« 2017年03月 | メイン | 2017年05月 »

2017年04月 アーカイブ

2017年04月30日

連休もどき前半

新宿三丁目、モモタイ。
朝7時から夕方6時までやっていて、夜はガールズバーだそうです。
むかしこの店舗、港屋をパクったような蕎麦を出してましたっけね。
170430momotai.jpg
よくあるタイ料理とひと味違った香り。
これは小皿料理も食べにまた来なければなるまい。

* * *

嫌すぎる出張が控えていて準備を少ししなければならないのもあり、また遊ぶ気分にならないのもあり、この連休は帰省するのはやめて6月に先送りし、東京で過ごすことにしました。
土曜は在宅で仕事と読書、日曜は昼ごろ中野のホームセンターに行って材木を買い、ベッドサイドの棚を作りました。そんで上記タイラーメンを食べて帰宅。

* * *

日曜早朝、何の夢だか忘れたけれども叫んで目が覚めました。
正月以来です。
そのあとは平和に二度寝。

* * *

昨年6月に就いた担当から、来月下旬をもって外れることになりました。
本来は2年はやることになっていたところ、「どうにも合わない」と1月下旬くらいから管理職にかけあっていたのが実ったようです。
良くも悪くもさまざま勉強になったのは事実ですが、無理する理由もないかなと。

* * *

そんな余裕あるんかいと自分にツッコみつつ、何年かぶりにリバーシブームを到来させてしまった。

* * *

■一ノ瀬正樹『英米哲学史講義』筑摩書房, 2016年.

放送大学の教科書が下敷きになっているだけあって、力一杯わかりやすく書かれていると感じました。英米哲学の基本文献の邦訳につける訳者解説をまとめたような本なので、まだ読んでいないものを読んだらまたここに戻ってきたいと思います。
・留学中に授業で原書をつまみ食いした『アナーキー・国家・ユートピア』はやはり通読しないといけない気がひしひしした。しかし5500円……
・「生物学の哲学」は字面から想像してたのとちょっと違った。そのうち一冊読もう
・古本で買ったままになってる『人間知性研究』もいい加減手を付けないと
・あと『哲学探究』もなあ
・ベイズ主義に至ってはどう入っていけばよいやら……

2017年04月25日

うどん、肉

土曜の昼は、高田馬場で「大地のうどん」。
170425udon.jpg
透き通ったうどん。出汁は昆布、鰹、そして鯖なんだって。
いや、別にうどん好きじゃないんですけど、なんとなく。
いや、かなりうまかったですけど。

* * *

午後、炊飯器のタイマーを入れたものの、なんか味気ないと思って。
友人を誘い、カーシェア予約して、雨の中、調布の温泉に行ってしまいました。
そんで「カウボーイ家族」で150gのハンバーグと150gのステーキで夕飯。
そういえば、独りで肉充ってしないかも。
と思うくらい、久しぶりな感じのする肉での満腹感でした。

そのあと車を返して、そのまま友人と中野で飲んで、歩いて帰ってきました。

* * *

日曜は、住んでるところの管理組合の総会がありました。
引っ越してきてから初めての出席です。理事になってしまいました。
終了後はちょっと仕事(いけてなかった)。

そしてやっぱり飲みに行く。
行こうと思っていたイベントの招待券をいただきました。

* * *

連日3時寝とかでしたが、そういうわけで、この週末は勝利感がありました。
それにしても、なぜこんなに週末に何かしなければいけない強迫に苛まれているのだろう。

* * *

タイマー入れたままのご飯は、翌朝まで14時間保温されてました。
半分食べて、あと半分はまだ残ってます。
チャーハンにでもしようか……

2017年04月09日

関西、桜づくし

東京でいつもお世話になっている京都出身の知人が、今年の花見を京都でやるというので、土日を利用して大阪、京都に行ってきました。

新大阪から地下鉄、モノレールを乗り継いでニュータウン界隈へ。
去年始まったごく私的な岡本太郎ブームのハイライトというか、万博記念公園に行ってこちらを拝んでまいりました。
170409taiyo1.jpg
重機と比べるとでかさが分かると思います。
特に見たかったのが裏側の顔で、こちらもやっと見ることができました。
170409taiyo2.jpg
しばらくすると、内部が公開されることでしょう。

