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2025年09月28日

政治的なものの概念

◆カール・シュミット(中山元訳)『政治的なものの概念』光文社、2025年

学生時代に授業で読んだ時、なんとなく分かるんだけど何か遠い感じがしたまま通り過ぎ、シュミットの話をよくしていた同級生は自殺し、授業をやってた先生も夭逝し、しかしそのときの本は薄くて大きくもないので持ったまま引っ越しのたびに目にして「そのうちまた読もうかな」と思っているうちに新訳が出たのでした。

内容。

・「友」と「敵」の区別こそが政治の本質である。「あるものが政治的な行動であり、政治的な動機であるかどうかを判断するための特殊な政治的な区別は、友と敵の区別である」(p.27)
・友敵は善悪(道徳的なもの)、美醜(美的なもの)、利害(経済的なもの)とは独立のものである。(敵だから醜い、というわけではない)
・ただし、宗教的、道徳的、経済的対立などに十分な人間集団の凝集力があれば、友敵関係が発生することがある(eg. 宗教戦争、階級闘争)。「…このような闘争集団が結成された場合には、その対立の決定的な部分はもはや純粋に宗教的でも、純粋に道徳的でも、純粋に経済的でもなく、すでに政治的な対立になっているのである」(p.45)
 →つまり政治=国家(近代国民国家)、ではない。国家のサブシステムでも政治は発生する。また階級闘争は国際的にも発生する
 →一方で、典型的には政治は国家において現れる。「ここで問題にしているのは、…この区別の存在の現実性と、現実的な可能性なのである。…理性的に考える限り、諸国民がこの友と敵の対立によって結集していることは否定できない」(p.32)。国家は内戦を抑圧し、他国に宣戦を布告する。世界が一つの国家になることはない
・敵とは公的な性格のもの(ホスティス、ポレミオス)である。個人的な仇(イニミクス、エクトロス)だとかそういうことではない
・敵とは現実的な可能性において、自分たちと抗争している人間たちのことである。存在の否定を暗黙のうちに含む。物理的殺戮と関係する(cf. ホッブズの「自然状態」。つまり性悪説を前提にすべきである)

中山がニーチェを引きながら解説するところによれば、私たちの日常生活において使われている根本的な用語は、そもそも定義するということが非常に困難である(p.328)。シュミットは、政治的なもの=日常的に言及される「政治」の本質を示そうとする中で、根底的な――つまり別の概念によって説明されない――判断基準を考えた。それが友敵の区別である。これは無根拠・主観的なドイツ・ロマン派に失望し、裏付けのある「決断」を見いだす試みでもあったらしい(p.365-)。

しかし、だから何なのか。この疑問は今回の本に収録された1932年・1963年版と、1933年ナチス版で実質2回読みしてもよくわからなかった。それには解説が一定答えたように思う。

敵の概念をさらに検討した『パルティザンの理論』で、敵は3種類に分かれている(p.337-)。
・「伝統的な敵」 近代国民国家成立以前の戦争にみられた敵。1648年以降、勢力均衡と戦争抑止の流れの中でヨーロッパは戦争の相手の有罪化を断念し、他国の殲滅を禁止し、絶対的な敵を否定し、正しい戦争を戦うことにした(ヨーロッパ公法体制)
・「絶対的な敵」 フランス革命やマルクス・レーニン以降、ナショナリズムや階級闘争により他国の殲滅をいとわなくなった時代の敵。「人道の敵」という敵概念であっても結局は同じことで、存在の否定や他者の犯罪化を志向する
・「現実の敵」 これが『政治的なものの概念』の敵概念に近い。現実の場面における敵。イデオロギー駆動ではなく、戦うべき時において戦う相手。適切な方法を考え出し、戦う。ヨーロッパ公法が失われて戻らない現代において、「絶対的な敵」を想定した殲滅戦にいってしまわないよう、この「現実の敵」概念によって戦争を枠づけ、制限し、相対化する必要があると考えた

