2025年10月19日

秋あるじゃん

二季化の議論などもある中、日中22度とかでなかなか快適、夜はしっかり涼しい日が続いており「秋あるじゃん」と思った週。天気はあまりよくなかったが眩しいのは嫌いなのでOK。

客人が甘いものを持って訪れ、3泊していった。
うち1日は中野の「高しな」で一緒に昼飯。おなかいっぱい。

週半ばに二度寝して計9時間半寝て寝不足回復運転みたいなことをした。
週末にかけても7時間くらい寝るようになってきた。日が短くなってきたせいだと思う。
寝具はじめ結構洗濯して冬の寝床を準備。

近所友2人と中野坂上の平田屋。マイルドに飲めば嗅覚はわりと大丈夫らしい。
毎朝、コーヒー豆を入れてある瓶のふたを開けては一喜一憂しています。

フロスを通したら歯の詰め物が取れたので歯医者。
ついでに11月に予約していた分のクリーニングをしてもらった。2000円。アメリカだと3万円です。助かる。
「フロスは勧めません。歯間ブラシだけ。フロスはいろいろ問題を起こす。もう古い」

* * *

金曜夜、地元駅を出たら野党の元厚労大臣がビラ配ってたので、そのままタウンミーティングに行ってみました。

区民会館の一室で、参加者ざっと30人。同じ党の区議と都議がちょっと挨拶して本人が国政報告。結構たっぷり質疑の時間をとって1時間半でフィニッシュです。
参加者は弊管理人が最若手くらい、つまり年配。マスク勢多し。左っぽいがそこまででもない感じ。「企業・団体献金問題は政治家のやりくりの問題ではない。規制や産業が歪んで皆さんの生活に直結する」という訴求はうまいと思った。そこから年金、病院の経営や医師の偏在など参加者の関心に話を持って行くわけですね。

しかし一方、「医療ベンチャーの育成が足りないんじゃないの」みたいな質問に肯定的に応えて「標準治療の偏重も、新しい医療技術によって既得権益を侵される企業・業界団体の頭の固さによるものである」みたいなちょっと陰謀論ぽい話に滑り落ちそうになった場面もあった。これが行き過ぎると、環境弁護士として出発し、企業と化学物質を敵として戦った末にああなっちゃった彼の国の厚生長官のようになるのかもしれない。

ともあれ「議員定数はもっと減らしてほしい」という投げかけに対しては「私は定数が減っても勝つ自信はあるし、地位に恋々とするものではないが、ほんとに減らすのがいいのか。他の先進国に比べて人口当たりの国会議員数は日本は実は少ない方」などと議論を投げ返すこともあり、わりと対話になっていた。野党代議士が地元とどうやってコミュニケーションとるのか、仕事抜きで時間かけて見たのは初めてかも。面白かったです。

* * *

今週あまり頑張らなかったがご褒美にシュークリーム。
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前にモンブランの基底部が融解していた店だが、シュークリームは普通においしかった。
あと最近ずっと気になってることだが、この大きさのものを載せるのにいい、直径12センチくらいの皿がうちにはない。次の旅行の目的にする。

そういえば、家に近いほうのバタークリームを売りにしているケーキ屋が閉店するとの告示があった。

そして金曜、土曜は遊ばず家にいた。土曜夜はうっかり仕事をした。うっかり。

うわあ来週は3回もシフトがある。自分で作ってるんだが。

2025年10月11日

豊作

このところ食べたもの。

東麻布、魚亀。
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DC時代の元上司、出身部では珍しくかなり出世したOB、弊管理人、という世代や職掌がばらばらの3人と共通の仕事先の計4人で行きました。
いろんなものがお高そうな地域にある居酒屋さんなのでめっちゃ高いんだろうと思ったら、魚づくしのコースで4000円ちょっと(飲み物別)だった。すご。

左がかった人の多い会社なのですが、弊管理人が「わたし結構保守だと思いますけど」と言ったらOBの顔が引きつった。いやあの、グローバルな価値も再分配も重要という考えなのですが、一方でコミュニティ大事だというのと、人間の予見・設計能力には根本的な疑念を持っている点で保守的だと思います。特に社会とか気候みたいな複雑なシステムについて、非常に大きな不確実性のある未来予測を本当かのように語っちゃだめでしょ、などと説明をする間もなくなんか議論がヒートアップした。

* * *

東中野、キャトルエピスハンバーグカレー。
地元民に教えてもらったお店です。平日休みの友人とともに訪問。
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カレーもハンバーグもめしもぬるかった。熱いものは熱いまま食べたいだろう普通。
生姜のきいたスープはうまかった。

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過ぎたる土曜、国立天文台に独りでプラネタリウム見に行った帰りに調布、頑。のどぐろがどうのみたいなつけ麺。
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おいしかった。

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このところ初めましての人に会うことが多く、研究職の人と北千住で飲み食いしながら5時間コースとか、人望爆発系の人をハブとした数十人の立食で喋りまくりとか、いろいろと楽しかったです。声かけて応じてくれるのも、声かけてもらえるのも僥倖。

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嗅覚、今週やっと全快に近くなった感があった。
しかし金曜夜に飲み過ぎたら土曜はコーヒー豆に鼻をつけても何も匂わないくらい元に戻った。
どうもポリープがあってもともと鼻の状態がよくないところに、酒で血管がどうにかなると完全に機能が失われるようです。風呂に入ったら少し匂いが戻ってきた。機能喪失が可逆的なのはまだ助かるが、お酒とご飯を一緒に楽しめないのは大変不便なので、ちかぢかまた耳鼻科に行って相談してみよう。

* * *

今週前半は職場が大商いでした。
打って響く人は、専門外のことでも響く。
普段からアウトプットの少ない人は、鉄火場でもとろい。
頭のよさそうな人に頭がいいとできそうな仕事をアサインしたら正確に期待通りのものが送られてきた。
文字にしてみるとどれも当たり前だな。

量が質に転化するなら若いうちからむやみに手数を打たないとだめなんだけど、ワークライフバランスとハラスメントを盾(に見せかけた矛)としてゆるゆる生きてると、できる人とできない人の格差ばかり広がりつつ全体のレベルが落ちる。他部では50絡みのおじさん・おばさんウォリアーズががっつがつ仕事しているが、どうせこの人たちの引退と業界の終焉はだいたい一緒に来るだろうから、別に「後のことは知らん」でいいのかもしれない。

* * *

Xのコミュニティノートを仕事で扱ったのを機に、協力者登録してみた。
まだ公表されないコミュニティノートをレビューする仕事だが、多くは「匿名で自分は攻撃されずに相手をクサしたい」くらいなもので、片っ端から「不要」ボタンを押していたら弊管理人の評価が一向に上がらない。あと「注意が必要です」という定型句がうるさい。

