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2013年11月 アーカイブ

2013年11月28日

社会契約論

■重田園江『社会契約論』筑摩書房、2013年。

ある初期値(自然状態)とルール(人間本性)を定め、ゲームスタートで一丁上がり。社会はいかにして可能か、という疑問にこうして答える、社会契約論のイメージってそんなものでした。
そしてできあがったものが望ましいものだと、どうして言えるのかもよくわからなかった。混沌から秩序への相転移や、事実から価値を引き出すところに何か飛躍があるようで気持ち悪かったのかもしれません。契約がいつ起こるかも論者によってずいぶん違ってたりするし。

で、この本。

(1)際限のない欲望を持ち(2)恐怖や苦痛を嫌う、という単純な性質を持った個人を地上にばらまき、よーいドンしたあとの運動と凝集を描いたホッブズ。社会形成の原点から神様の力を排除したこと、人間の本質を相当しょうもないものと置いてシミュレーションをスタートすることでその結果における一般性を確保しようという発想で、新しい展望を開いた。

ところが、「始まりの契約なんて、どこ見てもなかっただろ」と身も蓋もないツッコミをヒュームが入れる。始まりにあったのは力で他人をねじ伏せる、力でねじ伏せられるという関係であって契約ではない。そうやって闘争状態が止んだ状態にあって、人が秩序を保つルールを受け入れるのは、それが便利だということに試行錯誤の中で気付いたからだ。それが累積し、拡大していく。拡大していくとシステマティックに秩序を維持できる仕組み=政府が必要とされる。どうしようもない政府だとその目的に適わないので転覆することもあるが、まあだいたいは惰性で存続する、そのおかげで経済活動の持続性が担保され、豊かにだってなれるわけだ。

潔癖なルソーは、この地に足が着いた、というかちょっと現状追認的でおおらかな感じもするヒュームが肌に合わない。といってホッブズのように「惨めな闘争状態が続くよりは国家があったほうがいいだろ、我慢しろ」といって国家が人々を軽んじる可能性に目をつぶる姿勢にも満足しなかった。「どうなっているか」から「どうあるべきか」のほうへ心を寄せ、「正しい国家」の原理を考えた。自らを一般意志に委ねる社会契約によって堕落や腐敗や不平等を脱し、各人が守られながら、しかし自由であるような状態、それを実現すること。しかしその一般意志というのが分かりにくい。

一般意志の一般性というのがどんなものかを、明瞭に示して見せたのがロールズだという。一人ひとりが違っている、そんな多様性を孕んだ人間集団が最低限納得できるルールを見出すために「無知のヴェール」という装置を発明した。
ある社会の中で生きる任意の人を拉致して魔法のヴェールをかぶせ、自らの属性や立場に関する情報を見えなくしてしまう。ポジショントークを不可能にするこの仕組みが、人を一般的な視点に立たせることになる。その上で、当該社会を見渡した上でどんなルールが望ましいかを選ばせ、ヴェールを外してふたたび社会の中へ帰すのだ。
おそらく無知のヴェールをかぶった人は、自分が実は金持ちであっても貧乏人であっても、男であっても女であっても、つまりその社会に生きる誰であったとしても著しくひどい目には遭わないような原理を選ぶだろう。それは合理的に考えれば(1)できるだけの自由を各人が確保しつつ(2)最も恵まれない人の境遇を改善するような傾向と機会均等が保証される限りで不平等を許容する、というものに自然となるはずだ。

乱暴な要約だけど、とにかく、まあそんな感じに読んだ。

その上で、弊管理人はこの本でわりと踏み台扱いされたヒューム(っぽい考え方)もそう悪くないなと思っている。
それぞれ違った自分や他人の誰もが違いを持ったまま尊重される、そういう多様性を前提にした「よい社会」の姿からすると、自分に近い者により強く感情移入する、という人の性質をベースにするヒュームは同質性という真反対のものを前提にした社会構想をやっているように見えるかもしれない。
でも、誰だって「私の視点」と「私の経験」を元手にするしかないんじゃないか(ローティを念頭に置いている)。ミソは、いかに多様な人とつきあい、遠くまで出掛けて、共感の能力と範囲を拡大していけるかだ。(共感の意味は「他人の気持ちが分かる」より広くとっていいと思っている。他人の感じ方を知るのは原理的に不可能だから。他人に触発されて自分の心に何かのイベントが起きれば、それを共感に含めてしまっていいんではないか)
ロールズが行き方を教えてくれた「一般的な視点」に立ったとき、そこから見える風景は恐らく、誰かがほいっと一式与えてくれるものではない。どこまで遠く広く見えるか・どれだけ多くのものを見過ごさずに見られるかは、蓄積された経験の量と多様さに依存すると思う。ルソーやロールズが設定した高邁なゴールに到達するには、案外ヒューム式に歩いていくことが必要かもしれない。フィリピンのスモーキー・マウンテンを旅し、そこでの凄絶な生活を目の当たりにした経験が「よい社会」の構想を駆動しているらしい著者のあとがきを読んで、そんなことを思った。

