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2024年07月 アーカイブ

2024年07月24日

タイムトラベルNYC(2)

メトロポリタン美術館。博物館みたいな美術館。
あまり大きな声では言えないが、仕事上の役得により、いくつかの美術館・博物館は無料で入れるのです。普通に入ると$30くらいするんですが、いつか仕事の何かでお返しするということで。

大貫妙子の「メトロポリタン美術館」がずっと脳内をぐるぐるする世代です。
エジプトではファラオ眠る。石の布団にくるまって。
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めっちゃ目あけて寝てますが、かわいいよね。普通にイケメンだと思う。
とにかく物量がすごい。
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すごいんだけど、エジプトとヨーロッパがすごいのに比べて、インド、中東はそうでもなかった。距離感だろうか。
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アメリカになると、とたんに家具屋になってしまう。
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ただ、ティファニーがいいのは分かった。
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しかし家具とてヨーロッパに比べるとね。
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とにかくでかい。6時間かけて7.5km歩いたけど見終わらなかった。
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日本の展示室は閉鎖中でした。一方、中国は充実してました。国力……
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とにかく見応えあることは分かった。タイムトラベルは、楽し。
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投宿して、アイリッシュパブで魚食ってビール飲んで、ついでにピザ買い食いして寝ました。

翌日は朝から健康診断。なんか知らないけどすごいデブになって、骨密度が落ちているということが分かった。血液検査は後日ですが、たぶん高脂血症だと思う。要は運動不足。動かなすぎ。
終了後、国連勤務の知り合いとそば屋に行ってかつ丼食いました。
卵とじのかつ丼はひょっとしたら渡米以来かもしれない。西友のお総菜みたいな味でしたが前菜と合わせて$30。
食べ終わってからGround Centralというコーヒー屋(挽いたコーヒー豆groundと、近くのターミナル駅グランド・セントラルをかけていると思われる)でお茶しました。コーヒーおいしかった。
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すごい駄弁ってたらMoMAいく時間なくなってきましたが、一応行きました。こちらもタダ。
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世紀転換期くらいからの作品が並べてありましたが、モダンアートいうても結局みんな写真とってるのはウォーホルであり、バスキアであり、デュシャンであり、オノヨーコだピカソだとかいっていて結局有名どころかと。ル・コルビュジエの絵があっておやっと思ったが。でコンテンポラリーはメディアアートとか紐やぬいぐるみのインスタレーションなんかあまり刺さらず、リュックを預けてたクロークから「そろそろ閉まるで」とせかすメッセージがきたのであわてて回収してTシャツと図録買って退散しました。
雨が降ったり止んだりで蒸し暑いNYCともおさらば。
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やはり遅れるアムトラックに乗って3時間で帰ってきました。やはりDCのほうが落ち着く。

* * *

中途半端なタイミングですが、これが弊日記1500個目のエントリーでした。
来年10月は弊日記20周年。20年……うぉぉ……

タイムトラベルNYC(1)

夏休み前半を兼ねて、日曜~火曜でニューヨークに最後の健康診断に行ってきました。ニューヨークも最後な気はするがまだ分からない。
すっごい暑さが一服して比較的歩き回りやすい気候でしたが、日差しは強かったです。日焼け止めを塗って歩いてましたがそこそこ黒くなりました。
建築系は去年結構回ったので、今年は博物館とか美術館とかを冷やかそうと思います。

まずストーンウォール・イン。1969年6月28日、警察のガサ入れを機に始まった性的マイノリティの抗議活動「ストーンウォールの反乱」の震源地。この運動は全米、世界に波及した。
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隣接するビジターセンターでもらったパンフによると、建物は1800年代半ばの建築。1934年から火災で内部が焼損する1964年まで、Bonnie's Stonewall Innというバー・レストランが営業していた。

