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盆休み2015

12日から3泊で出掛けてました。

4月になんとなく始まった家族旅行シリーズで、弊管理人と妹が東京からバスに乗り(意外と混んでいて2時間遅れ)、松本で父と合流して白馬へ。
白馬八方スキー場の近くにある「しろうま荘」に投宿しました。
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早速温泉に入ります。強アルカリのお湯。
夕飯はこちら。
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地元の豚、米、山菜を使った、派手ではないけどとてもおいしい食事でした。
このほかに青豆と玉葱の天ぷらも出ました。
夜7時には父親が寝付き、弊管理人も11時には寝ました。
翌朝のごはん。
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お米がおいしい。もちろんおかずも。
そば粉のガレットが印象に残りました!
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あまり天気がよくなかったのですが、ざあざあ降りにはならないだろうと踏んで、栂池の自然園に行きました。
ゴンドラとロープウェイを乗り継ぐと、すぐ着きます。
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標高2000メートル前後の高層湿原周辺は、木道が整備されていてかなり歩きやすいです。
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トリカブト。
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ワタスゲ。
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チングルマ(の花が終わったあと)。
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最も晴れた瞬間でこれくらいでした。
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展望湿原(2010m)に着いたときも視界はよくありませんでしたが、ちょっと待っていると雪渓がチラ見できました。
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結局6kmくらい歩きました。
ヒュッテに戻って「サルナシ」のソフトクリーム300円。
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マタタビの仲間で、品種改良したのがキウイフルーツだとのこと。
下山して、小谷村の道の駅で一休み。
そのあと、13日の宿である「雨飾荘」に向かいました。チョイスは父。
小谷村にある雨飾山にある宿です。今はとてもしっかりした建物ですが、20年以上?前に父が泊まりにきたときには普通の山荘だったとのこと。
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脇には妙高に抜ける林道もありますが、昨年11月の地震で損傷したらしく、通行止めになっていました。
宿の脇には、森の中の露天風呂もあります。
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ロケーションはとてもいい。アブが多いけど。
宿のお部屋はとても広くて、窓の外は山!
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夕飯はすっごい気取ったコースですが、いちいちおいしいです。
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イワナの刺身、初めて食べました。
内風呂はこちらもアルカリ泉。
糸魚川はすぐそこ。明けて14日の朝飯にはノドグロの開きが出ました。
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近くの鎌沼は、紅葉の季節に訪れるといいようです。この日は霧で何も見えませんでした。
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というわけで、さっさと白馬~中条を通って長野市に出ました。
ななな長野駅が新しくなってる!
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1500円のそばもいいのですが、県庁勤めだった父が「安くてうまい」と勧める藤の家で700円のざるそば大盛り。父と妹は880円のそば定食でした。うまい~
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そのあと、なんとなく30年前に住んでいた家と、20年前に住んでいた家を見に行きました。
父は結構行き方を忘れていて、弊管理人がナビをすることになりました。
こんなに狭い道だったかなあ、と父。
まだ残ってた。一同しばし見入りました。今は人の家なんだけど。
そして弊管理人の原風景はやはりリンゴ畑だと再認識。
そのまま小布施に出て、もと魚屋のパティスリー「ロント」でおやつを食いました。
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わあなにこれすっごいおいしい。
というか父、なんでこんなとこ知ってるの。