2025年10月01日

20年たちました

2005年10月にこの日記を始めて、20年がたちました。ほんとは9月からちょっと書き始めてますが、ソフト・オープンのつもりだったので、10月が正式な開始と考えています。

「すべりどめblog」という変な名前について、そういえば今まで説明したことがなかったので、前史から書いておきます。

通っていた国立大附属中学の担任がやたら文章を書かせる人で、日記の提出が毎日の課題でありました。
これで変に癖がついてしまい、高校でもノートに日記を書き続けました。多くは学校や模試の成績、むかついたこととかの日常、あとイラストを付けたり。

大学に入って(1996)インターネットに初めて触れて、ウェブサイトを作る授業なんかを受けているうちにオンラインで日記を公開するようになりました。一部は弊日記の最古層に再掲しています。大学のサーバ、続いて契約していたプロバイダのサーバへ引っ越しながら卒業まで。
就活で今の会社に面接に行ったとき「へー、ホームページやってんの?」とちょっと食いつかれたことを覚えています。後から知ったことですが、当時社長がネットにはまっていたらしく、社報に「社長のホームページ」というコラムを持っていた。やっとwwwがおじさん界に知られ始めたころで、仕事での活用はまだまだです。今なら「へー、生成AIでコード書いてるの?」くらいか。

閑話休題、働き始めてからも場所を移してやっていたウェブ日記が弊日記の直接の前身です。

まず、既存のウェブサービスを使うと突然終了することがあるので、できるだけ安いサーバーを借りようとした。それで契約するときにドメイン名を付けないといけないことが分かり、前身日記のタイトルがswingby(宇宙機が天体の重力を使って軌道や速度を調節すること。「他人の力を借りて自分の方向を転換する」くらいの意味を込めていた気がする)だったことから、安直にそれの「B面」という意味で「sbb」にした。flop.jpというのはサーバー側が勝手に割り当てたものです。

しかし日記に名前をつける段になって、B面というのもちょっとあれだし、sbbというドメイン名はつけちゃったので、それに合うタイトルはないか……と考え始めたものの、結局はすぐに面倒になって「SuBeridome Blogとか?」なんていって適当に決めました。

昔はサブタイトルもあり、「記憶がすべり落ちる前に」とかなんとかしていたはず。要は備忘録だという意味ですが、これも当然タイトルから無理矢理ひねっただけです。

背景の画像は知床半島・ウトロの町です。海へ滑り落ちていくような地形かなとか、そんなあれ。これは始めてから数年たって追加したものです。始めたときはまだ北海道との縁がなかったので。

始めたときが28歳。いま48歳。よもや2025年が来るとは思わなかった。
弊日記は既に分厚いライフログ=備忘録になり、体の具合が悪くなると「前は何日間でどういう経過をたどったっけ」と調べ、友達に旅先やご飯屋を勧めようとすると「あれなんだっけ」と辿る。つれづれに、2000年代後半の変に自意識強そうな文章、2010年代半ばの、なんでこんな塞いでるんだろうと思うような文章を見返すことがある。まさにアウトソーシングされた脳です。第一には自分のために書いてるけど、少数の知り合いがヲチしていて近況報告にもなっているようです。

弊日記からは弊管理人の生活の50%くらいを占める重要な側面をほぼ省いてあります。あとは30%くらいを占める仕事のことも具体的には極力書かないようにしています(時々破る程度のゆるいルール)。その意味でも本当に事務的な備忘録・兼・近況報告。人が見て面白いかどうかは知らないが、自分にとっては役立ちます。いろんなところに記憶の釣り針が仕掛けてあって、そこにさしかかると「書いてない側面」のほうの記憶が海中から引き上げられるので。

先日、サーバの契約をもう3年延長しました。3年で4000円ちょっとだっけ。安い。引き続き書くと思います。では、子どももおらず、何を受け渡す相手もおらず、自分のためだけに生きている弊管理人は、死期が分かったとしても書くのかどうか。そこはこれからのこととして関心のあるポイントです。

2025年09月28日

政治的なものの概念

◆カール・シュミット(中山元訳)『政治的なものの概念』光文社、2025年

学生時代に授業で読んだ時、なんとなく分かるんだけど何か遠い感じがしたまま通り過ぎ、シュミットの話をよくしていた同級生は自殺し、授業をやってた先生も夭逝し、しかしそのときの本は薄くて大きくもないので持ったまま引っ越しのたびに目にして「そのうちまた読もうかな」と思っているうちに新訳が出たのでした。

内容。

・「友」と「敵」の区別こそが政治の本質である。「あるものが政治的な行動であり、政治的な動機であるかどうかを判断するための特殊な政治的な区別は、友と敵の区別である」(p.27)
・友敵は善悪(道徳的なもの)、美醜(美的なもの)、利害(経済的なもの)とは独立のものである。(敵だから醜い、というわけではない)
・ただし、宗教的、道徳的、経済的対立などに十分な人間集団の凝集力があれば、友敵関係が発生することがある(eg. 宗教戦争、階級闘争)。「…このような闘争集団が結成された場合には、その対立の決定的な部分はもはや純粋に宗教的でも、純粋に道徳的でも、純粋に経済的でもなく、すでに政治的な対立になっているのである」(p.45)
 →つまり政治=国家(近代国民国家)、ではない。国家のサブシステムでも政治は発生する。また階級闘争は国際的にも発生する
 →一方で、典型的には政治は国家において現れる。「ここで問題にしているのは、…この区別の存在の現実性と、現実的な可能性なのである。…理性的に考える限り、諸国民がこの友と敵の対立によって結集していることは否定できない」(p.32)。国家は内戦を抑圧し、他国に宣戦を布告する。世界が一つの国家になることはない
・敵とは公的な性格のもの(ホスティス、ポレミオス)である。個人的な仇(イニミクス、エクトロス)だとかそういうことではない
・敵とは現実的な可能性において、自分たちと抗争している人間たちのことである。存在の否定を暗黙のうちに含む。物理的殺戮と関係する(cf. ホッブズの「自然状態」。つまり性悪説を前提にすべきである)

中山がニーチェを引きながら解説するところによれば、私たちの日常生活において使われている根本的な用語は、そもそも定義するということが非常に困難である(p.328)。シュミットは、政治的なもの=日常的に言及される「政治」の本質を示そうとする中で、根底的な――つまり別の概念によって説明されない――判断基準を考えた。それが友敵の区別である。これは無根拠・主観的なドイツ・ロマン派に失望し、裏付けのある「決断」を見いだす試みでもあったらしい(p.365-)。

しかし、だから何なのか。この疑問は今回の本に収録された1932年・1963年版と、1933年ナチス版で実質2回読みしてもよくわからなかった。それには解説が一定答えたように思う。

