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2018年02月 アーカイブ

2018年02月28日

読んだり食ったり

■ジョージ・オーウェル(高橋和久訳)『一九八四年』早川書房,2009年.

まだ読んどらんかったんかいというあれ。
480ページあって、200~300ページあたりで一度だらけたものの、そのあとは急に緊張感が戻って一気にフィニッシュしました。巻末にあるトマス・ピンチョンの解説の最後ではっとさせられました。これ絶対必要。電子書籍版にはついていないらしく、紙の本を買ってよかった。

1949年に書かれた本にして、既にナチスとソビエトを総括しきり、では徹底したディストピアはどんなものになるのだろうと思考実験を進めてるところが面白い。だからこれはソ連の風刺ではない。あと描写がとても映画的ですね。

弊管理人は「例え話」を使って何かを言うということに結構な警戒感があります。説明されるべき肝心なことを、それとは別のものを持ってきて説明すると的を外す、あるいは欺しになる危険が大きいから。なので、このフィクションを出汁にして時代診断をするのもちょっとと思う。考え方のライブラリに置いておくことは妨げないとしても。

* * *

ふと「おいしいもの食べたい欲」が戻ってきて、いろいろ食べました。
銀座で仕事があったので、グラニースミスのアップルパイをテイクアウトして会社のデスクで。
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褒めてるように聞こえないかもしれないが、マックのアップルパイのすごいいいやつ。
今回は季節メニューの酸味が強い林檎(その名もグラニースミス)のパイでした。レギュラーがほかに6種類あるそうなので、次は店内で、アイスかなんか添えて食べたい。コーヒーと。

* * *

赤坂見附、しろたえのチーズケーキなど。
日曜の閑散とした界隈でここだけ行列だったので、喫茶しにきたけどあほくさ、と思って持ち帰りに切り替えた次第。
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「ちっさ!」といったん落胆してしまいます。しかしこれはほぼクリームチーズですよね、というくらいの濃厚さなのでこのサイズでいいのだと思い直します。一発目のインパクトで平伏する味なわけではないものの、これは時々思い出して買いに行ってしまうかも。

* * *

西武新宿、焼きあご塩らーめん たかはし。
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これは厳しい寒さの中並んでこそおいしいのかもしれない。いや普通に食っても十二分においしい。

* * *

野菜は食べてます、念のため。

* * *

2月も晦日になってしまった。
年初からいろいろ種まきした案件の刈り取りは上旬で一応一段落しました。しかし、このまま仕事は少し出力高めで進むのもいいかなと思って、何かとぱたぱた動いています。そんな大したことはしないんですけど。そして多忙なほうが元気で明るい弊管理人の性格は健康にあまりよくないのではないかと思っています。

2018年02月18日

日本のフェミニズム

「性差別主義者でなければ皆フェミニスト」「フェミニズムを勉強することは大切ですが、生半可な勉強ではフェミニストと名乗ってはいけないということはありません」(p.10)という戸口の開放から入る。実際は奥深いし、貫徹するのは大変なのだけど、ぶん殴っといて「何で痛いか分かるか!?」と凄むみたいな本ではなかろうと俄然読む気が起きたのでした。

環境問題とかもそうですけど、歴史は繰り返す系の分野だと「いきさつ」を知っておくというのは大事だなと思います。相変わらずぼこぼこ浮上する問題たちの解決モデルをあらかじめ手近に引き寄せておけること、歴史を背負った用語とバズワードを見分けられること、カリカリしがちな人たちとお話できるようになること、あたりか。ブックレットくらいの大きさですが、知らないことがいっぱい書いてあって、弊管理人にとってはためになりました。

会社の図書室の新着本をかっさらうという最近のパターン。つまり買ってない。しかしこれは買って持っておいてもよかった。ごめん。このタイトルからすると続編が出るのだろうか。

■北原みのり編『日本のフェミニズム since1886性の戦い編』河出書房新社, 2017年.

