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2015年06月 アーカイブ

2015年06月28日

多数決、谷崎、脂質

■坂井豊貴『多数決を疑う』岩波書店,2015年.

一番いいと思う候補(者)に1票入れて、最も票を集めたら勝ち、というのが多数決。みんなで決めるから民主的だし、結果すなわち民意である――。多数決が当たり前に執行されている中では、こういうことを疑おうとも思わない。賛成/反対が社会を分断するのは致し方ないし、少数派にも開票結果は黙ってのんでもらおう。

それを疑う。多数決よりもっといい決め方があるのではないかということを、できるだけ「誰が考えてもそうなってしまう」仕方で考えてみたい。そういう本。

まず、多数決には「票割れ」という問題がある。2者が票を争っているときに、1番人気と近い第3の選択肢が出てくると、漁夫の利を得た2番人気が結果として勝ってしまう現象だ。2000年の米国大統領選挙で実際に起きた。もしブッシュではなくゴアが勝っていたら、その後の世界は大分ましだったかもしれない。ではもっと人々の意見を集約するのにいいルールはないものか。

まず紹介されるのは「ボルダルール」と呼ばれる集約ルールだ。18世紀フランスの科学者ボルダが提案したもので、選択肢が3個なら1位に3点、2位に2点、3位に1点と等差の点数を付ける。このルールは、それぞれの選択肢が1対1で対決したときに他の選択肢のいずれにも負けてしまう「ペア敗者」が1位になる事態を避けられるという利点がある。スロヴェニア共和国では、国会議員の選挙に一部採用されている。

日本の最高裁判事の国民審査のように、それぞれの候補にマルバツを付ける「是認投票」も、候補者が多い時には有権者一人ひとりができる意思表示の量が増えるのでなかなかいい。ただし、組織力の高い政党が定員ギリギリの数の候補(クローン候補)を立てて、彼らに全てマルをつけ、他にバツをつけて議席を独占するような「クローン問題」が起きる危険性はある。

別の選択肢は、ボルダの同時代人であるコンドルセが考案し、後年英国のペイトン・ヤングが修正した「コンドルセ・ヤングの最尤法」だ。コンドルセのアイディアでは、有権者は候補たちに順位をつけ、それぞれの候補たちを1対1で対決させてどちらが支持されているかを判断する。X>Y、Y>Z、Z>Xというジャンケンのような循環が発生することがあるが、最も僅差だった組み合わせを「有権者全体の意向が現れている可能性が最も低いもの」として棄却してしまうことで順位を確定させる。選択肢が4個以上になった時にはこの方法が使えない場合が出てくるが、データから統計的に「背後にある有権者全体の選好」を推定すればいいという考えでヤングが補正を加えた。この強みは、1対1対決でなら他の全ての候補に勝つ「ペア勝者」がきちんと選ばれるということにある。

このほか、自民党の党首選などで使われる「多数決+決選投票」、オリンピックの候補地を選ぶ際の「繰り返し最下位消去ルール」もある。コンドルセ、ボルダ、多数決も含め、同じデータを使っても、用いる集約ルールによって結果がばらばらということも起こりうる。「民意」というものが本当にあるのか、疑わしくなってくる。民意など存在せず、ある選び方を選んだ結果があるだけなのではないか。

では、どのルールがいいのだろう。筆者は、ボルダルールがペア敗者を1位にせず、ペア勝者が少なくともビリにはならないという「それなりの強み」に加えて「分かりやすさ」を持っているという点から、このルールを押す。特に議席1の小選挙区制や自治体の首長選挙に適しているという。

「民意」の存在が揺らいでしまった。今や「民主的」という言葉も再考を迫られている。

「陪審定理」というのがある。十分な情報を与えられ、個々人が独立して判断できる場合には、判断する人が多いほど、多数決の結果が正しい確率は1に近づいていくというもの。逆に少数派になったということは、間違っている可能性が高いということだ。ルソーの「一般意志」に引きつけていえば、少数派が多数派に従わされているのではなく、少数派も多数派も一般意志(というか、それが書き出された「法」)に従うことになる。
ただ、こうした判断は個別の利害関心から離れたトピックについてしか下せない。少数者の抑圧に直結するようなものは投票で決めてはいけないことにも注意が要る。多数決による権利侵害を回避する方策には(1)多数決より上位の審級を設ける=違憲立法審査権(2)複数機関で検討する=二院制(3)ハードルを50%より高くする――などが考えられる。

