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2015年09月 アーカイブ

2015年09月30日

外食づくし

弊管理人の行っていた大学に交換留学でオークランドから来ていた在台湾友人が、本日のみの小用で東京を訪れたので、一緒にお昼を食べることになりました。

じゃあ何か和なエクスペリエンスをということで、上野の韻松亭で懐石料理!
建物や景色はなかなかでしたが、料理は別にって感じだった。
というか、弊管理人は別に懐石料理を好きなわけじゃないらしい。

* * *

夜。

美唄(びばい)焼き鳥は、鳥のもつを使った北海道美唄市の名物焼き鳥です。
札幌勤務時代、職場の近くに「福よし」という美唄焼き鳥のお店があり、暗い気持ちを抱えては時々ランチに行っていました。そばにもつ串が1本入っていて、肉を串から外しては食べるのでした。
2006年当時に札幌で机が向かい合わせだった同僚と、釧路にいた同僚が、いま3フロア上にいます。「銀座に福よしがあるらしい」ということで行ってきました。
これだ。
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一口食べて、あの肌を刺す札幌の空気と、鬱々とした気分とが津波のように到来しました。
同行二人も「あっこれは……」と何かを思い出した様子。
1~2年ずつ在任期間のずれている3人で、いろいろ当時の様子を情報交換しました。

そばなー
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情動を刺激される食事って久しぶりです。
食べログの評価が高くないこともあってゆっくりできました。
串が大きいので満腹になりました。

* * *

んで、ちょっと歩いてロックフィッシュへ。
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名物(?)氷の入ってないハイボール飲み飲み、オイルサーディンつまみながらお仕事の現状についてお話しました。

* * *

わりと健全な時間にお店を出たので、ちょっと勢いで自宅近くのなじみの飲み屋さんへ。
13年ぶりの友人とばったり。
その他いつものメンバーと楽しく飲んで帰りました。
ねむー

2015年09月22日

ほおずき

秋の5連休には、やっぱり慣れません。次は2026年だそうです。
わりと周囲も持て余しているようで、少しは安心しますけれど。
昨日から今日にかけて山登りの筋肉痛が残りまくっていました。
しかし、そんなことで行動を制限されるのは癪に障るので、ジムに行きました。
走ったら少し緩和した気がします。

* * *

昨日今日は麦飯を炊いて野菜を結構食べたので、ちょっと不摂生してもよかろう。
と思って、担々麺を食べに中野の「ほおずき」に行ってきました。
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桜エビとザーサイが入ってるのが特徴か。
辛さが選べて、上から2番目の「大辛」を選びました。これでだいたい辛めの担々麺くらい。
うん、いいね。あと、汐留「潮夢来」のレベルが高いことを確認しました。

* * *

夕方、携帯にメールが入ったので、また仕事の関係だろうと思ってちょっと放っておいたのですが、成田時代に同じ職場にいて、最近も時々一緒に仕事をしていた他部署の先輩の訃報でした。52歳。びっくりしすぎてびっくりできなかった。昨日、ダイビング中に体調が急変して、今日になって搬送先で亡くなったそうです。
ちょうど昼間、40代、50代をどう過ごそうかという話をtwitter別アカウントでしていたところでした。しかし人生などいつ終わるか分かりません。すぐには終わらないかもしれないから人は先のことを考えるのですが、しかし5年、10年先のことを案じるのは能天気、あるいは驕慢でさえあるのかもしれません。

2015年09月20日

三ツ峠山

この時期の5連休なんて慣れない。
平日3日分の仕事を前倒しでこなさなきゃいけないのも辛い。
とか言いながら結局無策のまま突入してしまいました。
とりあえず山に参ります。今回は三ツ峠山。
新宿駅から中央線+富士急で河口湖駅へ。
そこから登山口に向かうバスに乗り換えました。
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大分走ってから、場違いなキャリーバッグを持ったおねーさん2人連れが乗っているのに運転手さんが気付き、乗り間違いが判明。登山口バス停の1こ前のバス停で正しいバスに乗り継げるよう、アレンジしてあげていました。えらいなあ。

