2019年01月14日

連休補遺

厳寒期という言葉が似合う、この数日。
寒いの好きですが、体は壊れるという。

* * *

前々からマークしつつ行ってなかった、代々木の「曽さんの店」。
上司から「餃子まじうまい。餃子以外はどうでもいい」と聞いていたのに、台湾ラーメンと餃子のセットを頼んでみました。
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上司正解。皮もっちもち。ご飯とのセットもあるけど、これはご飯と食べるのは違う気がする。ビールセットがありますね。大人はそれでいいかもしれない。弊管理人としては何だろう。もう一品おかずを付けてやっぱりご飯か……

* * *

■黒田亘編『ウィトゲンシュタイン・セレクション』平凡社、2000年。

いちがつにしゅう

【水】数日なぜか朝早く目が覚め、しかも喉が痛くて、火曜深夜(というか水曜未明)の仕事を終えて車で家まで送ってもらう途中には初めて寝落ち。「疲れてるのかな」と思っていたら水曜仕事中に体調がだんだん悪くなってきました。

会社のビルに入っているクリニックで検温、37.5度。インフル検査を受けると陰性。抗生物質と解熱剤などもらって帰りました。
薬を飲んで寝ていると体温どんどん上昇、かなり頑張って着込み、タクシーでターミナル駅まで行き、駅ビルに入っている夜中までやっているクリニックで体温を測ると39.5度。でもインフルまた陰性。薬は特に出ず帰ってきました。

翌朝までに緩やかに解熱、この様子について弊管理人を直接診てない友達の医者は「インフルじゃないの。検査の感度は高くないし」とのこと。検査で2回陰性だけどねえ。確かに熱がどばーっと出てすーっと引くのはインフルっぽい(頭がぼーっとしていて解熱剤があるのに気付かず飲んでなかったが、結局1日で熱は引いた)。でも薬飲んでから喉の痛みも徐々に引いたので、扁桃炎になってたところにインフルが加わったってことはありそう。

普段ぱたっと寝られる日々だったのですが、週内はなぜか寝てもずっと半分起きているような感じで休まりませんでした。日曜にようやく寝られた。

【金】病み上がりつつ、若者の接待で歌舞伎町「米新」でしっぽりとすき焼き。特上でも2250円。
写真とる欲が一時的に減退しておりますが、十分おいしくておすすめです。
でもそのあとお腹が負けた。

【土】友人と毎年の高尾山参り、今年は周囲に厄の人たち(つまり1学年下の男の子たち)が多いので、ちょっと声をかけたら総勢8人で行くことになりました。

護摩ライブを見て、団子食って、今年は初めて高尾山口駅横の温泉に入りました。スーパー銭湯としてはこぢんまりした施設です。でもなかなかどうして気持ちよい。20日間続いた晴天のあと、いきなり雪の予報が出た日だったせいか、山も温泉も空いていて動きやすかったです。

夕方にまた熱が上がってきそうだったので残っていた解熱剤で蓋をして就寝。

【日】久しぶりに運動。そのあと初台のInterCommunicationCenterにイン・ア・ゲームスケープ展を見に行ってきました。中の人の友人に招待券をいただいてしまい恐縮。テレビゲームの中の世界を、コチラの世界と微妙な影響を与え合い、コチラの世界観を少し変化させる自律した「世界」と見るとどうでしょうかね、という問いかけだったと思います。初台まで家から全然歩けることが判明。

前の日に高尾山に行った友人の一人と合流して、復活した笹塚「ロビン」で夕食。17:30過ぎに入ったのに、まもなく待ちの列ができていました。相変わらず人気のようで。

ようやく体力が回復してきたので、外で一杯飲んで寝ました。

* * *

・4年以上使っているiPad miniのホームボタンが陥没して戻ってこなくなって焦りましたが、Assistive Touchという、画面上に仮想のホームボタンを表示させる機能を使うことで解決しました。修理すると「万円」の桁に届くらしい。納得いかなすぎ
・メモ代わりにスリープボタン+ホームボタン同時押しでスクリーンショットをよく撮っていたのはどうしようと思ったら、Assistive Touchの2回タップに機能を割り当てられることが分かり、これも解決。すごい

