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2016年02月 アーカイブ

2016年02月28日

祖父

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今日、父方の祖父が亡くなりました。
いくつだっけ。多分93歳とかそれくらい。

戦争中は飛行機乗りで、中国に出掛けていたということは聞きました。
終戦のあとは南信州の山間に戻ってずっと畑を作っていました。
若い頃はお酒で荒れることが結構あり、伯父はそれが嫌いだったそう。
軽トラか軽バンで2度ほど谷に落ちたものの、戦時中の訓練のおかげで助かったという伝説も父から聞いた。
弊管理人がリアルで知っているのは60代で幅跳び3m以上跳んでるすごいところとか、
テレビを見ながら高校野球にダメ出ししてるところとか、
梅を摘んでるところとか、
弊管理人に結婚相手を紹介しようと電話に手を伸ばしては弊管理人に止められるとか、
そんな姿くらいです。
盆正月に毎年会っていたので結構話もしたはずなんだけど。
あ、指で宙に字を書きながら喋る癖もありました。

ここに書いたとおり、昨年の5月、肺炎で入院したときに体が弱って動けなくなってしまい、そのまま療養病棟に入って、ときどき家に帰ったりしていたのでした。
この間の1月に会いに行ったとき、かすれた声で「頑張れよ」と言われたのが最後。
いやとても最後の言葉っぽいよね。お互い最後かなあと思っていたのかもしれない。

写真は2011年の正月、「遺影を撮ってくれ」と言われたときのもの。
目をつぶってしまった1枚目のNGショットです。
わりと家族に似ていない弊管理人が一番似ていると言われたのがこの祖父でした。

ということで、葬式のために今週ちょっと帰省します。

2016年02月20日

大阪

大阪出張。
仕事そのものは大変為になりました。しかし疲れた。
宵の口に終わって、そのまま新幹線で帰ることもできたのですが、何の楽しいこともないのは嫌だなと思って、急遽ホテルをとって一泊することにしました。

夕飯は大阪駅から歩いて15分くらいの「にしやま」さん。
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お通しからいちいちうまい。おでんの「梅焼き」は初めて見ました。弾力の強いはんぺん、みたいな。
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この他、おばんざいの盛り合わせとか若ごぼうの煮たやつとかをいただいて、
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シメにお願いした「まかないカレー」の意外な作り込み!
おいしかったです。ごちそうさまでした。

翌日はあまりやる気もなく地下街のベシャメルカフェというところでモーニング。
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でもコーヒー含めちゃんとしてました。えらい。
新大阪でピッコロカレー食べて、さっさと帰ってきました。
こちらは知る人ぞ知るらしい、絹笠の「とん蝶」。普通に新大阪駅のお土産屋で売ってました。
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なんかまだインフルからこっち、体力がちゃんと回復してない気がする。
今週はちょっとイライラしたりバタバタしたりしていたせいかな。

2016年02月13日

福岡とインフル

今週水曜、北九州に出張しました。
北九州空港よりも、福岡空港+特急のほうが安くて便利そうなので、そうしました。

ものすごく余裕を持って行きの飛行機をとっておいたら、前日になって「機材繰りのため1時間25分遅れます」との案内がきました。それでやっと丁度いいくらいの時間で、しかも早起きしなくてよくなったので、かえって有り難かったです。「迷惑料」とかで飛行機に乗るときに1000円いただきました。いいのに。

ただ、福岡空港から天神に直行して昼飯、という時間はなくなり、かわりに仕事先の最寄りの折尾駅近くで「かしわうどん」をいただきました。
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かしわなの?でも甘く煮た肉も、だしもとてもおいしかったです。360円!
横のはかしわおにぎり、100円。うどんに至極あう。

仕事を終えて博多に戻り、友人に教えてもらった住吉の「釣りバカ 小福」を訪ねました。
18時に入った時は弊管理人一人でしたが、すぐに地元民と思われる人たちで満員に。
真鯛、500円!
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めんたい茶漬けでおなかいっぱい。
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どうも写真が左に傾く癖があるね。