また、直接制と代表制の判断が食い違うことも「オルトロゴルスキーのパラドックス」として知られている。直接制のほうがみんなの意見が反映されるような気もするが、しかし膨大な人口を擁するコミュニティでは、直接制は時間的、コスト的にかなり無理筋な制度ではないだろうか。理想的な形ではないが、代表制には「議場で熟議が実現する」という可能性をメリットとして持っている。よく話し合うことで意見が収斂していくし、それでも意見の差が解消しないとき、その差が何によって生じているかも分かってくる。
満場一致は望ましいが、それができないとき、どれくらいの賛成を基準に物事を決めればいいのだろうか。過半数でいいのだろうか。3つの選択肢があるとして、X>Y、Y>Z、Z>Xという循環を排除し、多数意見が正当性を確保できるような基準は、計算により約63.2%だという。
ただし、これは直接制か代表制か、という二択の話ではない。筆者は最後に都道328号線問題という問題を紹介し、特殊利益を扱う場合に使える直接制的な考え方も紹介している。

とにかくいろいろなことが書いてあるが、筆者が一貫して試みているのは「現在通用している制度が、天から与えられたもののように動かせない」という考え方(あるいは「自明性の罠」)から読者を引きはがすことだと思う。しかも「多数決多数決というけど、少数者を尊重することだって大切だろう?」と観念的な説得を試みるのではなく、数理的な議論でかなりのところまで「別のやり方」の候補たちの利点と限界を示し、比較できることを示している。その方法は恐らく最も広く共有できる基盤の上に立っていて、それだけに強い。

そんなパキパキした議論を読んだあとに当たっちゃったのが

■谷崎潤一郎『陰翳礼賛』KADOKAWA, 2014年.

明るくて、一様で、かっちりして、のっぺりしてるのってなんかやーね、日本のぼやーんとした感じがいいやね、というおじさんの言いたい放題。
「しかしまあ事実関係のレベルで結構怪しいですけどね、西洋趣味に流れすぎる時代にあっての逆張りだと思えば仕方ないか。それにしては売れちゃったけど」という井上章一の解説がなんとも。

* * *

5月の健康診断でLDLコレステロールが限界を突破したので、摂生することにしました。
なんか身体に悪いかな、と思いながら漫然と続けていた生活習慣を改善するいい機会と捉えることにします。あまり無理をするつもりはないけれども、健康的な食事と運動が習い性になるように当面は気をつけつつ、様子を見る予定。
それにしても再検査と医者の問診を受けにいったけど、目も合わせずに「食事と運動、気をつけて下さいねーはーい」とまあ役にも立たないようなことしか言わない上にさっさと切り上げようとしたので、いろいろ質問してみたが、要領を得ませんでした。こんなのを1人1億もかけて養成してるというのはね。

2015年06月22日

6月前半のあれこれ

先日、日本橋で仕事を終えて出てきたら、目の前に「つじ田」があったので夕飯。
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うん。いいと思う。

そばとうどんは冷たいほうが好きなんですが、なぜかつけ麺ってあんまり……です。
おそらく、熱い汁がどんどん冷めていくと興も冷めるのでしょう。

* * *

この土日は自炊と昼寝で過ごしました。
あと、固定資産税を払いました。
寝床で読む用に高い本を買いましたが、校正の甘さに激おこです。

* * *

5月24日の日記に出てきた厄介な仕事は、先週なかばにひとまずの区切りを迎えました。
先の日記の時点でだいぶ嫌になっている様子でしたが、その面倒臭い状況は続いたまま、しかし大御所とは結局かなりのコミュニケーションを重ね、社内外の思いつく限りの人達に意見を求めた末、ハードランディングはとりあえず避けられた様子です。問題は残りましたが、問題が残ったことに後悔を感じない程度には頑張れたと思います。

ただ、ほぼラストミニッツくらいのタイミングで迫られた社内調整で、いろいろいちゃもんを付けてきた某管理職(直属の上司ではない)に「ばか」と言ってしまったのが残念です。
自分だってばかなのに、人のことをばかと言うのはよくありません。
結局その某管理職が修正を求め、弊管理人は「修正しなくても大丈夫」と思いつつどこかもやもやしていた当該箇所、それがもやもやしていた理由には、今朝(日曜朝)になって自力で辿り着きました。それを某管理職は言語化できていなかったのですが、弊管理人はもう少し早く気付けたかもしれなかった。