2019年01月03日

帰省

最近は毎年、家族で伊豆に行ってから郷里に戻っていましたが、今回は久しぶりに田舎の年末年始。ふらっとケーキを食べに出たついでに、父の提案で陣馬形山に行きました。一番上まで車で行くことができ、キャンプ場もあるとても見晴らしのいい山です。
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いやきれい。川の両側が切り立った「田切地形」もよくわかります。
写真の山脈は中央アルプス。撮影者の背後に南アルプスがあります。つまり東から西を見ています。羽田から九州に行くときなど、ここからもうちょっと南を通っていくので、進行方向右側の窓側に座るとこのあたりがきれいに見えます。

お年取りは例年通り、父(と、ついでに妹)が全く寄りつかなくなった本家にて。
昨年、弊管理人と同じ業界に就職したいとこの子とすっごい久しぶりに行き会いました。というか前回会ったときは幼児だったような気がしますけど。いやそんな前じゃなかったか。あれ?
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安定、伯母の豪華おせち。大晦日の夜に食べます。
んで、元日朝はお雑煮、昼はそば。
実家に戻って、今度は父方の祖母のところに行って、なんとなくミッションコンプリート。

あとは細かいこと。
・仕事をころころ変える妹は今度は出版社の正社員になっていた。しかしすごいね。もう40も近いのにさくっと正社員になれるのか
・それにしてもしじゅうムスッとしていて、父方の祖母の家に行っても車から降りもせず
・さらに父からもらった誕生日のプレゼントを「荷物になるからいらない」と却けよった(弊管理人がもらってきた)。ほんとだめだな君は、と思ったけどもう言わない、というかほとんど話さなかった

・母方の伯母も76で、だいぶ歳とった印象。これだけお料理できるのでまだまだ大丈夫だと思うけど、「外で灯油をストーブのタンクに入れながら別のことをしていたら溢れて、買い置いていた80リットルほぼ全部流してしまった」などの危ない失敗談を聞くと若干心配
・父はなにやら高齢者施設?の送迎など手伝っているらしい。まあやることがあるのはよいこと。地元は知り合いが多いおかげで遊ぶ人も多いよう。家の中もきれいでこちらもまだまだ大丈夫であろう
・父は「もう働く気が起きない」と。ほおそういう境地になるのか。あと、40年にわたって一つの職場に勤めた人が、定年後は2年くらいごとに仕事を(かわらなくていいのに)かわってるのを見ると、「辞め癖」ってのがつくものかもしれないと思った
・レビー小体型認知症と診断されて長い母方の叔父は胃瘻造設したとのこと。たぶん10年とか会ってない
・いずれにせよ、弊管理人としては深くコミットする気概はないために、認識しつつも認識するまでで止めていることどもでした

2018年12月30日

年末まとめ

1月 長岡出張そこそこ面白く、山谷・吉原街歩きとても面白く
2月 大阪出張楽しく(食うのが)、内之浦出張もなかなか味わい深く
3月 日高旅行。つい北海道に行っちゃうのはよくないな
4月 京都お花見楽しかった。フィンランド出張、年内に成果出ず痛恨
5月 出張ついでに出雲大社。ていうかよく出張してるね振り返ると
6月 おじさん職位研修。ほとんど記憶喪失
7月 また北海道(道東)行った。どこか行きたかったんだよね、わかる
8月 ウズベクしみじみよかった。海もなんだかんだで遊んだ感
9月 右上の歯の問題で混迷。最終的には久しぶりに噛めるようになった
10月 意外と休めなかった秋。大阪出張は羽伸ばせたが成果はやっつけ……
11月 お友達に会いに大阪と静岡。一方で平素の人間関係の一部に倦み始めた
12月 なんかあっちゅう間に年末きた。福島出張。方向感喪失

