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2007年07月 アーカイブ

2007年07月30日

漬け物の鉢

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テーブルに置こうと思ったらひっくり返してしまった……

中学校のシャルパンティエ

■小谷野敦『中学校のシャルパンティエ』青土社、2003年。

昨夜あった長時間拘束の仕事中に3時間で一気読み。音楽にまつわる書き下ろし短編エッセイ集です。

読みながら考えたことなのだけれど、私にとっていい読書とは(1)知識を増やしてくれる(2)次の読書に繋げてくれる、というもので、だから小説はほとんど読まないし、うじうじこねこねと弄るような思索にもあまり興味をそそられない。

で、この本は(1)(2)ともありましたので満足。

それにしても今月のエントリー数は二けた。けっこう書いたな。なんでだろう?

2007年07月27日

さびしさの授業

■伏見憲明『さびしさの授業』理論社、2004年。

「中学生以上すべての人の」とコピーのついた「よりみちパン!セ」という新書の一冊。ルビつき。2時間で読めます。世界と自分とをつなぐ橋、生きるを続行する意義。それって何であって、どうやって見いだしていくのかについて。
ワタクシがこの本が誰に力を与えるのかわかんないのはたぶん(1)歳を食ったからであり(2)今の自分がもっとマテリアルなレベルで疲れてるからだろうなー、と思った。
それはそうとして、自分の生い立ちについての記述がそこここに出てくるのに自意識の臭みがほとんどないのと、スーパーマンのサクセスストーリー紹介ではなく「ふつうの人」がどう着地したらいいのかを考えているところがいいねえ、と思いました。

2007年07月25日

うしろあたま考

私も背丈が背丈なので、通常ひとの頭頂部を見ることなんてあまりないわけですけれども、混雑してるお店で立ち飲みとかしてると、カウンターに就いてるお客さんの頭皮とかが目の前に来ちゃったりなんかしてしまうことがあるわけ。んで新鮮な光景ですもんで余計まじまじと見ちゃうわけ。

若くて別に現状ハゲてもいないけれど、頭皮とかじっと見てると将来のdisastreを予感させる頭ってあるのですよね。頭頂近くの毛の細さとか頭皮の妙な滑らかさとか。

<世界の秘密>。ガンの告知もそう、うっかり聞いてしまった友人の悪評もそう。当人はまだ知らないのに、この私は知っている「その人についてのこと」。その情報を当人の<世界>の中に送り込む(=教える)のか、送り込まないのか。ことの大小はあるけれども、非常にしばしば、私たちはこうした選択を強いられている。

「当人についての情報は当人のものだ(当人の所有物だ)」という考え方に囚われる限り、「知っているけれども教えない」という選択は、自分が手にしているものを本来の持ち主に返さないでいるような、なにか後ろめたい思いが伴う。たとえ「教えないほうが当人のため」だったとしても、後ろめたい思いからは逃れることはできない(なぜなら、それを知ることが当人のためかどうかは、その情報が当人の所有物かどうかとは別の問題だから)。逆に、自分についての情報が自分に知らされないということは、自分の財産が何か他人に握られているような心地悪さを呼び起こさないだろうか。

もっとも、当人の悪評くらいなら、まだその悪評の流出源と話し合って誤解を解くとか、当人自身が努力して人生を改善する余地はあるだろう。しかしガンだとかハゲだとか、当人の努力の余地が(時には限りなく)小さい場合はどうなのか。遺伝子診断の技術が発達・実用化されるなどして、自分の運命があらかじめ情報として把握できるようになった時点でもまだ、「当人の情報は当人のもの」と信じ続けることはできるだろうか?

2007年07月20日

音を視る、時を聴く

■大森荘蔵、坂本龍一『音を視る、時を聴く[哲学講義]』ちくま学芸文庫、2007年。

1982年に行われた対談。大森氏はすでに故人です。
未来、現在、過去、私、イメージ。これらについて論ずる際の適切な「表現」って何だ。というようなことを二人がつらつらと話し合ってます。自分は結局表現の問題かいな、とちょっと不満でしたけど。
「いま」というのは幅のない一瞬のことではなく、はっきり何秒とは決まらないが一定の範囲の時間のことだ、とか。
「未来」とかそのイメージというのは、脳の中にあるのではなくて、自分の外・世界の中にあるのであって「いま」とは顕現の仕方が違うのだとか。
そんなようなお話だったように思います。

2007年07月15日

ゲーム的リアリズムの誕生

■東浩紀『ゲーム的リアリズムの誕生―動物化するポストモダン2』講談社現代新書、2007年。

ライトノベルやゲームといった作品の中の世界と、作品を読む/プレイするひとたちがいる外の世界。2000年代に登場したいくつかの作品では、「中の世界」で完結するのではなく、「外の世界」の構造(プレイヤーというものの性格、プレイヤーが置かれているポストモダンの世界、オタクというものの特質)をその中に取り込んでいる。それをふまえれば、こうした作品群の批評では「中の世界」内での整合性や「外の世界」と対比してリアリティを語ったりしているだけでは不十分で、「外の世界」の構造・を・織り込んだ「中の世界」のあり方について分析する必要がある、ということ。かな。