でもまあ、ぶつかる人とはいつかぶつかるのでしょう。
次、次。

* * *

Facebookで、お仕事関係で知り合った方々から立て続けに友達リクエストをいただきました。
これからは、あちらは少し内容・表現に気をつけて書き込みをするようにしようと思います。

もともとFacebookでは、主に中学、高校、大学時代の友人と繋がっていたのですが、安心して昔と同じように軽口を叩いていたら(「ともだちんこ」とかそんな内容)意外と大人になってた相手に下品だと怒られちゃったりして、なんかもう面倒だしやめようかなと思っていたところでした。
考えてみれば、実名・顔の見える範囲でやってるSNSこそが、見苦しいことを書くべきでない「公共の場」なのかもしれません。

* * *

なんだかんだ言いつつ、淡々と生活しています。

2015年06月21日

新しい免疫入門

■審良静男,黒崎知博『新しい免疫入門』講談社,2014年.

それにしてもブルーバックスは本当にえらい。
専門家ばかり相手にしてる大御所(いや、大御所になると市民向けの講演もやるからそうでもないのか)に、この難解な免疫の世界を「気合い入れて読みさえすれば、非専門家でもちゃんと分かる」ところまで噛み砕いた本を書かせたのだから。
単に直線的に説明するのではなく、ちゃんと要所要所で「おさらいパート」を設けて読者がいまいる場所を確認させてくれる構成になっているというのも大変ありがたいです。
著者と編集者のその心意気に応えた、というより、メモ作りながら読まないと道に迷うという理由で、以下の長大な要約ができました。
後半に出てくるがん、炎症、自己免疫疾患、腸管免疫などは、もう分からないことだらけ。しかしそれだけに、ブレイクスルーへの期待が伝わってきます。
そして読み通した弊管理人えらい。

* * *

〈自然免疫の起動=だいたいの相手を認識〉

食細胞(マクロファージ)が相手構わず何でも食べる
→食細胞が活性化(消化能力、殺菌能力が増加)
→トル様受容体(食細胞が病原体を感知するセンサー)が細菌やウイルスの構成物質を認識
  TLR、RLR、CLR、NLR=パターン認識受容体。実は全身の細胞に存在
→食べたのが病原体と分かれば警報物質(サイトカイン:ケモカイン、IL、TNFなど)を出す
  ケモカイン:仲間の免疫細胞を呼び寄せる
  その他:周囲の食細胞の活性化を促す、血管壁を緩めて免疫細胞が通り抜けやすくする
→真っ先に好中球、少し遅れて応援のマクロファージが集まる
→炎症(免疫細胞がたくさん集まって活性化する)

〈自然免疫で撃退しきれなかった時→獲得免疫の始動=抗原に対するピンポイント対応〉

食細胞(樹状細胞)が末梢で病原体を食べる
→活性化+自殺タイマー始動(※自己細胞の死骸を食べた場合は活性化しない)
→リンパ節へ移動
→病原体のタンパク質を酵素でペプチドまで分解
→ペプチドはMHCクラスII分子と結合して、細胞表面に提示
→全身のリンパ節を巡回していたナイーブヘルパーT細胞(CD4+)が出会う
→(1)ナイーブヘルパーT細胞のT細胞抗原認識受容体と、MHCクラスII分子+ペプチドが結合
 (2)樹状細胞のCD80/86と、T細胞のCD28も結合(補助刺激分子)
 (3)活性化した樹状細胞からのサイトカインをT細胞が浴びる
→(1)~(3)が揃うとナイーブヘルパーT細胞が活性化

〈活性化ヘルパーT細胞が現場でマクロファージを活性化〉

→活性化ヘルパーT細胞が増殖(これが起きすぎないよう、樹状細胞は自殺)
 (→一部は記憶ヘルパーT細胞になる→免疫記憶)
→活性化ヘルパーT細胞が血流に乗り、ケモカインに導かれて現場到着
→(1)活性化マクロファージの表面に提示されたMHCクラスII+抗原ペプチドに結合
 (2)活性化マクロファージのCD80/86が活性化ヘルパーT細胞のCD28に結合し刺激
 (3)活性化ヘルパーT細胞はサイトカイン放出して活性化マクロファージに浴びせる
→活性化マクロファージがさらに活性化、食べまくる
→活性化ヘルパーT細胞が他のマクロファージにもサイトカインを浴びせて非特異的に活性化

