2018年04月22日

ダンデライオン

この土日は夏日。空が真っ青でしたが、あまり動き回る気も起きず、クリーニングに出していたセーターを取ってきたり、ジムに行ったり、お酒を飲んだりと、結局いつもの週末。
日曜はさばみりん、納豆、野菜炒め、昆布の佃煮で昼ご飯にしたところ、何かバタ臭いものが食べたくなり、お茶を求めて蔵前に出掛けました。
ダンデライオン・チョコレート。
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ブラウニーと冷アメリカン。とてもいい香り。チョコ屋だしなと期待してなかったコーシーも意外とよく合いました。しかし1食になるくらい重かったです。量的には6割でよかった。ホットチョコレートは思いとどまって正解。
買うならすぐ。座って食べるのも、待ったとしても回転は速い印象です。
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スメタナの「我が祖国」を聞き終わるまで歩いてから地下鉄で帰ろうと思ったら、余裕で上野まで歩いてしまいました。

* * *

30歳になる前くらいから、あまり臭くない酒としてウォッカを好んで飲んでいました。が、このところ体が辛くなることが多く、焼酎のお茶割りへの退却を進めています。(つまりキープボトルを焼酎に切り替えていくということ)
これ多分、体力の低下だけでなく、睡眠不足の日とぶつかることが多いせいかなと思います。何時に寝ても7時過ぎに目が覚めるので、日付が変わらないうちに布団に入ると体調がいいのですが、うっかり1時を回る日が結構あります。よくない。

* * *

■藤原晴彦『だましのテクニックの進化―昆虫の擬態の不思議』オーム社、2015年.
■藤原晴彦『似せてだます擬態の不思議な世界』化学同人、2007年.

擬態にもいろんなタイプがあって、防御のための擬態もあれば、攻撃のための擬態もある。
防御のための擬態の中にも、毒を持たないチョウが毒を持ったチョウに擬態するやり方があったり、毒を持ったチョウ同士が互いを似せて「危険性を知らない鳥に食べられるという、ある程度避けられないリスク」を分散させるやり方もある。

タコやヒラメみたいに環境に反応して機敏に擬態できるものもいれば、模様が最初からプログラムされていて、変更は進化によるしかないものもある。

表皮の細胞一つ一つが色素を作ったり作らなかったりしながら、ドット絵のように模様を作り上げる。擬態ってファッションみたいなもんだろうと軽視しがちですが、動物の発生が3次元のデザインだとすれば、体表の模様は2次元のデザイン。「何をどこに配置するか」を決め、指示を下す精鋭デザイナー集団が染色体上のどこかに隠れている。考えてみれば生物にとってごく基本的、かつ不思議なシステムです。

その秘密はDNAに書き込まれているはず。ということでダーウィン、ウォレス、ベイツから150年、遺伝情報の解読や分析技術が発達してきた今、ようやくそれに迫れるようになりつつあるらしい。研究対象が再現不能なために「疑似科学」と言われてきた進化論が「科学」になる過程でもあるのだとか。

2018年04月19日

魚真など

昨年秋に1ヶ月ほど一緒に仕事をした3人で飲みました。銀座の「魚真」。
そこそこリーズナブルで魚介類がおいしかったです。
出色、あら煮100円。
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かに!
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えびって頭とったり皮剥いたりしないで食べるものなんだって。まじ?
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* * *

会社に入って17年ちょい、夏ごろには仕事の一線から退くことになりそうです。
正直、ずっと「向かない」と思っていたし、3年同じことをやってるとダレるような性格なので、寂しさとか全くないのですけど。
私生活を充実させる方法でも考えよっと。
ただ当面は、余計な出張を入れたり、他人が考えた余計な仕事が降ってきたりしているため、忙しいです。

2018年04月18日

ルーデンス

前にアマゾンでお古の文庫を買ったら随分汚いのが来て、捨てたことがありまして。
そしたら今般、講談社学術文庫で出た。折角ですしということで。

80年前の文章ですが、民族、言語、宗教を股にかけて「遊び」の諸相が描き出されていて、結構楽しく読みました。しかしその後、この本がどう読まれてきたのかは誰かに教えてほしい。
あと、訳者解説はカイヨワに結構厳しかったので、『遊びと人間』の解説も読まないといけない気がする。まあ多分そのうち。

■ヨハン・ホイジンガ(里見元一郎訳)『ホモ・ルーデンス―文化のもつ遊びの要素についてのある定義づけの試み』講談社, 2018年.

人間の文化は遊びにおいて、遊びとして、成立し、発展した。

【遊びはこういうもの】
・遊びは文化現象である
・遊びは「余計なもの」である
・遊びは自由な=命令されていない、大らかな行為である。自由に使える時間の中で行われる
・遊びは生活上の必要から離れた、仮構の世界で行われるものである

・遊びは時間的に限定される(始めと終わりが明確にある)
・遊びは空間的に限定される(遊び場というのが設定される)

・遊びは規則を持っており、無視することは許されない
・遊びで人は何らかの役割を担う
・遊ぶ人は自分が遊んでいることを知っている(自覚的に規則と役割を引き受けている)
・それでも遊んでいる人はその役割に「なりきる」ことが求められる