敵の概念をさらに検討した『パルティザンの理論』で、敵は3種類に分かれている(p.337-)。
・「伝統的な敵」 近代国民国家成立以前の戦争にみられた敵。1648年以降、勢力均衡と戦争抑止の流れの中でヨーロッパは戦争の相手の有罪化を断念し、他国の殲滅を禁止し、絶対的な敵を否定し、正しい戦争を戦うことにした(ヨーロッパ公法体制)
・「絶対的な敵」 フランス革命やマルクス・レーニン以降、ナショナリズムや階級闘争により他国の殲滅をいとわなくなった時代の敵。「人道の敵」という敵概念であっても結局は同じことで、存在の否定や他者の犯罪化を志向する
・「現実の敵」 これが『政治的なものの概念』の敵概念に近い。現実の場面における敵。イデオロギー駆動ではなく、戦うべき時において戦う相手。適切な方法を考え出し、戦う。ヨーロッパ公法が失われて戻らない現代において、「絶対的な敵」を想定した殲滅戦にいってしまわないよう、この「現実の敵」概念によって戦争を枠づけ、制限し、相対化する必要があると考えた

この解説を受けて、弊管理人のふわふわ理解を書いておく。
シュミットの敵概念は、根本的な対立のイメージやナチとの関連から一見「絶対的な敵」であるように思え、その帰結は殲滅戦であるような印象を持ってしまうが、そうではない。イデオロギーからも利害からも、他のすべてからも隔絶された純粋な敵、現代風にいうと「ゲームにおける敵」なのではないか。とにかく今ここで「あちらが敵」と設定されているので敵。そうすると戦争も、始まりと終わりとルールのある戦いになる。カイヨワを連想しながらそう考えると、確かに本性として人はついゲームを始めてしまうし、それは、ある時ある場面における孤立した営みにしかならない。確かにシュミットがいうように、友敵の区別は実存とは関係なく、どこかで発生し、与えられるものである。全面・全力・殲滅に突き進む戦争の危なさへのアンチとして、確かに面白い議論だと思う。シュミットってそんなまともな人なん?という疑問はよぎるが。

すると次に、後半の国家論批判は何の利益のためにやっているのか、という疑問が浮かぶ。特に自由主義批判をやりながら終わっていくが、取り残され感はある。これも「性善説に基づいた自由主義にとらわれていると、決定的な瞬間に国家が敵認定をすることができず危ない」という警告らしいが、解説を読むまで分からなかった。本文を読めてなかっただけなのかもだが。

「何を言っているか」「何を論駁したかったか」は分かるとして、やはり「何を実現したかったのか」についてはもうちょっとすとんと落ちる体験がほしかった。シュミットの作品では次に『政治神学』にいこうかなと思っていたが、同じ人の他の作品よりは、応用を見せてくれる別の人のところに行くべきかもなと思った。といいながらちょっと暫くシュミットはいいわ。消化を待ちつつ、とりあえず別んとこ行こ。

2025年09月26日

突然秋

あきらめない35度、みたいな日を境に、9月22日と23日は急に涼しくなりました。うっかり今年最高に過ごしやすい日だったかもしれない。

先週の後半にまた鼻が詰まって嗅覚も消えかかったので、土曜夜勤をちょっと抜けて会社の地下の内科を受診。4日分の薬をもらって飲み始めました。

でもって飛び石連休などしつつ火曜は早くに眠くなり、水曜に起きてみると喉が痛くて微熱(37.1度)があった。ピンポイントで左の扁桃腺、およびその周辺。てきめんに怠い。食欲もなく昼シリアル、夜やっと残り物。コロナ陰性。インフルにしては発熱が緩い。
さすがに職場に臨時休業を宣言し、1日中寝たり起きたりしてました。夜はちょっととばっちりで仕事したけど。

こんな寝られる?というくらい寝て木曜は早くも回復基調。
しかし喉はまだちょっと痛い。熱はない。ので外仕事に行きました。
この週末は名古屋に遊びに行く予定でしたが、大事を取ってやめました。予約していたご飯屋さんはキャンセル。
夜また37度ちょっといったのですが、眠くならなかったので確実に快方に向かっていると思いました。寝られる時というのは本当に具合が悪い時。

金曜、喉は「どこかに違和感」くらいまで収まり、完全平熱(36.4度)です。嗅覚は前よりよくなって、コーヒー豆は鼻がつくくらいまで近づけないと匂いがしなかったのが、手元に置いてるくらいで匂うようになりました。部屋とか台所とかの雰囲気の匂いも分かるようになった。これもまた死と再生(あるいは「風邪の効用」)。
このところ周囲でも体調崩してる人が多いです。夏の棚卸しでしょうな。

【追記】で、そろり~っとジムに行ったら好調だった。休養大事。
限界近くまで遊ぶ→疲れる→2、3日伏せる→快調、との流れは昔から繰り返しており、「伏せる」を回避するよりはもうこれを通常のサイクルとして受け入れるべきであるな。


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上記関連でいろいろググっていたら、副鼻腔の構造が分かった。
これにより、鼻水が流れ出やすいように頭を前傾(どちらをかむかで左右にも傾ける)して鼻をかむとよくクリアできることが分かった。かんでも出てこなければ上を向いて鼻をすすり、口腔に排出してから吐き出すとよい。この技術の発見に半世紀近くかかってしまった。構造から考えるの大事。

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体調悪くて寝てる間に、北海道旅行に行く家族を駅で見送って、自分は病室に戻るという夢を見た。亡母は元気な姿。駅といっても札幌かどこか、道内の大きめの駅のよう。病室というよりホテルの一室で療養している感じだった。「自分も行っときゃよかったかな」と思った覚えがある。
20日にあった祖母(=母の母)の四十九日をシフトを理由に父に任せたのと、具合が悪かったのが複合したと思われる比較的読み解きやすい夢だった。

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高田馬場、11区担々麺。
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おいしい。確かにおいしい。しかしメンドコロ天鳳ほどかな。
家からのアクセス込みで天鳳に軍配。

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他人に責任を転嫁するようなグループチャットでの言い逃れに対して、転嫁された側(した側より後輩)に事実確認した上で「違うじゃん(大意)」とレスしておいた。なんなんだろうな。

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ちょっと前の日記にも書いた、給与部長を電話でネチネチ詰めた二重徴収の問題は9月給与で精算されました。クレームしなかったら知らんぷりしてただろうおまえ、というくらい「取るのには熱心、払うのに後ろ向き」体質であった。「それは別の話です」じゃねえよ。

