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2010年04月 アーカイブ

2010年04月29日

トンポーローと、

しばらく前に某○ンタロウさんの料理本を買ったのですが、にんにく、しょうが、こしょう、バター……ばかりでちょっとアレだったので、こんどはdancyuの本を買ってみました。ぱらぱらと見ただけですが、レシピの執筆陣はお店をやってるシェフだったり料理研究家だったりと多士済々で、簡単なわりに一工夫のあるお料理が多そうなのが好感です。

でまあ、今日は上記の本から時間のかかる料理でも選んでみるべかとトンポーロー。
豚バラを切って、焦げ目をつけて、紹興酒と日本酒と醤油、みりん、砂糖、八角で煮詰めるというもの。

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肉を焼いたあと水と生姜で茹でてるところ。
この冬あまり使わなかったお一人様用すき焼き鍋が活躍w

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調味料足して1時間ことこと煮て完成。
うまいわー
つまみ食いでけっこうなくなってしまいました。

デザートはいちご。買って食うのは何年かぶり。
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安いやつでいいんです。砂糖をちょっとまぶして、つぶして、牛乳かけて食べました。
これもうまーい

2010年04月18日

1週間もろもろ

前回の日記を書いてからしばらく、きちんとまとめて書くほどでもないことがあれこれ起きたり浮かんだりしていたので、まとめて。順不同に見えますがそうでもないです(笑)

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数年前、会社をやめた同期が法曹になったと聞きました。
新人研修以来会わないままだったものの、聞き及ぶ評判と9年前の印象を総合すると、まっすぐで正義感の強い彼だったので、新しい仕事のほうが適職だったのではないかと。
自分はしかし、法曹って向かなそうだなー。自営・手に職・定年なしというのは魅力ですが、性格的にはクライアントに是々非々で臨みたくて・しかしそういうわけにもいかなくて悶えそう。

数年前、会社をやめた先輩格が仕事先に再就職していて、仕事先でばったり→名刺交換。あれあれこんなところに。

札幌で一緒に仕事をした後輩が月末で会社をやめるそうです。医学部目指すのだとか。ううむそれはいい選択だ。けど時間かかるよね……あと君、奥さんと子供いるよね……

今走っているトラックから降りるという判断は、理路整然と詰めて行う種類の判断ではないのではと推測しています。えいやっと跳ぶ、そういう瞬間をもたらすものは、ほんとうにちょっとした後押しの力なのかもしれない。

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金曜、新宿三越アルコットに入っているジュンク堂をぶらぶら歩いていました。ここは本棚が高く、平積みの台が少ないため棚と棚の谷間の通路が狭く、一列に並んでいる棚の数が多い(通路の奥が深い)ところが多い。同じ新宿の紀伊国屋や東京駅前の丸善など他の多くの大規模書店と違って、本の森を歩いているような感覚を強くします。

森を歩いているとよく出会うのは幽霊ですよね(?)
そこに並んでいるのは読めたはずの本、勉強できたはずのテーマ、練習できたはずの技術、選べたはずの進路。何年、何十年と時間を過ごすなかで無数の選択をしてきているわけですけれども、そこで選択されなかった選択肢たちが幽霊となり、ちょっとしたこと―たとえば昔、一瞬気を引かれた本を書店の本棚に見かけること―をきっかけに顕現する。

時間を過ごすことをどうイメージするか、いま二つの仕方を思い浮かべています。時間を過ごすほどに世界が広がっていくというイメージ、もうひとつは時間を過ごすほどに自分の歩く道が狭まってくるというイメージ。後者のイメージで道ばたを埋め尽くしているのが幽霊なのですね。

幽霊を恐れる=後者のイメージで時間をとらえる人がえてして採ってしまうのが、できるだけ何者にもならないという方略なのかもしれません。おそらくそれで幽霊が見えなくなってくれることはないのですが―むしろ幽霊が見えなくなるのはさっさと何かに没入して前者のイメージに移行することではないか。

何かにお金を使って、得たものを愛好するのではなく、お金の可能性=「何でも買える性」を愛好する(裏返せば、何か買う物を選択することによって「ほかに買いえたもの」=幽霊が発生することを恐れる)人がどうも安心できない感じに見えることが多いのと似た印象を受けるのですが。

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アイロンかけなきゃいけないシャツがだいぶ溜まってきた。
というか今、部屋の中の至る所に衣服が散らばっておるぞ。

