« 2017年01月 | メイン | 2017年03月 »

2017年02月 アーカイブ

2017年02月28日

ポピュリズムとは何か

■水島治郎『ポピュリズムとは何か』中央公論新社, 2016年.

一部は仕事絡み、そうでなくても個人的な興味でヨーロッパの現在をざくっと見ておきたいという気持ちがあったこともあり、イギリスのEU離脱やトランプを経て、ドイツやフランスの選挙を控えた今、これは是非読んでおかにゃならん気がする、ということで買いました。

個人的な興味との関連でいくと――さまざまな善が花開くためにこそ、土壌としての「正義」ってものが必要だよねという考え方が、「あいつは正義の敵」というイスラム批判に化けてしまうというあたり、厄介な事態が出てきたなと思います。
排外主義や反EU主義に惹かれていく「置き去りにされた人たち」を「あいつら分かっとらんね」と蔑む視線が、口に出さないがポピュリズム政党に投票する人たちを相当数生むというのも分かる。
この本は効果も副作用もあるポピュリズムという複雑な問題を分析したまでで、「さてどうする」を提示はしていませんが、たぶん解決策も複雑だっつうことなのでしょう。

いやもうとても勉強になった。たまたま前に同じ中公新書の『代議制民主主義』を読んだこともあって読みやすかったです。すごく無駄なく書いてあるので最初から最後までただ読めばいいのだけど、自分メモを一応↓
-----------
▽ポピュリズムの定義

(1)固定的な支持基盤を超え、幅広く国民に直接訴えるスタイル
 =リーダーの政治戦略・手法としてのポピュリズム
 例)中曽根、サッチャー、サルコジ、ベルルスコーニ
(2)「人民」の立場から既成政治やエリート批判をする「下(≠左/右)からの」運動
 =政治運動としてのポピュリズム(本書のフォーカスはこちら)
 例)フランス国民戦線、オーストリア自由党、Brexit、トランプ
・その「人民」が意味するのは:
 (2-1)健全な普通の人、サイレントマジョリティ(←→腐敗した特権層)
 (2-2)ひとかたまりとしての人民(←→特殊な利益関心を持つ団体、階級)
 (2-3)「われわれ」国民や主流民族集団(←→外国人、民族・宗教的少数者、外国資本)
・エリートの「タブー」「PC」「手続き」に対する挑戦が戦略となる
・既成政治に「民衆の声」をぶつけるカリスマの存在(必須ではないが)
・支配エリートの政策が変遷すれば、それへの対抗も変遷する「イデオロギーの薄さ」

▽民主主義の敵かというと、そうでもない。どころか、理念と結構重なる

 例)国民投票の広範な利用(墺自由党、仏国民戦線、瑞国民党、橋下)
・西欧では右派でも民主主義や議会主義は前提。敵視しているのは「代表制」ではないか
・民主主義の意義づけには
 (1)権力抑制を重視する「立憲主義(自由主義)的解釈」
 (2)人民の意思の実現を重視する「ポピュリズム敵解釈」
 の2つがあり、
・(1)に立つとポピュリズムには批判的になるが、制度重視で民衆に疎外感を生みやすい
・(2)は既成制度批判。左翼的ラディカル・デモクラシーとも共通する

▽民主主義にとってのポピュリズムの効果と副作用

・効果
 (1)周縁的集団の政治参加を促進
 (2)個別の社会集団を超えた「人民」を創出、政党システムの変動を喚起
 (3)「政治」を対立の場とすることで、世論や社会運動を活性化
・副作用
 (1)権力分立や抑制と均衡などを軽視しがち。多数にこだわると弱者が落ちる危険性
 (2)政治闘争を先鋭化させ、妥協や合意が困難になる
 (3)人民の意思や投票重視で、政党や議会、司法による「よき統治」を妨げる

▽どういうときに、どういう側面が顔を出すか

・民主主義の固定化した国でポピュリズムが出現すると
 →既成政党に緊張感が生まれ、民意への感度が高まる。民主主義の質を高める方向
・民主主義が固定化していない国で出現し、与党になると
 →「民衆の声」を盾に、権威主義的統治に落ちやすい(ペルーのフジモリ政権)

▽既成の政治勢力はどう対応するか(万能薬はないが)