で、もう一つの目的が国立民族学博物館です。
170409minpaku2.jpg
ソルボンヌでモースについて民族学を勉強した岡本太郎の作品がある公園の中にこれがある、というのは上出来じゃないでしょうか。ちょうど文化人類学の教科書を読んでいるところですから、もうすべての展示を興味深く見ました。
170409minpaku1.jpg
無料の音声ガイドをお借りして丁寧に聴いていたら、いちばん最初のオセアニアのコーナーを抜けるのに30分くらいかかってしまいました。
170409minpaku4.jpg
展示は建物の2階だけなのでボリュームは大したことないのかな、と思っていましたが、1時間くらいのろのろ見学したところで館内の案内図を見たらまだ2割くらいしか進んでないことが分かり、絶句。
170409minpaku5.jpg
南北アメリカ、ヨーロッパあたりで「ひ、広い」と本格的に思い始め、しかしアフリカの日常生活の展示はまた面白く、西アジアはいつか行ってみたい!と思わされ、しかし東南アジアあたりからわりと早足になり、韓国もざっと流し、あっ中国は意外とエスニックで面白いかもと思ったものの、日本はもう飛ばし飛ばしで過ぎてしまいました。
170409minpaku3.jpg
時間の制約もあるけど、もうかなり疲れていたというのもありましょう。にしても「金物」「木」「竹」「紙」の文化があるなあって視覚的に分かりますね。世界一周した感じがします。

昼飯をとらずに夕方になったので、そのまま難波に出て自由軒で昼飯?にしました。
170409jiyu.jpg
どこでお知りになったか、外国の方、ほんと多かった。
お店のおばちゃんも「はいはいセンターテーブルでサイドバイサイドでお願いします」と。
そんでもうちょっと食べられるかしらと思い、「わなか」でたこ焼き。
170409wanaka.jpg
あっつ!
深夜にお腹空くかな、もう一食食べることになるかな、と思いつつ、ちょっとお酒を飲みに行って、なんやかやつまんで、結局「夕飯」に当たるものは食べずに寝てしまいました。

翌朝は雨。
阪急で京都に向かいました。西院の喫茶店で朝飯食べて、バスで「原谷苑」に向かいました。
こんなとこ。あまりに鬱蒼とピンクで、死んじゃったかと思いました。
170409hara1.jpg
個人所有のお庭(それもすごいが)で、桜の季節だけ一般公開しているそうです。
60年前からありますが、地元にしか知られていない名所らしく、聞こえてくるのは関西の言葉がほとんどでした。
170409hara2.jpg
お弁当いただきます。(弊管理人のにだけ焼き魚が入ってないという非常に言い出しにくいミスに気づき、泣き寝入りした)
170409hara3.jpg
主催者は「去年は満開のときに来たけど、今年はもうちょっと後やったなー」と悔しがってましたが、十分です。一体どんなものを見たんだ、去年。
170409hara4.jpg
堪能したあと、さらに主催者提案でタクシーに分乗して平野神社。
こっちは染井吉野で満開です。空が見えない。すっげえ。
170409hara5.jpg
全然知らない神社でした。これは地元の人に連れてこられないと分からない。
170409hira1.jpg
神社マニアの知人は「えっ、これ何造りなの?」と。
なんか複数の様式が混ざった変な建築だったようですが、弊管理人には分かりませんでした。
170409hira2.jpg
さらに鞍馬温泉に連れていっていただき、ひとっ風呂あびて市内に戻りました。
ここで夕飯に向かう人たちとさよならして、弊管理人は一人で新福菜館でラーメン。
170409shin.jpg
今回はチャーハン……と思ったけどラーメンにしてしまいました。
やはりうまかった。
「こだま」で本読みながらのろのろ帰ってきました。
主催者と地元の人たちの力のおかげで、疲れたけど大変幸せな週末でした。
今年の桜は十分すぎるほど楽しみました。ありがたいことです。
週明けが来なければもう100倍幸せなのですけど。

* * *

■岡本亮輔『江戸東京の聖地を歩く』筑摩書房, 2017年.

