1999年8月、滞在中のニュージーランドはオークランドにジャック・デリダが来てレクチャーをしました。イベント名は「Derrida Downunder」……当時オークランド大学で「20世紀フランスの思想」という授業をやっていたRobert Wicks先生「(Downunderはオーストラリアやニュージーランドを指す言葉なので)そのまんまやないけ、というお声もありましょうが、これは物事の深層down underに深く入っていくということでもありまして……」と変な弁解?をしておられたのが楽しく思い出されます。当然ミーハー学生だったので、なんと2000人近く集まったタウンホールに見に行きましたけど(確か切符は10ドル=550円くらいだったかなあ)。
でまあ、変わらずミーハーでして、今日はこちら、行ってきました。
録画はここ。
アマルティア・センの講演。
話し方に雰囲気があるので持って行かれそうになりますが、整理してみると言っていたのはだいたい次のようなこと。(ざっとメモをさらっただけ)
【福島の原発事故と、世界】
・福島の原発事故は、地元だけではなく、日本全体、さらには世界に対しても重要な問題である。ポイントは、安全だと思われていたものが「途方もない不確実性(radical uncertainty)」をはらんだものだったことが分かったということ。
・電力は経済発展の要。フランス、インドは原発依存が大きい。いまは一つもないところでも作ろうとしている。しかし、日本でさえ事故が起きた。今やどこの国も同様の事故の可能性から自由ではない。
・原発は化石燃料の代替エネルギーとして期待がかけられてきたが、福島の事故があって、ことはそう単純でないことがわかった。新しい危険が見出された。破壊工作や政治的な操作によって乱用・悪用も考えられる。核物質も大きな問題を抱える。使用済み燃料の行き場、そして核拡散。
・太陽光や風力といった再生可能エネルギーを使えばある程度成功するかもしれないが、バラ色ではない。イノベーションをもたらす真剣な研究を。
【天災/人災、災害から学ぶこと】
・よく地震や津波のような「自然」災害と、戦争や虐殺のような「社会」災害は明確に区別されるが、その原因や結果をよく調べてみると、この区別を見直す必要も出てくる。
・たとえば、洪水は自然の仕業だが、それで出る被害の背景には経済・社会的な要因もある。運河や排水設備は十分に作られてきたのか?「そうしないこともできたはずの」人間活動によって引き起こされた温暖化による気候変動によって、洪水がより起こりやすい状態というのが作られてはこなかったか?
・福島の事故も、直接的には地震と津波によって引き起こされたといえる。が、一方で巨大地震の影響を受けるような場所に原子炉を置いてよかったのか?地震を避けることはできないが、それが放射能汚染にまでつながるような事態の予防措置がされていたかは、よく考え、分析する必要があるだろう。
【何が人の生を損なうか―放射線、土地を追われること】
・災害は深刻な経済・社会的影響をもたらす。この種の災害は雇用を失わせ、困窮者を増やす。これが長引けば、自尊感情を損なうこと、より大きなスケールの人間集団の劣化にもつながる。これは政策的に対応が可能だ。早急に雇用を創出し、地元の経済を再生させること。政策分析を大学に期待したい(←これは福島大学が東京サテライトを開設する記念行事で講演していたため発せられたエールだと思う)。
・2つの具体的な問題について話す。
・1つ目は健康の問題。福島の人々への放射線の直接的・間接的な影響について、長期の監視を行わなければならない。
・2つ目の問題は、多くの人が土地を追われたこと(displacement)。原子力の、そして放射能汚染の特質といえるが、16万人がすみかを離れざるをえなかった。個人の人生、家族のつながりの破壊をもたらした。事故の進展に従って、3-4回の引っ越しを余儀なくされた人もいる。
・多くの人が3年以内には帰りたいと思っているが、不透明。土地を追われたことに対する精神面への、そして雇用・経済的な悪影響。
・人がその潜在能力を発揮できる(やりたいと望むようなことができるようになる)ためには、社会的なサポートが必要。世界では、まさにヨーロッパで典型的にみられるように、財政緊縮の流れ。しかし、こういうときに緊縮だけをしいていいものか。支出をカットすると雇用や経済の再生につながらないことは大恐慌で示された通り、つまり厳しい時の緊縮はうまくいかない。しかしこの教訓を忘れている人が多い。
