2024年04月15日

うららか賞

先週は週明けのクリーブランドから週半ばまで忙しかったのもあり多少のダメージが残りつつ、でも土日よく寝て、久しぶりにアパートのジムに行ったので調子が戻ってきた感じがする月曜です。

土曜は買い物デー。99 Ranchでいちごみるくやら缶コーヒーやらを買ってきました。来年のこの時期はもういないと思うとそんなに残金を気にしなくていいので、多少高くても食べたいものは買って食う。

日曜は友人提案でDC東側の国立樹木園に行ってみました。本当はバージニアの山のほうに連れていこうと思っていましたが、出発してから目的地変更。まあいいよ。弊管理人も初めてだしな。

からっと晴れて気温は25度くらい、少し強めの風があったおかげで暑くなく、多分これ2024うららかアワードの日です。
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それにしてもいつもながら、西洋古代のないこの国でなんでこういうもの作るのか。
DC市内まで戻ってきて、14stのイタリア料理屋の外席で軽く昼飯。サラダとイカリング、洋梨とゴルゴンゾーラのピザ。
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友人宅でShogunの第1話みました。大半が日本語で楽だった。いつものように感想求められて困った。10話中の1話見ただけなので「感想もなにもまだ話が始まってないやん」と口走った。あと根本的なこととして、弊管理人はドラマ見るの向いてない。「だから何」と思ってしまう。

友人の犬を車に乗っけたらヨダレをつけられたので、帰って拭いて、着衣も洗濯。

犬連れてると、犬好きの人とか犬飼いの人とか子どもとかとのコミュニケーションが発生するのが観察されますが、個人的には生命体を所有するという行為はキショいと思います。このところSNSの短い動画が動物だらけで(つまり寝床で見てしまっている)、見比べてると欧米系の人たちは玩具のように扱いすぎ、日本人は動物の「わがままぶり」とか「好きにしてるところ」を見せる動画が多く、人間側の対応を見ていても日本人は躾や命令が苦手なのかなという印象です。

* * *

咳。多少出るものの去年よりは全然楽なところをみるとアレルギーだけとは考えにくく、疫病の後遺症的なものなのかもしれない。

* * *

そういえばクレジットカードをなくしてまして、再発行したやつが届きました。
カフェテリアでカード決済して、そのあときちんと財布にしまわずズボンのポケットにいそいそ入れたら、その後どこかで落としたと思われます。
この件に限らず、このところ我ながら何それ?というヒヤリ・ハットがいくつかあった。気をつけたい。

* * *

最近SNSに書いたこと。

・アメリカ人がすごくメールを返さないのにつられて、私もどんどん返さなくなってる。内訳はわりとアメリカ人に近いのではないかと思うが、
40%は「分からない/まだ決まってない」
30%は「いいえ/嫌です」
20%が「自分で調べろ」
10%が失念

・延々とカーチェイスできるのは、交通量が少なくて車線が多い国だからではないか

2024年04月09日

黒い太陽

皆既日食を見に、オハイオ州のクリーブランドまで行ってきました。片道600km弱、新宿~姫路間くらい。今回は出張ですが自分の車で。天気がどうなるか分からないので飛行機はとらず、行ける範囲で行けるなら行こうくらいの感じ。
5日前くらいから国立気象局のツイートをチェックしまくりました。2日前になると途端に確度が上がります。その後は予報はほとんど変わらず。

クリーブランドの天気は予報段階ではすごく微妙で、見えるかもだが見えないかも、空の40%くらいを雲が覆うという予報でした。しかし見える可能性があるなら行っとこうか、くらいで日曜の昼前に出掛けました。

やはりオハイオ方面に行く人がそこそこいるのか、ハイウェイは若干込み気味。
そこまで急ぐ旅でもなし、どっか1カ所観光していきたいな。フランク・ロイド・ライトの作品がいくつか近くにあるんだけど、落水荘はもう見たし。
で、寄りました。「フライト93ナショナル・メモリアル」。9.11でワシントンに向かおうとして乗客の抵抗の末、ペンシルベニアに落ちた飛行機、その現場に作られた追悼施設です。

着いたのはもう3時過ぎだったか。巨大な風鈴がカランカラン鳴ってました。
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犠牲になった40人の乗客乗員と同じ数の筒が風にさらされてます。乗っていたのは44人。4人はテロリスト。この4人はやはり追悼はされないのだな。

墜落現場はもっと違う場所にあります。それを展望できるところに記念館。
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中は撮影禁止。うっかり1枚撮っちゃったけど。
亡くなった人たちの写真の中に日本人が1人いました。
ペンシルベニアののどかな田園風景なんですけどね。この柵に囲まれてるところが墜落現場だそうです。
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ちょっと日が傾いてきたので、あまりゆっくり見ることもなく立ち去りました。
なんてことない日曜のわりに結構人が来ては去り、来ては去り。そして記念撮影してるのがなんかちょっと感覚違うなって思いました。

