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2019年02月 アーカイブ

2019年02月19日

会津

1泊で会津に行ってきました。
目的はほぼ1個、「さざえ堂」を見ること。

バスタ新宿から会津若松駅行きの高速バスに乗ります。1Cの席をとると、正面に足を伸ばせないのですが通路に足を出すことができ、前方の景色を見ることもできるので快適です。
片道4時間半。持ってきた本読んで、うとうとして、本読んで、休憩のSAでどら焼き買って食って、本読んで、東北道から磐越道に入るとそこは雪国だった!

13:30に会津若松駅で降りました。すぐに周遊バスに乗り換えて飯盛山へ。
これだ。
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右手の入り口から入って、らせん状の通路をぐるぐる上がっていきます。
一筆書き構造なので、上る人と下る人が出会いません。
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てっぺんは太鼓橋になっています。
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180度ずれた2本の通路が上で接続してるわけですね。
西国三十三観音を一気にお参りできるというめっちゃお手軽な巡礼の場だったものの、明治の神仏分離令後に観音像は外され、そのあと白虎隊像になり、それも「皇朝二十四孝」という会津藩の道徳教科書の挿絵みたいなものに替わってしまったということで、もう特に御利益もなさそう。
白虎隊の皆さんはさざえ堂の脇にいた。
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もうちょっと登ったところには、白虎隊の逸話に感激したナチやファシスタが建てた碑がありまして、もうなんといいますか。

「あ~~お城が燃えてる~~泣」の像。
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自刃の現場に建っています。正面から見ると結構怖い顔してます。

さてバスの時間に合わせて山を降りて、東山温泉に日帰り入浴に行きましょう……と思ったら東山温泉をすっ飛ばすバスに乗ってしまい、鶴ヶ城に連れて行かれました。
お城はあまり興味がないので歩いて七日町のほうに向かっていたら、なんか立派な建物。宮泉銘醸でした。入ると試飲できるじゃないですか。しかもほとんどが無料。
あと、こちら720mlで5000円というのは試飲300円。でもこんなについでもらえます。
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これも芯が強くて清々しい味でしたが、別に1700円くらいですごく華やかな果実のような味がうまーーーい!というのが一本あり、お土産にしました。

そういえば昼飯を食べそびれていたので、適当なお店(名前失念)でソースカツ丼。
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いやまあソースカツもおいしいですけど、何よりお米がおいしかった。

風呂は「富士の湯」という温泉施設へ。450円。やっす。地元の人たちがいっぱいいる巨大な銭湯でした。気持ちよかった。

夜は「カレー焼きそば」にも手を出してしまいました。
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さらに「BEANS」というダイニングバーに入って寝酒を飲んで就寝。
上記2店ともに、1000円で飲み歩きセットが出てくるスタンプラリーみたいなことをやっているお店の一部です。スタンプを2個ためたので、景品の赤べこストラップをもらいましたw

人口12万だそうですが、そんな規模だとはちょっと信じられないくらいちゃんとした食べ物が出てくるお店はあるし、それなりに集積した飲み屋街もあります。さすが往年の城下町。

* * *

ニューパレスっていうホテルに泊まったのですが、お部屋は小綺麗なビジネスホテルみたいな感じ、朝も「こづゆ」(写真右下)など郷土料理を取り混ぜたバイキングですごくよかったです。
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チェックアウトすると外はこんな。というか前の日から大体こんな。
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七日町駅から列車に乗って、湯野上温泉駅まで南下します。そっちまで行くと結構天気いいんですよね。
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インバウンドさんたちでぎゅうぎゅうのバスで下郷町の大内宿に行きます。
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イザベラ・バードも逗留したらしい。
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だいたい蕎麦屋と土産屋なんですけど、観光地なのに愛想が良くていいなと思いました。
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縁起が12世紀から始まっちゃう「玉屋」でおそばを食べます。
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名物は「ねぎそば」で、長ネギを箸がわりに使って食うという代物。
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どうやって食べるんじゃい、と思いましたが、丼の縁にそばを追い込んですすれば簡単。
いや、なかなかどうしておいしいそばでした。
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そんじゃ帰りましょう。会津若松に戻るとまた雪でした。
帰りのバスで本(下記の木庭本)フィニッシュ。時間が細切れになってしまう通勤電車と違って、本を一気読みできる長距離バスは歓迎です。