この解説を受けて、弊管理人のふわふわ理解を書いておく。
シュミットの敵概念は、根本的な対立のイメージやナチとの関連から一見「絶対的な敵」であるように思え、その帰結は殲滅戦であるような印象を持ってしまうが、そうではない。イデオロギーからも利害からも、他のすべてからも隔絶された純粋な敵、現代風にいうと「ゲームにおける敵」なのではないか。とにかく今ここで「あちらが敵」と設定されているので敵。そうすると戦争も、始まりと終わりとルールのある戦いになる。カイヨワを連想しながらそう考えると、確かに本性として人はついゲームを始めてしまうし、それは、ある時ある場面における孤立した営みにしかならない。確かにシュミットがいうように、友敵の区別は実存とは関係なく、どこかで発生し、与えられるものである。全面・全力・殲滅に突き進む戦争の危なさへのアンチとして、確かに面白い議論だと思う。シュミットってそんなまともな人なん?という疑問はよぎるが。

すると次に、後半の国家論批判は何の利益のためにやっているのか、という疑問が浮かぶ。特に自由主義批判をやりながら終わっていくが、取り残され感はある。これも「性善説に基づいた自由主義にとらわれていると、決定的な瞬間に国家が敵認定をすることができず危ない」という警告らしいが、解説を読むまで分からなかった。本文を読めてなかっただけなのかもだが。

「何を言っているか」「何を論駁したかったか」は分かるとして、やはり「何を実現したかったのか」についてはもうちょっとすとんと落ちる体験がほしかった。シュミットの作品では次に『政治神学』にいこうかなと思っていたが、同じ人の他の作品よりは、応用を見せてくれる別の人のところに行くべきかもなと思った。といいながらちょっと暫くシュミットはいいわ。消化を待ちつつ、とりあえず別んとこ行こ。

2025年09月26日

突然秋

あきらめない35度、みたいな日を境に、9月22日と23日は急に涼しくなりました。うっかり今年最高に過ごしやすい日だったかもしれない。

先週の後半にまた鼻が詰まって嗅覚も消えかかったので、土曜夜勤をちょっと抜けて会社の地下の内科を受診。4日分の薬をもらって飲み始めました。

でもって飛び石連休などしつつ火曜は早くに眠くなり、水曜に起きてみると喉が痛くて微熱(37.1度)があった。ピンポイントで左の扁桃腺、およびその周辺。てきめんに怠い。食欲もなく昼シリアル、夜やっと残り物。コロナ陰性。インフルにしては発熱が緩い。
さすがに職場に臨時休業を宣言し、1日中寝たり起きたりしてました。夜はちょっととばっちりで仕事したけど。

こんな寝られる?というくらい寝て木曜は早くも回復基調。
しかし喉はまだちょっと痛い。熱はない。ので外仕事に行きました。
この週末は名古屋に遊びに行く予定でしたが、大事を取ってやめました。予約していたご飯屋さんはキャンセル。
夜また37度ちょっといったのですが、眠くならなかったので確実に快方に向かっていると思いました。寝られる時というのは本当に具合が悪い時。

金曜、喉は「どこかに違和感」くらいまで収まり、完全平熱(36.4度)です。嗅覚は前よりよくなって、コーヒー豆は鼻がつくくらいまで近づけないと匂いがしなかったのが、手元に置いてるくらいで匂うようになりました。部屋とか台所とかの雰囲気の匂いも分かるようになった。これもまた死と再生(あるいは「風邪の効用」)。
このところ周囲でも体調崩してる人が多いです。夏の棚卸しでしょうな。

【追記】で、そろり~っとジムに行ったら好調だった。休養大事。
限界近くまで遊ぶ→疲れる→2、3日伏せる→快調、との流れは昔から繰り返しており、「伏せる」を回避するよりはもうこれを通常のサイクルとして受け入れるべきであるな。


* * *

上記関連でいろいろググっていたら、副鼻腔の構造が分かった。
これにより、鼻水が流れ出やすいように頭を前傾(どちらをかむかで左右にも傾ける)して鼻をかむとよくクリアできることが分かった。かんでも出てこなければ上を向いて鼻をすすり、口腔に排出してから吐き出すとよい。この技術の発見に半世紀近くかかってしまった。構造から考えるの大事。

