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2025年05月 アーカイブ

2025年05月26日

本郷

東京建築祭2025。本郷にある元旅館、鳳明館が開放されていたので見てきました。以下は館内展示や口頭での説明によります。

・本郷には明治10年代(1870年代後半)ごろから、東大など高等教育機関の設置に伴って下宿街が形成された。賄い付きの下宿が旅館を兼ねることあった
・昭和初期にかけては日清戦争や東京大正博覧会の景気もあって東京最大の下宿街に成長した。明治25年(1892年)時点で約500軒
・発展の原動力は地縁・血縁による共助だった。鳳明館を含め、創業者の半数以上が岐阜県出身者。西美濃の輪中地帯で水害対策のため相互扶助が不可欠だったとかなんとか
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・本郷が旅館街になったのは昭和初期(1920年代後半)以降。最盛期は昭和3年(1928年)で約120軒
・戦後は戦没者遺族の集団靖国神社参り、農協の陳情、修学旅行などで需要があった
・昭和20~30年代の修学旅行の宿泊代は300~350円+米5合、または全額を米で支払い、ロビーや廊下には米袋が積まれていたそう。最盛期は本館234畳に300人が泊まった。「お座敷さん」は1人で8膳を重ねて運んでいた
・コロナ禍前はインバウンド需要もあった
・現在残る建物は鳳明館3館を含め4館。東京全体でも伝統的旅館は10館に満たない
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・鳳明館は下宿「鳳鳴館」として明治31年(1898年)開業、その後に下宿・旅館の鳳明館になって、昭和25年(1950年)から旅館専業。1950年代には台町別館(住宅を旅館に転用)、森川別館(本多家の江戸屋敷だった場所)もできた
・大正12年(1923年)の関東大震災では東大が図書館や法学部の講義室が全焼する中、鳳明館は被害なし。昭和20年(1945年)の東京大空襲では徒歩5分の菊富士ホテルや周辺のお寺などが焼失したが、やはり被災しなかった
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・コロナ禍で旧持ち主が従業員を解雇しマンションにする、という意向を示したが、地元の建設会社が大手ディベロッパーを斥けて落札。今はイベントスペースや日帰り利用の施設として営業しているとのことです
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・ちなみに今この地区では旅館の営業が規制されており(条例かな?聞き忘れた)、規制前から営業していたところだけが続られる状態だった。現所有者は単なる建物の購入ではなく「事業承継」という形をとったそう
・「このあたりにあった旅館はどれもなくなって、今マンションだらけでしょ?旅館は営業しないといけないけど、マンションは不労所得が入ってくるから」。なんかいろいろあったな?という話しぶりでした
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関係ないが、疫学をやってる先生が「文京区ってめんどくさい住民が多いから、調査がやりにくいんですよ」と言っていたのを思い出した。
後楽園の駅から北東に歩いたあたりです。弊管理人は学生時代、本郷に縁がなく、この本郷5丁目という地区も初めて来たはず。確かに東大正門まで徒歩でわりとすぐでした。
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東大は五月祭をやってた。すっごい人。こんなに人くるイベントだっけ?
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でキャンパスを通り抜けて上野公園まで歩いて陶器市を冷やかしました。しばらく前から茶碗にひびが入ってるのが気になっていたので1個買いたかったんだけど、会計の列が長かったのでやめた。買っておけばよかった。
鶯谷の「岳陽」でメシ食って帰りました。がくよう丼800円。やす、うま。
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土日はちょいちょい仕事。
しかし土曜は上記のとおり時間を盗んで遊び、日曜は弊管理人48歳と近所の50歳、51歳と昼飯食って「必殺技ほしいよね」と語りあうなどしたので一応休んだつもりにはなっておきます。
ずっと曇りか雨で涼しかったです。

2025年05月20日

ごがつ中旬記録

・船便の到着に伴い二つになってしまったデスクチェアのうち、古いほうにお別れ。あと、トランクルームに置いてる間に壊れたCDコンポもさようなら。8年近く使っているデスクトップPCのDVDドライブも、気付くとディスクを読まなくなっていた。PCはすぐ捨てるわけではないが、光学ドライブって弱い装置なんだろうか

・週末は一人も知り合いのいないBBQに参加。出力を上げて喋って焼いて疲れたので馴染みのバーで飲んで回復した

・湿度が上がってきた。エアコン除湿運転開始。掛け布団をやめて毛布一枚で就寝。こういう「環境への適応」をしていると、そうそう昔はこうしてた、と「身体によって思い出させられる」経験がまだ続いています

・ついでに睡眠時間短縮中。これは夏のならい

・このところ年齢を聞かれて言うと驚かれることが続いており、まあ若干エイジズム的なリップサービスくらいだろうと思いつつ気の利いた反応も編み出していない。面倒なので勝手に年齢が上がるのやめてほしい、と無理を言う
・それに加えて、アラフィフが1K暮らしでソファもダイニングテーブルも持っていないというと驚かれることも増えた。若者に「ミニマリストなんですか」と聞かれたがそうなのかもしれない。もう一人なら寝られる寝具と食べ物の備蓄はあるが、それでもミニマリストというならそう。引っ越し10数回という試行錯誤の末にこうなっているので変えるつもりもないけどな。というか、部屋にものが多い人は、家具というよりどっかで買った土産とか使わないもらいものや電化製品などのガラクタが多いだけなのではないか

