2025年09月10日

食べる、話す、九州、夏

夏休み第2弾は九州に行くことにしました。
特に何が見たいということもないので、食って歩いて誰かと話して、というゆるめの旅。

マイルで福岡空港、乗り換えの合間にちょっと歩いて資さんうどん。
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そんで対馬に行きます。たぶん公式的には差し障るのでブランド名は書かないが、レンタカー屋さんに「帰りの便の関係で、追加料金払って1時間延長するのできますか?」と聞いたら、おにいさんが無料で延ばしてくれた。やさすい世界……
わだつみ神社。
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烏帽子岳。もこもこ。
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宿は厳原(いずはら)という地区です。たぶん島内で一番都会。
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イカ釣りの拠点だったらしく、スナックがいっぱいあります。
その地区で育って、スナックで働いたこともあるというコーヒー屋のおにいさんが「夜の仕事が終わると港に行ってイカを釣るんですよ。そうすると1日終わったなって感じになるんですよね」と言ってた。街灯に寄ってくるんで岸壁で釣れるんだそうです。すげえ……
地元の若者をナンパして夕飯食った。
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手前の鉄板は「とんちゃん」という地元料理らしい。豚のプルコギ。
釜山から50kmないので、韓国人旅行客がめちゃくちゃ多い。ジェットフォイルで日帰りできるくらい手近な観光地だそうです。
飲食店のメニューは韓国語版があるし、よくあるQ&Aは店員さんがカードにして示している。役所かなんかが接客業対象の韓国語講座をやってる。運転荒いから気をつけてと言われた。
「そのうち対馬は韓国に取られちゃうと思うけど、長崎県は助けてくれなさそう」と2、3人が異口同音に言ってました。
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ちなみに対馬は長崎県です。航空便は福岡、長崎とつながってるけど「長崎に行ってもやることないから福岡に行きます」とのこと。福岡まではフェリーもあるが雑魚寝のスペースしか島民割がきかず、結局は飛行機のほうが安いんだって。
車を買うのも福岡。免許は島内に取れるところがあるが、北の端にある比田勝(ひたかつ)の高校生は(遠隔地のためか?)佐賀で合宿で取るんだそう。
「福岡行っても疲れて早く島に帰りたくなっちゃう。今は島を出なくていいかな~」と若者。

北へ2時間近く運転して、環境省の施設にツシマヤマネコを見に行きました。交通事故にめっちゃ遭うらしい島のキャラクター。空港も「対馬やまねこ空港」ですしね。
いた!福岡の動物園生まれで人間でいうと50歳くらいと。まあそのダラダラっぷりに親近感はわく。90年代には全島で100何十個体まで減ったあと、今は回復基調のようです。特徴は眉間の模様と短めの耳。
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近くの岬は日本の北西端なんだって。
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国境の島ということで歴史的には面白そうだと博物館見学を楽しみにしていたが、臨時休館だった。釜山も見えなかった。
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ま、いいけど。比田勝で海鮮丼食って戻りました。
福岡へびゅん。

渡辺通のあたりに投宿して、コインランドリーで洗濯して、山縣屋。
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前菜盛り、すごいうまかった。パテと、鶏レバーのスモークが出色。
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翌日は朝7時からやってる「いとおかし」でごまサバ定食。このご時世にごはんおかわり無料だが、2300円ならまあそうか。
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BGMがうるさかった。なんで大音量でJポップ聞きながら朝飯食わなあかんのか。あとやり手っぽい創業者フィーチャーしちゃう系パンフレットもカウンターに置いてあってアパホテルみたいだなと思いました。アパホテルに泊まってたからか。
味はよかったです。辛子高菜うまかった。銀鱈もおいしそうだった。
地元の人が「福岡はうまいものはいろいろあるが、観光地がほとんどない。まあ太宰府くらいか…」というので太宰府へ。
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いま本殿が建て替え中で、行ってみたら仮殿が藤本壮介だった。藤森照信の甚だしいやつって感じ?微妙に左右非対称なのか、撮影位置の問題か。
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横の宝物殿でこの建築の展覧会やってんじゃん!と近づいたら閉館日(月曜)。
「ここの庭は落ち着けるよ」と言われた光明寺も閉まっていた。
当然というか、九州国立博物館も閉館日。
ぷんすか怒りつつ、原田で寄り道して「井手ちゃんぽん」。
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うまあ。日高屋とえらい違いだ。ってあれはタンメンか。どう違うの?
ホテルに帰ってふて寝、夜は「弥七」で梅酒と焼き鳥。レタス巻き、当然のようにうまい。店員さんみんな若い。
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最終日は佐賀へ。福岡の人に「佐賀に行く」と言ったら「なんで?あそこは通過するところ」と言われましたが、違うんだな。カレー食いにいくんですよ。

もと錦糸町にあり、弊管理人の震災後の食生活をキーマカレーで支えてくれた「カレーのアキンボ」は2015年に店主氏の故郷の佐賀に移転。行こう行こうと思っているうちに10年がたってしまいました。
古民家をほぼDIYで改装したんだって。「youtubeとか見て」って。すごくない?
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埼玉で美術を勉強して、寿司屋に勤めて、錦糸町でカレー屋になったのが2010年。
「もともと5年やったら帰ろうと思っていた。普通のカレーではないので、佐賀の人口規模と嗜好を考えると県外からのお客さんで商売が成り立つようにと考えていた。なので高速のICから遠くないところで物件を探してたんです」とのこと。

メニューはコース一択8000円。結構な品数が出てきますが、はしょって。
こちらは手前がイチジクと茄子とブルーベリーとイヌビワ(イチジクの原種らしい)。奥はマスカットとパクチーとかなんかもういろいろのサラダ。説明は大半失念。
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いやもう、すごい。素材自体の珍しさと、その組み合わせの凄み。この歳になって「知ってる料理のおいしいやつ」ではなく「全然知らない料理」を食べる経験。
こちらはスベリヒユ。検索したら「ちょっとぬめりのある夏の雑草」と書いてあった。奥はオクラとツルムラサキをクミンで炒めたやつ。右はナシのヨーグルト和え(もちろんなんか忍ばせてあるが説明失念)。
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ほかにも冷やした冬瓜とかタイカレーっぽいスープとか佐賀牛カレーとガレットとかいろいろ。飲み物は水出し緑茶から始まって、お茶にブッシュカン(仏手柑)や米酢が入ったドリンクとか、コーヒーにいろいろ細工が施された炭酸飲料とか、もうとにかくすごい。

