メイン

弊サイトについて アーカイブ

2025年10月01日

20年たちました

2005年10月にこの日記を始めて、20年がたちました。ほんとは9月からちょっと書き始めてますが、ソフト・オープンのつもりだったので、10月が正式な開始と考えています。

「すべりどめblog」という変な名前について、そういえば今まで説明したことがなかったので、前史から書いておきます。

通っていた国立大附属中学の担任がやたら文章を書かせる人で、日記の提出が毎日の課題でありました。
これで変に癖がついてしまい、高校でもノートに日記を書き続けました。多くは学校や模試の成績、むかついたこととかの日常、あとイラストを付けたり。

大学に入って(1996)インターネットに初めて触れて、ウェブサイトを作る授業なんかを受けているうちにオンラインで日記を公開するようになりました。一部は弊日記の最古層に再掲しています。大学のサーバ、続いて契約していたプロバイダのサーバへ引っ越しながら卒業まで。
就活で今の会社に面接に行ったとき「へー、ホームページやってんの?」とちょっと食いつかれたことを覚えています。後から知ったことですが、当時社長がネットにはまっていたらしく、社報に「社長のホームページ」というコラムを持っていた。やっとwwwがおじさん界に知られ始めたころで、仕事での活用はまだまだです。今なら「へー、生成AIでコード書いてるの?」くらいか。

閑話休題、働き始めてからも場所を移してやっていたウェブ日記が弊日記の直接の前身です。

まず、既存のウェブサービスを使うと突然終了することがあるので、できるだけ安いサーバーを借りようとした。それで契約するときにドメイン名を付けないといけないことが分かり、前身日記のタイトルがswingby(宇宙機が天体の重力を使って軌道や速度を調節すること。「他人の力を借りて自分の方向を転換する」くらいの意味を込めていた気がする)だったことから、安直にそれの「B面」という意味で「sbb」にした。flop.jpというのはサーバー側が勝手に割り当てたものです。

しかし日記に名前をつける段になって、B面というのもちょっとあれだし、sbbというドメイン名はつけちゃったので、それに合うタイトルはないか……と考え始めたものの、結局はすぐに面倒になって「SuBeridome Blogとか?」なんていって適当に決めました。

昔はサブタイトルもあり、「記憶がすべり落ちる前に」とかなんとかしていたはず。要は備忘録だという意味ですが、これも当然タイトルから無理矢理ひねっただけです。

背景の画像は知床半島・ウトロの町です。海へ滑り落ちていくような地形かなとか、そんなあれ。これは始めてから数年たって追加したものです。始めたときはまだ北海道との縁がなかったので。

始めたときが28歳。いま48歳。よもや2025年が来るとは思わなかった。
弊日記は既に分厚いライフログ=備忘録になり、体の具合が悪くなると「前は何日間でどういう経過をたどったっけ」と調べ、友達に旅先やご飯屋を勧めようとすると「あれなんだっけ」と辿る。つれづれに、2000年代後半の変に自意識強そうな文章、2010年代半ばの、なんでこんな塞いでるんだろうと思うような文章を見返すことがある。まさにアウトソーシングされた脳です。第一には自分のために書いてるけど、少数の知り合いがヲチしていて近況報告にもなっているようです。

弊日記からは弊管理人の生活の50%くらいを占める重要な側面をほぼ省いてあります。あとは30%くらいを占める仕事のことも具体的には極力書かないようにしています(時々破る程度のゆるいルール)。その意味でも本当に事務的な備忘録・兼・近況報告。人が見て面白いかどうかは知らないが、自分にとっては役立ちます。いろんなところに記憶の釣り針が仕掛けてあって、そこにさしかかると「書いてない側面」のほうの記憶が海中から引き上げられるので。

先日、サーバの契約をもう3年延長しました。3年で4000円ちょっとだっけ。安い。引き続き書くと思います。では、子どももおらず、何を受け渡す相手もおらず、自分のためだけに生きている弊管理人は、死期が分かったとしても書くのかどうか。そこはこれからのこととして関心のあるポイントです。

