの穴場だったのですが最近は新しい湯船ができたりガイドブックに載ったりで、僕らが行ったときも大型観光バスが乗り付けるなど日曜の夜だというのにけっこうな盛況。月と星と生活の灯を楽しんで上がりました。
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遅い夕飯を、石和温泉の「小作」で。ほうとう(1100円)。味がしみてておいしい。
目の回るような、そして自分が関東にいた数年間で得たものをビシビシと想った4日間でした。

2006年04月08日

札幌で部屋探し。

札幌に部屋探しに行ってきました。
羽田の第2ターミナルからANAで新千歳へ。
「現地悪天候(雪)のため函館にダイバートか、羽田に引き返しもあり得る」との条件付きでの出発です。
060406sapporo_yuki.jpg
ええと、4月ですよね?
現地はやはり雪でした。無事に着いたけど。

さっそく部屋探し開始。不動産屋に「法人契約だと管理会社の入居審査はまあ大丈夫でしょ」とのことで、6件ほど見ていいところに決めたのですが、次の日の夕方になって管理会社が「おたくの会社とうちは前に揉めたことがあるので契約はしません」だと!

というわけで予備日としてとっておいた3日目に再度部屋探しするはめに。13時半には空港に行かなければならないので急いで3件見て、その中でもいい物件に決めました。関東では1LDKくらいの値段(場所によりもっと安いかもしれない)で2LDKがあったので、それで。南向き、7階建ての最上階。ちょっと持て余す広さですが、来客に備えるにはちょうどいいでしょう。

関東では見られない慣習として「冬期特約」というのがあり、冬の間(多くは11月~2月らしい)に退去した場合は敷金が返ってこないという特約を付けられるケースが多いのだそうです。なんでだろう。冬期間は人の出入りがないとか、保守が難しいとかあるのかしらん。
それから「2年の契約期間内に退去した場合は敷金が返ってこない」というのもあり、法人契約の場合は冬期特約は交渉次第で外してもらえることが多いのに対し、2年以内の退去の場合の罰則は外せないのが通例だそうです。ほっほう。

2006年03月13日

のみかい

060313nomikai.jpg東京の本社で会議。ここ1年の各地方職場の仕事っぷりを報告する場なんですが、自分はタイピングが早いからということで書記として参加。会議進行と同時に議事録ができていく!とアナログな人たちに騒がれてしまい、同席したヤング(死語)たちの手前、非常に恥ずかしい。

5月に北海道への異動が決まりましたので、これまでの変則的な受け持ちからは外れて、報告にあったような、日々工夫と地道な努力が必要な仕事に戻ることになります。といっても社内的には「いいなあ」とか「どうしてお前ばっかりそんな……」とやっかみを言われるほど楽しい職場らしいのですね。適度に頑張りつつ楽しもうと思います。

で、会議後は苦手な寿司で飲み会。最近飲みが込んでます。

2006年03月05日

友達が遊びにきました

バイクの友達3人がうちに遊びにきました。
1人の用事が終わるのを待って出たそうで到着は未明の1時!そこから6時半まで酒飲みながら喋って、朝の光を避けるドラキュラ伯爵のように眠りにつき、13時に起きて近所の回転寿司で昼飯、さらに18時過ぎまでうちで喋って帰っていきました。うーん楽しかった。

妻子なし・恋人もなしの30代(自分だけ20代)は休日にするべき家族サービスや恋人接待なんてものはありませんから、まるで下宿生活の学生のようにお互いを訪ねたり思い思いの場所に出掛けたりして過ごすわけです。

そういうわれわれにとってはバイクはほんとにいい趣味だと思うんです。
4輪と違って、雨に弱く積載量も少なく危険もあり洗車だ整備だと手間とお金のかかる趣味ですが、そういうマイナーな趣味を持っている人たちの間の連帯感があるのか、人と人を結びつける効能を持っている。

非婚の人々の、永遠に続くかと思ってしまうほど長いadolescenceは――貴重ではあるけれども――一緒に過ごす人もなく・否応なく時間を奪い取っていくほど仕事が密でもなければ結構暇。その隙から暗闇に落ちてしまわないよう自分を繋ぎ止めていてくれるこの趣味と、同好の友達に感謝するのであります。

2006年03月03日

遠い日の花火

■3歳のころ、うちの車のシガーライターに指を突っ込んで火傷して、医者に行って帰ってきてもヒリヒリしていて泣いていたその傍らで、やれやれ一仕事だったと両親が出前の寿司を食っていたのが記憶にある最初の寿司の記憶。そのせいか否かは分からないものの、これまで一度も刺身をうまいと思ったことはない。ただ不思議と寿司飯+火の通ったネタは大好きで、連れ立って寿司屋に行っては割り勘負けするという歴史を経て来ております。

 ところがひとつだけ例外があって、むかし地元の「かっぱ寿司」で好んで食べていたのが「うずら」。うずらの生卵が載った軍艦巻き。いちど食中毒を出したか何かでなくなってから20年以上食べていない気がします。あまりに安直な寿司で今食べてもうまいと思うかどうか分かりません。世界(生活世界)が今よりもずっと狭くて温かかったころの想い出。

everytime I eat Sushi, it reminds me of the sour memory when I was three...