メインの野菜カレーは懐かしい器に載ってました。錦糸町から持ってきたんだと。
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豆のカレー、ピクルスつき。全体が優しい味です。当然混ぜると異変級の相乗効果が生まれる。錦糸町にいたときはスパイスを追求していたが、それも結局は生産され輸送されてきた「商品」だなと思うと今はそこまででもなく、むしろ野菜(植物)に興味が尽きないのだと。

デザートは醤油の絞りかすとポポーという果物のアイスでした。今アイスに凝ってるんだって。
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奥にぼやんと見えるジャガイモみたいなのがポポーです。柿のような味。近所の農家さんが作ってるんだって。アイスも果物もどちらもまんま小惑星だな。福岡から高速バスで1時間10分、佐賀駅から路線バスで30分。そこにあったのは野菜と果物の宇宙であった。

わりとさくさく食べて2時間。もともと昼、夜2組ずつしか客をとらないとどこかで読んだが、この昼のスロットは弊管理人ひとりでした。目の前で店主氏がこちらのペースを見ながら料理してくれる。これすごい贅沢ですね。
終始おしゃべりしながら食べ続けて満腹になりました。こんなに喋る人だったっけ?
10年余りですごい進化してました。また何年かしたらどうなっちゃうんだ。そのうちまたきます~
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佐賀は空が広かったです。
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福岡に戻って空港でラーメン食って帰りました(健啖)。いい夏休みだった。

2025年09月02日

死と再生(2回)

盆休み期間中のはずが、海外での国際会議対応が熱い状況になり、会社に2泊3日したりとかしてた反動でその後ずっとダラダラしているうちに8月が終わってしまいました。
8月後半の楽しかったこと。

8/25は月曜から中野のジンギスカン「ゆきだるま中野部屋」。
家が近い会社のお兄と仕事終わりで21時半スタート。
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良い評判は聞きつつ「東京でジンギスカンねえ」と思っていたのですが、北海道で食べたどこよりもおいしかったです。野菜と肉のスターターから肉汁まみれで、いろいろ頼みましたが、これと締めのヒレが出色だった。中野歴18年のお兄(札幌時代の同僚)も「うかうかと18年もここに来ずにきてしまった」と悔悟の言葉。年末にまた来て年を締めたい。

* * *

翌火曜は早出明けでDC時代の同僚2人+上司、および時期はかぶってないがDCにいた会社のえらい人たちと新橋飲み。サークル活動っぽさがある弊管理人の所属部とは違った、ギョーカイのふるーいアノ感じ、ボーイズのべたべたに曝露することとなった。うへえ。
いいだけ酔って23時就寝、7時起床で疲労を脱した。こういう極限まで疲れて寝て復活する現象を、弊管理人の人生において「死と再生」と呼んでいます。

* * *

弊管理人がDCにいた時期に西海岸にいた大学の同級生とも飲んだ。
ばりばりの理系なんだけど、人工知能という文系隣接の分野にいるのでお互いに思うところを話していると面白い。4億で引き抜きがきたとかも異次元でいいネタであった。

* * *

8月最後の土日は東京激暑ということでマイル消化を兼ねてどっか行きたいと思い、松山へ。
海辺なら、と思ったらやっぱり暑かったがいろいろ食べてきました。

和食みよし。べたべたしないがちゃんと話を聞いてる大将は同い年であった。
一切れずつ載ってるお造りに鱧と秋刀魚が入ってて、夏と秋の挟間を感じた。
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このほか茄子の田楽、海老ともろこしの天ぷら。日本酒はいずれも愛媛のお酒で、西条市の「日本心」と今治市の「MOON★LIGHT」。ムーンライトは華やかで好きな味でした。
カウンターで隣になったおじさんは広島出身、松山への移住者、外資系。松山ってやっぱり広島とつながってるんですかと聞いたら「いや、つながってるのは東京」とのことです。そうなんだ。東京や京都はもう行ったというインバウンドの2周目が愛媛に来始めており(確かに商店街に英語のメニューが目立つようになっていた)、しかしまだ愛媛は街としてnot readyだと評してました。どうなるのかねえ。
この時点で結構酔っており、旧知のお店に寄ったりしているうちにだいぶやばい感じに。

しかし欲で食べるラーメン「あづま家」。
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これもかなりおいしかったという記憶の痕跡を抱きしめています。
よく財布なくさなかったなと思うくらいベロ酔いで宿に戻り、23時気絶、6時めざめ。
ちゃんと寝る前にシャワーを浴びて歯を磨いていたようです。えらいな。
これが2回目の死と再生。

日曜はドライブ。運転は7ヶ月ぶり、右ハンドルはたぶん4年ぶり。
ウインカーを出そうとしてがっつりワイパーを動かしてしまいました(複数回)。

在米中に割ってしまった砥部焼のカップの代わりを……と梅山窯に行って買ったのは茶碗と水気のあるおかずを盛る皿。窯の見学もできました。

昼ごはん。鯛飯は東京でも食えるよねということで、大洲市の油屋で「とんくりまぶし」。
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栗の甘煮と豚のすき焼きが乗っかってるお櫃ご飯で、1杯目は普通に、2杯目はだしをかけて。これいつできた名産?と不思議に思いつつ大変おいしくいただきました。

伊方半島いってみましょう。せと風の丘パーク。
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なぜかずっと弊管理人ひとり。マイナーなスポットなのだろうか。
大分から宇和島まで見える。見晴らし最高でした。
伊方の道の駅でみかんジュースとちりめん山椒を買いました。
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松山まで70km、途中で眠くなって道の駅で一休みしつつ、無事に帰ってきました。
大街道で「松山鮓(すし)」をいただきたい。正岡子規が夏目漱石に出して喜ばれたメニューだとかで、甘めのすし飯を使った地魚のちらし寿司だそうです。
明倫館というところに入ってみました。
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地元の濃厚な醤油ともよく合う、上の淡泊な魚としっかりめのご飯が合って好きな味でした。

それにしても渡米前と比べて日本の物価3-4割増し、といった感覚でいたのですが、松山はまだそこまでという感じ。週末のホテルも6-7千円であったんだよね。ええとこでした。一度行ったところにはなかなか戻らない弊管理人ですが、松山はこれで4回目かな。ちょっと珍しいと思う。
月曜朝に東京に戻り、ちょっと休んで夜勤。

2025年08月12日

104

何かを察したというわけでは全くないのですが、今年の盆休みは例年と違ってどこか他県のホテルを予約することもなく、「まあ木曽に岩魚でも食べにいくか」くらいのことを父が提案しつつ、ただ日々仕事に流されたまま迎えるところでした。

