日記に「メモ」と「報告」と「セラピー」の機能があるとすれば、いま確実にセラピーです。
雑事を大量にこなしているうちに1日が過ぎていて方向性が見えないというか、飛び立てる感じがしないのだけど、しかし飛びなよ、飛ぶよね?と言われているような。いや実際はそんなに言われてないのですけど、そういう気がしてしまう。
前前任者にちょっと用事があってメールをした時にうっかりそんなことを書いたのですけど、
生活を楽しむだけでOKです。
何か失敗しても3年はそこにいられます。
すぐ慣れるよ。
と返ってきました。特異な人なのでその通りかはともかく、そうだと思いたいしありがたい。
前任者も東京に戻っているのにいろいろ助けてくださるのがありがたい。
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それにしても20数年前の海外となんでこんなに楽しさが違うのかと。
考えてみましたが、前回は(1)寮が飯つきだった(2)寮で友達がすぐできた(3)妙に恐い物知らずだった(4)どこから矢が飛んでくるか分からない仕事ではなく自分でやることをコントロールできる環境だった(要は長い旅行みたいなもんだった)――というあたりか。
(2)は結構大きくて、今たぶん他愛ないおしゃべりを求めているんだと思う。20数年前は安くかけられるがそれでも高い国際通話のカードを買って実家と電話したり、持ってきたノートパソコンが途中で壊れたために、漢字が打てない学校のパソコンからローマ字で同級生とメールしたりしていたけど、結局一番助かったのは現地に四六時中友達がいたことだった。
(3)はそんなに精神的な体力が落ちたかなあという疑問はある。当時とて、いろんなものに守られていたせいで恐い物知らずな態度でいられただけだろう。
(4)が相当でかいが、それでも(それだからこそ?)「できるだけのことをするしかない」という境地に近づきつつある。
半年ほど先に赴任した、もともと知り合いの他社の人と話したとき、「そうはいっても東京に比べれば楽ですよ」と楽しそうなのが印象的だった。あのステージに早く行きたいですね。
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自分で思うが弱ってないか。これ。
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前の職場の若手ちゃんから、やりたいことをやるための退職の知らせ。
「理不尽・不合理なワンダーランドで生き延びた経験は、どこに行っても役立ちそうです」
とのこと。
そのころ、会社のポータルサイトには弊管理人と同期の20年勤続表彰のお知らせが掲示されていた。(どうでもいいけど中途で同じ年に入った人を除くと4月入社の同期は21人でした。30年表彰の人たちは67人。その上には100人時代があったはず)
「こんな面白い仕事はない」と言いながら働いている人を見たあと我が身を省みるに、単に愚図なのだろう、とまとめかけたところで、成田と東京の仕事が意外と面白く、札幌は生活が楽しかったせいだと思い直しました。それさえも本当かどうかはよくわからない。
それにしてもほんとに次々と若手ちゃん辞めますね。1年半余りいただけの大阪管内で既に6人。
一方、大阪時代にそそのかした若手ちゃんからは、弊管理人の出身部に異動希望を出したとの連絡。来年来るにはちょっと早いかもとは思いますが、どうかな。