店は1967年にオープン。当時ニューヨーク州の規制によってゲイへの酒類提供が禁止されており、それをかいくぐる形で「踊れるゲイクラブ」として運営した。現在のファサードはほぼ当時のままとのこと。入場料は平日$1、週末$3。記名して入ることになっていた。

中はバーとダンスフロアがあり、壁は火災の跡を隠すため黒く塗られていた。通りに面した窓は黒く塗られ、ベニヤ板が張り付けてあった。バーには水道がなく、非常口もなかった。

客は主に若いゲイで、レズビアンは少数だった。服装はドラァグ、ビジネス、ジーンズといろいろ。

当時は酒類提供規制を口実にゲイバーやクラブに対する警察の手入れが頻繁に行われており、経営者や客が見せしめ的に逮捕されていた。経営者は警察やマフィア、規制当局に賄賂を渡して事前情報をもらい、手入れを察知すると中を明るくして客に注意を促していた。

ストーンウォール反乱の最初のきっかけが、誰かがものを投げたことなのか、誰かが誰かを殴ったのか、何だったかに関しては証言が一致していない。結局、反乱は6夜続いた。最も激しい抗議があったのは最初と最後の夜だった。最初の夜は500-600人、次の夜は2000人が参加したとの証言がある。最終日は500~1000人とのこと。3日目、4日目は比較的静穏だった。逮捕者は最初の夜が13人、2夜目が3人、6夜目が5人。死者はなかった(ただし、群衆が取り囲んだタクシーの運転手がその夜に心臓発作で死亡したとのこと)。

バーはその後閉店し、ベーグル店や中華料理屋などになった。1987-1989年には「ストーンウォール」というバーが営業、その閉店とともにもとあった縦長の看板が取り外された。ストーンウォール・インの内装は残っていない。

1990年に新しくバーが入り、翌年にストーンウォールと改名した。現在の経営者は2006年にバーを取得し、それ以降「ストーンウォール・イン」として営業している。

これはバーの隣にあるビジターセンターの中。
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ストーンウォール反乱の前にもLGBTQの人たちと警察の対立は起きており、これが初というわけではない。1959年のCooper Do-Nutsを初め、60年代にもロサンゼルスやサンフランシスコで発生している。ゲイ・ムーブメントの始まりというわけでもなく、1950年にロサンゼルスでMattachine Societyというゲイライツ運動体が組織されたりしている(世界初は1897年、ベルリン。アメリカ初は1924年にシカゴで人権協会Society for Human Rightsができているが短期で解消している)。

ゲイムーブメントと絡んだ形で「プライド」という言葉が使われた起源は1966年、ロサンゼルスで設立されたゲイ運動団体がPRIDE (Personal Rights in Defense and Education)と名乗ったことに遡る。PRIDEが発行したニュースレターは雑誌「Advocate」となり、現在も刊行されている。
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2016年、オバマ大統領がバーの向かいにあるクリストファー・パークをStonewall National Monumentとして指定。建物は州と市の史跡になっている。

* * *

地下鉄に乗ってマンハッタンの南のほうに行きます。去年そんなんなってたかなと思うんですが、乗車券を買わなくても、クレジットカードを直接改札機にタッチすると抜けられるようになっていました。警備員がそこここにいるせいか、DCと違ってタダで通り抜けてきたおかしなのが乗ってる感じもせず、ちゃんとしてました。まあ真昼だからかな。
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中華街に行きます。
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この辺歩いてるところで、某大統領が「選挙戦やめますわ」と言い出したために職場がえらい騒ぎになっていましたが、弊管理人としてはできることもないのでワンタンメン食いました。
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$8.75、ぷりぷりのエビと豚肉のワンタンが食べ応えあり。空腹も手伝ってかなりおいしくいただきました。サービスチャージと税金入れて$11ちょっと。安く感じる。自動的にサービスチャージ18%がとられているのに気付いたため、チップは0にして出てきた。危なかった。