これ絶対面白いやつ、と思って発売すぐに手に入れました。
でまあ当然のように面白かった。東京に暮らして都合12年、東側にも西側にも住み、ぐるぐる歩いた経験のおかげで「あの場所を一枚剥がすと、そんな歴史があったかー」という驚きとともにページが進みます。

* * *

前後しますが、5日(水曜)に仕事がはけてから、ふらっと上野に行って夜桜を見てきました。
170409ueno.jpg
ライトアップが20時までだそうで、着いたときには終わってしまっていました。
でもなかなか迫力があってよい。
不義理をしていた旧知のお店で一杯飲んで帰ってきました。

じんるいがく(8)

大阪、京都の行き帰りに「こだま」を使いました。最近使っていなかったEX-ICカードのサービスで、乗車3日前までに予約すると、グリーン車が「ぷらっとこだま」よりもさらに安い値段で利用できるということを知ったためです。

最近また怠けていた本書とポメラを持って、車内で片道1章ずつ読むことを目標にしました。ちょっとうとうとしたり、車内誌を読んだり、外を見たりしながら読んでちょうどいいくらいでした。
でもやっぱり若干長いな。「こだま」でのんびり、というのは名古屋くらいまでがいいのかもしれないです。

* * *

15 Language and Cognition

▽ウォーフ:翻訳の問題
・(サピア=)ウォーフ仮説
  言語の構造は世界の経験の仕方と密接に関係している
  ←「動き」に重点があるホピと、「もの」の北米言語の違い
  問題構造、世界観、日常生活を言語が規定する
  →では、アザンデ語から英語への翻訳は可能か?
  ウォーフはやっていたし、人類学はそれがないと不可能

・だが、問題がないわけではない
  人類はみな同じように思考しているのか?
  自分を「鳩だ」と形容するBororoをどうとらえるか?
  
・3つの問題
  (1)未開の人々は根本的に違った思考様式を持っているのか
  (2)そうだとすると、その生活世界を比較研究できるか
  (3)人類学の言葉は文化中立的か否か
→思考様式の違いは「民族」的な違いで、比較はすべきと考える
  (生得的な共通性の上に、文化的な違いが形成されている)
・ちなみに遺伝的特徴からの説明も不能
  (文化的多様性を説明できるほど違わない)

▽例として:ザンデの呪術(エヴァンス=プリチャード)
・蛇にかまれる→熱が出る、の部分ではなく、
  「なぜ他の誰でもないこの人がかまれるか」を説明する
=科学的な説明ができない「なぜ今」「なぜ私が」の意味付けを担う
・ただし、限界にも言及している
  (1)呪術に関する信念は科学的に非妥当(検証不能)
  (2)受け入れられているのは正しいからではなく、
    社会の統合機能を担っているから(構造機能主義)

・ウィンチ(1964)の反論
  呪術と科学をはっきりと区別することはできない
  天文学者も、十分に解明されていない「力」を盲信している
  科学の原理を信じていない人には科学実験は無意味
  ザンデの社会は呪術を維持しつつもうまく回っている
→あらゆる知識は文化的に構築されている
  人類学もその一つ。なぜ欧米で人類学が興ったのか?
・文化=ヴィトゲンシュタインの言語ゲーム
→通約不可能。優劣は言えないし、比較もできないかも
・STSの対称性原理(Fuller, 2006)につながるものといえる
  比較時には中立的な言葉遣いで語るということ

・サーリンズとObeyesekereの論争~
  普遍主義と特殊主義の間の揺れ
→2000年代の「存在論的転回」
  やっぱり特殊性を十分に記述できていないのではとの認識

▽分類
・デュルケームとモース:思考様式と組織の共通性を指摘
  各文化が独自の思考様式を発展させるとの考え
  (ただしウィンチと違って科学の優位は疑わなかった)
・分類(知識体系の重要な要素)→知識
  知識は社会構造と権力に結びつく

