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昔書いたもの アーカイブ

2013年09月08日

久しぶりの友人と

1999年に交換留学でニュージーランドの大学に行かせてもらったとき、行き先の大学から派遣されていた友人が台湾からいらしていて、つながりのある同級生+後輩とともに計4人で昼ご飯を食べてきました。

弟さんが建築の仕事をしている関係で代官山の蔦屋書店を訪れたかったそうで、そこが集合場所。
なんかオサレ建物で有名らしいですが、弊管理人は知りませんでした。
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こんなの。
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中は丸の内の丸善にあった「松丸本舗」くらい。
渋谷駅から徒歩10分ちょっとです。いかにもお金持ちの住区みたいなところをいかにもお金持ちみたいな人たちが歩いてました。

で、近くのハワイアンな感じのお店で昼食。
ガーリックシュリンプを。
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ハワイで食べたのはもっとギットギトでどぎついニンニク臭で危険なおいしさでしたが、こちらはお上品。

台湾友人、後輩と別れたあと、同級生と喫茶店で駄弁って帰りました。
お互い齢36。立場は違うが、年齢なりのいろいろあり方は通ずるものがあるようで。
仕事ではもはや若手じゃなくなったねとか、家族を持つかどうかとか、親はまだ大丈夫だろうかとか、まあそんなことですけれども。

* * *

まだ動くと汗がじわりと出るものの、9月も上旬が終わろうというここ数日は、さすがに暑さが少し和らぎました。日が落ちるのもめっきり早くなった。ハーパンの季節も終わりか。

* * *

周囲に虚言癖の人が絶えないんですが、こんなもんなんでしょうか。話がどうも変、という人に対して、実害が及ばない限り全くつっこまないという弊管理人の性分が招いているような気もしています。

* * *

■アーネスト・ゲルナー(加藤節監訳)『民族とナショナリズム』岩波書店、2000年。

・ナショナリズムとは「政治的な単位と民族的な単位とが一致しなければならないと主張する一つの政治的原理である」。一つの国家の中に複数民族がいる場合、それらの民族には一つずつ国家が与えられなければいけない、という。
・狩猟採集社会→農耕社会→産業社会のうち、ナショナリズムが起きるのは産業社会だけ。
・ナショナリズムは近代世界に特有の(つまりそれ以前には存在しなかった)条件下で支配的になる一種の愛国主義。
・その条件とは:読み書き能力を基礎にした文化。それを同世代に遍く供給し、かつ世代を超えて確実に受け継がせる教育システムの存在。その教育が生み出す人々の均質性。そして、その教育を修了した上でなら、高度に分化した専門のどれにでも就けるような、職業選択の流動性。こうした文化に対して、宗教やローカルな文化を介さないでばらばらの個人が抱く忠誠と、その見返りに文化が個人に与えるアイデンティティ。
・この文化が自然なものとして現象し、かつそれが維持されるために必要なもの、それが国家なのだ、という構成らしい。
(・ただし、あらゆる民族がすべてナショナリズムを宿すわけではないし、宿したとしてそれを達成するわけでもない。メインの国家に同化する場合もあれば、そこまで盛り上がる勢いを持たずにしぼんで終わる場合もある。)

『想像の共同体』が面白かったので、同じくナショナリズムが近代の所産だという本をもういっちょと。
くどい文章(というか訳文)ですが、言っていることは意外とシンプル。
こういう文章は、一言一言を味読するより、できるだけ勢いをつけて駆け抜けるほうが頭に入るという発見もございました。
原著は1983年刊。東欧とか、マルクス主義なんかへの目配りが時代を感じさせます。

2000年11月15日

なぜ人を殺してはいけ

なぜ人を殺してはいけないか、について、なんだかそれが随分難しい問題のように思っていたのですが、まったくクリアな回答が思いつきました。3年もかかるなんてノロさもいいとこですね。

なぜ人を殺してはいけないか。それは「自分が殺されたり自分が殺してほしくない人が殺されたら嫌だから」という人が多いからでしょう。そして、これもはっきりしておかねばならないのですが、何かをしては「いけない」ということの含意は、それをすると咎められる(法律的に・道徳的には問わず)ということでしょう。つまり、多くの人が多くの場合「人を殺してはいけない」と考えるからこそ「人を殺してはいけない」がルールとして保たれており、そしてそれにもかかわらず人を殺すと、ルールの保存のために咎められるということ、回答はそれだけで十分だと思います。言っときますけど、これは単に「だって大切な人を殺されたら嫌でしょう?」と諭すことを提案してる訳ではありません。頼むから最後まで読んで下さいね。

さて、筑紫哲也が困った(と言われる―僕はその日のニュース23を見てなかったので)質問は「なぜ人を殺してはいけないかわからない」というものだったので、以上でひとつの(あくまで可能なうちのひとつの)回答が示されました。では、これがどうして雑誌で特集が組まれたり本が出たりするほど大きなテーマになったのか?…それが不思議ですよね?ね?