そこからさらに歩いてブルックリン橋。歩けるレイボーブリッジって感じでしょうか。
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ここは完全におのぼりさんスポット。
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汗でどろどろ。17時に宿にチェックインして、近場でガパオ食って寝ました。睡眠がやや足りてなかったのでよく眠れました。

つづく。

2024年07月19日

早起き週とアメリカと私

職場の人たちが大挙してウィスコンシンに行ったので、8時始業の早出シフトが月火水、24時終わりの夜勤シフトが金と回ってきて、なんかぼーっとしている間に終盤を迎えた週です。

前の大統領が撃たれた件はたまたま土曜出番で職場にいた弊管理人が対応することになり、シフトの始まりの午前8時から午前3時まで19時間勤務(後半は多忙)しました。事態の変動がほぼなくなった3時の時点でも東京からは「上からいろいろ注文がきてるので、あとでまた連絡する」と言われ「20時間になるんで帰りますけど」と言ったら「じゃあいいです」と言われて終わりました。まあ修辞を弄する程度なら日本で元気に起きてる人たちでできるでしょ。過去に過労死を出し、最近もメンタル発生してる部署と添い遂げていいことはない。

金曜は政府系の会合というかパーティーに行ってる友人と夕飯を食べるという話になったが、パーティーの終了時間より早い時間を指定されたので早めに抜けて行くのかなと思ったら会場に呼び込まれた。すっかり出来上がってるアメリカ人ばかりがわいわい騒いでてうるさく、知ってる人もいないので「外で待ってる」といって散歩。
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終了時間になっても連絡がこないので「帰るわ」とメッセージ送って、近くのスーパーで買い物してたらわりと慌てた感じで連絡がきた。でメシ食って帰った。週末から帰省するそうなのでしばらくはこういうことはなさそう。ちなみに「土曜の昼、空港まで送ってくれない?無理ならウーバー呼ぶけど」と言われたので無理じゃないけどウーバー呼んでもらうことにしました。

* * *

◆江藤淳『アメリカと私』講談社、2018年

1960年代前半にプリンストン大学に滞在した著者の滞在記。アメリカを見ると、その全体などとても見えないのに、それでも何か言いたくなってしまうのは洋の東西や時代を問わない。それだけ変なところだというのと、それぞれの人が自分の見識を試したくなるのと、その混合でなんかそういうことになるのかも。60年前に批評家が(東海岸の大学町という狭い窓から)のぞき見たアメリカと、今の弊管理人の思ったことをメモしておきます。

「ここでは、いわば社会は人種差別することによって受容れていた。逆に日本の社会にひそんでいるのは、ときには媚びさえ含む微笑の底にかくされた拒否である」(p.90)
そうだなと思った。

一時帰国、
「その醜悪な街[東京]を行く人々の顔は、どれも不思議なほど明るかった」(p.97)
これは時代の違いを感じる。

「米国が特にこの黒人問題で苦悩しなければならないのは、この国が日本とも英国とも、その他もろもろの歴史の影をひいた国ともちがって、合衆国独立宣言という理念の上にうちたてられた新しい、実験的な国だからではないだろうか」(p.160)
これは今も大統領が「理念によってできた唯一の国だ」と言う。ソ連を無視しているか忘れている予感はするが。

「もとより言語能力と兵役とは、米国市民になるための最低条件にすぎない。加えて米国式に清潔な、規律ある生活様式に適応し、これを維持する能力が要求されるとすれば、ここに作用するコンフォーミズムは相当なものといわなければならない」(p.162)
「それでは米国人になるとは、具体的に何を意味するか。ひと口でいえば、それは英語をつかって生活するということである」(p.231)
日本人でも一定条件を満たせば米国人になることはできるのに対し、米国人が日本人になることはいくら日本語ができてもできない、というのはいい対比だと思った。なので、日本通の米国人には、いくら努力しても外人扱いをする日本に対する憎悪があるのだとも。
しかしこういうことだとすると、現在のスペイン語コミュニティの増大は、想像以上に根本的な部分で米国を揺さぶっているのだろう。肌の色の違いも手伝って、昔の非アングロサクソン移民の比ではないくらいに。