カメラ取り出して気付いた。SDカードを家のパソコンに挿したまま来ちゃったんだこれが!2台持ってきててよかった。もう一方から抜いて撮りました。

もう来ることはなさそうな遠隔地です。でも印象的だった。
ビッツバーグのちょっと先まで行って投宿ですが、ベストバイという電器屋に寄ってSDカードを買いました。「こういうものが欲しい時は、どういう店に行けばいいのか」という知識があるってほんと楽。日本にいると気付かないけど。水が1本だけ欲しいときはスーパーよりもガソリンスタンド。もうなんでもいいから米と醤油味のものが食べたければ中華チェーンのパンダエクスプレス、等々。

North Limaという小さな街で泊まりました。これ以上ないほどシンプルなモーテル。安かったからね。そんで、仕事用PCのケーブルを忘れたことに気付いた。当日使うものをまとめたポーチもない(帰ってきてから後部座席の下に落ちてるのを発見)。どうしちゃったの弊管理人。

* * *

月曜は朝起きると雨。でも天気は回復基調だと分かっていたので淡々とクリーブランドに向かいました。
市内某所。みんなこんな感じでウォッチ。
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日食が進んでいくとだんだん光が冬っぽく弱くなっていきます。90%以上になると日向でも夕方が近い感じになってきますが、それでも最後の最後まで明るいことは明るいです。
ところが、最後の瞬間、昼が夜へと一瞬で反転し、太陽が黒く燃え上がる!
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歓声に包まれましたが、その場の全員が異世界に連れて行かれたかのような緊張感が漲っていたように思います。
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天頂が暗い。そして影から外れた周辺はちょっと明るいんです。
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3分間の異世界、そこからまた光が覗いて、世界はまた一気に通常モードに入りました。
99%と100%は全然違う。皆既日食はそのエリアに入って見ないとだめだなと思いました。
そして、テレビなんかで見ると太陽ばかり映すので、その場全体の様子を全然想像できていなかったことに気付かされました。

「すごいもの見ちゃった」という余韻に浸ってる人たち多数。そしてぞろぞろと帰っていきました。またちょっと太ってきてる太陽を日食グラスで確認して名残を惜しんだりしながら。

これちょっと、掛け値なく今まで見たものの中で一番すごい。
来るの大変だったけど、これは本当に思いきって来てよかった。

* * *

帰りはやっぱり渋滞し、ピッツバーグまでさえ到達できずによくわかんない小さい街のホテルをとって泊まりました。
火曜は7時20分に出発し、460キロ!を爆走して12:30帰着。疲れた~そしてたっぷり働いた。

2024年04月07日

回復と遺伝

風邪は結局1日で治りました。友連れで体の不調のいくつかが緩和した。まんまとリセットされた気がします。
咳はちょっと残った。風邪がアレルギーを呼び起こしたのだろうか……・

何か著しい成果があったわけではないが、何かと忙しかったです。
木曜夜はDC東のほうのMakettoっていうちょっとおしゃれ系アジア料理店にいきました。
うまーくジェントリフィケーションされた感じの街区の一角にあります。
こういうの流行りっぽいよね。
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久しぶりにおいしいチャーハン食べた。
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* * *

ツイート抜粋。

・鳥インフルエンザ罹患者が出たというCDC(公衆衛生当局)の発表より抜粋。患者のプライバシーに配慮して性別さえ明かせないのでheやsheの代わりにtheyを使ってるんだな~
The patient reported eye redness (consistent with conjunctivitis), as their only symptom, and is recovering.

・いま住んでる郡、年収中央値13万ドルちょいだそう。1600万円。

・人を悲しませるのは趣味ではないので、自分がいなくなっても悲しむ人がそれほどいない生き方をしてる感はあるな

・responsibly は「責任を持って」と訳すとなんか違うな~と思ってたんだけど、あれだ。日本的ニュアンスまで込みで日本語にするなら「節度をもって」じゃないかな。
drink responsibly お酒はほどほどに

・実際は兄ではない男性を「あんちゃん」と呼ぶのと同じく英語でもbroっていうの面白い

・アメリカに同調圧力がない」については
みんな面倒臭がり+詰めても言い訳を延々述べるので、言葉でやり合わず、単に無視したりクビにしたりしている
実際はホームパーティ参加など同調圧力のあるウエットな社会だが、観察する側の日本人が溶け込んでないため見えてない
の両方ではないか

・友達の飼い犬、息が臭かった
また犬の苦手度が上がった

・私わりと移動や行動の量が多いように見えるかもですが、「初めてなので一応」を基本原理として世界をスキャンしているだけで、「いずれ気が向いたら再訪しよう」と言いつつ結局しないで死ぬんだと思う

