2025年05月26日

本郷

東京建築祭2025。本郷にある元旅館、鳳明館が開放されていたので見てきました。以下は館内展示や口頭での説明によります。

・本郷には明治10年代(1870年代後半)ごろから、東大など高等教育機関の設置に伴って下宿街が形成された。賄い付きの下宿が旅館を兼ねることあった
・昭和初期にかけては日清戦争や東京大正博覧会の景気もあって東京最大の下宿街に成長した。明治25年(1892年)時点で約500軒
・発展の原動力は地縁・血縁による共助だった。鳳明館を含め、創業者の半数以上が岐阜県出身者。西美濃の輪中地帯で水害対策のため相互扶助が不可欠だったとかなんとか
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・本郷が旅館街になったのは昭和初期(1920年代後半)以降。最盛期は昭和3年(1928年)で約120軒
・戦後は戦没者遺族の集団靖国神社参り、農協の陳情、修学旅行などで需要があった
・昭和20~30年代の修学旅行の宿泊代は300~350円+米5合、または全額を米で支払い、ロビーや廊下には米袋が積まれていたそう。最盛期は本館234畳に300人が泊まった。「お座敷さん」は1人で8膳を重ねて運んでいた
・コロナ禍前はインバウンド需要もあった
・現在残る建物は鳳明館3館を含め4館。東京全体でも伝統的旅館は10館に満たない
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・鳳明館は下宿「鳳鳴館」として明治31年(1898年)開業、その後に下宿・旅館の鳳明館になって、昭和25年(1950年)から旅館専業。1950年代には台町別館(住宅を旅館に転用)、森川別館(本多家の江戸屋敷だった場所)もできた
・大正12年(1923年)の関東大震災では東大が図書館や法学部の講義室が全焼する中、鳳明館は被害なし。昭和20年(1945年)の東京大空襲では徒歩5分の菊富士ホテルや周辺のお寺などが焼失したが、やはり被災しなかった
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・コロナ禍で旧持ち主が従業員を解雇しマンションにする、という意向を示したが、地元の建設会社が大手ディベロッパーを斥けて落札。今はイベントスペースや日帰り利用の施設として営業しているとのことです
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・ちなみに今この地区では旅館の営業が規制されており(条例かな?聞き忘れた)、規制前から営業していたところだけが続られる状態だった。現所有者は単なる建物の購入ではなく「事業承継」という形をとったそう
・「このあたりにあった旅館はどれもなくなって、今マンションだらけでしょ?旅館は営業しないといけないけど、マンションは不労所得が入ってくるから」。なんかいろいろあったな?という話しぶりでした
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関係ないが、疫学をやってる先生が「文京区ってめんどくさい住民が多いから、調査がやりにくいんですよ」と言っていたのを思い出した。
後楽園の駅から北東に歩いたあたりです。弊管理人は学生時代、本郷に縁がなく、この本郷5丁目という地区も初めて来たはず。確かに東大正門まで徒歩でわりとすぐでした。
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東大は五月祭をやってた。すっごい人。こんなに人くるイベントだっけ?
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でキャンパスを通り抜けて上野公園まで歩いて陶器市を冷やかしました。しばらく前から茶碗にひびが入ってるのが気になっていたので1個買いたかったんだけど、会計の列が長かったのでやめた。買っておけばよかった。
鶯谷の「岳陽」でメシ食って帰りました。がくよう丼800円。やす、うま。
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土日はちょいちょい仕事。
しかし土曜は上記のとおり時間を盗んで遊び、日曜は弊管理人48歳と近所の50歳、51歳と昼飯食って「必殺技ほしいよね」と語りあうなどしたので一応休んだつもりにはなっておきます。
ずっと曇りか雨で涼しかったです。

2025年05月20日

ごがつ中旬記録

・船便の到着に伴い二つになってしまったデスクチェアのうち、古いほうにお別れ。あと、トランクルームに置いてる間に壊れたCDコンポもさようなら。8年近く使っているデスクトップPCのDVDドライブも、気付くとディスクを読まなくなっていた。PCはすぐ捨てるわけではないが、光学ドライブって弱い装置なんだろうか

・週末は一人も知り合いのいないBBQに参加。出力を上げて喋って焼いて疲れたので馴染みのバーで飲んで回復した

・湿度が上がってきた。エアコン除湿運転開始。掛け布団をやめて毛布一枚で就寝。こういう「環境への適応」をしていると、そうそう昔はこうしてた、と「身体によって思い出させられる」経験がまだ続いています