7日の朝、母方の祖母が104歳でとうとう亡くなったということを聞きました。ずっと介護していた伯母に連絡すると「業者に任せていて当座やることはないので、すぐ帰ってこなくていい」とのこと。それじゃあまあ飛んで帰ってもしょうがないかということで、予定していた相模原での仕事を済ませて帰宅。翌8日も普通に出社。

9日に長野に帰りました。今回は礼服を持って行くので小さいほうのスーツケースを持って、妹と同じ便のバスで郷里へ。
通夜には間に合いました。10数年ぶり?くらいのいとこやら、いとこの子やら、おばさんやらと挨拶。今回は伯母が地元の葬祭業者にフルコースで頼んだらしく(まあ伯母も高齢だからね)、坊さんが来てお経を上げて、結界代わりの水引を参列者の体に結わえて、おばあちゃんに手甲だの脚絆だのはかせて、棺桶に入れて、花で囲んで、とまあいろいろ手順があった。

坊主に50万、業者は見積もりベースで120万だそう(祭壇だけで50万だとか)。2003年の母のときは弊管理人が市役所で死亡届を出し、簡素な棺桶など葬祭セットをもらい、病院の安置室に1晩だけ置かせてもらってそのまま焼き場に運び、死亡から24時間余りでお骨にし、それを抱えて母の実家(=本家)に戻り、寺で葬儀をしたのでそこまでかからなかったはず。しかしこれは子供20代、夫50代の体力ありあり世代だったからできたことではある。まあ今回オールインクルーシブにしてももうちょっと削るところは削れたのではと思うが、それはほぼ独りで仕切る83歳伯母に言うことではない。

それはともかく、こうなった。
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何年も前から折り合いの悪かった父と伯母は普通に対面し、話をしていた。大人の対応。
伯母は喪主として気を張っていたが、去年夫を亡くした叔母と、50代初めに妻を亡くした父が「ひとりになっちゃったなと思うのはこれからだよ」と言っていて、傍で聞いていた弊管理人は「おおそう感じていたのか」と思った。

10日は午前中に火葬。焼き代12000円。1時間半くらいですかね。お骨を拾いました。
本当は午後に葬式ですべて終了すると楽だったのですが、時期が時期だけに坊さんの都合が合わず、この日はこれでおしまい。伯母が「お骨になるとあきらめがついた感じがする」と。

11日に葬式。急遽受け付けをすることになりましたが、104歳で、かつおばあちゃんとなると地域にそこまで知り合いが多いわけでもなく、教師だった祖父の時より弔問の人たちはかなり少なかった印象です。教え子ぽつりぽつり、あとは親戚筋とか、近所の人とか。坊さんも古くなっていた。まあ母の時からだと22年たつからな。

1920年11月生まれ、数えだと106になるとかで。
19で高遠に嫁に行き、伯母が2歳、亡母が生まれて1ヶ月で祖父が出征し、そのあと5年も生死不明の中で子育てしたのだそうです。祖父が帰ってきてから3女=叔母が生まれてます。
2003年に母と祖父が亡くなってから鬱っぽくなり、数年、薬を飲んだりしているうちにだんだんぼけてきたという記憶がある。2007年の時点で伯母が「おばあちゃんはもうだめかもしれない」と言ってましたが、そこから18年。肉とトマトが延命に貢献したと思われる。
最後の2週間は嚥下に失敗して気管支にものが入ったあと、苦しそうだったとのこと。伯母が寄り添って寝ていたら、すっと息が止まった。表情は楽になった感じだったと伯母。

写真を撮られることが嫌いだった祖母は、弊管理人が完全に分からないくらいになったことで(?)ようやく撮影されてくれました。誰か知らないおにいさんが写真を撮ってくれているという受け止めだったと思う。外づらのよさがいい方に作用した。下の写真は2020年の暮れ。疫病真っ最中にすっごい気を遣いながら帰省した時。
ちなみに遺影は1993年にいとこが結婚した時の集合写真から切り出したというので筋金入り。
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たくさんいたきょうだいの中でも体が弱かったそうで、しかし最も長く生きた。わからんもんです。ちょっときついところのある人で、弊管理人はちっちゃい時に「おばあちゃん嫌い」と言い放ったこともある(確か)。ただ思春期以降は何も悪感情はなく、ほぼ半世紀の長いおつきあいになりました。いうて年2~3回、帰省して会うだけだったけど。大人になってからお年玉をあげて泣かれたのは思い出。しかしあれ、使わないまま仏壇にしまわれているのでは?

で、葬式が終わった途端、精進落としの席で伯母の動きが停止しました。もうほんとに「停止」。なんかまずい、と思ったいとこが話しかけたところ「母さん(=祖母)どこで亡くなったの?」などと意味不明のことを言い出し、ただならぬ雰囲気を察知した親戚が集まって話しかけ、ようやく魂が戻ってきた感じになった。しかし「なんか私、頭がぼーっとして」と繰り返しており、このあとが心配だなーとみんなが思った。80代まで20年近く負ってきたタスクがいきなり消えたことと、母を亡くしたことが重なったわけで、もともと情緒的な母方の家系にあって相当注意すべき事態かもしれない。

そして弊管理人は、今まで見ずに済んでいた「相続」の問題に直面することになりました。たぶん大した資産はないんだけど、一番は本家の家です。さあこれ、どうする。勉強しないと。

* * *

弔いが3日間にわたったので、結局3泊4日の帰省はそれだけで過ぎていきました。
父作の天ぷら。
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今回は全く出かけることもなく、父も妹も弊管理人も家にいるときは昼寝してました。疲れてたんだと思う。
それに加えて、妹は急速に太り(20代の頃と比べると多分倍くらいになり)、すごいいびきをするようになったので、弊管理人は寝不足です。頭痛い。これは結構な問題。

ちかぢか自分のための夏休みをとろうと決めました。

* * *

◆リチャード・ドーキンス(大田直子訳)『遺伝子は不滅である』早川書房、2025年。

ドーキンスの集大成、みたいな触れ込みだったので発売日に買った。
まあ確かに集大成といえば集大成だし、今まで言っていたことの再録といえばそうかもしれない。5000円近い本だが、えぇ、ひょっとしてこのために値段が上がったんですか……みたいなそこまで必須とも思えないカラーイラストたち。豊富な実例といえばいいが、読んでいてちょっと以上に間延びする博覧強記。あと訳がちょっと拙い(ものすごい量の生物学用語を訳す労力は察します)。ドーキンスは『利己的な遺伝子』が頂点だったのだろうか。悪いがこの本はたぶんブックオフに売る。

