2025年07月10日

えくすぽ2025

金曜の夜、職場でひとり夜勤をやりながら「こんなつまらない週末でいいのか(いいはずがない)」と思ったかどうかはともかく、万博のチケットが意外にするっと買えることに気付いて平日券を購入。月曜に入場時間の予約もした。しかし人気のパビリオンはもうほぼ予約がとれない状況。といったところで午前1時45分の上がりの時間がきたので帰宅即就寝。

土曜、ホテルと新幹線のわりと安いパッケージがあったので購入。
日曜は朝から出掛けました。

大阪。2022年末の一時帰国でちょっと寄って以来。なつかし。明らかに東京より人の顔が楽しそうである。
早めの昼飯は豚々亭でトンテキをキメます。
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トンテキももちろんなんだけど、白飯がうまかった。ぶはあ。

で、住んでたときには確かまだ開いてなかった中之島美術館に行きました。
巨大な黒い箱。なんでここ来たかったんだっけ?
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MoMAにこんなとこあったっけか。
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今やってるのは「日本美術の鉱脈展」で、メジャーではないか、今はメジャーだがつい最近まで知られていなかった尖った日本美術を集めた展示です。特に、素人が描いた「素朴絵」というジャンルがあるのは初めて知った。解説も大阪らしく(?)あけすけで、「史上最もヘタクソな洛中洛外図」との解説タイトルには笑った(横の人も笑った)。

これは伊藤若冲の「釈迦十六羅漢図屏風」。戦災で失われたのを藝大などが復元した。
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さて、一度ホテルにチェックインしましょうかね。
今回は天満橋です。住んでたころ、よく無印とかニトリに買い出しにきてたところ。
久しぶりの友人に連絡して「夕飯どう?」と聞いたら即OKだった。

扇町駅から近い「なかなか」。
店内こんな感じ。いろんな日本酒があるお店です。
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このレアさわらフライが秀逸。
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全部うまかった。
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しかし調子に乗って黒板メニューを頼んでたら結構いった。いいけど。

高知出身の20代友人、仕事は安定してるし、趣味の活動は評価されてるしで、話を聞く限り極めて幸せそうなのだが、「一度は東京に住みたい」とも思うんだって。そうね、20-30代で一回住んでもいいとこだというのは同意。ずっと住む必要があるかというとないが。

日曜夜だし、早めにおひらきでまたね、となりかけたところで友人が「もう一軒行きますか」と誘ってくれたので喜んで相伴。かねて行ってみたいが一人じゃなあ、と思っていたお店で、結果すごい面白くて長居してしまった。ありがたいことです。

* * *

月曜は朝から夢洲いきますよ。入場予約は10時。9時40分に駅についたが、手荷物検査の列が一向に進まず、かんかん照りの酷暑の中、若干くらくらしつつ50分待ってようやく入場した。
これが例の大屋根リング。確かにでかい。
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そして下に入ると確かにちょっと涼しい。これがなかったら真夏は耐えられないだろう。
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Better Co-Beingなるパビリオンだが、事前予約してないと入れない。そしてやっぱり日陰がない。
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ヌルヌルとかなんかそんな落合なにがし的な建物。
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自己主張するオーストリア。
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パビリオンはクラゲの木みたいのだけが事前予約できたので、まずそれを攻略。なんかいろんな民族の人達が踊ってる没入系映像が生演奏と一緒くたになってるのを見るような展示だったが、「人って多様だよね」みたいな優等生的で誰でも知ってるメッセージくらいしか読み取れなかった。人を唸らせるメディアアートは難しいなって思いながら全くノリきれずに終了。

そのあと、通りかかったら予約なし入場が始まったコロンビア館に入ってみた。「コロンビアといえば~?」と問いかけるスタッフに「内戦~!」と答えそうになったがやめた。自然環境とか文化の紹介であった。
そうなんだよ。各国館は結局その国の紹介をするんだよな。万博ってな。とやっと気付く。

とりあえず昼飯(高い天津飯)。

大屋根に上ってみる。おお高い高い。
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そして海の上を歩くことができる。
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思えば2023年にドバイであった国際会議も万博会場だったが、人工的で味気ない囲われた会場にいろんな形の建物が無造作にちりばめられていて、大阪もやっぱりそんな感じだった。
しかしドバイと違うのは「会場を上からぐるっと回って見る」ことができる点で、これが大きい。なので大屋根はこの万博で一番よかった。

2021-24年に毎年世界のいろんなところに行った国際会議もやはり、各国がブースを出して自国をアピールする点では万博っぽかったなと今にして思います。その点で大阪万博に大した驚きはありませんでした。結局は自慢の文化財、自然、人の多様性、先端技術の展示であって、突飛な未来を見せるようなものでもない。そもそもそういうもの。何を期待してたのかという話ではある。でも1970年のはどうだったんだろうか。