〈一方そのころ、リンパ節では=B細胞がプラズマ細胞になって抗体産生能力を獲得〉

リンパ節に流れ着いた病原体の死骸の抗原決定基が、ナイーブB細胞の抗原認識受容体に適合すると結合
※B細胞の受容体は抗原そのものにくっつく。T細胞はMHCクラスII+抗原ペプチド
※B細胞の抗原認識受容体はY字型、抗体が細胞膜に発現したもの
→ナイーブB細胞がそのまま抗原を細胞内に引きずり込む
→ナイーブB細胞がちょっとだけ活性化
→ナイーブB細胞が酵素で抗原をペプチドまで分解
→MHCクラスII分子にペプチドを乗せて提示
→(1)リンパ節にたくさんいる活性化ヘルパーT細胞にくっつく
 (2)B細胞のCD80/86が活性化ヘルパーT細胞のCD28に結合し刺激
 (3)活性化ヘルパーT細胞がサイトカイン放出してB細胞に浴びせる

→B細胞が活性化、増殖
→活性化の際に、B細胞抗原認識受容体に突然変異を起こす
→抗原のショーウィンドウ役の濾胞樹状細胞(FDC)の元へ行って受容体とくっつくかテスト
→くっつけたものだけがプラズマ細胞(抗体産生細胞)になる(親和性成熟=抗体の仕上げ)
→B細胞の時に膜に持っていたIgMから、分泌用IgGへ抗体作製能力を変更(クラススイッチ)
→一部のプラズマ細胞が骨髄へ移動、大量のIgGを作って全身へ放出
※ここまで、病原体の侵入から1週間以上

※抗原がタンパク質を含まない(細菌の細胞壁などの)場合
→抗原決定基が反復して存在している場合は、一度に多くの受容体に刺激が入る
→B細胞が何とか活性化、ただしクラススイッチが入らずIgMで対応。親和性成熟も起きない
→このときは活性化ヘルパーT細胞と出会う必要がないので、反応は早い。5量体のIgMを分泌

〈抗体の働き=最後は自然免疫がしめくくる〉

(1)中和
細菌が作る毒素や、細菌が死んで壊れたときに漏れ出る毒素、ウイルスに抗体が結合
→細胞に取り込まれなくなる
→抗体+毒素の結合体を食細胞が食べておしまい
例)破傷風菌の毒素、ヘビ毒

(2)オプソニン化
抗体が抗原にくっつく
→抗体のY字の根本(Fc領域)に、食細胞のFc受容体が結合
→食細胞が激しく食べる

〈キラーT細胞による細胞感染対応〉

・抗体は細胞の中に入れないので、細胞感染したウイルスや細菌(クラミジア、リケッチア)に無力
→細菌ごと破壊すればいい

・全身の細胞が持つMHCクラスI分子には、普段は自己由来ペプチドが乗っている
・感染していると、病原体由来ペプチドも乗る
→これを目印に破壊する

樹状細胞はMHCクラスI、II両方に食べた病原体のペプチドを提示できる(クロスプレゼンテーション)
→ナイーブキラーT細胞(CD8+、細胞傷害性T細胞=CTL)が結合
→活性化キラーT細胞に(活性化ヘルパーT細胞のサイトカインも必要な場合がある)
→増殖
※一部は記憶キラーT細胞になる
→感染細胞のパターン認識受容体が寄生細菌等を認識すると、サイトカイン放出
 特にインターフェロンにより全身がウイルスに対して臨戦態勢に
 (1)細胞内でのウイルス複製を妨げる分子の発現
 (2)細胞表面へのMHC分子の発現促進
→ケモカインに誘導されて活性化キラーT細胞が感染部位へ
→二つの方法で感染細胞を破壊
 (1)特殊なタンパク質で相手細胞に穴を空け、酵素を投入。アポトーシスを誘導する
 (2)相手細胞が出しているアポトーシススイッチを押す
→アポトーシスを起こした細胞を食細胞が処理して終了

〈MHCクラスIを出させない病原体への対応→ナチュラルキラー細胞〉

(1)病原体感染をTLRなどが感知、あるいは病原体タンパク質合成のために細胞にストレスがかかるなどして、細胞表面にCD80/86やNKG2Dリガンドなどが出ている
 かつ
(2)病原体が邪魔をして、MHCクラスI分子が細胞表面に出ていない

このとき、NK細胞(自然免疫細胞)が細胞を破壊

〈補足:ヘルパーT細胞には3種類〉

(1)活性化ヘルパー1型T細胞=細胞による「細胞性免疫」。ウイルスや細胞内寄生細菌に対応?
・末梢でマクロファージを活性化
・抗原特異的にB細胞を活性化、IgGを放出させる→食細胞による貪食を誘導
・ナイーブキラーT細胞の活性化を助ける

