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2013年12月 アーカイブ

2013年12月31日

2013年まとめ

わあまとめてる時間がない。
簡単に。

【よかった】
いい本にたくさん当たった。
初めてのことを体験するように努め、いくつかできた。
ハイキングに行った。

【悪かった】
思い出す力が落ちた。
休みにゴロゴロしすぎた。
春~夏、厄介な仕事にやられた。
夏が暑かった。

【来年の抱負】
いっぱい出かける。

2013年12月29日

ネイションとエスニシティ

■アントニー・D・スミス(巣山靖司他訳)『ネイションとエスニシティ』名古屋大学出版会、1999年。

読むのに1か月かかった……。

アンダーソンや、特にゲルナーのように、ネイションとナショナリズムというのは純粋に近代の産物と考えるのには無理がある。古代にも、ネイションのような性格を持った共同体や、ナショナリズムのような運動があったし、それが近代のネイションやナショナリズムの根っこになっている。そういう「エスニシティ→ネイション」の歴史を見渡した上で、現在起きているさまざまな現象を読むべきではないか、という本。

まず、前近代にあったエスニックな共同体、近代的ネイションの祖先となるような共同体を「エトニ」と呼ぶ。何らかの事情で経験とその解釈を共有・蓄積し、世代を超えて受け継いできた人たちの集団のことだという。
エトニはそれぞれ名前を持ち、それによって別のエトニから区別される。また、同じ出自や血統を持っている(と了解している)。歴史と、独自の文化(制度、伝承、衣食住、……)を持つ。そして、そこに住んでいるかどうかはともかくとして、「郷土」があり、連帯感がある。ただし、分業を基礎にした経済的な一体性や、共通の法的権利や政治組織というのはまだない。
こういう特徴を持ったエトニは、それはもう歴史的にも地理的にも至る所に見られる。

エトニの維持、強化には宗教の存在が重要だった。一つは、共同体内に共有される「起源」「神話」を守る側面。それから、さまざまな宗派が共同体の境界を画しうること。さらに、聖職者や書記といった専門家が信仰を記録し、一般に伝えることでコミュニケーションのインフラを整備したといえるかもしれない。
戦争もまた、アイデンティティを維持・強化していくのに貢献する。別の共同体との接触・衝突は、エスニシティ主義を育てる。侵略に対する抵抗や失われた領土の回復、血統の回復、文化の復興などに向けた運動として現れてくる。

そうして、あるエトニは数世紀、千年と続いていく。あるものは解体してしまう。存続の可否を分けるのは侵略を受けやすいか、文化的な吸収が起きやすいような位置関係にあるかなどもあるが、大きい要素は宗教的な信念・儀式・経典の持つ凝集力の違いらしい。

エトニには、二つの類型が見て取れる。
・水平的共同体=貴族的。都市の裕福な商人層、聖職者、律法学者も含み、上層がゆるくつながっている。範囲もぼやっとしている。
・垂直的共同体=平民的。都市を基盤に、聖職者や商工業者、町の支配階層。ただし都市周辺の農村地域にも程度の差はあれ浸透している。つながりの力は強い。都市国家の同盟、辺境、部族連合などの分類が可能。

これが、ネイションの形成過程に見られる2類型に引き継がれ、歴史的に通過したり混ざったりしながら現代に至る。
・領域的ネイション=西欧的。明確な領域と、その範囲内にいる人に同一な権利と義務が割り当てられる。市民権と、国家が標準化する共通な文化という特徴も備えている。
・エスニックなネイション=東欧、アジアやアフリカ。共通の血統と起源をもつという想定、大衆の参加を基礎にする人民主義、習慣から形成する法と・方言から昇格した通用語、土着主義に依拠する。

近代を画するのは三つの革命だという。(1)封建制から資本主義への移行(2)軍事や行政における官僚制の登場(3)文化・教育・知識の世俗化と統一。
固有の土地と政治体を持つためのレースに多くのエトニが参加せざるを得なくなる。
そうしてできたネイションも、その継続のために、政治(未来志向)だけでなく、歴史(過去志向)をやはり必要としている。歴史は、考古学や文献学といった「科学」によってあらためて発見・解釈され、エトニが持っていた神話のように集団に固定される。このように近代的なネイションは前近代のエスニックな要素とつながっており、それを無視して「ナショナリズムは乗り越え可能」などというのは誤診のもとなのだ。