とはいえところどころ面白いと思ったので、以下にまとまりのないメモを。

網膜の作りがおかしかったり、反回神経が変な付き方をしていたりと「ヘタクソな設計」がみられるが、これを訂正したいと思ったとしても、進化をやり直して中途半端な機能を獲得しつつある個体は、ヘタクソな設計ながら完成された機能を持ったやつに負けて結局は生き残ることができないので、ヘタクソな設計が生き延びるという説明は面白いと思った。

「本書のメインテーマは、あらゆる動物は祖先の世界を記述した書物である、ということだ」(p.98)

「ヒトやほかの無毛種はいまだに、体毛をつくる祖先の遺伝子を保持していることがわかっている。しかし遺伝子は無効にされている。そして無効化の方法は種によって異なる。…ちなみに、ここに再び創造論者にとっての問題が生じる。インテリジェントデザイナーが毛のない動物をつくりたかったのなら、なぜその動物に体毛をつくる遺伝子を授け、そのあとそれを無効化したのだろう?」(pp.122-123)

「過去から受け継がれた遺伝子は、動物が生まれ落ちる世界を予測すると言える、と前に述べた。しかし遺伝子は一般的な予測しかできない。自然淘汰が対処できるのは世代交代の時間尺度だが、状況はそれより速くどんどん変化する。さまざまな細かい部分は、DNAに書かれている「遺伝子版死者の書」の「記憶」ではなく、おもに脳内に蓄積された記憶によって、動物自身が生きているあいだに役立つように書き込まれるのだ。遺伝子プールと同様、脳も動物の世界に関する情報を保存する。それは将来を予測するのに使える、ひいてはその世界での生存を助ける情報だ。しかし脳はそれを速い時間尺度で行なえる」(p.157)

「しかしいずれにしても、なぜ、二つの隔離された集団の遺伝子は、仲間として適合しなくなり、ひいては相互交配を妨げる傾向にあるのか? ひとつには、配偶子がつくられるとき、二組の染色体が減数分裂の過程で対合する必要があるからだ。たとえば障壁の両側で大きくちがってしまうと、雑種は、たとえできたとしても、配偶子をつくることができないだろう」(p.285)

「私に言わせれば、求められる重要な区別は「自身の」か「異質な」かではなく、「垂直性」か「水平性」かである。私たちが通常ウイルスと呼ぶもの――HIV、コロナウイルス、インフルエンザ、はしか、天然痘、水痘、風疹、狂犬病――はすべて水平性ウイルスである。だからこそ、その多くが私たちを傷つける方向に進化しているのだ」(p.321)

2025年08月04日

海2

木曜の仕事は朝始まって翌日午前1時45分終了、
金曜の仕事は朝始まって翌日午前2時半終了、
土曜の仕事は朝始まって翌日午前1時45分終了。

でまた逗子の海。今回は花火をやるので午後遅めのスタート。
日曜はそこそこ寝て起きたので体力は回復してました。
先週と違って10人ちょっとの小さな集まりで、暑かったものの夕方から日が隠れて過ごしやすくなりました。今回は浮き輪を借りて海に入った。涼しかった。
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このイベントを頼りにして上記のような働き方を乗り切った面はある。というか大きい。
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夏が始まったようでもあるが、終わり始めたとも言える、8月初旬はそんな「あわい」の時期。
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20時半くらいに現地を出て、湘南新宿ラインのグリーン席でゆったり帰ってきました。
この日曜は120点。

* * *

職場ではAIの出力だの機械翻訳だのをそのまま投げてきたみたいな事例がちらほら聞かれてます。弊管理人はAIの校正させられるのは御免だし、AIの校正を弊管理人がやるんだったらいっそ現業などAIに置換されてしまえと思った週。まあ美意識の要素も大きいので、考えが合わない場合にそれを摺り合わせようとするだけ損という説もあり、意識はふわ~っと夏休み何しようかなというほうに逃避/飛翔を始める。異常に暑いしね。エル・ニーニョ終わったんちゃうんかい。って日本は関係ないのか。

2025年07月27日

逗子

日曜は夏の遠足で逗子の海。
土曜は夜勤だったので、終わったらさっさと帰って寝て備えよう、と思ったら後半ばたつき、午前1時45分終了のところ、結局3時半まで働いた。そんな騒ぐ話かねとは思ったが、弊管理人はあくまで助太刀的な立場なので言わない。そもそも昨今、弊管理人まわりの仕事は世の中において何ら影響力を持っていないので、何をしてもトカトントンな気分です。

結局6時間くらい寝て13時前に逗子に着いた。
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行きつけの飲み屋さんが企画する恒例行事だが、何年ぶりだろう。
この浜自体は、アメリカに出発する直前の2021年9月に独りで来たので、ほぼ4年ぶり。
同じ人たちと来たのは、日記を遡ってみたら2018年8月だった。

旧知の人、帰ってきて知り合った人、知らない人が1/3ずつくらい。
東京が35度だったところ、逗子は30度、さらに風があってとても気持ちよかった。
スイカだーー!夏が体に浸透してきた。
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腿くらいまでは海に入って、夕方まで喋りながらだらだら飲んで、大船の居酒屋で騒いで23時半くらいに帰ってきました。
主催者に「楽しんでもらえた?」と言われて「最っ高」と答えたが「嘘っぽい」と返されました。

* * *

中野のベトナム料理、ビアホイチョップで友人とランチ。
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正直、ベトナム料理にうまいとかまずいとかあるのかねと思っていたが、ここはうまいぞ。夜も来てみたい。

* * *

新しい自宅PC、起動やアプリ動作の速さ、低負荷時に静かだという快適性が(なぜか今頃)実感されてきた。SSDいいですね。まだ部屋の隅にいる前任とお別れできる気持ちになってきました。