・会社の一部若手ちゃんたちが日がなPCとにらめっこして、何もアウトプットせず帰っていくのを見て「この人は何しに会社にきてるのだ?」と思い、データベースを叩いてみて「やっぱり3カ月見渡しても大したアウトプットしてない」と得心するというサイクルが一巡した。ということで弊管理人も平日休みの友達とランチして職場に寄って早め退社を励行する。斜陽産業に蔓延する質の悪い労働力(+_+)

* * *

◆佐々木史郎、北原モコットゥナシ『最新アイヌ学がわかる』エイアンドエフ、2024年。

ウポポイのフォローアップ。学際研究だということがよくわかった。札幌在住時からこれまで見たものがかなり整理された。
「アイヌは無文字社会であるという語りがしばしば見られる。しかしそれは近代以前までの姿である。」(p.121)こういうつっこみ大切。
ちなみに校閲が甘くて細かなストレスがある。

2025年05月13日

荷物48

1月30日に荷出しした船便が10日の土曜に届きました。3カ月とちょっと、結構かかったが事前にヤマトから知らされていた期間の範囲内で、かつわりと早いほうでした。既に生活はできており、一体どれだけの服や台所用品をはるばるアメリカから送る必要があったのかについては大いに疑問です。荷物は11個口だったが絞りに絞れば5~6個でいけたな。
大阪時代まで使ってたデスクチェアを捨てて、届いたハーマンミラーのほうを使い続けることにしました。ものすごい違いがあるかというとよくわからないが。

雨もようだったこともあり、荷解きとゴミ出しで午前を消費した。

誕生日だったので近所のケーキ屋でモンブラン買って食いました。
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下部がなぜか一度溶けて固まった感じ。いつ作ったのだろう。まあ味はちゃんとしていた。

干支が4周し、誕生日が10日違いでキリの良い数字のためいつも思い出してメッセージしてくる中学の同級生と「48ってやばくね」って話をしました。確かにこの数字は結構来るものがある。まあ相応に古びているが、帰国してこっちジムが家から至近なため結構運動していて、体力は落ちた感じがしないんですよね。アメリカと比べて東京暮らしは格段に歩くので、脾肉を嘆ずるほどでもなくなった。あとは、残された元気な期間がいくばくもない気がしているのか、カレンダーにイベントを入れ続けていて結構忙しいです。

今週も昼過ぎから宵の口まで仕事となり、しかし先週と違ってストレスなくぽいぽい作業をこなして飲酒に行きました。夕飯軽めだったため、深夜の帰りぎわにファミマで唐揚げを買って食うという無軌道。まあ誕生日だから許して。

伯母、叔母、上記同級生からたんおめメッセージをもらいました。
友人からはスタバのコーヒー2杯分くらいのLINEクーポン、飲み屋ではテキーラのショットをもらいました。

2025年05月07日

連休後半

実家に帰って父・妹と知多半島に1泊で出掛けました。2日は雨でしたが夕方から晴れ、3日は快晴。

南知多にある豊浜魚ひろば。
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いくつかの鮮魚店が入ってる施設です。で安い。半島の反対側にもう一つ有名な市場があるが、地元通によるとそちらはちょっと高く、干物が機械干し。こちらは天日干しで作っているとのことでこちらが推されていました。

ホテル小野浦。いつ、どういうきっかけで弊管理人の行くべきところリストに入ったのか覚えてませんが。
結構年季の入ったホテルではあるものの、部屋!いいやん
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夕飯もヒラメの薄造り、メバルの煮付け、あわび、知多牛、エビフライなど地のものが出てきてどれもおいしかった。何より温かいものが温かい状態で出てくるのがよい。穴子の炊き込みご飯をひつまぶし風に出汁をかけて食べてフィニッシュ。老人もいるので一番安いプランにしましたが、それでも完全に満腹。
朝もおかず過剰+お櫃ごはんで食べ過ぎの危険。
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温泉はヨードの緑色で熱すぎず快適でした。
貸し切り予約制(無料)の外風呂は温泉ではありませんが、解放感すごい。
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普段あまりホテルの感想を述べない父が「わりとよかった」と言っていたのでここはよかったんだと思います。

知多半島で目当ての一つだったINAXライブミュージアム。渡米前、ずっと閉館して直していて行けてなかったところです。
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ちょっと期待しすぎたか。きれいだが「ほほう」くらいでした。
常滑の焼き物散歩道を歩きたかったけど、快晴の連休後半初日だったせいか駐車場に入れず断念。カレーうどん食って帰りました。