▽原点:東京基督教婦人矯風会(矯風会)
・矢島楫子ら56人で1886年設立
・公娼と妾の廃止、禁酒を要求
・シスターフッド:慈愛館を設立(1894年、大久保百人町)。遊郭から逃げる娼婦の隠匿、就職支援、シングルマザーの自立支援など実施
・現代からは「性産業で働く女性を見下した保守的な運動」との批判あり(ex.雑誌「婦人新報」に「醜業婦」という表現も)

1. 日本のフェミニズム

・定義:「社会的、政治的、経済的に両性が平等だと信じる者」(アディーチェ)、「性差別主義的な抑圧をなくすための戦い」(フックス)、「性差別主義者以外」(三浦まり)

・第1波:男女同権を目指す。財産所有、政治参加、離婚、親権……
  明治時代には議会傍聴、政治結社への参加を解禁する法改正を要求
  大正以降は政治参加、選挙権(衆議院通過したが貴族院で否決)
  →選挙権は1945年に実現(ただし植民地出身男性からは剥奪)
  1946年に39人の女性代議士誕生(だが2017.10でも47人)
・廃娼運動:貧困と性差別の凝縮。国家建設と軍事化から生成
  1956年、売春防止法で一応の成果
  しかし売春の恐れをする女子の補導、保護更生。買春の責任は不問

・第2波:1970年代。ウーマン・リブの時代
  男性支配の社会構造(家父長制)からの解放。「個人的なことは政治的なこと」
  性規範の変革・性解放もテーマ
  中ピ連。ピンクのヘルメット、ミニスカ。「嘲笑」というバックラッシュ形態の顕在化
  リプロ。1972-1974年、経済理由の中絶禁止、障害を持つ胎児の中絶を可能にする「胎児条項」を入れる優生保護法改正の動きへの抵抗。女性団体、障害者団体の抗議で阻止
  1975年、世界女性会議(メキシコ)
  1977年、アジアの女たちの会(日本人男性による買春観光への反対)
    ※1973年、第1回日韓教会協議会での「キーセン観光」告発~慰安婦問題へ

・制度化(第3波):1980~1990年代
  1979年、女性差別撤廃条約の採択
  1985年、日本が批准→雇均法、家庭科の男女共修、国籍の父母両血統主義化
  1986年、土井たか子が社会党党首
  1989年、マドンナブーム。自民も野田聖子を擁立(女性代議士がいなかった)
  1995年、第4回世界女性会議(北京)、北京宣言と北京行動綱領
  1999年、男女共同参画社会基本法
  2001年、内閣府に男女共同参画局、DV防止法(議法)

・バックラッシュの時代
  1997年、「つくる会」~歴史修正主義
  慰安婦問題(1991年、金学順)ではアジア女性基金めぐり運動も割れる
    ※慰安婦制度は公娼制度が基礎なので、日本フェミの核心的論点といえる
  ジェンダーフリー(北京会議~)批判。内閣府の使用差し控え、図書撤去

・現在
  2016年、トランプ当選~ウィメンズマーチ
  痴漢、セクハラ、女子力、保育所、家事育児分担
  憲法24条改正(家族制度の強化)、少子化対策、2017年性犯罪の厳罰化後も残る課題

2. 廃娼運動

・戦前日本の人身売買。家の没落→遊郭への身売り→借金返済(年季明けへ)
  娼妓(政府公認、遊郭で売春する女性)、性病検査義務づけ(客を守るため)
  芸妓(三味線や歌、踊りが本業だが売春もする)
・借金返済はなかなか進まない(吉原では3/4が店の収入とも)
  1900年、廃業の自由を認定。しかし借金返済は残った
  森光子(遊郭から脱出、廃業達成)『光明に芽ぐむ日』(1926年)
・近代には遊郭は「貸座敷」へ。娼妓が場所を借りて自前の商売をする体裁に