* * *

体調悪くて寝てる間に、北海道旅行に行く家族を駅で見送って、自分は病室に戻るという夢を見た。亡母は元気な姿。駅といっても札幌かどこか、道内の大きめの駅のよう。病室というよりホテルの一室で療養している感じだった。「自分も行っときゃよかったかな」と思った覚えがある。
20日にあった祖母(=母の母)の四十九日をシフトを理由に父に任せたのと、具合が悪かったのが複合したと思われる比較的読み解きやすい夢だった。

* * *

高田馬場、11区担々麺。
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おいしい。確かにおいしい。しかしメンドコロ天鳳ほどかな。
家からのアクセス込みで天鳳に軍配。

* * *

他人に責任を転嫁するようなグループチャットでの言い逃れに対して、転嫁された側(した側より後輩)に事実確認した上で「違うじゃん(大意)」とレスしておいた。なんなんだろうな。

* * *

ちょっと前の日記にも書いた、給与部長を電話でネチネチ詰めた二重徴収の問題は9月給与で精算されました。クレームしなかったら知らんぷりしてただろうおまえ、というくらい「取るのには熱心、払うのに後ろ向き」体質であった。「それは別の話です」じゃねえよ。

2025年09月21日

実力も運のうち

◆マイケル・サンデル(鬼澤忍訳)『実力も運のうち 能力主義は正義か?』早川書房、2023年。

文庫化される前から知ってたけど、ちょっと前に日本でポピュラーになった哲学者が書いた時事的なエッセイかなと思ってほってあった本書。読んだら面白かった。アメリカの2024年大統領選を現地で見たからこそ「わかる」って思えたというのも多分ある。2024年は2016年とほとんど変わることはなかったんだろうなという思いは強くした。

能力主義が生むのは「勝者の驕り」と「敗者の屈辱と怒り」であり、失われたのは連帯である。敗者が侮辱を感じるのは、彼らもまた能力主義イデオロギーは共有しているからこそだ。問題の核心は失われた尊厳なので、「敗者には教育を与えればいい」という出世主義・エリート主義を温存したままの解決や、再分配という「金目」の解決を図って成功するわけがない。科学信奉もまた道を誤るもとで、問題を理解不足やアーキテクチャの問題に読み替え、価値に関する議論をスキップしてしまう。

いかにもコミュニタリアンな診断だが相当程度正しいと思う。トランプはオバマが生んだし、負け組を語った点でトランプとサンダースは近いという図式も納得感がある。アメリカン・ドリームの国だと信じられているのに、意外と階層移動がしにくい社会であることがデータとともに紹介されていて興味深かった。

「機会の平等」という、誰もが同意しそうなイデオロギーをどう批判するか。弊管理人の印象では、批判には成功した。解決にあたっては「運」と「敬意」を導入するという理念までは示した。だが実行を考えるにはもう手遅れなのかもしれない。いや別の本を探してみるか。

大統領選前の2024年夏、カリフォルニアで修士終わったばかりだという若い環境活動家と話したとき、「反対側との対話が足りてないんじゃないの」と弊管理人が水を向けたら「彼らも勉強すれば分かると思うよ」と返されたのを思い出した。またアメリカという国ってみんながI deserveって叫んでるような国だなと思いながら3年半過ごしたことを反芻しつつ本書を味わった次第です。

以下メモ。

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ポピュリスト的反発を招いたグローバリゼーションのプロジェクトの2側面(pp.40-51)

(1)テクノクラート的な公益の構想
   市場メカニズムは公益を実現する主要な手段という信念
   「右/左」ではなく「開放的/閉鎖的」
   道徳の問題を経済効率・専門性(技術的問題)へ解消する
     ←80sのレーガン、サッチャー、その後のブレア、シュレーダー、クリントン
   →不平等の拡大と、勝者から敗者への軽蔑のまなざし
   ↓敗者に対する「教育の提供」という解決法