* * *

■木庭顕『誰のために法は生まれた』朝日出版社、2018年。

桐蔭学園の生徒に対する出前授業の記録みたいです。
権力と利益のためにつるんだ徒党から、それと対峙する個人の自由を守り、徒党を解体する。その手段は(1)政治システム(2)デモクラシー(3)占有を大事にすること。(1)のエッセンスを取り出したのが近代国家。ということは、(1)ないし国家と徒党が癒着することこそまず警戒しないといけない。
とかなんか面白いこと考えてるぞ、と思うことを感じ取るまでで、もう一冊何かいきたい、そのうち。

■井出哲『絵でわかる地震の科学』講談社、2017年。

途中難しいが「今後何度も参照するしな」と割り切って乗り切った。

■太田省一『テレビ社会ニッポン』

1/3くらいで、もうちょっと読むべき本が他にある気がしてしまい、読み通せず。

2019年02月11日

黄色い食べ物集

土曜と月曜が雪の連休でした。積もらなかったけど寒かった。

金曜夜、わりと久しぶりの友人と、新宿1丁目のハンバーガー、CHATTY CHATTY。
コブサラダと、パンプキンスープ。好き。友人のクラムチャウダーも一口もらってみたらうまかった。
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肉肉しいハンバーガーです。
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結構ボリューミー。味とてもよし。肉の周りに巻いてある脂が邪魔だけど。
これでおなかいっぱいになります。あと、服がすごく肉臭くなるので、もっと暖かい季節にテイクアウトして、お店の前の花園公園で食べるのが吉だな。

* * *

平均年齢41歳(確か)、独身おじさん5人で新宿5丁目、海栗屋。
うにのコース。いきなりこれが出てくる。
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ナマモノ食べないのではなかったか、という声もありましょうが、弊管理人はおいしいナマモノは食べられます。明礬の入ってないウニ(って何?)はうまかった。わさびとね。
このあと前菜、サラダ、ウニクリームコロッケ、エビとウニの焼き物ときて、ウニしゃぶ。
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甘ーーい。そして汁を全部飲んでしまいたいくらいの旨み。ですが半分程度残して最後に雑炊にしてもらいます。

近所のショットバーで一杯飲んで解散しました。

2019年02月03日

陛下たち

これ絶対4月までに読まなきゃ、と暫く前からアマゾンの「あとで買う」に入れていたのですが、会社の図書室にありましたっ

世襲の君主を戴くという、本質的に差別的な君主制という制度(そうでないのが共和制)が、なんで人間の平等を基礎にした民主制と両立するの?しかもわりと先進的な民主国家で?ということを考えた本。民主制の中に位置付きつつ国のアイデンティティを保証し、濃淡はあれど中立の調整権力という役目をうまく果たしているから、というのがまあ答えなんでしょうかね。それが21世紀にどうなるのかな、という疑問は開いたまま終わった。

統一感に欠けがちな論文集という体裁に警戒感ばりばりで読み始めましたが、のっけから面白く、えっ誰の本だっけ、あっ水島治郎さんなら面白いはずだ、と納得し、そして著者たちがお互いをちゃんと見ながら作ってくれたおかげで最後まで面白かった。

■水島治郎、君塚直隆編『現代世界の陛下たち―デモクラシーと王室・皇室』、ミネルヴァ書房、2018年。

・各国の君主制や天皇制が、グローバル化の中で共通の課題に直面しており、しかも君主たちは身の振り方についてお互いを参照している可能性が高い
・2016年の天皇「おことば」の前にはオランダ、ベルギー、スペインで退位が成功している。文言もオランダのベアトリクス女王の退位演説と似た箇所がある。ベアトリクスもビデオメッセージだった(cf.日本を扱った原論文は、「おことば」の明仁天皇と昭和天皇を対比し、「国体」とデモクラシーの両立、という点での連続性を見ている)
・イギリス、北欧、ベネルクスは先進的デモクラシー国家でありつつ、本来はデモクラシーの平等主義と相反するはずの立憲君主制を採用している。20世紀を生き残った君主制では、いずれも王室が民主主義、自由主義を積極的に受け入れ、時には擁護者として振る舞うことで国民の支持を調達してきた。「民主化への適応」の可否が王政の存否を決定づけた
・偏狭なナショナリズムから距離を置き、普遍的価値を体現する王室について、進歩派は概して肯定的、右派は不満を感じるという「ねじれ」が起きている。が、まさにこのねじれを生む中道路線が、結果的に「王室の姿勢に共感する進歩派」も「違和感がありつつ王政を否定しない右派」も巻き込んだ幅広い支持の源である

