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まなざしの地獄

■見田宗介『まなざしの地獄―尽きなく生きることの社会学』河出書房新社、2008年。

さまざまな論者がさまざまなところで参照してきた有名な論文が29年ぶりの単行本に。
「まなざしの地獄」(初出1973年)
「新しい望郷の歌」(同1965年)
の2本と、大澤真幸さんによる解説がついてます。

「まなざしの地獄」は、連続射殺犯N・Nの残した書き物と、当時の労働についてのいくつかの統計の解読。地方を捨て新しい自分を打ち立てようとする本人と、地方出身とか貧乏だとかいう属性の負荷をかれに帰属させつづける都会の視線との齟齬を指摘し、さらにそこから高度成長社会の構造的なきしみを剔抉してます。

その背景を語る「新しい望郷の歌」では、高度成長の日本で、人々にとっての物質・経済・情愛の根拠である「家郷home」というものが、そのルーツを過去に求めるべき田舎から、都市でこれから作り上げていくべきマイホーム・核家族へと大きな転回を遂げていることを描き出してます。

40年ほど前の論文が2008年に再び出版されるにあたって必要な作業―収録された2本を繋ぐことと、それを現在と繋ぐこと―は、最後の大澤解説が受け持ってます。
N・Nと、今年あった秋葉原連続殺傷のKを対照させ、かれらを産んだ社会を対照させること。
ポスト・マイホームのさらに新しい「家郷」のありかたについて言及すること。
そして、一人の極端な存在=犯罪者を踏切板として、社会について語ることができるのかどうか。

ものすごく個人的な感想をよっつ。

1 田舎出身の自分が見田の『時間の比較社会学』から読み取ったひとつのメッセージは「ルーツから切り離されることは解放であり喪失である」ということなんですが、その香りがこの本にも漂っていた気がしました。

2 大澤さん、解説の中で見田のことをずっと「見田先生」と呼んでます。1997年だったか、政治学の大森彌さんの授業で、ある学生が「丸山真男」と呼び捨てにしたとき、大森さんが「丸山先生も呼び捨てされる時代になったんですねぇ~」(丸山は95年没)と遠い目をしてらしたのを思い出しました。

3 大澤解説は『おまえが若者を語るな!』への一つの回答として読める気がした。もっとも大澤さんは『おまえが~』では批判も言及もされてませんけど。

4 やっぱり見田宗介の文章はいい。

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2008年12月18日 12:37に投稿されたエントリーのページです。

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