・こうやって見ると意外と出かけたな。でも行ったことのあるところが多く反省
・うまいもの欲がほぼ消えた。出かける先が同じ問題と合わせ、やや好ましくない
・12月に階段で足を軽くひねった他はわりと健康な本厄だった
・でもなんか心臓やばい感じの時ない?とりあえず様子見
・ちゃらけたことを言ったらマジレスされて損した気分になることが多かった
・週末に人と遊ぶこと多し
・午前7時と午後4時始まりのシフトがごちゃまぜで来る生活だったけど、体のリズムをそこまで乱さないやり方は見いだしつつある。座りっぱなしにならない工夫は必要
・とかやってるうちにびゅんびゅん時間が過ぎたので、来年は少し楽しいことを見つけたい(と最近毎年思ってるような)

* * *

本は昨日今日読んだこれで今年はたぶんおしまい。年明けにちょっと書き足すかも。

■前川啓治他『ワードマップ 21世紀の文化人類学』新曜社、2018年。

■多田将『ミリタリーテクノロジーの物理学〈核兵器〉』イースト・プレス、2015年。

2018年12月26日

つごもり反省

LDLコレステロール高値で、酒を控めにしつつ食べ物も若干いつもより気を遣う生活をしていたのですけど、12/24のやっとまともに寒い夜、「ニンニク入りのラーメン食べたい」と思い立って今月のラーメンを挙行しました。品川の「元祖ニュータンタンメン本舗」。
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上司と先輩のお勧め。すっごいジャンキー&これはもうタンタン麺ではない。

* * *

録音していたラジオをプレイヤーでぼーっと聴きながら地下鉄駅の階段を降りていたら、最後の段を踏み損なって(つまり、その前の段で降りきったつもりになってしまった)左足をぐりっと外側に捻りました。
痛って!痛って!!
と思いながらとりあえず地下鉄に乗って帰りました。そんなに大事ではないような感じですが、2晩しても痛いです。
ほんと怪我って突然なので気をつけようがないので怖い。
一方で、左足を完璧に捻っているのに転倒はせず、咄嗟に左足の膝をつきつつ右足を踏ん張って堪えたのが我ながらすごいと思いました。これ運動音痴や高齢の人だと、体ごとごろんと左に転がっちゃっていたところだろうと。加齢と瞬発力の拮抗。これからこのバランスが崩れていくのか。嫌だなー

* * *

おじさん稼業は相変わらず手探りです。

今般は時間制限がわりと厳しい中で、若者がいったん据えた見立てを完無視して材料から組み立てたが、格好がつかないまま終わった。

反省(1)若者の見立てを早々に棄却して別方向に走ったが、もともとの見立ての方向で走る余地がないか、もう少し若者に聞くべきだった。「その見立てをもう少し精緻化・具体化する材料はないか」をまず追求すべきだった。

反省(2)若者が集めてきた材料のインプリケーションがうまくつかめていなかった。「この材料は結局、何を言うために集めたのか?」を最初に問うべきだった

つまり「この道は悪路だ」という判断をあまり性急にしないこと、というのが今回の教訓。原案を作った人の中には一応一貫した何らかのコンセプトがあるはずだからね。

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持ってるクレジットカードのうち1枚に不正使用があったということでカード会社から連絡があり、番号を変えた上で再発行となりました。不正使用は11月半ばに起きていて、海外のアマゾンのマーケットプレイスで、5000円ほどの買い物をしたよう。

カード会社に聞くと、情報流出ではなく、カード番号+有効期限の総当たりがたまたま当たってしまったケースのようだとのこと。ショップによっては名義を求めないようなところもあるそう。いや確かにメインで使っているカードではなく、もっぱらある1店舗の決済に使っていただけのもので「なんでこのカードが?」と思ったんですよね。若干気持ち悪かった話。

