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MIT

「これをどこまで真面目に扱ったらよいのだろう」と若干悩む仕事でボストン、というか隣町のケンブリッジ。MIT初めて来た。ボストン空港からダウンタウンまではバスもタダだし、乗り換えの地下鉄もタダ。すげー
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メインの10番ビルを見て振り返るとボストンの街。
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イケてる系の理系大学(文系の学位も出してるが)という感じです。
ロゴやグッズはペン大やハーバードなどと全然違って垢抜けており、買う気になりました。Tシャツとノートとトートバッグを買いました。
これはMIT出版会のお店です。ちょっと小さいですが奥の壁についてる黒い縦線が(たぶん)MITPをかたどったロゴ。
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建物は古い煉瓦造り、無骨なミッドセンチュリー、よくわかんないうねうね系まで多彩。
これはフランク・ゲイリーのRay and Maria Stata Center (2004)。コンピューターサイエンスの学科とかが入ってるようです。右端に見切れているのは航空宇宙工学の建物だったはず。
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こちらはエーロ・サーリネンのKuresge Auditorium (1955)。発音はクレスギー。入ってみたかったけど入れなかった。
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振り返るとMITチャペル。こちらもサーリネン、1955年。
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短いながらも学外者が入れる時間が設定されています。
光が蒸発しているように見えました。降ってきてるのか?でも弊管理人には下から上の流れのように思えた。
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メインの建物に入ってみます。張り紙いっぱいはいつの時代もって感じ。
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学部生用のラボだそうです。
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いや、それにしてもアジア系の学生がめっちゃくちゃ多い。太宗は白人にしても。大学ではアジア人はマイノリティじゃないんだよ、って聞いたことがあります。ここは特にそうかもしれない。

仕事は夜で、機種更新直前の仕事PCがおむずかりになったりして、ブチギレそうになりながらもなんとかこなしました。夏がちょっと戻ってきて29度くらいになっていたらしく、夜もそこそこ蒸して喉が渇いた。10分くらい歩いたSi Caraというお店のカウンターで泡と水、あと蛤のグリル。
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いや、予想外においしかった。
一方、途中でカバンの中にカメラ(仕事用のではなく私物の小さいやつ)が入ってないことに気付いて焦りました。21時だよ。これはあかんか、お別れか。と諦めかけましたが、まあ探すだけ探してみようとルートを逆戻り。閉まったビルから学生が出てくるのを待って侵入、片付けしてる仕事先の会場に行ったがない。もっと遡って、最初にビルの外観を撮ったあと日陰に入って座った建物の縁のところに置いたままになっててありましたーーー!!!治安のよさよ。

残務を宿でやる必要があったので、そこからウーバー使ってびゅん。ホテルは$300とか$500でバカ高かったのでAirbnbをとってました。普通に快適でした。シャワー浴びようと思ったら部屋にバスタオル1枚しかなかったところ、なぜか家からタオルを持ってきていていました。1泊だからと荷物を絞り込みまくったのに、なぜ普段持っていかないタオルを荷物に入れた?弊管理人えらい。仕事はさくっと終わらせて疲れて寝る。

* * *

翌朝は仕事の帰趨に特段の問題がないことを確認して、帰るまでの自由時間始まり。
宿をゆっくり出てMITをぷらぷら歩いてグッズ買って、お昼食べてボストン美術館に行きました。

ボストン都市圏の公共交通機関は、専用カードではなくクレジットカードを直接読み取り機にタッチすればいい方式になっていて旅行者にはとても便利です。ニューヨークもそう。DCはその点遅れてるというか大変不便です。
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ついた。ここも職権でタダで入れてしまった。ほんとにごめん。クソ重いリュックを預けたコートチェックでチップ払ったから許して。
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右端のゴッホの郵便屋さんはイラスト的で面白いし、手前にロダンがあってマジどこにもいるなと思ったが、ダントツでよかったのは中央のルノワール「ブージヴァルのダンス」(1883)。
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パリの都会っ子が遊びに来る郊外の町のカフェで、麦わら帽子の船頭さんと小綺麗なおねえさんが踊ってるところ。足元にタバコの吸い殻とか花とかが落ちてて、おにいさんのタバコの匂いが漂ってきそう。手袋もしてない。めちゃくちゃエッチじゃないですか。何これ。

日本美術のコーナーが充実してました。フェノロサってここの人だったのか。
茶の湯を紹介してる映像があって、アメリカ人と思われる老夫婦がこのもったもたした作法を「すごい渋そうね」とか言いながら辛抱強く見てたんですが、やっとこお茶飲んだところでおばあちゃんがHere...we...go!!と言ったのめっちゃ面白かった。わかる。お茶なんか勿体つけないで、さっと出してぐびっと飲めってね。

結構流しながら見てても1時間で1/4しか終わってない。絶望しつつ結構疲れたので中庭。
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で探索再開。お約束でミイラとかがあった。

ベニン(ナイジェリア)の展示は説明(言い訳)が重厚。
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1897年にイギリス軍がベニンを滅ぼし、その時に王宮から略奪したものが売り払われ、買ったコレクターから寄贈込みで借りている。「暴力と文化的破壊がこの美術品と結びついていることを認識しており、正当なオーナーシップの確立に取り組んでいるところです」とのこと。朽ちてたところを保護しましたとか、支援事業の見返りでもらいましたとか、買い付けてきましたとかではなく、もう清々しいくらいに完全に犯罪収益。だが「展示によって議論を喚起してまいりたい」だって。簡単に手放す気はないらしい。

Metほどではないが、分量は結構あった。やはりアメリカコーナーに来ると家具屋になるのは同じ。フランスの装飾はすごい。宗教ものはでかい。
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ダリ特集やっていた。振り返っているのはベラスケスを参照しているためだそうです。
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ダリって子どもの頃に初めて見たときは「お~何これ~」って思ったけど、なんかもうさすがに古い感じがする。

いやあさてさて疲れてきた。夕方になったので北の方のイタリア人街でご飯食べて帰ります。
中華街のイタリア版。
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流しの歌手が歌うアリアがどこからか聞こえてくる中、白ワインとカルボナーラで満足しました。

さあてこれでボストンおしまい。21時前の飛行機で帰ってきました。前回行ったときはカナダの山火事の煙が流れてきていたせいで、なんか空がぼやーんとしていていい印象がなかったものです。しかし今回は晴れて暑すぎず快適に過ごせました。
体調がいいと睡眠が短くなるたちで、この数日6時間切ってたので、たぶん体調絶好調なんだけど眠かったです。荷物置くなりシャワー浴びて、洗濯してばったり就寝。

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2024年09月14日 10:57に投稿されたエントリーのページです。

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