大屋根を半周して地面に降りると、西ゲートであった。
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近くのパソナ館が予約無し入場を突然始めたので迷い込んでみた。
生命進化の木だそうだ。これさ、太陽の塔の胎内の、ものすごいヘタクソなパクリじゃないか?この脇には太陽の塔の腕の先端を中から見た風景に似せたと思われる部分があった。
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そして、iPS細胞から作った心筋シートがひらひらしていた。
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iPS細胞で作った心臓を鉄腕アトムに移植するアニメが上映されてたりだとか、なんかその、パソナ、阪大心血管外科がどろどろっと魔合体した感じの、いろいろ想像してしまう系(婉曲)展示でした。しかし普段から仕事で科学技術をちらちら見ていると、科学系展示一般、何ら新しい感じがしない。未来を構想するのはかくも難しいということばかり痛感した。

ブルーオーシャンドームの当日予約がするっと取れたのでGO。
坂茂のドーム。
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うん、なんか建築を見る機会としてはいいよね。土地とか文脈とか、まったく切り離されていてパビリオンの建物自体が「展示物」っていう感じが強いが、まあ万博とはそういうもの。
プラスチックによる海洋汚染の啓発映像みたいのを見ましたが、特に面白くはなかった。クラゲがふわふわしていて、一同「もう終わり?オチなし?」みたいな感じで退出。

インド館を冷やかしつつ、15時も回って汗みどろだし、さてそろそろ、と思ったころ、また通りかかった大阪公立大館で予約なし入場ができるとの掲示を見たので並んでみた。
ねえこの外装、西陣織らしいですよ。すげ~
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空気が滞留し、タオルハンカチが絞れるんじゃないかっていうくらい汗が流れる入口前で、案内のおねいさんが「しばらくここでお待ちいただきま~す」とのたまった。「クソ暑いんですけど!!」と叫びそうになった。まじで。
そして展示はなんということもない研究紹介でした。

いや、で、これ休憩スペースらしいんだけど、なんで、完全な、日陰を、作らないのだ?
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ところで弊管理人含め結構な人達が日傘をさしていたんだが、みんな雨の日のように傘を直立させていて、斜めから入る日光に腕とかがめっちゃ晒されているのね。まだ日本人は日傘に慣れていないのではないか。

歩いていると、有名人がペラペラ喋りながら万博を持ち上げていた。
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コモンズという小国の雑居ビルみたいなところではイエメンのおじさんが客のおばさんに何かを食わせていた。帝銀事件を思わせr(略
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この壊れたポケットコイルマットレスみたいのはパナソニック館。
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しかし、建築というのは外から見るだけでなく、中に入ってこそ設計と対話することができると思うので、なんかこのファサードだけふぁさっと見て回るというのは消化不良感がある。

せめてもの思い出にということでミャクミャク像の前でおばちゃんに写真撮ってもらった。
「わたしこういう機械だめやねん」とブツクサ言いながらちゃんと撮ってくれて、お礼言ったら「ちゃんと確認して。撮り直し頼むなら今やで」と言われましたが、ちゃんと撮れてたので「完璧です!」と言ったら照れていた。

結局17時近くまでいた。帰りの電車に乗ってふと自分のTシャツを見たら塩田みたいになっていた。日焼け止めも落としたかったので、本町で降りて契約してるジムでシャワーを浴び、たまたま船場で見かけた「すしやねん」という寿司居酒屋みたいなところで夕飯にしました。
ヒゲ、刺青、切れ長の目という三国志みたいなイケメンのおにいさんが握ってた。
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安くてうまい庶民のお寿司って感じ。ネタが分厚くてボリュームがあり、とても満足した。
今治タオルをカウンターに置き忘れてきちゃった。残念。そしてなんかおっさんの体洗ったタオルなど置き忘れてしまい大変すまん。

そんで新幹線のって24時過ぎに帰宅しました。
日焼け止め完璧。全然焼けなかった、と思う。
いろいろ書きましたが、初めて万博いった、ということに満足をしました。

* * *

新しいPCを注文しました。週末か来週前半に来たら、また日記に書きます。
2017年に買った今のLenovoデスクトップ、まだ全然快調に動いてるのに、Windows10のサポートが10月に切れても、Windows11のインストールができるスペックではないというので強制買い換えとなりました。ほんとこういう勿体ないことは御免被りたい。
もちろん経年のせいか、ちょっと動作がくたびれてる感じはあるので、今の良好なネット環境を活かせるスペックのPCになることには期待もあります。

* * *

暑いという理由でテレワークしがち。いや会社はテレワークを認めてないらしいんだが、だいたいのことがオンラインでできるんだよね。

* * *

ボーナス、税金が3割近いんだがなんなんだ?

