10月晦日
昨夜9時半からけさ8時半まで11時間寝た。
天気よし。
も の す ご く 体 調 が 良 い 。
頭は働くし、やることはサクサクこなせるし、時間は有効に使えてるし、2時間半の会議をまんじりともせず乗り切った。
やはり人間は(少なくとも弊管理人は)夜寝ないとだめだな。
といって絶不調で幕を開けた10月を締めるのだった。
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昨夜9時半からけさ8時半まで11時間寝た。
天気よし。
も の す ご く 体 調 が 良 い 。
頭は働くし、やることはサクサクこなせるし、時間は有効に使えてるし、2時間半の会議をまんじりともせず乗り切った。
やはり人間は(少なくとも弊管理人は)夜寝ないとだめだな。
といって絶不調で幕を開けた10月を締めるのだった。
金・土で出張。富山集合でしたが目的地は岐阜県飛騨市。
富山空港から富山駅までバスで移動しましたが、何ら興味をそそられることのない地方都市の町並みでしたね。たぶん探せばなんかあるんでしょうが。
富山勤務経験のある後輩のすすめで、「すし玉」という回転寿司屋に出掛けていって白えび(名物らしい)、がすえび(甘くてうまかった)、さんま(まあ珍しくはない)とかの寿司を食いました。
でもよく考えたら弊管理人は基本的にナマモノを食べないので、感動は半分。好きな人が食べたらうまいのだろうことは分かった。あれかな、自分のタイプじゃないけど一般的にはモテるだろうなー、という人と会ってる感じ?
白えび
がすえび
ところで、「すし玉」の職人さんは元気がよくて、いろいろお客に声をかけていたりしていたのですが、中の一組に「今日はどちらから?」と聞いたところ、そのお客は声をひそめて「ふくしま」と答えてました。
えー、やっぱり今そういう空気なの?えええ。
夜はホテルの近くのリパイユっていうビストロでパスタ。しょっぱかった。
結局一番うまかったのはホテルの朝食バイキングだったという。
ます寿司とホタルイカの沖漬けを形式的にクリアして、あとはおいしいお米と卵と納豆とお総菜を楽しんだのでした。
立山連峰?別に。
あの山の反対側で高校まで暮らしてましたしねえ。
■菊地誠ほか『もうダマされないための「科学」講義』光文社新書、2011年。
シノドスの人たちによる科学論講義集。地元図書館から「予約してた本が入ったよ」という報せをもらったので、借りてきて1泊出張の行き帰りで読みました。買わなくてもいいかなと思ったので借りましたが、まあそのとおり借りればいい感じでした(つまらなかったという意味ではない。それなりだが面白かった)。
科学と疑似/ニセ科学の線引きとか、科学報道の足りてないこととか、科学コミュニケーションが「あんたモノを知らないから教えてやるよ」から脱却するにはどうしたらいいかとか、そんなお話。やっぱりScience Studiesは実例に寄り添って展開すると頭に入りますね。これを難しくしたような『科学論の現在』(勁草書房)を並行して読んでたところですが、その理解の助けにもなります。
ところで、この本はかなり配慮されてるほうだと思いますが、報道批判は具体的に問題の記事を特定してやるべきで、「メディアは」とか「マスコミは」というのはなるべく避けたほうがいい。マスコミっていうのは代表者のいない多様性をはらんだ集団だし、メディアっつうとさらに広くなっちゃって話がもやっとしますんでね。
で、別にこれは本の価値を損なうものではないのですが、「斑目春樹」だの「表現系」だの「脅威の生命力」だのといった誤字は恥ずかしいのでちゃんと直してほしい(って前にもこんなこと書いたエントリがあったな)。弊管理人は一時期シノドスのメルマガを購読してたことがありましたが、ほどなくしてやめたのは、あまりに校正が甘くてイライラすることも理由の一つでした。
今日の仕事は東大、ただし浅野キャンパス(根津駅のほう)。
ということは、一駅歩けば湯島で葡萄パンが買えるではないか。
というわけで、パン屋さん「舞い鶴」。
お店に入るとコーヒーの匂い。席数は少ないですが、お茶も飲めるのですね。
巨峰パン1300円という超豪華版もあるのですが、横目で暫く見ながら迷った末、選んだのは、ぶどうパン(小)、350円。
ずしっと重いです。
切ると、「の」の字に干しぶどうがいっぱい。
うまい。意外性はないけど。だって干しぶどうですよ?そりゃあうまいよ。
というわけで、田舎からもらってきた松茸で深夜の炊き込みご飯。
醤油大さじ2
酒大さじ2
砂糖ちょっと
塩ちょっと
に手で裂いた松茸を入れて、5分くらい浸けます。
米2合洗ってちょっと置いて、昆布をうずめて、上記松茸を汁ごとあけ、水を普通に2合のごはんを炊くラインまで入れてスイッチ入れるだけ。
……部屋にいい匂いが満ちる……
うめえ!