(2)能力主義的な勝者/敗者の定義。レーガン、ブッシュ、ルビオ、クリントン、オバマ
   ←→実はアメリカの社会的流動性は低い。アイビーリーグの階層固定化
   →「機会の平等」が解決か?
    →能力主義が生む「勝者の驕り」と「敗者の屈辱と怒り」
      =メリトクラシー(マイケル・ヤング、1958)の帰結
     恩寵、幸運という感覚の排除により、連帯の可能性が損なわれる
   *不平等、勝ち組/負け組を語る点でトランプとサンダースは似ている

・学位の有無と投票行動の関連
 勝者の票を集めたヒラリー、敗者の票を集めたトランプ
・有能者による統治
 ジェファーソンの美徳と才能を基盤とする「自然な貴族制」(p.56)
・テクノクラートは市民的プロジェクトの幅も狭めることになった
 連帯よりGDP。グローバリゼーションの問題は分配の問題にすぎない
 どこかで誰かが決めている政治
 知的職業階級の威信を強化し、大半の労働者の地位と評価を損なう(pp.58-59)

メリトクラシーの歴史(pp.66-)
 ・聖書
  (1)人間の主体性の強調:報償や罰は人の成果によって神が与える
    悪の存在は人間の選択の結果だと理解する(ペラギウス)
    ←→神の全能性の否定だとの批判(アウグスティヌス)
      ≒ルターの反能力主義、カルヴァンの予定説、労働=禁欲
      →現世の活動で恩寵を受けた、という理解のスリップ
       →プロ倫が能力主義につながる(p.77)。
        人は自分に値するものを手に入れる、という摂理主義(p.80)
        →世俗的成功と道徳的資格の一致(p.82)
  (2)不運な人への厳しさ:不運な人は罪を犯したはずだ。傲慢と懲罰
    カトリーナ「天罰」論、9.11、3.11と石原慎太郎(pp.84-85)
    オバマケア反対論
 ・リベラルの摂理的側面(歴史的事実と道徳の癒合)
   ・「偉大=善」アイゼンハワー~ヒラリー
   ・「歴史の正しい側」=リベラル民主主義、自由市場。クリントン、オバマ
     ←★冷戦後の独りよがりの勝利主義(p.103)、機会の不平等の改善
     ←→不平等の拡大

出世のレトリック
 ・自立と自己形成の理想
 ・市場が公正に運営されていれば、自分に値するものが得られる
  →市場の結果は能力と一致する
 ・「値する」、上昇志向、リスクと責任の個人化
 ・「自らに落ち度がないにもかかわらず」→救うべき/でない貧困者
   クリントンの1996福祉改革(p.122)
 ・「才能の許す限り」のアメリカン・ドリーム
   オバマの大学教育称揚(p.126)
 ・「あなたは値する」(p.127)1970s~2008、レーガン、メイ
 ・運の平等論(1980-1990s)困窮者の中で、誰が不運の犠牲者に過ぎないか
 ←エリザベス・アンダーソン「救貧法的思考」(p.267)
 ←底辺を嘲笑する能力主義エリートに対する、ポピュリストからの嫌悪
 ★トランプ支持者も能力主義を受容したからこそ、侮辱を感受した
  アメリカは努力とやる気による出世への信頼が高い
  実は社会的流動性は多くの国より低い。世代を超えて貧困を脱しにくい(p。136-)

学歴偏重主義
 ★グローバル化と労働者の賃金・雇用問題の解決としての学歴向上
  (不平等=制度の失敗、の否定)
  →大学へ行かなかった人たちへの社会的敬意を毀損(p.163)
 ・ケネディ、オバマ政権の高学歴びいき←→実践知や共通善とは無関係
  投資銀行の専門性に対する反射的敬意と、ウォール街救済という判断ミス
 ・「smart」の流行。モノにも使われる。スマートカーetc.
 ・人種差別や性差別が嫌われる時代に、学歴主義は容認されている最後の偏見(p.175)
 ・議会の高学歴化=代表性の低下(米、英、独)。能力の高さを意味しない
 ・学歴による分断の招来。トランプ/ヒラリー投票層(p.185)
 ・★公的言説のテクノクラート的転回(p.191)
   意見衝突の問題を情報提供、インセンティブ、科学に解消する(オバマ)
   →市民の力をそぎ、説得することを放棄するという欠点
  政治(意見、信念)に先立って事実に合意すべきだというのはうぬぼれ(p.201)
   →逆に、意見が認識を導く(モイニハン)