2025年09月21日

実力も運のうち

◆マイケル・サンデル(鬼澤忍訳)『実力も運のうち 能力主義は正義か?』早川書房、2023年。

文庫化される前から知ってたけど、ちょっと前に日本でポピュラーになった哲学者が書いた時事的なエッセイかなと思ってほってあった本書。読んだら面白かった。アメリカの2024年大統領選を現地で見たからこそ「わかる」って思えたというのも多分ある。2024年は2016年とほとんど変わることはなかったんだろうなという思いは強くした。

能力主義が生むのは「勝者の驕り」と「敗者の屈辱と怒り」であり、失われたのは連帯である。敗者が侮辱を感じるのは、彼らもまた能力主義イデオロギーは共有しているからこそだ。問題の核心は失われた尊厳なので、「敗者には教育を与えればいい」という出世主義・エリート主義を温存したままの解決や、再分配という「金目」の解決を図って成功するわけがない。科学信奉もまた道を誤るもとで、問題を理解不足やアーキテクチャの問題に読み替え、価値に関する議論をスキップしてしまう。

いかにもコミュニタリアンな診断だが相当程度正しいと思う。トランプはオバマが生んだし、負け組を語った点でトランプとサンダースは近いという図式も納得感がある。アメリカン・ドリームの国だと信じられているのに、意外と階層移動がしにくい社会であることがデータとともに紹介されていて興味深かった。

「機会の平等」という、誰もが同意しそうなイデオロギーをどう批判するか。弊管理人の印象では、批判には成功した。解決にあたっては「運」と「敬意」を導入するという理念までは示した。だが実行を考えるにはもう手遅れなのかもしれない。いや別の本を探してみるか。

大統領選前の2024年夏、カリフォルニアで修士終わったばかりだという若い環境活動家と話したとき、「反対側との対話が足りてないんじゃないの」と弊管理人が水を向けたら「彼らも勉強すれば分かると思うよ」と返されたのを思い出した。またアメリカという国ってみんながI deserveって叫んでるような国だなと思いながら3年半過ごしたことを反芻しつつ本書を味わった次第です。

以下メモ。

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ポピュリスト的反発を招いたグローバリゼーションのプロジェクトの2側面(pp.40-51)

(1)テクノクラート的な公益の構想
   市場メカニズムは公益を実現する主要な手段という信念
   「右/左」ではなく「開放的/閉鎖的」
   道徳の問題を経済効率・専門性(技術的問題)へ解消する
     ←80sのレーガン、サッチャー、その後のブレア、シュレーダー、クリントン
   →不平等の拡大と、勝者から敗者への軽蔑のまなざし
   ↓敗者に対する「教育の提供」という解決法

(2)能力主義的な勝者/敗者の定義。レーガン、ブッシュ、ルビオ、クリントン、オバマ
   ←→実はアメリカの社会的流動性は低い。アイビーリーグの階層固定化
   →「機会の平等」が解決か?
    →能力主義が生む「勝者の驕り」と「敗者の屈辱と怒り」
      =メリトクラシー(マイケル・ヤング、1958)の帰結
     恩寵、幸運という感覚の排除により、連帯の可能性が損なわれる
   *不平等、勝ち組/負け組を語る点でトランプとサンダースは似ている

・学位の有無と投票行動の関連
 勝者の票を集めたヒラリー、敗者の票を集めたトランプ
・有能者による統治
 ジェファーソンの美徳と才能を基盤とする「自然な貴族制」(p.56)
・テクノクラートは市民的プロジェクトの幅も狭めることになった
 連帯よりGDP。グローバリゼーションの問題は分配の問題にすぎない
 どこかで誰かが決めている政治
 知的職業階級の威信を強化し、大半の労働者の地位と評価を損なう(pp.58-59)

メリトクラシーの歴史(pp.66-)
 ・聖書
  (1)人間の主体性の強調:報償や罰は人の成果によって神が与える
    悪の存在は人間の選択の結果だと理解する(ペラギウス)
    ←→神の全能性の否定だとの批判(アウグスティヌス)
      ≒ルターの反能力主義、カルヴァンの予定説、労働=禁欲
      →現世の活動で恩寵を受けた、という理解のスリップ
       →プロ倫が能力主義につながる(p.77)。
        人は自分に値するものを手に入れる、という摂理主義(p.80)
        →世俗的成功と道徳的資格の一致(p.82)
  (2)不運な人への厳しさ:不運な人は罪を犯したはずだ。傲慢と懲罰
    カトリーナ「天罰」論、9.11、3.11と石原慎太郎(pp.84-85)
    オバマケア反対論
 ・リベラルの摂理的側面(歴史的事実と道徳の癒合)
   ・「偉大=善」アイゼンハワー~ヒラリー
   ・「歴史の正しい側」=リベラル民主主義、自由市場。クリントン、オバマ
     ←★冷戦後の独りよがりの勝利主義(p.103)、機会の不平等の改善
     ←→不平等の拡大

出世のレトリック
 ・自立と自己形成の理想
 ・市場が公正に運営されていれば、自分に値するものが得られる
  →市場の結果は能力と一致する
 ・「値する」、上昇志向、リスクと責任の個人化
 ・「自らに落ち度がないにもかかわらず」→救うべき/でない貧困者
   クリントンの1996福祉改革(p.122)
 ・「才能の許す限り」のアメリカン・ドリーム
   オバマの大学教育称揚(p.126)
 ・「あなたは値する」(p.127)1970s~2008、レーガン、メイ
 ・運の平等論(1980-1990s)困窮者の中で、誰が不運の犠牲者に過ぎないか
 ←エリザベス・アンダーソン「救貧法的思考」(p.267)
 ←底辺を嘲笑する能力主義エリートに対する、ポピュリストからの嫌悪
 ★トランプ支持者も能力主義を受容したからこそ、侮辱を感受した
  アメリカは努力とやる気による出世への信頼が高い
  実は社会的流動性は多くの国より低い。世代を超えて貧困を脱しにくい(p。136-)

学歴偏重主義
 ★グローバル化と労働者の賃金・雇用問題の解決としての学歴向上
  (不平等=制度の失敗、の否定)
  →大学へ行かなかった人たちへの社会的敬意を毀損(p.163)
 ・ケネディ、オバマ政権の高学歴びいき←→実践知や共通善とは無関係
  投資銀行の専門性に対する反射的敬意と、ウォール街救済という判断ミス
 ・「smart」の流行。モノにも使われる。スマートカーetc.
 ・人種差別や性差別が嫌われる時代に、学歴主義は容認されている最後の偏見(p.175)
 ・議会の高学歴化=代表性の低下(米、英、独)。能力の高さを意味しない
 ・学歴による分断の招来。トランプ/ヒラリー投票層(p.185)
 ・★公的言説のテクノクラート的転回(p.191)
   意見衝突の問題を情報提供、インセンティブ、科学に解消する(オバマ)
   →市民の力をそぎ、説得することを放棄するという欠点
  政治(意見、信念)に先立って事実に合意すべきだというのはうぬぼれ(p.201)
   →逆に、意見が認識を導く(モイニハン)

