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1週間もろもろ

前回の日記を書いてからしばらく、きちんとまとめて書くほどでもないことがあれこれ起きたり浮かんだりしていたので、まとめて。順不同に見えますがそうでもないです(笑)

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数年前、会社をやめた同期が法曹になったと聞きました。
新人研修以来会わないままだったものの、聞き及ぶ評判と9年前の印象を総合すると、まっすぐで正義感の強い彼だったので、新しい仕事のほうが適職だったのではないかと。
自分はしかし、法曹って向かなそうだなー。自営・手に職・定年なしというのは魅力ですが、性格的にはクライアントに是々非々で臨みたくて・しかしそういうわけにもいかなくて悶えそう。

数年前、会社をやめた先輩格が仕事先に再就職していて、仕事先でばったり→名刺交換。あれあれこんなところに。

札幌で一緒に仕事をした後輩が月末で会社をやめるそうです。医学部目指すのだとか。ううむそれはいい選択だ。けど時間かかるよね……あと君、奥さんと子供いるよね……

今走っているトラックから降りるという判断は、理路整然と詰めて行う種類の判断ではないのではと推測しています。えいやっと跳ぶ、そういう瞬間をもたらすものは、ほんとうにちょっとした後押しの力なのかもしれない。

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金曜、新宿三越アルコットに入っているジュンク堂をぶらぶら歩いていました。ここは本棚が高く、平積みの台が少ないため棚と棚の谷間の通路が狭く、一列に並んでいる棚の数が多い(通路の奥が深い)ところが多い。同じ新宿の紀伊国屋や東京駅前の丸善など他の多くの大規模書店と違って、本の森を歩いているような感覚を強くします。

森を歩いているとよく出会うのは幽霊ですよね(?)
そこに並んでいるのは読めたはずの本、勉強できたはずのテーマ、練習できたはずの技術、選べたはずの進路。何年、何十年と時間を過ごすなかで無数の選択をしてきているわけですけれども、そこで選択されなかった選択肢たちが幽霊となり、ちょっとしたこと―たとえば昔、一瞬気を引かれた本を書店の本棚に見かけること―をきっかけに顕現する。

時間を過ごすことをどうイメージするか、いま二つの仕方を思い浮かべています。時間を過ごすほどに世界が広がっていくというイメージ、もうひとつは時間を過ごすほどに自分の歩く道が狭まってくるというイメージ。後者のイメージで道ばたを埋め尽くしているのが幽霊なのですね。

幽霊を恐れる=後者のイメージで時間をとらえる人がえてして採ってしまうのが、できるだけ何者にもならないという方略なのかもしれません。おそらくそれで幽霊が見えなくなってくれることはないのですが―むしろ幽霊が見えなくなるのはさっさと何かに没入して前者のイメージに移行することではないか。

何かにお金を使って、得たものを愛好するのではなく、お金の可能性=「何でも買える性」を愛好する(裏返せば、何か買う物を選択することによって「ほかに買いえたもの」=幽霊が発生することを恐れる)人がどうも安心できない感じに見えることが多いのと似た印象を受けるのですが。

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アイロンかけなきゃいけないシャツがだいぶ溜まってきた。
というか今、部屋の中の至る所に衣服が散らばっておるぞ。

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あれはちょっとまずかったな、と思う仕事がひとつあって(ま、全然問題化したりしてはいないのですが)、週後半にまたずどーんと落ちていました。土曜出勤が終わった昨日夕方から全力で遊んで対処。最近のストレスマネージメントはputting asideがメインで、非常に距離のメタファがしっくりくるようなやり方で、ストレッサーを「遠くへ追いやる」感じになってます。

その一番手っ取り早い手段がなんと酒なのです。酒に頼って何かを解決しようという考え方は採らない人間だと自分のことを考えていたのですが、そうでもないね、どうやら。あるいは、そうでもないというよりは、自分の体質がゆっくり変わってきたのかもしれない。思い起こせば2007年ごろから、それまでの自分の傾向と対策がだんだん当てはまらなくなってきたような気もします。

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昼にナポリタンを作りましたがピーマンがまだ余っていたので、夜は挽肉を買ってきてピーマンの肉詰めにしました。うまかった。けど、ハンバーグに焼いたピーマンをのっけて食べるのと変わらないなこれは。

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私の中に「私A」と「私B」というものを持っていて、Aが喋ったり動いたりしているのをしばしばBが俯瞰視点からトレースしている、そんな自己認識を持っている人というのは少なからずいるのではないかと思います。

自分もそのくちであろうと長く思っていたのですが、最近ちょっとそのモデルから外れているのではないかと気づきはじめました。

A(実行役)をBが高いところから把握・監視している、というのを自意識の「縦置きモデル」とでも名付けるとすれば、自分の場合はA(実行役)を同じ地べたでBが後ろから追いかけ・しかし追いつかない・把握できていない「横置きモデル」とでもいえるようなもののような気がします。

Aの言動の傾向・癖・原則、そういうものをわりとBがよく分かっている縦置きモデルの場合は自分の一体感というか、自分というものの構成がよく信頼できる、ソリッドなものとして立ち上がるのではないかと思います。一方で横置きモデルの場合は、Aはかなりの頻度で予想外な言動をするのでBは常にAに関する理論の再編成をしなければならない。縦置きモデルにおけるBを透明性の比較的高い組織のマネージャーに喩えるなら、横置きモデルでのBは天変地異に対処する預言者のようなものでしょうか。

とても個人的な感覚なので他の人の理解が得られるかわかりませんが、本サイトに書かれているのはAの言動、その書き手はB、そんなイメージです。

しかし、AとBが分裂していることが分かるということはその二者を見渡すところにCが立っているわけですかな。と嫌な予感がしたところで、続く。

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土曜夜から酒におぼれて朝帰り、昼に起きて上記ナポリタンを食べてから、ふと思い立って国立西洋美術館に行ってきました。
かなりしばらくぶりです。下手したら仕事始めてから行ってないんじゃないか?

(1)今見ると絵画って歴史と宗教と哲学の織物であり、音楽や政治とも密接にくっついて時代という構造物を構成しているのですね。一枚の絵の中にものすごい情報が詰まっていてとても面白かったです。

(2)ちょうどボランティアの方が美術館ツアーをやっている時間帯で、それにくっついて説明を興味深く聞きながら館内を回っていました。さらにiPhoneやiPod touchのアプリで館内をガイドしてくれるシステムが始まっているようで、何人かが利用していました。欲しくなってきたぞ、iPod touch(32GBのやつ)。

(3)常設展420円て、安くね?

(4)えっ、常設展て写真撮っていいの?(と思ってカメラ取り出したらメモリーカード入れ忘れてますた)

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入浴剤、白元の「バスキング」と花王の「バブ」を試しましたが、バスキングは防虫剤メーカー謹製だけあってなんか殺傷力高い感じの香りがします(笑)。今夜はバブでハーブ風呂だな。るんるん

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2010年04月18日 19:56に投稿されたエントリーのページです。

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