それは「なぜ人を殺してはいけないか」と「なぜ人を殺さないのか」というふたつの異なった問題(しばしば、もっと迷惑な社会学者によって「なぜ『なぜ人を殺してはいけないか』と問われるのか」という第3の問題も。でもこれについては今日は論じません)が混同されていたからではないかと気付きました。

おそらく「なぜ人を殺してはいけないかわからない」と発言する子は、「あなただって、自分が殺されたり大切な人を殺されたくないでしょ?」という大人の回答に満足せず「でも、僕は自分が殺されるのも怖くないし、大切な人だって殺してしまうかもしれない」と言うでしょう。そこで大人の側は、はたと「それって、私の回答の根拠が崩れてしまったことになるのかしらん!」と焦るのですが、ここで気付かなければならなかったのは、「僕は自分が殺されるのは怖くないから他人だって殺すかもしれない」という子の回答は、「あなたは人を殺してはいけない」への否定ではなくて、「あなたは人を殺さない」への否定になっているということです。その証拠に「人を殺してもいいんです」ということは一言もいわれていない。「あなたは人を殺さない」に対して「いや、殺してしまうかもしれない」という答えが返ってきたら、精々答えられるのは「うーん、そうかもね」くらいのものでしょう。しかし、問う側も問われる側も、回答された質問が当初きかれた質問とずれていることに気付かないとき、大人の側は「そうかもね」と言うことが「人を殺してもいいかもね」と言うことのように思えてしまい、狼狽する。それが問題を複雑にした構造です。

「人は人を殺してしまうかもしれない」というのは、おそらく誰もが同意することでしょう(現に殺人事件やら事故やらが起こっていることを否認するのは相当の勇気がいるでしょう)。しかしそれは、「人を殺してはいけない」というルールの存在のおかげで人を殺すことに相当の不都合を自分が背負わされるにもかかわらず、そのことを考慮せず・あるいは考慮してもなお、人を殺してしまうことがある、という以上のことを語っているわけではありません。

「(ほかの誰でもなく)僕が人殺しをしちゃうかもしれない」という子どもの切迫した予感の吐露に大人が狼狽するのはごく自然でしょう。それ自体は(誰かが人殺しをするかもしれない、というのとは違って)新奇な事態だからです。しかし繰り返しになりますが、それは「自分や自分の大切な人が殺されるのが嫌だと多くの人が多くの場合に思うから」という以外に「なぜ人を殺してはいけないか」を基礎付ける特効薬のような理由を探さなければならないんだ、という狼狽ではありえません。

というわけで気が済みました。さっさと寝ようっと。

(20001114-5)

[当時話題になった問いでしたねえ。問われたのは97年かな。自分の答えは「オメーが人を殺しちゃいけない理由がわかろうがわかるまいが、現に多くの人が、自分や家族が殺されるのがイヤだと思っていてそれがルールになってる以上、殺したら罰せられるからな。覚えとけ」ってことだったみたいですね。身も蓋もないが、問題を切り分けると確かにこういう答え方になる気が今もする。―2006/6/29]

2000年10月16日

今はもう歴史から消さ

今はもう歴史から消されようとしてる歌手が「好きなものは好きと言える気持ち抱きしめてたい」なんて歌っていましたが、これはなかなか言い得て妙かもしれません。

経験的な判断で物事を斬るときに、その判断を支える証拠をいくら積み重ねてもその判断が完全に正当化されないのに、その同じ判断を突き崩すのはただ一つの反例を挙げてしまえば足りるのです。「カラスは黒い」ということは、いくら黒いカラスを毎朝生け捕りにして「ハハハその通りじゃないか」と威張ってみても、いまだ捕まえられていないカラスが宇宙に存在している限り「絶対正しい」ということができないばかりでなく(捕まえられていないカラスに黒くないやつがいる可能性が排除できないから)、ある朝白いカラスが「アホー」とかいって現れた瞬間に「カラスは黒い」は反証されてしまい、棄却するか「ほとんどのカラスは黒い」みたいによりマイルドな形に変更をせざるを得ません。
(ところで、「カラスは黒いものとする」ということがカラスの定義の中に最初からあって、目の前のある対象がカラスかどうかを判断する材料になっている場合、「白いカラス」はありえないので「カラスは黒い」ということが絶対正しいことになりますが、これは続けて書いてみれば「カラスは黒い、なぜならカラスは黒いからだ」という意味なしの文になっていることがわかります。)

かくのごとく「否定」は強い。あの子のここが好き、ここも好き、ここも好き……と好きなポイントを重ねていってどんどん好きになっていっても、「でもあの子のここがダメじゃん」という第三者の横槍によってなんだかどっちらけた気分になったりします。人でも物でも同じことです。このときの対処には、実は二種類ありえます。「ダメじゃん」と言った第三者の言葉を否定する、というのがひとつ。白いカラスのときのように「あの子が好き」を棄却するか「あの子の『ダメじゃんと第三者に言われた部分』以外が好き」と修正を加える、というのがもうひとつ。このふたつの対処のうちどちらをとるか?それは経済性によって決定されます(「全体論」という考え方に拠っています)。
つまり、どのような対処の仕方に一番コストがかからないか?の判断です。もし「ダメじゃん」と言った第三者が、普段から人を見る目のある奴だと思っていた人間の場合、その「こいつは人を見る目がある奴だ」というのはそれ以前の多くの例に照らしてとった結論なので、たった一つの「あの子」に対する「ダメじゃん」という発言を優先して「こいつはやっぱり人を見る目がなかったんだ(だから「ダメじゃん」も信じる必要がないんだ)」という判断をするのには無理があります。一方、「ダメじゃん」とのたまった第三者が普段から考えの浅い奴であった場合には「こいつの『ダメじゃん』はあてにならん」という判断が無理なく成立し、「あの子が好き」の方を修正する必要がなくなります。
(カラスの場合に以上の二つの対処法をあてはめれば「カラスは黒い」を疑うか白いカラスを見てしまった自分の目を疑うかという選択をすることになるのですが、ほとんどの場合「自分の目を疑う」ということはあまり起こらないだろうと思って、簡便のために省きました)

では「あの子が好き」が少しも傷つけられずに保持され、気持ちよく「好き」を続けていくためには、何をしたらいいのでしょう。
上のパラグラフから、方策は明らかです。あらゆるコストを無視して「あの子に関する中傷はすべて見当外れである」ということです。つまり「ダメじゃん」と言う第三者が恋愛の達人であろうと人事部長であろうと中谷彰宏であろうと、その「ダメじゃん」を受け入れないことです。しかし、こういうコストの無視は不自然である、つまり、「コストの無視」という行動に人を駆り立てるための、隠された動機がなければなりません。それが「何があってもあの子が好き」という「決断」です。「決断」は論理的な帰結としてではなく、端的に感情的に行われる判断です。だから第三者の「ダメじゃん」は論理的な効果を持たない、意味として響かない(ただし「語気」などの非論理的な要素は別です)。これが「好きなものは好きと言える気持ち」。それは人生に「意味」を求めたり恋愛を「論理」で語ろうとするような人間には縁遠い境地なのかもしれません。
ありゃ?