キューバ危機の当時。一向に社会的な支持が得られないパシフィストのデモに際して。
「社会の空気が非同情的だからといって、こういう少数派の主張を抑圧しようとはしないところが米国のいいところかもしれない」(p.172)
まあそうかな。主張するほうもカウンターやるほうもとにかくしゃべくるので、事を構えるハードルが高いのかもしれない。日本は内気なせいか、殴り返してこないだろうと踏んでわりと積極的に嫌がらせする輩が出るね。

「彼ら[米国人の専門家]の冷静な分析と見えるものの底に、こと米国の利益については一歩もゆずらないという強烈な感情がひそんでいるということでもある」「私は、あらためて社会科学というものが結局理論的表現によって行われる感情の放出ではないかということも、考えてみないわけにはいかなかった」(p.180)
後日の文章に、この本を読んだ米国人の一部が怒ったという振り返りがあったが、このあたりが理由の一つだったんじゃないかなと思った。だけどまあ米国人は米国の利益を最大化するという目標を疑ってないのは確かにそう。「理想主義は実はケネディ氏の「スタイル」」(p.243)であって、彼もやはり一皮剥けば米国第一主義の権化だったという診断に通じる。

「とにかくこの国は、生存競争のきびしい、生活に全力をあげて立向かわざるを得ない国である。その背後に、依然として比較的豊かなチャンスがあるので、うまく行っているのである」(p.187)
こっちに来たころ、友人に「米国は余裕がない国に見える」と言ったら「逆だと思った」と言われたことを思い出した。弊管理人はその後、「余裕がない国」のほうに一層傾いた。基本的にみんな怠け者だが、根本的な「休まらなさ」がある。そのことは、別の所では「米国社会に内在する一種の苛酷さ」(p.249)といわれている。

アメリカの「地方主義」=だいたい地元のことにしか関心がない田子作っぽさと、危機に直面したときに急激に立ち上がる抽象的な「合衆国」モードの二面性について。「合衆国」モードは「地方主義」からの切り替わりではなく、実は地方主義のある一つの現れ方だろうという見立て。
「現に、「キューバ危機」のときの中西部からの反応が強硬をきわめ、ほとんど好戦的ですらあったのは、その[地方主義の]ひとつのあらわれだったのかも知れない。郷土愛が強く、具体的であればあるほど、一方で「合衆国」という全体は抽象的なものになり、国際的な力関係のなかにあるひとつの国家であることをやめて、一種の理念に変質する」(p.189)
これ、いい分析だと思うな。「いわば移民上がりの自作農がつくった数知れぬ「小さな」町の集合である」(p.255)というのは地理の観点から同じことを言っているように思った。「帝国」ってまさにこういうものなのでは。

「日本人には、価値は過去と断絶したところにある――あるいはそこにしかない、と考えたがる傾向がある。逆に、米国人は、価値は農業的過去との連続の上にある、と考える。さらにこの二つの矢印の示す方向をたどって行けば、あるいは日本人にとっての価値の根本は新しい物質、または技術であり、米国人にとってのそれは古風な倫理である、というようなところまで行きつくかも知れない」(p.253)
アメリカ人の自己中心的で目の前のことしか見ず、批判されるのが大嫌いな「国民性」のようなものがキリスト教とか資本主義といった文化や制度を強烈に規定している。なんなら神もエビデンスもわしのためにある、という態度。世界中で嫌われながらなお好きにしていられるのには、地理的条件のほかにこういう明るくて迷惑なメンタリティの寄与するところが大きい。