心のこもったいい本っす。面白かった。
カバーに載ってる著者近影が「人造人間」という字のプリントされたシャツを着ている。
ホッブズがartificial manと形容したリヴァイアサンの化身か……

* * *

全然話は変わりますが、このところ中央線で神田→お茶の水の移動をすることがよくあって、途中の高架を通過するたびに目の高さを通り過ぎていくガラス張りの変なカフェはなんだろうと思っていました。
これだった。1912-43年に存在した中央線万世橋駅の遺構!
本日探検。1階はちっちゃい雑貨屋や飲食店がいっぱい並ぶ空間。
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2階に上がると……
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自分の立ってる高さを中央線が通り過ぎていきます。(写真は神田方面に向いて撮った)
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このスペースの反対側(つまりお茶の水側)に、電車から見えていたカフェがありました。
露天の席もあって気持ちよさそう。
無印良品のをアレンジしたようなカレーを食って、すたこら仕事に行きましたとさ。

古月

午後に信濃町でお仕事だったので、足を伸ばすつもりで新宿御苑、「古月」。
ランチの麻婆豆腐は1000円です。
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ごはん、サラダ、漬け物、スープと、食後のデザート(杏仁豆腐だった)がつきます。
どれもちゃんと作っていて、落ち着いた味です。ごはんはお代わりしちゃいました。
横の二人組は何か煮込み系の定食を頼んでいましたが、上品でおいしいと言って食べていました。

窓の外には新宿御苑の緑が映えています。
平日昼間はやはり少し慌ただしい雰囲気ですが、光を楽しみながら食事ができるのは嬉しいかな。

2013年11月26日

梅乃家

夜、仕事上必要なものを探しに、チャリンコで港区芝へ向かいました。
しかし、探し物は見つかりませんでした。
がっかりしながら職場に戻る途中、新橋で見つけてしまいました。

竹岡らーめん、梅乃家。
チャーシュー麺、750円。
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千葉は富津竹岡の「梅乃家」は、千葉勤務時代の10年余り前からときどき訪れていたお店です。醤油そのままみたいなスープに、生たまねぎとチャーシューがどっちゃり載った荒削りなラーメン。漁から戻った漁師さんたち用のしょっぱくて熱いラーメンが竹岡式、と聞いたことがあります。
とにかくアクセスが悪い。バイクで行くと体が冷え冷えになりますし、車を持っていない上司は最寄りの上総湊駅から40分歩いていたという。それが満足度に下駄を履かせていたように思います。

で、こちらのラーメンは、富津の梅乃家とは別物と感じました。
スープは甘いし、麺はもっと細いです。
そしてなにより、大将と奥さんがネパール人。
メニューにはラーメンのほかにカレーやらタンドリーチキンやらが並ぶ。
ラーメン用に、食べラーみたいのを出してくれるという独自アレンジ(うまいけどさ)。
謎ばかり。
カレーがなんかすごくおいしそうだったので、次はカレーを攻める。

* * *

ちなみに富津のお店を訪ねたときの日記はこちら

2013年11月24日

大山

土曜に、神奈川県伊勢原市の大山に行ってきました。

小田急伊勢原駅で降りて、バスで30分、ケーブルカーで6分、そこから山頂(1252mと意外に高い)まで1時間半……と思っていたのですが、伊勢原駅からバスに乗るだけで1時間近くかかるという大混雑。
紅葉のハイシーズンな上に、最近どこかのテレビに出たらしく、例年来ているとおぼしき周囲の人の会話の中にさえ「ここまで混んだのは初めて」という言葉が聞かれるほどでした。

10時半前に新宿を出て、ケーブルカー駅の周辺でちょっと早めのお昼かな、という目算は見事に外れ、ケーブルカー駅から少し歩いたところの飯屋「ねぎし」で待って待って14時過ぎにやっと昼食になりました。
なんか、大山は「大山豆腐」ってのが名物らしいです。
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ということで、豆腐の定食、1700円(交通費が込み込みになった小田急のフリーパスを見せてここから100円引)。なかなかうまい、と思うあたり加齢を感じます。