母方実家も定点観測。104歳の祖母はデイケアで不在。
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「頑張ってご飯作らなくていいから」と言っていたのですが伯母の料理は相変わらず健在。今回は中華でまとめたとのこと。
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和菓子屋のいとこも来て近況アップデート。
ご当地チェーンのスーパー、ツルヤで買い出しして戻ります。
南アルプスはだいたいいつも通り。
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しかし実家、2003年に亡くなった祖父の名義のままらしい。相続とかの問題がやや迫っており、心の準備は必要そう。親族間でもめるという意味ではなく、手続きが面倒そうという意味。

新宿に帰るバスは途中まですいすいだったが、事故渋滞で1時間遅れた。
父が持たせてくれたが食べきれなかったおにぎりは出勤日の5日に職場で消費。
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6日は連れ立って国立新美術館の「リビング・モダニティ」展を見に行きました。
午前中で、しかも雨天の連休最終日だったせいか、地下鉄も美術館もそこそこ空いていて快適でした。展示も結構よかったです。連れは建築学科卒で、展示されてる図面を細かく見て「すご~」と言ったりしており、ちゃんと勉強した人は見方が違うなと思いました。そして弊管理人も一度ちゃんと勉強したほうがいいなと(何度目か知らないが)思いました。

昼飯はたまたま帰りに通りかかったPARIYA。
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デリのセットで2000円はちょっとなと思ったものの、食べてみると弊管理人の自炊に絶対出現しない味。フルーツのサラダはこの後への期待を高める絶妙のイントロダクション。干豆腐とセロリも意外だが爽やか。豚と納豆って普通合わせないでしょ!(賛辞)、トマトと生姜のスープは珍しく食ってる合間合間に飲みたくなるスープ。味、量とも大変満足しました。

この時間帯から職場とやりとりが始まり、まあ実はこの案件はするっと通らないだろうなと覚悟はしていたのですが、連れと別れて帰宅してPCの電源投入。
現業の担当者には昨日の段階から「たぶん昼過ぎから夜まで連絡いくのでよろしく」と言ってあり、最も作業が混むタイミングで「ちょっとスタンバイしてて」とチャットで投げたのに、それに既読を付けた上で事情も言わずに1時間余り音信不通になりやがった。その間にミスも発覚したがなお連絡つかず。お前なんなん?(怒)
結局弊管理人が「これ現業の役割だろ」みたいなこともやり、職場で出番の兄に迷惑もかけつつ、結局21時半ごろに収束しました。

ジムで発散して、ちょうど涼しい夜だったので湯船に浸かってスヤァ

* * *

◆ミシェル・フーコー(小林康夫他編)『フーコー・コレクション フーコー・ガイドブック』筑摩書房、2006年。

フーコーの入門書は相変わらず出続けているが、今まで出会ったものはどれも「わたしのフーコー」で何かちょっと全体像を見た感じがせず、で、どれから読んだらいいの?(+やっぱ頑張って読んだほうがいいの?)という当惑は解消されないままアラフィフを迎えてしまった。

講義録ならとっつきやすいか?と随分前に出ていて存在は知っていたこのコレクションに目を向け、そしてやや道を間違えてガイドブック巻に辿り着くという。

この本は(1)駒場フランス現代思想系の人たちによる主要著作の解説と(2)1970-1982年にコレージュ・ド・フランスで行った講義のまとめ報告、そして(3)長く連れ添った社会学者が書いた年譜、で構成されています。

(1)解説は解説に徹していて、簡潔で掴みやすい。(2)の活動報告は年を追うごとにフーコーが何に関心を持ち、それがどう移り変わっていったかを本人の言葉で辿れてとても面白かった。予想外だったのが(3)で、一見オマケのようなので飛ばしてしまいそうになったが、生まれてから死ぬまでのエピソードを近くでずっと見てきた人ならではの細かさで駆け抜けており、ものすごく面白い伝記だった。面白かったというのは(1)(2)にも通じるが、権力や管理のように身体に内外からねっとりと絡む不可視の力を掴み出すという狙い、歴史という方法の一貫性を保ちつつ、一方で「臨床医学」「監獄」「戦争」「人口」「告白」「自己陶冶」と移り変わるテーマ(や、「エピステーメー」など特定の用語をある時から使わなくなる様子)を順番に見られて見取り図が得られるところ。そして(3)はフーコーが生きた時代、誰と交流し、どういう社会問題に直面したのかという、「書いたこと」を取り巻く環境まで見えるところが特に新鮮だった。

フーコーが死んだのは弊管理人が小学校に上がった年だったので、実物を見る機会どころか同時代のマスメディアを通じて評判に触れる機会もなく、「わかる」という感じがない。この点、留学先のニュージーランドで講演を聞いたデリダや、大学の授業中に教授が「亡くなったそうで」と言って教室がざわついたルーマンと多少違って「気がついたら仕事をし終えていた人」である。後から「この人なにした人?」を知るには、もう十分勉強した人から「わたしのフーコー」を披瀝されるより、こういう編年体の本がええな、と思ったのだった。「 」とか〈 〉を使いすぎだが。

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