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2009年10月 アーカイブ

2009年10月30日

盛楼閣

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仕事で盛岡に来てます。
東北新幹線、超ひさしぶりに乗りました。いつ以来だろう。大学のときに友人と旅行に来て以来だから11年ぶりか!うわー!
東京→盛岡は2時間半ちょい。札幌→帯広くらい。へえ。

盛岡勤務の経験がある同期に、盛岡駅周辺からほとんど動かないけど何かmust eatはあるか、と聞いたら提案されたのがここ、盛楼閣の冷麺。「自分的には有名なぴょんぴょん舎より好き」とのことでした。

冷麺900円。冷麺だけ食べに焼き肉店に入ることは当地では普通だそうで、昼食だったこともあり、これだけ注文しました。辛さが選べます。自分は味を楽しみたいので「ちょい辛」を。
ううむこの太い麺、かなり好きかも。
でもやっぱり焼き肉の締めに食いたいです(笑)

2009年10月25日

魚金

北海道から半分仕事半分プライベートの知人が東京にいらしたので、新橋で軽く夕飯。

「魚金」。なんかそこらじゅうにあるんですけど、ここが意外にうまい+安い+盛りがいいので最近注目気味です。日曜夜の新橋だというのに本店はいっぱいで、その場で3号店に回してもらいました。
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上から、牡蠣とかちょっと食っちゃってありますが(笑)刺盛り6点1280円。醤油差しを比較対象として大きさが分かっていただけるか、ホタテ入りかきあげ確か580円。注文がややだぶった感のある焼き牡蠣390円。
お互いあまり呑まないので飲み物一杯で、あと衝動的にチーズオムレツなど頼んだものの2人で5000円。腹一杯。

ちなみにここの牡蠣フライが実は私のお気に入りです。
あと今日はありませんでしたが、特大のぶりかまも美味かったなあ。

だいなそー

■小林快次監修『超最新・恐竜ワールド』日本放送出版協会、2006年。
■伊藤恵夫監修『恐竜』ランダムハウス講談社、2007年。
■小林快次他監修『恐竜の復元』学習研究社、2008年。

非趣味読書。寒い日曜日だったので家でこもって勉強してました。

恐竜といえば『のび太の恐竜』(29年前だ!ガーン)で知識が止まっているため、少し一般向けの(だけど子供向けとは限らない)本でアップデートしておかないといけないのです。

そういえば映画ではでっかい爬虫類がドスドス駆け回って狩りをしたりしているのですが、その1シーンだけでも「姿勢」「走る速さ」「体表の色」「食性」「周囲の環境」など非常に論争的なテーマが露頭している。数十年の間に、たとえば足の形や住んでいる場所、尻尾を引きずっているかいないかなど、微妙に再現画が変わってきているのだそうです(のび太の恐竜2006にも、恐竜学の進展を加味した変更が加えられているそうです)。言われないと気づかないよねー

恐竜研究というと、標本を掘っているところと展示されているところしかイメージできないし、そこしか一般向けの企画では扱われにくい部分はあるものの、バックヤードでの研究はなにやらすごく面白そうだなあと最近思ってます。
CTを使って内部を詳しく調べ、そこに材料力学や組織学、進化生物学、脳科学、気候学、植物学などさまざまな知見を使いながら古い時代の脊椎動物の有り様を復元していくそうです。

そのあたりが少し載っているのが『超最新~』ですかね。このあたりを担っている日本の研究者というのはほとんど管理人と同世代の博士たち。これより少し上の世代、監修者の小林さん(北大博物館准教授)は71年生まれ。標本が乏しい日本での研究は、上のような手法上の革新を核にして進んでいくのかもしれないです。

2009年10月21日

今こそアーレントを読み直す

■仲正昌樹『今こそアーレントを読み直す』講談社現代新書、2009年。

確かに筆者の言うようにアーレントの人気は根強いと思います。新刊本を気ままに読む生活をしていてもいろんなところで言及され続けてますし。その点、路線違いですけど、デリダって亡くなったとたんにフェイドアウトしつつある感じ、しません?(誰に聞いておるのか)

いやはい原典読めって話なんですけど、原典のどれから手を付けたらいいかを知りたくて手に取った本です(『アイヒマン』は6-7年前読んだ)。結論からいうとやっぱり手近なのは『人間の条件』だな。それが終わったら『全体主義の起源』。いつになるやら。