・1886年、矯風会→1894年、慈愛館
・地方矯風会も順次設立、1920年代には廓清会と帝国議会、地方県会に廃止請願
・1916年、大阪飛田の遊郭建設に大阪支部(林歌子ら)が反対運動(失敗)
・1920年代は公娼制度批判が高まった(男の浪費批判)が、遊郭での買春も大衆化した
・1921年、婦人及児童の売買禁止条約。21歳未満の女性の売春勧誘禁止。日本は違反
・1931年、国際連盟の東洋婦女売買調査団による追及。政府は「自由意思による」と反論
・日中戦争以降、日本軍「慰安所」設置

3. 売春防止法

・1945年8月18日、内務省刑保局長「占領軍の駐屯地に性的慰安施設を」
  →芸妓、娼妓らに米兵の相手をさせる慰安所整備(東京に25カ所)
  ※「防波堤」論。援助交際擁護にまで引き継がれる
・1946年1月、GHQが「公娼制度廃止に関する覚書」を政府に送付
  「公娼はデモクラシーに違背する」→娼妓取締規則の廃止
  ただし次官会議は売淫禁止の例外として「必要悪としての特殊飲食店」を設定
  →「赤線」の誕生
  一方で特殊飲食店外の街娼を「闇の女」として取り締まり強化
  →17カ所の自立更生施設。後、売春防止法下で婦人保護施設に

・1947年1月、ポツダム政令勅令9号「婦女子に売淫させた者」への処罰
  ただし占領終了で無効になる恐れあり
  →1951年、矯風会などが「公娼制度復活反対協議会」、96万人の署名
 1953年、市川房枝ら超党派議員団。労働省で売春実態調査も
  買春処罰を盛った売春禁止法案作成、しかし否決
 1956年、閣法で売春防止法。人権への言及と買春処罰は削除、業者や街娼は処罰
  →公娼制度の終了

・残った課題:
  売春防止法では「性交」を禁止。風営法では「性交類似行為」を容認
  世界では買春防止法に変えていく流れ
  社会問題を背景にした売春に対応できず。2014年、女性自立支援法(仮)の要求も

4. リプロ運動

・Reproductive Health + Reproductive Rights。すべてのカップルと個人が、子どもの数、出産感覚、時期を自由かつ責任を持って決定でき、そのための情報と手段を得ることができるという基本的権利と、最高水準の性と生殖に関する健康を享受する権利のこと
・第2波の時期、女性の自己決定権が強く主張されるようになった

・近代以降
  女性の性と生殖は国家権力、家父長制による管理対象とされてきた
  1880年の旧刑法、1907年の新刑法でも人工妊娠中絶の禁止(男性は不問)
  産めない女性への離婚言い渡し、未婚=処女思想
  1936年、女優・志賀暁子の堕胎裁判
  1941年、人口政策確立要綱。1夫婦に5人の子が目標。産めよ殖やせよ
 
・戦後。食糧難、住宅難
  1948年、優生保護法。「産むな殖やすな」への転換。堕胎の容認(経済条項)、
    中絶の増加
  1948年、助産婦が国家資格化。1952年の受胎調節指導員→避妊指導の普及
  1954年、加藤シヅエら「日本家族計画連盟」。避妊と性教育

・高度成長期。労働力不足
  1960年代末~「中絶は犯罪だ」
  1972年、優生保護法改正案。経済条項の削除、胎児条項の新設
  1972年、中ピ連でピル解禁訴え

・「優生(不良な子孫の出生防止)」部分の削除
  1994年、カイロ会議で国際的非難
  1996年、優生保護法→母体保護法。優生部分の削除
  現在、NIPT→中絶(新たな優生思想)、自己決定論→自己責任論、「産む機械」
  2003年、少子化社会対策基本法。少子化は「未曾有の事態」
    性教育の停滞←→2013年「女性手帳」(不発)、婚活、妊活、卵子の老化……
  ※堕胎罪は存続。中絶は悪、との視線も
  ※過去の不妊手術について国は「適法に行われた」