登りまーす
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下界は25度の予報。こちらの登山道は眺望はないけど、日陰が多くて気持ちよい。
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1時間半弱。あ、もう着いた、というくらいの感覚で1786mの頂上です。
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写真は甲府方面で右手に街も見えます。でも反対側の富士山方面は結構雲が多くて見えませんでした。
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頂上で結構ゆっくりしてから下山しました。
来たときとは別の、富士急三つ峠駅に向かう道です。
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絶壁とか水場とか、結構変化のある道。でも里に下りるまで2時間以上かかる長い道でした。
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ずっと下りなので結構足にきました。
ふもとに三つ峠グリーンセンターという町営の食堂、入浴施設があったので風呂に入って帰りました。
頂上の見晴らしがよくて気に入ったけど、富士山の眺望がなかったので、後日リベンジかなー

2015年09月19日

大阪出張

関西に出張する機会は去年、一昨年に比べて減りました。
今回は久しぶりで、金―土の1泊です。いつもの「仕事先と東京を一直線に結んでただ往復」と違って、やや時間的に余裕がありました。ならば食うよね。

昼飯は仕事場の近く、千里某所でちゃんぽん食って野菜補給いたします。
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終了後、梅田周辺に出てたこ焼き「カリトロ」。
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6個350円。こんにゃく入ってました。
小ビール+6個で500円というセットにも惹かれました。
朝は6時台の新幹線だったので、このあとホテルで一休み。
夕飯は難波に行って「自由軒」のカレー食おう!と思ったら臨時休業でした。失望。
で、消沈しつつ代わりに行ったのが、誰に教わったんだっけ、天ぷらの「大吉」。
頭がカレーになっていたのでテンション低めのまま、食べたいものを伝票に書いて提出しました。
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大逆転勝利。
鯵ふわふわ、大海老ぷりぷり。万願寺とうがらしもアスパラもいい香りでした。
天ぷら1品100~300円くらい。300円の品をためらいなく書ける大人の幸せ。
あと、あさりがフルヘッヘンドしてるあさり汁も秀逸でした。
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殻は床に捨てていいらしいです。ピーナッツの殻を床に捨てるのが流儀の、シンガポールはラッフルズホテルのロング・バーみたい。
元気回復して梅田周辺に戻りました。
寝酒を飲みに行ったお店では、お客さんの持ち込んだルタオのチーズケーキのお裾分けに与りました。
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旧交を温めたり、楽しくおしゃべりしたりして2時に就寝しました。

明けて土曜は、早めのお昼を食べて、さっさと帰ることにしました。
扇町駅の近くの「梨花食堂」。週替わりの「牡蠣とうずら卵のリゾット風まぜカレー」がおいしそうだったので頼みました。11時のオープンから数分後に入ったのですが、そのあとすぐにほぼ満席になりました。
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海の香りと卵のコク。初めて食ったけどこの組み合わせの案出は何かの賞に値するよ。

ということで帰りました。
今回行けなかったあれやらこれやらは、また。

2015年09月13日

土日のわたし

土曜はまたちょっとネタ探しで働いてしまいました。
何も期待してなかったけど、意外とへえと思いました。

* * *

そのあと私用でいろいろあり、多大な反省点と教訓を抱えながら一杯飲んで寝ようと思ったら、そのまま深酒にはまりこんでしまいました。
旅行からこっち、コレステロール管理が疎かです。よくないよくない。

* * *

弱った感じは日曜朝まで引きずりましたが、錦糸町でタンメン食って回復しました。
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「しゃきしゃき」のタンメン+餃子セット、1000円。極太の麺が好もしい。
一方、費用対効果を考えると日高屋(700円くらいだっけ?)が相当健闘していることが分かります。もともと炒め野菜と塩味のスープと麺、というシンプルなお料理でびっくりさせるのは難しいかなとは思うけど。餃子は具がみっしり詰まっていておいしかったです。

* * *

錦糸町への道すがら、久しく顔を合わせていなかった友人にばったり会いました。
しかしカップルでおられたので、弊管理人は頭を下げてそのまま立ち去ってしまいました。
(1)水入らずのところ話しかけても悪かろう(2)雑談をどうしていいか分からない
と体が脊髄反射レベルのスピードで判断するというコミュ障ぶり。

* * *

錦糸町に出たのは、西友LIVINで枕カバーとシーツを買うためでした。
いま1セットしかないので、洗濯すると乾くまで寝られないのです。
ついでに無印良品で眼鏡拭き85円14枚入りを3袋。重宝しています。
あとは風呂で使うタオル。
休みの日やジムに行くときに履く踝までの靴下。今回は5本指にしてみました。
厚手の綿のシーツなど気に入って使っている製品が、いま住んでいる辺りでどこにあるか分からず、引っ越し前に買っていたお店に戻ってしまいました。

