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2017年07月 アーカイブ

2017年07月30日

観蓮会

先週のことですが、田無にある東大の農場で開かれた観蓮会に行ってきました。
休日限定の早朝覚醒により、朝7時のオープンに合わせて楽々現着。
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曇りで少し風がありました。でもかんかん照りだと体が辛いのでこれくらいがよい。
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蓮は、光があまり強くないほうがきれいに写る気がします。
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それぞれのピンクが夢のような発色でした。種はぞっとするんだけど。
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行く前はなんとなく池にいっぱい蓮が植わってるイメージを持っていましたが、実際は鉢や生け簀みたいのにさまざまな品種が入って並んでおり、「だよねえ」と思い直した次第。
ひまわりの迷路もありました。
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昔はそんなことを思ったことなかったのに、何か一斉にこっちを見ているようで気味が悪かったです。
駅前の松屋で朝飯食って帰りました。

* * *

この土日は寝たり起きたりしており、合間にいろんな人と会って、あっという間に過ぎていってしまいました。実家から桃が箱で届いたので朝に夕に食べてます。食物繊維が豊富で(皆まで言わない)

* * *

■加藤秀一『はじめてのジェンダー論』有斐閣, 2017年.

傷つけたり傷つけられたりしないために知識を仕入れ、関心を維持し、こういうじめじめ怒ってる人たちの世界になるべく踏み込まないで生きていきたいなと思わせてくれる筆致でした。説明が食い足りなく「なんで?」と思うところも少しありますが、見取り図として有用で、読みやすさもピカイチでした。

2017年07月19日

ろか

仕事先から、いつもと違ったルートで帰宅。大久保駅の近くを通ったら、よく行列してるお店がさくっと入れそうだったので、ふらっと入りました。「魯珈(ろか)」。
カレーとルーロー飯を頼みました。
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スパイス大好きな人が作ったカレー。おいしかったです。感じのよさもいいですね。
行列がない時に通りかかったらまた行く。

* * *

会社の別部署にいる優秀で人間のできた若者から「うちでボードゲームしましょ」と言われて、先日の連休の最終日に行ってきました。
弊管理人と、若者と奥様、同じ部署のさらに若者と、奥様のお友達の5人でおいしい昼食をいただいて、そのあと夕方まで楽しく遊びました。姑息、卑怯、いらいらする人がいると雰囲気が悪くなるものですが、全員スマート&ノーブルかつ真剣勝負だった。ああ清らかすぎて居づらい(うそ)

* * *

■岡本太郎『神秘日本』KADOKAWA, 2015年.

■亀田達也『モラルの起源』岩波書店, 2017年.

2017年07月17日

福岡と清里

急に決まって、福岡へ1泊2日で出張してきました。
「行くかどうかは任せるよ」と任されて行かないことにしていたのに、「やっぱり行かない?」と言われて行くことになったので、テンション低かったです。5月のボンもそうだったけど、だったら任せるとか言わないでくれと思いますね。
ということで適時さぼって飯食いに出たりしていました。

「稚加榮」という料亭でランチ。
店内中心部のでっかい生け簀を取り囲むようにカウンターがあります。涼しい。
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でもこの魚口密度の高さは動物福祉的にはちょっと。
そば定食にしました。
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なんかチューブ入りの辛子明太子が自由にいただけるようで。

夜はGARAM。
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かつて錦糸町にあって、今は佐賀に行ってしまった「アキンボ」のマスター推しのお店です。やけに並んでいたが、確かに価値ありのスパイスカレー。

次の日の昼は、地元民に教えていただいた「真(まこと)」で焼き鯖定食。
昼メニューはこれしかないので、注文は聞かれません。
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JUICY!!!!!
  弊管理人「どこの鯖ですか?」
  お店の方「ノルウェーでーす!!」
いいよ、うまいから(笑)

夜、トルコライスを食べに行ったら目当てのお店が臨時休業でした。ファック。
この「ハナマル厨房」と、地元民おすすめの「梅山鉄平食堂」「独酌しずく」は次の課題。
そのままタクシー拾って空港に行き、友人ご所望の「通りもん」買って帰りました。
暑かった。疲れた。

* * *

連休は生活が乱れ死にそうになったのをほどほどで押しとどめて、友人3人と清里へドライブ。
通り雨を浴びながら「清泉寮」でソフトクリームとソーセージ買い食い。
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人いっぱいでしたが、雨もすぐに上がり、さすがに涼しい高原を楽しみました。
パノラマ写真を撮る友人。
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昼飯はヴィラ・アフガンでベーコンエッグカレー。
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番号札を取ったのが14時ごろで36組待ちだったので、清泉寮を回って帰ってきて、ありついたのが16時です。そこまでして?とは思う。見た目のインパクトと味ともに一度は食べてもいいものではあります。

温泉に入って、八ヶ岳を見ながら小淵沢まで走って、道の駅を冷やかして戻りました。
中央道、激混み。運転は結構疲れました。でも良い気分転換になりました。

2017年07月09日

後志どらいぶ

ちょっとお祝い事があって、珍しく金土の1泊で北海道に行ってきました。

昼過ぎに札幌に到着、札幌駅北口から10秒の「175°DENO」で担々麺をいただきました。
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痺れます。黒ごまじゃなくて、普通ののほうがよかったか。十分満足はしました。