カウンターで隣になったおとーさんと話し込みました。
「出張?友達に聞いてここ来たの?その人、通だわー」とのこと。ですよねえ。食べ物は人に聞くのが一番です。

* * *

12月から公私ともにとにかくいろんなところに行く用事が目白押しで、この北九州出張で一落ち着きでした。「絶対体調崩せない」という気でいたためか、クソ寒いベルリンも札幌も元気にこなしていて、どこかで「これ終わったら疲れが出そうだなー」と思っていました。

案の定、福岡から帰ってくる飛行機の中で「あれ……喉おかしい?」となり、木曜深夜の仕事はトランス状態でやり、金曜午後になるとどんどん体調が悪くなって「やばい、これ」と会社の建物に入ってるクリニックに行ったら、インフルA型陽性。わあ初めてかもしれない、インフルエンザ。
イナビルという吸入薬を薬局で使って治療終了です。タミフルみたいに何日か飲む必要はないんですね。これ便利だな。

職場に戻って頼まれ仕事を仕上げるや否や、上司に「帰ります!」といって風のように立ち去り、帰って布団に直行です。医者が「今夜はもっと熱が出て、明日の夜までには収まりますんで」と言っていたとおり、夜半に血がぐらぐら煮える音が聞こえるくらい熱が出て、朝には微熱くらいまで下がりました。

解熱から2日はウイルスの排出があるので、月曜まで会社を休みます。こうやって体をリセットする機会もたまには必要なのでしょうな。

2016年02月11日

プラグマ(改)

※ちょっといじりました 2016.2.15

■伊藤邦武『プラグマティズム入門』筑摩書房,2016年.

学生時代になぜかローティを面白いと思い、その流れでジェイムズやパースへと遡っていった覚えがあります。
社会思想の先生に「何がいいの」と問われて、咄嗟に「あけすけなところ」と答えましたが、今考えてもあながち外れていなかったような。

プラグマティズムは真理や言語といったオーソドックスな哲学のテーマから、政治、教育といった社会問題まで、いろんなことを語るのに使われています。つまり、プラグマティズムは何かを語るときの「態度」に関する態度表明なのだと言ったほうがよさそうです。

源流にあるパースやジェイムズの示した原則は
(1)可謬主義。絶対確実、永遠不変な知識を手にすることはできず、いま持っている知識は必然的に誤りの可能性を含んでいるということ
(2)実用主義。ある知識を「さしあたりの真理」と呼んでいいのではないか、という基準は、それによってより広い対象を説明できる、よりシンプルに説明できる、対象を思った通りに操作できる、といった「使いでのよさ」に求められるということ
にまとめられるでしょう。

思想の流れにおいてプラグマティズムがとっている代表的な立ち位置を一言で言うなら「反デカルト主義」でしょう。あらゆるものを疑っていって、最後に絶対確実な知識にたどり着きました、というデカルトと上記(1)はまず相容れません。そのポイントは見たところ二つあって、
・そもそも「あらゆるものを疑う」がナンセンス。疑ってるおまえはどこに立ってんの。おまえが疑う対象のネットワークによっておまえはできてるんちゃうの、という批判
・理性に従って見れば正しいゴールに到達できる、という考えが独断に過ぎないという批判
だと思います。確かに、「慣習や権威に頼った判断よりも、自分のアタマで考えるんだ」と訴えた点に意義はあったかもしれません。しかし、そんなんで哲学がめでたく終結したかというと全然してない。ちゃんとその現実見ろやと。言い換えれば、デカルトに対する「『分かった』はおめーの思い込みだろう」というひどい批判(苦笑)。とすれば、代わりに採るべき探究の方法は「みんなで批判しあいながら考えてコンセンサスを形成する」という、哲学の民主主義モデルとでも言いたくなるようなものになります。