成功の倫理学
 ・マイケル・ヤング The Rise of Meritocracy (1958)
 ・完全な機会の平等=不平等の正当化。しかし正当化できるか?
   成功=才能×努力
   才能の限り―才能があることは運ではないか?
   たまたま持っている才能を評価する社会にいることは運ではないか?
 能力主義を代替する①自由市場リベラリズム
  ・ハイエク:市場の結果と、道徳的にそれに値するかは無関係。再分配は拒否
   ←→
    ・個人の市場価値に従った配分は道徳的に受けるに値する、という結論に滑っていく
    ・市場価値は社会的貢献と一致するとは限らない
 能力主義を代替する②福祉国家(平等主義)リベラリズム
  ・ロールズ:才能の道徳的恣意性→格差原理。才能を共通資産として再分配を擁護
   ←→だからといって成功に対する能力主義的おごりは緩和・排除はされない
 運の平等主義・公的支援を受けるべき/でない人の選別
       ・支援を受けるべき人を「無力な犠牲者」として名誉を毀損する
       ・努力と選択から生じる不平等を擁護する点で自由市場リベラリズムと一致

選別装置としての高等教育
 ジェームズ・コナントのSAT導入=ハーバードの能力主義化
  機会の平等と社会的流動性に基づく選抜
   →出自ではなく能力に由来する不平等の肯定と、英才の称揚・凡人への侮辱
  SATの得点と家庭の豊かさは比例する。世襲エリートが能力主義エリートになっただけ
  名門大学が階層移動を駆動していない(一部公立大ではしている)
  レガシー(卒業生の子ども)の優遇、寄付者の優遇
 そもそも選別装置の役割を大学が引き受けるべきでない理由二つ
  (1)選に漏れた人の苛立ち。社会的評価との結びつきが断てない
  (2)選ばれる人も負うストレス。地元大から高難度大志向へ、合格率低下
     入学後も学生団体への入会選抜、成績への執着
  →いずれも自己責任に根ざす。連帯と相互義務を芽生えにくくする
 対策:くじ引き、職業訓練への補助金増、市民教育の拡充

労働の承認
 アメリカ人男性の収入停滞、絶望死(が高い地域でのトランプ善戦)、
 「白人特権」の剥奪、アメリカン・ドリームへの「割り込み」
 収入=社会への貢献度、という考え方の解体
 グローバル化に伴う不平等、GDP主義で生産から消費重視に、
  アウトソーシング、移民、金融化が労働の尊厳に与える悪影響
  ←リベラルの失敗:労働者・中流に対する分配的正義の提案
   ←→必要だったのは労働に対する社会的承認と評価(cf.ホネット、p.371)
     社会統合・承認・共通善としての分業(デュルケム)
     オーレン・キャスの賃金補助、税負担を労働から消費と投機に向ける
 →社会の絆の回復