2025年07月21日

海と海の日

3連休。
日曜、横須賀美術館で始まった山本理顕展に行ってきました。
家からだと2時間くらいかかるが、きれいな美術館で好きです。この建物も山本理顕。
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めちゃくちゃまぶしかった。
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万博でいろいろ批判していた人なので、万博フォローアップでもあります。
弊管理人のみるところポイントは(1)運営の説明責任のなさ(2)終わったらカジノじゃなくて府民の役に立つことしろよ。
(2)についてはどうするべきなのかなあと思っていたが、たぶん答えがこれ、「地域社会圏モデル」。こういうのを夢洲に作りたかったんじゃないか。
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地域社会の弱体化や孤独死といった問題を抱えた「1住宅1家族」に代わる、500人前後の人が一緒に住む建物というモデル。
5~7人でキッチンやトイレ、シャワーを共有する。
30~45人で太陽光や太陽熱、ボイラーといったエネルギーファームを共有する。エネルギーを地産地消する。
120~150人でビストロ+キッチン、スパ+ランドリー、収納、コジェネを共有する。
高齢者は買い物代行サービスを受けるとともに、お金をもらって託児サービスを提供する。
イエに設けたガラス張りの「見世」空間を人付き合いに使う。
車と自転車の中間に当たる電動のCommunity Vehicleで移動する。

(1)についてはまあごもっともではある。一方で77歳=70年安保とかの時代を生きた人の怒り方という気もする。
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それはそうと、展示はとても面白かった。外(パブリック)と内(プライベート)を仲立ちする「閾」の概念。客間のような。宇宙ステーションのエアロックのような?
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いろんな人の居室、住宅設備、中庭、その他もろもろを全部包んでしまう「屋根」が印象的です。それと、でかい「壁」を置くことも多い。いつも「内と外(と、それらの接続)」を意識させられる。
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あと、幅広の階段もよく使いますね。
公立はこだて未来大学とか、台湾の桃園市立美術館とか、行きたいところが増えました。
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横須賀中央に戻って、焼き鳥と水餃子で一杯飲んで、さらにちょっと寿司をつまんで帰りました。
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月曜は白金の東京都庭園美術館。2025年の建物公開をやってました。
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ここは旧朝香宮邸で1933年竣工。夫妻でパリに滞在していた1925年の「アール・デコ博覧会」に影響を受け、めちゃくちゃアール・デコで作った建物です。なのでこれも万博関連。
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そもそもアール・デコという名前は1925年万博Exposition Internationale des Arts Decoratifs et Industriels Modernesの略称からきていて「1925年様式Le Style 1925」とも呼ばれるのだそう。
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合成樹脂や鉄筋コンクリート、強化ガラスといった新素材と、キュビズムやロシア・バレエなどから影響を受け、直線と立体の構成、幾何学模様の装飾を特徴とする。有機的なアール・ヌーヴォーに取って代わった様式で、鉱物的・直線的。機能性と装飾美。
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デザインはアンリ・ラパン、設計は宮内省内匠寮(たくみりょう)。
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朝香宮は1947年に皇籍離脱し、その後は吉田茂の公邸になった。
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1981年に土地と建物が東京都の所有となり、1983年に美術館として一般公開。2015年に重文。
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変な建物~、と思いましたが展示はとても面白かったです。
めっちゃ暑かった。日高屋でタンメン食って帰りました。

* * *

そういうわけでパソコンを買い換えました。
今までのはLenovoのideacentre510S(90GB0046JP)で、2017年12月から7年半お世話になりました。
これまではわりと動作がどうにも遅くなっちゃって耐えられず買い換えていたんですが、今回はWindows10のサポート切れが目前で、かつIntelの第7世代Core i5でギリギリWin11の要求スペックに足りないという若干悔しい事情での買い換えでした。

7年半は歴代使ったPCで最長。データ用のDドライブからCに容量を融通したら重かった動作がかなり軽くなったということもあり、Win10の件がなければあと2年は使えたと思う。

今回もLenovoにしました。同じLenovoのIdeaCentre Tower 08IRH9(90XW001DJP)です。
白いのが新しいやつ、銀色が古いやつです。
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Win11/Core i5(13世代)/メモリ16GB/SSD512GB+増設1TBです。セールで71060円。値段は前のより2万円くらい高い。物価は当然上がるし、円安の時代だしな。

前のからCPUが6世代進み、メモリは倍、記憶容量は自然体では半減ですが増設してデータ用の領域を確保しました。ちょうどアマゾンのセールがあって1TBで6000円ちょい。

光学ドライブがないので会社から借りてCDからATOK2015をインストールしました。10年も前のソフトだし、できるのかなと思ったけどできた。ATOK慣れてるのでね、まだこれでいきます。
HDDからSSDになったので起動がかなり速くなりました。あと音が静か。
使用3日目ですが、いまのところ問題なく動いてます。スピードもきびきび。
すごく使用感が変わったかというとそこまででもないけど、余裕は感じます。
これから数年頑張っていただきたいです。

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なかびが参院選の投開票日でした。
弊管理人が投票した選挙区候補はわりと余裕で受かった(少し誤算)。
比例政党は1つ取った(当たり)。
全体状況はほぼ予想されていた通りでした。報道各社はカネかけて情勢分析してるしまあ当然。
選挙期間中の主張とか発言を取り上げて「ここはダメ」と切っていくと結局極端なほうにしかいかないので、選挙後のエンゲージメントの可能性に期待して「極端じゃない」ことを基準にしてもいいんじゃないかと思いました。

2025年07月17日

ごきげんゲージ

いいこととかイラつくこととかがわりと立て続けにあった1週間。

中野坂上のスパイスカレー、FIFTYでお昼。
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普通においしかったです(おいしかったの意)。嗅覚か味覚のどっちかが万全じゃなかったかもしれない。あと、2種類のあいがけ1650円て物価上がったね。

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帰国後初めて徹夜で飲んだ。楽しかった。

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1日違いで万博に行った知り合いとXで反省会スペースをやったんだけど、次の2点が面白い気付きだった。
・大屋根リングは21世紀のエッフェル塔だった。1点から見下ろすか、回遊しながら眺めるかという違いはあるが、あの「世界を見渡す視点」はエピック
・万博は「夢」であるということ(夢洲!というゴミの島の上にそのうちゴミになるパビリオンが並ぶという儚さ)。理想という意味でも、虚構という意味でも、未来という意味でも「夢」。そしてその役割はやはりもう終わっていた

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台風の影響か、この数日は土砂降りが多かった。ほとんど室内から見るだけだったので、降られたのは1回、上記カレー屋から駅まで。

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選挙には参加しておいたほうが開票速報が楽しく見られるということで期日前投票。
初日の日曜にやったが、中野区役所は次々と人が来ていた。
選挙区は「推したら受かるかもしれないそれなりの規模の野党候補」、理由はいつもと一緒で「政権交代の可能性が感じられるほうが状況がよくなる」から。
比例は「推したら1人は入るかもしれない野党を党名で」入れた。参院はアプローチの違う人もいたほうがいいと思ったため。

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アメリカに渡航した月(2021年9月)の所得税の扱いについて、会社が税務調査で「誤り」と指摘されたとかで、今さら追徴の知らせがきました。7万!