5. レズビアン運動

・1970年代、女性同性愛は「異性愛に向かう仮の姿」「女として成熟すれば治る病気」
  「女郎グモ」「化け物」
・1971年、鈴木道子「若草の会」。出会いの場(1986年閉会)
・1980年、相良直美事件。アウティング
・バブル時代、新宿二丁目への集積

・田中美津ら、リブ新宿センター。レズビアン・フェミニストも
  おしゃれは「男への媚び」。ノーメイク、ショートヘア、Tシャツ、ジーンズ
  女性ジェンダーの拒否
・国際女性会議→ダイク・ウィークエンドへ
・1990年代には、若者やトランス女性から「女らしくて何が悪い」と反発も

・1991年、ゲイ・ブーム
・1994年、パレード。G/Lの諍いで1996年頓挫
・Lの出会い系ポータルBravissima!、L&B向け『アニース』
・性指向の一形態であり、人権問題としての差別という理解の普及
・2003年、性同一性障害特例法→戸籍変更が可能に(これはTの話か)
・沈黙しがち、忘れられがちな運動

6. 80年代の「性の自己決定」

・1986年、西船橋駅ホーム転落死事件
  ストリッパー女性にちょっかいを出した高校教師が抵抗され線路に落下し死亡
・1987年、池袋事件
  買春男性がナイフで脅した女性に反撃され死亡
・1988年『働く女性の胸のうち』
  「三多摩の会」によるハラスメント、性虐待の調査結果
・1992年、ゆのまえ知子「夫(恋人)からの暴力調査研究」
  →2001年、DV防止法に
・「セックスワーカー論」からの反論。「性産業従事者への差別をフェミニストが助長」
・風俗は女性の最後のセーフティネット?

7. AVの中の性暴力

・2008年『ひとはみな、ハダカになる』―AVがごく普通のセックス?
  運動vs「表現の自由」
  →PAPS(2009年)。「AV出演強要」の相談。性暴力ではない?ファンタジー?
・作品の過激化、視聴者が「楽しむ権利」、出演者の「自己責任」論や違約金
・AV出演強要:意に反した出演、販売(ネット流出)、生産現場での性暴力、噂の拡散

コラム:2017年刑法改正

・強制性交等罪の創設:「女性器への男性器挿入」(旧法強姦罪)からの拡張。肛門、口への挿入も。男性の被害者も。(挿入するのが手指や異物の場合は見送り)

・法定刑の引き上げ:3年→5年以上の有期懲役。酌量減刑がなければ必ず実刑

・監護者強制性交等罪の創設:教師、スポーツ指導者、同居の親など、加害者が優位な立場にある場合、「逆らえない」ことで「暴行または脅迫」が成立しにくかった。改正で、影響力に乗じてわいせつ、性交等をすると強制わいせつまたは強制性交等罪と同様の処罰に

・今後の課題:
・本人の同意がないわいせつ、性交があっても、暴行や脅迫がなければ強制わいせつ罪、強制性交等罪が成立しない「性交同意年齢」(13歳)は据え置き
・暴行・脅迫の要件が厳しすぎ。裁判もそうだが、起訴の可否判断にも影響する

2018年02月13日

おそろしいビッグデータ

■山本龍彦『おそろしいビッグデータ』朝日新聞出版, 2017年.

会社の図書室みたいなところにある新着本の棚から、まだ誰も借りてない本をかっさらってくるのが弊管理人の最近の趣味です。
本書、小さな新書だけに明快です。ビッグデータ/AI万歳とかマジ大丈夫ですかというのは、やはり技術職以外の人に言ってもらわないとかんのでしょうね。

【プライバシー権の限界】

・私生活をのぞき見られ、暴露されないという「古典的プライバシー権」。ここには「更正を妨げられない(人生を再出発する)利益」=「時の経過」論≒適度に忘れられる権利、が含まれている
・そもそも、プライバシー権で守られるのは、自分で自分の人生をデザインするため
→常に見られているという感覚があると、行動を萎縮させ、民主主義にも悪影響を及ぼしうる
→一つ一つは些細な情報が統合されることで、その人全体を描き出す「プロファイリング」ができてしまう
→自分の情報の行方をコントロールする権利という「現代的プライバシー権」に発展(最高裁は正面から認めてはいないが、改正個人情報保護法には入っている)

