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ちっちゃい

テレビに映った自分の姿を見る機会があったのですが、
ちっちゃい。わたくし。

中2にして成長が止まるまではわりとおっきいほうだったので、そのときまでに自分の中に形成された「自分の大きさ観」が「三つ子の魂」的に影響しているのではないかというのが1案。
ふだんあまり写真を撮られない、のと、撮られても比較対照されるべき人たちとあまり写真に写らない(つまりほとんどが証明写真)せいで正確に自分の大きさを把握していないというのが2案。
顔がわりかし小さいので体が小さくても小さい人に見えにくいというのが3案。
自意識が大きいが4案。

全部だな、全部。

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2003年4月の『バカの壁』以降、タイトルに「バカ」のついた本がどれくらい出たのか、それ以後今年までの7年とそれ以前の7年を比べてみようとふと思いついたのですが、どのツールを使って調べたらいいのでしょうか。国会図書館のOPACやamazonでは、単に「バカ」で検索しただけでは余計なものまでいろいろ出るので。

いや、なんかタイトルが安易だと中身まで安易な本だと思われる(ばれる)からやめたほうがいいと思っただけなんですけど。

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twitterに限らず、でも特にそこではそうだと思うんですけど、こういうプラットフォームの中での書き込みって「好きなように言い散らす」とは逆の方向にそのうち収斂していくような気がします。

知らない人にけなされるくらい世上に影響力のある人の場合、意外と自分の名前や書き物のことなんかに触れた書き込み(つぶやき、レビュー、なんやかや)を検索して見つけて反応してきますよね。
思い込みや調べもの不足や見識の欠落などによって生半可な批判を公開した場合、かえってその道に通じた相手から辛辣な反論を受けて町内(むろんサイバースペースでの距離感でこれくらい、ということですが)で笑いものになるということがあるので、それに備えて(1)それなりの調べものをするようになったり(2)少なくとも相手と対面しているときのように礼儀をわきまえたりして書き込みをすることになるんじゃないかと思います。

もちろん何かしでかしたらアカウントを閉じてトンズラして再起すればいいんですが、それも骨ですし、信頼も結びつき(フォロワー、マイミク、なんやかや)も蓄積しないので、長期的にみたら少し口に気をつけてものを言うようになるほうが為になるでしょう。

というわけで、不特定多数に向けて穏やかに語りかけるコミュニケーションがそのうち大半を占める/現に占めつつある、というのは楽観的すぎますですかね。

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「思います」を「おもいます」とか、平仮名遣いにこだわりのある人って難しそうでヒク。

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2010年10月05日 00:13に投稿されたエントリーのページです。

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