ふつう、というほど多数ではないが看過できない程度の数の人が、人生というものを、関門を次々とクリアするゲームのように生きて〈しまう〉種類の人なのではないかと思っています。
やりたいことがあるから試験をパスするのではなく、そこに試験があるからパスする。特定の人と継続的に一緒にいたいから交際をするのではなく、交際という関門をクリアするために誰かを好きになってみる。内発的な動機のように見えるのは、「これをしたい」ではなく「これをしたほうがいい」というドライブであり、その基準は外から(あるいは、自分の中に形成された他人から)与えられているのにすぎない。
からからに渇いた根っこではとても支えきれないがらんどうの自尊心を、関門クリアゲームの支柱でどうにか倒れないようにしている。だから常に無軌道に自分のポテンシャルを確かめようといろいろなことに手を出してみる。ただしその営みは同時に、ふっと姿を見せては消える不安の淵源でもある。そんなことは分かっている、知っている、しかし、やめられない。檻のない牢獄。
解放されるためにはどうするべきか?檻のない牢獄を脱して、檻に入ればいいわけだ。目的も手段も外から与えられる、しっかりと評価方法が作り込まれた制度の中へ。その窮屈さにぶつぶつ文句を言うことだって、檻が可能にしてくれるささいな贅沢だろう――檻のない牢獄の不安に比べたら。
閑話休題(笑)、
ちょっくら桜を見に、激混みの隅田公園にいってきました。
春のうららの隅田川、と、その向こうで着々と建設が進むスカイツリーを見る人たち。数日前に「日本一高い建造物」になりましたね。3月29日現在で338mだって。
まだこの倍まで伸びるのかー
新東京タワーと、ソメイヨシノ。
2関門いっぺんにクリアです(←だめなひと)