ケーブルカー駅に向かいましたが、ここでも1時間以上の列。歩けば40分と言われたので歩くことにしました。

けっこうな勾配の山道を登って、中間地点の大山寺。
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紅葉、きれいだー。ピークをちょっと過ぎた感じ。もう1週間早くても大丈夫そう。

そこからさらに登って、阿夫利神社の下社がケーブルカーの終点(678m)です。
頂上を目指すには遅い時間になってしまったので、ちょっと歩いて滝と見晴台という展望スポットを見て戻ってきました。
下社とはいっても、結構眺めはいいです。
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薄暗くなってきて、紅葉ライトアップや下界の灯りがつき始めています。
奥に見えるのは相模灘方面らしい。

茶店でおにぎりと味噌汁を食べて(豆腐料理ではやはりお腹が空いた)、暗い山道を降りて、大山寺まで戻ります。
履いてきた靴が意外と底の滑るもので、何度か転びそうになりました。ヘッドライトが必要だった。何度目かの人たちはちゃんと持ってました。さすが。
夜の紅葉は、昼間とはまた違った迫力があります。
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帰りのバスに乗るにもまたすんごい行列。
結構疲れて帰りました。

このあと行きたいイベントがあったのだけれど、自宅でシャワーを浴びて目覚ましをかけて仮眠したら行くのが面倒になって、深夜に目覚ましを止めたあと、そのまま朝まで寝てしまいました。
日曜はひょっとしたら出勤、という可能性がありましたが、それも深夜には消滅していたもよう。
昼間にちょっと運動して部屋の大掃除、夜はちょっと縁あって初めての達成。

予定外・予想外の多い、よく晴れた週末でした。

2013年11月17日

エピジェネ

■太田邦史『エピゲノムと生命』講談社、2013年。

エピジェネティクスきてるよな、いつか何か読まないと。そう思っていました。
ちょうどよくこの夏に一番新しい入門書が出たので、早速(もう晩秋ですが)。

DNAは生命の設計図と言われます。
そこには筋肉や骨、神経など、体のすみずみまで、作り方が書いてある。
そして、同じ個体ならどこの細胞を持ってきても、核の中には一体分すべての設計図が入っている。
でも、網膜の細胞には網膜の細胞としての形や働きを持つのに必要でない、大半のページには鍵がかかっている。それは心筋でも脳神経でも肝細胞でも同じこと。むやみに他の細胞に変身したら困るから。

そのように鍵をかける(時には外す)仕組み――いつ、どういう環境条件のもとで、どの遺伝子が、どれだけ働いたらいいか、つまり「DNA=設計図、の読み方」――というのがあるらしい。それがエピゲノム。DNAが担っている情報の総体(ゲノム)の外(epi)にある情報体系。

体ができる時にはDNAの制御をするために当然働くし、生活習慣や環境によってもその働きを柔軟に変化させる。DNAそのものではなくて、DNAの読み方に変化が起き、それが細胞に記憶され、細胞分裂を経ても引き継がれる。
変化が悪いほうに働けば生活習慣病や精神疾患などになるだろうし、人為的に安定を保つ術が見つかれば創薬につながりうる。しかも、そうやって個体が獲得した姿形や気質、行動に関する細胞の記憶のあるものは次世代にまで伝わってしまうという。

まだ分かっていないことが相当多い分野のようです。DNAの配列を中心に研究されてきたジェネティクスでも難病などに関連する遺伝要因はいっぱい見つかったけれども、糖尿病やがんなど、環境が発症に相当絡むようなものはエピジェネティクスが進むことでもっと分かることがある気がします。

また、階層の再生産のようにこれまで社会的とされてきた現象や、親から虐待された人が自分の子どもを虐待するというような「そうかもねとは思うけどよく考えるとなんで?」な現象にも、案外生物学的な基礎があることが分かってくるかもしれない。社会を理科で説明する?いつか来た道ですなあと笑うのもいいが、でも実際どれだけ説明できるかは検討する価値が十分あると思います。

面白いけど、ちょい難しい。もう1冊読んだほうがいいかな。

* * *

次は気合い入れてあの高い本買って読むかー、と新宿(南口のほうの)紀伊国屋に行ったら、なかった。
んでまた安い本買っちゃった。面白そうだけど。

* * *

鼻毛に白髪発見。

* * *

この土日の夕飯は鍋でキャベツを食っていた。
土曜は運動してたら昼飯が遅くなり(ついでに、行こうか迷ってた勉強会を完全に失念していた)、日曜は昼間からうっかり強い酒を飲んでしまうなど摂食のタイミングが乱れたため。

