ピアニストになりたい!
■岡田暁生『ピアニストになりたい!―19世紀 もうひとつの音楽史』春秋社、2008年。
ピアノ演奏技法の19世紀。
ピアノは職人が一台一台注文に応じて作り上げる上流階級の贅沢品から、工場で生産される製品に。木製の枠に金属の弦をものすごい緊張力で張り巡らせたグランドピアノは、19世紀初頭のフォルテピアノに比べて鍵盤が8倍(!)重くなった。
こうした道具の変化とも絡まりあいながら、ピアノ「作品」からは「練習曲」が分離し、さらに曲としてのまとまりさえ捨象された「テクニック」が生まれてくる。全体(曲)を部分(テクニック)の集積に落とし込み、そのひとつひとつを徹底的に鍛え上げることで全体の完成に迫っていく。
そこに必要とされるのは師匠から盗む霊感ではなく、ストイックな指の教練課程を通じて鍛え上げられたマッチョな手だ。まるで、ピンの製造過程を要素に分解し、工場労働者には個別の要素についての習熟だけを要求することで、結果的にピンの生産力を飛躍的に向上させようとするように。
ピアノ教育も、家庭教師がつきっきりで良家の子女を教育するスタイルから、音楽学校で”それなり”の家の子供たちを大人数のクラスに詰め込み、カリキュラムに従って”それなり”のピアノ弾きに養成するスタイルにかわっていく。
現代のわれわれが「ピアノ弾くならまずハノンだよなー」と思ってしまうその思考は、音楽史においてごくごく限定された時期に生まれ、広がったものなのだということを見せ、相対化してくれます。さらに、このロマン派の時代に花開いた「ソナタ」という形式さえ、短いモチーフという部分をさまざまに展開させたものが全体を構成しているという還元主義的な成り立ちをしているとのこと。
そう、世俗化、大衆化、専門化(その内実は分解→反復→強化!)」。「近代化」の理論は音楽の、とりわけ「技法」の世界をも斬ることができるか。そんな試みをかなり意識的にやっているように見えました。いや斬れまくってます。だからとても読みやすい。逆に話がちょっと見えやすすぎるともいえそうですが(笑)