* * *

茨城あたりで堤防が壊れて水浸しになったニュースを見て、うちの本家も何かあったらやばいよなーと思いました。
前々から消防に「耐震性ないです、この家」と言われているらしく、しかしばあちゃんの後には住む人も多分いないので、お金かけて直すのもなあ、ということで騙し騙し住んでいる状態です。こんな家、いっぱいあるはず。

平和のための戦争論

■植木千可子『平和のための戦争論』筑摩書房,2015年.

毎日のことにかまけていて集団的自衛権と安保法制のことを見聞きする機会を持っていませんでした。そのため、2014年7月の解釈改憲から1年以上のビハインドがあります。そこで、夏休みの旅行の移動時間を利用して基礎的なところだけ新書で読んでおこうと思い、荷物削減のために電子書籍を購入しました。
持ち運びがかさばらないのと、タブレットでもスマホでもそのとき手近な機器で読み続けられるのは便利です。一方、読み終わったあとにぱらぱらめくってさらうのが依然やりにくいと感じるのと、機器を落っことさないか、いつも頭のどこかが緊張しているのがちょっと。

で、本書は大変遅ればせながら読んでよかったです。
この辺分かっておかないと、叫んでる人の中でまともなのは誰か、まともな人はどうして叫んでいるのかを分かる足がかりが得られません。

-----以下、メモ-----

【2014年7月の閣議決定】

・集団的自衛権行使の容認の閣議決定が2014年7月に行われた
・内容は3つ
 (1)有事でも平時でもない侵害(グレーゾーン事態。離島への上陸など)への対処
  *いつグレーゾーンか?いつそこから有事になるのか?手続きは?
  *グレーゾーンで武力行使が認められるか?警察権に基づいて自衛隊が出せるか?
 (2)国際的な平和協力活動(駆けつけ警護。基地を出て自他国NGOなどを警護)
 (3)武力行使に当たりうる活動(日本と密接な国がやられたら日本も危ないとき)

・それ以前は、日本が戦争するのは、日本が直接攻撃された場合の反撃に限られていた
・武力行使の旧「3要件」
 (1)日本に対する急迫不正の侵害がある
 (2)排除のために他に適当な手段がない
 (3)必要最小限の実力行使に留まること
・新3要件の(1)
 (1)日本への武力攻撃、または日本と密接な関係にある他国に対する武力攻撃
  によって日本の存立が脅かされ、国民の生命、自由、幸福追求権が覆される
  明白な危険がある

・集団的自衛権の行使により、日本は攻撃されていなくても戦争に加わることになる
・参戦するか、しないかの判断を迫られる局面が来る
 *「憲法解釈上できるけど、やりません」という選択肢を取るか?という局面も
 *ex.中国とフィリピンが南シナ海で紛争を起こしたら、関与すべきか?
・この転換は、孤立主義から国際主義(自国以外の地域での虐殺や人権侵害に介入する)への転換と見ることができる
 →助けてもらうためだけでなく、助ける義務も生じる

・必要性
 (1)紛争地域から避難してくる日本人などを守れない
 (2)アメリカが困ってる時に守らないと日本が困っても守ってくれない=味方を作ること
  *ただし、恩義に感じてくれるか?/戦争参加で事態改善するか?に注意
 (3)協力が増強する
  ・国際社会では軍事的貢献が評価される。cf.湾岸戦争
  ・平時の情報収集、共同訓練等
  *ただし、これが有事の際の政治決定を縛る危険性も
  *抑止につながるかもしれないが、対抗措置を生む危険性もある

【背景】

・米国が考える冷戦後の世界秩序
 (1)民主主義の拡大
 ←ドイルの民主平和論。民主主義国家同士は戦争をしないという歴史的事実
 (2)米国の覇権維持
 90年代初頭の米国は、日本が依存から脱却して独自の安保政策を進めると予想していた
 →日米安保の再定義
 軍事的には、コモンズ(海、空、宇宙、サイバー空間)の支配
 →コモンズの安全により国際システムが安定する+米国依存が実現する