・遊びは闘技的、対立的、競技的、党派生成的な性質を持つ。勝つことが肝心である
・勝ちたい、良いところを見せびらかしたいというのが社会的な遊びの原動力である
・不確定性をはらんだ遊びに勝つことは、神からの善や幸福の保証を意味する
・文化を豊かにするような遊びには、高揚感や没頭=真剣さが必要である

・遊びの共同体は遊びが終わってからも持続する(遊びが共同体を維持する)
・遊びは神話、祭礼儀式、神聖な行為の根っこにある。起きてほしいことを遊びとして「演じる」
・遊びはスポーツの根っこにもある
・遊びはたとえば次のようなところにも現れる:株の取引のような経済活動、訴訟(規則に縛られた言葉のゲーム。エスキモーは太鼓や歌で行う)、戦争(飾り立てた騎士道、礼節のゲーム)、知恵比べ(世界の秩序に直結した知=魔力を競い合うゲーム)、詩作(精神のゲーム、祝宴における叙事詩の暗誦、連歌も想起せよ)、哲学(レトリックの見せびらかし合いゲームを遊んだソフィスト、対立構図に立つプラトンの対話篇、学問論争)、ファッション(見せびらかしのゲーム)

・遊びの要素として、秩序、緊張、動き、楽しさ、無我夢中、が挙げられる
・「遊び」という言葉は、ゲルマン諸言語において真剣な闘技を、アラビア語やヨーロッパ諸言語において楽器の演奏を、ゲルマン諸言語や北米先住民の言葉で愛欲を表す言葉でもある

【遊びはこういうものではない】
・遊びは生物学的機能(生物学的に何かに役に立つから遊ぶ)ではない
・遊びの反対は「真面目」である(が、遊びは「真剣」に遊ばれる)
・祭祀的、儀式的、祝祭的性格がはがれ落ちた近代の遊びは機能不全といえる
・たとえばスポーツのように体系化、組織化、訓練が進むにつれ、遊びはその純粋さを失っていく
・社会的だった遊びが個人的なものになっていくと、遊びらしさはそがれていく
・ピュエリリズム。ユーモアに対する感情の欠如、言葉に激しやすいこと、グループ以外の人に対する極端な嫌疑と不寛容、賞賛に付け批難に付け見境なく誇張すること、自己愛や使命感におもねる幻想にとりつかれやすいことなどの幼児的特徴(ファシズム批判)

……というような対比を頭に入れて読むと、本書で紹介される古今東西の膨大な「遊び」事例が整理されるかと思います。

今の語感でいうと、「遊び」は「ゲーム」という言葉のイメージとかなり近いと思う。
そんで多分こういうことだろうなと考えた:

第1に、文化、政治、外交などの中で、遊びの要素の増減はあっても、必然的に人は遊んでしまうのだということ。何かを探究しているうちに本来の目的を外れてオタク的な凝り方をしてしまったり、実利的なことを話し合っていたはずの議論がいつのまにか弁論大会みたいになってしまったりする、そのさなかに「あっ今、遊んでる!」と遊びを発見できるだろう、この本を読んでおくと。

第2に、遊びは「真面目」(遊びの欠如)と「頽廃」(遊びの過剰)という両極端の間の中庸なのだということ。遊びが何でないかについてはあまり(明瞭に)語られていないが、図式的にはそう思っておけばよさそうではある。

第3に、遊びは実用性、日常性、秩序、自然=必然性の「外側」なるものの気配を人間が感じ取る契機だということ。しかし、遊びは時間的・空間的に限られたものなので、必ず人間は「内側」に戻ってくる。それでも出掛ける前と同じところには着地しない、それによって世界が展開するのだということ。

そして、文化の駆動因である遊びが力を失うと、停滞、硬直化、腐敗が起きるということ。

2018年04月09日

京都DE花見(2)

日曜は原谷苑でお花見です。44人!!
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ちょうど去年と同じ4月第2週。去年は主催者が「ちょっと早かったなー」と悔しがっていて、いやでも相当きれいですよ?と思ったものでしたが、ちょうどしだれ桜が満開を迎えた今年は圧巻でした。
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「泉仙」のお弁当。赤いのは梅の甘露煮の天ぷらです。おっかない京都人のおにいさまが「やっぱり泉仙さんはええな」と言っていたので相当うまいのでしょう。いや実際うまかったですけど。
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「最近は独立して始めはった料亭が、味も安定せんうちから東京の方とかの予約で埋まってしもて、いろいろ教えてくれるおじさんが入れなくなってねえ」。聞いてみると、新しい料亭の主人が修行した料亭に通っている「物事のわかる」お客さんが食べに行って、皿の使い方、素材の使い方などにいろいろ駄目出ししながらよくなっていくのだそうですが、そういうシステムが近年働かなくなりつつあるということらしい。
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そのお兄さんの著書をもとにした「イケズ講座」もその場で始まりました。
本当にコーヒーを勧められているときは「コーヒーでええか」だが、さっさと出て行って他でコーヒーでも飲め、というイケズは「コーヒーでも飲まはりますか」だそう。こわ!とも思いますが、曰く「イケズはちょっとうまいこと言ったくらいのもの。むしろ言われたら仲間として認められたと喜んでよい」とのことでした。ほんとかなあ
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で、その怖いお兄さんおすすめの御室桜を見に仁和寺に転戦しました。
来たことあったかな。いや全く覚えてないけど、きれいでした。
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ちなみに「御室桜」もイケズ用語だそうです。根元近くから枝分かれしていて樹高が低いため「花(鼻)が低い」の意。
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さらに余計なことですが、「平野神社の桜みたい」も褒めてるようでけなしてるそうです。染井吉野の名所なのになぜ?それは、北野天満宮を越えたところにあるので、「北野を越えた」→「きたのおこえた」→「汚のう肥えた」だそうです。ブルブル
一般論として、イケズは「褒めれば褒めるほど落としている」と解すればいいらしい。イギリスでinterestingと言われたら「クソつまんね」という意味、フランスでpas malは相当気に入ったという意味というのに似ているとのこと。
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寝殿・書院はいちいちフォトジェニックでしたとさ。
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夕飯は四条河原町「東華菜館」で中華です。
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これ何の建物かなあと思いながらみんな通り過ぎてますよね。
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前菜、春巻、鶏の唐揚げ、エビの塩炒めが出色。他もいちいちうまかったです。腹一杯まで食ってビールと紹興酒飲んで5000円ちょっとと意外にリーズナブル。
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稼働しているエレベーターとしては国内最古だという。ほんと?
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新幹線の時間があるのでここで皆さんと別れて京都駅に向かいました。
朝、大阪を出る前に駅で買った「ダニエル」のカヌレをつまみながら帰りました。
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いやあ今年も楽しかった。京都出身のオーガナイザー氏に感謝。

