2025年01月14日

カニ、家、車

メリーランドのちょっと東の方にあるゴダード飛行研究センターというところで仕事。
17時集合で、ナビアプリ上は40分あれば着くところ、渋滞していて1時間くらいかかった。弊管理人の前にいた車は横のレーンのほうが速いかと思って短気を起こして車線変更したが、当レーンのほうが全然早く流れた。車に乗ったアメリカ人というのは概してバカだと思う。

思ったよりちょっと早く済んだので、ちょっと気になっていたJerry's Seafoodというお店に夕飯食べにいきました。
She Crab Soupが食べたかった気がするんだけど、メニューを見ながらそのスープと何を合わせたらいいのか分からなくなり、Crab Bombと名付けられたクラブケーキを頼んでしまいました。たぶんアメリカ最後のクラブケーキだと思う。
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えらべる付け合わせは焼きジャガイモとトマトシチューStewed Tomatoesにしました。
クラブケーキはオールドベイというメリーランド名物のスパイスがかかっていて、身もしっかり濃厚。たぶん歴代1位タイ。あと、トマトシチューは甘酸っぱくてコントラストとして最高だった。後で調べたら必ずしも甘いものではないらしいのだけど、弊管理人は絶対甘いほうが好き。
テーブルについた黒人のおにいさんウェイターが、べたべたしないスタイルかつとても説明が的確でできる感じでした。そういえばお客さんが大半黒人だったんだけどそういう地域?値段はちょっと張ったが、まあ最後だしよしとした。

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このかん東京の家探しをしており、オンライン内見して新中野のアパートに申し込みました。
もう1件迷ったのは中野富士見町で、こちらは少し家賃が高いが新築、ネット無料、グリルありという良さがあったものの、周囲が新中野より若干魅力に欠け、数分だが通勤時間が長いという環境面を決め手としました。どちらにもメリットとデメリットがあって甲乙付けがたかった。

会社と不動産屋が契約していて、入居する弊管理人は物件を決めたらあとはお沙汰を待つというスタイル。これまで帰国した同僚たちがことごとく手続きの遅延などで1カ月くらいマンスリーマンションに留め置かれたり持ち出しを強いられたりと悪い話ばかり聞いていたので警戒していましたが、ここまではわりと進んだ。しかし悪い話ばかり聞きすぎて安心できません。

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車を売る算段もつけつつあります。
3年前に購入した日本語OKの中古車屋に査定を頼んでみたら、オンライン査定を受け付けて素早く買い取りをするという当地大手の業者に比べてかなり安かった。中国系の大将がしきりに「こちらも商売なので」「いや安く買うつもりはないんだけど」「オンライン査定の会社もこれくらいだ」と画面を見せてくるが、どんな条件を入力したのかは見せなかった。あと、車の履歴も示されたが、実施したはずのオイル交換の記録が書かれていなかったのも不審だった。

こちらもオンライン査定の数字を持っており、今までいろいろ対応してもらったし、1割安いくらいであれば飲もうと思っていたが、2割以上安かったので「ちょっと考えま~す」で辞しました。もう一方の選択肢を試してみて、なんか微妙だったらそういう市場だと納得して戻ってくることにする。

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新しく来る人、来た人がアメリカの物価に当てられて、するべき買い物を控えようかなみたいな発言をしていました。日本円に換算すると精神衛生上よくないので、アメリカの物価体系においてどうかを考えて、基本的には買う判断をするべきだと思うのね。弊管理人はね。

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なんかもう「この国からいなくなるモード」に完全移行し、淡々と店じまいの準備を進めています。あれ食っとこうとかここ行っとこうとかはないな。春を感じさせる日差しになってきました。まだ気温は氷点下ですが。

2025年01月05日

さっむい

月に1回か2回くる土曜日の出番、8時始まり・24時終了の16時間勤務。そんな労働時間ある?と思いながら3年ちょっとやったが、この4日が最後。終わり。もうない。

デスクまわりを少し片付けました。

これは2022年、23年、24年のカレンダーで、月が終わるごとに斜線で消していった記録。同僚に「病的」と言われたこともあります。25年は1月だけ右端につけてありましたが、もういいや。捨てました。
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前任者が何かの景品でもらったというオーパス・ワンというワイン、引き継がれたまま机の下に3年間放置していたのを同僚にあげました。「常温で立ててあったのでまずくなってるかもしれませんよ」と言いましたが「オーパス・ワンを飲んだことがあるというだけでもいい」とのこと。そんないいワインなん?

To Doリストを上から片付けて、その間に入ってきたあれこれも片付けて、19時くらいにこっそり職場を抜けて、在宅勤務で終了しました。

* * *

日曜。寒い。最低気温はマイナス7度までいったらしい。
そして夜から月曜にかけて今季初めての本格的な雪だというので、スーパーはめちゃ混みでした。みんな早めに食料品を買い込んで家に籠もろうということですね。政府機関も早々に月曜は休みという判断をしたらしい。

昼、「自宅でカレー食べたくない?」とプエルトリカンにテキストしたら「Yesssssss」と返ってきたのでDCへ出張料理。
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いやS&Bのゴールデンカレーですけど。ご飯を褒められた。どんな米使ってるの?と聞かれたので普通の米だが、研いで、吸水させて、ちゃんとrice cookerで炊けばこうなると教えておきました。しかし君あんま米食わないだろう。

