もともと情熱的に仕事に取り組んだ記憶はあまりないが、今年度任された仕事は自分がもっとも嫌いで・これまで忌避してもきた仕事だった。しかも忌避してる間に歳を食ったため、このほど責任者的な立場で任されることになってしまった。
折しも転職適齢期の晩期を迎え、同期が一人そして二人と会社を去ったと聞いた。残った同期と「置いていかれたねえ」と話しながら、独りになったときに転職サイトを眺めるこのところ。
世の同世代よりもいい給金をもらっている。そこを脱出した先にそうそうユートピアもなかろう。そんな気もするが、今月末に退職する同期に言わせれば「それと自由とどちらを取るか」なんだそうだ。
そこではたと省みれば、「やりたくないこと」はあっても「やりたいこと」のないのが自分自身で、脱出して自由を得たとしても、そこにhappinessがあるかはかなり怪しい。
やりたいこと、生き続ける動機。人たるものそれが備わっていることを前提によのなかの部分部分は造られており、たしかにそういう資質を多くの人が持っていないと総体的・実利的にはよろしくない。んだけれどもそれがない人が感じる窮屈さが少し和らぐようなシェルターはどこかにないのかな、と甘えてもみる。
以上、やる気について(on)。以下、やる気をめぐって(about)。
鬱には薬。なんとなればこれは化学的な現象だから。
というのは鬱持ちの上司。
無理矢理食べて、さっさと寝る。そんな対症療法で乗り切りながら鬱々と、そしてうかうかと仕事も7年目に入った。結局は物質的な存在。なんですね。
弊社は新人研修がひと月ある関係で人事が5月1日にあり、従って五月病はひと月遅れで来るという5月つごもりのおはなし。