2025年02月19日

モードが変わる

そういうわけで帰ってきました。

日本へは6日夕方着。ANAのプレミアムエコノミーは結構快適でした。14時間がそんなにつらくなかった。
引っ越しの荷物を別送したので、税関でちょっと手続きして、バスで新宿に出て投宿。
ちょっと寝るのを我慢して寝ればいいので、体内時計の順応はわりと楽です。

7日は区役所で住民票をゲット、警察署で免許証の住所を更新、銀行で手続き、不動産屋で鍵をもらいました。8日からちょこちょこと荷物を入れたりベッドを受け取ったり。

9日からはもう新居で生活。部屋はめちゃくちゃ寒かったのですが、たぶんモノが全くなかったからじゃないかと思います。電気毛布を買うことにしました。
10日には出勤。電気毛布ゲットで大勝利。
11日は祝日で部屋づくり。
12日は、3年半前に大阪で荷出ししたままトランクルームに入っていた荷物が大量に届きました。めっちゃくちゃいろいろ捨てました。そして札幌時代の上司とホッケを食べました。
13日にはムアツふとんのベッドパッドがきて寝心地が格段にアップ。
14日は仲良しおじさま2人(仲良しなのはおじさま同士)に焼き鳥につれていっていただきました。
15日は棚とメッシュパネルが到着。今回は部屋を立体的に使っていきたいと思います。そんで夜は新宿で早速痛飲。
16日はふらふらになりつつ大学の同級生2人と中華。
17日は早出で7時出社、そのまま夜まで働いて結構疲れた。
18日は夜勤。シフト多くない?

てなことをやっているうちにアメリカなんて行ってたっけ?というくらいアメリカのことが思い出せなくなりました。英語も全く喋ってない。さようなら、って言った瞬間に全てが過去になって、思い出の箱にしまわれてしまった感じ。
一方、日本は全然変わってなくて、解凍された時間はそのまま普通に流れ出しました。といっても、コンビニで買い物をしたときの支払いとか、役所での手続きでいま令和何年だっけ?とか、お札が新しいじゃん!とか、ちょいちょい新しいことはあった。あと物価は安いままではあるが、イラッとするけど買うという絶妙な程度で上がっていた。

住み始めた中野は、ひょっとしていいところ。
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何かをする気が全くわきません。
ご飯はいちいちおいしい。

春節に伴う貨物便の混乱でずっとDCにあった航空便の荷物は20日に着くようです。
リストを見ていたら台所用品は3カ月かかる船便にまるっと入れてしまったことが判明。お玉や計量カップは買い直すはめになりました。しかしこれだけ外食が便利だと、そんなに自炊しないかもな。あれだけ覚えたパスタとかもう作らないかもしれない。

2025年02月04日

さよなら、大きくてよくわからんアメリカ

最後の夜になりました。

【3日】
後任にいろんなノウハウを引き継ぎつつ、合間に今まで行ってなかった議会の見学ツアーへ。
こないだ大統領の就任式が開かれたロタンダという円形広間です。
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あとはもうひたすら後任にノウハウを引き継ぎました。
夕飯は後任の希望で麻婆豆腐のおいしい中華料理屋へ。麻婆豆腐がおいしいって言ってるのに担々麺を頼んだ。でメニューみて「こういう価格帯ですか……」と。あのねえ。気持ちは分かります。しかしさあ。もう日本円のレートは忘れないと何も買えないよ。
ホテルのジムで運動して寝る。

【4日】
朝はなぜか5時台起床。トレジョに行って東京へのおみやげを申し訳程度に買い、車をディーラーに引き渡して、EZPass(ETCみたいなやつ)をサービスセンターに郵送して、これで大きな課題はおしまい。
この真ん中のが3年ちょっとお世話になったレクサスのCT200h(2013)です。
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63632マイルで買って、78105マイルでフィニッシュ。14473マイル=23292km乗ったことになります。年に8000km。そんな乗らなかったほうかな。でも最後の日までちょいちょい乗れて大変便利でした。ハイブリッドは燃費がいいということを実感した。

午後、職場で入館証と駐車場のパスを返して、最後の仕事をして(結局最後の日まで仕事した……)、ぱらぱらと拍手で送られながら退出。

夕方、早めの夕飯をプエルトリカンと。
14th St. にあるVin Sur Vingtというワインバーです。
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この1年半に行った数十店のレストランを思い出しながら語りました。
まあいろいろ思うことはあったが、在任期間の後半、frontline Americanの生活を見せてもらった人であることには変わりなく、たくさんの感謝(の一部)を伝え、万感迫った感じを醸しつつ(?)別れました。
まあなんというか、SNSというものができてからこっち、離れてても離れてる感じというのがしないんだよね。東京の友達とも5年会ってないが、いつもやりとりがあるし、やりとりがなくてもまあ見てるっぽいなというのは分かる。前から言ってるが、もはや死別以外に別れなどないのだと思う。
これは酔っ払って帰る途中の、本当になんてことない14ストリート。
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それにしても荷出しからのこの1週間、過去にこんなことあったっけ?というくらい解放されて過ごした。何にも追われてない、何もしなくていい。朝はただ目覚めた時間に目を覚まし、ゴロゴロして、適当な時間に起き、適当に過ごして、走って、ジム行って、気が向いたら職場行って帰って雑に食って寝る。
結局、卒業旅行的な旅には行かなかったけど、この過ごし方が一番贅沢だったと思う。

* * *

振り返れば3年4カ月は最初つらかったが、たぶん半年するくらいから楽になってきて、1年半後にはもうアメリカが日常になっていた。これほどストレスのない3年間というのは、この日記が始まった成田の時以来じゃないかと思う。大きな声では言えないけど。

2012年に留学しようと思ってイギリスの大学院のオファーまで取ったのに社内調整の綾でだめになり、その後はふてくされながらアメリカ赴任を希望することもなく悶々と過ごして、2021年にアメリカ行きを打診されたときは「外国で1年休みたかったのであって、3年働きたかったわけではないんだが……」と思ったものでした。