・ついでに睡眠時間短縮中。これは夏のならい

・このところ年齢を聞かれて言うと驚かれることが続いており、まあ若干エイジズム的なリップサービスくらいだろうと思いつつ気の利いた反応も編み出していない。面倒なので勝手に年齢が上がるのやめてほしい、と無理を言う
・それに加えて、アラフィフが1K暮らしでソファもダイニングテーブルも持っていないというと驚かれることも増えた。若者に「ミニマリストなんですか」と聞かれたがそうなのかもしれない。もう一人なら寝られる寝具と食べ物の備蓄はあるが、それでもミニマリストというならそう。引っ越し10数回という試行錯誤の末にこうなっているので変えるつもりもないけどな。というか、部屋にものが多い人は、家具というよりどっかで買った土産とか使わないもらいものや電化製品などのガラクタが多いだけなのではないか

・会社の一部若手ちゃんたちが日がなPCとにらめっこして、何もアウトプットせず帰っていくのを見て「この人は何しに会社にきてるのだ?」と思い、データベースを叩いてみて「やっぱり3カ月見渡しても大したアウトプットしてない」と得心するというサイクルが一巡した。ということで弊管理人も平日休みの友達とランチして職場に寄って早め退社を励行する。斜陽産業に蔓延する質の悪い労働力(+_+)

* * *

◆佐々木史郎、北原モコットゥナシ『最新アイヌ学がわかる』エイアンドエフ、2024年。

ウポポイのフォローアップ。学際研究だということがよくわかった。札幌在住時からこれまで見たものがかなり整理された。
「アイヌは無文字社会であるという語りがしばしば見られる。しかしそれは近代以前までの姿である。」(p.121)こういうつっこみ大切。
ちなみに校閲が甘くて細かなストレスがある。

2025年05月13日

荷物48

1月30日に荷出しした船便が10日の土曜に届きました。3カ月とちょっと、結構かかったが事前にヤマトから知らされていた期間の範囲内で、かつわりと早いほうでした。既に生活はできており、一体どれだけの服や台所用品をはるばるアメリカから送る必要があったのかについては大いに疑問です。荷物は11個口だったが絞りに絞れば5~6個でいけたな。
大阪時代まで使ってたデスクチェアを捨てて、届いたハーマンミラーのほうを使い続けることにしました。ものすごい違いがあるかというとよくわからないが。

雨もようだったこともあり、荷解きとゴミ出しで午前を消費した。

誕生日だったので近所のケーキ屋でモンブラン買って食いました。
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下部がなぜか一度溶けて固まった感じ。いつ作ったのだろう。まあ味はちゃんとしていた。

干支が4周し、誕生日が10日違いでキリの良い数字のためいつも思い出してメッセージしてくる中学の同級生と「48ってやばくね」って話をしました。確かにこの数字は結構来るものがある。まあ相応に古びているが、帰国してこっちジムが家から至近なため結構運動していて、体力は落ちた感じがしないんですよね。アメリカと比べて東京暮らしは格段に歩くので、脾肉を嘆ずるほどでもなくなった。あとは、残された元気な期間がいくばくもない気がしているのか、カレンダーにイベントを入れ続けていて結構忙しいです。

今週も昼過ぎから宵の口まで仕事となり、しかし先週と違ってストレスなくぽいぽい作業をこなして飲酒に行きました。夕飯軽めだったため、深夜の帰りぎわにファミマで唐揚げを買って食うという無軌道。まあ誕生日だから許して。

伯母、叔母、上記同級生からたんおめメッセージをもらいました。
友人からはスタバのコーヒー2杯分くらいのLINEクーポン、飲み屋ではテキーラのショットをもらいました。

2025年05月07日

連休後半

実家に帰って父・妹と知多半島に1泊で出掛けました。2日は雨でしたが夕方から晴れ、3日は快晴。

南知多にある豊浜魚ひろば。
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いくつかの鮮魚店が入ってる施設です。で安い。半島の反対側にもう一つ有名な市場があるが、地元通によるとそちらはちょっと高く、干物が機械干し。こちらは天日干しで作っているとのことでこちらが推されていました。

ホテル小野浦。いつ、どういうきっかけで弊管理人の行くべきところリストに入ったのか覚えてませんが。
結構年季の入ったホテルではあるものの、部屋!いいやん
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夕飯もヒラメの薄造り、メバルの煮付け、あわび、知多牛、エビフライなど地のものが出てきてどれもおいしかった。何より温かいものが温かい状態で出てくるのがよい。穴子の炊き込みご飯をひつまぶし風に出汁をかけて食べてフィニッシュ。老人もいるので一番安いプランにしましたが、それでも完全に満腹。
朝もおかず過剰+お櫃ごはんで食べ過ぎの危険。
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温泉はヨードの緑色で熱すぎず快適でした。
貸し切り予約制(無料)の外風呂は温泉ではありませんが、解放感すごい。
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普段あまりホテルの感想を述べない父が「わりとよかった」と言っていたのでここはよかったんだと思います。

知多半島で目当ての一つだったINAXライブミュージアム。渡米前、ずっと閉館して直していて行けてなかったところです。
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ちょっと期待しすぎたか。きれいだが「ほほう」くらいでした。
常滑の焼き物散歩道を歩きたかったけど、快晴の連休後半初日だったせいか駐車場に入れず断念。カレーうどん食って帰りました。