(20001016)

[いやあ、マッキー見事に復活しました―2006/6/29]

2000年07月29日

多様性がイイことです

多様性がイイことです。らしいです。多文化主義というのが、あくまで「文化」という単位を基本に置くとするなら、それを個人の多様性のレベルの議論と混同してはならないと思います。つまり、文化の多様性を言いながら、個人を画一的な価値に向けて揃えようとする文化を、「多様性を損なう」という理由を以って批判するのは一貫した態度ではないと思うんです。

「文化」という、あるようなないようなものをあるかのように扱う多「文化」主義をとる場合、不可避的に「文化」という一個の実在の内部は均質なものであると想定されなければなりません。なぜなら、一個の「文化」の中に二個の「なにか」があるなら、それは一個の文化ではなく二個の文化として同定されなければならないからです。一方で「均質」のあり方は何でもいい。ある文化を構成している個人たちはバラバラである、という(いささか逆説的な)共通性によってまとまっていてもいいし、またある文化を構成している個人たちは悉く指導者を崇拝しているという共通性によってまとまっていてもいいわけです。

ところで後者のような場合は、しばしば個人の抑圧(と見えるもの)の上に成り立っているように見えることがありますが、それが「抑圧的な文化」であるということで批判することは、「文化」の多様性を言う限りできないはずです。当の「抑圧的な文化」が他の文化に対して抑圧的なのでなく(それなら「文化」の多様性の確保のために当の文化を批判することは合理的でしょうが)、当の文化の内部に対して抑圧的なのであって、「文化の内部」の問題は「文化」あるいは「間文化」の問題とは関係ないのです。むしろ、リベラルな考え方をもつある強力な文化が「(内部に対して)抑圧的な文化」を批判し潰そうとするならば、それはむしろ文化の多様性を損なうことになります。

全体主義国家のマスゲームが、音楽などの芸術が、美しいかどうかの価値判断はともかく、ある特定の政治体制のもとでしか実現され得ないものであるならば(そうでない体制のもとで「足並み揃えて行進」ができない人々なんていくらでもいるでしょう)、それが体制の変化とともに消えてしまうのは寂しい気がします。体制とか国家とかいうと話が大きくなるけれど、二人以上の人間を含む集団ならどのような大きさの集団でも同じことが言えると思います。

じゃあ、文化のレベルではなくて、個人のレベルでの抑圧に対抗しましょう、というスローガンをかわりに掲げたらどうでしょう。そのスローガンは、果たして徹底した全体主義の文化(=個人は生まれたときからの教育によって体制に「喜んで」従うように仕向けられている文化)を批判することはできるでしょうか。そのような文化にある強い権力を見ることはできるとしても、そこにおいて喜んで体制順応している個人は果たして抑圧されているのか。あるいはそこにおける「個人の枠へのはめられ方」は、自由主義の文化における「個人の枠へのはめられ方」に比べてそんなにも強いといえるのか。

ソヴィエト=ロシアの音楽家たちが秀逸な作品を残したり、北朝鮮のマスゲームがそのとてつもない統一性によって見る者の驚きを喚起したり、ナチス=ドイツが映画においてある独特な身体の撮り方を産み出したりしているのを思い起こすにつけ、「その人たちは自由主義・個人主義の文化の中に置かれていても同じ芸術を生産したはずさ」という謂いは怪しく思えてきます。そして多様性を主張する思想の背景にいつもそれとなく収まっているあるローカルな「主義」の顔が、実はすべての人々に自分をモデルにしてほしくて仕方の無い、自己顕示欲過剰な表情に見えてきて仕方ありません。

(20000729)

[こんなようなことを書いた卒論は、結局一人であれこれ悩んでうわーってなって終わってしまいました。ものすごく稚拙なエッセイでしたけど、それまで考えていたことを整理するいい機会ではあったかな―2006/6/29]

2000年06月24日

帰納法問題って、大体

帰納法問題って、大体こういうことなんだろうなあ、と突然思った。しかし差し迫った事例が今身の回りにあるわけではなく、ほんとに、「不図(ふと)」思っただけです。いまの釈明は「この物語はフィクションです」というテレビドラマの注意書きみたいなもの。いるんですよね、わけもなく自分のことだと思って怒鳴り込む人。というのも「不図」思っただけで(無限後退)

「今度こそ反省したから許して」「許さない。だって今までずっと反省したって同じことの繰り返しだもの」「もう繰り返さないから!」
「終末の時はいつ来るんですか、教祖様」「もうすぐぢゃ」「もうすぐっていつですか」「もうすぐといったらもうすぐぢゃ」

そこには帰納的な判断を許さない議論がある。クワスとかなんとか難しいことを引っ張り出すまでもなく、未来はどうしようもなく不確定だ。それで同じ過ちを繰り返す友人は謝罪を繰り返しながら一向に過つことをやめようとしない。だからもう絶交してしまったらいい。終末は来る来るといってまったく来ない。だからこの教祖を信じるのをやめたらいい。