紀伊國屋で、「なまら蝦夷」という旅人宿のオーナーたちが作っているガイドブックの新しいやつが出ているかチェックしましたが、まだでした。惜しい。

ぎらぎらの日差しで暑い中、歩いてすすきのまで行って、昔仕事などでいろいろお世話になったおとーさんに会いに行き、久しぶりにたっぷり喋りました。

宿に行きましょうかね。
今回は街中からちょっと外れた菊水に6月にオープンした「HOTEL POTMUM」。コーヒーの森彦がやってるホテルのドミトリーです。
翌朝の写真ですが、こういう感じの気取った朝食(普通に支払うと1300円と思われる)と、600円以下のドリンクチケットが1枚ついて6600円。
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10日前くらいに来札を決めた時点で、もう空いてる宿が「3000円か7万円」みたいな状態になっており、しかも3000円のドミトリーは門限があるということで、オープンしたばかりでまだあまり宣伝していないこちらを見つけて予約しました。
チェックイン手間取る、調度が洒落てるのはいいがゴミ箱が小さくて翌朝にはゴミが溢れてる、トイレットペーパー切れそう、でもって割高、という、札幌のカフェとかによくある「建て付けと食い物以外のあらゆる点が足りてない」の典型みたいなところでした。まあ開いたばかりだから仕方ないか。
それにしても札幌のホテル事情はすっかり厳しくなったし、緩和の兆しは全くないですね。

夕方ちょっとベッドでごろごろしてから、肉を食いにすすきのへ。
だるまが並んでいたので、近くの「しまだや」にしました。感じのいいおじさんが中に通してくれて、メニューの相談に乗ってくれました。
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ひとりジンギスカン。うまあい。焼けたらニンニク+バターの上に載っけてから食べるロース
もなかなかだったけど、結局気に入ったのは一番安い厚切りのジンギスカンだった。網の直上に煙を吸うダクトがあって服があまり臭くならないのも有り難いです。

賑やかなお祝いは深夜に及び、久しぶりの人たちとも喋って帰って寝ました。

* * *

土曜は小樽でまったり、という選択肢もあり得たのだけど、「たぶん晴れで暑い」という天気予報を目にして、東京出発5分前にレンタカーを予約したのでした。だだ大正解。

札幌で連日30度を超える珍しい(しかし以前ほど珍しくないとの声も聞く)盛夏、高いところに行けば涼しかろう、ということでニセコを目指しました。10時発。
中山峠には止まらず、そのまま喜茂別へ。
羊蹄山は今日もおきれい。でも夏は水蒸気が多いからかちょっとぼやっとする。
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倶知安町の街中まで来て「昼飯食うところないかも」と思ったので、セイコーマートのホットシェフで豚丼買って車内で昼飯にしました。
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結果、これでよかった。セイコマ、今の住居の近くにほしいんだけどな。

山道をどんどん上って、13時前に五色温泉に到着です。海抜750m。父方のばあちゃん家と同じくらいではないか(笑)
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ニセコは鯉川温泉と新見温泉には泊まったことがありますが、五色温泉は来たことがなかったんですよね。新見温泉は食事もお風呂も本当に素晴らしかったのに、閉館してしまったようでとても残念です。
ドラクエ2のデルコンダルを思わせる(←古い)白い砂のイワオヌプリ登山道ですが、登ってる時間はなさそうだし、日焼け対策もちゃんとしてないので入口周辺の遊歩道で植物を見て終わりにしました。
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一番お気に入りのかわいこたんはアカモノ。
振り返ると五色温泉旅館があります。
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日帰り入浴700円。アンヌプリを見ながら入れる露天風呂はお湯も景色も素晴らしかったです。
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涼しい風の吹き抜けるお休み処でゴロゴロさせてもらって、汗が引いたところで空港を目指します。
札幌に住んでたころ、ニセコ周辺は何度も来たのに、不思議と行ってなかったのが京極町の湧き水。
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なんかちょっとどうかと思うけど(笑)そこらじゅう水が流れているので涼しかったし、水もおいしかったです。ソフトクリーム買い食い。濃厚&昇天。

あと、喜茂別を走ってるときに「メロンスムージー」の看板が目に入ったので止まってみました。「畑の食堂あべ屋」というところらしい。赤肉(ルピアレッド)と青肉(ニセコグリーン)のメロンが選べます。なんとなく赤がおいしそうだったので赤をお願いしました。400円。ここの畑で作ってるメロンと、近くの牧場の牛乳だそうです。
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いやこれ、いい。某有名な「サンタのひげ」は「単にソフトクリームとメロンを食ってるだけの食べ物」なのですが、スムージーはちゃんと牛乳とメロンが一つになってるよ。もっと混雑してもいいお店だと思う。
制限速度+5km/hで運転しながらおいしく飲んでました。弊管理人の車を後ろから追い越そうとした車がその瞬間に覆面パトにやられてたのをバックミラー越しに見て震えたりしつつ。

大滝の「きのこ王国」にも立ち寄りました。もう夕方だったので食堂は終わっており、次の機会としました。きのこ激押しなのが印象的でした。
若干早めに千歳に着いたのでアウトレットで時間つぶし。冬用のジャケットが半額なのを見つけましたがサイズが合わず断念。
空港では回転寿司の「函太郎」でつまみ食い。
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生もの食べないがお寿司大好き、という弊管理人は「こぼれイクラ」とかには目もくれず、火の通ったものばかり食べます。あと、しめ鯖もよかった。満足。夜中に帰宅しました。
北海道は春・秋が好きかも。