母方実家も定点観測。104歳の祖母はデイケアで不在。
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「頑張ってご飯作らなくていいから」と言っていたのですが伯母の料理は相変わらず健在。今回は中華でまとめたとのこと。
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和菓子屋のいとこも来て近況アップデート。
ご当地チェーンのスーパー、ツルヤで買い出しして戻ります。
南アルプスはだいたいいつも通り。
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しかし実家、2003年に亡くなった祖父の名義のままらしい。相続とかの問題がやや迫っており、心の準備は必要そう。親族間でもめるという意味ではなく、手続きが面倒そうという意味。

新宿に帰るバスは途中まですいすいだったが、事故渋滞で1時間遅れた。
父が持たせてくれたが食べきれなかったおにぎりは出勤日の5日に職場で消費。
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6日は連れ立って国立新美術館の「リビング・モダニティ」展を見に行きました。
午前中で、しかも雨天の連休最終日だったせいか、地下鉄も美術館もそこそこ空いていて快適でした。展示も結構よかったです。連れは建築学科卒で、展示されてる図面を細かく見て「すご~」と言ったりしており、ちゃんと勉強した人は見方が違うなと思いました。そして弊管理人も一度ちゃんと勉強したほうがいいなと(何度目か知らないが)思いました。

昼飯はたまたま帰りに通りかかったPARIYA。
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デリのセットで2000円はちょっとなと思ったものの、食べてみると弊管理人の自炊に絶対出現しない味。フルーツのサラダはこの後への期待を高める絶妙のイントロダクション。干豆腐とセロリも意外だが爽やか。豚と納豆って普通合わせないでしょ!(賛辞)、トマトと生姜のスープは珍しく食ってる合間合間に飲みたくなるスープ。味、量とも大変満足しました。

この時間帯から職場とやりとりが始まり、まあ実はこの案件はするっと通らないだろうなと覚悟はしていたのですが、連れと別れて帰宅してPCの電源投入。
現業の担当者には昨日の段階から「たぶん昼過ぎから夜まで連絡いくのでよろしく」と言ってあり、最も作業が混むタイミングで「ちょっとスタンバイしてて」とチャットで投げたのに、それに既読を付けた上で事情も言わずに1時間余り音信不通になりやがった。その間にミスも発覚したがなお連絡つかず。お前なんなん?(怒)
結局弊管理人が「これ現業の役割だろ」みたいなこともやり、職場で出番の兄に迷惑もかけつつ、結局21時半ごろに収束しました。

ジムで発散して、ちょうど涼しい夜だったので湯船に浸かってスヤァ

* * *

◆ミシェル・フーコー(小林康夫他編)『フーコー・コレクション フーコー・ガイドブック』筑摩書房、2006年。

フーコーの入門書は相変わらず出続けているが、今まで出会ったものはどれも「わたしのフーコー」で何かちょっと全体像を見た感じがせず、で、どれから読んだらいいの?(+やっぱ頑張って読んだほうがいいの?)という当惑は解消されないままアラフィフを迎えてしまった。

講義録ならとっつきやすいか?と随分前に出ていて存在は知っていたこのコレクションに目を向け、そしてやや道を間違えてガイドブック巻に辿り着くという。

この本は(1)駒場フランス現代思想系の人たちによる主要著作の解説と(2)1970-1982年にコレージュ・ド・フランスで行った講義のまとめ報告、そして(3)長く連れ添った社会学者が書いた年譜、で構成されています。

(1)解説は解説に徹していて、簡潔で掴みやすい。(2)の活動報告は年を追うごとにフーコーが何に関心を持ち、それがどう移り変わっていったかを本人の言葉で辿れてとても面白かった。予想外だったのが(3)で、一見オマケのようなので飛ばしてしまいそうになったが、生まれてから死ぬまでのエピソードを近くでずっと見てきた人ならではの細かさで駆け抜けており、ものすごく面白い伝記だった。面白かったというのは(1)(2)にも通じるが、権力や管理のように身体に内外からねっとりと絡む不可視の力を掴み出すという狙い、歴史という方法の一貫性を保ちつつ、一方で「臨床医学」「監獄」「戦争」「人口」「告白」「自己陶冶」と移り変わるテーマ(や、「エピステーメー」など特定の用語をある時から使わなくなる様子)を順番に見られて見取り図が得られるところ。そして(3)はフーコーが生きた時代、誰と交流し、どういう社会問題に直面したのかという、「書いたこと」を取り巻く環境まで見えるところが特に新鮮だった。