2025年09月10日

食べる、話す、九州、夏

夏休み第2弾は九州に行くことにしました。
特に何が見たいということもないので、食って歩いて誰かと話して、というゆるめの旅。

マイルで福岡空港、乗り換えの合間にちょっと歩いて資さんうどん。
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そんで対馬に行きます。たぶん公式的には差し障るのでブランド名は書かないが、レンタカー屋さんに「帰りの便の関係で、追加料金払って1時間延長するのできますか?」と聞いたら、おにいさんが無料で延ばしてくれた。やさすい世界……
わだつみ神社。
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烏帽子岳。もこもこ。
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宿は厳原(いずはら)という地区です。たぶん島内で一番都会。
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イカ釣りの拠点だったらしく、スナックがいっぱいあります。
その地区で育って、スナックで働いたこともあるというコーヒー屋のおにいさんが「夜の仕事が終わると港に行ってイカを釣るんですよ。そうすると1日終わったなって感じになるんですよね」と言ってた。街灯に寄ってくるんで岸壁で釣れるんだそうです。すげえ……
地元の若者をナンパして夕飯食った。
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手前の鉄板は「とんちゃん」という地元料理らしい。豚のプルコギ。
釜山から50kmないので、韓国人旅行客がめちゃくちゃ多い。ジェットフォイルで日帰りできるくらい手近な観光地だそうです。
飲食店のメニューは韓国語版があるし、よくあるQ&Aは店員さんがカードにして示している。役所かなんかが接客業対象の韓国語講座をやってる。運転荒いから気をつけてと言われた。
「そのうち対馬は韓国に取られちゃうと思うけど、長崎県は助けてくれなさそう」と2、3人が異口同音に言ってました。
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ちなみに対馬は長崎県です。航空便は福岡、長崎とつながってるけど「長崎に行ってもやることないから福岡に行きます」とのこと。福岡まではフェリーもあるが雑魚寝のスペースしか島民割がきかず、結局は飛行機のほうが安いんだって。
車を買うのも福岡。免許は島内に取れるところがあるが、北の端にある比田勝(ひたかつ)の高校生は(遠隔地のためか?)佐賀で合宿で取るんだそう。
「福岡行っても疲れて早く島に帰りたくなっちゃう。今は島を出なくていいかな~」と若者。

北へ2時間近く運転して、環境省の施設にツシマヤマネコを見に行きました。交通事故にめっちゃ遭うらしい島のキャラクター。空港も「対馬やまねこ空港」ですしね。
いた!福岡の動物園生まれで人間でいうと50歳くらいと。まあそのダラダラっぷりに親近感はわく。90年代には全島で100何十個体まで減ったあと、今は回復基調のようです。特徴は眉間の模様と短めの耳。
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近くの岬は日本の北西端なんだって。
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国境の島ということで歴史的には面白そうだと博物館見学を楽しみにしていたが、臨時休館だった。釜山も見えなかった。
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ま、いいけど。比田勝で海鮮丼食って戻りました。
福岡へびゅん。

渡辺通のあたりに投宿して、コインランドリーで洗濯して、山縣屋。
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前菜盛り、すごいうまかった。パテと、鶏レバーのスモークが出色。
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翌日は朝7時からやってる「いとおかし」でごまサバ定食。このご時世にごはんおかわり無料だが、2300円ならまあそうか。
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BGMがうるさかった。なんで大音量でJポップ聞きながら朝飯食わなあかんのか。あとやり手っぽい創業者フィーチャーしちゃう系パンフレットもカウンターに置いてあってアパホテルみたいだなと思いました。アパホテルに泊まってたからか。
味はよかったです。辛子高菜うまかった。銀鱈もおいしそうだった。
地元の人が「福岡はうまいものはいろいろあるが、観光地がほとんどない。まあ太宰府くらいか…」というので太宰府へ。
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いま本殿が建て替え中で、行ってみたら仮殿が藤本壮介だった。藤森照信の甚だしいやつって感じ?微妙に左右非対称なのか、撮影位置の問題か。
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横の宝物殿でこの建築の展覧会やってんじゃん!と近づいたら閉館日(月曜)。
「ここの庭は落ち着けるよ」と言われた光明寺も閉まっていた。
当然というか、九州国立博物館も閉館日。
ぷんすか怒りつつ、原田で寄り道して「井手ちゃんぽん」。
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うまあ。日高屋とえらい違いだ。ってあれはタンメンか。どう違うの?
ホテルに帰ってふて寝、夜は「弥七」で梅酒と焼き鳥。レタス巻き、当然のようにうまい。店員さんみんな若い。
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最終日は佐賀へ。福岡の人に「佐賀に行く」と言ったら「なんで?あそこは通過するところ」と言われましたが、違うんだな。カレー食いにいくんですよ。