* * *

◆キャスリン・ペイジ・ハーデン(青木薫訳)『遺伝と平等』新潮社、2023年

・教育ポリジェニックスコアと社会的不平等が主題
・生まれる環境+遺伝的バリアント=誕生時に引くくじ
・ゴルトンの優生学(1883)、家畜改良の科学。人種に優劣がある+種の改良のためヒトの生殖に介入すべきである、という考えと不可分に結びついていた(弟子はピアソン。社会改革は無益と論じた)
・「ヒトは遺伝的に異なる」≠優生学
・アンチ優生学≠ゲノムブラインド
・アンチ優生学の企て(1)遺伝的な運の役割を理解する(2)教育・労働・金融システムが特定の人たちに報いる仕組みを理解する(3)これらをすべてのヒトに報いるよう変えるやり方を構想する
・フィッシャー:ポリジェニック→アウトカムは正規分布になる(1918)
・ポリジェニックスコアは人種間の富のギャップを説明しない(統計学的誤謬)
 個人が金持ちにするとはいえる(p.71)

・GWAS:十分な数のサンプルを調べれば、学歴のような複雑なアウトカムにも関連性のあるSNPsを見出すことができる(p.102)
・Σアレルの数0/1/2×関係の強さ=ポリジェニックスコア。白人の教育歴、標準学力テストや知能テストの分散の10-15%を説明する(R^2=10-15%)。cf.標高の高いところは気温が低いR^2=12%/裕福な家に生まれると大学を卒業するR^2=11%
・学校成績のような複雑なもののR^2が小さいわけ(1)人は一人一人違う(2)絡む要因がたくさんある(3)しかし社会の至る所で起こると大きな効果になりうる

【4】
・系図上の祖先と遺伝上の祖先は全く異なる(pp.119-121)
・アフリカ系、アジア系、ヨーロッパ系というグループと遺伝的特徴はよく対応する。ただし、人種と遺伝的祖先は同義語ではない(p.126)
・集団の違い
(1)ある集団である表現型にとって重要なバリアントが、別の集団にとってもそうだとは限らない。CFTR遺伝子のバリアントはヨーロッパ系の集団で嚢胞性線維症の70%以上を引き起こすが、アフリカ系では30%
(2)ゲノムの連鎖不均衡(LD)。バリアント同士の相関パターンが集団ごとに違う(p.130)
=★GWASの結果を他の集団にそのまま当てはめられない。白人のポリジェニックスコアだけを使うことで、白人の健康ばかりが改善される恐れがある。非ヨーロッパ系の研究に資金を入れるの必要
・生態学的相関≠個人レベルの相関(p.137)

【5、6】
・原因とは:Xと非Xの比較が行われたということ
・ただし★
(1)メカニズムが分かったことを意味しない
(2)百発百中で起きることを意味しない:多数の交絡変数の中にある「薄い因果関係」~単一遺伝子疾患など「厚い因果関係」
(3)決定論的でない以上、個人に関してその原因について確信を持って何か言うことはできない
(4)時間や場所が違ったら言えることは限定的かもしれない(移植可能性)
・遺伝率:遺伝子が生み出す違いの大きさ(ヒャクゼロではない)。遺伝率は集団によって違うことがある。では無益かというとそういうことではない。例)ジニ係数の時代・場所依存性
・GWASを使ってポリジェニックスコアを構築→環境が同じ家族内で検証(p.192)きょうだい比較など

【7】
・遺伝的差異は社会的不平等を引き起こす。ではどうして?
・ジェンクスの赤毛の子ども思考実験(1972)赤毛の子どもの通学を禁止す政策→赤毛の子どもの識字能力低下、が「赤毛遺伝子」→「識字能力低い」の見せかけの遺伝率を算出させる
(1)因果の鎖。遺伝的背景―文化・社会的介入―アウトカム
(2)解析の階層。分子―細胞―個体―社会、どこを解析すべきか?←→ハンチントン遺伝子は全てが生物学的な階層で起きる。ADHDは生物/社会両方関わる
(3)オルタナティブな可能世界。そのメカニズムを修正することができるか
・鎖は短く/階層は生物学的で/修正はできない→優生主義に近付く
・教育関連遺伝子は脳で発現する/遺伝の影響は発生初期に始まる/遺伝の影響は基本的認知能力に及ぶ/そして遺伝の影響は知能だけではない。忍耐力など非認知的スキル。ただし非認知的スキル遺伝子は統合失調症や双極性障害などのリスク増とも関連/遺伝の影響には親など周囲の人たちとの相互作用が関係。子どもの時の能力の違いによって親が与える認知的刺激も変わる、やりがいのある課題が与えられる、高校で高度な数学をとる