2017年07月02日

伯母が来ました

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弊日記に連休、盆、暮れの年3回登場する料理上手の伯母が日帰りで上京しました。
小学校時代の友達が出展する写真展を見て、友達とお昼とお茶をして、新宿から高速バスで帰る前に早め・軽めの夕飯を食べることになりました。
聞いていた時間よりちょっと早く合流し、弊管理人の自宅を見たいというので見ていただきました。

さらに2時間弱、時間があるのでパークハイアットの41階にあるピーク・ラウンジへ。
「できればでいいので窓側の席を」とラウンジにお願いしたら用意しておいていただけました。
ピーク・オブ・ジョイという料理+のみほの(場所と内容を考えるとわりとリーズナブルな気がする)プラン。
正直、料理は別にって感じの量と味(なので写真なし)ですし、飲み物はサーブが遅いのがちょっとあれなのですが、いい景色を見ながら涼しいラウンジのソファでダラダラできるので好きです。ちょうど暑かったし、新宿を彷徨うよりはこのほうがいいでしょう。

バスタまで送って別れました。
「夢みたい」といって満足してくれたようなのでよかったよかった。

伯母と外でご飯を食べるのは、たぶん9年前の札幌以来です。
あのとき「もう長くないかも」と言っていた祖母は97年目の人生を元気に生きており、独りで世話をしている伯母は今月をもって後期高齢者となり、「100まで生きられたらきつい」と言っていました。今般は施設に2泊預かってもらって出てきて、だいぶ息抜きができたようです。

なぜ9年前に「もう長くないかも」と思ったかというと、祖母をボケさせないように月・木だけは買い物と料理を頼んでいたのが、次第にできなくなってきたのがその時期だったからだそうです。夕飯を作る時間になると、恐らく料理をしたくなくて週刊誌を広げてしまう、それを詰って怒られると、そんなことがあったと。

あとは亡母のことをちょっと話しました。婿養子の父が県庁勤めを終えたら、いずれ田舎に戻るのが嫌で、長野市にマンションを買いたいと言っていたとのこと。その辺はなんとなく聞いたことがありましたが、もともと母は結婚するときも田舎が嫌だと言って出て行ったというのは初耳でした。

35年くらい前、マイク眞木の「バラが咲いた」を歌いながら弊管理人をおんぶして散歩していた伯母が、だいたい今の弊管理人と同じ歳。先は短いような、長いような。いやこれは長い。

LGBTを読みとく

この週末やたら自宅で本を読んでいたのは、土曜は天気がよくなく、日曜は午後、自宅に配管清掃が回ってくるのを待機している必要があったためです。あまり雨の降らなかった梅雨もそろそろ終わりかな。

* * *

最先端やってる研究者にテキスト書く時間なんかねえんだよというお声も遠雷のように聞こえる昨今、それでも多分にマニュアルとかFAQ的な要素を含んだ新書を書くって偉いと思います。丁寧にやるかわりにパンピーにとっては結構なところまで行きますから、手をつっこんだ以上はついてきなさいね(にこり)というドS理学療法士のリハビリみたいな本ですが、ついていく価値あり。ほぼ知っていることでも、きれいに整理されていくというのは貴重な経験です。会社の図書室みたいなところに新着本として入っていたので手に取りました。つまり買ってない。ごめん。

分からなかったのは、人格としての同性愛という考え方ができる以前に「自分は同性愛者だ」と考える人がいなかったというのはいいとして、(1)それ力んで説明することで何を救おう/何と戦おうとしていたのか(2)そんでは「同性愛行為は前々からあった」という言い方ならいいのか、ということ。鮮やかだなあと思ったのはHIV/AIDSの問題とポスト構造主義がどうクィア・スタディーズを形成したかという説明と表。

■森山至貴『LGBTを読みとく』筑摩書房, 2017年.

▽とりあえずの分類

・個人の性別/性的指向sexual orientation(恋愛感情や性的欲望の向き先)が:
  女性/女性=レズビアン(女性同性愛者)
  男性/男性=ゲイ(男性同性愛者)
    *容貌、性格が「男性的」か「女性的」か、とは無関係
  性的指向が両性に向く=バイセクシュアル(両性愛者)
    *性的指向が1つとは限らない
    性愛に性別が関係ない=パンセクシュアル、を含む

・セックス(生物学的性別)/ジェンダー(社会的に割り当てられた性別、性差)
 /性自認(自分の性別に対する認識)
 を導入した上で:
    トランスセクシュアル=セックスと性自認の不一致
    (狭義の)トランスジェンダー=割り当てられた性別と性自認の不一致
    トランスヴェスタイト=容姿に関する割り当てへの違和
      *性自認は問題ではない。常に異性装しているとも限らない    
  これらをまとめて「(広義の)トランスジェンダー」と呼ぶことがある
      *性別の社会的な割り当てにはセックスも入るとの考え方→6章で

・LGBTの中でオーバーラップが生じるケース
  性別×性的指向×性自認で考えると、「トランスジェンダーの同性愛者」の存在も見える

・LGBTに含まれないケース
  性的指向が向く性別がない=アセクシュアル
  性自認(?)が男性でも女性でもない=Xジェンダー
  生物学的性に男性/女性が分けられる、との「性別二元論」にも疑問符を付けておく