結局は赴任前の10年間の3倍のペースで働き、1200本近いアウトプットをしました。しかし感覚としては趣味とか読書の延長で、「労働」という感じはほぼなかった。
じゃあ大した仕事をしたかというとしなかったが、まあできることの8割くらいはした感じもする。大げさだとは思うが、他の海外拠点の人に「一時代が終わる」と言われたのは答え合わせでマルをもらったようでちょっと嬉しかった。

高速で走る電車から飛び降りたように、これからはどんどんアメリカのことが分からなくなっていくでしょう。明日からは弊管理人のアメリカ語りの質が落ちていくでしょう。英語もどんどん喋れなくなっていくでしょう。それはちょっと残念だが、まあそういうものだ。ワインが抜けてきたのでちょっとだけジム行って寝る。明日のフライトは午前。寝坊しませんように。

【5日追記】

寝坊どころか、前夜は22時に寝て朝4時半に目が覚め、朝飯食ってすいすい空港到着。
アパートの敷金が大半返ってくることが分かって安堵。しかし小切手が日本に無事郵送されてくるまで安心はしない。

* * *

最終盤のツイート。

・職場の人に送別ランチしてもらったのだが、「君は2割の力で10割の仕事するからねえ」とほめられつつ手抜きを指摘され(ばれた)って思った

・アメリカ人て日付より曜日言うよね

・FBの地元おいしいもの好きコミュで定期的に「チップってどうよ」論争が勃発する。どの個人が特別に悪いわけでもなく、サプライチェーンの各所でみんなができるだけぼったくろうとするので、総和たる最終消費地がえらいことになってるんだと思う

・「結構です(=いりません)」とI'm good.って似てていいなと思いました。No thank you.ってぶっきらぼうだもんね

・マイナス12度の1週間が終わって今日はプラス2度がすごい暖かく感じた。今週は12度までいくらしい

2025年02月02日

荷出し

荷出し2日前の【28日】はこの3年4カ月で一番くらいアウトプットの多かった日。

荷出し前日の【29日】もちょっと集中力のいる仕事が昼過ぎまであって、そこから一気に部屋の片付けをしました。日本への航空便、日本への船便、後任にあげるもの、捨てるもの、と仕分けて次々とゴミ出しをしていたら結構疲れました。まだ食べられるもの、備蓄していたものを結局消費しきれずに捨てることになったストレスもあったかもしれない。
夜には近所で旅客機が落ちるという「ハァ??!!」みたいな事故まで起きたが、ごめん、今日明日だけは手伝えないわ、ということで看過させていただいた。

【30日】は9時過ぎから荷出しが始まって、2時間ちょっとで終了。
業者さん曰く「仕分けておいてくれたのですごい早く終わりました」。
業者さんから「どうでしたか3年間のアメリカ暮らし」と言われて、どうだったかなと考えてみましたが、結局出てきた答えは「早かったですね」でした。
帰国は嬉しくもなく嬉しくなくもない。アメリカは好きかと言われれば、ぼんやり嫌いだったのが明確な理由をもって嫌いになったが憎いというほどでもない。畢竟、仕事だから来ただけです。帰るのも会社の都合です。それだけ。

ミニマル生活だったような気がしていたが、結局荷物は多かった。
2021年8月に大阪の部屋を引き払ったときもこんな写真を撮ったな。
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そういえば入居したときもそうだったけど、椅子がないから立ち通しで疲れる。
コンシェルジュに鍵を渡してYou're all-set.と言われてあっけなく退去が完了しました。
駐車場から車で出て、ネットのルーターをベライゾンのやる気ない店員に返して、昼飯……と思っても大したアイディアはなくHマートの弁当買って食べて、ホテルにチェックイン。最後の最後まで車があるってめちゃ便利だな。
疲れがたまって頭痛がし始めていたので、バファリン飲んで昼寝したら治りました。

【31日】は後任が到着。後任は職場のボスのところに挨拶に行ったら長話に捕まってたので「このあと予定あるんで」と介入して回収。仕事先に引き合わせるため会食をセットした近くのレストランまで早足で向かったら息切れしてました。まあ長旅だし疲れるよね。

小切手のことで銀行に行ったら、そのままバンカーが口座に残ってるお金の日本への送金を手伝ってくれてありがたかった。3年前に口座開いたときも手伝ってくれた人だった。

あとは経費精算をしてケネディセンターにジャズでも聴きにいこ、と思ってたら今夜はフィラデルフィアで飛行機が落ちるという何これ状態で結局深夜に帰ることになりました。

【2月1日】はお世話になったプエルトリカンと昼飯。
お姉ちゃんが妊娠したとかで、出産見通しを計算してたらプエルトリカンは計算間違いをしてるのに、あれこれ言い訳して辻褄を合わせようとしていた。
この間も「自分は記憶力がいい」というのであれもこれも忘れてたじゃんと指摘したら「それは別の話」といいだした。
この人はプライドと能力が釣り合ってない気がするが、もうさようならなので最後に印象悪くする必要もなかろうと深く追及せずに「はいはい」で受け流した。特に後半、細かいストレスが蓄積する人ではあったな。

ノースベセスダにコンサート聞きに行くか、と思ったけど、結局行かずにヨドバシの通販で家電を買った。日本の通販て配送速くない??なんで2日後の日付指定とか無料でできるの??