もうすぐ寝るので一口だけ、と思ったが、もう一口……
(実は早出である明日の朝飯を作っていた)
弊管理人は今年、5月の連休も夏休みも帰っていなかったので、この連休でえいやと長野に帰省しました。
目的は(1)本家に一人住まいのばあちゃんの寝室のテレビを地デジ化する(2)父が買った家を見る―の二つです。
去年のエントリーに終の棲家(?)を探す父の話を書きましたが、定年まであと半年余りとなった今年の夏、父はとうとう長年の借家暮らしを終えて自分の家を持ちました。弊管理人が生まれてから9カ所目(あ、10か?)でゴールインといった感じです。
親戚筋の持ち物だった中古物件を直接購入して多少のリフォームを施したとのこと。造りが変だとか庭がほとんどないとか階段が急だとかいろいろとこぼしてはいましたが、風呂もトイレも台所も分譲マンションのそれのようになっていて、あとは大きな冷蔵庫だのLEDテレビだのドラム式洗濯機だのを新調して、かなり暮らしやすい室内になっている印象です。
8畳の居間の隣の6畳は洋室に改造した上で書斎にし、壁一面に本棚を造ってありました。放送大学の学士課程もあと1年ちょっとのようで、だいぶいろんなジャンルの本が並んできてます。終わったら当然のようにスクーリング+通信の院とかに行きそうな気がしますが、どうなんだろう。追い越し歓迎、仕事やめた途端に萎まないでいただきたい。男未亡人はリスク大きそうなので特に心配です。弊管理人が郷に帰るのはまだ数十年先だよー
さて、父方の祖父母の家にも顔を出しました。
同じ町内ですが、河岸段丘のあっちとこっちの関係。川を越えて海抜700mまで登坂。すっかり秋。
弊管理人が来るというのを聞いて、ばあちゃんがいろいろ用意してくれていました。
そのへんに落ちていた栗、手製のこんにゃくとちくわの煮物、ささげのごまあえ、など。
手製のこんにゃくは、なぜか味の染みがよくて、とてもおいしい。
それから今年は少し出るのが遅かったようですが、山で取れた松茸をもらってきました。
こんなに食べられないよー、というわけで母方の家に半分置いて3本ほど東京に持ち帰りました。明日は炊き込みごはんとお吸い物だな……
3、4、5日で比較的大きめの仕事が終わり、6、7日は流し気味で仕事をさせていただきました。
遅めの昼飯は、午後の仕事前に少し遠くまで歩いて、友人から聞いて前々から行きたかったお店に行くことにしました。
港区西新橋3-1-2、インドカレーの「ガネッシュ(GANESH)」。
2種盛りができるので、キーマとマトンを頼みました。
キーマはあまり辛くない、挽肉がいっぱいのカレー。
マトンは独特の臭みが嫌いな人はちょっと受け付けないかもしれないが、自分は結構好きです。辛口と書いてあったけど、そこまでではない。
いずれも、日本人向けにアレンジしてあるのでしょうか。それでもちゃんとスパイスをいっぱい使ってよく煮て作っているようで、そして家庭料理っぽい雰囲気で、おいしかったです。
■ヒューム(土岐邦夫、小西嘉四郎訳)『人性論』中公クラシックス、2010年。
この本には、「人性論」(抄,1739-40)と「原始契約について」(1748)という小論の訳が収録されてます。
いずれにせよ、「それ、ホントにホント?」と疑っていくのがスタイル。
AとBの間に因果関係がある(AによってBが起きる)っていうけど、AだのBだのといったものごとが、「因果関係」という実体めいたものを持っているわけではない。そんなもん、取り出して確認できるものではない。
Aが起きたすぐ後にBが起きる、それがいつも起きることによって、それを経験する「私」の心が慣れて、次にAが起こればBが起きるだろう、と自然に思うようになる。つまり習い性、あるいは「気のせい」、それが因果関係の正体であって、それは「ものごと」ではなくて「私」のほうに帰属してる現象なんだと。
あるいは、政府と、統治される人々の間には社会契約が結ばれているとかいいますけど、そんなもの今まであったためしがないじゃん。
為政者は暴力で実権を握って、臣民が不承不承従ってる間に慣れてきて、秩序になってる。それだけのことじゃないの?