いくつかの作品を具体的に分析しながら話が進んでいきます。あらかじめ読んだりプレイしたりしてから読むとすっと入れるかもしれない。自分は何年か前に本書で取り上げられている「AIR」というゲームを妹からもらって(!!)やったことがありましたが、それ以外については本書で紹介されたあらすじから内容を推測しながら進むことになりました。それにしても分厚いねー。

2007年07月14日

夕張とんぼ返り

日ごろお世話になっているあの方へ、旬の「夕張メロン」を。
デパートで送ることもできるけれど、やっぱり夕張市農協から発送するってもんじゃないでしょうか。
というわけで午後も晩くなってから夕張へ、片道75キロ、バイクの旅。

農協がやってるメロンドームという、昨年も使った施設で注文。
上から秀、優、良。農協のおばさまによると「良でも十分おいしいですよ」と夢のないコメント。でもまあ、字面で優の2玉入りにしました。6号2玉で3900円。うーんこれは贈られでもしなければ買わない値段であるなあ。ちなみに見本として展示されていた5号玉の「秀」はひと玉で3300円。何が違うのか!(→外の模様と、糖度だそうです)
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ハウスの中はこのように。
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そして本人は200円の夕張メロンソフトを食う……

本州では7月としては最大級との呼び声高い台風4号が猛威をふるっておるようですが、北海道は多少風は強かったものの晴れてツーリング日和でしたとさ。

2007年07月11日

◎東北飯店

070711jaga.jpg070711ebi.jpg070711mabo.jpg070711gyoza.jpg札幌市中央区南5条東3丁目。ススキノからちょっと外れたところにある、浜茶屋のようなたたずまいの中華料理店「東北飯店」。
今日食った順に、
「ジャガイモと豚のなんちゃら(失念)」細切りのジャガイモと豚肉をざっと湯通しして、鶏ガラスープとマヨネーズ?であえたのではないかと思いますが、しゃきしゃきしてウマイ。
「エビチリ」衣をつけて揚げてからチリソースに。
「麻婆豆腐」味噌の味ですね。バカ辛くない、深い味。
「青椒牛肉絲」ピーマンが香り立ってました。
「餃子」厚めの皮の中に豊かなスープが閉じこめられてます。ラー油と醤油で。
聞いた話ではこのほかに、チャーハンと鶏唐揚げもオイシイらしいですが、今日は上記メニューで白飯を食べちゃったので、次回に!

2007年07月08日

バンビ

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江別市の酪農学園大の前を通ったときに、学園祭をやっていたので立ち寄ってみました。
広いキャンパスで、気のせいか学生も生き生きしてて、なんかいいなあと思いました。実学の学校だからかなあ。
屋台でシカ肉の串を買ってみました。店名「バンビ」。むごい(笑)

2007年07月06日

音楽の基礎

■芥川也寸志『音楽の基礎』岩波新書、1971年。

音楽の館、玄関を開けたところにある大広間。装飾のほどこされた重厚な雰囲気の調度品、そして和声学、型式学、音楽史などに続く扉が見える。そんな本。

「音」について語るのにまず「静寂」から入り、人間の耳の特性に触れ、音を高さ・強さ・長さ・音色の構成要素に分解して見せる。とても分析的で、しかも平易な言葉で。
バッハがどうして空前絶後なのか。ドビュッシーがどうして革命的なのか。現代音楽とどうやってつきあったらいいのか。東洋の音楽の可能性。そんなことも含めて含蓄に満ちた200ページです。オススメ。

2007年07月05日

3周忌

きのうは、一昨年自殺した大学時代の友達の3周忌だった。
……というのも、スカイプで繋がっている奥さんから聞いて初めて気付いたのだけれども。
病苦と、いろいろなことが重なって薬を大量に呑み、重体に陥った彼を永山の病院まで見に行った。それから何日かして心臓が止まったときも、棺に納められた彼を見に、やはり当時住んでいた成田から2時間くらいかけて行ったのだった。いまわの際にかけてくれと彼が頼んだという「G線上のアリア」がパソコンにつながれた小さなスピーカーから流れていたことを思い出す。蒸し暑い夜だった気がするけれど、最寄りの駅からてくてく歩いて安置場所まで行ったからかもしれない。

2年経って昨日、同い年の奥さんと彼の思い出話をしていて、当たり前だけど自分が知らなくて彼女が知っていること、彼女が知らなくて自分が知っていること、そのギャップから来る彼についての見方の違い、そういうものがずいぶんあることに気付いた。
彼は結局そのギャップについてと、それからギャップがあること自体におそらく気付かないまま物故した(はずだ)。
ま、だからどうだというわけではないけれども、そういう「自分が知らない世界の秘密」がぶよぶよと伸縮しながら自分の背後に広がっているんだなあと、ここ何年か意識しながら暮らしてるわけです。
意味不明。すんません。

2007年07月02日

7月だ

070701bar.jpg7月になっちゃいました。なお このかん、色々と初体験なことなどありまして、―コチラの更新は滞っているように見えますが―実は公開してないエントリをいくつか書いてました。ひととおりことが済んだらまとめて公開しますんで。

今日の札幌はピーカン。しかし風は寒いくらいに涼しく、たぶん今年これ以上の気持ちの良い日はないのではないかと思うくらい気持ちの良い日でした。

久しぶりに自炊をして、これまた久しぶりにジムに行って、夜にはいつものメンバーとまちなかのショットバーで梅酒ロックを飲んだというわけ。

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