スーパー行きたいっていうので送って買い物して戻って下ろして帰りました。
夜は鯖の味噌煮と、キャベツ炒め。

そんでいま22時20分ですが、まだ雪が降ってこない。

週明けから本格的に離任と引っ越し関係の手続きをします。

【6日追記】

朝からしっかり降りました。
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2025年01月01日

さよならニューヨーク

ちょっと前にニューヨークの職場の人と共通の知り合いの仕事先がご飯食べてるときに弊管理人に電話がきて「年末きてくださいよ~」と言われたので、お別れを兼ねて本当に行くことにしました。

【12/30】

5時起きして地下鉄で空港へ。マイルでとったDCA-LGA便でひょいっとニューヨーク。
地下鉄に接続する無料バスにさくっと乗って地下鉄でマンハッタンに出てクーパー・ヒューイット・デザイン美術館に行きました。ニューヨークも中心部であれば東京のように動けるようになったかもなあ。
事前に検索しても情報が出ていなかったのであまり期待していませんでしたが、カウンターで聞いてみたらここも職権により無料で入れてしまいました。
カーネギーのおうちなんだって。すごすぎない?
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常設展というものはないのかな?全館にわたって「住まい」をテーマにした展示でした。
出てきてお昼。Xi'an Famous Foodsという市内に何店舗かあるお店で薄切りラムの載った幅広麺。
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辛すぎず満足。結構な量です。

コーヒー買って、川べりの公園Carl Schulz Parkに出て、ちょっと仕事のチェックした。
Green Lane Coffeeというお店のコーヒー、ミルクを入れてもらいました。酸味強めで好きな味。
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そんでLittle Shanghaiという中華でニューヨークの職場の2人とご飯。
この3年でちょいちょい仕事が交錯したが、しかしそんなに濃ゆくお付き合いしたわけでもない2人、しかも一応年下の人たちなのでご負担でなかったことを願います。たぶんわりと楽しいおしゃべりだった、はず。
声かけいただいた1人のおうちに泊めていただきました。恐縮。

【12/31】

そのおうちはニューヨークの職場の目の前、ここ人住んでるの?くらいの中心部で、朝に目が覚めてブランチの約束まで時間があるので散歩に連れ出していただきました。時ならぬ暖かさで、10度とかあります。前の週はマイナス12度までいったとのこと。

ロックフェラーセンターのツリー。てっぺんの星はスワロフスキーだって。
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いつもテレビで見ていたNBC朝のニュースの生中継。
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タイムズスクエア。大晦日のカウントダウンイベント前に既にフェンスが設置してあります。
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セントラルパーク。
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派手派手しいディオール。
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朝9時や10時だと人が少なくて歩きやすいとのこと。十分混雑してる気がするけど。
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ヴィトンのビルはかばんの形。高い建物が迫ってるので縦位置の写真が多くなるな。
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トランプタワーはあまり見るところがありませんでした。
回ろうかなと思っていたところが全部見られて、かつ予想外にいろいろ連れ回していただいてしまいました。感謝。

仕事先と合流してブランチして、めちゃくちゃ喋りました。
前の日まで北欧に行ってて、オーロラ見られてよかったのに、帰りにバゲージロストしてへこんでいるとのこと。
友達に赤ちゃんができたのでスプーンを買うとかで、ティファニー。この鳥は何?
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仕事先は「下着を買う」というので下着屋の前で別れました。

同僚と職場へコーヒー飲みにいきます。途中の建設中のビルはJPモルガンだって。ちょうど起きたときにやってた紅白で藤井風がNYの(たぶん)クイーンズからの中継で歌ってて、その背景に映ってたビルです。同僚が来たころから建設してるのでもう3年近く作ってるとかなんとか。
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英語以外の言葉がいっぱい聞こえる街。で人多すぎ。
弊管理人はやはり、のどかなDCがいいです。
ひとしきり大晦日の職場でダラダラしておいとましました。
何回書いたか分からないが、多分本当にこれでNYはおしまい。
40分くらいぶらぶら歩きながらアムトラックの駅に行って、列車でDCに帰ってそのまま帰宅して新年になる前に寝ました。

【1/1】

残りもののデニッシュで朝飯、NYの日記を書き、旧年中のあれこれを片付け、ご来光はアパートの屋上がまだ開いてなくて見られないという「12/31のオーバーラン」みたいな元日になってます。さすがに外は静か。寝るのが深夜になる日が続いて早寝キャンペーンが少し危ない。

先日行ったニューオーリンズの、それこそ何回か歩いたバーボンストリートで車で群衆に突っ込んだ上に乱射、10人死亡、みたいなことが新年の未明に起きてました。

本格的にアメリカでの生活を締めくくる月になったので、今年に限っては始まったというよりは、いよいよまとめという雰囲気です。

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◆今田高俊・寿楽浩太・中澤高師『核のごみをどうするか』岩波書店、2023年

◆東浩紀『観光客の哲学 増補版』ゲンロン、2023年

2024年12月28日

24年まとめ

ニューオーリンズから帰ってきて30日にニューヨークに行くまでちょっと日があり、どこか一泊旅行にでもと思ったら雨もよう。しかしちょっと特別感は欲しい、ということで車で1時間20分くらいのカルペパーCulpeperという町へお昼を食べに行きました。
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It's about thymeというお店で豚のロースト。
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写真ではどういう食べ物なのかよく分からないが、ポテトグラタンの上に豚のロースを焼いたもの、その上にザワークラウトがどっさり。ソースはドミグラスソースに見えるがちょっと甘みがあり、なんか伯母が年末に作るチャーシューみたいです。じんわりおいしかった。

