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2018年11月05日

しぞーか

所用で静岡。
駿府教会を見せていただきました。新約聖書もいただいてしまいました。
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曇りだったせいか、光が射すのではなく沁みてくる感じ。
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設計は西沢大良さん。
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そんで「海ぼうず」でしぞーかおでん食べました。
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すっごい食べ応えのあるマグロのテール、598円。安!
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行きはバスで3時間2250円、帰りはひかりで50分5000いくらでした。
バスで十分ですね。景色見れていいのと、途中休憩の足柄SAが楽しい。
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駅弁は東海軒の鯛めし。味は一言でいうとでんぶです!

2018年08月31日

ウズベキスタン(7終)

【8/30】

サマルカンドからタシケントに移動し、夜に帰国の途につきます。
未体験ゾーン、モーニングコールが4:30。
お弁当(パン、ジュース、ヨーグルト、水。リンゴは食べきれないまま持って帰ってまだうちの台所にあります)を受け取ってバスに乗り込み、サマルカンドの鉄道駅に行きました。
鉄道駅も荷物のセキュリティチェックがある。そういう国。
駅舎は素敵なステンドグラスがある重厚長大なソ連様式。
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駅での写真撮影が許可されたのも、つい今年からだそうです。
プラットフォームは広い。
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ブハラ発タシケント行きの新幹線的なやつ、アフラシャブ号に乗りますよ。
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どこ製かな?中国?ロシア?とみんなで推測しましたが分からず。
だいたい時速160kmくらい、最高で210kmちょっと出ていたと思います。
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ちなみに画面左のお兄さんが笑っているのは、弊管理人の頭上にあるモニターでやってるコメディを見ているためと思われます。
右のちょっと寝てる女性が、この旅じゅうずっと日本語でウズベキスタンを紹介しまくってくれた超優秀&豪腕ガイドさんです。最終日、朝から咳が出て具合悪そうでした。東部の山の中の出身で、タシケントの国立東洋学大(うろ覚え。確かそう)を出て埼玉の国際交流基金に来て論文を書いたそう。
車内ではお茶とパンが配られます。飛行機みたい。
スタッフを撮影しようとしたら制止されましたが、まあ撮るよね。
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ティムールが戦争に行くときに集合場所にしていた峠「ティムール・ゲート」を通り過ぎ、「8:15ごろ通ります」と言われていたシルダリア川を定刻通り通過(つまりかなり正確に運行しているのだ。えらい)すると、タシケントの街に入ります。名前は13世紀ごろついて、「石の街」という意味。
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午後10時のフライトまでがっつり観光。

まずは日本人墓地のある墓地。
これはまだ日本人墓地ではありません。現地の方々のやつ。
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故人の顔が墓石に彫ってあるのはソ連式なんだって。月のマークがついてるムスリムの方々のも一部そうなってました。ガイドさん(イスラム教徒)に「イスラム教では墓地に幽霊は出るんですか?」と聞いたが分からなかった。逆に「なんで日本では出るの?」と聞かれてそういえばなんでかなと。
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こちらが日本人墓地。抑留者の遺体を埋葬した初代墓守から数えて今はお孫さん=3代目。とてもきれいにされてます。
実は弊管理人の祖父(1912-2003)もシベリア抑留者なのですが、シベリアからウズベキスタンに移送されていたことを旅行直前に家族から聞かされました。
当然というか、シベリアに比べればマイルドな気候で、劇場建設などの労働現場では周辺住民からの差し入れもあったりして、死亡率はシベリアより低かったとのこと。

モスクのトイレをお借りしました。お清め部屋もきれいね。
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タシケントの街には白人が格段に多いと感じます。
スムを使い切るため、コルズィンカ(かご)というスーパーに立ち寄りました。
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これは菓子パン職人のおにいさん。
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結局なんだかんだ合わせて、この旅では7000円くらいしか使わなかった。
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こちらは歴史博物館。
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中に入るとカリモフより一言。
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土地と個人を結びつける分かりやすい国民統合のメッセージ。多文化・多民族が存在する現実と、国家の安定の折り合いをつけようとすると多分こうなる。
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古代風の柱と、美しい国。絵はちょっとアンズの花の季節の長野っぽかったりする。
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当然ながら石器時代から始まって近現代に至るわけですけど、これだけくるくると民族も人種も違う支配者が入れ替わってきたウズベキスタンの歴史って一体何?どこから始まるの?と台湾の故宮博物院を見たときのようなことを思いました。

『60章』のコラムを見ると、「ウズベキスタンではウズベク人が人口の80%を占めている。しかしながら、ウズベキスタンにはその昔「ウズベク」と呼ばれる人々は住んでいなかったのである」と書かれていて何何何?となります。その答えは次のようなこと。

人間集団の名前としての「ウズベク」は14世紀後半のことを書いたティムール朝の史書に出てきて、それは現在のカザフスタン西部にいた遊牧集団のことだったそう。彼らはチンギス・ハンの長子ジョチを君主(ハン)に戴いてカザフ草原に勢力を拡大。1500年にはティムール朝の首都サマルカンドを征服し、もう一つの中心都市ヘラートも攻略してティムール朝を滅亡させる。このときの遊牧ウズベクの移住者は推定24~36万人。その後も流入は継続します。

ちょっと時代を遡ると、もともとこの辺りには8世紀にイスラム勢力が入ってからペルシア語が使われていましたが、そのあとカラハン朝(10世紀)の時代にテュルク族が流入。支配者の言葉だったテュルク語も普及していました。このあとモンゴル侵入を経て、ティムール朝の時代にもペルシア語とテュルク語が併存。テュルク語系の遊牧ウズベクの移住はさらなるテュルク語化が進む要因となったということです。つまり、テュルク語を喋る人たちは遊牧ウズベク以前にもいた。

さて、ロシア革命後の1924年に民族・共和国境界画定によって、「そこにいたテュルク語を母語とする人たち」が「ウズベク民族」とされ、ウズベク民族が多数派の地域がウズベク共和国になった。そしてそこで使われている言葉が「ウズベク語」になった。(ペルシア語の地域はタジク共和国になり、言葉は「タジク語」になった。ガイドさんはタジク語を聞いても「なんとなく分かる」そうです)(pp.77-79)

つまり、「ウズベク民族」は少なくとも、昔からいたテュルク語話者と、ティムール朝時代の最後に入ってきたテュルク語話者の遊牧ウズベクが混ざっていて、しかも現代になって創出されたものだと。遊牧ウズベクに滅ぼされたティムール朝の始祖が英雄になっちゃって主要都市に銅像が建っているのものもわけがわからないが、むしろ「ぐちゃぐちゃだから何をシンボルにしてもいい」のかもしれません。
ティムール朝の人気も、滅亡後だいぶたった18世紀の経済衰退期に始まったが、ソヴィエト政権下では民衆重視・為政者否定の中でティムールの地位は低下し、ソ連崩壊後にやっと復権する、という浮き沈みがあったとのことです。

テレビの発明もウズベキスタンですからね、という展示。
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あと、スターリン時代のことはやはり相当恨んでいる印象。
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1920年代のソヴィエト政権はイスラムの「後進性」を廃して一夫多妻をやめさせ、女性のヴェールを脱がせ、イマームを逮捕し、ラテン文字を使わせ、民族知識人を抑圧。スターリン体制ではコルホーズ導入、富農の追放、棉モノカルチャーと「赤い植民地」化、大テロルによるウズベク共産党や知識人の大量粛清による文化の継続性喪失、戦時中の朝鮮系ロシア人の沿海州からの大量移送など、いろいろひどかったらしい。

しかし「ウズベク人がソヴィエト政権を支持し受益者となったり、時には同胞の抑圧に手を貸す加害者の立場にもあったという問題に触れることは、ペレストロイカ期と比べてむしろ困難になっている」(『60章』pp.100-105)。『イェルサレムのアイヒマン』を思い出します。

うちのじいちゃんも建設作業させられたらしい、ナヴォイ劇場。
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周りはドングリの木がいっぱい。実を少し拾って帰ってきました。

そういえばここまで、たびたび名物と聞いていたプロフ(ピラフ)食べてないなーと思っていたら、お昼がそれでした。
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ものっすごい大皿で出てきて4人くらいで取り分けます。上に載ってるのは牛肉、丸いのは馬。よく知ってる人に言わせると「かなり上品なプロフで、もっと悪いやつは油でギットギト」とのことです。
おいしかったのでかなり頑張って食べましたが、それでも半分以上残った。
みんなそこはかなり呵責を感じるところで、しかし「残飯は牛のエサになるから食品のゴミというものは出ない(ついでに、それゆえ駅のゴミ箱などに紙ゴミと残飯を一緒に入れると怒られる。気をつけろ)」というガイドさんの説明を信じて忘れることにしました。
あと、こちらはラグマンといううどん。沖縄そばみたいな麺です。
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朝が早かったこともあって、このあと弊管理人は日本庭園を夢うつつで歩き、バスの中で意識喪失します。
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花が咲いてますね、くらいしか覚えてない。

しかしおかげで、チョルスー・バザールを見る頃には復活して元気になりました。
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文房具(新学期を前にしてかなり賑わっていた)、スパイス、雑貨、乳製品など細かく区画が分かれていましたが、やはり肉が壮観です。温まった生ラムのような匂いが充満してます。
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では地下鉄に乗りましょう。青いトークンを改札口に投入してホームに入ります。
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説明が丁寧。
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無骨な車両です。
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中は東京の地下鉄より広い感じ。日本人は乗るとまだまだ異物感を醸す。
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人が来るとすぐにシートが譲られます。
地下鉄駅ごとにコンセプトが違う装飾がされていて、それらがとてもきれい。
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ティムール朝の政治家・詩人ナヴァーイーのレリーフとったらセキュリティ機器も入っちゃったい。まあいいか。
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しかもこれも今年になって撮影解禁になったというのがまた。
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さて、この駅を出ると最後の観光地です。
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大統領府のある広場、かつてレーニン像があったラスボス感のある場所には子どもを抱く母親の像があります。第二次大戦中に疎開してきたロシアの子たちを受け入れたウズベキスタンの象徴。上にある地球儀にはウズベキスタンだけが彫られているとか。
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マックもスタバもない、しかし各所の撮影規制を緩めたミルジヨーエフ(←外務省表記を調べたらこうだった)新大統領のウズベキスタンはこれから観光に対して開かれていき、変貌していくのでしょうか。あるいは、やはり国をある程度閉じておくことにメリットを感じていて、少なくとも経済は引き続き中で完結しようとするのか。

空港に向かう前、最後の晩餐。
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いや、それにしても今回、パック旅行でよかった。そして楽。プロが全部やってくれるというのは楽。金額だけ見れば決して安くないけど、自分でアレンジしたとしても、同じ内容でこれより安くできない気はする。

パック旅行の客層も面白かった。

会社で結構いいところまでいってリタイアした風の亭主関白系ご夫婦3組(うち2組はビジネスクラス)、パックで世界を回っているらしい値切り魔のおばさん、「イタリアやフランスみたいに沢山の箇所を自分で回りたい時は自分で組むか、専門の旅行者でコースを作ってもらう」という旅慣れたおかーさん(添乗員さんも持ってなかった爪切りをお借りしました。こういうものを旅に持ってくるのも旅慣れてる感じ)、写真とりまくり一人旅おじさま、イスラムに詳しい知識階級っぽい謎のおじさま、東欧駐在経験があり40年とかのスパンで仕事で何回か訪れたウズベキスタンの最近の様子を見に来ようと思ったが、妻に先立たれ、友達を誘ったけど来てくれなかったため一人旅になってしまった元国際協力系?おじさま。
あと、厚かましいお嬢さんがそのまま年を取った感じの暗いところでフラッシュ撮影しまくる痛いおばさんは集団の不安定化リスクとみていたが、結果そこまで顕在化しなかった。誰だか忘れましたが「パックに慣れると抜けられなくなる」との金言もいただきました。

旦那も娘も婿殿もついてきてくれないマダムなどはピンでこういうのに参加しているうちに同じ境遇の仲間を見つけて、次の旅には連れ立って出掛けるらしい。

タシケント22時発、寝たり起きたりしているうちに7時間ちょっとで成田に着きました。
タジキスタンから同じ便で来て、右も左も分からないのにクルーズのため横浜港に行きたい(しかもドクターというわりに英語もほとんどできない!!!)という無謀なおばさん2人に捕まり、いろいろ書いて教えたりリムジンバスに乗っけたりしているうちに、旅の間ずっとメモをとっていたメモ帳をどこかでなくしました。
29日分まではPCに打ち込んであったので、失われたのはこのエントリー分だけで助かった。カメラのSDカードが一瞬不穏だったこともあり、バックアップ大事大事。

いやあ楽しかった。誰か連れていけばよかった。おしまい。

(9月8日記)

2018年08月29日

ウズベキスタン(6)

【8/29】

サマルカンドを歩いて観光する日。
そういえばホテルの机にお祈りの方向が示してありました。
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ホテルの朝食。
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ショルダナクという杏の種、ドライフルーツ、お粥あたりが名物みたい。

昼間のレギスタン広場を見ます。
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メドレセのミナレット、曲がってます。よく見るといろんな建物が曲がってる。
一見きれいな焼き物の彩色も粗っぽかったりして、ここは全体的に、大きさとか派手さに注意が向きがちで、クラフツマンシップの意外な質の悪さに気付きにくいところだと思う。
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「レギスタン」の名前は、もともと湖だったところが干上がってレギ(砂)スタン(場所)になったのが由来。バザールがあり、ビビハニムモスクまで続いていた。巨大メドレセとモスクは、ここでも革命軍による大規模破壊を経て修復されました。
3つある建物の最初に作られたのはウルグベク・メドレセ。ATM完備。
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ウルグベクは天文学者だったので星の模様。先生は住み込み。1960年代に修復。中にはモスクもあり。イラン、トルコ、イタリアからも学生が来ていた。1941年に第二次大戦が始まったあと、ロシアから疎開してきた子どもが一時収容されていたという。
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2つめはバハギル・メドレセ。金で作ったモスク。テラ(金で)コール(飾った)メドレセ。模様は長生きを示すアーモンド。唐辛子はゾロアスター教の意匠、バジルはイスラム教と混ざった形。内部の天井は、円の中心に向かって葉っぱが小さく描かれているため、ドームになっていないのにドームに見えます。
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3つめはコシュ(向かい合わせ)メドレセ。太陽と、トラに見えるがライオンをかたどった模様。シカを狩っている。40教室あったそう。

タイル職人の店で湯飲みを購入しました。
入ると笑顔で商品をアピりまくるわりに、値段交渉になるとすごいシビア。ま、もとが1個3ドルなんですけど。真顔の客あしらいに田舎を感じます(嫌いとは言ってない)。

行こうと思っていたチャイハナが清掃中というので、時間つぶしに入ったブティックと工房。
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しかし弊管理人は買い物に興味がないので、一行が見ている間、外の公園のベンチに座っていました。同じベンチの老人と全く言葉が通じないのに会話になりました。なぜか年金手帳のようなものを見せてもらいました。

お茶休憩。
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お茶とお菓子で一休みするだけなんですけど、この画面左にある、絨毯を敷いたベッドフレームみたいなやつに上って足を伸ばすとすごく休まります。日陰は風が涼しく、できればお茶をポットで頼んで一日ぐったりしていたい。

ビビハニムモスク。ティムールの長女のモスクだそう。マグネット購入。
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昔はこれもんで壊れていたらしい。
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一人で写真を撮っていたら、仲良し3人組から一緒に写真を撮ってと頼まれました。
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弊管理人と彼らが一緒に、彼らの携帯で写真をとったあと、3人を撮らせてもらいました。
日本人と写真、よくあることらしいです。むしろ3人を撮ったら「自分は入らないの!?」と言われました。一緒に撮ればよかったね(笑)
わきゃわきゃしていたので学生だと思ってましたが、写真見ると結構歳いってそうな。

お隣のバザールに寄ります。
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賑やか。ヨーグルト玉、スパイス、ナンなどいろいろあり。
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同行のご夫婦がスパイスを猛然と値切っていて、そこまでする?と若干引きましたが、最後は商談成立していたので儲けは出るのでしょう。換算すれば何百円の話なんだけどな。
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ノンを売っていたのはおばちゃんたちで、ここでも女性のほうが勢いがすごかった。
弊管理人は干したアンズとイチジクをちょっと買いました。

シャヒズィンダ廟。12世紀の聖人の墓などいっぱい集積したところ。
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コーランを読めない人のために、いい声で読み聞かせるお兄さん。
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このときは健康に関する一節だったそう。ありがたい言葉を両手で受けて、それを顔に浴びせる仕草。周りの人たちも一緒にやります。

いったんホテルに戻ってうとうとしてから散歩。
おととし亡くなったカリモフ前大統領の像を見に行きます。
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1938年サマルカンド生まれ、貧しい家庭から工科大、経済大を出て博士号取得。経済官僚としてキャリアを積みます。そのあとソ連構成共和国時代から27年も指導者を務めました。大統領に権限が集中する体制を築き、強い国家統制を残して漸進的な改革を行うことで、ソ連崩壊後のショックを緩和し、世界の金融危機の影響も受けにくかった。反面、外資の導入や経済の多角化が抑制されます。歴史やイスラムを象徴的・選択的に利用した公定ナショナリズムを利用した統治を行い、共助団体を通じた市民監視も強めました。フェルガナ盆地でのイスラム運動に対しては強面の弾圧を行い、過激化を招いたこともあります。(『60章』pp.284-289)

そして彼の死後、空港に名前がつき、命日は休日になってました。
「イスラム・カリモフの「神話化」とも言うべきプロセスが進行している。[...]抑圧的なソ連体制からの解放と独立の達成、独立後の数多くの困難の克服、独立国としての基盤づくりと優れたイニシアティヴ、民主主義的祖国の安定と発展、それを脅かす勢力との正義の闘い―これらが様々な場面で繰り返し語られるモティーフである。そしてその中でカリモフは、建国の「父」、ウズベク民族の偉大なる「父」なのであり、父が築いたものを父亡き後に残された「子供たち」が受け継いでいくのだというイメージがいくつもの手段や経路で美しく演出され、拡散されている」(同、p.292)

そこからバザールまで歩いて、午前中とは反対側の出口から出ると、場外にもかなりのお店が広がっていました。
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喧噪と排気ガスの臭いを抜け、路地に迷い込み。
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ホテルに帰りました。

(9月8日記)

2018年08月28日

ウズベキスタン(5)

【8/28】

ティムールの生地、シャフリサブスを経由してサマルカンドに向かう日です。めちゃんこ早起きで出発です。今日はバス移動がほとんど。
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シャフリサブスまで300km。ブハラ~シャフリサブスは羊が多いところだそうです。
街と街の間には検問があります。相変わらず担当官を撮影してはダメ。

綿花の畑が広がっています。蜂蜜もとれるそうです。花は4から9月がシーズンで、11月には木を周囲の民家のおじさんが取りにきて、屋根の上に乗せておき、冬の薪にするのだとか。
昔はコルホーズだったが、今は国営になっていて、手伝うとお給金がもらえます。ちなみにコルホーズは団地ごとに運営、ソフホーズはそういうまとまりがない農場、というのが違い。

車はフェルガナ、アサカ市で作っているシボレーがほとんど。コンパクトカーくらいの小さな車が多いです。一方で旧ソ連時代の製造と思われる「ラーダ」もかなり走っています。安いのでよく売れたとか。違う日の写真ですが、ラーダってこういうのです↓
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ブハラは石油が出るそうです。ムバラクという「天然ガスの街」ではガスのプラントも見えました。荒野、住宅街を問わず、ガス管は黄色、水色は水道管だそう。
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ガスが安くてガソリンが高いので、車はガス車が多いんだって。そう言われてみれば、「メタン」や「プロパン」と表示されたガススタンドがあちこちにあった!

車内ではウズベキスタンの歴史をざっとおさらい。
 1-4世紀 クシャン朝
 9-12世紀 サマニド朝
 13世紀 ホレズム・ハン国、ここにモンゴルが襲来しいろいろ破壊した
 15世紀 遊牧ウズベク人が進入
 16世紀 シャイバニ朝
 17世紀 ヒヴァ、ブハラ、コーカンドの3ハン国
 1850 帝政ロシア
 1919 ソヴィエト革命軍の統治、いろいろ破壊
 1960年代 ソヴィエトが「ごめんね」で壊したものを修復する時代
 1991 独立
つまり、どこを見てもだいたいモンゴルとソヴィエトが壊してる。

国歌、紋章、国歌についても勉強しました。

国歌はブルハーノフが作曲、アリポフが作詞。「ウズベキスタンは太陽の国ですよって歌ってます」。野菜、果物、学者など自慢を並べて「きれいにして残そうね」という歌だそう。あとで歌詞を見たらちょっと違うけど大体そんなんだった(笑)。毎朝7時にラジオで流れ、公共の場などで聞くときは右手を胸に当てて聞くそうです。

紋章。これでーすっつって、ガイドさんが。修学旅行っぽい。
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紋章は綿花と小麦が両脇、ホーマ(フマ)という空想の鳥が中央に配置されてます。あとはアム川とシル川、それらの源流であるパミール高原。

国旗は上から青、白、緑のトリコロール。

青は空+ティムール朝の国旗+タイル、白は川の水+「思いやりがある明るい人」を意味するのだとか。緑は植物でしょうな。3色を隔てる赤い線は第二次大戦の戦死者の血。左上にイスラムを示す三日月と、12の地方を示す12個の星。国旗・国歌への崇敬を刷り込み、内外国民の監視を行うのは、多民族を抱えて突然生まれた若い国家ならではでしょうか。
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というかもう車窓が全くもって国旗の色。この写真では白は山ですけど。でもすごく写実的な国旗だなと思いました。ボロディンの交響詩に「中央アジアの草原にて」というのがあって、どこをイメージして作ったかは知らないけど、結構草原あるんだなと。
ちなみに最高峰はスルハンダリア地方にあるハズレット・スルタン山、4643m。
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途中、トイレ休憩のガソリンスタンドで売っていた、この手前の黄色いものは「氷砂糖」。
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近影こちら。腹痛は紅茶にこれを溶かして飲むと治るんですと。1000スム、だいたい14円。2本買いました。
(と、これを書きながら台所に行ってタキ・バザールで買ったハーブティーを淹れ、氷砂糖をなめてます)

お昼前くらいにシャフリサブスに着きました。
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モスクではチノールという1370年にティムールが植えた巨木が3本。木は長生きだということで、遠征に行った先々で木を植えていたそうです。
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この時計は1日5回の礼拝の時間。
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あと、ティムールの墓。ただし本人はいない。
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ティムールの孫、ウルグベクが作ったウルグベク・モスク。
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アラビア語の下に星がいっぱい描いてあるのは、ウルグベクが天文学者だったから。
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内部は耐震工事中。アーチに渡してある棒も耐震のため。
それにしてもドームの印象的な水色はどうやって出しているのか。聞いてみると、昔はコバルトやトルコ石、今はペンキなので毎年補修するそうです。

アクサライ宮殿を見に行きます。
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ティムール像が見ている方向はアフガニスタン。墓を開けて行った調査により、骨格から顔つきが復元された。右足が悪かったことも分かった。
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補修がされていない珍しい史跡だそうですけど、むちゃくちゃでかい。
天井と地下に奥さん用のプールがあったんだと。
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当初はタイル張りだったが、16世紀には破壊が進んでしまいました。これはモンゴルとかは関係なく、遠くから見ると輝いて見えるようにタイルに砂金が含まれていたため、砂金を目当てにタイルが剥がされていったのだとか。

お昼は家庭料理。
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この後出てきたロールキャベツもうまかったです。
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葡萄棚のある素敵なお家。ちょっと休ませていただきました。

さて、サマルカンドへ、さらに3時間バスの旅です。
ウズベキスタンに関するレクチャー、続きます。

教育について。ウズベキスタンは4-5-2制。教育は無料。教師の給料は160~170万スム。5月下旬から9月初めまで長い夏休みがあります。カザフ語やタジク語で教える学校もあるが少数。今は1年生から英語を教えます(確かに話した現地の人の中では若い人によく英語が通じた)。数学にもかなり注力していて、ヨーロッパのカリキュラムより進んでいるとか。
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これはガイドさんの息子さんのノート、確か3年生ですが、すごいしっかりした字を書きます。
生徒は鉛筆ではなく青いボールペンで書き、教師が赤ペンで直しを入れます。間違いを消させないことで記憶を促すという趣旨の「ソ連方式」。子どもが多いので、学校は2部制になることもあり、その場合は朝8時からと11時から。
授業は午後2時くらいには終わりますが、音楽、舞踊、スポーツなどの私立学校があって、そちらは有料。

「青空トイレ」=立ちションの時間も取られましたが、意外に人目があってバスを降りたもののできず。

途中の山岳地帯は、子どもを乗せたロバがとことこ歩いているようなところ。日本にまったくない風景で、ちょっとでもいいから止まって写真を撮りたかったです。
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あとで同行のおじさまと話したんですが、「道の駅」ほしいよねと。運営ノウハウを輸出したら絶対受けるでしょ、と盛り上がりました。

サマルカンドに到着してさっそく観光。グリ・アミール廟。
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ティムールはシャフリサブスに自分の墓を作ったが、そこに入ることはできませんでした。この廟はもともとメドレセ。ティムールの息子や孫のウルグベクも埋葬されています。ぱないわ。
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でもやっぱりドーム、ミナレットとも革命軍に破壊されたんですと。
ほんとに最近修復したものばかり見ているのですね。われわれ。

夕飯はケバブ!!
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牛、羊、トマトを、玉ねぎやソースとともにクレープで巻いて食べる。うまい!

一度、ホテル「アジア・サマルカンド」にチェックインしてから、レギスタン広場にライトアップを見に行きました。これもまたみんなから歓声が上がるでかさ。
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ところで、シャッターを押してあげたのをきっかけに、東部から撮影の仕事で来ているという23歳(確か)と話し込みました。
カメラマンをやっていて1日中サマルカンドを歩き回って疲れた。ウズベキスタンはまだ知られていないので、将来は旅行会社をやって発信したい云々。確かにここに来る前に「なんでウズベキスタン?」とよく聞かれました。灼熱だと思っていたが、気温が高くても日陰に入れば涼しいし、日中歩いていてほとんど汗をかかない。夜は肌寒いくらい。日本から来れば避暑になってしまうのが意外。そんなことからして知られてない。いい着眼点だと思います。ツーリズムで成功してね。

(9月7日記)

2018年08月27日

ウズベキスタン(4)

【8/27】

ホテル「グランドブハラ」の部屋は11階です。見晴らしとてもよし。朝焼けきれい。
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ただしベランダは胸下くらいの高さの柵しかなく下を見るとちょうおっかない。よく反体制ジャーナリストとかが投げ落とされるのはこういうところだろうなとか(失礼)
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日が昇るとこんな街並み。官庁街なのもあって無機質な東っぽさが増幅しています。
目の前にあるのは「戦勝記念広場」で、戦没者名簿に加えて、帰らない息子を待つ母親の像というのがでーんと鎮座しています。この像には最後にタシケントで再会するので、所感はそのときに。

8時発でイスマイル・サマニ廟に向かいます。
向かうんですけど、途中の公園に遊園地がありまして。
この国に妙に多いと感じたもの1、観覧車。
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その2、こういうやつ。
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もちろん○ッキーさんもいました。

こちら、イスマイル・サマニという王様が作ったお墓。
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9世紀に国内だけでなくイラン、トルコからも職人を集め、もともとは父親のために作ったお墓。日干しレンガの成分は今も全貌が分かっていません。ラクダのミルクや卵も使われていたらしい。
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アーチの上の三角形の意匠はゾロアスター教の数「3」(いいことする/考える/伝える)にちなむ。一方、屋根にはミナレット4つ+ドームの5でイスラムの「5」(5行6信の5でしょう)。
チンギス・ハンが攻めてきたとき、地元住民はこの廟を砂で埋めて丘のように見せて隠しおおせた。しかしその後、国は滅ぼされて、次に掘り出されたのは14世紀。
反時計回りに3回回って願い事をすると叶うそうです。やらなかったけど。なんかそういう願掛け系も多いなと思いました。
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中にはさまざまなモチーフがあって、上の写真でアーチの端っこに挟まったようになってる「はさみ」は「悪いものを切り捨てる」という意味。オスのヘビの顔が右上にあります。メスのヘビも反対側に。
お墓にはイスマイル王に手紙を書いて投函する穴もありました。

公園をぶらぶらします。
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おばちゃん観光客が、土産物売り場のもじゃもじゃのカツラをかぶって騒いでいて、店の人がすごい嫌な顔をしていました。おばちゃんの勢いには普遍性があるな。
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彫金の先生のお店。
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ハディースを収集したムハンマド・アル=ブハーリーを記念したコーラン博物館。
ていうか名前を聞けば納得するが、この人ブハラ出身かあ。すごいね、ウズベキスタン。

公園を出て、ガタガタした道を歩きながらアルク城に向かいますよ。
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それにしても、バス観光だと綺麗なところしか見ないなって思う。

途中で立ち寄った、17世紀に建てられたというバラ・ハウズ・モスク。
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これ、観光コースには入っていなかったのですけど、とにかくでかい木造のテラスが独特。
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柱は20本。ソヴィエト革命軍の事務所として使われたりして、モスクとして復活したのはウズベキスタン独立後だったそうです。

アルク城は外から見物。特に感想はありませんでした。

ミナレット、モスク、メドレセが1カ所に集まった広場。こちらもとにかくすべてがでかい。
これがカラーン・モスク。
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モスクは1121年築。ただしもとは木のモスクで、チンギス・ハンが馬で入るという無礼を犯したら落馬した。今あるのはティムール時代に建てられたもの。12000人収容可能。帝政下では外まで使ってお祈りをしていたそうです。描かれている黄色い模様はアーモンドの花。

カラン・ミナレットは1127年築。
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46m、階段は105段。ゾロアスター教の模様14種類とコーランの発句が刻まれています。1920年に革命軍が大砲を撃って大穴を空けたが、のちに謝罪して修復されました。その部分は今でもちょっと白っぽくなっていて、見た目で分かります。同行のおじさまから「ソ連はホント碌なことしねーなー」との声あり。
12世紀にチンギス・ハンがこのあたりを破壊したときも、見上げたときに鉄の帽子を落としてしまうほど見とれて破壊を免れたとのことです。

16世紀のメドレセ「ミル・アラブ」。
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アラビアから先生を招いてアラビア語を教えていました。「JICAみたいなもの」とガイドさん。よくご存知ですな。先生は結局故国に帰らずメドレセ内に埋葬。ソヴィエト時代は立ち入り禁止だったが、独立後はまた学校になりました。ウズベキスタンで現役のメドレセはタシケントとここなんだって。

首が疲れる。近くの見晴らしのよいチャイハナ(喫茶店)でお茶します。
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わりとね、一昨年のモロッコを思い出します。同じ高さ・同じ色の屋根が海原のように繋がっていて、そこに普通の人の生活があるのだと思うけど、パック旅行だとそこに入っていく機会はなかなかないですね。
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といいつつ、聞くところによるとこのあたりは表玄関のモスクやメドレセでお土産を売っている関係者の人たちの家か宿屋だというので、普通の人の生活があるかどうかは大いに怪しいのであった。というか何が普通かっていうね。

タキ・バザールに行きましょう。屋根付きの十字路みたいな形です。
ガイドさんが馴染みのお店に案内します。そこで買わなくても別にいいんだけど、みんななんとなくそこで物色しますね。
名物はシルク。洗って色落ちするやつは安い、しないやつは高い、など職人さんが次々広げて紹介していきます。誰かが買ったかは知らない。というか買った気配がない。ちょい高いせいかね。
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それからコウノトリをかたどったはさみ。
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たぶん結構若い刃物店の店主が覚えた日本語で「オス(のはさみ)ー、メスー」などと説明する。ツアーのみなさん次々とお買い求めでした。
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1本22ドルを、10本まとめ買いしたおねえさんが1本20ドルまでは負けてもらっていました。
ウズベキスタンの平均月収が220ドルだというので、これでもう1ヶ月分の収入になる。そりゃ日本語も覚えるわけだ。そしてこういう客を連れてくると、バザールをはじめとした各地でガイドさんの影響力も上がるというわけかな。
そういや中国人観光客の集団を旅の間一度も見ませんでした。まだ到達していないのか。

そんでハーブティ。試飲したら結構おいしかったので1袋買いました。
8ドルを6ドル。スムで払うと言ったら50000スムだと言われましたが、6ドルよりたけーだろ。これは。ドルが欲しいのかね。
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大麻っぽい匂いがするけど、まあ日本税関は通れるでしょう(通れた)。
あと、ここはおじさん、おばさん問わず前歯に金歯入りまくってる人が多い。
ファッションでそうなのかと思ったが、単に甘い食べ物が多いから虫歯が多いだけだとガイドさん。

だいぶ疲れつつバザール近くのメドレセを見ます。
一つはティムールの孫、ウルグベクが作ったメドレセ。無料で教えてくれたらしい。
その向かいにあるのが私立のメドレセ。こちらは有料。外側は立派だが中は未完成。
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女性たちがシャツやシルクの風呂敷みたいのを持って執拗に売り込んできます。しつこいんだけどあっぱれな商売魂。大体どこに行っても女性の物売りがすごくアグレッシブで、男はぼーっと座って客が来るのを待つ感じ。

お昼はイタリアン。うまい!けどサラダ、バゲット、ピザ、ラザニア、ケーキとすごい量。
実はこのお昼が行程中で最も食費が高かったそうです。
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この先ずっと思うけど、これ自分でアレンジするのはまず無理だわ。
パック旅行でよかった。
あと、全体的に食べきれない量のごはんが出てきます。「それがおもてなしなので、構わず残せ」と言われるが、同行のおじさまたちは「もったいない……」と後ろめたさばかり。

観光続行ですよ。

ラビハウス・コンプレックス。これを見ないとブハラに来たことにならないというメドレセ。
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初めはキャラバンサライ(隊商宿)として作られたため、学生寮としては部屋が広いそう。偶像禁止への挑戦として、ここの模様は男の顔と空想の鳥、豚のような動物まで描かれています。さらにバジルの花、アーモンド、まわりにコーランとめちゃくちゃ。

その近くのマゴキ(地下)・アトリ(ノンジャンルのバザール)。
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ゾロアスター教の寺院が、のちにモスクになった建物。1930年代に研究され、内部に火を燃やした跡があったということでそう確定したという。8世紀まではドームがなかったんですと。

いったん宿に戻ったついでに、医学者イブン・シーナーの銅像に拝謁。
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ほんとビッグネーム輩出してるね。
像はちょっとした広場にぽんと置かれていて、説明書きも何もなし。

夜はラビハウスで踊りやファッションショーを見ながらご飯をいただきました。
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お疲れの参加者がちらほら出始めました。

(9月6日記)

2018年08月26日

ウズベキスタン(3)

【8/26】

ヒヴァの観光をする日です。
ヒヴァの城内に西門(オタ(聖人)・ダルバザ門)から入場。聖人のお墓が近くにあるからそういう名前。税関があったため、昔から西がメインゲートで、商人が列を作っていた。
ゲートを入るとお土産屋さんが並んでいます。

ムハンマド・アミンハーン・メドレセ。今は「メドレセホテル」になってます。
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19世紀に寄付によって設立されたメドレセ。そのときの王様がムハンマド・アミンハーン。1階は10~15人収容の教室、2階は寮。ドアにはパンジャラという通風口がついています。これのおかげで涼しいのですね。
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柱の模様(画面右上の青白の)は「マジョリカ」といって、1枚のタイルの上に模様を書いてあります。「モザイク」はタイル1枚に1色で、それを組み合わせて模様を作るもの。

模様は羽。「山羊が山を素早く登れるのは羽があるからだ」との考えから、なんと山羊を象徴しています。イスラムで禁じられた動物の偶像ではないかと問い詰められた際には「アーモンドです」で逃げたそうです。

木はグジュンという、この辺にしかない木。意味は「陰を作る」。花は白く、茶色くなると落ちるそう。

井戸があるが、水はしょっぱいそうです。4世紀にはここは海だったが、干上がって陸になったせいでしょうと。井戸水を飲んだ人は「ああ生き返った」という意味で「ヘイ・ワー」と言うが、これが転じて街の名前(ヒ・ヴァ)になった。ほんと?そうなの?

扉の高さが低いのは、おじぎをして入るようになっている。
おじぎをして2階に上って中庭を見るとこんな感じ。
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ホテルになったのは1980年からで、それまでは刑務所だったこともあります。ここを作った王様はトルクメニスタンとの戦争で戦死。外にあるカルタ・ミナル(短いミナル)も短いまま建設が終わってしまいました。ちなみにミナルの意味は「塔」ではなく「火の燃える場所」。旅人に街のありかを知らせる機能があった、つまり灯台みたいなもんですかね。もちろんアザーン(お祈りの呼びかけ)をやる場所でもあります。
ふもとはお土産屋さんいっぱい。奥に見えるのが西門です。
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次はクフナ・アルク(アルク城)。17~19世紀に使われたハーンの宮殿です。
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それにしてもすごい空の色ですね。ずっとサングラスしてたのでだいぶ印象違う。
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こちら応接間。訪ねてきた大使などと王様が会うところです。天井は中国風の柄。こうした柄は東側のフェルガナ、コーカンドにも多いそうです。
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壁の模様は唐辛子、バジルの花。ステージと正対する位置には丸いスペースがあって、ここには冬、ゲルを置いてこたつを作って会議をしたとのこと。
夏/冬のモスクは、それぞれ涼しい/暖かい構造になっています。
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これは宮殿の一室にある博物館みたいなところで焼き物の柄の解説をするガイドさん。羽がついてるとかそういうことだったと思います。
ところで22人の参加者の中でメモとってるのは弊管理人含め3,4人で、その中でも弊管理人は一番がしがしとっていたようで、あとあと「こういうのが専門の学生さんかと思った」と言われました。えっとまず40代です。そこから、ええ。

ところで、街中にこういう模様の入った建物がいっぱいあります。
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ゾロアスター教のマークで、火を燃やす器具(上が燃えるところ=善、下が燃えかすの溜まるところ=悪、という二元論的な意味があるらしい)で「アトルバーン」というのだとガイドさんに教えてもらいましたが、検索しても出てこないな。そして英語で調べても綴りが今ひとつ分からず行き当たらない。聞き違えたかな。

次は「ジュマ・モスク」。ジュマ=ジャメ=金曜の意味だそう。10世紀に建設され、18世紀末には今の形になったそうです。クルミやニレを中心に213本の柱が立っていて、これは10~19世紀の聖人の数と一緒。中には1000年ものが7本あるのだとか。
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これ↓インドから持ってきた木で作った柱で、仏像が彫ってあるそうです。
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モスクですよね?いいの?
ちなみに、寺院内に開口部があったり、柱の下にラクダの毛を敷いているのは湿気対策とのこと。
「8」の字が掘ってある柱は依然として研究がされているもの。死後にあるのが8つの門、それと秤、鬼、天使などが彫られています。

どんどんいきますよ。タシュ・ハウリ宮殿。
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タシュは石、ハウリは庭。ここも応接間、客間、それとハーレムが揃ってます。
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宮殿のお土産屋さんに「ホジャおじさん人形」が並んでいました。
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トルコの一休さんというか、小話やとんち話の面白いおじさんとして民話に登場するのだそうです。いろんなところの土産屋で見ましたが、ここのが一番クオリティ高かったような。

お昼はサラダ、チキンスープ、揚げ餃子、水餃子、チョコケーキ。スープは具が違うだけでいつもだいたい同じ印象。サラダは香草が多く、ニンニクも入ってます。
それにしても、一人旅だったらこういう飯にはありつけないな。パックでよかった。
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レストランの外には三角形のお守りや唐辛子を吊してあります。これもゾロアスター式。

午後の観光がんばりましょ。
マフムード廟は昨日の日記に出てきたので外観割愛。中はすごいっす。
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すっごいごちゃごちゃしているので、普段ない大きさで。
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なんかもう、いちいち綺麗じゃないですか。お墓なんですけど。
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しつこいですか。でもここの天井が一番好きだった。

ヒヴァに限らず、観光地を歩いていると結構新婚さんによく会いました。
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聞けば今は結婚シーズンなんだって。理由を聞き忘れた。晴天が多いからか、夏休みだからか。

イスラム・ホジャ・メドレセの横にあるミナレットは51m、118段。
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希望者のみ登るということでした。登ったのは10人くらいかな。すごい急だった。
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考えてみれば当然ですが、そんな大人数で登ることを想定した建物ではないので、一番上は足の踏み場もなく。
降りてきたら皆さんの膝が笑ってました。

夕飯は、キブラという城外の夏用宮殿で。
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「独り旅では迷い込まない食事処」の最たるものですな。
歴史ものの映画の撮影地としても使われているそうです。
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メニューはサラダ、マスタクというおかゆスープ。キーマ・ザラフシャンは肉をクレープで巻いたもの、マッシュポテトとご飯がついていた。あとは果物、ケーキ。
食べ物はやや単調、というか伝統料理的なもののバラエティが少ないのかもしれない。
一方、来る前は「植物はオリーブとオレンジくらいしかないのでは」という砂漠イメージだったのですが、どっこいフルーツ王国ですね。果物全般おいしかったです。
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建築は二重窓などロシアンテイストが効いてる。

夕飯のあと、ウルゲンチ空港へ。国内線に乗って40分、ブハラに着きました。
とたんに都会っぽくなりました。着いたら深夜だったのですぐ寝ました。

(9月3日記)

2018年08月25日

ウズベキスタン(2)

【8/25】

朝は6時台に起きて朝飯前に散歩してみます。ひんやり涼しい。高原の朝のさらにからっとしたやつ。

ヒヴァは中心部の古い街(イチャン・カラ)が城壁で囲まれていて、東西南北に門があります。ホテルはむかしのメインゲートだった西門のすぐ前にありますので、まずは城壁の外側を南門まで回って、そこから中に入ります。外はこんな感じ。
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中は世界遺産で、お店やモスク(お寺)、メドレセ(神学校)、博物館などがありますが、住んでいる人も結構います。何かの税金が免除されているそうで、住んでいる人は既得権としてずっと住み続ける傾向があるとのこと。
外に置いたベッドでお休みの方もいました。外のほうが気持ちいいよね。わかる。
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朝が早くてほとんど誰も歩いていないので、写真を撮りながら自由に歩けました。
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3日目に観光するはずだったシンボル的な建物の一つ、カルタ・ミナル(「短い塔」、26m)もうっかり見てしまいました。朝のほうが埃が少ないし、光線の関係できれいに見える気がする。
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西門から出てホテルに戻ります。

朝食はビュッフェ。揚げ物が多いです。カラスムギのおかゆにカリンやプラムのジャムを入れて食べるのがおいしかった。これはヒヴァの名物らしい。
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スイカとメロンの季節だそう。外側が黄色くて果肉が白いメロンが甘いです。ガイドさんによると「スイカを食べて水をたくさん飲むとおなかを壊す」というのが昔からの教えらしく、紅茶を飲めとアドバイスを受けました。確かに水分の多いスイカと冷たい水はだめでしょう。しかしそれ以上に、脂っこいものとスイカ、メロンの食い合わせが悪いためではないかと思います。豚の代わりにジャガイモが入った餃子、牛のハム、チーズなどどれもおいしいんですけど。
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旅全般にいえますが、食べ終わったお皿を下げるのがすごく速いです。なんならちょっと途中のやつも持っていこうとする。ホテルの人は「オイシカッタ?」といって皿を持っていきますが、これはおいしかったかを聞いているのではなく、たぶんFinish?というのの訳として誰かが教えたのでは。

さて、きょうはバスで1時間余り、ウズベキスタンの中にある自治共和国、カラカルパクスタンに入ります。
どこよ?と思いますが、ここだ。西部にあって、ほとんどがキジルクム(「赤い土」)砂漠。

このあたりはBC500年からAD500年くらいまで農業が盛んに行われていて、もともと遊牧や漁業をやっていたカラカルパク(カラカルパク語で「黒い帽子」)の人たちも16世紀の文献には出てくるそう。ソ連が民族自決の理念に基づいて「民族」とその地理的境界を画定したときに「カラカルパク族」が創出され、自治領域になり→カラカルパク自治共和国(1932)→ウズベク・ソヴィエト社会主義共和国管轄下のカラカルパク・ソヴィエト自治社会主義共和国(1936)→カラカルパクスタン共和国(1992)になった。
首都はヌクスで、憲法や国旗もありますが、外交はやってないそうです。
憲法にも「カラカルパクスタン国民は同時にウズベキスタン国民である」とされています。(『60章』p.31)

とりあえずヒヴァに戻りましょう。

バスの車窓からは綿の畑が見えます。
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ソ連時代は綿花の一大供給地で、かなりモノカルチャー化も進んだようです。しかしガイドさんによると、綿花の生産は減っていて、代わりに果物が増えているとのこと。道路沿いの家の前にも畑があり、それぞれの家で消費する作物を作っています。油をとるためにひまわりを植えている家もあります。10人前後の大家族が多いので家も大きい。部屋も大きいんだって。
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1991年の独立以来、25年も大統領を務めて2016年9月に死去したイスラム・カリモフ政権下では毎年政策スローガンを決めており、2009年が「田舎をきれいに」だったそうです。国の主導で住宅建設が進められ、同じ形の新しい家が道沿いに並んでます。
ガイドさんは「地方を重視してくれたおかげで田舎が発展した」などずいぶんカリモフ氏を持ち上げていましたが、反対派の弾圧、反体制ジャーナリストの投獄など、国際的には批判もあった人物です。国家認定のガイドなので宣伝を担っているのか、国内と国外の視点がかなり違うということなのか、よくわかりませんでした。
ちなみに、ガイドは日本人添乗員ではなく現地人がやること、という決まりがいくつかの国であるようです。観光客にテキトーなことを吹き込むな、という政策でしょうか。
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道ばたにはスイカやメロンを売る人たちがそこここに。

ウズベキスタンに生えている植物の2割は固有種。「ジダ」というナツメのような実をつけるものが目につきます。この実は生活習慣病に効くとのこと。
ちなみに、こちらで多いのは糖尿病。甘いもの好きが多く、お茶まで甘いせいではないかと。
さらに心臓病。これは綿花の油を使ったり牛肉をたくさん食べたりするせいか。さらに高血圧も。出生時平均余命は2010年代でも70歳超くらい。日本は2017年で84歳(孫引きですが『60章』p.204)。医療、衛生の水準はもう一つのよう。
がんは少ないという。これは人口が若いせいでしょうね。
(余談ですが、最終日にタシケントで乗った地下鉄のエスカレーターもめっちゃ速い。若い国はエスカレーターが速いという弊管理人理論の傍証)
牛肉をよく食べるそうで、1キロ35000スム(500円)くらい。次に安いのが羊で45000スム(650円くらい)。魚は川魚、高い。65000スム(900円以上)。

ガイドさんのウズベク紹介は続きます。

ヒヴァはむかしホレズム王国と呼ばれていた地域。ゾロアスター教発祥の地でもあるとのこと。イランがそうだと思っている人も多いが、ゾロアスターがイランに行ったのは40歳になってからで、聖典アヴェスターに出てくる地名の7割は今のウズベキスタンに存在する。

ちなみにゾロアスターは「ザラ(金。金で飾ったラクダやひもを使っていた)トゥシュ(古ウズベク語で火)トラ」。
アヴェスターは「100以上の法令」の意味。ロシア語でも100はストウで符合します。アヴェスター30巻のうち現存は4巻のみ。
アフラマズダはアフラ(神)マズ(知恵)ダ(創造者)。今でもクルミの実のことをマズという。脳に似ているからかな。

アヴェスターによると、ゾロアスター教の目的は3つ。
 1)よいことを伝える
 2)よいことをする(助けあう)
 3)よいことを考える

宗教はもう残っていないが、文化は残っています。しかも、8世紀以降、本格的にイスラーム化した後も、それと気づかれないまま人々が実践していることが多いという。例えば、

・家には右足から入る。これは今、モスクでもそう教えられる
・扉の上に唐辛子をぶら下げる。これは唐辛子=火(←拝火教だからね)、魔除けとして
・動物を善悪にグルーピングする考え方も残っている。善いのはハリネズミ(軍隊を連想させるらしい)、山羊や羊(角を魔除けにする)、蛇(頭がいいらしい。ゆりかごの中、赤ちゃんの寝るクッションの下に蛇の皮を挟んでお守りにすることもある)。逆に悪は「犬」。意外ですが、危ない野犬を敵視したのではないかと

ちなみに鳥葬は、イスラームが入ってくる前の7世紀末まで行われていたそうです。
「赤」い肉に罪が集積していると考え、鳥に食べて取り除いてもらった。骨の「白」だけになると完了、骨は骨壺みたいな入れ物に入れて、通常はもとの住居の近くに埋葬された。農民は農具、女性は手鏡などゆかりの品といっしょに。
平等主義なので、生前、悪人であっても鳥葬はしてもらえるんですと。今はイスラームなので土葬だが、ホレズムは地下に埋めると水が豊富なのでお墓に水が入り、流れてしまうため、地上にかまぼこみたいなお墓を作り、しかも団地みたいに積み重ねていく。
こちらはヒヴァの城内にあるお墓「パフラヴァン・マフムド廟」の写真です。
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13世紀のめっちゃ強いレスラーのお墓が一番でかいやつで、それに憧れて「俺も一緒に眠りたい」と廟を建てた19世紀?の王様を含め、いろんな人があやかってお墓を作ったらこうなった。

話、戻ります。
ドップ(ドッピ?、模様の入った黒い四角い帽子)にもゾロアスター教の意匠が残っています。
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唐辛子に見える絵が描かれていますが、実は鳥の羽。動物と人間の偶像を禁止したイスラムに対して「いや、これは植物です」と言い逃れをするため。

こんな調子でバスの中ではずっとお話が続きます。カラカルパクスタンとの境界にある検問が見えてきました。撮影だめなのでちょっと手前から。
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難なく通り抜けてカラカルパクスタン自治共和国に入りました。
6月から乾期で、10月くらいまで続くそうです。
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アムダリヤ(アム川)を超えます。
アム川はパミール高原から1415km続き、昔はアラル海に注いでいたが今はそうではないそう。ウズベキスタンのもう一つの主要な川はシルダリヤ(シル川=白い川)。

砂漠に多いのはタマリスクという紫色の草です。
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18歳から徴兵制があるが、行軍のときにタマリスクのお茶を飲ませることが多いんだって。

ちなみに「スタン」はペルシア語で「場所」。紀元前6世紀までサク人、サゲット人がいたが、アケメネス朝に攻められて混ざった。その頃からある言葉。(※この文の内容は「ガイドさんがそう言った」以上の証拠が見つかっていません)

隣はタジキスタンで、いまはビザがいらないのでいっぱい入ってくるそうです。ガイドさんの息子の空手の試合にも結構見かけたそう。トルクメニスタンはガスが無料の国として有名。「地獄の門」というガスクレーターが観光名所になっています。

さあて、やっと着きました。最初の観光スポット、トプラク・カラ。
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1938年、トルストフが発掘し「トプラク(粘土)・カラ(城)」と命名。ホレズム王国にあった1~5世紀(※ネットには前1~後6世紀という記述もあり)の城塞都市です。
高さ10m前後の三重の城壁に囲まれており、7000人以上が居住していました。
いま形が残っているのはほぼ王様、学者などハイステータスの人たちの居住区。
発掘当初は小さな像や鳥葬のお墓がたくさん出土しました。
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壁に穴が穿ってあるが、これは仏像を置いたのではなく火をたいたあと。拝火教だからですね。たくさんある小さな穴は後年できた鳥の巣。壁画はすでに切り取って保存済みです。
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周囲は砂漠で、白く見えるのは塩。むかし海だったから。乾燥化はすでにアヴェスターにも言及があるくらい古くから始まっていたが、深刻化したのは1960-70年代ということ。灌漑が主因ですが「ソヴィエトが核研究施設を作って水をたくさん使ったからだ」との話もあるそう。そうなん?まじで?

共和国の北西にはアラル海がありますが、いまはほとんど干上がって、錆びた船が砂漠に点在して観光名所化しました。しかし「船の墓場」と呼ばれるのを地元の人はとても嫌がっているそう。墓場になんか住んでいない、「水は隠れているだけ」と。

2カ所目、アヤズ・カラ。こちらは紀元前4世紀。「アヤズ(寒い)・カラ(城)」という意味。周辺のキジルコム(砂漠)は「赤い砂」という意味。丘の上に造られた円形の練兵場だったとのこと。
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今日のメインの観光地であるわりに掲載した写真が少ないですが、絵柄に変化がないからというだけで、弊管理人はすっごい楽しんでいっぱい写真とってます。だいたい1日300枚ペース。
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この先の旅程はモスクとメドレセが多かったので、これが見られたのは変化がついて大変よかったです。

昼食はアヤズ・カラの麓のゲルで、かまど料理。
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ラクダは凶暴なので、あまり近づかないで下さいとのアナウンスあり。

薪は綿の木で、11月くらいから集めて暖房や煮炊きに使うそう。メニューはクッキーやドライフルーツと、玉ねぎやトマトのサラダ。今はナスのシーズンだが食べ過ぎるとお腹を壊すそうです。嫁に食わすなのあれですか。
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スープに入っているのは干した牛肉で、各家庭で自作するのでスーパーにはないもの。
メインは「デュムラマ」という遊牧民料理。日本料理で近いのは「肉じゃが」。ただし具は夏だとジャガイモ、秋はキャベツが入り、冬はカボチャになります。
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今日のはジャガイモとキャベツ。塩だけでこんなに味わいが出るのかな、と思うくらいおいしくて、たくさん食べてしまいました。干した牛肉がいい出汁を作っているのかも。ここでもメロンとスイカがデザート。

なお、水が貴重なので皿は取り替えないで、サラダからデザートまで全部1枚で食べる(スープのボウルは別)そうです。
日向はたぶん35度以上ですが、乾いているので汗でべとべとしません。日陰に入ると風が吹き抜けてむしろ涼しいくらい。ちなみに夜はたぶん17度とかで、長袖羽織ってもいい。

バスで戻って、夕飯はヒヴァの城内で、ナン、サラダ、餃子、豆のスープ、そして「シュビト・オシュ」というハーブを練り込んだ緑色のパスタ。名古屋「マウンテン」のアレ的なインパクトある見た目ですけど。ヨモギっぽい風味の麺です。脇についてるのはヨーグルト。味を見ながら混ぜて食べます。
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デザートにまたスイカとメロン。
とにかく油が多いです。同行の人たちと話題にしたくてできませんでしたが、ホテルでンコすると、便器の水に油の膜みたいのが浮くんですよね。

夕方、ナン(発音は「ノン」)を焼くかまどに薪をくべるマダム。
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展望台に上って夕景や日没と月の出を見ました。
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ホテルに戻る前に、同行のマダムたちと近所のスーパーに行ってワイン購入。ガイドさんからサマルカンドの「バギザガン」を激押しされ、白を買いました。13000スム。だいたい200円。めちゃ安い。ちなみにレストランでジュースを頼むと15000スム。水はレストランでは無料、スーパーだと500mlのペットボトルで1000スム、14円。
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そういえばイスラム教国じゃなかったっけ。
ま、コーラン的には酔っ払わなければOKだったと思うけど。

部屋に戻って、PCで今日のメモを打って、写真も保存。
一部写真がバグって消えた。数枚だけどおっかない。PCとカメラを使ってSDカードをクリーンアップするなど多少の作業が生じました。PC持ってきてよかった~

(9月2日記)

2018年08月24日

ウズベキスタン(1)

(※9/2 目下書きながらリバイス中です。9月中旬くらいにかけて本とかネットとかと照らし合わせつつ内容がちょいちょい更新されるかもしれません)

ウズベキスタンに行ってみたいと思ったのは、大阪の国立民族学博物館で見た中央~西アジアの陶器、特に青い色がすごくきれいだったというのがきっかけだったと思います。
長らく日本からの観光であってもビザが必要で、特に弊管理人は職業的にビザが取りにくいという話を聞いていた(仕事を偽って入った例も聞いた)ので、縁遠い国でありました。

ところが急転直下、今年の2月にビザ免除になり、それじゃあということで今回、初めてパッケージツアーに参加する形で行ってきました。いつものように独りの旅行も考えたのですが、さすがにウズベク語かロシア語ができないと厳しいとなると、ちょっときついかなと。

今回のお供は、ちょうどよく今年出たこちらの本。

■帯谷知可(編著)『ウズベキスタンを知るための60章』明石書店、2018年。
風土、歴史から現代の社会まで概観できるありがたい本。いろんな人が書いているので各章少しずつ内容がオーバーラップしていて、おさらいしつつ先に進めるのもよかったです。

■アントニー・スミス『ナショナリズムとは何か』筑摩書房、2018年。
7月の初めに手を付けたもので、特に旅行用に買ったわけではないですが、15世紀に遡る「遊牧ウズベク人」(エトニ)とソ連による「ウズベク民族」(ネイション)の創出がまさに本書の議論と重なって、それだけで白飯3杯いけました(?)

