« 2007年10月 | メイン | 2007年12月 »

2007年11月 アーカイブ

2007年11月30日

東京から考える

■東浩紀・北田暁大『東京から考える―格差・郊外・ナショナリズム』NHKブックス、2007年。

東北田の街歩き放談。

いろんなことが語られてますが、おもしろいと思ったのは、ITの発達によって情報を得るコストが低くなったことや、ジャスコ的なもの:コンビニ、ドンキホーテなどが街を覆い均質化してきたことなどにより、文化的なレベルの高低と経済的なレベルの高低が一致しなくなってきているという指摘。ちょっと前に読んだ橋本努本が指摘していた「経済的成功」と「クリエイティビティ」の乖離というのを思い出しながら読んでました。

2007年11月22日

寒い

071122yuki.jpg
人事とは関係なく雪は降るし、気温は下がる。
しかし人事もまた思うに任せないね。

2007年11月20日

建築家の仕事

強化月間で。

■畑中章宏編『建築家の仕事』平凡社、2006年。

6組の建築家と編者との対談。同じ東京の町並みを見てもその秩序のなさが軽やかでいいという人もいれば嘆かわしいという人もいる。つきつめていくと解が見えてくる学問ではなくて、共感を基礎に築く芸術をやっとるのかな。
インタビューに先だって「好きな本は何ですか」とか「嫌いなものは何ですか」などを聞いたアンケートをやったらしいが、「そういう質問には答えられません」的な底の浅い高慢ちきな態度が散見されてワラエタ。

建築関係リンク

9坪ハウス
小さな家でもそれなりに想像は膨らむ。実例も豊富。

建築マップ

建築を見ることが旅する動機になるかもしれない。
ええと、山本理顕が設計した岩出山中学校の写真を探していて見つけました。

自由に生きるとはどういうことか

最近読書づいてまして。

■橋本努『自由に生きるとはどういうことか―戦後日本社会論』ちくま新書、2007年。

「自由に生きるとはどういうことか」と掲げつつ、この本が述べているのは、終戦直後から00年代までの日本社会がどういう行動に価値を置いてきたのか(何がそれぞれの時代の「神様」だったのか)ということだったように思う。

終戦直後に流行したのはそれまで抑圧されてきたエロス、それがぱっと咲いて散ったあとには高度成長の時代、「連合国側を勝利に導いた英国のパブリック・スクール式規律訓練が日本には必要なんだ」というスポ根と「市場経済の中で戦っていける自立した個人になるべきだ」という勤労の倫理。
闘争の季節には「既存の社会・制度をぶっ壊すための運動に身を投じて真っ白に燃え尽きろ」というあしたのジョー的物語。しかしそれも季節が過ぎれば企業社会に絡め取られていく。
80年代の尾崎豊は学校に代表されるような管理社会に薬物や消費で対抗するが、たどり着くのは胎内回帰のような愛だった。
90年代にはそんな退行(内向)と社会不安が結びつき、オウムやエヴァンゲリオンなど「世界リセット→救済もの(?)」が登場する。けれども、これもいつかは裏切られる夢。
00年代進行しているのは「消費」から「創造」へのシフトで、アメリカでは既に「創造階級」や「ボボズBourgeois Bohemians」といった文化的(芸術やソフトウエアの)創造を行う集団が台頭している。

この本の中では「自由であるとはどういうことか(自由の中身)」については何も語っていない。自分はそれについてこの本のひとつの裏メッセージだと思うのだけれど、ここそこで匂わされているように、自由というのはかっちりと「こういうもの」と定義できるものではなくて、そこに向かって行動が動機づけられるようなあいまいなユートピアだ、ってことなんだろう。(個人的には、自由というのは「○○よりは自由」という個別の比較において感じられる構造のことだと思うんだけど、それはまあまだよくまとまって考えてないのでこれ以上は書けません)

で、具体的にどう変わってきたのか、という日本社会分析の部分は、90年代までについてはこの本より9年も前に同じ新書で出ている大澤真幸の『虚構の時代の果て』のほうがスマートにまとまっている印象。でも「創造階級」の紹介の部分は「へえ」って思った。そしてそのクリエイティヴであることの価値と収入という金銭的価値を結びつけないで考えることが「格差社会」に蔓延する怨念を中和する鍵なんですよ、という示唆もなるほどという感想。ただその大事な部分がさらっと書かれすぎじゃないかとは思った。

