« 2011年02月 | メイン | 2011年04月 »

2011年03月 アーカイブ

2011年03月31日

tukareta(翌日追記)

なんでこのタイミングなのかよくわからないが、体がやばいやばいと言い出したので、今日は職場から早く帰ってきました(っつっても20時上がり)。たぶん疲れがたまったため。

症状は首こりと体の重だるさ。眠いかも。
葛根湯飲んで寝ます。
さよならいろいろ大変だった2010年度。

【翌日追記】
葛根湯のドリンク飲んで布団に入ると、1-2時間はがたがた震えていたのですが、しばらくすると体が温かくなってきて翌朝(11時間後)にはほとんど復活できました。
正月にもこんなことがあり、やはり電気毛布を最高にしても震えが来る39度の熱が一晩で微熱くらいまで抑えられました。ほんと葛根湯は自分に合ってる感じがする。
ちなみにこの薬は中程度以上の体力がある人向けで、治る力を助ける、そんな効能なのだそうです。

2011年03月28日

ひとり花見

24日に休みをもらったものの外せない予定で午後から出勤したら、今月まだ1日しか休んでいないことになっていたらしく、労務管理上の問題があるとして上司から「強制休養」が言い渡されたため、今日は休みになりました。

そういえばそろそろお花見の季節じゃない?と思っていたら、今日は東京で桜の開花宣言が出ました。
新宿御苑でひとり花見してきました。
110328sakura1.jpg
今日はよく晴れていて、早めに咲いた桜のほか、ボケも花をつけていました。
110328sakura2.jpg
缶コーヒーを買って歩いていたら、メールでちょっとした問題が入ってきたので、ベンチでしばらく電話。そうこうしているうちに、もう閉園の放送が鳴り始めたので退散。

そのあと、明るいうちから酒場で5時間くらいお酒を飲んで帰ってきました。
布団を干せばよかったな。
まあいいや。
1日休んでしまうと、仕事のモチベーションがうなぎ下がりします。

2011年03月26日

はしご

あいかわらず非常時勤務は続いていて、今日は泊まり明け。
社内での配給は終わりましたが、出先の泊まりではまだ配給が続いているため、昨日今日はまたお弁当をいただく状況が続いてました。そのせいか自分で選べるごはんはちょっとガツンと食べたいという欲求はまだ健在なようです。
というわけで、新小岩の「支那麺 はしご」のだんだんめん、950円。
110326dandan.jpg
あっさりめの担々麺です。細麺もこういうスープにはいい。
味はいいけど、ラーメンにしてはちょっと高くない?(ちなみに焼き餃子は5個900円です……)

2011年03月25日

ハイチ

カレー熱は昨日の昼に一応の落ち着きを見せたものの、ドライカレー熱のほうを何とかしないといけないということで、今日は出勤前に汐留の「カフェ・ハイチ」(前に新宿のお店に行ったときにもエントリーにしたような気がしますが)。
110325haiti.jpg
マリネとポタージュのついたセット、1100円とちょっといいお値段です。今日はこのあと仕事だったので+100円で大盛りに。チリソースかけて食うのが好きなのです。
110325coffee.jpg
ハイチコーヒー。おいしく飲み干して外に出ると平和な青空。しかし不安が横溢している。

2011年03月24日

アキンボ

地震後(震災はまだ全然終わってないので「震災後」とは言わない)初めて休みをもらいました。
職場の配給は毎日幕の内弁当だったので、カレーが食べたい+複雑な味のものが食べたい熱が高まっており、近場にお店はないかと探したところ、
あった。カレーのアキンボ@錦糸町。

HP見てラムのキーマカレーに惹かれ、絶対これを食べるぞと脳がチューンナップされていたので、到着して品切れと聞かされたときにしばし放心。でも他の人が頼んでできあがってきたチキンカレーがおいしそうだったのでそちらにしました。
110325curry.jpg
ランチはサラダとプリンか飲み物がついて850円。
少しゆるめだが、スープカレーほどしゃばしゃばではないカレーは、いろんなスパイスが入ってる感じ。ところが味はやさしい(いろいろ混ぜると味にトゲがなくなるためかと)。でも夜までお腹の中で存在感を主張していました。これ、ひょっとしたら時々食べたくなるカレーかもしれない。
110324pudding.jpg
濃厚なプリンもうまかったです。カラメルが香ばしかった。

で、結局夕方から仕事になりました。
憂さ晴らしに一杯飲んで就寝。

2011年03月13日

3.11の記録(随時追記)