【II部】
・「遺伝的性質は社会の階層化の原因になりうる」と「社会の組織的力に対抗することで変革を起こせる」は両立可能
・厳しい環境だと遺伝が格差に与える影響は小さくなる(ポテンシャルが発揮できない)
・底辺の向上→公平(≠平等)
・IQ≠道徳(p.315)。しかしIQは差別的施策の効果を知るための道具になるとの評価もある(p.318)eg.ミシガン州フリント市の鉛中毒=環境レイシズム、IQやSATとアウトカムの予測性の高さ
・ろうの文化(ろう遺伝子を持った胚をあえて選択するIVF)、ニューロダイバーシティ
・★GINA=ゲノムブラインド(p.353)

2024年03月30日

春一回休み

今週半ばからなんか下半身が重いな~とか背中が痛いな~と思うことがあり、何日か前に地下鉄からバスへの乗り継ぎのためにすっごい長いエスカレーターを急いで歩いて上がったからかな、と思っていました。そういえば去年の今頃のように喉がやられた感もありましたが、これもアレルギーかなとのど飴でやり過ごしてました。しかし風邪に伴う筋肉痛や気管支炎だったようです。

木曜、帰国する同僚の送別会もバスで向かいましたが、途中で「なんか変」と思って引き返して欠席しました。金曜は出社はしたものの、夕方すごい帰りたくなった。帰ると37.6度だった。
コロナ抗体陰性。ベンザブロック飲んで就寝。

土曜、やっぱり体痛い。38.8度。それでもお腹は空いたので朝飯食って、ベンザブロック飲んだら効いたようで、2時間ほどで36.6度に下落。シャワー浴びて買い物いってきました。

風邪薬によく反応し、熱もそこまで急にすごいところまで上がったわけでもないこの感じだと、コロナでもインフルでもなく普通の風邪な気がする。野口晴哉ではないが、つらいけれども体をリセットする機会ではある。集中的に休んで、嗅覚がいつもより少し鋭敏になった。視界も若干鮮明。

それにしても必要があって具合悪いと報告した先から、伏せってる最中に「大丈夫?」「よくなった?」とかのメッセージが何回もあったり、そればかりか送信者自身の体調の話が始まったりするのは有り難いが迷惑だな。反応するのもだるいことが分かった。やる側にもやられる側にもならないよう気をつけよう。
早く全快しますように。

* * *

冷凍えびの袋を開けたら1/3くらいぶちまけたので、急遽スナップえんどうを買ってきて炒めものにしました。
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なかなかうまかった。

* * *

滞在2年半が過ぎました。30カ月。
いろんな人の「辞めます」「転職します」「廃業します」を見て日本の年度末を知るなど。

2024年03月24日

ヒューストン再び

やっと今年最初の出張を作りました。水曜~金曜でヒューストンです。去年の4月以来で、たぶんヒューストンはこれで最後になると思う。
空港は、街の北のブッシュと南のホビーという二つがあって、去年は便が多いブッシュを使いましたが、南東にある仕事場まで結構遠かったので、今回はホビーを使ってみました。サウスウエスト航空というLCCしかないので不安でしたが、混雑する時期でもなく天気にも恵まれて行き帰りとも予定よりちょっと早いくらいの到着でした。快適。

レンタカーはいつもの通り、店長お任せの一番安いプラン。割り当てられたのはこれ。
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フォードのマスタングEV、2023年車。5000マイルくらいしか走ってない、すごい新しいやつでした。EVは人気ないのかね。
それも分かる気がします。ガソリン車といろいろ勝手が違って、ドアを開ける段階からして「レバーを引く」のではなく「ボタンを押す」だし、操作はタッチパネルだし、充電プラグを挿すところが車体左側の「前」だったりとか(いや前に電池積んでるからだろうけど)、そこいちいち変える必要ある?みたいな面倒くささを感じました。

なにより充電。今回は大都市の中を動き回っていただけですが、無料のチャージャーはいろんなところにあるものの、充電70%をちょっと切ったくらいの段階から「満充電に3時間半かかります」みたいな遅い設備が多い。お金払うから速いのがいい、といって探して行ってみると「アプリで登録しろ」、したらしたで「この機械は現在使えません」。離れたところにあるホテルの駐車場にある設備はカードが使えると思ったら「失敗しました」

ガソリンスタンドだったらそこら中にあって、到着してカード入れて給油してレシート受け取るまで5分でしょう。EVは所有して家で充電して会社との往復、くらいであれば静かだし便利で安いのかもしれないが、レンタカーは絶対嫌ですね。ましてや郊外に行くの怖すぎる。