2025年07月02日

徹夜とか

土曜の夜に徹夜で仕事して、明けて日曜は夜まで問い合わせを受けて、月曜は早出で仕事をして、とまあアラフィフの働き方じゃねえだろうみたいな3日間を過ごしたが、特に褒められることもなく、なんならダルいことがいろいろあり、きょうは休みました。書きながら思い出したら再びダルい気分になってきたので明日も休むかもしれない。

Xで「休み」とつぶやいたら友達2人から連絡をもらい、昼と夜にメシを食いました。
昼は近所の1人と中野の「高ひろ」でおいしい焼き魚定食。
夜はさらに少し離れた1人が加わって、中野坂上の「平田屋」。写真は「まぐロール」。
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19時にチャレンジしたら入れず、雨も降ってきたのでいったん近所の中華屋に避難して1杯呑み、20時過ぎに来たら入れた。安くておいしい。うひゃうひゃ言いながら3時間飲み食いして別れました。

* * *

嗅覚。
前の前の土曜に地元の耳鼻科に行って、鼻の中をみてもらったらポリープがあり、副鼻腔炎もあって多分このせいで匂いの通りが悪くなっているのではないかとの見立て。「ポリープはそんなにすぐできるものではないので、これは前からあったのではないか」とのことです。

1週間分の薬をもらって飲み始めたら嗅覚が平常時の5%(コーヒー豆に鼻をつけないと匂いがすることが分からない)から30%くらい(コーヒー豆に鼻を近づけるとコーヒーの匂いはする)までよくなった。飲みきるころには60%くらい(何か食べたときに味はそこそこ分かるが、室内など雰囲気の匂いは分からない)まできていたが、まだ本調子ではない。
一方、ここ何年も朝起きるとまず鼻をかまないといけないくらい鼻水がたまっていたのですが、それがほぼなくなった。そんなにずっと鼻が悪かったの?

翌土曜日、だめ押しでもう一度耳鼻科にいったら「ほとんど回復」との見解でした。
もう1週間分の薬は出すけど、それでよくなったらもう来ないでいいよとのこと。
80%以上回復した感じがします。雰囲気の匂いもだいたい分かる。うなぎ屋の前を通ったときはもう少し香ばしく感じてもいい気がするけどな、くらい。

五感はどれもほんとに大事だなと今般思いました。
あと皆保険ほんとにありがたい。アメリカだったら医者にかかってないかもしれない。

* * *

◆浅田義正、河合蘭『不妊治療を考えたら読む本〈最新版〉』講談社、2023年。

ブルーバックスです。電車の中で弊管理人が読んでるのを見た人は「ああ、子どもが欲しいのにできないカップルの旦那さんなんだな」と思っただろうが不正解。子どもや動物のように言って分からないやつは嫌いだし、カップルでもない。勉強のためです。

妊娠のバイオロジー、いろんな発生段階やホルモンの名前が出てきて大変なんですけど、それらをちゃんと順番に並べて、どういう仕組みで次につながるのかがちゃんと解説されていて大変勉強になりました。旧版が出たのっていつだっけ。15年前に出会っておきたかった。

2025年06月22日

におわない世界

前の土曜(14日)に鼻風邪みたいのが始まり、熱があるわけじゃないんだけど36.7度とか平熱が低い弊管理人にしては微妙に体が何かと戦ってる感じの体温。しかし喉は特に痛くない。でも最近ここまでのはなかったくらい鼻が詰まってました。

水曜(18日)の夜に一瞬37.2度を記録し、このちょっと前くらいから嗅覚を喪失しました。
調子には上下があり、コーヒー豆に鼻がつくくらい近付いても何もにおわない0%の時と、ちょっとにおう15%くらいの時を行き来しています。それでもやっぱり上限15%なので基本、におわない世界。
・全くメシがうまくなく、「今夜何食べよう」と考えなくなる
・生ゴミの捨て時が分からない
・危険が察知できない
→これらにいちいち頭を使って判断しないといけないのが面倒
・ちなみにCOVIDは陰性
・起き抜けが一番鼻がきかず、夜ちょっと回復するのが典型
・意外と周囲に話してみると「自分も風邪の時に嗅覚を喪失したことがある」という人がいた

* * *

水曜、立教大でやってる「細野さんと晴臣くん」という展示をみてきました。
学生時代のノート、絵もデザインもお上手。
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建物も素敵。
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すごい晴れでした。梅雨じゃなかったっけ?
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お昼にマレーチャンというお店でナシゴレンを食べましたが味がほとんどしませんでした。

* * *

日曜、青梅の澤乃井酒造への遠足に誘っていただきました。
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3人で1本分けて飲みました。うまかった。嗅覚があればもっとうまかった。
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酒蔵見学。
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川遊びもちょっとした。
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35度になったらしいめちゃくちゃ暑い日でした。疲れた。
日焼け止めを厚塗りしていったのでヒリヒリしませんでした。