(1)【敵対的】孤立化。ポピュリズム政党との協力や連立を避ける
  ただし「悪」のレッテル貼りによって、既成政党批判はますます強まるだろう
(2)【敵対的】非正統化/対決。積極的な攻撃
  ドイツの極右政党違法化、ベネズエラのチャベス政権に対するクーデター
(3)【融和的】適応/抱き込み。既成政党の自己改革で不満緩和、ポ政党の周縁化にも
  オーストリア国民党は自由党(ポ)と連立し、自党の主導権を回復
(4)【融和的】社会化。積極的にポ政党に働きかけ、変質を促す
  オーストリア。連立→政党内の分裂

▽類型

(1)「解放」としてのポピュリズム
  =既成の政治エリート支配への対抗、
   政治から疎外された農民、労働者、中間層などの政治参加・利益表出の経路として
  →弱者の地位向上、社会政策の展開を支える機能を持った
・19世紀末アメリカ
  格差拡大に対する共和党、民主党の冷淡さ。勤労者層の不満
  →1892年創設の「人民党」(別名ポピュリスト党)によるエリート批判
  ただし、白人農民のみへの焦点、既存政党の対応により、凋落も早かった
・20世紀ラテンアメリカ
  不平等、農園・鉱山主など少数エリートによる政治
  →ペロン(アルゼンチン)ら中間層出身リーダーが民衆動員、改革
  (1)交通、通信手段の発達を受けて肉声を全国に届けた
   *バルコニーから演説する「大衆への直接訴えかけ」スタイル
  (2)階級間連合で外国資本や寡頭支配層に対抗
  (3)輸入品の国産化(輸入代替工業化)と保護主義
  (4)ナショナリズム(先住民、混血、アフリカなどの価値を積極的に掲げた)
  (5)包摂性(低所得層、女性、若者に選挙権)
  →1970年代以降は軍事政権の弾圧を受けるなど下火に
・21世紀ラテンアメリカも依然、圧倒的な経済格差とアンダークラスが存在
  →国家の役割強化、福利増進への期待
  →チャベスとその後のポピュリズム政権の支持拡大

(2)「抑圧」としてのポピュリズム
 =排外主義の結びつき
・ただし、現代も「男女平等や民主主義の価値を認めないイスラム」の排撃は
  解放の論理に立っているとみることもできる(デンマーク国民党など)
  オランダのフォルタインは同性愛者を公言。
   →イスラムの同性愛・女性差別を追撃、「啓蒙主義的排外主義」と呼べる
  シャルリ・エブド事件に対する「言論の自由」からのイスラム批判
   →西洋の基本的価値であるリベラル・デモクラシーからの批判が困難
・1990年代以降のヨーロッパでポピュリズムが伸びた背景:
 (1)グローバル化、冷戦終結などで左右が中道に寄り、既成政治の不満表出経路が限定
  →ユーロ危機時のドイツでは、ギリシャ支援を「しない」という選択肢をポ党が提示
  →むしろポピュリズム政党は社会の安全弁?(←→ドゥテルテのような危険な例も)
 (2)労組、農民団体などの弱体化→無党派層の増大
  →既成政党・団体が「特権層(←→市民)」の代表と見なされる
  →オーストリア自由党など、既得権益批判で支持が得られるようになった
  *ラテンアメリカと違い、福祉の利用者が「新しい特権層」として排撃対象にも
 (3)グローバル化による格差拡大で「近代化の敗者」が生まれる
  →グローバル化、ヨーロッパ統合を一方的に受け入れる政治エリートへの反感
  ・オランダのウィルデルス党のEUエリート批判と「リベラル・ジハード」
  ・人種主義的なBNPの「節度ある代替」として伸びたイギリス独立党
   →分断された英国におけるChavsの静かな支持、Brexit
  ・置き去りにされた「ラストベルト」のトランプ支持
・現代ヨーロッパのポピュリズムの特徴
 (1)マスメディアの活用。タブー破り、ネット宣伝(ウィルデルスのオランダ自由党)
 (2)直接民主主義の活用
  極右起源の国民戦線(仏)、自由党(墺)、VB(ベルギー)の転回
  国民投票で市民層の不満をすくい上げる。特にスイス国民党
   →現状変更にNoが出やすい(国民投票の保守的機能。女性参政権の遅れなど)
 (3)福祉排外主義。「移民が福祉を濫用している」
  タブー破りとしての移民批判