1月に最後のお呼ばれみたいのがあるので、その時に持っていくワインを近くのワイナリーで1本買い、帰りにフェアファックスのショッピングモールのEddie Bauerで襟のすり切れたネルシャツの代わりを6割引でゲットして帰りました。
この襟のすり切れたネルシャツは新宿南口のお店(去年帰省したらなくなっていたような?)で買って、遅くとも2014年には着ていた記憶があるので、10年以上もった。すごいコスパ。弊管理人の30代と40代を一緒に過ごしたわりとお気に入りのシャツでした。

後任も同じメーカー。襟がびろっと広がるのが嫌いなのでボタンダウン、常に携帯電話の着信に気付かないといけないので入れておく胸ポケットつき、という条件で探すとEBになってしまうのです。

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2024年まとめ。

1月 石川の地震と羽田の事故で開始。DC寒!ギル・シャハムは在米ベスト演奏会
2月 積雪。ダンスパーティー楽しかった。仕事はまだ寝てる感じでしたな
3月 運動のためバス通勤に。ヒューストン出張満喫。レンタカーでEVはだめだと痛感
4月 クリーブランドで皆既日食。在米最高の思い出
5月 ハウスウォーミング連続お呼ばれ。フロリダ出張。歯のトラブル開始……
6月 ようやくフロリダ仕事が片付く。熱波がきてDCが37度に
7月 健康診断でNYC、出張でLA、美術館巡り。独立記念日はお呼ばれで光栄
8月 夏休みはコロナで終了しずっと停滞、フィリー出張で調子戻る。父方祖母他界
9月 湖畔のお泊まり会最高。ボストン出張楽しく完遂。NYC出張はインプット過多
10月 アミッシュの街に一泊旅行、楽しかった。PA州のトランプ集会行けてよかった
11月 アゼルバイジャン出張、観光の時間はなかったがいいとこだった
12月 漫然と過ぎた感。ニューオーリンズよかった。早寝早起きチャレンジ継続中

ということで、職場は最高潮にハードな年だった一方、弊管理人は以下2点に尽きます。
・いろんなところへお呼ばれして、アメリカ人の日常を観察できた
・出張はどれも楽しかったが、重要な仕事をしたかというとしてない

他に、下記のように歳を感じることの多い昨今です。
・運動しても体があまり反応しなくなってきた気がする
・テクノロジーからの遅れが顕著
・日本でまた知り合いが亡くなった

来年は日本に帰ります。凍結していた時間がまた動き出すので、いろんなものを立て直し、わがままを通し、賢くお金を使っていきたいと思います。

2024年12月26日

ニューオーリンズ食い倒れ

冬休み。北は天気が荒れると何もできないので南にしました。
アメリカン航空のマイルでニューオーリンズ、22~25日。

22日は朝の便。5時に起きて、日曜は地下鉄の動き出しが遅いのでLyftで空港へ。
地元は氷点下だったのが、ニューオーリンズは10度近くありました。このあと25日にかけてどんどん暖かくなっていきました。後半は春。

空港から市内のバスは$1.25。安い。
昼過ぎに中心部のフレンチクォーターに着いて、まずAcme Oyster Houseというところで牡蠣をキメます。おねえさんが「めっちゃ熱いから!」といって持ってくる炭火焼き。チーズがかかっててワインに合いました。
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メインの通りと思われるバーボンストリート。オフシーズンのようで、道路工事を盛んにしており、人は少なめ。
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街を歩いていると、誇張ではなくどこからも音楽が聞こえてきます。ストーリーヴィルという赤線(こちらではred-light)地域があり、そこに雇われた黒人ミュージシャンがやっていた即興演奏がジャズになったとか。
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店の中で演奏している人と、店の外で演奏している人の違いはなんだろうか。外の人たちは力量にばらつきありという印象。
公園にはストーリーヴィル出身のルイ・アームストロングがいた。地元の空港の名前もルイ・アームストロング空港。
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フレンチクォーターはフランス人が1682年に入植して最初に作った街。その後、外にプランテーションが作られていったそうです。一帯はもともと沼で、ミシシッピ川より低い土地。今も高層ビルは深く杭を打ち、街は人工的に排水しているそうです。

フランスは当初、この暑くて湿気っていて沼だらけの不人気な土地に囚人を住ませたが失敗。次に南ドイツのカトリック5000人を送り込み、そのあと、継続的に人口を再生産させるため女性を渡航させ、1727年には病院や学校ができた。1763年にスペインに移管。その後、アメリカは独立戦争に勝って国になり、フランスでは革命が起き、いろいろあって1803年にアメリカがルイジアナ州を購入。イギリスがフランスからぶんどったけど英語化しなかったカナダのアカディアの人たちが最終的に辿り着いたのがルイジアナで、アカディアンが訛って「ケイジャン」になった。ケイジャン料理のケイジャン。植民地生まれを指す「クレオール」とはガンボ(おじや)など料理に共通点もあり混同されがちですが違う集団。

建物は独特。Iron Laceと呼ばれる装飾とベランダがいいですね。初期に来たアメリカ人はこのごちゃごちゃした街区が嫌いで、かつプロテスタントとカトリックという文化的な違いもあってフランス・スペイン系住民と仲が悪く、カナル・ストリートという大通りを挟んで両者は分かれて住んでいたそうです。
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夜はCafe Amelieでナマズをいただきました。
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すごく上手に調理してありましたが、やっぱりハーブで抑えないといけない程度にはにおいがあります。