▽前史 ★行為→人格

・中世キリスト教世界:生殖に結びつかない性行為(ソドミー)の禁止
・産業化→未来の労働力である子どもの保護→「悪い」性行為への厳罰化傾向
 その一つとしての「男性間の」性行為の厳罰化
  1871 独・刑法175条
  1885 英・改正刑法(ラブシェール条項)、ただし「放埒さ」への戒め
・性科学による「同性愛homosexuality」という言葉の提出と同性間性行為の医療化
  独刑法175条(非道徳的な「行為」を罰する)への反対の立場
  →男性間の性行為や親密関係(愛)を指向するという「人格」の治療を目指す
・この時点で「同性愛者」のアイデンティティを持つ個人が誕生
 また、この時に女性同性愛者も「発見」される

▽運動史

・ホモファイルhomophile運動(1950年代~、西側諸国)
  反ナチ、反マッカーシズム
  典型的な男性/女性らしさをもって既存の社会制度に取り入る「同化主義」的傾向
  医師、性科学者の権威を利用
  同性愛者のコミュニティ発展に貢献
・ゲイ解放運動(1960年代~)
  ストーンウォールの反乱(1969)*有名だが最初、というわけではない
  専門家の権威より、経験に根ざした反差別運動
  ただしこの時期、フェミニズムによるレズビアン差別など男女の状況には差異も
・レズビアン/ゲイ・スタディーズ
  担い手は同性愛の当事者(後のクィア・スタディーズとの違い)
・HIV/AIDSの問題(1980年代~)
  多様なマイノリティに及ぶ問題
  アイデンティティ×抵抗だけでは感染症に対処できないとの認識
  (他方、日本ではアイデンティティ醸成とコミュニティ深化を惹起)
・ポスト構造主義
  二項対立と脱構築(デリダ)
  網の目としての支配、その大規模さ(フーコー)
・HIV/AIDSの経験+ポスト構造主義からクィア・スタディーズへ

▽日本

・女性
  同性愛概念の輸入(1910年代)
  女学校での女性同士の親密関係(エス、おめ)、心中事件→問題の認識
  恐らくこの時代に自分を「同性愛者だ」とアイデンティファイした人もいたはず
  ただし成長過程で一過性に起きるものと考えられ、社会問題としては受け流された
  「レズビアン」という言葉はキンゼイ報告(1950年代)から
    その後、人格としてのレズビアンが根付く
・男性
  明治期の「学生男色」は鶏姦(当時違法)がなければ容認
  同性愛概念の輸入→「変態性欲」としての問題化、「悩める同性愛者」の源流
  キンゼイ~1960年代「ホモ」発明~1970年代「ホモ人口」で「集団」としての厚みを認識
・1990年代以降
  92 東京国際レズビアン&ゲイ映画祭
  94 パレード、全国キャラバン
  97 アカー「府中青年の家裁判」
  
▽TG史

1910 ヒルシュフェルト「トランスヴェスタイト」(異性装で性的興奮を得る者)の発明
  ただし同性愛とは未分化
1952 デンマークのヨルゲンセンが性別適合手術を受ける
  →同性愛とは違う「トランスセクシュアル」の顕在化
  医者、性科学者の権威による権利擁護の進展
1966 コンプトンズカフェテリアの反乱
*TGでもやはり男女格差、フェミとの関係の問題に留意
1980 DSM-IIIにGID掲載(cf.同性愛の脱病理化)
1990年代 GIDの周縁化、病理化への抵抗としてTG概念が普及。日本でも

▽クィア・スタディーズ

・3つの視座
  (1)差異に基づく連帯
  (2)否定的な価値付けの引き受け→価値の転倒
  (3)アイデンティティの両義性と流動性
・5つの基本概念
  (1)パフォーマティヴィティ
    バトラー。言葉の意味は使用の累積から産出される→本質への疑義
  (2)ホモソーシャリティ
    セジウィック。女性差別やホモフォビアを伴う異性愛男性間の紐帯
    →男性中心的な社会を維持する機能
  (3)ヘテロノーマティビティ
    ホモフォビア(反差別、ではあるが社会の問題を個人の心に矮小化する)
    →ヘテロセクシズム(異性愛を中心に据えた社会構造への注目)
    →ヘテロノーマティヴィティ(「正しい性」を頂点にした序列化への批判)
      →多様な「正しくない性」の連帯が可能に
  (4)新しいホモノーマティヴィティ
    ドゥガン。市場と消費に迎合した「裕福な同性愛者」の一人勝ち批判
  (5)ホモナショナリズム
    プア。国家が同性愛者を是認する見返りに、国家による他の差別を認める危険
    ピンクウォッシュ、イスラモフォビア批判

2017年07月01日

じんるいがく(終)

で、最後は引っかかった部分だけメモりながら土曜を使って一気読み。
400ページに1年かかってしまいました。
でもなんか教科書1冊走り抜けた達成感はある。

去年、(1)のエントリーに書いた「グローバル化によってフロンティアが消滅したら文化人類学はどうやって食ってくの」というお節介な心配には19章以降で少し(少しね)答えてくれたように思います。

あと最後の最後でsociologismという言葉があるってのを知った。
そのSociologyを次は読んでみようかなと。
16年ぶりくらいのメンテということで。

今回読んだ本はこちら。
■Eriksen, T. H., Small Places, Large Issues: An Introduction to Social and Cultural Anthropology (4th ed.), Pluto Press, 2015.

