盆休み期間中のはずが、海外での国際会議対応が熱い状況になり、会社に2泊3日したりとかしてた反動でその後ずっとダラダラしているうちに8月が終わってしまいました。
8月後半の楽しかったこと。
8/25は月曜から中野のジンギスカン「ゆきだるま中野部屋」。
家が近い会社のお兄と仕事終わりで21時半スタート。
良い評判は聞きつつ「東京でジンギスカンねえ」と思っていたのですが、北海道で食べたどこよりもおいしかったです。野菜と肉のスターターから肉汁まみれで、いろいろ頼みましたが、これと締めのヒレが出色だった。中野歴18年のお兄(札幌時代の同僚)も「うかうかと18年もここに来ずにきてしまった」と悔悟の言葉。年末にまた来て年を締めたい。
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翌火曜は早出明けでDC時代の同僚2人+上司、および時期はかぶってないがDCにいた会社のえらい人たちと新橋飲み。サークル活動っぽさがある弊管理人の所属部とは違った、ギョーカイのふるーいアノ感じ、ボーイズのべたべたに曝露することとなった。うへえ。
いいだけ酔って23時就寝、7時起床で疲労を脱した。こういう極限まで疲れて寝て復活する現象を、弊管理人の人生において「死と再生」と呼んでいます。
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弊管理人がDCにいた時期に西海岸にいた大学の同級生とも飲んだ。
ばりばりの理系なんだけど、人工知能という文系隣接の分野にいるのでお互いに思うところを話していると面白い。4億で引き抜きがきたとかも異次元でいいネタであった。
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8月最後の土日は東京激暑ということでマイル消化を兼ねてどっか行きたいと思い、松山へ。
海辺なら、と思ったらやっぱり暑かったがいろいろ食べてきました。
和食みよし。べたべたしないがちゃんと話を聞いてる大将は同い年であった。
一切れずつ載ってるお造りに鱧と秋刀魚が入ってて、夏と秋の挟間を感じた。
このほか茄子の田楽、海老ともろこしの天ぷら。日本酒はいずれも愛媛のお酒で、西条市の「日本心」と今治市の「MOON★LIGHT」。ムーンライトは華やかで好きな味でした。
カウンターで隣になったおじさんは広島出身、松山への移住者、外資系。松山ってやっぱり広島とつながってるんですかと聞いたら「いや、つながってるのは東京」とのことです。そうなんだ。東京や京都はもう行ったというインバウンドの2周目が愛媛に来始めており(確かに商店街に英語のメニューが目立つようになっていた)、しかしまだ愛媛は街としてnot readyだと評してました。どうなるのかねえ。
この時点で結構酔っており、旧知のお店に寄ったりしているうちにだいぶやばい感じに。
しかし欲で食べるラーメン「あづま家」。
これもかなりおいしかったという記憶の痕跡を抱きしめています。
よく財布なくさなかったなと思うくらいベロ酔いで宿に戻り、23時気絶、6時めざめ。
ちゃんと寝る前にシャワーを浴びて歯を磨いていたようです。えらいな。
これが2回目の死と再生。
日曜はドライブ。運転は7ヶ月ぶり、右ハンドルはたぶん4年ぶり。
ウインカーを出そうとしてがっつりワイパーを動かしてしまいました(複数回)。
在米中に割ってしまった砥部焼のカップの代わりを……と梅山窯に行って買ったのは茶碗と水気のあるおかずを盛る皿。窯の見学もできました。
昼ごはん。鯛飯は東京でも食えるよねということで、大洲市の油屋で「とんくりまぶし」。
栗の甘煮と豚のすき焼きが乗っかってるお櫃ご飯で、1杯目は普通に、2杯目はだしをかけて。これいつできた名産?と不思議に思いつつ大変おいしくいただきました。
伊方半島いってみましょう。せと風の丘パーク。
なぜかずっと弊管理人ひとり。マイナーなスポットなのだろうか。
大分から宇和島まで見える。見晴らし最高でした。
伊方の道の駅でみかんジュースとちりめん山椒を買いました。
松山まで70km、途中で眠くなって道の駅で一休みしつつ、無事に帰ってきました。
大街道で「松山鮓(すし)」をいただきたい。正岡子規が夏目漱石に出して喜ばれたメニューだとかで、甘めのすし飯を使った地魚のちらし寿司だそうです。
明倫館というところに入ってみました。
地元の濃厚な醤油ともよく合う、上の淡泊な魚としっかりめのご飯が合って好きな味でした。
それにしても渡米前と比べて日本の物価3-4割増し、といった感覚でいたのですが、松山はまだそこまでという感じ。週末のホテルも6-7千円であったんだよね。ええとこでした。一度行ったところにはなかなか戻らない弊管理人ですが、松山はこれで4回目かな。ちょっと珍しいと思う。
月曜朝に東京に戻り、ちょっと休んで夜勤。