・分類の原理は有用性と思われてきたが、違った
・例外は秩序への挑戦、カテゴリーの境界
  →特定の状況でしか食べられない、女性は触れない、など

・トーテミズムにおける分類
(トーテミズム=社会のサブ集団と、特定の自然現象との間に、
 儀礼的な関係づけを持たせた知識の体系)
  →この関連付けの仕方が人類学の関心事となった
・集団のアイデンティティとしての見方
  デュルケームは今日のトーテミズムを「旗」に見る
・ではなぜ、ある集団とある動物が紐付くか?
  熊狩りするから熊がシンボル、というわけではなさそう
  シンボル同士の関係性が人間界の関係性に対応か
  (レヴィ=ストロース)
  メタファーとメトニミー

・野生の思考:二項対立への注目(cf.ベイトソン)
  注目すべきは要素より要素間の関係
  ブリコラージュ
・冷たい(変化の少ない)/熱い(変化を許容する)社会
  伝統/近代
  ブリコラージュ/工業
  書かない/書く
  トーテム/歴史
・書くこと
  言葉をものに変換すること
  時間、空間的に固定すること(覚えていなくてよい)
  話し言葉を縮減したもの
  大規模な集団の中で考えの交換と連帯を可能にする

▽時間とスケール
・抽象的な時間(「1時間」とか)は文化的発明
  時計が時間を作り出しているともいえる
  未来を制御できる→神を超えた能力!(ブルデュー)
  欧州で最初の時計使用は僧侶の時間管理とされている
  「時計」こそが近代の主要テクノロジーといえる
  →非常に多くの人々の行動を組織化できるようになった
   (飛行機が客を待つか、客が出発時間に合わせるか)
・多くの文化では、時間は具体的行為や過程に埋め込まれている
  時間を「失った」り「つぶした」りはできない
  未来はまだ起きていないので、未来形が成立しない
  神話の時間と現在は切り離せない
→時計、書くこと、温度計などの「標準化」が巨大な社会を創出

▽知識と権力
・言葉使いがリアリティを編成→権力の維持に役立ちうる
  (ロシア:「自由」の用法を限るなど)
・マルクスは五感の使用も歴史的産物だと述べた

16 Complexity and Change

▽都市化
・複雑で大規模な都市では全体を見通すことができない
  マンチェスター学派
  複数のインフォーマント、複数箇所でのフィールドワーク
  全体の把握ではなく、あるイベントから示唆を得る
・どうするか
  ケーススタディ
  研究を特定のリサーチクエスチョンに限定する
  特定のサブグループに注目し、全体社会との関係を考える

▽医療
・3つの身体
  個人的、社会的、政治的(すべて文化的構築物)
・西洋医学/伝統医学

▽開発
・GDP還元主義の落とし穴
・エクアドルの豚増産プロジェクトの失敗
  豚はただの食べ物以上の意味を持つ存在だった
  新たなケージ飼いは地域の女性にとり過剰負担となった

▽人類学が受ける挑戦
・われわれ/かれら の区別のあいまい化
・オリエンタリズム
・内部の視点から記述する歴史
・人類学の脱植民地化
  インフォーマントによるチェック要求
  インフォーマント自らが記述する歴史
・「文化」の純粋さへの幻想→文化間の接触忌避
  →アパルトヘイトの知的バックボーンに!
・文化混合(←→文化の純粋性、本来性)
  ハイブリッド性(境界は保持したまま混ざっている)
  シンクレティズム(融合した部分に注目)
  ディアスポラ化(帰属先の文化が他国に)
  トランスナショナリズム(国境を越える社会的実在)
  拡散(物や意味の国境を越えた流動性)
  クレオール化(文化接触の結果、新たな形式が誕生)