というわけで並行して読み始めた『帝国の条件』に期待期待。

2007年11月17日

反社会学講座

■パオロ・マッツァリーノ『反社会学講座』イースト・プレス、2004年。

今年、加筆された文庫版が出ましたが図書館にはありませんでしたので古い方。

少年犯罪やフリーター、少子化など「社会問題」をデータも大して示さずに問題に仕立て上げて見せる言説に対していろんな根拠を挙げながらツッコミを入れていくわけですけど、それって「反社会学」ではなくまさしく正統な社会学ちゃいますの。(当サイトを見ている人の中にプロの社会学研究者がいるので「正統な社会学」とか書くのには5ミリくらいの勇気がいるのだ、笑)

(現代の若者が好きこのんで簡単に職を変えてるとか、なんか90年代終わりくらいに書かれた本ぽいような現状認識の古くささも嗅ぎ取れるのが不思議なところ。でもまあそれはいいとしよう。)

読みながら赤川学『子どもが減って何が悪いか!』を思い出した。なんかそのへんの30代社会学者が新書で書きそうな「外国とか昔のこととか、ちゃんと調べてもの言いなさいよ」「統計でウソ言っちゃいけませんよ」的手つきのツッコミ20章。「パオロ・マッツァリーノ」が若手社会学者何人かで作ってるユニットだったりすると大納得だけど。

ちなみに著者はこんなサイト運営してます。

2007年11月16日

「建築学」の教科書

■安藤忠雄ほか『「建築学」の教科書』彰国社、2003年。

最近、建築の関係の本に当たり始めており。というのも、これもまた現実逃避の一環で、住宅情報のサイトで間取りをたくさん見ながらここにソファを置いてカーペットはライトグリーンで、なんてことを考え始めたら自分の家を自分で設計したくなり、さらに「ビフォーアフター」とか目にしては感心したりとかして、そういえば建築っていうのはどうなってるんだべか、と考えているからなのです。

通信制の大学で建築を勉強すると、既に大学を出ている人は2年次から編入して3年で課程を終えられ、そうすると2級建築士試験の受験資格が得られる(1級は2年間の実務経験が必要だそうだ)というので、もしかして時間ができたら勉強だけでもしてみるかな、と思っているのです。

で、この本はといえば、建築家とか、それ兼大学教授が寄ってたかって今何を考えているかを初学者、それも建築学の門の前に立ったばかりの人たちに向けて一筆書いてみたという内容。建築の歴史を考えている人、材料について考えている人、美しいとは何かを考えている人、古代や現代の建築について考えている人、建築家について考えている人、建築事務所の経営について考えている人、などいろいろいることがわかりました。とっつきやすいです。マル。

2007年11月15日

あなたのTシャツはどこから来たのか?

〈ハードカバーも読もうキャンペーン〉

■ピエトラ・リボリ『あなたのTシャツはどこから来たのか?』東洋経済新報社、2007年。

フロリダで買い求めた$5.99のTシャツ。その来し方行く末を追いながらグローバリゼーションを考える。学術的というよりはノンフィクションのように読める本です。

アメリカ南部で生産された綿は上海に運ばれて糸から布へ、そして縫製されアメリカに戻ってくる。ウォルマートで買い求められ、飽きると古着としてアジアやアフリカへ売られていく。3大陸をまたに掛けたTシャツの旅。その経済過程のほとんどに政治が介入している。それは国内繊維産業界に押されたアメリカの強烈で複雑な保護主義政策であり、それに対抗する中国製の安い衣料品を求める小売業界の自由貿易主義でもある。ほんとうにフリーなマーケットが作用するのは、古着となったTシャツがアフリカに売られる局面だけだ。