しかし、上のような判断はすべてどのようにしてできているかというと、「現在」から「過去」を振り返る、という形でしかない。つまりそこに「未来」への言及はありえない。「過去と現在」の二つの時から、「未来」という時は、このようにして完全に分断されている。だから、帰納的(経験的)な「判断」と見えたものが含意しうるのは、「過去から今までがこうであった」ことだけであって、「未来はこうであろう」ではありえない。

まさにその一点によって、過ちを繰り返す友人と絶交することは、論理的に、できない。終末を語る宗教を否定することは、論理的に、できない。それを絶交したり否定したりするということは、論理の舞台から「えいやっ」と飛び降りた瞬間からしかありえない。

未来は不確定と書いたけれども、もっと正確に言えば、「未来という言葉が存在する」という以上の意味ではどこにも存在しない。だから「未来は…である」ということを言うことができない。また、未来の兆候をもとにして現在から未来を予測することはできない。それは、カーテンの裂け目から光が差しているのからカーテンの外側に月の存在を予想することは、そもそも月が存在しなければできないようなものだ。

このように信じているものから離反していくことは、論理的にできない。「未来の自分に不利益をもたらすからここで打ち止めにします」と言うことはできないし、言ったとしてもこれはそもそも意味をなさない。

現在から過去の意味付けができるとしても未来の予測が原理的にできないことをもう一度思い出してみると、ほんとうは、いつも過ちを犯す友人や終末を語る宗教を信じない論理的な理由がないだけではなく、それらを信じる理由さえもないのだ。なにしろ、「信じてくれよ」という頼りない言葉を吐く例の友人にせよ教祖にせよ、かれらはただ偶然、その友人(つまり自分自身だ)の改心を信じるとか終末を信じるとかの立場に立っちゃっただけなのだ。

未来に託して何かを信じたり/信じなかったりしようとする態度に対して、「どうして信じるのか/信じないのか」を問い、答えを出すのは穏健な行動だろう。それは既に起こったことにあと付け的に意味を与えることだからだ。しかし、「そう信じる/信じないことはよいことか/悪いことか」「信じる/信じないことによってこれからどうなるか」はアカデミズムの手続きを踏んでは答えを出すのが躊躇われるのではないか?

未来の予測を仰々しく発表することを臆面もなくできる人が少ないとすれば、それは多くの人に「わたしは予想屋ではない」という自負があるからでなく、未来のことを言うのがいかに不毛かについての知恵を持っているからなのかもしれない。

「論理の力を掘り崩すようなことを筋道立てて(論理的に?)語ろうとするのはぁ、ちょっと問題あるんじゃないですかぁ」……論理パターンの順列組み合わせで機械的な批判しか出せない奴は、賽の河原で石積みのパターンでも研究してなさい!

(20000624)

[よく覚えてませんが、いつまで経っても同じように困ったちゃんな友人に当てつけて書いたものだと思います。最後の叫びは学科の後輩にこういうこと言うヤツがいたから(笑)―2006/6/29]

2000年05月30日

さて、5月20日に駒

さて、5月20日に駒場で行われたシンポジウム「三国人発言を考える」についての感想をここに書いたものか、それとも「風景の消費生活」に書いたものかと迷いましたが、やっぱりここに書きます。こういう後味の悪さが一時的な「浮かされた」感情によるもので、「ハハハ、こんなことも考えてたんだねえ」と笑えるようになんとかなりたいという願望もあるため。

4月にあった石原慎太郎の「三国人」発言を受けて(にしちゃ遅すぎるが)、足立信彦・小熊英二・小森陽一・高橋哲哉・趙景達と東大へ来ている留学生(韓国人)と学生代表がパネラーとして迎えられ、義江彰男氏の司会で「石原知事の発言を学問的に批判しよう」(たぶん)という意図のもとに雨降りの土曜日に4時間も話し合いをやりました。

確かに、「三国人」という言葉の誤用とか、石原慎太郎という政治家の特徴についての分析(小熊氏)や、発言内容よりも/だけでなく、そのデマゴギー性に注目した分析(高橋氏・足立氏)は聞いていてなるほどなあ、と思ったし勉強になりました。しかしながらシンポジウムに対する僕の印象が「イケてないなあ」になってしまった事情は、次のようなところです。

とにかく最悪だったのは、学生発表者のオカシサで、留学生の発表者は既にテレビで石原慎太郎が「バカだねぇ、短絡的だよ」と笑って看過した「石原=ヒトラー図式」(ちなみに「江沢民=ヒトラー図式」を後日石原が自分で言ってるのがまたタリなさそうで微笑ましい)を鸚鵡返し的に持ち出してきて、おやおやと思っていたら「だから石原はだめなんです」で終わってしまった。これは、留学生の側の無知でないとすれば、論理による論争を放棄した鈍感さが原因だと思うのですが、なぜ僕がそんな評し方をするかというと、明らかにこれはシンポジウムの意図から外れる水掛け論にしかならないからです。

それからまた重症だと思ったのは、工学部の大学院生で不法滞在外国人支援団体のメンバーだという日本人学生の発表で、ハンドアウトとして「外国人犯罪の増加」を裏付けるデータを配った。えっ、こんなデータ出して不利にならないの!?と驚いていたら「確かに数字の上では外国人犯罪は増えてます、でも、日本人の犯罪も増えてるし、この数字に含まれてるのは軽微な犯罪も多いんです」とのたまった。
主に高橋哲哉さんがまとめた「歴史修正主義のパターン」というのがあるんですが(たとえば『ナショナル・ヒストリーを超えて』東大出版会、を参照。これもあんまり面白くない本だけど)、たとえばナチを擁護したり日本のアジア侵略を擁護する人達=歴史修正主義者(リヴィジョナリスト)は、こういうことを言うといいます。曰く「ソ連はナチより大きな悪を犯した」「連合国側の帝国主義は日本の支配より悪だった」「全てのナチス党員/大日本帝国軍人が大悪人だったわけではない」、つまり「俺より悪いことしてる奴もいる」「軽微な罪も多いんだ」ということ…あれれ、この日本人学生の言い分ていうのは、そのまま歴史修正主義者が<悪>とされている人達を擁護する論理に写し取れるのじゃないか?歴史修正主義をとるべき焦点をぼかすものだとして批判する高橋氏の横で、パネラーとしてよく臆面もなくこんなこと言えるなあと観客席で笑ってました。