フーコーが死んだのは弊管理人が小学校に上がった年だったので、実物を見る機会どころか同時代のマスメディアを通じて評判に触れる機会もなく、「わかる」という感じがない。この点、留学先のニュージーランドで講演を聞いたデリダや、大学の授業中に教授が「亡くなったそうで」と言って教室がざわついたルーマンと多少違って「気がついたら仕事をし終えていた人」である。後から「この人なにした人?」を知るには、もう十分勉強した人から「わたしのフーコー」を披瀝されるより、こういう編年体の本がええな、と思ったのだった。「 」とか〈 〉を使いすぎだが。

2025年04月29日

飛び石までのまとめ

若者の30代突入おめでとう(ご愁傷様)を35歳ナースとともに祝う会を催し、久しぶりに北海亭。
ほんと久しぶり。いつ以来だろう。2018年くらいか?
コースはアジフライと鍋が主な目的だったが、飲みほを付けて下記小皿をアテに飲むのが意外と至福。
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それにしても今日の日記はすべてXperiaのカメラだが、iPhoneSE3に比べても全然だめだな。努めてコンデジ持って出掛けよう……

30歳は鹿児島に帰省して戻ってきたばかりで、お土産をくれた。そして一々あれがおいしい、これがおいしいと感想を述べるので企画冥利に尽きます。できるね君。
健啖の35歳は結構酒が進む弊管理人とともにがっつり元を取った。いい会食でした。

一杯飲んでくかね、と寄ったお店で、非番の店員さんが一杯に加わりつつ「今度は中華ね」っつって話した数日後、この店員さんとこれまた久しぶりのOkudo東京でレバーを食べました。
食べながらこの5年の身の上を聞きましたが、お姉さんが亡くなってから人生の短さを痛感し、すごい遊ぶようになったのだそう。少し前、お姉さんのことは知らない状態で「37になったし年齢的に焦ってるのかなあ」と思ったことがあったが、そうだったか。

寒い雨の日に夕飯の支度をしそびれると、だいたい近所のおばんざい屋さんに行きます。
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地元のおじさんとか、若者グループがいてかなり忙しそうだった。昨年12月の開店から間もないけれども、地元に愛されてきてませんか。いいすね。
ここの店主も35歳。なぜか35歳の知り合いが多い。あ、そんでこの人も鹿児島出身。

* * *

過日、行ってみたかった幡ヶ谷のイタリアンまで30分以上歩いていったら「予約ない方はちょっと」と断られ、さらに歩いて歩いて代々木上原の適当に入ったパスタ屋で最高にいけてないカルボナーラを食べた大失敗がありました。

本日はあてもなく中野新橋を歩いていたら「コルニーチェ」なるお店に目がいきました。
プッタネスカ1000円、結構おいしかったです。だめボナーラの屈辱を雪いだ気分になりました。
で、たぶん自分でもある程度再現できそうだとも思った。アメリカであれだけ作ったのにこの3カ月はぱったり食べなくなっていたパスタ、また作るかあという気がわいてきました。

天気よし。中野は高層ビルを背景に低層住宅という独特の景色があって楽しい。
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* * *

スギの花粉が終わってヒノキが絶賛飛んでるらしいが、そんなに鼻や目がつらいという感じがない。

* * *

台所のIH、鍋の載っているところしか熱くならないので、周りにちょっと茶碗を置いたり、お盆を脇に立てかけたりできてよい。鍋が振れないのだけ不便だが、IHもありだなと思っています。

* * *

この2カ月ほど、予算を気にせず食べたり飲んだり人に会ったりしていましたが、気分的に一服しました。5月6月はちょっと予定が立てにくい時期のようだというのもある。これからの方向性を考えましょう。

2025年04月21日

札幌アップデート

基本、待ちの仕事なのですが、なんか仕事来なさそうだなと思ったので木曜にマイルでチケットをとって、金曜から日曜まで札幌にいってきました。国内線の乗り方もちょっと変わっていて時の流れを感じた。

特に目的のない外出です。狸小路のホテルは羽田空港で出発直前に取った。2泊で13000円。インバウンドの影響が大きいところと、そうでもないところがあるのかな。

札幌駅から大通は風景が結構変わっていました。壊して作って、という無駄をまだやってる街。
夕飯はQuenelle(クネル)というフレンチのお店を予約してみました。
電話では「あまりお構いできませんけど」「料理が出るのに3時間くらいかかりますけど」と後ろ向きなワーディング。あと、誰に聞いてここに辿り着いたのか複数回聞かれました。「先日亡くなった知人に……」と回答。断りたかったのか、クレーマー対策か。
でも実際に行ってみると丁寧な対応で、何よりお料理は普通に出てきて激うまでした。

ホタテのソテーとリゾット、セップ茸のソース。まずいわけない。パンでソース全部ぬぐって食べました。ソテーも味・焼きとも絶妙でした。
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エイとキャベツのシェリービネガーソース。周囲の迷惑になるので口に出さず心の中で叫んだ。長生きはするもんです。
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デザートをいただく気はなかったしお腹もいい具合だったのですが、「これは頼んでおけ」と啓示があったのでミルフィーユ。heavenly...
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初日夕飯にしてもうお釣りがきたような外出。亡知人の選球眼すごい。そして失われてしまったことが惜しまれてならない。