【現代世界の王室】
・2018年現在、世界の王室は28。エリザベス女王が君主を兼ねる英連邦王国を合わせると43カ国が君主制を採っている。これは国際社会では少数派
・だが、日本の天皇が総理や最高裁長官の任命権などを持っているように、各国それぞれ憲法に定められた力を持っている(例外はスウェーデン。ただし外国大使の接受など外交はする)
・国民1人当たりGDPの高い国に君主制がわりと多い。王様たちも富豪。ただしノブレス・オブリージュに従って戦時は戦場に赴き、平時は慈善事業。富と権力を過度に集中させ、デモクラシーや人権を軽視すると、軍部のクーデターや人民革命を招き、生き残りが難しいことが20世紀に示されている。これらの概念の故郷ではない中東であっても同じ

【各国事情】
・イギリス:権利章典で「王権と議会」による統治が明確化。産業革命後は中産階級も政治に参加、総力戦のWWI後には大衆民主政治が本格始動。ジョージ5世は「国父」かつ戦死者の「喪主」に。「公正中立」を貫き労働党政権ともうまくやった
・エリザベス2世は(1)コモンウェルス(旧植民地・自治領)(2)アメリカ(3)ヨーロッパ、といずれも繋がった外交の後見役。ダイアナ事故死以降、メディアと国民の目を意識した”見せる”活動へ転換した。国民の支持を必要とする君主制。また、成典憲法がない国での慣例、あるいは連続性と安定性の体現者としての君主
・君主制はデモクラシーと両立する限りでのみ存続する。代表例が、革命を経て議会政治を先駆的に発展させて高度な政治的成熟を実現したイギリス。君主の「機能的部分」を首相が受け持ち、君主は「尊厳的部分」を担った。貴族はブルジョワとの通婚が進み、議会では国王の暴政と対峙した
*対照的なのは、絶対王権の下で安定した議会制が発展せず、貴族も早くから解放された農民にとって憎悪の対象にしかならなかったフランス。人権、デモクラシーという「理念」に国家の一体性、継続性を担わせるのは結局大変だった。危機を乗り越えるべき強大な権力はそれを目指す政治家たちの闘争を招き、「調整する権力」が出てこない

・スペイン:国王が聖職者にも及ぶ絶対的な王権を及ぼす「国王教権主義」、カタルーニャやバスクの地域ナショナリズム。王朝の交代や外国出身の王など「祖国統一の象徴」にならない王室
・革命と反革命の19世紀、労働組合・軍・政府が対立した不安定な20世紀。内戦からフランコ独裁を経由し、「すべてのスペイン人の王」による君主制(not共和制)+民主制(not独裁制)へ。議会制君主制(1978憲法)。モロッコ、ラテンアメリカなどとの王室外交も。21世紀には王室が大衆化(ZARAやスキャンダル等々…)。しかしどの程度開かれるべきかは課題

・オランダ:安楽死、売春、同性婚の合法化など先端的な民主国家。社会の近代化、民主化を受け入れ、時に先導し高い支持を得る王室。20世紀にはナチ占領に対して英国から鼓舞するなど解放のシンボルに。3人の女王はいずれも生前退位。21世紀には移民・難民政策や反イスラムなどの課題があるが、グローバル人権主義に立った政治的主張がかえって支持を受けた

・ベルギー:1830オランダから独立。北部フランデレン(オランダ語)と南部ワロン(フランス語)の多言語国家で。分裂と対立をいつも内包してきたこともあり、各宗教や階級ごとの政党支配と、政党エリート間の妥協によって安定を維持する、特徴的な「合意型民主主義」が存在(即断即決の多数決型民主主義と対照的な、西欧小国特有の妥協政治)
・君主国に囲まれた状態でオランダからの独立を維持するため「君主国」を選択。憲法で国王を縛っている。が、不安定な国のため、秩序維持という現実的な理由で組閣の際に国王の介入(調整)が許容されている。特に言語に基づいた分裂の危機には、普段は共和制的な政治の中に突然、交渉仲介人として国王が召喚される。おそらく今後続くテロの時代にも