2018年12月21日

ハーフなど

■下地ローレンス吉孝『「混血」と「日本人」―ハーフ・ダブル・ミックスの社会史』青土社、2018年。

「日本人/外国人」の強力な二分法のはざまに置かれ、あるいはその時々どちらかに恣意的にカテゴライズされてきた存在。一方で、共通性に基づいた単一のエスニック・グループとしてまとめがたい多様さを有している「語りにくい」人々。その語られ方、経験され方をまとめています。校正も文章も甘いのが若干気になりますが、一定の見通しを与える重要な本。

【1945-1960s】
・戦中までの「混合民族」イデオロギー、「内地人/外地人」区別の再構成を迫られる
・旧植民地出身者問題:戸籍編成に際して、夫が内地籍→子どもは内地籍、夫が外地籍→子どもは外地籍。「日本人/外国人」境界の明確化
・混血児問題:多くは米兵と日本の女性の間の子。政府は「特別扱いしない」「騒ぎ立てない」方針の下、差別を放置。また調査における混血児の範囲を極端に限定。国際養子縁組による外部化・外国人化のドライブ
・支援:五三会、レミの会など

【1970-1980s】
・1970、アイドルグループ「ゴールデン・ハーフ」以降「ハーフ」言説の興隆
・アメリカ文化の積極的受容、ハーフタレントの称揚、商品化、ジェンダー化。同時に、消費に馴染まない「差別・貧困問題」の不可視化
・国際化と日本人論の流行→単一民族・日本人イメージの強化→ハーフの外国人化(cf.「日本人以上に日本人らしい」…)。国際結婚相手のルーツ多様化。
・朝鮮系が見えなくなる
・支援団体の活動低迷

【1990-2000s前半】
・多文化共生における日本人/外国人境界の強化
・「国際児」「ダブル」運動(ただし限定的。成人を問題の外に置いてしまう効果も)
・バブル崩壊後の雇用条件悪化と労働不足→1990入管法改定→南米から「日本人の血」をもつ日系移住増加
・外国人、子どもの支援活動活発化

【2000s後半~】
・1970以降出生の子どもら成人→自らハーフを名乗るアイデンティティ・ポリティクス
・ハーフの商品化拡大、犯罪に結びつけた負のイメージも
・ハーフ、クォーターの多様化
・SNS等を通じた当事者のメディア・アクティビズム(消費の客体から発信主体へ)、居場所機能も
・海外情勢に応じたハーフ+外国人監視の強化

【経験談の分析】からキーワードをいくつか
・詮索される体験「なにじん?」
・単一人種観multi-raciality:1人が所属するエスニックグループは1つ
・外見上見分けのつかない中国・朝鮮系→カムアウトに伴うリスク
・就職差別
・ジェンダー×ハーフ。外見ハラスメント(美醜、犯罪との結びつき)
・ネイションとの結びつき「竹島どう思う?」「フィリピンって拳銃とか普通に使ってるんでしょ」
・マイクロ・アグレッション。日常的なハラスメント

■国分功一郎『スピノザ「エチカ」』NHK出版、2018年。

『エチカ』読んでからだいぶ時間がたってしまいました。
この本てタイトルになるほどethicsなの?という疑問がちょっと解けそう。
録画してある番組はこれから見ます。

■佐藤正人『日本における再生医療の真実』幻冬舎、2018年。

いただきました。ありがとうございます。

* * *

仕事といえば仕事、くらいの案件で福島浜通りに行ってきました。
いわき湯本での前泊はもっと余裕のある時間に到着するつもりが、その前の仕事がばたついて結局20時過ぎ着。で、フリースの帽子をなくし、頭寒い頭寒いと泣きながら(うそ)「海幸」に寄せていただきました。
煮魚定食にしようと思ったのですが、念のため焼き魚が何かも聞くと「カナガシラです。知りません?ホウボウっぽい……面白い顔の」と言われ、顔見たさに焼き魚定食(1180円)を頼んでしまいました。
これ。
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面白いかどうかはともかく、ほくほくでとてもおいしい白身でした。3尾もあってすごい分量に見えますが、身がそれほど多くないのでちょうど満足したくらい。冬の魚らしい。
横の人が刺身定食を頼んでいて、かなり豪華でした。弊管理人は食べないけど、たぶん美味。