痛い話

月曜の朝、目が覚めて「起き上がろうかな」と思ったら、右下腹部が痛くなりました。
足が攣ったときのようにぎゅーーーっと内臓が締め付けられる感じ。なんか変な体勢で寝て筋でも傷めたかと思いましたが、姿勢を変えても痛いし、待っても痛さが変化しない。
ちょっと一人では病院に行けないかも、というかいろいろ考える余裕がない、ということで#7119に電話して問答していたら、そのまま救急車派遣となりました。

腰の曲がったおばあちゃんみたいな姿勢で家の鍵をあけ、保険証と財布と携帯を手に持って床にうずくまっていると、救急隊到着。つかの間、痛みが和らいだので「これだったらタクシーで病院いけたかも」とちょっと大ごとになって恥ずかしいという思いとともに歩いて1階まで行って、ストレッチャーに乗って車内に運び込まれると、また痛みが襲ってきました。

車内では血圧と脈拍と体温を測られ、「激しいスポーツしてました?スポーツ心臓と言われたことは?」と聞かれました。なんか徐脈らしい(48bpmと聞こえたような。確かに脈拍は遅い)ですが、目下の問題はそっちではありません。電話番号と名前の字解、(弊管理人の名字を知っている人にしか分からないが)「く」か「ぐ」か、みたいな細かいことを確認され、(いいから出発してくれ~)と思いながら答えていました。結局、入院用のベッドはあいてないので、入院という判断になったら転院してもらう、という条件に承諾した上で、救急をやっている近くの病院に入りました。

病院に着くと、現れた消化器内科医が痛いあたりを圧したりしてから「尿路結石じゃないかなあ」と言いながらいったん姿を消しました。弊管理人はすぐに地下のCT室に運び込まれました。
バンザイの姿勢で息を止めているうちに撮影終了。また地上に戻ってストレッチャーから降り、トイレで採尿して診察室に入ってベッドに横たわっていると、さきほどの消化器内科医が戻ってきました。
「尿路結石です。座薬で鎮痛して、あとは水をいっぱい飲んで自然に石が出るのを待ちましょう。痛み止めを出しておきます。ほうれん草とかキャベツとか、シュウ酸が多い食べ物はネットに出てますので調べて、あまり多く食べないようにして下さい」
と言って出ていきました。

こちらも痛くて聞く余裕がなかったけど、何ミリくらいの石がどこに詰まっているのか、なんで痛いのかなどは教えてくれなかった。CTの映像も見られなかった。たぶん自然に出るのを待つと言われたところをみると小さいのだろうけど。尿検査もPHとか血とかを見たと思われますが、何をどうやって診断に至ったかが全く分かりませんでした。

弊管理人の症状はまだ軽いほうらしく、「ほかの方だとホント、のたうち回る方多いんですよー」と看護師さんから言われながら座薬を入れてもらい、20分ほど休んで、あまり効いてない段階で会計。痛みがそのままだったので、右側だけ伸びをしたような変な姿勢で椅子に座っていましたが、だんだん頭がぼーっとしてきて、痛みも少し和らいできました。そのまま会計をして、近くの薬局で頓服の痛み止めと座薬と、石の排出を促す薬(ウロカルン)を買って帰りました。近所なので歩いてしまいましたが、上着を着てこなかったので寒かったです。

家に着くとエレベーターが点検中だったので外階段から自室の階まで上がり、帰宅。トイレに座ると座薬が出てしまったので、痛み止めを飲んでベッドに横たわりました。悶えていて疲れたのか、このところ睡眠があまりとれていなかったせいか、3時間くらい寝ました。

午後。鈍痛は続いていたものの、外すと後が面倒そうな仕事に出かけ、また痛みが増してきたところを変な格好で耐え、帰宅。でも、「なぜ痛いのか」が分かっただけで相当、気分的にはマシです。(友人から「あそこはヤブ」と聞いていた病院だったので、ほんとに尿路結石でいいのかね、という疑いは頭の隅にあるのですが)
寒い中を歩いたせいか熱も出てきたので、上司と同僚に「明日は完全休養にします」と一方的に宣言して寝ました。

