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2010年12月 アーカイブ

2010年12月30日

すた丼

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伝説のすた丼、つっても今やけっこういろんなところにお店があるんですけどね、どこ行っても結構な行列になってるのがすごい。今日はまだ地デジ化していない自宅のソリューションを求めて訪れた秋葉原のお店にin。

普通盛り600円。にんにく醤油ベースのタレで炒めた豚肉とネギ。うまくないはずがないでしょう、こんなの。もう。ご飯もおいしいんだよねー。
ただ、進捗率85%くらいのところで、にんにく大好きの弊管理人でも決まって一度「おえっぷ」の足音が聞こえる瞬間があります。食後6時間経っても息がにんにくの匂いになります。食の細い人とか下品な食べ物がダメですっていう感じの人は来世で食って下さい。

年の瀬、押し詰まってまいりました。
このように有無を言わさず流れていく時間に揉まれるのは嫌いじゃないですね。細かいこと気にしなくていい感じがして。
そして年明けの「通り抜けた-!」という感じも。
(「津軽海峡冬景色」があんなにギリギリなのに、北海道に渡ったとたんに「函館の女」がヨナ抜きの底抜けな明るさになっちゃうような。って違うか)

医療倫理

■T. Hope, MEDICAL ETHICS: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2004.

このあいだの地理学の本といっしょに買ったやつです。
問題を分析する、調べものをする、思考実験を試みる。こうしたことを必要なだけやってやっと哲学になるんだよー、ということを、安楽死/尊厳死、医療政策の立案、生殖補助医療と「まだ生まれていない存在」に対する倫理、精神障害者を特別扱いするべきか、出生前診断と情報へのアクセス権、途上国での治験にも透けて見える南北問題、といったケースに即して教えてくれる本です。

いっこ前のエントリーで、パイが大きくならない時代の配分のあり方についてちょっと触れましたが、実はそれを書いた時って、この本のあるパートに「資源が限られている場合、命に関わる分野で誰かのためにお金を使うということは、別の誰かの命を削ることである」という至極そのとおりなくだりを見つけて、それがずーんと重く響いていたときでもあったわけです。

(そういや今年、日本で〈正義〉の話をするのが流行ったのはなんでかというと、お金を含めたいろんな「リソース」がふんだんにある時代がいよいよ完全に終わってもう戻って来ないと思われている中で、じゃあどう分けたらいいのかということにみんな潜在的に関心を持っていたからじゃないかと弊管理人は思っているんですが)

構成だけでなく言葉遣いも平易です。高校生の副読本にも使えるかもしんない。

2010年12月27日

年末っぽい

先週はずっとデスクに積んであった懸案をすごい勢いで処理。
クリスマスイブは家で弁当食って湯船に浸かって就寝。当日は飲み明かして終わったので、これは自分的にはやり切った感があります(久しぶりに朝帰り)。
今年はなんだか年末が年末っぽい。
曜日の配列のせいですかねえ。
というわけで珍しく総括のエントリー。

なんか仕事面ではいろいろと反省点も多いながらよく働いた一年ではあった。知ってることも浅く広く増えた。
ただ、おそらくあまり動き回らず頭ばかり悩ませるこの環境のせいで(1)記憶力が落ちた(2)血液検査の結果が悪くなった、という2つの大きな問題が生じた。
(1)はこの週末、自分の住んでる建物のエントランスのナンバーキーで間違いを連発してから危機感が一気に高まり、
(2)は野菜をよく食べ、しっかり走る生活の重要性と、缶コーヒーはやっぱり飲むのをやめるべきだとの認識をあらためて得るきっかけに。
健康面では、10-11月は3年ぶりの歯科、大工事で辛かった。3カ月にいっぺんのクリーニングは30代の義務だと痛感。

今年いろいろ考えさせられたのは、パイが大きくならない時代の「分け方」の問題。
社内で組合の役員をやっていた一昨年から感じていたことではありましたが、今年はより迫るものがあった。「私のところに、もっと金を」という声を一年通して聞いた年だったせいだと思いますが。
がんのように致死的な病の領域に国が使うお金は、病態の解明とか薬の開発みたいなことに向けるのはもうやめて、静かで苦しくない死に方をするためのケアにほとんどすべて注ぎこむべきじゃないのかとか、ベーシックインカム+出来高みたいな制度ってできないのかなあとか、しかしその原資って一体どうするんだとか、まあそんなことを考えながらいろいろな文章を読んだ年だったかなと思います。
あと、毎年の課題ですが、もうちょっと古典読まないとね(八重山諸島にもってったヒュームもまだ読み終わってない)。

それから、もっと旅をするべきだった。出掛けなさすぎた。
ていうか、そろそろサバティカルが欲しくなった(笑)。
後段についてはいろいろ準備しているところもあるのですが、期限のあることではないのでゆっくり考えてます。