■中学1年のころ読み始め、新刊が出るたびに買っていた、秋月達郎『パンゲア三国志』っつう小説がありましてね。2年くらいかけて10巻近く出たあとパッタリ出なくなってしまったんですが、そういえばどうなったんだろうと検索をかけてみたところ、作者の野郎はぬけぬけとホームページなど持ち、未完のシリーズをこれまたぬけぬけと「作品リスト」に載っけたうえに、さらにぬけぬけと別の長編を書いたりしておるのですね(それが完結したかどうかは知らんわ、もう)。しかもネットでは最悪の三国志パロディとして紹介されている始末。まあ当時は本家の三国志の筋をまったく知らずに読んでいたため、そのムチャクチャさには気付かなかったのですが。

美樹本晴彦が挿絵を描いていてそれが美麗だったとか、むやみに難しい漢字を覚えられたとか、一応のメリット(?)はありましたけどね。ふと昔に戻った一瞬でした。

■永谷園の(←ここ重要)焼肉ふりかけ。
当然のように焼肉「の、タレ」の味がするわけですが。ごはんにかけて暫く置くとふりかけが溶けてきて、まさにタレぶっかけたご飯のようになるのがなんとなく楽しかった。弁当の日だったりすると特によく溶けておるのですね^^
これもいつの間にかなくなっちゃったな。「味ぶし」「鮭っこ」など姉妹品は少し大人の味だった気がする。

2006年02月26日

手持ちぶさたな午後、ふらりと出掛けた。

出掛けた先は3、4カ所あったはずだけれど最初のほうは忘れた。覚えているのは卒業した中学。当時に戻ったのじゃなくて今の姿のままでちょっと構内を探索する感じです。夕暮れの校舎をあてもなく散歩するという。

#よく夢に出てくるのは高校でも小学校でもなくて中学です。なんでだろう。廊下は90度の角度で曲がること、とか、軍隊みたいな避難訓練とか、やたらマニアックな国語の授業があったりとか、とにかくヘンで厳しいとこでした。好きだったけど。

それから、その中学から150km離れた本家。伯母と祖母が暮らしているので、こちらも「ちょっと顔出していこうかな」というくらいの感覚で。ちょうど夕飯の用意をしているところで、ふらっと台所に入ってばあちゃんに話しかけると、「はぁー?」みたいなまったく要領を得ない返事。惚けてしまっている。よく見ると、顔も少しおかしくなってしまった人の顔つきになっている。ぞっとしたところで目覚め。

#ちなみに現実のばあちゃんは今でもしっかりしてて元気です。精神がイカレると顔つきも精気がなくなるだけじゃなくてパーツが崩れてきますよね。そのあたりリアルに再現?している自分の脳にちょい感心

朝はまだ7時前でした。うーん、来月あたり田舎に帰るかな。

2006年02月20日

東京逍遙

朝飯は汁粉。
昼過ぎから東京へ。雨そして寒い。
キース・ジャレット「ケルン・コンサート」を仕込んで聞きながらバスに揺られてみたら、風情があって酔った(音楽に)。

3ヶ月ぶりに通帳記帳。上野をちょっとほっつき歩いてから新宿。紀伊国屋書店で必要だと思われる本の当たりをつけて退出(その場で買うと重いので後日amazonで注文する)、歩いていたらABC Mart(靴屋)でセールをやっていたので2割引で仕事用の靴を新調。履いていたのはその場で廃棄。

夜は仕事先と夕飯(というか今日のメインはこれ)、焼肉喰ってきました。赤坂 大関 (03-3586-5456 東京都港区赤坂3-18-12)。
だいぶ分かりにくいところにありますが19:30には満席。「牛いっぴき」コースはいろんな部位が超厚切りで出てきましたが、今自分がどこの部分を食っているのかよくわかりません。でも炭火で焼くのがとてもウマイ。あと白飯も店の外にあるお釜で炊いているとのことで、意外にも絶品。3人で飲食して15000ちょい(ただし2人はウーロン茶)。

2006年02月11日

bye bye エストたん

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社会人一年生の01年からおつきあいしてもらったバイク(Kawasaki: Estrella-RS)とお別れしました。今日で保険が切れるのでこのタイミングを逃さないようにと近くのバイク屋に持ち込んで引き取ってもらいました。あっけなく15万円に化けました(こかしたことがあったり、タイヤ交換なし、ぐうたらメンテナンスで15000km乗ったわりには、まあまあかなと)。振り込みなのでなんか大して実感ないですね。

02年に北海道、03年に東北と北海道に遠乗りしたのが想い出です。高速道路では100km/hに達するとミラーなんかをガタガタふるわせながら「ぎゃー、やめてー!」と音を上げる天井の低さでしたが、まちなかを走っても燃費が35km/l前後と、少ないご飯でよく働くところがお気に入りでした。

後継はまだ決めてませんが、SUZUKIの逆輸入車GSR600なんかいいなあと思ってます。これは店に聞いて貰ったところ、デリバリーが4月下旬から5月ごろになるとのこと。3月末にあるモーターサイクルショーで実物に会えるかな。暫くバイク生活お休みです。