2013年11月11日

宇宙の話2冊

■佐藤勝彦『インフレーション宇宙論』講談社、2010年。
■多田将『すごい宇宙講義』イースト・プレス、2013年。

ビッグバンがばーん!てなって宇宙ができたというけど、なんでビッグバンが起きたんだっけ?というか始まりがビッグバンでホントにいいの?という話が佐藤本。そもそもこの著者が、宇宙がちっちゃい点としてポンと生まれた後に急激な膨張をしたという「インフレーション理論」を提唱した人で、その理論がビッグバンの何をどう解決したのかから、「ほかの宇宙はないのか?」「宇宙はどう終わるのか?」までを噛んで含めるように教えてくれます。ちょっと訳あって再読しました。

で、6月に出た多田本です。
こちらは素粒子という超こまかいものを研究している人。
この本、すげえ。
物理の門外漢が一体何を分かってないかが分かってて説明している。
暗黒物質とか暗黒エネルギーって何よとか、宇宙が膨張してるってどういうことよとか、XMASSって一体何してるのとか、とにかく高校までに習わないのにニュースには平気で出てくる言葉たちについて、ただ「こういうことです」と辞典的に示すのではなく、どうしてそういう概念が必要とされ、どういう道筋で理論が組み立てられ、それを確かめるためにどんな実験が行われたかということを誤魔化さず、はぐらかさずに話す。とにかくアインシュタインから話す。
え、いまその辺の分野どうなってんの、と思った人は必読だと思う。多言を要さない。必読。

チャーハン王

新橋、チャーハン王。
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以前、長蛇の列で諦めたお店です。
本日午後2時に訪ねると、まだ列がありました。
唯一のメニュー、スープとのセット(880円)にありついたのは30分後でした。
チャーハンだけ食う→チャーハンとスープを一緒に食う→酢醤油をふったチャーハンを食う→酢醤油をふったチャーハンとスープを一緒に食う、という食べ方が推奨らしい。
卓上のメニューは、巷のチャーハンが「炒めた塩胡椒ごはん+具」に過ぎず、それに対して当店のチャーハンは「肉や野菜のペーストが米に絡むようにできている、米の炊き方も独自である」といった能書きをたれております。
確かにうまい。

弊管理人は王将に行くとほぼ必ずチャーハンとギョーザを頼みます。
特に地元の店舗はチャーハンが上手で助かります。
猫舌なので、ギョーザは酢とタレとラー油を合わせた小皿に浸けて冷ましておき、チャーハンと交互に食べます。
上記チャーハン専門店が酢醤油を勧めていることで、弊管理人の王将チャーハンライフは正しかったと確認されました。
王将のチャーハンとギョーザは税込で計651円。
今後とも弊管理人は王将に通うであろう。

2013年11月10日

週末記

なんだか週記くらいのペース。

* * *

通っていた大学から、今度立ち上げる国際化室(←まだ設立前なので違う名称を使っています)の記念シンポジウムに登壇してくれないかと依頼が来ました。
学部時代、大学が持っていたプログラムによって非常に廉価に交換留学させてもらったことには感謝していて、できる協力はしたいと思っているのですが、「グローバルに活躍している人」をスピーカーとして想定していると聞かされ、ちょっと考え込んでしまいました。
仕事はそんなにグローバルでもないし活躍してもいないし、第一、夢のある話が一つもできない性分なので(何年か前に会社説明会の講師になって嘘八百を並べてみたが、やはり合わなかった)、30分ほど悩んで、お断りしました。仕事上のお願いを断られると結構寂しい、というのは弊管理人も時たま経験するので心苦しくはあったのですが、どう考えてもスピーカーとしては不適当なので仕方ない。
他の登壇者が夢いっぱいの人だったら自分は暗くて貧乏くさい話をしてもいいかなと思わなくはなかったものの、そこは他に誰が来るのか分からないわけですし。

* * *

土曜、サイエンスアゴラを覗いてきました。展示あり、講演あり、科学と科学コミュニケーションの文化祭です。なかば趣味、なかば実益のため一度見てみようと思っていたイベントでした。
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ビッグサイトとかパシフィコとかで大学や企業がやる巨大展示会が規模・内容ともに砕けた感じ。
出展側の人たちはやりたくてやってるのかな、これ。
巨人の肩から見える風景を一見さんに分かってもらうって難しい、というのが印象。

* * *

うちの近くの吉野家で、店舗限定の「牛すき鍋膳」(590円)というのを出していたので先日試してみましたが、くず肉とくず野菜が割り下の中で煮えているというしろもの。
牛丼屋では牛丼を食えというのが結論です。