2025年01月25日

引っ越し準備

あれ、新しい政権が発足したのって今週だっけ?というくらい遠い昔に感じる1週間。
朝の気温マイナス12度、日中も氷点下という日が続いてむっちゃ寒かったが、金曜は夜でもマイナス2度くらいで急に暖かく(?)なりました。

結構押し詰まってきて、車の売却のことはもう考えたくないなと思い、自分でCarmaxとCarvanaというオンライン2社で見積もりをしてみたら、前の週に対面で受けたCarmaxの査定が弊管理人の疑念に反して誠実にされていたことが分かったので、対面のところに売ることに決めました。Carvanaは明らかに高いのだけど、もう考えないことにする。

買ったところに売る理由は三つ。
(1)この3年余りの円安のおかげで、この車を買ったとき、ディーラーで「売るときはこれくらいですかねえ」と言われた値段の日本円換算より、実際の売値の日本円換算が高くなったこと
(2)売却決定した上で、売値のことを考えずに最終日まで乗れること
(3)少なくともCarmaxで自分で査定した値段より、対面の査定のほうが高かったこと
それが最善だったかどうかはともかく、自分はこれで納得できると思えたので終了。すっきりしました。

* * *

今週は大きめの仕事(複数)含め、なんだかんだで毎日アウトプットがありました。
その間を縫って、職場の「御大」と「鉄人」がさよなら夕飯に連れ出してくれました。
「(弊管理人)がいなくなると戦力ダウンだよ~」と言われた。さすがにそれは誇張だが、少なくとも悪印象を残したわけではないようでよかったよかった。

一方、土曜に電子ピアノを引き取ってくれる同僚の家に届けにいってご飯をご馳走になる予定だったのが、社内外の人たちが次々と参加する会へと発展しかけたので、ピアノだけ置いて帰ると宣言してキャンセルさせていただいた。その日はストレスですごい眠気がきて早寝したが、蓋を開ければホストは週末まで仕事が忙しく、招かれる予定だった1人は直前に高熱を出したので結果キャンセル正解だったと整理。職場の送別会も早々にキャンセルしました。シャイネスが爆発しております。

で、ピアノはこの3年間本当によく触った。仮住まいの国だし大きなものを買うのには躊躇したが、過ぎてみれば最もよく使った家具の一つかもしれない。今も机で作業をすると、ふと振り返って鍵盤の前に腰掛けそうになります。

* * *

なんでこんなに貯め込んだのかというくらいいっぱいある食品をひたすら消費するウィーク。
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8束からどこまで減らせるか、乾麺のそば。トレジョの冷凍かき揚げ。茹でて小分けで冷凍してあったほうれん草。台湾スーパーで買った花椒がちゃんと効いてる麻婆豆腐の素。何に使うのかあてがないまま持っていたうずらの卵の水煮缶。

だいぶ終わりが見えてきました。買いすぎたパスタは職場にごっそり・そしてこっそり寄付しました。自宅に最後まで残ったものはえいやで捨てると予め決断し、荷出しギリギリまでわりと豊かに食事ができそうです。

* * *

東京のすみかは、まだ手続きは完了しないもののまあもう住所は確定と考えていいでしょう。
神戸のトランクルームに入っているとついこないだ知った家財を東京に運ぶ算段を付け始めました。あと、アメリカから発送する航空便は2週間かかるとのことで、東京でわりと早く家ができても寝床がないとなるとどうするかなと、ちょっと迷うところではある。

* * *

あとは最後の数日をどう過ごすか。ひと旅行してもいいかという気持ちと同じくらい、もう別に無理して旅行しなくてもええわという気持ちがある。

* * *

プエルトリカンから「日曜会う?」と言われましたが「引っ越し準備で忙しい」といって断りました。先週の日曜、会う予定にしてたのに、当日「なんかちょっと疲れてるんだよね~」と言って予定が消えた。まあそれくらいなんでしょ。

* * *

最近のツイート。

・英語で会話してると、いちいちyouつって矢印がこちらに向く感じが疲れる。主語のない世界に行きたい

・アメリカはみんなが"I deserve"ばっか言ってる国だと思う

・夏頃にはBratとかいってはしゃいでたハリス支持の若い人たちが「民主党はもっとうまくやるべきだった」などと言うており、わしから見るとおまーらも一部やぞと思うが言う責任もないから言わない

・新政権、やばやば政策を「知らない人が見ると『いいかも』って思っちゃう論理構成」で出してくるのアメリカっぽいなと思う。rationaleを捏造する訓練をしてない日本と違うな~と感じるところ

・さして重要でない仕事を「左手でやる仕事」と表現する人がいるのだが、わたし左利きなのと、語源は風俗らしいのと。

・「靴を舐める」という表現があるが、舐められる側は嫌じゃないのだろうか

・アメリカの中華は春巻が妙に高いの、なぜだ

・わたし若い時から「その仕事、意味なくないですか?」と言うタイプだったけど、わたしが管理職になって若手がそういうこと言ったら「あ、じゃあやっとくね」って自分でやった上でそいつ飛ばすと思う

・アマゾンで野菜の皮むきを検索してたらよさそうなのがあったんだけど、レビューについてる画像がことごとく怪我して絆創膏を貼った指で、しかし★5つで「super sharp!!」と言っているのでかえって恐ろしくなっています

・バスで若いお姉さんたちがbroと呼びかけあっている。由来はbrotherだけど、ジェンダーニュートラルな使い方をするのだな

・独り言いってる他人の庭に入ってきて話を曲解した上に「曲解されたくなければもっと分かりやすく話すべきだ」というキチガイに満ちた世界

2025年01月19日

駆け込み探訪

10月下旬に引っ越しの見積もりから始めた帰国準備は、11月のアゼルバイジャン出張に伴う休止を経て、12月に本格化し、いや結構いいスケジュールで進んでいるんじゃないかと思いつつ、しかし主要部分の家探しが完了しない中、荷出しまで2週間を切ってきました。いや家探しもここまで順調なんだけど、先に帰った人たちから担当業者についてあまりに悪い話ばかり聞くので手続きが完全に終わるまで疑いが晴れない。

このところ起きたときの気温が氷点下5度とか9度とかで雪もちらつき、ここへきて「荷出しの日に大雪だったら次の日にアパートの契約が切れるんだがどうする?」という杞憂と思いたい疑問が出てくるなどしていますが、とりあえず準備の一環として「やってなかった観光」もこなしています。