筆者の立場は単純な市場信奉ではない。「経済だけ見ていてはダメ」ということだ。国際経済に巻き込まれようとする人たちはそこに働く政治過程に何らかの形で参加していかなければならないと示唆する。また英国で起こった産業革命以来、繊維産業を支えてきた「底辺=工場労働者」はヨーロッパから北米へ、そしてアジアへと絶えず移動しながら消滅しないことは認めながらも、それが最貧層の人たちを農村から解放したこと、さまざまな市民運動によって労働環境の改善も行われてきたことを強調する。生活の向上のために必要なファクターとして「教育」も挙げられている。

Tシャツの話題をグローバリゼーションの全体像に敷延することはできないけれど、壁に穿たれたのぞき穴として次につながる読書になったと思います。

2007年11月11日

CDのMP3化

ここのところ、持っているCDをiTunesを使ってMP3に変換しつつHDDに落とし込む、という作業をやっておりましたが、今日さきほど完遂しました。
当初128kbpsのフツー音質で取り込みはじめたのですが、192kbpsだとCDとほぼ遜色ないという友人の入れ知恵(?)もあり大半を高音質でエンコードし終えました。確かに128と192では明らかな音質の差があります。恥ずかしながら目から鱗です。

で結果、16.85GB。2783曲あり、全部再生すると9日と4時間余かかるということが判明。
つまり80GBのiPodを買えば余裕ですべてを収納できるということ(買わないけど)。
意外にCD持ってないな自分、という感想でした。
9割5分クラシック、残り5分でジャズその他といった構成です。聴くジャンルが後期ロマン派を中心として前後に薄く広がっているだけなので、レパートリーが少ないというのは当然といえば当然かもしれない。

こうして持っているCDソフトをまとめるというのは、CDを入れ替えながら音楽を聴くのと2つの点で大きく変わるのかなと思っています。

(1)シャッフル機能によってこれまで買ったきりあまり聴いていなかった曲が否応なく耳に飛び込んでくることがあったりいきなりコンチェルトの緩徐楽章が飛び込んできたりといった意外な選曲を「聴かされる」体験ができるようになる

(2)複数枚のCDにわたる大曲が通して聴けるようになる。演奏時間4時間を要するソラブジのピアノ曲「オプス・クラヴィチェンバリスティクム」なんかも途中でとぎれることなく再生できる。オペラなどもしかり。

映画館で2時間座っていることさえできない自分ですので(2)のメリットはあまり大きくないですが。ま、今後はいろいろな音楽を持ち出して聴く楽しみも増えます。
あと、CDを延々入れ替えるという単純作業を通じて、あらためて自分はこういう非クリエイティヴな作業が苦にならない人間だということも確認しました。まあこれは余談(というかすべて余談)。

2007年11月07日

本の感想こまごま

■多木浩二『肖像写真―時代のまなざし』岩波新書、2007年。(11月7日)
肖像写真を写真の黎明期から3人の写真家の作品をめぐって読み解く。
図版が多くて一気に読める。

■佐藤和歌子『間取りの手帖』リトル・モア、2003年。(11月10日)
■佐藤和歌子『間取り相談室』ぴあ、2005年。(11月10日)
間取りは想像力をかきたてられる。
ロフトとかメゾネットみたいな立体的な間取りって惹かれます。実際住みやすいかというと疑問ですけど。

■大庭健『善と悪―倫理学への招待』岩波新書、2006年。(11月12日)
私は他人あっての私。善悪を弁別する感性を磨いて互いを尊重しあって生きて行けたらいいよね、ってことを小難しく書いた本。

2007年11月01日

〈個〉からはじめる生命論

■加藤秀一『〈個〉からはじめる生命論』NHKブックス、2007年。

・生命倫理がその対象とするべきものは、一般論としての「生命」とか「種」とかではなくて、名前を持った唯一の存在としての「誰か」であります。

って話、多分。で、
・だから何?
と思った。

いろいろ興味深い論点が詰まっていて、それらの検討は個別にはおもしろいけど、自分にはそれらの関連がよくわかりませんでした。おすすめはしません。興味があればどうぞ。

About 2007年11月

2007年11月にブログ「すべりどめblog」に投稿されたすべてのエントリーです。新しいものから過去のものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2007年10月です。

次のアーカイブは2007年12月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35