■27日、大阪で退去の立ち会いをやってから新大阪までタクシーで移動し(いつも地下鉄だったので初めて使った。1800円くらいで済んだ)、新幹線で東京。スーツケース引きずって会社に行って社宅の鍵をもらい、汗でどろどろになりながらようやく到着しました。
部屋はwifiがなくネットが有線だったので、いったん街に出て2000円くらいのポータブルルーターを買い、100円ショップで必要な雑貨を仕入れ、とやっていたら日はどっぷり暮れ、それでもシャワーを浴びて部屋のドラム式洗濯乾燥機で洗濯ができたところまでで満足して就寝。
■28日は朝一番で歯医者に行き、そのまま新宿に移動してバスで帰省しました。
新宿はかなり人が少なかった印象。
弾丸で一泊した昨年末以来の実家です。弊管理人だけでなく父、本家の伯母、祖母、父方の祖母もワクチン接種を受け終えているというのが大きな違いです。さらにマスクを極力外さない、気休め程度の抗原検査、風下に立つ、手洗い、SpO2と体温を頻繁に計測、などできることの重畳によってリスク低減を図りましたが、それでも「自分は感染している可能性がある」との前提で2日間動くのはかなり気疲れしました。
夕飯はいつものソースカツ丼。
おいしかったです。
29日は本家へ。たんすの防虫剤を入れ替え、伯母の手作りの昼食をごちそうになりました。
100歳になった祖母は弊管理人をギリギリ認識できたかどうか。3回、握手すると、祖母は自分の額にその手を当てて「元気でね」と。たぶん全員が「これ、最後かな」と思ったことでしょう。
そのあと、父の実家にいる祖母にも会いに行きました。
縁側で祖母と話したあと、草刈りに来ていた叔父、叔母(義理)と4人でアイスを食べました。こちらはまだ最後ではないと思うけど、どうかなあ。でも90代になると分からないよね。
海外赴任は本人が若くてぴちぴちしてるほうがいいというのもあるけど、家族状況の面でも40代半ばはもうギリギリの時期かもしれない。国内にいてもお別れに立ち会えるかというとそうでもないが、弔いの場にさえいられない可能性があるのはね。それでも親世代は「面白そうだしいいんじゃない」的なことを言いました。どうなんだろう。
本家で食べきれなかった昼食を伯母に詰めてもらったものを実家に持ち帰ったら、父が「飯がない」といっておにぎりを2つ作ってくれました。
帰りのバスで夕食にしました。恐らくもうコラボすることのない2人のコラボだなと思って撮影。6年くらい前だったか、2人が決裂して以来「PKO」と称して実家と本家を行き来してきましたが、祖母有事の際は弊管理人のいないところで弔いや相続などの諸手続に対処を迫られることでしょう。弊管理人のPKOは結局あまり意味がなかったのかもしれん。
そんなことでいつも以上に気持ちの晴れない帰省でした。