2006年01月15日

まる3年

060115senko.jpgさっきまで忘れてたけど、命日。おせんこあげました。外は早春のように暖かくて晴れてます。

3年前の今日、郷里ではボタン雪がこんこんと降っていて、朝のうちに病室にいた自分が「すごい雪!」と言葉をかけると、言葉はなかったけれど窓のほうに目をやって「まあ」みたいに口をあけて反応してみせたのがほとんど最後のコミュニケーション。
この時間(午後3時半まえ)には呼吸と脈が止まって、代わって病室にいた父親から「俺だ」とだけ聞き取れる電話がスーパーで夕飯の買い物していた自分のもとにかかってきたんだった。自分の生から全ての意味が脱落した日だったなあ。

あの世だとか霊魂だとかは、証拠や体験がないので信じていませんが、反証する材料もないので否定もしてません。一言でいうと「よくわからん」あるいは「それほど興味ない」というレベル。
万一あった場合に備えて線香をあげてみるとか、部屋でオナニーするときは写真立てを後ろ向きにしてみるとか、そういうわけのわかんない対策はとってますが(笑)

2005年12月21日

こんぷらいあんす

マンション問題で登場した「アネハ」(耐震強度を偽装した建築士)と「シノヅカ」(コストダウンの圧力をかけた建設屋)の二人は、本当のことを言っている気がします。

アネハ曰く「自分は『(法令の範囲内では)これ以上無理』と言ったのに『もっとやれ』と言われたので、法令違反をしろと言われたと思った

シノヅカ曰く「コストダウンしろとは言ったが、法令の範囲内でのつもりだった

つまり二人が実際に交わした言葉の上では「法令違反になるかどうか」は全く登場せず、二人とも自分に都合の良いようにそのポイントを勝手に解釈していたんでしょう。

★★

成田空港の電気設備工事をめぐる官製談合事件で、東京地検に競売入札妨害容疑で逮捕・起訴された現職部長2人と、逮捕はされなかったが入札前に業者の割り振りに加わっていた現職課長1人が懲戒解雇されました。

自分自身が業者から接待を受けるとかではなく、OBが天下りした企業だとか、新設した設備のメンテナンスなど先のことを考えてのことで、しかも代々の課長に受け継がれていたことだからやっちゃった、という。「いち歯車として前任者もその前もやっていた仕事を淡々と引き継いでいたら、運悪く摘発された」というパターン。

★★★

自分も会社員で、しかも仕事の内容が時々法律ギリギリだったりするので、なんかこの2つの事件を見て考えさせられることが多かった最近です。

安全飛行すると仕事の能率が上がらない、
しかしアクロバットはリスクを伴う。

で、リスクが顕在化したときに、会社は何というかというと「個人の問題であって、組織ぐるみではない」。「仕事の能率を上げるのは必要だが、それは法令遵守の範囲内でというのは当然だ(言うまでもない)」といったところか。

会社のためにリスクを犯すことのわりにあわなさ。

★★★★

大きい会社とか、古い会社みたいに、個人の多少のパフォーマンスの悪さが目立たない組織だったら、出世なんかどうでもいい、安全に生きようということもできるでしょうが、そうでなかったら。

法の限界を超えるかどうか、目の前の選択に生活がかかっていたら。

2005年12月19日

たまには日記を書く

寒い。

2005年12月07日

さようなら、さようなら

ちょっと前から、去年9月以来やっていない遺書の改訂をしてます。
別に死ぬ気もないし死ぬとも思ってないけど、自分の歳だといざ死ぬときは周りの人にさようならを言う間もないケースだろうと思うので、
(1)情緒的なこと
(2)実務的なこと
の二つを書いておこうという気になったわけですね。

意図する/しないに関わらず故人に嫌な思いをさせてしまった人は、生き続ける限り謝罪や赦しを得る機会をなくしてしまうだけに、死ぬほうとしても人間関係の清算は案外責任重大だと思います。自分の美学としては、近しい人たちに向けては「ありがとう、色々あったけど思い返せば出会えてよかった」と言い残して逝きたい。まあなかなかそう思いがたい人もいるかもしれないけど、やっぱりここは頑張って「ありがとう」方向に気持ちを向けておくべきで。これが(1)のメインの内容ですね。
あとは特に書き漏らしがないように。「お世話になりました」系とか特にですねw
逆に密かに好きだった人に「好きでした」と言うかどうかは微妙なところだな。

(2)は残務整理の労を減らすためのもの。独り暮らしが長いと家族でさえも知らない自分の生活というのが随分大きくなるので、見てほしくないものとか、逆にもろもろの手続きに必要な書類がどこを見ると発見できるかとか、さらに自分が死んだことを誰に伝えてほしいとか、葬儀や埋葬は寺や関係者と軋轢を生まない程度に質素にしてくれとか(「散骨してくれ」とかイレギュラーなこと言うと案外遺族の手間が増える)いったことを書き残しておくわけ。

(a)自分が死んだあとの世界などどうなろうと関係ない
(b)そもそも自分が死んだあとに世界などない
という考え方もそれはそれでアリでしょうが、自分の場合はずいぶん世界からお世話になっていると思うので(a)とは思いにくいし、(b)はいざ自分が死んだあとにも世界が存続していた場合に手の打ちようがないので、生きているうちにできる用意はしておこうと思った次第です。

しかし実際始めてみると案外遺漏が多いような気がして、いつ終わるのかねこの作業、って感じになってきてしまいました。いつのまにか年賀状作りにかまけてしまいそうな気もします、が!