* * *

【8/24】

台風、雨、ムシムシ。前日いっぱいいっぱいまで仕事をして、6時起きで成田に向かったので、機内ですぐ寝てしまいました。

添乗員さんから航空券を受領。そういえば航空券持たずに空港に来るっていうのも初めてで何か落ち着かないですね。

ANAが地上業務をやっていたのでマイルが積めるかな?と思いましたが、聞いてみたら「どこのアライアンスにも入っていない」というウズベキスタン航空。火曜と金曜に飛んでいて、成田―タシケントで9時間半かかります。帰りは8時間弱。行きは偏西風にもろに逆らって飛ぶからかな。
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タシケントでの入国審査で何を聞かれるか若干不安でしたが、あっさりパス。税関申告もなくなっており、するっと国内に入れました。
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(↑本当は撮ってはいけないらしい空港の建物)

国内線に乗り換えて、タシケント―ヌクス(カラカルパクスタン自治共和国の首都)―ウルゲンチ。飛行機で隣になったヒヴァ在住らしい(言葉がわかんないけどガイドブックとか見ながら随分喋った)おばちゃんから、直径3センチくらいの球状の白いものをもらいました。食べてみると、六花亭の苺が中に入ったホワイトチョコみたいな見た目に反してものすごくしょっぱいチーズという感じ。ナイナイしてしまいたい衝動にかられましたが、おばちゃんの手前、水で流し込みました。
旅の後半、訪れたバザールで判明したのですが、これはラクダか牛のミルクから作ったヨーグルトを丸めて乾燥させた食べ物で、現地の人がよく作るらしい。これ。
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ウルゲンチからバスでヒヴァ。成田を昼前に出て、ホテル「マリカ・ヒヴァ」に入ったのが15時間後くらいだったか。ホテルはこんな感じ。ウズベキスタンのホテルはそれなりのクラスであってもお湯が出なかったり灯りがつかなかったりすることがあるので、部屋に入ったら点検して下さいと言われましたが、ぬるいながらもちゃんとお湯が出てシャワーが浴びられました。満足。
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時差は4時間で日本は翌日未明。当然すぐ寝ました。

(9月2日記)

2018年08月17日

夏休み2018

この夏は長野県西部2泊3日と実家1泊です。12~15日。
妹と新宿から出て、父と松本駅で落ち合って、信州大学の近くの「メーヤウ」でカレー。グッド。
番所の滝を見て、1泊目は乗鞍の「グーテベーレ」。洋食の夕飯と朝飯、おいしかった。
窓を開けて寝ると寒いくらい涼しかったです。夜半に結構本格的な雨が降りましたが、朝には止んでいました。

上高地。
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天気予報があまりよくなかったわりに、7割くらいの出来か。
明神池の近くの嘉門次小屋で、岩魚の塩焼きを食べるのが父親のコースだそうです。
生け簀の死すべき人たち。
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地獄絵図。
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頭から尻尾まで全部いただきました。

明神池は見るだけ300円。しっかりしてんな。
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水面には靄がかかっていました。

こちらは木道で寛ぐ猿の皆さん。無料。
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気温はたぶん22度くらい。避暑に成功しました。
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2泊目の宿は白骨温泉のゑびすや。こちらもご飯がおいしく、あととにかく熱すぎない白濁の湯が気持ちよかったです。部屋は3人で10畳だとちょっと狭いかなと思いましたが、縁側でもう2畳くらいあり、広々でした。

3日目は高山市に出て、ちょっとだけ街歩きして飛騨牛食って、御嶽山と木曽を抜けて帰ってきました。空が夏(の終わり)っぽかった。
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帰る日は、父方の本家を回ったあと、母方の本家でいつもの伯母さんごはん。
「おばちゃんのキーマカレーは評判がいいのよ」とのこと。
40年余で初めて食べた気がする。
いとことその次男坊と、何年かぶりに顔を合わせました。
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・ばあちゃん(97)は相変わらず歩行器を使いながら家の中を歩いてました
・レビー小体型認知症を10年近く患っていた義理の叔父が入院で、こちらは雲行きが怪しいらしい(それにしてもDLBでこんなに経過が長いのか?と誤診を疑っている弊管理人)
・何を思ったか、弊管理人と同じ職業にこの春就いたいとこの長女が睡眠、食事も満足にとれず大変だという話を聞きました。だよねーと思いました。働き方改革しにくい業界の日常
・伯母(76)は「終活を始める」と言っていましたが、うーんまだいいんじゃないかな

・父は資格の勉強中。「化学物質の名前が覚えられない。MCIだ」と言っていましたが、まあ60代半ば&おまじないみたいな物質名の羅列ならそんなもんではないか
・妹は去年より若干調子いいかなという印象。どう見ても本人が主張する精神疾患ではなく「単に暗い人」です。言ってもしょうがないので言わないけど

* * *

16日は早出シフト明けに、古いバイク友達のおにいさまと久しぶりにごはん。どれくらい久しぶりだっけと思うと、札幌から東京に転勤してきたときに遊んで以来だと思うので、9年ぶりです。ひゃあ。SNSでつながってるのでそんな感じがしないんだけど。

13年くらい前に一緒に走りに行ったとき(→日記あった、すごいな弊日記)、まだ36とかだったおにいさまはもうすぐ50だそうです。全然変わらなすぎてて笑った。当時ツーリングしていたメンバーの消息もぽつぽつ聞きましたが、それもあまり変わってない。「55の役職定年も近いのにすんごい働いてる」との近況を聞き、サラリーマン生活も意外と短いことにあらためて気付かされます。
三ノ輪の「興」で焼き鳥。
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焼き鳥ももちろんうまかったですが、山わさびごはんが秀逸でした。

普段あまり縁のない上野、おにいさまの行きつけの飲み屋さんに連れていってもらいました。もともと厚かったおにいさまの人望はこの10年余でますます厚みを増している様子。夜更けにあちらの終電でバイバイ。

2018年08月05日

逗子の海

お友達たくさんと逗子の海に行ってきました。
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台風が近づいているので幾分、波が高かったです。
ものすごい暑さの今年。気温31度、水温30度。水の外のほうが涼しく感じるくらい。
初めて、夕暮れまでいました。
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タコライスとスイカ食って、酒飲んで、泳ぎました。
花火。20年ぶりくらいかもしれない。
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すっごい楽しかった。
鉄壁の日焼け止めが奏功し、ヒリヒリしてません。

* * *

1日付でジュニアおじさん発令されました。シフトは朝7時~夕方4時(だが当然のように残業する)の「早出」と、夕方4時~午前2時の「夜勤」(こっちは残業ないが4時より前に出勤すること多し)がまぜこぜにやってくるので、気をつけて寝る時間を調整しないと体調ガタガタになるなと思いました。

現場を離れるとすごい勢いで現場感覚が衰えるような予感がします。ということでだいぶ縮小しつつも現場仕事をスケジュールに入れています。

* * *

高円寺、豆くじら。
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キーマは「アキンボ」を思わせる。ちょっと量が少ないな。

* * *

■久世濃子『オランウータン 森の哲人は子育ての達人』東京大学出版会、2018年。

2018年07月05日

ひがし北海道(2)

【7/2(月)】

天気の悪い日の谷間、曇りの予報。
北海道では、だいたいこういう時は結構青空が見えたりする、という予想通り。
宿の食事処のテラスに出て朝飯食いました。
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ご飯のおかわりを取りに行ってる間に、カラスに卵焼きを持って行かれました。
部屋の窓からはお食事中のエゾシカも。
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いま陸路ではアクセスできない知床半島の一番先を目指すボートツアーに参加しました。
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往復3時間かかります。
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柱状節理とか好きな人は飽きないはず。
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知床岬の突端は風が強いので高い木が生えてないそうです。国後島がきれいに見えました。
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弟子屈まで90キロくらい一気走りして、摩周そば「そば道楽」で大もり850円。
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硫黄山が近いので辺りに匂いがたちこめてます。
川湯温泉駅前の「森のホール」で上品な甘さのケーキをいただいて満腹。
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ケーキ320円だったと思いますが、3種+ドリンクで900円という破格のセットもあり、一瞬迷いました。でもそんなに食えないしな。

屈斜路湖を見て帰りましょう。
美幌峠は通ったことがあるので、今回は小清水側の「藻琴山展望駐車公園」へ。
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えっ全然きれいじゃないですか。
このあともうちょっと高いところにある「ハイランド小清水725」からも眺めました。こちらは湖から少し離れますが、眺望がとてもいいです。

「女満別空港」をカーナビに入れて運転していると、空港の近くで「こんなところ?」というくらいの田舎道をぐるぐる案内されました。じゃがいもや麦を作っている畑の、特に何かアピールしているわけではないが絵画的な風景を堪能しました。
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車を返してお土産買って帰りました。

* * *

飛行機で読み終わった本。

■見田宗介『現代社会はどこに向かうか』岩波書店、2018年。

2018年07月03日

ひがし北海道(1)

道東在住の友人『こっち来ることないの』
弊管理人「なんかイベントあればねえ」
『えびまつり』
「いく」
(マイルで飛行機予約)
『ごめんその日、横浜だった』
「え」
でも来ました。

【6/30(土)】

夕方の便なので、朝から洗濯、掃除、ゴミ出しを済ませてゆったりお出かけです。
羽田―女満別便は初めて。女満別空港は10年ぶりですかね。
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網走に向かうバスからきれいな夕焼けが見えたので写真を撮りました。「メルヘンの丘」とかいってわざわざ撮影スポットが作られているところだったことは後から知った。
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うむ、さすが。
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網走駅前に投宿しましたが、何もない(コンビニまで閉まってる)ので少し歩いて回転寿司で夕飯にしました。地元のしじみ汁がおいしかったです。
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20度くらいか。半袖シャツの上に長袖を羽織ってちょうどいいです。
1日目は移動だけでおしまい。

【7/1(日)】

関東地方は初の6月梅雨明け。梅雨前線はどこへ……と思ったら北海道にいた。
この日は時間が経つほど天気が崩れるとのこと。8時に車を借りてさっさと出掛けます。
途中の小清水では原生花園をチラ見。エゾスカシユリの橙色が映えます。
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斜里岳も見えます。こちらはエゾキスゲ。
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今回ぜひ寄りたかったのが、斜里町にある「名もなき展望台」。
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28キロにわたって直線道路が続きます。
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これガスってるとつまらないんだけど、ギリギリきれいでした。
それにしてもほんとにこういうの北海道って感じで好き。
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ルピナス見たら別海まで一気走り。

お昼前に尾岱沼漁港に着きました。前より混んでるような。雨なのに。
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北海しまえび、お久しぶりです。
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500g2500円がデフォルトのところ、100g500円で売ってくれたのでいただきました。
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腹が減っていたので、風蓮あさり(でかい)の塩ラーメンも買い食いしました。
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あと、ホタテのバター醤油焼き(200円)としまえびの串焼き(2本300円)を食って満足。
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花咲ガニの鉄砲汁はちょっと食い切れそうになかったのでやめました。

雨の野付半島へ。全長26キロ、日本最大級の砂嘴(さし)。
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道の両側に海が迫ってます。
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トドワラ(椴松の原っぱ)。プレートの沈み込みに伴って毎年1.5センチずつ地盤沈下しており、海水によって椴松の林が立ち枯れてできた荒涼とした風景です。
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こちらはナラワラ(水楢の原っぱ)。
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こちらも花の季節でした。
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さて、知床半島に行きましょう。

羅臼の町が普通に雨降りだったので、知床峠を通る知床横断道路は何も見えないだろうなあと思っていたのですが、どっこいある程度の高さで雲の上に出てしまって、ちゃんと峠からは羅臼岳が見えました。
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羅臼方面を見ると、雲海の水平線の上に国後島もちょっとだけ見えました。
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おっさんライダー多かったです。見通しの悪いカーブで追い越していく人も結構いて、にわかかアホだろうかと思いました。

峠を下ってくると、ウトロの町が見えてきます。
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どうでもいいですが、弊日記のタイトルバックの画像、実はウトロ(ただし上空から写してる)だったんですねえ~
今日のお宿は「国民宿舎 桂田」です。
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温泉は海に面してます(視界は今ひとつ)。お部屋は原生林向き。風呂上がりに椅子に座って外を見ていると、ずっと飽きません。
夕飯は独りで炭焼き海鮮BBQ……
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空がまどろんでました。
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つづく。

2018年06月17日

名古屋

研修は続行中。実のところ、
・本務から離れることができ
・勤務時間は18-26時など変な時間だが拘束されるのは研修中だけ
という生活のおかげで、ノーストレスで2週間ほど過ごしました。

弊管理人は、抱えている仕事があると勤務時間か否かを問わず常にそのことを考えており(実際それでふと改善点が思い浮かぶことがあるので始末が悪い)、込んでくると食事の質と量も落ちるので、そういうのがない状態は息抜きになります。

* * *

それで、ちょっと時間ができたので名古屋に行ってきました。
本を読むのにちょうどいい移動時間の場所ということで。
仕事でなく訪れるのは2011年8月以来。

昼過ぎに着いて、「鈴波」で白ひらすの粕漬け定食。
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アーーーーーーーーーーーーーーーーーーうまい。漬け物も含め全部うまい。

そんで初めての名古屋城。9年にわたって続いた「本丸御殿」の修復が8日に終わったというので激混みを予想していましたが、全然そんなことありませんでした。
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天守閣は耐震工事で入れないそう。

夕飯は「矢田かつ」。
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豚肉がウリらしいのですけど、多少の肉質の違いなら関係なくなるくらいタレで食う食べ物だなと思いました、味噌かつ。
ちょっと前まで「矢田とん」という名前でした。改名の理由を聞くと「営業許可証の更新のときに以前の名前に戻した」と、理由ではなく経過を説明されてしまいました。矢場とんから抗議でも来たのかと思ったけど結局よくわからず。

深夜はやっぱり栄で楽しく飲んでしまいました。
でもなんか人が少なかった。金曜なのに。

翌日は名古屋市科学館。
世界最大のプラネタリウムというやつです。全日程分のチケットを9:30に発売するというので朝一番で来ましたが、そんなに警戒する必要はなく、あっさり買えました。
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50分あっという間。その他の展示もとても楽しい。
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テスラコイルを使った放電実験も見ました。

科学館と同じ白川公園にある名古屋市美術館では「モネ それからの100年」展を見ました。
モネって近づいて見ると「そんな色置くの?」というような意外な色(木の幹に青とか)が混ざっているのに、遠くから見たり、目を細めて見たりすると質感や光彩が「わかる」。不思議な絵ばかりです。特に冬のロンドンの連作で本領が発揮されてます。ポストカードを3枚買いましたが、印刷すると魅力が数十分の一になってしまうのが残念です。モネに影響を受けた後世の作品も楽しみました。

昼飯は地元の人に教えてもらった「はなび」で台湾まぜそば。
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新宿にもありますが、滅多に行かない地域にあることもあり、折角なので名古屋で。
辛くて濃ゆくてこれは行列になるのも分かる。結局夜までお腹がすきませんでした。

2018年04月28日

ヘルシンキ出張

たぶん最後の海外出張でヘルシンキに行ってきました。
4日間のやや弾丸で、ほんとヘルシンキだけ。フィンランドはいいとこっぽい感じがしたので、また観光で行くかもしんない。とりあえず仕事に直接関係しないことだけ以下に。

フィンエアーを使いました。機内食はわりとおいしかったです。A350-900はうるさくないし座り心地もいい。何より直行便(行き9:30、帰り8:30くらい)が楽だな、ほんと。
空港から中央駅は電車で30分です。
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駅前は広々してます。午後3時でこの光の加減で、日没は午後9時くらいでした。
気温は6度。冬のコートを1枚羽織れば、汗もかかずちょうど歩き回りやすいくらいの気候です。船のスケジュールとか観光施設のオープン時間などを見るに、一応4月までは「冬期」らしい。
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なんかちょっと町並みが「東」っぽい感じがするのは気のせいかな。
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訪れるまで超うろ覚えだった地図。サンクトペテルブルクこんな近いの!

街はトラムやバスなど公共交通網が発達していて便利に動けます。Google Mapsを使えばどこにでも行けるし、停車場には「あと何分で何番のバスが来るよ」といった表示が出ており、日本よりぶらぶらしやすい。
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鉄道も含め、ときどき検札が乗ってきて、有効な乗車券を持ってないと罰金というドイツでも見たスタイルです。たまたま出くわさなかったけど。
チャーターしたバスに乗って動いてる途中、ガイドさんが「さあこれが渋滞ですよ!」と指さしたのが信号待ちの列だったりしたくらい車も歩行者も混んでなかったです。ただしスパイクタイヤをはいた車が走ってたり、港近くでは大型車がぶんぶん行き交っていたりで空気は相応に汚い感じがしました。

ホテルは駅から徒歩6,7分のところにあるGLO Hotelというところ。いいお部屋でした。
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さらに歩いて5,6分で大聖堂。1852年築。
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福音ルター派なせいか、中は質素ですね。
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写真だと分かりづらいですが、大聖堂は結構高いところにたっていて、階段には何人かが腰掛けてぼーっとしてます。現地の人に言わせると「やっと春がきたので日が照ってるうちは日光になるべく当たろうとしている」というのですが、どこまで本当か。
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* * *

今回お供をしていただく本は、ものっすごタイムリーに出たこちらの中公新書。

■石野裕子『物語フィンランドの歴史』中央公論新社,2017年.

【スウェーデン統治まで】
・いまフィンランドになっている地域には、8世紀ごろには西のスウェーデンからの入植が始まり、東からはノヴゴロド公国のスラヴ系民族が入植
・9~11世紀頃、ヨーロッパを荒らし回ったヴァイキングだったという証拠はないが、後に北欧諸国の連帯の文脈の中でフィンランドの祖先もヴァイキングもやってたことになったらしい(面白い)
・もともと自然信仰など土着宗教が根付いていた地域だが、11世紀にはローマ教会の北方十字軍が入ってキリスト教化。13世紀にはカトリック文化の影響下に
・十字軍はスウェーデンから遠征しており、ノヴゴロドがいる東への勢力拡大を図った。1323年にパハキナサーリ条約で国境画定。ここでフィンランド地方(ただし今の南西部だけ。内陸は荒れ地、北はもともとフィンランドと見なされていない)が正式にスウェーデン統治下に入る
・ここから500年以上、スウェーデンが統治。スウェーデン語が公用語に。主体は農民
・1700年からスウェーデンとロシアが戦った大北方戦争で踏み荒らされるなど、フィンランドはスウェーデンとロシアの争いの間に置かれる
・一方、16世紀に宗教改革でスウェーデンがプロテスタント(ルター派)に改宗すると、フィンランド住民もプロテスタントに改宗、聖書のフィンランド語訳が進行。1640年にはアカデミーができて知識人が育っていき、「フィンランド人」の出自や言語など「民族性」の自覚が進んだ

【ロシアへ】
・ナポレオンによるイギリスに対する大陸封鎖令への協力(ロシア)、非協力(スウェーデン)をめぐって両国が戦った「フィンランド戦争」の結果、1809年からフィンランドは「北欧」から切り離され、ロシア帝国の統治下に入る
・フィンランドは一定の自治が認められる。アレクサンドル1世は議会や議員、貴族の地位を保証し、信教の自由も認め、ルター派からロシア正教への強制改宗をしなかった。フィンランドは「大公国」となり、ロシアと異なる政治制度を持ったまま帝国に組み込まれた。スウェーデンからロシアへの移行で大きな混乱はなかった
・首都は1812年、西側にあるスウェーデンの影響力を弱めるため、もとのオーボからより東のヘルシンキに移転。サンクトペテルブルクを模した都市計画が策定された
・1848年の「諸国民の春」ではフィンランドにナショナリズムは生まれなかったが、ロシア側は警戒して検閲を導入・強化

* * *

と、ここで気になるのが、大聖堂の前にある「元老院広場」に立つおじさんの像。
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港が近いせいか海鳥に蹂躙されてますが、アレクサンドル2世です。
「中世から第2次世界大戦までフィンランドをさんざん踏み荒らし、戦後もガンガン内政干渉してきたロシアの皇帝がなんで街の真ん中に立っているのかスゲー不思議」と仕事で一緒になった英国の人がフィンランドの人に聞きまくっていましたが、「なんか結構自治権とか認めてくれたりしたしね」というお答えでした。ロシアで農奴解放(1861年)を進め、フィンランドでも自治の拡大や職業の自由を認めた彼は別枠、らしいです。

クリミア戦争の後にロシア皇帝がフィンランドの政治の安定を図るために身分制議会を定期的に開くようになると、フィンランド語を公用語とし、「農民文化」をアイデンティティとする「フェンノマン(フィンランド人気質)」というグループが生まれたとのこと。
そういや、この間読んだ『ホモ・ルーデンス』によく出てきていた叙事詩『カレワラ』はロンルートが口承詩を採集して編集したものですが、成立したのは1835年。そこから1880年代にかけて盛り上がった民族ロマン主義運動「カレリアニズム」に参加した音楽家がシベリウスですね。
(関係ないけどそこらの公園にフィンランドカラーの青や白の花が咲いてました)
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とはいえ、スウェーデン統治時代から貴族や知識階級が使っていたのはスウェーデン語(フィンランド語使用の推進者もスウェーデン語話者だった。ちなみにずっと時代は下るが、ムーミンもスウェーデン語で書かれている)で、今でもスウェーデン語が第2公用語になっています。標識にはフィンランド語とスウェーデン語が併記されています。
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ちなみに上のやつの意味は「券売機」(多分パーキングチケットの)。この単語はまだ結構似ているが、「フィンランド語とスウェーデン語ってそんな似てるんでしたっけ」って現地の人に聞いたら「全っ然違う」と。
モイモイ言ってるの(moiはhi、moimoiだとbyeらしい)かわいーなーと思いながら見てました。
あと、英語はスウェーデンのほうがちょっとうまい気がするけど、十分お上手でした。
ただ、おそらくoccasionとかchanceみたいな意味でpossibilityっていう単語を使う人が結構多くて気になった。フィンランド語でpossibilityを外来語として使ってたりとかするんだろうか。

余談、「フィンランド人はシャイだというがそう思うか」と前に出てきた英国人がフィンランド外務省の人に詰め寄っており「本当だ」との回答を得ていました。バス停で待ってる人たちがすっごくパーソナルスペースを広くとってるという話を聞いていたものの、実際そこまでではなかった気がする。ただし屋根のあるところからは確かにびろーんとはみ出てました。人と人の間隔は言われてみれば広かったかも。

* * *

一方、こちらの赤いのは1868年に建てられたロシア正教会のウスペンスキー寺院。
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中は派手。
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行きの飛行機で隣になった観光のおばさんが「前にヘルシンキにツアーで行ったときには赤い教会だけしか見られなかった」と言っていました。確かにどっちかだけ、だったらこっちかな。
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ちょっと高いところに上ると、いろんな方向に煙突が見えます。
フィンランドの工業化が進んだのは1860年代からで、製材に加えて製紙工業が盛んになりました。サンクトペテルブルクとの鉄道もつながり、輸出が盛んになったそう。

* * *

・そんでまた歴史の話になりますが、ロシアは1871年に統一したドイツを警戒し、防衛の体制固めをする過程でフィンランドのロシア化を図ります。独自の郵便制度をロシアの制度に統合し、ロシア語の地位向上や役人へのロシア人登用などを推進しました
・ロシア帝国はその後、日露戦争での敗北、国内での反乱などで疲弊し、フィンランド政体の回復や議会改革の要求を呑みます。1907年には初の女性「被」選挙権も実現します
・ただしロシア皇帝の権限はまだ強く残っており、皇帝による議会の解散も続発。ロシアへの一体化をさらに進めます。対して芸術は反ロシア化が進み、1889年には「フィンランディア」が初演。そういえばこちら↓、自分へのお土産、ウォッカ「フィンランディア」(ちっちゃい瓶)
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ついでに、シベリウスといえば、なんかよくわかんないモニュメントがあってインド人や中国人と思われる観光客がわらわらいたシベリウス公園にも行きました。
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閑話休題、
・ロシア革命が起こると、フィンランドは独立を宣言。「民族自決権」を綱領に掲げたボリシェヴィキ政権の承認も取り付けます。うまいなー。レーニンはフィンランドも革命やって社会主義に転んでくれると思っていたので認めたということもあるそうですが
・しかし、このあと格差を背景に、政府軍の「白衛隊」と革命を目指す「赤衛隊」に分かれた内戦が始まってしまいます
・1918年にやっとこ内戦が終わり、共和国ができます。当初は国の統一感を出すためドイツから国王を迎えようとしたら、第1次大戦でドイツが負けて計画が頓挫したとのこと。ふええ
・ちなみに日本との国交樹立は1919年(来年が100周年)
・「国民の家」(国家=家)という思想を背景に、福祉国家化に踏み出したのが1930年代(北欧としては後発だそうですが)
・内戦後の国の統一のため、フィンランド語の第1言語化運動も起きました。1937年にはヘルシンキ大学の行政言語がフィンランド語となります。ただしスウェーデン語も保護することに

・第2次大戦では、ドイツと不可侵条約を結んだもののドイツを信用していなかったソ連が、守りを固めるための領土交換などを求めてフィンランドに交渉を持ちかけますが、フィンランド側は中立政策をとっていた上、ソ連の意図を読み違えて決裂させ、結果としてソ連との戦争に入ってしまいます
・戦争はいったん休戦。そのあとドイツが北欧にまで進出すると、ドイツ軍の領土通過を認めるかわりにドイツからの武器調達や通商が盛んになるなど関係が深まっていきます。ドイツ軍のソ連侵攻に際してはフィンランドは中立を表明するものの、領土的な野心もあってドイツ軍に協力。結局、スターリングラードの戦いでドイツ軍が大敗すると一挙に旗色が悪くなり、厳しい休戦協定を結んで第2次大戦の終結を迎えました
・休戦協定でフィンランドはロシアに6億米ドル相当の賠償金を払うことになりましたが、ロシア側がおおかたを「鉄工品でくれ」と要求したことで、造船業などフィンランドの工業化が進みました
・また戦争責任裁判がフィンランド国内で行われ、戦時中の大統領や閣僚らが被告になりましたが、国内的には「でもしょうがなかったよね~」的な同情を集め、ドイツ占領下に置かれた他の北欧諸国と違って1人の死刑宣告も出ずに終結、戦争の”清算”を終えることになりました

・戦後はもう大国間の争いに巻き込まれるのは勘弁、ということで中立の道を行くことを決めます。ただしその中立は、ソ連とのつながりを保ちながら、西側からは「東の国」と見られることを回避するなど、微妙なバランスをとるという形でした
・この方は内戦時の白衛隊指揮から第2次大戦中のソ連との休戦交渉まで、危なくなると呼ばれて仕事をさせられたマンネルヘイムさんです。
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・ケッコネン大統領は、フルシチョフとの個人的な親しさをサウナでの会談などで築き、裏で外交を進めるという手法から「サウナ外交」と揶揄されたこともあるそうです

* * *

で、サウナ。連れて行っていただきました。街からちょっと外れたところにあるLöyly(蒸気って意味らしい)というところ。
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普通のサウナもありますが、フィンランド東部でメジャーだという「スモークサウナ」が体験できました。中真っ黒。ひとしきり温まったら、建物の背後にある海に浸かります。
弊管理人はえいやと飛び込みましたが、別に飛び込む必要はなく、設えられたはしごを使ってゆっくり浸ればよかったみたい。バルト海は冷たくて、手足を水にぎゅーっと握られるよう。船から落ちた人が死ぬ訳がわかりました。これほんとに健康にいいのかなあ。

サウナは出産の場所であり、食物の乾燥場所でもあり、亡くなった人の遺体を清める場所だとのことで、フィンランド人はサウナで生まれ、サウナから旅立つのだなと。海にも浸かったと言ったら「これでqualifiedだね」と言われたので、なんかそういう大事な場所なんでしょう。留学中に同じ寮にいたフィジーの子たちから「カヴァ」という白い汁を勧められて飲んだら妙に仲良くなれたのを思い出しました。多分違う話だけど。

サウナにレストランが併設されていて、海を見ながら食事ができます。
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おもくそピントがずれつつパーチの揚げ物。メシマズな国だと言われているらしいけど、ちゃんとしたところはちゃんとおいしかった。
他日、テウラスタモTeurastamoっていう施設で食べたバイキングのランチ。
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やっぱミートボールなのね。これもうまかったです。
昔、薬局だった建物を改装したカレリアCarelia Brasserie。
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3プレートランチなど。
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しかし最終日にはやはりエビチャーハン(意図しない大盛り)を食べてしまった。
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* * *

あとは岩に囲まれたテンペリアウキオ教会を見ました。
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かっちょいいヘルシンキ大学の図書館にも侵入。
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本棚は大部分が英語でした。550万人の国だとそりゃそうか。
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これ玄関入ったところです。上がってみるとオーバルの吹き抜けの周囲が勉強机になってました。
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この変な建物は礼拝所。騒がしい広場から一歩入ると、中は静かでした。
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新興住宅街にはでっかい鳥がいた。
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建設費の1%をアートに使う決まりがあるそう。必要かね、それ。
ちなみに、同じ区画に低所得の人が入る賃貸アパートと、高所得の人が買うマンションを混ぜて建てているということです。そうすると小学校とかで自然にいろんな階層の子が混ざる。いいね。
といいつつ、福祉国家でベーシックインカムも入れてみたような国で、カップを持った物乞いのおばさんが点々といたのはなぜだ(聞き忘れた。国籍ないと恩恵に与れないとかそういうことなのかも)。
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ムーミンショップの入ったショッピングセンターはご多分に漏れず吹き抜け。
そこはかとなく漂うヨーカドーな感じ。
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寿司屋、いろんなとこにありました。お互い魚食う人たちだからかね。
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マキッ&ウラマキッ。paritは「ペア」なので握り2巻の値段なんでしょうな。

最後に、空港のトイレ。左が男で右が女なんですけど。
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仕事中、赤ちゃんの服の色の話をしていたら「ジェンダーニュートラルカラーを導入している」というようなことを言っていて、進んでるねえと思ったものです。しかしトイレがこれじゃ迷うだろう。男女で区切るなら色も分けようよ。
あと海外では毎度のことだが小便器の位置が高い。チンコをほぼ水平に保つ必要がありました。

おしまい。
帰国便が成田に朝着で、ほとんど寝てないところから夜まで仕事したら2度ほど落ちました。

2018年04月09日

京都DE花見(2)

日曜は原谷苑でお花見です。44人!!
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ちょうど去年と同じ4月第2週。去年は主催者が「ちょっと早かったなー」と悔しがっていて、いやでも相当きれいですよ?と思ったものでしたが、ちょうどしだれ桜が満開を迎えた今年は圧巻でした。
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「泉仙」のお弁当。赤いのは梅の甘露煮の天ぷらです。おっかない京都人のおにいさまが「やっぱり泉仙さんはええな」と言っていたので相当うまいのでしょう。いや実際うまかったですけど。
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「最近は独立して始めはった料亭が、味も安定せんうちから東京の方とかの予約で埋まってしもて、いろいろ教えてくれるおじさんが入れなくなってねえ」。聞いてみると、新しい料亭の主人が修行した料亭に通っている「物事のわかる」お客さんが食べに行って、皿の使い方、素材の使い方などにいろいろ駄目出ししながらよくなっていくのだそうですが、そういうシステムが近年働かなくなりつつあるということらしい。
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そのお兄さんの著書をもとにした「イケズ講座」もその場で始まりました。
本当にコーヒーを勧められているときは「コーヒーでええか」だが、さっさと出て行って他でコーヒーでも飲め、というイケズは「コーヒーでも飲まはりますか」だそう。こわ!とも思いますが、曰く「イケズはちょっとうまいこと言ったくらいのもの。むしろ言われたら仲間として認められたと喜んでよい」とのことでした。ほんとかなあ
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で、その怖いお兄さんおすすめの御室桜を見に仁和寺に転戦しました。
来たことあったかな。いや全く覚えてないけど、きれいでした。
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ちなみに「御室桜」もイケズ用語だそうです。根元近くから枝分かれしていて樹高が低いため「花(鼻)が低い」の意。
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さらに余計なことですが、「平野神社の桜みたい」も褒めてるようでけなしてるそうです。染井吉野の名所なのになぜ?それは、北野天満宮を越えたところにあるので、「北野を越えた」→「きたのおこえた」→「汚のう肥えた」だそうです。ブルブル
一般論として、イケズは「褒めれば褒めるほど落としている」と解すればいいらしい。イギリスでinterestingと言われたら「クソつまんね」という意味、フランスでpas malは相当気に入ったという意味というのに似ているとのこと。
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寝殿・書院はいちいちフォトジェニックでしたとさ。
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夕飯は四条河原町「東華菜館」で中華です。
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これ何の建物かなあと思いながらみんな通り過ぎてますよね。
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前菜、春巻、鶏の唐揚げ、エビの塩炒めが出色。他もいちいちうまかったです。腹一杯まで食ってビールと紹興酒飲んで5000円ちょっとと意外にリーズナブル。
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稼働しているエレベーターとしては国内最古だという。ほんと?
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新幹線の時間があるのでここで皆さんと別れて京都駅に向かいました。
朝、大阪を出る前に駅で買った「ダニエル」のカヌレをつまみながら帰りました。
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いやあ今年も楽しかった。京都出身のオーガナイザー氏に感謝。

京都DE花見(1)

昨年参加した京都の花見に今年も寄せていただくことができました。
土曜は新幹線を京都で降りて、京都駅の東側に出てみました。
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ちょうどお昼の時間帯だったので、崇仁地区の木村食堂で「すじうどん」460円。
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牛すじ肉がいっぱい入っていて、おつゆもしっかりした味でした。地元のお客さん?がいっぱい。鍋焼きうどんがよく出てたかな。

道路を渡ったところにあるのが「柳原銀行記念資料館」。柳原銀行は、同和地区の中に地元の人たちの手によって設立された銀行です。
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1871年に身分制が廃止されると、雪駄製造などの地場産業の勢いまで失われてしまい、さらに松方デフレが追い打ちをかける形で貧困が広がっていた。そこで町内産業の育成を図るため、ここにあった柳原町の町長を務めた明石民蔵や町内の資産家が同和地区内にこの銀行を設立したのが1899年。
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1910年代には預金額が現在の貨幣価値で50億円くらいまで拡大したものの、大口の焦げ付き、町内商工業の不振もあって停滞期に入ってしまいます。そこで、被差別部落の地位向上を図る「融和運動」のつてをたどって融資先を町外にも広げることを決め、柳原銀行は増資をして1920年に「山城銀行」として再出発します。
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しかし関東大震災とその後の不況、さらに昭和恐慌のあおりで1927年に破産となりました。
建物はその後、商店や借家として使われていましたが、1986年、国道の拡幅工事の計画が持ち上がったのをきっかけに保存運動が起き、1997年に資料館となりました。
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柳原尋常小学校の校歌が展示されています。
2番は「土地生産の名高さは 皮革ベルト 花緒向掛 下駄表 雪駄雪沓 靴鞄 軍用輸出 その額は 幾十万に 上るなり」。雪駄?と思ったのですが、竹の皮の草履の裏に革を張ったものが雪駄なんですね。なるほど。
柳原小学校は1873年に創立されました。「自主的改善運動」の機運の中で、町を盛り立てるには教育で旧習を洗い流し、人物を輩出することが必要だと考えられたとのこと。しかし当初の就学率は3割ほど。20世紀初頭になっても約1000人いた学齢期の子どものうち、学校に行っていたのは半分、卒業となるとその4分の1と状況は厳しかった。それでも校舎建設には頼母子講で出た利益を拠出するなど、教育は町全体の関心事だったようです。
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全く知らなかったものの言われてみればなるほどと思ったのは、身分解放令が出ても、被差別階級だった人たちが各地の祭礼への参加や神輿を担ぐことを拒否され、騒擾や訴訟が頻発していたこと。京都でも、弊管理人の出身の長野でもそういうことがあったと説明されていました。
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元禄14年(1701)の地図。橋の下手に「穢多村」という文字が見えます。死んだ牛馬の処理場があったらしい。
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都市のスラムを描いた55分の自主制作映画「東九条」(1969)も見ることができます。「パッチギ!」も同時代・同地区が舞台なんですね(そういえば在日コリアンの話は祟仁ではあまりフィーチャーされてないように思った)。「東九条」のほうは音声トラックが長らく失われていたのが、最近になって発見されたんだって。状態が悪く聴けるようにはなっていませんでしたが、うまく復刻されるのを期待します。

資料館のパンフに出ていた「祟仁歴史マップ」を見ながら町を歩いてみましたが、多くがフェンスに囲まれた空き地になっていて、古い家屋がぽつぽつと建っている状態でした。東七条中部水平社創立場所、全国水平社の仮本部跡などは見つけられず。「国民研究会」の設立会場というのもあり、これ何?と思ったら富裕層が組織した反水平社の団体だったみたい。
あと京都の米騒動発祥の地である交番というのもマップに載っています。米騒動とどんな関係が?と思っていたら「米騒動は、部落大衆の部落民的自覚と階級的覚醒をおおきくうみだしていったことはあきらかでした」という記述に行き当たりました。
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このあたりは2020年から2023年にかけて京都市立芸術大学が移転してくるということで、昼飯をいただいた市営住宅がごっそりなくなり、柳原銀行の周囲も資料館を残してほとんどが大学施設に置き換わってしまうようです。
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屋台村のような「コミュニティスペース」というのがあって、ちょうどプロレスをやっていたようでした。
「崇仁発信実行委員会」という団体が出している冊子もいただいてきました。
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部落差別を織り込みながら街の魅力を発信するというのは独特なんじゃないかな。他の地区では既にどこがどうだったかは見えなくなっていると思うのですが。と、いうことを中心にして、分からないことがどんどん増えていく散歩でした。しかし付箋はついた。これからさまざまな文章に目がとまるようになるでしょう。

で、京都から大阪行きのJRに乗りまして、山崎駅で降ります。
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山の中腹にあるアサヒビール大山崎山荘美術館。大正〜昭和期の実業家、加賀正太郎の別荘だったそう。まあ特に面白い展示があるわけではないが(でも何も知らないで行ったら「睡蓮」が何点かあってびっくりした)、さっきまで見ていたものとの格差にくらくらします。
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大衆の暮らしを睥睨しながら食べるケーキセットは950円。
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なんか安藤忠雄の建物が繋がっちゃってて何が何やら。
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ついでにサントリー山崎工場も覗いてきました。
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原酒。すっごい香り。

阪急に乗り換えて梅田へ。
グランフロントの「カンテグランデ」で海老カレーを食べましたが、なんてことなかったので写真はなし。
南森町の「弄堂」で焼き小龍包をテイクアウトしてホテルで食べました。
これは結構うまかった。
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ちょっとだけ飲酒して23時過ぎに就寝。
日曜に続きます。

2018年03月20日

若干追記/二風谷と

アイヌの文化ってどこまで遡れるのかというところからして全く知りませんでしたが、アイヌ文化振興・研究推進機構が作った冊子「アイヌの人たちとともに―その歴史と文化―」(2017年)を見ると、7~遅くとも13世紀には北海道での擦文文化が終わり、アイヌ文化に切り替わっていったということのようです。主には土器から鉄器への変遷ということでしょうか。

それと並行して、北海道北部~東部にあったオホーツク文化がアイヌ文化の形成に影響を与えた。つまり、熊の頭骨を住居に集めていたことから、熊に対する何らかの信仰があったらしい。

史料上で確認ができるのは15世紀ごろ。本州から渡ってきた「和人」との交易の記録が残っているのでしょう。蝦夷三品(昆布、干鮭、ニシン)と、北蝦夷地(樺太)経由の中国三品が移出され、本州からは鉄製品や漆器、酒などが移入されたとのこと。

和人の蠣崎氏との不和は現在の函館で起きたコシャマインの戦い(1456)以降、100年続きます。1550年に蠣崎氏が上ノ国と知内以北をアイヌの居住地、以南を和人の居住地にするという妥協策を出しています。

1599年に蠣崎氏は松前氏と改姓し、徳川幕藩体制のもとでは松前藩となります。米がとれず禄にならないので、家臣には地域限定の交易権(商場)を分配。商場をもらった藩士は知行主と呼ばれます。そのうち、商場を商人に貸し出す「場所請負制」が始まります。
海産物の需要が高まると、商人はアイヌを使役して漁業を自分でやるようになり、アイヌは生産者から労働者になりました。

1669年のシャクシャインの戦いでアイヌ全体が松前藩に敗れると、和人の優位が確立します。漁場労働や不公平な交易を強いられる中、1789年の国後・目梨(標津)での戦いが最後の抵抗となります。コシャマインの戦い以降、和人は「だまし討ち」で勝利を収めてきました。交易の民として儀礼を重んじたアイヌの性質が「欺されやすさ」に繋がってしまったよう。

こうした不和を背景に、南下を目指したロシアがアイヌを懐柔することを警戒して、幕府は1807年までに松前藩を今の福島に移し、直接統治に乗り出します。松前藩は1821年に復領運動の結果、蝦夷地に戻りますが、1855年の函館開港以降、幕府は渡島半島の南西部以外を再び直接統治します。このとき、アイヌとその居住地が日本に帰属することをロシアにアピールするため、アイヌの懐柔策を行います。が、耳飾りや入れ墨、熊の霊送りを禁止したことで反感を買うことになったそうです。

1869年に蝦夷地が北海道になり、アイヌは「平民」として戸籍が作成されたものの、「旧土人」との呼称で差別が続きます。開拓使による和風化政策、土地の国有化と払い下げ、サケ漁やシカ猟の禁止も進行。1875年の千島・樺太交換条約のあとは千島・樺太のアイヌを北海道や色丹島に強制移住させます。1899年には「北海道旧土人保護法」ができて、農業の下付・日本語・和人風習慣による同化政策が進められました。

第2次大戦後はアイヌの社会的地位の向上のため、北海道アイヌ協会(1961年にウタリ協会、2009年にアイヌ協会)を設立。1974年からは住居・就労・修学での個人対策を盛った「北海道ウタリ福祉対策」が始まります。1970年代からは文化の保存・継承のための活動も広がりました。1984年にウタリ協会が「アイヌ民族に関する法律案」を作成。国会議員も輩出し、1997年には旧土人保護法が廃止され、「アイヌ文化振興法」が制定されます。

* * *

それで平取町・二風谷のアイヌ文化博物館なんですけど、立体的な歴史を真上(現代)から2Dで見たような展示になっているので、「これはいつからこうなの?」とか「なんでこんなものが?」という疑問がいっぱい沸きました。
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なぜ漆器があるんだろうとか。
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なんで木の繊維でできた羽織と木綿のやつがあるのかとか。
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(上記冊子によると、樹皮で作ったやつが普段着で、木綿のは晴れ着だったっぽい)
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刺繍については「技術は一般的なものなので民族の特徴が現れているわけではなく、むしろ文様のほうにオリジナリティがある。しかし近年は、華やかだが文脈的に疑義のあるデザインが見られており、言語化が容易でない分野だけにどう伝承していくかが課題だ」といった説明がありました。
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一方、「食」のほうは意識的な保存が必要な分野のようです。一部は現代的な日常生活に浸透して残ることができるが、食材の採集法や調理法で消え去ってしまったものは復活が難しそうです。
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網目のように見える部分はサケの皮をかたどった模様。木彫りは刃物をうまく扱えることを示す男性のアピールだったが、今は男女ともやるとのことです。ただし「イナウ」(お祭りのときに使うわしゃわしゃしたやつ)は今でも男性しか作れないんだって。
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ちなみに↑これはサケの皮でできた靴。

Q&Aコーナーもありました。「アイヌは無文字社会と聞いた」というQに対して「確かに以前は文字を使っていなかったが、現在はカタカナのほかにローマ字を使った表記をし、小文字の『プ』『ク』『ラ』を使ったりと正書法が確立されつつあるといえる」と回答していました。

また、同じQ&Aコーナーで、「アイヌ語を話せる人がいなくなった」というのにも「言語学、民族学の研究対象に値するだけの話者が極端に少なくなったのかもしれないが、話せる人はいるし、聞けば分かる人はさらに多い。学習熱も高まっているので話者はむしろ増えるかもしれない。勝手にいなくなったことにしないで」という反論が掲示されていました。

現に存在しており、また今後も存続すべき文化だということ。政治的なバックラッシュもあり、ここは特出しして強調しておかないといけないのでしょう。
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ところで、この博物館は萱野茂さんの収集したものをベースにしてできているそうです。
周辺の地名の解説を読んでいたら、「幌去(ポロサル=大きい葭原)」からの直訳で「萱野」の姓ができたと書いてありました。へえ~

博物館周辺は冬期間を利用して改修中でした。
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芝生になるんですと。
それにしても、12年前に友達と一度来ているのですが、まったく中を覚えてない。弊日記にも書いてない。なんでだ?
あと2020年には白老に国立の博物館ができるそうで、それも期待ですね。

ついでに平取町の中心部からちょっと上がったところにある義経神社も見ていきました。
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なぜ義経?と思ったら「奥州平泉で自刃したとあるが、身代わり説があります。義経一行は陸奥から蝦夷地に渡り、ピラトリ(平取)に一時居住し、カムイと尊敬されました。その後、新しく部下に加わった若者や藤原氏残党とともに大陸へ向けて出発したといわれています。ジンギスカンと義経公を史実上の共通点の多さから同一人物とする伝えもあります」とのこと。
直接には1799年、近藤重蔵らが神像を寄進したのが始まりだそうです。アイヌを庇護し、慕われた義経というお話は当時の統治の論理から生まれたのでしょうかね。
ちなみに幟に書いてあるのは「愛馬息災、危難防除、先勝」。競走馬の産地と微妙に混ざっている。

せっかく来たので、新ひだか町(旧静内町)のシャクシャイン記念館も見ていこうではないかということでナビに打ち込むと、1時間かかると出た。北海道のでかさの勘が失われていたようで。
記念館自体は雑然とした展示がちょっとあるだけ。
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よく見る像がいた。
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シベチャリチャシ(チャシは砦)の跡から見た町内。
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静内って、小学校か中学校(たぶん小学校)の道徳の授業の教材で出てきた地名なんですよね。実は今回、人権資料・展示全国ネットワークの加盟団体を調べていて、二風谷の再訪をしてもいいかなと思ったのでした。

2018年03月18日

札幌とか日高

成田勤務から10年以上にわたってANA派なんですけど、仕事でJALのマイルがたまってしまうこともあり、しかし当然そんなにたまらず、使用期限が迫ってきたところで使ったのが「どこかにマイル」。破格の6000マイルで国内のどこかに飛ばされるという面白い企画です。
しかし弊管理人が飛ばされたのは勝手知ったる札幌でした。

隣の席の上司(札幌勤務経験者)が「札幌にすげーうまい蕎麦屋があってさ」と語り始めたので「西野ですか」って食い気味に聞いたら当たり。しかし弊管理人が思い浮かべた「やま賀」でも「続八条庵」でもなく、教えられたのが「雨耕庵」。なぜか西野ってやけに蕎麦屋が集積してるんですよ。そしてお店に置いてあった、西野の蕎麦屋を特集したコミュニティマガジンにもそう書いてあった。
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食べログでおっそろしい高得点がついていて不安でしたが、15時になっていたのと辺鄙なところにあるせいか、客は弊管理人ともう一組だけ。かき揚げそばで、麺は田舎と更科と田舎そばの太切りというのが選べます。全くイメージせずに太切りを頼んだら、うどんみたいに太いのがでてきてしまいました。弊管理人は暫く前から(そしてたぶん今後長きにわたって)口の右側で固いものが食べられないのですごく難儀し、味わうどころではありませんでした。もう一組は普通の細いそばを「うめええこれえええ」と言いながら食べていたので多分本当においしいお店なんだと思います。

悪魔的に勘のいい在札幌友人が、弊管理人が札幌に着いたとたんにフェイスブックで全く急がない用事のメッセージを送ってきたのをきっかけとして夕飯を食べることになりました。「カレーが食べたい」と言ったら、資生館小学校の前にある「未来カレーこりす」というところに連れて行って下さいました。
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うん、これ住んでたら週1で通う。バターチキンのちょい辛いやつっていう感じ。あと、一品料理も充実していて、えびのアヒージョとかとてもおいしかったです。

あと、ずっと行きたいと思っていてなぜか今まで機会がなかった中島公園の横にある「ボン・ヴィヴァン」。
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手前がダークチョコレートのムースをいろいろこねくり回したグリューでちょっとスパイシーだった。後ろはバスクショコラのオレンジフレーバーのやつで、見た目よりずっと複雑な味がした。ショコラティエだけにもっとストレートにチョコなやつを買ってもよかったかもですが、さすが。

番外編というか、在札幌時代からお世話になってる飲み屋さんのお通し(!)
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パンの上にベーコンとチーズと蜂蜜ですよ。
これを深夜に食べるなんて。おいしくいただいたけど。
そういやここの大将も勘がよくて、在札幌時は弊管理人の悪事を打率8割くらいで当てられました。頭が上がりません。

今回、お出かけのメインは平取町・二風谷だったのですけど、アイヌ関連のあれこれは別の日に譲って、二風谷で昼飯のために入った「ドライブイン・ユーカラ」のキトビロ(行者ニンニク)ラーメン。
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あまり臭くなく、味噌によく合ってました。
近くの工芸館で木彫りをやっていたおねえさん↓のレコメンでした。
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北海道はまだ冬かなーと思っていたら、どっこいきちんと早春の匂いがした。

2018年02月11日

落合の画家

明治後期~大正時代に活動し、37歳で結核により夭折した洋画家・中村彝(なかむら・つね。ATOKすごい、一発変換)のアトリエを再建した記念館が、目白駅から10分くらい歩いた住宅街にあります。散歩を兼ねて行ってきました。
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1887年、旧水戸藩士の家に生まれ、11歳までに父母を亡くしたため、兄を頼って牛込区に転居。陸軍中央幼年学校に入ったものの、結核のため退学しました。千葉・北条(館山)で療養中に洋画家になろうと思い立ち、本郷の白馬会洋画研究所や太平洋画会研究所で絵を勉強したとのこと。文展で3等賞をとり、新宿の中村屋の裏のアトリエに移ったものの、中村屋をやっていた相馬家の長女・俊子との交際に反対され、俊子との仲も次第に冷めて、当時は農村だった下落合にアトリエを建てて創作と療養をしていたそうです。この俊子と後に結婚したのが、インド独立運動に身を投じ、日本に亡命した「中村屋のボース」ことラス・ビハリ・ボースなんですね。
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アトリエは洋画家の鈴木誠の手にわたり、増改築されてきたものを、建築時の姿に復元した。レンブラントっぽい人物画、ゴッホっぽい風景画など、内部に調度品とともに絵画が展示されています。肉感的で弊管理人は好きです。

ついでに、また10分ほど歩いて佐伯祐三(これも一発変換だ)のアトリエ記念館にも寄ってきました。こちらは1898年大阪生まれと、中村の少しあとの画家。東京美術学校を出たあとフランスの野獣派を頼って留学し、いったん帰国して中落合にアトリエを構えたあと、また渡仏したものの、30歳で現地の精神病院で亡くなってしまったそう(ちなみに連れて行った6歳の娘も病死)。
当時の落合の、長閑だけど文化の匂いがする風景を明るく描いた絵が印象的でした。なんか知ってる絵はないかなと思ったら、「郵便配達夫」ね。あーーーこれかーーーー

目白~中井間には大正、昭和時代、高級住宅街の「目白文化村」が作られましたが、その周辺には文化人がたくさん住んでいたようです(余談だが、東京の染色産業の中心地でもあるらしい)。ほかに林芙美子の記念館があり、政治家では石橋湛山や近衛文麿の家があったり。近所といえば近所ですが、よく知りませんでした。

2018年02月05日

内之浦出張

「あっち、あの、鹿児島の右の方の脚の」というくらいあやふやにしか知らなかった肝付町内之浦に出張してきました。
早起きして1泊、の予定だったのですが、東京にまた雪が降るという予報が出ていて、飛行機が遅れず飛ぶか心配だったので、予定を早めて前日の夜に鹿児島入りしてしまいました。空港は2度。山の中だから寒いらしいけど……

鹿児島空港至近のホテルから見えた山。
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左の高い山が韓国岳、真ん中はわかりにくいが獅子戸岳、新燃岳、中岳、右の高い山が高千穂峰だそうです。

お昼は内之浦の「瀬里奈」で焼き魚定食、1300円。かますでした。
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夜は鹿屋市の太平温泉に泊まって、宿の方に聞いて行ったのがとんかつの「竹亭」。
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翌日のごはんはコンビニ弁当とか空港のカレーとかで終了。

日程が延びることが大いにありえた出張で、今週いろんな予定を詰めていたところ期日どおりに終わるといいなあと思っていました。結果はありがたくも大団円。一度失敗して後がない人が成功してほっとした顔も見られて、ほっこりしました。
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翌日から、こんどは鹿児島が雪になるとのことで、帰りの予定を早め、東九州道をすっとばしてもらい、当日最終の飛行機にほとんど飛び乗る形で東京に戻りました。鹿児島空港2度、羽田空港7度。寒いのは好きなんだけど、交通機関の乱れに巻き込まれるのは嫌だなー

昨年後半はサボりすぎたので、今年は年明けからちょっと頑張ろうと思って結構いっぱい種を蒔いていました。そうしたら刈り取りで手一杯になりつつあります。今月半ばには仕事がちょっと途切れると期待しています。そしたら休もう。

2018年01月13日

山谷と吉原

学生時代の友人からお声がけいただいて、TABICAというサイトで開催している街歩きツアー「吉原の今昔散策」に参加してきました。

スタート地点の南千住駅から歩いてすぐのところにあるのが、小塚原回向院。
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近隣の小塚原刑場で処刑された罪人や行き倒れの人たちが弔われているところだそうです。当時は禁止されていた解剖を杉田玄白らが行ったのもここ。安政の大獄で処刑された吉田松陰や橋本左内(ただし正式なお墓はそれぞれの出身地にあるそう)だけでなく、鼠小僧や、「報道協定」が初めて結ばれた誘拐事件「吉展ちゃん事件」(1963)の被害者・村越吉展氏(弊管理人は吉展ちゃん事件が報道協定のきっかけになったと勘違いしてましたが、それは「雅樹ちゃん事件」(1960)でした)のお地蔵さん、カール・ゴッチのお墓までありました。
謀反人のお墓がなぜ三つ葉葵のついたお寺にあるのかは分からないままでした。

お隣は延命院。同じく処刑された人らのための「首切り地蔵」がいます。
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小塚原刑場ってどこにあったのか、ネットで調べてもよくわからなかったのですが、今回やっと分かりました。延命院の隣から、現在の線路と、線路を渡ったところにある東京都交通局の施設のあたりまで細長く延びていたとのことです。火葬が追いつかず、かなりの土葬をしたせいで、つくばエクスプレスを通すときの調査で大量の人骨が出土したとか。
処刑されたものの供養――。悪霊化するのを恐れたのか(これは仏教の発想ではないのかもしれませんが)、それとも罪人もまた救われるべきと考えたのでしょうか。

刑場のあったあたりはやはり民間に分譲というわけにはいかず、都営アパートや都バスの基地になっています。いわくつきの地には学校が建つこともあり、それが「学校の怪談」というジャンルが生まれる元になったのではないか、とはガイドさんの推測。

北の小塚原、南は南大井の鈴ヶ森、あと八王子にあった大和田が江戸の3大刑場で、あとはコミュニティレベルの小さなものがあったそうです。小塚原は斬首、鈴ヶ森は磔と火あぶりで処刑をしていたとのこと。
小塚原は千住の宿場町の外れに位置していて、明治の初めくらいまでは首がさらされていたそうです。街に入る人たちに対して「秩序を乱すとこうだからね」と知らしめる意味があったのでしょうか。

跨線橋から刑場と逆のほうを見ると、貨物列車ががたごとと通り過ぎていきます。
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このあたりは荷揚げの中心地であり、都心方向への物流の起点となっていたそうです。さらに前回の東京オリンピック前には日雇い労働者が集まり、安宿も多い。それが現在は外国人旅行者に好んで利用されているのですね。

人足寄場、さらに食肉処理、皮なめし、解剖など、被差別階級の人たちが担った仕事が周辺に集積しています。皮なめしは水を大量に使うので川沿いにあったとのこと。浅草にはそうした社会の頭領・弾左衛門の屋敷があります。独自の裁判権を持つなど、高度な自治をしていたらしい。近代以降も革靴工場など、ゆかりのある産業が残ったそうです。

処刑される人たちが家族と別れる場所だった「泪橋」は、現在は交差点の名前に残っているのみ。その近くがいわゆるドヤ街の雰囲気を残した一角になっていて、ハローワーク、1泊2500円くらいの安い宿泊施設、寿司屋が点在しています。「あしたのジョー」の舞台もこのあたりだとのこと。
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旧山谷、現日本堤の交番は、ちょっとしたマンションくらいの大きさ。かつては暴動やデモが頻発したので、応援をとったり留置をしたりといった必要があって大きな交番になっているそうです。ちなみに、近くには有名なカフェ「バッハ」があるそうですが、立ち寄ることはできませんでした。

「いろは会」商店街に入ります。
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右側の垂れ幕は見にくいですが「山谷は日雇労働者の街 労働者を排除する再開発反対!!」と書かれています。「写真とるな!人権侵害やでえ」と声をかけてきたおっちゃんは関西弁でした。いろんなところから働きに来られているよう。

アーケードは老朽化が進んだので、昨年秋に屋根を取り払いました。
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再び屋根をかける予定はないそうです。
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寒い日が続きますが、日が照っているので日向にいると暖かかったです。
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そんで、前に天丼を食べに行った「土手の伊勢屋」の横っちょくらいに出て、吉原に行きますよ。

吉原大門(だいもん、ではなく、おおもん)に入る道は大きく曲がっています。出入りする人たちが見えにくいよう目隠しをする機能があったとのこと。今は大門があったところを示す柱が立っているだけです。
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こちら「金瓶梅」「鹿鳴館」などソープが並ぶメイン通り。昔はこの通り沿いのお店が一番ステータスが高く、病気をしたりして落ちぶれた遊女たちは街のはしっこのほうに住んでいたそう。その外には「お歯黒どぶ」という堀が巡らしてあり、出入り口は基本、大門に限定することで逃亡を防いでいました。

遊女は全盛期で3000人、もろもろのスタッフを入れると1万人くらいが働く街だったとか。スターの太夫から見習いの禿(かむろ)までヒエラルキーが存在し、15歳から10年ほどの間にキャリアを積みました。お金を持っている客には教養のある人もいたため、相手ができるよう囲碁、将棋、和歌、俳句などを勉強したそうです。

初めての客を大門まで迎えにいくのが「花魁道中」。これはお店の宣伝も兼ねていたということです。ファッションリーダーでもあったのですね。客を選ぶ権利は遊女のほうにあり、一度は大門近くの待合所で品定め、二度目は食事をしながら品定め。三度目でようやく夜をともにすることができたという。

吉原を出る方法は3つ。(1)年季明け=借金を返す、(2)身請けしてもらう、そして(3)死ぬ。

弁天さん、性病科クリニック、関東大震災の火炎旋風を逃れようと女性たちが飛び込んだ池の名残(多くは圧死だったそう)など、いろんなものが集まってます。
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台東病院の裏に出ると、竜泉の街。樋口一葉が一時期住んでいたそうです。記念館もあります。
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ガイドさんにお煎餅をごちそうになってしまいました。
製造は山梨県(笑)。でも、樋口家ってもともと山梨の出身なんですよね(一葉は東京生まれだが)。なんか関係があるのかな。

三ノ輪駅の近くまで来て、最後は「投込寺」こと浄閑寺。
安政の地震のときに死んだ遊女が投げ込み同然で運ばれたお寺だそうです。
吉原で遊んでいたらしい永井荷風も「死んだらここにお墓を作ってくれ」と希望していたものの家族の反対で実現せず、有志がお寺の裏手に文学碑を作ったとか。
そして、山谷で亡くなった人たちもここに眠っているそうです。
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太陽の下で働いた人びとを象徴する、ひまわりを持った地蔵。

いやほんと勉強になりました。

* * *

吉原とは関係ありませんが、年末から読んでた本、帰りの地下鉄でフィニッシュしました。

■冨田恭彦『カント入門講義―超越論的観念論のロジック』筑摩書房、2017年。

20年とか前に柏木達彦シリーズなど読んで以来、お久しぶりの冨田先生ですけど、なんか分かりやすさがパワーアップしてませんか。すごいね。『純粋理性批判』ってこういう話だったんか。弊管理人はどういうわけかヒュームってカントの敵だと思ってたけど全然違ってた。

2017年12月06日

台北(2)

228公園のつづき。
前回は休館日の月曜訪問だったため見られなかった国立台湾博物館も見ました。
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あまり展示は多くないんだけど、自然史と原住民の比率が大きい気がした。
それにしても、それぞれ体系的に研究し始めたのが日本人だったらしい。ほんとに台湾の20世紀史のいろんなところに出てきますな、日本。

公園の近くには塾がいっぱい。
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「東大理III合格!」みたいなやつか。どこも大変だねえ。

ふらふら歩いて着いた中山堂は、日本が「負けました」文書を陳儀に渡した場所。
「光復」の原点ですね。
中を見ていたら、オールジェンダートイレが。初めて見た。
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左の人型のところには、Everyone can use this toilet safely, regardless of gender identity or expression.と書いてあります。進んでんな~

MRTの終点まで乗って、動物園に行きました。
ロープウェイに、と思ったんだけど、あまり天気がよくなくて。

パンダがいました。生は初めてかも。中国って台湾にもパンダ貸してくれるの?
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飯食ったりぐったりしたりしてるだけできゃあきゃあ言われるなんてお気楽ではないか。
しらんけど。
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売店はやはりパンダ激押し。トイレの鏡もパンダ柄でした。

中心部に戻ってきて、中正記念堂の春水堂で混ぜそばみたいの食べました。
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花椒がきいててすごいうまいよ。確か100元くらい。
あと、タピオカミルクティーね。台湾のドリンクってどれもでかくない?

松山で服屋さんの街を見学。
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なぜ川越?
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うずらの卵を焼いて串に刺して売ってるおばさん。
同じような色合い、柄の服を着たおばさんが2人、横にいますが、フランチャイズなのか、こういうファッションが流行りなのか。
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慈祐宮は何やら爆竹など鳴らしてました。
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饒河街観光夜市は、道一本で分かりやすい夜市でした。
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しかし、メシを食うほどの腹の余裕もなかったため、台北駅まで戻って、Drip Cafeへ。
在台湾友人に「イチゴのクロワッサンいいよ」と教えていただいたためオーダー。
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がっつりwおいしかったです。
チーズステーキ(いわゆるステーキではなく、薄切りの牛肉とチーズがパンにはさまった、フィラデルフィア名物のアレです)も勧められたので、次ね。

最終日は北投の「瀧之湯」で温泉に入ってきました。
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銭湯なんですけど、ちゃんとした温泉で気持ちよかったです。
「アツイヨ」と言われましたが、42度くらいなのでそこそこ入っていられます。

国立台湾大学もちらっと見てきました。
ちょうど直前の仕事でお話した九州の某先生が「うちの父親、台湾大出たんだよ」と言ってらしたのもあって、ここかあと。校史館というのがあって、史料を見ることもできるようです(ちょうど何かのパーティをやっていて、あまり見られなかった)。
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図書館に続く椰子並木の長ーーい道が名物らしい。すんごい広いキャンパスなので、みんな自転車に乗ってます。
それにしても旧帝大の学生のファッションには何か共通点があるように思えますね……
大学の前の通りには眼鏡屋さんが多かったです。

学生街?の適当なお店に入って、牛肉あんかけご飯。
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盛りがいいのに90元。300円。ふえええ
でもこれ、春水堂のタピオカミルクティー(95元)より安いんですよね。
台北のご飯、普段使いと観光客向け/シャレオツ系の値段の開きがすごいと感じた。

お茶してたらいつの間にか飛行機の時間が迫ってきていたので、いそいそ空港へ。
中山駅の近くで買った「李製餅家」のパイナップルケーキを機内でつまみ食い。
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甘すぎず、ぼそぼそしすぎず、いいお茶のお供でした。

雨がちでしたが、Tシャツに1枚羽織るとちょうどいい20度弱で、過ごしやすかったです。
在台湾友人の連れ合い氏が「台北は空気が悪いので、老後は田舎がいい」とおっしゃっていて、弊管理人は「そうかな~?まあ言われてみればそうかも」くらいだったのですが、多分この乗り物が電化されていけば緩和されるんではと思いました。
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次は台中、高雄、いずれは東側にも挑戦したいものです。

2017年12月05日

台北(1)

マイル消化で台北に行ってきました。2泊3日です。

桃園空港から台北駅までの電車が開通してました。
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バスで90分かかってたところが35分。はっや!
乗り場で、空港往復と市内MRTの48時間パスで520元というのがあったので買いました。
それぞれ買うよりちょっと安い。

市政府駅に出て、在台北友人と合流しました。
「開飯川食堂」で、3人で取り分けるコースをご馳走になってしまいました。
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「開飯」は「いただきます」的な言葉だそうです。
川料理は四川料理。いろいろ出てきておなかいっぱい。しかもとてもおいしかったです。

台北101のほうまでお散歩に連れていっていただきました。
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こちら「點點心」は香港からきた人気の点心屋さんだそうです。次な。

今回、宿は西門駅の近くにあるECFAホテルというビジネスホテルにしてみました。
朝飯はどっかでお粥でも食べたいからいらないかな、と思いましたが、軽めのビュッフェがついてました。
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盛り付けの才能がないのはいつものことなので容赦いただくとして、弊管理人の好きな温野菜いっぱいで満足しました。味付けも濃すぎず薄すぎず、家庭の味って感じ。
ただし部屋は窓がなく、空調もうるさい(カードキーをソケットから外してすべての電源を落とすとファンも止まって解決した)ので、お勧めするかというと、しない。

西門は「若者の街」と言われましたが、確かにね。原宿というより新宿のちょっと悪めな感じです。
駅前にある紅楼は工事中のようでした。建物の中はおしゃれ雑貨屋がいろいろ入ってます。
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この裏側は何やらレインボーでした。
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前回、2014年2月に来たときに見られなかったものを見ますよ。
228記念館。「今日はタダの日」ということでタダで見られてしまいました。
日本語の音声ガイドをお借りして、聴きながら歩きます。
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1947年2月27日、闇たばこ売りのおばさん(と聞いていたが、この方は弊管理人と同い年であった!!!)が取締官に暴行されたのをきっかけに全土で暴動が起きて、戒厳令が40年も続きましたっていうだけの理解だったのです。はっきり言って。しかし展示を一通り見て、文脈がやっと分かった。
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話は1920年代から始まります。日本統治時代に、在日台湾人会、次いで台湾でも、台湾議会の設置を求めるなどの要求が起こりました。1927年には初の合法政党「台湾民衆党」が設立されます。また官選議員ではなく普通選挙を求めるなど、知識人を中心に民族意識が高まってきます。しかし、30年代後半には戦争が始まってしまい、日中が対立する中で「台湾人」意識を洗い流すために日本語=”国語”の使用を強制するなど、民族自決とは逆方向の圧力がかかりました。これが伏線です。
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終戦になって「やっと2級国民じゃなくなった!」と思ったら、入ってきた国民政府が今度は「北京語が国語だかんね」とし、参政権も制限。国のポストも外省人が多くを占めるなど、本省人の不満が高まっていたところです。
そこへ闇タバコ売りのおばさん殴打が起きる。当時、タバコは日本統治時代の流れで専売だったのですね。さらに、取締官に抗議していた市民が発砲で死んでしまう。しかし取締官は咎めを受けず、抗議のため専売局、さらに長官公署にきたデモ隊に憲兵が機銃掃射し、事態は収拾不可能になりました。
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すでに日本統治時代、台湾全土にラジオ放送網が整備されていて、1945年の終戦時には台湾の人たちも玉音放送を聞いていたそうです。その台北の放送局をデモ隊が乗っ取り、機銃掃射のことを全国放送します。ラジオのインフラ整備が完了していたからこそ、騒動は全土に広がったということ。本省人の取り締まりも行われましたが追いつかず、外省人への襲撃が散発します。「悲情城市」で見たシーンはこのときのものかな。そしてそのラジオ局が、いま記念館になっているこの建物だったのだあああああ

騒動は政治改革運動に発展。法曹関係者や議員らが台湾行政長官の陳儀と交渉し、事態が沈静化に向かうかと思われましたが、裏では陳儀側が国民政府軍の派遣を要請し、到着を待って態度を硬化させ、知識人への弾圧を進めました。いまだ行方不明の人がたくさんいるそう。

つまり、戦後、国民政府に対して台湾の知識人が要求した自治の水脈は、まさに日本統治期から流れてきていたのですね。そして”国語”は統治者が変わるたびに移り変わり、ラジオという先端メディアが一瞬で全土に火を付けた。

日本語で、しかも素人に分かりやすい解説本がないなーと思っていたのですが、記念館の売店で常設展示の解説パンフを買いました。100元。やっす!そしてこれはめちゃくちゃ買いです。1時間くらいで読めますが、これで大体分かります。
あと、ちょうどいらっしゃった日本語のできるボランティアのおじさん(自分の生年を「昭和26年生まれ」とおっしゃった。日本に住んだことはなく、台湾で勉強したそう。すごい)にいろいろ質問もさせてもらいました。いや来てよかった。ほんと。

興奮しておなかが空いたので、近くの「點水樓」で小籠包220元を食べました。
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上司お勧めのお店。あっはっは、うめえ~
あと、おやつにカスタード饅頭も。

つづく。

2017年11月19日

大山の紅葉

2013年以来、4年ぶりに大山の紅葉を見に行ってきました。読まねばならない資料があって、しかし家だとぐうたらしちゃうので、電車で読もうという変な動機で……

前回はハイキング友達と行ったのですべて歩きでしたが、今回は一人のため横着してケーブルカーで阿夫利神社まで行き、そこから富士見台(富士山は見えなかった)まで登って降りてきました。ふもとは晴れでしたが、山はあられが降っていました。
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大山寺で紅葉を見る。
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混んではいたものの前回ほどではなく、ゆっくり見られました。
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↑色合いはいいがこわい絵になってしまった(笑)
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日没から20時までライトアップされて、それもまたすごくいいのですが、だいたい満足したのと、1時間ほど待たないといけなかったので帰りました。今日は新宿発11時だったので、明るい時間とライトアップをさらっと両方見て帰るなら14時発くらいでいいのかもしれない。

帰ってきて、ご飯を炊いてTKGを食べ、バブのお風呂に入り、洗濯して、やりきった感じの日曜日になりました。今週はちょっとやることがいっぱいありそうなので、リフレッシュできてよかったです。

* * *

去年のいまごろ弊管理人がアフリカに出張した案件で、同僚がヨーロッパに出張していて、そのお手伝いをちょいちょいしていました。で、ピークが金曜にきて、午前2時前まで仕事して、土曜はその反動で疲れてました。

世の中が年末感をずいぶん出してきた感じがしますけど、例年より早くない?そんなことない?