ワシントンモニュメント。DCのイメージ画像や絵に必ず登場するこれ。約550ft=約169m
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反旗なのは年末に死去したカーターの服喪期間だからです。あと寒々しい天気だが実際寒かった。
タダで上れるんだけど予約が必要なためか、上らないまま帰った同僚もいたんですよね。
中には「一番再現度の高いワシントン像」とやらがあります。確かによく見る下ぶくれおじさんとはちょっとイメージが違うかもな。
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中空の内部にエレベーターが通っていて、500ft(ええと何mだ)のところまで上るとこんな景色です。
これは桜を見に行ったタイダルベースン、奥がめっちゃよく使ったレーガン空港。
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縦位置の写真が多くなるな。
議事堂とナショナルモール、右下にスミソニアン協会が見切れてます。
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さぶさぶ、って言いながら職場に戻って仕事して帰りました。
20日の就任式を控えてDCの街中ではフェンスやコンクリートの車止めが設置され、大変通りにくくなっています。うっかり車で行くと警察が前触れもなく道を封鎖していてうろうろすることも多々。迷惑なことです。

* * *

地下鉄の乗車カードで就任記念バージョンが発売され、同僚から1枚もらいました。
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しかしこれ、一部の駅の自販機で扱ってるはずなのに全く宣伝されておらず、同僚が駅で聞いても「そんなのないよ」みたいな反応だったらしい。アンチばかりなのか、もともとダメな運営会社WMATAが相変わらずダメなのか。
インスタに投稿したら友人連中から「オエ~」みたいな反応がきておもしろかった。

* * *

1月は毎日サラダを食べる月間をやっている人たちに、サラダを食べる会に呼んでいただきました。
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弊管理人はキンパとエビマヨを買ってあったんだけど、テーブルのラインナップはそれを受け入れる感じではなかったので急遽ビールを供出して誤魔化した。
トートに入れたままその辺に置いていたら、犬が「なんかうまいもの持ってんだろお前」と探りを入れてきた。いいセンスだ。その通りだがお前にはやらん。
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夕飯がサラダだけでお腹が空いたので、帰ってちょっとつまんで寝ました。

* * *

去年の6月、仕事でチケットを無駄にしてしまったフィラデルフィア管弦楽団、今度は慎重にタイミングを見極めながらギリギリまで引きつけて席を取りました。やっと来れた。
折角だし地元でちょっといい夕飯でも、と思ってレストランをいくつか覗きましたが、どこも賑わっていたり振られたりして、結局Five Guysのハンバーガーに落ち着いた。チーズバーガーとポテトで$18(アメックスが$10持ってくれるんだが)。高けーな、ファストフードなのに。

フィリー管のホーム、マリアン・アンダーソン・ホール。2階のC-124というほぼ真ん中の席を取りました。これちゃんと音が飛んできていいとこじゃない?
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プログラムのメインはユジャ・ワンがソロのチャイコン1番。
写真いいアングルだし、すっごい遠くからコンデジの5倍ズームで撮ったのにきれいに撮れてる。Canonはこの1インチコンデジをまた作ってくれないものだろうか。ちなみに場内アナウンスは「演奏中の撮影、録音はお控えください。でも前後は撮影OKなのでどんどんソーシャルメディアに投稿してね!」とのこと。ダメな理由のあるところにはダメといって禁止するが、それ以外は自由だしプロモーションに熱心なのはいいと思う。日本はホールも美術館もケチだからな。
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ユジャ、初めて生で見ました。衣装がおとなしくてまずそれが意外だった。まあ寒い季節だしねえ。
演奏は録音・録画と一緒で上手かった。曲が要求する技術水準を大きく超えたものを持っているので遊ぶ余裕がありすぎ、のっけから分散和音で始まった時点で「高校三年生」を歌いすぎてアレンジ過剰になった舟木一夫かと思った。しかしこれは録音厨の生理的反応であって、むしろ19世紀ヴィルトゥオーゾのスタイルを楽しむべきなのだ。しらんけど。

本領は爆音ではなく、弱音でコロコロ弾む高速パッセージや両手のオクターブ進行で、すっぽ抜けずに端整な金属音を鳴らし続けられるのはすごい。2楽章の後半からラストまで延々ドライブをかけられる腕力にも引き込まれた。スタインウェイとの相性もこの人は抜群にいいのではないか。あと、アメリカとの相性も。アメリカにいるとユジャ、ティボーデ、アックス、ブロンフマンと少数の限られたソロイストが毎年いろんな主要オケを巡回していることが分かるのですが、当地との親和性によって淘汰されているんですかね。

オケは最初のホルンが盛大に外し、他も金管殺しの曲に金管がしっかり殺されてました(フルートだけ生きてた)。ユジャのスピードにチューンナップされていたことだけで弊管理人は満足だったけど、この曲のオケはただの伴奏よりはもうちょっと大事なはず。フィリーって名門じゃなかったっけ?

カップリング曲は公民権運動のころ書かれたまま長い間埋もれ、最近再発見されたという女性作曲家ボンズMargaret BondsのThe Montgomery Variations。時代劇のテーマソングみたいな曲で運びも特にどうということはなく、これはまあまた埋もれさせといていいのではないかな。

あと、黒人作曲家スティルWilliam Grant Stillの交響曲第2番「新しい人種の歌」……を区切りまで。これもあまり耳に引っ掛かる感じではなかった。

22:38発の終列車に乗るため、途中で出ました。DCのユニオン駅から終電近い地下鉄に飛び乗り、会社の駐車場から車に乗って、交通規制をだいぶ迂回して何とか1時過ぎに帰宅しました。DCの道をかなり通り慣れてた弊管理人なので代替ルートが思いついたけど、そうじゃなかったら途方に暮れたかもしれん。アップルの地図アプリは執拗に規制されてる道に突っ込ませようとして全然だめ、Google Mapsが迂回しようとしている意図を汲んでくれて頼りになった。

* * *

そういえば、11月のアゼルバイジャン出張後から続けてきた早起きチャレンジは今週をもって終了しました。就寝が午前3時とか午前1時半になる仕事が続いたことにより、完全に元通りで8~9時に目が覚めるようになりました。

22時に寝て4時に起きる生活がよかったかというとそういうことはなく、午後眠くなるし、他の人の生活と合わず夜の予定をいくつか飛ばすことになるというデメリットが判明しました。