【23日】
・会社での配給は今日でおしまいだったようです(他部署は昨日でおしまいだった様子)。

・ところで原発の危機に関して医学、工学系の研究者がわんさかメディアに登場している。この人達が表向きどう言っているかとともに、みんなが見てないところでどう言っているかも少し知っているのだが、このたび自分がその知識において何か言ってくれと頼まれているというのは「降ってきた(←→選び取った)機会」なのにもかかわらず、とても自分が発言することに対して使命感を持っており、限られた時間で調べてわかることは調べ、調べても今の時点では分からないことはせめて一般論からの類推でなんとか見通しを与えようという意志を感じた。「自分は正しい知識を持っています」という理系っぽい自負がいい形で現れるとこうなる。

・葉っぱものと牛乳と現地飲み水の問題に続いて、今日はトーキョー水パニックとか赤ちゃん内部被曝マップとかが出てきて明日からまた大変な世の中なんだろう(子持ちの同僚はエビアン箱買いして担いで帰って行った)。しかし100mSv/年でがんのリスクが+0.5%とか聞くと、いいから牛乳とかほうれん草とか被曝量の情報付きでとりあえず出荷して、買う方に判断させてくんないかな、と思う。リスクのわずかな上昇とモノ不足を天秤にかけるなら前者を選ぶよ、とりあえず。

・弊管理人は地震からこっち通しで働いてきたが、明日は1日休むのでこのエントリはここで一区切り。つまり終わる。

(24日1:10追記)

【22日】
・11時近くに起床、12時出勤のはずが社員証忘れて戻って30分遅刻。
・知らないことを勉強しつつ1日の終わりにはアウトプットしなければいけないのはいつもの通り。いつもテストの答案を提出したあとのような、「あれでよかったのかね」というもやっとした疑念がある。

・今回の一撃で、最初のころに熱にうかされたようになった(→被害を受けなかった)人たちが予期したマクロな変化というのは、ひょっとしたら訪れるのかもしれないが、しかし急には来ないと思う。
・前よりも使う電力を3割減らしなさいと言われたときに、それが受け入れられるかどうかがひとつの関門だと思うのだけれど、事業者が憎い政府が悪い自治体が力不足日本のマスコミはまったくといった怨嗟の声を聞くにつけ、相変わらず依存しながら批判しながら自分は変わらないという型は健在で堅固だという印象を持ちます。
・9.11のときにも世界が一変してしまう気がし、そして実際にある面では変わったのですが、やはり日常生活は早晩訪れたことを思い出します。環境が変わる→適応する、の永久機関。

・毎日職場で配給の食事。おなかを空かせている被災地の方々に申し訳ないほど有り難いことです。でもカレー食べたい。あとアジの塩焼き(開きじゃないやつ)。
・今年上半期の流行語はシーベルトではないかと。

・「東日本大震災」という名前が一部でついた(←ちなみにこれは地震による災害の名前。地震の名前は気象庁がつけてます)ものの、東北は北日本ではないかという気も。いいけど。

(22日23:30追記)

【21日】
・朝4時まで働いて、ホテルに泊まって、8時に起きて、一日働いて、帰る。
・帰りに新橋駅の地下のスーパーで久しぶりに牛乳目撃。
・で、じゃあ地元の24時間営業スーパーにもあるかな?と思って帰ったら閉まってるし。
・自宅には米もトイレットペーパーもある。まあ当面暮らすお金もある。意外とバッファの大きい自分の生活であった。
・そういえばずっと書き忘れてたけど、地震当初から「世界一高い建物を建てようとした国って、なんかよくないこと起こるよね」と思っていた。

(21日22時10分追記)

【19日】
・職場泊まり明けですたこら帰る。
・10日ぶりくらいにスポーツクラブ行ってしまいました。

・久しぶりに昼間の街を歩いた。パン屋に行列。コージーコーナーに全く生菓子がない(牛乳が手に入らないためのもよう)。でもなぜか個人営業のケーキ屋にはケーキがあった(ので買って帰って食べた)。スーパーには納豆までない。なぜだ。
・いつもカップラーメン79円とかで売ってる激安の店が139円につり上げていた(多分、賞味期限切れ間近、みたいな安く売れるものが尽きたのだろう)。

・原発は事態がだんだん良くなっていると言われているが、まだカタストロフの可能性はけっこうあると思っている。しかし、悪条件が重なればとんでもないカタストロフの起こる可能性なんて、地震の起こる前からこの社会に充ち満ちていたのではなかったか。