* * *

19. Anthropology and the Paradoxes of Globalisation

・文化帝国主義、グローバル化、植民地主義、国際貿易、宣教師、技術、移動手段の高度化、国民国家の覆い→20世紀前半の文化人類学者は既に「未開」の文化の消滅を懸念
・1960-70年代のurgent anthropology:消え去る前に記述せよ、という緊迫感
・近年の懸念:社会間の接触の増加による複雑な関係が生成していること

▽それからどうなった
・植民地時代に研究された人たちは今、グローバルな経済、文化、政治の一部に
・国家が暴力を独占することで征服されることはなくなった
  が、採掘産業やプランテーション、宣教活動の侵入などが問題に
・アザンデに広がる賃労働者化、しかし魔術などの制度は残存
・ヤノマミは居住地内での金発見でグローバル経済に包摂
  先住民としてのヤノマミを世界に伝えるプロのスポークスパーソンも登場
  ただし多くは今も採集民(貨幣経済の重要さは増しているが)
  はしかの蔓延など困難も
・フランス統治下のマリでドゴンは敵のフラニから守られていた
  が、干ばつや人口増加に悩まされた
  現在はほとんどマリの国家に包摂され、通学やワクチン接種、仏語教育も享受
  イスラムによる文化変容も重要→ムスリムのフラニと平和的接触が可能に
・スーダンのヌアーとファー:内戦の影響
・トロブリアンド諸島では近代化により政治組織、経済、アイデンティティの政治に変化
  一方、親族システムや交換システムはいまだに機能している(重要性は低下したが)
・巨大なシステムとの接続でどうなったかがローカルの研究のスタート地点に
  →グローバルなシステムのさまざまな地点、レベルでの歴史的展開が主要課題

▽世界文化?
・文化的エントロピー(マリノフスキー)、文化グローバル化、クレオール化、雑種化、西洋化
  →「グローバル時代」にどうアプローチしたらいいのか
   グローバルとローカルの関係にどうアプローチしたらいいのか
・グローバル化:みんな同質になったのではなく、差異の表現方法が変わったとみるべき
・近代:WWI後、資本主義、近代国家、個人主義が人間存在にとって意味するところ
  →WWII後にその拡散は加速する
・最近数十年は、人、もの、アイデア、イメージの流れが全球スケールで加速
  時空間の圧縮(ハーヴェイ、1989)
  →空間が諸文化のバッファとなりえなくなった
・文化人類学も理論、方法の水準で複雑な課題に直面することに

▽近代化とグローバル化
・近代社会はそれぞれ違いがあるが、近代性には普遍性がある
  国家と市民権
  法制定権力や暴力の国家独占(ただしボコ・ハラムのような抵抗例も)
  賃労働と資本主義、資本が国土に縛られなくなる。半面、「南」の経済的従属
  貨幣=市場経済→持続可能な生産の優先度が下がる
  政治と経済が抽象的なグローバル・ネットワークに組み込まれる
  →どの個人もネットワークに決定的な影響力を行使できなくなる
  →単純な因果関係が描けなくなる(バタフライ効果)
  グローバルとローカルの接続(気候変動、原発事故)
  国連やNGOの道徳、政治的影響、ただしサンクションを与える力はまだ弱い
  AIDSの拡散にもグローバル化が顕現している

▽グローバル化の諸側面
・脱埋め込みDisembedding。距離が問題にならなくなる。社会生活が場所と切り離される
・加速Acceleration。輸送や通信が速く、安くなった。「遅れ」が意図せざる結果に
・標準化Standardisation。標準化と比較可能性。英語、モール、ホテルチェーン
・相互接続Interconnectedness。人々のつながりが濃く、速く、広く。国際ルールの要請
・移動性Mobility。あらゆるものが動く。移住、出張、国際会議、ツーリズムの増加
・混交Mixing。文化間の接点が増え、大規模に、多様に
・脆弱性Vulnerability。国境の希薄化と国際協調の重要性。病原体、テロリスト、温室ガス
・再埋め込みRe-embedding。上記諸傾向への反発。道徳コミット、アイデンティティの政治
  加速化にはスローカルチャー、標準化には「一点もの」、相互接続にはローカリズム、
  文化的純粋性の追求、脆弱性には自己決定、国境管理の再強化
  国際貿易の深化は都市スラムの拡大、移住は文化的再活性化も伴う
  →グローバル化はこのように弁証法的なプロセスである

・「ワールドミュージック」:非欧州の音楽家を欧州でフィーチャー、スタジオや電子楽器使用
  オーセンティックとは何か?という問い、欧州の音楽家が演奏した際の著作権、
  アフリカ音楽に対するJBの影響、「ワールドミュージック」内部の差異の不可視化
  実際はアフリカで聞かれていない「ホンモノのアフリカ音楽」、強く政治的な歌詞

▽グローバルな過程をローカルに受け止める
・ある地域でのイベント(米大統領選、オリンピックなど)は即座に世界で言及される
  が、拡散されない地域もある
  受け止め方もさまざま。Vogueは熱帯とパリで違う読まれ方をする
  南→北、という情報の流れもあり

▽ツーリズムと移住
・旅行、出張の増加
  →ホテル、空港、ビーチは文化と文化を架橋する「第3の文化」か?
  文化を観光化するサブサハラ
・移住をみる視点
  (1)ホスト国でのマジョリティとマイノリティ
  (2)ホスト国、母国での文化・社会組織
  (3)視点間の比較。ホスト国には「必要悪の労働者」、本人・本国には「外貨の源」
・どちらにしても誰もが「グローカル」
・「西洋文化」という言葉ももう不正確
  7~10億の人は一つにまとめられないし、他地域にも「西洋っぽい都市」はみられる
  →「近代」のことか?
・移住と文化アイデンティティ
  Nevis研究:移住先でのアイデンティティ確立
  純粋性、本来性authenticityの希求
  ポスト伝統(ギデンズ)時代、伝統はなくなるのではなく選択し、擁護するものになる