2005年11月20日

ハバネロ

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ハバネロです。こんな外観だったのか。
よくいく飲み屋の常連さんが、自分で栽培したやつを持っていらっしゃいました。
外の肉の部分はそれほどでもないものの、中の種がついてる部分は舐めただけで辛さが数時間持続したそうです。そういわれると却って舐めてみたい気も…。

19日は寒かったです。東京に遊びに行こうかなと思ったけど面倒だし日が暮れるのが早いのでやめてしまいました。20日はどうしようかな。

2005年11月17日

Naxos Music Library

廉価クラシックCDでおなじみのNaxosが、月額制の音楽配信サービスを始めました。その名も"Naxos Music Library"。

16万5千曲以上という膨大なアーカイブの中から、作曲者名やジャンル、形式(協奏曲、器楽曲、歌曲など)などで絞り込んで再生できる仕組みです。
月額1890円=NaxosのCDほぼ2枚分、という価格をどう見るか。なんとなくちょっとお高めの気もしますが(これで年払い6000円くらいだったら迷わないんだけどな)、まあ月払いだから嫌になったらやめればいいやと申し込んでみました。

惚れ込んだ1曲と一生つきあうという聴き方をする人は眉をひそめるかもしれませんが、いろいろな時代や形式を軽やかに渉猟することで、まったく知らなかった「私の名曲」との出会いを期待できる、とても便利なシステムができた!とけっこう感心しました。

そうした出会いを経てほんとうにずっと手許に置いておきたい曲が見つかったらCDを買えばいいので、試聴できずにCDを買ってがっかりする、みたいな落胆と怒りは撲滅できることでしょう。

あと自分に特有の事情かもしれませんが、本を読んだりものを書いたりしているときに音楽を流していると、知らない曲だとよほど自分の好みにズギュンと来る曲以外はBGMとして聞き流せるけれど、知っている曲だと一緒に歌ってしまって手もとが全く止まってしまうタチなので、部屋に流すBGMのライブラリとしてもとても有効だと思いました。

先々月にぶろーどばんど導入してからほんと家の居心地がどんどんよくなるんだなあ。

2005年11月12日

Ocean Airlines

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成田空港で見慣れない塗装のジャンボ貨物機を見ました。
Ocean Airlinesという、イタリアはブレシアの貨物専門航空会社なんだそうです。運航を始めてまだ1年とか。
アルマトイ(カザフスタン)、香港、ドバイ(UAE)、上海といった都市に定期便があるようですが、どうして極東の成田まで来ていたんでしょうね。

今日は朝まで雨が降っていましたが、昼前にはすっきりと晴れて冷たい青空が広がっていました。

2005年11月11日

GSR400

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もうとっくに終わってしまいましたが、東京モーターショー。
二輪で一番いいかも、と思ったのはSUZUKIのGSR400です。これは実際に発売予定だというので結構期待ですね。またがってみたい。
飛ばしたりしないけど、高速道路で追い抜きするのに今の250ccはツライ、という自分には400ccくらいがちょうどいいのかな、という気もします。
自分の場合、バイク選びの基準は一に見た目、二に燃費。パワーなんてどうでもいいのです。

ほんとうはTRIUMPHのSpeedmasterという、少しすっきりめスタイルの865ccアメリカンにここ3年ほど恋していたのだけれど、欲しい欲しいと思っているうちに今年は日本へのデリバリーがなくなってしまったので、そろそろ他に目を向けざるを得なくなっちゃっていたのです。

2005年11月09日

起動/軌道へのブースター

ルーティンワークのあまりない職場で、仕事の込み具合が凪ぎに入ると本当に暇になるので「暇だ暇だ」とことあるごとに口にしていたら、昨日午後から怒濤のように仕事になってしまいました。いやあ余計なことを言うもんじゃないっすわ。

やる気が出るといろいろ回って成果も上がる、成果が上がるとやる気が出るという循環は確かにあると思うのですが…これは最近3カ月(長すぎ)だらけていた自分をまた始動させるいいきっかけになったのかもしれませんです。

2005年10月31日

帰省3日目(最終日)

20051031seiyouken.JPG
実家の実家へ。母と祖父の墓参りをしてから、精養軒(長野県駒ケ根市中央6-12)の出前カツカレーで昼食。今は祖母がひとりで暮らすこの家にもっともっと人が住んでいたころ、思い出せないくらい昔から、盆暮れに親戚が集まったときにとっていたのがこのカツカレーです。名物のソースかつ丼もうまいです。

母親が亡くなったときに抱いた、「こんな思いをするならこの先家族など増やすまい」という思いは3年近く経つ今でも続いていますが、しかしそれを、家族が再び増えることを期待している人たちの前で言うのもまた酷なことなので、今は曖昧な笑顔でかわすばかりです。

折しも先週、一緒にツーリングに行った面々も全員が結婚しない20-40代でしたが、そのなかのお一人が「自分は多趣味を[結婚しない]理由にしている」と話していたのを聞いて、うまいなあと思いました。ダイビングとかバイクとか、確かに時間とお金のかかる趣味のある方です。もう少し時間が経ったらそれ、使わせていただこうかな。

首都高が混んでいたおかげで1時間ほどロスして、5時間ちょいのドライブで帰還です。
米とか下着とかを持たされて帰ってくるあたりが田舎者っぽいね。

2005年10月30日

帰省2日目

20051030suits.JPG
帰省の目的はスーツの採寸です。
前回、採寸したのは確か5年前。もろもろの事情で(笑)だいぶサイズアップしたという実感はありましたが、さて。