そのあたりの連絡を兼ねて結石の話をしたら、何人かの同僚や友人から「私も20代のときに」「父が」など激痛話と同情が返ってきたので、結構経験者がいるようです。

* * *

「ネットで調べて下さい」といわれて「尿路結石」と調べてみても、出てくるのは本当かどうか怪しいサイトばかり。ac.jpとかgo.jpという検索語をつけて調べてみました。
だいたい共通するのは
・30-60代の男性に多い(男性の場合は一生のうち10人前後に1人が経験)
・再発しやすい(数年~10年以内に半数とか6割とかいう情報が多かった)
・予防として水はたくさんとれ
・運動しろ
・特に汗をかいたあと、飲酒のあと、寝る前には水をとれ
・夕飯食ったら4時間は寝るな
・清涼飲料、炭酸飲料、ほうれん草、竹の子、コーヒー、紅茶はダメ。塩分、脂肪も控える
・野菜や果物(カルシウムとクエン酸)は適量摂取
・ほかに、ビタミンCの過剰摂取を控えるとか、水分は煎茶でなく番茶や水でとれと書いてあるところもありました。「ストレス」を原因に挙げるところも多少
つまり、「水を飲む」ほかは生活習慣病予防になるようなバランスのとれた食生活をしましょうね、ということらしい。

確かに弊管理人の水分摂取は足りてなかったと思います。食事をしてるときに「よく水を飲むね」と思う相手が多かったということは、自分はあまり飲まないほうだったのでしょう。
それを除くと、生活習慣、ストレス含め、問題の大半が仕事由来だと感じます。これまでの健康診断の結果からすると、ストレスが強いときは尿酸値が上がる体質っぽいので、腎臓の保護から考えても今の環境は健康によくない。早く職場を移りたい。

2017年02月26日

2月は逃げる

東高円寺、川中屋。
170226kawanaka.jpg
このところ焼き鳥が大変お好みで、先週、先々週と鳥貴族に行ったのですが、こちらの焼き鳥はトリキよりもお安いうえ量も多く、そしてポテトサラダ、たたき、鳥スープごはん(九州出身の同行者によると「鶏飯(けいはん)」というのに近いそう)など他のメニューもとてもおいしくて満足でした。日曜日でもやってるのがえらい。でも混み混みでした。予約が安全。

* * *

2月をほぼ空費してしまった気の進まない仕事に、ようやく出口が見えてきたような感じ。
しかし「この方向性は間違っていると思う」と今でも思っている方へまとまるという……
問題にならないといいけど。

* * *

花粉が目にきはじめた!
・アレルゲンを粘膜に触れさせない
・体調を整える
で乗り切りたいと思います。しばらく寝具を外に干せないのが痛い。

2017年02月19日

フレンチと桜

友人と高田馬場のビストロ、ラミティエでお昼を食べました。
2品選びます。テリーヌ。
160219lamitie.jpg
アッシパルマンティエ。チーズの下はマッシュポテトと挽肉です。
160219lamitie2.jpg
友人の選んだ鴨のコンフィもかなりのボリュームでした。
160219lamitie3.jpg
洋梨のタルトまでうまかった。
160219lamitie4.jpg
どれもうまかったので無闇に写真が増えました。
周囲を見てみたところでは、鉄板は「キッシュ」と「鴨のコンフィ」かなと思いました。

そんで、3.11の直後以来かと思うけど、新宿御苑。
160219shinjuku-gyoen2.jpg
寒桜が咲いていました。
160219shinjuku-gyoen.jpg
河津桜も盛りです。
染井吉野はまだ小さな蕾がついたくらい。
温室は初めて見ましたが、よくできていました。200円で十分楽しい。
それにしても梅も咲いているというのに、なんとなしに影が薄いな。

お茶飲んで、ゴーゴーカレー食って、ばいばいしました。

* * *

■フット, P. 『人間にとって善とは何か』(高橋久一郎監訳)筑摩書房, 2014年.

20世紀の終わり、英語圏で倫理学の授業をとったとき、いかにも「普通に基本ですからねこれね」といった風情で「Virtue Ethics」というのが出てきて「何何何これ」と思ったのが思い出されます。

* * *

父が65歳の誕生日を迎えました。
「おめっと」と携帯でメッセージを送ったら「めでたくもないが、バスの無料券もらった」と返ってきました。

* * *

先日、6-7年ぶりくらいに会う人とひょんなことからお酒を飲むことになりまして、その酒席で、実は昔、弊管理人に好意を寄せていた人に対して周囲が「あの人(=弊管理人)は難しいからやめておけ」と止めた、ということを聞かされました。