2017年04月01日

とうとう春が

寒い雨の土曜。朝起きたら、窓際に置いた睡蓮木の花が咲いていました。
170401suirenboku.jpg
何かしかし蕾にも咲きっぷりにも馴染みのない感じがあるなあ、と思って調べたら、南アフリカ原産でした。
日系ペルー人の知人が、見た目は全く日本人なのに表情が何か違う、みたいな感じか。違うか。

* * *

昼間、八王子の京王片倉近くにある「竜泉寺の湯」ってところに行きましたが、塩素くさくてあまり心地よくなかったです。

で、夜。
ローテンション同志であるところの友人と夕飯を食べることになり、この友人が交際している中国の子に教えてもらったという、池袋の「四川麻辣湯」に連れて行ってもらいました。
ロサ会館の近くにこんなのあったっけ、と思うくらい知らないと入らない雰囲気。路面店なのに。そして入ったとたんに外国の中華街の匂い!!
スープと麺の基本料金480円。そこに入れたい具(1個100円)を棚から好きなだけとってカゴに入れ、レジで会計します。麺はラーメンみたいのや、細い春雨、平べったい春雨(弊管理人はこれを選択)が選べます。スープの辛さもちょい辛から大辛まで。弊管理人は初心者なのでちょい辛にしました。
170401shisen2.jpg
ちょっと待つと、こういうのが来る。
170401shisen.jpg
うめえあああ!
中辛を選んだ友人のスープもちょっと飲ませてもらいましたが、ちょっと痺れが足されるくらいですね。こっちでも大丈夫かも。
いいところを教えてもらいました。

* * *

明けて日曜は晴れてそこそこ暖かくなりました。
大学時代の同級生とお花見。
170402komaba.jpg
母校のキャンパスの野球場にも春が降ってきていました。
ここの桜の枝ぶり、好きです。
満開まではもうちょっと。

そういえば大学の入学式は4月12日でしたが、会場近くの千鳥ヶ淵の桜が満開かちょっと盛りを過ぎたくらいの勢いで当時の写真にうつっています。
きょう、同級生とその話をしたら「その年は特に寒くて、だいぶ遅くまで雪が残ってたはず」と言っていました。そうだったか。

[4月3日追記:これまでの開花日と満開日をみると、確かに1996年の4月7日満開は前年と並んでこの四半世紀で最も遅いですが、顕著に遅いわけでもありませんでした。ちなみに定義は「さくらの開花とは、標本木のつぼみのうち、5~6輪の花が咲いた状態をいいます。満開は、全体の花芽の80%以上の花が咲いた状態をいいます」(金沢地方気象台)]

さすがに20年たつとみんな古くはなっているが、基本線は変わらない。
人文系の人たちのせいか、妙にすれた感じにもなってないところに安心感があります。
「ニュージーランドへの交換留学派遣を決めるための面接で、西洋古典学の先生から『ニュージーランドは西洋だと思うか』と聞かれて『西洋だ』と答えたが、今思うにそれは蛮勇だった」「俺はロックとバーリンで書いた卒論の口頭試問で『君が日本に生まれたことと自由の関係をどう思うか』と聞かれたので『覚悟を決めて生きたいと思います』と答えたら褒められた」といった艶っぽい昔話をしたり、「メルロ=ポンティって今時の学生も読んでるの?」とかきゃあきゃあおしゃべりできるというのは貴重なことです。

* * *

お花見中に職場から電話がかかってきて、やっぱり5月はドイツに行けという話になりました。
くう……(でも実は半分以上諦めていた)

* * *

■加藤周一『二〇世紀の自画像』筑摩書房, 2005年.

古い友人に「目指すところは全然違うが歩き方が(弊管理人と)似ている」と加藤周一を薦められたため、適当な古本を買って読んでみました。
が、半分ちょっとくらいまで頑張ったものの「もうええわ」となってしまいました。それ一つ一つが本1冊になるようなテーマをばさばさ整理しながら20世紀をまとめる対談のようなものを、今更食べる気にはなりませんでした。

About 2017年04月

2017年04月にブログ「すべりどめblog」に投稿されたすべてのエントリーです。新しいものから過去のものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2017年03月です。

次のアーカイブは2017年05月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35