* * *

都議選の投開票日。弊管理人の投票行動はいつも一緒で「ギリギリ推せば通りそうな野党候補」+「一応公約は見てヤバくないかだけチェック」。なにはなくとも「多数派が入れ替わる可能性が感じられることで政治は締まる」というのが信念だからです。

それにしても、政策をみると「都営住宅」「待機児童」「不登校」「高校授業料」など生産年齢・正規雇用の独身男性という弊管理人にはいまいち響かない項目が多く、同じような属性の人は減税とか移民とか情報公開とかのちょっと抽象的な(適切な言葉が見つからないがちょっと遠い感じの)メニューに目がいくのではないかと思った。思っただけだし弊管理人の目は特にそっちに行かないが。

* * *

◆村上靖彦『客観性の落とし穴』筑摩書房、2023年。

孫引きになるが、ベンヤミンの言葉(p.147)がよかった。『ドイツ悲劇の根源』という本らしい。

「普遍的なものを平均的なものとして説明しようとするのは、本末転倒である。理念こそが普遍的なものなのだ。これに対して経験的なものは、それが極端なものとしてより精確に識別できるものであればあるほど、それだけ深く、その核心に迫りうるものとなる。概念は、この極端なものに由来する。」

2025年06月16日

さば

会社の兄と平日から中野駅北口「さば銀」。
さばフライ。うまくないはずない。
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さばサンド。これはマストであった。
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さばチャーハンがしょっぱかったが、他は全部うまかった。

* * *

料理のやばさに定評のあったバイクの師匠(弊日記初期から登場する10コ上の兄)が会社員生活を引退して御徒町で居酒屋を開いたというので、土曜にバイクのおともだち2人と恐る恐る行ってきました。
店主の人徳により、懇意にしていた関西の人気居酒屋さんからレシピを伝授され、しごでき元サラリーマンらしく料理学校に通うなどして準備したとのことで、ちゃんとおいしいおばんざいが出てきて安堵した。がんばって~
上野で一杯飲んで帰宅。

* * *

この週末は鼻風邪で調子悪かったです。無限に鼻水が出て月曜朝には嗅覚が喪失した。
明らかな発熱はないんだけど、平熱よりわずかに高く体が何かと戦ってる感じはする。体も普通に動く。喉や肺にきてる様子もあまりないのでアレではないと思う、思いたい。

聞けば周辺の人々も結構体調崩してるようでした。
暑くない6月中旬から急に猛暑がくるらしい。

* * *

◆仲正昌樹『現代哲学の最前線』NHK出版、2020年。

2025年06月08日

正面モニタ

PC作業用のほかに、動画を流す用のモニタが1枚ほしいなと思っていて、アームを買ってデュアルにするかという検討もしたのですが、結局「モノをむやみに増やさない原則」に則り、DCで買ったモバイルモニターを目の前のメッシュパネルにかけることで解決しました。
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画面の取り付けは、100均に売ってるフック2種類、計200円でできた。
あとはミニHDMI―HDMIの変換プラグと、USB-Cの端子の向きを変えるプラグ、計1000円ちょっとと、余ってたケーブルを活用して配線をすっきりさせて完成。

* * *

Cドライブの容量が足りなくなってきたせいかPCの動作が遅くなってきていました。
クリーンアップやアプリの整理をしてもどうにもだめそうだったので、余りがたくさんあるDドライブから40GBほど移すことにしました。窓の杜で紹介されていたMiniTool Partition wizard無料版でできました。
これで少しよくなるようであれば、PCの更新はもう少し先でもいいかなという気がします。
今使っているPCは7年半になります。その前は5年、4年弱使ったようで、だんだん寿命が長くなっています。わりと快調なネット回線をPCのパワーが活かしきれていない感じもするが、しかし今それほど大きな問題が起きているわけでもないので、もうちょっと頑張ってもらおうか。

* * *

キャンドゥで330円で買ったPD(60W)対応USB-Cケーブル、全然使えてる。

* * *

昼、友人と幡ヶ谷/初台間にあるHOFFへ。
イワシのサンドイッチは自分用、友人はジャークチキン。
あとフライドチキン2ピースをとって分けた。
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1人1.5品頼んで、なお「ワンドリンクオーダー制なので1杯注文してください」と爪の長い給仕が言った。「いりませんけど」と言ったが「メニューに書いてあるので」と、だから何だという返答がきたので、いらないコーヒーを頼みました。まあ抱き合わせ販売は店の自由だが、こちらは不要なものを買わされるのは嫌なので、再びここに来ることはない。味は濃いがよくできていた。