「まあもう昔のことですから気にしませんけどねえ。ちなみに誰が言ったの、それ」とか柔らかい感じで追及してみると、意外と仲が良い気がしていた人、弊管理人に好意を寄せていた人に好意を寄せていた人(物故)など名前が挙がり、若干のバイアスは窺われるものの、一見平穏な人間関係の裏でそう思われていたか、と結構衝撃を受けました。

そして内容は「タバコがものすごく嫌い」(今でも嫌い)、「遅刻に怒った」(怒るわ)、「見下されていそう」(表情に乏しいせいか。あるいは面白いものをクスクス笑う癖は確かにある)など、うーんまあそれは失礼しました、でも我慢しておつきあいしても長持ちはしなさそうやねというものが主だったよう。

当時、それ以前に比べれば改善されてはいたものの、なお今よりも怒りっぽかった&怒るポイントがおかしい部分があった&いろいろ周囲と話が合わない部分があったことは認めます。今般の酒席では「顔つきが優しくなった」と言われました。今ならもう少しましな対処ができるのかなとは思います。遅刻→リスケジュールをさっくり決然としたりとか、微笑みを絶やさないとか。しかし滋養にはなるが面倒だな、人付き合い。

2017年02月10日

オリエンタリズム

■サイード, E. W.『オリエンタリズム(上・下)』(今沢紀子訳)平凡社, 1993年.

学生時代に「読まなきゃ」と思って買ったのが20年近く(!!!)前。
会社に入ったころ、宿直勤務のときに読めるかなと思って職場に置いていたものの、そんなはずもなく、諸先輩方から「難しい本読んでんな」とからかわれて、本書は自宅に引きこもったのでありました。今般読み始めたのには特にきっかけはないのですが。
1978年の原著出版からだいぶ時間が経って、日本語訳が1986年。そんで平凡社ライブラリーになったのが1993年。そこからさらに四半世紀。その間に著者も亡くなってしまい、挑発の書もいつしか古典に叙せられて、なんというか悪い意味じゃなくて、古くなった感じがしました。

-----
「オリエンタリズム」は、狭義にはアジア(本書の主要な関心である中近東のほか、インド、中国、日本など)に関するヨーロッパ発祥の研究分野――人類学、社会学、歴史学、文献学などを動員した「地域研究」と呼ばれる学際領域に近いかもしれない――を指すが、もっと広い意味では「東洋(オリエント)」と「西洋(オクシデント)」の区別に基づく思考様式のことだといえる。オリエントを理解し、侵入し、支配し、教え導くための西洋の「知の様式(スタイル)」ということもできる。

オリエントの文献を渉猟し、オリエントを訪れ、学会で活動し、あるいは植民地官僚として奉職し、オリエントを解釈し、書き残すことによって、言説は不断に維持され、解像度を高め、強固さを増す。言語学者、官僚、軍人だけでなく、芸術家や文学者もまた政治の端くれとして、言説の再生産を担っていくのだ。

神秘のオリエント、深遠なオリエント、論理に馴染まず、永遠に発展せず、生殖力の強いオリエント。「われわれ西洋」と「かれら東洋」が分かたれ、「劣った東洋」との対比によって「優れた西洋」の自画像が立ち上がる。外側に出ることは困難だ。「現場を踏む」ということが、オリエントを内在的に理解することを保証せず、むしろステレオタイプを強化する契機になる。そういう困難さがある。

ではオリエントは自ら語るのだろうか?語ることはできない。言説の渦を回し続けるのは西洋であって、そこにオリエントが関与し、内容に承認を与えることはない。せいぜいインフォーマント扱いされるくらいだろうか。「自らを表象できないオリエントのために、西洋はやむを得ず表象という仕事をしている」、そんな使命感の下に。
-----

まとめるとこんな具合で、そのあたりは序説にさくっと書いてあり、あとは膨大な資料に当たりながら、14世紀から現代までのオリエンタリズムの変遷を辿るという構成です。全編面白く読んだかというとそうでもないんだけど、長い間本棚からじっとりと弊管理人を睨めていた未読の作品をやっとやっつけたので、まあいいか。

About 2017年02月

2017年02月にブログ「すべりどめblog」に投稿されたすべてのエントリーです。新しいものから過去のものへ順番に並んでいます。

前のアーカイブは2017年01月です。

次のアーカイブは2017年03月です。

他にも多くのエントリーがあります。メインページアーカイブページも見てください。

Powered by
Movable Type 3.35