・しかし、アフガン、イラク戦争による財政疲弊などでアメリカの力は低下している
・一方で、中国が台頭。国民が政府の決定を縛れる仕組みになっていない
→台頭国は現状維持に協力するか/挑戦するかの選択に直面する
→両国とも核保有していることに注意。これまでと違う覇権交代になるかも

・「厳しさを増す日本の安全保障環境」:実はそう厳しくない、そこが厳しい
 (1)北朝鮮の核兵器と弾道ミサイルの開発はどうか?←軍事バランスは韓国が優位
 (2)中国の軍備増強は?←まだ日米を脅かすほどではない
 *世界も脅威とまでは見てないかも。日本-(歴史+領土問題)の立場を想像せよ
→米国に日本を守る自明の理由を欠く
→米国の日本防衛へのコミットメントが減ると周囲から見られてしまう危険も増す
→日本側から同盟をつなぎ止める努力。また、米国の力の低下に対する補填

・大前提:紛争予防が目的であること
 作用がどんな反作用を呼ぶか?
 行動の結果、安全になるか?
 →日中関係に割かれている労力は適正か?

【戦争が起きる/戦争を予防する仕組み】

・楽観:戦争は両当事国が「(短期で)勝てる」と思ってしまうことで起きる
 (1)予測が間違っている←軍事的な力の見積もりは難しい
 (2)わざと間違える←負けるかも、という予想が認められない組織。1941日本
・焦り:先手必勝/早い者勝ちに見えてしまうと、状況が不安定化しやすい

・戦争の予防:水晶玉効果。未来がくっきり見えるようにすること
 →割に合わない=代償が大きい、と事前に分かること
・抑止
 (1)懲罰的抑止=攻撃したらひどい目にあうぞ
 (2)拒否的抑止=攻撃しても守りが堅いから無駄だぞ
・ただし、抑止力の増減や、抑止の成功は見えない
 (侵入されなかったのは番犬がいたからか、いい人だからか?両方の混在があり得る)
 失敗して初めて抑止が効いていなかったことが分かる
・抑止の成功の条件
 (1)報復や拒否する能力があって、それを使う意図がある
 (反面、強化していくと妥協しにくくなる。対立が深まる可能性も)
 (2)能力と意図があることを、正しく相手に伝えられる(交流やホットライン大事!)
 (3)状況に対する認識を両者が共有している
 (越えてはいけない一線がどこかが共有されている。湾岸戦争勃発ではミスあり)
・確実性は:核抑止>通常兵器による抑止>小規模侵害(離島への上陸など)の抑止
・抑止が相手を怯えさせて安全保障のジレンマに陥る可能性もある

・安全保障のジレンマ
 軍備を強くする→対抗措置(相手の軍備増強、同盟)を誘発→状況が不安定化
・ジレンマ激化の条件
 (1)攻撃が防御に比べて有利、早い者勝ち状況
 (2)攻撃と防御の区別がつきにくい(多機能な戦闘機の増機)
 (3)地理的条件。陸続きのほうがジレンマ起きやすい
 (4)もともと不信感がある
・日米中でジレンマは実際に起きた
 米国90年代の日本脅威論、日本の同盟不要論→日米同盟の漂流
  →同盟管理者の努力→96年の安保宣言、97年のガイドライン見直し
   →台湾海峡危機にバッティングし中国を刺激「敵はウチか!?」……

・「リベラル抑止」:軍事力と相互依存を組み合わせた抑止
 戦争をすると損だという状況を友好関係の維持によって作り出す
 ←貿易、留学生や観光客の往来、技術革新、環境問題やテロ対策など共通の問題……
・「英独は貿易のお得意さんだったが、第1次大戦は起きたじゃないか」
 ←当時と現在の違いは、国際的な貿易協定(長期的な枠組み)があること。
  制度化によって水晶玉がクリアになる。担当者が決まることも良い

【日本の選択肢】

(1)現状維持
 ○ 変化に伴う不安定化を引き起こさない
 × ジリ貧。世界が全般的に不安定化していったら……

(2)非軍事的国際主義:防衛政策はこのまま。民生的協力活動やODAの増額
 ○ 変化に伴う不安定化を生まない。国内的支持も得られやすい
 × 即効性がない。長期に予算をつけられるか。各地が不安定化すると継続が難しくなる