2017年09月08日

長崎

夏休み、枠だけ確保したけどどこへ行こう、と6月に考え始めてから、いろんな可能性を考えては捨て、一度は中央アジア某国へ行く手配をしたものの微妙な事情で中断し、結局は押し詰まってから九州行きの飛行機を取ることになりました。

【9/2】

前の日の中華の食べ放題でがっつり内臓が疲れるという悪いコンディションを引きずったまま、福岡に到着しました。30度くらいと意外に涼しい。
時間調整で金印とか見に福岡市博物館に行きましたが、結構面白かったです。そういえば倭の奴国も遣唐使も元寇も福岡だ。朝鮮との近さを考えればどれも当然なんだけど、歴史的な資産がいっぱいでいいですね。

風邪かなあと思いつつ、でも多分ただの疲れだと思われる体調不良をおして、夜は地元の人に教えてもらった「梅山鉄平食堂」に頑張って行ったものの、コロダイの煮付けという優しいものをチョイスしてしまい、お店の真価はよくわからず。
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若干並びました。観光客用って感じもしなくもない。
遊ぶ元気もなく、胃腸薬飲んで早めに就寝。

【9/3】

わりとよく寝て起きたら体調は回復してました。
バスで長崎に行きます。2時間半、2500円くらい。
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出島で昼飯食って、軍艦島へのツアーに参加しました。
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このあたりが軍艦に見えるスポットらしい。
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もともと現在の6分の1ほどの大きさしかない岩礁だったところに石炭が発見され、1890年から三菱合資会社が本格的に海底炭鉱の経営を始め、埋め立てを繰り返して現在の大きさまで拡張されてきたとのこと。閉山は1974年。残された建物が朽ちていっています。
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左から病院、あとは社宅がほとんどだと思いますが、上陸したあと歩ける道は非常に限られているので、このアングルから見えているものは陸上からは見えません。
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上陸してお話を聞きます。ガイドさんはさすがにお上手でした。
正面奥は1893年に建てられた小中学校で。周囲1.2kmの狭い島内に5000人以上が住むとなると、こういう上に延びていく建物が要請されるのでしょう。
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見学コースのどんつきから見える景色がこれ。正面は1916年に建てられた鉱員住宅で、日本最古の鉄筋コンクリート造高層アパートだということです。B'zのMVが撮影されたんだと。築101年、これを保存する手立てはなく、これからも朽ちていくに任せるしかない。
もちろん狭苦しいし、仕事も容易ではなかったでしょうが、でもなんか豊かさを感じる。
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ミーハーだよねえと自嘲しながら申し込んだわりにはしっかり楽しみました。
「これだけ海が穏やかで晴れてる日は年にそう多くない」とガイドさん。ほくほく。
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こちらは帰りに船から見えた長崎のどっか。土地利用の発想は今も変わらない。
ていうかこれじゃ畑とか作れないだろう。

宿にチェックインしたあと、ミーハーついでにカーシェアを1時間半だけ使って稲佐山に行ってきました。
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写真だと伝わりませんが、見晴らし最高です。
街の大きさが違うだけに札幌・藻岩山には負けるが、函館とは張るんじゃないか。

甘い物もちょっと、ということで梅月堂のシースクリームをいただく(後ろはついでに求めたコーヒーゼリー)。
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夜は干物食って寝ました。

天気予報どんどん悪くなってくんだよね。気象協会と気象庁は「ずっと晴れ」を土壇場で修正。週半ばから天気悪いです、というのを最初から当ててたのはウェザーニューズでした。

【9/4】

目覚め前、窓の外でザーザーと雨の音が聞こえていました。
レンタカー借りてドライブの日です。車があったほうが雨宿りになって都合いいです。
長崎から教会をいくつか辿りながら平戸を目指します。

1時間弱で到着する、外海(そとめ)の出津(しつ)教会堂。1882年築。
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出津は潜伏キリシタン関連の世界遺産候補を構成する集落の一つ。大村藩の中心から遠いこともあり、比較的潜伏がしやすかったのではないかとの説明でした。事前連絡をしておくと、信者さんが来て受付をしてくれます。このあと訪れた教会では人がいるところといないところとありました。

もう少し北に行ったところにある大野集落の教会堂。
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こちらはこぢんまりした巡回教会で、玄武岩の割石を漆喰で固めた外壁が特徴的です。こっちのほうが建築としては好きかも。1893年築。
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明治政府も江戸幕府の禁教政策をしばらく引き継いでいましたが、その中でも地元では信者の露見があり、結局は黙認されるようになっていったようです。
振り返るとこんな感じの景色。
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いいですねえ、独特。西海市の国道202号を北上すると、ずっと左手に海を見ながら適度なアップダウンのある絶景の道です。地域は全然ちがいますが、稚内から網走に抜けるオホーツク海沿いの道をちょっと思い出すかも。

展海峰からの九十九島(南側)もなかなかよし。
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独立峰好きとしては、相浦富士(佐世保市、259mってそんな低く見えない)も見られて満足です。
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平戸で昼飯食って、田平天主堂に立ち寄ります。
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これは背面ですが、八角形の鐘塔がきれいだったのでこちらを。
ただ、「潜伏キリシタンとの関連が薄い」ということで世界遺産の候補からは外れたそう。
外海の教会もそうでしたが、瓦葺きなんですね。
ゆっくりしてたら15時になったので、あとは一気走りで長崎まで帰りました。

折角なので向日葵亭でトルコライス。
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ミートソースとハンバーグの盛り合わせでしたとさ。

一日運転して結構疲れました。
早寝。

【9/5】

雨の予報が出ててもずっと雨が降っているわけではなく、観光にはそれほど支障はありませんでした。
路面電車の一日乗車券(500円)を買って大浦天主堂へ。
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1865年築。完成から間もなく、浦上の潜伏キリシタンが訪れてキリスト教徒だと告白し、1612~1613年の禁教令から250年、信仰を保ち続けてきた信徒の「発見」に至った場所です。潜伏キリシタンの「ゴール地点」といえそうです。
中にはその現場もあるのですが、やはり撮影は禁止。なんかさ、ケチじゃない?そんなにいくつも行ってないけど、外国で教会の中が撮影禁止だったこととかないけどな。

ついでに浦上天主堂も見ました。
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被爆マリア像は中にあります。
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爆心地に近く、吹き飛んだ鐘楼がそのままになっていたり、被爆した備品が展示されたりしていました。

さてもう教会はいいかなーと思い、ランチして島原に向かうことにしました。
県庁裏の「永楽苑」で皿うどん600円。
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うっまい!
おばちゃんにそう伝えたら「うちのスープは他と違うのよ」とニヤリとされました。

長崎駅から快速で諫早に出て、そこから島原鉄道で島原まで行きます。
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1輛のローカル私鉄は青々とした田んぼや海沿いを走っていき、とても車窓の景色がきれいです。
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島原駅の駅長は愛想のない鯉。
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駅でてすぐ島原城が見えたけど、もう夕方だしいっかあ、とパス。
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白玉が甘い蜜にひたってる「かんざらし」で一服して、
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具雑煮とふぐの寿司食って、
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温泉旅館の「望海荘」に投宿して風呂入って寝ました。

【9/6】

この旅行の楽しみの一つが普賢岳を間近で見ることだったのだけど、朝方、旅館の部屋の窓から見えた眉山がほぼ今日の山体験のすべてで、上のほうは一日中雲の中でした。
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眉山は1792年に地震でごっそり山体崩壊し、土砂が海まで届いて津波を起こし、熊本でも千人単位の死者を出し、その名前が「島原大変、肥後迷惑」というひどいネーミング、でもわかりやすい。

出色は、会社の長崎勤務経験者に教えてもらった「小地獄温泉」。
雲仙地獄の近くにある「小」地獄ってことですかね。
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このツインタワーの左が男湯、右が女湯。中はこんな。
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ぬる湯の浴槽でだらだらしました。いいお湯でした。

あとはジオサイトをちょっと見ます。
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棚畑展望台。火山の裾野を利用した段々畑。ジャガイモを作ってるそうです。

早崎海岸。
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島原半島は430万年前、この辺から始まったそうな。

原城は今は何も建物がありませんが、島原天草一揆は潜伏キリシタン史の「スタート」ともいえる場所じゃないですかね。
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遅い昼飯は、島原の唐揚げといえばここ(らしい)「鶏の白石」。
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ぶつ切り唐揚げ定食600円。おいしうございました。

予定していたフェリーより1本早い15:45発の便で熊本に渡りました。
平成新山見たかったがしゃあない。今年は山の巡り合わせがあまりよくないかも。
【天草】に続きます。

2017年08月21日

種子島

年齢的にもう順番が回ってくることもないかな、と思っていた種子島出張(3回目。初回、2回目の前半後半)が土壇場で転がり込んできたので、2泊3日でほいほい行ってきました。
今回は有り難くも空席待ちが実り、夏限定の伊丹→種子島線が利用できました。
出発前、「プロペラ機じゃないの?」と職場のおにいさまに言われ「結構距離あるし、さすがにジェットでしょ~」と笑い飛ばしたらプロペラでした。
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東京では8月に入ってずっと雨でしたが、鹿児島は30度超えのピーカンです。
お仕事はさっくり終了。
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一緒にお仕事をした若者と「終わりましたねえ」と言いながら見た種子島の海、19時。
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星空も素晴らしかったです。

仕事は弊管理人含め3人。夕飯は連れ立って出掛け、地のものを食べました。
1日目の夜、南種子町の「一条」で出てきたショウブ。種子島の夏の味覚だそうです。
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このお店、メニューはなく、3000円のお任せコースだけと聞いて言ったのですが、小鉢6つ、切り干し大根(細くない。輪切り大根)とイカの煮物、すき焼き、このショウブ、締めのうどんとお腹がはちきれるくらいの量が出てきて「本当に3000円で済むの……?」と一同不安がよぎりました。でも3000円でした。やばい、これは。

2日目は「八千代」でナガラメ(トコブシっぽいなと思ったらトコブシらしい)。
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ここは鶏料理も結構推してますね。

弊管理人は生もの嫌いではなかったかと?
嫌いってほどじゃないんです。自分一人だと特に食べないだけで。

* * *

帰りは午前中の高速船で鹿児島市に出て、そこから飛行機。ですが、Uターンラッシュの日に当たったため、チケットとりが非常に難航。新幹線で7時間かけて帰るか……と真剣に検討していたところ、奇跡的に取れたのが20時10分発の鹿児島→成田です。

ちょっと時間があるので天文館「くろいわ」でラーメン。
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とんこつ。あっ好きあっ好き!

鹿児島中央駅の地下でまた「しろくま」食って帰りました。
ちょっと寄ったスポーツクラブで何の気なしに体重計に乗ったら、見慣れない数字を見て引きました。痩せようかな……

* * *

■神崎洋治『人工知能解体新書』SBクリエイティブ, 2017年.

行きの伊丹空港で買って、帰りの鹿児島空港でフィニッシュ。
ディープラーニングの仕組みをざくっと分かっておきたい、と思ったものの、ざっくりすぎて目的を遂げず。
使い方の実例は(若干古いが)多いのはよい。
誤字が多すぎて出版してはいけないレベル。人工知能に校閲してもらえ。

2017年08月14日

盆休み

父、妹、弊管理人のいずれも、そのうち終わりが来ることを相当強く意識し、思い出作りに勤しみ始めたのだと思う。

8月のあたまに古い友人と電話してたとき、この3年ほど定例化している家族旅行をこのように形容したら、たいそう悲しい声になられてしまいました。

んで、この夏は美ケ原。「王ケ頭ホテル」に泊まろう、が目標です。
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天気予報はその日だけよかったのだけど、まあ高原の天気は分からないもので、ビーナスラインはこの通り。幽玄でいいねとは思いますが、結局1泊ほぼまるまる雨と霧で、眺望が醍醐味のホテルなのに眺望はほぼ0でした。

それでもウエルカムドリンクとかいってシャンパンが振る舞われ、ご飯はおいしかったし、星空の見えない星空ツアーから帰ってくると簡単なお茶と蒟蒻の煮物とたくあんが用意されていたりし(お茶に漬物、は長野っぽい)、貸し切り風呂は無料で、弊管理人としてはなかなか楽しみました。
テンションの低い高齢の客らに混じって帰りの送迎バスに乗っていたら、後ろの英語圏カップルがfood was good, people were good, and so relaxing!と言い合っていて、こういう気持ちの持ち方って大事だなと思ったことでした。

標高2000m、気温14度とかで、長袖があってもいいね、という王ケ頭から松本に降りてくると晴天&すごい暑さです。アルプス公園の展望台から眺める松本平はだいぶきれい。
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実はホテルの人に聞いたところでは、王ケ頭のベストシーズンは山の水蒸気がはける晩秋~春先だとのこと。確かに夏山ってぼやーっとしています。
冬か来春あたりリベンジといきたいところなのですけど、妹のメンタルが悪めでメニエール病が車酔いがとつらそうだったので、暫くお預けかもしれません。
松本の「かつ玄」という古民家とんかつ屋で(ものすごく待った上で)わりとおいしいとんかつを昼ご飯に食べたあと、早めに実家に引き揚げたのも妹がもうだいぶダメな感じになっていたため。

実家で一晩寝てから、実家と国交断絶して2年半となる本家へPKOとして弊管理人のみ様子を見に行き、「暑いし簡単でいいから!!」と伝えてあったのにやっぱりごちそうをこしらえて待っていた伯母と話し込みました。祖母はそろそろ弱ってきた感じがする。
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あと、なんかいいとこの大学に受かったな~と何年か前に思ったいとこの子(=伯母の孫)があっちゅう間に就活年次を迎え、地元の新聞社に就職することにしたと聞き、感想を求められたので「おっとりした子は合わない可能性大。3年やって違うなと思ったらさっさと転職すべし」と伝えてきました。
高速バスですいすい帰ってきました。
余った天ぷらやちらし寿司をもらってきていたので、翌朝弁当に詰めて職場で食べました。

休み前に仕事で高齢化を扱ったのも合わさって、「新しい世代が生まれないまま集団が古びていく」ということの深刻さをいつになく感じた帰省でした。そして結構責任も感じる。が、結婚も子どもも「人生の荷物は少ないほどいい」と思う性格に合わなすぎて絶対無理なんで勘弁して下さい。お金で解決するための準備をしてますので。

2017年08月06日

横須賀美術館

誘われれば、あまりに自分の関心とかけ離れていない限り基本、乗ることにしています。
しかし、土曜の夜の機会はあまり心地よいものではなかった。

日曜の朝は若干おなかがしくしくしつつ、でも何か楽しいことがないと週明けが迎えられない気がする、ということでのっそり昼前から出かけてきました。横須賀美術館。
品川から京急に乗る前に、崎陽軒で量の少なそうな「横濱ピラフ」を初めて買って車内で食べたのですけど、セブンイレブンの冷凍ピラフと大差ない味で、これもまたううむという。ま、多分セブンイレブンのピラフが冷凍の域を超えていたのだ、って話なのでしょう。

堀ノ内駅で降りて、京急バスに乗って美術館へ。
途中、走水という海水浴場の脇を通りました。時間があればちょっと降りて歩いてみたかった。
美術館、きれーい。
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建物に入って振り返ると千葉が見えます。
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ちょうど日曜14時はボランティアさんによるガイドツアーがあるということで、参加させていただきました。ボランティアのレディ2人に参加者2人。贅沢。楽しく解説を聞きました。
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なんかニットの巨大な海棲生物たちが。
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横須賀にゆかりのある作家さんの作品を中心に展示されています。
一番気に入ったのは滝波重人の「汽水域」。あとで調べたら東海大の先生だった。
作品はきれいな煮こごりみたいでした(?)
屋上にエレベーターで上がる途中です。美術館の天井と屋上の床の間に変な骨組みが。
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でもって屋上の景色もいい。
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「恋人の聖地」だそうです。弊管理人は一人だけどな。
天気がよくて最高に湿度が高い、このあたりの夏らしい日でした。

2017年07月09日

後志どらいぶ

ちょっとお祝い事があって、珍しく金土の1泊で北海道に行ってきました。

昼過ぎに札幌に到着、札幌駅北口から10秒の「175°DENO」で担々麺をいただきました。
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痺れます。黒ごまじゃなくて、普通ののほうがよかったか。十分満足はしました。

紀伊國屋で、「なまら蝦夷」という旅人宿のオーナーたちが作っているガイドブックの新しいやつが出ているかチェックしましたが、まだでした。惜しい。

ぎらぎらの日差しで暑い中、歩いてすすきのまで行って、昔仕事などでいろいろお世話になったおとーさんに会いに行き、久しぶりにたっぷり喋りました。

宿に行きましょうかね。
今回は街中からちょっと外れた菊水に6月にオープンした「HOTEL POTMUM」。コーヒーの森彦がやってるホテルのドミトリーです。
翌朝の写真ですが、こういう感じの気取った朝食(普通に支払うと1300円と思われる)と、600円以下のドリンクチケットが1枚ついて6600円。
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10日前くらいに来札を決めた時点で、もう空いてる宿が「3000円か7万円」みたいな状態になっており、しかも3000円のドミトリーは門限があるということで、オープンしたばかりでまだあまり宣伝していないこちらを見つけて予約しました。
チェックイン手間取る、調度が洒落てるのはいいがゴミ箱が小さくて翌朝にはゴミが溢れてる、トイレットペーパー切れそう、でもって割高、という、札幌のカフェとかによくある「建て付けと食い物以外のあらゆる点が足りてない」の典型みたいなところでした。まあ開いたばかりだから仕方ないか。
それにしても札幌のホテル事情はすっかり厳しくなったし、緩和の兆しは全くないですね。

夕方ちょっとベッドでごろごろしてから、肉を食いにすすきのへ。
だるまが並んでいたので、近くの「しまだや」にしました。感じのいいおじさんが中に通してくれて、メニューの相談に乗ってくれました。
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ひとりジンギスカン。うまあい。焼けたらニンニク+バターの上に載っけてから食べるロース
もなかなかだったけど、結局気に入ったのは一番安い厚切りのジンギスカンだった。網の直上に煙を吸うダクトがあって服があまり臭くならないのも有り難いです。

賑やかなお祝いは深夜に及び、久しぶりの人たちとも喋って帰って寝ました。

* * *

土曜は小樽でまったり、という選択肢もあり得たのだけど、「たぶん晴れで暑い」という天気予報を目にして、東京出発5分前にレンタカーを予約したのでした。だだ大正解。

札幌で連日30度を超える珍しい(しかし以前ほど珍しくないとの声も聞く)盛夏、高いところに行けば涼しかろう、ということでニセコを目指しました。10時発。
中山峠には止まらず、そのまま喜茂別へ。
羊蹄山は今日もおきれい。でも夏は水蒸気が多いからかちょっとぼやっとする。
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倶知安町の街中まで来て「昼飯食うところないかも」と思ったので、セイコーマートのホットシェフで豚丼買って車内で昼飯にしました。
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結果、これでよかった。セイコマ、今の住居の近くにほしいんだけどな。

山道をどんどん上って、13時前に五色温泉に到着です。海抜750m。父方のばあちゃん家と同じくらいではないか(笑)
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ニセコは鯉川温泉と新見温泉には泊まったことがありますが、五色温泉は来たことがなかったんですよね。新見温泉は食事もお風呂も本当に素晴らしかったのに、閉館してしまったようでとても残念です。
ドラクエ2のデルコンダルを思わせる(←古い)白い砂のイワオヌプリ登山道ですが、登ってる時間はなさそうだし、日焼け対策もちゃんとしてないので入口周辺の遊歩道で植物を見て終わりにしました。
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一番お気に入りのかわいこたんはアカモノ。
振り返ると五色温泉旅館があります。
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日帰り入浴700円。アンヌプリを見ながら入れる露天風呂はお湯も景色も素晴らしかったです。
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涼しい風の吹き抜けるお休み処でゴロゴロさせてもらって、汗が引いたところで空港を目指します。
札幌に住んでたころ、ニセコ周辺は何度も来たのに、不思議と行ってなかったのが京極町の湧き水。
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なんかちょっとどうかと思うけど(笑)そこらじゅう水が流れているので涼しかったし、水もおいしかったです。ソフトクリーム買い食い。濃厚&昇天。

あと、喜茂別を走ってるときに「メロンスムージー」の看板が目に入ったので止まってみました。「畑の食堂あべ屋」というところらしい。赤肉(ルピアレッド)と青肉(ニセコグリーン)のメロンが選べます。なんとなく赤がおいしそうだったので赤をお願いしました。400円。ここの畑で作ってるメロンと、近くの牧場の牛乳だそうです。
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いやこれ、いい。某有名な「サンタのひげ」は「単にソフトクリームとメロンを食ってるだけの食べ物」なのですが、スムージーはちゃんと牛乳とメロンが一つになってるよ。もっと混雑してもいいお店だと思う。
制限速度+5km/hで運転しながらおいしく飲んでました。弊管理人の車を後ろから追い越そうとした車がその瞬間に覆面パトにやられてたのをバックミラー越しに見て震えたりしつつ。

大滝の「きのこ王国」にも立ち寄りました。もう夕方だったので食堂は終わっており、次の機会としました。きのこ激押しなのが印象的でした。
若干早めに千歳に着いたのでアウトレットで時間つぶし。冬用のジャケットが半額なのを見つけましたがサイズが合わず断念。
空港では回転寿司の「函太郎」でつまみ食い。
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生もの食べないがお寿司大好き、という弊管理人は「こぼれイクラ」とかには目もくれず、火の通ったものばかり食べます。あと、しめ鯖もよかった。満足。夜中に帰宅しました。
北海道は春・秋が好きかも。

2017年06月18日

諸国漫遊

東京ジャーミイを見学させていただくため、代々木上原に行きました。
ラマダン中の皆さんには申し訳ないですが、「ミ・チョリパン」でアルゼンチンのサブウェイみたいなサンドイッチをお昼にいただきます。ソーセージを焼いてコッペパンにのっけたのを受け取り、あとは自分でソースや野菜をのっけて挟んで食べます。
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盛り付けの才能が絶望的にないのでアレですが、スパイスの妙を感じるおいしいランチでした。

で、ジャーミイ。土日は14:30から日本語のガイドつきツアーがあります。
30人くらい来てたでしょうか。ガイドのおじさんが「今日は多いなー」とおっしゃってました。
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だいたいこんなお話きいた。

【縁起】
・もともとモスクを建てた人たちは、ロシア革命のときにカザン(今はタタールスタン共和国の首都)あたりにいたが、宗教禁止への反発などから赤軍と戦い、しかしシベリア、中国、朝鮮と敗走してきて、1920年代に1000人ほどが日本に亡命したらしい
・神戸、名古屋など日本各地に散らばり、数百人が富ヶ谷に落ち着いた
・1938年、代々木上原にモスクを建設。施工は神奈川県の宮大工グループ。瓦を使わない建築だったためか老朽化が速く、雨漏りがひどくなり、周辺住民からは倒壊の心配もされるほどだった。1986年に取り壊された
・ロシアから渡ってきた人たちの2世には元祖外タレのロイ・ジェームス(弊管理人は知らなかったが、見学者の一部おばさまは知っていた)がいる。本人は御徒町生まれだが、父親は東京ジャーミイの前身・東京回教寺院のイマームを務めた人物。ユセフ・トルコというプロレスラー、のちレフリーもこのあたりの出身(らしいがこれも弊管理人は知らない人)
・当時居着いた人たちは商売で財産を築いた。スーツの上から羽織るコートの布地である羅紗など。レバノン人の豪商はすぐ近くの大山町に大邸宅を構えた。1ブロック全部1人の家くらいの大きな家。今はユニクロの社長が住んでいる(あとで見に行ったがベラボーだった)
・現在の東京ジャーミィは2000年に再建。基礎は鹿島が作ったが、外壁や内装はすべてトルコから材料を輸入し、トルコ人の職人が作った

【日本のモスク】
・日本にはモスクが80くらいある。北は小樽、南は琉球大学の近くにバラックみたいな粗末な建物まで。留学生が中心になって作ることが多い。東京ジャーミィは東日本最大のモスク。西日本最大は神戸モスク
・東京ジャーミイでの金曜礼拝は最も人が多くて800人くらい集まるが、このあたりは高級住宅地になってしまい、周りに住んでいるムスリムは多くない
・東京では大塚、浅草、御徒町、蒲田などにモスクがある。一軒家をペイントしただけのようなものも

【ラマダン】
・いま、ちょうどラマダンの3週目が終わるところで、あと1週間。日没後にファスティングを終えてみんなで食事を食べる「イフタール」をやっている。無料。300人分の食事を昼から作っている。今年はイスタンブール市庁舎の食堂のシェフに来てもらった
・ラマダンの意義は10個くらいあるが、2つだけ言っておく。(1)水、食べ物のおいしさを思い出し、造物主に感謝する(2)食べ物を満足に食べられない人の気持ちになる
・寄付を集める月でもある。日本をはじめ世界各国のモスクで集まった寄付をトルコに送り、今年はシリア、次の年はソマリア、などといろいろなところに送金する
・ラマダンはファスティングによって心身を浄化する、胃腸を休ませる、感情を鎮める月。戦争をしていてもいったんやめて「ラマダン休戦」に入ったりするが、最近は様相が少し異なる。ISがラマダンを狙って攻撃をしたりとか
・イフタールのスポンサーは個人や企業。例えばこの週末は3日間、トルコ航空がスポンサーになって食事代をまかなうなど
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チューリップはトルコの花なんだって。壺とか壁の模様とかにあしらわれていました。
(おじさんの横に積んである食器はイフタールに使われるのでしょう、多分)

15:30すぎにアザーンが響き渡って午後のお祈りが始まり、礼拝堂の中で見学させてもらいました。マレーシアの国立モスクは礼拝堂は異教徒立ち入り禁止、シンガポールの街中のモスクの礼拝堂は、礼拝しているおじさんが「おいでおいで」してくれましたが遠慮して廊下から見ていたので、一部始終を落ち着いて見たのは初めてです。
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キリスト教と違って信徒のコミュニティがヒエラルキーをなしていないので、大統領も普通の人もボーダー柄の絨毯に立ったら柄に沿って横に並んでお祈りをするのだそう。人種差別された経験に押されてムスリムになったというボクサーのモハメッド・アリの逸話も紹介されました。
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女性は2階席。「ぎっしり詰めてお祈りをするときに、隣に女の人がいたら男は集中できないし、逆もそうだろう。女性を分けるのは差別ではない。お祈りをする機会は確保している」という説明でした。あと、見学者もヘッドスカーフを着けるよう強く要請されていましたね。
このあたりの「区別」、あるいは同性愛の問題を「変わらない宗教」であるイスラムがどう克服していけるか若干心配です。ヨーロッパでは、まさにこの点を右派政党が「リベラルな」立場から攻撃しているわけで、それにどんな反論をするのかはそのうち聞いてみたい。地球惑星科学の知見もうまくコーランと整合させてきた宗教なのでまあ時間をかければ大丈夫なんではないかと思ってますけど。
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ミナレットを登るらせん階段は男性禁制の2階席とも通じていますが、「2階席に入らなければ登っていいよ」とガイドのおじさんに言われてガンガン上がってみたところ、外に出る扉は施錠されてました。残念。そして膝笑う。しかも降りてきてみたら「部外者立ち入り禁止」と書いてあった。あれれれ

そんで、同行者の発案により上野まで(!)行って、「晴晴飯店」というお店に連れていっていただきました。
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3150円で食べ飲み放題、しかも全部おいしい。本当の回鍋肉や担々麺ってこういうものなんだぜ、という「リアル回鍋肉」「リアル担々麺」というメニューがあって感心した。
日没前に酒を喰らい、そして大食の罪まで犯してしまいました。満腹。

そこから歩いて、5月末にリニューアルしたばかりの鶯谷の銭湯「萩の湯」でひとっぷろ浴びて締めくくり。すごくきれいな銭湯(460円!)でびっくり。
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街娼が増えるまち、鶯谷。

大食の罪がたたって、深夜に正露丸を服用しました。

* * *

日曜は昼過ぎにグランドピアノのある練習室に行って1時間弾いてみました。
何かのキャンペーンで半額(1100円→550円/時)になっていて得してしまいました。
音量やキータッチの振動を気にせず弾けるのはストレス解消になります。
終わって出てくると雨。やっと梅雨っぽくなった。

2017年06月11日

6月上旬あれこれ

どたばた。
楽しく遊んでいると日記を書く時間がない。

* * *

1日、久しぶりに京都に出張しました。
在京都の同僚に連れていっていただいた、京大病院近くのカレー「ビィヤント」。
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結構ぴりっとして、さらさらめ。これは職場の近くにあったら通うな。
別れて、出町柳「いせはん」でクリームあんみつ。
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小豆っておいしいな~~と思いました。
そのままもう1食は食えないので、祇園「いづ重」でお寿司をテイクアウト。
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直帰しようと思っていたら、もろもろ準備が必要になり東京に戻って出社。
会社のデスクで食べました。おいしかった。次はいなり寿司を食べたい。
結局、深夜まで仕事して疲れましたが、交代したばかりの同僚がもっと大変な思いをしていそうだったので、これはもうしょうがないかなと。

* * *

3~4日は帰省しました。大型連休に帰れなかったので。
諏訪で父と合流して木曽平沢の漆器祭へ。
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奈良井宿にも足をのばして、五平餅を食って帰宅しました。
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父の実家へ祖母の様子を見に行きました。
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若干弱ってるけど元気そう。祖父が亡くなっても野菜を作っているっぽい。
父は梅を摘んで帰り、砂糖とともに瓶詰めにしてジュースの仕込みをしていました。
母の実家にも顔を出しました。
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伯母のごちそうは健在です。食べきれず、ちょっと折り詰めにしてもらって持ち帰りました。
祖母もまだまだ元気で、杖を2本つきながら歩き回っていました。
日曜の最終の高速バスで帰京し就寝。

* * *

10日、「地下神殿」の異名をとる、春日部市の首都圏外郭放水路を、友人4人と見に行ってきました。
大雨のときに洪水にならないよう、このあたりの川の水をいったんためて、大きな江戸川に流すというもの。
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でかかった。けどサッカー場大のスペースを自由に歩き回れるわけではなく、意外と狭い範囲しか見られませんでした。地下に潜っているのも15~20分くらいです。残りは説明を聞く時間ですが、(係の方は上手だったものの)あちこち重複していて無駄が多いなと感じました。

そのあと、杉戸町の「雅楽の湯」のバイキングで遅い昼飯を食べて、お風呂に入って帰ってきました。充実。

* * *

11日は、スピリチュアル男子の友人と東国3社を回ってきました。
成田まで電車で行って、そこからカーシェア。
鹿島神宮→息栖神社→香取神宮。
鹿島神宮はちょうど「武道の日」てえのに当たったらしく、何か奉納してました。
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参道にいたのは「ぼくでんくん」。
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塚原卜伝。じじいのキャラというのは珍しくないか。
鹿島神宮VISAカードというのもございました。
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年会費5000円とポイントが鹿島神宮に寄付されるそうです。うわー

こちらは息栖神社です。
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茅の輪くぐりは3社すべてにありましたが、なぜかどれもお作法は異なっており、複雑さは香取>鹿島>息栖。
ソニックブームごっことかやりたくなりました。やらないけど。

香取神社は一番豪華でした。千葉在任時代に行ったはずだけど、ほとんど忘れてました。
あとはおまけで、成田空港B滑走路の南端にある「東峰神社」を10年ぶりくらいに見ました。風向が悪く、北側からの進入だったため、上空40mをかすめる飛行機は見られず。
なんか周囲の道は微妙に変わっていた。職質もされませんでした。
東峰の集落もぐるっと回ってみたけど、ちょっと寂しくなったかな。

それでは、ということで、北側からA滑走路に入ってくる飛行機が見られる「さくらの山公園」に行きました。エミレーツのA380が見られました。でけーな。
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売店とかがすごく充実してたけど、昔からこんなんだったっけ?

えっちら戻って軽くサイゼ飲みして別れました。密度が濃かった。ふいー

* * *

生ピアノで練習ができるスタジオに行ってきました。30分550円。お手頃と思うがどうか。
普段と違う道具を使うと変なところに力が入ります。音の高さまで何か違うように感じます。
家にあるのは電子ピアノですが、生ピアノにときどき触る機会があったほうがいいなと思いました。

* * *

ドイツから帰ってきてずっと疲れていたのが限界近くになったらしく、「あ、今日はだめだわ」と分かるくらい体がだるくなったので、火曜日は勝手に休息日にしました。
先週は終電を2回逃がすくらいの仕事量で、恐らく眼精疲労と寝不足で夕方から頭痛がする毎日でしたが、精神状態は先月までとは比べものにならないくらいよい。

2017年05月20日

ボン

1週間、ボンに出張してきました。
最寄りの空港はケルン・ボン空港ですが、日本からの直行便がなく、しかし飛行機の乗り継ぎは保安検査がしちめんどくさいのと荷物ロスの可能性が高まるのでなるべくやりたくない。ということで、どちらも1時間ちょいの列車移動で済むフランクフルトとデュッセルドルフで若干迷い、そして使ったことのなかったデュッセルドルフ便をとってみました。

が、なんかボンの駅だか周辺だかの工事の影響ですごく時間がかかるルートになってしまい、たまたま一緒の便で同じ仕事に向かうことになっていた某先生に、途中のケルンからタクシーに便乗させていただきました。ありがたや。

仕事はアレで、気分は暗いのですが、なんてことない街の景色もきれいだし、食べ物は口に合いました。
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上の写真のような木々がたくさんあって、花が咲いています。花は赤も白もあります。
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これ何の花?と思って誰かに聞こう聞こうと思いながら聞けずに帰ってきてしまった。

通勤はバスでした。
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地域の公共交通機関ってほんとどうしたらいいのか分かりません。しかしとにかくその辺の人に聞いて、1回できちゃえばどこにでも行けますね。バスは乗って運転手さんに行き先を告げ、その場で支払いをして切符を買います。あとは車内の刻印機で使用開始のスタンプを押すと。
電車、地下鉄、バスとも改札がないかわりに、ときどき検札の人が乗ってきて、切符を持ってないと60ユーロだかの罰金を取られるというシステムです。「知らなかった」は基本、通用しないらしく、旅人はちょっと緊張させられますね。日本から同じ仕事で来ていた人もやられたそうで、同僚たちから笑われてました。

ボンは英語が喋れない人(特に褐色の人)は全然ダメだけど、喋れる人は相当いて、バスでも買い物でも、喋れる人に当たれば親切にやり方を教えてもらえました。

北緯50度。夜はいつまでも明るいです。これ午後8時35分。
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仕事で一緒になった方々に、マルクト(マーケット、だろうな)にあるEm Höttche(エム・ヒュットへ)というお店に連れていっていただきました。
Kölsch(ケルシュ)というケルンの地ビールと、白アスパラガス(シュパーゲル)を食べます!
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トマトの大きさに注意。アスパラもトンカツ(シュニッツェル)もでかい。そして、うまい。
アスパラには澄ましバターのソースをかけていただきました。
あとは仕事場でこんなん食ってたくらい。
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チキンブレスト1枚(豪快)と、悪魔みたいなブロッコリー……ええとなんだ、ロマネスコ。実はカリフラワーの仲間だそうですが。

仕事中は青空の清々しい天気。でも室内。
最終日は4時間だけボン観光……と思ったら肌寒い雨降りの日でした。

定番、というか市内の数少ない見所の一つであるボン・ミュンスター寺院。11~13世紀に盛んに作られたロマネスク+ゴシック様式の建物。ところでこれ、戦時中は無事だったの?と思っておじいちゃんスタッフに聞いてみたら、やはり相当壊れたらしく、かなりの部分は1960年代に再建されたものとのことでした。
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中を見学していたら昼のミサの時間に当たり、おじいちゃんスタッフから「他の人の真似してれば大丈夫だから」と促されて参加してしまいました。
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壇上に上がって、歌本?渡されて20分くらい歌います。
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見慣れない楽譜だけど、やってるうちに大体分かった。(R)(L)はそれぞれ右側、左側の列の人が歌うところで、(A)はみんなで歌うのだな、とかそいうことも分かった。でもドイツ語の発音はあやふやだったので、ちっちゃい声で歌ってました。
ここ数年、汎神論よくね?と思っている弊管理人が参加していいのかいなと思いましたが、まあ勧めたのはあちらだということで。

引き揚げていくおじいちゃんスタッフ。
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戦災の話を尋ねたら立ち話が長くなり、そして難民の話になって盛り上がりました(やはり今の関心はそこか)。「シリアやアフリカから100万人来てん。州によっては受け入れないっていうところもあったけど、ここは国際機関があったりしてオープンなとこだからね。でも文盲が多くて言葉や文化を教えるところからやらんとあかん」などと。しかし8000万人の国に1年で100万人のわけわかんない人たちが入ってくるって、考えてみたら大変なことです。「ほんとは英仏に歴史的な責任があるんだけどねえ」

そういえば宿のテレビでBBC見ていたら、フランスで大統領になったマクロンの課題を「難民、テロ、気候変動」と言っていて、ああヨーロッパは遠いなと思いました。

えっとそれで小腹が空いたので、すぐ前の広場でカリーヴルスト立ち食い、確か2.9ユーロ。
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寒いし、広場の郵便局前で楽聖にも会えたので、もういいかなって気になってきました。
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が、もうちょっとだけ頑張ってベートーベンハウスを見学、6ユーロ。
生家なんだそうですが、中の展示は撮影禁止とかケチくさいことを言われて萎える。
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なんか昔、実家に子ども用の伝記があって読んだんですよね。
随分忘れちゃっていましたが、おじいちゃんがケルン選帝侯の宮廷楽長の音楽一家だったとか10代前半から作曲も演奏もやってたとかで、何の根拠もなくたたき上げっぽいイメージ持ってたけど全然違った。演奏が聴けるコーナーとかありました。でもベートーベンはまだあんまり面白いと思えないな。

マルクトは昼間いくと屋台がいっぱい。
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どこも大体イチゴとアスパラ押しでした。
イチゴは一山1.5ユーロとかで、青果は安い。

15時、そんじゃちょっと早めにデュッセルドルフに向かいましょうかね、と思って、ホテルに置いてもらってた荷物を回収してボン中央駅に向かいました。
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ねえ本当に首都だったところの中央駅?というくらいこぢんまりしてます。
30万都市だとこんなもんか。

ホームに上がると、なぜか大混雑。
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事故か何かでダイヤ大幅乱れ。Google Mapsに頼りながらえっちら乗り換えて、結局2時間近くかかってデュッセルドルフに辿り着きました。

* * *

ということで、1年弱、魂を歪めさせられ続けた「どうにも合わない持ち場」の仕事がほぼ終了しました。
前にも書いたとおり「とても勉強になったし、これまでの仕事に対する態度を総点検する機会にもなったと思うが、ここまでのストレスを受けながらやるのは続かない」というのが総括。海外出張いっぱいして、それも自分で思い立っては行かないようなところが多かったのも貴重なことではありました。もう少し違う出会い方をしていたら違った結果になったのでしょう。

やることを全部終えて帰国の途に就きながら感じた「重力ゼロ」みたいな状態、久しぶりでした。
もっとも、次の持ち場でもストレスフルなのでしょうな。

* * *

往復の飛行機で3本、映画を見ちゃいました。珍しい。

・Moonlight(2016年):アカデミー賞作品賞だそうですが、黒人も薬物も同性愛もありきたりな題材。うん、で?とあまり響かなかった。静かに淡々と進んで映像としては見やすかった。

・わたしは、ダニエル・ブレイク(2016年):なんというか、同じ空気を吸い、相対しているのに、相手との間に全く乗り越えが不可能な壁があるという感じ。あるいは形の上では自分も参画しているはずの制度に徹底的に負けるということ。普段なかなか痛感しないが、直面するとはこういうことなのだ、という突きつけ圧が高かった。このタイトルとポスターを見ただけでは映画館にわざわざ見に行くかというと行かない気がするので、ここで出会っておいてよかった。

・沈黙―サイレンス―(2016年):それでいうとこれも徹底的に負けるということを題材にとっているのだけど、最後の最後に「あっそうでもなかったかもしれない!」という閃きが訪れる。それと同時に、そこまでに敗れ去った人たちもすべて単に敗れていたのではなかったことに気付かされる。上の作品と違うのは敵が意外と対話的だということで、それで一段、考える余地が生まれていた。160分、なげえ!と思って見始めたが、この長さは必要だったな。

2017年04月09日

関西、桜づくし

東京でいつもお世話になっている京都出身の知人が、今年の花見を京都でやるというので、土日を利用して大阪、京都に行ってきました。

新大阪から地下鉄、モノレールを乗り継いでニュータウン界隈へ。
去年始まったごく私的な岡本太郎ブームのハイライトというか、万博記念公園に行ってこちらを拝んでまいりました。
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重機と比べるとでかさが分かると思います。
特に見たかったのが裏側の顔で、こちらもやっと見ることができました。
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しばらくすると、内部が公開されることでしょう。

で、もう一つの目的が国立民族学博物館です。
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ソルボンヌでモースについて民族学を勉強した岡本太郎の作品がある公園の中にこれがある、というのは上出来じゃないでしょうか。ちょうど文化人類学の教科書を読んでいるところですから、もうすべての展示を興味深く見ました。
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無料の音声ガイドをお借りして丁寧に聴いていたら、いちばん最初のオセアニアのコーナーを抜けるのに30分くらいかかってしまいました。
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展示は建物の2階だけなのでボリュームは大したことないのかな、と思っていましたが、1時間くらいのろのろ見学したところで館内の案内図を見たらまだ2割くらいしか進んでないことが分かり、絶句。
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南北アメリカ、ヨーロッパあたりで「ひ、広い」と本格的に思い始め、しかしアフリカの日常生活の展示はまた面白く、西アジアはいつか行ってみたい!と思わされ、しかし東南アジアあたりからわりと早足になり、韓国もざっと流し、あっ中国は意外とエスニックで面白いかもと思ったものの、日本はもう飛ばし飛ばしで過ぎてしまいました。
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時間の制約もあるけど、もうかなり疲れていたというのもありましょう。にしても「金物」「木」「竹」「紙」の文化があるなあって視覚的に分かりますね。世界一周した感じがします。

昼飯をとらずに夕方になったので、そのまま難波に出て自由軒で昼飯?にしました。
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どこでお知りになったか、外国の方、ほんと多かった。
お店のおばちゃんも「はいはいセンターテーブルでサイドバイサイドでお願いします」と。
そんでもうちょっと食べられるかしらと思い、「わなか」でたこ焼き。
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あっつ!
深夜にお腹空くかな、もう一食食べることになるかな、と思いつつ、ちょっとお酒を飲みに行って、なんやかやつまんで、結局「夕飯」に当たるものは食べずに寝てしまいました。

翌朝は雨。
阪急で京都に向かいました。西院の喫茶店で朝飯食べて、バスで「原谷苑」に向かいました。
こんなとこ。あまりに鬱蒼とピンクで、死んじゃったかと思いました。
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個人所有のお庭(それもすごいが)で、桜の季節だけ一般公開しているそうです。
60年前からありますが、地元にしか知られていない名所らしく、聞こえてくるのは関西の言葉がほとんどでした。
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お弁当いただきます。(弊管理人のにだけ焼き魚が入ってないという非常に言い出しにくいミスに気づき、泣き寝入りした)
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主催者は「去年は満開のときに来たけど、今年はもうちょっと後やったなー」と悔しがってましたが、十分です。一体どんなものを見たんだ、去年。
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堪能したあと、さらに主催者提案でタクシーに分乗して平野神社。
こっちは染井吉野で満開です。空が見えない。すっげえ。
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全然知らない神社でした。これは地元の人に連れてこられないと分からない。
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神社マニアの知人は「えっ、これ何造りなの?」と。
なんか複数の様式が混ざった変な建築だったようですが、弊管理人には分かりませんでした。
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さらに鞍馬温泉に連れていっていただき、ひとっ風呂あびて市内に戻りました。
ここで夕飯に向かう人たちとさよならして、弊管理人は一人で新福菜館でラーメン。
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今回はチャーハン……と思ったけどラーメンにしてしまいました。
やはりうまかった。
「こだま」で本読みながらのろのろ帰ってきました。
主催者と地元の人たちの力のおかげで、疲れたけど大変幸せな週末でした。
今年の桜は十分すぎるほど楽しみました。ありがたいことです。
週明けが来なければもう100倍幸せなのですけど。

* * *

■岡本亮輔『江戸東京の聖地を歩く』筑摩書房, 2017年.

これ絶対面白いやつ、と思って発売すぐに手に入れました。
でまあ当然のように面白かった。東京に暮らして都合12年、東側にも西側にも住み、ぐるぐる歩いた経験のおかげで「あの場所を一枚剥がすと、そんな歴史があったかー」という驚きとともにページが進みます。

* * *

前後しますが、5日(水曜)に仕事がはけてから、ふらっと上野に行って夜桜を見てきました。
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ライトアップが20時までだそうで、着いたときには終わってしまっていました。
でもなかなか迫力があってよい。
不義理をしていた旧知のお店で一杯飲んで帰ってきました。

2017年03月12日

猿島

「休みに何もしない」をしたくない、という後ろ向きな動機で横須賀の猿島に行ってきました。
京急の快特に乗ると、横須賀中央駅はすぐそこ。
とりあえず昨日、漁が解禁になった湘南しらすを食べました。
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もっとも、生と違って釜揚げは一年中あるそうなので、これは古いやつなのだろう。
でもいい。うまかったから。

猿島はフェリーで10分です。
人がいっぱいの無人島。
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200円のガイドツアーに参加しました。
江戸時代までは神社がある神聖な島とされていてあまり人の行き来はなかったが、明治から終戦までは軍施設として使われたとのことです。浦賀水道の守りとして、横須賀と富津に台場を置いていたのですね。切り通しの中に煉瓦造りの施設や砲台があり、島の外観と中の様子は全然違います。
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ツアーだと、普通は入れない弾薬庫に入れてもらえます。
案内のおじさんはとてもお上手で勉強になるので参加必須だなと。
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砂浜があるため、夏は海水浴に使われるようです。
日陰はまだ涼しいけれど、日向はぽかぽかで、春によく着るパーカでだいたい大丈夫でした。
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陸に戻るとおやつの時間。駅の「魚屋さんの新鮮回転寿司」でつまみ食い程度に食べました。地の魚じゃないんだけど、満足度高かった。
京急の最前列の席に陣取って帰りました。
電車はものを思わずに済むのでいいですね。

* * *

先週、別府で5月にやるアルゲリッチ音楽祭の席を発売日にとった(アクセス集中でサーバーがえらいことになっていて時間がかかった)のですが、結局支払わずに流してしまいました。コンサート当日の直前までドイツでやってる某行事に仕事として行かなければならないのかどうか、はっきりしなかったからです。

もともと「行くかどうかは自分で決めていい」と言われていて、どうせ疲弊するに決まっているので「行かないつもり」と会社には一度伝えたのですが、数日たって「やっぱり行くことを考慮して」と言われてしまいました。「考慮した上で、行きたくない」と答えてみようかと思っていますが、まあ押し切られるだろうな、これは。

2017年01月08日

カーシェア

やや遅ればせながらタイムズでカーシェアリングを始めまして、慣らしを兼ねて命知らずの友人を助手席に、埼玉の「百観音温泉」に行ってきました。
かねて名前は聞いていたものの、久喜市というどこだっけレベルの北方(ツーリングだと東北道に入ってやれやれとひと休みしたくなる蓮田SAよりまだ北)ということもあり、実際訪れるのに数年を要しました。
日が暮れてからの出発、しかも寒い雨の連休中日。景色はありませんがお湯はなかなかでした。首都圏でここまでできればいいでしょう。外のぬる湯で1時間以上喋ってました。

帰りはまたこちらも数年の片思いを経て遂に到達という板橋の「元祖まぐろラーメン」。
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しょうゆスタミナラーメンにしました。魚介の存在感たっぷり、がっつり、満足。
同行友人のノーマルしょうゆも一口もらいましたが、ノーマルには全然違うよさがあった。
油そばや、なんとパスタもあるそうで、また来て試したい。が、あまりついでのない土地でねえ。

行動範囲が広がることを期しての入会でした。
一緒に出かけられるお友達も増えるとよろしいが。

* * *

PCでのツイッターのクライアントは長いことSaezuriを使っていたのですが、いろいろ不具合が出てきて代わりにTweenを入れました。いろいろカスタマイズして、今のところ快調に使っております。

* * *

■吉川徹『現代日本の「社会の心」』有斐閣,2014年.

2016年12月31日

そして伊豆

今年の年末年始休みも伊豆からスタートです。今度は29日から2泊。
城ケ崎海岸、堂ケ島の「堂ケ島食堂」でアジフライ(美味!)と遊歩道、西伊豆スカイライン&達磨山レストハウス、修善寺とまわって、31日はここ寄ってみました。伊豆の国パノラマパーク。
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ロープウェイで葛城山をのぼると、南アルプスから箱根まで見える素晴らしい眺望でした。

沼津に出て、深海魚水族館。天丼食って長野に帰省しました。
本家の伯母のお料理は今年もすごい。
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そんで今年が暮れていきます。

特筆すべきことはほぼない感じ。強いていえば:
・母方の祖母(96)が完全に弊管理人を認識できなくなっていた
・転職した妹が少し元気になっていた様子
・伊豆旅行前、父が「楽しみ」と言っていて歳を感じた

停滞かもしれないし、安定かもしれない。
まあよし、な気はするものの、来年はもうちと頑張って楽しくしないといかん。

2016年11月30日

房総で忘年会

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日曜、月曜に泊まりがけで、20代からアラフィフまで40人参加の忘年会に行ってきました。
この予定を支えにしながら、×ソみたいな出張たちに耐えていました。

貸し切りバスで、アクアラインを通って、館山でご飯食べて、鴨川のホテルへ。
鬼面太鼓が宴会場のステージに。
「コリャコリャ」っていう宴会の代名詞みたいなオノマトペをリアルで初めて聞きました。
絵に描いたような宴会を堪能しました。
風呂に入って、部屋飲みしながら深夜までおしゃべり。
翌日は鴨川シーワールドで半日いそいそとショーを回って、夕方に帰ってきました。

歳をとると筋肉痛が遅れてきますけど、楽しかったっていう実感も遅れてきました。
けさ目が覚めて、じわっと「あ、楽しかった」と思った。

山は越えたものの引き続き仕事はク×なので、次の楽しいことを作らないといかん。

* * *

冬物を預けたままだったクリーニング店が閉店していたことに気付いて3カ月。
ようやくマフラーと、かなりあったかいコートを買いました。
これで冬が迎えられます。

2016年11月23日

マラケシュ(2)

マラケシュさくっと観光2日目。
まずはサーディアン廟に行きます。サアード朝の王様のお墓。

入場料100円。しかし全く意味のない入退管理設備。
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うんお墓お墓。
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次。バイア宮殿。
また意味のない入退管理設備。
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中はとても豪華です。
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19世紀のハレムだそう。
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天井の模様がすごい。偶像が描けないのでパターンなのか。
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そりゃ幾何学も発達するわなとか。
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入場料100円。今年一番価値のある100円だったかも。
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上ばかり見てしまいます。
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では、旧市街の北東に向かいましょう。また地元民が多くなってきます。
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皮なめし職人のエリアです。
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まだ足がついたような剥がしたばかりの皮を洗って、薬品に浸けて、毛を取り除く。
薬品はアンモニアが含まれる鳩の糞から作られてるらしく、すごいにおいでした。
ガイドを買って出たおじさんから「ガスマスクだ」といってミントの葉を渡されました。
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これは羊かな。
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手前にあるマスに、薬品が満たしてある。
なんか街外れにあるのも分かります。階級的な違いはあったのでしょうか?分からない。

で、連れて行かれるファクトリーショップ的なところ。
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小さい肩掛けカバンなら買ってもいいかな、と思って値段を聞くと950ディルハム(=9500円)だと。
ベルベル人と交渉開始。

「高い。無理」
『いくらなら出すんだ』
「100」
『はっ(←笑い)』
「150なら出せるかも」
『いやあ無理だわ』
「じゃあ帰る」
『ちょいまち、200でどう。スチューデントプライスだ』(学生だと思われたのか……)
「いやあぎりぎり170」
『200って相当だよ。200でいいでしょ』
「貧乏なんで」
『200なら持ってるだろう』
「170が上限。お昼が食べれなくなっちゃう」
『いやあさすがになあ』
「じゃあ帰るわ。どうも」
『分かった170でいい』

ということで950→170に負けてもらいました。まあこれでも利益が出るんだろうと思いますが、しかしあまり嬉しそうな顔をしていなかったので、結構頑張ったほうか。相手は200でずいぶん粘ったので、そこが一つの勝負ラインだったのかもしれない。そんなに欲しそうな顔してなかったのが、もう一段の値下げをしてもらう鍵だった気もします。iPadがちょうど入る大きさなので、クラッチバッグのかわりにしよう。

帰りしな、ガイドを買って出たおじさんが険しい顔で「50」とガイド料を要求してきたので、10渡して立ち去りました。支払うまではしつこいが、支払えば額が低くても諦めはいいな。

値札のない世界で値切って買うのは、アトラクションだと思えば楽しい面もあるけど面倒ですね。

中心近くまで戻ってきて、テラス席のあるレストランでお昼にしました。
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適当に入ったところでも、ちゃんとパスタがおいしい。
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建物の高さがだいたいどこも一緒なので、3階のテラス席に座ると街が見渡せます。
場所を変えてお茶。レモンタルトを食べながらだらだらしました。
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帰りはロイヤル・エア・モロッコでパリへ出て、そこから全日空で羽田。
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アトラス山脈がきれいに見えました。さようなら。
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* * *

機内で読み終わったもの。

■鷲田清一『人生はいつもちぐはぐ』角川書店,2016年.

似たような話ばっかで今ひとつ以下でした。

マラケシュ(1)

18日間の出張に行ってました。
場所は北アフリカ・モロッコのマラケシュです。
仕事そのものは大変ストレスフル&勝手が分からず余裕なく過ぎていってしまいましたが、予備日としてとってあった2日間をまるまる街歩きに使えたので、その様子を中心に。

それにしても遠いです。行きは全日空で羽田→フランクフルト、ルフトハンザに乗り換えてフランクフルト→マラケシュ・メナラ空港。ドアtoドアでほぼ24時間かかりました。
写真はルフトの機内食。
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初めて食べたもので、あとで仕事先の人に「ケチなイタリア人が作った餃子みたいなやつ」と言ったら
「それはラビオリというのだwww」と笑われました。

アフリカ。人類の故郷。
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大地の色が全然違う。

仕事場で食べた唯一モロッコらしいもの、クスクス。(←笑ってない)
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まずくはないけど一度でいいか。

泊まっていたところが政令市でいうところの緑区みたいなところだったので(?)、仕事がはけてからの2日間は中央区(?)に行ってきました。
11世紀、ムラービト朝時代に整備された都だそうです。東西2キロ、南北3キロくらいの城壁に囲まれた旧市街は世界文化遺産になっているとのこと。
城壁にはいくつか門があって、南西側の適当な門を入るとこんな感じ。
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中心部から遠いせいか、観光客も少なく、声を掛けられることもありません。
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中央の赤い看板はリヤド=民宿のもの。
ムレイ・エル・ヤジドモスク。マレーシアやシンガポールと違って、当地のモスクは異教徒は原則、入れないようです。
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太陽光発電を入れて、緑のモスクになったそうですww
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アフリカは再生可能エネルギーの導入を進めています。もちろん温室効果ガスの排出削減もありますが、これまで送電網にアクセスできなかった小さなコミュニティにまで電気を行き渡らせる決め手ととらえられています。
あと、看板を見てわかるとおり、外国人との話はフランス語がデフォルトのよう。小学校からフランス語を教えているそうです。英語は日本人の英語くらい。買い物で久しぶりにフランス語を使いました。

道端で売られているのはバナナ、オレンジ、イチジク。
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オレンジは街路樹としてもよく見ます。あとオリーブも。
そういえばステップ気候も初体験かもしんない。
仕事1日目は雨が降って、ジャケットの下にセーターを着てやっと過ごせるくらい寒かったです。
晴れた日中は上着がいらないくらい、日が沈むと上着必須。寒暖の差が激しいです。
マラケシュ観光のハイシーズンは11月からだそうで、確かにこれより暑いときついだろうな。

肉屋は撮ると怒られることが多かったので、こっそり。
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タクシーと建物はどれも同じ色でした。
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タクシーは楽なんだけど、メーターがないんですよね。
ふっかけてんなと思うことも多く、大概は500円とか1000円なので妥協してましたが、最終日に空港に行ったときにはその倍くらい請求されたのでブチ切れて値切りました(多分それでもぼってる価格)。マレーシア旅行の時も書きましたが、ほんとタクシーって嫌いです。

屋台がいっぱい立つフナ広場という名所?をささっと通り過ぎて、スーク(市場)へ迷い込みます。
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バブーシュ(スリッパ)、金物、皮革製品など、専門店が固まって存在します。
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メインの道をちょっと外れると民家が並ぶ迷路。
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肉屋の奥には鳥かごがあって、なんかニワトリを一匹取り出してきたなーと思いながら通り過ぎ、ちょっと行ってから引き返してくると、もう店の前でネコがニワトリの首をもらってました。
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街中、ネコ多かったです。犬はあんまりいなかった。
北の方にいくと、革製品のスークに入ってきます。
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材料も。
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路地を歩いていると、ベン・ユーセフ・マドラサに行き当たります。
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16世紀から1960年代まで使われていた神学校です。
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質素だけど天井、凝りますね。あと結構木を使うんだなあと思いました。
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こういうランプシェードが欲しいのですが、うちには付けられなそうです。
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結構歩いたので、適当なレストランに入りました。
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開放感のある3階のテラスで、鶏のタジンとオレンジジュース。パン含め大変うまかった。800円くらい。
ではぼちぼちホテルを目指しますか。
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路地で見かけた地元っぽいおばさんたちについていったらフナ広場に戻れました。
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狭い道ではロバも活躍します。

ホテルで同僚と落ち合って、仕事先と夕飯を食べに行きました。
The Red House Restaurantというレストランホテル。わりと手頃な値段ですがおいしかったです。
最後にミントティーをいただきました。
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マラケシュって食べ物に外れのないところだとの印象。

夜のフナ広場を見に行きました。遠くからだと分かりにくいですが、すごい人。あと立ち並んだ屋台から煙がもうもうと上がっています。
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こんな屋台がずらっと。
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絞りたてオレンジジュース、だいたい50円。
立ってると小銭をねだる人たちにつきまとわれます。
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おいしかった!
ベルベル人の服のお店で、ものすごく値段交渉するパイセン。
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「組合の団交みたいだった」

帰って寝ました。観光はもう1日。

2016年10月10日

オーストラリア出張

うっかりスキューバダイビングと潜水士の免許を持っていることが会社にばれた関係で、上旬はオーストラリア東海岸の北部に出張していました。
ほぼ仕事ばかりしていたのですが、直接、仕事の内容になることを除いて印象に残ったものを。

前半はグレートバリアリーフにあるリザード島にいました。
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1日2便、6席のセスナがケアンズとの間(240km、片道1時間)を行き来しているだけで、他にこの島に来る手段は、現地で働いている人によると「プライベートボート」のみとのことです。まじ?
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道中もきれいです。

宿泊施設が、国立オーストラリア博物館管轄の海洋生物学の研究拠点と1泊10数万円するリゾートしかない(ただしキャンプサイトはある)ということで、滞在者はみんな院生以上か金持ち、という変な島です。
こちら、その研究拠点Lizard Island Research Stationです。
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景色は素晴らしい。アボリジニが成人のための儀礼を行う島だったのだと、研究施設に住み込みで働いている考古学者の卵が教えてくれました。
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島の中心にあり、東半分を一望できるCook's Lookという359mの山に登りました。
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後半はケアンズをベースに仕事。
ケアンズって確か学生のときに旅行して以来なので、16年ぶりです。「意外と田舎だなー」と思った印象はあるものの、まったく街の様子を覚えていませんでした。
半袖半ズボンで暑くもなく寒くもなく(夜は若干涼しすぎるかな、くらい)、いい気候です。コンパクトで歩きやすいのもいいですね。

おいしかったもの、すべて中心部から徒歩10分以内:

(1)船着き場の奥にあるシーフード、Prawn Star
ボートがそのままレストランになってます。在住10年の方に教えていただきました。
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80ドル(≒6400円。リーズナブルなんであろう)の盛り合わせがこれ。
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同僚と白ワイン飲みながらいただきました。美味美味

(2)Cafe Thailandd
地元の方と、最初はベトナム料理を食べに行こうということで歩いていたのですが、あいていなかったため、えいやで入った同じ並びのお店。
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ビーフサラダ、焼きめし、焼きそば、鶏の唐揚げ、春巻き、海鮮と野菜炒めをシンハビールで。ここは何を食ってもうまかった。4人で飲んで満腹まで食って3000円/人くらい。

(3)上記タイめし屋の隣にあるジェラート屋さん、Gelocchio
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地元の方のおすすめ。観光地なのにうまああい。弊管理人はパッションフルーツ。他の方はピスタチオ(いい香り)、レモン(何かのハーブと合わせてある。酸っぱい!)、名前忘れた現地の果物(この歳まで食べたことない味)。

私物のカメラでとったサンゴ礁は、あまりすごさが伝わらないな。
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でまあ実際、沖縄でもいいかな、と思うくらいでした。もちろん地形の変化も生物の種類もGBRは豊かですけど。
透明度も15-20mで、そんなにいいわけではないです。それはそもそもサンゴが育つのは栄養豊かな暖かい海で、サンゴも動物なのでいろいろ排泄物を出したりするからのよう。これは現地熟練ガイドの方が「ぶっちゃけ実際どうでした?」と切り出したあとに教えてくれたことです。
こちらは今回利用したポートダグラス。
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仕事終わりに、地元のブルワリーでビール飲み比べとかしてしまいました。
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アメリカの資本が開発した街だそうで、こぢんまりしたアメリカって感じ、らしい。
ケアンズは日本企業が結構お金をつっこんだが、最近はだいぶ手を引いてしまったとのこと。

とまあ、なんかすごく楽しそうな日記になってしまいましたが、滞在時間のほとんどはここに書いてない仕事に費やしており、その仕事は体力的に結構きつかったです。
仕事でないと絶対行かない場所に行く貴重な機会でしたし、他部の若い同僚の熱心な仕事ぶりも参考になりましたが、弊管理人にとっては比喩的にも描写的にも「自分の意思とは関係なく、流れに逆らって泳ぐことを強いられる」毎日でした。指も手のひらも切り傷多数で温かいシャワーが痛い。素潜り苦しい(そのあとスキューバをやったらすごい楽だった)。おまけにヘルペス出た。疲れすぎて眩暈がします。海嫌いになりそうだった。

今年は11月いっぱいまでこんな調子が続きそうなのでもう無理ですが、来年からは他人の都合に左右される仕事は可能な限り「決然と断る」を実践していきたいとの思いを何段階も強くしたものです。

2016年09月15日

9月前半まとめ

あっという間に9月が半分過ぎてしまいました……

* * *

上旬、沖縄・石垣島に出張してきました。

石垣島と西表島の間にある「石西礁湖」のサンゴの白化がひどかったです。
ちょっといつもの禁を破って、仕事中に撮った写真を……

舟の上からでも分かる感じ。
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ちょっと潜るとこんな。
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白保のアオサンゴ(外から見ると分かりませんが、肉が青いのでアオサンゴ)は元気そうでした。
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予定外に日焼けしてしまった。
石垣島は6年ぶりですが、中国方面からの観光客がものすごく増えて、ちょっとしたバブルだということです。ホテルもすごく取りにくくなってました。

* * *

5月に、冬のジャケットとマフラー2本とセーターを預けたクリーニング店が
6月末で閉店していたことに
8月末に気付きました。

当然、もぬけのから。

店舗で洗っていた個人営業のお店で、預けるときにお代を払って受け取りにいくだけの店で、電話番号とかの登録はしないので、先方から当然閉店の連絡はなし。

ものすごい大事な服はなかったけど、ううむやられた。
というか、クリーニング店の閉店って生まれて初めて行き当たったかもしれない。

しかも2日に1回くらい通る道にあるんですけど、気付かなかった。
それが一番衝撃的だった。

* * *

■交告尚史他『環境法入門[第3版]』有斐閣,2015年.