・現代的プライバシー権が保障されていたとしても、個人情報を提供する際のプライバシーポリシーへの「同意」は危うい
  ・ポリシーはいちいち全部読まない
  ・同意しないとサービスを受けられない
・プロファイリングの材料になる「普通」の情報入手に対する規制が緩い
  ※EUの一般データ保護規則GDPRはプロファイリングの中止請求権を認めている
・一つ一つは特徴のない属性を寄せ集めていくと、個人が立ち現れてしまう
  これが要配慮個人情報入手の抜け道になってしまう
  ←なのに、日本の個人情報保護議論は情報セキュリティの話ばかり

・予測精度の向上のため、個人の履歴がどこまでも記録され、遡られる
  ・忘れられる権利、人生を再構築する自由(憲法13条、個人の尊重原理)の侵害
  ・データ・スティグマを恐れるために萎縮した人生を送ることになる
  ・親の人生や遺伝的特徴との相関が見えると、「血」による判断が有用に
    →個人の尊重原理がここでも侵害

【バーチャルスラム】

・(寓話)ビッグデータ解析で、大学時代に就活に失敗した履歴、ファストフード店での低賃金バイトの履歴などから「信用力が低い」と判断。融資拒否。それがさらに同様のプロファイリングをする組織からの連鎖的な排除につながる。SNSで同じ境遇の人と悩みを交換するとさらに信用力が低くなるとして交流を避け、孤立
・だが、既に導入されつつある――ソフトバンクなどが採用活動へのAI導入方針/みずほ銀行は個人向け融資判断にAIプロファイリングの導入を発表/中国のアリペイも信用力の査定サービスを開始

・AIの誤謬(うわべだけの相関関係を判断に取り入れてしまう可能性、集積データの偏りを排除できない、現実に存在しているバイアスが再生産される)のリスクが残る
・いずれにしてもやっているのは「あなたのようなセグメントへの評価」であって、「目の前のあなたへの評価」ではない
・しかも、高精度とされるAIの判断は疑われにくい
・AIの判断過程が不明、あるいは知財や「裏をかく」恐れを理由にアルゴリズムが開示されない
・プロファイリングにより、原因はよくわからないが排除されるという「新たな被差別集団」が誕生する(しかも誰がそこに落ちるかは予測しがたい)恐れ

【差別の助長】

・再犯リスクを評価するアルゴリズムにより、黒人の再犯リスクが高く見積もられ、裁判所でより重い刑罰が言い渡される→米国の裁判所で実際に再犯リスクの評価システムを導入
・もともとは刑務所の満杯を受けて、再犯リスクの低い人を社会で更正させる目的
→ところが、黒人の再犯リスクが白人の2倍と見積もられてしまった
→裁判官には「最終判断に使わないように」との警告(ルーミス判決)

・将来の犯罪を予測する「予測的ポリシング」による人種差別の助長も
→米FTCの懸念表明(2016.1)

【個別化マーケティング】

・「個人の尊重」の4層
  (1)生命の不可侵
  (2)身分制からの解放
  (3)人格の自律(自分の人生をデザインできる)
  (4)個人の選択と、その多様性の尊重
・セグメントに基づく評価を個人に押しつけることは(2)に抵触
・選択肢やニュースのカスタマイズ、不安に基づくマーケティングは(3)に抵触
・カスタマイズされた情報が意思決定を誘導することも考えられる
  →便利だが、逸脱や愚行の自由が剥奪される

【民主主義の危機】

・個人の政治的信条に関するデータ集積をもとに、おすすめニュースをカスタマイズ。その信条が強まる=フィルターバブル(パリサー)、デイリーミー(サンスティーン)
→集団分極化(仲間だけで話しているうちに過激な方向にシフトする現象)
→政治的分断
・対抗手段=バブルを崩すこと:伝統メディア、否応なく目に入るデモ行進
→ポータルサイト、ネットニュースにも反対意見へのリンク義務づけ?