京都DE花見(1)

昨年参加した京都の花見に今年も寄せていただくことができました。
土曜は新幹線を京都で降りて、京都駅の東側に出てみました。
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ちょうどお昼の時間帯だったので、崇仁地区の木村食堂で「すじうどん」460円。
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牛すじ肉がいっぱい入っていて、おつゆもしっかりした味でした。地元のお客さん?がいっぱい。鍋焼きうどんがよく出てたかな。

道路を渡ったところにあるのが「柳原銀行記念資料館」。柳原銀行は、同和地区の中に地元の人たちの手によって設立された銀行です。
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1871年に身分制が廃止されると、雪駄製造などの地場産業の勢いまで失われてしまい、さらに松方デフレが追い打ちをかける形で貧困が広がっていた。そこで町内産業の育成を図るため、ここにあった柳原町の町長を務めた明石民蔵や町内の資産家が同和地区内にこの銀行を設立したのが1899年。
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1910年代には預金額が現在の貨幣価値で50億円くらいまで拡大したものの、大口の焦げ付き、町内商工業の不振もあって停滞期に入ってしまいます。そこで、被差別部落の地位向上を図る「融和運動」のつてをたどって融資先を町外にも広げることを決め、柳原銀行は増資をして1920年に「山城銀行」として再出発します。
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しかし関東大震災とその後の不況、さらに昭和恐慌のあおりで1927年に破産となりました。
建物はその後、商店や借家として使われていましたが、1986年、国道の拡幅工事の計画が持ち上がったのをきっかけに保存運動が起き、1997年に資料館となりました。
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柳原尋常小学校の校歌が展示されています。
2番は「土地生産の名高さは 皮革ベルト 花緒向掛 下駄表 雪駄雪沓 靴鞄 軍用輸出 その額は 幾十万に 上るなり」。雪駄?と思ったのですが、竹の皮の草履の裏に革を張ったものが雪駄なんですね。なるほど。
柳原小学校は1873年に創立されました。「自主的改善運動」の機運の中で、町を盛り立てるには教育で旧習を洗い流し、人物を輩出することが必要だと考えられたとのこと。しかし当初の就学率は3割ほど。20世紀初頭になっても約1000人いた学齢期の子どものうち、学校に行っていたのは半分、卒業となるとその4分の1と状況は厳しかった。それでも校舎建設には頼母子講で出た利益を拠出するなど、教育は町全体の関心事だったようです。
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全く知らなかったものの言われてみればなるほどと思ったのは、身分解放令が出ても、被差別階級だった人たちが各地の祭礼への参加や神輿を担ぐことを拒否され、騒擾や訴訟が頻発していたこと。京都でも、弊管理人の出身の長野でもそういうことがあったと説明されていました。
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元禄14年(1701)の地図。橋の下手に「穢多村」という文字が見えます。死んだ牛馬の処理場があったらしい。
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都市のスラムを描いた55分の自主制作映画「東九条」(1969)も見ることができます。「パッチギ!」も同時代・同地区が舞台なんですね(そういえば在日コリアンの話は祟仁ではあまりフィーチャーされてないように思った)。「東九条」のほうは音声トラックが長らく失われていたのが、最近になって発見されたんだって。状態が悪く聴けるようにはなっていませんでしたが、うまく復刻されるのを期待します。

資料館のパンフに出ていた「祟仁歴史マップ」を見ながら町を歩いてみましたが、多くがフェンスに囲まれた空き地になっていて、古い家屋がぽつぽつと建っている状態でした。東七条中部水平社創立場所、全国水平社の仮本部跡などは見つけられず。「国民研究会」の設立会場というのもあり、これ何?と思ったら富裕層が組織した反水平社の団体だったみたい。
あと京都の米騒動発祥の地である交番というのもマップに載っています。米騒動とどんな関係が?と思っていたら「米騒動は、部落大衆の部落民的自覚と階級的覚醒をおおきくうみだしていったことはあきらかでした」という記述に行き当たりました。
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このあたりは2020年から2023年にかけて京都市立芸術大学が移転してくるということで、昼飯をいただいた市営住宅がごっそりなくなり、柳原銀行の周囲も資料館を残してほとんどが大学施設に置き換わってしまうようです。
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屋台村のような「コミュニティスペース」というのがあって、ちょうどプロレスをやっていたようでした。
「崇仁発信実行委員会」という団体が出している冊子もいただいてきました。
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部落差別を織り込みながら街の魅力を発信するというのは独特なんじゃないかな。他の地区では既にどこがどうだったかは見えなくなっていると思うのですが。と、いうことを中心にして、分からないことがどんどん増えていく散歩でした。しかし付箋はついた。これからさまざまな文章に目がとまるようになるでしょう。