経費精算したい。

2016年08月11日

鹿児島2泊(2)

最終日はひとり平和学習ということで、知覧特攻平和館に行ってみました。
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知覧町(現・南九州市)は、仕事上ちょっと関わりのあった、青色LEDの赤崎勇さんの出身地として知っていました。特攻の基地になっていたというのもその繋がりで教えていただいたことです。
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誰がどうして、どこへ何をしに行くことが特攻だったのかほとんど知りませんでしたが、太平洋戦争最終盤の沖縄戦だったのですね。ここは沖縄に最も近い基地の一つだった。隊員は17~32歳ですが、多くは20歳前後と若かったようです。
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館内は撮影禁止でした。遺書や遺品、隊員の写真などが豊富に展示してあります。
遺書はどれも達筆で端正な文章ですが、内容に大差はありません。エリート軍人たちは何のスイッチを切って自殺に向かっていったのでしょうか。自分ならやるかなあ、と思いながら見ていましたが、まあこれは意味のない自問かもしれない。その時代に生まれ直したら、それはもう自分ではないから。
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アクセスのあまりよくない田舎の街にある施設に、年間50万人が訪れるそうです。この数は県内の観光地で2番目に多いとか(1位は聞いたけど忘れた)。でも展示には外国語による解説が全くなかったですね。
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なんだか展示されている対象との連続性よりは、距離ばかりを感じる見学でした。隣の博物館と合わせて予定外に長い3時間近く見て、とても有意義だったけど。

さて、指宿に行きます。鹿児島出身、在東京の友人とLINEをしていて「南のほうに行くなら、流しそうめんを食べにいきなさい」とのお勧めをいただいたため。
桜島と並んで「県内だいたいどこからでも見える」と言われる開聞岳がどんどん近づいてきました。
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特攻隊員は開聞岳にサヨナラして沖縄の海に向かっていったそうです。

唐船峡にある市営の流しそうめんです。
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食券を買って、あいてるテーブルをさがします。14時になっていたのに、まだ随分混んでいました。
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全体は多分この3倍くらいある。すっごい広いです。
席について待っていると、頼んだそうめんと鯉こくが運ばれてきます。
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テーブルの上では、水が高速で反時計回りに回ってます。左利きには辛い方向です(左利き対応の機械も実はどこかにあったらしい)。箸を突き立てれば勝手にひっかかってくれることが分かり、残さずいただきました。

なかなかどうして、結構おいしかったです。水はちゃんと冷たいし、ちょと甘めのつゆも葱とよく合って好みでした。鯉こくは味噌汁みたいで不思議だなあ、弊管理人の地元の鯉こくは甘辛く煮たやつなんだけど、と思っていたら、味噌仕立てのほうが正統だったよう。長野のあれは本当はなんだったのだろう。(※→追記:「うま煮」だった)
意外な満足感とともに会場を後にしました。

指宿からまた北上して鹿児島市より北の空港に向かう時間を考えると、あと1カ所ですね。
砂風呂も考えましたが、ちょっと時間を食いそうなので、普通の露天風呂に寄ることにしました。
「たまて箱温泉」。
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中はそれなりに人がいて写真が撮れませんでした。でも目の前全部海、の絶景でした。
日差しの強い日でしたが、ちゃんと日よけがあって有り難かったです。
これは来る価値ありました。スバラシイ。

そのあと2時間くらいかけてひたすら北上、空港近くの「ざぼん」でラーメン食ってシメにしました。
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うーん最後までとんかつ以外の外れがなかった。
お世話になりました。いいところだー、鹿児島。

おしまいっと。

2016年08月10日

鹿児島2泊(1)

仕事が落ち着かないせい、という言い訳をしつつ、夏休みの予定を決めないまま夏休みに入ってしまい、初日を使って計画を立てたのが鹿児島です。
避暑なら、緯度を上げるか高度を上げるかです。
東北の震災被災地の様子を見に行くか、九州のジオパークを見に行くかで少し迷ったのですが、新幹線よりもジェットスターのチケットのほうが安かったので、ジオパークを取ってしまいました。

【1日目】

夕方前くらいに着く飛行機で鹿児島着。
すぐにレンタカーを借りて霧島に向かいます。
レンタカーは6月に行った沖縄の時と同じスカイレンタカー。軽を予約しておいたら事故ったとかで、お値段そのままで普通車になりました。いや、燃費悪い車にするなら値引きしようよ。

日中33度とかの南国ですが、霧島はだいぶマシです。
たまたま開館時間を延長していた霧島アートの森をざっと見ました。
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草間彌生の「シャングリラの華」って、周りの様子をあまりフレームに入れないで撮られている写真を見ていたため全然印象が違いましたが、敷地入口のロータリーでした。わわー
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時間が遅めだったので屋外部分だけ見ました。アルテピアッツァ美唄みたいな雰囲気でした。草間彌生の印象が強すぎて作品がいっぱいあるのかと勝手に勘違いしていたものの、草間作品は二つだけでした。

夕飯は霧島温泉街で目に付いた「わきもと」という焼肉屋さんで「新燃丼」。
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チーズは溶岩でしょうかね。おいしかったです。それより夕飯の時間帯に一人で来て丼だけ食って帰る弊管理人を快く入れてくれたお店に好印象でした。

お宿は、じゃらんで調べて宿のHPから取った(そのほうが安い)「霧島国際ホテル」。
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眺望はないけど安い部屋、というプランを申し込みましたが、見晴らしのいい側の部屋が空いてたというのでそちらに代えていただきました。確かに眺めは良好(写真は翌朝)。桜島も見えます。
白濁の露天風呂も相当いいお湯でした。朝飯バイキングがついて7000円ちょっとは有り難い。

【2日目】

ハイキングに行きます。
朝飯はしっかり……食べ過ぎた。
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コースはこんな感じ(下敷きにした画像は、霧島ジオパークのコースブックからお借りしました)
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大浪池の登山口にある駐車場(10台くらいしか止められない)に車を置いて、駐車場脇のバス停から8:50の霧島連山周遊バスで「えびの高原」まで行き、韓国岳~大浪池を一筆書きして車のところに帰ってくる、というコースです。最初は「えびの高原」の駐車場に車を置いて韓国岳往復だけでいいかなーと思っていたところ、ちょうどいい時間にバスがあることに気付きました。ラッキーでした。

最初はゆるゆるっと始まります。
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そのあとやや急な道が5合目くらいまで続きます。
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手前の白っぽい山が硫黄山、右のプリンみたいのが甑(こしき)山だと思う。どんどん見晴らしがよくなっていきます。
足元は赤かったりする。
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韓国岳は1700mの山ですが、バス停との高低差が500mしかないのですいすい登れます。
1時間ちょっとで頂上に到着。新燃岳と、その奥の高千穂峰が見えます。
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振り返ると火口です。写真の真ん中へん、噴火によって火口の一部が崩壊しているので、下から見ると山が二つあるように見えます。すっごい高くて怖いです。
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長野出身の弊管理人は山脈ばかり見て育ったせいか、プリンみたいな火山を見ると「山っぽい!」っつって(?)テンション上がります。

ほんじゃ大浪池に向かいますよ。
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道が整備されていて、ほとんどが階段です。下りばかりで足ガックガク。
そんでまた上り、火口のへりに立って池を見ると、森と水の青のコントラストが際立ちます。
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反対側も眺めよし。桜島もうっすら見えます。
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車を置いた駐車場に戻ると13時過ぎでした。意外と早かったですね。
「旅行人山荘」で立ち寄り入浴、500円。12~15時のみ開放とのこと。
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誰もいなかったので一枚失礼しました。館内落ち着いていて、泊まりも利用してみたいと思いました。

さて、15時が近くなってきました。どっかに宿をとって休んじゃってもいい。けど、桜島に行けなくもない。
……桜島を目指すことにしました。

いつも見てるのはこういうシルエットみたいな桜島ですが、
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「湯之平展望所」から見るとぐっと荒々しいです。
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振り返ると鹿児島市内。
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溶岩がどぅるーって広がった感じが分かりますね。
閉まりかけの道の駅で「小みかんソフト」いただいて終了気分。
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やっぱり便利もあるし、対岸の鹿児島市で投宿しましょうと決めました。
陸路回り込むと80kmくらいありますが、カーフェリーならすぐそこ。そんでお値段も安く、車と運転手込みで1000円ちょいだった気がします。
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車を運転してフェリーに乗ったの、初めてかもしんない。

天文館の近くのビジネスホテルに車を置いて、「黒かつ亭」にご飯を食べに行きました。
なんか期待したほどではなかったので、写真はなし。
白熊は正義。
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弊管理人の顔認識ニューロンはこれを顔とは認識できませんでした。

ねる。

つづく。

2016年07月18日

明日館

目白駅から7分ほど歩いたところにある、自由学園明日館の見学に行ってきました。
ガイドツアーに参加させてもらい、いろいろ聞いてきたので、メモを。
(※細部間違っているかもしれません。ご容赦かご指摘下さい)

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新聞記者出身で「家庭之友」(のち「婦人之友」)を創刊した羽仁吉一・もと子夫妻(もと子さんは初の女性新聞記者らしい)が女学校として1921年に設立したのが自由学園です。生徒には活動的な女性になるよう、着物ではなく動きやすい洋服の着用を求めたそう。その後、学園は小学校も始めるなどして手狭になったため、13年後の1934年に東久留米市へ移転しています。

校舎の設計は夫妻の友人の建築家・後藤新と、その師匠で帝国ホテルの設計のため来日していたフランク・ロイド・ライトです。夫妻から、詰め込み教育ではなく、学校生活がそのまま教育になるような私立学校を作りたいとの構想を聞かされて共鳴し、多忙のなか校舎の設計を引き受けました。

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現在、日本に残っているライトの四つの建築のうち一つがこの校舎。移転後は卒業生のさまざまな活動に使われてきたそうです。ドイツ・バウハウスの講師だったヨハネス・イッテンによる美術・デザイン学校「イッテン・シューレ」などに学んだ女性たちによる「工芸研究所」もここに置かれました。

建物は関東大震災も戦争もくぐり抜けましたが、老朽化が激しくなりました。一時は学園の経営のために売り払おうかという話も出かけましたが、卒業生や建築家らが保存運動を展開。1997年に残すことが決定され、重要文化財の指定を受けました。オリジナルをどう生かすか、調査などを経て2001年に国や都などのお金計8億円をかけた修復事業が完了しました。

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こちらは食堂。ライトの設計の特徴の一つが幾何学的な装飾だとされています。シカゴでルイス・サリヴァンらの事務所にいたとき、フリーハンドの天才とされたサリヴァンにはいつまでたっても追いつけないと悟り、「自分は定規とコンパスでデザインをする」と決めたとのこと。

もう一つは、軒高を低く抑えて水平に広く展開した「プレーリーハウス(草原様式)」で、実際に敷地に立ってみると、そのコンパクトさと、意外な軽やかさに気付きます。入口の扉を隔てた中と外で床の高さも材質も同じです。しかし、乾燥した米国中部と違って湿気とシロアリの出る日本にこの様式を適用したため、建物の傷みを促す一因となってしまったとのことです。今は下にアスファルトを敷いたり、防虫剤を床材に塗ったりして対策しているそうです。

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教室にはもともと照明はなかったそうです。現代とは明るさの感覚が違ったのでしょうか。
造りは骨組みではなく壁で屋根を支える「バルーンフレーム」という、現在のツーバイフォーの先祖に当たるような方式。中は木と漆喰の質素な印象です。

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毎朝の礼拝が行われていたホールは、入ると頭上にロフトの床が大きくせり出していて、圧迫感があります。大きな窓も全体を見ることができません。しかし、

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窓のほうへ歩み出ると、それまでの圧迫感の反動のように、俄然その空間が大きく感じられます。これはライトが他の建物にも使う方法なのだそうです。

振り返ると暖炉があります。これは団欒を重んじたライトのこだわりでもあったようですが、木造の重要文化財で火をたくのは容易ではないようです。
火をたいてもいい場合がいくつかあります。(1)寺の中で使うような宗教の火である(2)人が住んでいる建物で日常使わなければならない火である(3)申請しチェックを受けた上での使用である―の三つがあり、ここでは(3)として、冬期の夜間見学や、ここで結婚式を挙げた人たちを招いて開くクリスマスディナーの際に使っているそうです。

ここは建物を会議や会食、式典などに使いながら文化的価値を保とうとする「動態保存」を行っています。今日もある部屋で、なんと卒業生である107歳の女性の誕生会をやっていました。

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そういえば、銅板の軽い屋根ですが、何やら瓦ぶきみたいな模様というか形をしているのに気付きました。説明をして下さった館長さんに聞いてみましたが、「よく聞かれるが、なぜなのか、ここだけの特徴か分からない」とおっしゃっていました。

もう一つ、部屋のドアノブが結構高いところにあります。アメリカ人の体のサイズに合わせたのかと思いましたが、ライトが担当した部分よりも、遠藤が作ったところのほうがなお高いそうで、これも理由はよくわからないとのことでした。

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バルコニーからホールを見下ろしたところです。見学は500円ですが、100円足すとコーヒーまたは紅茶と、クッキーかケーキがつきます。おいしくいただいて辞しました。

なお、道をはさんだところにある講堂は耐震補強中で見られませんでした。建てたときは5カ月という速さで普請したものの、壁の補強をするところが壁面がほとんど窓になっており、ほぼ解体しつつ補強することになったため、2年半の工期を見込んでいるとのことです。秋に補強中の講堂を公開するそうなので、もし覚えていたら見に行ってみようと思います。

遠藤はライトに「息子」と呼ばれるほど大切にされた弟子で、一生ライト風の建築からは離れなかったそうです。一方、土浦やレーモンドのようにコルビュジエに接近していった弟子もいたのだとか。折しもコルビュジエが設計した国立西洋美術館などが世界文化遺産になることが決まり、あえてのライト(笑)を見に行く形になってしまいました。

* * *

そのまま池袋まで歩いて、ロサ会館に入ってる「チェック」でオムライスを食べました。
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大学2、3年の時にこの辺に住んでいて、その時以来なので18年ぶりくらいだと思う。
紙ナプキンにおじさんの顔が描いてあるのも当時からだった気がする。
おじさんも大分古くなってるけどたぶんこの人だったはず。
完成された味でおいしいです。今900円だけど当時いくらだったかなあ。
悶々としていた学生時代が蘇ってきて、くらくらしました。
ずっと来ることのなかった池袋西口の駅前は、抱いていた印象の70%くらいの大きさでした。

* * *

で、さらに歩いて当時住んでいた家を見に行ってしまいました。
毎月家賃を渡していたおばさんがちょうど外にいたので話しかけてしまい、話し声を聞いて出てきた娘さんともどもに怪しまれました(そりゃそうだ)が、大学名と時期を言うと、なんとなくそんな学生がいたということを思い出されたようでした。

何百回と通った路地を歩きながら、いやもう、当時はまったく想像しなかったような10数年を過ごしてしまったと思った次第です。しかし次の瞬間、それは当時から将来のことを考えていなかったからだろうと思い直しました。

2016年06月27日

久高島など

マイル消化で沖縄に行ってきました。
土曜の昼に出て、月曜の昼に帰ってくるという非効率な日程。

まあいいや。
土曜の夕飯は県庁前近くの「古都里」です。
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3点盛りはヘチマ、パパイヤ、セロリです。横のお皿はチーズののっかったオムレツみたいなやつ。これにシークヮーサーハイを頼んで生き返ったっす。
宿は牧志駅の近くにある、まんまワンルームマンションみたいなところ。
近くで、一晩だけ咲いて朝には花が落ちてしまうサガリバナも見られました。
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6月最終週なら梅雨は明けてるでしょう。
予約時にそう思った通り、梅雨は明けてました。
しかし、天気予報は雨。
日曜はスクーター借りて歩こうと思っていましたが、朝になって急遽レンタカーに切り替えました。
「トラベルレンタカー」という業者さんで、当日朝の予約で、軽、満タン返し不要、保険つきで3200円。何。

南城市の沖合5キロにある「久高島」に行くことにしました。
その理由は、この本。

■岡本太郎『沖縄文化論』中央公論新社,2013年.

1959年、沖縄各地を歩いた紀行文で、琉球の創世神アマミキヨが降り立ったという聖地・久高島のくだりも出てきます。付録として、1966年に行われた「イザイホー」という祭りを見るために再訪したときの記録も収録されています。民族学徒としての岡本太郎が炸裂してる、読むに値する本だと思います。

安座真という港から11:30発の高速フェリーで15分です。片道760円。
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出航した途端にスコールきました。
久高島に着くと、横殴りに。

もうこの調子だと観光はできないなと、13:00に島を発つ船の切符を買ってからレストラン「とくじん」にはいりました。一つぐらい思い出を作りますかね、ということでイラブー(ウミヘビ)汁の定食2000円!!を頼みました。

      すっごい待つ。

途中で船の時間を15:00に変更してきました。
で、45分待って出てきたのがこれ。
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持ってきてくれたおねーさんが耳元で「皮と骨も食べられますからね」と囁いた。いや、囁いたのではなくて、単に声が小さいだけだと思う。なんか声の小さい人多い、沖縄。弊管理人の耳が悪いのか。
もう完全に中身が入ったままぶつ切りにしたヘビですけど(ただし燻製にしたものを煮て戻してある)、味は珍味ではなく、サンマ缶みたい。皮はびろっとしていて生き物を食べてる感じはします。滋養がすごくて、食べてるそばから体が負けそうになっていました。
イラブーも結構なインパクトでしたが、一緒についてきた昆布の煮物、刻んだ葉っぱ(なんだっけ)と魚の和え物、ジーマミー豆腐、どれもおいしかったです。

レストランにいた1時間で、雨はすっかり上がりました。
今だ!っつうことで自転車を借りて(1時間半だと450円)島を回りますよ。
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浜はきれい。
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この奥に霊地クボーウタキがあるとかで、立ち入り禁止の札がついている。
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沖縄の猫ってなんか精悍だと思った。
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多分これがイザイホーをやってたところ、のはず。自信ないけど。
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その横っちょにあった家。
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結局、蒸し暑かったものの雨には降られませんでした。
港に戻ってきて、売店でぜんざい食べました。
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本島に戻って、お茶することにしました。
「くるくま」という有名なカフェに行ってみましたが、特に印象なし。
前に行った「八風畑」が閉店してしまっていたようで、残念。

またしてもスコールにあいつつ、宜野湾に行って「メキシコ」でタコス食べました。
4つで500円+ペプシ。皮がやわらかいです。めちゃうまかった。
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夜、だめ押しで「丸安そば」の沖縄そば。特に期待してなかったけど意外に満足。
弊管理人は太麺だととりあえず合格点を付けるようです。
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帰って寝ました。

翌日は朝、空港でA&W食って飛行機にのって帰りました。
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で、そのまま仕事。

* * *

仕事は相変わらず慣れず、結構詰め込んで勉強しています。
毎日どっぷり疲れて帰ります。ただ、涼しい夜が多いので比較的休めてはいる感じ。

2016年06月06日

スウェーデン再び(2)

最終日、5時間ほど間ができたので、バスに乗って北方博物館に行ってきました。
仕事先から、さまざまな博物館がタダで見られるパスをもらっていたので。

道すがら、トラックの荷台に載ったお子様たちが音楽かけながらわーわー騒いでいました。
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高校生が卒業式のあと、ビール飲んでこうやって練り歩くんだそうです。
「やめさせてえんだけど」と市役所の人、苦笑。

さて、スウェーデンの500年分を見せちゃうよ、という博物館。
1907年オープン。ネオ・ルネサンスの重厚な建物です。
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入るとすぐに目に飛び込んでくるのが、グスタフ・ヴァーサ王(位1523-1560)の像。
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横から見たら片桐はいり。でもデンマークからの独立を果たしたヒーローらしいです。
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ちなみにこの人、現行1000クローナ紙幣になってますが、6月30日をもって新デザインのハマーショルドに取って代わられるそうです。
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こういう看板もgoogle翻訳で読めちゃう世の中って便利。携帯端末を持たずにオーストラリア半周とかしてた大学時代、一体どうやって動き回っていたのか思い出せない。

閑話休題。9世紀くらいからヴァイキングがいろんなところに出掛けていって(でも出掛けてた人たちは人口の1%程度で、ほとんどは農民だったとのこと)、17世紀までにどんどん版図を拡大。でも18世紀になるとロシアに負けだして、19世紀にはもう国内のことに集中することにした。第1次、第2次大戦では中立を維持したことで、戦災を被ることもなく産業を伸ばすことができたとのことです。

館内では、調度、食、装いなど、あらゆる面から生活の歴史を紹介しています。
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どこの民族もそうだけど、この人たちは特にデコってる気がする。
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先住民のサーミについても、かなり大きな展示がありました。
ウプサラにracial biologyの研究所が設立され、国主導で人種主義に基づき、頭の大きさなどさまざまな計測がされたことをサーミの側から告発するビデオも流されています。こういう黒歴史がちゃんと首都で見られることは大きいと思う。

食のコーナーでは、コーヒーがフィーチャーされていました。
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仕事ではいっぱいミーティングがあったのですが、どこに行っても「まずコーヒー」という雰囲気でした。現地をよく知っている人に聞いても、確かにすごくコーヒーを消費する人たちらしい。パーティもコーヒーとビスケットで、という展示が上記写真ですが、その歴史は意外に浅く、20世紀初頭くらいからだということです。
街中にもコーヒーショップがいっぱいありましたが、仕事で飲み過ぎたのであえて買って飲む機会がありませんでした。

受付で音声ガイドがタダで借りられます。
結構な説明量で、途中から飛ばし気味に見ましたが、たっぷり3時間。

午後3時になったランチは博物館内のレストランで。
イワシのマリネ、冷たいニンニクと香草のソースを試しました。
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臭くて酸っぱくて塩分きつめでした。
(その反動で、夜はグリーンカレーにしちゃった)

隣にあるスカンセンという野外博物館も駆け足で見学。
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古き良き時代の建造物を集めた「江戸東京たてもの園」みたいなところです。
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でも、どっちかというと弊管理人は動物園として楽しみました。
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* * *

あと、スウェーデンの人たちはほんとに英語がよくできます。
前の滞在の時にも誰かに聞いた気がしますが、昔はテレビで自前の番組があんまりなくて、英語のドラマや映画を字幕なしで流していて、そういうのを見てみんな英語を習得したのだということでした。まじか。それから、スウェーデン語はもともと英語と結構似てるというのもあるそうです。確かにアナウンスなんかを聞いていると、朝鮮語の中に日本語っぽい言葉が聞こえる程度には英語っぽい言葉が聞こえます。

いずれにしても、自国の人以外はスウェーデン語を喋ってなどくれないので、自分で”世界語”をできるようにするしかない、という事情もあるのでしょう。結果、ずいぶん世界が広がってるように見えます。

* * *

現地のホテルは、ご招待下さった元が用意してくれていて、それが多分結構いいところでした。
各国の同業者が集まる機会だったのですが、弊管理人だけは本来の予定にちょっとミーティングを追加したので滞在を1日延ばしました。

折角ならということで、その延泊分は自分で宿を探してみようと思って見つけたのが、中央駅からわりと近いのにリーズナブルだったColonial Hotelというところ。

9000円以上するお部屋がこちらになりますw
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2人用のホステルを1人で使う感じです。バス・トイレは共用。
ストックホルムのホテルの高さは異常です。「中心部のまともな部屋で2万円以下っていうのはありませんね」と半笑いで大使館の人が言っていたのは本当だった。
でも、窓からは向かいのアパートが丸見え(カーテン閉めない人ばかり)で面白かったです。
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ベランダにテーブルセットを置いてる家が多くて、よく人が出てくる。
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朝飯の部屋では、あんましお金持ちじゃない層の白人、というのも見られました。
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メシそのものは結構よかったです。前日まで泊まっていたホテルは、この基本線にパンケーキとかオーガニック野菜とかの余計なものが加わった感じ。やっぱり卵はみんな食べたいのね。

* * *

福祉国家としてのスウェーデンを見る機会はほとんどありませんでした。
国が面倒見てくれると思うと、勤労意欲はどうなんすかねと聞いてみましたが、「働かないと年金も出ないので、みんな結局わりとちゃんと働く」とのことでした。所得の2/3は税金と社会保障費に持って行かれるものの、いっぱい稼ぐとそれなりに老後のリターンがあるというシステムだそうです。
ただ、「仕事が残ってても時間になると帰っちゃう文化だと、いくら効率的にやるといっても、できる仕事量には限りがありますよね」とも。

道端に座ってる人も結構いました。
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* * *

■高岡望『日本はスウェーデンになるべきか』PHP研究所,2011年.

行きの飛行機で読んだ。さっと読めすぎて、大半の時間はメール書いたり資料読んだりしてました。
外交官(のちょっと高めな視点)から見たスウェーデン。今回の仕事には直接関係なかったものの、歴史、気質、社会保障の仕組みなど参考になりました。

■池内恵『サイクス=ピコ協定 百年の呪縛』新潮社,2016年.
■ジョイス,J.(バラエティ・アートワークス画)『ユリシーズ まんがで読破』イースト・プレス,2009年.

こちらは帰りの飛行機。
これもさっと読み終わってしまいました。

そういえば、スカンジナビア航空のメシはそこそこよかったです。

* * *

で、時差ぼけによって2時に目が覚め、この時間↓にこれ書いた次第。

2016年06月05日

スウェーデン再び(1)

2012年に「多分もう行かない」と締めくくったストックホルムとその周辺に、また仕事で数日滞在することになってしまいました。ギチギチの日程だったので、ここに書ける仕事以外の部分があまりありません。

ある日の仕事がはけた後に、15この橋をくぐりながらストックホルムを眺める2時間のボートツアーに参加しました。日本語でスウェーデンの歴史や風土の解説が聞けるのがよかったです。

前回は一日中暗くて寒い冬でしたが、今回は夏。
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18時発の最終便にして、これ。夕暮れが来る気配がない。
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すげえ眩しいです。外を歩く仕事が多かったこともあり、日本に帰ってきたら顔が日焼けしてました。
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バルト海からメーラレン湖に入るところ。いったん水門を閉めて、水位を湖面まで上げて出ます。
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ここぞとばかりに日光を浴びる人たち。UVケアとかそういうのないの?
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スウェーデンは島の数3万。レジャー用ボートは70万もあって世界一だと言ってました。
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2004年のオリンピック開催地に手を挙げて、そのとき選手村になるはずだった住宅街Hammarby Sjöstad。
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工業地帯を頑張って土壌浄化したとのこと。太陽光パネルやカーシェアなどを導入したエコな街だが、住居費は結構高いらしい。
20時半になるとさすがに夕日っぽくなってきますが、23時くらいまで日暮れが来ません。北緯59度の威力はすごい。
早寝早起きしていたので夜は見ませんでした。これだけ夏に一日中明るかったら冬はアレでも仕方ないわな。

* * *

食べたもの、あれこれ。
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Mäster Andersというレストランに連れて行っていただき、鱈。
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ついてる白い壺はヨーグルトでした。ものを酸っぱくして食べますね、ここの人たち。
現地の食べ物に入れ込んでいるわけではないので、一人の時は大体フードコートやテイクアウェイのお店でアジアの料理を食べてました。野菜も食えるし。
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これで1000円くらいです。何食っても高い、という感覚は前回と同じ。
あと、MAXというご当地バーガー。マクドナルドが上陸するより前からあるらしい。
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タッチパネルでメニューを選んで、クレジットカードで決済します。別に窓口で頼めば、って気もしますが……

「ほら、うちってハイテクの国じゃん?」っていうフレーズを滞在中、何度か聞きました。
電話メーカーのエリクソンはスウェーデンの会社です。1900年代初頭、電話の数がイギリスより多かったとのお話も。その辺が誇りのようです。

「19世紀のスウェーデンは、貧しい国でした」というのもよく聞きました。
暮らしが厳しくて移民が続いた。これじゃいかん、ということで民主化を進めて、普通選挙入れて、工業頑張って、福祉国家にして、「んで今の豊かな生活があるのです」という、何か成り上がり社長のサクセスストーリーみたいな筋書きがよいのでしょうか。

ちなみにハンバーガー屋のレシート。
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「100%カーボンオフセットです」と書いてあります。製造過程で出る温室効果ガスを、アフリカで植林してチャラにしているということ。
アーランダ空港から市内に出る急行列車では「空港往復はこれが最も環境に優しい手段です」とアナウンスがありますし、市内を走っているバスには「バイオガスで走ってます」とペイントしてある。やたら環境環境言います。今はまあそういうのがトレンドだとしても、あえてこれはなぜかと某詳しい人に聞いてみると
(1)林業が大きい国なので、酸性雨の問題があったときに身にしみた
(2)もともと自然の中で暮らしてる人たちだから
という理由を挙げてくれました。

旅の中でときどき聞いたフレーズに「まあちっちゃい国ですから」というのがあります。人口900万人は北欧では大きいが、確かに人口規模としては東北地方まるごとで、ストックホルムの90万人はだいたい仙台くらいと思うと、小さいというのも分かる。
こういう国だから「エコを国是にするぞー」とかいう時の取り回しのしやすさがあるのかも、と推測しました。石油産業がない(輸入したものの精製くらいしかしてない)というのも理由かもしれない。でもボルボやサーブみたいな車のメーカーや、鉄鋼とかのエコアンフレンドリー産業(?)もあるんだけど、こっちは大丈夫なのかどうか。

あと今、左派の連立政権なのもあるかな、とも思ったのですが、環境政策に関しては極右の1党を除いてだいたい合意ができるそうなので、これはそんなに大きくなさそうです。電力の4割をまかなっている原発に関しては多少の濃淡があるようでした(あとは水力が大きくて、他の再エネなどがちょぼちょぼ)。現政権は「長期的に見ると持続可能とはいえない」というスタンスで、いずれ再生可能エネルギーに置き換えていきたいと思っているようです。

* * *

ABBAと、スウェーデンのポップ音楽を扱った博物館。
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ABBAって弊管理人はよく知らなかったのですが、曲を聴いたら知ってるのばっかりでした。
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映像合成でステージで一緒に歌える展示とか、凝ってて面白かったのですが、それより1920年代から2010年代までの世相と音楽を辿るコーナーが勉強になりました。

ラジオで音楽を放送するということがまだあまりなかった1920年代初頭は、ダンスサロン(踊れるレストラン)と、アメリカから訪れるポップスやジャズのバンドが人々の欲求を満たしていた。
1930年代になると、ファシズムや人種差別はスウェーデンにも波及。そうした歌詞も現れる。

1940年代、第2次大戦でスウェーデンは中立を貫いた(そしてそれはかなり批判された)。ものがなかった。音楽の選択肢もなかった。といってアメリカの音楽にも飽き足らず、スウェーデン・ジャズが勃興した。テレビの導入はどんな制度でやるかが議論になり、政府がテレビの放映を許可したのは1956年になってから。

1950年代、「ベビーブーマー」という言葉が生まれた。ロック、プレスリーの上陸(何事につけ遅い)。社会との軋轢。

1960年代、暗い時代。ヘミングウェイ自殺、ベルリンの壁、キューバ危機、そしてスウェーデン出身の国連事務総長ハマーショルドの事故死。でも音楽ではビートルズ!世界的ブレイクの前に来ていて、テレビの音楽番組に出て受けていたそう。あと、スウェーデン・ジャズも盛り上がっていた(そうなんだー)。

1970年代、やっと二つ目のTVチャンネル出来。すっごく左翼だったらしい。この時代には"progg"という音楽が生まれた。プログレとは関係なく、フォーク+ロックみたいなもので、歌詞は多分に政治的だったという。ABBAは1972年に結成、2年後のユーロビジョンで勝利。同じ服装でみんなで踊る「ダンスバンド・カルチャー」というのができた(竹の子族みたいなやつか)。

1980年代、シンセサイザーがproggを掃討。ロックにおける「ロッカー」に対応する"Synthare"の綴りについて言語学者が侃々諤々の議論をしたらしい。学生の間では、シンセかハードロックかが争われていた。アメリカではMTVがスタート。

1990年代以降はもう同時代で、知ってるでしょ?とばかりにアーティスト名を並べる感じの書きぶりでした。2011年に音楽賞を男女別に贈るのをやめた、というのはスウェーデンらしいなと思いました(先進的というにはちょっと遅い気がするが)。

* * *

続かないつもりが、長くなってお腹がすいてきたので、続く。

2016年05月03日

連休前半

■4/29

父・妹と、昨年末も行った、伊豆にある会社の保養所に行くことにしました。
関東組の弊管理人と妹は中央線特急で、父は中央高速で大月集合です。
で、山中湖方面に向かう途中に見えたこのお姿が、今回のベスト富士でした(早い)。
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この写真で、富士山の左側は雲がかかっていますが、まさにその辺に当たる須走~伊豆・箱根あたりは眺望がよくなかったので、なぜか「黒たまご」というキーワードに食い付いた父の発案で仙石原方面に逸れて黒たまごを食べに行きました。
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立ち入り規制がかかっている大涌谷で作ったやつを持ってきて売る形式で、ちょうど前日から販売再開したとのこと。執念だな。
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熱海に降りて、海沿いの道を伊東まで走って到着。
風呂に入ってメシ食って寝ました。

■4/30

伊豆半島一周してみようということで、9時ごろ出発しました。
弊管理人が強く提案した「大室山」(580m)。
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伊豆に入ったころから、こんもりした緑プリンが目に入ってきます。「何これ」って思って行ってみたくなるでしょう。
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往復500円のリフトに乗って6分。粘度の低いマグマでできた「スコリア丘」だそうで、外輪に立つと周りに高いものがないので見晴らしがすごくいいです。
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火口ではなぜかアーチェリーができるとのこと。噴火は約4000年前って、結構最近のように思えます。
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このあたりの地形がそれでできたというので、意外に重要な山なのでは。
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いや実際すごく満足度高かったです。
仕事上、独特の地形をもった地域を認定する「ジオパーク」というのがあるというのは前々から知っていて、しかし悪いけどあまり気にも留めていなかったのですが、ジオパークをテーマに旅行に行くのもありかなって思い直しました。
逆に街歩きがそーでもなかった今回、古本で買った「ことりっぷ」はあまり役立ちませんでした。
道の駅で配っていた東西南北版に分かれたドライブマップは、展望地や気安い食堂、お土産などが絞り込んだ形で載っていて、結構参考になりました。

海もきれい。
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下田のあたりにある「ごん太」で「いけんだ煮味噌」定食、1000円。
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漁師料理だそうです。結構お腹にたまりました。
父は金目鯛定食1200円の金目鯛が「小さな切り身だった」と不満げでしたが、一匹の煮付けって数千円しますしねえ。
下田は楽しみどころがよく分からず、さっさと退散。
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ペリーもこんな辺鄙なところじゃなくて、もうちょっと都会がいいと思ったであろう。
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最南端の石廊崎は船に乗って海から眺めました。

西側はわりと駆け抜ける感じで、西伊豆スカイラインも割愛してしまいました。
残念でしたが、次のお楽しみということで。

■5/1

どこを通って帰るかは悩ましいところでしたが、富士山見えるかも、ということで年末にも通った伊豆スカイラインと芦ノ湖スカイラインに再チャレンジしました。
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見えた!けど薄い!(笑)肉眼ではもうちょっと見えた気がします。
でもまあ、もう十分というくらい見たので満足しました。

忍野八海も見ましたが、しょぼめ。
しょぼいということが分かったのが収穫と素直に思います。

大月に戻って帰ろうとすると、父なぜか信玄餅の桔梗屋本社工場の見学を提案。
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信玄餅の味の本質を「黒蜜」と「きなこ」と捉え、プリンやソフトクリームなどさまざまな商品に応用していますが、いずれも意外といけました。というか「餅」じゃなくていいのだな。
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女工さんが6秒に1個のペースで包んでいるというのは意外であった。日産10万個だって。ひー

実家に帰って近所でソースカツ丼食って寝ました。

■5/2

母方、父方の実家を訪ねる日。

母方は父がもう行かないことにしているらしいので、弊管理人独りで電車に乗って行きました。
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伯母(73)がご馳走を用意してくれていた。
祖母(95)はちょっと寝ている時間が長くなったかな。
食欲は相変わらずよくあるよう。
昨年秋に転んだか何かで左手を骨折したそうですが、わりときれいにくっついたそうです。

父方は祖父の他界後、祖母はどうしているかなあと思っていましたが、見たところまだ大丈夫そう。
跡取りの叔父(うちの父は養子に出ているので跡取りではない。伯父は跡取りしない宣言済)が時々訪ねてくるようですが、腰の曲がった祖母が山間の一軒家に住んでいるのは何かと不便そうでした。

* * *

いろいろ少しずつ古びて、老病死のさまざまなケースを考えないといけない時期に入ったようです。
弊管理人が直接関わるべき課題は父、ですが、まだもう少し頑張っていただきたいと。
あと、母方の祖母がいなくなったあとの家の処分は部分的に被さってくるかもしれない。
他は基本、それぞれによろしくという感じかなあ。

連休後半はあまり予定を詰めてません。
意外と疲れを感じながら目覚めたので、今日3日はちょっとゆっくりしよう……

2016年01月31日

札幌余市小樽

この土日、マイル消化のため北海道に行ってきました。
ホテルが取れない取れないといいますが、予約サイトをウォッチしてると、1週間前くらいまでは、時々ぽっとそこそこ手頃な値段の部屋が出てました。

さて今回は旅行というより「週末を過ごす」くらいの志しかないので、ちょいちょい食べたいものを食べて過ごすことにしました。

1食目、大通とすすきのの間くらいにある「バールバールプロペッチョ」という牡蠣のお店でランチです。
牡蠣とベーコンとブロッコリーのクリームパスタ。
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あああううううまい。クリームにも牡蠣の風味がいっぱい。噛みしめた。

2食目、二条市場の前にある「寿珈琲」でチーズケーキとコーヒーのセット。
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カウンター6席+テーブル2つ?くらいの小さなお店ですが、落ち着いた雰囲気です。タバコを吸う客がいなければ長居したいのだけれど(いたので残念)。
コーヒーは丁寧に淹れてくれます。全く口の中につっかかってこないのが逆に特徴的。

中島公園の体育センターでちょっと走って、ホテルでごろごろして、夕飯食べますよ。

3食目、「魚菜」で酒菜の盛り合わせをいただきながら、奈良のお酒「風の森」を一杯。
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お酒は炭酸入ってますね。とても爽やか。
おかずは菜の花と、もろきゅう、蛸、牡蠣の山椒煮、ホタテ、梅干し、蕪のピクルス、たらこの粕漬け。
正常な嗅覚と味覚を持っていることに感謝せずにはいられません。

4食目、すすきの「とりぱん」で塩ラーメン。
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鶏白湯と、焦げた匂いと、柚。うん、オリジナリティがあるかは別として、やりたいことは分かる。店内は湯気もうもう。チャーシュー薄い。

なじみの方々とお酒をいただいて、25時にはホテルに戻りました。
寒いけど、ベルリンよりは少ーしましか。

5食目は日曜のブランチ、大通「さえら」のたらばがに&フルーツサンドイッチをテイクアウト。
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うん、まあ、おいしい、けど、800円と思うと次はないな。

余市に向かいます。
札幌→小樽の電車は進行方向右側に乗るのが鉄則。
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海が見られますのでね。でも本当に楽しむなら運転席を後ろから眺めればよいのです。
朝から腰が痛かったので座ってることにしたけど。

今回唯一入れていた予定がこれ、ニッカウヰスキーの余市工場見学です。
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そういや札幌に住んでたとき、あれだけ道内いろいろ回ったのに、ここは来てませんでした。
知人に余市に行くと言ったら「マッサン巡礼ですか?」とニヤニヤしながら言われたのですが、弊管理人はこの連ドラを見た記憶がありません。弊管理人のデスクの横には某公共放送を流しっぱなしにしているテレビがあるのに。会社にいるときはほぼ無意識で働いているからか。
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お酒っておもしろーい。
50分ほどの見学の最後にはウイスキー3種の試飲をさせてもらえます。
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ふつくしい……
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2004年にイギリスを旅行したとき、フェリーで北アイルランドに渡って、世界最古の蒸留所ブッシュミルズの見学と試飲をしましたが(それにしても今思うとよく行ったよな)、そのときよりシングルモルトをおいしく感じるようになった、たぶん。
さて遅めのお昼は、工場の食堂でラムしゃぶも惹かれるけど、やっぱり柿崎商店で焼き魚を……
と思って余市駅方面に戻ったら、休みでした。ファ○ク

予定が狂ったので、味噌汁に入れる磯のりを自分用に買って、すたこらバスで小樽に戻りました。
車窓から見える海も、いちいち寒々しくていいね。
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小樽の選択肢は「なると」で鶏+寿司、「一福」で鴨南蛮そばかなあ、と思いましたが、やっぱり新機軸を、ということで

6食目、「桂苑」のあんかけ焼きそばにしました。
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あんに入ってる白い粒々、ニンニクのみじん切りですよね?弊管理人はこういうのに弱い。
友達に勧めるかというと勧めないけど、一人旅で立ち寄ったらまた食いに来ると思う。
小樽はあんかけ焼きそば押しらしい。頑張ってほしいです。なんか街が前より寂れてるし。

7食目、ルタオでショコラドゥーブル。
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実はルタオ食うの初めてでした。これはテッパンだな、テッパン。

日が暮れて寒くなったので、これで切り上げて帰りました。
「次回攻略するお店」がいくつかできたので、また今年中に1回は来ようと思います。
明日から野菜食べなきゃ。

2016年01月24日

ドイツ

ちょっと用事があり、ドイツに行ってきました。
書けることだけ書いておきます。

【ベルリンに行く】

ブリュッセルを経由して着いたベルリンのテーゲル空港は古い感じの空港です。もうすぐ新しい空港ができて、ここは閉鎖される予定だそう。
到着ロビーを出て、市中心部行きのバス(TXLと表示されていた)を待ちます。
料金は2.7ユーロ、鉄道の中央駅(ハウプトバーンホフ)まで25分くらい。とても簡便な印象でした。
それにしても寒い。着てくる上着を間違えた、コートじゃなくてダウンだったかなあと思いました。(日程後半になって、本当はセーターが薄すぎたためと判明、市内の無印良品で特売になっていたもうちょい厚めのセーターを買って解決しました)

成田を午前11時に出て、ホテルに投宿できたのは午後6時過ぎ。でも日本時間では午前2時です。

フードコートや衣料品店などいろいろ入って便利そうな中央駅で、カリーヴルストというソーセージのカレー+ケチャップがけを食べて、さっさと就寝しました。
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ちなみにカリーヴルストは1940年代に発明されたとの説があるファストフードで、ベルリンでずいぶん押してるそうですが、某現地人の反応は「こんなもんをねえ」と若干冷めた感じでしたね。フィラデルフィアのチーズステーキ(チーズと肉片が入ったサンドイッチ)も地元民はそんな評価だったような。

その他、雑感。

・都会なせいか、英語がよく通じる
・中央駅の周辺は「まだいろいろ作ってます」っていう雰囲気。スカスカしていて、工事現場が広がっていた
・車は右側なので、横断歩道を渡るときに、いつもと反対側を見なきゃいけないのが変な感じ
・外国のホテルはスリッパないの忘れていた。旅行用に作っている持ち物テンプレに追加
・首都なのに夜暗い
・ストックホルムと違って「食べ物高い!」という感じはない
・ローシーズンのせいか、ホテルも中央駅の目の前でなんかオサレなところなのに、1泊9000円くらいでリーズナブルだった

【壁】

日の出が8時とかなので、朝はいつまでたっても暗いです。

中央駅で列車・バス・トラムの一日券(7ユーロ)を買ってみました。
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とりあえずベルリンといえば壁かなということで、電車のオスト(東という意味らしい)駅からちょっといったところにあるイーストサイド・ギャラリーを見に行きます。
こちらの鉄道は改札がありません。ときどき係の人が回ってきて「切符見せろ」と言うチェック機構(でも滞在中1回しか出会わなかった)。持ってないと高めのペナルティが課されるんでしょうね?多分。まあこれはこれでありか。

オスト駅から1キロ以上にわたって、壁が残ってます。ギャラリーと呼ばれるのはいろんな人によってペイントされているから。
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絵そのものはどうでもいいんですけども、壁って意外と低いのですねというのが感想です。
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あと、北緯52度だと冬の太陽は大変弱く、曇りがちでもあるので、まぶしいのに弱い弊管理人は大変目が楽で、ありがたかったです。
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適当に中心部行きっぽい表示が出てるトラムに乗ったら、あらぬ方向に回り始めたので、途中で降りて反対側に乗り換え、中心部に戻ってきました。

壁つながりということで「DDR(東ドイツ)博物館」にも立ち寄りました。当時の東ドイツの生活を紹介する展示がされていました。
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そんなに規模の大きなところではありませんが、混ぜ物の入ったコーヒーとか車やバイク、軍服や写真といったモノの展示、住宅のキッチンや取調室や偉い人の執務室の再現などがあり、説明書きも多くて、なかなか楽しめます。
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(↑The peace must be armed!と書いてあるらしい)
自由がなくて監視されてて、モノがなくて寿命も短くて(でも差はちょっとだった)と若干プロパガンダ的な匂いもします。なんか60年代くらいの暮らしとしては日本よりいいくらいじゃない?という印象も。
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世界遺産の「博物館の島」に渡りましたが、特段……。古代史とか美術とか、そんなに、なので。
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大聖堂はでかかった。石造りってやっぱりおっきいものできるね。色は舞茸っぽいなと思いました。

「壁」で、もう1カ所。少し北のほうにある「ベルリンの壁記憶センター」。
こちらはイーストサイド・ギャラリーと違って暗い感じでした。
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簡単に西側に行けないようにした二重の壁や監視所が残ってます。突如として壁ができた1961年から壁が壊れた89年までの間に、136人が壁を越えようとして撃たれるなどして亡くなっており、その顔写真入りの碑がたっています。
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最後の人の日付を見ると、壁が壊れる2カ月ちょっと前の89年8月。もうちょっとだったのに、とは思いますが、この頃ってもうそれなりの人たちが「早晩壁は壊れる」と思っていたのではなかったっけ?
ビジターセンターでは、当時東側に住んでいた人たちの証言が聞けたり、展望所から遺構が見られたりします。しかも無料。ひええ。
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そして、「西に行きた~い」という希望のあまりに無血革命が起きてしまった(最後はなんか瓢箪から駒みたいな感じで)、その昂ぶりが伝わります。1990年前後って、マスコミで働いていたら本当に面白い時代だったろうね。あと、暗い歴史がちゃんと見られるようになっていることは重要です。
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これは一応見に行ったブランデンブルク門。

それにしても、ベルリンの交通機関は便利。電車は数分置きに来るし、1日チケットを買えば、それをポケットに入れたまま列車、トラム、地下鉄、バスを股にかけて快調に乗り降りできます。どの駅にも電光掲示板があって「あと何分でどこ行きの列車がホームのどの辺に止まるか」が示されています。

夜は現地の方に、夕飯に連れていっていただきました。
豚肉と野菜の盛り合わせみたいのとサラダを1人前ずつ頼み、ビールで乾杯です。
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2人でシェアしておなかいっぱい。温野菜も豚もシンプルながらとてもおいしかったです。
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どうでもいいけど、ドイツのグラスって0.3lとか0.5lとかの目盛りが入ってる。
結局ごちそうになってしまいました。

【ベルリンの外】

いただいたもの、見た風景など。
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一緒に行動したグループの中でわりと仲良く喋ったのは、ハンガリーとウクライナの人でした。

・ハンガリーの彼は、「うちの大統領はEUが嫌いで、かわりにロシアと仲良くしようとしている。プーチンと組んで原発建てようとしてるけど、プーチンは危ない奴だと思う」と。立地が立地だけに悩みの深刻さが違いますなあ
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・で、ちなみに「ハンガリー来るなら連絡して。マストシーなところ教えるから」と言ってくれました。「ハンガリーにはいくつもレイヤーがあって、観光客が見ている世界の下には見えない秘密がいっぱいあるのさ(にやり)」「歴史が複雑なので、みんなジョークをいっぱい言う。会話の中にはジョークがいっぱい(たぶん地元の人が、外からきた侵略者に分からないようなハイコンテクストな(?)会話をする癖をつけたのではないか)」というあたりが面白かったです。英語はブダペストで若い世代ならまあ通じるらしいので、行ってみたいなあ。ベストシーズンは9月で、5月もいいよとのこと
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・ウクライナの彼はいい人なんだけど、醸してる雰囲気がものすごいシニカルで、とてもウクライナのイメージと合いました。「いまロシアと戦争してて大変でねー」(!)

・ハンガリーの彼は夜行列車で13時間、ウクライナの彼はバスで14時間かけて帰るそうです。ハンガリーの彼は「物思いにふけったり、本を読んだりできるから、列車は好き」と言ってました

・やっぱり英語ペラペラ陣営は、そいつら同士で固まるな
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・田舎のほうに行きましたが、すっごいきれいだった。なだらかな丘や平原が雪に覆われていて、緯度
のせいか夕暮れが長いので、東山魁夷が描くようなぼやーっとした風景をしばらく楽しむことができました

・そんなにいっぱいの地元民に会ったわけではないですが、「かっちり志向だけどしきれてない」感じの人が多くて、その点弊管理人はとても近いものを感じました
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・ドイツの人って、「まあ確かに均せば日本人よりは大きいんだけど、でも北欧の人みたいにばかでかいわけではない」というくらいのサイズで意外でした

・タバコ吸ってる人がそれなりにいるのも意外でした

・ベルリンの建物は古いのは「東側」っぽくて、新しいのはやけにガラス張り

・「メシまず説」も聞いたけど、何食べてもおいしかった(これは専ら、現地在住の方々によるお導きがあったためと思われる)

【収容所】

泊まっていたアレクサンダー・プラザっていうホテルの朝食がうまかった。特にハーブつきのクリームチーズと、ミニハンバーグっぽいやつ。
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ベルリンから一番近いと思われる強制収容所跡を見に行きました。
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中央駅から快速みたいな電車で北に25分ほどのオラニエンブルクから、さらに路線バスに乗り換えて15分ほど行くと、ザクセンハウゼン強制収容所に着きます。ヒトラーが政敵をぶちこむために各地に作った収容所の中でもわりと早い1936年にできたところで、ユダヤ人を含めた何万人もが殺され、戦後はソ連の施設になったそうです。
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東ドイツが1961年にメモリアル化して、現在は広い敷地の中に残っている建物や当時の素材を使って再建した建物などを見ることができます。
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四畳半くらい?の房が並ぶ牢屋の外には3本の丸太が立っています。そこには恐らく人が……
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日本人も登場します。「犯罪者を働かせて更生させる施設です」とのウソ説明をまんまと信じた(意訳)、と。
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「労働は自由にする」という、もうウソそのもののキャッチフレーズ。
3ユーロで音声ガイダンスが借りられます。イヤホン式ではなく、建物の前の看板に書いてある番号を入力してスピーカーを耳に近づけると、説明が聞けるというもの。耳がふさがれないのがいいです。
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それにしても、「いやな思いをする人がいるから」「論争のあるところだから」みたいなぬるい言い訳をして負の歴史遺産を”ないない”しちゃわない点はとてもいいです。中学か高校くらいの集団がいくつも訪れていました。意識的に継承していかないと、人は簡単に忘れて、簡単に記憶をねじ曲げて、同じところで躓きますからね。
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行く前は「1時間くらいで見終わっちゃうかな」と思っていましたが、どっこい3時間でも見終わらず。

ベルリンに戻って食べたのは、グリーンカレーが焼きそばと唐揚げにかかった不思議なアジアン。
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実はドイツ生まれだというニベアのお店でお土産のクリームなどを買いました。
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【朝飯】

モーニング食べに行こうと思い立ちました。
2ブランデンブルク門があるウンター・デン・リンデンに面したカフェ「アインシュタイン」です。お店の前には「こちらに並んで下さい」との看板があります。しかし7時半に行ったので、がらがらでした。
適当に朝食を頼んだら、すごい量。
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パンはいろんな種類の盛り合わせで、「セレクテッド・ブレッド」と書いてあったのでどれを食うのか選ぶのかと思いましたが、全部食えというやつでした。文面を見直せば、そりゃそうだな。
ハムもサラミもオリーブもチーズもおいしかったけど、結構塩味きつめだったのと、何より量が多かったので食べきれませんでした。お店の人に「これ2人分じゃないですよね」と念のため聞いたら、「1人分さ。これがドイツ式、朝はたんと食べないと力が出ないだろう!」とのお答え。さすがにチップを要求する店はノリが違う(ちなみに頭がボケてて計算間違いでチップ出し過ぎた。悔……と思っていましたが、カード明細見たら適正なチップに修正されてて見直した)。
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あとはベルリン―フランクフルト、フランクフルト―羽田で帰国。
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フランクフルト空港ではビールとソーセージでお金を使い切りました。機内で意外と寝られたのはアルコールが入ったせいかな。
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今回はフライトが長いので、保湿機能のあるマスクを持ってきてよかった。

2015年10月19日

秋の北海道(2)

日曜、ゆっくり起きて旭川に向かいました。
特急スーパーカムイも在札幌時代以来。
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この四角い家並を見ると、北海道だなーと思います。
特急の指定席は取らないのが普通なのも、そういえばそう、と。
旭川駅は不当に?大きくなってました。

駅から宿の送迎バスに乗り換えますが、1時間弱の間があったので「蜂屋」でラーメン。
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 ? くらい。

送迎バスで1時間半、50キロ離れた上富良野町の「カミホロ荘」に泊まります。
十勝岳連峰の中腹、標高1200mにある宿です。
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谷を向いたお風呂からの眺めがこんな。
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翌日の朝5時半を含め、4回入っちゃいました。
最後はチェックアウト後、送迎バスの出発前に。
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日曜夜は雨が降っていましたが、月曜朝から秋晴れでした。
送迎バスの車窓もすばらしい。
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空気は既に冬を感じさせる、寒い朝でした。
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札幌に戻ってきてしまったので、新しくできた六花亭の札幌本店でお土産を買いました。
喫茶コーナーもありますが、おばさまたちで混雑していたのでパス。
ここでしか食べられないというマルセイアイスサンド、立ち食いで200円です。
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どうせうまいんだろ、けっ、と思いながら食ったらやっぱりうまい。悔しい。

満足しました。バニラエアで帰京。
成田のLCCターミナルは初めて利用しましたが、なんかいろいろお店もあって、明るくて、楽しげでした。東京駅までのバスも1時間ちょいで到着。疲れたけど行ってよかったです。
それにしても予約間違いはショックだった(金銭面じゃなくて、自分がこんな間違いをするということに)。あと、マイルを年末までにまた消費しないと。

2015年10月17日

秋の北海道(1)

マイルの有効期限が近づいてきたため、その消費を兼ねて土日月と2泊3日の北海道旅行に行ってきました。
新千歳空港から札幌までは、いつもはJRで移動しますが、今回はレンタカーを借りました。
それならということで、まずは短い漁期のまっただ中、門別のししゃもを食べに行きました。
初めて参ります、カネダイ大野商店。
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店の前に干してあるししゃもを、食べる分だけ竿に通してもらいます。
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オス2、メス2というちょっとだけの注文ですが、快く席に案内していただけました。
クッキングシートを敷いたホットプレートの上に並べます。
左がメス、右がオス。
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卵を抱いてないオスのほうが、脂が乗ってるそうです。
確かに、オスのほうから先に、脂が腹からしみ出して、自分の脂で自分の体を焦がしていきます。
独りなので誰とも話すことなく、じっとその様子を見ていて、なんだか気の毒に思えてきてしまいました。
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おいしかったですが、カペリンはカペリンでいいか、と思いましたとさ。

すごく晴れていたので、思いつきで樽前山に向かいました。
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7合目まで車で行けるので、らくらくです。
15分も歩いて振り返ると、支笏湖が見えます。
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外輪山に出れば、溶岩ドームを間近に見ることができます。
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頂上からもっかい支笏湖。左側の山は風不死岳(ふっぷしだけ)です。
丸駒温泉に浸かっていると正面に見える山ですね。
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振り返ると外輪山の形が美しい。背後は白老とかのほうかな。
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帰りは帰りで、日本とは思えない風景が楽しめます。
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急に思い立って来たので、水さえ持たずに登ってしまった。
登って降りてくるまで、結構早足の弊管理人で1時間ちょいです。
地元では小中学校の遠足で来るようなイージーな山だとのこと。
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秋たけなわです。堪能しました。
札幌の中心部に向かう前に、車でないと行けないカラバトカリーに6年ぶりに立ち寄りました。
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昔食べておいしいと思ったものも、時間がたってみると記憶が美化されてしまっていて、あらためて食べてみるとそうでも……ということもありますが、これはちゃんとおいしくて安心しました。

札幌で車を返してホテルにチェックインしました。
ここで「あすの搭乗便の案内」というメールがANAから来て、予約間違いに気付きました。
「あさって」旭川から乗るつもりの便を1日間違えて予約していました。
マイルで予約したので、変更は効きません。解約しました。
旭川―羽田便を取ろうとすると4万円以上するので、それはやめて、LCCの千歳―成田便を取り直しました。あー、こんなの初めて。弊管理人の頭、いよいよやばいかもしれん。

気を取り直して、久しぶりの現地友人らとジンギスカンの有名店「だるま」へ。
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たぶん9年ぶりくらいで、全然味を覚えてませんでしたが、うまかった!
タレににんにくとトウガラシをいっぱいぶっこんで、すんごい食べてしまいました。
近くの宮越屋でお茶をしながら話し込んで、そのあとは旧知の飲み屋さんに挨拶に行きました。
お通しが豪華なお店で、厚切りベーコンの乗ったチーズハニートーストを午前1時に食べてしまうという……
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3時就寝。

翌日は、さらに北に向かいますよ。

2015年09月20日

三ツ峠山

この時期の5連休なんて慣れない。
平日3日分の仕事を前倒しでこなさなきゃいけないのも辛い。
とか言いながら結局無策のまま突入してしまいました。
とりあえず山に参ります。今回は三ツ峠山。
新宿駅から中央線+富士急で河口湖駅へ。
そこから登山口に向かうバスに乗り換えました。
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大分走ってから、場違いなキャリーバッグを持ったおねーさん2人連れが乗っているのに運転手さんが気付き、乗り間違いが判明。登山口バス停の1こ前のバス停で正しいバスに乗り継げるよう、アレンジしてあげていました。えらいなあ。

登りまーす
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下界は25度の予報。こちらの登山道は眺望はないけど、日陰が多くて気持ちよい。
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1時間半弱。あ、もう着いた、というくらいの感覚で1786mの頂上です。
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写真は甲府方面で右手に街も見えます。でも反対側の富士山方面は結構雲が多くて見えませんでした。
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頂上で結構ゆっくりしてから下山しました。
来たときとは別の、富士急三つ峠駅に向かう道です。
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絶壁とか水場とか、結構変化のある道。でも里に下りるまで2時間以上かかる長い道でした。
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ずっと下りなので結構足にきました。
ふもとに三つ峠グリーンセンターという町営の食堂、入浴施設があったので風呂に入って帰りました。
頂上の見晴らしがよくて気に入ったけど、富士山の眺望がなかったので、後日リベンジかなー

2015年09月19日

大阪出張

関西に出張する機会は去年、一昨年に比べて減りました。
今回は久しぶりで、金―土の1泊です。いつもの「仕事先と東京を一直線に結んでただ往復」と違って、やや時間的に余裕がありました。ならば食うよね。

昼飯は仕事場の近く、千里某所でちゃんぽん食って野菜補給いたします。
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終了後、梅田周辺に出てたこ焼き「カリトロ」。
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6個350円。こんにゃく入ってました。
小ビール+6個で500円というセットにも惹かれました。
朝は6時台の新幹線だったので、このあとホテルで一休み。
夕飯は難波に行って「自由軒」のカレー食おう!と思ったら臨時休業でした。失望。
で、消沈しつつ代わりに行ったのが、誰に教わったんだっけ、天ぷらの「大吉」。
頭がカレーになっていたのでテンション低めのまま、食べたいものを伝票に書いて提出しました。
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大逆転勝利。
鯵ふわふわ、大海老ぷりぷり。万願寺とうがらしもアスパラもいい香りでした。
天ぷら1品100~300円くらい。300円の品をためらいなく書ける大人の幸せ。
あと、あさりがフルヘッヘンドしてるあさり汁も秀逸でした。
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殻は床に捨てていいらしいです。ピーナッツの殻を床に捨てるのが流儀の、シンガポールはラッフルズホテルのロング・バーみたい。
元気回復して梅田周辺に戻りました。
寝酒を飲みに行ったお店では、お客さんの持ち込んだルタオのチーズケーキのお裾分けに与りました。
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旧交を温めたり、楽しくおしゃべりしたりして2時に就寝しました。

明けて土曜は、早めのお昼を食べて、さっさと帰ることにしました。
扇町駅の近くの「梨花食堂」。週替わりの「牡蠣とうずら卵のリゾット風まぜカレー」がおいしそうだったので頼みました。11時のオープンから数分後に入ったのですが、そのあとすぐにほぼ満席になりました。
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海の香りと卵のコク。初めて食ったけどこの組み合わせの案出は何かの賞に値するよ。

ということで帰りました。
今回行けなかったあれやらこれやらは、また。

2015年09月04日

マレー半島を雑に楽しむ(7日目)

最終日です。帰国便が翌日の午前1:50なので、一日市内をぶらぶらしてから空港に行くことになります。昼前までゴロゴロしてからホテルをチェックアウトし、リュックを預かってもらって外に出ました。

チャイナタウンの外れくらいにある、マックスウェル・フードセンターに行きます。
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写真右端にある「天天海南鶏飯」は長蛇の列。そこから独立して張り合ってる3軒となりの「阿仔海南鶏飯」はほとんど人がいなかったので、そちらへ。ちなみにこの2店の争いは「チキンライス戦争」として現地紙にも取り上げられたことがあるとか。一●帆布みたいな?
チキンライス350円です。この国に来て初めて「安ーーい」と思えるものを見た気がする。
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で、しかも思ったよりうまい。ご飯も味が付いてるんですね(というくらい素人)。
前日のニュートン・フードコートもそうでしたが、先に空いてるテーブルに傘とかティッシュとかを置いて席を確保してから、飯を買いに行くのが流儀のよう。お店によってはテーブル番号を伝えておくと料理ができたら運んでくれます。勝手に傘とかティッシュとかをどかされたりしないんですね。それも驚き(←見くびりすぎ)。
チャイナタウンにあるスリ・マリアマンというヒンドゥー教の寺院の入口。
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オナペッツとか思い出しませんか。しませんか。
中は「写真撮るなら300円払え」と書いてありましたが、誰も払わずに撮ってたので弊管理人も払わず撮りました。
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個人的にはふーんて感じ。

1820年ごろ建てられたとされるモスクもあります。
中を見せてもらえました。
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手とか顔とかをきれいにするところ。
「イスラム教って清潔でいいですよね」って案内してくれたおにーさんに言ったら「日本人もきれい好きじゃんね」と言われ、なんとなく通じ合った気がします。ンコしたあとお尻洗うもんね、僕たちね(笑)
お昼過ぎのお祈りの時間に当たりましたが、部屋の外から見せてもらえました。
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ちょっと遅れて入っていったおじさんに「おいでおいで」のポーズをされましたが、異教徒だめなんでしょ?いいの?っていうか弊管理人は多神教よりもなお罪の重そうな不可知論者なので、どうかお許し下さい、さらに宗教を問われて「ブディストです」って日和ったウソついたのも(笑)

個人的に仕事との絡みで興味深かったのは、廊下の貼り紙。
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クルアーンと現代科学がいかに整合しているか、逆に言うとクルアーンが1400年も前に世界の成り立ちを正確に言い当てていたことを説明しています。
この紙は、アッラーが世界を創造したというくだりをまず引用したあと、ビッグバン宇宙論を紹介してます。
それが結構本格的。COBEという観測を使って、宇宙がまだらになっていることを示した図が下に出ています。これが宇宙が誕生した直後に急膨張(インフレーション)し、その後火の玉になった(ビッグバン)ことの証拠の一つとされていると紹介しています。
さらにビレンケンなんかが言っている「無からの宇宙創生」は、まさにアッラーがやったことだと。

こちらは「天を7つに創造した」というくだりと、大気の構造について。
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対流圏―オゾン層―成層圏―中間圏―熱圏―電離層―外気圏、で7つ。
その数え方はどうかと思うけど……
でも面白いね。昔できた宗教が現代の知識とどううまく付き合っていくか。

それでは、友人に勧められた国立博物館方面に歩いてみましょう。
スピーカーズ・コーナーという広場が見えます。
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集会の自由はここにしかないらしい。
もっとも、看板の横には監視カメラが立ってますけどね。
国会の議席の9割を与党が持ってる国。政治的にはまだまだだな。
ただ、マレーシアもそうですが、運用はそんなに厳格じゃないんじゃないかと思う。

こぢんまりした国会議事堂の脇を通ったら、簡素な展示室がありました。
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パーラメントのマスコット、パーリーちゃんの目が細いのは華人の国だからか(うそ)。
全然ビーチが見えないビーチロード。
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埋め立てによって、海岸線はずっと写真手前のほうにあります。

日本統治期の犠牲者の慰霊塔。
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1942年に当地を占領した際に、中国人を集めて抗日分子を捜したものの、誰がそうだかよくわからず、かなり恣意的に大量殺戮されたとの説明書きがありました。unofficial figuresとして5万人という数字も。
ルックイーストで戦後日本との交流を深めたマハティールとはまた違い、リー・クアンユーは「こんにゃろ」と思っていたのでしょう。それでもシンガポール政府としては経済関係優先でこの件をうやむやにしたままだと受け止められているそう。

それはそうと、名門ラッフルズホテルを通りかかりました。
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ホテルの中にある「ロング・バー」は、シンガポール・スリングというカクテルの発祥の地。
今年は100周年という看板が出てまして、だったら飲んどくってもんでしょう。
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ジンといろんなジュースが入ったカクテルですが、オーダーして十数秒で出てきました。
作り置きだな。ぬるいし。
「女が酒なんて」という時代に、ジュースっぽいお酒を考案し、それが女性の飲酒を容認する雰囲気を作り出した、と功績を宣伝するカードがカウンターに置いてありました。
特にメニューも見ずに注文しましたが、会計したら3000円とかしててびびる。
そして結構酔った。

なんと国立博物館は改装中で、ほとんど何も見られませんでした!!