すすきのでちょっと飲んで退散。冷たい雨でした。

土曜。食べる、出す、カロリーを消費する、の循環型で持続可能な買い食い旅をモットーとするため弊管理人が入っているチェーンのジムで運動してから、欧風カレーKEN。
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巨大だが中までちゃんと火が入ってるハンバーグが載った甘めのカレー。好みでした。肉汁どばー。

なおこの前後に弊管理人の見てる分野で急な仕事をすることになった某同僚が「聞いてない」とのたまったと会社から知らせがありましたが、前の日にメール送ってあるし、予定は何日も前から公表されてただろ、みたいなメールを書きかけましたが余計な罵詈雑言まで書きそうなのと、メシがまずくなるのでやめた。

札幌ファクトリーで夏用の服を買って宿にいったん戻り、夕暮れ前からやっている「とも恵寿司」へ。前日、旧知のバーで教えてもらったところです。
観光ではまず行かない「南郷13丁目」という駅から10分くらい歩いた、住宅街にぽつんとある寿司屋さんです。
特上1500円くらい。やす……うま……
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カウンターで日本酒飲んでたら並びのおじさんたちに話しかけられました。開発の仕事で東京と北海道を往復しながら、2008年のG8サミットにも関わったというので政府か開発局の人かな?このお店はマスコミに出ないから口づてかたまたま誰かのSNSで見た人しか辿り着けないのだそうです。
ちょうど季節だということで、アイヌネギの巻物。くっさいけど頼んでよかった。
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おじさんたちと楽しく話し、すすきのの飲み屋なども教えてもらいつつ辞しました。

中心部に戻ってバーへ。旧知の人たちの近況アップデートで驚いたり喜んだり。
30歳前後の3年間通い詰めたところですが、お客さんたちはもうほとんど知らない人たちになっていました。でも知ってる人たちは元気そうでよかったよかった。

日曜は朝、これも久しぶりの年下友人とモーニングしてから電車で白老へ。
2020年にオープンした「ウポポイ(民族共生象徴空間)」を見に行きます。
旧博物館も行ったんだけど、だいぶ様子が変わった気がする。ようやく晴れました。
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国立博物館になって、公用語がアイヌ語となり、伝統芸能は映像・音響の凝ったシアターに収まった。旧博物館に比べていろんなことが「きれい」になったが、オーセンティックかどうかで議論もあるんじゃないかな、これ、という気がした。気がしただけなので後で調べてみる。上演が撮影禁止になってるのも単純にフラッシュ対策かとは思うが、ちょっと違うことも考えた。
図録ほしいなーと思っていたら、博物館の売店で去年出たという『最新アイヌ学入門』という本を発見したのでそれを買うことにしました。

ソフトクリームうまかった。
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帰りの車窓。噴火湾と夕暮れは思わず撮っちゃう。
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新千歳空港でラーメン食って帰途。
新宿に着いたら丸ノ内線の終電をギリギリ逃したので、総武線で帰りました。

急に決めた外出でしたが、思いのほか充実しました。札幌勤務を終えた後も何度か行ったはずだけど、ちょっと局面が変わって、アップデートしなきゃいけないことがたくさんありました。旧知の人たちが50代にさしかかって元気は意識しないと維持できなくなってきたのと、疫病を挟んで商売がだいぶドラスティックに入れ替わったのと、社会全体が少し疲れてきてるのと、まあその辺が原因なのではないか。ひょっとして札幌はもう暫く行かないかもしれないという出掛ける前の予感は外れで、結構またすぐ行こうなって気になりました。

2025年04月14日

弁論術

◆アリストテレス(相澤康隆訳)『弁論術』光文社、2025年。

楽しく読んだ。外国は英語圏しか知らないが、こうしてみると西洋の人たちが何かを述べるときのスタイルは二千数百年前に既にだいたい骨組みができていたんだなと、アリストテレス兄貴の仕事に感心した。人間観察を抽象化し、実践に結びつけるソリッドなスタイル。それが必要なのは、世の中、答えが一つに決まることばかりじゃないし、100%そうなるっていう必然的なことばかりでもない、ああも言えるしこうも言える、そういう中でどうやって言葉で勝っていくかだろ?っていう現実的で切迫した問題意識があったからだと想像します。

弁論術が必要な理由(p.26)の説明からして、とてもキビシイ。
(1)「真なることと正しいこと」は本来それを主張すれば通るに決まってるんだから、それが通らなかったということは話し下手なやつが悪い(2)学問的知識を持っていても大衆に語りかける手段を知らなければしょうがない(3)相反することがらを両方説得できるようにしておくことで、間違ったことを説得しようとしてくるやつに反駁できる(4)身体をもって自分を守ることができないのは恥だが、それ以上に人間的な言論の使用によって自分を守ることができないのはもっと恥ずかしい。
―要は、正しいことを知ってるだけでなく、それを主張して通すことができなければ何もならないのだ。