お宿は湯本温泉の「ホテル美里」。オーセンティック温泉街のクラシカルなホテル。カードが使えないところまでクラシカル。まじかと。

2018年12月08日

ポゴレリチ、久しぶりに

2010年の連休にえらいこっちゃな演奏を聴いてからもう8年余り経過したという、このね、なんというか。ポゴレリチです。その後、長い心の患いから回復したらしい。正直、チケットを買ったときは「あれをもう1回聴く必要があるのかな」とちらっと思った。でも点が二つあれば方向は分かる。何が患いのせいで、何が個性をなすものかも判別できるだろう、そんなつもりで。
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8年前と同じサントリーホールでした。前回は春、今回は冬。演奏者背後の2階席から見ると、空席が目立ちました。開場後に練習する人だったんだっけ。ちっちゃい音でリストをさらっていました。

曲目はモーツァルトのアダージョK.540、リストのソナタ。ここで休憩が入って、シューマンの交響的練習曲(遺作変奏付き)。アンコールはなし。

リストのソナタは弊管理人の好きな曲で、黒い海に沈潜していくような音階や論争めいた高速のパッセージ、中年のロマンスみたいなw旋律と次々と面相を変えながら前半生を総括する重厚さを楽しんでいます。(すごいまとめ感なんだけど、リストは作曲時にまだ40歳前後なんですよね)

ポゴレリチの演奏は、伴奏とメロディに分かれた2本の線が進んでいく一般的なやり方ではなくて、もやもやしたガスの中に凝結核を投げ込みながら主題を出現させるような独特のものでした。音の強弱よりも、ペダリングと、ハンマーが弦を叩く音を出すかどうかで色の違いを出していたように感じます。

(もちろん「キーを押してぎりぎり音が出るか出ないか」というレベルの弱音から体重を乗せた爆音まで、ピアノというメカの可能性を余さず使って見せる凄みもあるのですけど)

このやり方は、ピアノを起点に音楽を射出するのではなく、環境中に音が満ちている感覚、演奏者が頭の中で歌う音楽の中を浮遊している感覚を与えるものでした。また、脇に置いたメトロノームや速度記号のように外部から強いられた「1,2,3,4……と刻む客観的な時間」に支配されずに、時間の経過を忘却して「見ていたい風景の見ていたい部分を見ていたいだけ見る」曲の味わい方が、あの解体的に聞こえてしまう解釈の正体だったのではないかと思います。

そう考えながら聴くと、重度に解体していた8年前に比べて、今回はずいぶん統一感を回復したなあという印象を持ってしまいます。音、音、音、という要素たちの凝視から一歩引いた(「フツーに戻った」)パターン認識のレベルへ。そういっていいなら、「音の束として聞かせたほうがいいものは、そのように聞かせる」という割り切り。ポゴレリチの世界に聴衆が浸るというスタイルは変わらないけれども、ポゴレリチの知覚の中には前より多くのもの(多分聴衆も)が映っているように思いました。

19時に始まって、終わると21時半でした。
「浸るスタイル」と書いておいてそれと反するようですが、「なんだこれ」とずっと考えさせられていて、なんかとても疲れました。

* * *

昼飯は西新宿のFISHで限定の牡蠣カレーとキーマをあいがけで。
今季そういえば牡蠣を食べていなかったところ、思いがけず賞味できてすごい満足だった。

演奏会後はおつきあいのお酒などあり、土曜はやけにいろんな人と会う日になってしまいました。

* * *

ここ3,4年、大学の試験期間前くらいになると弊日記へどっかの大学からのアクセスが増えるんですが、今年も迷い込んでこられたようです。有斐閣アルマ、教科書として人気なんですかね。あと、今年は初めて、オックスフォード大学のドメインから文化人類学の英語教科書のメモに飛んでこられた方がいました。わからんでしょうに。