成功の倫理学
 ・マイケル・ヤング The Rise of Meritocracy (1958)
 ・完全な機会の平等=不平等の正当化。しかし正当化できるか?
   成功=才能×努力
   才能の限り―才能があることは運ではないか?
   たまたま持っている才能を評価する社会にいることは運ではないか?
 能力主義を代替する①自由市場リベラリズム
  ・ハイエク:市場の結果と、道徳的にそれに値するかは無関係。再分配は拒否
   ←→
    ・個人の市場価値に従った配分は道徳的に受けるに値する、という結論に滑っていく
    ・市場価値は社会的貢献と一致するとは限らない
 能力主義を代替する②福祉国家(平等主義)リベラリズム
  ・ロールズ:才能の道徳的恣意性→格差原理。才能を共通資産として再分配を擁護
   ←→だからといって成功に対する能力主義的おごりは緩和・排除はされない
 運の平等主義・公的支援を受けるべき/でない人の選別
       ・支援を受けるべき人を「無力な犠牲者」として名誉を毀損する
       ・努力と選択から生じる不平等を擁護する点で自由市場リベラリズムと一致

選別装置としての高等教育
 ジェームズ・コナントのSAT導入=ハーバードの能力主義化
  機会の平等と社会的流動性に基づく選抜
   →出自ではなく能力に由来する不平等の肯定と、英才の称揚・凡人への侮辱
  SATの得点と家庭の豊かさは比例する。世襲エリートが能力主義エリートになっただけ
  名門大学が階層移動を駆動していない(一部公立大ではしている)
  レガシー(卒業生の子ども)の優遇、寄付者の優遇
 そもそも選別装置の役割を大学が引き受けるべきでない理由二つ
  (1)選に漏れた人の苛立ち。社会的評価との結びつきが断てない
  (2)選ばれる人も負うストレス。地元大から高難度大志向へ、合格率低下
     入学後も学生団体への入会選抜、成績への執着
  →いずれも自己責任に根ざす。連帯と相互義務を芽生えにくくする
 対策:くじ引き、職業訓練への補助金増、市民教育の拡充

労働の承認
 アメリカ人男性の収入停滞、絶望死(が高い地域でのトランプ善戦)、
 「白人特権」の剥奪、アメリカン・ドリームへの「割り込み」
 収入=社会への貢献度、という考え方の解体
 グローバル化に伴う不平等、GDP主義で生産から消費重視に、
  アウトソーシング、移民、金融化が労働の尊厳に与える悪影響
  ←リベラルの失敗:労働者・中流に対する分配的正義の提案
   ←→必要だったのは労働に対する社会的承認と評価(cf.ホネット、p.371)
     社会統合・承認・共通善としての分業(デュルケム)
     オーレン・キャスの賃金補助、税負担を労働から消費と投機に向ける
 →社会の絆の回復

2025年09月10日

食べる、話す、九州、夏

夏休み第2弾は九州に行くことにしました。
特に何が見たいということもないので、食って歩いて誰かと話して、というゆるめの旅。

マイルで福岡空港、乗り換えの合間にちょっと歩いて資さんうどん。
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そんで対馬に行きます。たぶん公式的には差し障るのでブランド名は書かないが、レンタカー屋さんに「帰りの便の関係で、追加料金払って1時間延長するのできますか?」と聞いたら、おにいさんが無料で延ばしてくれた。やさすい世界……
わだつみ神社。
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烏帽子岳。もこもこ。
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宿は厳原(いずはら)という地区です。たぶん島内で一番都会。
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イカ釣りの拠点だったらしく、スナックがいっぱいあります。
その地区で育って、スナックで働いたこともあるというコーヒー屋のおにいさんが「夜の仕事が終わると港に行ってイカを釣るんですよ。そうすると1日終わったなって感じになるんですよね」と言ってた。街灯に寄ってくるんで岸壁で釣れるんだそうです。すげえ……
地元の若者をナンパして夕飯食った。
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手前の鉄板は「とんちゃん」という地元料理らしい。豚のプルコギ。
釜山から50kmないので、韓国人旅行客がめちゃくちゃ多い。ジェットフォイルで日帰りできるくらい手近な観光地だそうです。
飲食店のメニューは韓国語版があるし、よくあるQ&Aは店員さんがカードにして示している。役所かなんかが接客業対象の韓国語講座をやってる。運転荒いから気をつけてと言われた。
「そのうち対馬は韓国に取られちゃうと思うけど、長崎県は助けてくれなさそう」と2、3人が異口同音に言ってました。
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ちなみに対馬は長崎県です。航空便は福岡、長崎とつながってるけど「長崎に行ってもやることないから福岡に行きます」とのこと。福岡まではフェリーもあるが雑魚寝のスペースしか島民割がきかず、結局は飛行機のほうが安いんだって。
車を買うのも福岡。免許は島内に取れるところがあるが、北の端にある比田勝(ひたかつ)の高校生は(遠隔地のためか?)佐賀で合宿で取るんだそう。
「福岡行っても疲れて早く島に帰りたくなっちゃう。今は島を出なくていいかな~」と若者。

北へ2時間近く運転して、環境省の施設にツシマヤマネコを見に行きました。交通事故にめっちゃ遭うらしい島のキャラクター。空港も「対馬やまねこ空港」ですしね。
いた!福岡の動物園生まれで人間でいうと50歳くらいと。まあそのダラダラっぷりに親近感はわく。90年代には全島で100何十個体まで減ったあと、今は回復基調のようです。特徴は眉間の模様と短めの耳。
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近くの岬は日本の北西端なんだって。
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国境の島ということで歴史的には面白そうだと博物館見学を楽しみにしていたが、臨時休館だった。釜山も見えなかった。
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ま、いいけど。比田勝で海鮮丼食って戻りました。
福岡へびゅん。