…B102,W80,H98

ウエストがだいぶ豪華になってました。胸囲もけっこう伸びていたはず(前回値確認しなかった)、尻は少しだけ。うーん、野郎のスリーサイズのスタンダードなんて知りませんが(あるんか)、これだけ見ると単にデブになったとしかいいようがない…

手順としては、ずらっと並んだ生地から気に入ったものを手に取って受け付けをし、採寸したらお金を払って約1カ月後に出来上がったスーツが届くのを待つというもの。街の仕立屋でこれだけやると10万くらいかかるはずですが、地元の生協が半年に一度くらいやるオーダー会なので4分の1ほどで済むというもの。
かなり深い茶色のものをひとつ、それからほとんど黒の紺系の地に少し細かいチェックが入ったものをひとつ頼んで帰ってまいりました。

2005年10月29日

帰省1日目

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20時に仕事が終わってから帰省の途に就きました。
東関道→首都高→中央道で都合5時間近くの道のりです。

4週続けて雨の土曜日。夜になっても降ったり止んだりの中でしたが、首都高に入ると全く雨に降られることなく走れました。
四輪も二輪もそうですが、長い時間の運転がそんなに苦にならないほうです。いろいろ考える時間に充てられるからかな。
郷里に近づくにつれて、普段は考えなくていいこととか、考えないようにしていることが頭の中に去来してくる。それはそれで辛いことではありますが、こういう時間も必要なのかなと思ったりもします(まあ、今のところはその余の生活に比較的余裕があるからでしょう)。

なんだか昨日から風邪っぽかったので、薬を飲んだりのど飴をなめたりしてやり過ごしてきました。昨日は21時半くらいには就寝。今朝は8時半起きで、さらに職場でも少し仮眠を取れたということは思いのほか身体にキてたんでしょうか。

2005年10月20日

ピアノを見る視点

もうクソ眠い思いをしながらもあいかわらずショパンコンクールの実況中継を見てるわけです。今週は週末にバイク仲間とツーリングに行くので早寝早起きの生活を送る予定だったのに…。まあいいや。

昨日から本選が行われていて、特に今日はイム・ドンヒョク(韓国、1984-)が出ているので一度は見ておかねばならないというわけで、こんな時間まで起きているわけです。
以前、彼がN響と共演したラフマニノフのピアノ協奏曲第2番をNHKで見て、こいつぁすげえと思って以来注目してました。若いんだけど何か既に雰囲気を纏っているのと、技巧系のピアニストの中でも頭一つ抜けているので、CDで聴くよりも映像で楽しむべき人なのではないかと思います。

といって特に彼の場合は表情豊かなので、
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こんなアングルのショットでも全く飽きさせません。情感こめるところなんか梅干し食いましたか、みたいな皺とか、ほとんどオルガスムみたいな表情を見せてくれます。
NHKなんかはこの、ピアノのフタの方向からピアニストの正面を捉えるカットを多用するんだけど、これは手もとが全く見えないので、普通は手もとが気になる人(多くはピアノ弾き)から歓迎されないはず。恍惚の表情が画になると思ってるとしたらNHKのスイッチャーはよほど音楽の素養がない。

んじゃあ、どこのアングルがいいかというと
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これですね。やや背後で斜め上からのショット。右手と左手がかぶらずに見られるのと、鍵盤のフタの表面がツルツルしているおかげで左右の手の鏡像まで見えるのがよい。練習室なんかでひとが弾いているのを見守る視点ともいえる。
さらに本選のカメラワークでは
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こういうアングルもあります。これは実際会場にいる、S席(あるのかどうか知らないけど)に座っている人の視点に近いですね。ステージ下から見上げるアングル。これも実はけっこう指の動きが見える好位置といえましょう。動きよりも音を楽しみたい人はもうちょっとステージ向かって右寄りのほうに行くんでしょうけど。

さて、本選に出場した12人のうち、協奏曲の1番を選んだのが10人、2番が2人。抑揚がより豊かな1番がコンサート向きだということなのかもしれませんが、イムは2番を選んでました。
100のテクニックを持っている人が100要求される曲を弾くのと、150のテクニックを持っている人が100要求される曲を弾くのでは安定感と、当然見ているほうの安心感が違います。さすが別格扱いのピアニストだけあって(というかロン・ティボーで優勝しておきながらこの上何で称号が欲しいのかしらん)出てきてから引っ込むまでが堂に入ってましたです。はい。

2005年10月15日

普通の土曜日

■昼過ぎに食材を買い込んだのに、午後はウダウダしてるうちに晩くなって腹が減ってきたので、近所のサイゼリヤへ行ってしまいました。
いつものように冷たいパンプキンスープとハッシュドビーフ(だっけか)。注文してから、今日届いたETCカードの説明書を読もうと思って懐から取り出して目を落としたとたんに料理が2品とも運ばれてきて笑った。
当然レンジで温めただけなんだろうけど、ターメリックライスなんてもう平べったい直方体の塊なの。ほぐさないと自然に盛った形にならない。こういう気取らないところが憎めないのであった。648円。