2015年10月01日

弊日記10周年

2005年9月に始めた弊日記が、まる10年続きました。
別に何も大変なことではなく、その前にも大学1年から9年にわたってホームページをやっていたし、それ以前も中学のときに日記を書く癖をつけさせられてから紙の日記を結構書いていました。それらももし機会があったら弊日記に再録しようと思っています。そして、たぶん今後も淡々と書き続けるはずです。

・弊管理人は記憶の捏造をよくやるので(これ自体、日記を見返していて気付いた)、こういう備忘録は重要です
・最初のころ、日記を見た人に「『死にたい』という叫びに満ちている」と評されてハァ?と思ったことがあります。でもまあ確かに元気はないな。そして地に足が着いてない。自意識が気持ち悪い
・10年ほど前までは、自分は同年代よりちょっと早熟かなくらいに思っていたのですが、この10年で自覚したのは、実は同年代より1周以上遅れているらしいということです。いま現在は、だいたいまともな大学3年生の水準まで来たかなって思っています
・初めてやることはほぼできず、練習すると急激に上手になるけど、伸びなくなるのも早いというのは相変わらずのようです
・それでも毎年、前年の自分には負けてないと思えるのがまだ救いです
・それは、物事を丁寧にやることが段々できるようになってきたことに支えられているように思います
・スパムコメントが嫌で大分前にコメント欄を閉鎖しましたが、まあこれで当面いいかなと思っています。ツイッターとかフェイスブックで友人や仕事先といった顔の見える人とつながってしまうと、そこではいろいろ気を遣ってものを書かないといけなくなり、かえって匿名&全世界公開(=誰が見てるとか関係ない)&コメントいりません、という弊日記のほうが自由に書けているためです

* * *

10年でエントリーは950件を超えました。

* * *

読んだものは300くらい。とにかく俯瞰したい、という思いでいろんな新書に助けてもらったのだけど、ここでは特にじっくり読んで面白かったものを:

・2013年、ナショナリズムが自分の中でブームになって読んだアンダーソンの『想像の共同体』は、なんでもっと早く手を付けなかったのかと悔やまれた。実は弊管理人が普段関心を持っていることとはそこまで関係ないのだけど、読み物としての面白さはピカイチ

・ドーキンスの『利己的な遺伝子』は2010年、ダーウィンの『種の起源』はそれより後の2012年に読んだ。『利己的な遺伝子』のほうが数段、読み物として引き込まれるので、この順番でよかったと思う。そして当然、両方読むべき。『種の起源』は時間を忘れて読む本ではないが、先見性にびびる

・スピノザの『神学・政治論』&『エチカ』はまだ消化できてない。けど何か忘れられない

・結局弊管理人が興味があるのは社会思想みたいなものらしい。そこから1冊ならルソーの『社会契約論』。教科書に書いてあるエッセンスだけ知っててもほんとはだめなんだぜっていうのに、もう15年早く気付けていたらと

・ヤングの『後期近代の眩暈』は排除の社会学っておもしれえと思ったきっかけ。その後の読書が続いてないんだけど。過食症の喩えは今でも時々使わせてもらってます

・入不二基義の『相対主義の極北』は弊管理人が(恥ずかしい)卒論を書きながら考えていた2つのことのうち1つを考えた本。そうそうこういうことが考えたかった、と思いながら読んだ。しかし、これくらい言語化が難しいことを1年そこそこで書くものの柱にしようと企てるべきではなかった

2010年には「分け方」に興味を持って、それ関連で面白い本を探したことがある。センの『不平等の再検討』は2009年4月だから、それより少し早いが、すごく楽しく読んだ

・見田宗介/真木悠介は弊日記を始めるより前に、切実な思いで読んだ。それは家族にがんによる死が迫ってくるというきっついカウントダウンに直面するためのヒントを、『時間の比較社会学』に求めたことによる。その後は肩の力を抜いて玉手箱のような社会解読を楽しんだ。それで1冊を選ぶとすれば大澤真幸による解説つきの『まなざしの地獄』かなと

前にも書きましたが、信用のおけない1940~50年代生まれの日本人の書き手がだんだんメインから外れていって、60年代以降生まれの人たちが書く本を手に取るようになり、読んで(一応)分かるし面白いものに当たるようになったかなとの印象です。
なぜか本は食べ物と違って、紹介したりされたりしてもいいことがあった経験は少なく、結局自分で選んで自分で読むのが一番だなと思っています。
あと、そんなに冊数こなせないなら解説より古典を読んどけという、当たり前のことが漸く骨身にしみた10年でした。
中学・高校のころって全く本を読まない子どもだったのですが……不思議なもんです。

