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2009年05月 アーカイブ

2009年05月28日

いじめの構造

■内藤朝雄『いじめの構造―なぜ人が怪物になるのか』講談社現代新書、2009年。

現象や言説を手際よく分類したりクローズアップしたりしながら、それらの背後に隠れた時代性を明らかにしました。ジャジャーン
みたいな芸当を蹴り倒し、数十カ所ナイフを突き刺し、呪詛を……みたいな情念を感じますなあ。いやこういうの好きですけど。
いじめの起こる心理的・社会的な構造を特定し、パーツごとに名前をつけ、そしてその中に病変の根を見出し、そこに効く薬を処方する。そういう実践志向な方法論に立って書かれています。

たとえば、いじめる側がいじめによって得る「全能感」、これに一度つきあうと、少しでも意に沿わないことが起きた場合に、損なわれた全能感の回復のためにより苛烈ないじめが起きるということを突き止めれば、最初の段階でうっかりいじめっ子に従ってしまうことがいかに危険かがわかる。

たとえば、いじめてもそれが「傷害罪」にならず、教室という狭い世界の掟では大した罰が与えられない(どころか、いじめをチクった=外の論理を持ち込もうとした側がむしろ非難される)とすれば、ほとんどのいじめっ子はいじめることのリスクが小さいからこそいじめをやめないのだということを突き止めれば、教室に「刑法」を介入させることがいかに大切かがわかる。

など、など。

内容については、かなり平易に書かれているので、ここでまとめるまでもなくさっと読めると思います。
強制的に子供を狭い世界に押し込め、「人とちがっている」ことを認めない掟の中で互いの顔色と場の空気を読みながら場当たり的に行動させる、学校という不自由な空間を開放すること。経験的にはなんとなくこうしたらいいんだろうなあ、と多くの人が思っている、そうした開放に向けて、プロジェクトをきちんと組み、根拠づける。意義のあるお仕事だと思います。

これ、でも、オトナのいじめに挑むにはさらに周到な作戦が必要だなー、とも思いながら読みました。
強制的に押し込まれた学校と違って、オトナの世界にある会社とか趣味のコミュニティとか、そういう集団って「自分で選択して入った」もののように見えて、実は賃金とか人間関係とかを人質にとって「抜けるのに相当のリスクとコストを課す」でもって「意外に代替できる集団がない」ところが多いでしょう。そういうところで起きるいじめにどう取り組んだらいいのだろう。
次の作品も読んでみたいです。

2009年05月24日

たつみのつくね

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11月以来久しぶりに美唄市の焼き鳥「たつみ」に行ってきました。このところの雨も止んで今日は天気がよかったので、ドライブがてら。

相変わらず18時前に行っても鳥めしは売り切れで、レバーもなく、ここの仕入れは一体どうなっとんのかと思ったりとか、串とそばとつくねを頼んだらそばが出てきて、しばらくして串が出てきて、かなりしばらくしてデザート的なタイミングでつくねが出てくる不思議さだったりとか、バイトの高校生君?たちが軒並み機械みたいな接客だったりとかでいろいろ気分悪いわけですが、出てくるものはうまいです。はあ。

今日この日記を書く気になったのは写真の色合いがよかったからでした。
あ、でももふっとした感じのつくねは初めて食ったけどうまかった。串もいつも通りうまかったです。

2009年05月22日

相対主義の極北(改)

■入不二基義『相対主義の極北』ちくま学芸文庫、2009年。
底本は2001年、春秋社。

※4月29日に書いた感想文の不出来感をずっと引きずっていて気持ち悪かったので少し書き直します。

「Aと考えるのはあなたの拠って立つ枠組みがそうさせてるんです」(相対主義者)

という言いっぷりに対して

「それだってあなたの拠って立つ枠組みに言わされてるだけなんじゃないの?」という反論。
通常はこれが「相対主義は自己論駁的である」という相対主義への決定的な批判とされているのですが、