■帰ってきて、目下2次予選が進んでいる「第15回フレデリック・ショパン国際ピアノコンクール」のストリーミング放送をPCで見てたら、辻井伸行さん(1988-)の演奏を放送中。全盲のピアニストとして既に名も売れステージも数多くこなしている人ですが、とても正確な演奏をしていました。客席の拍手が鳴りやまずに4回も手を引かれて舞台に戻って頭を下げていました。
目が見えないのにスゴイ、という評価の是非についてはもう古い議論なのでしょうが、まああまり深く考えずに

(1)審査員は、コンクールの審査基準に「ピアニストが盲目の場合の優遇措置」なんてない(だろう)から、「盲目なのに巧く弾けた」ってことで加点しちゃダメ(「音楽性を競う」という明確な目的と評価方法が用意された・公的な場での作法)
(2)一方で聴衆が「盲目なのにすごいなあ」と盲目分の下駄を履かせて感動するのは勝手(個人の内面の自由)

という二本立ての、当たり前っちゃ当たり前の姿勢でいけばいいんでねえかと思います(こういうのがフェアな態度として受け入れられていたからこそ前回2000年のコンクールでは同じく全盲の梯剛之さんが(1)2次予選で落選しながらも、(2)”ワルシャワ市長”賞をとったんだと考えたらだめかしら)。

こういう考え方の足下がグラッと揺らぐのは、(1)について「コンクールの審査基準に『ピアニストが盲目の場合の優遇措置』を盛り込むかどうか」が問題になるような局面が来たときかな。

・盲目であることは明らかにピアノ演奏には不利(音がポンポン跳ぶ場合、厳しい)なので、その分の下駄を履かせてもいいという考え方もあるでしょう(「下駄をどうやって数値化するか、とか、足に障碍があってペダルが踏めない人がエントリーしたらどうするか、という別の問題がでてきちゃうけど)
・一方で、「コンクール入賞→名声→その後の営業(コンサートとか教職)にプラス」というコンクールの機能面を考えると、盲目のピアニストは既に独自の市場を持っている点でそうでない人より有利なので、特にコンクールで優遇する必要なし、という考え方もあるでしょう(話がコンクールの外に出ちゃっていいのか、という別の問題がでてきちゃうけど)

個人的には、ものごとの決まりはシンプルなほうがいいと思うので、下駄は不要と思ってます。

■あとひとつ、何かクッダラナイことを書こうと思ってたんだけど、上のことを無い頭で考えてるうちにどっか流れていっちゃいました。

2005年10月14日

マナーとその周辺

仕事終わってから、いろいろとモヤモヤしたままプールへ。
長距離泳ぐ人たちはひとつのコースを右側通行で回遊するんですが、

・明らかに遅いオッサンが、自分がコースの端に着く直前に出発する(すぐ追いついちゃってペースが乱れる)
・コースの端でストレッチする(ターンの時に邪魔)
・自分のすぐ後ろにつく(ターンの時に危ない)
・平泳ぎのキックが異様に横に広がる(蹴られそう)
・クラゲ並みに遅い(遅い人用コースに行ってくれないかな)

といった迷惑行為がなぜか今日は集中してて、リフレッシュするはずがだいぶイライラしてしまいました。
別にどこに書いてあるわけでもない「マナー」の部類ですが、水泳教室などでちゃんと先生について習ったことがなければ気付かないことかもしれませんね。

敬語の使い方くらいは学校で教えてくれますが、年上の人と乾杯するときに自分のグラスのほうが上にあって気を悪くされたりといった経験をしてみると「どっかに使い勝手のいいマナー本ないかのう」と思います。
人生の達人たちは「それは気遣いの問題で、できる奴はどんな場面でも応用できるんだ」といった何の解決にもならないアドバイスを下さるのでしょうが、まあそれでは救いがない。「マニュアル人間」が批判されますが、普遍的な知性なり行動文法については、身につけるのに試行錯誤しても効率が悪いだけなので、先人の智慧を書き残しておくことは大いに必要なんですよ、やっぱり。

と、周回数を数える(400mくらい一気泳ぎしようとすると、時々「今250m!」などと思い出さないと途中でわかんなくなるので)傍らそんなことを考えていて、泳ぎ終わってみたら案外リフレッシュしてました。
アタマの中の靄を吹き払うのにアタマの中で工夫しててもだめですね。

2005年10月12日

針路

夕飯は和食のコースでごっつぁんでした。エライ人と一緒だったから写真は撮れず。

全国異動のある会社に勤めていて、1カ所あたり2-3年が相場のところ、自分は年度末がくると今の職場に丸3年になるので、今日は上司から「どこへ行きたいんだ」と聴かれてしまいました。
東京か、札幌。
東京だといろいろ便利だから。
札幌はまあ楽しそう。たとえ叶わなくても、忙しくてギスギスしてて毎年何人かはアタマがおかしくなる大阪とか名古屋とかに行かないために、希望地のベクトルだけでも北に向けておくため。
なんとなく南より北に惹かれるというのもある。

明日は休みのはずだったのが、忙しい他職場のカバーを振られて終日勤務になりました。くっそ、たかがサラリーマンがそんなに働いてどうすんだよう(というのは働いてから言うものだ、とつっこまれる前につっこんどく)。

2005年10月07日

もう休んでやる!