(3)軍事的孤立主義:防衛には積極的に軍事力を使う。他国やPKOには原則非関与
 ○ 他国の紛争に巻き込まれない。米国への依存度減。シグナルは明確
 × 軍事増強で周辺の警戒を呼ぶ。歴史認識の和解などに相当のエネルギー要する

(4)積極的軍事的国際主義:安保理決議に基づいて積極的に軍事力行使→集団安全保障
 ○ 米国の停滞を補填しつつ安全保障のジレンマを回避。日本も守ってもらえる
 × 集団安全保障の確立までには不確実性が大きい。防衛費が多大になる

(5)限定的軍事的国際主義:国連決議に基づき、民族浄化など相当ひどい件に限って関与
 ○ (4)に比べてコストが安い。他国との協力も促進
 × 防衛費は増。日本防衛に直結かは疑問。周辺諸国の理解必要。世論は支持するか?

2015年09月04日

マレー半島を雑に楽しむ(7日目)

最終日です。帰国便が翌日の午前1:50なので、一日市内をぶらぶらしてから空港に行くことになります。昼前までゴロゴロしてからホテルをチェックアウトし、リュックを預かってもらって外に出ました。

チャイナタウンの外れくらいにある、マックスウェル・フードセンターに行きます。
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写真右端にある「天天海南鶏飯」は長蛇の列。そこから独立して張り合ってる3軒となりの「阿仔海南鶏飯」はほとんど人がいなかったので、そちらへ。ちなみにこの2店の争いは「チキンライス戦争」として現地紙にも取り上げられたことがあるとか。一●帆布みたいな?
チキンライス350円です。この国に来て初めて「安ーーい」と思えるものを見た気がする。
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で、しかも思ったよりうまい。ご飯も味が付いてるんですね(というくらい素人)。
前日のニュートン・フードコートもそうでしたが、先に空いてるテーブルに傘とかティッシュとかを置いて席を確保してから、飯を買いに行くのが流儀のよう。お店によってはテーブル番号を伝えておくと料理ができたら運んでくれます。勝手に傘とかティッシュとかをどかされたりしないんですね。それも驚き(←見くびりすぎ)。
チャイナタウンにあるスリ・マリアマンというヒンドゥー教の寺院の入口。
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オナペッツとか思い出しませんか。しませんか。
中は「写真撮るなら300円払え」と書いてありましたが、誰も払わずに撮ってたので弊管理人も払わず撮りました。
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個人的にはふーんて感じ。

1820年ごろ建てられたとされるモスクもあります。
中を見せてもらえました。
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手とか顔とかをきれいにするところ。
「イスラム教って清潔でいいですよね」って案内してくれたおにーさんに言ったら「日本人もきれい好きじゃんね」と言われ、なんとなく通じ合った気がします。ンコしたあとお尻洗うもんね、僕たちね(笑)
お昼過ぎのお祈りの時間に当たりましたが、部屋の外から見せてもらえました。
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ちょっと遅れて入っていったおじさんに「おいでおいで」のポーズをされましたが、異教徒だめなんでしょ?いいの?っていうか弊管理人は多神教よりもなお罪の重そうな不可知論者なので、どうかお許し下さい、さらに宗教を問われて「ブディストです」って日和ったウソついたのも(笑)

個人的に仕事との絡みで興味深かったのは、廊下の貼り紙。
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クルアーンと現代科学がいかに整合しているか、逆に言うとクルアーンが1400年も前に世界の成り立ちを正確に言い当てていたことを説明しています。
この紙は、アッラーが世界を創造したというくだりをまず引用したあと、ビッグバン宇宙論を紹介してます。
それが結構本格的。COBEという観測を使って、宇宙がまだらになっていることを示した図が下に出ています。これが宇宙が誕生した直後に急膨張(インフレーション)し、その後火の玉になった(ビッグバン)ことの証拠の一つとされていると紹介しています。
さらにビレンケンなんかが言っている「無からの宇宙創生」は、まさにアッラーがやったことだと。

こちらは「天を7つに創造した」というくだりと、大気の構造について。
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対流圏―オゾン層―成層圏―中間圏―熱圏―電離層―外気圏、で7つ。
その数え方はどうかと思うけど……
でも面白いね。昔できた宗教が現代の知識とどううまく付き合っていくか。

