一昨日、床に就いたあとにいろいろ考え事をしていたら思い当たるところがあって、押し入れの荷物をあさり、高校3年間につけていた日記(大学ノート10冊)をぱらぱら読んで夜更かししてしまいました。
考えてることとかが幼いというか材料が足りてない感じで、そこは微笑ましくもあり、まだ勝ってる感じがしたのはよかったのですが、一方、いろいろと先のことをぐだぐだ案じたり、そうかと思うと目先のことに節操なく一喜一憂したりする気質など、性格的なところは実は全然変わってないということがわかりました。そりゃま、そうなんだけど。ていうか、それから15年以上経ってちょっとスレたのと、ものを考える体力みたいなものが衰えてるぶんだけ、今のほうがみすぼらしいのが悲しい。
あと、全っっっっ然覚えていなかったのですが、高校2年の秋くらいに「進路相談の場で将来就きたいと思っている仕事を聞かれて、深い考えもなしにとりつくろって答えた」として記してあった職業が、なんと今の職業だったこともなんだかショックでした。こわーい。
ここ最近の日記にこのようなretrospective(後ろ向き)基調が続いているのはたぶん、いまの職場と生活がそれぞれ自分一人で計画、実行、評価を行うことが多い環境にあるからではないかと思います。自分の中の評価軸にいまひとつ信用がないので、リーチにあるいろんな資料(つまり記憶なり記録だ)を援用しながら都度の評価を下しており、しかしそれでは足りてない、というのが現状なのかと。
そしてこれ、ひょっとしたらのちのち展開する現状分析なのではないか。そう思わせぶり(の宛先さえ自分自信なんだが)に終わる。