・タイ:大衆の国王敬愛と、それに基づく強大な政治的権威は、プミポン(ラーマ9世、在位1946-2016)の時代に定着したもの。サリット首相(1959就任)が王室・仏教伝統行事を復活させ、国王夫妻の外国訪問も推奨。1973年、学生デモへの発砲で首相を退陣させる政治介入が歓迎され、民主化とともに国王の政治的権威も高まった。クーデタが政権交代の手段として恒常化し、成功して国王が認めれば正統性を得られる。が、認められないと反逆罪
・上記のような政治介入歓迎の基盤は、1966からの数多の行幸(ただし日本と違い離宮滞在型)と民衆の奉迎体験、スピーチ、また国王映画(のちテレビ)を使ったメディア戦略で作られてきたのだろう
・で、現国王のラーマ10世はスキャンダル、SNS取り締まり、国王権限強化の試みなど、国父にはちょっと遠い

本郷逍遥

東大でちょっとした仕事、の前に、にし乃。
本当は隣の「桃の実」でビリヤニを食べるのが目的だったのですけど、やってるはずのランチがやってなくてハァ?となり、こちらに。
初めての方にはしょうゆをお勧め、らしいのですが、いきなり山椒。あと肉ワンタンを2つ。
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端正なスープに山椒の強い香りが重なって、すごくインパクトが強いのにしっかり調和しているのがすごい。スープも実はかなり強いということでしょう。おいしかった。多分また来る。たまたますぐ入れたけど、人気店っぽいので次はこんなにすんなりいくのか……

* * *

仕事は「つまんなかったらすぐ出よう」と思って行ったものの、なかなかためになった。
そのあと落合に行って40男3人でパンケーキとか食いながら3時間以上喋って、そのまま1人とお酒飲みに行ってしまいました。いい土曜いい土曜

2019年02月01日

ある研究者さんに仕事でご縁があったのをいいことに、特に頼んで脳の解剖(ブレイン・カッティング)を見せていただいてきました。この日は脳梗塞で亡くなった高齢の方の脳です。写真もメモも残しておらず、仕事でアウトプットしない見学なので、今回は「仕事の時間に見聞きしたものは極力ここに書かない」という自分ルールを破って、記憶を記録。

・白衣を借りて、研究者さんと病院の地下へ。解剖室の前室でゴムの手袋をしたあと、白い長靴に履き替えて入ります
・広さは12畳とか広めのリビングくらい?人1人横たわれるくらいのステンレスの解剖台が置いてあります。あとは肉屋にあるような吊してある計り、流し台、パソコン、標本撮影用のカメラ台、などなど。器具はきれいにしてあって鱗汚れなどほとんどなく、匂いはほとんど気になりません
・見学に来ていた医療系の学生さん(3人)と付き添いの先生、解剖をする医学部さん(2人)に挨拶。この日は9人で解剖台を囲みました
・ホルマリン固定した脳を解剖台の上の湿らせたキッチンペーパーみたいののに置いて黙祷
・パソコン画面でMRIの画像を見ながら、脳の持ち主の病気の説明を受けます。抗血小板薬を飲んでいたら腸で出血したので薬を止めたところ、血栓が脳に飛んで梗塞を起こしてしまったとのこと(薬は難しいんだなあ)

・まず、取り出してあった脳の血管を見ます。硬さや、断面がどれくらいふさがっているかを調べます
・脳を覆っている硬膜が取り外されて横に置いてあります。見た目は水泳のシリコンキャップみたいですが、伸縮性はありません。強度の高い湯葉、って感じの見た目
・続いて、脳を触らせてもらいます。クリーム色の実質に黒~紫の血管が入っている塊。梗塞が起きたところはぶよぶよです。水分が多くなるかららしい。でも新鮮な状態の脳の硬さはまさにこのぶよぶよくらいだそう
・持ってみます。「何グラムあるでしょう?」と聞かれて、人間の脳はだいたい1500ccというのは知っていたのですが、1kgの砂糖の袋を思い出しながら「800g」と言ってみました。正解は1300gでしたw
・頭頂方向から見たり、ひっくり返して脳幹のほうから見たりして、左右の脳の大きさの違いなど、気付いたことを医学部さんたちがクリップボードに挟んだ紙に書いていきます。研究者さんが「脳の腫脹によってここの骨が圧迫されたのでは?」など助言