・いろいろと社会が動いてない今週が終わろうとしているけれど、足下ばかり見ていた視線をちょっと上げると、今回の災厄は後片付けが大変そうだ。収入がないばかりか支出を多大に強いられた企業がいっぱいある。税収は当然減りそう。一方で国の出費は増やせないとすると、誰かの命を助ければ別の誰かの命を犠牲にするという厳しいぶんどり合戦の予算作りが6月に待っている気がする。

(19日22:00追記)

【17日】
・職場に泊まらなくていい日が続いてますが、朝出て深夜帰宅する生活は却って疲れる。
・地震当初、なんか妙にヒロイックな感じで高揚して「今こそ助け合うとき」とか「何もできない自分が悔しいです」とか「デマはだめだ、正確な情報に基づいて冷静な行動を」とか言ってた人たちがそろそろ飽きてきた感がありますな。
・電車の本数は少ないし、夜の首都高の灯火は全部消えてるし、店の中は薄暗いし、24時間営業の某ジーンズ○イトはとうとう24時間営業じゃなくなったけど、別にそんなに困らない。これくらいでもよかったのだし、これくらいで停電が回避できるならずっとこれくらいでもいいのではという気がする。
・「コンクリートから人へ」が急旋回して、復興の、コンクリートの時代がまた来そうですね。76円=1$の超円高で、商社は海外で建材を大量に買い付けているのでは。
・それにしてもそろそろ牛乳飲みたい。
・で、ものはいいようで、危機を乗り切った暁には「それでもCO2対策を考えたら原子力」「日本は資源の少ない国で」「今回を教訓とすることで原発の安全対策はより強固になる」とか言い出しそう。脱原発したら幸せになれるのかと。
・職場で配給される弁当が残っているのが勿体なくて、今日は4食摂ってしまいました(うち2食は弁当の残り)

(18日1:50追記)

【15日】
・また11時間寝て昼前に出社。
・会社最寄りの駅についたら、街頭テレビで枝野会見中継。今度は4号機か。寝て目覚めるたびに事態が悪化してる。でも駅でかき揚げ天そばを食う。
・今日は出先ではなく本社で仕事。何も知らなかった分野。一回ミスった。付け焼き刃はほんとうにこわい。でもやらざるをえない。
・幕の内弁当っておかずの種類が多いけど変化がない。食べられるだけいいけど。
・それにしても店に牛乳が見あたらない。
・会社の下のコンビニには箱ティッシュも見あたらない。これまで貯めに貯めたポケットティッシュで鼻水を処理。
・今日は深夜に帰れた。明日は午前出社予定。ねよっと。

(16日 1:20追記)

【14日】
110314shimbun.jpg
・午前3時半、会議室の椅子を並べて横になり、2時間ほど寝てむっくり起き出す。
・職場が揺れてももはやあまり気にしなくなっている。非日常が日常になりつつある。
・しかし、同僚とハイになってマシンガンのように不謹慎な軽口を飛ばしあいながら働いていないと、真面目に深刻に現実を受け止めないで仕事をしないと、たぶん平衡を保てないのだ。

・だらだらと弄べるのりしろがなくなった生活の中で、さまざまなノイズが消えているように思える。党派争いのノイズ、放蕩のノイズ、無関心のノイズ、吝嗇のノイズ、些末へのこだわりのノイズ。永遠の日常で蓄えた脂肪が削がれて、生活がスリムになった。そして、それでも何とかやっていけるのではないかと思えてくる。たとえば真昼のようなコンビニの照明、自動販売機、食品廃棄物がなかったとしても。
・しかしこうした生活を「みんなが」試行してみることは、平常時にはできないことだった。足並みをそろえて歩いている百人の集団を止めることは、その中の数人程度が立ち止まってみてもできない。ものすごいデマゴギーか、ほぼ全員を足止めするような大きな一撃にしかできない。

・タクシーは特需、ジーンズ屋は閑古鳥。米は売り切れ、菓子は在庫。必需のものと、そうでもないものが、こういうときに過剰に明らかになる。
・夕方帰る。次にいつ食べるか分からないので、ちょっとずつだけ自炊をすることにする。弁当ばかりだと体がおかしくなってくるので。

(14日17:20追記)

【13日】
・緊急地震速報に途中起こされつつ、11時間寝た。何度か揺れたがもう無視するようになってしまった。
・ふくらはぎ筋肉痛。19階まで階段上ったせい。
・家を出る。地元商店街ではおまつり。普通の日曜に見えるが、耳に入ってくる会話は地震のことばかり。
・ここ2日、野菜をほとんど食べていなかったので、野菜たっぷりタンメン食って昼、出社。
・お使いを頼まれたらそのお使い先でそのまま仕事になった。
・行方不明者「万単位」になっている。予想はしていたが
・計画停電は月曜から数週間の可能性。長いね。