それはそうと、この汚辱を雪ぐべく、土曜の夜は自宅でやってみました。
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雪がれましたw
葉物や茸は煮ると小さくなっちゃう。もっと多くてもよかったというのが反省点。

2013年11月05日

筑波、まる玉

世の中3連休。弊管理人は土曜は仕事。

日曜は友人に拉致られて茨城方面へ。
牛久の大仏のふもとで墓参りにつきあいました。
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でもって筑波山へ。
「つつじヶ丘」の駐車場からケーブルカーで頂上に行くんだよね?と思ったら、友人は徒歩で行くという。
1.8kmの道のりですが、意外と急な上りが続きます。
弊管理人は水も持たず、スリッパみたいな靴に肩掛け鞄という軽装登山。
比較的、山の子なので苦もなく登頂。
友人も思いつきで徒歩を提案したらしく、死にそうになりながら登ってました。
てっぺんはガスっていましたが、まわりは幽玄な感じ。
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頂上は記念写真の人たちで混雑してました。
16時を回ってだいぶ薄暗くなっていました。
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冬になると空気が澄むので、見晴らしもいいそうです。
夜景を見るのも乙らしい。

というか、最近なぜか山づいている。

* * *

月曜の昼食は、両国の「らーめん まる玉」でした。
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濃厚な鶏白湯。
じわっと、おいしい。(←かなり褒めている)
麺の替え玉が100円でできるようです。
今日は運動前だったのでおかわりはなし。ここはまた近々来ると思う。

夜は終電まで飲んじゃったい。

2013年11月02日

ファウスト

■ゲーテ(池内紀訳)『ファウスト 第二部』集英社、2004年。

いくら音色に気を使っても、一拍一拍が間延びしていてはバラードの全体像が見渡せないように、「じっくり読む」は必ずしも「ゆっくり読む」ではないと思っています。頭に入りにくい部分は必要に応じて後から読み直すとして、それなりのテンポで字を追っていく、それで解像度は多少低くても煌びやかに展開する物語の印象が心に浮かんだとすれば、それでいいんじゃないか。

インテリでめんどくさい好色のおっさんファウストが悪魔メフィストフェレスと契約して若返り、世間知らずの女の子をたぶらかして破滅させた第一部に続く第二部は、時間と空間と現実/ファンタジーの境界を超え、さまざまな役者とばらばらの声色が飛び交う狂騒そのものです。
男と女が結びあって子どもが生成し、国家による保証と人間の想像力が結合して紙切れがおカネになり、火と水やら、金と土やらを混ぜれば人造人間ホムンクルスだってできてしまう。そもそものモチーフは本作のはるか以前からヨーロッパに流通していた錬金術師「ファウスト博士」の伝説から借りているのだから、これら騒々しく爆ぜる物語の要素たちを貫くのが反応や合成、つまり「化け学」なのは当然なのかもしれません。
それを青年期から82歳で死ぬまで、長い時間をかけて書いた。わがまま放題を言って彷徨してうっかり何人も殺して、目まぐるしく立ち回り続けるファウストを描く若くて無闇なパワーと、神話と歴史と文学と政治の膨大な経験が混ぜこぜになって奇妙な雰囲気を漂わせている。んで、最後はやっぱりおねーちゃんと救済に着地(というか昇天)する。まじか、と思うけどそんなもの。駆け足で読むとむしろ、その世界が俯瞰できる気がします。
いろんなところが謎めいていて、各所に餌もばらまいてあるから、食いついて何か言いたくなる人がいっぱい出てくる。そういう良さがある。背景と成果と意義と限界を一直線につなげた隙のないストーリーを披露して、フロアからの質問が全く出なくてしーんとした中、座長が場をとりつくろうため確認質問をする、そんな口演より多分、楽しいよね。

第一部を読んだ先週も書きましたが、弊管理人は小説とか戯曲とかを楽しむ素養がないようです。「読みやすい訳も出てるようだし、読んどいたほうがよかろ」で読みました。そういう読み手にとっては、この作品が書かれた当時の中でどういう位置にあったか、ドイツ語の話し手がこの作品を声に出して読むとどんな心象が形作られるかなど述べた各巻末の解説がとても楽しかったです。

* * *

木、金と急に滋賀県に出張する用事ができまして、帰りの新幹線で読み終えました。
滋賀県には初めて行くけど心躍らない、と某所でつぶやいたら、友人から「竹生島がいいらしい」とお勧めをいただきました。しかし時間がなくて立ち寄れませんでした。そのうち遊びで行きたい。いやどうかな。

* * *

錦糸町の「佐市」が期間限定で豆乳仕立て、ホタテと生のりのラーメンをやってました。
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ありだな。クラムチャウダーっぽくない?

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