「そうなんです、『Aと考えるのは枠組みに相対的なんです』という考えも枠組みに相対的なんです」と応答した瞬間、

「Aと考えるのは枠組みに相対的なんです、という考えも枠組みに相対的なんです、という考えも枠組みに相対的なんです、という考えも……」という無限の相対化の運動が始まってしまう。

結局、相対主義というのは、何かを積極的に提示する形の定まった考え方の様式であるのではなくて、「拠って立つ枠組み」から常に滑り落ち続ける運動のことではないか。そんなふうに考えさせられる本です。

そしてその無限回の滑落の果てにたどり着く「絶対的な根拠」。そんなものをもし想定するとすれば、その可能性を想定することはできるが、その内実が何なのか積極的に言うことができない(言った瞬間にそれは相対化されるから)、まさに「神」になるんですね。

人知を超えた存在のはずの神が何を創り、考えたか、なんてことを人間ごときが勝手にあれこれ想像したところで、それはその人間が拠って立つ枠組みに規定されたものじゃないか、といって「人間が構築した神」を解体する無限の運動に打って出た相対主義のシニカルさを極限まで追求すると、なぜかほんとうの(!)神的なものがその決して到達できない「果て」の位置に予感されてしまうという、不気味な結末。

これはこれで十分面白い。野矢茂樹さんの解説も面白い。

でも、好みによっては
うん、わかった。……で、何?
という疑問を喚起するよね。つまりそういう相対主義の姿を明らかにすることで、どうしたいのか、何に応用できるのか、という。
回答(1)は「そんなん関係ねえんだよ。単に知りたかった、それでいいじゃん」と超然とすること。
回答(2)はここから文化人類学みたいな異文化研究のほうに逸れていくということ(「相手のことが完全に分かった」という状態がありえないことを前提とすれば、よくわかんない他者に対して、同化も排除もしないおつきあいの仕方ができるんじゃないかという気もする)。

こういうことに興味のある人には非常に読みやすく、興味のない人には1ページ読むのさえ辛い本だと思いました。

2009年05月20日

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辛くて空を見上げたわけではありません。
見上げると太陽に暈(かさ、halo)がかかっていました。初めて見た。
まんまるい虹。
天気が悪くなる前兆だそうですが、全然そんな感じしません。
今日の札幌の空はべた塗りに青く、緑はとんでもなく鮮やかで、ライラックが香ってます。

2009年05月18日

ほくほく庵

「北海道でこなすタスク」リスト入りしていた、ほくほく庵(北海道長沼町)に行ってきました。
今回はちょっと自分でお店の評価をするのは難しい(理由は以下)のですが、各方面で「おいしい」「北海道にいるなら一度は行っておくべき」との呼び声の高い人気店です。

普通に天もり(1100円)でも食べようかなと思っていたのですが、同行の友人2人がもうネタモードで「たらい釜揚げうどん(10玉、2800円)」になってしまい、

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これ。

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寄ってみると、展望檜風呂に日帰り入浴で来たサナダムシご一行みたいな。

おいしいんですが、さすがに3人で10玉はきつかった。というか食事というよりスポーツになってました。
機会があったら今度は普通のメニューを楽しみたいと思います。

2009年05月15日

ぴあのれっすん(17)

結局、転勤の時期にかなり近いなど仕事の状況などを考えて、コンクールは見送りにしました。

引き続きスクリャービンのノクターンです。
今日は普段レッスンで使うヤマハではなく、先生のベーゼンドルファーを使わせていただきました。
とても抑制的な音ですが、意外と嫌いじゃないです。これまでキラキラした派手目な音が自分の好みだと思っていたのですが。

引っ越しを契機として、「鍵盤にさわれればいいかな」程度の気持ちで会社に入ったときに買った安い電ピ(10万円程度)を手放して、少しいいやつ(20万円台)にしようかなと思ってます。新しく住む部屋の広さにもよるんですけど、やっぱりペダルは3本欲しいと思いました(!!!!!!!!!!!!!!!)

