弊日記10周年
2005年9月に始めた弊日記が、まる10年続きました。
別に何も大変なことではなく、その前にも大学1年から9年にわたってホームページをやっていたし、それ以前も中学のときに日記を書く癖をつけさせられてから紙の日記を結構書いていました。それらももし機会があったら弊日記に再録しようと思っています。そして、たぶん今後も淡々と書き続けるはずです。
・弊管理人は記憶の捏造をよくやるので(これ自体、日記を見返していて気付いた)、こういう備忘録は重要です
・最初のころ、日記を見た人に「『死にたい』という叫びに満ちている」と評されてハァ?と思ったことがあります。でもまあ確かに元気はないな。そして地に足が着いてない。自意識が気持ち悪い
・10年ほど前までは、自分は同年代よりちょっと早熟かなくらいに思っていたのですが、この10年で自覚したのは、実は同年代より1周以上遅れているらしいということです。いま現在は、だいたいまともな大学3年生の水準まで来たかなって思っています
・初めてやることはほぼできず、練習すると急激に上手になるけど、伸びなくなるのも早いというのは相変わらずのようです
・それでも毎年、前年の自分には負けてないと思えるのがまだ救いです
・それは、物事を丁寧にやることが段々できるようになってきたことに支えられているように思います
・スパムコメントが嫌で大分前にコメント欄を閉鎖しましたが、まあこれで当面いいかなと思っています。ツイッターとかフェイスブックで友人や仕事先といった顔の見える人とつながってしまうと、そこではいろいろ気を遣ってものを書かないといけなくなり、かえって匿名&全世界公開(=誰が見てるとか関係ない)&コメントいりません、という弊日記のほうが自由に書けているためです
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10年でエントリーは950件を超えました。
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読んだものは300くらい。とにかく俯瞰したい、という思いでいろんな新書に助けてもらったのだけど、ここでは特にじっくり読んで面白かったものを:
・2013年、ナショナリズムが自分の中でブームになって読んだアンダーソンの『想像の共同体』は、なんでもっと早く手を付けなかったのかと悔やまれた。実は弊管理人が普段関心を持っていることとはそこまで関係ないのだけど、読み物としての面白さはピカイチ
・ドーキンスの『利己的な遺伝子』は2010年、ダーウィンの『種の起源』はそれより後の2012年に読んだ。『利己的な遺伝子』のほうが数段、読み物として引き込まれるので、この順番でよかったと思う。そして当然、両方読むべき。『種の起源』は時間を忘れて読む本ではないが、先見性にびびる
・スピノザの『神学・政治論』&『エチカ』はまだ消化できてない。けど何か忘れられない
・結局弊管理人が興味があるのは社会思想みたいなものらしい。そこから1冊ならルソーの『社会契約論』。教科書に書いてあるエッセンスだけ知っててもほんとはだめなんだぜっていうのに、もう15年早く気付けていたらと
・ヤングの『後期近代の眩暈』は排除の社会学っておもしれえと思ったきっかけ。その後の読書が続いてないんだけど。過食症の喩えは今でも時々使わせてもらってます
・入不二基義の『相対主義の極北』は弊管理人が(恥ずかしい)卒論を書きながら考えていた2つのことのうち1つを考えた本。そうそうこういうことが考えたかった、と思いながら読んだ。しかし、これくらい言語化が難しいことを1年そこそこで書くものの柱にしようと企てるべきではなかった
・2010年には「分け方」に興味を持って、それ関連で面白い本を探したことがある。センの『不平等の再検討』は2009年4月だから、それより少し早いが、すごく楽しく読んだ
・見田宗介/真木悠介は弊日記を始めるより前に、切実な思いで読んだ。それは家族にがんによる死が迫ってくるというきっついカウントダウンに直面するためのヒントを、『時間の比較社会学』に求めたことによる。その後は肩の力を抜いて玉手箱のような社会解読を楽しんだ。それで1冊を選ぶとすれば大澤真幸による解説つきの『まなざしの地獄』かなと
前にも書きましたが、信用のおけない1940~50年代生まれの日本人の書き手がだんだんメインから外れていって、60年代以降生まれの人たちが書く本を手に取るようになり、読んで(一応)分かるし面白いものに当たるようになったかなとの印象です。
なぜか本は食べ物と違って、紹介したりされたりしてもいいことがあった経験は少なく、結局自分で選んで自分で読むのが一番だなと思っています。
あと、そんなに冊数こなせないなら解説より古典を読んどけという、当たり前のことが漸く骨身にしみた10年でした。
中学・高校のころって全く本を読まない子どもだったのですが……不思議なもんです。
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食ったもののエントリは250強。
・ごく最近のだが、銀座・LAZYのリゾットは近年ないヒット。もちろんパングラタンもおいしかったけど
・札幌のカラバトカリーは忘れられない味。車がないとアクセスできないので引っ越してから行けてないですが
・同じく札幌・RHAPSODYのチョコケーキも思い出だが、もうないお店なのが残念。なんかどこかで食べられるとの情報もありますけど
・錦糸町にあったカレーのアキンボももうない。佐賀に移転してしまった。3.11から暫く、ずっと仕事が忙しくて支給の弁当ばかり食べていて、カレーがどうしても食べたくなり、近所で探して当たったのが出会いでした
・新宿・夏目坂の「天七」の天丼(上)は目が覚めた
・ラーメンはおいしいのがいっぱいあって絞れませんが、あえて一つなら新宿の風雲児かな
・IVOのパスタもやっぱり好きです
グルメではないのでうるさいことは言いません。というか、友達と鳥貴族で駄弁ったりするのでも十分楽しいし、何より誰かから教わったり、たまたま入ってみたりして見つけたおいしいお店を、また誰かに教えて「うまいでしょ?」と言うのが一番の楽しみだったりします。つまり弊管理人にとっては食べ物はほとんど専らコミュニケーションのためのツールです。多分、自分一人なら、おおかた何食ってもそんなに喜びも悲しみもしないんだと思います。