(2)活性化ヘルパー2型T細胞=抗体がかかわる「液性免疫」。寄生虫に対応?
・抗原特異的にB細胞を活性化、IgGを放出させる
・抗原特異的にB細胞を活性化、IgEを放出させる
→IgEはマスト細胞の表面に結合
→マスト細胞が活性化
→細胞内のヒスタミン、ロイコトリエンなどを一気に放出
→蠕動運動の昂進、血管透過性を高めて粘液を増量
→寄生虫排除。これが目や鼻の粘膜で誤作動すると花粉症になるとされる
・好酸球(炎症物質の顆粒を細胞内に持っている)を活性化する
→寄生虫に結合したIgEを目印にして寄生虫に取り付き、活性化すると顆粒内物質を放出

(3)活性化ヘルパー17型T細胞=細胞外細菌や真菌に対応?
・末梢組織に行ってサイトカイン放出、ケモカイン発現により好中球を集める
・サイトカインにより腸管上皮細胞が抗菌ペプチドを放出

※2型、17型への分化の仕組みはまだよく分かっていない
※1型、2型、17型の役割にはオーバーラップがある。バランスも今後の課題

〈抗原認識受容体の多様性ができる仕組み〉

(疑問1)なぜ遺伝子は2万個しかないのに1000億種類の受容体ができるのか?
→抗体の各領域から遺伝子断片を選んで新しい遺伝子を作る「遺伝子再構成」が起きている

(疑問2)その1000億の中に、なぜ自己に反応するものがほとんどないのか?
▽T細胞の場合
→T細胞は、胸腺上皮細胞に提示されたMHC+自己ペプチドとお見合いをする
→その結果
 (1)強く結合する→アポトーシスのスイッチが入って死ぬ(自己に反応してしまうから)
 (2)適度に結合する→生き残る(MHC+抗原ペプチドに結合できそうだから)
 (3)全く結合しない→アポトーシスのスイッチが入って死ぬ(本番で役に立たなそうだから)
・ここまで、T細胞にはCD4も8も両方出ている
・お見合いで、MHCクラスI+自己ペプチドに適度に結合したT細胞はCD8が残る→キラーに
・お見合いで、MHCクラスII+自己ペプチドに適度に結合したT細胞はCD4が残る→ヘルパーに

▽B細胞の場合
・骨髄で成熟
・周囲の細胞や、体液中の分子などを自己抗原と考えて、いろいろお見合いをしてみる
→強く結合したらアポトーシスのスイッチが入って死ぬ
→それ以外は生き残る
※親和性成熟の際には、突然変異を起こしてぴったりくっつくものだけが生き残るが、ここでのプロセスはその逆

こうしたプロセスを経ても全員とお見合いできるわけではないため、自己反応性の免疫細胞は約10%存在していると見られている

〈誤作動を防ぐ/免疫反応を終わらせる〉

・アナジー
活性化していない樹状細胞に自己反応性のナイーブT細胞がくっつくと「アナジー」になる
=死んではいないが活性化しない。大半はそのまま死ぬ
病原体がいない平常時には、コツコツと自己反応性細胞を取り除いている

・制御性T細胞=CD4+細胞の約10%
活性化した樹状細胞が提示するMHCクラスII+自己ペプチドに張り付いて、自己反応性ナイーブT細胞が樹状細胞に結合できなくしてしまう
←胸腺で自己抗原に強く結合するT細胞の一部が生き残って制御性T細胞になるらしい

・制御性T細胞は免疫応答の抑制もする
表面のCTLA4分子が、活性化樹状細胞の表面にあるCD80/86に結合し、抑制シグナルを送る
→樹状細胞表面の補助刺激分子の発現が減る
→自己反応性でないナイーブT細胞の活性化が抑えられる
さらに、IL2と強く結合する受容体を持っており、これもT細胞活性化を阻む

・B細胞の制御機構はよく分かっていないが、自己反応性のB細胞を活性化するべき活性化ヘルパーT細胞がいなければ活性化は起きないということだろう

・免疫反応を終わらせる仕組み
ナイーブT細胞が活性化すると、アポトーシス誘導スイッチ(Fas)が表面に出る
→免疫反応の暴走時、あるいは収束の局面で活性化T細胞同士でFasスイッチを押し合う