車そのものは静かで、大きくて重いので安定してるし、パワーがあって加速にも無理がないので乗っていて快適ではありました。

仕事そのものはかなり楽しく内容も豊富でした。
ちょうど一緒になった他社の人と夕食2回。シーフード多めでした。
これは2日目の夜、エルサルバドル料理のお店。ものすごく中南米系なショッピングセンターの中にあって、スペイン語しか聞こえてこない感じのところ。
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こちら、エビのクレオール風。よくわかんないけどトマト味のエビ、ピラフともにおいしかったです。
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ヒューストン市内で見たい美術館とかチャペルがあったんだけど、ちょっと時間なく叶いませんでした。
最後はホビー空港で仕事をやっつけて、ひとり地元ビールで晩酌。
ポーボーイPo'Boyというルイジアナのサンドイッチです。揚げたエビが入ってる。またエビ。
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前来たときも思ったけど、ルイジアナ近いせいかそっちのお料理多いですね。
真夜中に帰って、東京とやりとりして2時に寝て3時に一度起こされてまた寝ました。

* * *

日曜はプエルトリカンを連れて、Loudoun郡のLocal Provisionsっていうレストランにお昼を食べに行きました。
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街中じゃないのですごく店内が広々していて、店員さんも愛想よし。この時点でかなりよい。
料理はいろいろとって2人で分けました。
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左上はラザニアスープ。あとはエッグサンドイッチ、チキンサンドイッチ。どれもうまかったけど、前菜に頼んだタコのグリルがスマッシュヒットでした。あとシナモンロールを最後に味見、とかいって追加注文したらめっちゃでかいのが出てきて2人でも食い切れず、テイクアウト。

プエルトリカンを送って自宅に戻るまでになんかすごく眠くなってしまい、頭痛もしてきたので、バファリン飲んで17時~20時に昼寝。で、今。あまり回復した感じがしない。早寝に戻しましょう。

* * *

◆山田参助『あれよ星屑(1~7巻)』KADOKAWA、2014~2018年

Kindleで1冊99円になっててまとめ買い。山田参助の漫画買うのは15年ぶりくらいか。
むちゃくちゃよかった。

2024年03月18日

花見24

最後の花見は原点回帰でタイダルベースンかな、と思っていましたが、どっかのサイトで紹介されていたダンバートン・オークスのお庭、ちょうどこの週末に今年の公開が始まった。
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おお、いいじゃん。
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どれが桜でどれがそうじゃないかがわからん。
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温室もある。
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起伏が大きいですがベンチいっぱい。
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時間制のチケットなので混みすぎてなくていいです。
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満足して帰りました。
夜まで仕事。

日曜は運動したり買い物したりして過ごしました。

* * *

月曜はちょっとイベント見に行って、夕方は19時過ぎに退勤。
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結構明るいな、と思ったけど夏時間で下駄履いてるから実質18時か。

金曜夜に地下鉄駅のエレベーターでひっくりこけた時にしこたま打った左の手のひら、今頃すごい青たんになった。尻はいま見たが何事もなかった。

2024年03月15日

さんがつ前半

あ、3月初めてか。

・今月はバス通勤試行。「NOT IN SERVICE」の表示のまま始発停留所から走り去る運行中のバス、停車リクエスト(窓の上に這わせてあるひもを引っ張る)を無視するバス、明らかに平均所得の低い客層、日本語の本を読んでたら日本人の奥さんがいる海軍の人に話しかけられるなど、まあいろいろありましたが楽しく通勤してます。地下鉄よりだいぶ時間がかかるので読書にはいいです

・夏時間移行。突然19時まで明るい世界になった

・職場ではわりと大きなイベントが5日と7日に立て続けにあったが早々に退散。それが本務の人たちはだいぶ疲れていた

・仕事先とランチ、前から一度行きたかったIron Gateというお店。
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中はうるさくて雰囲気もよし。暖かくなったら外もよさそう。

・朝4時起きと、朝7時起きでそのまま仕事になる日が2日あった。しかも寝付きが悪かったせいで疲れた。4時起きは翌日まで引きずってバファリン飲んだ

・木蓮。14日は26度までいった。
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・ウィラードホテルのCafe du Parcで帰任者のさよならランチ。
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意外とみんな帰ってしまう今年であるらしい

・金曜は1日遅れのホワイトデーということでBlue Duck Tavern。キッチンの見える席
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鴨うまかった。メインと数皿のサイドを頼んだらおなかいっぱい。結構高かった。
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けど、これは1人では来ないし、連れに払わせるのもあれなので、こういうプレゼントの形がよいのだ。
ちなみにホワイトデーがアメリカ人に通じてなくて話がかみ合わず、初めてホワイトデーが日本発祥・東アジア限定なことを知りました。「バレンタインは当日にチョコを交換するもの」とのこと。「でもホワイトデーっていいね」