因果関係とか、原始契約とか、そういう五感で感じられるわけでもないのに「ある」と言われてるもの、それってなんか怪しい。「ホント?」って疑ってるうちに、「ある」と言われていたものが崩れ去って、人間の感情とか性質が結局のところ源泉だっていう、身も蓋もない事実が見えてくる。
デカルトも、あれもこれもと疑ってはみたけど、すがれるものが次々否定されていくうちに、会ったこともない「神様」を残したまま打ち止めにしてしまった。でもヒュームはもっと空気読めない人で、神様みたいに世の中がみんな信じなきゃいけないから的に信じてることでも、「それホントじゃない」と思えばその気持ちに正直になって否定する。そういう生真面目なところが弊管理人は好きですし、20世紀には「言葉とモノが一対一で結びついてるなんてウソだよね」と言えるところまでいけた近現代の哲学の原動力だなー、えらいなー、と思ったりしてます。
きのう、ちょっと街に出て友人とお茶をして、そのあと帰りしなに行きつけの飲み屋さんに行った
まではよかったのですが
夕飯食べずにお酒を呑み始めてしまい、しかもその一発目が
居合わせた人になぜかごちそうになったテキーラ一気
そのお返しで自分も含めテキーラ一気
からの
ウォッカ責め
で、泥酔。
弊管理人は、自分で知っていますが、泥酔すると、普段はおおむね押し込めていられている汚い+キモチ悪い部分がいっぱい出ます。
だから、あまり仕事関係では呑まないのです。
そんな中でも、「マインドB」(超自我みたいなやつ)が頑張ってコントロールし、ちょっとうるさくてちょっと迷惑でだいぶ陽気な酔っぱらい、くらいで済んだのではないかと思います。
マンガかコントの酔った人みたいになって、コンビニでウコンを買って飲み(さっきかばんの中を見たら、濃いほうの製品の空き缶が入っていた)、終電で帰り(さっき携帯見たら、どう辿り着いたのかわからない終電検索の画面になっていた)、トイレでしばらくうずくまって(吐くかと思ったら吐かなかった)、歯も磨かずに寝ました(初めてかも)。
記憶がまだらに残っています。クレジットカードのキャッシングでまだお金を引き出して呑もうとしていた形跡があり、どうも失敗したため終電で帰ったようです。ほんとうに拒否ってくれたATM(複数)に感謝しています。
一日して、脳はかなりやられてる(耳の聞こえが悪いのと、視力の低下)感じはありますが、内臓はウコン服用と、相性の悪い焼酎を避けたおかげで無事でした。かぼちゃを煮て、生姜焼きを作って、納豆や漬け物と雑穀ご飯で昼飯。ハンパに壮健です。午後はちょっと調べもので品川に行ってきました。
最近、痛飲は自分なりの自傷行為なのではないかと思います。何を攻撃しているのか、何を罰しているのか。これはちょっと勉強してみてもいい、わりと面白い題材かもしれない、とマインドBが言っております。
休日は嬉しいが、危険でやっかいな自分に直面する。むしろ仕事をしている時間にこそ、睡眠と同じで、やっかいさと向き合わないで済んでいるのかもしれません。
重ねがさね思うのですが、こういう本を(仕事ではなく)読む一般人って何を得たくて手に取るのでしょうね。
■朝日新聞大阪本社科学医療グループ『iPS細胞とはなにか』講談社、2011年。
新聞記事の文体を本1冊分読まされるのはキツイ。
でも「ES細胞の倫理問題」なるもの、内外の研究支援態勢、生命科学や臨床への応用ってどうなってるのか、特許競争の状況など、iPS細胞とそれをめぐるポイントはだいたい網羅しているので、「いま」を知るには適した本であろうと思う。
ただしこの本の内容の多くは賞味期限が1年以内。
あとけっこう目立つものを含め誤植がちらほら。ちゃんと校正して世に出そう。70点。
■八代嘉美『増補 iPS細胞』平凡社、2011年。
で、取材ではなく調べもので構成しているのがこちら。
iPS細胞前史と「成り立ちと仕組み」の部分までちゃんと書いている。研究者が書くと、素人の「おっかなびっくり」感がなく比喩や言い換えができていて安定感がある。
2008年に出た増補前の新書は、一般人にわかるように・しかし大切なことは余さず説明しようとするその姿勢にほんとに感銘を受けながら読んだ。
増補はその後の研究の流れの解説がひとつ、あと規制やらお金の話やらがひとつ。やや難しい印象。でもお値打ちに変わりはない。75点。
■吉野彰『リチウムイオン電池物語』シーエムシー出版、2004年。
リチウムイオン電池「が、できるまで」を、開発者が語ったもの。1時間あれば読めます。
ただし、リチウムイオン電池がなぜ欲され(エジソンの時代からあまり変わってないというニカド電池はどこが弱かったのか)、そこにどういう人たちが絡んで正負の電極材料が開発され(オックスフォードででコバルト酸リチウムの正極材料への適格性を見いだした人たちにも苦闘と工夫はあったはず)、どの程度の市場が形成され(いま1兆円規模、2020年には3兆円と言われてますね)、今後どう使われていき(ハイブリッドカーとか自然エネルギーを安定して使うための蓄電池とかか)、そしてどういう限界があるのか(リチウムって高いし安定供給できるかは楽観できないでしょう)、といったあたりにももちっと濃ゆく触れてほしかった。
企業研究者らしく、「特許のツボ」的な話にはかなり力が入ってましたし、ははあと勉強になりました。
そういや、なんで旭化成の研究者が開発したのに商業化したのはソニーなのかね。
偉大な開発者が披露する秘話は貴重なんだけど、もうちょっと編集側がサポートして構成や内容を練ればよかったのに、折角なら。55点。