〈免疫記憶〉

・抗原の2度目の侵入に対しては、反応が「速く」「パワフルに」なる
・ただ、プロセスの解明は難しい。理由は「記憶細胞」の数が少なくて実験しにくいから

・記憶細胞の定義:一度、抗原を経験し、そのあと抗原がない状況を生き延びている細胞
・どうも、記憶B細胞、記憶キラーT細胞、記憶ヘルパーT細胞というのはいるらしい
・活性化し増殖したB細胞、T細胞の一部が記憶細胞になる
→エフェクター細胞(働く細胞)は反応が終わると死ぬが、記憶細胞は生き続ける
→次に抗原が入ってきたとき、記憶細胞が活性化される
→エフェクター細胞になったり、そのままエフェクター機能を発揮する
※これ以上詳しいことはよく分からない
※T細胞には、エフェクター記憶T細胞(2度目にすぐに働く)とセントラル記憶T細胞(2度目にすぐ働かないが、増殖能力が高く、エフェクター細胞を生み出す)がいるらしい

〈腸管免疫〉

・腸管には体の免疫細胞の50%がいる
・腸管免疫では、単に異物=排除、ではなく、無害な異物は無視している

・小腸では、食物と一緒に流れてきた細菌やウイルスを粘膜上皮のM細胞がつかまえ、下にいる樹状細胞に渡す
→樹状細胞はパイエル板のナイーブヘルパーT細胞に抗原提示
→抗原特異的に活性化ヘルパーT細胞が誕生
→ナイーブB細胞も抗原を食べて少し活性化、活性化ヘルパーT細胞によって完全に活性化
→クラススイッチ、親和性成熟を経てプラズマ細胞前駆細胞に分化
※ただしここで、IgMから「IgA」へのクラススイッチが起きる点が全身免疫と違う
→前駆細胞は全身の血流に乗って、また腸管に帰ってきてプラズマ細胞になる
→IgAを腸内にむけて放出
→IgAの中和作用で病原体の機能を停止させ、そのまま体外へ排出(食細胞を呼ばない)
※腸の表面の粘液層にIgAが溶け込み、中へ入り込もうとする病原体をトラップするイメージ

・経口免疫寛容=食べたもののタンパク質には免疫反応が起きない
※仕組みは不明。腸管に多い制御性T細胞や腸内細菌が関与か

・好中球の集積や、抗菌ペプチドの分泌を促進させる活性化17型ヘルパーT細胞(腸管免疫のアクセル)への分化にかかわる「セグメント細菌」というのが腸にいるらしい
・ナイーブヘルパーT細胞から制御性T細胞(腸管免疫のブレーキ)への分化に、クロストリジア属の第46株という細菌がかかわっているらしい
※ブレーキ、アクセルともに腸内細菌が関与か

〈自然炎症〉

・TLRなどのパターン認識分子は、自己成分(内在性リガンド)の一部も認識することが分かってきた
・マクロファージや好中球などは、内在性リガンドでも炎症を起こす→「自然炎症」
・内在性リガンドは、ネクローシス(細胞の破裂)で出てくる大量のDNAやRNAなど
・大量ネクローシスの原因は、外傷、薬物、放射線など
・食細胞が損傷部を除去し、修復専門細胞が集積。自然炎症の目的は、組織修復の促進か
・自然炎症は痛風(内在性リガンドは尿酸結晶→IL1β放出→炎症→痛い!!)、アルツハイマー(Aβ繊維)、動脈硬化(コレステロール結晶)、糖尿病(ヒト膵アミロイド繊維)の原因にも?
・炎症を抑えるほうに働く調整役の「2型マクロファージ」というのもいるらしい

〈がんと自己免疫疾患〉

・がんを攻撃する:キラーT細胞、ナチュラルキラー細胞
・がんペプチドワクチン:治療ワクチン。がん細胞だけがMHCクラスI分子とともに提示するペプチドを狙う
・一部の抗がん剤はがん組織のネクローシスを引き起こしており、これががんを標的とした自然炎症につながっているのではないかとの見方も
・ペプチドワクチンがあまり効かない:がんももともと自己細胞のため、制御性T細胞が先に樹状細胞にくっついてしまい、活性化を抑えている?
・がん細胞のPD1L:活性化T細胞のPD1に結合して活性化を抑制、さらにPD1Lに抗アポトーシスシグナルが入ってしまう
・がんの出すサイトカインが、活性化ヘルパーT細胞を1型(ナイーブキラーT細胞を活性化させる)ではなく2型に誘導してしまう
・がんの出すサイトカインが、2型マクロファージを呼び寄せて炎症を抑えてしまう上、がんの血管新生を助けてしまう
・抗体療法:がん細胞表面の、増殖に関係する受容体に抗体をくっつけて機能喪失させる。さらに食細胞による貪食も誘起するらしい