弊管理人が1日元気に過ごすことができ、かつ社会生活に無理がかからない最適サイクルは24時就寝、7時起床だということが分かりました。

2025年01月14日

カニ、家、車

メリーランドのちょっと東の方にあるゴダード飛行研究センターというところで仕事。
17時集合で、ナビアプリ上は40分あれば着くところ、渋滞していて1時間くらいかかった。弊管理人の前にいた車は横のレーンのほうが速いかと思って短気を起こして車線変更したが、当レーンのほうが全然早く流れた。車に乗ったアメリカ人というのは概してバカだと思う。

思ったよりちょっと早く済んだので、ちょっと気になっていたJerry's Seafoodというお店に夕飯食べにいきました。
She Crab Soupが食べたかった気がするんだけど、メニューを見ながらそのスープと何を合わせたらいいのか分からなくなり、Crab Bombと名付けられたクラブケーキを頼んでしまいました。たぶんアメリカ最後のクラブケーキだと思う。
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えらべる付け合わせは焼きジャガイモとトマトシチューStewed Tomatoesにしました。
クラブケーキはオールドベイというメリーランド名物のスパイスがかかっていて、身もしっかり濃厚。たぶん歴代1位タイ。あと、トマトシチューは甘酸っぱくてコントラストとして最高だった。後で調べたら必ずしも甘いものではないらしいのだけど、弊管理人は絶対甘いほうが好き。
テーブルについた黒人のおにいさんウェイターが、べたべたしないスタイルかつとても説明が的確でできる感じでした。そういえばお客さんが大半黒人だったんだけどそういう地域?値段はちょっと張ったが、まあ最後だしよしとした。

* * *

このかん東京の家探しをしており、オンライン内見して新中野のアパートに申し込みました。
もう1件迷ったのは中野富士見町で、こちらは少し家賃が高いが新築、ネット無料、グリルありという良さがあったものの、周囲が新中野より若干魅力に欠け、数分だが通勤時間が長いという環境面を決め手としました。どちらにもメリットとデメリットがあって甲乙付けがたかった。

会社と不動産屋が契約していて、入居する弊管理人は物件を決めたらあとはお沙汰を待つというスタイル。これまで帰国した同僚たちがことごとく手続きの遅延などで1カ月くらいマンスリーマンションに留め置かれたり持ち出しを強いられたりと悪い話ばかり聞いていたので警戒していましたが、ここまではわりと進んだ。しかし悪い話ばかり聞きすぎて安心できません。

* * *

車を売る算段もつけつつあります。
3年前に購入した日本語OKの中古車屋に査定を頼んでみたら、オンライン査定を受け付けて素早く買い取りをするという当地大手の業者に比べてかなり安かった。中国系の大将がしきりに「こちらも商売なので」「いや安く買うつもりはないんだけど」「オンライン査定の会社もこれくらいだ」と画面を見せてくるが、どんな条件を入力したのかは見せなかった。あと、車の履歴も示されたが、実施したはずのオイル交換の記録が書かれていなかったのも不審だった。

こちらもオンライン査定の数字を持っており、今までいろいろ対応してもらったし、1割安いくらいであれば飲もうと思っていたが、2割以上安かったので「ちょっと考えま~す」で辞しました。もう一方の選択肢を試してみて、なんか微妙だったらそういう市場だと納得して戻ってくることにする。

* * *

新しく来る人、来た人がアメリカの物価に当てられて、するべき買い物を控えようかなみたいな発言をしていました。日本円に換算すると精神衛生上よくないので、アメリカの物価体系においてどうかを考えて、基本的には買う判断をするべきだと思うのね。弊管理人はね。

* * *

なんかもう「この国からいなくなるモード」に完全移行し、淡々と店じまいの準備を進めています。あれ食っとこうとかここ行っとこうとかはないな。春を感じさせる日差しになってきました。まだ気温は氷点下ですが。

2025年01月05日

さっむい

月に1回か2回くる土曜日の出番、8時始まり・24時終了の16時間勤務。そんな労働時間ある?と思いながら3年ちょっとやったが、この4日が最後。終わり。もうない。

デスクまわりを少し片付けました。

これは2022年、23年、24年のカレンダーで、月が終わるごとに斜線で消していった記録。同僚に「病的」と言われたこともあります。25年は1月だけ右端につけてありましたが、もういいや。捨てました。
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前任者が何かの景品でもらったというオーパス・ワンというワイン、引き継がれたまま机の下に3年間放置していたのを同僚にあげました。「常温で立ててあったのでまずくなってるかもしれませんよ」と言いましたが「オーパス・ワンを飲んだことがあるというだけでもいい」とのこと。そんないいワインなん?

To Doリストを上から片付けて、その間に入ってきたあれこれも片付けて、19時くらいにこっそり職場を抜けて、在宅勤務で終了しました。

* * *

日曜。寒い。最低気温はマイナス7度までいったらしい。
そして夜から月曜にかけて今季初めての本格的な雪だというので、スーパーはめちゃ混みでした。みんな早めに食料品を買い込んで家に籠もろうということですね。政府機関も早々に月曜は休みという判断をしたらしい。

昼、「自宅でカレー食べたくない?」とプエルトリカンにテキストしたら「Yesssssss」と返ってきたのでDCへ出張料理。
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いやS&Bのゴールデンカレーですけど。ご飯を褒められた。どんな米使ってるの?と聞かれたので普通の米だが、研いで、吸水させて、ちゃんとrice cookerで炊けばこうなると教えておきました。しかし君あんま米食わないだろう。

スーパー行きたいっていうので送って買い物して戻って下ろして帰りました。
夜は鯖の味噌煮と、キャベツ炒め。

そんでいま22時20分ですが、まだ雪が降ってこない。

週明けから本格的に離任と引っ越し関係の手続きをします。

【6日追記】

朝からしっかり降りました。
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2025年01月01日

さよならニューヨーク

ちょっと前にニューヨークの職場の人と共通の知り合いの仕事先がご飯食べてるときに弊管理人に電話がきて「年末きてくださいよ~」と言われたので、お別れを兼ねて本当に行くことにしました。