忘れっぽい弊管理人は安心して忘れ・そして後から見て思い出しやすいように、箇条書きでも比較的文章っぽく書いているのでまだましかもしれないけど、他人のレジメって基本読む気がしないし、レジメを作るプロセスそのものが勉強になるんじゃないのかな。

高校のころ、友人と二人で「小室総研」という非公然組織を作って(小室哲哉全盛期だったためだが命名は弊管理人ではない)英語のリーダーの全訳を作ったり、解説をすっとばしがちだった数研出版の問題集の詳しい解法を載っけた解説書を作ったりして配布していました。1学年400人のうちそれなりの数の手に渡り、しかし結局それを使った誰よりも点取ってたのは弊管理人でした。当然ですわな。

大学ではもっとシステマティックに、クラスで試験対策のプリントを手分けして用意し共有していたようですが、もらっても質はいろいろでね……

どうでもいいけど、そんなことを思い出しました。

2018年12月03日

北から南から

12月朔日の土曜は、腹に据えかねることがあった友人に朝から呼び出されて落合某所のドトールで2時間半の大相談会、その足で午後は埼玉やや奥地の仕事へ。

昼飯食べ損ねたので、17時過ぎに富士見市・鶴瀬駅近くの「とかち村・白樺」で豚丼。
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ごく普通ですが、普通にうまかったとも言える。

別に誰に求められた仕事でもないのですが、たまに現業っぽいことをやってないと精神的な根腐れみたいになるかなあと思って。そして結構面白かったです。

帰ってきてジムに行って帰宅後に浴槽に浸かってちょっとお酒。
運動して初めてその日の体調が分かるのですが、この日はほとんど絶好調といっていい体調だったことが分かりました。ただただ面倒くさかった正月用の仕事を週半ばに一つぶん投げたのも一因かな。

* * *

日曜の昼は渋谷に「核兵器の物理学」というトークショーを聞きに行ってきました。
これもまあ仕事といえば仕事。自腹だけど。

夜は結局、寝酒のためにちょっとだけ出掛けました。
沖縄の多良間村というところから研修で東京に来ている人と隣席になって、ウォッカを飲んでいたグラスに泡盛をついでいただきながら(笑)話していたのですが、本島(糸満)出身のマスターでも分からない多良間の言葉というのがあるそうで、とても興味深かったです。

「イ゜」という発音があるそう(村サイト動画)。「L」みたいに舌を上の歯の裏に付けているように見える。でもなんか違うらしい。「R」と言われたけどよくわかりませんでした。
しかもこの「イ゜」が「飯」という重要語なので、できないと基本的な会話が成立しない。

多良間島は宮古島と石垣島の間にあって、むしろ石垣のほうに近いのですが、ご本人は「宮古島の奥の方から来ました」と言ったところをみると宮古のほうにくっついているらしい。宮古島から飛行機で20分!「船で行ってもいいですねえ」というと「船~?すごい揺れるよ」と言われました。飛行機が足なのね。へー。旧暦の8月にお祭りがあるらしいので、来年行ってみようかな。宮古島もずっと行きたいところの一つなんですよね。

ヤギ、小学生のころに父親から言われて潰したそうです。頸動脈を切ったと。素早く血を出さないと臭くなってしまうから。
「あの感覚は忘れないね~、R指定にしたほうがいいと思うよ!ヤギはくせぇから嫌い、山羊汁は食べないし、外出ないから色白だし(※そこまで白くない)で島では非国民、非島民だよ!ガハハ!」