・自己免疫疾患:制御性T細胞の機能不全、自己ペプチドに似た病原体由来ペプチドによる自己反応性アナジーT細胞の再活性化、親和性成熟の過程でできた自己反応性B細胞がきちんと死なない、自己反応性T細胞がきちんとアポトーシスしない、など

2015年06月19日

論理哲学論考

■ヴィトゲンシュタイン, L.(丘沢静也訳)『論理哲学論考』光文社,2014年.
■野矢茂樹『ウィトゲンシュタイン『論理哲学論考』を読む』筑摩書房,2006年.

骨組みだけでできた驚くべき建築。そんなもの見せられても「なんかすごい、けどわからん」と当惑する。ラッセルも困っただろう、現に出版に際して間違った解説を寄せてしまった。まして弊管理人には無理。というわけで野家さん(訳本に「出前講義」が収録されている)に助けを借りたが、なおもやもやしたので野矢さん(『読む』は大学院のゼミをもとに作った本らしい)にも当たり、付箋を貼ったり絵を描いたりしながら読んだ。ぼやーっとした何かを掴んだつもり、くらいになった。

世界は現実にそうなっている事実から成り立っている。各々の事実の布置である。
現実にはそうなっていないが、可能な事態も、それを構成する対象の布置である。
現実にそうなっている世界と、可能な事態を含んだ全体が、論理空間である。
論理空間の外枠が、思考の限界である。

論理空間を操作可能にするための道具が、言語である。
つまり、論理空間を言葉に写し取ったものが言語である。
そこには名からなる単純な要素命題があり、それが組み合わさって複合命題を作っている。
もととなる命題と、一定のルール(論理)に従った操作によってできている。
そうした言語の全体の外にあるのが、語り得ないものである。それは論理と倫理である。
語り得ないものである論理は、しかし言語を成立させる条件である。

やっているのは、何もない空間に純粋な言語のモデルを構築するようなことではない(何もない空間には積み木を積むべき地面がない)。イメージだけでいうと、慣れ親しんだ風景画像の解像度をとことん上げてみる、そんな営みなのだと思う。普段から使っている日常言語の全体を要素のレベルまで分析して、語り得るものと、語り得ないものの境界を画定させるような作業。ちなみに、境界を画定するルールは世界に含まれない。画定しているわたしも世界に含まれない。

そうしてみると、語り得るものってどうにもつまらなくないか。「1+2=3」は発見的な記述では全くなくて、最初からそうなってる世界をただ言葉にして見せるだけの静的な営為にすぎない。(だから科学の知識をダシにした会話は「こうなんだよ」「へー」で済んでしまって、なかなか花が咲かないのだ……)
推測だが、ウィトゲンシュタインは一通り世界の成り立ちが分かった段階で「つまんね」と思い、語り得ないが豊穣な倫理と論理のほうへ旅立っていったのではないか。
そして旅から戻って書いたのが『哲学探究』のようだ。野矢本の最後にさわりが書いてあった。たぶん、若書きの『論考』は純粋すぎたのだ。時間が経って「現実」から出発してはどうかと思うようになった。大人になったのかもしれない。もうちょっとしたら読んでみよう。(『探究』は高いからw)

2015年06月07日

銀龍など

散歩がてら、新中野の銀龍まで。
も、ほんとに街の中華屋さん。チャーハン650円。
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いや、これでいいんですよ。
どうたらこうたら蘊蓄たれながら高いチャーハン売ってるところもありますが、弊管理人はこれで十分です。というか、好き。もうちょっと近かったら通う。

* * *

今週は平日に1日休みをいただき、上野へ大英博物館展を見に行ってきました。
同行友人に連れて行っていただいた肉の大山で、メンチカツバーガー。
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アハーン、うまい。あと、夕方までサワー半額の160円でした。立ち飲み。
そこから大統領に流れ、19時には沈没。