・投票行動も操作できる可能性(FBによる実験=デジタル・ゲリマンダリング)
・ビッグデータ解析に基づいた選挙キャンペーン(オバマ)
・しかし、個別化選挙で勝った政治家は個別有権者の思い通りにはならない
→選挙で政治の正統性が調達できないかも

【対抗策】

▽GDPR
・プロファイリングに対する中止請求権
・自動処理のみによって重要な決定を下されない権利
・透明性の要請(アルゴリズム開示ではなく、何を判断に用いたか・その理由の開示)

▽米FTC
・ビッグデータ解析により不利な決定を行う際の理由開示
・人種・国籍・性別を理由にしていないかのチェックを企業に要求
・予測精度と公正さのバランスを要求
 (特定区域に特定属性が固まっていることがあるため、居住地を使わない判断も)

▽日本でやりうること
・プロファイリング「結果」へのコントロール権
・一定の時間を経過した過去を「ほどよく忘れてもらう」権利
・つながるネットワークを自分で選ぶ権利(≒データ・ポータビリティ)
・データに適度なノイズを混ぜるなど、匿名性を担保する技術
・データ提供者への直感的な告知
・データ提供を拒否してもサービス利用を拒否しないこと

2018年02月11日

落合の画家

明治後期~大正時代に活動し、37歳で結核により夭折した洋画家・中村彝(なかむら・つね。ATOKすごい、一発変換)のアトリエを再建した記念館が、目白駅から10分くらい歩いた住宅街にあります。散歩を兼ねて行ってきました。
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1887年、旧水戸藩士の家に生まれ、11歳までに父母を亡くしたため、兄を頼って牛込区に転居。陸軍中央幼年学校に入ったものの、結核のため退学しました。千葉・北条(館山)で療養中に洋画家になろうと思い立ち、本郷の白馬会洋画研究所や太平洋画会研究所で絵を勉強したとのこと。文展で3等賞をとり、新宿の中村屋の裏のアトリエに移ったものの、中村屋をやっていた相馬家の長女・俊子との交際に反対され、俊子との仲も次第に冷めて、当時は農村だった下落合にアトリエを建てて創作と療養をしていたそうです。この俊子と後に結婚したのが、インド独立運動に身を投じ、日本に亡命した「中村屋のボース」ことラス・ビハリ・ボースなんですね。
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アトリエは洋画家の鈴木誠の手にわたり、増改築されてきたものを、建築時の姿に復元した。レンブラントっぽい人物画、ゴッホっぽい風景画など、内部に調度品とともに絵画が展示されています。肉感的で弊管理人は好きです。

ついでに、また10分ほど歩いて佐伯祐三(これも一発変換だ)のアトリエ記念館にも寄ってきました。こちらは1898年大阪生まれと、中村の少しあとの画家。東京美術学校を出たあとフランスの野獣派を頼って留学し、いったん帰国して中落合にアトリエを構えたあと、また渡仏したものの、30歳で現地の精神病院で亡くなってしまったそう(ちなみに連れて行った6歳の娘も病死)。
当時の落合の、長閑だけど文化の匂いがする風景を明るく描いた絵が印象的でした。なんか知ってる絵はないかなと思ったら、「郵便配達夫」ね。あーーーこれかーーーー

目白~中井間には大正、昭和時代、高級住宅街の「目白文化村」が作られましたが、その周辺には文化人がたくさん住んでいたようです(余談だが、東京の染色産業の中心地でもあるらしい)。ほかに林芙美子の記念館があり、政治家では石橋湛山や近衛文麿の家があったり。近所といえば近所ですが、よく知りませんでした。

2018年02月10日

神は数学者か?

■マリオ・リヴィオ(千葉敏生訳)『神は数学者か?―数学の不可思議な歴史』早川書房, 2017年.