ここに限らず何を頼めという指示はちょいちょい目に付くもので、「酒を最低1杯」という中華屋まであった。人口の少なからぬ割合がアセトアルデヒドを分解する能力が低いかできない体質の国で何を言うのか。といっても選択肢が数ある中での無理強いなので、そこを選ばなければいいだけではある。飲めない友人を持つ身としては、ついでに「おまえなど滅びろ」と念じつつ手持ちのリストから抹消するのみです。

* * *

木曜~金曜は会社泊まりがけで仕事でした。今月2回あるうちの1回目。
会社泊まりは23時に宿直室に入って2:50に目覚まし。実質寝たのは2時間あったかどうかくらいでした。で夕方まで仕事。老体にはきついかと思いましたがそこまででもありませんでした。若手ちゃんたちが頼りになった。DC後任からも貢献いただいたが活かせずすまん。

そういうわけで土曜夜は楽しさを求めて飲みに行きました。楽しかったです。

2025年05月26日

本郷

東京建築祭2025。本郷にある元旅館、鳳明館が開放されていたので見てきました。以下は館内展示や口頭での説明によります。

・本郷には明治10年代(1870年代後半)ごろから、東大など高等教育機関の設置に伴って下宿街が形成された。賄い付きの下宿が旅館を兼ねることあった
・昭和初期にかけては日清戦争や東京大正博覧会の景気もあって東京最大の下宿街に成長した。明治25年(1892年)時点で約500軒
・発展の原動力は地縁・血縁による共助だった。鳳明館を含め、創業者の半数以上が岐阜県出身者。西美濃の輪中地帯で水害対策のため相互扶助が不可欠だったとかなんとか
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・本郷が旅館街になったのは昭和初期(1920年代後半)以降。最盛期は昭和3年(1928年)で約120軒
・戦後は戦没者遺族の集団靖国神社参り、農協の陳情、修学旅行などで需要があった
・昭和20~30年代の修学旅行の宿泊代は300~350円+米5合、または全額を米で支払い、ロビーや廊下には米袋が積まれていたそう。最盛期は本館234畳に300人が泊まった。「お座敷さん」は1人で8膳を重ねて運んでいた
・コロナ禍前はインバウンド需要もあった
・現在残る建物は鳳明館3館を含め4館。東京全体でも伝統的旅館は10館に満たない
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・鳳明館は下宿「鳳鳴館」として明治31年(1898年)開業、その後に下宿・旅館の鳳明館になって、昭和25年(1950年)から旅館専業。1950年代には台町別館(住宅を旅館に転用)、森川別館(本多家の江戸屋敷だった場所)もできた
・大正12年(1923年)の関東大震災では東大が図書館や法学部の講義室が全焼する中、鳳明館は被害なし。昭和20年(1945年)の東京大空襲では徒歩5分の菊富士ホテルや周辺のお寺などが焼失したが、やはり被災しなかった
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・コロナ禍で旧持ち主が従業員を解雇しマンションにする、という意向を示したが、地元の建設会社が大手ディベロッパーを斥けて落札。今はイベントスペースや日帰り利用の施設として営業しているとのことです
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・ちなみに今この地区では旅館の営業が規制されており(条例かな?聞き忘れた)、規制前から営業していたところだけが続られる状態だった。現所有者は単なる建物の購入ではなく「事業承継」という形をとったそう
・「このあたりにあった旅館はどれもなくなって、今マンションだらけでしょ?旅館は営業しないといけないけど、マンションは不労所得が入ってくるから」。なんかいろいろあったな?という話しぶりでした
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関係ないが、疫学をやってる先生が「文京区ってめんどくさい住民が多いから、調査がやりにくいんですよ」と言っていたのを思い出した。
後楽園の駅から北東に歩いたあたりです。弊管理人は学生時代、本郷に縁がなく、この本郷5丁目という地区も初めて来たはず。確かに東大正門まで徒歩でわりとすぐでした。
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東大は五月祭をやってた。すっごい人。こんなに人くるイベントだっけ?
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でキャンパスを通り抜けて上野公園まで歩いて陶器市を冷やかしました。しばらく前から茶碗にひびが入ってるのが気になっていたので1個買いたかったんだけど、会計の列が長かったのでやめた。買っておけばよかった。
鶯谷の「岳陽」でメシ食って帰りました。がくよう丼800円。やす、うま。
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土日はちょいちょい仕事。
しかし土曜は上記のとおり時間を盗んで遊び、日曜は弊管理人48歳と近所の50歳、51歳と昼飯食って「必殺技ほしいよね」と語りあうなどしたので一応休んだつもりにはなっておきます。
ずっと曇りか雨で涼しかったです。