で、京都から大阪行きのJRに乗りまして、山崎駅で降ります。
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山の中腹にあるアサヒビール大山崎山荘美術館。大正〜昭和期の実業家、加賀正太郎の別荘だったそう。まあ特に面白い展示があるわけではないが(でも何も知らないで行ったら「睡蓮」が何点かあってびっくりした)、さっきまで見ていたものとの格差にくらくらします。
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大衆の暮らしを睥睨しながら食べるケーキセットは950円。
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なんか安藤忠雄の建物が繋がっちゃってて何が何やら。
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ついでにサントリー山崎工場も覗いてきました。
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原酒。すっごい香り。

阪急に乗り換えて梅田へ。
グランフロントの「カンテグランデ」で海老カレーを食べましたが、なんてことなかったので写真はなし。
南森町の「弄堂」で焼き小龍包をテイクアウトしてホテルで食べました。
これは結構うまかった。
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ちょっとだけ飲酒して23時過ぎに就寝。
日曜に続きます。

2018年03月28日

日比谷公園の桜

極寒の冬が夢だったかのようにぶっつり終わり、取り急ぎな風情で桜が咲きました。
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経済産業省のはす向かい、日比谷公園の入り口のところがもっさり咲いてきれいなんですよね。シートを敷いてお花見をするような場所ではなく、信号待ちのときに見とれるくらいの。
用務でこのあたりに来たら、スーツの人たちがまんまと桜に写真を撮らされていました。

2018年03月25日

行政学講義

東京は土曜に桜の満開宣言が出ました(備忘)。
土日とも晴れてて花見日和だったのですが、どちらもマストではないものの捨てがたいインプット系の仕事をしてしまいました。残念。

「仕事で見たあれは何だったんだろう」で後追い読書をするシリーズがグローバルジャスティス、国際法に続いてこれ。キレッキレ。世の中どうしてこうなってるの、という広い関心にも応えるいい本でした。新書にしては大部ですので、弊管理人の興味のあるところ、知らなかったところは厚めに、そうでないところはさらっと。

■金井利之『行政学講義』筑摩書房,2018年.

【1】「われわれ」被治者への支配としての行政

▽政治と行政
・為政者が被治者を統治するのが「支配」
・被治者が統治者になって自分を支配するのが「民主主義」=被治者と統治者の一致
・代表民主主義では、代表者=為政者を民主的に統制する必要がある
・支配の決定と実行をし、行政の作用のもととなっているのが「政治」
  →政治と行政の区別は、民主的支配の原理から発生する

・戦前体制
  ・天皇が統治権を総攬→公選職政治家が行政職員を指揮監督する関係は明確でない
  ・武力革命政権としての明治政府
    行政は為政者集団内の上下関係といえるかも(藩閥―官吏・公吏)
    縁故採用だけでなく、高文試験での選抜=近代官僚制(科挙がなかった日本で!)
    →試験制度、資格任用制度を経たサブ集団として分化してくる
  ・では政治家集団はどうやって再生産するか?
    (1)天皇の信任、天皇との近さで←実務的には既存政治家がリクルートする
    (2)政治家集団自身による縁故採用(コネ)←有能さを保証しない
    (3)内戦し続けて武勲で←軍人集団が政治をするようになると自壊(1945)
    (4)議会と民党との対立という「管理された平和的内戦」
      →ここで政府側傭兵として官僚が活用される。次世代政治家の供給源にも
 
・民主体制
  ・政治家は公選職政治家として位置づけが明確になる
    →民主制と官僚制という2つの支配原理が併存するようになる
  ・非民主体制では与党=統治者、野党=在野・被治者だったが、
    戦後は政党の与党能力が問われるようになる。野党の存在意義の曖昧化
  ・官僚が実質的に政治や政策決定を行う「官僚政治」は継続
    ※国士型=自分が天下国家を考えて政治を担おうとするタイプ
     政治型=政党政治家の正統性を受容し、政治に従うタイプ
     調整型=利害調整を重視するタイプ
  ・官僚と与党は協働を通じて似通ってくる→忖度。党派化↑、政権交代への対処能力↓

・「全体の奉仕者」(憲15)←→党派的官僚
  ・政治家は党派的選好を持った「一部の奉仕者」。複数政党制が「全体」を担保する
  ・行政職員に対する国民の選定・罷免権は明確に規定されていない
    →官僚が与党化しても「中立性」の毀損が見えにくい
  ・政権交代しても旧与党化した行政が新政権を拘束する
  →行政が政治全体からの指揮監督を得ない→民主体制と整合しない
  ・内閣人事局(2014)=党派的任用の制度化!