さて、折しも姜尚中氏がサンデー毎日で石原氏に公開質問状を出したところ(雑談だけど、姜尚中という人間は授業を半分も無断ですっぽかすなど教師としては最低最悪ですが、それ以外の仕事はかなりしっかりやってます)で、このシンポジウムも成果をどうにかして世に出すのだろうと思っていたら、どうやらその気はないらしい。
案の定質疑応答で早速「ここでお話されたようなことをどうするつもりでしょう?」という質問が出たけれども、回答ははっきりいって惨憺たるもの。高橋氏は「やはりこういう場を機会に勉強を重ねていくことが重要です」小森氏も同調。小熊氏も「これでまた反対意見を公開してぶつけても大衆を味方につけてる石原を増長させるだけだから、慎重にやらんといけません」ということ。
なるほど、石原氏がデマゴーグであるという認識まではいったとしても、そこでアカデミズムの側が対抗デマゴーグになるのか、それともまた別の良策があるのか、についてはぜーんぜん考えが及んでいなかったようです。不用意に石原氏と同じ土俵に上らないというのは、相手が無視してもいいような(無視したほうがいいような)相手である場合には無駄な労力を省くということで有効な手段ではあるにせよ、ポピュリスト政治家として世論をガッチリ掴んだ(まあ大部分は無関心層だろう、という小熊氏の指摘はあたってると思いますが)石原の土俵下から本人に聞こえないように野次を飛ばすだけでは、「批判をした」事実さえもがその存在を怪しまれることになりはしないでしょうか?あの4時間は1313教室という狭いコップの中の嵐だった、そしてそれにパネラーたちは大満足、というのはあまりにもショボい。

「政治集会にしたくない」というコンセプトが「論理的で冷静な批判を展開する」ことではなく「象牙の塔の中でオナニーしてハアよかったね」状態のエクスキューズとして使われたことにガックリきてしまった(そして1週間たってもまだガックリきてる)のが、今回この読みにくーい長文を書いた理由でした。

(20000530)

[石原氏のいわゆる「三国人発言」がけっこう話題になってた頃。あれこれ議論することが議論のための議論にであることとか、「正しい目的」のために間違った方法論を省みない活動家ふうの人たちに苛立ってました、そういえば。―2006/6/29]

2000年04月15日

新年度早々気が落ち着

新年度早々気が落ち着かない日々が続いている。将来に亘って自分を拘束するに足る職業を探して東京をかけずりまわる。電車で何10キロを移動しながら窓の外に目をやる。便利で快適な電車の旅、そこにあるのは死のイメージだ。
おそらく人間は自分が走れるより速く移動したり、自分が飛び上がれるより高く上ったり、自分が潜れるより深い水の中に入ると、死に易くなる。電車がカーヴにさしかかって車輪がレールの外に出ただけで、普段は気付かれないように・しかし常に寄り添っていた死がふりかかってくる。つい今まで隣に座っていた人間にそういう死がふりかかってきたとき、私もまた自らの脇でその発現を待つ死の存在に気付くだろう。そして自らと死を分かつものがいかに不安定なバランスの上に立っていたかを見とめることになるだろう。

しかしながら、それは自分の終わりが近いこととは違う。違いは「明日死ぬかもしれません」と「明日死にます」のように極めて明確である。前者の場合は「明日死なないかもしれない」が同時に言えるが、後者については言えない。確定しない死はつまり、普通に生きていることと何ら変わらないのであって、「私は死ぬかもしれない存在だ」ということを意識したり知ったりしている状態は、それを意識しなかったり知らなかったりしている状態とあまりかわっていない。無駄に終わるかもしれないことがわかっていても、明日に投資することには意義があるのだ。「明日生きているかどうかわからないのにどうして投資なんて」という気持ちになるとしたら「明日死なないかもしれないのにどうして投資をやめたりするのか」を問い返してみるといい。そしてさらに、おかしな表現だが、経験上、明日になって死んだ経験より、明日になっても生きていた経験がはるかに多いのだ。円滑な日常生活はそういう問いの忘却によって何とか成立しているのではないかと思う。

そこで投資をやめる。それはどんな時。「肉体の死」のあとの生を考えること?違う。その、「あとにくる生」もまたそれが生である限り死から逃げることはできないからだ。投資の意義が薄らいでいくとき、それはそのとき目前に迫っている死が最後の死である(と信じられている)ときだ。しかし、それは明日を満足に生きるための投資の意義を薄れさせたとしても、実際にその状況に直面したどんな人にも投資をやめさせるインセンティヴになりうるだろうか?ある人はそれでもなお意義のない投資を行うのではないだろうか?