渡辺通のあたりに投宿して、コインランドリーで洗濯して、山縣屋。
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前菜盛り、すごいうまかった。パテと、鶏レバーのスモークが出色。
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翌日は朝7時からやってる「いとおかし」でごまサバ定食。このご時世にごはんおかわり無料だが、2300円ならまあそうか。
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BGMがうるさかった。なんで大音量でJポップ聞きながら朝飯食わなあかんのか。あとやり手っぽい創業者フィーチャーしちゃう系パンフレットもカウンターに置いてあってアパホテルみたいだなと思いました。アパホテルに泊まってたからか。
味はよかったです。辛子高菜うまかった。銀鱈もおいしそうだった。
地元の人が「福岡はうまいものはいろいろあるが、観光地がほとんどない。まあ太宰府くらいか…」というので太宰府へ。
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いま本殿が建て替え中で、行ってみたら仮殿が藤本壮介だった。藤森照信の甚だしいやつって感じ?微妙に左右非対称なのか、撮影位置の問題か。
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横の宝物殿でこの建築の展覧会やってんじゃん!と近づいたら閉館日(月曜)。
「ここの庭は落ち着けるよ」と言われた光明寺も閉まっていた。
当然というか、九州国立博物館も閉館日。
ぷんすか怒りつつ、原田で寄り道して「井手ちゃんぽん」。
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うまあ。日高屋とえらい違いだ。ってあれはタンメンか。どう違うの?
ホテルに帰ってふて寝、夜は「弥七」で梅酒と焼き鳥。レタス巻き、当然のようにうまい。店員さんみんな若い。
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最終日は佐賀へ。福岡の人に「佐賀に行く」と言ったら「なんで?あそこは通過するところ」と言われましたが、違うんだな。カレー食いにいくんですよ。

もと錦糸町にあり、弊管理人の震災後の食生活をキーマカレーで支えてくれた「カレーのアキンボ」は2015年に店主氏の故郷の佐賀に移転。行こう行こうと思っているうちに10年がたってしまいました。
古民家をほぼDIYで改装したんだって。「youtubeとか見て」って。すごくない?
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埼玉で美術を勉強して、寿司屋に勤めて、錦糸町でカレー屋になったのが2010年。
「もともと5年やったら帰ろうと思っていた。普通のカレーではないので、佐賀の人口規模と嗜好を考えると県外からのお客さんで商売が成り立つようにと考えていた。なので高速のICから遠くないところで物件を探してたんです」とのこと。

メニューはコース一択8000円。結構な品数が出てきますが、はしょって。
こちらは手前がイチジクと茄子とブルーベリーとイヌビワ(イチジクの原種らしい)。奥はマスカットとパクチーとかなんかもういろいろのサラダ。説明は大半失念。
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いやもう、すごい。素材自体の珍しさと、その組み合わせの凄み。この歳になって「知ってる料理のおいしいやつ」ではなく「全然知らない料理」を食べる経験。
こちらはスベリヒユ。検索したら「ちょっとぬめりのある夏の雑草」と書いてあった。奥はオクラとツルムラサキをクミンで炒めたやつ。右はナシのヨーグルト和え(もちろんなんか忍ばせてあるが説明失念)。
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ほかにも冷やした冬瓜とかタイカレーっぽいスープとか佐賀牛カレーとガレットとかいろいろ。飲み物は水出し緑茶から始まって、お茶にブッシュカン(仏手柑)や米酢が入ったドリンクとか、コーヒーにいろいろ細工が施された炭酸飲料とか、もうとにかくすごい。

メインの野菜カレーは懐かしい器に載ってました。錦糸町から持ってきたんだと。
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豆のカレー、ピクルスつき。全体が優しい味です。当然混ぜると異変級の相乗効果が生まれる。錦糸町にいたときはスパイスを追求していたが、それも結局は生産され輸送されてきた「商品」だなと思うと今はそこまででもなく、むしろ野菜(植物)に興味が尽きないのだと。

デザートは醤油の絞りかすとポポーという果物のアイスでした。今アイスに凝ってるんだって。
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奥にぼやんと見えるジャガイモみたいなのがポポーです。柿のような味。近所の農家さんが作ってるんだって。アイスも果物もどちらもまんま小惑星だな。福岡から高速バスで1時間10分、佐賀駅から路線バスで30分。そこにあったのは野菜と果物の宇宙であった。

わりとさくさく食べて2時間。もともと昼、夜2組ずつしか客をとらないとどこかで読んだが、この昼のスロットは弊管理人ひとりでした。目の前で店主氏がこちらのペースを見ながら料理してくれる。これすごい贅沢ですね。
終始おしゃべりしながら食べ続けて満腹になりました。こんなに喋る人だったっけ?
10年余りですごい進化してました。また何年かしたらどうなっちゃうんだ。そのうちまたきます~
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佐賀は空が広かったです。
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福岡に戻って空港でラーメン食って帰りました(健啖)。いい夏休みだった。

2025年09月02日

死と再生(2回)

盆休み期間中のはずが、海外での国際会議対応が熱い状況になり、会社に2泊3日したりとかしてた反動でその後ずっとダラダラしているうちに8月が終わってしまいました。
8月後半の楽しかったこと。

8/25は月曜から中野のジンギスカン「ゆきだるま中野部屋」。
家が近い会社のお兄と仕事終わりで21時半スタート。
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良い評判は聞きつつ「東京でジンギスカンねえ」と思っていたのですが、北海道で食べたどこよりもおいしかったです。野菜と肉のスターターから肉汁まみれで、いろいろ頼みましたが、これと締めのヒレが出色だった。中野歴18年のお兄(札幌時代の同僚)も「うかうかと18年もここに来ずにきてしまった」と悔悟の言葉。年末にまた来て年を締めたい。

* * *

翌火曜は早出明けでDC時代の同僚2人+上司、および時期はかぶってないがDCにいた会社のえらい人たちと新橋飲み。サークル活動っぽさがある弊管理人の所属部とは違った、ギョーカイのふるーいアノ感じ、ボーイズのべたべたに曝露することとなった。うへえ。
いいだけ酔って23時就寝、7時起床で疲労を脱した。こういう極限まで疲れて寝て復活する現象を、弊管理人の人生において「死と再生」と呼んでいます。

* * *

弊管理人がDCにいた時期に西海岸にいた大学の同級生とも飲んだ。
ばりばりの理系なんだけど、人工知能という文系隣接の分野にいるのでお互いに思うところを話していると面白い。4億で引き抜きがきたとかも異次元でいいネタであった。

* * *

8月最後の土日は東京激暑ということでマイル消化を兼ねてどっか行きたいと思い、松山へ。
海辺なら、と思ったらやっぱり暑かったがいろいろ食べてきました。

和食みよし。べたべたしないがちゃんと話を聞いてる大将は同い年であった。
一切れずつ載ってるお造りに鱧と秋刀魚が入ってて、夏と秋の挟間を感じた。
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このほか茄子の田楽、海老ともろこしの天ぷら。日本酒はいずれも愛媛のお酒で、西条市の「日本心」と今治市の「MOON★LIGHT」。ムーンライトは華やかで好きな味でした。
カウンターで隣になったおじさんは広島出身、松山への移住者、外資系。松山ってやっぱり広島とつながってるんですかと聞いたら「いや、つながってるのは東京」とのことです。そうなんだ。東京や京都はもう行ったというインバウンドの2周目が愛媛に来始めており(確かに商店街に英語のメニューが目立つようになっていた)、しかしまだ愛媛は街としてnot readyだと評してました。どうなるのかねえ。
この時点で結構酔っており、旧知のお店に寄ったりしているうちにだいぶやばい感じに。