▽自治と行政
・「官治」=異質な他者による支配←→自治=同質な仲間による支配
  ※国政における「被治者と統治者の一致」でいう仲間は何?想像の共同体
・今日の「自治」≒地方自治

・戦前体制
    町村レベルでは地元有力者による支配を認めていた
    ただし明治政府は町村の監督も同時に実施していた
  ・国の出先機関(普通地方行政官庁)として府県庁、府県知事(官選)を設置
  ・町村は郡役所、郡長(官選)を設置し監督(1920年代に廃止。地理的単位として残存)
  ・府県には帝国議会より前から府県会(公選議会)があった
  ・自治としての府県制も存在(ややこしい)
  ・「地方制度」とは、国の地方行政制度+地域の地方自治制度
  ・市:公選議会に相当する市会が置かれた。市長は市会推薦→内務相選任
  ・町村:町村会は公選、町村長も選挙
    →官治の色が市より薄い。ただし国→町村長の機関委任事務も存在

・戦後体制
  ・民主化=国政自治の導入→地方自治は「国民」という統治者の意思実現を阻む?
    No. 現憲法では地方自治の制度的保障を確認している
    「国民」が地方自治体の「住民」を支配することは民主主義から正統化できない
  ・各層別の民主主義を成立させるには、国/都道府県/市区町村が分離しているべき
    →だが、戦前体制を引きずっている。国にも市区町村にも関係する仕事が多い
  ・民衆の意向には地域的差異がある→国政で野党的な立場も地域で支持されうる
    国の党派的傾向を緩和する作用があるかも

・権力分立のための自治
  ・権利保障は、民主主義(多数者の支配)だけではだめ
  ・権力分立:通常は「三権分立」だが、国レベルでは一連の組織に見えなくもない
    →立法/司法/行政(水平的権力分立)のほかに「自治制」(垂直的分立)が必要
  ・そのためなら地方は武力/宗教的権威/経済力で治めてもいい
    ……が、これらでは民主的正統性の調達ができなそう→住民自治
  ・国/地方×政治/行政の相互関係があり→p.61図4

▽民衆と行政
・支配そのものはなくせない(単純な弱肉強食に陥る)以上、せめてもの解決が自己支配
・行政は、公選職政治家が指揮監督しないと「自己支配」として納得できない
  政治家―(指揮監督)→行政―(支配)→民衆―(選挙)→政治家、のループ
  ※ただし、現状肯定と無責任体質を産む危険あり!
・上記回路に頼らず、行政という他者支配への反抗を制度化したのが「行政訴訟」
  そのため、司法(裁判所)は非民主的な要素を持っている
  少数派の無視が起きたとき、特に有効となる可能性あり
・行政を「他者」とみることは、民衆への自己責任回帰と諦念から離脱する契機にもなる
  参考)非民主制下の無責任
    ・ナショナリズム→「行政がこうなってる責任は国民に」(一億総懺悔)という操作
    ・結局、為政者は何をやってもOK、という事態

・被治者と統治者の同一性をどう確保するか
・民主制下では、身分制に基づいた行政職員の構成(家産官僚制)を否定
  →行政を異質の他者としない。実態は異質な他者による支配であっても不愉快感が減る
・公務員を日本国籍者に限るというのも同じ不愉快感の低減が理由か
  →しかし、被治者は日本国籍保有者に限らないはず
・戦前の高文試験は結局エリート階層からしか受からない
・戦後は公務員給与を民間並みにする=統治者と被治者の同一性を確保する手段の一つ
・しかし属性は:男女のアンバランス
  ただし「女性ならではの視点」を求めてバランスさせると性役割の固定に繋がるので注意
・行政過程への直接参加
  してくる人は本当に民衆の代表か?←→少数者の権利無視になってないか?

▽自由と行政
・情報公開を「知る権利」ではなく「説明責任」から進めてよいか?
・君主主権のもとで、民衆個々人の自由を確保するには?
  (1)権力分立。しかし君主主権とは共存しうる
  (2)国民主権への転換。しかし個々人は「国民」の単一意思に対する自由が保障されない
  (3)個々人の自由など基本的人権を、主権の上位にある「神聖な自然的権利」とする(仏)
    →(3)から(1)(2)を正当化する
    ※憲法前文「人類普遍の原理」。民主的決定でもやってはいけない侵害がある
・支配は避けられないが少ないほうがいい(夜警国家)/行政による自由の確保(行政国家)

【2】行政の外側にある制約

▽環境
・地理(資源など)、歴史(記憶、伝統など)、気候(災害)、自然環境、人口、
 家族形態の多様さ(ケア、子育て)、コミュニティ(近年は行政の便乗が困難に)

▽経済
・事業をやらない行政(非指令経済)は民間の上がりに依存している(租税収奪)
・受益=負担?
・収奪強化→経済疲弊(ラッファー曲線)
・経済界も行政に要望
・その制約への反作用として行政は経済を支配しようとする。国営企業、規制と誘導

▽外国
・国境画定(領域国家)→帝国→国民国家(国民の一部が統治者でない矛盾が起きる)
・支配の及ばない「外国」が確定する→外交、国際機関行政の必要性
  ※戦前の高文試験も行政科と外交科は分離