それでは、友人に勧められた国立博物館方面に歩いてみましょう。
スピーカーズ・コーナーという広場が見えます。
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集会の自由はここにしかないらしい。
もっとも、看板の横には監視カメラが立ってますけどね。
国会の議席の9割を与党が持ってる国。政治的にはまだまだだな。
ただ、マレーシアもそうですが、運用はそんなに厳格じゃないんじゃないかと思う。

こぢんまりした国会議事堂の脇を通ったら、簡素な展示室がありました。
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パーラメントのマスコット、パーリーちゃんの目が細いのは華人の国だからか(うそ)。
全然ビーチが見えないビーチロード。
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埋め立てによって、海岸線はずっと写真手前のほうにあります。

日本統治期の犠牲者の慰霊塔。
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1942年に当地を占領した際に、中国人を集めて抗日分子を捜したものの、誰がそうだかよくわからず、かなり恣意的に大量殺戮されたとの説明書きがありました。unofficial figuresとして5万人という数字も。
ルックイーストで戦後日本との交流を深めたマハティールとはまた違い、リー・クアンユーは「こんにゃろ」と思っていたのでしょう。それでもシンガポール政府としては経済関係優先でこの件をうやむやにしたままだと受け止められているそう。

それはそうと、名門ラッフルズホテルを通りかかりました。
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ホテルの中にある「ロング・バー」は、シンガポール・スリングというカクテルの発祥の地。
今年は100周年という看板が出てまして、だったら飲んどくってもんでしょう。
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ジンといろんなジュースが入ったカクテルですが、オーダーして十数秒で出てきました。
作り置きだな。ぬるいし。
「女が酒なんて」という時代に、ジュースっぽいお酒を考案し、それが女性の飲酒を容認する雰囲気を作り出した、と功績を宣伝するカードがカウンターに置いてありました。
特にメニューも見ずに注文しましたが、会計したら3000円とかしててびびる。
そして結構酔った。

なんと国立博物館は改装中で、ほとんど何も見られませんでした!!

チャイムス。
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幼きイエスの会(CHIJ)が19世紀中葉に作った女学校です。この人たちはそのあと日本に来て、横浜雙葉学園の前身校も作ったらしい。すげえ。
捨て子の女の子もたくさん受け入れていたそうです。貧困と、寅年生まれの女の子に対する忌避から、中国系の子を多く受け入れたとの説明パネルがありました。
1983年に移転し、今は日本のとんかつ屋とか鍋ぞうとかが入るオサレ系施設になっちゃっているもよう。

シンガポールの裏原という大変残念な渾名のついたハッジ・レーン。
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アラブ・ストリートの横にあります。
あの、なんというか、ふーんと言いながら通り過ぎて何も欲しいものがない通り。
ハッジはマッカへの巡礼のこと。ここが出掛ける際のたまり場になっていた。

3Kのお仕事を担うのは、インドネシアやバングラデシュからの労働者。
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どこの国やねんという裏通り。
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150円のミルクティー飲んでたら雨が。
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日本から持ってきた折りたたみ傘をさして悠然と退避いたします。

既に夕方。あと時間潰すならここかなと、マリーナ・ベイに出て、室内植物園を見ます。
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室内を23~25度に保っているというのを聞いて、涼みに。
マーライオンさんもおった。
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結局みんなが行くマーライオンもラッフルズの像も見なかったな。全然いいけど。

隣のドームには滝。
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このてっぺんまでエレベーターで上って、ペデストリアンデッキを歩きながら降りてくるのが順路です。
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結構高くて玉ヒュンやで。

さ、ホテルで荷物回収してチャンギ空港いきましょ。
MRTで30分、200円ちょいで着きました。めちゃ便利。
都市国家って初めて来たけど面白いですね。街と街の間とか街の外とかがないのが、結構不思議な感覚です。

日中汗をよくかいたので、空港でシャワー浴びて着替えました。1600円。でもすっきりしたので全く後悔しない。大人だし。
お土産買って帰りました。

夏休みおわり。

* * *

よく休んだので、その後1週間はほぼ笑顔で仕事できました。
(9月12日)

2015年09月02日

マレー半島を雑に楽しむ(6日目)

泊まってるホテルFragrance Hotel Riversideは屋上にプールがあります。
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窓のない部屋(12000円/1泊)では電波が怪しいので、屋上で会社からの電話を受けていた弊管理人の傍らで、ぶよぶよの白人が泳いでました。うちの田舎は地下水をくみ上げて溜めてる生け簀があって、夏にはスイカをそこに浮かべて冷やしています。それを思い出しました。