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そりゃそうだろう、みたいな話といえばまあそうですが、貧困地域の分析に使われるイメージの強い「人間の安全保障」「ケイパビリティ」といったキーワードの応用を見せてもらったということかも。
質疑応答では1問だけ質問が採られました。当たったのは東大の開沼博さん。
この受け答えが、ほぼこの日の講演の要約になっていたのではないかと思います。
Q 東京大学の開沼と申します。大変すばらしいご講演で感銘を受けました。
これからの福島の状況は長く続く。どう向き合ったらいいのか、世界に共有していくことを今後も支援してもらえれば。
質問は大きく2点。
ひとつは忘却の問題。原発事故は福島の前にもスリーマイルアイランドからチェルノブイリ、JCOと、ほぼ10年に1度起こっている状況。福島の問題が世界史的、人類史的課題といわれているが、風化という状況も来るのではないか。その際に、地元の大学、学問がどういう形で教育、研究していけばいいか。
もう1点は希望の見出し方。原発は戦争や天災と違う部分があると思う。この問題にいかに答えを出していくかは人類が経験も答えも持っていないと思う。こういう中で、福島の問題を世界、日本共通の課題として位置づけて学問が考え、人類が希望を見出していくにはどうしたらいいか。
A とてもいい質問だと思います。
まず(1つ目の質問について)、この種の領域で、forgetfulness(忘れっぽさ)は問題の一つです。チェルノブイリが起きたときに飛行機でちょうど上を飛んでいた知り合いがいますが、それでも人は忘れてしまう。ひどい経験であっても起きてしまう「忘却」を避けるには、システマティックな枠組にもとづいた研究が必要です。例え話をしましょう。1970年代の初めに飢饉について研究を始めたとき、多くの飢饉について、経済や食料供給の問題と関連づけようとしました。インド、中国ほかの地域で100年も前からあったことですが、しかしこれらのことを理解し、entitlement
analysys(人の権利という視点からの分析?)をするには、ある枠組をつくって、要素要素を関連づけることが必要です。こうすることの利点の一つは、人々の関心を引けるようになるということです。FAOや国連といった機関の人からはそうしたことを書いた本について悪い評価をされましたが、それは関心を惹いたということでもありました。
そして、それをこの新しい大学院という組織を使って、常にinstitutional=組織立って研究と教育をやり続けることです。(←福島大の新しい大学院開学記念の講演会なのでエールを送った)
ではこの事故の社会的影響と、何ができるかについて。2つのことを区別しなければなりません。ひとつは原子力、放射線のこと。これに関しては日本には経験、研究の蓄積があり、興味を持っています(※この日の講演の中で、自身が若いときに口腔癌にかかり、治療のために大量の放射線を浴び、それをきっかけに放射線影響について興味を持ったことを話していた)。福島大学は、これらについて世界の関心を集めなければならない。
もうひとつは、失業、displacement(故郷を追われること)、生存に必要な経済的手段(お金)を失うこと、自由とcapability(ケイパビリティ=通常なら人はこういうことをしたいと望むであろうことができること)の喪失。原子力ではないが、これまで干ばつや洪水(といった自然災害)のケースでよく研究されている。これらは重要な研究課題です。日本のような(裕福な)国でもこの問題からは逃れられません。この国の中で生きる手段がないということは、貧しい国で生きる手段がないということと変わりはない(アダム=スミスによると、裕福な国での貧困のほうがより深刻だと)。
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これってなかなか気の利いたお答えだったと感じた。
それにしても、ただ自分が喋りたいだけのおっさんとかおばさんに当たらなくてよかった。まあ数ある聴講者の中から開沼さんに質問者の役が当たったのは仕込みかもしれませんが。