▽特に米国
・米国に対して日本は「自治体」的な側面を見せる
・ポツダム宣言:いわば「暴力革命」、国家主権の消滅
→自治権回復の条件:民主化、共産主義革命の否定、平和主義、米国監督下の再軍備
・日米安保:在日米軍という最強の「在日特権」、暴発を抑止する「瓶のふた」
・為政者のタイプも植民地っぽくなる
  (1)支配を受容しつつ交渉する面従腹背
  (2)本国(=米国)統治へ寄り添う植民地為政者型
  (3)本国留学を経て思考が同化、ソフトパワーに負け続ける植民地エリート型
  (4)対等な日米関係をベタに信じる
  (5)面従腹背しつつ謀反・独立を狙う第三世界の反共独裁者型

【3】行政の内側にある為政者連合の姿
▽組織
▽職員
▽外周の団体(拡大した行政)
▽人脈

【4】権力(被治者の同意を調達すること)の作用

▽4つの力と行政の作用
  ・政策に向けて使う―政策管理
  ・4つの力=行政資源の差配―総括管理

▽実力=物理的強制力。警察力と防衛力
・警察:国家警察→戦後の自治体警察→都道府県警察
・軍:日本の文民統制と米国からの間接的な文民統制

▽法力(法的権力)
・権力統制の手段
  (1)実力を持つ行政から立法を分離する
  (2)立法は被治者(の代表)が行う
  (3)不正義な立法を否定する違憲立法審査権を裁判所に持たせる
・実行力は実力が裏付けるが、一罰百戒はテロと同じ。萎縮効果
 →恣意的な実力行使を制御するための法力が、恣意的に実力行使する矛盾
 →法がそれ自体として支配の実効性を持つために:ウェーバーの「合法的支配」
  =合理的(予見可能)・非人格的(誰が為政者かに依存しない)な秩序への信仰や帰依
・官僚立法、法令協議、内閣法制局、国会答弁
・検察
・裁判所:行政のチェック/行政の用心棒、両方の顔を持ちうることに留意

▽財力(経済的権力)=財源と財政
・中央銀行の独立:行政サービスの財源確保と通貨価値の安定が両立しにくいため
  ただし人事は政府。独立性は限定的
・大蔵省(主計局)支配
・会計検査院

▽知力=情報。他の3権力の行使を円滑にする。被治者の内面管理をする
・被治者もこれを使って反作用を及ぼすことができる
・領域空間と領域内の人間(→徴兵)とその財力(→徴税)の把握
・戸籍=家父長制的な把握→いずれ個人番号へ?
・統計
・教育・文化:被治者が支配される能力。
  支配される「主体」の創出―国語、勘定、遵法……
  被治者と為政者の同一性の創出
  内面の自由つき完璧な同一性=完璧な民主制(ないと完璧な独裁)
  広報と情報秘匿は支配の道具 
  答責性←野党質問、記者会見
  諜報←情報機関
  知識の格差→権力の格差
    秘密保護法(行政>>市民)。情報秘匿は市民を「敵方」と位置づけている
    逆に行政<<市民だと、外部専門団体が行政を左右してしまう
    格差の縮小:情報公開制度、公文書管理制度、個人情報保護制度

2018年03月20日

若干追記/二風谷と

アイヌの文化ってどこまで遡れるのかというところからして全く知りませんでしたが、アイヌ文化振興・研究推進機構が作った冊子「アイヌの人たちとともに―その歴史と文化―」(2017年)を見ると、7~遅くとも13世紀には北海道での擦文文化が終わり、アイヌ文化に切り替わっていったということのようです。主には土器から鉄器への変遷ということでしょうか。

それと並行して、北海道北部~東部にあったオホーツク文化がアイヌ文化の形成に影響を与えた。つまり、熊の頭骨を住居に集めていたことから、熊に対する何らかの信仰があったらしい。

史料上で確認ができるのは15世紀ごろ。本州から渡ってきた「和人」との交易の記録が残っているのでしょう。蝦夷三品(昆布、干鮭、ニシン)と、北蝦夷地(樺太)経由の中国三品が移出され、本州からは鉄製品や漆器、酒などが移入されたとのこと。

和人の蠣崎氏との不和は現在の函館で起きたコシャマインの戦い(1456)以降、100年続きます。1550年に蠣崎氏が上ノ国と知内以北をアイヌの居住地、以南を和人の居住地にするという妥協策を出しています。

1599年に蠣崎氏は松前氏と改姓し、徳川幕藩体制のもとでは松前藩となります。米がとれず禄にならないので、家臣には地域限定の交易権(商場)を分配。商場をもらった藩士は知行主と呼ばれます。そのうち、商場を商人に貸し出す「場所請負制」が始まります。
海産物の需要が高まると、商人はアイヌを使役して漁業を自分でやるようになり、アイヌは生産者から労働者になりました。

1669年のシャクシャインの戦いでアイヌ全体が松前藩に敗れると、和人の優位が確立します。漁場労働や不公平な交易を強いられる中、1789年の国後・目梨(標津)での戦いが最後の抵抗となります。コシャマインの戦い以降、和人は「だまし討ち」で勝利を収めてきました。交易の民として儀礼を重んじたアイヌの性質が「欺されやすさ」に繋がってしまったよう。

こうした不和を背景に、南下を目指したロシアがアイヌを懐柔することを警戒して、幕府は1807年までに松前藩を今の福島に移し、直接統治に乗り出します。松前藩は1821年に復領運動の結果、蝦夷地に戻りますが、1855年の函館開港以降、幕府は渡島半島の南西部以外を再び直接統治します。このとき、アイヌとその居住地が日本に帰属することをロシアにアピールするため、アイヌの懐柔策を行います。が、耳飾りや入れ墨、熊の霊送りを禁止したことで反感を買うことになったそうです。