というわけで小布施のスマートICから高速に乗って実家に帰りました。
天気は今ひとつだったけど、家族で旅行することに意味があるのです。ほんとにそう思う。

* * *

5月の連休は祖父母に会わなかったので、15日に父から車を借りて、独りでぐるっと回ってきました。

・父方の祖父母
祖父(93だっけ)が5月に肺炎になって1週間ほど入院して以来、体が弱ってしまってほぼ寝たきり状態で療養病棟に入っているとのこと。これ典型的な廃用症候群だろうな。
祖母が山の中の家に独りでいて、近くにいる父と叔父が交代で病院への送り迎えなどをしているそうです。
もう農業もやっていないのかなと思いきや、売り物にしているわけではないがトウモロコシやスイカを作っているそうで、少しご馳走になりました。
いらちな父の運転で来ると、せかせか訪れてせかせか帰っていくことになるのですが、久しぶりにゆっくり祖母と話すことができました。
祖父は入院初期、病院は嫌だから家に帰りたいと言っていたものの、祖母がよたよたしながら世話をしているのを見て「やっぱり病院でいい」と言って戻ったそうです。祖母によると、祖父は体はもうほとんど動かないけれど頭ははっきりしていて「それがかえってかわいそう」とも。
このあと父に病院に連れていってもらい、祖父にも会えました。うーん確かに結構弱ってる。
90過ぎて胃がんが見つかったとき、手術をするかどうか散々迷った挙げ句に手術をすることにし、しかしそれを契機に衰弱が始まってしまったのかなと思います。
90を過ぎると結構な割合の人が手術をしないという選択をします。しかし弊管理人は当時、意見を求められていろいろ考えた末に「する」ほうに一票投じてしまったため、後悔しています。

・母方の祖母
5月の法事をめぐって父と伯母が決裂したらしく、父は伯母がよく出入りしている母方の実家には「もう行かない」というので……。まあ合わない人達はいつかこうなるのでしょう。弊管理人は大人なので別にその辺はあまり気にせずご飯を食べに行くのです。
祖母は、弊管理人が名乗ると名前を認識しましたが、しばらくすると「誰?」となってしまいます。アルツハイマー型認知症の薬(アリセプト)を3年飲んでいるそうですが、こうなっちゃったらもういらないんじゃないかな。進行を遅らせるだけですし、怒りっぽくなるなどの副作用があるので。
伯母に薬を見せてもらうと、抗うつ薬と高血圧の薬を他に飲んでいました。
抗うつ薬ももういいだろう。ていうかこれが認知症を悪化させてるような気がする。
精神関係の薬は「止める」ということを目標に飲まなければならないと思います。
しかし、循環器だの消化器だのが専門の町医者が戦略的に処方してくれることは、ほぼ望めない。
あと、10年以上ぶりくらいにいとこの子と会いました。子供の10年って劇的に変わりますね。当たり前だけど。
恒例の、伯母の手料理(と、祖母)。
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・ついでに、妹のこと
結構長く不安障害のようなものがあるらしく、引っ越しを繰り返したり精神科に行ったりしているようです。ちょいちょい自分の”病状”とか”こんなに大変”的なことを口にします。
しかし「問題は環境ではなく、環境の受け取り方のほうにあるので、引っ越しは無駄」と言っておきました。本人もそれは思い当たるようです。認知行動療法を試してみてはどうかというのも伝えました。
これは多分、投薬では治らないと思います(むしろ有害かもしれない)。文脈とかあまり関係なしに自分のことを語ったり、周囲の人や環境をdisったりというのは、「大変ねー」と労ってほしいとか、自分のことを世話してほしいとか、そういう欲求のはけ口を求めての行動だと睨んでいます。そしてそのはけ口が現在、精神科医療になっているだけ。それへの対処は、バランスのよい食事をし、早めに寝て、笑顔を作るなど、フィジカルな面を無理矢理に立て直すことだと思うのですが、それは言い忘れました。また正月にでも。

とはいえ、いずれのケースについても弊管理人は専門知識がないので、実際に何かの決断をする際には医者の意見を大いに参考にするしかありません。問題はその医者が本当に専門家なのか、誠実に仕事をしてくれるかがしばしば怪しいということ。ということでこちらに続く↓

* * *

弊管理人の扁桃炎は、帰省する前に耳鼻咽喉科で抗生物質を出してもらって3日飲んだとたんに全快しました。10日ほど前、トローチで抑えましょと言った医者をヤブ認定。

貴重な夏の半分を体調不良で過ごしてしまったのは遺憾です。
それを押して結構遊んだような気もするが。

* * *

8月は6日の広島,9日の長崎,12日の御巣鷹山,15日の玉音と3日ごとに国民的暗い行事が続く異空間に入ったようになって、それが終わると夏ももう終わり、という気分になります。
戦後70年、個人的にはもうほとんど代わり映えのない「証言」系の情報に関心がなくなっていて、しかし戦後が終わった様子はなく(たぶん次の戦争までは終わらんだろう)、一方で今年は特に親族関係が結構弱っており、ふわっとした沈滞感の中でこの期間を過ごしました。

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2015年08月16日 11:10に投稿されたエントリーのページです。

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