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あれはちょっとまずかったな、と思う仕事がひとつあって(ま、全然問題化したりしてはいないのですが)、週後半にまたずどーんと落ちていました。土曜出勤が終わった昨日夕方から全力で遊んで対処。最近のストレスマネージメントはputting asideがメインで、非常に距離のメタファがしっくりくるようなやり方で、ストレッサーを「遠くへ追いやる」感じになってます。

その一番手っ取り早い手段がなんと酒なのです。酒に頼って何かを解決しようという考え方は採らない人間だと自分のことを考えていたのですが、そうでもないね、どうやら。あるいは、そうでもないというよりは、自分の体質がゆっくり変わってきたのかもしれない。思い起こせば2007年ごろから、それまでの自分の傾向と対策がだんだん当てはまらなくなってきたような気もします。

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昼にナポリタンを作りましたがピーマンがまだ余っていたので、夜は挽肉を買ってきてピーマンの肉詰めにしました。うまかった。けど、ハンバーグに焼いたピーマンをのっけて食べるのと変わらないなこれは。

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私の中に「私A」と「私B」というものを持っていて、Aが喋ったり動いたりしているのをしばしばBが俯瞰視点からトレースしている、そんな自己認識を持っている人というのは少なからずいるのではないかと思います。

自分もそのくちであろうと長く思っていたのですが、最近ちょっとそのモデルから外れているのではないかと気づきはじめました。

A(実行役)をBが高いところから把握・監視している、というのを自意識の「縦置きモデル」とでも名付けるとすれば、自分の場合はA(実行役)を同じ地べたでBが後ろから追いかけ・しかし追いつかない・把握できていない「横置きモデル」とでもいえるようなもののような気がします。

Aの言動の傾向・癖・原則、そういうものをわりとBがよく分かっている縦置きモデルの場合は自分の一体感というか、自分というものの構成がよく信頼できる、ソリッドなものとして立ち上がるのではないかと思います。一方で横置きモデルの場合は、Aはかなりの頻度で予想外な言動をするのでBは常にAに関する理論の再編成をしなければならない。縦置きモデルにおけるBを透明性の比較的高い組織のマネージャーに喩えるなら、横置きモデルでのBは天変地異に対処する預言者のようなものでしょうか。

とても個人的な感覚なので他の人の理解が得られるかわかりませんが、本サイトに書かれているのはAの言動、その書き手はB、そんなイメージです。

しかし、AとBが分裂していることが分かるということはその二者を見渡すところにCが立っているわけですかな。と嫌な予感がしたところで、続く。

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土曜夜から酒におぼれて朝帰り、昼に起きて上記ナポリタンを食べてから、ふと思い立って国立西洋美術館に行ってきました。
かなりしばらくぶりです。下手したら仕事始めてから行ってないんじゃないか?

(1)今見ると絵画って歴史と宗教と哲学の織物であり、音楽や政治とも密接にくっついて時代という構造物を構成しているのですね。一枚の絵の中にものすごい情報が詰まっていてとても面白かったです。

(2)ちょうどボランティアの方が美術館ツアーをやっている時間帯で、それにくっついて説明を興味深く聞きながら館内を回っていました。さらにiPhoneやiPod touchのアプリで館内をガイドしてくれるシステムが始まっているようで、何人かが利用していました。欲しくなってきたぞ、iPod touch(32GBのやつ)。

(3)常設展420円て、安くね?

(4)えっ、常設展て写真撮っていいの?(と思ってカメラ取り出したらメモリーカード入れ忘れてますた)

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入浴剤、白元の「バスキング」と花王の「バブ」を試しましたが、バスキングは防虫剤メーカー謹製だけあってなんか殺傷力高い感じの香りがします(笑)。今夜はバブでハーブ風呂だな。るんるん

2010年04月10日

ハングリータイガー

部内で何も調整せずに仕事のため麹町に出たら、仕事先で先輩とバッティング!
まあ、いいのです。仕事に出なかったとしてもうちでゴロゴロして昼になるだけなので。
さくっと終わったあと、先輩とお昼を食べにいきました。連れていっていただいたのがこちら、

虎ノ門、ハングリータイガー。
なんか勇ましい名前ですがイタリアンです(横浜に同じ名前のハンバーグ屋がありますな)。
土曜昼下がりの店内、なぜかむさくるしい男性が多いところも何か通常と違うような。