(13日22:45エントリー作成)

【12日】
・夜明け。三陸海岸の街街が残骸になっている映像。こういうとき、むしろモニタの前に集まった人たちは互いにテンションをあげてわーわー言うしかない、消化のために。
・買い込んだパンを朝餉に。
・朝刊の見出し、文字が大きい。テレビ欄がスカスカ。
・眠すぎて仕事をしながら何度か寝落ち。
・昼に同僚と神田方面に歩く。首都高が開いてなかったので街が静かすぎる。スタバでキャラメルマキアート。静かすぎる午後。
・午後4時から1時間、椅子を並べて横になる。すきっと目が覚める。
・午後6時に会社にもどり、11時に退社。
・ようやく動いたJR、ガラガラ。日曜深夜のよう。土曜夜なのに。
・帰宅。心配だったバイクとテレビは倒れていなかった!小物がいくつか落下、風呂場の物入れが転倒。調理用ワインの瓶が流し台に。
・足がクサイ。シャワー!と思ったらお湯出ない。初めての復帰手続き。
・ツイッターを見てみたが心のささくれるTLだったのでシャットダウン。ねる。

【11日】
110311hinan.jpg
・14:46は顔を出す予定だった社外の会議の開始前。ビル9階の会場に入ろうとすると揺れが始まり、女性らの悲鳴。警備室からのアナウンス、要るものだけ持っていたそのときの荷物を持ったまま建物外へ。ぞろぞろと近場の公園に向かう人々。タクシーをつかまえて会社へ。いつもはすっとエレベーターで上がる職場までは階段。まだ揺れている階段室でふと9.11の脱出再現映像を思い出す。このまま上がっていいものかと一瞬迷う。職場の指示で災害対応のため別の建物へ。そのまま32時間勤務。

・眠気のせいもあるが、余震が多すぎて自分が揺れているのか世界が揺れているのかわからない。
・東京中心部、コンビニの商品棚が新規オープン前のようにからっぽ。帰宅難民の列。渋滞。しかし耐えている。
・友人らがtwitterやmixiでつぶやく。愚痴ったり励まし合ったりしている。つながっている。

・会社の階段室で擦れ違った同僚が車で東北に向かった。
・気象庁の記者会見は理路整然としている。歴史地震なんてものがあることを知る。5世紀から今までの巨大地震が地図にプロットされている。
・夜半。東京湾岸のコンビナートが燃えている。気仙沼の街が山火事のように燃えている。
・仙台で200-300人の遺体と報道。災害の被害程度は最初、とても控えめに明らかになる。そのとば口がやけに大きい。
・11日は26時に一度仕事に区切りをつけた。本震から少し時間が経って、余震が減って、世界が少し治っていないものかと思って、椅子に座って目を閉じた。2時間後、長野北部の震度6強。起きた。世界は治っていなかった。夜明け前の長野にメールをした。すぐに「だいじょぶ」と返ってきた。

2011年03月09日

プロタゴラス

■プラトン(中澤務訳)『プロタゴラス―あるソフィストとの対話』光文社古典新訳文庫、2010年。

この文庫、評判いいようです。新書がなんだか興味の惹かれないタイトルばかりになってきてしまった今、読んどかないと始まらないけど訳文が古かったりやたら格調高かったりしてイマイチ手が出なかった古典を「読みやすく」訳し直す、というのは商売的にもいい着眼だと思う。

さて、サンデル先生が東大に来る!とかいって見に行く市井読書家よろしく、プロタゴラスが近所に来てる!といって興奮するミーハー坊っちゃんのヒポクラテス君(同名だが医者のほうではない)に連れられて、プロタゴラスに会いに行ったソクラテスが「徳(アレテー。知恵、節度、勇気……など人間の持ちうる美点)は他人に教えてあげられるものなのか?」をめぐって論戦を繰り広げる様子を描いたもの。

ただし、読み通しても、当初の問いに対して「これが決定版」という答えは書いてありません。

当代一流のソフィスト(弁論の先生=金をもらって徳を教える商売の人)であるプロタゴラスと、「徳を教えてあげよう、なんて軽々しく言うのってなんかウソくさい、自分には知らないことがあるということをちゃんと分かっているのが本当の知識ちゃうんか」というひねくれソクラテスが論争をし、最後はソクラテスがプロタゴラスを黙らせちゃう。ところがソクラテスが至った結論は「徳は教えられる」という、当初の考えとは逆のものだった、というどんでん返し。