数学が自然や宇宙をどうしてこんなにうまく説明できるのか?という「数学の不条理な有効性」問題(ユージン・ウィグナー)について考えた本。大半はピタゴラスからひも理論まで駆け抜ける数学、物理学の歴史で、最後の章が問いに対する応答になってます。

最近だけでも、ヒッグス粒子あったああああとか、重力波見えたああああとか、何十年、百年も前に理論的に予言されたものの存在が、実験や観察によって確かめられるということが相次いでありました。古くは惑星の軌道が計算によって非常に正確に予測できたり、ひもの結び目について構築された理論がDNAの分子構造にも適用できたりと、数学の不思議な予測性、発見性には枚挙に暇がありません。ひょっとして神は数学者で、それに基づいて宇宙を創造したのでしょうか。違うというなら、人間には自らが発明した数学を通して見られるように世界を見ているだけなのでしょうか。

※↓何かあったら読み返す用メモなので粗いです。

・宇宙が数学に支配されていると考えたのがピタゴラス学派。音楽、宇宙、そして「対(つい)」。数は道具ではなく、発見されるべき実体だった
・プラトンにとっては、数学的対象の世界は、五感で認識できる「仮の世界」とは独立した永劫普遍の世界、数学を使って「発見」すべき世界である。現代に至る「プラトン主義」の源流となる考え方だ
・アルキメデスはそうしたイデアと、現実ここにある図形や立体との関係を追究し、新たな定理や問題を見いだしていった。微積分の発想も既に取り入れている

・近代、宇宙の言語=数学と思考実験を手がかりに「経験では明らかにならない現象の原因」を探究したのがガリレオ。望遠鏡を自作し、それを宇宙に向けた。木星は衛星を持ち、金星は太陽の周りを回っていた。黒点を観察していたら太陽も自転しており、天の川は無数の星の集まりだということ、太陽系外に恒星があることも分かってしまった。聖書(の解釈を独占する教会)との矛盾

・さらにデカルトは宇宙だけでなく、人間の知識一般が数学の論理に従っていると考えた。一組の数値を使って、平面上の点の位置を明確に示すことができる解析幾何学が始まる。代数と幾何の共通言語の発見。関数は法則へとつながった
・そしてニュートンは重力の理論に辿り着いてしまう。抽象的な数学分野が、物理的な現象の説明の鍵であることが認識された時代だった

・では、社会や経済、生物は数学で記述できるか?――相互関係があまりに複雑なものに対するアプローチとして統計(過去)と確率(未来)が生まれる。グラントの死亡表研究、ケトレーによる正規分布の発見、ピアソンの相関係数。確率はギャンブルから遺伝学にまで取り入れられた

・事件は19世紀に起きる。ロバチェフスキーらによる非ユークリッド幾何学の構築。ガウスもそこに辿り着いていた。リーマンは直感的に想像可能な3を超える次元の幾何学の端緒を開く。公理が違えば別の幾何学が成立してしまう。数学は人間の心が発明したものなのではないか?

・20世紀、ラッセルは数学を論理に還元する。ド・モルガン、フレーゲ、ブールから記号論理学へ。ゲーデルは形式体系が不完全か矛盾していることを示した
・それにしても、数学の言語で表現された不完全な形式体系のゲームで、なぜ宇宙はこんなに説明できるのだろう

・最後の第9章が、その問題と正面から向き合う
・数に関する認知は人間の脳に備わっている、その前提が人間に数学で認知できる世界を数学的に描写させている(そういう眼鏡をかけているからそう見える)のかもしれない
・問題を切り分ければ、素数などの「概念」を発明し、素数に関する「定理」を発見する、という営みなだけなのかもしれない
・数学の発展とともに、宇宙を説明するのに適切な道具が生き残ってきているのだという進化的な説明もできそうだ
・あるいは、単に数学で説明しがたいものを見てないだけ、なのかもしれない
・いや、対象ごとに使いやすいツールを発明してきた、というのが本当ではないか
・結局、分からない。しかし絶対の保証がないところで探究を続ける、そういうもんではないか

