40を不惑というなら、30は惑うお年頃なのでありましょう。
ひとつは、仕事で一通りのことを体験して周りが見えてくるということ。もうひとつは、転職サイトなんか見ているとそろそろコース変更のタイムリミットにさしかかってきているということ。
周囲を見回せば、既に30という年齢を過ぎた人たちは「ああ、そういう年頃だよね」と振り返っており、会社の同年代はここへきてポロポロと転職者が出始めています。
ということは昨今のもやもやは自分一人の問題ではなく、そして今完全解決を目指して達成できるというものでもなく、誰かに相談してブレイクスルーが訪れるというわけでもないので、しばらく頭を低くしてじっとしていれば光は見えてくるのではないかと思い始めました。
そんなわけで、このところあまり呵責なくうかうかとしてます。ただぼうっとしているのではなく、12歳、15歳、18歳、22歳のときのように、何かになりたいわけではないが何かになるための訓練でもするべかな、とぼんやり考えつつ。
コメント (2)
22歳のときと違うのは、守るもの、失うものも、一応少しできてきちゃったことだよね。
(40にもなると、失うものが勝ってきて、惑えないっていうことな気もする。
そして、だからこそ、惑い体質の人は40を超えても、よりいっそう惑う気もする。)
で、ま、気力は回復したけど、もやもやは晴れないので、山でも登ろうかと(笑)。
投稿者: e-com | 2007年08月22日 23:38
日時: 2007年08月22日 23:38
現状よくみてみると、惑う必要あるいは選択肢がそうないのに惑ってるというところに病癖が見えるね(笑
いつの時点でどれだけ惑えなくなってるかっていうのをちょっと考えてみた。
12歳の選択ではピアニストやアスリートの道が消える。
15歳の選択では職人になる道が消える。
18歳の選択では医師や建築士になる道が消える。
22歳の選択ではそこで選んだ「系統」(金融系、研究系、法律系など)以外になる道がだいたい消える。
こんなんでどうかしら。
で、登山か。久しぶりに泳ぎにでもいこうかな~
投稿者: 管理人 | 2007年08月23日 11:44
日時: 2007年08月23日 11:44