 …その実、仕事を休んでやる!といって突発的に休んだのではなく、先月から入れていた休みでございました。寝坊して10時半起床。

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 昨日買ったなめこと豆腐で味噌汁。久しぶりに味噌汁煮ました。長ネギ買っておけばよかったな。あとは納豆とキムチと、それからこれも昨日買った中辛塩の鮭の切り身と胡麻昆布。持ちのいい食品だけど新しいのはやっぱりおいしいね。作って、食ってるうちに正午になったのでこれを昼食とする。

 今日は午後から東京へ。9月後半から仕事の都合で地元に縛り付けられていたのでいろいろ買いたいものができていたのでした。買い物については別稿にて。

051007champong.jpg
 夕飯は新宿2丁目にある「長崎亭」という小さなお店のちゃんぽん(600円)。安価で野菜もとれて、化学調味料の味がしないので時々お世話になっています。本場のちゃんぽんを食べたことがないので自分には真偽はわかりませんが、このお店を教えてくれた方によると本場の味なんだそうです。

 とまあ、食ったものの記録ばかりでいいのかしらん、と思っていたらドクター中松こと中松義郎氏がイグ・ノーベル賞を獲得したんだそうで。その理由というのが「35年間に渡り自分の食事を撮影し、食べた物が脳の働きや体調に与える影響を分析したことに対して」(出典は上記リンクのWikipedia)というので勇気づけられるじゃないですか!いやブログとは何の関係もないけどさ。

 帰ってきたら日付変わってましたが、一応7日の日記ということでこのエントリーのアップロード時間を少しいじってあります。

2005年10月06日

うたた寝

宿直明けの今日は職場が修羅場になっていて、上司は真っ赤な顔して嘔吐(えず)いてるし、同僚は焦点の定まらない目で駆けずり回ってるしで、しかし一応その仕事からは部外者の自分は、職場にちょこんと座って留守番とか雑用をしていたわけですが。

16時すぎにやっと解放されて、お気に入りのカレー屋で晩い昼食。それから帰り着いてウダウダして、18時くらいにちょっとベッドで横になったらそのまま4時間寝ちゃった!今夜、眠れるかなあ…
そうはいっても何か食べるってもんでしょう、とサプリメントと蜜柑とソーセージをつまんでこれから真夜中の食料品買い出しに出かけるところ。冷蔵庫に牛乳ないんだもの。

■カレー屋「POT
いわゆる欧風カレーな見た目、カレーはもちろんうまいが、ご飯もうまい。午後3時4時でもおいしい昼食を食べたいときの第一候補。

★今日の格言★
修羅場で辛くないためには当事者意識を捨てるべし

2005年10月05日

低調につき

 夕方始まりの泊まり勤務なので朝寝。誰かがピンポン押すけど無視。11時くらいに起き出して新聞受け見たら郵便局から預かり票2枚。でも待ちに待っていた荷物じゃないので明日郵便局に取りに行ってこよう。

 9月の半ばに申し込んだイオンのクレジット付きETCカードが約束の「約3週間」経っても一向に届かないので電話でイオンクレジットに問い合わせしたら「シティバンクは取り扱えないので書類が止まってました」だと。「もう一度取り扱い金融機関を明示した書類をお送りいたしますがよろしかったですか?」と短いセンテンスに数カ所ツッコミ所のある対応をなさったので、一通り言いたいことを言わせていただき、至急扱いで1週間で発行してもらうことになりました。
 ハイウェイカードが先月販売終了になってしまったので、とうとうETC導入に踏み切った次第です。バイクでも使えるから実はもっと早く使い始めていればよかったんですが。
 意外に知られていないけど、イオンのETCカードはVISAが選べるし年会費タダだし買い物でも便利だしでかなりいいのではと思っとるのです。

 普段行っているジムが休みなので、泊まり勤務の職場(普段の職場とは30km離れています)近くの、会社が契約してるルネサンスに行ってみたら、以前は社員証をフロントで見せて名前を書けば使えたのが、システムが変わっていて「会員証作って下さい」と言われ30分書類作り。ハンコも顔写真も持ってねえよなんでこんなに手間かかんだよと無言の抗議(表情で語る)。でも年度初めくらいにシステム変わる旨の社内通知見たことを思い出し恥じ入りました。対応の兄さんごめんよ。

 さて、今夜は規定の時間(午前2時)より早く寝ちゃおうかなっ

イオンカードネットブランチ

★今日の特別報告★
ダイエットのためビール酵母飲んでた同僚が痛風になりますた

久しぶりに焼酎など飲みながら

仕事先のKさん(56)と二人で夕飯食べてきました。

カウンターで食べる和食のコース。写真撮ろうと思ったけどさすがに仕事絡みなので自粛。久しぶりに複雑な味の料理食べました。
秋刀魚に小麦粉をまぶして焼き、腸(わた)を入れたちょっと苦みのある洋風のソースをかけたのと、しめ鯖の寿司を利尻昆布の炊いたので包んだやつが特に気に入りました。あと、鯛の刺身にもろみや酒をかけたの。まあ全て美味しかったってことですが。

飲んだのは不二才(ぶにせ)という鹿児島の芋焼酎をロックで。酒飲みではないので味とか蘊蓄とかよくわかりませんが、かなり香りの強いお酒でした。最初はそのせいでちょっと料理と一緒にだと勿体なかったかなと思ったけど、氷が解けて薄まったらかなりいい感じに。お店も気に入ってもらえたようでよかったよかった。

      *      *      *

人づきあいはno ruleが面白いといわれればまあその通りですけど、あえていうならguidelineぐらいあってもいいかなと思って、折に触れて思い出しては実行してます。