みたいな話だと読んだ。
師匠のゲルナーとは確かに対立している面もあるけれど、全体的には「ネイションやナショナリズムは近代の産物」という考えを一定受け入れつつ、歴史的な方向へ「拡張」するような議論かなという印象を受けました。
すべてのネイションが国家を持てるわけではないのが現実で、そのことに対する怨念をためないシステムとして、一つの国家の中でさまざまなネイションが保護され、ある程度の自立を認められるような連邦制に(遠い)希望を託す。と同時に、本が出た1986年から数年後には到来するナショナリスティックな混乱の時代を見通していたような気もします。

2013年12月21日

千葉関連カレー

カレー2題。

火曜日、初任地の千葉で久しぶりの仕事がありました。
稲毛駅前にあって、何度か通った「シバ」でひじきのドライカレーを食いました。
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たぶん8年ぶりくらい。変わらない味です。浄化される感じがする。
翌日、翌々日のトイレを楽しみにしていましたが、わりと穏当でした。
この日は久しぶりに頭を使ったら頭痛がしてきたので、22時台に就寝し10時間近く睡眠をとりました。

シバで定食食ってもよかったかな、と思っていたときに思い出したのが、新橋にある「梅の家」です。こちらは金曜の夕飯に。
千葉は富津竹岡の名物ラーメン店の関連店?ですが、お店を切り盛りしているのはネパールの方なのです。
当然のようにラーメンとカレーのメニューが平和的に共存しています。
前回ラーメンを食いながら「ここ、実はカレーがうまいのでは?」と思ったため、再訪しました。
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チキンカレーの定食はナンとごはんとサラダとラッシーまでついて780円!
生地を目の前で延ばし、釜で焼いて出してくれるミルクたっぷりのナンは甘みがあって好きです。
カレーも当然のように当たり。
おなかいっぱいです。満足度高い。

2013年12月15日

長野1泊

1泊で長野に行ってきました。
といっても帰省ではなく、18まで暮らし、今は実家もない北信。
おそらく10年ぶりくらいです。

大学受験のときは特急「あさま」で4時間くらいかけて東京に出ました。
在学中に新幹線「あさま」になって、当時は確か最速1時間40分だったと思う。
知らないうちにもっと止まる駅が少ないのができて、1時間20分くらいになってました。

■14日

長野駅前、バス停の屋根が鳩に占拠されている。
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街が自分の中のイメージより45%くらい小さい。
目が慣れるのに1時間くらいかかりました。

同行者と合流し、昼飯は駅近くの「みよ田」。
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ランチのセット、そば大盛りで1500円くらい、満腹になります。
ほんとうまい。東京なら軽く2000円以上取られると思う。
富士そばや小諸そばに毒されていたことを深く反省(食うけど)。

同行者に善光寺を見せて、湯田中に宿を取り、移動しました。
小学校高学年から高校までを過ごした地域を通り、意外と心が揺れる。
どれほど遠いところで今、生活しているかってことですかね。

湯田中は、長野駅を起点とする長野電鉄でだいたい1時間かかる終点の一つ(支線がいくつかあるため)、湯田中駅(山ノ内町)の近くにある温泉街です。
宿を取ったのが遅かったので、夕飯のついてないプランでした。
雪がこんこんと降る中、湯田中駅からすぐのところにある「ちゃんこ たまや」へ。
ちゃんこ、1890円。
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2人でおなかいっぱいになるくらいの量です。
350円で雑炊にしてもらえます。これも満足度高いです。野沢菜漬け付き。
あとは、焼き鳥470円を2人前。
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ししとうや葱のサイズから分かっていただけるのではないかと思いますが、BBQを思わせる大きさ。満腹。

コンビニで酒買って帰ってちょっと飲んで就寝。

■15日

青空が覗いてはいますが、ちらちらと雪の舞う典型的な長野の冬空。
宿の朝食も良。写真撮影忘れました。
チェックアウトしてから、湯田中の少し奥にある渋温泉を冷やかしていこうということになりました。
1200年の歴史があり、外湯めぐりが売りの鄙びた温泉街のはずが、
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なんとモンハンイベントやっている。
それっぽいお客さんも多く、湯田中より全然活気がありました。意外。
これはうまい企画かもなあ。弊管理人はモンハンやりませんが、そのうち滞在してみたい。