(20000415)


[シュウカツ中に書いたみたいです。かなり疲れていた様子。―2006/6/29]

1999年12月24日

バンダバーグ(Bun

バンダバーグ(Bundaberg)で日本人の気さくな人たちと一緒にダイビング(綴りを考えたらダイヴィングになるんだろうが、ダイヴィングと書くとすごくスノッブな感じがしたので「ビ」になってます)をした5日間はとても楽しかった。オーストラリアの一人旅は、最初から一人だったから寂しさは全然なかった。コースを終えてから行ったファンダイブ、レディ・マスグレイヴ島(Lady Musgrave Is.)の素晴らしい珊瑚礁の海で見た夢のような風景を思い出しながら、バンダバーグを夜行バスで発ったときも、「それじゃまたねー」という気持ちで次の土地へ向かっていたと思う。一晩をバスの中で明かして、朝が来てもまだバスは走っていた。窓によりかかってぼうっと外を眺めながら「ももいろ珊瑚が手をふっていたなあ」とふと思ったとき『およげ!たいやきくん』の歌詞が蘇ってきた。

毎日毎日ぼくらは鉄板の上で焼かれて嫌になっちゃうよ。…人を一定の型に嵌め込み、整形しようとする力の働きを、ワッフル工場に例えたオークランド大哲学科の先生がいた。人間の「型」はすでに用意された出来合いの型、まだどろどろの生地はそれに抗うことはできない。型=社会化によって「ぼくら」はその時その場所のパラダイムにあわせて形作られる。けれど確かに「ぼくら」は「嫌になっちゃ」っているのだ。そしてある朝、「ぼく」は反抗を試みる。人間の整形をつかさどる「店のおじさん」とケンカして海に逃げ込むのだ。「店のおじさん」は、たとえば父的な権力だ。その意味で、「たいやきくん」と「店のおじさん」の闘争はたとえば世代間闘争、またかれらの性に注目するならば父と息子の葛藤を想起させる(フロイトとかラカンを連想した)。整形されたたいやきの群集の中から逸脱を試みるのにはそれ相応の思い切りが必要だろう。「ぼく」はそれをやった。仲間の羨望と嫉妬のまなざし・あるいは無関心、そんなものを無意味化するまったく新しい世界、海!歌詞では(個人?としての)「たいやきくん」という逸脱者を外界に見送る仲間は描写されず、もっぱら「たいやきくん」の上気が描かれている。「ももいろ珊瑚」は、異世界からのまれびとを手を振って迎える。珍しいことではないのだろう。珊瑚には珊瑚の日常がある、まれびとも数が増えれば珍しくもない。「たいやきくん」個人?としての人生?(←しつこい)最大級のイベントも、珊瑚の視点から見たならば「よく見る流れ者」の概念を構成するいち要素に矮小化されてしまう。
旧い世界の重荷、残滓を「おなかのアンコ」として自らの中に感じとりながらも「たいやきくん」は新しい世界を満喫する。「毎日毎日楽しいことばかり」だ。整形され、清潔で秩序立った旧世界を飛び出したのだから、当然それなりの代償は支払わなければならない。「難破船がぼくの住処さ」とうたう「たいやきくん」の姿は、バックパッカーズ(一晩1000円程度で泊まれる安宿)の古ぼけたベッドに素性も知らない他の旅行者たちとともに体を横たえる旅行者に重なる。また、「ときどきサメにいじめられ」ても逃げるしかないなど、新世界の暗い側面は結局そこが日常を離れたパラダイスなどではなく、ひとつの日常の果てに広がるもうひとつの日常でしかないこと、しかもその新しい日常における浮浪者としての自分のよるべなさを示唆しているといえよう。
新しい世界に来たころの熱狂が過ぎ去ると、違和感が「たいやきくん」を襲う。かれにとって結局、新世界は肌に合わないのだ。「塩水ばかりじゃふやけてしまう」という叫びは、そのことへの気づきが生み出した焦りに裏打ちされていたはずだ。自分は新しい世界で長くはもたない。定住を経験した者にとって流浪する生活は一生続けられるものではない、ということを感じたのだろう。そんな心の不安を感じた矢先に、旧世界からの「釣り針」がたらされる。「釣り針」のここでの意義は両義的であって、心の不安を増幅させて旧世界に引き戻そうという罠であると同時に、主観的にはこれはひとつの救済でもありうる。旅から帰り、もとの世界で職を得て定住するという、鉄板の上で焼かれていたころ嫌で仕方がなかったライフコースが今再び長い流浪の果てに提示された。今、かれは釣り針に引っ掛けられながら悲哀を感じているだろうか。そうとは限らない。吊り上げるのはまたも男性、「おじさん」である。旧世界での日常性が回帰する。「たいやきくん」は食べられる。あろうことか「うまそうに」!完全にたいやきとしての本性を回復した「たいやきくん」はその遣る瀬無いまでに固定された運命を終える、もっと正確には「全う」してしまう。
おきまりの生、型どおりの生への反発、今みずからが置かれている世界への不満、それが人をして長い旅に向かわしめる。しかしそれは新天地の発見ではない、流浪の果ての帰還。リスクを冒し、膨大なエネルギーを使ってまで達成した日常からの逸脱は、もともと自分が乗っていた生のレールの(やむなき)肯定として帰結する。「逃げても君は戻ってくる」、外部に決して出られない、回帰を運命づけられているのだと、この詞は「たいやきくん」に宣告しているのである。世代間闘争はそれ自体で「まったく新しい世代」を創造し得るだろうか。オイデュプスコンプレックス、あるいは「象徴」のステージで子は「父的原理」を拒否することができるだろうか。ワーキング・ホリデーとは何か。

…とか考えているうちにバスはマッカイ(Mackay)に着いた。朝飯を食べるための短いストップだ。ドライブインでチキンサンドイッチを求め、前の晩、別れ際にバスのドアステップで5日間を一緒に過ごした人たちから手渡されたコーラのボトルを抱えて壁際の席に着く。安いコーヒーの香りと同乗の旅行者の話し声が無表情なコンクリート造りのドライブインにこもる。また一人かあ、と思った。 (991224)