(1)一手目は相手のためになる行動をする
(2)二手目以降は、相手が二回連続で自分に嫌なことをしたら復讐する
それ以外の場合は相手のためになる行動をする

↑こいつのタネは、「囚人のジレンマゲーム(複数回)」におけるtit for two tats(堪忍袋)戦略。強力さで有名なtit for tat(しっぺ返し)戦略の調整版ですけど、ハァ?って方と、言いたいことは分かるけど呆れたって方はまあ軽ぅく流して下さい…

要は相手がいい人ならこちらもいい人でいよう、相手が悪い人ならこちらも悪い人のように振る舞ってもいいよな、ってのがシンプルなtit for tatですが、自分が採りたいと思っているのは、一度嫌なことがあったからといって反射的に目くじら立てないでもう一度様子を見てみようというtit for two tat。
相手が本当に悪意の人なのに自分はいい人を続けてバカを見る可能性もあるのでtit for two tatは「堪忍袋」というより、損に鈍感な「お人好し」といってもいいのかもしれません。
が、なんか自分はこっちのほうが好きだし、実際に対人関係で行き違いがあってもこういうふうに行動して結果的に危機を乗り越えたことも何度かあるんですよね。

そんなこんなで仲良くしてもらっている人と楽しいお酒を飲んだ夜でした。

■「惣旬懐石 はないちもんめ」富里市七栄
 場所は結構わかりにくいかも。フレンドリーなご夫婦がやってらっしゃいます。
■松原望『社会を読みとく数理トレーニング―計量社会科学入門』東京大学出版会、2004年。
 とりあえずこの辺から。あとは社会心理学方面でも文献があったはず。

2005年10月03日

Nさん

会社のNさんが膵臓癌で亡くなりました。48歳。
何度か仕事上交差したことがあります。人によっては「細かい」だの「的はずれ」だのといった悪口も聞こえてきましたが、不思議と自分は嫌な思いをした記憶はなくて、むしろ新人のころには「お前のことは心配してない」と言われたり、褒めてもらったこともあった気がします。
今年の初めに海外の災害現場に出かけたときは、帰国報告の電話を会社にかけたらNさんが出て「いい仕事をありがとう」だなんて言われました。仕事で言葉を交わすことがあったにせよそんなことを言う人だと思っていなかったので、嬉しいより先に「おや?」と不思議に思いました。最晩期まで病気のことは隠して仕事をしていたということは今日知りました。全く正確なところはわかりませんが、このときには既に診断が出ていたんでしょうか?「なんかNさんがいい人になってましたよ」と周りの人に冗談めかして吹聴しながら、不自然な感じもしていたものです。

Nさんが(病気のことを隠しながら)7月に昇進したり、9月には仕事上の一大イベントを仕切ったりしていたことを自分は知っていたので、今日いきなり入ってきた訃報に、最初同姓の別人かと疑ったほどでした。
お互い会社のつきあいの中の、それも結構遠い関係だったのに、なぜか今日はNさんのことが何度かフラッシュバックする。前触れもなくぷつっと命が消えるという普段ない出来事に触発されて、久しぶりに「死」のことについて考えたからかもしれません。

癌。助かる確率は最近上がっているそうですが、あいかわらず耳にする訃報の多くがこの病気によるものであることに変わりはありません。
事故死のような「瞬間的な死」と違って、癌のように根治が困難な病気は、それが発覚した瞬間から「緩慢な死」が始まるといえないでしょうか。狼狽したり、道連れを求めたり、写真の整理を始めたり、いろんなところへ旅行したり、自分の半生を記録として残したり、いつも通り(いつも以上に)仕事をしたり。自分の生が有限であるという、当たり前のことなのに健康で生きているときには意識もしないことを自覚し、自分の行動様式を変化させるということが「緩慢な死」を生きることなんだと思います。
そう、たとえ病気になどかかっていなくても、ある普通の瞬間にふと、自分の生の有限さに思いを馳せることがあれば、それもまた「緩慢な死」を生きていることになる。だいたい誰しも生まれた瞬間から死に始めているわけだし。
ではその「緩慢な死」を意識したとき、自分はどう行動するのか?全く想像つきません。
そして明日はまた普通に仕事をするわけですが。

2005年10月02日

はまぐり

051001hamaguri.jpg
地元の行きつけの飲み屋さんに久しぶりに立ち寄りました。
店のすぐ外で炭火を熾して、でっかい蛤を焼いていました。
鹿島でとれた蛤。流通経路は明らかにはされませんでしたが(笑)。

醤油をたらして食べるだけ。海を食べている気分になります。
うまかった。

2005年09月30日

助走の助走

時評をやる才覚もないし、かといって極私的な日記にするのもちょっと…。
極私的な日記から一般的な何かが滲みだしているとか、まれな体験を字にできるとかならそれはそれでいいんですが。
とりあえず買ってしまった少し広めの土地にどんな建物を建てるのか。それ順番が逆とちがうの、というツッコミを自分にしつつ、もう少し方向性を考えてみたいと思います(ひねり出さないと方向性見えないのでは駄目、という気も多分にしますが)。

2005年09月17日

試運転

Movable Typeを使ったサイト作りを試みています。
いずれ現在持っているサイトの内容を持ってきたいと思っています。

太字斜線アンダーライン
大きな文字小さな文字
色付きの文字もできるわけですね。

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