ひょんなことから、っていうか以前本の感想を書いたエントリに著者からコメントがついたのが縁で、著者ご出演のシンポジウムを見に行ってきました。
鳩山首相が「いのちを、守りたい」と裏声も使って絶叫した施政方針演説を支える「友愛」と「新しい公共」をめぐって、政府や学界などからスピーカーが集まってああだこうだいう集まりです。
動画配信するそうで、そのうちここにでもアップされるのではないかと思うので、とりあえず管理人の印象から構成できる範囲で超簡単にメモっときます。
・失業した人、在留外国人、福祉を受けている人、薬物中毒者など、社会的に孤立しがちな人たちを排除や隔離するのではなく、さまざまな仕方で社会の中に戻ってもらう/踏みとどまってもらうこと(鳩山演説では「居場所と出番のある、新しい共同体のあり方」)、つまりよく公共政策論などで出てくる「社会的包摂social inclusion」が「友愛」の顕現するところであり、
・政や官は仕事の一部を、教育・就労支援などさまざまな分野で社会的包摂に向けて主体的に活動する民間の結社(典型的にはNGO/NPOか)を援助する/邪魔しないことに振り向けていくことが「新しい公共」の一つのプロセスだといえる。
・そしてこうした考え方は国の外にも適用できるもので、それは貧困や迫害など困難な状況にある人たちへの援助や環境保護など、国境を越えた活動に取り組む非政府組織や国際機関に対して、国の仕事や資源の一部を割譲していくということなんじゃないかと受け取りました。
で、個人的には「友愛」じゃなくて正面きって「社会的包摂」と言ったほうが、
・語感的に少しは気持ち悪くない
・英国などでのsocial inclusionの試行例から、実施方法と顛末と注意点を学び取りやすい
・単に「誰にでも優しくしよう」みたいな情緒的・道徳的な話ではなくて、社会の安定化のための手段なんだという実利的な(より広く受け入れられそうな)訴えがしやすい
点でいいんじゃないかと思いました。
実際のところ、受け入れがたい他者(場合によっては包摂を拒絶する遠い遠い他者さえ)をも包摂しようとするのはかなりパワーがいることだと思います。また、民間に「官に頼らず自分たちでできることをやってもらう」ことを政策的にどう誘導していくのかも容易にイメージしにくい課題だと思います。
久しぶりに制度設計者視点の議論をたくさん聴いたので疲れました。
貧困、ジェノサイド、そして弱者の視点を、みたいな話を聞くだけ聞いて会場の東大医科研を抜け出すと、そこは白金台。スポカジ姿で犬の散歩をするおじさん、ランチ3600円の張り紙、山の手の住宅街の平穏な夕暮れに軽い眩暈を感じながら、とぼとぼと目黒駅に向かいましたとさ。