ジャズクラブが並ぶフレンチメン・ストリートに行ってみます。
アーティストの出店もいくつか。
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目を付けていたクラブはなぜか開いておらず、しかし路上に演奏の音がガンガン漏れていて、わざわざ入って聞かなくてもいいかなって思ってしまいました。
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夜歩いて大丈夫かな?という若干の心配は杞憂で、観光客が普通に夜中まで歩いてました。
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23日。セントルイス大聖堂がきれい。
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ミシシッピ川の河口まであと90マイルとのこと。2年前にミネソタで水源を見たところから、弊管理人も川も遠くまできたものです。
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バスツアーで郊外のオークツリー・アレイ・プランテーションへ。
名産のサトウキビを作るプランテーションで、今は財団が管理して観光客を受け入れているそうです。樫の並木がアイコン。南部のプランテーションというと棉花かなと思うのですが、棉花は乾燥したところ、ルイジアナのように湿ったところはサトウキビなのだそうです。どちらも労働集約的な作物で、サトウキビは刈り取るとすぐ腐ってしまうところ、Crystalization=つまり砂糖の結晶の形にする技術ができたことで保管が可能になり、利益性の高いCash Cropとなった。
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こちらは奴隷の家。奴隷にも労働が楽なHouse奴隷から、外できつい作業をするField奴隷までランクがあった。1808年には連邦議会によってアフリカからの奴隷輸入が禁じられたので(港にあった解説看板によるとこっそり1830年まではやっていたらしいが)、バージニアやノースカロライナなどもうちょっと北の方の南部州から集めるようなこともしていたそう。
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主人の家、奴隷の家にそれぞれヒストリアンがいて説明してくれます。主人が奴隷を折檻して殺してしまうような映画などがあるが、そもそも奴隷は資産なので無闇に危害を加えることはなかったとか。1865年に南北戦争が終わって奴隷解放になり、奴隷はどうなったかというと「奴隷」から「すごい貧乏な人」になっただけで、サトウキビを扱うという地元で必要とされるスキルをもってアイルランドやイタリアなどの後発移民と競いながら小さな土地を持ち、子どもを学校に入れ、大学に入れ、ということを何世代もかけてやっていったとのこと。
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日本語では一言「奴隷」ですが、ヒストリアンはslaveではなくenslaved personというんですね。理由を聞くと「奴隷という人がいるのではなく、人を奴隷化するという行為に焦点を当てた表現で、現代英語において現在進行形で置き換えられつつある表現だ」との説明でした。ご主人一家が住み、ルイジアナの政治・経済界の要人が食事会をしていた白亜の母屋をバックに記念撮影してる人たちを見ると、それで何が変わるんじゃいと思いますが、まあそういうこと。

行き帰り、サトウキビの収穫作業がそこここで見られました。2月ごろ作付けして、11-12月が収穫時期だって。機械化により作業は様変わりした。
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ツアーに付属している、沼のボートクルーズ。
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といってもグーグルマップ見てたら狭い水路をちょっと移動しているだけで、見られるものといっても冬のせいか動きの鈍いアリゲーターと泥食ってるブタ、タヌキやサギと地味め。客も頑張って楽しもうとしている苦しさがあった。
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しかしそんなこともあろうかとガイドのおにいさんが子どものワニを用意していて、これを客に持たせて写真タイムを設けていました。場があったまって大団円。いいリスク管理だ。
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このあたり、ヌートリアという外来生物が増えすぎて湿地の植物を食い荒らすなど生態系に影響が出ており、駆除すると州が1匹$10くれるというのでみんな銃を持って撃ちまくっているとのこと。南部州の中でも南部のディープサウス、いかにもというね。あと目の上と下の両方にラインを引いてチャップリンみたいになってる絶対トランパーな強めのオバハンとかも南部でよく見る生き物であった。

夜はCochon Restaurantで晩酌。これはブタのパテみたいなやつで、妙に生々しい味がして、これなんだろうと思ったら、脳とか目とかまで含めた頭全部を固めたもんだとかそんな説明でした。ひえー。ガンボはおいしかったです。
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24日。朝メシにCafe du Mondeのベニエを食います。
ベニエ屋って家からそう遠くない街にもあって、行きたいなと思いながら行ってなかったところです。どんな食べ物かと思ったら揚げパンにパウダーシュガーがかかったやつでした。げふ
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店の外にはやはりラッパふいて歌ってチップをもらうお兄さん。12/24なのでクリスマスソング多めでした。店の人からは飲み物の差し入れ。チップをバケツに入れたら握手されました。
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ちなみに路面が濡れているのは雨ではなく、早朝にこのあたりの道は車で水まいて掃除しているもよう。そうでないとすぐ汚くなるのでしょう。確かにこれだけ人が多くてばっちい感じの街でも全然臭くなかった。えらい。観光地。

ガーデン地区というところの街歩きツアーに参加してみます。
めちゃくちゃ金持ちの家が集まっているところ。「広い家に住みたい人が集まってくる」と現地人。
このあたりの建築はItalianateという様式。暑くて湿った当地ではエアコンのない時代には家の中に風を通すかが命で、高い天井も工夫の一つ。あと、ピンクの外壁は金持ちの証しで、それは塗料がブタとかの血を混ぜた高価なものだったからと。もちろん今は使ってないそうです。
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歩道がボッコボコなのですが、それはこの地区に人が住み始める前からある木を尊重してだとかなんとか。ほんとかな。
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街のかなり中心部に墓地があります。この地域のお墓は家みたい。一帯が沼で地下水の水位が高いので、地下に棺桶を埋めると大雨の時とかに浮いてきてしまうため、お家を作って地上に埋葬します。一軒一軒が家族のお墓。では家族のない人、お金のない人はどうするかというと、そういう目的のNPOがあって、登録すると埋葬してくれるのだそう。ちなみに1970年代にカトリックが火葬を認めたので、80年代には施設が作られて火葬もされているようです。
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路面電車で中心部に戻ります。
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夕方、セントルイス大聖堂でクリスマスイブのミサをやるというので潜り込んでみました。
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南部の教会だとジャズライブみたいになるのかな?と根拠のないイメージで見に行きましたが、がっつりカトリックのミサでした。うっかり前のほうに座ったら聖歌を何個も歌い、洗礼も受けてないのに見よう見まねで聖体(ホスチア。丸い煎餅)をもらって食うというフル参加になってしまいました。