・日本で所得税がかからない月という扱いだったはずが、かかる月だというふうに解釈されたとのこと
・もともと日本で所得税がかからない月(=アメリカに行ってから帰るまで)はアメリカの税金を会社が払うかわりに、「日本にいたらこれくらい払うでしょ」という金額を会社が天引きするというシステムなんですが、これに従って2021年9月は会社に所得税相当分を引かれていたところ、今回の追徴をもってもそれは返さない、みたいな説明をされました。なぜなら「税金とは別ものだから」
・そんなわけあるか!と給与部門のえらい人に抗議したが、この人がまたのらくらと勝手な論理を並べて逃げようとする。結構声を荒げつつ説明して「検討してまた知らせる」と引き取ってもらったところで電話断
・同様の問題は、ここ5年ほど(時効にかからない期間)に海外赴任した他の人たちにも発生したようで、同時期にDCにいた人から「9月に精算すると言われた」と返答がありました。しかし弊管理人にはそういう知らせが来ない
・まあ同じ処理になると思うので心配はしていないが、なめた対応だ。騒がないと動かない。アメリカか

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歴代担当者がほっぽらかしてきた問題を是正した。最初、所属長(弊管理人のDC前任者)に持ちかけたときは「反対」と言われたのだけど、結局はいろいろアレンジしてくれて、完全に遅きに失した形ではあるが対応ができたのはよかったと思います。問題のピークはとうに過ぎており、あんまし実質的な意味はないんだけど、一部から「重荷が降りた」との声が寄せられたので、よかったことにする。

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掛け布団のカバーを洗って寝るまでに乾かなかったので、カバーなしで寝たらいつもより涼しくてよく寝られた。アメリカでは室内の温度が通年22度で、1年中掛け布団を使ってよく寝られていたのでこちらでもエアコンを適宜使いながら掛け布団で寝てるんですけど、ちょっと暑いなと思うことがあったんですよね。カバーがこんなに保温に効いてるとは思わなかった。たぶん弊管理人はある程度の重さがかかってないとぐっすり寝られないので、タオルケットだけ、みたいなスタイルはだめなんだと思う。

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暑くて通勤が億劫なので、在宅を結構しちゃってます。会社は認めてないらしいんだけど。

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いろんな綾で来週は何年かぶりに種子島出張かな、と思ったが、いろんな綾で面倒くさくなったのでリモート対応する気になってきた。
この件に限らず、このところ仕事上「どうでもええわ」という気になることが増えてきた。そうネガティブなことではなく、単に慣れてきたということかもしれない。

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書いたものが「論理的におかしい」と言われたのにカッとなって「おかしくないですよ。いやおかしくないでしょ」と電話口でヒートアップしたら「まあ落ち着いて」となだめられた。
実際、論理的にはおかしくないのだけど、極めて小さな改変でもっと食べやすくなる方法がぱっと降りてきたので速攻対応して終了した。
・「論理的におかしい」が自分の逆鱗ワードだったことは学び。なんか分かる気はする
・対応策が冴え渡ってちょっと気持ちよかった

弊管理人はもともと瞬間湯沸かし器だという本性を「習得された社会性」という蓋で抑えているという自覚はある。このところ蓋が弛んでいる感じはする。

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炊いたごはんをラップにくるんで冷凍前に冷ましていたら、それをうっかり1日放置し、季節柄捨てることになってしまった。大変遺憾。

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◆伊藤将人『移動と階級』講談社、2025年。

言われていることにあまり驚きはないが、こういうふうにアプローチするんだ~と勉強になった。

2025年07月10日

えくすぽ2025

金曜の夜、職場でひとり夜勤をやりながら「こんなつまらない週末でいいのか(いいはずがない)」と思ったかどうかはともかく、万博のチケットが意外にするっと買えることに気付いて平日券を購入。月曜に入場時間の予約もした。しかし人気のパビリオンはもうほぼ予約がとれない状況。といったところで午前1時45分の上がりの時間がきたので帰宅即就寝。

土曜、ホテルと新幹線のわりと安いパッケージがあったので購入。
日曜は朝から出掛けました。

大阪。2022年末の一時帰国でちょっと寄って以来。なつかし。明らかに東京より人の顔が楽しそうである。
早めの昼飯は豚々亭でトンテキをキメます。
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トンテキももちろんなんだけど、白飯がうまかった。ぶはあ。

で、住んでたときには確かまだ開いてなかった中之島美術館に行きました。
巨大な黒い箱。なんでここ来たかったんだっけ?
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MoMAにこんなとこあったっけか。
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今やってるのは「日本美術の鉱脈展」で、メジャーではないか、今はメジャーだがつい最近まで知られていなかった尖った日本美術を集めた展示です。特に、素人が描いた「素朴絵」というジャンルがあるのは初めて知った。解説も大阪らしく(?)あけすけで、「史上最もヘタクソな洛中洛外図」との解説タイトルには笑った(横の人も笑った)。

これは伊藤若冲の「釈迦十六羅漢図屏風」。戦災で失われたのを藝大などが復元した。
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さて、一度ホテルにチェックインしましょうかね。
今回は天満橋です。住んでたころ、よく無印とかニトリに買い出しにきてたところ。
久しぶりの友人に連絡して「夕飯どう?」と聞いたら即OKだった。

扇町駅から近い「なかなか」。
店内こんな感じ。いろんな日本酒があるお店です。
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このレアさわらフライが秀逸。
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全部うまかった。
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しかし調子に乗って黒板メニューを頼んでたら結構いった。いいけど。

高知出身の20代友人、仕事は安定してるし、趣味の活動は評価されてるしで、話を聞く限り極めて幸せそうなのだが、「一度は東京に住みたい」とも思うんだって。そうね、20-30代で一回住んでもいいとこだというのは同意。ずっと住む必要があるかというとないが。

日曜夜だし、早めにおひらきでまたね、となりかけたところで友人が「もう一軒行きますか」と誘ってくれたので喜んで相伴。かねて行ってみたいが一人じゃなあ、と思っていたお店で、結果すごい面白くて長居してしまった。ありがたいことです。