私利私欲の要求から自由な個人が、政治という舞台で丁々発止の討議を繰り広げる。
ただし舞台なので、そうしたアクターたちのプレイを第三者的に見守り、ジャッジする観客という役割もまた尊重されなければならない。

そのモデルは「政治とは富の分配のことです」というよくある説明とも違うし、「討議しているうちにひとつの真理に達するでしょう」という普遍主義的な企画でもないし、「やっぱり外野より活動家が偉いよね」というアクティヴィズム賛美ではもちろんないです。それが現実のいったいどこに顕現するのかようわかりませんが、でもそれはそれでいいと思う。という歯にものが挟まった感じこそがアーレントの本領だというんですね。

もはやそれを目が覚めるようだとか示唆に富んでいるは思わないけど、まとめとしては分かりやすいです。通勤電車で読むのにちょうどいいくらいかなあ。それでもちょっと物足りないかも。

なんて思いながら読み終わって、次の本次の本と思いながら八重洲ブックセンターをぶらついていたら、仲正さん、とうとう自伝とか出しちゃったのな。なんか、えー、とか思いながら夕暮れの八重洲を歩いて次の仕事に向かったのでした。

2009年10月12日

30代おひとりさま

091012heya.jpg「酒で1週間をリセットできるかプロジェクト」を2週間にわたって展開してみましたが、どうやら(1)ヴォートカをしこたま飲むとリセットできる(2)でも飲み明かしてはだめ[=どんなに楽しくても終電で帰れ]ということのようです(挨拶)。

で、昨日は(2)を破戒して始発を千葉県内まで乗り過ごしたりしながら這々の体で帰り着いて気絶、昼頃起きて洗濯、掃除、自炊昼飯(鮭の西京漬けうますぎ)、そして15時過ぎに干した布団を取り込んだらそのまま午睡に誘われてしまい、18時に郵便屋さんが来て起こされました。

西友に米と麦を買いに行ったついでにロースカツを一枚求め、卵とじにして半分だけご飯にのっけて食べて久しぶりに浴槽にお湯を張って入浴してさて寝るべ、と思ったら意外に頭が冴えてしまい、なんとなくのそのそスピーカーと棚の位置を変えたりしておりました。結局1時過ぎには寝たけど。

わたくし写真のような部屋に住んでおりまして。
写っているカーペットの大きさが6畳です。
机に着いてPCいじっていると窓の外の眺望(この部屋はそこそこ高いところにある)が視界のほとんどを占めて生活感がけっこう消える。テレビの両脇に置いてあったスピーカーの一個を机の端に持ってきたため、部屋のどこにいてもわりと音がよく感じられるようになりました。
布団に入っていてもテレビも見られるし音楽も聴けるとあって、なんだかまたこれで外に出掛ける必要のない居心地のいいお部屋になってしまいました。

机に向かって右側はベランダ、左は台所のほか、ダイニングテーブルが置ける2畳くらいのスペースがあり、そっちにもベランダがありますが利用してません。
30代男子おひとりさま、持ち物は昔から少ないほうだと思うのですがいかが。
そういやこの歳になるとあまり人様のお部屋拝見することないな。

2009年10月10日

音楽入門

■伊福部昭『音楽入門』全音楽譜出版社、2003年。

ゴジラのテーマでおなじみ、しかし実は現代日本の代表的な作曲家の一人、伊福部昭氏が1951年(!)に書いた入門書です。

が、これがまたすごい。

音楽は音のみで美しくあるべきだとするのが氏の主張なのですが、そのため小林秀雄のようにごてごてと文学的な修飾を尽くして評論したり、音だけで訴えかけきれないものを表題に託したり、情景など音楽の外にあるものを写し取ることに価値を見出すことを徹底批判します。一方で音をばらばらに配置したり数学的に配置したりする実験もまた、数(あるいは乱数)その存立を頼っているために批判の対象になる。
そして全球化する西洋音楽の進出に対して、民族音楽の素養をまずつけることを主張してます。それは、排他的な民族主義なのではなくて、国際社会に漕ぎ出す者にアイデンティティクライシスを起こさないための智恵を授けているようにも見える。