何にせよ定義してから考察する。
例えば、友とは「相手にとってよいと思うことを相手のために行うようなことができる人」(p。80)
よいものとは「もし思慮を手に入れたとすれば、すべての存在がそれぞれ選択するもの」(p.106)

その中で、功利主義のアイデアがちらっと顔を見せたりする。
「また、より快いものは、それほど快くないものよりも大きな善である。快楽はすべての存在が追い求めるものであり、そして快い感覚はそれ自体のために欲求されるものであるが、よいものと目的はまさにこれらの条件によって定義されたのだから。」(p.107)

人間とか社会とか政治とか、とにかくいろいろ知らないと弁論はできないというので、いろんなことが説明されていきます。説明していくうちに、政治学とか、他の著作にもつながっていくものが出てくる。
「民主制はくじ引きで公職を割り当てる国制であり、寡頭制は所有財産の査定額に基づいて、優秀者支配は教育に基づいて公職を割り当てる国制である。ここで言う教育とは、法によって定められた教育を意味する。なぜなら、優秀者支配制における支配者は、法を忠実に守って生きている者たちだからである。このような者たちは、当然ながら、もっとも優秀な人々に見える。そこから、この国制には優秀者支配制という名が付けられているのである。
 他方、単独者支配制は、その名の通り一人が万人を支配する国制である。この種の国制のうち、ある種の規定に従って支配するのが王制であり、[支配の仕方に]何の制限もないのが僭主制である。」(pp.117-118)

美しいことの列挙に時代を感じることはある。しかしこういうのにかぶれた現代人もいたな。労働を下に見た某ハンナとか。
「また、手仕事の技術に従事しないことは美しい。なぜなら、他人のために生きているのではないということが、自由人であることの特徴だからである。」(p.129)

p.195からは法廷弁論のやり方を指南してくれている。「書かれた法が自分に不利なときは書かれてない法や公正さに訴えろ」、「書かれた法が自分に有利なときは『制定された法を使わないなら、法が制定されてないのと一緒だ』などと言え」、とまあ融通無碍である。

ところで、人が怒る相手はいろいろあるが、「(人は)感謝しない者たちに対して怒る」(p.230)。なんか北米皇帝とその手下が外国から来た芸人にそういって怒ってたな、こないだ。

「憎しみ」と「怒り」の違い(p.249)はアリストテレスの人間観察と定式化が冴え渡っていると思った。
・怒りは自分が何かされたことに対して抱く。敵意は自分が何かされてなくても、誰かをある特定の性質の人とみなして抱く
・怒りは個人に対して抱く。憎しみは類に対して抱く
・時は怒りを癒やせるが、憎しみを癒やせない
・怒りは相手が苦しみ、相手が報復に気付くことを求めるが、憎しみは相手に悪いことが起きるのを求め、相手が報復に気付くかどうかは問題にしない
・怒っている人は苦痛を感じるが、憎んでいる人は感じない
・怒っている人は状況が変われば相手を憐れむこともあるが、憎んでいる人は何が起こっても相手を憐れまず、相手が存在しなくなることを望んでいる

文章表現の要諦(pp.463-466)はギリシャ語特有の注意もあるが、(3)なんかはもうほんとご明察。
(1)接続語を正確に使う(2)物事を言い表すときに包括的な呼び名ではなく固有の呼び名を使う(3)曖昧な表現を避ける。ただし言うことがないのに何か言ってるように見せかけるため意図的に言う場合は別(4)男性/女性/ものを表す名詞を正しく使う(5)複数と単数を適切に使い分ける

中傷のトポス(論法)は面白かった(p.548-)。特に、
「些細なことを長々と賞賛してから重大なことを簡潔に非難するか、もしくは先に相手のよい点をたくさん挙げておいて、それから本題に直接関係することを一つ非難するものである。このようなことをする人々は、中傷のエキスパートであり、かつもっとも不正な人間である。なぜなら、彼らは善を悪に混ぜ合わせることによって、善を利用して相手に害を与えようとするからである。」(pp.552-553)

★以下は訳者解説から抜き出した見取り図的なもの

弁論術:説得力のある事柄を見出す能力。言論の技術
 説得力=真実味。論証すること
  論証:演繹(前提から必然的に結論を導く)=説得推論。命題からなる
    +帰納(個別から普遍に至る)=例示

【三つの弁論】*それぞれに共通/特有のトポス(論法)がある
▽助言弁論@民会など。推奨と制止=善悪(利害)
▽法廷弁論@民衆裁判所。糾弾と弁明=正不正
▽演示弁論@葬送や祭典など。賞賛と非難=美醜
  ・「拡大」の技法。意義や価値を大きく見せる(≠うそによる誇張)