[ニュージーランドでの留学を終えて、隣国オーストラリアを旅行してたとき考えたこと。実は「たいやきくん」発表当時にずいぶんこういうことは言われていたそうです。それはそうとレディ・マスグレイヴの海はきれいだった……―2006/6/29]

1999年09月16日

日本では相当早足な自

日本では相当早足な自分が、ニュージーランドではそれほど早足と言われることもなく、時には歩いていて後ろから抜かされるという経験もした。股下が10cm違うとどれくらい影響が出るんだろうと久しぶりの三角関数など使って計算してみると、一歩あたり約4cmほどの違いが出るという結果になった。4cmというと大したことはなさそうだが、股下が10cm違うふたりが、同じリズムで一緒に歩いていると、10歩歩くうちに40cmの差ができるといえば、看過しかねる量であると思える。
人種間の差異といえばそのギャップは埋めがたいようだが、栄養状態の改善(あくまでカロリー摂取量という意味)された戦後日本では平均身長は伸びつづけている。食餌と背丈が相関するならば4cmの差を、少なくとも、縮めることはできるはずだ。しかしそのためにはコメと魚と野菜を食うスタイルを変えねばならない、肉を食わなければならない。旧来のスタイルの放棄と生活習慣病(「成人病」からのこの用語への転換は、左翼的に解釈すると、「あんたの」生活習慣のせいでなる病気だよ、と原因を「個人」に帰することで、「成人一般」が悩まされる病気であることに対する国のケア責任を回避するための、具体的には膨張する社会保険料対策のためのアリバイ作りであるということになる。ところでこの註は積極的に不要ではないだろうか)のリスクを負ってまで得たい足長のメリットとはなにか。
形式上にせよ人道的な意味からにせよ、必然的に差の出る歩幅は、短い人と長い人が「一緒に」歩くとき、一方が「待ち」一方が「待たれる」という関係を生むことになる。別の言葉でいえば、どちらか(あるいは両者)が歩幅を「調整」することになる。これを権力関係と読み換えると、一見「自分の歩幅に他人をあわさせている」短い人のほうが権力を所有しているようだが、そうではなく、かれは実は「待たれている」のであって、「歩幅の差」あるいは「待たれ時間」を長い人に対して負っている債務者なのである。「形式」とか「人道」は、そういう原理的に権力関係に巻き込まれる二者から独立した存在として、関係を中和させる。そうした独立した中和者が永続的に二者の上を傘のように覆っているならば、二者に内在する権力関係はそもそも問題にならない。しかし実際には「形式」とか「人道」は数々ある欺瞞の一形態にすぎず、均衡した日常という砂地に建った楼閣にすぎない。日常性の均衡の揺らぎに対して、「形式」や「人道」は余りにも脆い。
歩幅の差の解消によって示唆されるのは、この内在的な権力関係の無化である。大隈・尾崎といった大物政治家が白人との結婚を推奨し、日本人の人種改良を謳いあげた明治という時代は、「揺らぎ」が極めて切実な問題として指導者たちに現前していた時代なのではなかっただろうか。
では現代はどうか。白兵戦はもはや主流ではなかろうから、歩幅の差によって国境を4×n(cm)失う虞は現実的でない。車・飛行機・サイバースペース、身体の個別性を解消はしないが覆い隠す装置は至る所に設置されている。価値の多元化・差異の無価値化は、少なくとも観念の上では普遍性を達しつつある。いま、食生活の実体面を、先に述べたようなリスクを冒してまで変化させる理由はなんだろうか。なんでもいいが、ワタシは今、ササニシキとヒジキの煮物と秋刀魚の塩焼きが食べたい。(990916)

[留学中の文章。まわりはでっかい白人が多かった。短足への嘆息をやたら回りくどく書いてるのは照れみたいなもんでしょう―2006/6/29]

1998年11月23日

選び取った離別ではあ

選び取った離別ではあるけれども、けれどやはり離別は寂しさに満ちている。マンガ(具体的には神崎将臣の『KAZE』なんだけどその辺はまあいいや)みたいな世界を単純に描きながら空手部なんて大それた所に入部した2年半前、それからは手足や腰に怪我をしたり、下を向くと自分が流した汗の粒が水溜まりみたいになっていたり、大好きな先輩が卒部式の飲みの後早朝の新宿の地下街に消えていく姿を頭に焼き付けようとしたり、暗い代々木公園を走り抜けたり、昇段・昇級審査の重圧に押し潰されそうになったり、余り好きではない組手の練習を何週間も続けたり、型の同じ部分を延々と練習したり、練習のない月曜の夜に一人で運足の練習をしたりしながらなんとかここまできた、という感がある。今日、最後の行事を終えて片付けが終わってがらんとした道場をぼんやり眺めていたら、そこに1年・2年前の自分が出てきた。ライトに照らし出された体育館の端々に思い出が拭いがたく染み付いている。思い出すとなんだか一生懸命だったその時の自分が他人事のように羨ましくなってくる。そして今、中途で別の道に逸れていく自分を見詰める。離れるとなると途端に部が貴重に思えてくる気持ち、一方でやれることはやったという満足感。どちらが本物の自分だろうか。週3回の練習に色々な用事を犠牲にしながら参加していた頃には感じなかった、ふとした空白。それは確かにある。ぽっかりとした何かの寂寥感がある。空白は恐ろしい。そこに自分が吸い込まれてしまうような気がするから。そのとき、また「もうここまでにして何か別のことを始めよう」と思っていた自分は、それを振り切ってまた次の練習にひょっこり顔を出すのか。部とのつながりが切れるのが何だか勿体無くて練習にちょこちょこと顔を出すのか。けれど今日を境に、もう自分の存在は過去の中に緩慢に解消していくはずだ。そこには部の運営や試合で勝つことの重圧が無い代わりに日常的・永続的に緩やかに自らを衰えさせるよう運命付けられた立場「OB」がある。一生懸命だった自分を振り返るとき、そのきらきら輝くときを振り返る「今の」自分は輝いているか。「よくやったと思うよ」と優しい同輩が言う。そう、よくやった。自分でもそう思う。けれどそれは〈本当に〉そうか?今日の演武会は、準備運動から会場設営から、全てが最後のような気がしていた。前からしたかった留学だ。2年生に会う、1年生に会う、それは最後で寂しいかもしれないがそれ以上にやりたいことがある。今までを一緒に頑張り、これからを頑張る同輩をみながら、少し後ろめたさと後ろ髪を引かれる想いにかられた。そして今度正式に部に参加することがあるとすれば、それは寂しさに堪えかねての逃避としてではなく、自分が獲得した何か新しいオリジナルなものを引っさげてでありたいともまた思った。また会うだろうけど、とりあえず、ここまで。(981123)