しかし欲で食べるラーメン「あづま家」。
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これもかなりおいしかったという記憶の痕跡を抱きしめています。
よく財布なくさなかったなと思うくらいベロ酔いで宿に戻り、23時気絶、6時めざめ。
ちゃんと寝る前にシャワーを浴びて歯を磨いていたようです。えらいな。
これが2回目の死と再生。

日曜はドライブ。運転は7ヶ月ぶり、右ハンドルはたぶん4年ぶり。
ウインカーを出そうとしてがっつりワイパーを動かしてしまいました(複数回)。

在米中に割ってしまった砥部焼のカップの代わりを……と梅山窯に行って買ったのは茶碗と水気のあるおかずを盛る皿。窯の見学もできました。

昼ごはん。鯛飯は東京でも食えるよねということで、大洲市の油屋で「とんくりまぶし」。
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栗の甘煮と豚のすき焼きが乗っかってるお櫃ご飯で、1杯目は普通に、2杯目はだしをかけて。これいつできた名産?と不思議に思いつつ大変おいしくいただきました。

伊方半島いってみましょう。せと風の丘パーク。
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なぜかずっと弊管理人ひとり。マイナーなスポットなのだろうか。
大分から宇和島まで見える。見晴らし最高でした。
伊方の道の駅でみかんジュースとちりめん山椒を買いました。
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松山まで70km、途中で眠くなって道の駅で一休みしつつ、無事に帰ってきました。
大街道で「松山鮓(すし)」をいただきたい。正岡子規が夏目漱石に出して喜ばれたメニューだとかで、甘めのすし飯を使った地魚のちらし寿司だそうです。
明倫館というところに入ってみました。
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地元の濃厚な醤油ともよく合う、上の淡泊な魚としっかりめのご飯が合って好きな味でした。

それにしても渡米前と比べて日本の物価3-4割増し、といった感覚でいたのですが、松山はまだそこまでという感じ。週末のホテルも6-7千円であったんだよね。ええとこでした。一度行ったところにはなかなか戻らない弊管理人ですが、松山はこれで4回目かな。ちょっと珍しいと思う。
月曜朝に東京に戻り、ちょっと休んで夜勤。

2025年08月12日

104

何かを察したというわけでは全くないのですが、今年の盆休みは例年と違ってどこか他県のホテルを予約することもなく、「まあ木曽に岩魚でも食べにいくか」くらいのことを父が提案しつつ、ただ日々仕事に流されたまま迎えるところでした。

7日の朝、母方の祖母が104歳でとうとう亡くなったということを聞きました。ずっと介護していた伯母に連絡すると「業者に任せていて当座やることはないので、すぐ帰ってこなくていい」とのこと。それじゃあまあ飛んで帰ってもしょうがないかということで、予定していた相模原での仕事を済ませて帰宅。翌8日も普通に出社。

9日に長野に帰りました。今回は礼服を持って行くので小さいほうのスーツケースを持って、妹と同じ便のバスで郷里へ。
通夜には間に合いました。10数年ぶり?くらいのいとこやら、いとこの子やら、おばさんやらと挨拶。今回は伯母が地元の葬祭業者にフルコースで頼んだらしく(まあ伯母も高齢だからね)、坊さんが来てお経を上げて、結界代わりの水引を参列者の体に結わえて、おばあちゃんに手甲だの脚絆だのはかせて、棺桶に入れて、花で囲んで、とまあいろいろ手順があった。

坊主に50万、業者は見積もりベースで120万だそう(祭壇だけで50万だとか)。2003年の母のときは弊管理人が市役所で死亡届を出し、簡素な棺桶など葬祭セットをもらい、病院の安置室に1晩だけ置かせてもらってそのまま焼き場に運び、死亡から24時間余りでお骨にし、それを抱えて母の実家(=本家)に戻り、寺で葬儀をしたのでそこまでかからなかったはず。しかしこれは子供20代、夫50代の体力ありあり世代だったからできたことではある。まあ今回オールインクルーシブにしてももうちょっと削るところは削れたのではと思うが、それはほぼ独りで仕切る83歳伯母に言うことではない。

それはともかく、こうなった。
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何年も前から折り合いの悪かった父と伯母は普通に対面し、話をしていた。大人の対応。
伯母は喪主として気を張っていたが、去年夫を亡くした叔母と、50代初めに妻を亡くした父が「ひとりになっちゃったなと思うのはこれからだよ」と言っていて、傍で聞いていた弊管理人は「おおそう感じていたのか」と思った。

10日は午前中に火葬。焼き代12000円。1時間半くらいですかね。お骨を拾いました。
本当は午後に葬式ですべて終了すると楽だったのですが、時期が時期だけに坊さんの都合が合わず、この日はこれでおしまい。伯母が「お骨になるとあきらめがついた感じがする」と。

11日に葬式。急遽受け付けをすることになりましたが、104歳で、かつおばあちゃんとなると地域にそこまで知り合いが多いわけでもなく、教師だった祖父の時より弔問の人たちはかなり少なかった印象です。教え子ぽつりぽつり、あとは親戚筋とか、近所の人とか。坊さんも古くなっていた。まあ母の時からだと22年たつからな。

1920年11月生まれ、数えだと106になるとかで。
19で高遠に嫁に行き、伯母が2歳、亡母が生まれて1ヶ月で祖父が出征し、そのあと5年も生死不明の中で子育てしたのだそうです。祖父が帰ってきてから3女=叔母が生まれてます。
2003年に母と祖父が亡くなってから鬱っぽくなり、数年、薬を飲んだりしているうちにだんだんぼけてきたという記憶がある。2007年の時点で伯母が「おばあちゃんはもうだめかもしれない」と言ってましたが、そこから18年。肉とトマトが延命に貢献したと思われる。
最後の2週間は嚥下に失敗して気管支にものが入ったあと、苦しそうだったとのこと。伯母が寄り添って寝ていたら、すっと息が止まった。表情は楽になった感じだったと伯母。

写真を撮られることが嫌いだった祖母は、弊管理人が完全に分からないくらいになったことで(?)ようやく撮影されてくれました。誰か知らないおにいさんが写真を撮ってくれているという受け止めだったと思う。外づらのよさがいい方に作用した。下の写真は2020年の暮れ。疫病真っ最中にすっごい気を遣いながら帰省した時。
ちなみに遺影は1993年にいとこが結婚した時の集合写真から切り出したというので筋金入り。
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たくさんいたきょうだいの中でも体が弱かったそうで、しかし最も長く生きた。わからんもんです。ちょっときついところのある人で、弊管理人はちっちゃい時に「おばあちゃん嫌い」と言い放ったこともある(確か)。ただ思春期以降は何も悪感情はなく、ほぼ半世紀の長いおつきあいになりました。いうて年2~3回、帰省して会うだけだったけど。大人になってからお年玉をあげて泣かれたのは思い出。しかしあれ、使わないまま仏壇にしまわれているのでは?