湯田中まで来たら、地獄谷で温泉に浸かってる猿を見て帰るべきだろうと思ったものの、雪の中を30分歩くと知った同行者が拒否。ぐぬぬぬ

仕方ないので近くの小布施町に出て茶でもすることにしました。
栗の町ですからね、桜井甘精堂でモンブランと紅茶。
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コンビニのモンブラン、うまいかもとか思っていたことを深く反省(食うけど)。

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卑猥な名前の最中も。

昼飯は長野駅近くまで戻って、カレーショップ山小屋。
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たぶん20年以上前から何度か足を運んでいたお店です。
子供のころおいしいと思って食べていたものが、大人になっていろいろおいしいものを食べてから戻ってくるとさほどでもないということはよくあります。でも、ここのカレーは今日食べてもおいしくてちょっとホッとしました。

14時過ぎの新幹線で東京に戻りました。
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結局食べ歩きになりました。
全部当たりだったからいいけど。

長野に帰ると呼吸が浅くなります。

* * *

結局、金曜の会社説明会ではぺらぺら喋ってしまいました。
2時間にわたって学生さんからの質問に答えて職場に戻ると、内臓がぎゅうぎゅう痛い。
このところの睡眠不足と、この日の朝食を抜いてしまったところに消耗が重なって死にそうになった。
とりあえず飯を食い、薬を飲んで、夕方すこし仮眠を取ったらだいぶ大丈夫になりました。
で、結局25時まで職場にいることになって再び疲弊するっていう。

2013年12月09日

つれづれ

神保町の岩波ホールで「ハンナ・アーレント」を観てきた。
正午ごろ、のそのそとチケットを買いに現地に行ったら、14:30からの回があと4人で売り切れるところだった。「開場は13:45ごろです」と告げられたので、その辺の本屋をぶらぶらする(1冊買ってしまった)。

13:45ごろホールに行くと、10階の階段踊り場から6階まで入場待ちの列ができていた。
なんか年齢層が高い。あと本読んでいそう。

内容は『イェルサレムのアイヒマン』のメイキングです、みたいな感じ。
ナチの役人に悪の凡庸さを発見することが当時どれくらい反発を招いたかという温度感は分かった。
悪の一翼を業務として担った(おそらく時代状況からして担わざるを得なかった)一つの歯車がなぜ責任を問われるのかについては、「思考停止したから」で終わってしまった。ちょっと食い足りない。
思考停止してるとかいって他人を詰りたい人たちの引用を待っている作品(と言った瞬間にその背後を取られるのだ)。

では、あの時代のあの社会に参入したとして、そして少なくとも良心は起動したとして、縛り首を回避するためにどんな手段が取れたろう。
多分抵抗は実を結ばない。
無能な人として隅っこに追いやられるのが一つの解ではないかな。
これは程度は違っても、無理筋なミッションを果たそうとするどの組織にも通用する気がする。

* * *

早くも目の血はだいたい引きました。
まだ引いてない部分はまぶたの下に隠れてます。

2013年12月04日

目血

3日、起きて鏡を見たら、左目が出血してた。
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ぎゃーって言って眼科へ。
結膜下出血というらしい。
「朝、鏡を見て、ぎゃーって言って眼科へ来る方、多いんです」と眼科医。
殴られたとか何かがぶつかったといった、明らかな原因があると眼球の異常が心配されるが、そうでなくて強くこすっちゃったとか、原因がよくわからないとかの場合は心配ないらしい。
消えるまで2週間くらい、しかも、別に薬があるわけでもないという。
テンション下がる。

* * *

4日は京都へ日帰り出張。
京都勤務の同僚に「なんかうまいもの」と意見を求めたら
「このあいだ食った親子丼」とここを紹介されました。
京大病院の近く、「京のつくね家」で親子丼1365円(!)。
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親子丼に山椒ってのは手だね。850円ならまた来たであろう(反実仮想)。
今度なか卯からテイクアウトしてやってみるか。

人づてに聞いてちょっと気になっていたフルーツサンドも攻めようっていうことで。
四条大宮、ヤオイソでフルーツサンドのセット、735円。
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完成された古き良きスイーツです。というか、見たままの味。
それよりミックスジュースがおいしかったよ!

けさ7時45分起きなのに、昨晩は2時半まで電話してしまい、さらに新幹線で来週末に就活始めたばかりの皆さんに対して嘘八百並べる(嘘)のに使うスライドを作っていたら頭がぼんやりした。

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