1月 四国楽しかった
2月 台湾がちょー楽しかった、というか素晴らしく楽しかった
3月 結構本読んだ。わちゃわちゃした仕事が開始
4月 これくらいまで確か忙しかった気がする
5月 滋賀県が意外といいところだった。
6月 エチカが意外と面白かった。江ノ島むふふ旅行
7月 ええとなんだっけ
8月 東京サマーランドと茨城の海が死ぬほど楽しかった
ばあちゃんが弊管理人を認識できなくなっていてちょっと悲しかった
9月 北海道2泊楽しかった。もうちょっと長く行けばよかった
10月 がしがし仕事したけど一気に疲れが出て体調不良
11月 いづもやの鰻がおいしかった
12月 新しいおうちに引っ越した。仕事は最終の金曜にピークが来た
* * *
とても辛かった2012年と13年が終わって、年度が替わって、職場に若い人が一人増えて、そちら方面に仕事が結構流れていくようになったため一息つけた、そんな年だったような気がします。逆に言うと、今年はそんなに「これやったー」という仕事がなかった気がする。手広く楽しく手がけた気はしますが、手を抜いてしまったものもありました。
10月に部屋を買うことを決めるまでは、結構な時間をネットでの物件チェックに取られていました。買うことを決めてからは、諸々の手続きと手配と後始末に忙殺された感があります。しかし、今日までに大体それも終わりました。
なんだか残された時間があまりないということをよく感じました。しかし、これは新しい何かを始めることで乗り越える必要がある感覚だと思います。習い事でもいいし、テーマを決めた勉強でもいいし、旅でもいいかもしれない。何か澱みを撹拌するもの。
8月に扱った案件は非線形物理の方面で、「モデル」というものの基本的な考え方に気付かせてもらえて、個人的にもとても役立った仕事となりました。
モデルはリアリティを多少犠牲にすることで、いろいろな事象を見渡せる、見通しをよくする、新しいデータをどう扱うかの方向付けを助けてくれるもの。逆に言うと、モデルを現実にそのまま適用できるとは限らない。成形して使わなければならないということ。
これを分かっておくと、現実がモデル通りでないということでイライラしなくて済みますし、抽象論も尊重できるようになります。そんなん当たり前やんけと思わなくもないけれど、意外とはっきり言ってくれる人が周囲にいなかったので……
読書では、learn and unlearn の有用さを(再)認識したことです。今年読んだうちの2冊に出てきたはず。本での意味とは多少違うんだけど。
ツイッターでもリアルでもそうですが、周囲からなんやこいつという人や考え方がちょっかい出してきます。それを受け止め、その上でうっちゃる。海綿のように、ずおーっと吸い込み、濾し取って、あとはどばーっと流し去る。
自分が可謬であるということはだいぶ前から大切にしている認識なのですが、それだけだとわりと自己嫌悪ばかりの辛いほうに傾くので、learn and unlearnをセットで持っておいたほうがいい。これも分かってる人には今更ですが、今年はっきり分かったことでした。
あと、頼まれてもいないのに自分の属性を代表しないというのも大切です。
あとはゆっくり噛んで食べる(舌噛んで流血して思い知った)、野菜を努めて食べる(秋に体調崩して思い知った)、といったことかしら。
このようにプラクティカルなことばかりに価値を見た今年でした。
つまり、自分という実在は意外と不確定なものを含んでいなくて、環境の調節によって操作できるということ。
この傾向が今後変わるかどうか分かりません。変わんない気がします。