* * *

月曜は朝から夢洲いきますよ。入場予約は10時。9時40分に駅についたが、手荷物検査の列が一向に進まず、かんかん照りの酷暑の中、若干くらくらしつつ50分待ってようやく入場した。
これが例の大屋根リング。確かにでかい。
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そして下に入ると確かにちょっと涼しい。これがなかったら真夏は耐えられないだろう。
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Better Co-Beingなるパビリオンだが、事前予約してないと入れない。そしてやっぱり日陰がない。
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ヌルヌルとかなんかそんな落合なにがし的な建物。
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自己主張するオーストリア。
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パビリオンはクラゲの木みたいのだけが事前予約できたので、まずそれを攻略。なんかいろんな民族の人達が踊ってる没入系映像が生演奏と一緒くたになってるのを見るような展示だったが、「人って多様だよね」みたいな優等生的で誰でも知ってるメッセージくらいしか読み取れなかった。人を唸らせるメディアアートは難しいなって思いながら全くノリきれずに終了。

そのあと、通りかかったら予約なし入場が始まったコロンビア館に入ってみた。「コロンビアといえば~?」と問いかけるスタッフに「内戦~!」と答えそうになったがやめた。自然環境とか文化の紹介であった。
そうなんだよ。各国館は結局その国の紹介をするんだよな。万博ってな。とやっと気付く。

とりあえず昼飯(高い天津飯)。

大屋根に上ってみる。おお高い高い。
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そして海の上を歩くことができる。
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思えば2023年にドバイであった国際会議も万博会場だったが、人工的で味気ない囲われた会場にいろんな形の建物が無造作にちりばめられていて、大阪もやっぱりそんな感じだった。
しかしドバイと違うのは「会場を上からぐるっと回って見る」ことができる点で、これが大きい。なので大屋根はこの万博で一番よかった。

2021-24年に毎年世界のいろんなところに行った国際会議もやはり、各国がブースを出して自国をアピールする点では万博っぽかったなと今にして思います。その点で大阪万博に大した驚きはありませんでした。結局は自慢の文化財、自然、人の多様性、先端技術の展示であって、突飛な未来を見せるようなものでもない。そもそもそういうもの。何を期待してたのかという話ではある。でも1970年のはどうだったんだろうか。

大屋根を半周して地面に降りると、西ゲートであった。
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近くのパソナ館が予約無し入場を突然始めたので迷い込んでみた。
生命進化の木だそうだ。これさ、太陽の塔の胎内の、ものすごいヘタクソなパクリじゃないか?この脇には太陽の塔の腕の先端を中から見た風景に似せたと思われる部分があった。
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そして、iPS細胞から作った心筋シートがひらひらしていた。
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iPS細胞で作った心臓を鉄腕アトムに移植するアニメが上映されてたりだとか、なんかその、パソナ、阪大心血管外科がどろどろっと魔合体した感じの、いろいろ想像してしまう系(婉曲)展示でした。しかし普段から仕事で科学技術をちらちら見ていると、科学系展示一般、何ら新しい感じがしない。未来を構想するのはかくも難しいということばかり痛感した。

ブルーオーシャンドームの当日予約がするっと取れたのでGO。
坂茂のドーム。
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うん、なんか建築を見る機会としてはいいよね。土地とか文脈とか、まったく切り離されていてパビリオンの建物自体が「展示物」っていう感じが強いが、まあ万博とはそういうもの。
プラスチックによる海洋汚染の啓発映像みたいのを見ましたが、特に面白くはなかった。クラゲがふわふわしていて、一同「もう終わり?オチなし?」みたいな感じで退出。

インド館を冷やかしつつ、15時も回って汗みどろだし、さてそろそろ、と思ったころ、また通りかかった大阪公立大館で予約なし入場ができるとの掲示を見たので並んでみた。
ねえこの外装、西陣織らしいですよ。すげ~
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空気が滞留し、タオルハンカチが絞れるんじゃないかっていうくらい汗が流れる入口前で、案内のおねいさんが「しばらくここでお待ちいただきま~す」とのたまった。「クソ暑いんですけど!!」と叫びそうになった。まじで。
そして展示はなんということもない研究紹介でした。

いや、で、これ休憩スペースらしいんだけど、なんで、完全な、日陰を、作らないのだ?
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ところで弊管理人含め結構な人達が日傘をさしていたんだが、みんな雨の日のように傘を直立させていて、斜めから入る日光に腕とかがめっちゃ晒されているのね。まだ日本人は日傘に慣れていないのではないか。

歩いていると、有名人がペラペラ喋りながら万博を持ち上げていた。
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コモンズという小国の雑居ビルみたいなところではイエメンのおじさんが客のおばさんに何かを食わせていた。帝銀事件を思わせr(略
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この壊れたポケットコイルマットレスみたいのはパナソニック館。
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しかし、建築というのは外から見るだけでなく、中に入ってこそ設計と対話することができると思うので、なんかこのファサードだけふぁさっと見て回るというのは消化不良感がある。

せめてもの思い出にということでミャクミャク像の前でおばちゃんに写真撮ってもらった。
「わたしこういう機械だめやねん」とブツクサ言いながらちゃんと撮ってくれて、お礼言ったら「ちゃんと確認して。撮り直し頼むなら今やで」と言われましたが、ちゃんと撮れてたので「完璧です!」と言ったら照れていた。

結局17時近くまでいた。帰りの電車に乗ってふと自分のTシャツを見たら塩田みたいになっていた。日焼け止めも落としたかったので、本町で降りて契約してるジムでシャワーを浴び、たまたま船場で見かけた「すしやねん」という寿司居酒屋みたいなところで夕飯にしました。
ヒゲ、刺青、切れ長の目という三国志みたいなイケメンのおにいさんが握ってた。
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安くてうまい庶民のお寿司って感じ。ネタが分厚くてボリュームがあり、とても満足した。
今治タオルをカウンターに置き忘れてきちゃった。残念。そしてなんかおっさんの体洗ったタオルなど置き忘れてしまい大変すまん。

そんで新幹線のって24時過ぎに帰宅しました。
日焼け止め完璧。全然焼けなかった、と思う。
いろいろ書きましたが、初めて万博いった、ということに満足をしました。

* * *

新しいPCを注文しました。週末か来週前半に来たら、また日記に書きます。
2017年に買った今のLenovoデスクトップ、まだ全然快調に動いてるのに、Windows10のサポートが10月に切れても、Windows11のインストールができるスペックではないというので強制買い換えとなりました。ほんとこういう勿体ないことは御免被りたい。
もちろん経年のせいか、ちょっと動作がくたびれてる感じはあるので、今の良好なネット環境を活かせるスペックのPCになることには期待もあります。

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暑いという理由でテレワークしがち。いや会社はテレワークを認めてないらしいんだが、だいたいのことがオンラインでできるんだよね。

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ボーナス、税金が3割近いんだがなんなんだ?