▽流離exileと脱領土化
  悪魔の詩:移動の途上。いかに世界や真理が違った場所では違って見えるか
・アパデュライAppadurai(1990)によるグローバルな文化流動の5側面
  (1)ethnoscape。人々の布置
  (2)technoscape。技術の布置
  (3)finanscape。資本の流れ。以上がインフラ。ただしどう動くかは予測しがたい
  (4)ideoscape。イデオロギーやメッセージの布置
  (5)mediascape。マスメディアの構成
 ポイントは脱領土化。
・帰結
  (1)流離する人口の増加
  (2)意識的な「(居)場所」の構築(自明でないからこそ)
    ロンドンでのNevisのようにネットワークあるいは結節点として構築されるかも
    意味づけも誰が見るかによって変わりうる(Rodman,1992)
  →遠隔ナショナリズム(アンダーソン)

▽人類学の帰結
・「伝統」と「近代」を経験的な意味で使えなくなった(●分からない)
・「社会」や「文化」が閉じたものとして扱えなくなった
・システム全体を描くことが難しくなった代わりに、フットボールやツーリズムなど個別の現象を分析する面白さが出てきた
・フィールドワークに加えて、幅広い文脈(統計、報道など)を参照する必要が出てきた

▽モダニティの土着化Indigenisation?
・マクルーハンの「グローバルビレッジ」:調和的というより、紛争を孕んだものとして描出
  相互行為と匿名性、ミクロとマクロの水準の混合
 →グローバル化の中心的なパラドックス:世界は小さくかつ大きくなった
 →民族・文化的断片化と近代的均質化の同時進行(フリードマン)
・サーリンズの「モダニティの土着化」。ナショナリズム、伝統主義
  cf.ソロモン諸島での母系→父系社会への移行。そのほうが土地所有権と整合する
  (Hviding,1994)

▽2つのローカライズ戦略
・フランス出稼ぎのコンゴ人les sapeurs:お金をためてフランスで服を買い、故国で消費を誇示。もともと権力のない出自だが、グローバルな消費文化を利用して地位を誇示する
・アイヌ(Sjoberg,1993)。日本政府に先住民族として認められるために、文化をコモディティ化・観光化し、(グローバルな)マーケットで価値のあるものとして売り出した

20 Public Anthropology

・アカデミアの外に向けた人類学
  一般向けの出版、政策提言、国際的な対話
・20世紀の制度化、WWII後の研究人口増→アカデミアへの引きこもり、自律
  ただ、ボアズのように人種差別的な偽科学批判をした人も
  多くの一般向け著作を残したマーガレット・ミードも
・イラク、アフガン侵攻のための「便利な」学問と見なされた経緯
  米軍やNATOにはエンベッド人類学者
・では、一般の人とのかかわりで何を目指すべきか?
  文化・グローバル化批判?研究対象の擁護?
  ハーバーマスの「3つの知識」:技術的、実践的、解放的
・ex.ノルウェーのrussefeiring(卒業生のどんちゃん騒ぎ)に対する新聞コメント
  →自分で組織する「通過儀礼」だとの説明
・ex.ノルウェーロマに関するコメント
  →賃労働を忌避するノマドの文化からの説明
→わからないものを文脈に位置付ける。道徳的な判断をするものではないが
・ex.移民政策
  →入ってくる側の視点から見たらどうか、という説明
→議論を方向付けはしないが、方法的文化相対主義からより多角的な検討を可能に

Epilogue: Making Anthropology Matter

・フィールドで道徳的に許されないことを見たら、それを外に伝えるべきか?
  たぶん、してもいい。ただし論文とは別の形でやる手はある
・自分の参加している社会を観察する:sociologism
  何でも社会学や人類学の枠組みで理解してしまう傾向
  芸術、文学、愛、美などを純粋な社会的産物として見る
  →世界は興味深い/深くない「現象」の束になってしまうのでは
・人類学は「他者」を扱うが、それは自己を反省的に眺める契機でもある
・単純化ではなく、より世界を複雑にする仕事なのかも
・人生の意味を教えてはくれないが、人生を意味あるものにするさまざまなやり方を教える
  答えをくれないかもしれないが、大きな疑問にかなり迫った感覚を与えてくれる

じんるいがく(9)

3カ月くらい空いてしまった。

* * *

17 Ethnicity

・「エスニシティ」の流行は60年代、ナショナリズムは80年代に、グローバルは90年代
・tribeからethnic groupへの移行も起きている(ethnic groupはどの社会にも存在)
・現代の紛争のほとんどはエスニシティや宗教が背景にある
・紛争でなくても、日常生活の至る所にエスニシティが影響を及ぼしている
・人類学では、マジョリティもエスニックグループと呼ぶ
・「あちらとは違う」という感覚があれば、そこにエスニックグループがある

▽もう少し特定を
・文化的に客観的な違いや集団間の隔たりがあるほどエスニシティが重要になる、というのは誤り
・文化的に近く、日常的な接触がある際に重要な意味を持つことがよくある
  ほとんど同じ人たちこそ、わずかな違いに敏感になる(cf.ベイトソン(1979))
  ←「違い」があるためには、何か共通性を持っていないといけない
・「文化的特徴」がエスニシティを作り出すわけではない。複数の文化の「境界」を見よ(Barth, 1969)
  →エスニシティは個人や集団の中にあるのではなく、「関係性」にある
・エスニシティの条件:
  メンバーや部外者による一般的認知
  文化的な特徴が宗教や結婚制度など何らかの社会的慣習に紐付いていること
  共通の歴史を持っているという認識(Tonkin et al. 1989; Smith 1999)
  起源の神話を共有していること