今年練習したピアノの曲は技術的にはやさしめ、演奏時間短めの曲が多かったですね。
2-3月はメンデルスゾーンの無言歌Op.67-2。寒い冬+新しい持ち場で仕事が辛い時期だったこともあり、これ弾くと目の前が暗くなります。
5月は生涯最高金額(笑)払って行ったポゴレリチのコンサートで触発されたショパンの夜想曲Op.62-2。緑がきれいだった。
夏はなんだっけ。ドビュッシーの「レントより遅く」とかやってたような。
秋は前々から手を付けようと思っていたスクリャービンの練習曲Op8-12。これはけっこう弾けるようになってきてうれしい。
あと、出し物用にカプースチンを2、3復習してます。
札幌時代のように先生につこうと思ってつけなかったのが残念。

今年買って満足度が高かったもの。
リンゴの軍門に降って悔しかったが超便利、これってもう音楽プレーヤーというよりPDA「iPod Touch」、防水+コンパクトで結局Powershotにかわって普段持ち歩くデジカメになった「DSC-TX5」、通勤電車の中でポッドキャストを聞けるようにしてくれたノイズキャンセリングイヤホン「MDR-NC33」。

だんだんと形を取り始めたいろいろな不安もありますが、一方でそれはそれとやり過ごせる諦念も身に着いてきたようでオトナになってきたっぽい。だんだん周りに年下が増えてきたし。そんなことで今後は振り返るばかりではなく少し開き直って新規/更新に勤しめたらと思っております。

2010年12月19日

ARMWOOD COTTAGE

新宿御苑、ARMWOOD COTTAGE
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新宿御苑の駅からちょっと四谷側に歩いたところにあります。
コテージ風の店内、雰囲気いいです。
ガトーショコラとアイスコーヒー頼んでちょっと本読んでました。
椅子の座り心地が意外とよい。
アイスコーヒーが意外にちゃんとしている。
この時間はドリンクと甘い物のみだった様子。途中、知人がたまたま入ってきましたが、フードがないと聞いてそのまま帰って行きました。そういうお店だったの?へえ
建物の特性か、微妙にゆさゆさ揺れてました。慣れれば問題ないんだけど最初は「お?」と思います。

2010年12月11日

安納芋

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安納芋(あんのういも)であります。
種子島のお芋で、糖度が高くみずみずしいのが特徴です。
そんなにレアなものでも新しいものでもないのですが、それでも東京では普通に店頭で見ることは少なかったかもしれない。なぜか今年は地元近くでよく見ますね。どっかの媒体で特集でもされたんだろうか。
今日ちょこっと錦糸町に買い物に出たら、駅構内で焼き芋を売っているのを見つけたので買ってみました。握り拳大くらいのもので400円。
それこそ芋の状態や焼き加減によっては、割ったときに蜜が垂れるくらいになります。
普通のほくほくした甘藷と違ってしっとり・じわっと甘みが凝縮しているのが写真でわかるでしょうか。
ただ割って食べるだけで、既に洋菓子店で買ったスイートポテトのよう。うまいー

2010年12月10日

「正義」について論じます

なんか周辺でわりと話題になっていた大澤真幸さんの個人誌『THINKING 「O」』の第8号。宮台真司さんとの対談と、大澤さんの論文を収録。

去年、政権党のトップ=総理大臣が所信表明演説の中で使ったキャッチフレーズ「居場所と出番」「新しい公共」を聞いて、「おお、社会的包摂に本腰を入れるのだね」と援護射撃を始めようとした人たちもいれば、政治家ふぜいが思想家の真似事しやがってと冷笑した人たちもいたかと記憶してます。
いずれにしてもなんだか遠い昔の出来事のような感じがする。相変わらず政府の側は社会の隅々までコントロールを保持しようとしており、民の側は自分のところにお金を引っ張ってきつつ責任は政府に押しつけようとしているように見えます。そしてそれを取り巻く環境の認識は「鎖国か開国か」みたいなところにまだとどまっているよう。
そんではその、現実においてはまだ実験さえ始まっていない(か、よく見えるようになってない)共同体の再創出と、共同体のお外とのつきあい方、それはいったいどんな姿をしているのか、あるいはいったいどんな条件が必要なのかしら。
そんなことを考えながら読んだらええのかなと思います。

2010年12月05日

子連れ結婚式

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学生時代に同じ部活の同期だった友人の結婚式に行ってきました。
同期7人(全員男)のうち4人目。なんと今回は子連れ。
弊管理人の行き遅れ感が増してきました。

毎度思うけど、この華々しいセレモニー、親はうれしいわな。
うちの親には申し訳ないけど、これは自分には無理。背負えません。

それにしても普通の人が褒めちぎられるのって、生まれたときと披露宴と葬式くらいかもしれん。と思うと、生まれたときと葬式は本人は褒められてるのがわからないので、披露宴を経験しないということは何か重大な機会を失っているような気がするものである(そこか)。

2010年12月04日

地理

■J. A. Matthews and D. T. Herbert, GEOGRAPHY: A Very Short Introduction, Oxford University Press, 2008.

