札幌に引っ越したときに買った観葉植物(名前忘れた)なので、もう4年になりますか。
当初15cmくらいだった草丈が60cmくらいになってます。こういう「育つ植物」ってわりと好きなのですが、去年の暑くなるころだったか、成長点が腐り、成長が止まってしまいました。
しばらく放っておいたものの、どうせそのままにしても葉っぱが落ちていって死んでしまうならと、友人のアドバイスに従って思い切って腐った茎の先端をハサミで切り落としました。
冬のあいだはその断面に樹液のようなものが溜まって白くなったままになっていました。それが暑くなってきたこのごろ、その脇から立て続けに3枚の葉がでてきて、日に日に伸びてきています。それも、そのうち2枚の葉の付け根のあたりを見ると茎にあるようなフシがついているので、うまくすればまた成長を始めてくれるのかもしれません。
(比喩的な意味ではなく)冬を乗り切ると、生きてさえいれば生物はふたたび生を営んでいけるのだなあという感を強くしています。裏返せば、冬というのはいかに危険な季節かという実感。
と同時に、茎の先端が腐ったとき、もう死ぬしかないと思われたこの植物の最期の日々を看取るべき自分自身というのを、思い出しています。
早晩、無に帰してしまうその存在を背にして毎朝出勤すると、なんとなく街の花屋で「次」を探している。「死にゆくもの」が「すでに死んだもの」へ向けて急激に接近していく。死にゆくものの一瞬一瞬を濃密に共有することから逃避する、目を背ける。こだわることのスイッチを切る。
さまざまなタイプの人たちを見かけるなかでも、事情が差し迫ればそれを打開するために他人に害をなし、仕方がなかったのだと自分を納得させ、夜には焼肉を食べて床に就ける人とはお近づきになりたくないと思い続けていた最近ですが、どうやら、おそらく、その嫌悪の一番典型的な対象は、実は自分だったのだろうと思っています。
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と、最近更新してなかったのでなんか書いとこうと思っただけの文章が、またメンドクサイものになりましたw
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まったくもって本読むペースが戻りません。
理由はかなり明白ですがそれはまた。
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生活そのものは結構順調に楽しくやってるんですけどねー。