雨。帰りに駅のエスカレーターでコケて週末になだれ込むのだ。

* * *

◆朱喜哲『NHK 100分de名著 2024年2月』NHK出版、2024年。
こういう奥付になってんだけど、ローティの『偶然性・アイロニー・連帯』を読むシリーズです。ローティは卒論の中核だった。

2024年02月29日

貴金属と踊り

2月後半、にわかにアウトプットが増えて結構忙しかったです。
週末は友達とフロリダから来た友達の友達に頼まれて、ベセスダのMejuriというジュエリー店まで運転。
2015年設立の比較的新しいメーカーのようです。弊管理人は全然こういうところに縁がないのですごい面白い。客は大半が白人、金持ってそうなアジア人がちょっと。20-30代かなあ。すっきり軽い感じのデザイン。買い物を横で見たところでは、指輪2個とピアスで500ドルくらい?そんなに高くないのかな。客層によく合ってると推察しました。
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ネックレスとかピアスは全然興味ないけど、店内に置いてあった冊子にコンセプトがいっぱい書いてあり、サステナブルだのサプライチェーンを通じたガバナンスだの書いてあって興味深かった。なんか知らない人からみると汚そうな業界だし、こういうことがアピールポイントになるのだな。

そんで夜はノースイーストというわりと犯罪の多い地域にある、同じ人間関係の中の人の家にちょっとお邪魔して喋ったり飲んだりしてから、イースタンマーケットで催されたダンスのイベントに行きました。参加費はなく、運営のNPOに10ドル寄付。
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「ラインダンスの会」だそう。何それ?たぶんこれ。
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軽くですが踊り方も教えてもらえて楽しかったです。
夜のイースタンマーケットは初めて。
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バーに流れる人たちを車で送って帰りました。未明2時くらいにお礼のメッセージがきてた。相当飲んだな。

* * *

過日、かなりヒップな夜の街・アダムズモーガンのHimalayan Heritage Restaurantで3月末をもって帰国する人の送別会。うちのボスと3人ですが。
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水牛のモモ(餃子)とかカリフラワーのフライとか、いちいちおいしかった。マッコリみたいな味のする米のビールが結構効きました。また東京で。

翌日は中学の同級生が北米視察の最終目的地としてDCに漂着。牡蠣を食ってワイン飲んだのですが、上記ヒマラヤ料理の何かが前夜ものすごい覚醒効果を発揮して3時半まで眠れず、寝不足のまま仕事して飲んだためよく寝られました。
中学の人たちのその後をいろいろ情報交換。別のクラスでは病死してしまった人も出たそう。あの時は実はこうだったとか、誰が誰を好きだったとか。みんなその後は家業を継いだり中学の同級生と結婚したりで、ほんと延長線上で生きている。確かに小学校や高校、大学に比べてあの中学のことは極端に記憶が鮮明。エクストリームな環境だったのかもしれない。

* * *

ちょっとした山場みたいな行事に合わせてノースカロライナの現場に出張しようとしたら、当日は繁忙でいろいろ頼みたいからDCにいて、と言われてなしになりました。

この行事は職場の主流の人たちのもので、彼らがどういうアレンジをしているのか部外者の弊管理人からはよくわかりません。いつの間にか企画が乱立してるし、いつ何をやろうとしてるのか全然見えない。今回のことでちょっともういいやという感じになり、この行事への関与は最小限にして今年は自分の予定をいろいろ入れていこうと思いました。

2024年02月19日

プレジデンツデー

19日月曜は「大統領の日President's Day」で連邦の祝日です。ワシントンの誕生日に引っかけているらしいが誕生日は22日。某ジョーに「俺?俺?」と言わせたくないのか、「ワシントン誕生日」と呼んでる人が結構います。

3連休中日の日曜は夕方から連れ立って出掛ける日だと思っていたら、相手から朝に電話がかかってきて「夜がパーティーになって、ちょっとこぢんまりやる会らしい。(つまり君はパーティーには招かれないのでその代わりに)早めのランチにしない?」とのこと。ほんといつもプランBの必要な人だな。しかし、さすがにあちらも少しバツが悪そうだったのと、活動開始は早いほうがいいのでDCに行くことにしました。

夜の街・アダムス・モーガン地区の朝。
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予定変更に関してThanks for your flexibility.と言われました。これは使えそうなフレーズなので覚えておこう。あちらのお気に入りのダイナー、その名もThe Diner。そのまんま。
外は静かですが、中は混み混みでした。これは通された一番奥の席から。
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自分で作らないものが食べたい。つうことでエッグベネディクトを頼みます。
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夕方まで腹が減らなかった。本読んでたら夜になり、作り置きのキーマカレー食って仕事一つやってダラダラして寝ました。