同じ学部にあるあの人文地理学ってなんだろなー
なんで理学部にも地理学科があるんだろなー

と、高校の社会科で地理を選択しなかった弊管理人は学生時代に思っておりました。

さらに、働き始めてからも、汐留の高層ビル群が都心にヒートアイランド現象をもたらしているのではないか、というニュースの中で、専門家として地理学の先生がコメントしていたのにも「なんで地理?」とひっかかっていました。

そこでまあ、「なんなの、これ」程度の疑問なので、Amazonでは1000円以下(なんと11月初めには円高のせいか700円台だった。新宿のジュンク堂ではもうちょっと高かった)で買えるこのVery Short Introductionsシリーズにお伺いを立てたわけです。

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で、ざっというと、
地理学とは「空間、場所、環境に関する探究」であるということ。自然地理学は地表のちょっと下からちょっと上までを研究対象とし(下から上に地質、生態、気象のイメージ)、人文地理学は「場所」という視点から人間の活動を考える(社会、政治、経済、表象、歴史……)。
近代的な地理学の歴史は、世界が広くなった19世紀、「どこに何があるか」という探検と植民地支配のツールとしての地図作りに端を発して→上記のような専門分化、量的・質的といった手法の分化でどんどん細かく分かれ→最近はまた統合・学際領域としてのアイデンティティを探ってます、みたいなものらしい。
たとえばエル・ニーニョがどこにどういう影響を及ぼすかとか、イースター島だけがなんで不毛の地になっちゃったのとか、氷期と間氷期ってどういうサイクルで来てるのとか、環境変動に人間活動の影響ってどの程度あるのとか、犯罪の多い地域って他と何が違っているのとか、住民は「地元」ってどこまでのことだと思っているのかとか、ある地域にどんな人がどんな配置で暮らしているのかとか、そんなことを考えたりしている。
手法はフィールドワークだったり統計分析だったり衛星画像の分析だったりインタビュー調査だったりコンピュータによるモデリングだったり、それらの組み合わせだったりと、いろいろ。

でもさあ、これだけ多様だと、そのうち気象学だったり情報学だったり、文学や政策科学だったりといった他領域と差別化できる「何か」(方法?)を持った領域たちに八つ裂きに持って行かれてなくなっちゃうんじゃないかなあ、なんてモヤモヤしながら読んでました(筆者もそういう感じは持っていて、それなりの解答は与えてます)。

構成はすんごくしっかりしてるので読みやすかったです。

2010年12月03日

近況数題

列島を嵐が通過。
気持ち悪いくらい暖かくて汗だく。
12月です。
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久しぶりにカレンダーを買いました。別用で立ち寄った丸善にカレンダー売り場が設けられていて、その品揃えがなかなかよかったもので。
画像手前は今年使ったカレンダーで、HTBという北海道のテレビ局の方にもらったもの。当月と前月、次の月、その次の月という4か月が一覧できるものでお気に入りです。
来年のは、当月と来月が大きく、2月先と3月先が小さく刷られている卓上型です。早くも来年4月のカレンダーが見えています。あっと思って5月を見てみると、来年は5月2日に仕事を休んでしまうと10連休になるという恐ろしいGWです。

なんて先のことを考えていると思い出すのですが、最近、1年とか先のことが構想できなくなっています。なんだろう。死ぬのかね。

あ、あと郷里で局地的に評判のいいJR北海道のカレンダーをお土産用に買いました。実は東京と大阪でも少数の書店で買えます。

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・食べ物の好みが違う人と食事をする
・知人を飯に連れて行ったが「別にうまくも」的な反応
・知っている店に連れていって支払いまでしたのに「話し足りなかった」と不満顔でサヨナラ
・待ち合わせで30分待つ

といったことがここ2週間ほどの間に立て続けにあり、人疲れしました。
しばらく独り飯でいいです。ていうか、しばらく人と飯食いたくない。

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予算がいろいろ動く時期の最後のほうでして、いろんな立場の人がいろんなところで「自分のところに金を」という話ばかりしてます。特に、「いのちを、守りたい」という平田オリザさん作の演説で政権が幕を開けたものだから、この解釈の幅の広い言葉の尻をとらえてみんなが「俺の命を守れ」と言い出した。
パイの大きくならない時代、取れるうちに取れるだけ取っておけ、というドライブがかかるのも当然で、そんななか声上げないといらないと思われちゃうのだろうからこうなるのも仕方ないんでしょう。でも聞いてるほうはゲンナリします。

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と、胸いっぱいの毒を吐き出したので、明日から少し好きにやらせてもらいますわ。

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