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2011年01月 アーカイブ

2011年01月30日

悲しき熱帯Ⅰ

■クロード・レヴィ=ストロース(川田順造訳)『悲しき熱帯Ⅰ』中公クラシックス、2001年。

今ごろ読んどんのかい、という声もありましょうが(でも今年はあと何回かこういうお叱りを受けるような読書をしたい)、通勤電車で今月前半からちょこちょこ読んでました。
よく知らないで学術書かと思ってとりかかったら、しばらくはまるっきり紀行文。で、終盤にさしかかってあっあっ本題に入ったっぽい!と思ったらⅡに続く(笑)
でも、目の前で起きていることの後ろにあるものを見通すセンスがほとばしっているのがビシビシと伝わってくる、凄みのある文章です。

それにしても原文の力もあるのかもしれませんが、訳がいいなー、つうかすげえなー。
訳すほうも博覧強記じゃないと追いつかないと思う。

感想文もⅡに続く!(いつになるやら)

2011年01月25日

記憶の糸

札幌時代に仲良くしてもらった三つ上の友人が日曜に急死しました。
経緯は詳しく聞いていませんが、昼間に空港で倒れてそのまま逝ったとのこと。旅行業界の人だったので、仕事中だったのかな。昨日未明から朝にかけて、現地の友人らから何本も連絡の電話をもらいました。
今日がお通夜で、明日が葬儀の由。悩みましたが、出席する一人に香典を持っていってくれるよう頼み、自分は行かないことにしました。そこには既に彼はいないしね。

弊管理人が転勤で札幌を出てからは、SNSでときどき交流はあったものの直接会って話すことはとんとなかったため、彼とのチャンネルが永遠に閉ざされたことはまだ実感がありません。会おうと思えば会えるけれども、会っていない日々が引き続き流れている感じ。

5年も前にもらったメールを読み返すと、覚えていたつもりになっていた言い回しと微妙に違っていたことに気付く。友人夫婦も交えて仕事でもらった日高のサケを食ったよね。でも、あのでかいアイス食った小樽の店ってどうやって行くのだったかよく覚えてない。仕事先から土産にと買ってきてくれたキーホルダーって、あれどこの土産だったっけ。
われわれが二人でその端と端を握っていた記憶の糸の束は、いまはこちらの手からだらんと垂れ下がっている。「永遠の不在」が迫ってくる局面の一つは、記憶(≠記録)を共有をしてくれる人がもはやいないこと、もはや自分の記憶違いを正してくれる人がいないこと、記憶を支える基盤がひどく頼りないものになってしまったことに気付く瞬間であると思ってます。

2011年01月24日

巨大翼竜は飛べたのか

■佐藤克文『巨大翼竜は飛べたのか―スケールと行動の動物学』平凡社新書、2011年。

データロガーという装置があります。動物の体に取り付けて、向いている方角や動きのスピードなどを記録するもの。水棲哺乳類とか鳥といった、直接行動を観察するのが困難な動物をふん捕まえて装置を取り付け、放して、機器をまた回収。そこに入っているデータを解析すれば、一体かれらが海や空で何をしているのかがわかる、というシロモノ。

著者とそのお弟子さんたちは、ペンギンだのウミガメだのミズナギドリだの、いろいろな動物にデータロガーをつけてその体のスケールと行動の関係を考察してきました。その成果のひとつとして、空に生きている動物たち(鳥)には、持続的に飛び続けられる「体型」にある制限があることがわかってきます。

さらに、それを既に滅びてしまった中生代の空飛ぶ爬虫類「翼竜」にあてはめてみると、現在推定されている体重と翼開長が正しかったとすれば、長い時間飛ぶことができない体だったという結論が必然的に導かれてしまう。
2009年にそうした論文を発表すると、ネット界隈でものすごく叩かれたらしい。それじゃあ解説いたしやしょう、というのがこの本。

恐竜の姿とかって、化石などの手掛かりをもとに、現生生物を参考にしながら「うーん、こんなもんだろう」と復元していくしかないわけです。少し時代をさかのぼるとその方法もかなり適当だったこともあるようですが、最近の古生物学者の中には、足いっぽんでも正確に復元するため、機能と形態について徹底的に研究している人たちが多い。
「飛び続けられない翼竜」説についても、それは完全に正しいかもしれないし、現在推定されている体重や翼長が間違っているのかもしれない。あるいは古代の環境のほうが何か違ったのかもしれないし、ひょっとしたらこの説を支えている前提を堀崩す何らかの発見されていない事実があるのかもしれない。いずれにしても、筆者らの研究が古生物の復元にあたって考えなければならない一つの面を提示しえたといえると思います。
徹頭徹尾、法則に従いながら、しかしその法則をなかなか明らかにしてくれない自然の謎掛けに挑戦する。そんな科学者のお仕事。

2011年01月23日

富士山とお風呂

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年明けの気分か、これまで迷っていたいくつかのことを、「やる」方向で決定してます。迷ってる時間がいよいよ勿体なくなったので。
といっても地デジ化とか、そんなレベルのことなんですけど(地デジ、悔しいがきれいだw)。