[留学のため、学園祭での演武会を最後に部活を引退する日の日記。感傷的ですねえ。熱いですねえ。ちなみに「今度正式に部に参加すること」は結局ありませんでした。ゴーン ―2007/3/6]

1997年07月08日

6 月は怪我でずっと

6 月は怪我でずっと病院のベッドの上だったにしても今年度に入ってからあんまりこのページを更新していないのに気付いた。だれてるな。ともかく。
そろそろ進路決めの時期なのだが、一向に定まらない。ひとつには大学で学ぶ学問がそれぞれ面白いという理由、一方では大学で学んだ学問がそれぞれいかせそうにないという理由。どちらにしても困ったものだが、こういう人間は本来大学を目指すべきでないという見方にも反発は覚える。つかえる人間というのには2タイプある。ひとつは、一つのことを何でも知っている人間。もうひとつは一つのことを何でも知っている人間が誰かを知っている人間。読書に例えれば、ある分野の本の内容を全部暗記してるのが前者、いろいろ読んだけど、いざというとき大体どの本にあたれば良いかを知っているのが後者。もっというと図書館の本自体と司書の関係でないかと思う。この2者はそれぞれ大事なのだと思うけれど、自分ははっきりと後者のタイプなのではないかと思う。かといって博覧強記というわけではないので今のところそのへんがタチが悪いのだが。とかいって愚痴っていても9月には進学が決まってしまうのだった。(970708)

[教養課程の終わりが近づいて、専攻を選ばなければならない時期に、肝心の「何を選ぶか」から逃げてる文章ですね……。といっても知識に関して考えてることは結構面白い。10年前と比べて桁違いの知識がネット検索で瞬時に得られる今日、「何かを知っていること」よりも「何かを知るためにどう調べればいいか知っていること」のほうが実用的になってきてはいないでしょうか。この二つの知識のあり方の原型みたいなものについてぼんやり気付いていた様子。 ―2007/3/6]

1997年02月17日

金 曜日、いきなり空

金 曜日、いきなり空手部の監督に夕飯をおごって頂いて恐縮しながら食べた。「目上の人間」になるほど、いろんな人間におごらなきゃいけなくなるって大変な制度だなと思った。さて。
上の者が下の者にいろんな形で施しをするというのは、きっと上になるとそれだけの余裕がでてくるということの現れなのだろう。けれど、右肩上がりの経済成長が終り、また年功序列が崩れるこの世相が続いたら、どうなるんだろう。年齢によって給料が決められる制度が崩れたら、「形だけの上役」は果たしてどうなるのか。空虚な地位とプライドの折り合いはどうつけるんだろう。そんなことを考えながら、満留賀のさばセットをむさぼる夜だった。(970217)

[大学2年のころ。まだ文章がクドくない(笑)。でもコドモなりに「成果主義」について考えてるところがなんとなしほほえましい。当時はまだ成果主義賃金があんまり話題になってなかったころじゃないかしらん。ちなみに満留賀というのは大学の近くの蕎麦屋。―2006/6/29]

1996年10月16日

何 か大きな力の前に

何 か大きな力の前に屈する経験というのは、慣れれば大した屈辱を感じずに済むものなのだろうか。あるいは諦めれば何も感じなくなるのだろうか、そしてそうなった時、昔の情けない自分を思い出しても平気になるのだろうか、それとも思い出すこともしなくなるのだろうか。
5つか6つの頃、長野のあるデパートの屋上でやっていたデンジマンショーを見に行った。戦隊ものは好きだった。テーマソングを心地よく耳に受けながら、屋上を吹き抜ける風の薫りを楽しみながら、ショーの進行を見守っていた。敵の怪人が出てきた。手下に命じて、会場の子どもたちをさらわせはじめた。僕はただ見ているはずだった。怪人は僕を指さした。「あいつをさらってこい!」
僕はほかに観客席の中から連れ出された2、3人の幼児たちに混じってステージに上げられ、デンジマンをおびきだす餌になった。怪人は尋問した。「俺たちとデンジマンとどちらが好きだ?」…デンジマンは好きだ。しかしここでデンジマンと答えると、客席に戻して貰えなくなるかもしれない。隣では、怪人を選択した子どもたちが次々と客席に帰っていく。
前後不覚。僕は怪人を指さしていた!…怪人は満足そうな、下卑た笑いを浮かべ、プレゼントを渡して僕を客席に返した。デンジマンは登場し、怪人は成敗された。そのあと、赤いのと握手したりサインをもらったり、付添の母親と食事をして帰ったが、詳しいことは覚えていない。上の空だった。ただ、至近距離で見た怪人の高笑いだけが残っていた。…(961015)

[なんか原風景です。今読んでもしんみりします。時々やたら跳ねっ返りなのはこの体験が効いてるのはたぶん間違いない。―2006/6/29]

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