で、葬式が終わった途端、精進落としの席で伯母の動きが停止しました。もうほんとに「停止」。なんかまずい、と思ったいとこが話しかけたところ「母さん(=祖母)どこで亡くなったの?」などと意味不明のことを言い出し、ただならぬ雰囲気を察知した親戚が集まって話しかけ、ようやく魂が戻ってきた感じになった。しかし「なんか私、頭がぼーっとして」と繰り返しており、このあとが心配だなーとみんなが思った。80代まで20年近く負ってきたタスクがいきなり消えたことと、母を亡くしたことが重なったわけで、もともと情緒的な母方の家系にあって相当注意すべき事態かもしれない。

そして弊管理人は、今まで見ずに済んでいた「相続」の問題に直面することになりました。たぶん大した資産はないんだけど、一番は本家の家です。さあこれ、どうする。勉強しないと。

* * *

弔いが3日間にわたったので、結局3泊4日の帰省はそれだけで過ぎていきました。
父作の天ぷら。
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今回は全く出かけることもなく、父も妹も弊管理人も家にいるときは昼寝してました。疲れてたんだと思う。
それに加えて、妹は急速に太り(20代の頃と比べると多分倍くらいになり)、すごいいびきをするようになったので、弊管理人は寝不足です。頭痛い。これは結構な問題。

ちかぢか自分のための夏休みをとろうと決めました。

* * *

◆リチャード・ドーキンス(大田直子訳)『遺伝子は不滅である』早川書房、2025年。

ドーキンスの集大成、みたいな触れ込みだったので発売日に買った。
まあ確かに集大成といえば集大成だし、今まで言っていたことの再録といえばそうかもしれない。5000円近い本だが、えぇ、ひょっとしてこのために値段が上がったんですか……みたいなそこまで必須とも思えないカラーイラストたち。豊富な実例といえばいいが、読んでいてちょっと以上に間延びする博覧強記。あと訳がちょっと拙い(ものすごい量の生物学用語を訳す労力は察します)。ドーキンスは『利己的な遺伝子』が頂点だったのだろうか。悪いがこの本はたぶんブックオフに売る。

とはいえところどころ面白いと思ったので、以下にまとまりのないメモを。

網膜の作りがおかしかったり、反回神経が変な付き方をしていたりと「ヘタクソな設計」がみられるが、これを訂正したいと思ったとしても、進化をやり直して中途半端な機能を獲得しつつある個体は、ヘタクソな設計ながら完成された機能を持ったやつに負けて結局は生き残ることができないので、ヘタクソな設計が生き延びるという説明は面白いと思った。

「本書のメインテーマは、あらゆる動物は祖先の世界を記述した書物である、ということだ」(p.98)

「ヒトやほかの無毛種はいまだに、体毛をつくる祖先の遺伝子を保持していることがわかっている。しかし遺伝子は無効にされている。そして無効化の方法は種によって異なる。…ちなみに、ここに再び創造論者にとっての問題が生じる。インテリジェントデザイナーが毛のない動物をつくりたかったのなら、なぜその動物に体毛をつくる遺伝子を授け、そのあとそれを無効化したのだろう?」(pp.122-123)

「過去から受け継がれた遺伝子は、動物が生まれ落ちる世界を予測すると言える、と前に述べた。しかし遺伝子は一般的な予測しかできない。自然淘汰が対処できるのは世代交代の時間尺度だが、状況はそれより速くどんどん変化する。さまざまな細かい部分は、DNAに書かれている「遺伝子版死者の書」の「記憶」ではなく、おもに脳内に蓄積された記憶によって、動物自身が生きているあいだに役立つように書き込まれるのだ。遺伝子プールと同様、脳も動物の世界に関する情報を保存する。それは将来を予測するのに使える、ひいてはその世界での生存を助ける情報だ。しかし脳はそれを速い時間尺度で行なえる」(p.157)

「しかしいずれにしても、なぜ、二つの隔離された集団の遺伝子は、仲間として適合しなくなり、ひいては相互交配を妨げる傾向にあるのか? ひとつには、配偶子がつくられるとき、二組の染色体が減数分裂の過程で対合する必要があるからだ。たとえば障壁の両側で大きくちがってしまうと、雑種は、たとえできたとしても、配偶子をつくることができないだろう」(p.285)

「私に言わせれば、求められる重要な区別は「自身の」か「異質な」かではなく、「垂直性」か「水平性」かである。私たちが通常ウイルスと呼ぶもの――HIV、コロナウイルス、インフルエンザ、はしか、天然痘、水痘、風疹、狂犬病――はすべて水平性ウイルスである。だからこそ、その多くが私たちを傷つける方向に進化しているのだ」(p.321)

2025年08月04日

海2

木曜の仕事は朝始まって翌日午前1時45分終了、
金曜の仕事は朝始まって翌日午前2時半終了、
土曜の仕事は朝始まって翌日午前1時45分終了。

でまた逗子の海。今回は花火をやるので午後遅めのスタート。
日曜はそこそこ寝て起きたので体力は回復してました。
先週と違って10人ちょっとの小さな集まりで、暑かったものの夕方から日が隠れて過ごしやすくなりました。今回は浮き輪を借りて海に入った。涼しかった。
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このイベントを頼りにして上記のような働き方を乗り切った面はある。というか大きい。
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夏が始まったようでもあるが、終わり始めたとも言える、8月初旬はそんな「あわい」の時期。
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20時半くらいに現地を出て、湘南新宿ラインのグリーン席でゆったり帰ってきました。
この日曜は120点。

* * *

職場ではAIの出力だの機械翻訳だのをそのまま投げてきたみたいな事例がちらほら聞かれてます。弊管理人はAIの校正させられるのは御免だし、AIの校正を弊管理人がやるんだったらいっそ現業などAIに置換されてしまえと思った週。まあ美意識の要素も大きいので、考えが合わない場合にそれを摺り合わせようとするだけ損という説もあり、意識はふわ~っと夏休み何しようかなというほうに逃避/飛翔を始める。異常に暑いしね。エル・ニーニョ終わったんちゃうんかい。って日本は関係ないのか。

管理人

40代、未婚、子なし、男、文系学士、30万都市出身。新卒で入った会社でずっと働いています。中学の教育方針のせいで日記を書く癖が抜けなくなりました。

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