なんかもうガツガツ観光する気も起きないので、ゆる観光地に行くことにしました。
MRTに乗ってハウパーヴィラHaw Par Villaに行きます。
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それにしてもここの人たち、弊管理人の思い込みに反してすごくマナーがいいので違和感あります。
降りる人が降りきるまでドアの脇で待ってるし、高齢の人(高齢の人自体が少ない感じがするが)にはさっと席を譲るし。
あと、MRT駅のエスカレーターは速いです。

で、ハウパーヴィラ。タイガーバームの創業者兄弟が作った庭園というかテーマパークだそうです。
入口からしてすごいぞ。
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わわわタイガーがバームを……
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ぬ?
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!?
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中国の民話に基づいた、教育用の地獄巡りだそうです。
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おいおい。
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教育的効果は……
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外に出ても続く不思議ワールド。
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パゴダと自由のなんちゃら。
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ちなみに入場無料です。
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口のまわりが赤いように思えますが……
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客はずっと弊管理人のみでした。
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これ見てるときにインド人老夫婦と会いましたが、表情はいくらか楽しそうでした。
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さあて帰ろうかな。
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次はセントーサ島に行きまあす。
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本島から歩道で500mくらい歩けば着いてしまう島です。
セントーサは「平和」という意味だそうです。今はユニバーサルスタジオとかがあって楽しげですが、かつては「死の島」と呼ばれていたとのこと。日本占領期は捕虜の収容所があったそう。暗い過去は殊更明るい名前で塗りつぶさないとね。
お花きれーい
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なんかでかいマーライオンもいた。
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おなかすいた。マレーシアの屋台料理がいっぱいあるフードコートでお昼食べようと思ったのに、水曜休みでした。休むなよ。観光地で。マック食っちゃったよ。
水族館だけ見て帰ることにしますわ。

水族館は海事の博物館も兼ねてるようです。
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海のシルクロードですもんね。舟でこんなもの運んでましたというでかい展示。
トンネルとか大水槽とか、美ら海っぽかったけど楽しみました。
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ペルシャ湾コーナーとかありましたが、確かにそのあたりまで「ご縁のある海」なのかも。
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歳食ったせいか、魚を何時間でも見ていられるようになりました。
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いったん宿に戻って、友人と今夜もメシ食いに行きます。

ホテル近くにあった旧警察署、現情報通信省。
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窓がレインボーなのはLGBT推しなのではなく、最近力を入れてるアートの街の一環らしい。
それどころか男性同性愛は違法だそうですよ、シンガポール。なんでレズはいいんだろう。

今日の夕飯はニュートンという駅の近くにある屋外フードコートに連れて行ってもらいました。
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2人だといろいろ食えていいね。
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左がサテー、手前のはカキ入りの卵焼き、右はオタ(鳴打)って書いてあったけどピリ辛の薩摩揚げみたいなやつ、真ん中はstingrayと言っていたのでアカエイですね、チリがかかってます。stingrayは1000円以上した。でも厚みのある白身のソテーですごくおいしかったです。
「甘い飲み物はもういいや」と言ったら、友人がココナツジュースを買ってきてくれました。
確かに甘くないスポーツドリンクみたい。
おなかいっぱいです。そして自分では頼まないであろう現地メシが食えて大変満足。

近くにあるオーチャードというオサレ通り(ほぼ銀座)に出て、屋台のアイスクリームでデザートです。
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盛りつけはカップとコーンと食パン(!)を選べますが、なんと食パンがオーセンティックなのだそう。結構重かったです。特注のパンらしく?「インドネシアでも再現しようとした人がいたが、できなかった」のだとか。

散々ありがとうを言って別れました。
「次にいつ会えるか分からないからね~」
そうね~

つづく

2015年09月01日

マレー半島を雑に楽しむ(5日目)

マラッカの朝。
agodaで予約した時には「コンチネンタルブレークファストがつきます」って書いてあったので、まあ東横インくらいのもんだろうと期待してなかったのですが。
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なんか品数すっごい多かったよ!これコンチネンタルじゃないだろう。
中庭に出て食後のコーヒー飲んじゃうもんね。
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和んだ。
さて出立するべか。ホテルのおばさんに「路線バスで長距離バスターミナルに出たいから、最寄りのバス停教えて」と相談したら「遠いからタクシーで行きなさい。600円よ」って。また600円か……
でももう面倒なので頼みました。リュック一つで1人なのに、バンが来た……