2024年07月12日

エルエ~

ロサンゼルス。「ロス」じゃなくてLAだぜっていうアメリカかぶれ。
出張でした。西海岸は去年の正月に乗り継いだだけ。土を踏むのは初めて。

土曜は18時前発。余裕こいて空港いったらデルタ航空のアプリがバグり、若干焦りつつも空港の発券機で搭乗券を印刷してセーフ。自分をほめたい。
西部に行く飛行機好きなんですよね。景色が森から中西部の平原、そして砂漠に移ってく感じが。
これはアリゾナかな。おととし行ったあたりかも。古い噴火口だと思う。
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DCはそれこそ37度とか38度になって「こんなことあったっけ?」というくらい暑い7月初旬でしたが、LAX空港に着いたら22度とちょっと肌寒いくらいだった。カリフォルニアって灼熱のイメージなんですけど。なぜ?
飛行機に5時間乗って3時間戻るので、体は23時なんだけど世界は20時。
空港で車を借りて、In-N-Out Burgerという西部にいっぱいあるハンバーガー屋に行って、
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ハンバーガーだけテイクアウトしました。
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なんか西部にいた人とかアメリカ詳しい人に勧められるんだよね。どこがというとよくわからないけどうまかったです。

日曜はこんなところにいました。借りた車はKIAのなんかかわいい形のやつ。いまどきキー挿して回したり、ボタン押して引くサイドブレーキだったりしますが、かえって分かりやすくていいです。走りも快適でした。
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住宅街に油田のある風景。
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ガパオ食って空港に戻って、車返してLAに戻ります。空港バス$9.75、まあ悪くない。地下鉄に乗ってホテルへ。ホテルは日曜~火曜の泊まりなので結構安く泊まれました。1泊$160くらいですかね。夕飯はもうどうでもいいのでホールフーズのおかず。行き帰りは叫んでる黒人と座り込んじゃってる白人とかをよけて進む「戦わないバイオハザード」みたいな感じ。荒れてます。リベラルな州は旅行者にとって危ないという経験則は健在です。

アポイントメントが日曜と火曜に分散してしまったので、月曜はふらっと出掛けました。
電車で1時間、サンタモニカは逗子であった。
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涼しいのはありがたいが、むしろちょっと寒かった。半袖短パンの弊管理人。
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退散してロサンゼルス郡美術館に行きます。
内陸のほうに戻ってくるとまた覿面に晴れる。
フォー食ってから美術館へゴー。
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フーコーのアレ、こんなところにあった。
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結構見応えあり。$28は高いが。
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写真からわかるように夕方になっても太陽光がさんさんと降り注いでます。
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奈良美智さんどこにいるのかなと思って探してたら外にいた。
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敷地は広くて公園みたいになっていて、これは1日いられるなと思いました。
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バスで戻ってシャワー浴びてすっきり。日焼け止めをわりとこってり塗って行ったのでひりひりはしませんでしたが、ちょっと黒くなりました。

火曜は午前中に仕事を終えて、お昼は友人に「日本食食ってこい」と勧められたリトルトーキョーに行ってみました。なんか浅草橋をさらに茫漠とさせた雰囲気。オオタニサンがいた。
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どういうルートで仕入れているのか分からないがデイリーヤマザキみたいのがあり、さらに紀伊國屋もあってアメリカのオタクたちが徘徊していたのも面白かったが、とにかくメシだ。よくわからないが「こうらく」というお店に入ってみました。わあ日本。
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どうみても日本人でないおじさんが作る天津あんかけチャーハンを所望。3200円。
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細長い人参が入っている点以外はチャーシューも香りも完璧で、ぼそぼそ食っていると3年間凍結してあった自分の中の町中華が溶け出してきて、リアルにちょっと泣けた。味覚すごい。「美味しんぼ」でアラブの強面えらいひとに貧しかった子どもの頃に食った味を再現して出したら泣きながらガツガツ食い始めたという話があった気がするが、あれだ。
そして弊管理人はやっぱり日本で王将のチャーハンと餃子を食って生き、そして死ぬべきなのだと悟った。30代の初めくらいでアメリカに来たらひょっとして何とかしてこっちに移住してやろうと思ったかもしれないが、もう遅い。