一見すると頑迷なおっさんのわがまま音楽批評のようにも見えますが、最後につけられた解説によれば、これは全て敗戦後の日本の軽薄な西洋音楽受容を批判したものだという。釧路生まれ、独学で音楽を勉強しながら北大農学部を出て勤めて賞とって音大教授になって学長にまでなっちゃう異色の人っぽい、とんがった感じが随所に見られる本です。こんな啓蒙書、本当の入門者が読んでもわかんないと思うけど(笑)

岡田暁生さんが「新しいクラシックとはジャズだ」と文庫に書いてて「へー、そうだねー」と思ったのですが(→『西洋音楽史』)、50年前に同じこと言ってました、伊福部氏が。やっぱり古典は読むもんだな。

2009年10月06日

グローバリゼーションの倫理学

■ピーター・シンガー(山内友三郎他訳)『グローバリゼーションの倫理学』昭和堂、2005年。
Singer, Peter. One World: The Ethics of Globalization, New Haven: Yale University Press, 2004.

英語圏では名の知れた功利主義系応用倫理学者、といったらいいでしょうか。
某オセアニアの大学で哲学の授業を取っていたとき、特によく出てきた名前です。オーストラリア出身の方だというところまでは知っていましたが、だいぶ運動もやった方だというのは訳者解説で初めて知りました。うん、確かに米ブッシュ政権に対する痛烈な批判や、具体的な提言をつけて章を締めくくるところなんかはその片鱗が見えますね。それだけにYes We Canが出てくる前に読めばよかった(3年くらい本棚にしまったままなぜか手を付けてなかった)。

環境問題のコストは誰がどう負担するべきか。WTOは不平等を促進するか。主権国家への人道的介入はどういう条件のもとで許されるか。途上国援助をしぶることは正当化できるのか。諸問題が国境を越える時代の倫理学を構想する。答えの出ている問題もあるし、出ていない問題もあります。政策学のテキストかと思うくらい網羅的に資料を読み込んでいる部分もある。かと思うとヘアもカントもノージックもウォルツァーも出てきます。
おそらく史上もっとも出来の悪い大統領が去った今、シンガーは何を言うのか。アップデートしてほしい本ではあります。そのわりにあんまり強烈な印象の残る本ではないのはなぜかな。

2009年10月03日

明るくグレている

昨日、ここ数日ものすごいエネルギーと時間をかけてやった仕事が派手にコケて社内的に袋叩きだったので、今日は予定の仕事に行くのをやめてゆっくり休むことにしました。

といっても仕事相手の社外の人には迷惑をかけていない(こういうことが起こるのが不思議な職種だ)のと、社内でこれに関わった人は責任回避をするといった教訓を多く得られたのと、仕事のプロセスにはほとんど「もうちょっと頑張っておけば……」的なところを残していなかったことでむしろすがすがしく、「はいはい全部私が悪いです」と引き受けて後処理して、脳内の「忘却箱」に放り込んで昨日中に完全終了です。

ちなみにこれだけ叩かれている案件で、さらにその関連で「来週ちょっと続きやらない?」みたいな空気読まない仕事依頼をしてきた大先輩を「やりません!」と撥ねつけたのもまたすがすがし。

8月の異動以来、土日もわりと仕事に振り向けていろんなことに手を出してきましたが、ここでちょっと肩の力が抜けた感じ。まあタイミング的にもこんなことがあってもいいかもね。9時間寝て何かを取り戻した。食料買ってこよう~

---以下2時間後の追記

という文章を書いてから出掛けて、近所の王将で餃子食いながら思ったんですけど、↑こういうふうにストレスフルなことを文章化する=外部化する=ストレスフルな自分から一歩引く、ということ、これ自体がストレスマネージメントですよね。上の文章からはすごいストレスを感じます(笑)

おそらく極度にストレスに弱いのにストレスを受けている自分自身を、まるで脱皮するように脱ぎ捨てて観察する位置に立つことでストレスをかわす。虐待を受けている子供に起こる人格の分裂(お父さんにぶたれている自分は自分ではない)というか、まあそんなに深刻じゃないけど、そんなもののようです。「(自覚された)離人症的ストレスマネージメント」とでもいうべきか。

そしてこういう逃避(否・解決)機構は、暴飲暴食にも自殺にも繋がらない、もっともマイルドなストレスマネージメントなのかもしれません。いったいどういう条件をもっている人に、こういう機構が具わるんだろう?

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