【三つの説得】*いずれも言論を通じてする
▽性格(エートス)による説得:自分を信用に足る人物と見せる
▽感情(パトス)による説得:聞き手にある(快苦を伴う)感情を抱かせる
 =聞き手の状況認識を言論によって変化させる(例:誤解による怒りの解消)
▽論証(ロゴス)による説得:説得推論や例証を使って証明する。★最も効果的
 ・問答術との違い
   (1)誰でも知っている前提は省略する(冗長の回避)
   (2)前提の多い推論は避ける(聞き手が話を追えない)
    *問答術は知的エリート同士。またディベートであり一方的に話すのでない
 ・例証には(1)過去の実例を挙げるもの(2)自分で創作した寓話―がある(p.340)

2025年04月06日

桜25と新潟

毎年違ったところで花見をしてますが、今年もスペシャルだったりそうでなかったりした桜。

3月30日はよみうりランド。旧知のグループでBBQして花見して、っていう会でした。5年いなくなってる間に知らない人が増えていたが、一網打尽で話す機会になって大変よかった。
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4月3日はアメリカからのお客さんと箱根。穏やかな人ですが結構でかいタトゥーが入っており「ぼく温泉入れてもらえないんだよね」というので天山湯治郷に連れて行きました。ロマンスカー含め弊管理人も初めて。
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天気はイマイチで寒かったですが桜はほぼ満開。山の桜も雲の合間から見えたりして幽玄でよかったです。
ぬる湯でまったりがセオリーの弊管理人をよそに、お客さんはサウナと水風呂、あつ湯と水風呂を往復しまくっており、最後に「なんか視界がぼやけた」と言ってました。それ血管か網膜かなんかのダメージじゃないだろうか。大丈夫か。

この週末、京都で花見の会がありそうだというので帰国直後の2月からホテルをとってあったのですが、主催のおにいさまからぎりぎりまでアップデートがなく、なんかお仕事も大変そうだし催促してもなと思ってキャンセルしたところで「週末どう?」とのお声がけ。アウチ!ということで今年は欠席となりました。

というわけで休むはずだった4日は出勤したものの、仕事終わりでなんかおいしいもの食べたい、という気分になって新幹線に乗って新潟へ。桜は開花直前だそうです。
新潟駅からわりと近い「のみすけ」で勝利。
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アジフライほっくほく。佐渡の魚やエビをフィーチャーした寿司もむっちゃおいしかった。
一泊して、有名らしい「バスセンターのカレー」と「弁慶の回転寿司」を食べました。いずれもまあまあおいしかった。しかし街は特に面白いこともなく、月岡温泉行きたいなと思ったものの日帰り入浴の便はよくなさそうで、古町のあたりを散歩してさっさと帰宅。大阪屋のイチゴケーキ(イチゴは越後姫)を買って新幹線に飛び乗って食べました。うまかった。で、東京で飲んで就寝。

6日は新宿に写真展を覗きに行き、そのあと、すた丼。これも5年以上ぶりです。確か。
そろそろ葉が出てきた地元・杉山公園の桜。地元で十分。桜のトンネル的なものもいいが、弊管理人は住宅地の中でぽつんと立ってる桜が好きです。
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日曜は天気が悪い悪いと言われていたものの、雨は昼頃ぱらっと来ただけであとは晴れました。陽気ももう冬に戻ることはないかな、という気配。

今年の花見はこんなところですかね。

* * *

帰国前後から読んだものを書いてなかった。

◆沼野雄司『現代音楽史』中央公論新社、2021年
2010年代までカバーしてる。もっかい読み直してもいいなと思った。

◆ダロン・アセモグル、ジェイムズ・ロビンソン『国家はなぜ衰退するのか(上)』早川書房、2016年
持続的な経済発展に必要なのは、多元的な政治体制を基礎に、私有財産と競争が保証されていることであって、砂漠だとかの地理的条件や祖先信仰などの文化的条件、正しいやり方を為政者が知らないといった個人の資質ではない(そしてうまくやれてない国はどんどん悪循環にはまる)……ということをめちゃくちゃしつこく歴史の実例から語る本。

結論が最初に書いてあって、あとはその裏付けのために延々とエピソードが続いて飽きてくるのと、それしかし結局アメリカの現状賛美じゃないですかねという気になってくるのと、うまくいってる国って「現在うまくいってる国」なだけじゃないかなあと思えてきて、下巻はいっかということで終えてしまいました。