チャイムス。
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幼きイエスの会(CHIJ)が19世紀中葉に作った女学校です。この人たちはそのあと日本に来て、横浜雙葉学園の前身校も作ったらしい。すげえ。
捨て子の女の子もたくさん受け入れていたそうです。貧困と、寅年生まれの女の子に対する忌避から、中国系の子を多く受け入れたとの説明パネルがありました。
1983年に移転し、今は日本のとんかつ屋とか鍋ぞうとかが入るオサレ系施設になっちゃっているもよう。

シンガポールの裏原という大変残念な渾名のついたハッジ・レーン。
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アラブ・ストリートの横にあります。
あの、なんというか、ふーんと言いながら通り過ぎて何も欲しいものがない通り。
ハッジはマッカへの巡礼のこと。ここが出掛ける際のたまり場になっていた。

3Kのお仕事を担うのは、インドネシアやバングラデシュからの労働者。
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どこの国やねんという裏通り。
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150円のミルクティー飲んでたら雨が。
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日本から持ってきた折りたたみ傘をさして悠然と退避いたします。

既に夕方。あと時間潰すならここかなと、マリーナ・ベイに出て、室内植物園を見ます。
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室内を23~25度に保っているというのを聞いて、涼みに。
マーライオンさんもおった。
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結局みんなが行くマーライオンもラッフルズの像も見なかったな。全然いいけど。

隣のドームには滝。
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このてっぺんまでエレベーターで上って、ペデストリアンデッキを歩きながら降りてくるのが順路です。
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結構高くて玉ヒュンやで。

さ、ホテルで荷物回収してチャンギ空港いきましょ。
MRTで30分、200円ちょいで着きました。めちゃ便利。
都市国家って初めて来たけど面白いですね。街と街の間とか街の外とかがないのが、結構不思議な感覚です。

日中汗をよくかいたので、空港でシャワー浴びて着替えました。1600円。でもすっきりしたので全く後悔しない。大人だし。
お土産買って帰りました。

夏休みおわり。

* * *

よく休んだので、その後1週間はほぼ笑顔で仕事できました。
(9月12日)

2015年09月02日

マレー半島を雑に楽しむ(6日目)

泊まってるホテルFragrance Hotel Riversideは屋上にプールがあります。
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窓のない部屋(12000円/1泊)では電波が怪しいので、屋上で会社からの電話を受けていた弊管理人の傍らで、ぶよぶよの白人が泳いでました。うちの田舎は地下水をくみ上げて溜めてる生け簀があって、夏にはスイカをそこに浮かべて冷やしています。それを思い出しました。

なんかもうガツガツ観光する気も起きないので、ゆる観光地に行くことにしました。
MRTに乗ってハウパーヴィラHaw Par Villaに行きます。
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それにしてもここの人たち、弊管理人の思い込みに反してすごくマナーがいいので違和感あります。
降りる人が降りきるまでドアの脇で待ってるし、高齢の人(高齢の人自体が少ない感じがするが)にはさっと席を譲るし。
あと、MRT駅のエスカレーターは速いです。

で、ハウパーヴィラ。タイガーバームの創業者兄弟が作った庭園というかテーマパークだそうです。
入口からしてすごいぞ。
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わわわタイガーがバームを……
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ぬ?
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!?
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中国の民話に基づいた、教育用の地獄巡りだそうです。
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おいおい。
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教育的効果は……
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外に出ても続く不思議ワールド。
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パゴダと自由のなんちゃら。
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ちなみに入場無料です。
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口のまわりが赤いように思えますが……
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客はずっと弊管理人のみでした。
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これ見てるときにインド人老夫婦と会いましたが、表情はいくらか楽しそうでした。
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さあて帰ろうかな。
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次はセントーサ島に行きまあす。
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本島から歩道で500mくらい歩けば着いてしまう島です。
セントーサは「平和」という意味だそうです。今はユニバーサルスタジオとかがあって楽しげですが、かつては「死の島」と呼ばれていたとのこと。日本占領期は捕虜の収容所があったそう。暗い過去は殊更明るい名前で塗りつぶさないとね。
お花きれーい
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なんかでかいマーライオンもいた。
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おなかすいた。マレーシアの屋台料理がいっぱいあるフードコートでお昼食べようと思ったのに、水曜休みでした。休むなよ。観光地で。マック食っちゃったよ。
水族館だけ見て帰ることにしますわ。

水族館は海事の博物館も兼ねてるようです。
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海のシルクロードですもんね。舟でこんなもの運んでましたというでかい展示。
トンネルとか大水槽とか、美ら海っぽかったけど楽しみました。
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ペルシャ湾コーナーとかありましたが、確かにそのあたりまで「ご縁のある海」なのかも。
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歳食ったせいか、魚を何時間でも見ていられるようになりました。
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いったん宿に戻って、友人と今夜もメシ食いに行きます。

ホテル近くにあった旧警察署、現情報通信省。
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窓がレインボーなのはLGBT推しなのではなく、最近力を入れてるアートの街の一環らしい。
それどころか男性同性愛は違法だそうですよ、シンガポール。なんでレズはいいんだろう。

今日の夕飯はニュートンという駅の近くにある屋外フードコートに連れて行ってもらいました。
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2人だといろいろ食えていいね。
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左がサテー、手前のはカキ入りの卵焼き、右はオタ(鳴打)って書いてあったけどピリ辛の薩摩揚げみたいなやつ、真ん中はstingrayと言っていたのでアカエイですね、チリがかかってます。stingrayは1000円以上した。でも厚みのある白身のソテーですごくおいしかったです。
「甘い飲み物はもういいや」と言ったら、友人がココナツジュースを買ってきてくれました。
確かに甘くないスポーツドリンクみたい。
おなかいっぱいです。そして自分では頼まないであろう現地メシが食えて大変満足。

近くにあるオーチャードというオサレ通り(ほぼ銀座)に出て、屋台のアイスクリームでデザートです。
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盛りつけはカップとコーンと食パン(!)を選べますが、なんと食パンがオーセンティックなのだそう。結構重かったです。特注のパンらしく?「インドネシアでも再現しようとした人がいたが、できなかった」のだとか。

散々ありがとうを言って別れました。
「次にいつ会えるか分からないからね~」
そうね~

つづく

2015年09月01日

マレー半島を雑に楽しむ(5日目)

マラッカの朝。
agodaで予約した時には「コンチネンタルブレークファストがつきます」って書いてあったので、まあ東横インくらいのもんだろうと期待してなかったのですが。
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なんか品数すっごい多かったよ!これコンチネンタルじゃないだろう。
中庭に出て食後のコーヒー飲んじゃうもんね。
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和んだ。
さて出立するべか。ホテルのおばさんに「路線バスで長距離バスターミナルに出たいから、最寄りのバス停教えて」と相談したら「遠いからタクシーで行きなさい。600円よ」って。また600円か……
でももう面倒なので頼みました。リュック一つで1人なのに、バンが来た……

マラッカから10時発のバスで国境越えてシンガポールに行きます。
写真は運転しながら長電話するドライバーをミラー越しに撮影したもの。
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マレーシアの出国手続きのため、一度入管の施設でバスを降りて手続きします。
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それでまたバスに乗って、今度はシンガポールの入管施設で入国手続きをします。
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あっさり終了。
コーズウェイという橋を渡れば、その向こうはもうシンガポールです。
橋の横にある青いパイプは水の通り道。シンガポールはマレーシアから水を買っているそうです。
シンガポールに入るとがらっと風景が変わります。
街きれいだなー
いい車走ってんなー
バスターミナルに着いたのは14時半くらいでした。

ちょっと歩いたところに両替屋があったので、使い残したマレーシアリンギットと「イチマンエン」(←両替屋がこう言った)をシンガポールドルに換えました。結局マレーシアでは4日いて1万円使わなかったな。1シンガポールドルは90円くらいです。
チェックインの15時までもうすぐですし、お昼食べましょう。
ターミナルの近くに「アラブストリート」がありました。英国統治時代の民族別居住区の名残のようです。
ヴィクトリーというアラブ人ぽい人たちがやってるお店を覗いたら、なんかすごい笑顔で迎えられてしまいました。マトンのムルタバを頼みます。だいたい600円。
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「どうやって食べるの?」と聞いちゃいました。カレーに浸けてお口に運ぶだけだそうです。キュウリは付け合わせらしい。お好み焼きっぽいとか形容されますが、なぜか実家でよく食べていたミンチのオムレツに似た味でした。おいしい~
歩いてホテルに向かいます。
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シンガポールは8月でマラヤ連邦からの独立50年を迎えました。
街のあちこちに、さまざまなデザインの「SG50」が飾られています。
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なんか観光スポットっぽいものがいろいろ見えましたが、荷物を宿に放り投げたいので、まずはチェックインを急ぎました。というか、もう観光はいいかな~という気分。

留学時代に同じ寮で仲良しだった3人のうち、中国系インドネシア人の女の子がいまシンガポールに住んでいます。16年ぶりにご飯食べようよーとフェイスブックで呼びかけたところ、2晩連続で夕飯を食べることになりました。
18時にチャイナタウンで待ち合わせて、彼女のお薦めで「松發(ソンファ)」という名店にバクテーを食べに行きました。
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マレーシアのバクテーとは大分違います。豚肉ホロホロ!うまい。
ごはんや揚げパンと一緒に食べるのもいいけど、麺もいいよ~と言われたので、麺をチョイスしました。シンプルだけどすごくダシが効いてます。

1999年、弊管理人も彼女も寮の1年目でした。彼女はその後、インドネシアに戻って、結婚して、永住権を持っていたシンガポールに移り住み、子供が生まれて、8月から会計の仕事を再開したそうです。
「インドネシアのご両親は呼び寄せないの?」と聞くと、「親はシンガポールはせかせかしてて好きじゃないみたい。ジャカルタはマレーシアみたいにのんびりしてていいんだって。自分も引退したらジャカルタに戻ると思う」とのことでした。「でも子供の教育にはシンガポールのほうがいい」とも。
彼女は16年でちょっと大人になったけど、弊管理人のほうがもっと変わり果てていたかもしれません。お互いの「その後」を交換したら、あとはもう昔話と雑談に花が咲きます。
食べ終わると外は長蛇の列でした。

マリーナ・ベイに連れていってもらいました。地下鉄のカード(PASMOみたいなやつ)も彼女の助けによりあっさりゲット。
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これも独立50年記念のデザインでした。
悪趣味ホテルと、悪趣味ツリー。
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クアラルンプールとは別世界だと思う。
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ちょっと腰掛けておしゃべりしました。
「子供がいなかったら私ももっと旅行するかもなー」
ショッピングモールがありますが、これはご多分に漏れず吹き抜け。
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フードコートでジュース飲みながら、弊管理人のタブレットで昔の写真を見ながらわいわい話しました。

疲れて寝る。
つづく

2015年08月31日

マレー半島を雑に楽しむ(4日目)

宿でBBCを見ていると、Bersih4は結局、マハティールが駆けつけて応援したほかは特段の見るところもなく、予定通り真夜中に終わったようです。制御されたデモが一番権力にとって利が大きいということが当局に分かっていてこういう展開になったのだとしたら、結構すごいと思います。
どれくらい自律性があるか分からない現地テレビを見た限りでは、すっかり雰囲気は独立記念日に塗り替えられていて、街の窓窓には国旗が下がっています。日本でも古いおうちとかで祝日に日の丸を掲げるような、あれ。

本日はクアラルンプールを離れて、南東に約140キロのマラッカに向かいます。
TBSバスターミナルという、南に向かうバスが発着する巨大ターミナルまでは、空港行きの特急で7分くらい。確かこれも150円とかだったような気がします。
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空港のLCCターミナルみたいで、とてもきれいです。
特に予約しないで行ったものの、朝8時に着いてあっさり8時半発のマラッカ行きの切符が取れました。300円。やっす!!
設備はだいたい日本の高速バスと一緒です。うとうとしているうちにマラッカの中央バスターミナルに着きました。
ブランチくらいな時間帯に小腹がすいたので、朝マックします。
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卵とハムのラップ。ハムはチキンて言ってたかなー。トレイに敷いてある紙には「ハラールですからね!!」と書いてありました。

何を考えているのか、バスターミナルは街からかなり離れたところにあります。
30円で乗れる路線バスも出ていますが、下調べをしてこなかったので、どのバスに乗っていいか全く見当がつきません。仕方なくタクシー。
マラッカのタクシーはメーター制ではありません。450~600円の間で交渉成立したらまあいいとせよ、といくつかのサイトに書いてあったので交渉しましたが、ターミナル内にあるタクシーカウンターの親爺は600円の線を譲らないので、もうしょうがないということで妥協しました。
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中心部のオランダ広場まで行くという約束で出発しましたが、ぼっろいタクシーのおっさんは街に近づくと、「今日は独立記念日で交通規制がかかったりしていて近付けないので、ここで降りろ。もう歩いてそんなにかからないから」と言い出しました。
「だめ、ちゃんと連れてけ」
「車動かねえ」
「(地図を示して)じゃあ今どこにいるか教えろ」
「(老眼か何かで)見えない」
「ふざけんな約束が違う」
「後ろの通りを5分でマラッカへようこそっていう看板があって、左に曲がれば着くから」
「おまえの訛は何言ってるかわかんねえゆっくり喋れ」
「後ろの、通りを、(略」
らちがあかないので600円投げつけて降りました。タクシー大嫌い。
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マラッカへようこそ、というかインド人街へようこその看板。意外とすぐあった。
観光の中心らしいオランダ広場ってこんなところです。
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街ごと世界文化遺産だそうです。観光地臭ぷんぷん。
友人が「行っておくべき。でも一度行けば十分」と言っていたので、1泊だけにしておきました。

まずは広場に隣接するザビエル教会とやら。
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1849年築だそうです。
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手を合わせるのは流儀が違うような気がしますw
お隣はマラッカ歴史博物館。1650年ごろ建てられた旧オランダ総督公邸・兼・市庁舎です。建物名はStadthuys。スタダイスとはなかなか読めないです。
マラッカ王国、ポルトガル、オランダ、イギリス、日本、イギリス、マラヤ連邦、マレーシア。
やっぱり侵略者の一部として登場する日本。
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鄭和の部屋は英雄物語的な造りでした。
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高校世界史でやったやった、と思ってwiki見たらムスリムの子で宦官出身なのにすっごい旅してる、この人。面白そう。そのうち1冊読もう。
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高台に建っているので、見晴らしいいです。
博物館はマレーシア人150円、外国人300円。なんだとー!と少しむっとしたものの、歴史博物館の裏に文学、教育、行政の博物館があって盛りだくさんで、まあいいかと思い直した次第。
丘の上にあるのはザビエルの遺体が安置されていたというセントポール教会の廃墟、かな。
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チェックインできる午後3時も近くなってきたので、オールドタウンに参ります。
左側に見えてる塔はモスクです。
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1646年にできた道教のお寺(チェン・フーン・テン寺院)もあります。
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ショップハウスといって、1階が店舗、2階が住居、鰻の寝床みたいに細長い建築がこの街の典型だそうです。その中の一つに入ってコーヒー飲みました。
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やっぱり甘い。コーヒー(Kopi)にはOとCがあって「何これ?」と聞いたら、Oは茶色、Cはミルクだとのことでした。ミルクはどうやらコンデンスミルクらしい。

もう暑いしリュック重いしということで、3時ぎりぎりにチェックインします。
ホテル・プリ。
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1822年築、1840年に華人のゴム園オーナー、タン・キム・センが買い取り、その後ホテルになったとのこと。
入るとこんな感じです。奥にフロントがあります。
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なんと奥行き100m!!
お部屋は6000円。必要最低限だけど、いい感じだね~
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窓から見えた緑は、中庭の植栽でした。
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中庭からアクセスできる史料室。
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こんな写真もあった。
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日本はもともと東南アジアに自転車を輸出しており、これを利用してチャリに乗ってマレー半島をシンガポールまで南下していったという。「銀輪部隊」と呼ばれたそう。こんなん来たら「なんじゃこいつらーー!」と思いそう。

けっこう探検のしがいがある建物です。鯉のいる池つき吹き抜けも。
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重い荷物を置いて、ジョンカー・ウォークという通りへお散歩に出ます。
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純正豆腐水って何だろうな。
買い食いは、ドリアン入りのシュークリームみたいなやつ。一口で食えって。
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くっせ!
そういえばホテルの入口には「ドリアン持ち込み禁止」とあった。
こんな自転車タクシーが音楽鳴らしながら通り過ぎていきます。
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ちょっと恥ずかしくないかな。しかも夜になるとこうなります。
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もう観光地はいいや。

汗まみれの下着を洗面台でお洗濯して寝ます。洗剤とピンチ持ってきてよかった。
それにしてもこの国は、ホテルにランドリー設備がないな。
夜にテレビをつけたら、独立記念の式典を盛大にやってました。
当地マラッカでも何かあったらしいけど、散歩した時間帯にはもう終わっていた模様。

つづく

2015年08月30日

マレー半島を雑に楽しむ(3日目)

3日目は、ちょっと遠出をしてみます。
念のため、デモをやってるムルデカ(独立)広場に近寄らないとすると、市内で見たいものがあまり思い浮かびませんでしたので。
この不穏な空気の中でリンギットが安くなったようで、旅行者としてはよかった(不謹慎)。

目指すはこちら、

クタム島。

まず、クアラルンプール中央駅から列車でクランという地域の終点まで行きます。
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切符は窓口で係員から買う方式。1時間ちょっとかかる距離ですが120円くらい。
ここは交通費がほんとに安いです。
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女性専用車があるんですね。
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電光掲示板で何時到着というのが常に表示されてますが、運行を常に監視しながら予想到着時間を出しているようで、駅に電車が近づくと数分、表示が揺れます。
マレーシアの独立記念日を次の日に控えているせいか、車内で国旗が配られました。
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終点のクラン港駅で降りて、目の前にあるフェリーターミナルから船に乗り換えます。
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中国系の人ばっかり。乗り込んでから210円払います。
沖合10キロくらいのところらしいのですが、1時間くらいかかりました。地図を見ると、いくつかの島を回り込んでいくから道のりは結構あるのでしょう。
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クタム島。すべての建物が橋桁の上にあるマングローブの島です。日帰りの観光地らしい。
船着き場の周辺は、民宿やレストランがひしめいていて賑やかです。
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クタムはカニという意味だそうで、橋桁の下を見るとカニがいっぱいいます。
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食堂の店先にもカニの入ったバケツが置かれていましたが、あまり食欲はそそらないな。
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正直、あまりきれいな景観ではない。
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住民はほとんど福建省出身だそうです。こちらは南天宮というお寺。
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なぜかアイスクリームの天ぷら押しのお店がいくつか。
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何して暮らしているんでしょう。
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あんまり(弊管理人の)英語が通じませんでした。
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ここまで来たら海鮮食えという話ですが、なんとなくうまそうに見えなかったのでチャーハン食って昼食としました。
帰りましょう。帰りは来たのとは違ってかなりオープンな感じの船。
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行きとはちょっとコースが別だった。何かの養殖場でしょうか。
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いくつかの船とすれ違ったのですが、黄色と赤の旗を掲げていました。
あとで調べたら、セランゴール州の旗だったもよう。
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やはり1時間くらいでクランの港に到着。

日本の仕事先から電話が入って
「けさメールしたんですが」
「はい見てませんけど」
「明日、(結構前に面談お願いしていた某偉い人に)アポイント入れられました、という内容です。こられますか?」
「マレーシアにいるので無理です」
「帰ってこられませんか」
「んなわけないですよね」
「じゃあ再調整を……」
「あとでメールしますから」っつって切りました。
いや偉い人の調整が大変なのは分かります。けど、ショートノーティスすぎるだろう。
鉄道駅でiPadでメール打つ弊管理人。会社は社用携帯のデータローミングは高いから使うなというので、地図見たりすることもあるだろうと自分でwifi借りてきましたが、仕事に使うのは癪に障ります。

車窓を眺めながら電車で帰りました。
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郊外にはトタン屋根の家や未舗装の道路もまだ多いです。
でも、高層マンションも見えたりする。こちらのマンションはてっぺんに三角屋根がついてるのが多くて、パック売りのシメジに似てるなとか思いました。

車内のべからずピクトグラム。
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飲食、喫煙、ペットの持ち込みは駄目、というのは分かりますが、「ガムだめ」は面白いです。シンガポールは国内へのガム持ち込み自体がだめで、それは某国人がべたべたいろんなところにガムを貼るのにブチ切れたためだというのですが、まあ似たようなご事情なのでしょう。あと「イチャイチャ(indecent behavior)禁止」はイスラム教国だからかな。
それを厳格に守らせるかどうかは別問題ですが、それでもマナーはいいなーと思いました。

中央駅で乗り換えて、一応ペトロナス・ツインタワーを見に行きます。
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ブルシのシャツの人たち、全然堂々と歩いてます。着用禁止のお触れが効いてない。
KLCC駅で降りて、またオサレなショッピングモールへ。
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どこのショッピングモールか分からないくらい造りが似てます。
夕飯はやはりフードコートで、自分で何品か選ぶごはん。
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マトンカレーとタンドリーチキンとキャベツとビリヤニ。至福ーー
しかしフードコートって大体何食っても1食500円前後になるな。

KLのシンボル、ツインタワー。
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うん、見た。帰って寝よう。
ざっと通り雨が来ました。途端に気温が下がり、とても過ごしやすくなりました。

つづく

2015年08月29日

マレー半島を雑に楽しむ(2日目)

ホテルの部屋の遮光カーテンが優秀なのと、涼しいので、8時間くらい寝て起きました。
ンコして始動します。便器横にあった謎の器具……
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持ち手のところを強く握ると水が出ます。ムスリムの人がお尻を洗う用でしょう。
そりゃシャワートイレがイスラム圏で売れるわけだ。利用させていただきました。
最初は力加減と標的に当てるのが難しく、シャツの背中が濡れたりしました。
しかし、やはりお尻は水で洗いたいものです。有り難い。

JALの機内誌がちょうどクアラルンプール特集をしていて、エッグタルトのおいしいお店がホテル近くにあると書いてあったので、それを求めに出掛けました。
ザギンとは言っても、大通りからちょっと入るとこんな街。
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地元の人が朝飯食ってます。

なんか見つからないので、それなりに人の入ってるお店に呼び込まれてみました。
醤油味っぽい汁で豚肉や野菜を煮込んだ「肉骨茶(バクテー)」が自慢らしいので、それと、サトウキビのドリンクを頼みました。
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角煮と白菜とマッシュルームとかの鍋って感じ。うまいです。
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お店はこんな。
ここに限らず、どこも建物の中は扇風機がいっぱい取り付けてありました。
北緯3度です。確かに暑いし汗もかくんだけど、東京の7月15日くらいって感じでしょうか。日陰で風があるとそんなでもないね、という。気化熱とクーラーの冷気を、風を回すことでうまく使っていると思いました。
四季のあるところから来てみると、1年中これじゃきついですが。

お腹も膨れたので、観光しますか。
お昼前に中央駅に出てみると、黄色いシャツの人たちが集まり始めています。
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14時から翌30日の真夜中まで、市内中心部の独立広場など、国内で同時多発的にデモをやるとのことでした。Bersih(ブルシ)=「清潔」という意味の団体だそうです。Bersih4.0というので、これまでにも何度か抗議行動をしているのでしょう。選挙制度改革を訴えているという情報もありましたが、今回はどうも、ナジブ首相の個人口座に700万ドルという多額の資金が入ったという政治腐敗疑惑を追及しているようでした。

在マレーシア日本大使館のサイトでも注意喚起があったように、デモはどう暴発するか分からないので油断は禁物です。しかし事前に政府が着用を禁じた黄色いシャツもみんな着てるし、なんかお祭りっぽい感じでわさわさ楽しげだし、そんなに大事にならないんじゃないかな~などと思ってしまいました。

(結局、予定通りデモをやって、30日の深夜には終了して、31日の独立記念日は普通に式典が開かれてました。元首相のマハティールが会場に来て「ナジブを排除せよ」と刺激的なことを言っていたのをBBCで見てびっくりしましたが、その後マハティールは警察の事情聴取を受けたようです。訴追の可能性は低いとのことです。なんかゆるゆるですね)

中央駅から10分くらい歩いたところに国立博物館があって、そこに向かったのですが、太い道路が何本も通っていて、どうやって辿り着いたものやら分かりません。
道を聞いた人も「分からない」と言ったものの、なんと親切にも警察官のところまで行って行き方を聞いてくれました。「ハイウェイを横切っていくんだよ~」。そうなの???
そうだった。歩道ついてます。交通量がそんなにないから信号なしで横切れるけど、怖ーーー
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(ひょっとしたらハイウェイじゃなくて、ただの太い国道だったかもしれない)

博物館であります。
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展示はなんと地質時代から始まります。東南アジアのイスラム化とかマラッカ王国とか、高校世界史の難所の一つだったような気がしますが、とにかくいろんなところからいろんな人たちが来た様子が分かります。
当然、第2次大戦における日本の侵攻も1コーナー割いて扱われるわけです。
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でもやっぱりこれがハイライトかな。
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1957年、イギリスから独立の確約を得て帰ってきた初代首相となるトゥンク・アブドゥル・ラーマンがMerdeka!(ムルデカ=独立)と7回叫んだ場面。マレー、中国、インド系など多様な民族と文化と言語が溶けないままに混ざり合いながら「一つのマレーシア」を掲げる社会の原点。

次はちょっと歩いてイスラム美術館。
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白と青が基調のきれいな建物です。
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中もかなり広いです。
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各地のモスクのミニチュアなど。
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モスクの原型は、メディナにあったムハンマドのお家の離れで、柱廊式の玄関と階段、お祈りの方向を示すキブラと、ミナレット(塔)、ドームといったいくつかの基本要素を組み合わせた変奏といえるようです。中国とかインドとかに伝播して、現地の文化と混ざり合って様式が変わっていくのも興味深いです。
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テンション上がります。
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どうやら、弊管理人は細かくてごちゃごちゃしたデザインが好きみたいです。
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あと、説明書きを見てると、ムハンマドやアッラーの名前の後に必ず花押みたいのついてますね。
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医学などの学問もずいぶん進んだ。
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では次は、すぐ近くにある国立モスクを見に行ってみましょう。
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お祈りの時間帯でなければ、ビジター用の入口で名前を書いて靴を脱げば、誰でも入れます。
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ただし半ズボンとかタンクトップとかの露出の多い服装をしている人は、入口で貸し出している服を着ないといけません。弊管理人は長ズボンに襟付きのシャツでそのままパスでした。
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これがお祈りの部屋です。ご神体があるわけではないので、がらんとした広間という印象。
正面真ん中がマッカの方向です。方向が分かるスマホアプリもあるので外でも心配ないんだって。
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特にその部屋でお祈りしなければならないということはないそうで、外でやってる人もいました。
モスクはいつも開放されているので、ムスリムが寝転がったり座ってぼーっとしたりと、リラックスする空間としても使われているとのことです。
「ところで寝たきりの病人とかどうすんの」と施設の人に聞いてみましたが、できる方法でやればいいんだそうです。
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座ってる人たちはスマホいじってました。
そういえばこの国もやっぱりみんなスマホいじってます。
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道すがらみた軍隊もタブレットでゲーム?に興じていた。デモ警戒ですかねえ。

モスクの外には屋台が立ってます。もちろんハラール。野菜たっぷりチキンハンバーガーを買って食べました。
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一度ホテルに戻って、ブキッ・ビンタンのパビリオンというショッピングモールへ夕飯を食べに行きました。
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なんか地元民自慢のモールらしく、何人かから「あそこ行った?」と聞かれました。
確かに高級ブランドとかが入った相当シャレオツなモールです。
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しかし、こういう良いトコのモールはどこも似ていて、でっかい吹き抜けがあって、その周りをちっちゃいお店が取り囲むようにしています。ブランドはどこも似たり寄ったり。
あと、「ここは衣類のフロア、このあたりは雑貨」などとゾーン分けがされてないようで、ところどころに設置してあるディレクトリで探さないと、どういうジャンルのお店がどこにあるかが分かりにくいと感じました。

地下のフードコートも大規模できれい。台湾や韓国、香港料理もありました。
結局鉄板焼き食っちゃったけど。
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あとなんかよくわかんないマンゴーのデザート。
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満腹。22時に寝ます。いつもはこんなにうだうだ寝られないもんね。
つづく

2015年08月28日

マレー半島を雑に楽しむ(1日目)

夏休みにちゃんと休まないと秋が辛い、というのが経験から分かったので、今年は盆休みのほかに1週間の夏休みを取ってマレー半島に行くことにしました。

今回は成田を午前発の便でJALでクアラルンプールに入ります。
日暮里からスカイライナーに初めて乗りましたが、速い!
普段使いのリュック1個が荷物の全てなので、自動チェックイン機で手続きをしたらさっさと出国します。
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約7時間のフライト。機内食のナシゴレンは今ひとつでした。
腕時計の時間を1時間戻します。

2月にメルボルンに行った際には乗り継ぎだけで通り過ぎてしまったクアラルンプール国際空港。ATMでマレーシアリンギット(RM)を1万円分くらい下ろして、市内に出ます。ざっと1RM=30円。
直通の電車は1000円、35分くらいでした。切符はタッチパネル式の自販機でクレジットカードを使って買う。
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みんな整然と乗ってえらいな。車内も静かでした。

午後6時過ぎくらいに中央駅(KL Sentral)に到着しました。
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大きいんだけど、国の中央駅としてはかなりこぢんまりとした印象です。あと薄暗い。
でも、ここと直結してるショッピングモールは結構大規模でした。
後々書きますが、同じような造りのショッピングモールが至る所にあります。
浅黒い人達が多くて、異国に来たなあと感じます。

2両編成のモノレールに乗って、ホテルのあるブキッ・ビンタンという地区に向かいます。50円くらい。グーグルマップに聞くと歩いても30分くらいだそうです。
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自販機で、プラスチック製のコインみたいな形のトークンを買って、それを自動改札にかざして通る方式でした。市内道路の混雑緩和に貢献すると期待されているとのことです。

ホテルはCAPITOLというところにしました。
「日本でいうと銀座みたいなところ」とガイドブックに書いてあったので、まあそんなところなのでしょう。お部屋は結構広くて一通りのものが揃っていて、1泊6000円くらいです。東急ホテル相当、くらいかな。
お部屋からはKLの象徴、ツインタワーのライトアップも見えました。
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マレーシアでは水道水が飲めないそうで、600mlのミネラルウォーターが毎日2本、宿泊客に供給されました。

ホテルに着いたころには日も暮れたので、夕飯夕飯。
近くにあるジャラン・アローという屋台通りに出ます。
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こんなとこ。おいしそうな匂いが立ちこめてます。

なんとなく人の多いところが美味しいのだろうと思って、それっぽいところの呼び込みのオバチャンにひっかかってみました。
チャーハンとキャベツのニンニク炒めをオーダー。
料理にはSサイズの設定もあり、独りでも問題なく食事ができるのが嬉しいです。
あと、冷たいお茶を頼んだのですが、そういえば氷は大丈夫なのかなあと思って、ちょっと飲んでやめておきました。なんか大丈夫だったようですけども。
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全然マレーシア料理じゃないですけどね。お米食いたいもの。これで600円。
食ってるとプラスチックのカップを持った老人が寄付?を要求してきましたが、無視しました。

中国系のお祭り的な何かで近くで火を燃やしており、灰が降ってきたので早々に食って退散。
ホテルからは徒歩3分くらいです。歩行者が誰も信号を守りません。これは後で訪れるシンガポールとは大きく違うところでした。

ホテルに戻って、日本から借りてきたwifiを使って情報集め。
現地情勢をよく調べて来なかったのですが、翌29日~30日にかけて大規模なデモが計画されていたらしく、市内中心部の見所が集中しているところが情勢不安定になりそうとのことでした。この国ってデモ禁止ちゃうん。テレビをつけてみましたが、マレー語と中国語のチャンネルを見ても意味不明だったので情報収集停止。そんなに頑張って観光するつもりもなく来ているので、まあいいかと。

前の日の勤務が夜勤だったのと、長時間移動で疲れて頭痛がしてきたので22時くらいに寝ました。

つづく

2015年08月16日

盆休み2015

12日から3泊で出掛けてました。

4月になんとなく始まった家族旅行シリーズで、弊管理人と妹が東京からバスに乗り(意外と混んでいて2時間遅れ)、松本で父と合流して白馬へ。
白馬八方スキー場の近くにある「しろうま荘」に投宿しました。
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早速温泉に入ります。強アルカリのお湯。
夕飯はこちら。
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地元の豚、米、山菜を使った、派手ではないけどとてもおいしい食事でした。
このほかに青豆と玉葱の天ぷらも出ました。
夜7時には父親が寝付き、弊管理人も11時には寝ました。
翌朝のごはん。
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お米がおいしい。もちろんおかずも。
そば粉のガレットが印象に残りました!
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あまり天気がよくなかったのですが、ざあざあ降りにはならないだろうと踏んで、栂池の自然園に行きました。
ゴンドラとロープウェイを乗り継ぐと、すぐ着きます。
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標高2000メートル前後の高層湿原周辺は、木道が整備されていてかなり歩きやすいです。
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トリカブト。
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ワタスゲ。
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チングルマ(の花が終わったあと)。
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最も晴れた瞬間でこれくらいでした。
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展望湿原(2010m)に着いたときも視界はよくありませんでしたが、ちょっと待っていると雪渓がチラ見できました。
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結局6kmくらい歩きました。
ヒュッテに戻って「サルナシ」のソフトクリーム300円。
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マタタビの仲間で、品種改良したのがキウイフルーツだとのこと。
下山して、小谷村の道の駅で一休み。
そのあと、13日の宿である「雨飾荘」に向かいました。チョイスは父。
小谷村にある雨飾山にある宿です。今はとてもしっかりした建物ですが、20年以上?前に父が泊まりにきたときには普通の山荘だったとのこと。
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脇には妙高に抜ける林道もありますが、昨年11月の地震で損傷したらしく、通行止めになっていました。
宿の脇には、森の中の露天風呂もあります。
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ロケーションはとてもいい。アブが多いけど。
宿のお部屋はとても広くて、窓の外は山!
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夕飯はすっごい気取ったコースですが、いちいちおいしいです。
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イワナの刺身、初めて食べました。
内風呂はこちらもアルカリ泉。
糸魚川はすぐそこ。明けて14日の朝飯にはノドグロの開きが出ました。
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近くの鎌沼は、紅葉の季節に訪れるといいようです。この日は霧で何も見えませんでした。
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というわけで、さっさと白馬~中条を通って長野市に出ました。
ななな長野駅が新しくなってる!
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1500円のそばもいいのですが、県庁勤めだった父が「安くてうまい」と勧める藤の家で700円のざるそば大盛り。父と妹は880円のそば定食でした。うまい~
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そのあと、なんとなく30年前に住んでいた家と、20年前に住んでいた家を見に行きました。
父は結構行き方を忘れていて、弊管理人がナビをすることになりました。
こんなに狭い道だったかなあ、と父。
まだ残ってた。一同しばし見入りました。今は人の家なんだけど。
そして弊管理人の原風景はやはりリンゴ畑だと再認識。
そのまま小布施に出て、もと魚屋のパティスリー「ロント」でおやつを食いました。
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わあなにこれすっごいおいしい。
というか父、なんでこんなとこ知ってるの。

というわけで小布施のスマートICから高速に乗って実家に帰りました。
天気は今ひとつだったけど、家族で旅行することに意味があるのです。ほんとにそう思う。

* * *

5月の連休は祖父母に会わなかったので、15日に父から車を借りて、独りでぐるっと回ってきました。

・父方の祖父母
祖父(93だっけ)が5月に肺炎になって1週間ほど入院して以来、体が弱ってしまってほぼ寝たきり状態で療養病棟に入っているとのこと。これ典型的な廃用症候群だろうな。
祖母が山の中の家に独りでいて、近くにいる父と叔父が交代で病院への送り迎えなどをしているそうです。
もう農業もやっていないのかなと思いきや、売り物にしているわけではないがトウモロコシやスイカを作っているそうで、少しご馳走になりました。
いらちな父の運転で来ると、せかせか訪れてせかせか帰っていくことになるのですが、久しぶりにゆっくり祖母と話すことができました。
祖父は入院初期、病院は嫌だから家に帰りたいと言っていたものの、祖母がよたよたしながら世話をしているのを見て「やっぱり病院でいい」と言って戻ったそうです。祖母によると、祖父は体はもうほとんど動かないけれど頭ははっきりしていて「それがかえってかわいそう」とも。
このあと父に病院に連れていってもらい、祖父にも会えました。うーん確かに結構弱ってる。
90過ぎて胃がんが見つかったとき、手術をするかどうか散々迷った挙げ句に手術をすることにし、しかしそれを契機に衰弱が始まってしまったのかなと思います。
90を過ぎると結構な割合の人が手術をしないという選択をします。しかし弊管理人は当時、意見を求められていろいろ考えた末に「する」ほうに一票投じてしまったため、後悔しています。

・母方の祖母
5月の法事をめぐって父と伯母が決裂したらしく、父は伯母がよく出入りしている母方の実家には「もう行かない」というので……。まあ合わない人達はいつかこうなるのでしょう。弊管理人は大人なので別にその辺はあまり気にせずご飯を食べに行くのです。
祖母は、弊管理人が名乗ると名前を認識しましたが、しばらくすると「誰?」となってしまいます。アルツハイマー型認知症の薬(アリセプト)を3年飲んでいるそうですが、こうなっちゃったらもういらないんじゃないかな。進行を遅らせるだけですし、怒りっぽくなるなどの副作用があるので。
伯母に薬を見せてもらうと、抗うつ薬と高血圧の薬を他に飲んでいました。
抗うつ薬ももういいだろう。ていうかこれが認知症を悪化させてるような気がする。
精神関係の薬は「止める」ということを目標に飲まなければならないと思います。
しかし、循環器だの消化器だのが専門の町医者が戦略的に処方してくれることは、ほぼ望めない。
あと、10年以上ぶりくらいにいとこの子と会いました。子供の10年って劇的に変わりますね。当たり前だけど。
恒例の、伯母の手料理(と、祖母)。
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・ついでに、妹のこと
結構長く不安障害のようなものがあるらしく、引っ越しを繰り返したり精神科に行ったりしているようです。ちょいちょい自分の”病状”とか”こんなに大変”的なことを口にします。
しかし「問題は環境ではなく、環境の受け取り方のほうにあるので、引っ越しは無駄」と言っておきました。本人もそれは思い当たるようです。認知行動療法を試してみてはどうかというのも伝えました。
これは多分、投薬では治らないと思います(むしろ有害かもしれない)。文脈とかあまり関係なしに自分のことを語ったり、周囲の人や環境をdisったりというのは、「大変ねー」と労ってほしいとか、自分のことを世話してほしいとか、そういう欲求のはけ口を求めての行動だと睨んでいます。そしてそのはけ口が現在、精神科医療になっているだけ。それへの対処は、バランスのよい食事をし、早めに寝て、笑顔を作るなど、フィジカルな面を無理矢理に立て直すことだと思うのですが、それは言い忘れました。また正月にでも。

とはいえ、いずれのケースについても弊管理人は専門知識がないので、実際に何かの決断をする際には医者の意見を大いに参考にするしかありません。問題はその医者が本当に専門家なのか、誠実に仕事をしてくれるかがしばしば怪しいということ。ということでこちらに続く↓

* * *

弊管理人の扁桃炎は、帰省する前に耳鼻咽喉科で抗生物質を出してもらって3日飲んだとたんに全快しました。10日ほど前、トローチで抑えましょと言った医者をヤブ認定。

貴重な夏の半分を体調不良で過ごしてしまったのは遺憾です。
それを押して結構遊んだような気もするが。

* * *

8月は6日の広島,9日の長崎,12日の御巣鷹山,15日の玉音と3日ごとに国民的暗い行事が続く異空間に入ったようになって、それが終わると夏ももう終わり、という気分になります。
戦後70年、個人的にはもうほとんど代わり映えのない「証言」系の情報に関心がなくなっていて、しかし戦後が終わった様子はなく(たぶん次の戦争までは終わらんだろう)、一方で今年は特に親族関係が結構弱っており、ふわっとした沈滞感の中でこの期間を過ごしました。

2015年07月05日

日光

ツイッターの裏垢(裏というわりにメインに使っている、右の自己紹介欄に載せてないほうのアカウントです)にて「日光澤温泉行きたい」とつぶやいたら「行く!」と友人がリプライを下さったので、車を出してもらって2人で行ってきました。

東北道宇都宮ICから日光道に入り、日光ICで降りて霧降高原に寄り道します。
東京からここまで、だいたい3時間。雨模様のせいか、渋滞は全くありませんでした。

ニッコウキスゲのピーク(低いほうはピークアウト気味)でした。
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どっかで見たような……と思いましたが、多分、家族で行った霧ヶ峰。

日光に日光なし、霧降高原に霧あり、という日でした。
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1445段の階段がついています。勢いで一番上まで行きました。雲の中で何も見えなかったけど。
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多分クルマユリ。華があります。花だしな。
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この線香花火みたいなの、何だろうなあ。
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咲き始める直前くらいのヨツバヒヨドリと思われる。葉の形を見るとひょっとして上のと同じやつ?
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ゴーリキーあやめ。赤と青って自然界に少ないので目立つ。
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足ガクガクしながら車に乗り込みました。

日光市川俣の街を過ぎて、少し前に廃業した女夫渕(めおとぶち)温泉の無料駐車場に車を止めます。
ここから、奥鬼怒遊歩道を1時間40分歩きます。
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鬼怒川の流れる音を聞きながら。あまりきついアップダウンはありません。
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わりと人の手が入っている感じがします。
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到着!(ほんとは出発時の写真)
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お部屋。味があります。
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わーん至福の露天風呂(もういっこ透明なお湯のが頭上にある)。
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内湯も寛げます(日帰り入浴の人は使えないらしい)。
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夕食。スペシャルな何かというわけではありませんが、おいしくてお腹いっぱい。
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看板犬の方々。
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古い木造の建物ですが、トイレは洋式、灯りは人感センサーなど、実は行き届いてます。
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空けて日曜は、温泉からさらに奥へ2時間ほどかかる「鬼怒沼」に行くかどうかギリギリまで迷いました。
天気はどうにかもちそうだったのですが、同行友人は腰がやばいとのことで断念。
まあ全然無理する必要もないですからね。
女夫渕へ戻って、山王林道を通って中禅寺湖を目指します。
途中の光徳牧場でアイス食う。
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戦場ヶ原はちらっと見ただけ。
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中禅寺湖畔の「トンカツ浅井」でソースカツ丼。
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・11:50から40分待った
・ソースカツ丼の国から来た弊管理人にしてみると、ソースがうまいわけではない
・しかし、さすが肉屋だけあってヒレカツはうまい
・そして盛りがすごい
・ということで総合的にはよかったという判断。

最後に半月山の展望台から写真を撮って、1泊旅行はおしまいです。
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男体山がはっきり見えませんでしたが、いい避暑でした。気温14度とかそれくらい。

いや、行ってよかった。
今日はよく眠れそうです。

* * *

帰宅すると、健康診断の再検査の結果が届いてました。
コレステロールは「アウト」から「高いですねえ」(=これまでと同じくらい)に下がってました。特に何もしてない時期の検査結果がこれ。ホントあてにならん。

ちなみに摂生は続けます。いい機会なので。

2015年05月17日

ガパオ&ソフト

かたじけなくもお誘いをいただき、3年ぶりに代々木のタイフェスに行ってきました。
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今年もすごい人。そしていいお天気。
ジャスミンタイのガパオは辛くておいしかった。

ついでに渋谷区役所近くの「白一」まで行って、ソフトクリームをいただきました。
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この不安定な構造物が倒れないかハラハラしながら撮ったら、ピントが思いっきり後ろにいってしまった(>_<
でもソフトはシャリシャリしてて、とてもうまかったです。
いろんな人を連れてまた行きたい。でもなかなか行かない地域なのが残念。

真っ昼間に外をずっと歩いてると右目から涙が出ます。
眼鏡はUVカットのはずなんだけど、眩しさのせいだろうか。サングラス使わなきゃかな。

2015年04月30日

パンコントマテと箱根山

昭和の日。
ようやくシーズンも来たことだし、早起きして鍋割山に行こうじゃないかと思っていたところ、
まあ予想通りというか、いつもの深酒欣二、そして寝坊。

午前中はコーヒー飲みながら本を読んで過ごして、昼過ぎに連絡をくれた近所の知人と昼飯を食いに行きました。
大久保・パンコントマテのカルボナーラ。(友人はグラタン)
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多分2mmくらいの太い生麺、ソースはニンニクたっぷりで大変食べ応えがありました。
うまかった。そして夜に至ってもおなかがすきませんでした。

「山に行く予定だったんですけど、起きたら10時前で」
「じゃあ箱根山でも行く?」

ということでそのままバイクで連れていっていただきました、新宿戸山の築山、箱根山(44.6m)。
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登頂。なんか図らずも今日のタスクが達成された。のかな。
山手線内の最高峰だそうです。この場所は尾張徳川家の屋敷→陸軍戸山学校→戸山公園とのこと。
隣接の団地で育った友人はこのあたりが遊び場で、高校生の時には友達と飲酒しては頂上から転げ落ちていたそうです。
新緑が色濃く、早くも夏の到来を予感させる一日でした。

そのあと高田馬場の西友で買い物をし、友人宅にお邪魔して「ベイマックス」見ていたら日暮れ。
ベイマックス、3D眼鏡かけて見たけど、すっごいきれいでした。

2015年04月13日

銚子かぞくりょこう

実家の父が車を買い換え、弊管理人のところに遊びに来るというので、折角だから妹ともども一泊旅行にでも行こうかねという話になりました。
大型連休、盆、正月には帰省して一緒になるのですが、どこかへ出掛けるというのはほんとに久しぶりかもしれない。多分、母の手術後にいろんなところにがしがし旅行に行った15年ほど前が最後じゃないかな。

「寝坊したいからゆっくり来て」と言っていたにもかかわらず、土曜の朝8時、3時間睡眠の弊管理人宅に父到着。
本人の希望で、両国の江戸東京博物館に行くことにしました。
東側に住んでた時、いつも西に向かう総武線の車窓から見ていたけれど全く行く気にならなかった建物。
なんか3月下旬にリニューアルしたらしいのですが、どこが新しくなったか分かりません、初めてなので。

入ると日本橋がある。
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うわーなんかだだっ広くてスカスカ、と思ってテンションが下がりかけました。
しかし。
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人形、ジオラマ、「触ってみよう」コーナーなど、なかなかよくできてる。
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ミニチュアにおもくそ寄って撮影してみると、なんか本物っぽくなります。
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たのしい(笑)
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ガラスの床の下にある鹿鳴館で、ダンスパーティが始まります。
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近現代はちょっと駆け足に。2時間では見切れないくらいのボリュームでした。

妹を拾って、銚子へ直行しました。魚の直売所で父と妹はいろいろ買っていましたが、弊管理人は欲しいものは大概既に買ってあるので見るだけ。
お宿は犬吠埼観光ホテル。
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千葉勤務時代に、上司が「風呂のロケーションがすごくよかった」と言っていたのを覚えていて、ここにしました。部屋はこんな感じの二間続き。風呂も同じ眺望です。
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バルコニーに出ると、銚子の灯台も見えます。

晩飯はこんな感じ。このあとご飯とつみれ汁と、「トリュフ大根」という謎の料理が登場しました。
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おなかいっぱい。
また風呂に入って、21時過ぎには寝てしまいました。

翌日曜は朝風呂あびて朝飯食ってチェックアウト。ヒゲタ醤油を見学に行って
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成田で高速を降りて、新勝寺の参道にある「川豊」でうなぎを食いました。
食ってる横で次々と殺戮されていくうなぎが
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こうなって
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こうなる。
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父撮影中。血の争えない親子。
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夕方に帰ってきました。
父が定年になり、弊管理人も一応東京に落ち着き、家族で出掛けられるようになったというのとともに、何か決算的な時期に入ったということでないといいなあ、とちょっとざわざわしつつ楽しんだ機会でした。
妹もまあ楽しんだようではあり、よかった。
ゆるっと定例化するべかな。

2015年02月15日

みらいかん

台場の日本科学未来館に行ってきました。

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ちょっと仕事の内容に触れるので削除
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終了後、館内をちらっと見て帰りました。
超伝導(ピン留め効果)のデモをやってました。
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科学の展示を「面白く見せる」ってほんと難しいと思います。
理科の資料集に出ている場面を再現するだけでも勿論「おおお」ってなる(上記実験がそれ)し、その説明を分かりやすくしてもらうと「そうなんだ~」と思うけど、もう一段、何か「魅せる」要素がほしい。手品みたいな。動物園でいう「行動展示」を少しサーカスに近づけるような。
でも最近は面白い企画展もあって、お客さんは増えているようです。

そして、本当に必要(実用的)なのは「超伝導って何」「感染症って何」といった知識ではなくて「知識とはどういうもので、どうやって仮説を立て、調べ、『分かった』と判断するか」という方法に関する理解のほうだと思います。これを展示に組み込むのはさらに先の課題かもしれませんが。

* * *

遊びに行っちゃおうかなと思いましたが、帰宅してぐずぐずしているうちに夜半を迎えたので就寝。
今週はわりと早寝早起きで体調よかったです。

* * *

1月半ばの喉風邪~2月上旬の航空機移動による喉痛・鼻汁・下気道の違和感から花粉症にシームレスに移行した気がする(シームレスと言ってみたかっただけ)。

2015年02月10日

メルボルンで結婚式(下)

■7日

結婚式は16時から、フェアフィールド・アンフィシアターという野外劇場で開催です。
サザンクロス駅から電車でデニス駅まで参ります。
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車内はけっこうきれいでした。
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注意書きで目を引いたのは「不快な言動禁止(no offensive language or behaviour)」、「アルコール接種禁止」(夜の総武線快速は酒場のようだが……)、「落書き禁止」(窓はスクラッチ落書きでいっぱいですけど)。

30分ほど早く会場に着くと、16年前にはニュージーランド南部オタゴ地方のダニーデンという都市で小さなホテルをやっていた友人のご両親がもう来ていました。
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友人のフィアンセは「お父さんは絶対笑わない」と言ってましたが、弊管理人は満面の笑顔で懐かしがられました。結婚認めたとはいっても、心中複雑なんじゃないかな。

そう、今回は弊管理人友人=インド出身(聞いてないが恐らく永住権取得済み)でヒンドゥー、そのフィアンセ=オランダからの移民3世でカトリック、で同性婚という、結構ハードルの高そうなカップルです。いろいろ聞きたいことがあったので友人に聞きました。概略次のような内容。

―同性婚ってオーストラリアでできるの?
「法的には認められてない。認めてもいいんじゃない?という動きはあるけどまだまだ。州単位でいろいろ便宜を図ってくれることはある」

―同性婚の法的地位はヘテロ事実婚とは違うの?
「ヘテロ事実婚の場合は、実績があると認められれば、結婚してるのと同じ権利が与えられるけど、同性婚の場合はそうじゃないので」

―それで今やる意味って何?
「一緒にいるうちに家族っぽくなったから。あと、家を一緒に買ったこともあって、現在利用できる法律を利用して打てる手を打っておこうかなと。結婚式ではそういう法律文書の作成もやるんだよ」

―どういう内容?
「現状だと、お互いの身に何かあったときに医療記録にアクセスできないので、それを許諾するという文書を作る。あとは遺産相続をできるようにする。それから、これはあまり実質的な意味はないんだけどお互いパートナーですという地位を示しておく」

―そういう契約って当地ではみんなやってるの?
「実例をあんまり聞かないから分からないけど、やってるんじゃないかなあ。自分は法律でも学位をとってるので[註:彼は学部ではIT系の勉強をしたが、院で経営や法律を勉強して現在はコンサル]、そういうことができるならしておこうと思ったわけ」

―そもそもどうやって、いつ彼氏と知り合ったの?
「ネット。6年半前か。お互い最初はパートナーになるつもりで会っていたわけではなくて、それぞれ別の人と会ったりもしてたんだけど、そのうちにそういう関係が切れていって気がついたらいつも二人でいるようになった」

―あちら何してる人?
「出会ったときはコンサルの会社でデータマネジメント[註:ちょっと弊管理人の記憶曖昧]の仕事をしてたけど、いろいろストレスあったみたいで、今は大学に移って新規事業を立ち上げる前の評価支援みたいなことをやってる。定時で帰れていいみたいよ」

―それいいねえ。
「コンサルの会社って5000ドル余計に稼ぐために鬼のように働く人多いけど、自分はそういうのはいいかなって思ってお客が満足する範囲でわりと好きにやってる。もとはITの勉強してたけどあんまり今はその知識を使ってないし、経営の勉強始めても学校の選択科目は哲学とかフランス語とか取っちゃったりしてて、他の人に比べると専門性はあんまりないしねえ[註:この気の散り具合が弊管理人と気の合うところかなと思いました。弊管理人はもっとひどいんだけど]」

―プロポーズはどちらから?
「去年、自分から」

―相手と食い違うなー、というところはないの?
「自分は甘いもの大好きで、相手はそれほどでもないっていう以外は別に。スパイシーな食べ物?あちらは全然大丈夫」

―でもおたく、今でも許嫁婚が主流でしょ?えらいギャップだよね。ご家族[註:父=元経済学者、母=元文化人類学者、姉=外科医]は結婚に納得したわけ?
「重要なところ。けっこう前に一度『実は男が好きで』という話を親にしたら『ギャー!育て方が悪かったのか、どうしちゃったんだ、病院行くか』と騒ぎ出したのでいったんクローゼットに退却した。『あ、たぶんそのうち治るから~』とかごまかして」

