昨日、ここ数日ものすごいエネルギーと時間をかけてやった仕事が派手にコケて社内的に袋叩きだったので、今日は予定の仕事に行くのをやめてゆっくり休むことにしました。
といっても仕事相手の社外の人には迷惑をかけていない(こういうことが起こるのが不思議な職種だ)のと、社内でこれに関わった人は責任回避をするといった教訓を多く得られたのと、仕事のプロセスにはほとんど「もうちょっと頑張っておけば……」的なところを残していなかったことでむしろすがすがしく、「はいはい全部私が悪いです」と引き受けて後処理して、脳内の「忘却箱」に放り込んで昨日中に完全終了です。
ちなみにこれだけ叩かれている案件で、さらにその関連で「来週ちょっと続きやらない?」みたいな空気読まない仕事依頼をしてきた大先輩を「やりません!」と撥ねつけたのもまたすがすがし。
8月の異動以来、土日もわりと仕事に振り向けていろんなことに手を出してきましたが、ここでちょっと肩の力が抜けた感じ。まあタイミング的にもこんなことがあってもいいかもね。9時間寝て何かを取り戻した。食料買ってこよう~
---以下2時間後の追記
という文章を書いてから出掛けて、近所の王将で餃子食いながら思ったんですけど、↑こういうふうにストレスフルなことを文章化する=外部化する=ストレスフルな自分から一歩引く、ということ、これ自体がストレスマネージメントですよね。上の文章からはすごいストレスを感じます(笑)
おそらく極度にストレスに弱いのにストレスを受けている自分自身を、まるで脱皮するように脱ぎ捨てて観察する位置に立つことでストレスをかわす。虐待を受けている子供に起こる人格の分裂(お父さんにぶたれている自分は自分ではない)というか、まあそんなに深刻じゃないけど、そんなもののようです。「(自覚された)離人症的ストレスマネージメント」とでもいうべきか。
そしてこういう逃避(否・解決)機構は、暴飲暴食にも自殺にも繋がらない、もっともマイルドなストレスマネージメントなのかもしれません。いったいどういう条件をもっている人に、こういう機構が具わるんだろう?