この過程を辿りながら、現代の読者たちは「この部分ってごまかしてない?」「あ、変な議論が挟まった!」などと思わずツッコミながら読んでしまいますが、その「読み考える過程」がまさにソクラテスの考える哲学というもののあり方を体現してしまう、というトリック。それを楽しむ本なのだと思います。トリビアのようなものを得るのではなくね。

2011年03月08日

法曹会館のカツカレー

3年くらい前からでしょうか、政治界隈で「改革の一丁目一番地」みたいなフレーズがよく聞かれるようになってきました。分かったような分からないような言葉ですが、個人的には千代田区千代田1-1は皇居=江戸城趾→本丸=中核、という意味なのだと思っています。

さてここは千代田区霞が関1-1、法曹会館。
知り合いの捜査関係者たちから「法曹会館のカレーはなかなか味がある」と聞いていた(ここって法務省や警視庁が近いのです)ので、昼仕事のついでに。
110308curry.jpg
カツカレー850円。

黒いスカートに白いエプロンのおばちゃんたちが給仕してくださる、昭和の洋食屋の風情。カレーもとてもオールドファッションで、辛くなくて、こっくりと小麦粉の居場所が感じられる鶏肉入りのものです。サラダとスープがついています。体力仕事の公務員が多い地域のせいか、ごはんの盛りはかなりいいです。げふ。
地方にある警察本部の食堂では、結構ぴりりとスパイスのきいた辛いカレーが多かったような印象がありますが、それとは対照的ですね。

ところで、スプーンでカツカレーを食べるとき。
ごはんと、カレールーと、カツの小片と福神漬け1-2切れをスプーンに載せ、そこに小さなカツカレーの皿を再現してからぱくっと食べませんか?弊管理人は特段急いでないときは、そうやって食べることが多いです。そして、ルーとごはんを無造作に混ぜたりしないで、同じような食べ方をする方とはわりとうまくいくことが多いような気がします。ひとの食事の仕方って意外と見ちゃうんです。(といっても弊管理人は非常に食べこぼしが多いので、人の食べ方をとやかく言う気はありません……)

2011年03月06日

すべてはどのように終わるのか

■クリス・インピー(小野木明恵訳)『すべてはどのように終わるのか―あなたの死から宇宙の最後まで』早川書房、2011年。

宇宙物理学の研究者による、「終わり」の話。生物個体の終わり、人類の終わり、生態系の終わり、太陽系の終わり、銀河の終わり、そして宇宙の終わりが、どのようなものになるのか。
この手の舶来科学読み物って、何かのテーマについての始まりから今までを辿るようなものが多いのですが、本書はさらにそれが「どう終わるのか」についてまで視点を拡げているところが特徴的かと思います。
面白いけど、ちょっと詰め込みすぎの感がありました(特にご専門の宇宙に入ってから)。

2011年03月01日

よしなしごと

・母が亡くなった2003年以来、夢に見るときはいつも癌の手術をしたあとの痩せた姿で出てきていたのですが、今日を含め今年に入って2回のご登場はいずれもそれ以前と思われる元気な姿になっています。今日の夢は、小学校高学年から中学卒業まで住んでいた広い広い一戸建ての住宅で、引っ越しか何かで荷物の総ざらえをすることになっているという設定。大量のマンガを少し捨てたらどうかと言う弊管理人とマンガの所有者である妹が険悪になるという、とてもありがちなシチュエーションでした(ちなみにリアルでも妹とはつまらない諍いがあって以来ここ5年ほど絶縁状態が続いており、先方が何をしていてどこに住んでいるかなど一切知りませんw)。母は登場しつつも特段の役割はありませんでした。喪の期間が終わりつつあるのでしょうか、それとも喪のフェーズが変わりつつあるのでしょうか。

・などと平穏に二度寝している状態から、宅配便の配達の方が鳴らしたインターフォンの音で一気に覚醒したため、体が起ききることができず、まっすぐ立てないような状態で印鑑を引っ張り出し、荷物を何とか受け取って呆然としていました。布団もいつもと反対の側から抜け出た形跡が。そしてすでに10時……フレックスだからいいんですけど……

・仕事は超低空飛行だった先週から少し上昇して、低空飛行くらいになりました。嫌なことがあったとかではなく、ただ低空飛行なんです。いいえたぶん春だから。

・3月だ。はえーなー。貪欲に遊ばないと。

About 2011年03月

2011年03月にブログ「すべりどめblog」に投稿されたすべてのエントリーです。新しいものから過去のものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2011年02月です。

次のアーカイブは2011年04月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35