もと錦糸町にあり、弊管理人の震災後の食生活をキーマカレーで支えてくれた「カレーのアキンボ」は2015年に店主氏の故郷の佐賀に移転。行こう行こうと思っているうちに10年がたってしまいました。
古民家をほぼDIYで改装したんだって。「youtubeとか見て」って。すごくない?
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埼玉で美術を勉強して、寿司屋に勤めて、錦糸町でカレー屋になったのが2010年。
「もともと5年やったら帰ろうと思っていた。普通のカレーではないので、佐賀の人口規模と嗜好を考えると県外からのお客さんで商売が成り立つようにと考えていた。なので高速のICから遠くないところで物件を探してたんです」とのこと。

メニューはコース一択8000円。結構な品数が出てきますが、はしょって。
こちらは手前がイチジクと茄子とブルーベリーとイヌビワ(イチジクの原種らしい)。奥はマスカットとパクチーとかなんかもういろいろのサラダ。説明は大半失念。
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いやもう、すごい。素材自体の珍しさと、その組み合わせの凄み。この歳になって「知ってる料理のおいしいやつ」ではなく「全然知らない料理」を食べる経験。
こちらはスベリヒユ。検索したら「ちょっとぬめりのある夏の雑草」と書いてあった。奥はオクラとツルムラサキをクミンで炒めたやつ。右はナシのヨーグルト和え(もちろんなんか忍ばせてあるが説明失念)。
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ほかにも冷やした冬瓜とかタイカレーっぽいスープとか佐賀牛カレーとガレットとかいろいろ。飲み物は水出し緑茶から始まって、お茶にブッシュカン(仏手柑)や米酢が入ったドリンクとか、コーヒーにいろいろ細工が施された炭酸飲料とか、もうとにかくすごい。

メインの野菜カレーは懐かしい器に載ってました。錦糸町から持ってきたんだと。
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豆のカレー、ピクルスつき。全体が優しい味です。当然混ぜると異変級の相乗効果が生まれる。錦糸町にいたときはスパイスを追求していたが、それも結局は生産され輸送されてきた「商品」だなと思うと今はそこまででもなく、むしろ野菜(植物)に興味が尽きないのだと。

デザートは醤油の絞りかすとポポーという果物のアイスでした。今アイスに凝ってるんだって。
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奥にぼやんと見えるジャガイモみたいなのがポポーです。柿のような味。近所の農家さんが作ってるんだって。アイスも果物もどちらもまんま小惑星だな。福岡から高速バスで1時間10分、佐賀駅から路線バスで30分。そこにあったのは野菜と果物の宇宙であった。

わりとさくさく食べて2時間。もともと昼、夜2組ずつしか客をとらないとどこかで読んだが、この昼のスロットは弊管理人ひとりでした。目の前で店主氏がこちらのペースを見ながら料理してくれる。これすごい贅沢ですね。
終始おしゃべりしながら食べ続けて満腹になりました。こんなに喋る人だったっけ?
10年余りですごい進化してました。また何年かしたらどうなっちゃうんだ。そのうちまたきます~
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佐賀は空が広かったです。
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福岡に戻って空港でラーメン食って帰りました(健啖)。いい夏休みだった。

2025年09月02日

死と再生(2回)

盆休み期間中のはずが、海外での国際会議対応が熱い状況になり、会社に2泊3日したりとかしてた反動でその後ずっとダラダラしているうちに8月が終わってしまいました。
8月後半の楽しかったこと。

8/25は月曜から中野のジンギスカン「ゆきだるま中野部屋」。
家が近い会社のお兄と仕事終わりで21時半スタート。
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良い評判は聞きつつ「東京でジンギスカンねえ」と思っていたのですが、北海道で食べたどこよりもおいしかったです。野菜と肉のスターターから肉汁まみれで、いろいろ頼みましたが、これと締めのヒレが出色だった。中野歴18年のお兄(札幌時代の同僚)も「うかうかと18年もここに来ずにきてしまった」と悔悟の言葉。年末にまた来て年を締めたい。