2025年05月20日

ごがつ中旬記録

・船便の到着に伴い二つになってしまったデスクチェアのうち、古いほうにお別れ。あと、トランクルームに置いてる間に壊れたCDコンポもさようなら。8年近く使っているデスクトップPCのDVDドライブも、気付くとディスクを読まなくなっていた。PCはすぐ捨てるわけではないが、光学ドライブって弱い装置なんだろうか

・週末は一人も知り合いのいないBBQに参加。出力を上げて喋って焼いて疲れたので馴染みのバーで飲んで回復した

・湿度が上がってきた。エアコン除湿運転開始。掛け布団をやめて毛布一枚で就寝。こういう「環境への適応」をしていると、そうそう昔はこうしてた、と「身体によって思い出させられる」経験がまだ続いています

・ついでに睡眠時間短縮中。これは夏のならい

・このところ年齢を聞かれて言うと驚かれることが続いており、まあ若干エイジズム的なリップサービスくらいだろうと思いつつ気の利いた反応も編み出していない。面倒なので勝手に年齢が上がるのやめてほしい、と無理を言う
・それに加えて、アラフィフが1K暮らしでソファもダイニングテーブルも持っていないというと驚かれることも増えた。若者に「ミニマリストなんですか」と聞かれたがそうなのかもしれない。もう一人なら寝られる寝具と食べ物の備蓄はあるが、それでもミニマリストというならそう。引っ越し10数回という試行錯誤の末にこうなっているので変えるつもりもないけどな。というか、部屋にものが多い人は、家具というよりどっかで買った土産とか使わないもらいものや電化製品などのガラクタが多いだけなのではないか

・会社の一部若手ちゃんたちが日がなPCとにらめっこして、何もアウトプットせず帰っていくのを見て「この人は何しに会社にきてるのだ?」と思い、データベースを叩いてみて「やっぱり3カ月見渡しても大したアウトプットしてない」と得心するというサイクルが一巡した。ということで弊管理人も平日休みの友達とランチして職場に寄って早め退社を励行する。斜陽産業に蔓延する質の悪い労働力(+_+)

* * *

◆佐々木史郎、北原モコットゥナシ『最新アイヌ学がわかる』エイアンドエフ、2024年。

ウポポイのフォローアップ。学際研究だということがよくわかった。札幌在住時からこれまで見たものがかなり整理された。
「アイヌは無文字社会であるという語りがしばしば見られる。しかしそれは近代以前までの姿である。」(p.121)こういうつっこみ大切。
ちなみに校閲が甘くて細かなストレスがある。

2025年05月13日

荷物48

1月30日に荷出しした船便が10日の土曜に届きました。3カ月とちょっと、結構かかったが事前にヤマトから知らされていた期間の範囲内で、かつわりと早いほうでした。既に生活はできており、一体どれだけの服や台所用品をはるばるアメリカから送る必要があったのかについては大いに疑問です。荷物は11個口だったが絞りに絞れば5~6個でいけたな。
大阪時代まで使ってたデスクチェアを捨てて、届いたハーマンミラーのほうを使い続けることにしました。ものすごい違いがあるかというとよくわからないが。

雨もようだったこともあり、荷解きとゴミ出しで午前を消費した。

誕生日だったので近所のケーキ屋でモンブラン買って食いました。
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下部がなぜか一度溶けて固まった感じ。いつ作ったのだろう。まあ味はちゃんとしていた。

干支が4周し、誕生日が10日違いでキリの良い数字のためいつも思い出してメッセージしてくる中学の同級生と「48ってやばくね」って話をしました。確かにこの数字は結構来るものがある。まあ相応に古びているが、帰国してこっちジムが家から至近なため結構運動していて、体力は落ちた感じがしないんですよね。アメリカと比べて東京暮らしは格段に歩くので、脾肉を嘆ずるほどでもなくなった。あとは、残された元気な期間がいくばくもない気がしているのか、カレンダーにイベントを入れ続けていて結構忙しいです。

今週も昼過ぎから宵の口まで仕事となり、しかし先週と違ってストレスなくぽいぽい作業をこなして飲酒に行きました。夕飯軽めだったため、深夜の帰りぎわにファミマで唐揚げを買って食うという無軌道。まあ誕生日だから許して。

伯母、叔母、上記同級生からたんおめメッセージをもらいました。
友人からはスタバのコーヒー2杯分くらいのLINEクーポン、飲み屋ではテキーラのショットをもらいました。

2025年05月07日

連休後半

実家に帰って父・妹と知多半島に1泊で出掛けました。2日は雨でしたが夕方から晴れ、3日は快晴。

南知多にある豊浜魚ひろば。
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いくつかの鮮魚店が入ってる施設です。で安い。半島の反対側にもう一つ有名な市場があるが、地元通によるとそちらはちょっと高く、干物が機械干し。こちらは天日干しで作っているとのことでこちらが推されていました。