* * *

祝日の月曜は一人遊びということが分かっていたので、起きてコーヒー飲んでから昼飯を求めて出掛けました。
わりと近所にある「チャーガ」。アラブ系、南アジア系のお店が並ぶ長屋の一角です。
笑顔ではないが明らかにできる感じのスキンヘッドのおにいさん(画像の奥、左のほう)に注文。
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パキスタンのタンドリーチキン?ことチャーガとビリヤニ、副菜としてサグ、飲み物がついて$12。安~
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そしてうま~。これは名店かもしれない。

天気がよくてそこそこ暖かいので、そのままラジオ聞きつつドライブ。
レストンという街のレイク・アン・プラザを見に行きました。
1960年代初頭にロバート・サイモンRobert E. Simonが手がけた人造湖のほとりの商店・住宅のコンプレックス。Mid-Century Modern Architecture Travel Guideという本の東海岸版に載っています。そもそもレストンRestonという地区名自体がサイモンの名前から取られている(たぶん頭文字のR.E.S.に、集落を表すtonがついた)というくらい人工的な街のようです。
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1階がレストランや小売、2階が住宅のよう。
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古めかしい感じ。こういう上から下まで窓っていう部屋は憧れる。
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先日、ハーマンミラーのオットマンつきの椅子を買って帰ろうかと画策しましたが、こういう家じゃないと似合わないわな。というか東京では多分スペースがない。
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水辺を散策しつつ少し歩くと、ヒッコリー・クラスターという集合住宅があります。
こちらも四角い長屋。Charles M. Goodman、1966年。
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別荘とか週末の家ではなくて、(人工的なものも含めて)自然の中に四角い常在空間を確保する暮らし方はいいな。
満足して帰りました。

* * *

このところ読んだ本。

◆岡本亮輔『創造論者vs.無神論者』講談社、2023年。
アメリカにいるとアメリカに関係した本をつい手に取ってしまいます。年末に新宿のブックファーストで出会って買いました。
この100年の科学と宗教の相克をストーリーとして見せてくれます。ドーキンスやフランシス・コリンズなど知ってる人の知らなかった側面も、もともと知らなかった人もいっぱい出てくる。とても読みやすく、かつ本から目を上げて周囲を見渡すと世の中を見るフィルターが1枚追加されているという、とてもいい本だったと思います。進化論はそうだろうなと分かるが、マルチバースも気に入らないというのは目から鱗だった。筆者は(多分)日本で生まれ育って日本で教えてる人なので、やはり創造論者を「変な人」とみている印象を受けた。でもこちらにいると、大事な部分に触れない限りはわりと良い人だったりする。それはどっち側も同じで。

◆多田将『核兵器入門』星海社、2023年。
ずっと前に見に行った渋谷のトークイベントでは枝葉の話に足を取られて時間配分に完全失敗しており、この人はライブはよしたほうがいいなと思ったものだった。しかし本になると変わらず鮮やかです。核兵器を支える物理>機構>戦略はつながっているので、一番基礎のところから説明してもらうと分かった感じになる。手頃な(ここ大事)類書がなかったがこれで向こう10年は大丈夫ではないか(何が

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今月、定期を買わずに車通勤を増やしてみてますが、あかん。全然歩かなくなった。
来月からはちょっと工夫する。

2024年02月17日

ミュージアム

先週末は日記を書きませんでしたが、ちょっと出掛けてました。

銃規制に強力に反対でおなじみの全米ライフル協会がやってる「銃器博物館NRA National Firearms Museum」。わりに近所のフェアファックス郡にあるのは来た当初から知ってましたが、最初のうちは疫病対応で開いてなかったのと、そのうちなんとなく行く機会がなく2年余りたちました。
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NRAの本部の建物にあるのね。
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展示はとにかく拳銃やライフルがいっぱい、という感じなんだけど、それ以外だと

・銃器の歴史。火薬がいつからあったかは分からないとしつつ、846年のMarcus Graecusが書いたLiber Igniumに最初の記録を求める。火薬の爆発力で砲弾を飛ばす機構が持ち運びできるようになるのが1350年ごろのハンドキャノン。マッチロック(火縄銃)、ホイールロックときてスナップハンス、ドッグロック、ミケレット

・旧世界から新世界への持ち込み。最初の移住者が持ってきた荷物にも当然、銃があった。人や獣からの護身、狩猟(15世紀には既に散弾銃あり)。先住民への売却は禁止、しかし闇流通が増えたので法規制で限定的にされるようになった

・ボストンでの植民者と英国統治者の対立。マサチューセッツの民兵が「ミニットマン」。独立戦争の口火。憲法修正第2条「十分に統制された民兵は、自由な国家の安全にとって必要であり、人民が武器を保有し、携帯する権利を侵してはならない」ができる過程でどんな文言が提案されてきたか