* * *

翌火曜は早出明けでDC時代の同僚2人+上司、および時期はかぶってないがDCにいた会社のえらい人たちと新橋飲み。サークル活動っぽさがある弊管理人の所属部とは違った、ギョーカイのふるーいアノ感じ、ボーイズのべたべたに曝露することとなった。うへえ。
いいだけ酔って23時就寝、7時起床で疲労を脱した。こういう極限まで疲れて寝て復活する現象を、弊管理人の人生において「死と再生」と呼んでいます。

* * *

弊管理人がDCにいた時期に西海岸にいた大学の同級生とも飲んだ。
ばりばりの理系なんだけど、人工知能という文系隣接の分野にいるのでお互いに思うところを話していると面白い。4億で引き抜きがきたとかも異次元でいいネタであった。

* * *

8月最後の土日は東京激暑ということでマイル消化を兼ねてどっか行きたいと思い、松山へ。
海辺なら、と思ったらやっぱり暑かったがいろいろ食べてきました。

和食みよし。べたべたしないがちゃんと話を聞いてる大将は同い年であった。
一切れずつ載ってるお造りに鱧と秋刀魚が入ってて、夏と秋の挟間を感じた。
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このほか茄子の田楽、海老ともろこしの天ぷら。日本酒はいずれも愛媛のお酒で、西条市の「日本心」と今治市の「MOON★LIGHT」。ムーンライトは華やかで好きな味でした。
カウンターで隣になったおじさんは広島出身、松山への移住者、外資系。松山ってやっぱり広島とつながってるんですかと聞いたら「いや、つながってるのは東京」とのことです。そうなんだ。東京や京都はもう行ったというインバウンドの2周目が愛媛に来始めており(確かに商店街に英語のメニューが目立つようになっていた)、しかしまだ愛媛は街としてnot readyだと評してました。どうなるのかねえ。
この時点で結構酔っており、旧知のお店に寄ったりしているうちにだいぶやばい感じに。

しかし欲で食べるラーメン「あづま家」。
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これもかなりおいしかったという記憶の痕跡を抱きしめています。
よく財布なくさなかったなと思うくらいベロ酔いで宿に戻り、23時気絶、6時めざめ。
ちゃんと寝る前にシャワーを浴びて歯を磨いていたようです。えらいな。
これが2回目の死と再生。

日曜はドライブ。運転は7ヶ月ぶり、右ハンドルはたぶん4年ぶり。
ウインカーを出そうとしてがっつりワイパーを動かしてしまいました(複数回)。

在米中に割ってしまった砥部焼のカップの代わりを……と梅山窯に行って買ったのは茶碗と水気のあるおかずを盛る皿。窯の見学もできました。

昼ごはん。鯛飯は東京でも食えるよねということで、大洲市の油屋で「とんくりまぶし」。
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栗の甘煮と豚のすき焼きが乗っかってるお櫃ご飯で、1杯目は普通に、2杯目はだしをかけて。これいつできた名産?と不思議に思いつつ大変おいしくいただきました。

伊方半島いってみましょう。せと風の丘パーク。
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なぜかずっと弊管理人ひとり。マイナーなスポットなのだろうか。
大分から宇和島まで見える。見晴らし最高でした。
伊方の道の駅でみかんジュースとちりめん山椒を買いました。
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松山まで70km、途中で眠くなって道の駅で一休みしつつ、無事に帰ってきました。
大街道で「松山鮓(すし)」をいただきたい。正岡子規が夏目漱石に出して喜ばれたメニューだとかで、甘めのすし飯を使った地魚のちらし寿司だそうです。
明倫館というところに入ってみました。
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地元の濃厚な醤油ともよく合う、上の淡泊な魚としっかりめのご飯が合って好きな味でした。

それにしても渡米前と比べて日本の物価3-4割増し、といった感覚でいたのですが、松山はまだそこまでという感じ。週末のホテルも6-7千円であったんだよね。ええとこでした。一度行ったところにはなかなか戻らない弊管理人ですが、松山はこれで4回目かな。ちょっと珍しいと思う。
月曜朝に東京に戻り、ちょっと休んで夜勤。

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