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買い物

米国は1日9万数千人の感染者が出ていて、しかし死者は1日千人ほどで安定しており(いやこれもすごい話なのだが)「このままちょっとひどい風邪くらいになって受け入れられていくのかな~」という雰囲気もあったところ、オミクロンさんが出てきて俄然仕事が盛り上がってしまい、それでも今のところアフリカとヨーロッパの話だしな、と思っていたら、夜に東京から「あなた夜勤だよね!?!?」的な切羽詰まった電話がかかってきて(なんでワシントンのシフトを知ってるんだ)脊髄反射みたいな仕事をしているうちに寝るのが2時、頭がさえてしまい寝付いたのはたぶん3時。

起きて11時。みんなが騒ぎ出すと気持ちがさーっと引いてしまう性格にて、今日はオフとする。
ちょうど前日にアマゾンから届いたFodor's Bucket List USAというガイドブックをぱらぱらめくっていたら、DC東側のイースタン・マーケットが紹介されていたので行ってみました。
地下鉄駅を降りてすぐのところに市が立っています。背後の建物の中には肉屋やちょっとした食べ物屋が入っています。
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アップルサイダーは要は濃いリンゴジュースらしく、秋の味覚なので飲んでみたかったんだけど、ボトルで買うほどではないんですよね(と思ったら写真中央の銀色の容器は1杯売りのやつですね。飲んでおけばよかった)。アップルバターもおいしそうだったがパス。
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「やばい地域」と前前任者から教えられてきた南東地域なのですが、ここは観光地でもあり、そんなでもありませんでした。しかしこのあたり、地下鉄の車内に大麻みたいな匂いがしてるんですけど何。

日が傾いて5度くらいか、寒いので退散して、ついでにDC北部に回り、ベッド・バス&ビヨンドというニトリみたいな生活雑貨店にいきました。いろいろ見るのは楽しいんだけど、結局買ったのは家の近くのターゲットで欠品していた突っ張り棒だけ。

日本なら100均で買えるだろうみたいな台所用品が1000円とかするのは米国に来てびっくりしたことの一つです。ふきん2枚で500円だよ?もっと台所まわりのものをたくさん持ってくるんだったというのが反省。コップのたぐいに至っては大阪の職場で使っていた肉厚でお気に入りの砥部焼の焼酎グラス1個しか持ってきてないので不便でした。やっと2ドルのマグを見つけて買いました。

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ブラックフライデーというのも何だろうと調べたら米国発祥の言葉だそうだ。
感謝祭が11月の第4木曜日固定で、金曜も休みになることが多いため、買い物をしてもらう日なのですね。Wikipediaを見ると、フィラデルフィアの警察が街頭に人が増えて仕事も増えるためブラックと呼んだのが始まりだとされていますが、起源が特定できてるってすごいね。

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ちなみに突っ張り棒は寝室に遮光カーテンを付けるためのものでした。朝、明るくなると、寝不足でも目が覚めてしまうのです。
帰ってきて設置した時はもう外が暗かったので、あすの朝どれくらい暗いか確かめたいと思います。
ちなみに突っ張り棒は英語でtension rodです。どっちかがどっちかの直訳なの?

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家でご飯が炊けるようになるとますます外で食べる意欲が失せます。今日は鮭のムニエルにしてみました。
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アジアンスーパーでもないと切り身がパックで売られているということもなく、魚はさすがに暫くお預けかなと思っていたら、鮭のフィレが4枚入った冷凍のバッグが普通にターゲットにあったので買いました。しかも個包装なのがありがたい。11ドル(つまり1切300円)とちょっとしますが毎日食べるわけでなし、外で食べると平気で5倍しそうなのでありがたく利用させてもらいました。

ちなみに小麦粉は安いんだけど2キロとかの袋しかなく、そんなにあっても使えないので、Hマートという韓国系のスーパーに行ったときに手頃な袋(外袋を捨てちゃったが多分200gくらい?)で99セントというタイの唐揚げ粉みたいのを買って使っています。

にんにく焼き肉のためにチューブにんにくを探したがなかったので、李錦記のにんにく細切れ瓶を買いました。多分これガーリックシュリンプ作ったらおいしいと思う。そのうち。

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母が胃がんの手術をする前の2000年秋だったか、実家近くの公園で撮った家族写真があって、そこには一家4人が並んでいます。父の家の玄関に飾ってあり、実は弊管理人もカードケース→今は書類入れに入れて持ち歩いています。

米国出発前に車山に行ったとき、久しぶりに父、妹と3人並んで写真を撮りました。そのとき父が誰にともなく「4人が3人になって、今度は2人になっちゃうなー」と言ったので(ちょっとちょっと、死ぬわけでなし)と思ったのですが、まあ3年いなくなるというのはそういう感じなのかもしれない。

実は人事の打診を受けたときに父にも意見を聞いたのですが、「面白そうだし行ってみれば?」と軽い感じで返ってきたので、まあそういう感じならと受ける方向に動いたのでした。実際はもう2,3人の後押しもあったのですが、それでも熱望していたわけではなかったあのとき「やめときな」と言われたらやめてたかもしれません。

といいつつ現在のところ「どのみち3年いるわけだし」と淡々と目の前のタスクをこなしています。
1年の留学だったらが休日はがつがつ遊んでると思いますが、開拓行動はすごいゆっくりですね、今。寒いし。

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2021年11月28日 10:21に投稿されたエントリーのページです。

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