クリスマスの歌にはJoyという言葉が出てきますが、坊さんはウクライナやらガザの情勢を引き合いに出して「私たちはこのクリスマスにJoyできるのだろうか?」と問いかけます。おお意外と社会派じゃん、と思ったところ「でも神がいるので大丈夫です。メリークリスマス」みたいなオチがつき、ほんと宗教は思考停止の道具だなと思いました。

歌って、説教聞いて、横とか後ろの人と握手したりハグしたりし、歌って、説教聞いて、なんか唱えるライブ。周りを見ると聖歌は歌ってる人も歌ってない人もおり、坊さんから受け取った聖体もすぐ食わずに注意される人もおり(弊管理人含む)、強固なコミュニティがあるのか、日本のお寺のように別に宗教心がない人もいたりするのかはちょっと判別はつきませんでした。いずれにせよ中でも外でも挨拶はメリークリスマス。

25日は帰るだけ。さすがにやっているお店は少なく、なんか遠くが煙ってるなーと思いながら空港行きのバス停に向かっていたら雨が降ってきました。
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しかし飛行機は定時運航。離陸した記憶がないくらい寝て、2時間ちょっとで着きました。
春の陽気のニューオーリンズと違って、バージニアはしっかり寒かったです。ちょっと気分が変わっていい旅でした。

* * *

日本より安いので、帰る前にと今年出たiPad miniを買いました。さすが動作はサクサク。しばらく活用の仕方を考えます。

2024年12月21日

仕事納め

12月第3週になるといろんな仕事先から「よいお年を」みたいなメールが舞い込み、店じまいモードが急に高まりました。
20日(金)は仕事先が大掃除みたいなアウトプットをし、弊管理人はそれに多少の対応をしたところで「これは納めていいな」という感じになりました。

で、夜はデュポンサークルのBistrot du Coinで他社・同分野の人たちと3人で納会。
テーブルクロスがクリスマス。
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2021年前半に来たA氏は日曜から一時帰国、来年4月に日本帰任のもよう。
2022年初めに来たY氏はこの休みはフロリダへ。来年3月か4月に日本帰任のもよう。
A氏はちょっと早かったけど、だいたいみんな同じ時期に来て、同じ時期に帰るわけで、2月帰任の弊管理人だけでなく他の2人もかなり締めくくりモードでした。

「在任中、何が一番よかったですか」とA氏に聞かれたので「皆既日食が見られたこと」と答えました。それぞれ別のところで皆既日食を見ることができたA氏、Y氏もあれはすごかったと同意。
そのほか、ゴルフ大好きA氏はゴルフ仲間とノースカロライナのゴルフリゾートに行ったことが人生で一番よかったとのこと。
何やら離婚の危機にあるY氏はドミニカのオールインクルーシブのホテルに滞在したのが思い出の様子です。
三者三様に頑張り、遊んだということかな。

Coinはフォアグラ、子牛のクリーム煮込み、パテ、タルタルがどれも安定の美味で満腹。頼んだものがすごい勢いで出てきたのですごい勢いで食って、A氏が選んだワイン2本空けて、チップ込み1人$77。3人とも満足して別れました。勢いがよすぎて滞在が2時間を超えなかった。

弊管理人のいる分野は狭い世界なので、DCに来る何年も前から知り合いだった3人です。また東京とか大阪とかですぐに行き会うことでしょう。いや、っつうかまだあと1カ月ちょっとの間で会うと思うけど。

この2日ほど、また寒くなってきました。帰り道はたぶん0度近く。
帰って気力でちょっとだけ仕事して、東京にぶん投げて気絶しました。別に深夜でもなく、まだ22時に寝て5時に起きる生活が続けられているのでいつも通りの時間に眠くなり、それが酒でブーストされていたというだけ。

2024年12月08日

バソキヤ

年末にニューヨークに行くことになりそうで、そういやバスキアはどこに行くと見られるのかなと検索したらDCのハーシュホーン美術館で展示やっているという情報が出てきて、行きました。

久しぶりかもしれない。ハーシュホーン。
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分かりやすく黒人、かつカップルっぽい人たちが多かった。
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OSGEMEOS(オスジェメオス)の特集も見た。
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目が離れた人たちがいっぱいいた。
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出てきたら夕方。
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珍しくおにいさんのほうが被写体となり映える写真を撮るカポー。
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なかなかのマジックアワーでありました。
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3年くらい前、とにかく土日は疲れていたり手持ち無沙汰だったりして美術館や博物館を回っていました。ちょうど冬の夕暮れにナショナルモールを歩いたことがあり、そのときのことを思い出してました。3年で何をしたわけでもないが、とにかくいっぱい仕事をしたという言い訳だけはできようもの。そして帰ることに特段の期待はないばかりか、不愉快なことの多い国だろうなと思うだけ。