◆青山拓央『哲学の問い』筑摩書房、2024年

2025年03月29日

人に合う旬間

どこにも行ってないし何もしていないんですが、人にはよく会ってました。
あとDC時代には考えられないくらい酒飲んでます。

◆ロイホで昼飯でもしますか、っていって落ち合ったらロイホが混み混みで、喫茶店でタンドリーチキン食べたあとに晩杯屋で立ち飲みのまま5時間くだを巻き、最後は高円寺のメーヴェっていうカフェでワインと寿司のペアリングというよくわからない楽しい日がありました。
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日中は暖かかったのに、ほぼ終電で帰ったら寒かった。

◆大学時代のクラブの同期と渋谷で呑みました。全員変わってなさすぎて面白かった

◆ベトナム系アメリカ人のお客さんが「ラーメン食べたい」というので「駄目な隣人」で一杯キメて、新宿御苑でピークに向かう桜を見て(バキバキに黄砂きてましたが)、コーヒー飲みながら駄弁ってさよならした。まだ英語喋れた

◆その日の夜は会社の移転によって初台から大宮まで通うはめになった人と新宿でサイゼ飲み。サイゼすごい久しぶりだった。1500mlのワイン1000円、そのほかちょっと食い切れないくらい食って一人2100円だった。局地的に2010年代のデフレが残ってる感じがしてノスタルジーだった

◆DCの職場の前のボスと、ちょうど一時帰国してる番頭さんと、その番頭さんと5月に交代する同期と、DCで一緒だったおとうさん(めっちゃ一緒にメシ行ってた人)で新宿呑み。ZERO Kitchenという雑居ビル4階のお店がとてもちゃんとしており、年度末の金曜なのに席が取れるというのも含めて今後もお世話になることがあるのでは?と思った。
そのままゴールデン街に流れて騒いだ。多幸感があった。

* * *

2018年におじさん職位になったとき、現場から上がってくる仕事の粗さにすごいイライラしたことがありましたが、大阪で少し反省し、DCでいったん現場に戻って、久しぶりにおじさん職位の仕事になったことによってまたイライラしたようです。しかし2度目なので獲得免疫みたいのが働き、短期間で収まってきました。

「ぱっぱと仕事しないとおじさんがやっちゃうよ」的な振る舞いは弊管理人の癖なのですが(指先でやるような指示ばっかで実務をやらない先行おじさんたちが嫌いだったせいもある)、これはまあもう少し続けるかもしれない。しかし面倒になってきてやめるかもしれない。

木曜、金曜は麻婆豆腐作ったり上記ベトナム氏と遊んだりしていて会社に行きませんでした。
金曜夜は霞ヶ関で仕事したのですが、なんか呼んだ側も呼ばれた側も、みんなダラダラしてました。呼んだ側は自分がやってる仕事を魅力的に説明できず、呼ばれた側は言われたことを受け止める知識に欠けててググれみたいな質問やおしゃべりしかせず、プロフェッショナリズムも生産性もなかった。なんつうか、その、つまんないんだろうな。自分がやってることが。

* * *

あまり自炊してません。自炊と外食の価格差がアメリカよりずっと小さいためです。確実に。

2025年03月12日

ウェルカムバック暴食

会う人会う人に「痩せた?」と言われるのですが、本人まったくそういう意識はありません。体重も変わってないと思うんだけど、老化か。まあそれなら少し太ってもよかろう。
引き続き「おかえり」趣旨のお誘いを有り難くもいただいて暴食しています。

部内おにいさまと幡ヶ谷「ミクロとくじら」。スパイスいっぱい、すべて秀逸。
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こちらは部外おにいさまと中野食べ歩きの末に逢着した「ブリック」で深夜のプリン。
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うま……

趣味みたいな仕事みたいな趣味で出掛けた松戸で、冨田食堂。
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味がいいのは理解できるが、つけ汁がぬるいのはちょっとな。

野菜励行、野菜励行(呪文)

* * *

支払いや返金もひと落ち着きしたかなというところでアメリカのクレジットカードを先週末までに全て電話で解約し、ウェルズファーゴの口座にあったお金を全てドルのまま日本の口座に移して、口座を閉じました。

お金が移ったのを確認した上で、DCの職場から借りてきたSIMを抜いて、近々赴任する他部のおにいさんに持っていってもらうよう託して、アメリカとのつながりはこれでおしまい。帰国に向けて出発する2月5日よりも、この手続きのほうが終了感が強かった。

* * *

仕事はぼちぼちやっています。

全てを見ているわけではないが、なんかこう、ね。やってる人たちが面白いかどうかで選球してないのと、倦んでるんだろうなと思うところ。まあ弊管理人自身がもはや出力上げようという気もないので、Ugh……という感想を抱く以上のことはしない。大阪の職場で見た一部若手ちゃんたちの活力や、DCの職場で見た他部の老兵たちの猛者っぷりを今さら思うところではある。20万以上たまってしまったマイル使ってどっか行きたいよ。

管理人

40代、未婚、子なし、男、文系学士、30万都市出身。新卒で入った会社でずっと働いています。中学の教育方針のせいで日記を書く癖が抜けなくなりました。

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