1869年に蝦夷地が北海道になり、アイヌは「平民」として戸籍が作成されたものの、「旧土人」との呼称で差別が続きます。開拓使による和風化政策、土地の国有化と払い下げ、サケ漁やシカ猟の禁止も進行。1875年の千島・樺太交換条約のあとは千島・樺太のアイヌを北海道や色丹島に強制移住させます。1899年には「北海道旧土人保護法」ができて、農業の下付・日本語・和人風習慣による同化政策が進められました。

第2次大戦後はアイヌの社会的地位の向上のため、北海道アイヌ協会(1961年にウタリ協会、2009年にアイヌ協会)を設立。1974年からは住居・就労・修学での個人対策を盛った「北海道ウタリ福祉対策」が始まります。1970年代からは文化の保存・継承のための活動も広がりました。1984年にウタリ協会が「アイヌ民族に関する法律案」を作成。国会議員も輩出し、1997年には旧土人保護法が廃止され、「アイヌ文化振興法」が制定されます。

* * *

それで平取町・二風谷のアイヌ文化博物館なんですけど、立体的な歴史を真上(現代)から2Dで見たような展示になっているので、「これはいつからこうなの?」とか「なんでこんなものが?」という疑問がいっぱい沸きました。
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なぜ漆器があるんだろうとか。
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なんで木の繊維でできた羽織と木綿のやつがあるのかとか。
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(上記冊子によると、樹皮で作ったやつが普段着で、木綿のは晴れ着だったっぽい)
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刺繍については「技術は一般的なものなので民族の特徴が現れているわけではなく、むしろ文様のほうにオリジナリティがある。しかし近年は、華やかだが文脈的に疑義のあるデザインが見られており、言語化が容易でない分野だけにどう伝承していくかが課題だ」といった説明がありました。
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一方、「食」のほうは意識的な保存が必要な分野のようです。一部は現代的な日常生活に浸透して残ることができるが、食材の採集法や調理法で消え去ってしまったものは復活が難しそうです。
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網目のように見える部分はサケの皮をかたどった模様。木彫りは刃物をうまく扱えることを示す男性のアピールだったが、今は男女ともやるとのことです。ただし「イナウ」(お祭りのときに使うわしゃわしゃしたやつ)は今でも男性しか作れないんだって。
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ちなみに↑これはサケの皮でできた靴。

Q&Aコーナーもありました。「アイヌは無文字社会と聞いた」というQに対して「確かに以前は文字を使っていなかったが、現在はカタカナのほかにローマ字を使った表記をし、小文字の『プ』『ク』『ラ』を使ったりと正書法が確立されつつあるといえる」と回答していました。

また、同じQ&Aコーナーで、「アイヌ語を話せる人がいなくなった」というのにも「言語学、民族学の研究対象に値するだけの話者が極端に少なくなったのかもしれないが、話せる人はいるし、聞けば分かる人はさらに多い。学習熱も高まっているので話者はむしろ増えるかもしれない。勝手にいなくなったことにしないで」という反論が掲示されていました。

現に存在しており、また今後も存続すべき文化だということ。政治的なバックラッシュもあり、ここは特出しして強調しておかないといけないのでしょう。
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ところで、この博物館は萱野茂さんの収集したものをベースにしてできているそうです。
周辺の地名の解説を読んでいたら、「幌去(ポロサル=大きい葭原)」からの直訳で「萱野」の姓ができたと書いてありました。へえ~

博物館周辺は冬期間を利用して改修中でした。
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芝生になるんですと。
それにしても、12年前に友達と一度来ているのですが、まったく中を覚えてない。弊日記にも書いてない。なんでだ?
あと2020年には白老に国立の博物館ができるそうで、それも期待ですね。

ついでに平取町の中心部からちょっと上がったところにある義経神社も見ていきました。
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なぜ義経?と思ったら「奥州平泉で自刃したとあるが、身代わり説があります。義経一行は陸奥から蝦夷地に渡り、ピラトリ(平取)に一時居住し、カムイと尊敬されました。その後、新しく部下に加わった若者や藤原氏残党とともに大陸へ向けて出発したといわれています。ジンギスカンと義経公を史実上の共通点の多さから同一人物とする伝えもあります」とのこと。
直接には1799年、近藤重蔵らが神像を寄進したのが始まりだそうです。アイヌを庇護し、慕われた義経というお話は当時の統治の論理から生まれたのでしょうかね。
ちなみに幟に書いてあるのは「愛馬息災、危難防除、先勝」。競走馬の産地と微妙に混ざっている。

せっかく来たので、新ひだか町(旧静内町)のシャクシャイン記念館も見ていこうではないかということでナビに打ち込むと、1時間かかると出た。北海道のでかさの勘が失われていたようで。
記念館自体は雑然とした展示がちょっとあるだけ。
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よく見る像がいた。
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シベチャリチャシ(チャシは砦)の跡から見た町内。
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静内って、小学校か中学校(たぶん小学校)の道徳の授業の教材で出てきた地名なんですよね。実は今回、人権資料・展示全国ネットワークの加盟団体を調べていて、二風谷の再訪をしてもいいかなと思ったのでした。