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前後しますが、金曜は日本人の研究者の人たちとベセスダのメキシコ料理Guapo'sで忘年会。
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ここ2カ月くらいの間に来た人、しばらくフィラデルフィアで研究していて戻ってきた人など新しく知り合う人が何人かいました。まあこちらはあと2カ月でいなくなるんですが。もうちょっと早く知り合いたかったな。

隣に座ったバイオロジストのおかーさんからは「サンクスギビングどうやって過ごしたの」と心配されましたが、友達にお呼ばれしたと答えたら安心したとのこと。サンクスギビングは独りがつらい行事という位置付けであるよう。

向かいの小児科医のおにいさんは1年しかいない予定で、「しかし物価が高くてそれまでもいられるかどうか」とこぼしたら、弊管理人のおかーさんと逆側の隣に座った研究者から「カネは自分で取るんだよ!!」とバチクソ詰められていました。アメリカで研究資金を獲得して自立して生きていくのは大変。「昔より日本人研究者は覿面に減った。しかし遊びにきてる人がいなくなっただけで、それだけ余裕がなくなってはいるがちゃんと研究している人は残っている」とかなんとか。

家が近いことが判明したおかーさんと製薬会社から派遣されてきているおにーさんを送って帰りました。おかーさんからはやはり飴ちゃんもらいました。飴ちゃんは世界のレディーたちのコミュニケーション通貨か何かなのか。

夜はめちゃくちゃ寒かったです。というかこのところ本当に寒い。朝は-3度くらい。日中も5度いけばちょっとましかなという日々。

* * *

アゼルバイジャン以来の早寝早起きはなんとまだ続いています。
体内時計はすっかり戻ってきたようで、夜中に目が覚めてまた寝る、ということは今週前半にはなくなりました。体内時計の修正は1週間くらいはかかるんだな。
しかし、努めて早寝しているので、22時には寝て5時過ぎに起きる生活はまだ維持できています。5時半か6時くらいに朝飯食べて、そのあとデスクワーク。日により朝ジム。
このまましばらくこれでいきたい。んだけど、なんとなく1日につき20-30分ずつ寝る時間が遅くなってきています。がんばれ~

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なぜ買ったのか自分でもよく覚えていない唐揚げ粉を消費するため、アメリカに来て初めての揚げ物をしました。
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全くおいしく見えないのが悲しいところですが、まあまあおいしいのでよし。
残り物のハンバーグと切り干し大根、なめたけ。

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日曜朝の早起きでは、ネットの解約、電気の解約、駐車場の解約に保険の解約、郵便物の回送依頼(こっちの郵政公社USPSもやってくれるのな)など、今からできる手続きをいくつか進めました。
もう新しいことしようとか、そういうことは思わなくなった。

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プエルトリカンから「クリスマスイブはフロリダの実家においでよ」と言われたのでマイルで飛行機をとったところで、オーランド空港から1時間近く車をぶっ飛ばしたところにある実家と送迎してもらえるかなと探ってみたら「クリスマスの日は家族と過ごすから……タンパに行く友達が乗せてってくれるかどうか聞いてみる」と。

つまりクリスマスイブのパーティに来るのはウエルカムだが、クリスマス当日はこっちに頼らず勝手に帰ってくれるかなということ。ふーん。「じゃあちょっと計画練り直すね」といって飛行機をキャンセルしてマイルを取り戻し、ニューオーリンズに一人旅に行くことにしました。

2泊3日でパーティひとつのためにフロリダまで行くのはないわ。翌日も遊んでくれるのかと思ったが、そこまで歓迎されるわけでもなければもっと時間は有効に使います。「やっぱ行かない」と伝えると、弊管理人が来ることを期待していたご両親が悲しんでるというメッセージのスクショが送られてきました。いやまあ、車で1時間のところなら一も二もなく行きますけども。さすがにな。

2024年12月01日

リースバーグ・冬

土曜は出番で、相方は職場のボス。本当は24時までの勤務だけど、ボスが夕方に帰ったらさっと帰って在宅に切り替えようと思っていたら全然帰らず。遺憾であった。

日曜は寒い。プエルトリカンに「ランチいく?」といって出掛けます。
リースバーグのアウトレットモールに久しぶりに行きたいというので、途中のサイゴン・ビストロでお昼にしました。
盛り合わせ焼肉定食。
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マリネした肉とえびの練り物、このケーキみたいのは何だ?と思ったら春雨とそぼろ?を固めたものであった。全部うまかった。

アウトレットモールはTommy Hilfigerでシャツを買いたかったんだけどサイズがなかったり胸ポケットがなくて惜しかったりで結局何も買いませんでした。プエルトリカンはテンション上がっていろいろ買っていた。

敷地にはクリスマスツリーが立っていて、そして雪がこんこんと降ってきました。
12月だ。冬だ。

リースバーグの街の入口にある小さなお店でアップルパイ買って帰りました。
まだ夕方眠いです。耐えられる程度には緩和してきましたが、せっかくの早起き習慣なので、むしろもう1週間くらいは維持していきたいところです。

* * *

いろいろ準備して臨んだブラックフライデー~サイバーマンデーは大したものを買いませんでした。
iPadかminiを買おうかなと物色していたら値段が結構変動していたほか、「弊管理人は本当にiPadが欲しいのだろうか」などと自問モードに入ってしまい、うかうかしていたら買わずに終了。