―人類学者まで?(笑)
「家族のことになると別だね(笑)それでまずお姉ちゃんにカムアウトして、家族会議が開かれたみたい。その上でお姉ちゃんが『本人が来て話す時が来たな』と判断してこっちに連絡くれて、行って話した。その時にはゲイの生命予後、雇用など経済面での影響など、さまざまなデータを集めて検討したレポートが作製されていて(笑笑)、それほど問題はなさそうだという雰囲気になっていた。ただ『親戚が知ったらどうしよう』というのが懸念だったみたい」

―どうしたの、それ。
「その頃にはもう近い親戚は大体知ってた(笑)結局知らなかったのは両親だけということになって。で、お互いの両親に会ったりとかして、なんとか。向こうも結構大変だったみたいだけど」

―宗教的にも大変でしょ。
「こっちもそうだけど、あちらもカトリックだからねえ。でもいろいろ折衷させてみた」

式には親戚、友人200人くらいが集まったようです。(インドでやると郵便配達の人なんかまで、とにかくみんな呼ぶので「親の時は1000人集まったらしい」と友人は言ってました。あとでおとーさんに聞いたら「800人」と言ってましたけど)

まずカップルとご両親が手を繋いで入ってきます。
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両親と抱き合ったり、靴を脱いで跪いたりとそれぞれの流儀でごあいさつ。
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カトリックで重要な意味を持つという火(そうなんだっけ?)を中央の花壇に灯して囲んだり、歩き回ったり(弊管理人の場所が悪くてスピーカーが入ってしまった)
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お互いの家族の一員になることを示したネックレスをつける儀式。
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司会を務めるお友達が二人のなれそめとプロポーズの経緯を紹介し、カップルがそれぞれ相手への愛の言葉を贈ります。それから例の「病めるときも健やかなるときも」の確認。注意して聞いてたけど、両方ともhusbandでした(笑)そりゃそうか。

なんというか、お互いとその家族の結びつきと文化を尊重した、とてもtouchingないい式でした。
お相手側のお父さんが目頭をぬぐっていたのを見て、弊管理人はガラにもなくぐっと来ました。

あとは契約書を交わしておしまい。
気温33度くらい。ときどき雨がぽつぽつ当たりましたが、日が当たらない分、あまり暑くなくてよかったです。

さあて、Two Ton Maxに場所をかえて18~23時のレセプションです。
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こんな感じの、倉庫を転用した素敵なパーティ会場です。
入ったところには、ゲストとカップルとの思い出の写真が吊されていて、裏にメッセージが書けるようになっていました。
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その脇に、ご祝儀入れ。
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「もう文化が違うと何も分からないから率直に聞くけど、結婚式に呼ばれたら何をどれくらい持っていくものなの?」と予め聞いてしまってありました。
回答は、「お金が嬉しい。近隣の人はA$200-300、旅して来る人達はA$100-200、外国からはるばるの人達はもう相応の負担をして来るので受け取らないこともあるけど、くれる人はA$50-100」とのことでした。日本とそう変わらないね。弊管理人は水引を用意していて、あまり少なくても外装と不釣り合いなのでもうちょっと入れました。

ホスト側のダンス!
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それぞれの生い立ちをたどったビデオ、ご両親の結婚式の様子をうつした写真やビデオを上映。ご両親の挨拶があって乾杯のご発声、それから友人のお祝いの言葉があるのはどこの披露宴も同じですな。
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ただ、カップル二人とも(30代前半)、生まれたときからの記録がムービーであったのには驚いた。あの時代、そんなに8ミリとか持ってる人は多くなかったはず。
ビデオ上映は3回あって、映画の予告編のように作り込んだ二人の物語も。凝ってました。ブロークバック・マウンテンのカットが出てきて、この会にほとんど漂わせていなかった同性愛のテイストがほんと隠し味のように香ってきたというのも一興。いやまあお客には何組かいたけどさ。

インドで生まれ、ご両親が教鞭を執ったり調査をしたりする都合でパプアニューギニアに移住し、ニュージーランドで小学校から大学まで過ごし、オーストラリアで働く彼の結婚式には、国内やニュージーランドはもちろん、遠くはフランスやスウェーデンからもお友達が来ていました。
弊管理人の隣は同じ寮にいた日本人の女の子で、今は旦那さん(こちらも同じ寮に、弊管理人の前の年に交換で来ていた日本人)の仕事の都合でスイス在住。斜め向かいはマレーシア出身で今はパプアニューギニアでご商売をしている友人の幼なじみ。向かいはオーストラリアとメキシコのカップルで今年結婚予定。いろんなところにいろんな人生があるなあと思いました。

飲み食いしてみんなと挨拶して、深夜にホテルに戻りました。
いや、結婚式のご招待はもう欠席でいいやと思っていたのですが、こういうのが来るとは思わなかった。
国境を軽やかに飛び越え、しなやかに元気に生きている人達に圧倒されつつも、なんだかギリギリと目前のことばかり見ていた最近の生活を少し遠ざけることができてよかった。

次はいつ会えるでしょう。わかんないな。また16年後かもしれない。

■8-9日

さあて帰ります。
乾燥した機内にまた14時間閉じ込められるので、マスクやダウンジャケットや耳栓などを準備して乗り込みました。
空港バスが出ているサザンクロス駅の向かいにあるPHO24というお店でフォーをいただく。
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沁みる。アジアの味はやはりいい。

11時前にバスに乗り、クアラルンプール経由で成田、で帰宅できたのは翌9日の朝9時過ぎでした。
あー疲れた。

■メモ

・やはり旅はするべき
・しかし直行便があるなら直行便を使え
・現地に夜着いて、そのままホテルで寝て翌日から活動するほうが体にいいような気がするので深夜便を忌避する理由はないな
・機内では絶対休息は取れない
・耳栓は結構有効
・喉の乾燥対策はマスクでは無理、今後考える必要あり
・wifiは成田で借りていって大大大正解
・基本、バスに定時性を求めてはいけない
・JAL(帰りのKUL-NRTはコードシェアのJAL便だった)の機内はやはりよい。サービスや笑顔は過剰な気がするけど
・それにしても昨年の台湾といい、留学の1年と、留学に関連してその後得たものは非常に大きい
・回復期に食べたgrill'dのハンバーガー、おいしかった~
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・今回行けなかったところは次回の課題として:St.Kilda beach, Old ANZ bank (Queen st. and Collins st), National Gallery of VIC, Brighton beach, Bennet's lane でJazz

2015年02月09日

メルボルンで結婚式(上)

1999年に交換留学でニュージーランドの大学に1年滞在しました。
その時、同じ寮で最も仲良くなった友人(インド出身)が結婚するという案内状が来たのが昨年秋。
場所は現在、彼が住むオーストラリアはメルボルン。
あまり迷わず出席の返事をしました。

東京と現地の直行便はジェットスターのみですが、なんかねー、LCCで遠出っていうのがちょっとねー、荷物を預けたり機内食を食ったりとちょいちょいオプション料金になっていて結局結構高くなるよねー、とか思いながら迷っているうちに1月になってしまいました。
あ、やばいやばいと急いでHISで探して出てきたのがクアラルンプール経由のマレーシア航空でした。まあ去年2回もやらかしたので暫く安全でしょう、なんて思いながら決定。

先日の種子島出張が予想外の延長になったため、だいぶあたふたしながら準備をして(キャリーバッグも出発前日に買いに行った)出発しました。

■4日

朝5時に起きて6時に出発、いきなり電車を間違えつつも東京駅へ。
八重洲口の近くから成田まで1000円のバスに乗って空港に行きました。
車内のテレビで「イスラム国」がヨルダン空軍のパイロットを焼殺したとのニュースが流れて気分下がります。
ラッシュ前の時間帯で、しかもアウトバウンドなせいか、きっちり1時間で着きました。
東京西部から行くならこれが最も安くて便利かもしれない。
日中はちょっとバスは時間が読めないので怖いけど。

10時半のマレーシア航空機で脱出。
持ち込んだ本を読んでる間に、7時間余かけてクアラルンプールに到着します。
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なんかね、きれいだった。
空港の中に熱帯植物園みたいのがあって、そこを歩けるかと期待しましたが、クローズ中でした。残念。

バナナシェイク飲んで時間つぶします。
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RM20(=600円ちょい)。まあ空港価格ですわね。でもサイズがでかいし、ほんとにバナナ潰して作っていたようなので、まあいいかと。うまかったです。

3時間ほどの待ち時間でメルボルン行きに乗り換え。
途端に顔を隠した女性とか浅黒いお顔の男性とかが増えます。
マレーシアは文化のごた混ぜ具合に結構興味あるんですよね。今度は目的地として来たいです。
初めてマレーシア航空使いましたが、機内食は前評判に反して全然食えました。サービスも、べたべたしないが必要なことはどんどんやってくれる、ちょうどいい水準と思いました。

■5日

まあ当然ほとんど寝ないまま、朝7時にメルボルン空港着。
友人、車で迎えに来てくれました。
今日から休みを取ったとのこと。前日にフェイスブックで「連れてくとこリスト」を送ってきてくれていて、今日は一日つきあってくれるそうです。わーーい

まずは彼のおうちに。
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メルボルン中心部(CBD=Central Business District)のちょっと北側にある「ボヘミアンな地区」に買った平屋。築120年!!
このあたりは昔大きな工場があって、その労働者が住むような地区だそうです。古き良き時代のメルボルンの面影が残っているそうです。
でも中はさすが、きれい。
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リビング+1ベッドルームだが、ちょうど地区の景観委員会?の審査が通って、2階建てに改築できることになったという。「友達が来たときに泊められるしね」と。
でも下が粘土層なせいか、時間とともに壁にひびが入るんだよhahahaって。大丈夫か。

お茶をいただきながら、お互いに昔の写真なんかを見せっこしました。
10年ほど前に一度日本に遊びに来てちょっと遊んだのですが、ほとんど16年ぶりといっていいです。
しかし、1999年の1年間は本当に濃密に遊んだので、ブランクがあったとしてもお互いに全然普通に会話ができます。弊管理人は22歳、彼は飛び級しまくって大学に入ったところだったので16歳(!)

近所のベーカリーで「ラミントン」買って、半分こして食べました。
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そう、これ。オセアニアのお菓子です。スポンジの外側はチョコを塗り、ココナツがまぶしてあります。「オーストラリア人はオーストラリア発祥、ニュージーランド人はニュージーランド発祥だと言う」というのが友人の解説でしたが、あとでウィキペディア見たら「オーストラリア発祥」と書いてありました。しかし検索していると「ラミントンはニュージーランド発祥だった」との研究論文に行き当たり……
まあなんかカステラみたいなお菓子ですが、ちゃんとしたところで買うとちゃんとおいしい。ニュージーランドにいたときはスーパーで買った出来合いのやつを食っただけで、なんか別にうまくもないスポンジとの認識でしたが。

このあたりはグラフィティが建物限定で合法化されているとのこと。
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落書きする人とされる人の攻防戦の結果の妥協策だそうです。

さて、CBDから南下して、モーニントン半島に足を延ばします。

大きな地図で見る
Google Mapsで地図を見ていて思いましたが、日本でいうと都心から千葉・内房に行くのと同じ動きですね。距離的にも近いし、週末の海水浴スポットとして人気なところも一緒かも。
雰囲気はこんな感じ。
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ちょういい天気です。真夏ですが、たぶん30度ないくらい。風は南風で涼しい日でした。

おすすめのお店 Dromana Fish Supply でフィッシュアンドチップスを。
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テイクアウトして、すぐ前の浜辺の四阿で食べますよ。
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あー、来たなー、って思う。
チップスつまみながら16年分の話をしました。

浜辺を散歩しました。
Bathing Boxが並んでいます。
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「ビクトリアン・モラリティ」の産物だと上記リンクに書いてあるところをみると、人前で肌を露出せずに海水浴を楽しむための施設ということかな。現在は一つ一つにオーナーがいて、増改築やペイントが厳しく制限されているそうです。ちょっと覗いてみましたが、タオルや浮き輪を収納したガレージみたいに使われていました。もちろん浜辺にテントを張るように、その中で休んだりすることも可能です。
それにしても紫外線紫外線言ってるわりに焼くよね、ここの人達。
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ど平日の昼なので人はまばらですが、トップシーズンなので週末は結構混むそうです。

遠景ばかりでアレですが、アーサーズ・シートという300mくらいの丘からの眺望も最高でした。
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ただ、ここは中腹にあるルックアウトです。5年ほど前、頂上に展望台を作ったものの、その前にある木がどんどん育ってしまい、現在はそこからは何も見えないそうです(笑)木を切るより展望を諦めてしまうあたり、オーストラリアっぽい。

道端にはいくつもワイナリーがあります。
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葡萄棚を作らないんですね。へー。弊管理人の実家では亡くなったじいちゃん(元高校で農業の先生)が葡萄を作っていましたが、グリッドの天井を作ってたけど。
薔薇が植えてあるのは、葡萄と薔薇に共通の伝染病をいち早く検出するためだそうです。まず列のはしっこに植えてある薔薇に変調が起きるので分かるということですね。

午後4時前には市内に戻って、街ブラしました。
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メルボルンは4度目くらいのはずですが、ちゃんと探検するのは初めてです。
古い時代に首都だったこともあって、聖堂も博物館もある。でもなんか惹かれずに、これまでは素通りか1泊くらいで通り過ぎていたのですが、それはどうもこの街が旅行者よりも居住者にとって楽しくできているからではないかと今回案内してもらって思いました。

「インドは人生がほとんど路上で展開されるけど、ここメルボルンはほとんどが裏路地や屋上。通りにあんまり人がいないで、みんな何かしら隠れてるね」とは彼の評。
では、ストリートから路地に入ってみましょう。
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落書きいっぱいの建物に囲まれて、昼間から飲んでる人達発見。

暗くて怪しい感じのビルの屋上に行ってみましょう。
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やっぱり飲んでる人達発見。Rooftop Bar & Cinema というカフェでした。
ここメルボルンでは屋内が全面禁煙になってしまったため、スモーカーたちが喫煙場所を求めてここに流れ着いたそうです。DJブースもあってなかなかいい休み所。
では冬はどうするのか?なんか地下に潜るらしいのですが、地下は喫煙できるのかな??聞き忘れた。anyway people are hiding だそうで。

州立図書館。
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近くに大学が三つあるそうで、勉強してる人いっぱいいました。
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外ではチェスの対局と、野次馬。

路地に入ると、おいしそうなカフェがいっぱい。
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次の日ですが、Dinkum Piesでミートパイをいただきました。
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Famous Steakと書いてありますが、そぼろです。
うんまい!A$5.50=550円。現地の食べ物としてはかなり安いと思う。

それにしても、現在は1オーストラリアドルがだいたい100円ですが、弊管理人が留学していた頃は65円前後でした。現在のレートでいくと、セブンイレブンのオレンジジュースボトル300円、サンドイッチ500円。イタリアンレストランで食べるパスタ2500円、電車初乗り200円。まあ大都市だからというのもあるかもしれないけど、結構ものが高い国になったなあと思います。為替の問題もあるし、着実に経済成長して物価も上がってるように感じます。ちょうど前回来た時のちょっと前くらいからずっとデフレだった日本は、いつのまにか先進工業国の中では物価の安い国になっているのではないか?と思いました。

閑話休題、この都市の南(現在発展中)と北(昔からの地区)を分断する、ヤラ川。
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人々は橋の下にも隠れてます。
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飲むね、しかし。
まあこれだけ気候がよかったら飲むか。

88階の展望台から南のほうを望みます。
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きれいやね。やっぱり住んで住みやすい街だという気がする。メルボルンを含むビクトリア州自体、かなりコンパクトにできていて、都市や集落が散らばって存在するオーストラリアの他の地域に比べてインフラのコストが節約できているとのこと。

中心部は、もともと二つあった車線の一つを潰して駐車レーンにし、さらに路面電車のレーンを拡幅するなどして周到にマイカーの乗り入れを避けさせるようになっています。当初は不満も出たようですが、結局は中心部の渋滞や汚染が緩和して好評だとのこと。わかる。路面電車(近場、本数が多いので便利)、鉄道(速い、遠出用)、バスの路線が張り巡らされていて便利そう。

友人のフィアンセと合流して3人で夕飯、夜9時前に別れたときに、ようやく夕焼けを見ました。
引き回してくれてありがとおおお。

■6日

で、翌日は疲れが出たのか発熱して、一日ホテルで伏せってました。
結婚式前日に、遠方から来た人達用のカジュアル・ディナーが企画されていたのですが、体が動かず欠席することにしました。
体温計がなかったので正確には分かりませんが、夜半に来たピークの辛さからすると38度台後半以上あったと思います。数字を見たら折れていた可能性があるのでこれでよかったか。
「ちょっとやばいかなー」と思って街中で買っておいたJ&Jの風邪薬を投入しながら寝まくって、何とか押さえ込みました。
あんまり薬って飲みたくないんですが、今回はちょっとスケジュールもあるので。

長くなったのでつづく。

2015年01月30日

種子島ふたたび

2年半ぶりくらいで出張が回ってきました。
自宅発、朝6時半。

鹿児島空港→バスで市内出ると11時半くらい。

食いますよ。「こむらさき」
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あっさりめで良!!
ニンニク入れてしまった。仕事なのに。

高速船ターミナルまで歩きます。
なんかもくもくしてますけど。
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みんな平然。いいの?

高速船で1時間半で種子島。遠い。
さらに西之表港から南種子町まで車で1時間。遠い。
到着したのは15時半でした。

まあ仕事はちょぼちょぼですが、食べますよ。地のものを。
「八作(やさく)」で安納芋の揚げたやつ食いながら芋焼酎「南泉」を水割りでいただきます。
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あとは魚とかもありましたが、弊管理人は何度も言うように生魚を好みません……

ちょっと周りを散策します。
マングローブ。
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千座の岩屋という海蝕洞窟。
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水を見ると小をもよおすのですが、ちゃんとトイレまで我慢しました。

種子島宇宙センター。
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ついでにゲストハウスでカツカレー(510円)を食いました。
空腹を満たす食事。

なんでこんなところに鉄砲伝来してしまったんだろう。
当初の滞在予定がアクシデント的に延びたため、鈍色の空と海を見ながらそんなことを思ったりしています。

2015年01月18日

駒込

駒込の東洋文庫でやっているイスラーム展を見に行きました。
大きくはない施設ですが、お庭もついていて洒落た雰囲気です。(この先に小岩井農場と提携したカフェがあるが、今日はやめておいた)
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1924年に岩崎久彌が設立した東洋学の図書館。道を挟んだところにある六義園(柳沢吉保屋敷→岩崎弥太郎別邸)の一角だったようです。
ミュージアムが併設されています。
ロンドン・タイムスの北京特派員だったジェームズ・モリソンの集めた24000点の書物を買い取ったのが文庫のもとになったとのこと。「モリソン書庫」としての展示も結構な迫力です。
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図書館なので、イスラーム展も文字資料が中心です。
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14世紀にシリアで写書されたクルアーン。
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各国語版のほか、東南アジア、南アジア、中国での受容を示すような資料が展示されていて、面白く見ました。説明書きがちょうどいいレベルと量です。その昔、世界史の受験勉強で散々詰め込んだ単語がいっぱい出てきて懐かしかったかも。
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記念スタンプもかわええ。

* * *

金曜くらいから喉がちょっと暴れていて、土曜は大事を取って(4割くらいは「面倒」という理由も混じっている)大阪出張をキャンセルしました。といって近場の外出ができないほどの体調ではなかったので、今日はちょっと出掛けてみたのですが、覿面に疲れて、帰ってきてから布団で2時間ほど寝てしまいました。

2014年11月02日

長崎出張

10月下旬の出張3連戦、最後は長崎です。
(前の札幌のエントリとの間に名古屋というのがありましたが、書くほどのこともない日帰り出張だったので書いてませんでした。ただし仕事はとても面白かった)

初・長崎。
お仕事が午前と夕方に一つずつだったので、午前の部を終えてから原爆資料館で鬱展示を見、平和公園を歩きました。
おお、教科書とかで見たこれ。
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印象より若干小さいけど、でもでかいね。
修学旅行生が大声で平和を誓ってました。
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バタ臭いのか醤油顔なのかよく分からないお顔立ち(バター醤油は好き)。
あと、眉間に白毫のようなものがついてるんですけど。

右手は原爆を示し 左は平和を
顔は戦争犠牲者の冥福を祈る
是人種を超越した人間
時に佛時に神
長崎市HP

ははあ。
それにしてもマッチョですの。顔も含め、大村市に居住歴がある力道山モデル説があるというのもなんとなく分かる。

結局、最終便に乗るため20時くらいに空港に行ったら、食べ物屋さんが全て閉まっていた(実は保安検査場を過ぎたところで軽食は食えた)ので、セブンイレブンで弁当を買うはめになりました。
ということで、まともなごはんはお昼に食べた江仙楼の皿うどんのみ。
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うまかった!
名物料理で野菜主体って珍しいような気がします。

地元民によると、長崎は足で歩くべき町らしい。
2月のランタンフェスティバルがおすすめだというので、その頃に今度は旅行で来たいなっと。

* * *

深夜に東京に戻って、うっかり仕事をし、翌日は6時くらいから活動していたら体が動かなくなったので、夕方の仕事を終えて帰宅。夕飯食ってたら舌を噛んでしこたま流血するなど、明らかに生き物としてだめな領域に踏み込んだ。これ以上起きていても何もできないと判断し、19時半には就寝しました。

なんか10月は全期間にわたって疲れが取れない月でした。
これが歳であるな。

* * *

どうでもいいのですが、今年は神戸出張が結構あり、札幌、そして長崎も。
……あっ、前川清メドレーだ!
これに気付いてから、もう出張先では頭の中でぐわんぐわん鳴りっぱなし。

* * *

ニュージーランド留学時代に同じ寮で仲良かった在オーストラリアの友人から、来年2月に催す結婚式の招待状が届きました。
同性婚だった。ご当地ではまだ法的に認められないらしいです。
いまだに許嫁婚が主流だという彼の出身文化はそういうのダメそうな気がするのですが、一族の理解は得られたのでしょうか?
お父さん経済学者、お母さん文化人類学者、お姉さん医学博士という知的には高いお家なのでご家族には打ち明けられるのでしょうけど。
まあええわ。かなり前向きに出席を検討中。しかし、ご祝儀とかドレスコードとかが全くわからん!

2014年10月23日

札幌出張

札幌に1泊で出張してきました。

魚菜で晩酌。
砂川彗星と、おまかせ5品を頼みます。まずは甘エビと生わかめ。
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ああああぷりっぷり。

もずくと、いか。
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し、しみる……

ポテトサラダ。
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ごまが効いてます。あと刻んだピクルス入ってません?心憎いポテサラ。

炊いたやつ、いろいろ。
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胡椒と食べる牡蠣、うめーなー
ほたてはずずずず、じゅじゅじゅわっと体に沁みる。
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落花生と北海しまえび氏。

最後はほっけスティック。
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じっくり焼いたほっけが、うまくないわけない。
これで3000円いかないんですけど。どういうこと。

キーンと冷えた札幌の空気。在札幌友人たちは「寒いよねー、今日」と言っていましたが、心地よく懐かしい寒さです。これから12月半ばまで、ただ寒いだけの時期が続きますよね。

翌日は昼過ぎに北海道大学で仕事だったので、狸小路の宿と大学の間で牡蠣を食べようと思っていましたが、定休日。ぐぬぬ……

ということでぶらぶら北上していたら、結局大学まで来てしまいました。
北大病院の前にあるロンズキッチンでエスカロップいっときましょう。
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タケノコのピラフにトンカツのっけてデミグラスソースかけてあります。
根室の食べ物ですが、こんなところで食えるとは。

北大はちょうど銀杏並木がきれいでした。
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期待以上に面白かった仕事を終えて、札幌駅まで戻ります。

地元の甘味・洋食師匠に教わった四つ葉ホワイトコージでパフェ食いますよ。
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うがー満足した。帰る!

札幌来たら元気になった。

* * *

■堂嶋大輔、渡邊雄一郎『マンガ 生物学に強くなる』講談社、2014年。

行き帰りの飛行機で読んでました。
これ、とてもいい。というか生物学は絵で勉強しないとだめだろうって思う。
iPS細胞までカバーしていた。えらい。
ゲノム編集やノンコーディングRNA、エピジェネティクスとかのアツイ分野も紹介してほしかった。

* * *

今月は出張があと2回。来月はあんまり行きたくないやつが1回だが、これは回避できないかなー

2014年09月08日

北海道など

8月の終わりに遅めの夏休みをと思っていたら仕事が込んじゃって、結局できたのは2泊の北海道旅行。
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今回は前日に行くことを決めたので、お安いLCCバニラエアを使いました。

とりあえず札幌に出て、和食のお店に入ってうに豆腐。
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んで、新サンマ食いますよね。
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その後、現地友人と落ち合って超クラシカル喫茶「赤い館」で深夜のカツカレー(小)
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遠近法を加味しても奥のナポリタンと比較したサイズ感がおかしいと思いませんか。

翌日は白老町に向かいました。
札幌駅のバスターミナルから中央バスを利用し、室蘭本線に乗り継ぐはずが、平気で遅れて回復運転もしないので、乗り継ぐ駅を急遽変えて、JR竹浦駅までダッシュするはめに。くそが。
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で、白老駅まで行ってアイヌ民族博物館へ。
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古式舞踊。鶴の親御さんが子どもに羽ばたき方を教えてるんだって。
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ムックリ(竹製の民族楽器)
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オハウ定食をいただきました。オハウは野菜や魚を煮た汁。鮭うめーなー
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博物館はざっと見。この紋様好き。Tシャツほしい
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お宿は虎杖浜の民宿500マイル。
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この太平洋を望む露天風呂に入りたかったのだ。
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お茶菓子代わりに出てくる毛ガニw
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ご飯の豪華さでも知られたお宿です。
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たらこで有名な土地ですのでたらこ、いくら、お刺身にいかの陶板、たこのマリネ、えびとかにの入った玉子豆腐、ツブ貝、かに汁。まあ弊管理人はあまりナマモノを食べないのですが(笑)
夜は持ち込んだ仕事に勤しんでしまうという。

翌朝、チェックアウトしてぶらぶら。北海道っぽい町並みを楽しんで戻りました。
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北海道は2泊でもいいけど、ちょっと短いね。

* * *

この週末は土曜仕事→夜遊び→朝6時半までクラブ遊び的な何かと飲酒→日曜仕事→うっかり飲酒→月曜仕事をキューピーコーワゴールドアルファプラスのドーピングで乗り切りました。

最近悟ったことですが、休みの日というのはぐったりしていても回復しない。
徹底的に疲れて死と再生を経ると結構回復する。

刑場に引かれていく死刑囚には、道ばたの花がかつてなく美しく見えたという。
人生の有限さへの認識が「今・ここ」を輝かせるのだ。
夏から遊びすぎてるアラフォー(弊管理人)の心象風景w

2014年08月26日

日曜のことですが、某浜辺で開かれた大きなパーティに誘っていただき、行ってきました。
朝4時半起き、6時発、10時開始。
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DJブースが設置されていて、大音量の音楽を聴いたり揺れたりお酒を飲んだりフランクフルトを食べたり、を1日中やってました。

楽しく踊るフロアをバルコニーから眺めていると、隣にいた仕事でもご一緒することのある10コ上の知人が「ものすごく幸せな光景だな。泣けてきそう」と呟きました。普段は子どもみたいにエネルギーに満ち、お酒を飲んでは完全に動けなくなるまで騒ぐ人なので、弊管理人は「そんなん言うともうすぐ死んじゃいますよ(笑)」と茶化したものの、気持ちはちょっと分かります。

平日に構築した日常とは違ったパラダイスに誘ってくれる人のつながり。そのネットワークは外部からは見えにくく、たまたま入ることができ、入って初めてその豊かさが確認できる。その僥倖と、閉鎖性が作り出すテンションと一体感に圧倒されます。
へとへとになりながら夜に帰ってきて寝る前には、一緒に行った10人余りのLINEグループに200枚以上の写真がアップされていました(弊管理人も40枚ばかり提供)。

* * *

明けて月曜、わりとアクセル全開でしたけど、日曜にビタミン剤かっくらって早寝したので完全回復状態で乗り切ったというわけ。

2014年08月20日

盆休み記

13~15日に帰省していましたが、日記を書きそびれていました。

長野県のかなり南の方、阿南町(ちなみに長野県で「ちょう」と読む唯一の町)は千石平の道の駅で五平餅を食す。
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アマゴもな。実家は普通に食卓に鮎が出てくる家だったので、なつい味。
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もうほとんど静岡県、天龍村は中井侍(なかいさむらい)の渓谷。
流れているのは天竜川、法面に広がるのは茶畑です。
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降りていくと、失礼にも秘境線として名高いJR飯田線・中井侍駅がありますが、当然無人駅。
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続いて、上村(かみむら)にある「下栗の里」へ。
「日本のチロル」の異名があるらしいですが、ほぼマチュピチュです。
が、曇っていたので地元の「下栗いも」のじゃがバターを食って退散。
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晴れたときの風景はこちら

戻ってきて、松川町のEATでソースカツ丼。
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弊管理人の思い出の味である、だいぶ前にご主人が亡くなって店じまいしてしまった駒ヶ根市の「精養軒」のソースカツ丼、それに結構近いと感じました。同行の父親は「ふつう」という評価だったようですが、弊管理人は好きです。

松川町出身の、父方の伯父の伯父の伯父(1970年没)が小学校の裏山で地蔵になったというので、見に行きました。
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農家に生まれながら、学問がしたいといって東京に出て、ニコヨンをしながら本を買って読み、郷里に大学を作ろうと、文庫ができるくらい本を寄贈していた苦学の人とのこと。

番外編。地元スーパーのデリカコーナーではこの時期、「天ぷらまんじゅう」が売られています。
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しかしなぜまんじゅうを揚げる必要があるのか、弊管理人には分かりません……
(弊管理人は高校まで北信地方にいたので、この地方にそもそも住んだことがない)

駒ヶ根市の本家(亡母の実家)を訪ねます。例年通り、伯母の手料理で夕飯になりました。
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今年はとうとう、祖母(93)が弊管理人を認識しなくなっていました。

父方の実家を訪ねると不在。あとで聞いたところ、祖父(91)が体調を崩して点滴を打ちに行っていたとのこと。
ここ10年ほど落ち着いていた家族親族のあれこれが、だんだん差し迫る兆しを見せていて、例年よりちょっとざわざわした帰省でした。

飯田線で岡谷に出て、最終のスーパーあずさで新宿に戻りました。
雨の中、諏訪湖の花火大会がちらっと見えました。
なぜか、花火がちらっと見えることの多い夏でした。

2014年06月29日

しらす丼

ひょんなことから鎌倉を歩くことになりました。
鶴岡八幡宮(定番ですな)、海蔵寺(ここは初めてだがとても雰囲気がよかった)から源氏山公園の山道を通って銭洗弁天で300円洗い、大仏をチラ見して長谷寺のあじさいを、と思ったら90分待ちだとかで断念(先にチケットを取って大仏でも見てくるのが正解)。
でもって江ノ電で江ノ島に出て、しらす丼を食いました。
梅雨の晴れ間ですっごい日差しがきつかったです。日陰は涼しくて風もあって快適だったけど。
有名店はまたしても90分待ちだったので、その近くの名前も覚えてないお店に入りましたが、まあ使ってるものが同じだろうから、そんなに差はないでしょうな。何にも期待してませんでしたが、どっこいすっごいうまかった
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これやで。一口目で気が遠くなった。
(※弊管理人は生ものが食べられないので釜揚げ。生を食べた同行者も似た反応でした)

あとはまあ、大仏周辺の写真。
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サロンパス常用の弊管理人は背中の四角も含めて猫背に親近感を覚える。
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手水そばの注意書き。飲酒をたしなめられた気分になる。
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この土産品が訴求すべき相手に届くのか、この時代感覚。
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きわめて繋がりが深いはずだが、なぜか違和感のある取り合わせ。

日焼け止め、腕に塗り忘れたー

* * *

夜は新小岩、八木屋。
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オーソドキシーを追究するということが、これ。あっさりラーメン650円。
タオルを頭に巻いて黒いTシャツを着たいかつい兄貴みたいのが作るラーメンに倦んだら。
チャーハンも例に漏れず、です。

* * *

とうとう休日のメールチェックをやめました。

2014年05月18日

彦根

土曜の昼過ぎ、新幹線を使う弊管理人と、富山から車で来る同行者が米原で合流し、大阪の友人を訪ねる……はずだったのですが、なんか時間を読み間違えたとかでずいぶん待たされることに。
米原はいかにも何もないので、とりあえず彦根に出ることにしました。
近江鉄道で290円。(ちなみに帰りは同じ区間をJRで移動しました。190円)
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切符が厚紙!
西武鉄道の子会社だそう。なのにものっそいローカル感。

彦根に着いて、某友人から教わった「旅先ではまず観光案内所でパンフを入手せよ」という鉄則に従い、パンフ入手。しかし特に惹かれるものもなし。
駅近くにいた弘法氏は寝ててやる気なし。
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しょうがないので彦根城へ。
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お山の上なので眺めはよい。
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予定から2時間ばかり遅れて到着した同行者を罵倒してメシ食って、
明るい廃墟としてつとに有名な「ピエリ守山」を冷やかす。
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夕暮れの(強風のためか)荒れ狂う琵琶湖を湖畔の公園から一瞥。真ん中のは多分、多景島(たけしま)。
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大阪までひとっ走りして、当日は舞鶴で釣りをしてきたという友人から釣果の鍋をごちそうしていただきました。
大林宣彦のデビュー作「HOUSE」をゲラゲラ笑いながら見ていたら深夜になっちゃった。

明けて日曜。
いやもう二度と琵琶湖観光なんかしないだろうからということで竹生島(ちくぶじま)に行きますからね。
彦根港から40分、琵琶湖の北の方にある島がこいつ。(この写真は帰るときのもの)
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パワースポットだそうで、なんかそういうの好きそうな臭いのする人たちがちらほら。
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かわらけ投げ。自分の名前を書いた1枚と、お願いを書いた1枚を欄干から投げて、鳥居を通すと願いがかなうというゲーム、300円。鳥居の周辺が白いのは全部かわらけです。(やらなかった)
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豊臣秀吉が寄進した都久夫須磨神社。国宝だって。
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その脇にまわるとゆるキャラが。
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細い道をすたすた歩いていくと、ひとけのない水辺に鳥居があった。
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宝厳寺唐門。1602年、豊臣秀頼が京都の豊国廟から移築したものとのこと。
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本堂は一番高いところにあります。宝厳寺はもともと聖武天皇が行基に開かせたんだそう。
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振り返ると見晴らしもよい。
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彦根発着の船を使うと、島の滞在は1時間10分です。ちょうどいい時間です。
彦根に戻って15時、遅めの昼食は食べログで見つけた「スイス」。なんぞこの外観……
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学生街の喫茶店価格で、ハンバーグ500円とライス100円。
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玉葱のざく切りっぷりが清々しいハンバーグが熱々の鉄板にのっかって出てきました。
特に期待してはいませんでしたが、香ばしくてジューシーでうまかった!

旅行は一人のほうがサクサク回れていいんだけど、まあ同行者にペースを乱されるのもたまにはいいか、という土日でした。

2014年05月05日

連休中途半端日記

連休4月パートは曜日の並びが悪かったので、5月3-6日は集中して人が動くだろう、帰省辛そうだなーと思って及び腰でした。が、4日夕方にバスで帰省して5日夕方に特急で戻ってきたら全然辛くありませんでしたとさ。

今年は父親の運転で木曽に行きました。
昼神温泉から国道256号に入って北上します。なんと桜が満開。
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はなもも街道の異名があります。はなももというのはこれ。
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一つの木に、赤白桃の3色の花が咲きます。なんか長野にしては派手派手しくてきれーです。

妻籠宿を散歩。
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澤田屋で、この時期だけの朴葉巻をいただきました。
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開くとこう。
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あんこが中に入ってます。柏餅みたいなもんです。

開田高原から御嶽山。
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いやあきれい。長野の山ってなんか枯れたようなくすんだような色で、これを見ると帰ってきた気がします。
「まつば」でそばを食おうと思いましたが、あまりの列に断念。
代わりに木曽福島に出る途中で適当に入ったそば屋(名前確認せず)で食いましたが、これがうまかった!

権兵衛峠を越えて伊那に出て、上諏訪から特急に乗って帰りました。

夕飯は幡ヶ谷の「カリヒオ」に初めて入り、ドライカレー+キーマ+温玉。
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よいねよいね。先達によるとスパイシーチキンカレーもうまいらしいので今度な。
疲れて寝たのに、早朝に地震で起こされました。あー

* * *

追記。6日はお呼ばれの餃子宅飲み堪能したー

* * *

一方、読んだもの。

■町田康『人間小唄』講談社,2014年.
職場の上司から借りた。
なんぞこれ。
in turn解説者拉致られろ。

■バウマン, Z.『リキッド・モダニティを読みとく』(酒井邦秀訳)筑摩書房,2014年.
2008~09年に書簡形式で書かれた44のエッセイ。
リーマン・ショックと環境問題をすごく気にしてた時期に書いたのねという回がいくつかあったが、08年の過去になりっぷりを思うに感慨深いというか。
全体、さらっと読んでしまうたぐいの文章ですが、訳者あとがきに倣って、よかったと思う回を。
高尚な芸術だけを食う、ブルデューのいうような「文化的エリート」はもういなくて、ポップもテレビもつまみ食い消費するのがエリートの作法となっているという18。
ゲーティッド・コミュニティの風景から入って、アメリカの不平等とうつと服役者数を考え、トリクルダウン仮説を疑う21。
確率は世界の乱雑さと「やればできる」という傲岸の折り合いであるというベックを引き合いに、リスクと全球的な対処の必要性を言った28。
ミルグラム実験、アブグレイブ収容所での虐待を研究したジンバルドの『ルシファー・エフェクト』、ポーランドのユダヤ人大量殺人に関与したドイツ警察101予備隊の例から、鬼の所行を喜んでする人が2割、断固拒否する人が2割、日和見が6割という。嗜虐が個人の性格ではなく、多数の独立した要素が干渉してできた結果だと見れば、流動化して権威が分散する近代状況はよい方向に作用しているのではないかと見る42。

* * *

えー4月は3回しか日記書かなかったのか。
しかも1回は書くことないとかすぱげっちのザルひっくり返したとかそんな話……

2014年04月06日

かなまら祭

川崎市は金山神社の「かなまら祭」見に行ってきました。

江戸時代、川崎宿の遊女の性病除けに端を発したものらしい。「子授け、安産、縁結び、夫婦和合」と御利益を説明しているサイトもありましたが、まあいずれにせよ弊管理人には関係のない話。
どうも信州地獄谷の野猿公苑のように外国でメジャーになっているらしく、ガイジンさんがたくさんいました。

御神輿は3体。すっげえ人出。目を引くのがこれ。
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浅草橋の女装クラブ「エリザベス会館」が寄贈したものだそうです。
担いでいるのも女装の皆さん。チンコが鳥居をくぐっていくのも不思議な光景です。

境内はチンコだらけ。
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楽しそうですね。グッズや酒の販売もあります。大らかだな。

チンコの飴細工が人気で、列ができていました。
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素質あるかもな、君。
ちなみに別の人が食ってるところを見たら、飴は中空のよう。マンコもありました。

このあと、雨が降ってきたので退散。
新宿で酒を飲み、フォー食って
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ギョーザ食って
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帰ってきました。
季節が1カ月くらい逆戻りしたような寒さでした。

2014年02月26日

台湾(5日目・終)

飛行機は午後2時半ですので、今日は帰るだけ。
でも一応……と見逃していた迪化街を軽くスキャン。
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乾物、漢方、その他いろいろ。静かなアメ横みたいな。
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戻って、Melange Cafeでとうとう水出しコーヒーと苺ワッフルに邂逅ですよ。
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こちらのワッフルってぎっちり詰まってますね。
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在台北友人のおすすめには少しの外れもないな。拍手。
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バスに乗って1時間、桃園空港からさようならです。
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えいやで休みを取って出掛けた台湾、本当に楽しく過ごしました。
「また来たい」と思ってしまうほど豊かな資源を持った所だと思う。

と同時に、ビジット・ジャパンとか訪日観光客1000万人誘致とか、中国人観光客に日本に来てもらってお金を使ってもらおうとか、なんだか金づるとして観光客を捉える政策ってどうよという普段からのもやもやが少し像を結んだような気もしました。それは同行者の言葉を借りれば「欧米観光地と、金づると見られた日本人観光客」というかつての関係が再演されようとしている(そして成功しないかもしれない)だけなのでは、という疑いが沸きます。

そもそもお客を効用の観点で見ることに違和感がある弊管理人ですが、仮に観光と効用を結びつけるにしても、温かくもてなして、ファンになってもらって、リピーターになってもらって、政府と政府の間でちょっとした事故が起きたくらいでは戦争になんてならないような関係を持った国を増やしていくということを目指すべきなんじゃないかな。

とか、なんかいろいろ考えた旅行でした。
濃かった。楽しかった。天気にも恵まれた。
あと次は少しは言葉と歴史を勉強して行かないとね。

2014年02月25日

台湾(4日目)

本日は台北中心部からバスで1時間半くらい離れた九フン(份=にんべんに分)と金瓜石に向かいます。

その前に、在台北友人から教わったMelange Cafeで朝食だ。
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本当はダッチコーヒー(水を1滴ずつたらして時間をかけて抽出したやつ)と苺のワッフルを勧められたのですが、朝9時半からのメニューだったようで。最終日に回すことにしました。モーニングも十分うまかったけど。

MRTの忠孝復興駅で降りて、基隆客運のバスに115元払って乗ります。
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車窓から見えたお墓群。沖縄っぽいですね。
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終点の金瓜石。
年表によると、19世紀末に清朝が金山の開発を始め、日清戦争後に日本が入って引き継ぎ、第二次大戦後は1987年まで台湾政府が採掘を進めた場所のようです。2000年代に入って史跡として注目され、ビジターセンターや博物館区が整備されてきた模様。
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「金瓜石太子賓館」は、皇太子(後の昭和天皇)の視察計画に合わせて1922年ごろに建造された日本式の建築です。
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トロッコ。観光客もちらほらいた。
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坑道が見学できます。
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佐渡にもこんなのがあったような。
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山をずんずん登っていくと「金瓜石神社(黄金神社)」跡があります。
1933年、日本鉱業が建立したもので、戦後に破却されたという。
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これは何の花だろう。
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こちらは金運獣というありがたい動物らしい。
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神社から降りて博物館の展示を見たりしていたらお昼になったので、売店で「鉱山弁当」を買って食べました。
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包んでる布と、竹の箸と、ステンレスの弁当箱が持ち帰れる。峠の釜飯みたいです。

さてさて、バスでちょっと戻って九フンへ。こちらは観光客でいっぱい。
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これはなんだろう。肉が中に入ってるような。
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犬と自分にメシを食わせるおじさん。
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目当てはほぼ一つで、在台北友人から教えてもらった「阿柑姨芋圓」。
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入り口で「冷たいの」を買って奥へずんずん進むと、絶景を見ながら食べるコーナーがあります。
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芋団子と豆を甘く煮たやつを氷の上にぶっかけたスイーツですな。うまーい。
「通りの入り口のあたりの店じゃなくて、ちゃんと一番上まで上ったところのお店に行くのだ!」との友人アドバイスに従った甲斐がありました。

「九份茶房」も覗かせてもらいました。
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ルックアウトから眺められる景色はこんな感じ。ちょっとガスってますが。
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土産屋で見つけた……
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「悲情城市」の撮影地らしいですよ。そのうち見てみよう。
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では、台北に戻りましょう。
午後2時か3時くらいには戻ってくるだろうと思っていたところ夕方になってしまったので、ものすごい勢いで色々回りました。
台北のアキバみたいな通りを抜けて、日本統治時代の酒工場跡を改装し、芸術・文化系の施設が入る「華山1914文創園区」へ。
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カフェも。
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タクシーで日本人観光客に超有名らしい「百菓園」に転戦し、フルーツかき氷を食らう。
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うめー!これうめー!釈迦頭という日本ではまずお目にかかれない果物を初めて食べましたよ。

さらにタクシーで、今度は煙草工場跡を利用した「松山文化創意園区」へ。
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近代国家における煙草や酒の専売の位置づけや、歴史的建造物の再利用、台北のアート事情など考えている時間もなく移動(笑)国父紀念館へ。
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日没間近の公園はなぜか、凧揚げの人がいっぱいいました。
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なんでこんなに急いでいたかというと、18時に在台北友人、台湾研究者友人と待ち合わせしていたからです。
ぎりぎり間に合って夕飯へ。
途中、眷村文化公園に寄りました。外省人(本土から来た人)の軍人と家族の居住地だったところで、台北101の近くにあります。台北101は2004年、世界一高いビルとして竣工したそうです(2007年にドバイのブルジュ・ハリファが抜いた)。
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ここもアートスペースや雑貨店、飲食店などが入っています。歴史的建造物をしっかり残して新しい利用をするというのがいいなあと思ったり、しかしこの辺の歴史って全然知らないなあと反省したり。

ごはんは小籠包の超有名店(らしい)「鼎泰豊」ですよ!
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すっごく人が待っていたものの、回転のよさと収容力の大きさでそう待たずに入れました。
小籠包に18個のヒダを入れる職人さんたち。
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素敵すぎる小籠包と海老ワンタン。
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魅惑的肉野菜餃子!
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あと、チャーハンと牛肉麺もいただきました。サーブがとても速い。
ごちそうさまでした。どれも大変おいしかったです。
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ついでに、台北101の免震装置をかたどったゆるキャラ氏。
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なんかキャラとかデザインとか、すごく上手だと思う、ここの人たち。なぜだろう。
台北101のふもとは、本土からの金持ち観光客をあてこんで作ったらしい高級ショッピングモール。
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ちなみに竹が成長するようなデザインなどと言われるこのビルですが、在台北友人は「昔は刑場だったので、悪いものが出てこないように剣が突き刺さった形になっている」説を紹介。それはやばいw

本からおされ系の品まで揃う誠品書店を見たあと、バスで少し移動して、市政府駅近くにオープンしたICE MONSTERでかき氷。
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対照物がないので分かりにくいですが、かなりでかいです。4人で2個で十分でした。
苺とマンゴー。果物関係は外れなしだなあ、台北。今はまだ知られていないようですが、来年には日本人観光客でいっぱいになるだろうというちょっと寂しい予想。
かき氷、250元(≒800円)です。12元の肉まんや60元のワンタン麺を売っている/食っている人と、このかき氷を食ってる人って、やっぱり暮らしが違うのだろうか、たぶん違うんだよね、とちょっと思った。

2夜にわたっておつきあいしてくれた在台北友人と台湾研究者友人に深謝です。
素敵なプチ同窓会でした。

かなり歩いて疲れたので泥のように眠りました……

2014年02月24日

台湾(3日目)

24日は月曜であります。
朝、ホテルから台北駅まで歩いてみました。道すがら見かけたスクーターの奔流。
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日本ではモーターサイクルショーで見るばかりのKYMCOが大活躍です。
スクーターなら60km/lくらい走るだろうから車に一人乗りで通勤するよりエコだと思うのですが、課題は騒音と排ガスかなあ。ちなみに若夫婦とキッズの3人乗りまでは見た(バイクの定員は2人です)。

台北駅には在来線、新幹線、地下鉄が乗り入れています。
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広大であります。
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駅の南側にある南陽街は予備校の集中する通りです。
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ドリンクや点心など、おいしそうなテイクアウェイのお店も集まっていました。

南陽街を抜けると、二・二八和平公園に突き当たります。
横が国立台湾大の附属医院のせいかどうか知りませんが、献血をやってました。
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すっごい並んでいるんですが。Taiwan Todayを見ると、台湾の献血は先進国を上回り、血友病の人が必要とする血液製剤を海外に寄付するほどだとのこと。でも月曜の朝ですよ。ボランティアですよね?ホント?

和平公園の、ちょっとゆるキャラっぽい楼閣。
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台湾現代史では超重要なのに全く知らなかった「二・二八事件」。
日本統治の終了とともに大陸から入ってきた国民党の腐敗に対する台湾人の不満が背景にあったようです。1947年2月27日、闇タバコを売っていた寡婦を取締官が暴行、これに対する抗議のため翌28日に台湾人が市庁舎に向けてデモをしていたところ、憲兵隊が発砲して抵抗が台湾全土に広がった。
国民党側は大陸からの援軍を得て、日本統治時代に高等教育を受けたエリート層を投獄、殺害するなどしながら弾圧を続け、出された戒厳令が解除されたのは1987年になってから。1989年には事件を描いた映画「悲情城市」でやっと世界的に知られるようになった。刑法改正によって言論の自由が保障されたのが李登輝時代の1992年。政府への反逆から抵抗運動へと再評価されるようになってきたとのこと。
この間の犠牲者は28000人との説があるが、いまだに確定されていないそうです。
(帰国してから読売のサイトWikipediaを参考にしました)。
記念館は月曜休みだったようで、残念ながら見学することはできず。

上のような知識がない状態で訪れてしまった弊管理人は全く深刻な気分になることもなく、公園内にある「健康歩道」でキャッキャ言いながら石を踏んでいました……
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今にして思えば一歩一歩確かめながら歩けば気持ちいいくらいの道だったはずですが、この時はそれに思い至らず「うおおう」「ひえー」とか言うはめになりました。

総統府は遠くから見ただけ。
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でもパスポートを持っていけば午前中は内部に入れたらしい。
時間的な制約があったので仕方ないが、結構取りこぼしがあったね、今回。

踵を返してちょっと歩くと中正紀念堂のある中正公園があります。
これ、門。下にいる人の大きさでスケールが分かるでしょうか。むちゃむちゃでかいです。
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中央に見えていた紀念堂の階段を上って振り返るとこんな。
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広さを伝えるのは難しいなー。
紀念堂の中には蒋介石がいます。
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これもでかい。巨大な公園と巨大な権力者の像、ワシントンDCのリンカーン・メモリアルを思い出します。
毎正時にやる衛兵交代も見られました。
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1時間のうち15分くらいは交代式してるのね、この人たち。まあ確かに直立不動よりは動いてるほうがいいか。

紀念堂の横には、きれいな庭があります。
上級者向けの「健康歩道」をまたひとしきり歩いてはうめき、トイレへ。
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トイレを出て見える光景がこれ。素敵っす。
この赤いのは桜なのかなあ。
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公園を出て移動します。
そういえば歩道の郵便ポストが2色あるんですけど、正面(なぜか車道側を向いている)に回ってみて違いが判明しました。
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赤が国際郵便と速達、緑が市内と市外の普通郵便でした。
地下鉄の中正紀念堂駅。フリーのwifiも使えるし、きれいだし、素晴らしいよ、MRT。
弊管理人が持って行ったのは2007-08年版の『地球の歩き方』だったのだけど、この時の路線図にはない路線ができており、なお何駅かが建設中・建設予定のようです。依然動いている街なのですねえ。
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ちなみに駅構内と車内は飲食全面禁止です。

龍山寺。1738年創建だそうです。
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屋根がすごーい。
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善男善女がお祈り。若い人も多いです。仏教、道教、文昌帝君などが同居しているよう。
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お作法が分からないけど。
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建物の重量感。
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昼飯は、善導寺駅近くの「徳也茶喫」で。
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烏龍茶で煮込んだ豚の角煮の定食。うまかった。
同行者は凍頂烏龍茶とお菓子をオーダー。ちょっと飲ませてもらいましたが、これ烏龍茶かというくらいトゲのない透明な風味でびっくり。茶道を見られるかと思いましたが、2人以上でとかの条件があったようで、ここでは見られませんでした。

午後はそれぞれに楽しむことにして同行者と別れ、弊管理人は茶芸リベンジをということで別のお店に向かってみました。
大安森林公園駅から15分くらい歩いたところにある「紫藤廬」。日本家屋を改装した築80年くらいの建物だそうです。現地でも結構有名なところらしい。大通りに面しているので多少音はしますが、藤棚?のある庭、灯りを抑えた室内とも落ち着いた雰囲気です。
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紫藤、という烏龍茶と餅をオーダーすると店員さんが道具を運んできてくれて、「OK?」と尋ねられましたが、「全くどうしていいかわかりません」と答えると、作法をやってみせてくれました。
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見ていた限りですが、(1)茶葉を入れた器を嗅ぐ(2)茶葉を急須に入れる(3)お湯を注いで蓋を閉める(4)急須の上からもお湯を注ぐ(5)急須を置いている器のお湯を捨てる(6)取り分け用の器にお茶を注ぐ(7)匂いをかぐ用の器にお茶を注ぐ(8)飲む用の器に移して飲む。
こんな手順かなと思いました。2杯目からは(3)~(8)を繰り返す。多分。
どぼどぼ、じゃばー、っていう感じの剛毅な茶道ですwでも味も香りもすごく澄んでてよい。
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居心地がよすぎて、庭を見ながら1時間以上ぼーっとしてしまいました。
なぜ急須から直接、飲む用の器に注がないのか不思議に思っていましたが、帰り際に店員さんに聞いてみたところ、「2人以上に分ける場合、先に注いだほうが薄味、後に注いだほうが濃い味になってしまうので、味のむらが出ないように先に全てを取り分け用の器に入れるのだ」と教えてくれました。はっはあ~

ぶらぶら歩きながらホテル方面に戻ります。小学校の集団下校にぶつかりました。
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ランドセルとリュックが混ざってますね。あと緑のおばさん的なボランティアの方も。

おされシティらしい永康街……の裏道を散歩。
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何の変哲もない路地です。台北の街って緑地が多いわけではないが、ベランダ園芸が結構森のようになっている建物が多いので、大通りから一本裏に入るとわりと緑がもさっと茂った町並みだなあという印象です。

夜は、在台北友人夫妻と台湾研究者友人、それとわれわれ2人でご飯を食べました。
三越の上にある「欣葉」という有名なお店らしい。日本人ツアー客がどばどば入ってきてました。
豆腐、切り干し大根入りオムレツ(こちらの切り干し大根は平べったい)。
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えびパイナップル、ホタテねぎ(名前がどれもいい加減ですみません)。どれも美味美味。
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ここには出てませんが、杏仁豆腐がもちもちしていた。
ごちそうになってしまいました。あああありがとうごめんね。
食事を済ませたあと、中山駅周辺で夜のお散歩をして、また明日も夕飯を一緒に食べる約束をして別れました。

満ち足りて就寝です。Zzzz

台湾(ところで)

■ところで、今回の台北では中正紀念堂と国父紀念館を見たのですが、あれ?孫文(1866-1925)と蔣介石(1887-1975)ってどういう関係だっけ?とこんがらがったので、手元の『詳説世界史』(山川出版社、2013年)を参考に流れを追ってみました。高校世界史を勉強してから20年……(遠い目)

* * *

・20世紀に入るころ、清朝の打倒を目指す革命運動が盛り上がった中に、孫文が1894年にハワイで組織した「興中会」もあった。
・孫文はばらばらだった革命諸団体を結集しようと、1905年に東京で「中国同盟会」を組織。「民族・民権・民生」の三民主義を掲げて革命宣伝や武装蜂起を行った。中国同盟会はその後、国民党に発展。


・1911年、満州皇族を中心とする内閣が幹線鉄道を国有化しようとしたのに民族資本家や地方の有力者が反発。四川で起こった暴動をきっかけに軍隊の中の革命派が蜂起し、辛亥革命が勃発、各地に拡大した。
・辛亥革命が始まって1カ月で大半の省が独立し、孫文を臨時大総統に迎え、1912年1月に南京で「中華民国」の建国を宣言、アジア初の共和国が成立した。※それで民国紀元が始まるんですね。今年は民国103年。


・清朝は北洋軍の実力者である袁世凱に革命側との交渉に当たらせたが、袁世凱は清朝を見限り、宣統帝の退位と共和政の維持を条件に孫文から臨時大総統の地位を譲り受け、北京で就任した。
・しかし、議会を抑えようとする袁世凱と、孫文の国民党が対立、共和政は安定しなかった。
・孫文は武装蜂起(第2革命)したが袁世凱が鎮圧、袁世凱が正式に大総統に就任した。
・さらに袁世凱は自ら帝位に就こうとしたが、国民党系の地方軍人による反発(第3革命)や諸外国の不支持により失敗、1916年没。
・その後、北京政府の実権をめぐって各地の軍閥が抗争する状態が十数年続いた。(pp.324-326)


・1921年、コミンテルンの支援によって陳独秀(「新青年」を発刊した思想家)を指導者とする中国共産党が結成。孫文の中国国民党もソ連の援助を受けたり、共産党員が個人の資格で国民党に入党することを容認、第1次国共合作が成立した。軍閥打倒・帝国主義打倒路線へ。孫文は1925年に病死。


・1925年、国民党は広州に国民政府を樹立、1926年には蔣介石が率いる国民党の軍=国民革命軍が中国統一を目指して北伐を開始。1927年には上海、南京を占領した。
・しかし、国民政府の内部で共産党員(左派)と右派が対立し、蔣介石は1927年3月の上海クーデタで共産党を弾圧。新たに南京に国民政府を立てて主席に就任した(国共分裂)。共産党は農村でソヴィエト政権を作る方向に転換し、1931年に江西省瑞金で毛沢東を主席とする中華ソヴィエト共和国臨時政府を設立した。


・1928年に北伐が再開され、北京に迫った。日本は全国統一を妨害するため、日本が後援していた張作霖を爆殺するなどしたが謀略は失敗し、張作霖の子の張学良が日本への対抗として国民政府の東北支配を認めたため、全国統一が達成された。(pp.349-350)


・1931年の満州・柳条湖での鉄道爆破(柳条湖事件)をきっかけに関東軍は東北地方の大半を占領(満州事変)。1932年、溥儀を執政に迎えて満州国を建国した。
・国民政府は日本への対応よりも共産党との抗争に力を入れていたが、満州事変をきっかけとした抗日運動の広がりを受け、中国共産党は八・一宣言で内戦停止を呼びかけた。張学良は訪ねてきた蔣介石を監禁して説得し、国共は再び接近。1937年に第2次国共合作が成立して、日中が全面交戦状態に入った(日中戦争、~1945年)。(pp.358-360)


・戦後になって国民党と共産党の対立が再燃。国民党幹部の腐敗や経済混乱で民衆の批判を浴び、農民の支持を得て反攻した共産党に敗れた蔣介石は1949年に台湾に逃れ、中華民国政府を維持した。共産党は同年、毛沢東を主席、周恩来を首相とする中華人民共和国の成立を宣言した。(p.376)

2014年02月23日

台湾(2日目)

明けて日曜。
ホテルからそう遠くない地下鉄淡水線の雙連駅近くに朝市が立っているというので見に行きました。

観光客もいるが、地元の人が多い感じです。
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青果から惣菜までおいしそうなものがいっぱい。試さなかったけど。
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首がぎゃーw
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下半身がひーw
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朝市の中程にあるのは文昌宮。
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学問・受験の神様である文昌帝君、魁星、朱衣神、呂祖、関帝をまとめて「五文昌」と呼ぶそうですが(1←ちなみにこの文献面白い)、ここにはそのうち文昌帝、朱衣神、関帝が祀られているそう(2)。受験生とおぼしき子たちがお祈りしてました。「考試順利!事事達成!」なんて書いた絵馬などもかけてありました。

隣の民権西路駅の入り口脇のスペースで何かを練習するおばちゃんたち。
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駅で地下鉄、バスに3日間乗り放題のパス(440元≒1500円)を買い、淡水線に乗って北の士林に向かいます。
士林駅から7-8分歩いたところにある士林官邸は、1950年から蒋介石夫妻が暮らしたおうちだそうです。日本統治時代は園芸試験所だったそうで、バラ園や森を含んだ広大な植物園の風情です。
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散歩しがいのある公園。植生はさすがに南国っぽいです。
記念写真撮りまくりのカップルも(いくつか見かけたが、いずれも奥さんやカノジョががっちりポーズを決め、旦那やカレシに詳細にアングル、構図を指示していた。直立不動で写真に写りがちなわれわれは、彼らのポートレートにかける熱情から学ぶところが多いかと)。
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1975年に蒋介石が死去した部屋も見られる「正館」。
ただし、内部の撮影は禁止されています。
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待合室、応接室、リビングから書斎、寝室まで見学できます。落ち着いた色遣いの調度品と、窓の外の緑。通り抜けるだけで心地よい気分になります。読書家の旦那と、絵もたしなむ奥さん(宋美齢)のハイパー文人セレブぶり?がすごい。

記念スタンプもふるってるのう。何につけてもセンスいいよ。
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昼飯は、中国語堪能な日本人友人から教えてもらった素食(粗末な食事という意味ではなく、ベジタリアン料理を指すらしい)のお店に行ってみました。士林の駅から歩いて5分くらいのところにある「毫光素菜館」というところです。
茸のスープと、何かの野菜でハムを再現したお料理。
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松の実が入ったチャーハンに、クコの実とブロッコリーの炒め物。
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芋とタピオカの甘味。
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観光客らしい人は他におらず、周辺に住んでいるちょっとお金のある感じの若いパパママと子供が休日の外食に訪れるようなお店という印象です。緑いっぱいの窓辺の席に案内してもらえました。こってり系ラーメンもいいですが、野菜においしく火を通した料理も大好きです。ちょっと薬膳ぽい香りもして、とてもおいしい。というか体があからさまに「うめえ!」と言っている。満足満足。

官邸を歩いてちょっと疲れていたのが回復したので、士林駅前に戻ってバスで故宮博物院に向かいましょう。
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リーフレットによると、「故宮」とは紫禁城のことだそうです。1931年に日本の侵略を避けて文物を南西部に移し、さらに1949年、内戦の影響で台湾に移したとのこと。現在の場所に博物院が建造されたのが1965年という。2015年には南部の嘉義県太保市に分院がオープンするんだって。また行く理由ができた(笑)

内部は撮影できないので、隣のお庭「至善園」を。
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展示は歴史のおさらいから始まり、書、絵画、青銅器、陶磁器、鉱物などお宝を巡っていきます。
歴史のおさらい、とても変な感じがしたのは、中国本土の周から始まって、途中に元だの清だの、なんかよそから入ってきちゃった人たちの歴史になり、そして台湾の原住民とか国民党とかの話になっていく、そのごちゃごちゃ感。
来る前、友人が「昔は5日間かけて見ても飽きないところだったが、今は2時間あれば見られるところになってしまった」と嘆いていましたが、うん、まあ、そうかもね。それ以上に歩き回って疲れたし、夕暮れが近いというので早々に外へ出てきました。
ところで、must seeは翡翠の白菜(これだ!)と、豚の角煮みたいな石だそうです。白菜はすっごい行列だったので、その外から頭だけ見ました(笑)同行者は品揃えの非常に充実した売店で白菜グッズを物色しておりました……

士林駅までバスで戻ると、渋滞に巻き込まれたこともあり、日が沈むところでした。
淡水線の北の終着駅、淡水は夕日スポットとして名高いそうなので楽しみにしていましたが、着いてみると何とか夕日の残り香は味わえる時間帯でした。
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かなり疲れてきたので、適当な喫茶店でコーヒーを飲み、ぶらぶらとまた駅へ。

士林より一つ中心部寄りの剣潭へ。有名らしい士林夜市に向かいました。すっごい人出。
フルーツ屋がけっこうあります。
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スターフルーツにテンションが上がり、求めてみましたが、特段おいしくなかったです。
メシ食いたい!ということで地下美食街へ。
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臭豆腐が臭い!
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海老の入った、玉子と片栗粉のお好み焼きみたいなやつを食べてみましたが、うまくもなかった。
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結局おいしかったのは15元(≒50円)の肉まんでしたとさ。
夜市はもういいや。

中心部まで戻って、同行者が熱望した足裏マッサージに行きました。
60分800元。安いのか?安いのか。
足裏マッサージ、初めてでしたが卑猥な感覚を喚起されたのは秘密です。
全身マッサージは、普段マッサージなんて行かない弊管理人には大変痛く、途中から「なんでこんな痛い思いをしなきゃいけないんだ」と立腹しながら終了しました。ちなみにマッサージのヘビーユーザーであるところの同行者は夢心地だった様子。まじかー

12時前に就寝~

昼食をとったレストランで見つけたイイネ!
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(1)http://kuir.jm.kansai-u.ac.jp/dspace/bitstream/10112/4292/1/02-nikaido.pdf‎
(2)http://www.geocities.jp/cdj33980/travel/taiwan/wenchanggongtp.html

2014年02月22日

台湾(1日目)

大学時代に同じ学科だった友人と、初めての台湾に行ってきました。
北海道に住んでいた2008年ごろにも一度、ガイドブックを買ったことがありました。しかしいろいろ事情があって叶わないままになっていました。
ところが、同じく大学生のころ、弊管理人も利用した交換留学制度でニュージーランドから来ていた台北在住の友人に再会する機会が昨年の夏にあり、台湾熱が再燃。留学制度にかかわっていた上記友人とこのたび訪台することになりました。

* * *

成田発の午後2時台の中華航空で台北桃園空港へ。

富士山きれいわー
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到着後、1961番のバスで市内まで1時間。そのまま「台北戯棚(タイペイ・アイ)」で獅子舞と京劇を見ました。
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このあと、弊管理人はステージから降りてきた獅子舞ちゃんに噛まれました。
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公式サイトによると、日本統治下にあった1915年、台湾人商人が京劇を呼んだのが始まりのようです。第二次大戦中に米軍の空爆によって劇場が焼失するなど曲折がありましたが、2002年から現在の劇場で公演をやっているとのこと。
この日は獅子舞と京劇の二本立てで90分。緩急や睨みを見ていると、ピアニストのラン・ランの演奏を思い出したりして。

午後9時半すぎに終演となったあと、MRT(地下鉄)中山駅近くにある宿にチェックイン。
夕飯を食べていなかったので、近場で何か、と探していて行き当たったのが「温州大餛飩」というお店。「餛飩」が読めない(ちなみに2人ともほぼ中国語ができない)ためメニューを見て「?」をいっぱい飛ばしていたのですが、ワンタンでした。
ワンタン麺、65元(≒230円)。やっす!
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生姜がきいててうまーい。

初日はこれだけで就寝。

2014年01月07日

主に香川

3-6日にちょっと旅行をしてきました。
年が明けても「どこに行こうかな」と決めかねていましたが、年賀状に今年の課題は未踏の四国と書いたこともあり、結局はJetstarで安いチケットがあった四国にしました。

■3日 成田→松山→高松

Jetstarは一度試してみたいと思っていました。成田―松山線に乗ってみます。
成田2ビルの国内線カウンターはこんな感じ、
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ですが、家のパソコンからチェックインし、搭乗券を印刷して持って行けば、ここには立ち寄らずにセキュリティチェックに進むことができます。平時なら手軽で安くていい移動手段です。この朝は有楽町で火事があって都心と新幹線のダイヤが大混乱したようですが、こういう緊急事態が成田方面であって搭乗時間に遅れたりしたらアウトだったろうな。

バスで市内に出て、とりあえず道後温泉へ。
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公衆浴場なんですね、ここ。予習をほとんどせず、計画も立ててない行き当たりばったり状態で出掛けてきたので、そんなことも知りませんでした。

お湯は無色透明。上がったあとはここで、お茶とせんべいと蜜柑をいただきながら休めます。
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「坊ちゃん団子人(びと)」というらしい。ずっと座って団子を振っていた。
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どういうコンセプトなのだろう。
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路面電車に乗って中心部に戻ります。
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なんか街中にもオレンジ色が多く使われてる気がする。蜜柑県だから?