2018年03月18日

札幌とか日高

成田勤務から10年以上にわたってANA派なんですけど、仕事でJALのマイルがたまってしまうこともあり、しかし当然そんなにたまらず、使用期限が迫ってきたところで使ったのが「どこかにマイル」。破格の6000マイルで国内のどこかに飛ばされるという面白い企画です。
しかし弊管理人が飛ばされたのは勝手知ったる札幌でした。

隣の席の上司(札幌勤務経験者)が「札幌にすげーうまい蕎麦屋があってさ」と語り始めたので「西野ですか」って食い気味に聞いたら当たり。しかし弊管理人が思い浮かべた「やま賀」でも「続八条庵」でもなく、教えられたのが「雨耕庵」。なぜか西野ってやけに蕎麦屋が集積してるんですよ。そしてお店に置いてあった、西野の蕎麦屋を特集したコミュニティマガジンにもそう書いてあった。
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食べログでおっそろしい高得点がついていて不安でしたが、15時になっていたのと辺鄙なところにあるせいか、客は弊管理人ともう一組だけ。かき揚げそばで、麺は田舎と更科と田舎そばの太切りというのが選べます。全くイメージせずに太切りを頼んだら、うどんみたいに太いのがでてきてしまいました。弊管理人は暫く前から(そしてたぶん今後長きにわたって)口の右側で固いものが食べられないのですごく難儀し、味わうどころではありませんでした。もう一組は普通の細いそばを「うめええこれえええ」と言いながら食べていたので多分本当においしいお店なんだと思います。

悪魔的に勘のいい在札幌友人が、弊管理人が札幌に着いたとたんにフェイスブックで全く急がない用事のメッセージを送ってきたのをきっかけとして夕飯を食べることになりました。「カレーが食べたい」と言ったら、資生館小学校の前にある「未来カレーこりす」というところに連れて行って下さいました。
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うん、これ住んでたら週1で通う。バターチキンのちょい辛いやつっていう感じ。あと、一品料理も充実していて、えびのアヒージョとかとてもおいしかったです。

あと、ずっと行きたいと思っていてなぜか今まで機会がなかった中島公園の横にある「ボン・ヴィヴァン」。
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手前がダークチョコレートのムースをいろいろこねくり回したグリューでちょっとスパイシーだった。後ろはバスクショコラのオレンジフレーバーのやつで、見た目よりずっと複雑な味がした。ショコラティエだけにもっとストレートにチョコなやつを買ってもよかったかもですが、さすが。

番外編というか、在札幌時代からお世話になってる飲み屋さんのお通し(!)
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パンの上にベーコンとチーズと蜂蜜ですよ。
これを深夜に食べるなんて。おいしくいただいたけど。
そういやここの大将も勘がよくて、在札幌時は弊管理人の悪事を打率8割くらいで当てられました。頭が上がりません。

今回、お出かけのメインは平取町・二風谷だったのですけど、アイヌ関連のあれこれは別の日に譲って、二風谷で昼飯のために入った「ドライブイン・ユーカラ」のキトビロ(行者ニンニク)ラーメン。
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あまり臭くなく、味噌によく合ってました。
近くの工芸館で木彫りをやっていたおねえさん↓のレコメンでした。
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北海道はまだ冬かなーと思っていたら、どっこいきちんと早春の匂いがした。

2018年03月06日

階級と性差と職場飲み

■橋本健二『新・日本の階級社会』講談社, 2018年.

ほんと久しぶりに講談社現代新書を買った気がする。20年前は買う新書の大宗を占めていたのだけど。

「格差社会」を超えて「階級社会」と化した現代日本を議論するためのデータを主に紹介したうえで、どう乗り越えていくかのたたき台を示した本だと思います。出たらすぐ読まないとどんどん昔の話になるので、急いで。

本筋から若干外れますが、女性がどういうグループに分かれるかを論じた第5章が面白かった。「彼女たちの人生の多くは、本人の所属階級、配偶関係、夫の所属階級というわずかな要因によって決定されているのである」(p.200)。つまり有無も含めた「配偶者」を抜きにして女性の人生が語れないということ。

* * *

先日読んだ『日本のフェミニズム』のトークイベントに出掛けてきました。

当面は本と向き合おうと思います。

* * *

初任地を離れてから、自分のを含めてすべての歓送迎会を欠席しています。それにもかかわらず、そのことを知っている上司からなお、来月異動する同期の送別会の幹事をやってくれと打診がありました。
  「仕事ですか」
  『仕事じゃないけどさ』
  「じゃあすみませんがお断りします」
で終わりました。
きりがないんですよね。一生かかわるつもりはありません。

札幌から転勤するときも、送別会を断ったら、支社長から「なんて聞き分けがないんや。殴ったろか」と脅迫されましたが、
  「今まで誰も送ってないのに、僕だけ送ってもらうことはできません」
という超うまい論理構成で切り抜けました。謝絶の実績を積み重ねてきたことが奏功した事例。また、このような積み重ねによって周囲から「そういう人」と認知されることが大切ですね。
他人の配慮を期待したり迎合ばかりしていると、効率的に幸せにはなれない。

管理人

40代に入ってしまいました。未婚、子なし、男、文系学士、30万都市出身。何かありましたらツイッターの@amebontanまでご連絡下さい。

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