* * *

食ったもののエントリは250強。

・ごく最近のだが、銀座・LAZYのリゾットは近年ないヒット。もちろんパングラタンもおいしかったけど

・札幌のカラバトカリーは忘れられない味。車がないとアクセスできないので引っ越してから行けてないですが

・同じく札幌・RHAPSODYのチョコケーキも思い出だが、もうないお店なのが残念。なんかどこかで食べられるとの情報もありますけど

・錦糸町にあったカレーのアキンボももうない。佐賀に移転してしまった。3.11から暫く、ずっと仕事が忙しくて支給の弁当ばかり食べていて、カレーがどうしても食べたくなり、近所で探して当たったのが出会いでした

・新宿・夏目坂の「天七」の天丼(上)は目が覚めた

・ラーメンはおいしいのがいっぱいあって絞れませんが、あえて一つなら新宿の風雲児かな

・IVOのパスタもやっぱり好きです

グルメではないのでうるさいことは言いません。というか、友達と鳥貴族で駄弁ったりするのでも十分楽しいし、何より誰かから教わったり、たまたま入ってみたりして見つけたおいしいお店を、また誰かに教えて「うまいでしょ?」と言うのが一番の楽しみだったりします。つまり弊管理人にとっては食べ物はほとんど専らコミュニケーションのためのツールです。多分、自分一人なら、おおかた何食ってもそんなに喜びも悲しみもしないんだと思います。

2013年08月18日

幅を広くしました

弊日記を始めた2005年に比べるとディスプレイの画素数が大きくなってきているので、エントリーの表示されるコラムの横幅を480→640ピクセルに広げ、さらにエントリーの文字を12ポイントから14ポイントに大きくしてみました。
これまでと変わらないと感じられた方は、1度リロードしてみて下さい。

文字は大きくなったものの、1行当たりの文字数は前より少し増えました。
あまり読みにくくならないよう、レイアウトなどで対応したいと思います。
ていうか、文字ばっかのエントリーはそもそも弊管理人以外読んでないですよね?

大きな画像(↓横幅最大これくらい。ちなみに先週本家に帰ったときの伯母の手料理ですが本文とは関係ありません)を貼ることもあろうかと思います。
130818test.jpg

もろもろ慣れていただけましたら幸いです。
今後ともよろしくお願いします。

2005年10月02日

書いてる人より

■書いてる人のこと

1977年生まれ。男。文系学士。会社勤め。未婚。
なりたいものはよき生活者。
視点は高めに(もちたい)、腰は低めに(したい)。

■このサイトについて

考えたこと、食べたもの、行ったところ、などについての記録です。
その意図するところは3つ。
(1)備忘録―これはblogタイトルのとおりです。去年の今頃、何をしていたか。あの本の面白いところはどこだったか。豚丼のタレはどうやって作るのだったか。などを適宜思い出すために、思い出させられるために。
(2)淡々とした記述の集積によって、自分というものの総体(傾向)をじょじょに浮かび上がらせること。
(3)生きているなかで起きることを報告する先としての、そしてそこからこちらを見返す、そしてそれがあるために自分が生きていけるところの、他者としてのblog。

エントリーあたりの文字量は、通常は1画面(≒高さ768ピクセル)程度に収めようと思ってます。そのあたりが読む気になる限界かなと思いますので。

*作成時間が「23:59」になっているのは、その日のことを後日書いたことを示しています。

(一部改変:2005.10.27, 2006.1.15, 2006.11.5, 2007.2.25, 2008.2.1, 2008.3.30, 2008.10.19, 2009.5.2, 2010.1.12)

About 弊サイトについて

ブログ「すべりどめblog」のカテゴリ「弊サイトについて」に投稿されたすべてのエントリーのアーカイブのページです。新しいものから過去のものへ順番に並んでいます。

前のカテゴリは出掛けたところです。

次のカテゴリは昔書いたものです。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35