ホテル小野浦。いつ、どういうきっかけで弊管理人の行くべきところリストに入ったのか覚えてませんが。
結構年季の入ったホテルではあるものの、部屋!いいやん
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夕飯もヒラメの薄造り、メバルの煮付け、あわび、知多牛、エビフライなど地のものが出てきてどれもおいしかった。何より温かいものが温かい状態で出てくるのがよい。穴子の炊き込みご飯をひつまぶし風に出汁をかけて食べてフィニッシュ。老人もいるので一番安いプランにしましたが、それでも完全に満腹。
朝もおかず過剰+お櫃ごはんで食べ過ぎの危険。
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温泉はヨードの緑色で熱すぎず快適でした。
貸し切り予約制(無料)の外風呂は温泉ではありませんが、解放感すごい。
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普段あまりホテルの感想を述べない父が「わりとよかった」と言っていたのでここはよかったんだと思います。

知多半島で目当ての一つだったINAXライブミュージアム。渡米前、ずっと閉館して直していて行けてなかったところです。
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ちょっと期待しすぎたか。きれいだが「ほほう」くらいでした。
常滑の焼き物散歩道を歩きたかったけど、快晴の連休後半初日だったせいか駐車場に入れず断念。カレーうどん食って帰りました。

母方実家も定点観測。104歳の祖母はデイケアで不在。
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「頑張ってご飯作らなくていいから」と言っていたのですが伯母の料理は相変わらず健在。今回は中華でまとめたとのこと。
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和菓子屋のいとこも来て近況アップデート。
ご当地チェーンのスーパー、ツルヤで買い出しして戻ります。
南アルプスはだいたいいつも通り。
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しかし実家、2003年に亡くなった祖父の名義のままらしい。相続とかの問題がやや迫っており、心の準備は必要そう。親族間でもめるという意味ではなく、手続きが面倒そうという意味。

新宿に帰るバスは途中まですいすいだったが、事故渋滞で1時間遅れた。
父が持たせてくれたが食べきれなかったおにぎりは出勤日の5日に職場で消費。
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6日は連れ立って国立新美術館の「リビング・モダニティ」展を見に行きました。
午前中で、しかも雨天の連休最終日だったせいか、地下鉄も美術館もそこそこ空いていて快適でした。展示も結構よかったです。連れは建築学科卒で、展示されてる図面を細かく見て「すご~」と言ったりしており、ちゃんと勉強した人は見方が違うなと思いました。そして弊管理人も一度ちゃんと勉強したほうがいいなと(何度目か知らないが)思いました。

昼飯はたまたま帰りに通りかかったPARIYA。
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デリのセットで2000円はちょっとなと思ったものの、食べてみると弊管理人の自炊に絶対出現しない味。フルーツのサラダはこの後への期待を高める絶妙のイントロダクション。干豆腐とセロリも意外だが爽やか。豚と納豆って普通合わせないでしょ!(賛辞)、トマトと生姜のスープは珍しく食ってる合間合間に飲みたくなるスープ。味、量とも大変満足しました。

この時間帯から職場とやりとりが始まり、まあ実はこの案件はするっと通らないだろうなと覚悟はしていたのですが、連れと別れて帰宅してPCの電源投入。
現業の担当者には昨日の段階から「たぶん昼過ぎから夜まで連絡いくのでよろしく」と言ってあり、最も作業が混むタイミングで「ちょっとスタンバイしてて」とチャットで投げたのに、それに既読を付けた上で事情も言わずに1時間余り音信不通になりやがった。その間にミスも発覚したがなお連絡つかず。お前なんなん?(怒)
結局弊管理人が「これ現業の役割だろ」みたいなこともやり、職場で出番の兄に迷惑もかけつつ、結局21時半ごろに収束しました。

ジムで発散して、ちょうど涼しい夜だったので湯船に浸かってスヤァ

* * *

◆ミシェル・フーコー(小林康夫他編)『フーコー・コレクション フーコー・ガイドブック』筑摩書房、2006年。

フーコーの入門書は相変わらず出続けているが、今まで出会ったものはどれも「わたしのフーコー」で何かちょっと全体像を見た感じがせず、で、どれから読んだらいいの?(+やっぱ頑張って読んだほうがいいの?)という当惑は解消されないままアラフィフを迎えてしまった。

講義録ならとっつきやすいか?と随分前に出ていて存在は知っていたこのコレクションに目を向け、そしてやや道を間違えてガイドブック巻に辿り着くという。

この本は(1)駒場フランス現代思想系の人たちによる主要著作の解説と(2)1970-1982年にコレージュ・ド・フランスで行った講義のまとめ報告、そして(3)長く連れ添った社会学者が書いた年譜、で構成されています。