2025年07月02日

徹夜とか

土曜の夜に徹夜で仕事して、明けて日曜は夜まで問い合わせを受けて、月曜は早出で仕事をして、とまあアラフィフの働き方じゃねえだろうみたいな3日間を過ごしたが、特に褒められることもなく、なんならダルいことがいろいろあり、きょうは休みました。書きながら思い出したら再びダルい気分になってきたので明日も休むかもしれない。

Xで「休み」とつぶやいたら友達2人から連絡をもらい、昼と夜にメシを食いました。
昼は近所の1人と中野の「高ひろ」でおいしい焼き魚定食。
夜はさらに少し離れた1人が加わって、中野坂上の「平田屋」。写真は「まぐロール」。
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19時にチャレンジしたら入れず、雨も降ってきたのでいったん近所の中華屋に避難して1杯呑み、20時過ぎに来たら入れた。安くておいしい。うひゃうひゃ言いながら3時間飲み食いして別れました。

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嗅覚。
前の前の土曜に地元の耳鼻科に行って、鼻の中をみてもらったらポリープがあり、副鼻腔炎もあって多分このせいで匂いの通りが悪くなっているのではないかとの見立て。「ポリープはそんなにすぐできるものではないので、これは前からあったのではないか」とのことです。

1週間分の薬をもらって飲み始めたら嗅覚が平常時の5%(コーヒー豆に鼻をつけないと匂いがすることが分からない)から30%くらい(コーヒー豆に鼻を近づけるとコーヒーの匂いはする)までよくなった。飲みきるころには60%くらい(何か食べたときに味はそこそこ分かるが、室内など雰囲気の匂いは分からない)まできていたが、まだ本調子ではない。
一方、ここ何年も朝起きるとまず鼻をかまないといけないくらい鼻水がたまっていたのですが、それがほぼなくなった。そんなにずっと鼻が悪かったの?

翌土曜日、だめ押しでもう一度耳鼻科にいったら「ほとんど回復」との見解でした。
もう1週間分の薬は出すけど、それでよくなったらもう来ないでいいよとのこと。
80%以上回復した感じがします。雰囲気の匂いもだいたい分かる。うなぎ屋の前を通ったときはもう少し香ばしく感じてもいい気がするけどな、くらい。

五感はどれもほんとに大事だなと今般思いました。
あと皆保険ほんとにありがたい。アメリカだったら医者にかかってないかもしれない。

* * *

◆浅田義正、河合蘭『不妊治療を考えたら読む本〈最新版〉』講談社、2023年。

ブルーバックスです。電車の中で弊管理人が読んでるのを見た人は「ああ、子どもが欲しいのにできないカップルの旦那さんなんだな」と思っただろうが不正解。子どもや動物のように言って分からないやつは嫌いだし、カップルでもない。勉強のためです。

妊娠のバイオロジー、いろんな発生段階やホルモンの名前が出てきて大変なんですけど、それらをちゃんと順番に並べて、どういう仕組みで次につながるのかがちゃんと解説されていて大変勉強になりました。旧版が出たのっていつだっけ。15年前に出会っておきたかった。

2025年06月22日

におわない世界

前の土曜(14日)に鼻風邪みたいのが始まり、熱があるわけじゃないんだけど36.7度とか平熱が低い弊管理人にしては微妙に体が何かと戦ってる感じの体温。しかし喉は特に痛くない。でも最近ここまでのはなかったくらい鼻が詰まってました。

水曜(18日)の夜に一瞬37.2度を記録し、このちょっと前くらいから嗅覚を喪失しました。
調子には上下があり、コーヒー豆に鼻がつくくらい近付いても何もにおわない0%の時と、ちょっとにおう15%くらいの時を行き来しています。それでもやっぱり上限15%なので基本、におわない世界。
・全くメシがうまくなく、「今夜何食べよう」と考えなくなる
・生ゴミの捨て時が分からない
・危険が察知できない
→これらにいちいち頭を使って判断しないといけないのが面倒
・ちなみにCOVIDは陰性
・起き抜けが一番鼻がきかず、夜ちょっと回復するのが典型
・意外と周囲に話してみると「自分も風邪の時に嗅覚を喪失したことがある」という人がいた

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水曜、立教大でやってる「細野さんと晴臣くん」という展示をみてきました。
学生時代のノート、絵もデザインもお上手。
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建物も素敵。
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すごい晴れでした。梅雨じゃなかったっけ?
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お昼にマレーチャンというお店でナシゴレンを食べましたが味がほとんどしませんでした。

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日曜、青梅の澤乃井酒造への遠足に誘っていただきました。
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3人で1本分けて飲みました。うまかった。嗅覚があればもっとうまかった。
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酒蔵見学。
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川遊びもちょっとした。
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35度になったらしいめちゃくちゃ暑い日でした。疲れた。
日焼け止めを厚塗りしていったのでヒリヒリしませんでした。

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都議選の投開票日。弊管理人の投票行動はいつも一緒で「ギリギリ推せば通りそうな野党候補」+「一応公約は見てヤバくないかだけチェック」。なにはなくとも「多数派が入れ替わる可能性が感じられることで政治は締まる」というのが信念だからです。

それにしても、政策をみると「都営住宅」「待機児童」「不登校」「高校授業料」など生産年齢・正規雇用の独身男性という弊管理人にはいまいち響かない項目が多く、同じような属性の人は減税とか移民とか情報公開とかのちょっと抽象的な(適切な言葉が見つからないがちょっと遠い感じの)メニューに目がいくのではないかと思った。思っただけだし弊管理人の目は特にそっちに行かないが。

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◆村上靖彦『客観性の落とし穴』筑摩書房、2023年。

孫引きになるが、ベンヤミンの言葉(p.147)がよかった。『ドイツ悲劇の根源』という本らしい。

「普遍的なものを平均的なものとして説明しようとするのは、本末転倒である。理念こそが普遍的なものなのだ。これに対して経験的なものは、それが極端なものとしてより精確に識別できるものであればあるほど、それだけ深く、その核心に迫りうるものとなる。概念は、この極端なものに由来する。」

管理人

40代、未婚、子なし、男、文系学士、30万都市出身。新卒で入った会社でずっと働いています。中学の教育方針のせいで日記を書く癖が抜けなくなりました。

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