マラッカから10時発のバスで国境越えてシンガポールに行きます。
写真は運転しながら長電話するドライバーをミラー越しに撮影したもの。
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マレーシアの出国手続きのため、一度入管の施設でバスを降りて手続きします。
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それでまたバスに乗って、今度はシンガポールの入管施設で入国手続きをします。
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あっさり終了。
コーズウェイという橋を渡れば、その向こうはもうシンガポールです。
橋の横にある青いパイプは水の通り道。シンガポールはマレーシアから水を買っているそうです。
シンガポールに入るとがらっと風景が変わります。
街きれいだなー
いい車走ってんなー
バスターミナルに着いたのは14時半くらいでした。

ちょっと歩いたところに両替屋があったので、使い残したマレーシアリンギットと「イチマンエン」(←両替屋がこう言った)をシンガポールドルに換えました。結局マレーシアでは4日いて1万円使わなかったな。1シンガポールドルは90円くらいです。
チェックインの15時までもうすぐですし、お昼食べましょう。
ターミナルの近くに「アラブストリート」がありました。英国統治時代の民族別居住区の名残のようです。
ヴィクトリーというアラブ人ぽい人たちがやってるお店を覗いたら、なんかすごい笑顔で迎えられてしまいました。マトンのムルタバを頼みます。だいたい600円。
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「どうやって食べるの?」と聞いちゃいました。カレーに浸けてお口に運ぶだけだそうです。キュウリは付け合わせらしい。お好み焼きっぽいとか形容されますが、なぜか実家でよく食べていたミンチのオムレツに似た味でした。おいしい~
歩いてホテルに向かいます。
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シンガポールは8月でマラヤ連邦からの独立50年を迎えました。
街のあちこちに、さまざまなデザインの「SG50」が飾られています。
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なんか観光スポットっぽいものがいろいろ見えましたが、荷物を宿に放り投げたいので、まずはチェックインを急ぎました。というか、もう観光はいいかな~という気分。

留学時代に同じ寮で仲良しだった3人のうち、中国系インドネシア人の女の子がいまシンガポールに住んでいます。16年ぶりにご飯食べようよーとフェイスブックで呼びかけたところ、2晩連続で夕飯を食べることになりました。
18時にチャイナタウンで待ち合わせて、彼女のお薦めで「松發(ソンファ)」という名店にバクテーを食べに行きました。
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マレーシアのバクテーとは大分違います。豚肉ホロホロ!うまい。
ごはんや揚げパンと一緒に食べるのもいいけど、麺もいいよ~と言われたので、麺をチョイスしました。シンプルだけどすごくダシが効いてます。

1999年、弊管理人も彼女も寮の1年目でした。彼女はその後、インドネシアに戻って、結婚して、永住権を持っていたシンガポールに移り住み、子供が生まれて、8月から会計の仕事を再開したそうです。
「インドネシアのご両親は呼び寄せないの?」と聞くと、「親はシンガポールはせかせかしてて好きじゃないみたい。ジャカルタはマレーシアみたいにのんびりしてていいんだって。自分も引退したらジャカルタに戻ると思う」とのことでした。「でも子供の教育にはシンガポールのほうがいい」とも。
彼女は16年でちょっと大人になったけど、弊管理人のほうがもっと変わり果てていたかもしれません。お互いの「その後」を交換したら、あとはもう昔話と雑談に花が咲きます。
食べ終わると外は長蛇の列でした。

マリーナ・ベイに連れていってもらいました。地下鉄のカード(PASMOみたいなやつ)も彼女の助けによりあっさりゲット。
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これも独立50年記念のデザインでした。
悪趣味ホテルと、悪趣味ツリー。
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クアラルンプールとは別世界だと思う。
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ちょっと腰掛けておしゃべりしました。
「子供がいなかったら私ももっと旅行するかもなー」
ショッピングモールがありますが、これはご多分に漏れず吹き抜け。
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フードコートでジュース飲みながら、弊管理人のタブレットで昔の写真を見ながらわいわい話しました。

疲れて寝る。
つづく

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