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離任と引っ越し

ようやく大阪での営巣が落ち着きました。

それにしても、周りがみんな大阪弁を喋っていて、「ノンネイティブスピーカーとして生活する」という体験を留学以来20年ぶりにしている、という実感が意外とでかいです。
イントネーションによって「よその人やな?」という顔をされることが時々あるのが気になるのと、「えっ今なんて?」と自分の喋りが聞き取ってもらえないことが結構ある。まあ後者はもともと弊管理人の喋りが聞き取りづらい上に、あまり日常会話に出てこない語彙を話し言葉で使う癖があるためかもしれん。

さようならから引っ越しまでは以下。

■21日は旧職場の人3人と最後の夕飯。神谷町にあるベラルーシ料理「ミンスクの台所」。
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このとき、部内の仕事が風雲急を告げていて、このお店を予約してくれた人がもろにその担当で、来れるかな、来れないかな、みたいな状況でした。結局遅れて来ることはできたのですが、その後がえらいことになっており、今(30日)もますますえらいことになっています。

■22日は弊管理人の最終出勤日で、夜勤に当たったため送り出される事態は避けられました。
机の上をきれいにして、午前2時前に一人で職場を後に。

■23日は転勤休を利用して最後の片付けと、区役所で転出届。
夕飯は呑み友と中野坂上で魚。

■24日は引っ越しです。
200130maenoheya.JPG
アート引越センターから来たのはおねえさん1人とドライバーさんで、すっごい手際で大物を梱包して運び出して終了。そのまま新幹線で大阪に行きました。

■25日は朝から荷受け、ガス開栓、洗濯機搬入(東京の家はビルトインのドラム式だったのでハイアールのやっすいやつを購入した)、ネット開通、で、なんとか大物家具を配置し寝床だけ作って寝た。

■26日は大阪の前任者と会って引き継ぎ。そのあとニトリに行ったり片付けしたり。
27-29日を使ってだいたいの段ボールを開いた。

・結局、1LDKのリビングにベッドも机もテレビも入れて1部屋で暮らせるようにしてしまい、洋間は電子ピアノを置いただけ。あと、本やCDも段ボール箱も洋間に置いたままにして、必要が生じるまで箱から出さないことにした

・クローゼットが小さいため、「たぶん大阪在任中は着ない」と思った背広とバイク用のジャケットは箱詰め。普段着るもののバリエーションがものすごくないわりに、ほんとに服が多い。なぜなのだ

・東京で聞いていたラジオ番組のいくつかが大阪で放送されておらず、残念ながら聴取断念。あと、建物のせいなのか立地のせいなのか、感度がかなり悪いのが極めて不満

・ブルーレイ・HDDレコーダが電源を切っていても高周波の小さな音を発していることに気付き、寝るときうるさいのでコンセントを外すことにした。これでさらに東京では録画していたいくつかの番組を見なくなる

・一方、ベランダが広くて(たぶん面積にして東京の2倍以上)布団が干しやすいのと、風呂場に窓があるのはよい(←これはこの部屋に決めた要因の一つ)。カーテンは無精なので使い回してしまった

■29日はちょっと出掛けたくなって、仁徳天皇陵古墳と堺市博物館に行ってきました。
俯瞰して見られる高い建物がないんだけど、前方後円墳って形が分かんないと面白くないでしょう。観光地としてはガッカリだと思う。
ただ博物館は古墳群から行基から秀吉から、堺市の歴史的資源の豊富さが圧倒的でよかった。

■30日、ちょっと仕事めいた用事で阪大へ。
そのあと岡山に遊びに行こうとしたら、新大阪に地下鉄の御堂筋線で出るはずが、間違えて堺筋線に乗ってしまい、やる気が失せて、カレー食べて一杯飲んで帰ってきた

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2020年01月30日 23:27に投稿されたエントリーのページです。

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