2009年05月11日

水溶き片栗粉

バリウム飲んだんですよ、バリウム。初めて。
会社の定期健康診断に胃のエックス線検査入れてみたもんだから。

正午。
まず「胃の働きを止める注射」なるものを打つ。
これ「視力が一時的に落ちることがある」注射だって。怖!

それから胃をふくらますためといことで顆粒の炭酸飲料?を飲む。

それからバリウム溶液200cc!コップ重い!まずい!
何回も「オエッ」てなりながらちびちび飲みました。

台に寝て「胃の中に行き渡らせるために」とかで寝返りを何回か打たされ、それから縦になったり横になったり体をねじったりしながら放射能浴びまくりました。

終わってから口をゆすいで下剤を2錠。
「ご飯と水、たくさん取って下さい」というのでラーメン&チャーハン!

午後3時。
ちょっと文献を探しに訪れたジュンク堂書店で不意の便意、トイレに飛び込んで……
水溶き片栗粉みたいのがブファーって。ブファー!!
この検査って体に悪いんじゃねえの?

【追記】
翌朝、自宅でウンコしたら(構造的に問題があるのか?)バリウムだけ流れずに便器の底に固着してるし、何だこれーもうー(泣)

* * *

一昨年、同じ受け持ちで働いていた他社の方が、くも膜下出血で意識不明だと聞かされました。42歳、子供2人。今年初めの健康診断では何事もなかったんだって。

2009年05月10日

31→32

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ありがたくも思いの外多くの人たちから祝っていただきました。
なんだか30になった時より、31になった時よりも、32になった今日のほうが歳食った感じがしました。
とはいえ、昨日はけっこう遅くまで酒を飲み、今日は眠りが足りないまま起きて出掛けたりしていて疲れを引きずったまままた飲みになり、かなりグロッキーで帰ってきた状態のため、この日にあたって何か思うことを書き付ける気力がありません。
明朝は健康診断です……

2009年05月06日

新見温泉

GW後半戦は2連休がせいぜいでしたが、何もなく終わるのもつまらんということでちょっと出掛けることにしました。
といってもETCのついていない車で高速に乗るのも癪だし、なにより特にやりたいアクティビティ(笑)もないわけ。
というわけでいつもの「本を抱えて山に逃げる」パターンに。

今回は蘭越町の新見温泉に一泊し、余市町をまわって帰ってきました。

大きな地図で見る

札幌から国道230号、道道66号を通って蘭越町へ。
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羊蹄山はいつ見てもきれいだねー

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蘭越の街なかから道道268号へ。夏はここから岩内町に抜けられますが、5月26日まで新見温泉以降は通行止め。

キタキツネが路上に寝そべっていましたが、車を止めるとささっと寄ってきて見上げてきました。でも写真撮ってたらまたねそべってしまいました。通る人たちが餌でもやってるんでしょうかね。
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なんかくれんの?
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くれないの……

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お宿はこちら。新見温泉ホテル。大正元年(1912年)創業だそうです。木造の落ち着いた造りの建物。
お部屋は8畳、冷蔵庫もトイレもない(テレビはある)シンプルな間で落ち着きます。
山奥のせいか?アリさんがけっこう畳を這っており、部屋に備え付けの粘着テープで近年まれに見るホロコースト。まあちっちゃい虫は大丈夫な私なので淡々とアイヒマン。

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温泉は弱食塩泉ラジウム泉だそうです。飲んでみましたがほぼ無味無臭。
混浴の野天風呂と男女別の内風呂があり、どっちも結構熱いです。入ってると慣れるんですが、ちっちゃい女の子が泣いたりしてましたね。
野天風呂はまだ雪の残る山の斜面に向かって開いており、山スキーをする人たちの姿も見られました。これくらいの時期だと適度に外がひんやりしていて快適です。冬の露天風呂は出ると寒いし、浸かってるとのぼせるので。
結局ちょっと部屋で本を読んでは風呂、読んでは風呂で、5回入浴してしまいました。