* * *

話は前後しますが、昨日土曜は趣味:仕事=7:3くらいの気分で東大先端研のキャンパス公開を見にいきました。工業デザイナーの山中俊治氏の研究室が3Dプリンティング技術を使ったスポーツ用義足の展示をやっていて、それを見るのが一番の目的。もちろんこちらもお仕事の下心込み。
ちょうど、ソニーエンジニアリングでJust earという個々人の耳の形に合わせたイヤホンのプロジェクトをやった松尾伴大氏と山中氏のトークイベントをやっていたので、聞いてきました。
以下、記憶頼りなので不正確かもしれないメモ。

3Dプリンティングを使ったスポーツ用義足は、足の形をデジタル計測してデータに落として作るので、個々人の足に合った義足を比較的簡単に作れるだろう。しかも美しさを伴わせたい。そういうプロジェクトで、現在はナイロン製の試作品ができた段階だが、これからアスリートの疾走に耐えられるくらいの強度を出すなど、改良をしていく予定のようです。
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Just earも発想が似ていて、耳の形がどうも既製品のイヤーピースに合わない人が結構いるらしい、そういう人達に向けた高い装着性のあるテイラーメイドのヘッドホンとして開発されたそうです。
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それで思い出したのですけど、うちの父も「カナル型のヘッドホンは耳にはめてもぽろっと取れちゃう」といって古ーいやつをずっと使っていたのでした。山中氏も合わないほうの人らしいです。

耳の形はほんとに色々、しかし製品はだいたい標準的なところを狙ってデザインされているために、合わない人がそれなりに出る。弊管理人はSONYのヘッドホンを使っていますが、製品に付いてくる大中小のイヤーピースのまさに「中」がぴったりはまる非常に標準的な耳(?)をしているため、全くこういう問題に気付かなかったのでした。しかも実際合ってない人が身内にいるっていうのにね。

Just earは型をとって職人が成型して、と結構な手間をかけるため30万円とかするらしいのですが、3Dプリンター方面のものづくりは今後、もっと安価になるのではないでしょうか。似通ってはいるけれども多様な形をした人間集団を前にして、しかし一応これが標準的だろうという層を狙って作り、あとの「不適合な人達」には製品の形のほうに体を合わせてもらう、というちょっと無理のある製品作りから、一人ひとりに合った製品作りへ、という流れが加速すればいいねと思いました。

そしてこういう取り組みは、マイノリティとマジョリティの関係を変えていくことになるんではないでしょうか。
マイノリティがそもそも不可視だった段階から、「合わない人がいるのは分かるんだけどなかなかね」との諦めを経て、現在は「合わない人にもできるだけ対応しようぜ」というくらいまで来ているような気がする。
でもこれではまだ、気を遣われるマイノリティ/気を遣うマジョリティ、という二分法から脱出できていない。
もし技術的な困難によって先に進めていないのだったら、今後カスタムメイドが容易になって、個人間の微細な差に対応できるようになれば、「みんなそれなりに違う」という考え方が浸透して二分法が解体し、やがて差異そのものが意識されなくなっていくんじゃないかと夢想します。

フロアとの質疑応答は時間がなくて1人だけだったのですが、それが非常にいい質問でした。
つまり、カスタムカスタムというが、人の体は日々変わっていく。子供は育つし、筋トレすれば膨れるし、使わなければ退化する。カスタムメイドはある一時点の人の体に合わせたもので、その一時点を過ぎれば次第に合わなくなるのではないか。むしろ、高さを変えられる机や椅子のように「アジャスタブル」な製品のほうに分があるのではないか。そんな質問。

松尾氏の回答は、カスタムを暫くやることで形の多様性に関するデータを積み上げる、それが将来的なアジャスタブル製品の開発に活かせるのではないかという回答。
山中氏はまさに義足でその課題を意識しているところで、しかし当面は「身体が変化したら変化した結果に合わせてガンガン製品を作る」という対応ができるんではないかというもの。

弊管理人は、スーツに吊し/イージーオーダー/フルオーダーがあるように、標準品/アジャスタブル/カスタムメイドは、お値段と使い勝手のバランスを考えて各人が選ぶべきカテゴリーとして併存していくんじゃないかな、と思いました。松尾回答はアジャスタブルをもっと使いやすくするためのアイディア、山中回答はカスタムをどうやって使っていくべきかというアイディアを語ったように思います。ただぱっと聞いた限り、なんとなくアジャスタブルが一番便利そうな印象を持ちました。もっとも、製品によってアジャスタブルに適したものとそうでないものがありそうですが。

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仕事は忙しいわりにアウトプット低調。
かかってる手間のほとんどが「調整」という脇筋のことなのが悲しいところです。

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