▽社会的分類とステレオタイプ
・分類が有効であるためには、アクターがそこに何らかの有用性を見出す必要がある
・ステレオタイプは、慣習的に存在すると思われている集団の特徴を単純化したもの
  労働者、女性、王族、など……
  道徳観と結びつくことが多い(ヒンドゥー教徒は自己中心的だ、など)
  →それが境界を強化し、自己イメージを明瞭化し、支配―被支配関係を再生産する
・混血はアノマリーとして迫害されがちだが、当事者が二つの属性を戦略的に使い分けることも

▽状況とエスニシティ
・人は状況により××族の人として振る舞ったり、雇用者として振る舞ったりする
・どう見られるかを巡るネゴシエーションも起きる
  eg.英国でバラモン出身のインド人がジャマイカ出身者と同じカテゴリに入れられるのを拒否
  →カテゴリー化への異議申し立てや、ステレオタイプへの挑戦を試みる
・二項対立化(サーミ/非サーミ)、補完化(どっちもノルウェー語を喋るよね)
  =dichotomisation and complementarisation
  二項対立では、相手を劣ったものととらえやすい。スティグマ化(サーミは不潔)
  補完化は学校で教えこまれたりする。同化への試み(外ではノルウェー語を使う)
→エスニシティは「関係性」や「プロセス」の中で顕現する

▽エスニック・アイデンティティ(象徴)と組織(政治)
・エスニック・グループが歴史的連続性を持つとというイデオロギー
  →エスニシティが「自然なもの」「長い歴史をもつもの」との印象を与える
・こうした信念には政治的な側面もある=組織
・ただし、「われわれ感覚」の強さや、グループが何を成員にもたらすかはさまざま
・日常からエスニシティを発露しているか、年に何度かのお祭りでだけ出すかもさまざま
・アイデンティティと組織のどちらがより基底的かも論争あり(Cohenは後者)
・政治・経済的な競争下ではエスニシティが重要性を増す
・Handelman(1977)によるエスニシティの強度の4段階
  (1)カテゴリー:起源神話の共有によるアイデンティティ形成。外では影響力なし
  (2)ネットワーク:エスニシティを媒介にした人間関係。仕事や住居、結婚相手の斡旋など
  (3)アソシエーション:目的をもった組織の形成
  (4)コミュニティ:明確な領域を基盤とした集団。分業や政治がエスニシティに基づいて動く

▽エスニシティとランク
・エスニシティだけでは集団内の位置は分からない。性別、年齢、階級などで内部は分化してる
・セグメント化されたアイデンティティ(1人の中に同心円状、またそれを横断する多くの属性がある)

▽「過去」のイデオロギー的使用
・共通起源の神話→現在の意味づけ、政治体制の基礎、アイデンティティの基礎となる
・現代でも同じ。口承ではなく記録によるが、多様な解釈を許すもの
・過去は特定の現代の見方を正統化するために操作される(ホブズボーム)
  ←「意図的」な伝統の創造。スコットランド高地の伝統など
・過去は多様に描ける。ナポレオン戦争を英/仏の子どもに教える際の違い。北米先住民の描写

18 Nationalism and Minorities

▽ナショナリズムと近代性
・ナショナリズム:文化的境界と政治的境界の一致を志向するイデオロギー(ゲルナー)
 ウェーバーなどは近代化、個人主義、官僚化によって取って代わられる旧習とみた
 が、逆に近代の産物であった(フランス啓蒙主義、ドイツ・ロマン主義時代)
・伝統と伝統主義は別もの、と考えるのが有用
 ナショナリズム=古い文化的伝統を強調する伝統主義
  だが本当に「古い」「伝統」というわけではない。ex.ノルウェー・ナショナリズム1850~

▽ナショナリズムと工業社会
・ゲルナーによると、産業化に伴って人々が親族、宗教、地域社会などの「根源primordialities」から切り離され、それを機能的に代替する社会の組織原理としてヨーロッパのナショナリズムが要請されたとする
・ナショナリズムは抽象的なコミュニティを前提にしている(顔の見える関係でなく)
 →想像の共同体。マスメディア、特に印刷メディアの発達が重要な役割を果たしている
  標準化された言語と世界観、教育→国民国家
・ナショナリズムは感情的な動員が可能な点で、イデオロギーより宗教や親族関係に近い
・エトニという古い共同体に根ざしているとの主張もあるが、シンボルの意味は昔は異なった

▽国民国家
・指導者は権力構造の維持と国民の基本的欲求の充足を達成する必要あり
・ナショナリズムに基礎を置いている
・暴力、法、秩序維持、徴税の権限の独占
・官僚機構、教育システム、共通の労働市場、国語
・多数の人々の動員(ヤノマミはせいぜい数百人。国家は何百万人)
・民族的多元主義は初期のほうが問題にならなかった

▽ナショナリズムとエスニシティ
・エスニックグループが自分の国を持つ権利を要求する→ナショナリズム(伝統的定義)
・ただし実際は、
  グループが「共通の意思」を持っているわけではない
    1人を見ても場合により民族/国民アイデンティティを使い分けている
  ナショナリズムは多数派のエスニックグループのイデオロギーであることも多い
  日常の用法では両者は混同して使われている
  民族と国家の範囲は多くの場合一致してない→マイノリティ問題が生まれる