(1)解説は解説に徹していて、簡潔で掴みやすい。(2)の活動報告は年を追うごとにフーコーが何に関心を持ち、それがどう移り変わっていったかを本人の言葉で辿れてとても面白かった。予想外だったのが(3)で、一見オマケのようなので飛ばしてしまいそうになったが、生まれてから死ぬまでのエピソードを近くでずっと見てきた人ならではの細かさで駆け抜けており、ものすごく面白い伝記だった。面白かったというのは(1)(2)にも通じるが、権力や管理のように身体に内外からねっとりと絡む不可視の力を掴み出すという狙い、歴史という方法の一貫性を保ちつつ、一方で「臨床医学」「監獄」「戦争」「人口」「告白」「自己陶冶」と移り変わるテーマ(や、「エピステーメー」など特定の用語をある時から使わなくなる様子)を順番に見られて見取り図が得られるところ。そして(3)はフーコーが生きた時代、誰と交流し、どういう社会問題に直面したのかという、「書いたこと」を取り巻く環境まで見えるところが特に新鮮だった。

フーコーが死んだのは弊管理人が小学校に上がった年だったので、実物を見る機会どころか同時代のマスメディアを通じて評判に触れる機会もなく、「わかる」という感じがない。この点、留学先のニュージーランドで講演を聞いたデリダや、大学の授業中に教授が「亡くなったそうで」と言って教室がざわついたルーマンと多少違って「気がついたら仕事をし終えていた人」である。後から「この人なにした人?」を知るには、もう十分勉強した人から「わたしのフーコー」を披瀝されるより、こういう編年体の本がええな、と思ったのだった。「 」とか〈 〉を使いすぎだが。

2025年04月29日

飛び石までのまとめ

若者の30代突入おめでとう(ご愁傷様)を35歳ナースとともに祝う会を催し、久しぶりに北海亭。
ほんと久しぶり。いつ以来だろう。2018年くらいか?
コースはアジフライと鍋が主な目的だったが、飲みほを付けて下記小皿をアテに飲むのが意外と至福。
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それにしても今日の日記はすべてXperiaのカメラだが、iPhoneSE3に比べても全然だめだな。努めてコンデジ持って出掛けよう……

30歳は鹿児島に帰省して戻ってきたばかりで、お土産をくれた。そして一々あれがおいしい、これがおいしいと感想を述べるので企画冥利に尽きます。できるね君。
健啖の35歳は結構酒が進む弊管理人とともにがっつり元を取った。いい会食でした。

一杯飲んでくかね、と寄ったお店で、非番の店員さんが一杯に加わりつつ「今度は中華ね」っつって話した数日後、この店員さんとこれまた久しぶりのOkudo東京でレバーを食べました。
食べながらこの5年の身の上を聞きましたが、お姉さんが亡くなってから人生の短さを痛感し、すごい遊ぶようになったのだそう。少し前、お姉さんのことは知らない状態で「37になったし年齢的に焦ってるのかなあ」と思ったことがあったが、そうだったか。

寒い雨の日に夕飯の支度をしそびれると、だいたい近所のおばんざい屋さんに行きます。
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地元のおじさんとか、若者グループがいてかなり忙しそうだった。昨年12月の開店から間もないけれども、地元に愛されてきてませんか。いいすね。
ここの店主も35歳。なぜか35歳の知り合いが多い。あ、そんでこの人も鹿児島出身。

* * *

過日、行ってみたかった幡ヶ谷のイタリアンまで30分以上歩いていったら「予約ない方はちょっと」と断られ、さらに歩いて歩いて代々木上原の適当に入ったパスタ屋で最高にいけてないカルボナーラを食べた大失敗がありました。

本日はあてもなく中野新橋を歩いていたら「コルニーチェ」なるお店に目がいきました。
プッタネスカ1000円、結構おいしかったです。だめボナーラの屈辱を雪いだ気分になりました。
で、たぶん自分でもある程度再現できそうだとも思った。アメリカであれだけ作ったのにこの3カ月はぱったり食べなくなっていたパスタ、また作るかあという気がわいてきました。

天気よし。中野は高層ビルを背景に低層住宅という独特の景色があって楽しい。
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スギの花粉が終わってヒノキが絶賛飛んでるらしいが、そんなに鼻や目がつらいという感じがない。

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台所のIH、鍋の載っているところしか熱くならないので、周りにちょっと茶碗を置いたり、お盆を脇に立てかけたりできてよい。鍋が振れないのだけ不便だが、IHもありだなと思っています。

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この2カ月ほど、予算を気にせず食べたり飲んだり人に会ったりしていましたが、気分的に一服しました。5月6月はちょっと予定が立てにくい時期のようだというのもある。これからの方向性を考えましょう。

管理人

40代、未婚、子なし、男、文系学士、30万都市出身。新卒で入った会社でずっと働いています。中学の教育方針のせいで日記を書く癖が抜けなくなりました。

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