倫理のような価値的な対象だけでなく、世界をどう把握するかという事実の問題も、実際どうやって探究が行われているかといえば、ある共同体における証拠の蓄積とコンセンサスの形成、そして動揺と、新たなコンセンサスの形成です(クーンぽい!)。つまり価値も事実も思ったほどはっきり分けられるものではない。
また、日常の知と専門の知もそんなに違った原理で動いているわけではありません。探究の深さというか、ある判断をする際に使える道具(知識)の量に違いはあれ、どちらも「とりあえずそこにある”絶対確実”とはいえないようなさしあたりのもの」を使って判断し、進んでいかなければならない。
こういう、長らく当然のように受け止められてきた二分法に対するアンチも、プラグマティズムから引き出されてくる重要な態度だと思います。

さて、そう考えてくると、何が正しいかは言語とか知識のネットワークの外に厳然と存在する「事実」と対応しているかどうかで判断できる、とは言えなくなります。クワインはそこで「真理とは、それらのネットワークの維持に貢献するもの=ネットワークにとって有用なものである」とした。

とすると、何が正しいかもネットワーク/共同体により違ってくることになります。そこから何かと評判の悪い相対主義に陥らず、なんとか「そうはいってもこれは正しくてあれは間違っている」ということを言えるような客観性を確保するってもんではないか、どうやったらできるのか、を考える必要が出てくるんだろうなあと思うところです。ところがローティは「そんなもんしかし、私は『われわれが真理と思うもの』の体系から外に出ることなんてできないんだから、『われわれ』から出発して他者との連帯を探るしかないでしょう」という自文化中心主義を提示してしまった。

パトナムに至ってはもう何が何だかわからない遍歴ののちに、そうはいっても人間誰しもある程度共通の自然に対する認識能力はあって、それをベースにした合意=真理への逢着はできるんだろうなあというなんだか普通なところに至ったようであります。

この本では始祖から現在まで、13人のプラグマティストが紹介されています。「源流」「少し前」「これから」という3部構成で、弊管理人が本を読んでいたときはまだ存命で(その頃には左翼がどうとか言うようになっていたけれども)書き物もしていたローティも、ローティの本によく出てきていたデイヴィッドソンもクワインも「少し前」の章に登場していたのを見て、時間の流れを感じました。

でも「これから」まで読んでみて、やっぱり弊管理人自身が興味があるのは、現代の人たちがパースとどう向き合うかみたいな業界内の議論よりも、「プラグマティズムを使って何を斬るか」だということが確認されました。もっとも、自然科学の探究では、民主主義的で実用主義的な真理観はもう(建前上は)当たり前になっていて、ではいったい何を斬れば面白いのでしょう。よくわかんない。

それと愚痴ですが、学生の優秀さに寄りかかって教える能力を鍛えてこなかった人によくある「●●的××論とか、ちゃんと説明されてない術語がいっぱい出てくる」「内容より位置づけに説明の力点がある」という悪い入門書に分類したい、これ。想定読者は誰なんだ?索引がほしい。

2016年02月05日

たべたもの2月1週

埼玉県某小学校にお邪魔する機会をいただきました。給食までごちそうになってしまいました。
いわしと、わかめご飯と、節分だったのでお豆、牛乳、けんちん汁。
おいしかったです。
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自分が小学生だったときにはそれとは感じなかったけど、教室って、あらためて見るとさまざまな仕組みに満ちてますね。委員会活動、始まりの礼、終わりの礼、何をどこへ置くかが決まっている、標語、あいさつ。
校長先生も教頭先生もお若いように見えた。

* * *

静岡に出張しまして、しかし目当てのものは食べられず、駅の「沼津 魚がし鮨」でお寿司。
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生もの嫌い(寿司飯は好き)なので全部炙りです。
うんうんうまい。これと鯵の炙りを頼んで、ちょっと足りないかなーと思ったけど、脂っこかったのでその後お腹は空きませんでした。

* * *

友人と新宿1丁目「かつ味」。お通しからツブ貝、刺身盛り、牡蠣豆腐鍋(写真)とその後の雑炊、のどぐろの一夜干しまで全部満足でした。
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食べログで星がついてないせいか、あるいはかなり目に付きにくいところにあるお店なせいか、われわれが20時に入って22時に出るまでお店の中には最大3組しかいませんでした。
お店の方も感じがいいし、あまりがつがつ稼ごうとされてないような雰囲気でもあるので、もうこのままあまり目立たないでいてほしいです。

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