満ち足りたところで現代美術館「ブロード」に転戦。
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建物いいですね。
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絵ではバスキアがよかった。
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タダってすごくない?金持ちの威力。

周囲も目立つ建築いっぱいです。ディズニーの名前を冠したコンサートホール。
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こちらは商業ビルかな?The Grand LA、下から見るとあまり面白くないがフランク・ゲイリー。
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全然名前が覚えられない天使のマリア大聖堂Cathedral of Our Lady of the Angels
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いやまあどれもいいんだけど、からっぽの空間に作品展示しましたみたいな、何か建物と土地が調和してない無造作な感じのする街だなって思いました。あと規制がそうなのか分からないが、砂漠みたいな色した建物が多い気がする。

喉かわいた。グーグルマップを見たらなんかよさげなendorffeineていうコーヒー屋があり、バスに乗ったらチャイナタウンであった。
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でもって最寄り駅から電車に乗り、空港バスに乗り継いで、
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カリフォルニア名物夜行便で朝5時台にDCに戻ってきました。
眠かったけど楽しかったのでよし。アウトプットもなんとかできそうだがちゃんとした形になるかな……

* * *

瞬きしてるうちに1週間は過ぎ、土曜日の出番は昼過ぎまで凪の状態でいいなと思ってたら前の大統領が撃たれて朝3時半まで仕事になった。この話は次で。

2024年07月04日

ジュライフォース

おととしの独立記念日はパレードを見に行って、そのあとアーリントン墓地で花火鑑賞。
去年はマウントバーノンに行って、夜はナショナルモールで花火鑑賞。
今年はお呼ばれです。
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赤・青・白のアメリカ色をほんのりフィーチャーしつつ、普通のパーティー。
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飲みゲーしたり、テレビで恒例のホットドッグ早食い競争見て「きっしょ~」とか言ったり。
なんか電力の話から原爆の話になって、「日本人は結構あれは民間人の大量虐殺だと思ってるけどね」みたいなことを言ったら相手は元軍人だった。あぶな。
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アメリカの家って玄関は階段を数段上ったところにあり(下に半地下の階がある)、玄関前のポーチには鉢植えだのテーブルだの椅子だのが置いてあって、日がなそこに座ってぼーっとしている住人をよく見かけます。
とうとうできた!
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うん、これは至福の時間かもしれない。哲学ができる気がする。

一部、次のパーティーにはしごする人たちを車で送りました。アパートの屋上で花火を見るというのですが、花火後の大渋滞が厄介そうだったのでさっさと帰ってきました。
今年は花火はなしかな、と思いながら家に帰ったら、意外とまだやってる時間。屋上に上ったらちょっと遠いけど見られました。
DCのナショナルモールの花火は20分弱で終わっちゃうんだけど、実はアーリントン郡の至る所で花火が上がっており、しかもずーっとやってる。途中で部屋に戻りましたが、去年やおととしとはまた違った趣の花火が見られました。

去年の日記には「夏が始まった感じがした」と書いてあり、確かにこの週末は全部休んで4連休にする人たちが多いようですが、なんか日が落ちると涼しくて雨の後のため結構ガスっていたこともあり、夏の終わりのような感じがしてしまいました。アメリカ最後の7/4、結局は満喫して終了。

さよならの季節

7月だ。7月。今年前半、何をしてたか思い出せない。
そんなにびゅんびゅん過ぎた感じはしないけど、これ以上速かったらすぐ死んじゃいそう。

在DCの公的な立場の人たちは異動の季節です。
6年という長期にわたって、ある世界に君臨してきた人の送別会は事務所のルーフトップで催されました。150人くらい集まったとのことです。
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アポイントとろうとしても会えなそうな人もちらほら客として来ていました。