で、きのう、とうとうバイクにETCをつけました。
夏に、支払い用にポケットに入れていた1000円札が高速走行中に飛んでいってしまい悔しい思いをした時から、取り付けを考え始めていました。年末には高速道路料金に関する国交省案が出ましたが、どうも一律無料とか一律料金とかに完全にはならないために、曜日や車種による複雑な判断を避けるとの名目で引き続きETCは割り引きを受けるために必要そうな雰囲気だったことに背中を押された気もする。
「とうとう」というのは、バイクの場合はETCの機械に耐振動とか耐水とかの機能が必要になるのと、おそらくマーケットが小さいために、取り付けにかかる費用が四輪の倍以上(3万-4万弱)になるため、それなりの決断がいるからですw

今日はテストを兼ねてちょっと出掛けることにしました。
どこへ行ったものかと迷いましたが、北は路面凍結とか怖いのでやや南へ。
東名で御殿場→山中湖→富士山の見える銭湯でお風呂と昼食→河口湖→中央道で帰宅、というコース。
冬用の手袋を買ったりジャケットを買ったりインナーを買ったりと、ここ何年かでちょこちょこそろえてきた冬装備で出てみました。峠では気温1度とかでちょっと寒かったですが、5度あれば100km/h以上出さない限り、わりと大丈夫でした。覆いのない顎と、ブーツの中の足指がやや冷えたので、これらについては何かお金のかからない対策を考えたいと思います。
それにしても、上限1000円は安い。あと、料金所で止まって→手袋取って→財布からお金出して→お釣りとレシートしまって→手袋はめて→発進、という面倒な作業がないのは想像以上に便利でした。

写真は氷の張った山中湖と、てっぺんが雲で隠れてしまった富士山。
このあと入った「紅富士の湯」は、温泉なのに消毒の匂いがするお湯の質はともかく、ぬる湯からちょい熱めまでの浴槽があるのと、眺望がなかなかよかったです。はい。

2011年01月13日

松平

寒い!
ので、後輩と新橋で15年営むという、京風おでん割烹「松平」さんへ。
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普通におでんもうまいんだけど、お勧めとおっしゃっていた「牡蠣おでん」もなかなかでした。牡蠣をおでんのつゆに通して、わけぎと一緒にいただくもの(でも、見栄えはしないので写真は割愛……)。
梅酒飲みながらずっとエロ話してました。周囲はおっさんばっかで多少浮いていたかもw
ごはんものが何かあればよかったんですけど。
でも、お腹ふくれました。ごちそうさまでした。

無痛文明論

■森岡正博『無痛文明論』トランスビュー、2003年。

前々から気になっていて、でもけっこう大部なので年末年始を利用して読みましょ、と思ったらわりと時間かかってしまいました。

苦痛を避け、快楽を求める「身体の欲望」を持った個人が集まると、その欲望は単なる足し算を越えて一個の実体を形成し、そうした欲望をかなえるためのモノや制度を次々と生み出していく。
たとえばあらかじめ障害の有無を調べ、中絶によって親が負担を回避することさえ可能にする出生前診断や胎児条項、暴れる程度さえ管理された自然・ビオトープ、そして快適追求テクノロジーの集積としての大都市……。そうしたものの総体「無痛文明」は、構造の安定性を志向し、しかしすきあらば拡張しようとし、そのために誰かが犠牲になることを厭わない。無痛文明はまた、それを生み出した個人たちにむけて再び貫入し、欲望によってエネルギーを与えられ、そして強化されていく。
その渦に巻き込まれ/構成する個人たちの姿は、栄養と薬をチューブで与えられながら温度と湿度を調節された部屋ですやすやと昏睡する患者を連想させる。まるで生きながら死んでいるかのようだ。

筆者はそうした「無痛文明」に対して宣戦布告する。
なぜ人びとがコストと時間をかけて求め築いてきたそれを否定しなければならないのか。それは、無痛文明を生きるということはウソの人生を生きるということだからであり、無痛文明を解体することは、世界を十全に味わい、「悔いのない人生を生きる」ことなのだという。

では、どう戦うのか。
いろいろ書かれているが、弊管理人なりにまとめれば、無痛文明のありようを知り、告発し、さらにそれが自分の中にもあることを知り、告発し、それと向き合い、逆用するという運動を繰り広げていくことなのだと思う。

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2011年01月08日

お世話になりました

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永田町に行ったら、古い参院議員会館が取り壊される途中でした(後ろにあるのが新しいやつ)。
お別れはいつも寂しいものです。

2011年01月03日

お年始上がったり下がったり

あけました。

・元日、祖父母にお年玉あげた(一度やらなくてはいかんと思いながらこの歳までやってなかった)。泣かれた挙げ句に仏前に供えられた。供えてないで使って下さい(笑)

・元日朝から倦怠感。寝不足かと思ったら発熱(平熱35度台半ば→37.9度)、夕方には動けなくなる。父親の備蓄していた葛根湯のドリンク剤飲んで寝たら夜のうちに熱が下がった。(1)漢方すげえ。(2)父曰く「葛根湯、水、白がゆの備蓄でひきはじめの風邪はしのげる」。うえー具合悪いー薬買ってきてーメシ作ってー、ができない還暦前の男やもめ。独りで生きるとはこういうことなのだなあとしみじみ。

・2日、田舎から帰宅。詳しくは書かないが、ぎゃあああああ!ということがあって激しくうろたえる。

・3日、立ち直……れてない。

・それはそうと弊blogはますますどうでもいいことが書き込まれる予感。本年も元気にまいりたいものです。

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