・ゴールドラッシュでみんな拳銃を持って西へ。18-19世紀にはみんなライフル所有。ケンタッキーライフル、ミシシッピライフルなどご当地の名前がついたライフルも。新世界ではライフルがどんどん長くなっていったそうです。テキサス独立戦争1835-36年、そのあと米墨戦争はmanifest destinyとテキサス併合反対の抗争。45年にリオグランデの国境線が確定してテキサスは米国編入。まあそりゃテキサスは銃持つはずだ。南北戦争は銃器のイノベーションをもたらしたとか
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・そのあと映画、ハンティング、世界大戦(やっぱり日章旗はハーケンクロイツと並んじゃうよね→下の写真)、冷戦、ベトナム、子ども部屋に馴染むおもちゃの銃(結構リアル!)、警察、自警団Watch&Ward(ボストンやフィラデルフィア)
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とにかくアメリカ人の歴史と生活のすみずみまで銃が支えているんですよという展示。多分に傾斜はかかっているが、なるほどそういう説得の仕方をするんだなととても勉強になった。

一方、「モノとしての銃」を見せる側面も。
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「あ、刀狩りがなかった国の刀なのか」と妙に納得した。街に一つはガンショップがあって、装飾を施したずっしり重い銃をビロード敷きのケースから取り出すのって確かに男の子はうっとりしがちかもしれない。これ見た上だと、銃規制の話の中で「いやこれ文化なんですけど」と言われたら「そうね~」ってなる。

せっかくフェアファックスまで来たので、前に教えてもらったHangry Joe's Hot Chickenでサンドイッチを買いました。
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辛さが選べて、真ん中の「ノーマル」を選びましたが十分辛かったです。写真では分かりづらいですがすごいでかい(上に乗ってるのが普通の大きさのハンバーガーのバンズ)。そしてとてもおいしかった。で、翌朝腹痛になりました。

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今週はというと、そこそこのアウトプットあり、そこそこのインプットありといったところ。あまり急がなくていい案件はあまり進みませんでした。つまり少しは進んだ。
インプットの一つで、DCのダウンタウンのちょっと北側にある「歴史的黒人大学(HBCU)」の一つ、ハワード大学に行きました。南北戦争が終わって奴隷解放になったあと、1867年に黒人の医師、教師、聖職者養成のために作られた大学です。今の副大統領の出身校でもある。
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仕事なのでここではこれだけ。そのうち形にしたい。

上記チキンサンドイッチの破壊力が月曜いっぱい続き、火曜日もなんとなくお腹が空かなかったり、ちょっとウォッチする案件があって寝るのが遅くなったり目が疲れたりして水曜に一瞬「風邪か?」という頭痛と怠さがきました。しかしよく寝たら治ったので疲れだったみたいです。

ベトナムの会社から来てる同業者に「ベトナム人にも受け入れられるDCのベトナム料理店ってどこ?」と聞いたら、ちょっと北のほうのViet Chopsticksというお店を教えてくれたので同僚と偵察に行きました。
バインセオとかバインミーとかいろいろそれっぽいものはあるが、お勧めを店員さんに聞いたら堅焼きそばだった。
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十分おいしかったです。

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週前半は春のよう。郷里の伯母にLINEで「もう氷点下にはならなそうかな~」とメッセージを送ったら「そうはいっても三寒四温よ」と返ってきて、その言葉どおり金曜の夜から土曜の朝のどこかで雪が降ったようです。

DCのクリーガー美術館に行きました。日・月が休みなので、寝坊しがちな土曜日に行きそびれまくっていたところ。やっと普通の時間に起きる土曜日が訪れた。
絵を見たいというよりは建物なんですよね。フィリップ・ジョンソン設計、1963年築。
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金持ちのコレクター(デビッド・クリーガー)の私邸で絵のコレクションを見せびらかしてたところがそのまま美術館になったとのこと。うへえ。モネ、ゴッホ、ピカソ、カンディンスキーなど近現代の作品と、アフリカのお面など。
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DCの中でも高台にあるせいか、雪が残っていて散策するにもかなり寒かったです。
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しかし光線は確実に春。
買い物して家でキーマカレー作って昼飯にしました。

いろいろ行事だの自然現象だのあるたびに「来年はもういないしな」と思います。
とにかく東京を出た2020年1月からこっち、大阪、DCと環境が変わった上に全体的にせわしなかったせいか4年が嘘でしょ?っていうくらいあっという間、さらに自分の歳を忘れるくらい圧縮度が高いです。この分だと来年1月も瞬きしてるうちに来る気がする。

管理人

40代に入ってしまいました。未婚、子なし、男、文系学士、30万都市出身。何かありましたらツイッターの@kagakuno_koにご連絡下さい。

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