当日着いたばかりという後任が挨拶。米国勤務経験はあるようだが、やはりまだ英語モード・アメリカンスピーチモードになっていなかった。「着いたばかりでよくわかりませんが仲良くしてください」ではなく、自分は具体的に何ができる人か/あなたがたと具体的にどういう案件で関わると認識しているか/それは日本とアメリカの協働という広い文脈にどう位置付けられるか―を簡単でいいから一言ずつ言ってさっと終わったほうがいいんだろうなあと思いながら聞いていました。

英語堪能、明るく社交的、クリスマスはパーティー行脚、えらい人たちとカラオーキー、と余人をもって代えがたい人脈を築いてきた今日の主役に、はなむけのスピーチしたい人~?という呼びかけに、次々とマイクが回された。
スピーチしたアメリカ人の客が、後任に「big shoes to fillだけど頑張ってね」と言った。そこまできつい訳が適当かは分からないが、要は「この人の跡があんたに務まるか?」ということ。人ごとだが弊管理人は震えました。優秀な人の後任というのは、かくも厳しい。

あと、弊管理人含め、日本人は全体的に汚い(主役はさすが、ちゃんと華美でないがきれいな服を着ていた)。髪をきちんと整えていないし、歯が黄色いし、肌のケアをしていないし、上着を着ていなかったりする。しかし比較対象はアメリカの中でも上の方の階級の人で、特に互いを値踏みするコミュニティの中だということから、必ずしもフェアな比較ではないことも分かる。アジア諸国の同業者とか見ているとそんなすごいきれいにしているわけでもなく、以上のことは何か特殊な地域の特殊な階層の話なんだろうなとは推測します。

建物1階のパブで、もう1組の新旧交代者と一杯飲んで帰りました。
もうすぐ帰る人、着いたばかりの人。2年数ヶ月前、もうすぐ帰る人に「ここはホームになりますかね」と聞いたら「なりますよ」と答えられたのを思い出しつつ、両方の気持ちが分かる立場になったなと思いました。

* * *

翌日も小さな送別ランチをやりました。ネパール料理屋で、モモとダルバート、あとネパールビールという名のマッコリみたいなお酒。
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仲良くなったのか、そうでもなかったのか。よくわかりませんが、あちらから「最後にランチを」と言ってくれたので仲良かったのだろうと安心しておくことにします。
「ではまた半年後に東京で」といって別れました。

* * *

3日。
5月に折れた歯の治療は、クラウンを取り付けて終了しました。
やっぱり合計2000ドルくらいした。できるだけ長くもってほしい。
前回回収し忘れた、折れた歯。「記念にくれませんか」と言ったら「あ、もうないです」と言われました。腕はいい先生なんだけど、そういうとこな。

そのあと出社したんですが、なんかすごい疲れていて、あまりちゃんと仕事をしないまま帰って、前日より少し早めに寝ました。

* * *

大統領選挙の討論会のあと、振るわなかったおじい周辺がわさわさしています。
・歳なのは前から分かってたじゃん。大人の事情に囚われすぎ
・と同時にみんな目の前のことに囚われすぎ、で流れを作ったらなんとしても押そうとするのこわ

* * *

◆栗田治『思考の方法学』講談社、2023年

同じ講談社現代新書の『創造の方法学』にタイトルを借りたかな。
モデルとかオペレーションズリサーチの話題を扱った本。原理と応用がコンパクトに示されていて参考になりました。
モデルの類型:
 定性/定量
 普遍(理学)/個別(工学)
 マクロ/ミクロ
 静的/動的
と、その使い方。ほかに、
使用上の注意につながるいくつかの概念:
 正味現在価値法
 埋没費用
 パレート最適
 伝統主義
 フェティシズム(目的と手段の転倒)
 官僚制の順機能と逆機能

ある程度経験のある人にとって、見聞きしたこと、考えたことを整理する手助けになると思いました。

* * *

滞在33カ月満了、34カ月目。残り7カ月。

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