* * *

会社の2期下で、だいぶ前に退職した人が亡くなっていたことを彼の同期から聞いて知りました。
彼が甲府にいた20年くらい前、甲府の職場に遊びにいったときに会ったことがあります。なんか優秀そうな子だなと思ったら同期総代だったとかなんとか。その後2年くらいで辞めて出版社に行ったということだったはず。胃がんですと。

2024年11月29日

感謝祭24

時差ぼけ調整中で、月曜に帰ってきてから
・夕方眠くなるので素直に昼寝する(しかし3-4時間寝てしまう)
・それでも夜は眠れて、24-25時に床について5時には起きる
・便意は一時乱れたが朝で落ち着いた
という状態です。昼寝と夜でトータルの睡眠時間は足りているようで、起きているとまあまあ調子はいいのですが、19時くらいから眠気がきます。時差ぼけの眠気はなぜか抵抗できないほど強力なのもいつも通り。金曜を迎え、そろそろ「普通の早起き」状態に向かってくれるのではと思ってはいます。

28日はサンクスギビング。だいたいの店は休業となり、いろんな企業から「Happy Thanksgiving!」というメールがきます。しかしアジア系スーパーは構わず営業中なので、開店直後に行って買い出しをしてきました。

今年のお呼ばれは昨年のこぢんまりとしたFriendsgivingの後にホストがアパートから一戸建てに引っ越したせいか少し規模が大きく、当初予定の8人+3人ほど来客で大量の料理を自分でよそって食べる形式。名前はThanksgivingでした。

16時に来てねと言われて16時半に着くとこんな感じ。
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七面鳥はやはり必須のようであった。
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メインは時間がかかるので、アペタイザーつまんで喋りながら待ってて、というスタイルはとても参考になる。人を待たせるのは当たり前だが、同時にただ待たされるのは許容しないという人々のお互い様が辿り着く最適解だと思う。
「おばあちゃん直伝のブラッディーメアリーのレシピ」で振る舞う参加者も。

毎度思うが、アメリカ人が食べるアメリカ料理はほんとうにどう手伝っていいか分からない。
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豆腐に衣のようなものをつけて揚げたりしており、創作なのか伝統的なのか全く。
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できあがり。カボチャや根菜のグリル、薄切りポテトの重ね焼き、マカロニチーズ、ベビーブロッコリーのグリル、アスパラガスあたりは定番かな?塩によるシンプルな味付けですが全部うまかったです。しかしチャンピオン認定されたのは七面鳥につけるグレービーソースでした。
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近影。うまそう。事実うまい。
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飲む飲む。
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どうやらサンクスギビングの習わしらしいのですが、「今年感謝したいこと」を回り番で述べていくそうです。健康で過ごせてよかったです、とか昇進してよかったです、とかそういうこと。
そしてちゃんと友達みんなに感謝、というリマークを忘れないところがアメリカ式だなと改めて思った。日本人はこういう時に自分のことだけ喋って終わりにしがちで、日本人だけの場ならそれでもいいんだけど、文化的に開かれた場では「その場にいる一人ひとりにエンゲージすること」を忘れてはいけない。

そのあとゲームやら「今まであった一番変なこと」といったお題deトーク的なことが始まり、弊管理人は眠気がきたのでソファで横になったら3時間が溶けていた。残り物を持たせてもらい、23時過ぎにおいとましました。

実は飲み物の足しに梅酒を置いておき、デザートに杏仁豆腐を作っていったんだけど、出すタイミングとか味の好みとかいろいろで多分大半がゴミになったはず。見届けてないけど。
この辺の「どういう場に何で貢献するか」は結局しっかり掴めないままであった。

と、そこは教訓としてさらっと流し、今年も声がかかったことに感謝祭。

2024年11月26日

GOGOアゼルバイジャン

毎年11月か12月に入る国外出張、今年はアゼルバイジャンのバクーです。
旧ソ連、社会科で習うバクー油田、ナゴルノ=カラバフ紛争、くらいしか知らないので、なんか荒涼とした東欧の街というイメージで大丈夫かなあと思っていたんですが、そこは2024年。旅系ユーチューバーが8月に訪れた動画を見て「ひょっとして素敵なのでは?」と期待に変わったのでした。

旅程はDC→ドバイ乗り継ぎ→バクーのエミレーツ航空。二階建てのA380だ~
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黒人のおばちゃん団体客が弊管理人の席の周辺に座ったところ、あめちゃんいただきました。
あめちゃん、世界のおばちゃんのコミュニケーションツールなのだろうか。
ほとんど眠れず12時間でドバイ。5時間くらい待って3時間でバクー。

1週間くらい前に東京から入っていた若手ちゃん(そう若くない)、ロンドンから応援に来ていて弊管理人と交代して帰るおねえさまと合流して、早速アゼルバイジャン料理を食べに行きました。
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ケバブとか餃子とかピラフとか。友好国トルコに、シルクロードの香りがするラインナップということですかね。写真はラムのチーズハンバーグみたいなやつです。うまいよ。ぶどうの葉っぱで挽き肉を巻いたドルマというのも食べた。肉を食う文化なのだね。
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気温は10度くらいかな?小雨。
あとは晴れたり小雨だったり風が強かったり。週末にかけて暖かくなりました。
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泊まったのは中心部で旧市街からすぐ、飲食店や小さなスーパーが集積した広場の一角みたいな宿です。なので多分普段着のバクーは見ていないが、宿の人もその辺の人たちも全体的に穏やかで優しい印象。
あと、着てるものが大抵黒か白ですごく地味です。「ゼレンスキー顔の人多い」とは同僚の言。巨大な人は多くなく、フィットネスの文化はまだきていないな?と思わせる体型は多いがデブではない。
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物価はたぶん平常時だと安いと思う。今回は66000人が登録して、それよりは少ないが数万人が押し寄せる大規模イベントで、ホテルは$150くらいだったと思いますが国が介入して差配したため3倍くらいにつり上がっていたと思われます。会場のメシも$20くらいでやっとまともなものが食えるかなくらいでしたが、地元スーパーだとクロワッサンが$0.65、バナナは6本1房で$2以下とかそれくらい。ちなみに通貨はマナトですが米ドルに換算して書きます。