【12/30】

5時起きして地下鉄で空港へ。マイルでとったDCA-LGA便でひょいっとニューヨーク。
地下鉄に接続する無料バスにさくっと乗って地下鉄でマンハッタンに出てクーパー・ヒューイット・デザイン美術館に行きました。ニューヨークも中心部であれば東京のように動けるようになったかもなあ。
事前に検索しても情報が出ていなかったのであまり期待していませんでしたが、カウンターで聞いてみたらここも職権により無料で入れてしまいました。
カーネギーのおうちなんだって。すごすぎない?
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常設展というものはないのかな?全館にわたって「住まい」をテーマにした展示でした。
出てきてお昼。Xi'an Famous Foodsという市内に何店舗かあるお店で薄切りラムの載った幅広麺。
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辛すぎず満足。結構な量です。

コーヒー買って、川べりの公園Carl Schulz Parkに出て、ちょっと仕事のチェックした。
Green Lane Coffeeというお店のコーヒー、ミルクを入れてもらいました。酸味強めで好きな味。
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そんでLittle Shanghaiという中華でニューヨークの職場の2人とご飯。
この3年でちょいちょい仕事が交錯したが、しかしそんなに濃ゆくお付き合いしたわけでもない2人、しかも一応年下の人たちなのでご負担でなかったことを願います。たぶんわりと楽しいおしゃべりだった、はず。
声かけいただいた1人のおうちに泊めていただきました。恐縮。

【12/31】

そのおうちはニューヨークの職場の目の前、ここ人住んでるの?くらいの中心部で、朝に目が覚めてブランチの約束まで時間があるので散歩に連れ出していただきました。時ならぬ暖かさで、10度とかあります。前の週はマイナス12度までいったとのこと。

ロックフェラーセンターのツリー。てっぺんの星はスワロフスキーだって。
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いつもテレビで見ていたNBC朝のニュースの生中継。
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タイムズスクエア。大晦日のカウントダウンイベント前に既にフェンスが設置してあります。
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セントラルパーク。
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派手派手しいディオール。
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朝9時や10時だと人が少なくて歩きやすいとのこと。十分混雑してる気がするけど。
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ヴィトンのビルはかばんの形。高い建物が迫ってるので縦位置の写真が多くなるな。
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トランプタワーはあまり見るところがありませんでした。
回ろうかなと思っていたところが全部見られて、かつ予想外にいろいろ連れ回していただいてしまいました。感謝。

仕事先と合流してブランチして、めちゃくちゃ喋りました。
前の日まで北欧に行ってて、オーロラ見られてよかったのに、帰りにバゲージロストしてへこんでいるとのこと。
友達に赤ちゃんができたのでスプーンを買うとかで、ティファニー。この鳥は何?
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仕事先は「下着を買う」というので下着屋の前で別れました。

同僚と職場へコーヒー飲みにいきます。途中の建設中のビルはJPモルガンだって。ちょうど起きたときにやってた紅白で藤井風がNYの(たぶん)クイーンズからの中継で歌ってて、その背景に映ってたビルです。同僚が来たころから建設してるのでもう3年近く作ってるとかなんとか。
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英語以外の言葉がいっぱい聞こえる街。で人多すぎ。
弊管理人はやはり、のどかなDCがいいです。
ひとしきり大晦日の職場でダラダラしておいとましました。
何回書いたか分からないが、多分本当にこれでNYはおしまい。
40分くらいぶらぶら歩きながらアムトラックの駅に行って、列車でDCに帰ってそのまま帰宅して新年になる前に寝ました。

【1/1】

残りもののデニッシュで朝飯、NYの日記を書き、旧年中のあれこれを片付け、ご来光はアパートの屋上がまだ開いてなくて見られないという「12/31のオーバーラン」みたいな元日になってます。さすがに外は静か。寝るのが深夜になる日が続いて早寝キャンペーンが少し危ない。

先日行ったニューオーリンズの、それこそ何回か歩いたバーボンストリートで車で群衆に突っ込んだ上に乱射、10人死亡、みたいなことが新年の未明に起きてました。

本格的にアメリカでの生活を締めくくる月になったので、今年に限っては始まったというよりは、いよいよまとめという雰囲気です。

* * *

◆今田高俊・寿楽浩太・中澤高師『核のごみをどうするか』岩波書店、2023年

◆東浩紀『観光客の哲学 増補版』ゲンロン、2023年

2024年12月28日

24年まとめ

ニューオーリンズから帰ってきて30日にニューヨークに行くまでちょっと日があり、どこか一泊旅行にでもと思ったら雨もよう。しかしちょっと特別感は欲しい、ということで車で1時間20分くらいのカルペパーCulpeperという町へお昼を食べに行きました。
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It's about thymeというお店で豚のロースト。
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写真ではどういう食べ物なのかよく分からないが、ポテトグラタンの上に豚のロースを焼いたもの、その上にザワークラウトがどっさり。ソースはドミグラスソースに見えるがちょっと甘みがあり、なんか伯母が年末に作るチャーシューみたいです。じんわりおいしかった。

1月に最後のお呼ばれみたいのがあるので、その時に持っていくワインを近くのワイナリーで1本買い、帰りにフェアファックスのショッピングモールのEddie Bauerで襟のすり切れたネルシャツの代わりを6割引でゲットして帰りました。
この襟のすり切れたネルシャツは新宿南口のお店(去年帰省したらなくなっていたような?)で買って、遅くとも2014年には着ていた記憶があるので、10年以上もった。すごいコスパ。弊管理人の30代と40代を一緒に過ごしたわりとお気に入りのシャツでした。

後任も同じメーカー。襟がびろっと広がるのが嫌いなのでボタンダウン、常に携帯電話の着信に気付かないといけないので入れておく胸ポケットつき、という条件で探すとEBになってしまうのです。