お山の上にある松山城も一応見学しましょう。
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へえ、くらいで下山しました。

今治に泊まって、明日は「しまなみ海道」でも見ていきますか、と駅に向かいました。
しかし、構内の食堂で回鍋肉定食を食ってる間に電車がいってしまい、1時間待ちになったので、どうでもよくなってバスで高松に向かってしまいました。
安宿(2900円!)とって就寝。

■4日 直島

アートの島と聞いていた直島に行ってみることにしました。
アートが見たいわけではなく、いろいろ移動するのが好きなだけです。
高松港からは船で50分、510円(往復だと970円)です。
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瀬戸内海はぽかぽか陽気、海も静かでいいですね。
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直島の宮浦港には草間彌生のカボチャ。
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対照がないので分かりづらいですが、高さは人の背丈以上あります。
港から町営バスで終点まで行くと、そこにももういっこカボチャ。
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ここから安藤忠雄設計の「地中美術館」を徒歩で目指します。
歩いてる途中にもいろいろ置いてある。
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こんなのも
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李禹煥美術館。
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そんなことより、島の風景がきれいなんですよ。
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ここも安藤忠雄の建築なので、コンクリート剥き出しです。足音の反響が耳を打ちます。

地中美術館は撮影禁止。
館内のカフェでの撮影さえだめなんだって。えー。どうよ。
まあ安藤ワールドは楽しめますけど、腑に落ちない。

がっしがし歩いてバス停まで戻り、バスで港へ。船を待ちます。
実は待合所もガラス張り、大屋根のオサレ建物です。
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喉が渇いたのでオリーブコーラなるものを飲んでみました。
よくわからない。

高松市内に戻って、投宿。「骨付き鶏」というのが名物らしいので、晩飯はそれ。
賑わっていた「よって屋」というお店に入って、とりあえずおでんとトリスジンジャー。
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で、骨付き鶏というのがこれ。850円。
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すごいシズル感!味付けが塩胡椒と大蒜なら、うまくないわけない。

お酒飲んで休みました。

■5日 こんぴらさん

前の晩に現地人から教えてもらった「うどんバカ一代」に朝飯を食いに行きました。
釜バター小、470円。横のは、ちくわ天だと思ってつけたらたこ天だった。
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粗挽きの胡椒がかかっててカルボナーラっぽいです。
あー、これはうまいらしいことは分かる。
前日、別のお店でもうどんを食べてみましたが、なんかピンと来なかったところでした。
でも、なんかどう楽しめばいいのかよくわからない。
そば県出身の弊管理人は、うどんリテラシーを養う必要があると感じました。

ところで、現地人はみんな近所に「お気にの一店」を持っているのだとか。おいしいところをいろいろ聞くと「竹清」などガイドブックに載ってるような名前も挙がりましたが、「行列してまではねえ」といって現地の人はあまり行かないとのこと。
それにしてもこれは一食なのか?おやつなのか?

琴平電鉄で瓦町駅から1時間、琴電琴平駅を目指します。
駅にあった貼り紙が嬉しげで。
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先頭1.5席くらい占領してますけど元気なさげね。
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キャラ押しますな。
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参道は賑わっています。
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本宮まで、讃岐平野を背に785段の階段を上ります。
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ご老人たちはこのへんで既に「もうあかん」と立ち止まっていました。
で、本宮がこんな感じ。
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さらに583段上ったところで奥社に着きます。
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いい見晴らし。左奥に瀬戸大橋も見えます。
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一応お賽銭10円ちょっと投げときました。初詣って神社でもいいんだっけ?

琴電を戻って午後3時、疲れたので早めに宿に向かいました。
現地人に教えてもらったCrepas(クレパス)という洋菓子屋でケーキを買って宿でお茶。
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すっごくセンスいい味。
そのまま2時間くらい昼寝してしまいました。

夕飯、だめ押しで鶴丸Geeというお店で肉ぶっかけをいただきました。
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うん、おそらく弊管理人のうどんリテラシーの問題だ。
それにしても「高松のうまいもの」って野菜が少ない。

■6日 豊島、犬島→岡山→東京

アートな島は直島のほかに豊島(てしま)、犬島(いぬじま)があるようなのですが、3島を1日で回るのはしんどいので、豊島と犬島は直島から切り離した日程にしました。

船は高松→直島、乗り換えて直島→豊島(高速船のせいか1200円とお高い)。
それにしても瀬戸内海はいつも陸地が見えていて安心感があります。
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バスで回るのも窮屈そうだったので、港で電動アシストつき自転車を借りました。
公開中ではないが、鎖を迂回して入っていったら見られた巨大くつべら。
スーパーカミオカンデでのニュートリノ検出に反応して光るんですって。はあ。
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これなんか典型ですが、オブジェってやけに周囲に静謐を要求しませんか。
それがいけ好かなかったりするんだけど。

それにしても自転車は気持ちいい。道端では水仙も開花してました。
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唐櫃(からと)地区にある作品(ボールは弊管理人が投げた)。何が面白いのやらさっぱり。
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これは作品……ではないよね?
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多分これも違うと思うのだけど。
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でもってこれが、メイン?の豊島美術館です。
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左がカフェと売店、右のでっかいのが本体です。
この美術館も内部は撮影禁止。というか、言葉で表すのが難しいのでこちら(3:27くらいから)をどうぞ。
カフェの中はこんな感じ。
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本体はこれの巨大なやつで、中には何も置いてありません。
足下を水玉が走っていき、くっつき、離れ、たまっていく。ときどき床の穴に吸い込まれる音がする。
原始的な生物のようでも、社会のようでも、交通網のようでもある。
これは本当に面白かった。内部で予想以上に長い時間ぼーっとしていました。

ということで昼過ぎの船で犬島に渡ります。
ここから岡山県。人口50人だって。
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銅の精錬所跡を利用した「犬島精錬所美術館」があります。
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屋上に行くと、館内の仕掛けの種明かしが。
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人も少ないし、暖かいし、暑くないし、いいシーズンです。
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精錬所を離れ、「家プロジェクト」をめぐります。
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しかし、朝起きて玄関の前にこんなのがある生活ってどうなんだ。右の家は人住んでるようです。
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これもな。
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これはベネッセとは関係ないらしい。「犬島ハウスプロジェクト」と書いてありました。
確かに犬がハウスしてる。柱が邪魔ですが、こっち側からの表情のほうが好きです。
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腹へった。ということで道中目に付いた「ウキカフェ」でパスタをいただきました。
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ベネッセ関係にこれ以上お金払うの嫌だっただけなんですけど、どっこいうまかった!
ところでよく見かけるこの植物、なんですかね。
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とまあそんなわけで、15時半には犬島を出て、対岸の宝伝港に着きました。
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西宝伝バス停からバスでJR西大寺駅、さらに岡山駅に出て新幹線で帰ってきました。
瀬戸内は明るくていいですね。天気に恵まれたのも幸運でした。
行き当たりばったりの旅でしたが、楽しかったです。

2013年12月15日

長野1泊

1泊で長野に行ってきました。
といっても帰省ではなく、18まで暮らし、今は実家もない北信。
おそらく10年ぶりくらいです。

大学受験のときは特急「あさま」で4時間くらいかけて東京に出ました。
在学中に新幹線「あさま」になって、当時は確か最速1時間40分だったと思う。
知らないうちにもっと止まる駅が少ないのができて、1時間20分くらいになってました。

■14日

長野駅前、バス停の屋根が鳩に占拠されている。
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街が自分の中のイメージより45%くらい小さい。
目が慣れるのに1時間くらいかかりました。

同行者と合流し、昼飯は駅近くの「みよ田」。
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ランチのセット、そば大盛りで1500円くらい、満腹になります。
ほんとうまい。東京なら軽く2000円以上取られると思う。
富士そばや小諸そばに毒されていたことを深く反省(食うけど)。

同行者に善光寺を見せて、湯田中に宿を取り、移動しました。
小学校高学年から高校までを過ごした地域を通り、意外と心が揺れる。
どれほど遠いところで今、生活しているかってことですかね。

湯田中は、長野駅を起点とする長野電鉄でだいたい1時間かかる終点の一つ(支線がいくつかあるため)、湯田中駅(山ノ内町)の近くにある温泉街です。
宿を取ったのが遅かったので、夕飯のついてないプランでした。
雪がこんこんと降る中、湯田中駅からすぐのところにある「ちゃんこ たまや」へ。
ちゃんこ、1890円。
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2人でおなかいっぱいになるくらいの量です。
350円で雑炊にしてもらえます。これも満足度高いです。野沢菜漬け付き。
あとは、焼き鳥470円を2人前。
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ししとうや葱のサイズから分かっていただけるのではないかと思いますが、BBQを思わせる大きさ。満腹。

コンビニで酒買って帰ってちょっと飲んで就寝。

■15日

青空が覗いてはいますが、ちらちらと雪の舞う典型的な長野の冬空。
宿の朝食も良。写真撮影忘れました。
チェックアウトしてから、湯田中の少し奥にある渋温泉を冷やかしていこうということになりました。
1200年の歴史があり、外湯めぐりが売りの鄙びた温泉街のはずが、
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なんとモンハンイベントやっている。
それっぽいお客さんも多く、湯田中より全然活気がありました。意外。
これはうまい企画かもなあ。弊管理人はモンハンやりませんが、そのうち滞在してみたい。

湯田中まで来たら、地獄谷で温泉に浸かってる猿を見て帰るべきだろうと思ったものの、雪の中を30分歩くと知った同行者が拒否。ぐぬぬぬ

仕方ないので近くの小布施町に出て茶でもすることにしました。
栗の町ですからね、桜井甘精堂でモンブランと紅茶。
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コンビニのモンブラン、うまいかもとか思っていたことを深く反省(食うけど)。

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卑猥な名前の最中も。

昼飯は長野駅近くまで戻って、カレーショップ山小屋。
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たぶん20年以上前から何度か足を運んでいたお店です。
子供のころおいしいと思って食べていたものが、大人になっていろいろおいしいものを食べてから戻ってくるとさほどでもないということはよくあります。でも、ここのカレーは今日食べてもおいしくてちょっとホッとしました。

14時過ぎの新幹線で東京に戻りました。
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結局食べ歩きになりました。
全部当たりだったからいいけど。

長野に帰ると呼吸が浅くなります。

* * *

結局、金曜の会社説明会ではぺらぺら喋ってしまいました。
2時間にわたって学生さんからの質問に答えて職場に戻ると、内臓がぎゅうぎゅう痛い。
このところの睡眠不足と、この日の朝食を抜いてしまったところに消耗が重なって死にそうになった。
とりあえず飯を食い、薬を飲んで、夕方すこし仮眠を取ったらだいぶ大丈夫になりました。
で、結局25時まで職場にいることになって再び疲弊するっていう。

2013年11月28日

社会契約論

■重田園江『社会契約論』筑摩書房、2013年。

ある初期値(自然状態)とルール(人間本性)を定め、ゲームスタートで一丁上がり。社会はいかにして可能か、という疑問にこうして答える、社会契約論のイメージってそんなものでした。
そしてできあがったものが望ましいものだと、どうして言えるのかもよくわからなかった。混沌から秩序への相転移や、事実から価値を引き出すところに何か飛躍があるようで気持ち悪かったのかもしれません。契約がいつ起こるかも論者によってずいぶん違ってたりするし。

で、この本。

(1)際限のない欲望を持ち(2)恐怖や苦痛を嫌う、という単純な性質を持った個人を地上にばらまき、よーいドンしたあとの運動と凝集を描いたホッブズ。社会形成の原点から神様の力を排除したこと、人間の本質を相当しょうもないものと置いてシミュレーションをスタートすることでその結果における一般性を確保しようという発想で、新しい展望を開いた。

ところが、「始まりの契約なんて、どこ見てもなかっただろ」と身も蓋もないツッコミをヒュームが入れる。始まりにあったのは力で他人をねじ伏せる、力でねじ伏せられるという関係であって契約ではない。そうやって闘争状態が止んだ状態にあって、人が秩序を保つルールを受け入れるのは、それが便利だということに試行錯誤の中で気付いたからだ。それが累積し、拡大していく。拡大していくとシステマティックに秩序を維持できる仕組み=政府が必要とされる。どうしようもない政府だとその目的に適わないので転覆することもあるが、まあだいたいは惰性で存続する、そのおかげで経済活動の持続性が担保され、豊かにだってなれるわけだ。

潔癖なルソーは、この地に足が着いた、というかちょっと現状追認的でおおらかな感じもするヒュームが肌に合わない。といってホッブズのように「惨めな闘争状態が続くよりは国家があったほうがいいだろ、我慢しろ」といって国家が人々を軽んじる可能性に目をつぶる姿勢にも満足しなかった。「どうなっているか」から「どうあるべきか」のほうへ心を寄せ、「正しい国家」の原理を考えた。自らを一般意志に委ねる社会契約によって堕落や腐敗や不平等を脱し、各人が守られながら、しかし自由であるような状態、それを実現すること。しかしその一般意志というのが分かりにくい。

一般意志の一般性というのがどんなものかを、明瞭に示して見せたのがロールズだという。一人ひとりが違っている、そんな多様性を孕んだ人間集団が最低限納得できるルールを見出すために「無知のヴェール」という装置を発明した。
ある社会の中で生きる任意の人を拉致して魔法のヴェールをかぶせ、自らの属性や立場に関する情報を見えなくしてしまう。ポジショントークを不可能にするこの仕組みが、人を一般的な視点に立たせることになる。その上で、当該社会を見渡した上でどんなルールが望ましいかを選ばせ、ヴェールを外してふたたび社会の中へ帰すのだ。
おそらく無知のヴェールをかぶった人は、自分が実は金持ちであっても貧乏人であっても、男であっても女であっても、つまりその社会に生きる誰であったとしても著しくひどい目には遭わないような原理を選ぶだろう。それは合理的に考えれば(1)できるだけの自由を各人が確保しつつ(2)最も恵まれない人の境遇を改善するような傾向と機会均等が保証される限りで不平等を許容する、というものに自然となるはずだ。

乱暴な要約だけど、とにかく、まあそんな感じに読んだ。

その上で、弊管理人はこの本でわりと踏み台扱いされたヒューム(っぽい考え方)もそう悪くないなと思っている。
それぞれ違った自分や他人の誰もが違いを持ったまま尊重される、そういう多様性を前提にした「よい社会」の姿からすると、自分に近い者により強く感情移入する、という人の性質をベースにするヒュームは同質性という真反対のものを前提にした社会構想をやっているように見えるかもしれない。
でも、誰だって「私の視点」と「私の経験」を元手にするしかないんじゃないか(ローティを念頭に置いている)。ミソは、いかに多様な人とつきあい、遠くまで出掛けて、共感の能力と範囲を拡大していけるかだ。(共感の意味は「他人の気持ちが分かる」より広くとっていいと思っている。他人の感じ方を知るのは原理的に不可能だから。他人に触発されて自分の心に何かのイベントが起きれば、それを共感に含めてしまっていいんではないか)
ロールズが行き方を教えてくれた「一般的な視点」に立ったとき、そこから見える風景は恐らく、誰かがほいっと一式与えてくれるものではない。どこまで遠く広く見えるか・どれだけ多くのものを見過ごさずに見られるかは、蓄積された経験の量と多様さに依存すると思う。ルソーやロールズが設定した高邁なゴールに到達するには、案外ヒューム式に歩いていくことが必要かもしれない。フィリピンのスモーキー・マウンテンを旅し、そこでの凄絶な生活を目の当たりにした経験が「よい社会」の構想を駆動しているらしい著者のあとがきを読んで、そんなことを思った。

心のこもったいい本っす。面白かった。
カバーに載ってる著者近影が「人造人間」という字のプリントされたシャツを着ている。
ホッブズがartificial manと形容したリヴァイアサンの化身か……

* * *

全然話は変わりますが、このところ中央線で神田→お茶の水の移動をすることがよくあって、途中の高架を通過するたびに目の高さを通り過ぎていくガラス張りの変なカフェはなんだろうと思っていました。
これだった。1912-43年に存在した中央線万世橋駅の遺構!
本日探検。1階はちっちゃい雑貨屋や飲食店がいっぱい並ぶ空間。
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2階に上がると……
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自分の立ってる高さを中央線が通り過ぎていきます。(写真は神田方面に向いて撮った)
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このスペースの反対側(つまりお茶の水側)に、電車から見えていたカフェがありました。
露天の席もあって気持ちよさそう。
無印良品のをアレンジしたようなカレーを食って、すたこら仕事に行きましたとさ。

2013年11月24日

大山

土曜に、神奈川県伊勢原市の大山に行ってきました。

小田急伊勢原駅で降りて、バスで30分、ケーブルカーで6分、そこから山頂(1252mと意外に高い)まで1時間半……と思っていたのですが、伊勢原駅からバスに乗るだけで1時間近くかかるという大混雑。
紅葉のハイシーズンな上に、最近どこかのテレビに出たらしく、例年来ているとおぼしき周囲の人の会話の中にさえ「ここまで混んだのは初めて」という言葉が聞かれるほどでした。

10時半前に新宿を出て、ケーブルカー駅の周辺でちょっと早めのお昼かな、という目算は見事に外れ、ケーブルカー駅から少し歩いたところの飯屋「ねぎし」で待って待って14時過ぎにやっと昼食になりました。
なんか、大山は「大山豆腐」ってのが名物らしいです。
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ということで、豆腐の定食、1700円(交通費が込み込みになった小田急のフリーパスを見せてここから100円引)。なかなかうまい、と思うあたり加齢を感じます。

ケーブルカー駅に向かいましたが、ここでも1時間以上の列。歩けば40分と言われたので歩くことにしました。

けっこうな勾配の山道を登って、中間地点の大山寺。
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紅葉、きれいだー。ピークをちょっと過ぎた感じ。もう1週間早くても大丈夫そう。

そこからさらに登って、阿夫利神社の下社がケーブルカーの終点(678m)です。
頂上を目指すには遅い時間になってしまったので、ちょっと歩いて滝と見晴台という展望スポットを見て戻ってきました。
下社とはいっても、結構眺めはいいです。
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薄暗くなってきて、紅葉ライトアップや下界の灯りがつき始めています。
奥に見えるのは相模灘方面らしい。

茶店でおにぎりと味噌汁を食べて(豆腐料理ではやはりお腹が空いた)、暗い山道を降りて、大山寺まで戻ります。
履いてきた靴が意外と底の滑るもので、何度か転びそうになりました。ヘッドライトが必要だった。何度目かの人たちはちゃんと持ってました。さすが。
夜の紅葉は、昼間とはまた違った迫力があります。
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帰りのバスに乗るにもまたすんごい行列。
結構疲れて帰りました。

このあと行きたいイベントがあったのだけれど、自宅でシャワーを浴びて目覚ましをかけて仮眠したら行くのが面倒になって、深夜に目覚ましを止めたあと、そのまま朝まで寝てしまいました。
日曜はひょっとしたら出勤、という可能性がありましたが、それも深夜には消滅していたもよう。
昼間にちょっと運動して部屋の大掃除、夜はちょっと縁あって初めての達成。

予定外・予想外の多い、よく晴れた週末でした。

2013年11月05日

筑波、まる玉

世の中3連休。弊管理人は土曜は仕事。

日曜は友人に拉致られて茨城方面へ。
牛久の大仏のふもとで墓参りにつきあいました。
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でもって筑波山へ。
「つつじヶ丘」の駐車場からケーブルカーで頂上に行くんだよね?と思ったら、友人は徒歩で行くという。
1.8kmの道のりですが、意外と急な上りが続きます。
弊管理人は水も持たず、スリッパみたいな靴に肩掛け鞄という軽装登山。
比較的、山の子なので苦もなく登頂。
友人も思いつきで徒歩を提案したらしく、死にそうになりながら登ってました。
てっぺんはガスっていましたが、まわりは幽玄な感じ。
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頂上は記念写真の人たちで混雑してました。
16時を回ってだいぶ薄暗くなっていました。
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冬になると空気が澄むので、見晴らしもいいそうです。
夜景を見るのも乙らしい。

というか、最近なぜか山づいている。

* * *

月曜の昼食は、両国の「らーめん まる玉」でした。
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濃厚な鶏白湯。
じわっと、おいしい。(←かなり褒めている)
麺の替え玉が100円でできるようです。
今日は運動前だったのでおかわりはなし。ここはまた近々来ると思う。

夜は終電まで飲んじゃったい。

2013年10月13日

御岳山

「御嶽山」でググっても長野の山ばかり出てくるの、なぜだろう、と思っていたら「御岳山(みたけさん)」だった。
3連休すべて弩ピーカンのようなので、出掛けないで家にいると気分が沈むと思いまして、東京の涯まで行くことにしました。

といっても、9時くらいに起きてご飯を食べてから出立を決めたので、家を出たのは10時半。中央線を立川駅で乗り換え、さらに青梅線に入って青梅駅で4両編成の短い電車に乗り換えて、御岳駅へ。
初めて来たよ、こんなとこ。
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バスに乗り換え、さらにケーブルカーに乗ります。
バス終点のあたり、マイカーは駐車場がどこも満車で大渋滞。車で来ちゃだめのようです。
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路線は結構急でした。登ったところに展望ポイントがあります。
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拡大しておもくそレタッチするとこう。スカイツリーや都心部の高層ビルも見えました。
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100円のリフトでもうちょっと上まで行けます。
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参道の商店街~武蔵御嶽神社を過ぎると、あとは明るい山道。
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こんなとこを歩いていきます。
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セキヤノアキチョウジ。
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鎖を手繰りながら登る「天狗岩」。上に天狗さんの像あり。
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滝。天狗岩から「5分」と案内がありますが、高低差がかなりあってハードです。
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結構疲れてケーブルカー駅の近くまで戻ってきて15時。遅い昼飯でも、と思ったら、まともなご飯が食べられそうなところでは「昼食は終了」という。ぷりぷり。

帰りは青梅線が人身事故で止まっちゃって、2時間ほどの行程がさらに1時間延びるという事態に。でも持って行った本(↓これ)が読み終わったから、いいか。

ケーブルカーに犬が乗れるせいか、犬連れが多かったです。
マイナスイオンとかパワースポットとかのオカルトな煽り文句も多め。

■ジル・ドゥルーズ、アンドレ・クレソン(合田正人訳)『ヒューム』筑摩書房、2000年。

先日、『人間本性論』『人間知性研究』は原書だとkindleストアで0円というのに衝撃を受けました。
でもまあ、そうだよなと。ヒュームの身も蓋もない哲学は、とにかくいろんなものの「始まり」です。訳だって全部文庫に入っていてもよさそうなもの。ところが今あるものはクソ高い本ばかりで大変残念です。
ドゥルーズと聞いて身構えたものの、案外とっつきやすくて助かった。『人間本性論』の抄訳、「奇蹟論」、本書ときて、次は『人間知性研究』だな……

2013年09月17日

北海道

3連休、ちょっと事情があって北海道に行ってきました。

初日の札幌、蒸し暑かった。
昼過ぎに札幌駅に到着し、そのまま地下鉄に乗って南平岸へ。
「麺Eiji」で濃厚魚介豚骨醤油。
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札幌ラーメンの様式を踏襲しつつ、無化調と地元素材にこだわっているらしい。
これ、とてもうまい。食べ応えのある麺も好きだなあ。
店員さんも愛想よくて好感です。
在住当時は知らなかった(なかった?)お店。
ときどき通っていたスポーツクラブの裏手だった。
もし住んでいたら宿直明けに食べたくなって通っただろう。

せっかく平岸まで来たので、隣の澄川へ足を伸ばします。
ケーキの老舗、「ろまん亭」でお茶を。1階で注文して2階で食べる。
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こちらは在住当時もときどき利用していたお店です。

3連休初日、大通り~すすきの周辺は人がいっぱいですが、市街地を南に外れたこの辺は静かなもの。
地下鉄車内の人の匂い、通りを行く人たちの弛緩した顔。緑の少ない街中、厳しい気候にじっと耐えたマッチ箱のような建物。夏を4回と冬を3回過ごした当地での記憶が徐々に蘇ってきます(ろまん亭の名前も忘れていた)。

夜は「むすび亭」でジンギスカンを食べたかったのですが、満席でした。うっかりヤマダモンゴルへ。写真掲載はナシ……
しかし「むすび亭」は過去何度行っても弊管理人しか客がおらず、おいしいのに大丈夫かなあ、なくなったりはしないかなあと思っていたくらいなので、盛況ぶりにほっとしたのも事実。

そのあと、ちょっと用事をこなして就寝。

明けて日曜はニセコに向かいます。
朝食は、真駒内の「櫻珈琲煎房」でいただくことにしました。
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ホットドッグとアイスコーヒー。雨模様ですが、静かな店内から見ていればそれもまた趣があるというもの。

石山通をずんずん進んで中山峠を越え、羊蹄山がきれいに見えるいつもの交差点を曲がったところ。
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このあと、山は雲に隠れてしまいました。
4年前に撮った、きれいな写真はこちらを。

当然、道の駅で食べる焼きもろこしはうまいわけです。
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この日のお宿はニセコ昆布温泉の「鯉川温泉旅館」です。
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緑に囲まれた古い旅館ですが、清潔にしてあります。

温泉は熱くなくて、ちょうどいい湯加減。
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外はちっちゃい滝が見える露天風呂です。
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前回は確か2008年冬の雪見日帰り風呂。

ここの宿はごはんがおいしいと聞いていましたが、その通り。
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白飯、おかわりしまくりました(朝もたらふく)。

夜、台風の接近に伴って早々にスカイマークから翌日の予約便のキャンセル連絡が来ました。
羽田は同日最終便しか空席なし(羽田に0:25に着いても帰宅できないのでパス)、成田もなし、ということで連休明けの火曜朝の茨城空港便を押さえました。
うーんもう一日遊べちゃうな~、と満更でもない感じで就寝。

翌日も北海道は雨の一日です。
積丹半島をまわって余市→小樽。
昼飯は「なると」。
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これも久しぶりだけど、意外としょっぱかったね。
淡々と鶏を揚げる現場。
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店員は田舎の人気店らしく愛想なし。

札幌に戻って「カフェ・ジリオ」にて喫茶。
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外が雨で暗いせいかケーキがおいしくなさそうな色になってますが、おいしいんです。

いったん投宿して休み、夕飯へ。
現地友人に教えていただいた(深謝)ハンバーグ専門店「ノースコンチネント」。
池田牛、佐呂間牛、エゾシカ、新冠黒豚の4種類のチョイスがあり、ソースも自分で選びます。
今回は池田牛(写真奥)とエゾシカ(同手前)の2種類を組み合わせ、ゴマとバルサミコのソースにしてもらいました。
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店内かなりオシャンティですが、ハンバーグはかなりうまい。意外と獣の味がする。
濃厚なソースと量(ハンバーグ二つで320グラム)のせいか、かなり胃にどすんときました。
次は佐呂間牛1種類と、もちっと軽めのソースでいいな。

結局台風18号は近畿、東海あたりで大変な被害を出して去っていったらしい。
火曜(今日)は早起きして、快晴のもとさかさか歩いて札幌駅から新千歳→茨城空港→(バス2時間、500円!!)→東京駅、で帰ってきました。夜まで仕事して帰ってきて、これから寝ます。

引っ越して4年も経てば当然ながら、街のいろんなところがちょこちょこ変わっています。
旧知の人々も(当然ながら弊管理人自身も)少しずつ古くなってる。
人も街も生き物なのでそれは仕方ないが、少し淋しい。

2013年09月09日

日帰り神戸

神戸~

というと
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泣いてどうなるのか~
とかなりの高確率で返ってくる弊管理人周辺です(老)。


えっとなんだっけ。

あ、日帰り出張でした。
昼に着いて、空港でうどん。
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薬味はすべて自分で載せてとのこと。カウンターで受け取った段階ではうどんとつゆと卵だけ。それに播磨のちくわ天(なんかブランドなの?)をトッピング。うまし。というか東京各所にもある花まるうどんて優秀なのな。

ポートアイランドでのお仕事にちょっと時間があったので、UCCコーヒー博物館……と思ったら改装中。IKEAを一巡り。去年の不愉快なスウェーデン出張を思い出して悶々とする。
全体的に殺風景な島です。

淡々とこなして、三ノ宮へ。
あまり下調べをせずに行ったので、駅近くの「グリル一平」でオムライス。
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うむ水準水準。
空港へとって返してさようならです。

2013年08月11日

駒ヶ岳

【後日追記:写真大きくしてみました】

10日の帰省はラッシュ初日に当たるので、いつもの高速バスではなく「えきねっと」で35%オフの特急を取って余裕……と思ったら踏切事故で1時間遅れ。あー

全国的に猛暑の11日、父が思いつきで「千畳敷カールでも行くか」と言うので涼みに駒ヶ岳へ。
マイカー規制があるので、ふもとの駐車場からバスで30分、ロープウェイの駅に到着。
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ここで既にけっこう涼しい。
1662mから2612mまでこれで上ります。
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ここへきて通勤電車を彷彿とさせる……
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上はこんな。
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高山植物が多く見られるので「お花畑」と呼ばれています。
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黄色いのは信濃金梅です(たぶん)。
1時間ほど登って振り返るとこんな感じ。中央の赤い建物がロープウェイ駅(2612m)。
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2900m近辺。ちょっとした広場と売店なんかがあります。
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半袖半ズボンにスニーカーという軽装登山をしてしまいました……
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40度超えの地点が続出した日だったようですが、気温10度ちょっとくらいの山で涼しく過ごしました。
気持ちよかったけど足が痛いな……

2013年07月15日

台場、浅草

遠方より友人が来ました。
祝日の新橋、15時にお遊びスタート。
とくれば、ゆりかもめでお台場→東京水辺ラインで隅田川上り、という鉄板コースで。
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暑かった3連休の最終日は、風が出て少しマシでした。
普段は両国で降りるのですが、今日は初めて浅草まで行きました。

夕飯は少し早めの18時前。
つくばエクスプレス浅草駅すぐ近くの、トンテキ「元気」。
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ステーキもハンバーグもマル。
溶岩プレートに載って出てくるので、熱々のまま食べられてとてもよい。
しっかり味わって食べたい豚肉でした。
でもせっかくなんだから、白飯とサラダはもっとおいしいの出そうよ。盛りもイマイチ。

* * *

連休前に懸案が少し動き、その余波が休み中にも多少及びました。
休みの日はメールもニュースも見たくない(でもちょっとは見る)。
この週末はそれに加えて、耳がノクターンばかり欲していました。

土曜は昼寝できた。
日曜は運動できた。
今日は外遊びできた。

ま、よしとしますか。

2013年05月13日

沖縄2泊

土日月と沖縄本島に行ってきました。

夕飯からスタートなので、「食べログ」で適当に調べた小桜さんへ。
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ソーメンチャンプルー好きです。
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そのあと、同行者の友人氏が合流して、「眞」に河岸を変えました。
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ぐるくんの唐揚げ。料理はこっちのほうが凝ってました。

翌日はレンタカー(12時間2650円!)で散策。
うるま市、海中道路を通って一番先の伊計島まで。
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曇りでしたが、からっと晴れても日差しがきついのでちょうど良かったかも。
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特筆すべきは、海中道路の付け根付近にある「キングタコス」。
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チーズ野菜タコライス600円。サルサソースをたっぷりかけていただく。激ウマ。
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観光もちょっと。去年寄れなかった斎場御嶽。
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南城市にある絶景の茶店「八風畑」、黒糖ぜんざいで一服。
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眺めはこんな。だらだらしました。
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同行者友人は北陸出身の沖縄移住10年。ゆったりしているけれども、リゾート気分ばかりではないよう。「たまに来るからいいのかも」と。だわな。

暗くなるころに那覇中心部に戻り、車を返しました。
夕飯はステーキの老舗、ジャッキーステーキハウスへ。30分待ち。
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店内は大衆食堂のよう。
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250グラム、スープ、サラダ、ライスかパンがついて1500円。
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すっごいジャンキーな味を想像していましたが、どっこい、とても穏当でおいしい肉でした。

最終日は昼の飛行機。「クマカフェ」でモーニングです。
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アイスコーヒー430円に+150円で、ホットサンドとサラダ、ヨーグルトがつきます。
コーヒーはボトルから氷入りのグラスに注ぎながら飲む方式。かなり大盛りです。
食べ物の味もよし。ランチも盛りがいいらしいので次回ですね。

遠出はガツガツ過ごす派ですが、ちょっと一息、くらいの沖縄も悪くない。
翌日、梅雨入りしたそうです。
今度は宮古島だな。

2012年12月23日

富士山

22~23日、富士山(のまわり)へ。

東名沼津で降りて、沼津港「丸天」で天丼。
それから山中湖をかすめて、山梨県富士河口湖町で1泊。
いつものほうとう「小作」でかぼちゃほうとうをいただきました。
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翌朝は天気がよくなく、河口湖の大石公園からも富士山は雲に隠れて見えず。
でも富士の樹海を横切る県道71号に入ったところで富士山が見え始めました。
静岡県の富士山スカイラインをどんどん上がっていき、1合目の駐車場(確か1000mちょっと)から撮ったのがこれ。
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そこからもっと上っていくと分岐して5合目まで行ける道が現れるのですが、さすがに冬季閉鎖中でした。
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でも、富士山は近くで見るより、いろんなところで垣間見える姿のほうが好きかも。
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(今回、全部富士山が真ん中の構図になってしまった)
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ところで、23日の昼飯は、静岡県にしかないハンバーグ屋チェーン「さわやか」。地元出身者が口をそろえて「あそこ、いいよ」と言うところなので、いつか行ってみたいと思っていました。
げんこつハンバーグ。
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あーこれ、うまいわ。肉を食ってる感じがする。ちょっと「ハンバーグ」から乖離しはじめているかもしれない。タマネギのソースもとてもイイ。店員さんによると「中が赤いほうがおいしいです」というのでそうしてもらいましたが、本当にそうだった。大満足で終了。

2012年12月16日

スウェーデン出張

2週間のスウェーデン出張。
このかんの万感の思いを反映した以下コメントはややとげとげしいかと。

ストックホルム。一日中暗い。寒い。人が住んでる意味が分からない。
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東京でいう銀座みたいなとこ。金持ちの白人たちと物乞いの姿あり。
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なんかの建物。全体に人の愛想が悪い気がするのだが。
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3回通った、CafeMixの1回目。マスのソテーが激うま。
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2回目は当地の名物らしいミートボール。獣の匂いがしてうまし。
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3回通った、アジアンダイニング「NEKO」。無理して地元料理を探すことはないなと思わされたランチ。
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あまり60クローナ(大体800円)の入場料に見合わないノーベル博物館にも。
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こんな日も結構あった。到着した日は零下14度。冬に来るところじゃないわ。
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官庁街をおうまが走る。スウェーデン人は英語がうまい。
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朝飯。ストックホルムでは何食っても高いです。
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帰りの飛行機、ウラル山脈を越えたあたりで見えたオーロラのようなもの。左側にオリオン座が見えますでしょうか。
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ここに掲示できない写真こそが面白いんですけどね、残念。
おっしまい。たぶんもう行かない。

2012年09月30日

養老天命反転地

きょう日曜が大阪出張だったもので、土曜に途中下車して岐阜県養老町の「養老天命反転地」へ。現代美術家、荒川修作とマドリン・ギンズ作のお庭です。

写真ではわかりにくいですが、巨大なボウルみたいな敷地に植物が生い茂り、その中にいくつかのモニュメントが点在しています。
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こんなん。
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敷地に平らなところがないので、かなり足が疲れると思います。
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ひっそり開いた口から入って……
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真っ暗な狭い通路を通り抜けると、天井の高い小部屋が。
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夜は名古屋の「しら河」でひーつまーぶーしー
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リーズナブルなのがメリットだったものの、今年値上げされたようです。
鰻をファストフード屋とかで投げ売りしちゃ、だめだよね。

2012年09月16日

札幌

ちょっくらお祭り的行事があり、14日から札幌に行ってきました。

今年の札幌は「夏が遅い」らしく、6、7月は寒かったのに9月になっても暑いそうです。確かにそんな気がします。住んでたころは、9月半ばはもう薄手の長袖を着ていた気がするんですが。

14日、札幌に着いて、とりあえずお茶を飲もうと、大通近くのmingus coffeeへ。
ここ。
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建物の入り口に目立つ看板もなく、初めてだとほぼ一発ではたどり着けないのでは。
店内もなかなかシャレオツなのですが、弊管理人はビル街の秘密基地みたいなテラス席(まさに写真矢印の先)が好きです。
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でもなんかこの日は「外の席、いいですか」と言ったらお店の方に「忙しいので、カウンターでいいですか」と言われました。そんなにいっぱい客いないじゃんと思って嫌な顔をしたら「じゃあ外でもいいですけど、忙しくなってきたらカウンターに移って下さい」と条件付き許可が出ました。面倒ならテラス席をやめればいいと思います。

夕飯、思い出の「コーヒー&レストラン Rota(ロータ)」、場所はスラムの中(失礼)、札幌市中央区南11条西8丁目。
ごはんを作る時間が待てないくらい、なんかがっつり食べたいときによく利用してました。近くに住んでいたのでね。
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軒並み300~400円台という恐ろしい価格設定の鉄板スパゲティを頼む人が多いですが、弊管理人はAセット(650円)が好きです。ピラフという名のチャーハンに、トースターで焼いた特製グラタン、千切りキャベツにポテトサラダ。懐かしい。大好き。一人で切り盛りしているマスターも健在でした。ここで飯を食ってから、歩いてすすきのまでお酒を飲みに向かっていると、楽しかったり悶々としたりしていた札幌生活に戻ったような気がしてきます。

2日間にわたって、懐かしい人たちと再会。

15日昼飯は、ちょっと足を伸ばして豚丼「いっぴん」へ。
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チェーンですが、好きなんです。街の中心部にないのが不便ですが、致し方ない(すすきのの「まむろ」はおしぼりが雑巾臭かったので行かない)。

夜は内臓が疲れてきたので、野菜のスープカレー。
そのあと朝まで遊び。
今日は早々に帰ってきました。

2012年08月05日

逗子、海水浴

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11日間にわたる夏休みの最終日は、みんなで逗子に海水浴に行ってきました。
基本、山の子なので海ってほとんど行かないのですが、ピーカンで水も冷たすぎず、気持ちの良い日でした。海の家で缶カクテルを飲んだり寝転がったり駄弁ったりし、海では浮き輪でぼーっとしながら浮いていました。
うっかり肩と上腕に日焼け止めを塗り忘れ、ひりひりしてます。頭の日焼けもちょっと心配。

今年の夏休みはほんとに遊びました。
6、7月にかけて、仕事ではあまりに不愉快なことがあったり忙しかったりしたので、たっぷり休むべきだと固く信じ、決然と休んだのが大きかったと思います。仕事メールも最低限必要な2通しか返しませんでした。

翌日のことなんか何も考える必要がない、急ぐ理由なんか何もない、そんな気持ちで歩いたり電車に乗ったりしていると、普段気付かない空の色や路傍の草にも発見があり、新しい考えも浮かんできます。なにより、最近増えていた白髪が減りました。正直な身体です。

いやあ、働きたくない。

2012年08月02日

沖縄

7月27日から本日まで、6泊7日の沖縄旅行に行ってきました。
初めての本島です。
節操なくいろいろ見て食う、がテーマといえばテーマか。

■第一牧志公設市場

27日は夕方近くに那覇空港に到着。
モノレールの美栄橋駅近くに投宿して、ぶらぶら散歩していると市場に着く。
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中には東京で見ないお魚がいっぱい。手前のはアバサー(ハリセンボン)。
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どうやって食うんでしょうね。
1階の売り場でエビなんかを買って、2階の食堂街で調理してもらうことができます。

弊管理人は「骨汁」(ごはん付き500円!)を試してみました。
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もんのすごいボリュームですが、ほとんどが豚の骨。
豚骨スープをとったあとみたいな骨。そこにこびりついてる肉を食べます。
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食べ終わってみると、山のように食べガラが残るという。
おいしいです。が、最後のほうにちょっとおえっぷ、ってなる。

■あんつく

国際通りからちょっと外れたところにある地元料理の居酒屋。
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メニューが沖縄の言葉で書かれているので一言も分からない。
一番安い定食(800円)を頼みました。
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いなむどち(豚肉入りの味噌汁)、くーぶいりちー(昆布と豚肉などの炒め物。写真手前)、みみがさしみ(豚の耳)、うぶん(漬け物)、ちきむん(白飯)。ほぼ呪文。

■慶良間で潜る

明けて28日、慶良間諸島にダイビングに行きました。
スクーバは12年ぶりなので、いろいろやってもらえる体験ダイブに申し込み。
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ボートからのダイビングを2本と、スノーケリングを1本。
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さかなー!!
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ニモ氏も。
あと、カメも見られました。

自覚は全くなかったのですが、ちょっと鼻風邪気味だったのか、急に深く潜ったらサイナスが痛くなって大変でした。わりとぐったり疲れて上陸。
塩水ばかりじゃふやけてしまうので、甘いもの甘いもの。
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富士家のぜんざい。豆の煮汁を氷にしてあるので味が豊か。昇天。

あとは夕飯ですね。
県庁近くまで歩いて「みかど」のちゃんぽん。
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ちゃんぽんといっても、白飯にかかってます。野菜やポークなどの具材を甘辛く炒めて、卵でとじてあります。
ホテルに帰ったらどっぷり疲れが出て早めに就寝しました。

■那覇から名護へ

29日から3日間、125ccのスクーターを借りて(3日で5700円)ぐるっと島を回ることにしました。
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こんな格好(このショットではリュックを背負い忘れている)。

が、出発した途端にカメラ(CANON Powershot S100)が故障。リコールが出ていたらしい。
怒りにまかせてIXYを買ってしまいました。

宜野湾市の嘉数高台公園に寄りました。
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沖縄戦の激戦地だそうです。砲撃で穴の空いた壁などが残されています。
石段を登ると、展望台が。
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360度、妨げるものもなく非常に眺望がいいのですが、特にここから何が見えるかというと、
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普天間飛行場です。

そう、那覇から国道58号線を北上していくと、本当にひっきりなしに道の両側にフェンスが続いています。米軍の基地が当たり前のように島を埋めている。
一方、基地ごとに、それを見渡せる(監視できる)スポットがあります。
嘉数の高台もそうですし、
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北谷(ちゃたん)アメリカンビレッジの観覧車からは
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キャンプ・レスターの全景と、少し南にあるキャンプ・フォスターが見渡せます。

道の駅かでなには、展望デッキがついています。
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デッキの売店で野国いも(要はさつまいもだが、1605年に福建省から持ち込まれ、さらに琉球から薩摩に伝播したらしい。そういえば高校日本史で出てきたような)のソフトクリームを求め、なめなめ嘉手納基地見物。
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ほんとによく滑走路が見渡せます。この日はF22戦闘機が飛来しそうだというので新聞、テレビの人たちも無線片手に待ち構えていました(弊管理人はそんなに待っていられないので早々に立ち去りましたが、翌日の新聞には載ってました)。
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ちなみに、基地見物のガイドブック役を果たしてくれているのは、『本土の人間は知らないが、沖縄の人はみんな知っていること』という本。

近かったのでついでに見に行った、米陸軍第505燃料補給大隊のマスコット、パイプマン。
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節操がないので普通の観光もします。
読谷村にある、世界遺産のひとつ座喜味城跡。
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アーチ状の門があるのが特徴らしいです。

道を間違えて行ってしまった残波岬(読谷村)。
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残波って泡盛でしか知りませんでした。順番が逆だね。

特筆すべきは、道の駅許田のパン屋さんで出している、パッションフルーツスムージー。
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その場でパッションフルーツと氷をミキサーにかけて作ってくれるんですけど、甘酸っぱいフルーツがキンキンに冷えた状態で喉を通ると、おいし死にしそうになります。

名護でいったん宿にチェックインしましたが、夕暮れの時間が近いので、ちょっと足を伸ばして瀬底島へ。
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本島と島を結ぶ白い橋が夕闇に沈んでました。

引き返して名護でごはん。
「宮里そば」の閉店時間の20時ちょい前に着いておそばを食べようと思ったら、店じまいをするところだったらしく、入り口に近づいただけで中からおばはんが手でバッテンのマークを作って拒否しました。ぐぬぬ。

お祭りで花火が鳴り響く中、街をさまよっていると、ヤギ(ひーじゃー)料理のお店が。
ヤギ汁(1000円)をいただきました。刺身(といってもちょっと表面を焼いてあるらしい)もありましたが、ナマモノを食べない弊管理人はパス。
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獣の臭みを、生姜とヨモギでがっつり抑えてあります。
獣の肉の味、強烈でした。羊をもっとワイルドにした感じ?
3時間炊いてるそうで肉はするっと骨から外れます。

■名護から北端の辺戸岬をまわって東村へ

30日。
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まずは美ら海水族館へ。
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触れるコーナーとか
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南の海の珍しいお魚とかがいっぱい(↑チンアナゴはダイビングのときにも見た。このひとたち、砂に埋まったまま水中に出てる部分だけで喧嘩すんのね)

ですが、やっぱりこれでしょう
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「黒潮の海」にいるジンベイザメ氏。ちょうど餌やりの時間に当たりましたが、身体を縦にしてがばがば海水を飲んで栄養を濾し取ってる姿は壮観です。

個人的にツボだったのは、水中でレタスをはむはむ食いながら散らかすマナティ氏。
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や、どうも。
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イルカも飛ぶ飛ぶ。
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しかし、独りでぼーっとショーを見ていると、後ろに見えている伊江島ってオスプレイが来るかもしれない基地の島だよなーとか余計なことを考えてしまい、何より生きるために働かざるをえないイルカの姿に気分がどっすんと落ちたり(動物愛護がどうのではなく、自分の夏休みもいずれ終わることを思い出してしまっただけ)して、ちょっとげんなりしながら海洋博公園を後にしました。
それにしても見るものはいっぱい。大英博物館を4時間で駆け抜けた弊管理人ですが、ここはわりと急いでも2時間半かかりました。
公園全体がすっごいきれいな場所でしたけどね。このお金は一体どうやって調達してるのだろうとか、また余計な(略

屋我知島に渡る橋から、古宇利大橋を望む。
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でも、もう島はいいかな~、と思い、あとはひたすら北上することにしました。
大宜味村の津波(確か「つは」と読む)地区を通りかかったときに、そこそこ車が止まってる「前田食堂」というのが目に入ったので昼飯のために入ってみました。
肉そば!650円だったと思う。
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にんにくと胡椒がきいててうめえ!すごい量です。
厨房をちらっと覗いたら、ラードのような脂分を大量に入れてて戦慄した。
沖縄そば界のラーメン○郎……

ざわわな風景。
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そしてとうとう北端の辺戸岬。
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荒々しい岩の突端に立つのは灯台ではなく、「祖国復帰闘争碑」です。傍らには野草を摘む地元のおばあちゃんと、訪れた数人の観光客がいるだけ。風が強い。空が青くて寂しい。海の先には与論島が見えます。
碑には、米国の傲慢な統治の下で祖国復帰を願ったものの、本土復帰を果たしても軍事拠点として位置づけられてしまったという苦々しさ、そして平和への新たな決意が刻まれています(→全文)。
沖縄の祖国って、一体どこなんでしょうね。

さて、東海岸を南下しますよ。
やんばるの森の道は涼しくて快適。
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ヤンバルクイナとおぼしき鳥がとことこ道路を横切るのを2回ほど見ましたが、写真は撮らせてくれませんでした。

県道70号線、東村の高江地区を通りかかると、オスプレイ配備をにらんだ米軍のヘリパッド(ヘリコプターの着陸帯)拡張に反対している地元の人たちの座り込み拠点があったので、寄ってお話を聞かせてもらいました。(→経緯等書いたサイトはこちら
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写真右の脚立に登らせてもらうと、用地へと続くゲートが見えます。
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ほんとに、本州にいると全く地元のテンションが分からないです。
理解も断片的だし、問題の所在も背景も歴史も知らない。
「すんません、ほんとにただ見に来ちゃっただけで」とお断りしたのですが、説明してくれたおばちゃんやらおっちゃんたちが「いやあ、でも知らなきゃしょうがないんだから」と根気よく質問に答えてくれたのが印象的でした。確かに、今後ぜったい、弊管理人は基地問題のニュースを注意しながら見聞きするようになると思う。

あと、沖縄には琉球新報と沖縄タイムスという二つの地元紙がありますが、本州の新聞に比べて信用されてる感じがしました。「新聞がおみやげになるよ」と言われましたが、その通りだな。
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両論併記とか不偏不党とか、そういう甘いことは言わない(笑、でもその姿勢こそが新聞が生き残るための鍵になるはず。結局中道を行こうとするとどっちサイドからも嫌われるだけだから)。自分のところの問題は自分でどんどこ調べて書く。
沖タイに続いて、新報もワシントンに記者を置いたんだそうです(←【後日追記】ちょっと調べてみると、新報も前々から記者がワシントンにいるみたい。どういう意味だったんだろう)。オリンピックのニュースを押しのけて、8月5日に予定されているオスプレイ反対の県民大会に向けた関連記事が連日一面トップです。

やんばるの森は「ブロッコリーの森」の異名もあるそうですが、
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ううむ確かに。地元の人によると、昔は南の方までこんな感じの森だったが、中南部は沖縄戦で焼かれて植生が変わっちゃったとのこと。ほんと?まじで?

ところで、座り込みの人たちに勧められた隠遁系カフェ「山甌」(やまかめ)。
「諦めずに進め」とのアドバイスをもらいましたが、意味が分かりました。看板に従って山奥にずんずん入っていくと途中で舗装が途切れちゃうんだな(笑)
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建物は手作り感満載で、崖に突き出すように建ってます。
川をまたぐカウンター席(上の写真の階から、さらに階段を下りたところにある)に就き、自分とこの畑で作った野菜を使ったというカレーと、手作りの梅ジュースのセット(1100円)をいただく。
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図らずも、去年なんか期待はずれだった京都の川床料理のリベンジになったなー。素晴らしいロケーションです。ごはんもおいしかったです。

お宿は東村平良の海辺に建つちょっとオサレなホテル「カナンスローファーム」。
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これは明らかにカップル仕様だろう。
ひとり、ウッドデッキから台風が迫り白波が立つ海を眺める弊管理人……

■東村から那覇へ帰ります

31日、いよいよ那覇は雨の予報らしいのですたこら戻ることにします。
宿の朝食は、これまた野郎一人には不釣り合いな……
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パインは左からスナックパイン(濃くて甘い!)、ピーチパイン(桃のような香りがする。珍しい)、N(とおかみさんが言ったように聞こえた。普通の品種)。あとミニマンゴーと、キュウリの人参ドレッシングかけ、フレンチトースト。しゃらくさい(笑)でもすごくおいしい。おかわりも勧めていただきました。
パインは自家で栽培しているそうです。

東村を出て、再び名護市に入ります。
まさかこのエリアは。
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と思っていたら、キャンプ・シュワブのゲートを超えたところに、信号機のサイン「辺野古」発見。寄り道。

普天間の移設先として、海を埋め立ててV字形に滑走路を造ろうとしているところ。
やはりここにもテントがあって、反対の人たちが詰めている。
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またしてもいろいろ教えてもらいました。(→命を守る会。座り込みはこの日で3026日目)(→ちなみに辺野古区のHPというのもある。キャンプ・シュワブとの交流の様子なんかが載ってます)

浜にいくとフェンスにリボンや横断幕が(台風対策でこの日は一部取り外していたそうですが)。
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静かですが、ワシントンとかハワイとかいった名前のついた喫茶店、バー、ナチョス屋などが点在する独特な町並みでした。ベトナム戦争当時から栄えていたところらしいが、座り込みの人たちによると、今は多くが閉めてしまっているとのこと。それにしては看板とかキレイじゃない?(今回は容認側の人とは話していないので実態はよくわからない)
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そんでもって那覇まで一気走りです。
昼過ぎにバイクを返却しました。走行距離は3日で400キロ、燃料費は約1200円!ツーリングとしては全く大した距離ではありませんが、顔や腕が剥き出しなので、日焼け対策だの風切り音だの目の乾きだの、けっこう大変でした。長袖シャツを用意するのと、半キャップじゃなくて、ジェット型のヘルメットを借りる必要があったな。

かるーく首里城を見学。
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写真で見るとすごく広そうなこの中庭、意外と狭いです。
資料館がありますが、王様の肖像画がやはり戦争で相当焼けてしまい、偶然残っていた乾板から復元したものを展示したりしていました。色彩は既に分からなくなっているとのこと。
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沖縄っていうと、リゾートと米軍と戦争と琉球と、いろんな顔があるよねと思っていましたが、一つの側面だけを見ようとしても別の側面が必然的に混ざり込んできます。そんな複雑さが、あんまりものを考えずに楽しめればと訪れたはずの沖縄に微妙な暗さを与えるように思いました。

ホテルへ……と思ったらスコール!!
でも夜に入ってぴたっと止んだので、繁華街に泡盛を飲みに行ってしこたま飲んで、寝ました。

■朝ごはんと南部

8月1日の朝ごはんは、沖縄第一ホテルというところに行って食べました。
この旅一番高価な食事が朝飯、3150円!
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国際通りからちょっと外れたところにあるこんなホテルの離れで、琉球料理をいただきます。
高価ですが、一度体験する価値はあるかも。ちゃんぷるー!とか、らふてー!とかの脂っこい料理とは対照的に、基本、草。500kcal余りの熱量ですが、50品目超えというすんごい品数になっているので、一部をご紹介します(一つ一つ説明してくれるのですが、記憶できないので聞き取れたものだけ)。

長命草。
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ゆし豆腐(に、島唐辛子をかけたところ)。
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にんぶとぅかー(という珍しい野菜だそう)。
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島人参、へちま、黒酢に漬けた豆。
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麦と緑豆がシロップに浸ってる。石垣のもので、オリジナルは白玉が入るらしい。
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きっぱん(冬瓜の砂糖漬け)とレモングラスのお茶。
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ホテルに帰ってちょっとウダウダしてから、路線バスで南のほうを回りました。那覇から糸満市のバスターミナルまで行って、そこで乗り換えです。本当はレンタカーを借りようと思っていたのですが、予約をしないままずるずる当日を迎えたので、仕方なくバス。
路線の関係で斎場御嶽まで行けなかったので、これは次回の課題。
本数も少なく、乗り継ぎの関係でひめゆりの塔の滞在時間は10分ちょっと。
そのあと平和祈念公園を45分で見るという結構あわただしいスケジュールでした。
でも、乗ったバスは循環路線で、生活の中を通ったかと思えば、バス道とは思えないような民家もない1車線道路を通ったりと、かなり変化があって面白かったです。
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平和祈念公園。
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右側のモノリスが平和の礎(いしじ)で、沖縄戦で亡くなった人たちの名前が刻んであります。
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糸満出身の現地友人も「うちのじいちゃんの名前があるよ」と言っていました。
写真を撮っているのは資料館の展望塔から。展示の深刻さは行ってみないとやはり分からない。キャッキャ言いながら訪れた修学旅行生なんかが最後には静かーになって帰っていくようです(そういえば弊管理人が高校の修学旅行で行った広島でもそうだった)。
本当に駆け足ですが、歩き回ってバスで戻りました。

夜は現地友人に県庁近くの居酒屋「古都里」(ことり)に連れて行ってもらいました。
評判のいいところらしく、平日の18時過ぎにもかかわらず、次々と人が入ってきました。
振り返ると食い物の写真ばかりなので載せませんが、ラフテー(角煮)、海ぶどう、パパイヤの炒め物など、何食ってもうまかったです。さすが現地人、いいとこ知ってるなあ。
でも、なにより、メシは誰かと「うまいねえ~」と言いながら食べるのが一番幸せなのであります。

というわけで、おしまい。
2日に乗った帰りの飛行機ではブロッケン現象も見えてよかったねっていう話。
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2012年07月22日

鹿児島出張

仕事がいっぱいいっぱいでグロッキーのまま人生初の鹿児島、3泊4日の出張へ。
どっこい、かなり楽しかったっていう。

いつものように、仕事以外の部分を。

当然初めての羽田→鹿児島線。
夏の富士山。
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乗り継ぎで鹿児島→種子島。
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海はきれいです。しかしあまりわくわく感のない島ではある。
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鉄砲だのロケットだの、発射にご縁があるみたい。

ご当地ものを貪欲にいただく。
中華料理の「蘭蘭」で安納芋の餃子。
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味は、安納芋+餃子。

そして、飲み屋さん「なべ割」でいろいろ食べる。何を食べてもおいしい。
珍しかったのは、「鰹の腹皮」。
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なんだこれー! 字の通り、鰹の腹側を焼いたものだそうです。
同席した鹿児島勤務の後輩によると「本土で見るものともちょっと違う」。
塩蔵なのか、けっこう味が濃い。酒飲みの食べ物ですね、これは。

食堂「美の吉」。
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インギー鶏というのは、1890年に島の人たちが英国の船の救助活動を行った際、お礼にもたらされたという、意外に最近来た地鶏さんらしい。
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焼き鳥推しのようですが、陶板焼き定食にしてみました。
結構歯ごたえあり。

帰りは高速船にて鹿児島市に向かう。屋久島経由の便しかなく、所要3時間20分。
港の売店に……
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こんなのあるんですね。(調べてみたら全国母子寡婦福祉団体協議会というのがあるらしい。おそらくその親が母子及び寡婦福祉法。)

鹿児島はスコール。雷も。
中心街の天文館、「むじゃき」にて名物、白くま(プリン載せ)。
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要はいろいろ載ったかき氷。くまの顔っぽく配置してあってレーズンが目に当たるらしいが、本作品はどこが正面かもわからないほどの惨状。店頭のディスプレイが真っ白でないのは、ただ黄ばんでいるのかと思ったら、コンデンスミルクみたいな味がまんべんなくつけてあるからなんですね。べたべたしてなくて意外とさっぱり。うまいわこれ。

小やみになって通りに出てみると、街は「おぎおんさあ(祇園祭)」でした。
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城山公園に行くぞ、と思ったら交通規制のせいで天文館のバス停がどっかいっちゃってまして、タクシーで。
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定番の風景。ナポリとは、ベスビオ火山と街の景色が鹿児島に似ているというご縁で姉妹都市なんだって。

帰りは循環バス180円。
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鹿児島中央駅まで約1時間。乗ったままいろんなスポットが見られて満足しました。

つっかれた。
鹿児島の人たちの喋りは方言きつくてかわいかったです。

2012年05月04日

台場

まだ行ったことのなかったお台場の科学未来館へ。
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JST(日本標準時でも日本移植学会でもない。科学技術振興機構)企画、理研(乾燥ワカメの会社ではない。理化学研究所)バックアップだけに、拾ってるトピックはすんごく面白いものばかり。説明もさすがに分かってる人が書いているので噛み砕き方に安定感がある。でも楽しい見せ方という点ではもう一歩か。あと、これはしょうがないが人大杉で見たいものが見られなかった。ときどきビッグネームが講演に訪れたりするので、そういうイベントのついでに常設展を見に行くくらいのテンションでいいかなと。

水上バス乗り場に帰る途中、こんなのいました。
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ロボットって別に人の形をしてなくていいのにね。

2012年01月30日

オアフと旅の終わり

【27日】

お仕事最終日。
けっこうがっつりやりました。

夜は「ルアウ(パーティ)」へ。
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露天で飯を食いながら歌や踊りを見るイベント。
この日行ったのは、ホノルル中心部からバスで1時間くらい離れたところでやるジャーメイン・ルアウ。
ちなみに通訳さんによると、ポリネシア・カルチュラル・センターのルアウもなかなかいいそうです(備忘録)。
この日は最初、大粒の雨が降っていて、みんなで寒い寒いと言いながらカッパを着たりしていたせいで、最初に行われる豚の丸焼きショーもややテンション下がり気味でしたが、そのあとのステージショーはきらびやか、雨も上がって星がきれいで、楽しい体験になりました。
それにしてもバス9台。たぶん4、500人が参加していて、かなり会場は混雑してました。

【28日】

帰国の日。
ですが、朝5時起きで貪欲に観光いたします。
前の晩、うだうだしていてうっかり3時間睡眠のところへ、市街地から車で10分くらいとすぐ近くにある名所「ダイヤモンドヘッド」(標高232m)登山とあいなり、ちょっと死にそうになりました。

ふもとの駐車場からてっぺんまで、だいたい30分。日の出は午前7時10分ごろ。
日の出直前の、街方向。
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日の出直後の、海方向。
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下りは20分ちょい。

降りてきて、毎週土曜開催のファーマーズマーケット。
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ちょうどいいので、クレープとコーヒーで朝食にしました。
にぎにぎしいです。観光客に混じって、野菜を買いに来たと思われる地元の人?も。
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さあて、これですべての日程が終了です。
いろいろな人たちにさんざんお世話になりながら、3週間の濃密な米国体験でした。
アメリカはでかい。そして風土も人も多様。おそらくもっと勉強してからまた来るともっと楽しい。

というわけで、少なくともハワイにはまた来よう。
おしまい。
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(宿泊したモアナ・サーフライダーホテルのデッキから浜辺方向を望む)

2012年01月28日

リノ、シアトル、ホノルル

【24日】

移動日です。
リノ国際空港をアラスカ航空便で朝8時過ぎに出発。
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客室乗務員さんがすごくフレンドリーでした。
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約2時間のフライトで、アラスカ航空がハブにしているワシントン州シアトルに到着。
巨大ではないが、中央にフードコートがあり、そこから何本かサテライトが腕のように伸びているきれいな形の空港です。
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乗り継ぎに3時間ほどあるので、空港内で昼飯とお茶。

シアトルはお魚のおいしい街。
ということで、フィッシュアンドチップスをいただく。
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true codと書いてあったので、マダラですね。ほくほくしてうまい。
同行者はサケなど海鮮のスープを食べたそうですが、そちらもかなりレベルが高かった様子。

あと、シアトルといえばコーヒー。
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スターバックスはそれなりの都市に行くと冗談抜きで辻辻にあるので、よりマイナーなこちらを選択。でも既に日本にも進出していたというあれ。

シアトル→ホノルルは6時間。
機内ではパソコンを開いて、ためていた作業をこなしていたのでそれほど辛くは感じませんでしたが、けっこう長かった。時差はさらに2時間巻き戻って、日本との差は19時間に。
空港からワイキキに移動すると、深夜なのに目抜き通りの店がどこも開いていて、日本人多!