オーダー、「ダニエル」(1000円)の中盛り(+100円)。
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ダニエルって何?と思われるでしょうが、カルボナーラふうのオリジナルのもよう。
ベーコン、タマネギ、きのこを具に、だまだまの卵、鼻腔を突き上げるニンニクの香り。「アルデンテ?はぁ?(逆ギレ)」的なきっぷのいい茹でおき・2mmを超えると思われる太麺がどっかんどっかん食道と胃袋で存在感を主張します。なんだこれは!
テーブルの大盛り粉チーズとタバスコ大瓶が男気を増します。後半はこれで自分なりにアレンジを加えながら食いきるわけですね。なぜかフォークだけでスプーンがないので、ズルズル音を立てながら食うことになります。

先輩によると、ここのお店にはおかみさんがいて、普通盛りを頼もうとすると「中盛りにしろ!」とボリュームアップを迫り、混んでいる時間帯に食後だべっている客には「うちは喫茶店じゃないんだよ!」と注意するドSぶりらしいのですが、幸か不幸か今回はご不在でした。いろいろ込みで依存性を感じさせるサラリーマンの街・裏通りのワンダーランドでございました。

2010年04月04日

THINKING 「O」

■「大澤真幸 THINKING 「O」創刊号」左右社、2010年。

昨年、大学を去った大澤真幸さんが雑誌をつくりました。
THINKING 「O(オー)」;考える真幸?なんつって

”現場”で活躍する人との対談録と、そこで考えたことをまとめた文章で構成するそうです。
一回目はペシャワール会の中村哲さん。

2002年に金子勝さんとやった『見たくない思想的現実を見る』(岩波書店)の仕事がとても面白かったんじゃないかな、なんて感じました。相対的に静かな文献やシステムではなく、感染力のあるプロみたいな人を相手に、自分の武器(理論)の切れ味を試すスリルが、そこにはあるのかもしれない。

意外にも、古い九州男児としての自分の素養を隠さずに(「国際人」ぶらずに)アフガニスタンの地元に入り込んだ中村さんが、地元の人たちだけではなしえなかった共同体のまとまりと水路作りを完遂しえたのはなぜか?という疑問に対し、キリスト教の三位一体説の解釈を武器に切り込んでいます。そうくるかー

次は「民主党を考える」だそうです。まじでー

2010年04月03日

取り急ぎ春を探しに

ふつう、というほど多数ではないが看過できない程度の数の人が、人生というものを、関門を次々とクリアするゲームのように生きて〈しまう〉種類の人なのではないかと思っています。

やりたいことがあるから試験をパスするのではなく、そこに試験があるからパスする。特定の人と継続的に一緒にいたいから交際をするのではなく、交際という関門をクリアするために誰かを好きになってみる。内発的な動機のように見えるのは、「これをしたい」ではなく「これをしたほうがいい」というドライブであり、その基準は外から(あるいは、自分の中に形成された他人から)与えられているのにすぎない。

からからに渇いた根っこではとても支えきれないがらんどうの自尊心を、関門クリアゲームの支柱でどうにか倒れないようにしている。だから常に無軌道に自分のポテンシャルを確かめようといろいろなことに手を出してみる。ただしその営みは同時に、ふっと姿を見せては消える不安の淵源でもある。そんなことは分かっている、知っている、しかし、やめられない。檻のない牢獄。

解放されるためにはどうするべきか?檻のない牢獄を脱して、檻に入ればいいわけだ。目的も手段も外から与えられる、しっかりと評価方法が作り込まれた制度の中へ。その窮屈さにぶつぶつ文句を言うことだって、檻が可能にしてくれるささいな贅沢だろう――檻のない牢獄の不安に比べたら。

閑話休題(笑)、

ちょっくら桜を見に、激混みの隅田公園にいってきました。
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春のうららの隅田川、と、その向こうで着々と建設が進むスカイツリーを見る人たち。数日前に「日本一高い建造物」になりましたね。3月29日現在で338mだって。
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まだこの倍まで伸びるのかー
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新東京タワーと、ソメイヨシノ。
2関門いっぺんにクリアです(←だめなひと)

2010年04月02日

聖書の読み方

■大貫隆『聖書の読み方』岩波新書、2010年。

聖書はいきなり通読しようとすると大変だよー挫折するよー
ということと、傾向と、対策、的な、ものが、説明されて、います。
キリスト教徒ではないが、いちおう聖書は読んどかねばなるまいと思っていて、いきなり通読しようとしていた私ですが、危なかった。そして、これで心構えができた気がします。

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