* * *

2024年まとめ。

1月 石川の地震と羽田の事故で開始。DC寒!ギル・シャハムは在米ベスト演奏会
2月 積雪。ダンスパーティー楽しかった。仕事はまだ寝てる感じでしたな
3月 運動のためバス通勤に。ヒューストン出張満喫。レンタカーでEVはだめだと痛感
4月 クリーブランドで皆既日食。在米最高の思い出
5月 ハウスウォーミング連続お呼ばれ。フロリダ出張。歯のトラブル開始……
6月 ようやくフロリダ仕事が片付く。熱波がきてDCが37度に
7月 健康診断でNYC、出張でLA、美術館巡り。独立記念日はお呼ばれで光栄
8月 夏休みはコロナで終了しずっと停滞、フィリー出張で調子戻る。父方祖母他界
9月 湖畔のお泊まり会最高。ボストン出張楽しく完遂。NYC出張はインプット過多
10月 アミッシュの街に一泊旅行、楽しかった。PA州のトランプ集会行けてよかった
11月 アゼルバイジャン出張、観光の時間はなかったがいいとこだった
12月 漫然と過ぎた感。ニューオーリンズよかった。早寝早起きチャレンジ継続中

ということで、職場は最高潮にハードな年だった一方、弊管理人は以下2点に尽きます。
・いろんなところへお呼ばれして、アメリカ人の日常を観察できた
・出張はどれも楽しかったが、重要な仕事をしたかというとしてない

他に、下記のように歳を感じることの多い昨今です。
・運動しても体があまり反応しなくなってきた気がする
・テクノロジーからの遅れが顕著
・日本でまた知り合いが亡くなった

来年は日本に帰ります。凍結していた時間がまた動き出すので、いろんなものを立て直し、わがままを通し、賢くお金を使っていきたいと思います。

2024年12月26日

ニューオーリンズ食い倒れ

冬休み。北は天気が荒れると何もできないので南にしました。
アメリカン航空のマイルでニューオーリンズ、22~25日。

22日は朝の便。5時に起きて、日曜は地下鉄の動き出しが遅いのでLyftで空港へ。
地元は氷点下だったのが、ニューオーリンズは10度近くありました。このあと25日にかけてどんどん暖かくなっていきました。後半は春。

空港から市内のバスは$1.25。安い。
昼過ぎに中心部のフレンチクォーターに着いて、まずAcme Oyster Houseというところで牡蠣をキメます。おねえさんが「めっちゃ熱いから!」といって持ってくる炭火焼き。チーズがかかっててワインに合いました。
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メインの通りと思われるバーボンストリート。オフシーズンのようで、道路工事を盛んにしており、人は少なめ。
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街を歩いていると、誇張ではなくどこからも音楽が聞こえてきます。ストーリーヴィルという赤線(こちらではred-light)地域があり、そこに雇われた黒人ミュージシャンがやっていた即興演奏がジャズになったとか。
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店の中で演奏している人と、店の外で演奏している人の違いはなんだろうか。外の人たちは力量にばらつきありという印象。
公園にはストーリーヴィル出身のルイ・アームストロングがいた。地元の空港の名前もルイ・アームストロング空港。
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フレンチクォーターはフランス人が1682年に入植して最初に作った街。その後、外にプランテーションが作られていったそうです。一帯はもともと沼で、ミシシッピ川より低い土地。今も高層ビルは深く杭を打ち、街は人工的に排水しているそうです。

フランスは当初、この暑くて湿気っていて沼だらけの不人気な土地に囚人を住ませたが失敗。次に南ドイツのカトリック5000人を送り込み、そのあと、継続的に人口を再生産させるため女性を渡航させ、1727年には病院や学校ができた。1763年にスペインに移管。その後、アメリカは独立戦争に勝って国になり、フランスでは革命が起き、いろいろあって1803年にアメリカがルイジアナ州を購入。イギリスがフランスからぶんどったけど英語化しなかったカナダのアカディアの人たちが最終的に辿り着いたのがルイジアナで、アカディアンが訛って「ケイジャン」になった。ケイジャン料理のケイジャン。植民地生まれを指す「クレオール」とはガンボ(おじや)など料理に共通点もあり混同されがちですが違う集団。

建物は独特。Iron Laceと呼ばれる装飾とベランダがいいですね。初期に来たアメリカ人はこのごちゃごちゃした街区が嫌いで、かつプロテスタントとカトリックという文化的な違いもあってフランス・スペイン系住民と仲が悪く、カナル・ストリートという大通りを挟んで両者は分かれて住んでいたそうです。
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夜はCafe Amelieでナマズをいただきました。
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すごく上手に調理してありましたが、やっぱりハーブで抑えないといけない程度にはにおいがあります。

ジャズクラブが並ぶフレンチメン・ストリートに行ってみます。
アーティストの出店もいくつか。
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目を付けていたクラブはなぜか開いておらず、しかし路上に演奏の音がガンガン漏れていて、わざわざ入って聞かなくてもいいかなって思ってしまいました。
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夜歩いて大丈夫かな?という若干の心配は杞憂で、観光客が普通に夜中まで歩いてました。
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23日。セントルイス大聖堂がきれい。
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ミシシッピ川の河口まであと90マイルとのこと。2年前にミネソタで水源を見たところから、弊管理人も川も遠くまできたものです。
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バスツアーで郊外のオークツリー・アレイ・プランテーションへ。
名産のサトウキビを作るプランテーションで、今は財団が管理して観光客を受け入れているそうです。樫の並木がアイコン。南部のプランテーションというと棉花かなと思うのですが、棉花は乾燥したところ、ルイジアナのように湿ったところはサトウキビなのだそうです。どちらも労働集約的な作物で、サトウキビは刈り取るとすぐ腐ってしまうところ、Crystalization=つまり砂糖の結晶の形にする技術ができたことで保管が可能になり、利益性の高いCash Cropとなった。
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こちらは奴隷の家。奴隷にも労働が楽なHouse奴隷から、外できつい作業をするField奴隷までランクがあった。1808年には連邦議会によってアフリカからの奴隷輸入が禁じられたので(港にあった解説看板によるとこっそり1830年まではやっていたらしいが)、バージニアやノースカロライナなどもうちょっと北の方の南部州から集めるようなこともしていたそう。
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主人の家、奴隷の家にそれぞれヒストリアンがいて説明してくれます。主人が奴隷を折檻して殺してしまうような映画などがあるが、そもそも奴隷は資産なので無闇に危害を加えることはなかったとか。1865年に南北戦争が終わって奴隷解放になり、奴隷はどうなったかというと「奴隷」から「すごい貧乏な人」になっただけで、サトウキビを扱うという地元で必要とされるスキルをもってアイルランドやイタリアなどの後発移民と競いながら小さな土地を持ち、子どもを学校に入れ、大学に入れ、ということを何世代もかけてやっていったとのこと。
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日本語では一言「奴隷」ですが、ヒストリアンはslaveではなくenslaved personというんですね。理由を聞くと「奴隷という人がいるのではなく、人を奴隷化するという行為に焦点を当てた表現で、現代英語において現在進行形で置き換えられつつある表現だ」との説明でした。ご主人一家が住み、ルイジアナの政治・経済界の要人が食事会をしていた白亜の母屋をバックに記念撮影してる人たちを見ると、それで何が変わるんじゃいと思いますが、まあそういうこと。