非ユークリッド幾何学は確かに衝撃なのでしょうけど、それは従来の幾何学を倒したのではなく包摂しただけで、むしろ数学の一般性を高めたのではないかしらと思うのですが。読み物としてはエピソードいっぱいでとても面白かったです。

大阪なんば

大阪に日帰り出張でした。
一泊してもいいかなと思ったんですが、仕事がだいぶ混んでる状態が続いてまして。

今回は、新大阪から大阪駅をすっ飛ばして難波です。
東京の本社に来る前は大阪にいた横の席の同僚に聞いて、昼飯時に訪れたのが、お好み焼きの「ゆかり」。
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豚玉うっま。「玉」って何?
前日、大阪に行く前にしっかり野菜を食べておこうと思ったところ、夜にお誘いをいただいて焼肉たべほに行ってしまうという失態(でも楽しかった)を犯したのですが、まああれね、キャベツ入ってるし、これ野菜ということで。

南海電鉄に初めて乗りました。東京から4時間半かけて行って、仕事そのものは2時間くらいで終了。

そんでまた難波に戻ってきて、「依屋」で夕飯をいただきます。
路地にあるカウンターのみの細長いお店。なんでここに辿り着いたの?という感じで聞かれましたが、いいじゃんね、そこはね。
お通し、きれい。どの一品も工夫してあり、お酒と本当によく合います。
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牡蠣の醤油焼きでじわっと幸せになったあと、
お勧めだという茶巾豆腐。えびたこぎっしり。これ絶品でした。
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おしまいはしめ鯖のお寿司。厚切りで瑞々しいです。フルオブテイスト。
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久しぶりに「ここいいなあ」というお店に当たりました。満足!

* * *

上記、前日夜の焼肉は野方の「基順館」。
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たべほ2300円ですが、最初に有無を言わさず山盛りの厚切りロース、タン、カルビの皿が三つ(あとサービスで一皿いただきました)と焼き野菜盛り、ご飯、スープ、キムチがどーんと出てきて、これを食べきるだけで全員おなかいっぱいでした。煙もくもく。学生さんや若者のお店って感じ。夜は予防的に正露丸飲んで寝ました。

2018年02月05日

内之浦出張

「あっち、あの、鹿児島の右の方の脚の」というくらいあやふやにしか知らなかった肝付町内之浦に出張してきました。
早起きして1泊、の予定だったのですが、東京にまた雪が降るという予報が出ていて、飛行機が遅れず飛ぶか心配だったので、予定を早めて前日の夜に鹿児島入りしてしまいました。空港は2度。山の中だから寒いらしいけど……

鹿児島空港至近のホテルから見えた山。
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左の高い山が韓国岳、真ん中はわかりにくいが獅子戸岳、新燃岳、中岳、右の高い山が高千穂峰だそうです。

お昼は内之浦の「瀬里奈」で焼き魚定食、1300円。かますでした。
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夜は鹿屋市の太平温泉に泊まって、宿の方に聞いて行ったのがとんかつの「竹亭」。
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翌日のごはんはコンビニ弁当とか空港のカレーとかで終了。

日程が延びることが大いにありえた出張で、今週いろんな予定を詰めていたところ期日どおりに終わるといいなあと思っていました。結果はありがたくも大団円。一度失敗して後がない人が成功してほっとした顔も見られて、ほっこりしました。
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翌日から、こんどは鹿児島が雪になるとのことで、帰りの予定を早め、東九州道をすっとばしてもらい、当日最終の飛行機にほとんど飛び乗る形で東京に戻りました。鹿児島空港2度、羽田空港7度。寒いのは好きなんだけど、交通機関の乱れに巻き込まれるのは嫌だなー

昨年後半はサボりすぎたので、今年は年明けからちょっと頑張ろうと思って結構いっぱい種を蒔いていました。そうしたら刈り取りで手一杯になりつつあります。今月半ばには仕事がちょっと途切れると期待しています。そしたら休もう。

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