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夕飯は別室で山菜料理。
鍋、わらびの煮物、ほっけとふきの煮付け、行者にんにく(=アイヌネギ、キトピロ)とえびのぬた、茶碗蒸し、刺身、菜の花の白和えなど。出色はこごみのごま和え。とろろそばで〆。うまかったです。お櫃のごはん全部食べてしまいました。おなかいっぱい。(翌朝のお産はごくごくスムーズでした)

翌日はニセコのほうを回るか、海辺に出るか迷いましたが、早起きしてぱっと朝食と朝風呂を済ませたので、少し遠回りになりますが海辺の道を。
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ふもとでは桜が満開に近く。
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追分ソーランラインに出れば、海の向こうに積丹半島の山々が美しい。

余市町に出て、マリーナの近くにある「小宿」という茶店に寄りました。
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昭和14年(1939年)に現在の場所に移築されたという古民家です。
サンルーム(ええとなんていうんだっけ)の席からは港が見えます。子供らの声も聞こえます。
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コーヒーやジュースもありますが、三平汁をいただきました。ぬか鰊の味が濃くてご飯がすすみます。

昼過ぎには札幌に帰ってきました。
結局連休は全部晴れました。オンシーズンの北海道はやっぱりきれだ。久しぶりにいい季節のドライブが体験できたせいか、また遠出したい気分が強まってきました。

2009年05月05日

人でなしの経済理論

■ハロルド・ウィンター(山形浩生訳)『人でなしの経済理論―トレードオフの経済学』バジリコ、2009年。
Winter, Harold. TRADE-OFFS: An Introduction to Economic Reasoning and Social Issues, Chicago: The University of Chicago Press, 2005.

まあ要は、メリットとデメリットだけに注目すると意外と一般の道徳観とは違った結論がでるかもしれませんよということを、臓器売買や違法コピーや喫煙や日照権や製造物責任なんかを例にとりながら見せるわけですわ。
なんか、訳がねー。高校生が評論文訳すとこうなるよねー、みたいな、なんというか、アメリカーンな砕けた感じの口調を描こうとして描けていないような、そんな、あれでした。
あと、うまいことキャッチーなタイトルつけると、読む人が中身に過大な期待をしてしまってよくないな。

内容?上に書いた通りですけど。

2009年05月03日

「生きづらさ」の臨界

GWの札幌はピーカンに次ぐピーカン!
でも……

■湯浅誠、河添誠編『「生きづらさ」の臨界―〝溜め〟のある社会へ』旬報社、2008年。

会社に転がっていたのをお借りしてきて読みました。
ちょうど湯浅さんが直前に読んだ『不平等の再検討』に言及してまして「おっ」と思ったのですが。

今年の年越し朝生を見たときに「貧困問題」の複雑さ(論点の多さ)に圧倒されつつ、でもこの人たちの本を一冊は読まねばなるまいと思ってたんですけど、このとっつきやすそうな鼎談本でさえ「正規だが低待遇、と、非正規」「社会問題と個人の問題」「適応力の問題と精神疾患の問題」と、そうしたセットのはざまに落ちたケースへの目配り、など複雑に絡まり合って頭が過熱気味でした。
最後にそうしたいろいろな分野の活動をネットワーキングしていくことや、そういう活動に人が集まるための条件(参加しなくてもいい「退避場」のようなものの必要性)について言及されていました。

感じたことは大きく2つで、
(1)特に湯浅さんは「社会科学にもっと頑張ってほしい」ということを何回か言われてました。「学問対現場」みたいな、どちらかといえば味方同士の分断を回避する智恵って大事だなあと思ったのが一つ。
(2)もう一つ、救済の対象が「働きたくても働けない人」から「働く意欲がない人」にまで拡大しても、さらに「働く意欲を喚起するような救いの手を払いのける人」みたいな外部が生まれる、その「より遠いところにいる他者」はやっぱり救済するのか/どうして(how and why)救済するのか、みたいな疑問がもやもやっと浮かびました。それは「そんなヤツラはほっとけ」と思っているからではなくて、もし自分が支援側の当事者だったらどうしたらいいんだろう?という当惑。

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