行き帰り、サトウキビの収穫作業がそこここで見られました。2月ごろ作付けして、11-12月が収穫時期だって。機械化により作業は様変わりした。
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ツアーに付属している、沼のボートクルーズ。
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といってもグーグルマップ見てたら狭い水路をちょっと移動しているだけで、見られるものといっても冬のせいか動きの鈍いアリゲーターと泥食ってるブタ、タヌキやサギと地味め。客も頑張って楽しもうとしている苦しさがあった。
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しかしそんなこともあろうかとガイドのおにいさんが子どものワニを用意していて、これを客に持たせて写真タイムを設けていました。場があったまって大団円。いいリスク管理だ。
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このあたり、ヌートリアという外来生物が増えすぎて湿地の植物を食い荒らすなど生態系に影響が出ており、駆除すると州が1匹$10くれるというのでみんな銃を持って撃ちまくっているとのこと。南部州の中でも南部のディープサウス、いかにもというね。あと目の上と下の両方にラインを引いてチャップリンみたいになってる絶対トランパーな強めのオバハンとかも南部でよく見る生き物であった。

夜はCochon Restaurantで晩酌。これはブタのパテみたいなやつで、妙に生々しい味がして、これなんだろうと思ったら、脳とか目とかまで含めた頭全部を固めたもんだとかそんな説明でした。ひえー。ガンボはおいしかったです。
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24日。朝メシにCafe du Mondeのベニエを食います。
ベニエ屋って家からそう遠くない街にもあって、行きたいなと思いながら行ってなかったところです。どんな食べ物かと思ったら揚げパンにパウダーシュガーがかかったやつでした。げふ
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店の外にはやはりラッパふいて歌ってチップをもらうお兄さん。12/24なのでクリスマスソング多めでした。店の人からは飲み物の差し入れ。チップをバケツに入れたら握手されました。
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ちなみに路面が濡れているのは雨ではなく、早朝にこのあたりの道は車で水まいて掃除しているもよう。そうでないとすぐ汚くなるのでしょう。確かにこれだけ人が多くてばっちい感じの街でも全然臭くなかった。えらい。観光地。

ガーデン地区というところの街歩きツアーに参加してみます。
めちゃくちゃ金持ちの家が集まっているところ。「広い家に住みたい人が集まってくる」と現地人。
このあたりの建築はItalianateという様式。暑くて湿った当地ではエアコンのない時代には家の中に風を通すかが命で、高い天井も工夫の一つ。あと、ピンクの外壁は金持ちの証しで、それは塗料がブタとかの血を混ぜた高価なものだったからと。もちろん今は使ってないそうです。
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歩道がボッコボコなのですが、それはこの地区に人が住み始める前からある木を尊重してだとかなんとか。ほんとかな。
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街のかなり中心部に墓地があります。この地域のお墓は家みたい。一帯が沼で地下水の水位が高いので、地下に棺桶を埋めると大雨の時とかに浮いてきてしまうため、お家を作って地上に埋葬します。一軒一軒が家族のお墓。では家族のない人、お金のない人はどうするかというと、そういう目的のNPOがあって、登録すると埋葬してくれるのだそう。ちなみに1970年代にカトリックが火葬を認めたので、80年代には施設が作られて火葬もされているようです。
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路面電車で中心部に戻ります。
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夕方、セントルイス大聖堂でクリスマスイブのミサをやるというので潜り込んでみました。
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南部の教会だとジャズライブみたいになるのかな?と根拠のないイメージで見に行きましたが、がっつりカトリックのミサでした。うっかり前のほうに座ったら聖歌を何個も歌い、洗礼も受けてないのに見よう見まねで聖体(ホスチア。丸い煎餅)をもらって食うというフル参加になってしまいました。

クリスマスの歌にはJoyという言葉が出てきますが、坊さんはウクライナやらガザの情勢を引き合いに出して「私たちはこのクリスマスにJoyできるのだろうか?」と問いかけます。おお意外と社会派じゃん、と思ったところ「でも神がいるので大丈夫です。メリークリスマス」みたいなオチがつき、ほんと宗教は思考停止の道具だなと思いました。

歌って、説教聞いて、横とか後ろの人と握手したりハグしたりし、歌って、説教聞いて、なんか唱えるライブ。周りを見ると聖歌は歌ってる人も歌ってない人もおり、坊さんから受け取った聖体もすぐ食わずに注意される人もおり(弊管理人含む)、強固なコミュニティがあるのか、日本のお寺のように別に宗教心がない人もいたりするのかはちょっと判別はつきませんでした。いずれにせよ中でも外でも挨拶はメリークリスマス。

25日は帰るだけ。さすがにやっているお店は少なく、なんか遠くが煙ってるなーと思いながら空港行きのバス停に向かっていたら雨が降ってきました。
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しかし飛行機は定時運航。離陸した記憶がないくらい寝て、2時間ちょっとで着きました。
春の陽気のニューオーリンズと違って、バージニアはしっかり寒かったです。ちょっと気分が変わっていい旅でした。

* * *

日本より安いので、帰る前にと今年出たiPad miniを買いました。さすが動作はサクサク。しばらく活用の仕方を考えます。

管理人

40代、未婚、子なし、男、文系学士、30万都市出身。新卒で入った会社でずっと働いています。中学の教育方針のせいで日記を書く癖が抜けなくなりました。

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