【25日】

オアフ島(ホノルルがある)→ハワイ島(火山がある。ビッグアイランドというらしい)。
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マウナロア(4169m)とマウナケア(4205m)でしょうかね。雲の上に顔を出してます。
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下の方はこんな。大分空港に降りるときに見える国東半島をちょっと思い出しました。

お昼は地元の人が普通に利用しているショッピングセンターみたいなところに寄って、おかずが選べるランチプレート、確か$8くらい。
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けっこうボリュームあります。スペアリブを煮たのみたいなやつと、カルアピッグという、豚の蒸し焼き(キャベツと混ざってるやつ)。うっかり焼き飯を選びましたが、白いご飯で十分だった。喉が渇く。

同行者がスーパーで買った地元のお菓子「バターもち」(表記はそのまま、Butter Mochi)をおすそわけいただく。
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ピーナッツバターの味がする餅粉のお菓子。これは日本で売っても売れると思うんだけどな。

ハワイの訪れるところ訪れるところ、日本人観光客用の日本語表記の案内と日本語をしゃべれるスタッフがあふれているのですが、それと同時に「むかし日本が持ち込んだもの」の痕跡がかなりちらちら見られます。「作られた伝統」論あたりと合わせて、なんか読んでから来ると面白そう。かなり研究されてそうだし。
今回はばたばたと移動することが多いので、ハワイは絶対あとでもう一度来て、とっくり楽しむべきだな、と思いながらオアフに戻ったのでした。

【25日】

島の南部にあるワイキキを出て、北部(ノースショア)へ。騒々しいワイキキと違って、のどかな浜と、急峻な崖が美しい。
会合を終えてから、カメハメハ・ハイウェイという幹線道路沿いにある「ガーリック・シュリンプ」のお店に入りました。運転手さんおすすめは
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この店舗。

バターガーリックシュリンプ、$12。
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おそらく(オリーブ?)油に大量のにんにくスライスを入れてゆっくり温め、えびを殻ごと炒めて、えびを盛り付けたあとの濃縮された汁(油)をごはんにぶっかけたもの。たぶん自分でできるので今度やってみる。尿酸とかカロリーとか、いろいろ破壊的に危険な料理ですが、この禁断のおいしさに抗うことはできなかった。完食。自分で自分の息が既に臭いんだから人はさぞ迷惑だったろう。

ついでに、ハレイワ区に寄って、松本かき氷店。←店のHPにある「歴史」が面白いのでぜひ。
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次々と人が来ては、かき氷を求めていきます。
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スモールサイズ、$2.50。十分な大きさ。パイナップルとココナッツと、なんだっけ、3つの味が混ざってます。
Tシャツを買いがてら話したお店の人によると、今は創業者の息子さん(60代)がオーナーで、先代は18年前に亡くなったとのこと。

夜はアラモアナショッピングセンターに行って、うっかり海外出張に行くことを知られてしまった人たちへのおみやげを購入。
3週間の出張も、日程は残り2日。はやいなー

(ワシントンDCでもフィラデルフィアでもリノでも「最後はハワイかい?エンジョイ・ハワイ!」(にやり)って言われたものだが、遊んでばかりいるわけではないのですよ)

2012年01月24日

リノあたりをさらに歩く

【22日】

日曜日。
タホ湖というところに行きました。
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シエラネバダ山脈の、標高3000mにも達する道を抜けてたどり着く湖です。
超・寒い!!!
ですが、とてもきれいです。セレブの別荘やゴルフ場などもあるとのこと。

こちらは、山から降りてきたところにある州都カーソンシティのスパ。
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という名の温水プール。ただし露天。寒そう。弊管理人は入りませんでした。

このあたり、売春が合法だそうです。売春宿の集まる地帯に「The Love Ranch(愛の牧場)」って看板が出ていて笑った。地元民によると、筆下ろしはここでやるもよう。

続いて、ヴァージニア・シティに行きます。
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ここはカウボーイの街。ゴールドラッシュの時代に栄えたそうな。
今は目抜き通り1本の両側にレストランや土産物屋が並ぶ。
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帽子と革製品の店。写真撮ったあとに「撮影禁止」の張り紙を見つけた。すまん。

古き良き西部を売りにしています。酒場では
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バンド演奏。振り返ると、
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こんな。

昼食をと中華料理屋に入りました。
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酢豚。
往時においては中国人もかなりこの街に入っていたようで、今でも旧居留地が廃虚となって残っているそうです。

目抜き通りから少し外れれば、寒々しい田舎の小さな集落でした。
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【23日】

おしごと。

ネバダ大学リノ校。
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とてもきれいなキャンパスでした。
自分へのおみやげに、大学の体育会(Nevada Wolfpack)のロゴが入った部屋ばき用のスウェットパンツを買いました。

夕飯はリノ中心部にある「ナゲット」というカジノへ。
目当ては賭博ではなく、地元民に教えてもらったハンバーガー「オーフル・オーフル(awful-awful)」を食べることです。1/2ポンドというから240g、マクドナルドのクォーターパウンダーの倍量のパテを使った大型の名物バーガー。
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大きさがうまく伝わらないのが残念ですが、でかいです。トマトと紫タマネギの直径からバンズとパテの大きさを推測していただけると幸いです。

そしてそれより問題なのは、バーガーが載っているフレンチフライの海。
バーガーもフライもうまいんです。でも、フライはあらかた残して捨てました。食い切れませんでした。申し訳ない。おなかが……

リノは今夜でおしまい。

2012年01月23日

リノを歩く

【20日】

リノで本来の予定をこなす日。
でしたが、午前の会合に向かうバンの中で、午後の会合がキャンセルされたことを知りました……。
ランチミーティングでおいしいドネルカバブをいただき、
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そのまま街の北東方向に走ります。

あまり大きくない街が終わると、もう荒涼とした風景の中。
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忘れがちですが、街の中でさえ標高1400m近い高地です。
あまり背の高い植物はありません。

ネイティブアメリカンの居留地域に入ります。
目指しているのは「ピラミッド・レイク」という湖ですが、そのあたりに入るために、途中の売店で許可証を買います。
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釣り具やスナックのほか、工芸品も置いてました。
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「ドリームキャッチャー」を買いました(20ドル)。
クモの巣を模した形をビーズで作ってあり、これで悪い夢を捕獲し、真ん中の小さな穴から良い夢を通すのだそうです。寝床の近くにつり下げるのがいいが、車の室内ミラーに下げるなど、どう使ってもいいとのこと。

売店を出ると、ほどなく湖に到着。
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ひとけもなく、強い風が吹き抜ける低い丘陵地帯に、巨大な湖面。
色合いの印象はだいたい写真の通り。夢の中のように寂しい。
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水に触れるくらい近づくこともできます。バンの運転手さんの娘さんが桟橋から石を投げ入れて遊んでいるところ。

近くにはネイティブアメリカンのコミュニティがあります。
自治を行っており、警察も自分たちで持っているそうです。
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中学・高校と、博物館と、小さなコンビニが見えました。
博物館には太陽光パネル(写真下部に見切れてるやつ)が据え付けてあります。

博物館の客は弊管理人らだけ。開けてもらっておじさんから説明をお聞きしました。
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白人が来てから150年、ここで生活していたのは1万年。つい最近のことだがこの間の変化はすごかった。最近の150年と、その前の1万年についての展示。

松の実をつぶす石臼、ビーズでカラフルに装飾された、赤ちゃんを入れておんぶする籠、湖で獲れるCui-uiという魚(このあたりの人たちは「Cui-uiを食べる人」と呼ばれているらしい。自称か他称か聞いたけど忘れた)、渡ってくるペリカン、ベトナムやイラクの戦争に出て行った人たちも。

おじさんがネバダの文化交流団体の役員をしていたこともあって、世界各地からこの博物館に人が訪れているそうです。ロシア(おそらく極東)の少数民族が、頑としてこの地から動かなかった彼ら部族に「権力とどう渡り合ったらいいか」を聞きに来たり、日本から工芸品を買い付けに来たりと、いろいろ。

草木に至るまで魂を認める、そういう日本の考え方にも共感を示していた。
太陽光や地熱といった自然エネルギーに賛成らしい。「太陽光パネルを導入してから、月250ドルかかっていた電気代が25ドルの事務手数料だけになった」と満足げでした。

なんて、いろいろお話をうかがっていたら、すっかり辺りは暗く。
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お礼を言って博物館を後にしました。

【21日】

土曜日。暖かかった前日までとはうって変わって、朝は雪が舞っていました。
遠出はやめとこう、ということで、昼前にのろのろと出発してスパークスという隣町のアウトレットモールへ。店内に観覧車がある!
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昼飯はモール敷地内のイタリアンレストランで。サラダ+スープ、いずれもおかわり自由で7.5ドル。健康的で安上がり。こういう食べ方はポピュラーなのだそうです。

宿に戻って、地元の商工会が毎月第3土曜日の午後2~5時に開いている「ワイン・ウォーク」という企画に参加しました。
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(1)この企画に協賛する、近くの34のレストランやバーのいずれかで、まず20ドルを支払って、参加証明となる紙のリストバンドと、オリジナルのワイングラス、さらに協賛店の地図を受け取ります。
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(2)そのグラスにワインをもらって、店内で飲み干します(州法で歩き飲みが禁じられているため。グラスは必ず空にして店外に出るよう注意書きがあります)。
21歳未満の飲酒もアウトなので、店によっては身分証明書の提示を求められます。弊管理人は4回ほど未成年かと尋ねられました。
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(3)地図を見ながら次はどの店に行くか決めて、また次の店でワインを飲みます。店を訪れると、上のようにスタッフさんが待っていて、ワインをついでくれた上、地図についている店のロゴにサインをしてもらえます。
ワインの銘柄は店によってまちまちで、赤とロゼはあるけど白がない店や、オリジナルのワインをふるまうところもあります。
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(4)幹事は協賛店が持ち回りでやりますが、最後は幹事の店で抽選が行われます。5店以上回った(各店でもらえるサインは回ったことを証明するもの)参加者は抽選に参加でき、協賛店の金券が当たるという仕組み。

この企画はとてもよくできていると思いました。

・参加費の20ドル(から、おそらく経費を引いた残り)はチャリティに回されます。寄付の先は毎回違い、今回は北ネバダ地区で活動するHIV啓発団体に回されるとのことでした(各店でワインをついでくれるスタッフの一部は、この団体から来ていたのではないかと思います)。テーマを変えていくことで、街の外からも含めて、多様な問題に関心を持つ人たちをこの企画に呼び込めそうです。

・34も店があるので、地元の人にとっても観光客にとっても普段行かない店に気軽に入れて、メニューや雰囲気を確かめることができる。客から見れば「ちょっといい店」を新しく見つけることもできるかもしれないし、当然店にとっても新規の客の獲得チャンスになります。

・普段は人通りの少ない、ちょっと寂れた観光地のようなこの周辺ですが、この企画をやっている時間帯はワイングラスを持った人たちがいそいそと店を回っており、活気づいた感じになっています。

・各店ではハッピーアワーのようなことをやっており、ワインをもらっておつまみを買ったり、ちょっとビールも飲んだりと、土曜の昼から楽しくお酒を飲むこともできる。
・さらに、抽選が終わるとそろそろ夕飯の時間ということで、協賛店のうち気に入ったところに戻って飲み足したり、ご飯を食べに行ったりできる。

とかく近隣にできたインディアン・カジノ(部族が運営するもの。面白そうなのでこれから調べますが、税制などで優遇があるみたい)、隣のカリフォルニアや、遠くはマカオのカジノと厳しい競争を強いられており、かといって他の産業も特にないようなリノにとって、地元の商売をどう元気にするかは大きな課題。ワイルドカード的な解決策では決してありませんが、人を呼び込み、楽しくお金を使ってもらう、そして「次につなげる」仕組みも織り込んだ、草の根の活性化策。

ところで、立ち寄った店のうち一つでチケットをもらったので、夕飯を食べてから小さな地下劇場に行ってコメディを見てきました。
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こちらのコメディは2人でやる漫才やコントではなく、基本的に1人での「しゃべくり」だそうです。
今日は4人のコメディアンを観ましたが、日本に比べて尺が長い(4人で1時間半)。喋りが速いのと、笑うためには背景知識が必要なので半分くらいはついていけませんでしたが、シモネタ(ドライブしながらオナニーする話など、どぎつい)、自虐(2年に1回しか議会が開かれず、主要交通網からも外れてあまりに寂れているネバダ州都のカーゾンシティをカリフォルニアと比べながらけちょんけちょんにするネタなど)、「あるある」系(うちのばあちゃんの面白い話など)あたりに収斂しているように思いました。

2012年01月20日

フィリーそしてリノ

付け焼き刃→ミーティング→復習→付け焼き刃→ミーティング……というサイクルの日々だったので、写真を加工している時間がありませんでした。
ちなみにフィリーとはフィラデルフィアの愛称だそう。

【16日】

マーティン・ルーサー・キング(MLK)の誕生日ということで、この日は祝日です。
フィラデルフィアでは「みんなでボランティアをやる日」ということで、弊管理人らも参加してまいりました。
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街の北側にある、ジラード・カレッジというところ。カレッジというので高等教育をやっているのかと思ったら、12年生(=高校3年)までの学校だそう。大金持ちの息子が相続した建物群を寄付したか何かで、1850年代、当地での公教育の始まりとほぼ同時期に開校した私立学校。ただし、通っているのは比較的貧しい家庭の子弟らしい(ということを前を歩いていたおっさんが言っていたので、正確かどうかは分からない)。
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外は黒人が多い。窓も泥棒よけの格子がはめてある家や、崩れかけたまま放置されている建物が見られる地区です。

体育館に集まって登録、MLKのTシャツ(!!)をもらい、セキュリティチェックを受けて会場に入ります。よく組織されたボランティア。Tシャツには協賛している企業名がいっぱい入ってます。
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まずは市長があいさつ。「今日はday off(休日)ではない。day on(何かをやる日)だ。一つ一つの工程は小さいが、大きな意義がある」。
弊管理人は、貧困国への人道支援の物資の一つであるお米を、1食分ずつビニール袋に小分けにする仕事。お米と、シリアルのようなものと、乾燥野菜の混ざったものを一袋あたり379-384gの範囲になるように詰めて、封をする次の工程の人たちに渡すというもの。
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会場に来てそこらの人たちと記念撮影しまくっていたこのおっさん、バイデン副大統領だった。「あの人はあんまり演説がうまくない」んだって。マスコミ多数。
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MLKは日本の中学の英語教科書にも出てくるくらいの有名人ですが、米国に来てみると、ほんとうにこの国の偉人として位置付けられていることが実感されます。このカレッジの校長は黒人ですが、確かにMLK以前にはその地位に就くことは到底望めなかったはず。そしてそれはつい50年前のことで、MLKがひっくり返した社会はいまだ必死にMLKを軸にして共生の物語を回している。

朝から昼までボランティアして、近くの美術館を見て宿に戻りました。

【17日】

付け焼き刃、かーらーのー、ミーティング。
それはそうと、フィラデルフィア名物「チーズステーキ」をいただきました。
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ステーキといっても、薄切りの牛肉を焼いたもの。とろとろチーズがかかっていて、それをパンに挟んで食べます。うまいに決まってる。カロリーはこの際気にしない。
地元っ子に言わせると「あんなファストフードみたいのが名物になっちゃってねえ(苦笑)」といったところらしい。

あ、そういえば、食べ物を床に落としたとき、拾って食ってもいい日本でいう「3秒ルール」は、米国では「5秒ルール」というそうです(ニューヨーク出身者による)。2秒長いのだね。

夕方、駆け足で観光。
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独立宣言のときに鳴らされた鐘、後ろは、トーマス・ジェファーソン起草した独立宣言が1776年に採択されたほか、1787年の憲法制定会議も開かれたという独立記念館。札幌時計台はよく「日本3大がっかり観光地のひとつ」とか言われますが(ほか2つはなんだっけ)、米国3大がっかりのうち2つがこんなところにあったという、そんなあれかと。ま、極度に寒かったせいでこんなテンションなんですが。

【18日】

車で2時間かけて、ペンシルバニア州の州都・ハリスバーグへ。
帰ってきて午後も会合。

仕事先のビルから撮ったフィリーさんの北方向。
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宿に戻って、近くの「レディング・ステーション・マーケット」へ。生鮮食品や、カウンターやテイクアウトで食べられる手軽な食べ物屋が集まった市場です。
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あらゆる機会をとらえて米を食おうと思っており、この日の夕食は中華のテイクアウトにしました。
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チャーハン、蒸し餃子、春巻き、$5.50。安くね?
満足して就寝。

【19日】

朝5時起き、8時のユナイテッド航空でフィラデルフィア発。
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途中でやっと雪の大地を見ました。今年はどこも雪が少ないらしい。
経由地のコロラド州デンバーまで、なんと4時間。この間ドリンクサービスが2回。1500マイル、時差は-2時間。国内線と思って甘く見てました。
ところでデンバー国際空港って標高1655mだそうです。姉妹都市は高山市。ははあ。

20分ほどで乗り換え、デンバーから、目的地のネバダ州リノへ。さらに2時間。時差、さらに-1時間。もう日本と何時間差かとか、計算が面倒に。
北部の東海岸から、ほぼ緯度はそのままで西部の山岳地帯まで来ました。標高1373m。
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リノはシエラネバダ山脈のふもとにある盆地に広がっており、ラスベガスに次ぐカジノの街だそう。
空港に着くと、早くもスロット発見。

ゲート。
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近くには普通にこんなところが。
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でも、遊びは単純ですね、スロットとか、ポーカーとか。日本のゲーセンのほうがよほどバラエティ豊か。街は平日昼だったせいもあって、「昔は大にぎわいだった温泉地」みたいな雰囲気。弊管理人の感想は「ドラクエのカジノっぽい」

カジノの食堂?でメシ(なぜかパッタイ)を食って宿に戻ってテレビをつけると、山のほうで火事が起きており、強風のため燃え広がっているというので大騒ぎ。
カジノだけに火事の……とか言ってないで、明日の予習しようっと。

2012年01月16日

フィラデルフィアへ

【15日】

移動日。
ワシントンDCから車で2時間半ほどかかるフィラデルフィアに移るのですが、途中で昼飯を食うためのストップがないというので、お昼のサンドイッチを買いにデュポン・サークルというカフェなんかが集まってる区域へ。

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日曜の朝恒例のマーケットをやってました。
しかし、芽キャベツやリンゴをたんまり買ってもしょうがないので見るだけ。

お昼に出て、午後3時くらいにはフィラデルフィアに着いて投宿。
ちょっと周囲に見どころはないかと出掛けましたが、寒い!
温度計持ってないのでわかりませんが、たぶん零下2度くらいだと思う。

フィラデルフィアは昔の首都です。
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人口は全米で6位。新しいものと古いものが共存しています。
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これは市庁舎。上の方だけ撮ってますが、めちゃくちゃでかいです。
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ミュージアム通りの端にある「LOVE」のモニュメント。これってなんで有名なんだっけか。

実は以上2、3百メートルくらいの範囲を歩いてるだけです。
寒くて辛いので歩き回るのをやめ、宿に一旦戻りました。

夕飯は、名物の「チーズステーキ」を食べに行きたいねと話し合っていたのですが、どのお店も意外と市の中心部から遠いことが判明。
とりあえず近くのハードロックカフェでご飯を食べようぜということになりました。
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いろんなところにお店があります。日本にもあります。店舗ごとに違うピンバッジを集めている人がいるそうで、同行の一人も買ってました。
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12オンス(340グラム!)のステーキ、23ドル。頭が肉に向けてチューニングされちゃっていたもので、つい。
お米と、ブロッコリーとともにサーブされます。こっちの牛はぶよぶよと脂が入ってなくて、お肉をいただいてる感じが強い。弊管理人は大好きです。そして、焼き加減も絶妙でとてもうまい。隣の同行者に向かって「うまいですよね!」を連発してしまったくらいうまかったです。すごい量だけど、もたれた感じにならないのも脂身少なめの功か。

しんしんと冷える街を歩き、ホテルに戻る道すがらセブンイレブンで買い物をして店を出ると、足のないおじさんが「小銭を」と。DCでも、缶からの小銭をじゃらじゃら鳴らしながらお店の軒先で出てきた買い物客のお釣りを求めるおじさんが至る所にいました。今回はあまりに寒い中で待つその姿に、いくばくかのお金を渡しました。

2012年01月15日

さらにDC

【14日】

土曜日。晴れ。寒い。
しかし、遊ばないわけにはいくまい。
というわけで、連れ立って散歩に出ました。

地下鉄に乗って、アーリントン墓地へ。
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ワシントンの町とはポトマック川をはさんだ対岸で、小高いところにあります。30万柱。
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かのJFKのお墓もここに。消えない火に守られている。
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程近いところにあるのは、硫黄島のアレの彫刻。
実際見ると、すごくでかい。人の部分だけで10m弱、旗の高さは18mもあるという。

寒い寒いと言いながら歩いて、Chipotle Mexican Grillというお店に入る。最近人気のタコス屋らしい。
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タコス、ブリトー、ボウル(どんぶり)が選べるので、ボウルにしました。ご飯と食べてもおいしいね。というかこれはタコライスだな。

今夜はみんなでバスケットボールを見に行くことになっております。
中華街の近くにあるベライゾン・ホールで観戦。
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すんごくでかいホール。
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12分×4の試合時間ですが、よく中断して、いろんなエンターテインメントが差し挟まれます。トランポリンを使って3人くらいでアクロバティックなダンクシュートをしたり、フリスビー使いの犬が出てきたり、シャツを観客席に投げ入れたり、試合が映し出される大型のモニタに客席のカップルを次々と映してはキスをさせたり。
結局2時間以上かけて1試合やってました。完成されたエンタメだね。

いや、一日よく動いた。
寝ます。

2012年01月14日

DCのつづき

【13日】

朝のミーティングで、仕事があらかた流れたことを知る。
もういいです。関係者みなさん頑張って調整して下さった結果だもの。
遊びましょう、ねっ。

というわけで、ごくごく短く仕事をしたあと、U Streetというアフリカ系の方が多い通りにあるBen's Chili Bowlへ。オバマ大統領がふらりと現れて話題になったという、チリドッグのお店とのこと。

こうやって焼くとソーセージはうまそうだねー
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チリドッグ、辛いだけじゃなくていいお味でした。
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店内には「有名人こんなに来ました」と写真がかざってある。こういうのは日本と変わらないですね。店のTシャツなどグッズまで販売と。

そのあと中心部に出て、スパイ博物館など見学。
まちなかでは、よくカバブとかを食べさせる屋台車を見かける。
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最近流行ってるらしいです。

中華街にぶつかる。
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うっかりおやつにワンタン麺。
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さらに散歩していたらユニオン駅にぶつかりました。アムトラックという鉄道が着く主要駅。ショッピングモールなどもあって、ばかでかい建物です。
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地下鉄も乗り入れているので、地下鉄でホテルに帰りました。
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切符。なぜパンダなのか。【追記:←DCの動物園にパンダがいるからだそうです】
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夜、ふたたびU Streetへ。
1926年創業という老舗のジャズクラブ、ボヘミアン・カバーンズにお邪魔する。
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演奏を聴きながらごはん。
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ちょうどキング牧師の祝日を週明けに控えていることもあり、演説の名手だった彼の言葉を読み上げたり、彼の好きだった曲を演奏したり。聴衆の反応はよくて、いいと思った言葉にはThat's right!、いいパフォーマンスにはエールが飛んでました。弊管理人ら外国人はこういうのも含めて楽しめます。

外に出ると寒!
テレビの天気予報とかは全部華氏で出るので計算が大変。最高気温が40度を切りましたとか。たぶん摂氏3~4度くらいですね。しばらく晴れるけど寒いみたい。

満足して寝ます。

2012年01月13日

ワシントンDC

ちょっと仕事で7日から米国に来ております。
初めての渡米です。
仕事絡みのことは書けないので、それ以外のことを手っ取り早く。

【7日】

飛行機の旅、12時間半。成田を7日の午前11時過ぎに出て、ダレス空港に同日の午前9時過ぎに着く。変な感じ。
超疲れた。死にそう。
DCに移動して、昼飯。
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FIVE GUYSというチェーン店。うまいわ。うまい。
そして夜までおなかいっぱい。

ホテルからちょっと歩いたところにあるスーパーを偵察。
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ものがいっぱいある。

【8日】

日曜なので市内観光。ポトマック川沿いに出てみる。
かのウォーターゲート。
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最近できたという、マーチン・ルーサー・キングのモニュメント。
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そういえば今月16日が誕生日で、祝日だそうです。

DCの南側は官庁街(ナショナル・モールという地区)になっていて、そのさらに南の川沿いは巨大な公園。東西に長く、西の端にあるのがリンカーン・メモリアル。
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巨大。建物上部には各州の名前が掲示されていますが、1922年の完成時にはまだ米国の一部ではなかったアリゾナとハワイについては建物の前の石畳に名前が彫ってあります。

振り返ると
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どこかで見たような気のするモニュメント。
工事してるところは、本来は長方形の池だそうです。

公園内には、ベトナム戦争の死者の名前を刻んだモノリスが建っている。
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重い。

公園の東の端が議会。
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いちいち建物が大げさ。

スミソニアン博物館って実は一つの建物のことじゃなくて、ものすごい数のテーマ別博物館の総称なんだそうです。
航空宇宙博物館を見る。
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とにかく物量がすごい。歴史がない国だとか言われるけど、歴史が始まってからの勝負には負けないっつう感じ。

【追記】官庁街にはWe are the 99%!の人たち(occupy DCといっているらしい)も。
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アメリカのマジョリティってこれのことなのかな。
年を越して、どこまでいくのか。寒そう。

ホワイトハウスの裏手に「オフ・ザ・レコード(=オフレコ)」というバーがあって、本当かどうかは知りませんが、ここで記者が偉い人たちとオフレコ懇談をするのだとかしないのだとか。
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モヒート1杯だけ飲んできました。

ホワイトハウス裏手には、反核を訴えて何十年も住んじゃってるおばちゃんだの、「雇用を!」という垂れ幕だの、いろいろなメッセージ。

【9日】

仕事開始。よって写真は僅少。
これはなんだ。
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1981年にレーガンが撃たれたヒルトンでした。

昼飯のラザニア。
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ここへ来てから、例外なく「昼に重いものを食い過ぎて夜食えない」パターンにはまった。

【10日】

なんかあったっけ。
あ、急に寒くなって雪が降りました。

【11日】

昼飯にフードコートでカレーのターリー(定食)を食べました。
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長いお米はいまいち。というか炊き方がだめ。茹でてるんじゃないか。
でもインド人ぽい人がやってただけあってカレーはなかなかうまい。

国務省の近くに、米国の科学アカデミーの施設があり、そのかたわらにでっかいアインシュタインの像があります。
現地の方によると、鼻に触ると頭がよくなるというので、よじ登って触ってきました。
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同行者は鼻の穴に指を突っ込んでいたので、罰が当たることでしょう。

【12日】

なんと午前中の予定が消えたので、DCの西側にあるジョージタウンという街に連れて行ってもらい、散歩しながらホテルへ戻ることに。
ジョージタウン大ってありますよね。行政学とか国際関係論とかが有名だったような。

街並みもなかなか昔風でいいんですが、写真は撮ってなかった。そういえば。
やっぱり食うのはハンバーガー。
なんかどれも油っこくなくておいしいんですよ、なかなか。
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午後の仕事を終えて、芸術の殿堂?ケネディーセンターへ。
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またこれもでかい建物。コンサートホール、オペラホール、あといろいろ。

テラスからはDCが一望できます。
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国内線のレーガン空港の発着便か、飛行機が頭上を飛んでいきます。

カフェでパスタを食って腹ごしらえをし、まずは午後6時からの日本人アーティストYoko K.の無料コンサートを聴く。コンピュータと、ピアノやサックス、「声」というアナログ楽器を融合させた面白いパフォーマンスでした。
そのあと、午後7時のナショナル交響楽団のコンサートへ。
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こんな席。当日券があったら見てみようと思っていたのですが、チケットボックスに行って聞いたら「半額の席があるよ。ステージからは遠いけど音はいいよー」と言われて$22.50の3階席を購入。ど真ん中の席で、チケット売りのお兄さんの言った通りでした。堪能。
ドビュッシーの前奏曲(オケ編曲版)、スティーヴン・マッケイの「ビューティフル・パッシング」という初めて聞く曲、あとシベリウスの交響曲第5番。バイオリンのソロイストが出てきて解説したり、演奏会後に指揮者を交えたトークショーをやるなど、サービスがいい。
観客はやはり年齢高めだが、ブラボーが飛び、スタンディングで拍手をし、「よかったわー」とか言いながら帰っていく音楽好きたちの雰囲気が温かかった。

2011年12月15日

駆け足神戸

日帰り神戸出張。
午後3時すぎに終了後、7時台の飛行機までちょっと時間があったので現地友人に引き回していただきました。

スターバックス神戸北野異人館でお茶。
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人が多かったので撮りませんでしたが、中の調度品もなかなか。
長居してる人が多い印象。

新長田に移って鉄人28号。
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右下の白い矢印のところに友人が立ってます。
鉄人でかいよ鉄人。

元町。
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南京町。で
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「老祥記」の豚饅頭、1個90円。
少し冷めていたが、うまかった。5年ぶりくらい。

飯はふらっと「京華楼」に入って食べましたが、すべてがダメ。
ここに行ってはいけないと世界中に発信したい(笑)

で、ばたばたと神戸空港→羽田。
次はもちっとゆっくり来たいですね。

2011年12月11日

札幌1泊

ちょっと慶事があって、札幌へ。
弊管理人の20代の終わりと30代の始まりを形作ってくれた人たちのお祝い。

夜のパーティを控えて昼過ぎに千歳に到着、特に札幌であれやろうこれ食おうということもなく、うっかり札幌勤務時代によく昼飯食いに行っていた「蛯天分店」で上天丼(750円)。
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いいじゃん、好きなんだからw

午後4時、中島公園近くのホテルにチェックイン、ベッドで本読んでたらそのまま7時まで寝てしまった。
外は雪です。
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ので、あまり遠くへ行かないで夕飯を済ますことにしました。

これも札幌時代にときどき人を連れて行っていたお店、ジンギスカンの「結び亭」。
毎度静かな環境で焼肉ができるんですが、今日行ったら前よりお店が広くなってました。盛況なのですね。よかったよかった。といってもこの日もその拡張されたスペースでひとり焼肉でしたけど。
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生ラムと生ロースを1人前ずつオーダー。ここのロースはたれのほか、ハーブ塩をかけて食べてもおいしいんです。

そういえば今更ですが、ジンギスカンのお作法って二通り見たことがありまして、(1)ひとつは上の写真のように野菜をまわりに敷いて、帽子状の鍋の上の方で肉を焼いて食べる方法。

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(2)もうひとつは、野菜をざーっと敷いてその上に肉を載せ、そうすると野菜に火が通るころには肉の色も変わっているので、そのタイミングでがーっと混ぜて肉野菜炒めのようにして食べる方法。

肉のシズル感=焼肉やってる感は(1)のほうが出るんですが、(2)は柔らかく火の通った肉と野菜を一緒にざぶざぶ食べる快感がありまして、こちらも好きです。

小樽ビールのピルスナー飲んでご満悦。
夜のパーティは大騒ぎ。

翌朝、飛行機の時間を約2時間間違えていた(羽田到着の時間を千歳出発と間違えていた)ため、やろうと思っていたことの多くをやめにして、歩いて札幌駅に向かいます。

途中にあるBISSEというビル。弊管理人が転勤したあとにできたもの。
どうしても「拓銀」という癖が抜けないのですが、もと拓銀のあったところに建った北洋銀行のビルにいくつか甘い物屋が入ってました。
牧家のヨーグルトパフェ・マンゴー(320円)。
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うまいに決まってます。

そうそう、大通駅からさっぽろ駅までの地下通路も開通してました。2年とはいっても少しずつ街は変わっていくのだねー

やっぱり札幌はいい。
空気はきれいだし、飯はうまいし。


<おまけ>
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よみにくーい

2011年11月23日

湯の澤鉱泉

3、4週間バイクに乗らないとバッテリー上がりが心配(本当はもうちょっと大丈夫なんでしょうけど)なので、ちょっと頑張ってお出かけ。バイクに乗らされている弊管理人。でもモノに流される生き方はそんなに嫌いじゃないです(ヒトに流される生き方はあまり好きではないっぽいが)。

というわけで、ひとっ風呂あびに茨城県は湯の澤鉱泉に。

大きな地図で見る
Aのマークがあるとこね。

常磐道の那珂ICで降りて、袋田の滝方面に向かう途中にあります。
すぐじゃね?と思っていましたが、高速は単調だしその後もわりと時間かかって、途中で「帰ろうかな」と思いましたw
うちから150km近く。常磐道がなんとなくぼこぼこしてたのは震災のせいかな?

街道を外れて、しばらく車1台幅の山道を行くと、森の中にお宿が。
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宿のおばちゃんらが気持ちよく挨拶してくれます。
建物はどこも清潔。

お風呂はこんな感じ。岩風呂と檜風呂があるらしいが、男湯は岩風呂になってました。
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重炭酸ソーダ泉とのことで、お湯に浸かっていると体に小さな泡がいっぱいつきます。独特の香りもありますね。
熱すぎず、しばらくのべーっと入っていられるとてもいいお湯でした。

なんと、肩こり全快。
帰りの常磐道でずーっと同じ姿勢で運転してたらまたこったけど。
10時に出て16時過ぎには帰宅。

2011年10月29日

富山出張

金・土で出張。富山集合でしたが目的地は岐阜県飛騨市。

富山空港から富山駅までバスで移動しましたが、何ら興味をそそられることのない地方都市の町並みでしたね。たぶん探せばなんかあるんでしょうが。

富山勤務経験のある後輩のすすめで、「すし玉」という回転寿司屋に出掛けていって白えび(名物らしい)、がすえび(甘くてうまかった)、さんま(まあ珍しくはない)とかの寿司を食いました。
でもよく考えたら弊管理人は基本的にナマモノを食べないので、感動は半分。好きな人が食べたらうまいのだろうことは分かった。あれかな、自分のタイプじゃないけど一般的にはモテるだろうなー、という人と会ってる感じ?

白えび
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がすえび
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ところで、「すし玉」の職人さんは元気がよくて、いろいろお客に声をかけていたりしていたのですが、中の一組に「今日はどちらから?」と聞いたところ、そのお客は声をひそめて「ふくしま」と答えてました。
えー、やっぱり今そういう空気なの?えええ。

夜はホテルの近くのリパイユっていうビストロでパスタ。しょっぱかった。

結局一番うまかったのはホテルの朝食バイキングだったという。
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ます寿司とホタルイカの沖漬けを形式的にクリアして、あとはおいしいお米と卵と納豆とお総菜を楽しんだのでした。

立山連峰?別に。
あの山の反対側で高校まで暮らしてましたしねえ。

2011年08月09日

名古屋、伊勢、京都

予定のないまま突入した夏休み、おうちにこもってたら気分がスパイラル降下。というわけであてどなく外出、当然暑くて疲労困憊。定番ばかりなので文字は少なめに。

■名古屋

6日夕方に到着。「リヨン」で一日中やってるモーニング。コーヒー頼むとついてくる温かい小倉サンド。小倉サンドだって!
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と、珍しいような気がしてたけど、要はあんパンだな。あんパン。

夕飯は「矢場とん」で味噌カツ丼。
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うまいわー、と思ったら地元民によると「あれは食べやすくアレンジしたもので、ヴァナキュラーな味噌カツはまたちょっと違う」とのことであった。

7日朝、栄駅の「コンパル」でモーニング。
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ここのホットサンド、ほんと好きだわー。あと、熱いコーヒーを自分で氷にぶっかけて作るアイスコーヒーも独特なお味でおいしい。

■伊勢神宮

近鉄でお伊勢参りに向かう。1時間40分。
車内広告。
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Mieken Keisatsukan Boshu、募集が58人ということらしい。警務部長、よくOKしたね、これ。

宇治山田駅。
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看板が赤福だらけ。不祥事の際は波紋が大きかったろうと推測します。

伊勢神宮近くで赤福氷。
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すんごい行列でしたが、回転が速いため意外にすぐにありつけました。
中にあんことお餅が埋まってます。うまいわ。これ。
氷とシロップの量、お餅の固さなど、すべて完成された製品と感じた。
おなかいっぱいになったので、地元民おすすめのカキフライは後ろ髪引かれる思いでパス。

伊勢神宮・外宮と内宮。
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森の中なので、超蒸し暑い。夏には向かねーわ。おしまい。

■京都

近鉄伊勢市駅から京都って、3時間くらいかかるんですね。超遠い。
忍者で有名な伊賀とか、毒ぶどう酒で有名な名張なんかを経て南から京都進入。

鴨川沿いで七夕やってた。
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川床がつくってありますね。
疲れたので早寝。

8日。
「スマート珈琲」で朝飯。
お店の入り口で豆を煎ってるので、すごくいいにおい。
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でもホットケーキとアイスコーヒーで1000円はたけーな。
地元だったら2度は行かない。

叡山電車で始発の出町柳から27分、貴船口へ。
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京都の中心部に比べると気温が10度も低い避暑地だという。
が、40度が30度になっても暑いことは暑い。所詮は夏である。
旭山動物園がいくら面白いっつっても所詮サーカスではなく動物園であるようなものである。

これがやってみたかった、川床で昼飯。
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川の上に座敷を作ってごはんを食べます。
ここは本当に涼しかった。風がひんやりしている。
懐石料理、7000円超。味?―まあ場所と経験の代金と思っておこう。

いわゆる貴船神社。
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水に浸けると文字が浮かび上がるおみくじ。
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末吉。まあよし。

降りてきて、先斗町「茶香房 長竹」で宇治氷+白玉トッピング。
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お茶の香りと甘みがちょうどよく、うだる暑さで参った体をよく冷やしてくれました。
が、1100円は高いだろ。

というわけで、結局いつものようにがしがし動いてどっぷり疲れる2泊3日でした。

2011年05月21日

別府と阿蘇(2、3日目)

■20日

レンタカーを借りて、阿蘇まで走ってきました。

大きな地図で見る
こんなルートですね。県道11号線、通称「やまなみハイウェイ」を走ってみました。

別府の街から山に入ると、すぐにつづら折りの道になります。
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鮮やかな緑がきれいです。高いところを走るので気温も20~25度と快適。
視界が開けてすぐに目に飛び込むのは、由布岳。
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道沿いの展望地からは湯布院の街が一望できます。
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カフェにレストランに土産物屋に、とよく整備された保養地。
ですが、あまり興味がないのでスルー。

九重連山、牧ノ戸峠(1331m)の売店で、熊本の郷土菓子「いきなり団子」購入。
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すげえ名前。ぱっと作れるから「いきなり」らしいです。売店のおばちゃんに「いきなり団子って何ですか?」と聞いたら質問の意味が一瞬分からなかったっぽい。そんなに一般的なのか。
小麦粉の皮の中に、あんことサツマイモが入ってて、素朴ですが優しい甘さが好きです。

九重を抜けると、緑の低木に覆われたなだらかな丘の続く開けた道に入ります。
阿蘇を一望できる大観峰でため息。
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小さいとすごさが伝わりにくいパノラマ写真……

そして阿蘇山頂に肉薄する「パノラマライン」に入ります。
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牧場と、その向こうの街、山並み。きれい。

阿蘇山は最近また活動を始めたようで、ロープウェーや道路は封鎖になっていました。
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残念。

お腹も空いてきたので、湯田のほうに降りていきます。
道すがら目に入った「バイエルン」というレストランに入ってみました。
ハム、ソーセージのお店だそうですが、その日のおすすめだったポークソテーをいただきました。
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肉厚のソテーについた塩の下味と、タマネギの歯触りがいいソースがす ん ご い うまかった。試食に、と出してくださったサラミやベーコン、ソーセージなどもやさしい味でした。

お茶飲みたいなー、ということで帰り道の竹田市は「茶寮ひめ野」で、これまた郷土菓子らしい「やせうま」とアイスコーヒーで一服。
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民家の客間にお邪魔した感じ。庭も木が多くて涼しげ。
やせうまは、のばしたお団子にきなこがかかっているシンプルなお菓子です。それにしても名前の由来は何?とお店の方に聞いても分かりませんでした。むかしっから食べてますけどねえ、とのこと。多いね、そういうの……

あとは別府までイッキ走りで帰ってきました。
昼のポークソテーがボリューム満点だったのであまりお腹が減っていなかったのですが、ホテルの近くにあった「ROUTE10」。カレー酒場という珍しいジャンルに惹かれて入ってみました。バーカウンターでビーフカレーをほおばる弊管理人。一口めが甘いけどスパイスの存在感もあるおいしいカレーでした。「大盛りもできますが」とお店の方が言って下さったのに、腹の空き具合から断ってしまったのが悔やまれます。

■21日

最終日は帰るだけ。
朝風呂に浸かって、時間ぎりぎりにチェックアウト。
コーヒーを飲みたかったまちなかのお店があいてなかったので、さっさと空港へ行ってブランチ。
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とりめしのおにぎりと、かぼすのドリンク。空弁なんだけど買ってすぐ食っちゃいました。いいよね、空港+弁当で空弁てことで。

というわけで、聴いて食べて走ってと貪欲に楽しんだ旅行でした。
こんなに全てが素晴らしくていいのだろうかと怖くなること多々。幸福に慣れていないので、こういうとき臆病になります(笑)
あー、楽しすぎた。仕事に戻りたくない。

2011年05月19日

別府(1日目)

ゴールデンウィークがないことを嘆いておりましたが、この日に休めなかったらグレる、くらいの勢いで上司に迫ったところ、いただけました、19日からの4連休。
なんでそんなに気合いが入ったかというと、大分県別府市で開かれている「別府アルゲリッチ音楽祭」のコンサートのチケットを1月に取っちゃっていたからなのです。

■19日(木)

前日は午前1時半くらいまで仕事をしていたので、へろへろになりながら10時台の飛行機に乗りました。
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国東半島にある大分空港へ。実は生まれて初めての九州上陸です。
実は音楽祭に仕事で行く会社の後輩と、ちょうど同じ便に乗ってました。二人で別府中心部までバスで出て、昼ご飯にします。

ご当地のものをということで、「グリルみつば」でとり天定食(1050円)。
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要は鶏肉の天ぷらなんですが、ここにちょっと甘いタレがかかっていてウマイ!!!!
後輩と二人で「アリだ、これはアリだ!」と言いながらがつがつ食いました。
あとで地元民に聞いてみると、家庭でも普通に食すことの多いというとり天、食べ方は一つではないとのこと。「みつば」は最初からタレをかけるもので、これは異端なのだとか。ポン酢、かぼす、洋からしあたりを使って好みのつけつゆにして食べることが多いそうです。

後輩は夕方までの仕事に向かい、弊管理人は別府駅からバスで30分ほどの「鉄輪温泉(かんなわおんせん)」へ。
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「地獄めぐり」だそうですが、これはまあ、ふうんという程度のもの。
でも街を歩いていると、いたるところで温泉や湯煙の噴出が見られて、すごい迫力です。
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開渠が温泉成分でか緑色になってます。

中心部に戻ってホテルにチェックインしました。
「エール」という、楽天でなんとなく決めただけのホテル(素泊まり5600円)。でも部屋は広いし、なにより屋上に作ってある露天風呂がいい!
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海と、遠く大分市の町並みまで見えます。
お湯も熱過ぎなくて、ずっと入っていられます。
結局、湯めぐりなどはせず、ここのお風呂にばかり入っていました。

夕方、後輩と合流してちょっと早めの晩飯を。
やっぱり何かご当地ものをということで、冷麺にしました。
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何カ所か店舗があるらしい「大陸ラーメン」で680円。満州からの引き上げの際に持ち込まれたものらしい。つゆは和風な感じ、麺は日本そばの混ざった独特な冷麺です。これもまたうまい。キムチやゆで卵をおかずに麺を食べる感じというのかな。

■コンサート

さて、最大の目的だった室内楽コンサートは、ビーコンプラザという施設で行われました。
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アルゼンチン生まれのピアニスト、マルタ・アルゲリッチを招いて毎年開催されている「別府アルゲリッチ音楽祭」は今年13回目(なんだか温泉がずいぶんお気に入りのようで)。今年は彼女もとうとう古稀を迎えるということです。

10日余りの期間中、何度かコンサートが開かれるのですが、今年は弊管理人としてはぜひ出向いて聞きたい理由がありました。
1998年、大学3年のときに聞き逃したショパンのピアノ協奏曲第1番が今回のプログラムに入っていたためです。1991年、初めて買ったCDもアルゲリッチのものでしたが、生演奏はこれまで見たことがありませんでした。出会いから数えて20年とすれば、最も見たかった演奏が見られる機会を、誰がやったってできるような仕事なんかでフイにできるわけないでしょう?

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本番では40分弱の演奏中、一音たりともおろそかに聴かないよう全力で味わいつくしました。

とにかくテクニックと駆動感が特徴的な彼女ですが、過去の映像を見るとオーケストラを引っ張る暴れ馬のようなところもあって、必ずしも心地よい演奏ではないのかなあと思っていたところもありました。

しかし、目の前にあったのは、弦楽器の仲間たちと調和しながら、しかもパワフルかつ情感いっぱいに「あたしの歌」を歌いきるという難しい統一が完遂された演奏でした。こぶしを回しながら、拍を乱さない。均整が取れて粒立っているのに流れている装飾音。ぞくっとするような弱音。すごいスピードで難しいフレーズに突っ込んでも危なげなく制圧してみせる―。
最後の音から手が離れないうちに拍手が起こり、カーテンコールが4回。休憩を挟むために会場が明るくなっても拍手がやまず、最後にアルゲリッチが出てきて深々とおじきをするのを観客が総立ちで迎えるという熱気でした。

弦のみの曲も含めてプログラムをすべて終えるとアルゲリッチが再登場。「ハッピー・バースデー」のファンファーレが鳴り(6月5日生まれらしい)、大きなバラの花束が手渡されました。歳の数=70本あったのかな。それを太い片腕で軽々と(?)抱え、バイバイして去っていくアルゲリッチに観客もバイバイして終わる。そんな温かい音楽の「祭」。感激しながら堪能しました。

2011年05月06日

飯坂温泉

1週間ほど福島出張になりました。
仕事に入る前なら遊んだっていいよね。
というわけで、福島市街からわりと近い温泉地「飯坂温泉」へ。

福島駅から、福島交通飯坂線で360円、30分弱。
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こんな感じの、古い保養地といった風情です。
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公衆浴場「鯖湖湯(さばこゆ)」、200円。
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がらがらだったので、ちょっと失礼して。
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木造で、脱衣所(背後)とお風呂が一続きになっています。天井がとても高くて、昼間は開口部からたっぷりの光が入ってきて気持ちがよいです。お湯はちょっと熱め。
汗だくにならないように、ちょっと早めに切り上げて、向かいのカフェでお茶。
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アイスコーヒーと、飯坂で有名らしい「澤田屋」のオレンジケーキがついて450円。安!
おいしくいただいて福島中心部に戻りました。

「がんばろう!東北」ののぼりがあちらこちらにはためくまちなか、道路の修繕のあと、まだ治っていない建物、県庁に停車している自衛隊車両。テレビをつければまだ画面が縁取りされて上部に生活情報のテロップが流れており、まだまだ非常事態は続いています。
いやー、仕事は億劫なんですけどねー。がんばりますわー

2011年02月06日

三崎でまぐろ

というわけでバイクで横浜横須賀道路を通って、三浦半島の突端・三崎にまぐろを食べに行ってきました。メチル水銀!メチル水銀!(顰蹙)

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ここ。東東京から有料道路をゆっくり行って2時間くらいでした。
今更ながら、首都高って都会の遊覧飛行みたいでとても楽しい。都心のオフィス街を抜け、川崎の工場地帯を通って、家々がこんもりとした緑の斜面にへばりつく南神奈川へと移り変わる風景を楽しみました。

本当は4-5人で行って、くろば亭でカブト焼きをわーわー言いながら食べるのが楽しいのでしょうが、そこは独り者。港の近くで適当な磯料理屋に入って、まぐろステーキ丼(1000円)を昼飯にいただきました。
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こういうやつ。バター醤油かな?味付けは薄めでしたが、身の味が濃厚で、この量で十分でした。まぐろで出汁をとった味噌汁も香りがよくてうまかったです。

風景の写真は、止まるのが面倒で撮ってません。結局止まったのは昼飯と、帰りに大黒PAでコーヒーフロート飲んだときだけ。三浦半島はもう春のとば口だったなー。80km/hで走ってもそんなに寒くありませんでした。月末には伊豆にでも行ってみようか。

2011年01月23日

富士山とお風呂

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年明けの気分か、これまで迷っていたいくつかのことを、「やる」方向で決定してます。迷ってる時間がいよいよ勿体なくなったので。
といっても地デジ化とか、そんなレベルのことなんですけど(地デジ、悔しいがきれいだw)。

で、きのう、とうとうバイクにETCをつけました。
夏に、支払い用にポケットに入れていた1000円札が高速走行中に飛んでいってしまい悔しい思いをした時から、取り付けを考え始めていました。年末には高速道路料金に関する国交省案が出ましたが、どうも一律無料とか一律料金とかに完全にはならないために、曜日や車種による複雑な判断を避けるとの名目で引き続きETCは割り引きを受けるために必要そうな雰囲気だったことに背中を押された気もする。
「とうとう」というのは、バイクの場合はETCの機械に耐振動とか耐水とかの機能が必要になるのと、おそらくマーケットが小さいために、取り付けにかかる費用が四輪の倍以上(3万-4万弱)になるため、それなりの決断がいるからですw

今日はテストを兼ねてちょっと出掛けることにしました。
どこへ行ったものかと迷いましたが、北は路面凍結とか怖いのでやや南へ。
東名で御殿場→山中湖→富士山の見える銭湯でお風呂と昼食→河口湖→中央道で帰宅、というコース。
冬用の手袋を買ったりジャケットを買ったりインナーを買ったりと、ここ何年かでちょこちょこそろえてきた冬装備で出てみました。峠では気温1度とかでちょっと寒かったですが、5度あれば100km/h以上出さない限り、わりと大丈夫でした。覆いのない顎と、ブーツの中の足指がやや冷えたので、これらについては何かお金のかからない対策を考えたいと思います。
それにしても、上限1000円は安い。あと、料金所で止まって→手袋取って→財布からお金出して→お釣りとレシートしまって→手袋はめて→発進、という面倒な作業がないのは想像以上に便利でした。

写真は氷の張った山中湖と、てっぺんが雲で隠れてしまった富士山。
このあと入った「紅富士の湯」は、温泉なのに消毒の匂いがするお湯の質はともかく、ぬる湯からちょい熱めまでの浴槽があるのと、眺望がなかなかよかったです。はい。

2010年07月24日

八重山の夏休み(7/7)

今日は帰るだけなので、写真は空港に向かうバスから撮ったこの一枚のみ。
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いや、リフレッシュしました。
天気にもおおむね恵まれましたし、予定してなかったお祭り見学なんかもできて。
与那国とか波照間とか、石垣からさらに数時間かかる離島には足を伸ばせませんでしたが、これはまた今度、ですねー。

2010年07月23日

八重山の夏休み(6/7)

書き忘れておりましたが、この休みは「頑張らない」がモットーでありまして、わたくし普通なら朝8時から夜8時までイベントを入れまくるのですが、今回は空白を恐れず気ままに過ごすことにしております。

ちょっと雲行きが怪しかったので、朝10時過ぎから今日はレンタカーで石垣島を攻略することにしました。午前中から夕方まで軽自動車借りて3500円(保険込)てすごくない?
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ヤシの群落を見たりとか
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北の果ての平久保崎に立ってみたりとかしてましたが、この直後バケツをひっくり返したような雨になり、
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石垣牛のほほ肉のシチューとか食べて、あとは空港の近くでお土産選んで過ごしました。

友人には泡盛を頼まれていたので「玉の露」というちょっと卑猥な(←超失礼)名前の地元の泡盛を買い込み、自分用にはなぜか空港近くのマックスバリュにあった
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これ。

さて、
森、海、町、人、と見てきたこのたびの旅行ですが、あれですよ、「食」が抜けてますよ。
この段階で一番おいしかったのは黒蜜のかき氷「ぜんざい」だというていたらく(どこにでもある八重山そばは個人的にはあまり……)。
というわけで、夜は独りでも入れる(=お料理のハーフサイズ指定ができる)居酒屋として紹介を受けた「かめかめ」というお店に。

まずは泡盛。
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白百合という、ちょっと癖のある銘柄を選んでみました。
横にあるお通しはパパイヤの酢の物。うまい。

島らっきょうの天ぷらの香り。
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胡椒をきかせたソーメンチャンプルーが心憎い。
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ぎょうざ。美ら豚(手前)ともずく(奥)の2種類盛り。
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ソーキのトマト煮。軟骨がぷりぷり。
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ポーク卵、お好み焼きっぽい味付けで。
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これだけひとりで平らげるとさすがにお腹いっぱい、さらに泡盛がだいぶ回ってきたのでお店を辞して宿へ。うまかった~、大満足です。
夜は雨脚が強まってごうごうと鳴る音を聴きながら早めに床に就きました。

2010年07月22日

八重山の夏休み(5/7)

石垣島からフェリーで10分、竹富島に渡ります。
ここは伝統的な様式での建築が義務づけられているらしく、街はどこも白い砂の道に赤い瓦屋根。古き良き沖縄が保存されつつ創造されております。
そこでは移動はレンタサイクルが基本。

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これは車は無理だ。

そもそも1周4kmくらいの小さな島なので、びゅんびゅん走って回りますw
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星形の砂が落ちているという浜辺。みんな星砂を探してます。
私は見つけられませんでしたw

町の有志が集落の真ん中に立てた展望台「なごみの塔」
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なんか「も○みの塔」と間違えるんですよねw

上から見るとこんな
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シーサーいろいろ。
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ブサメンからイケメンまで。

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労働者と
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働く姿。

このあたり、車エビの養殖をしているそうなんです。
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地場のエビフライで昼食。

小さな島ですし、3時間もあれば十分回れる気がします。
昼過ぎには石垣島に戻りました。

島では、豊年祭というのをやってます。
なんか農業関係のお祭りだとかで、地元の新聞で説明を読んだのですが、詳しくは失念。
何を撮っていいか分からないという、あやふやな視点から撮られた写真を数点お楽しみ下さいw

【↑これではあんまりなのでw7/30追記、八重山日報7/22を参考】
「五穀豊穣を神に感謝し、来夏世(くなつゆ)の稔りを祈願」するお祭りだそうです。来夏世とは来年の夏ということなので、今年の稔りをありがとう、来年もよろしく、ということでしょう。
御獄(うたき=神社みたいな宗教施設)で神前に御神酒を捧げ→伝統芸能披露→収穫物を供える儀礼(オンプール)までが1日目→2日目としてこの日見たのが、登野城・大川・石垣・新川というむかし同じ集落だった4つの町会が一緒にやるムラプールという行事だったようです。
おばちゃんらが行事の中心になっているのは、信仰上神に仕えるのは女性だったからのようです。
【追記ここまで】

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↑どうやら、この左端に見切れてるおばちゃんが重要だったらしいwww

地元の人は、ぼくらのような外の人には外の人にもわかる話し方で話しているらしく、地元の人同士の話をちょっと聞いていましたが、何を言っているかおおかた分かりませんでした。イントネーションと語彙の両方が独特で、しかもかなり早口だったりするともうお手上げです。
あと、東京で何人か沖縄出身の友達がいるのですが、バラの状態で会っても「顔濃いねー」くらいでピンとこないのに、これだけ沢山地元の人を見ているうちに、友達たちがちゃんと沖縄顔の文脈に位置づけられていって楽しかったです……

2010年07月21日

八重山の夏休み(4/7)

西表島最終日。
宿のおとーさんがシュノーケルのツアーをやっているので、それに参加しました。

午前10時。
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港からおとーさんの船で出発です。

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天気いいねー

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西表島の北側にある「バラス島」というスポットです。
珊瑚が堆積してできた島で、風や波によっていつも形が変わっている、地図にない島だそうです。とっても小さいです。もちろん誰も住んでません(笑)

海中散歩1本目。
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おさかな、いぱーい
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スポットを離れ、鳩間島へ。
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人口60人ほど、小さな島です。灯台のほかは集落がひとつ。
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ここは茶店。かき氷食べました。

港に船をつけて昼食。
おとーさんにいただいた黒糖。
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うまいなー、これ。

そして、海中散歩2本目は、おとーさん独自のスポット。
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こちらもさすが、おさかないっぱい。

こ、これはニモ氏(カクレクマノミ)では!
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と思ったら、白いライン1本はハマクマノミなんだそうで(ニモ氏は3本)。

午後2時には港に戻り、宿のシャワーを借りてすっきり。
おとーさんと奥さんにお礼を言って石垣島に戻ります。

ここから2泊は楽天で見つけた3000円の宿。
どんなところかと思ったら普通のビジネスホテルでした。すごいねー、この価格。

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夕日がきれいでした。

2010年07月20日

八重山の夏休み(3/7)

20日は特に予定のない日だったので、宿の近くのガソリンスタンドでスクーターを借りて、島を走り回ることにしました。

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いい天気。
デジカメについてるパノラマ撮影機能なのですが、シャッターボタンを押してカメラを右から左に振ると、連射した画像を勝手につないでくれるというもの。これは素晴らしい。

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いちいち絵になる風景。走ってるとそう暑く感じないのがいいですね。

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よく見かけた蝶々氏。

島は一周する道路がないので、終点の先にある海岸を見て戻ります。
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水牛。