札幌時代に仲良くしてもらった三つ上の友人が日曜に急死しました。
経緯は詳しく聞いていませんが、昼間に空港で倒れてそのまま逝ったとのこと。旅行業界の人だったので、仕事中だったのかな。昨日未明から朝にかけて、現地の友人らから何本も連絡の電話をもらいました。
今日がお通夜で、明日が葬儀の由。悩みましたが、出席する一人に香典を持っていってくれるよう頼み、自分は行かないことにしました。そこには既に彼はいないしね。
弊管理人が転勤で札幌を出てからは、SNSでときどき交流はあったものの直接会って話すことはとんとなかったため、彼とのチャンネルが永遠に閉ざされたことはまだ実感がありません。会おうと思えば会えるけれども、会っていない日々が引き続き流れている感じ。
5年も前にもらったメールを読み返すと、覚えていたつもりになっていた言い回しと微妙に違っていたことに気付く。友人夫婦も交えて仕事でもらった日高のサケを食ったよね。でも、あのでかいアイス食った小樽の店ってどうやって行くのだったかよく覚えてない。仕事先から土産にと買ってきてくれたキーホルダーって、あれどこの土産だったっけ。
われわれが二人でその端と端を握っていた記憶の糸の束は、いまはこちらの手からだらんと垂れ下がっている。「永遠の不在」が迫ってくる局面の一つは、記憶(≠記録)を共有をしてくれる人がもはやいないこと、もはや自分の記憶違いを正してくれる人がいないこと、記憶を支える基盤がひどく頼りないものになってしまったことに気付く瞬間であると思ってます。