2018年11月25日

連休なかび

文京区にある印刷博物館の「天文学と印刷」展を見に行ってきました。(ほんとどうでもいいけど樺山紘一さんが館長なんですね)
活版印刷がマインツから始まったのが1454年、そのあとコペルニクスの『天球の回転について』がニュルンベルクで出版され、(画家としてしか知らなかったが)デューラーが初の天球図を印刷。その後は研究において出版は前提になり、神に由来する宇宙の調和を信じたケプラー、ティコ・ブラーエ、ガリレオ、天と地の法則を統一したニュートン。あとは渋川春海と日本の暦……
まあつまりは近代天文学史なんですが、レギオモンタヌス、アピアヌスなど15~16世紀の天文学者は「印刷者」も兼ねていたというのは初めて知りました。
常設展も浮世絵からミクロ印刷技術まで、社会的な背景も絡めた解説も結構あって楽しめました。

直接関係ないですが、アリストテレス「天界について」

かくして宇宙は今現在、一つより多くはないし、過去にも多くはなかったし、多くの宇宙が生じることもできない
思弁的宇宙論は一転マルチバースに……

* * *

夕飯、十条にあるクルド料理「メソポタミア」に行ってきました。
3人だったので色々食べられました。なす、いんげん、おくらのプレート。
あとは単品でジャガイモのスープと、羊のピザ、肉団子のアメリカンドッグみたいなやつ。これは「ブルグル包み揚げ」と書いてあったので「ブルグルって何ですか」と聞いたが、おかーさんは答えられなかった(知らないはずはなく、日本語表現力の問題)。ウィキによると、小麦を挽いて湯通しして乾かしたものだそうです。
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ウズベキスタンで食べたごはんと結構似てます。サラダが必ずつくのと、野菜のスープが特に。
あと面白かったのはデザートのオスマンコーヒー。カルダモン、カカオ、シナモンなどのスパイスが入ってました。同行友人は「土っぽい」と(笑)。それとレワニというゴマとクルミのケーキ。これはサバランみたいにしっとりしたもの。でも含んでいるのは洋酒ではない。
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ごちそうさまでした。

* * *

そのあと新宿で日頃お世話になっている人たちのパーティに行きました。
お客さんも一緒になってつくるイベントですが、多士済々。3時半就寝。

2018年11月23日

ページェント

■タカシ・フジタニ(米山リサ訳)『天皇のページェント』NHK出版、1994年。

これから代替わり系の文章をいろいろ読むにあたっての準備運動の一つとして読んでみました。
アンダーソン!フーコー!ボードリヤール!使って!ますよ!みたいな懐かしさを感じます。
以下メモ。

・江戸時代には一般にほとんど知られていなかった天皇の存在が、明治時代には時間、空間、文化の中心になった。歴史家からみれば極めて近代的な現象が、国家主義者には古代的に見えるのはどうしてか

・徳川時代の統治は身分制という縦の分断と、「藩」という連邦制的な横の分断という「違い」に基礎があった。明治維新に際しても一般的には国家や天皇というものに対して強い意識があったわけではない。天皇を民間信仰におけるカミと混同する向きもあった
・明治政府の指導者は、徳川政府のときのような「従属する愚民」ではなく、「知識を持ち、規律化された国民共同体」が必要と判断した。まとまりのなかった国民を近代ナショナリズムに方向付ける手段が欲しかった
(手段1)文明開化=文化政策。つまり「民衆は教育できるものだ」という信念が為政者にあった。民俗宗教や放逸な祭礼への攻撃、賭博などの禁止。一方で、等質的、包括的な「公式文化(フォークロア)」の発明
(手段2)儀礼の重視。神祇官の設置+儀式の奨励。祝祭日(eg.紀元節!)の設定など
・しかしやはり、中心となるのは「天皇のページェント」だった。天皇が民衆に見られ、天皇が民衆を見る壮麗な「巡幸」。北海道から九州最南端まで。日の丸や菊の紋章の意味もコンセンサスを得ていなかったが、そうした表象を広めるきっかけになった。また、壮麗な巡幸を見せることで、天皇が領土を象徴的に掌握していった同時に、天皇から眼差される従順な主体を創出した