▽マイノリティとマジョリティ
・権力と権力格差に注目したエスニシティ研究の代表例2つ:移住労働者、先住民
・「エスニックマイノリティ」は単に少数なだけでなく、政治的従属も含意する
・「マイノリティ」かどうかは場合による:
  (1)シク教徒はインド全体では2%だが、パンジャーブ州では65%
  (2)国家を作ることでマジョリティになれる
  (3)ハンガリー人やジャマイカ人は英国ではマイノリティだが、別の地域ではマジョリティ

▽権力の非対称性
・Copperbelt(2級市民としてのアフリカ鉱山労働者)の例
・Tambiah(1989)による現代社会のタイポロジー
  (1)マジョリティが90%以上を占めるほぼ同質な国(日本、アイスランド、バングラデシュ)
  (2)75-89%の大マジョリティ国(ブータン、ベトナム、トルコ)
  (3)50-75%+複数のマイノリティ(スリランカ、イラン、パキスタン、シンガポール)
  (4)ほぼ同規模の2グループ(ギアナ、トリニダード・トバゴ、マレーシア)
  (5)どの1グループもドミナントでない多民族国家(インド、モーリシャス、フィリピン)
・ただし社会の安定度、民主化の度合い、人権状況は上記分類と対応しない
  (モーリシャスは第3世界の中では最も安定度が高い部類に入るなど)
・民族問題は市民権、キャリア機会の不均衡から生まれるのが典型的

▽マイノリティに対する3つのアプローチ:隔離、同化、統合
・隔離:マイノリティを劣るものととらえ、物理的に切り離す(アパルトヘイト、北米の諸都市)
・同化:マイノリティの融合→消滅。イングランドにおけるノルマンの吸収
  強制される場合も、マイノリティが選択する場合もあり
  起こりやすい場合(米国の旧移民)も、起こりにくい(身体的特徴が顕著な黒人)場合も
・統合:アイデンティティを保ったまま、共通の制度に参加
・ほとんどの場合はこの3つのブレンド
・マジョリティが占有するもの:政治権力、言説、言語、コード、キャリア
  →労働市場などでマイノリティが不利になる
  ex.在ドイツのソマリア人は4言語使えても、ソマリア、スワヒリ、イタリア、アラビア語では
  労働市場で有利になれない

▽移民
・貧しい国から豊かな国への移民研究は主に3つの焦点:
  (1)受け入れ国側での差別の諸相
  (2)マジョリティと移民の文化の関係
  (3)アイデンティティ維持の戦略
・マジョリティ/マイノリティ関係の違い(Wallman, 1986)
  東ロンドンのBowでは緊張関係、南ロンドンのBatterseaではもっと緩い
  Batterseaでは個人が多様なグループに所属、職場も地元以外、流動的
   =オープンで不均質な社会
  境界を越える手段がたくさんある=「ゲート」と「ゲートキーパー」が多数存在する
  →架橋的な人間関係がコンフリクトを抑制する
・個人の視点から見ると、文化的コードを切り替えながら生きている
  受け入れ国側の人と接するときはエスニックな面を抑制、同郷人とは逆に
・Vertovecの造語「スーパー・ダイバーシティ」
  特に南北の「北」諸国での移民カテゴリーの多様化
  ジェンダー、年代、教育程度の多様化、受け入れ条件の多様化、経路・制度の多様化

▽「第4世界」―先住民
・近代と国民国家に直面→脆弱な立場に
・全ての住民が地球の先住民である以上、「先住民」は価値中立的には語り得ない
  →国民国家と潜在的に対立する政治的主体としての位置付け
   ただし、領土要求のプロジェクトが出てくることは少ない。人数的にも分化の程度でも
  最も先鋭的な対立が起きるのは土地の権利をめぐって
・先住民が可視化されるには、文化的変容が不可欠であるというパラドックス
  リテラシーを身につけ、メディアの扱いを覚え、政治に精通することで可能になる
  運動も「人権」概念に立脚し、国連の枠組みのもとで行われる
・文化/文化的アイデンティティ、伝統/伝統主義

▽民族の再活性化ethnic revitalisation
・しばらく眠っていた文化的象徴や習慣の再興。ただしオリジナルとは違ったもの
  伝統ではなく「伝統主義」。ex.トリニダードでのヒンドゥイズム
・近代国家のもとで起きる

▽アイデンティティの政治
・グローカルな現象。特定の地域、集団で起きるが、文化や権利に関するグローバルな言説に依拠することが成功の条件
 ex.ヒンドゥー・ナショナリズム
  「ヒンドゥーらしさhindutva」の登場は1930年代だが大規模な現象になったのは80年代
  90年代には政党BJPの台頭←「世俗国家だ」とする批判
  カーストや言語的な分離が、かえってヒンディーを分断する可能性も
・特徴
  外部との違いは強調され、内部の多様性は捨象される
  「被害者」として歴史を解釈
  文化的な継続性と純粋性が強調される
  混交、変容、外からの影響は無視される
  結束強化のためには、内部の非成員が悪魔化される
  集団を越えた結びつきが批判される
  過去のヒーローが近代的ナショナリストとして意味づけし直される
・対比を通じたアイデンティティ形成
  ナショナリズムやマイノリティ問題は近代の産物だが、伝統社会にも見られるのがこれ
・エスニックグループも国家も永続的なものではないことに注意

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