・中を見るために、脳をカットします
・最初に、30センチくらいの長いナイフで頭頂から前後に2分します。キャベツをざくっと切る感じ
・半分を脇に置いて、もう半分を透明アクリル板の上に断面を下にして置いて、厚さ7ミリのアクリルの四角柱の棒で手前と奥をはさみ、その棒に沿ってナイフをすべらせると7ミリの厚さに脳を切ることができます(あの居酒屋で出てくるアンキモのでっかいやつみたい。切りくずが出たりして、手作業感)
・これで1枚切るごとに黒いフェルトっぽい布に乗せてデジカメで撮影し、大きなバットに並べていきます
・もう半球も同じ要領。あと小脳と脳幹も別に同じように切っていきます

・観察の時間。切片を見ると、脳溝の深いところに赤い点々が多数あります。出血性の脳梗塞。反対側にも昔の脳梗塞のあとがあります。出血性のものだと色が沈着して残っているはずですが、ないので出血のない梗塞だった様子。古いとそこの組織が脱落して空白になります
・亡くなる前の最も新しい脳梗塞は全球に影響したはずなのに、なぜ片方にだけ出血が集中的かつ広汎に起きているのでしょうか?というクエスチョン。「その考察と写真と画像を披露するだけで学会でケースレポートが1回できるので、是非してください」と研究者さんが医学部さんに
・小脳はブロッコリーの小さい塊を切った感じ、木みたい。幹の部分が硬い。脳幹はよく煮たゴボウくらいの硬さかな
・気付いたことを書いていきます。色は?硬さは?空間の大きさは?などを目視と触覚で確かめながら見ます。研究者さんは「所見と考察は分けて」と強調していました。つまり、どう見えるかということが所見であって、そこで何があったと考えられるかはまた別の話
・これでだいたい2時間。「見学者がいるとちょっと長いですね」と研究者さん。このあと、特によく見たいところを決めて、顕微鏡で調べるためのプレパラートを作成するそうです

・研究者さんとお部屋に戻って話し込みました。
・特にALSなど厳しい難病の患者さんからは「自分を死後に解剖して研究に使って」というオファーがあること
・画像診断やマーカーが発展しているといっても、精神・神経疾患はまだまだ臨床でつけた診断の間違いが相当ある、特に認知症はアルツハイマー型やレビー小体型などさまざまな類型が「混ざって」いることが多く、最終的には死後脳で「答え合わせ」をしないと正解不正解は分からないこと
・それだけ間違いが多いのに、薬の臨床試験などをやってもそりゃまあいい結果は出ないだろうということ
・責任遺伝子探しが2000年代からずっとされているが、単一遺伝子疾患ならこういう手法は有効でも、関連する遺伝子がいっぱいあって相互作用している場合は関連解析してもいい結果は出ないだろう、ましてある遺伝子を変異を持たせたモデル動物で試してうまくいったからといって人に持ち込んでもだめだろうなということ
・じゃあどうすりゃいいんでしょうね、で二人で考え込みました。「生活習慣見直しましょう」が終着点では?と言ってみましたが、「それはそれでいいでしょうけど……」

・いやそれにしても、図録などでいっぱい脳の写真は見ましたが、実際見ると「あっ海馬!下垂体!あーーー思ってたより大きい!」などと感心します。柔らかさというのも写真じゃわからないしね
・どこから刃を入れて、どう切るか、観察記録は何からつけていくか(正常な部位から異常に進むとか、皮質から中へ進むとか)などは、教科書に書いていないノウハウのように見受けられました。「こうやったほうがうまくいく」という現場の知識がいっぱいあるのでしょう
・画像や診療記録を見て「この人は結局何によって死んだのか」を何人かが議論していましたが、それもクリアに見えないことがあるんだなと思いました。当然だけど。腸も脳も出血してて、あそこもここもおかしくて、という
・以前、尿路結石でCTをとったとき、自分の中にも臓器が詰まってる!と当たり前のことで驚いた記憶がありますが、今回も「このキャベツくらいの塊に80年以上の経験が詰まっていたのか~」と妙に感心しました
・そして淡々と切り、観察し、ちょっと脳に白衣が触れそうになりながら乗り出して作業し、「どうかな~?」「おーこれ珍しい」などと普通なトーンで議論する人たちの前において、脳はかなり純粋にモノであった

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