・その後、儀礼が整備された1880年代後半になると巡幸は止み、東京、京都がページェントの中心的舞台になる。東京は文明と進歩を表す場所として、また京都は1000年の歴史をもつ正統性の根拠として
・東京は維新の混乱以来、荒廃したままだった。そこで老朽化していた皇居の整備をする。公の目に触れるところは和洋折衷様式、私的な間は和風にした。また莫大な群衆を集めることのできる「宮城前広場」(と、溢れた群衆が収容できる日比谷公園)を造った。「神聖な場所」を備えた首都の重視(ついでに日比谷・霞ヶ関への官庁の集約と、丸の内・大手町の商業地区化という現在に繋がる都市計画)。
・絵はがきや記念切手、小説にも刻まれ、東京は象徴的求心性を備えた。天皇の露出=政治への関与を示す街に
・一方、「伝統」の場としての京都。天皇の死去や即位式など、過去を参照することで国家の連続性を確認する必要に迫られた場合に利用された。天皇の葬送ではみんな宮廷装束をまとっていた。7世紀以来の仏教式を無視し、新たに作った神道方式での葬儀(孝明天皇から)。スケール、公開度は完全に近代的でありながら、内容は古代的であった
・また、もとは豊穣・繁栄祈願で民間に信仰されていた伊勢神宮を皇室の宗祖アマテラスを祭り、歴史時代以前との連続性を象徴する神社として再編成した
・地方に出掛けなくなった代わりに、「御真影」の配布などによる象徴・儀礼の拡散が行われた

・明治後半、儀式は西欧列強から借り・西欧列強と競う国際的な様式を備えるようになる。西欧近代は儀式を不要とするのではなく、むしろ統治に不可欠の要素としていると考えた
・儀式は国内向けの意味だけではなく、国際的な視線をも意識するようになる。文明の象徴・東京で顕現する軍服と髭で男性化された天皇の姿(一方、伝統の京都が担保する皇孫と一体化した不可視の天皇)。青山練兵場での閲兵や、天皇のパレード。憲法発布、戦勝記念式、婚礼や葬祭
・「記憶」の創出。戦争賛頌の中心としての東京。大村益次郎などの銅像建立、つまり政治権力の自己表象として偉人が姿を現した。大鳥居のモニュメンタリズム。軍服を着た天皇の戦勝ページェント。一方で朝敵・平将門を祭る神田明神の格下げ
・また、銀婚式などを通じて天皇とペアをなす、従属しつつ支える「良妻賢母」の公的な象徴としての皇后が創出された。民衆の常だった「妻以外の女性との開けっぴろげな交際」や「頻繁な結婚と離婚」の否定でもある
・学校や兵舎などを典型として、個々人の身体が可視化され、天皇の身体は見えなくなっていく。これによって、天皇は無限の視線を獲得する

・そしてテレビ時代の天皇。祭祀の場にいる人(天皇自身を含む)にはほんの一部しか見えないが、NHKが(政教分離の原則から私的儀礼とされた部分まで含め)すべてを映し出し解説し、列島の表情まで見せ、全体の把握をさせてくれるメディア・ページェント
・ただしテレビは列島の表情の中で、反対する人の意見も周辺化しつつ網羅し、また昭和天皇の時代の暗い出来事をさっくりと省略。支配的物語の拡散と、暗い記憶の忘却と現在からの切断を促した。忘却の作用
・また物語は複製され、アウラを失い、陳腐化された。古めかしく見えるだけの非歴史的な記号の山。神秘性をもった大嘗祭の中継は、皇威を損なう効果を顕わにした。陳腐化の作用

管理人

40代に入ってしまいました。未婚、子なし、男、文系学士、30万都市出身。何かありましたらツイッターの@kagakuno_koにご連絡下さい。

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