時差はDC+9時間。絶賛時差ぼけしており、疲れもあって22-23時に寝ると2-3時に目が覚め、そのあとうとうとしながら朝を迎えるので夕方以降は体が明らかにつらい。
さらに空気質も悪い感じがし、途中から気管支炎みたいになりました。鼻水と痰、たぶんそれに誘発した咳。声がらっがらになりました。DCに帰ったとたんに軽減しつつあります。

仕事は屋内で、朝9時くらいに行って夜8時くらいに宿周辺に戻ってご飯を食べるという生活が続きました。仕事場の物価が高いので昼はバナナとかパンを持ち込んで軽く、くらいで済ましてました。従って宿の朝食はちゃんと食べる。
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ビュッフェ形式です。宿のおばちゃんが作ってるっぽい。7-10時ですが、10時近くなると従業員のおじさんたちが朝飯食ってる。同僚は「毎日同じものばかりでつらい」と言ってましたが、アメリカのホテルの「なめてんの?」みたいな朝食に慣れるとこれは余裕で及第点だよ。期待値の低さは幸せの秘訣であります。
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土曜にDCを出発してしばらく時差がつらく、水曜くらいに一度疲れ切って目覚ましをかけずに入眠したところ、起きたら9:30ということがありました。そこで体内時計が調整を始めたっぽく、それまで夜にきていた便意が朝にずれ、体調がよくなりました。
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週半ば、仕事が紛糾の様相を強めてきて、これは観光の時間がとれなそうだなという雰囲気になってきました。出歩けたのは2回。同僚と夕飯を食べにカスピ海の浜辺に行ったのが水曜夜だったかな?
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同僚が「パルコ」と呼んだショッピングセンター。
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ぐにゃぐにゃした建物がいっぱいある街なのですが、今回、宿を手配してくれた旧ソ連に強い日本の旅行社の担当の方が「90年代にパイプラインが通るまでは貧しかった」といっていたので、こういうものを作れるようになったのはそれ以降なんでしょうか。
フードコートでメシ。
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確か$4くらいだったと思う。酸っぱいキャベツとポテトは結構何にもついてきますね。地元価格はこの辺なのであろう。ホテル周辺でハンバーガー食べると$8くらい。あと、食べ物に対してコーラとかの飲み物が若干高い気がする。
もう1回の機会は金曜の朝だったか?隙を突いて昔の宮殿を転用した博物館へ。
旧市街を通っていきます。
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建物は今はほとんどがツーリズム関係の用途だと思いますが、結構生活感もあるような。
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博物館はちょっとした高台にあります。
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さっと見て出勤。
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仕事は国際会議で、会場との行き帰りには無料のシャトルバスが出ていましたが、議長の采配が悪くて延長になってもバスは延長されずにぶった切られたため、ライドシェアを使いました。
こちらの国で使えるのはBoltというもの。アメリカでのUberやLyftと比べて激安なのですが、大丈夫なのでしょうか、ギグワーカーたちの暮らし。
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ちなみに、ギグワーカーのお兄さんとかおじさんとかはみんな強面で英語もおぼつかないが親切でした。この周辺、基本みんな良い人なのでは。
ライドシェアは生活道路を走るので、ちょっと日常のアゼルが垣間見えてよかったです。

結局、会議は議長の采配が改善しないまま2日延び、金曜に終わるはずが日曜の朝方決着。3時間気絶して、そのあと東京と一緒に仕事をフィニッシュして、チェックアウトを14時まで延ばしてもらい(タダでやってくれた!)、帰途に。
なんとかこれだけは、と思ってヘイダル・アリエフ・センター。
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建ってるザハ・ハディドの建築を見る貴重な機会。巨大でした(写真にうつっている人たちのサイズに注目)。美術館というか文化施設のようですが、中に入る時間はもはやなく、Boltぶっ飛ばして空港に向かいました。

帰りは偏西風に逆らって飛ぶドバイ―DCが14時間45分という信じられない長時間航路で、疲れと寝不足のせいか機内の気圧が下がっている間、脳が膨張した感じでずっと頭痛でつらかった。
しかし、神経系が全域的にバグったせいか、アゼルにいくまで知覚過敏みたいになっていた右上の歯が痛くなくなっており、それはよかった。着いてメールなどチェックしてみると、仕事もまずまずの評価だったようでこれもよかった。
いいところな空気は感じつつも仕事に予想以上に時間をとられたので、コーカサスはいつか旅行でちゃんと見たいです。

ということで出張終わり、たぶんアメリカ赴任中の大仕事もこれで終わりです。
月曜朝に自宅帰着。昼寝5時間、さらに21:30に就寝して02:30にばっちり目が覚めました。
今週と来週は、短期的にはブラックフライデーの買い物と出張精算、中期的には引っ越しと帰任関係の手続きをいろいろやります。

管理人

40代、未婚、子なし、男、文系学士、30万都市出身。新卒で入った会社でずっと働いています。中学の教育方針のせいで日記を書く癖が抜けなくなりました。

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